くれフェミは止めた 実は久美子はフェミニストだったのです。

隠れフェミは止めた! 〜 実は、久美子はフェミニストでした。

狭山市議会議員 高橋ブラクソン久美子

今まで何回も“フェミ議”にさそわれても、私は「私がフェミニストなんて」と議員連盟に加わるのに長い間二の足を踏んでいました。しかし、私の狭山市議会を振り返ってみると、長年にわたり女性の権利擁護・女性問題を真剣に取り組んできたのは私だけでした。夫はアメリカ人ですが、夫の家族からすらも私はアメリカナイズされたキャリア女性と考えられています。

主観を取り払い、客観的に自分を振り返れば、今まで私は議会でバッシングを受けながらも、フェミニストと言われている人たちの系譜に乗った仕事をたゆむことなく続けてきたのでした。私が女性コーシャスでなかったら、「男女共同参画による子育て」と言う一般質問をし「長時間保育や一時保育、病後児保育を」と要望した時に働く母親バッシングが起きても必要を言い張ることもなかったし、役所や学校のセクハラ規定を作らせるために5年もかけることもしなかったでしょう。学童保育所はどの小学校にも前倒しで設置したのも、私の議会でのバックアップがあったせいです。女性労働者の間接差別について始めて議会で問題にしたのも私でした。性同一障害者のために性別記載の事務整理もさせました。できていないのは、女生徒にスラックスをはかせてもよいということ。なぜ、今時でも狭山市の女生徒はスカートをはかなければならないのか。(台湾、ニュージーランドでは女学生はスラックスでもよかったのに・・・)

とにかく、今までもこれからも、働く女性、育児する母親、障害者や老人を介護する女性の立場で行政を見る私の視点を変えることがありません。実際のところ、私はフェミニスト・女権拡張主義者という看板をあげるのを躊躇していただけで、フェミニストだったのでした。(実は、奥様は魔女、久美子はフェミニスト・・・・)

そうと自分で納得すれば、全国フェミニスト議員連盟に所属するのに躊躇はありませんでした。今後は隠れフェミを止め、フェミニストとしての矜持と誇りを持ち、世界の情勢をかんがみながら、他のフェミニストと連帯し、もっともっと自らをエンパワーし、議会でも社会でも家庭でもしっかり女性の権利拡充のために力を尽くして行きたいと思っています。全国フェミニスト議員連盟の一員として、貢献できることは精一杯させていただくつもりでおります。