2006年議案第6号 狭山市国民保護対策本部及び鞘m氏緊急対処事態対策本部条例

議案第6号 狭山市国民保護対策本部及び狭山市緊急対処事態対策本部条例に対する反対討論

議長のお許しをいただきましたので、8番高橋ブラクソン久美子が議案第6号 狭山市国民保護対策本部及び狭山市緊急対処事態対策本部条例に対し反対の立場から討論いたします。

この条例は、外国軍が狭山市又は日本のどこかを攻撃した場合、国に本部が設立され国の命により狭山市に狭山市国民保護対策本部を設ける、また、テロのように特定の国は想定できないものの武力攻撃された場合に、狭山市緊急対処事態対策本部を設けるという条例です。

 狭山市国民保護対策本部を作る時、狭山市が直接関わる場合では、入間基地が空爆された事態や外国軍が日本に上陸し狭山市まで侵略した事態などが想定されます。

しかし、入間基地が空爆される時とは、日本に制空力がなくなっているときです。その上、日米同盟がある状態で米軍の横田基地が近くにありますが、その米軍の制空圏を突き破り、入間基地を爆撃する状態です。外国の戦闘機の侵入をやすやすと許し、首都圏にある入間基地が攻撃されるその時の日本は、第2次世界大戦の末期に日本中の至る都市が空襲された状態と同じような状態でしょう。地上最強といわれているアメリカ軍すらも制空力を失っている状態であれば大変以上の状況です。

次に日本に外国軍が上陸し、戦争を展開する状況も考えて見ました。私は今年の冬は第2次世界大戦の検証をしたいと何冊かの本を読みました。その戦争末期、日本陸軍は最後まで「聖戦の完遂、本土決戦」を叫び、「一億、総玉砕」などと主張していましたが、昭和2089日の「最高戦争指導会議」において発言を求められた昭和天皇が「私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝える事である・・・・」として終戦を決断し本土決戦を回避した事は歴史上の有名な事実です。原爆が投下され、空襲が激しい状況で、本土にまで敵軍が上陸した状態では、沖縄の二の舞になるのは見えていました。こんなことをなんとでもして回避しなければ、祖先から受け継いだ日本という国を伝えられないと昭和天皇は考えられたということなのです。思うに、敵軍による上陸作戦が敢行され、狭山市に敵軍が責めこんでくる状況は入間基地が空爆された以上に日本国の存亡の危機のときです。

こうして考えてきますと、狭山市国民保護対策本部が設置される状況は決して決して起きてはいけない状況です。何が何でも回避せねばならない状況です。

テロの状況も考えて見ます。テロは起きてはいけないことなのです。起きてしまっては遅いのです。アメリカ合衆国は、世界貿易センターがテロの攻撃を受けてからは、徹底したテロ対策をし始めました。入国の際は、今では靴の中まで調べられ、スーツケースは鍵をかけることすら許されず、徹底したチェックが続いています。2度とテロの攻撃はさせないということなのです。

それでも、アメリカは国民保護法のようなものを持っていないはずです。国防訓練をして国民を非難させるという発想は皆無でしょう。アメリカ合衆国は、強力な軍事力と徹底した公安力で外国の侵略とテロ攻撃に対応しようというのです。

日本では、国民保護法で国民の安全を守れるのでしょうか。私は狭山市国民保護対策本部や狭山市緊急対処事態対策本部がこの条例で制定されても、狭山市民を守りきれないと思っています。外国軍に空から、陸から攻められる状況では先ほどから言うように、狭山市に住む国民を守れる状況にはないのです。

それでは、日本もアメリカのように軍事力を強めればよいのでしょうか。そうではないはずです。

日本は現憲法のもと、60年間戦争もせずに国を作ってきました。日本は軍隊を持たないことを宣言して、外交に力を置き、国際連合などの国際機関の力の下、平和を希求することを旗印に、世界の多くの国から尊敬と信頼を受けてまいりました。私は、この一見無力に見えるこの国策こそが、日本国民の安全を守る唯一の方法ではないかと信じております。武力衝突を避け、外交での交渉を通じて平和裡にことを進める、このことでこの60年間一滴の日本人の血を流すことなく、また、他国の人の血も流す事もありませんでした。私は、今後もこの路線を真っ直ぐに進むべきだと確信しています。

このように考えます時、なぜわが国が攻撃される事を想定するという軟弱な考えを持つのか理解に苦しみます。わが国は、憲法前文で言うように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我等の安全と生存を保持しようと決意した」のです。私たちがするべきことは、起きてはいけない事に備えるのではなく、おきてはいけない事は起こさない決意と努力と実践に真摯に取り組むべきなのです。武力攻撃事態を想定しての、狭山市国民保護対策本部及び狭山市緊急対処事態対策本部条例など、使うことなく葬ってしまわなければならない条例であります。

「備えあれば憂いなし」などという人がいるようですが、考え方が貧弱です。本当に国民の安全に責任を持ち、国民の憂いをなくするには、外国との協調外交に心を砕き、国連の場で尊敬をうるような国としていく事です。狭山市の場合では平和活動を忘れず、国際交流活動を地道にしていくことです。これこそが、真の備えというものです。

これらを考えますと、日本を戦場にする、攻撃を受けることを想定するような後ろ向きで、かつ、何が何でも二度と日本人に戦火を浴びせないという強い決意の見えない軟弱な条例に、私は賛成しかねます。

私にとって、日本は普通の国ではありません。特別な国です。私達には、昭和天皇がおっしゃられたように、祖先から受け継いだ日本国を子孫に伝えていく義務を課せられています。その責任を全うするためにも、世界に日本は武力行使をしない国であることを宣伝し、平和を希求する事を国是として堅持していることがまず重要です。「もしかしたら、どこかから攻撃されるかも・・・」などということを考えるような弱腰で、国民に平和を与えることについて毅然とした態度の見えないこの条例に私は反対します。