2006年夏 アメリカ旅行
〜 2006年7月30日から8月11日まで 〜

私たちは今年アメリカの母に来てほしいと願われて、3年ぶりに帰省した。
父の心臓が大変悪く、腎臓もうまく働かなくなったからである。
今回行かなければもう生きて会えないかもしれないと、一家の皆が一生懸命予定をあわせて出かけた。
父が弱りきっていたのを見て、つくづく今回アメリカに行ってよかったと思っている。
また、私のブライドメイトのノーマが3月に亡くなったが、お葬式にいけなかったのでお墓に行きたかった。
しかし、お墓に行ったのではノーマには会えない。生きているうちに会いに行けばよかったと何べんも後悔した。

7月30日にアメリカについた。父が母とともにデトロイト空港でまっていてくれた。父が元気そうで嬉しかった。私たちがついた後、しばらくして、21日からバケーションを取っていた夫と2人の子どもたちがカヌートリップから帰ってきた。3泊4日のキャンプのはずだったが、雷と豪雨で1日キャンセルしたそうである。私と息子はへとへとだったが、一家5人がそろって顔を合わせるのも久しぶりで嬉しかった。

次の日31日は買い物に出かけた。息子ジャステンが運転してくれてアウトレットモールに出かけた。彼はミシガンで学生をしていたので、こちらの状況を良く知っている。安く買える場所で息子や娘のために靴や洋服を買い込んだ。息子は特に大きくて、アメリカサイズでないと青年用の服が買えないのである。

8月1日、左の写真のように、カナダ旅行に出かけた。初日はストラットフォードである。ここでオリバーというミュージカルを見た。一家で芸術鑑賞を1年に一度はするようにしているが、今年はこれである。
オリバーの公演はすばらしくて、私は後でイギリスオリジナル版のオリバーのCDを買ったのだが、どちらかと言えば、今回みた公演のほうが胸に迫った。オリバー役の少年が4年生で、柔らかなボーイソプラノで歌った「I can do anything for you」は思わず涙が出た。

ストラットフォードはイギリスのストラットフォードのようにシェークスピアの公演をするので有名である。22年前、私はここでベニスの商人を見たのだが、英語が中世期の英語のせいかか、私の能力不足かで全然楽しめなかったが、今回は歌がついているので十分楽しめた。

夕ご飯はお金が掛かったけれど、モダン料理で楽しめた。
8月2日はナイヤガラの滝を見に行った。私は4回目だったが、この前行ったのは長男が3歳の時日本の父を連れて行ったのが最後だった。今回は、カジノが出来ていたり、子供用の遊ぶところが出来ていたり、ホテルが林立していたりと20年の年月でこの街が大きく変わったのに驚いてしまった。観光地の作り方も本当に上手だなあと思う。街の中なのに公園が広く緑が豊富である。遊歩道の中にちょっとした休むところがあり、そこもセンスが良い。西口に応用したいと思う箇所が何箇所もあった。写真を撮らなくて残念。

ところで、ナイヤガラの滝はとても水量が豊富で圧倒する景観であった。暑い日であったけれど、近くに行くとマイナスイオンがあふれているのか、空気が非常にすっきりしていた。週日なのに、さすがに世界的に有名な観光地なので、人でいっぱいだった。
ナイヤガラの滝。これはカナダ側の滝。右下に小さく船が見えると思うが、これはMaid of mistという観光船。私は今回始めてこの船に乗った。一度も乗ったことがなかったので、「次に来るのが又20年後ならば、私は死んでいるかもしれない」とごねて、乗ることにした。あまり乗気でなかった家族も船に乗ればそれなりに楽しかったようで、興奮した。

私は、滝が近づくにつれ怖くなった。あまりにもしぶきがすごくて、目の前が真っ白になるのだ。タワーインフェルノという映画があったが、これはウオーターインフェルノだと思った。よくあんなところで船を操縦できるのだと感心した。水が、頭のずうっと上から落ちてくる恐怖はもしかして津波の恐怖かしらね。
2本の虹が見えますか。時々滝ではこのように虹が出来ます。気象の関係でしょうかね。船に乗って帰ってきて、公園を歩いている時に見えたものです。この平和な虹を見て本当にホッとした思いでした。

容赦なくおちる膨大な量の水の滝は地響きを立てます。立て続けます。まるで終わることのない人間の悲劇を感じさせるのです。そんな時虹が掛かっているのを見ると、聖書でノアが虹をみて新しい世界を見つけたように、きっと明日は平和な時がくるのではないかと小さく希望を持ってしまうのです。(私はちょっと詩人になっていました。)

CNNニュースはいつもイスラエルによるレバノンの攻撃を報道し、多くの犠牲者の話をしていました。早く停戦になることを心から願ってやみません。観光地に来ていても結局そんな風なことが心に掛かっていました。私は何も出来ないのに・・・・
8月2日、長年の友達のブラントとペギーに会いました。少し、年をとったのはお互い様。食事を家の家族と一緒にしたのですが、彼らは家の子どもたちの食欲に圧倒されていました。私も一生懸命食べましたが、量の多さは半端ではありません。

ブラントとペギーは川を挟んだアメリカ側のバッファローに住んでいます。大学の職員のブラントと妻のペギーは昔沖縄に7年住んでいました。私たちはどうして彼女たちに会いに行かなかったんだろうと今になって後悔しています。だって、いまだに沖縄に行ったことがないのですからね。一度行こうとした時は、流産して結局いけなかったのです。彼女たちに「日本に来てね」といって別れました。
8月4日私たちは弟ジョーのコテージに行きました。3日にカナダから帰ってきて次の日にもう出かけました。実は、カナダから戻ってみると、父が入院してしまっていました。心臓が弱っているから、腎臓にうまく血が回らなくて、腎臓も弱っているので浮腫みがでて心臓を圧迫するという悪循環なのです。

