狭山市のこれからを考える

ある議論をした中から、抜粋しました。話がいたるところに飛んでいます。
しかし、その中にある私の狭山市の今後へのコンセプトを理解していただくと嬉しいです。

(1)狭山市のイメージ


どっちにしても、狭山市は工業市を抜きには考えられない。その後は、東京のベッドタウンだったのが、周辺の工場や事業所に雇用の場所が多いので、住勤が近い住民が生活する街を作っていくべきだろうと思います。工場誘致は圏央道が出来て活況を呈しています。

問題は、魅力ある生活ができる街づくりを目指さなければならないということ。学校の統廃合はしてもよいのですが、そのデメリットを上まう魅力ある 学校を作ること。公共施設、特に公民館の老朽化で市民が集う場所がなくなりつつあります。老人にバリアが大きい公民館には集えないのです。(2階に上がれ ない等)若い人には今の公民館は機能が古すぎ。コンピューターもないようでは・・・・

市民会館も貸し館になってしまい、文化事業は市民の発表会を中心に行いますって。大人が楽しめない街だよねって誰かが言っていたけど、本当ですよ ね。日ながいられるカフェもないし、図書館も16万都市にしては貧弱だと思う。蔵書があっても開架にでていないもの。映画館もないね。

まあ、少し西口の新しい公益施設に頼れるといいけれど。キーワードは文化と楽しい生活かなあ。


(2)公立幼稚園の廃止・使命を終えた建物

公立幼稚園が3園廃止されました。入曽、堀兼、奥富幼稚園です。園児が少なくなって、1クラス10人ほどになったりして、存続できなくなってしまいました。その代わりに入曽幼稚園は秋草学園が保育園をひらくことになりました。

あとの2幼稚園はその中に学童保育室があるので、それの存続と空き教室の使い方を考えている最中です。働く家庭が多くなって、幼稚園から保育園へと幼児がシフトしてきているたために、幼稚園が廃園になり、保育園を次々に開園している状態です。

今後は狭山市駅周辺の保育需要が高まるでしょうから、祇園保育所の改修か、新しい保育所、または「公認こども園」の設置が望まれます。

私は公共の施設は採算は考えられないことを言いました。だから、どれも税金が投入されています。だから、それはそれでよいけれど、1学年10人で は教育が成立しがたい、集団教育がうまく行かないという面が出てきて、廃園にならざるを得なくなりました。勿論、採算をいったら、莫大もない赤字だったの は言うまでもありませんが、それが廃園を決めた主たる理由ではないと思います。

不便になったひとのために、近くの幼稚園に駐車場を用意して、遠くから車で園児を連れてくる親の便を図るそうです。

赤字と言うのは何ですが、使命を終えた事業は確かにあると思っています。たとえば、上手に使えなければ、智光山荘は必要ないかなと思っています。 ここに宿泊する人はほぼ市外の人ですからね。市がホテルをもっている必要はないでしょう。まあ、ここは公設民営化にしたら280万円増収だったそうで、後 2年間この運営をチェックし続けなければなりません。

今後は入間川にある武道館が老朽化と耐震不足から、存続をぎろんすることになるでしょう。同じ施設が他にあるのに、狭山市で2施設持つ必要がある かと言う議論が必要です。現在ある中央公民館だって、西口に移転すれば、その建物をどうするか議論になるでしょう。耐震強度を考えれば、使うのを躊躇しま す。では、それをどうするか。更地にして駐車場というてもあるし、うりはらう方法もあります。

(4)コンパクトシティ・中心市街地のイメージ

私はシニアマンションを作ることを提唱しています。商店街を活性化するにはお金があり、暇もある高齢者対象の事業が必要です。特に七夕商店街を活 性化したいなら、歩いていけるところに住居がある事が必要だからです。ケアハウスがありますけれど、それ以上に自立性の高い老人が住むシニアマンションは アメリカには多くありますけれど、日本にはケアハウスや優良老人ホームはあってもシニアマンションは少ないから、私は狭山の駅周辺にあればよいとおもって いますんですけどねえ・・・

今コンパクトシティの概念が流布されていますけれど、狭山市は狭山市駅、新狭山、入曽だけが拠点を持った街づくり、それも駅を拠点としてでよいのだろうかと 考えています。私は少なくとも、水富地区、柏原を含めた奥富地区に拠点をもち、東京依存ではない、楽しく幸せに生活できる街づくりを望んでいます。高齢化 が深刻になる10年後を目指して街づくりのコンセプトを明確にするべき時がきていると思っているのですが。。。今から始めないと遅すぎると思っているので すけれど。