父もコテージに来る予定で楽しみにしていたのに、心から残念でした。母はそれでも私たちに楽しんできてほしいと言って出かけるのを薦めました。私は一家5人が家にいたのではきっと母も大変だろうと出かけることに賛成しました。子どもたちも楽しみにしていましたから。

5日は朝11時からボートを出して、チュービングをしたりして楽しんでいました。水上ジェットで息子は遊びたがっていたのですが、故障で動かされなくて残念のようでした。
可愛いでしょう。この赤ちゃんのダディーは後ろにいるティム。彼は姪のジャネットの夫。私はグランドアントという事になります。大叔母さんかなあ。3ヶ月でニコニコ可愛いヘリーナ。私も生めたら産みたいなあと思いますが、皆は子どもに期待しなさいと言います。まあ、それが現実的でしょうね。

私は本を読んだり、ぼおっとしていました。これがバケーションの最高のすごし方でしょうね。それにしても、私たち5人、ジェイの家族3人、ティムら3人、その後ジョンとマーシャとジャネットが来たので総勢20人近くのパーティーになりました。このパーティーを仕切ったジョーの妻ジルの采配にはもう驚くほかありませんでした。私には出来ませんよ、食べさせることだけだって大変です。
チュービング。娘が乗っています。運転しているのはジョーおじさん。時々、わざとヒックリ返したりするのですが、それがスリルがあって楽しいようです。息子も娘も次の日は肩が痛いだの腕が痛いだのといっていました。つかまっているだけでも、大変のようでした。

息子は水上スキーも得意なのですが、今回は水上スキーはなしでした。(水上ジェットではありませんよ、ボートに引っ張ってもらってするスキーのこと)
帰りの日。ジョンたちは前日帰ったので、3家族14人だけでした。
日本では考えもつかないような贅沢なバケーション。私たちも別荘を持っているのですが、子供用に遊ぶものがないので子どもたちが別荘に寄り付きません。それに、アブ、蜂、ぶよのような虫が多くて、外に出るのがいやになります。それに比べるとここの別荘地は虫のいないこと。

ほとんど何もしないで本を読んでいましたが、天国ってこんなところかしらって思いますね。だって、日陰は湿度が低いので、さわやかなのです。それでも家の中はセントラルエアーコンディションでしょ。不快感ゼロですもの。「忙しいのだから、ゆっくりしてね」ってジルの優しい言葉に甘えて、本当に疲れがしみ出るほどのんびりしました。
8月5日、子どもをジョンのところにおいて、ノーマのお墓に行きました。高速を走り、2時間半でつきました。こんなに近いのだったらなんで前の時に時間を作って会いに行かなかったのかと悔やんでも悔やんでも仕方ありません。

涙が出て、困りました。この墓碑の下に高価な箱にいれられて眠っているのだそうです。彼女はアリゾナにバケーションに行き、お兄さんのフレッドやワットとともに食事をしている最中に心臓発作を起こして、2日後に意識も取り戻すことなくなくなったのだそうです。独身の彼女の死に方としては最高かなと思いますが、突然の死では周りは寂しくて仕方ありません。

お兄さんが私たち夫婦を連れてきてくれたのですが、彼も妹を突然なくしてさびしそうでした。お花が飾ってありました。きっと誰かが時々来ているのかしらと思い、お兄さんにお花を買ってもらうようにお金を託しました。
8月5日、私たちはノーマのお兄さんの住むトラバースシティにとまり、6日、ダウンタウンを観光した後、オールドミッション半島にドライブに。行きました。ここは昔灯台のあった場所です。今も誰かが住んでいる様子でした。暑いのですが、湿度が少ないのでからっとしています。

この後、この半島にはいくつもワイナリーがあるので、その一つによって、利き酒をしながら、赤と白の2本を買ってきました。味はまあまあかな。イタリアで夫が買ってきた幻の赤ワインのような味を探しているのですが、いまだに見つかりません。どうして、ラベルを捨てちゃったのかしら。イタリアに何度も夫は行きましたが、見つかっていません。
6日、夕方私たちは子どもたちをつれにジョンの家に行きました。子どもたちはホースライディング(乗馬)をして喜んでいました。今のところ、ジョンは5頭の馬を飼っています。ジョンの大きな敷地の中を散歩するのですが、楽しそうです。ジョーの子どもたちも結局ここに遊びに来ていました。私たちがついた時はクリケットをして遊んでいました。

私はちっとも乗馬にも、チュービンと同じく関心がありません。「久美子は本だけだね」と皆が思っていることでしょう。アメリカに来るために忙しく準備をしたので、着いたらもう抜け殻です。

姪のジャネットが大きいのですが、こうしてみると私も結構太っていますね。
8月10日、空港に行く日。私はみんなの写真をとりました。父がとても小さくなってしまって・・・・・どうしてグランパの写真をたくさん撮らなかったのかと後悔。「元気で次の機会まで待っていてね」といったら、「オオー、イエス」と答えたのだけれど、もしかしてこれが最後になるかもしれないと思って涙が出そうになりました。勿論、彼の前で不謹慎なことはしませんでしたけれど。

帰りは、3日前に退院してきた父は運転できずに、家で待つことになりました。たった10日でこんなに健康が損なわれてしまったのです。滞在中に亡くなってしまうのではないかと恐れたのですが、とにかく、私たちが帰るまでは気力でがんばったようです。子どもたちもそう思っていたようで、「お母さん、今年アメリカに来てよかったね」と何べんも言っていました。