(5)人口増加策:雇用、住宅(街づくり・女性問題・子育て)人工中絶しない街

市民を増やせるかどうかについては、難しいとしかいえません。社会的減少、すなわち他市への流出を防ぐためには、子どもの世代の地元への雇用確保、住宅確 保が大きいのではないでしょうか。いま、住宅地が上広瀬・広瀬台などでたくさん建築されています。この戸建て住宅には、団地の2世が結婚して住み始めてい ます。労働、街づくりが人口問題のキーワードとなるでしょう。

雇用問題で言えば、狭山市はホンダに頼りきりのところがあり、ある意味労働の内容が限られています。本当はIT関係の雇用を確保する企業を増やすべきなんだろうと、私個人は思っています。でも、大学などがないので、IT産業は進出してくれないなあ。

街づくりはいろんな考えを何べんものべていますが、育児しやすい街、学校などの公共施設が最新式で整い、楽しく便利に生活できる工夫がひつようですね。そのためには、リニューアルも含めて、インフラ整備が必要になるでしょうね。またかって言わないでね。

そうそう、女性問題も解決しないといけないです。狭山市は他市に比べ女性が生き生きしていません。公民館活動も下火になっています。女性が元気でない街は活気がなくなります。女性を意識的に育てる必要があると思う。

たとえば、女性消防団員がいない、少なくとも女性消防団を結成していない市は近隣で狭山市だけでしょう。男性は消防団、女性は消防ボランティアと いう住み分けをしている市は少ないでしょうね。他にも防災会議には一人も女性が入っていません。何かあったとき、地域で活躍するのは女性なんだっていわれ て久しいけれど、狭山市は改善しないわねえ。

さて、たとえ、街づくりに励んでも人口減少を食い止められないのではないかって思います。親が少なくなるためです。他市からの流入を促進するに は、もっと企業誘致が必要だし、先ほどからの街づくりも必要だけれど、もう親が少ない時代では、都市間競争が激しくて、多くを望めないのではないかなあと おもうのです。でも、競争から一歩でも引いたら、人口は激減しますからね。

また、出生率を高めるのは、1市の力では難しい。本当は夫の労働時間が短縮され、賃金が上がり、保育園がもっと整備され、女性の再就職がもっと容易であれば、産み易くなるのでしょうが、狭山市が出来るのは保育園整備ぐらいでしょう。

もう一つ言えば、これは異論があると思いますけれど、中絶する子どもを中絶しないでよいような社会にするとよいのだけれど。養子縁組、里親制度。 何も産んだ人が育てなくても良い社会。それと、たとえ産んでも育てられなかったらギブアップできる社会ならばよいのにと思うのだけれど。私は養子も里子も たくさん見ているけれど、大変な時はあっても皆幸せになっている。中絶しないで子どもを産もうよ、育てられないなら私がそだててあげるよ、っていう社会に したらよいのになあ。

きっと、このことはさまざまな考えがあると思うけど。


(6)豊かな魅力的な狭山市:ダウンタウンは多くの人を受け入れられるところに

確かに狭山市は入間市などに比べると生活保護率は高いかもしれませんが、埼玉県は高齢化率が低いので、他県や全国に比べて保護率が高いという事はなく、結構低い方です。

市のグレードを上げたいというのは確かでしょうね。私は狭山市を埼玉県の田園調布市にしようといったことすらありました。(笑)所沢の高級住宅地 のようなものが狭山市に出来ないかなと思ったことがありました。入間川小学校跡に出来る住宅街はかなりの住宅街になりそうですよ。でも、もともとその方々 は狭山在住の高所得者ですから、呼び込みとはなりませんね。

狭山市の市民税額をみてみますと、ホンダのおかげもあるのですが、他市に比べ一人当たり高額です。でも、高所得者でも行政サービスの良い街をもと めるし、高所得者がいるほうが財政が豊かなので行政サービスがよくなるという事もありますね。また、それに引かれて低所得者が集まるという事もあります。

私は素晴らしくお金持ちの市で暮らしたことが2年ほどあります。たとえば、個人宅にプールがあるような家々がならなんでいるというところでした。 でも、活気は今一だった。元気さのない街は私は面白みがないと思っています。多少ごちゃごちゃしていようが、人種がさまざまであろうが、貧乏人もいるし、 金持ちもうようよしているような街も私個人としては好きですね。少なくとも、ダウンタウンはそんなであってほしいと思うんですよね。

中国は面白い。イタリアはどうでしたか。アメリカでも私はロスなんかよりもニューヨークやシカゴの方が面白い。狭山市にも国際通りみたい な、猥雑な場所が出来るとよいなあって思っているんですよ。でも、かえって男性の方が、整然とした街づくりが好きのようですね。何ででしょうか。

ところで、お金持ちの狭山市ですが、やはり行革も必要です。今のままのサービスでは高齢化の福祉をまかないきれるかという課題がありますね。特 に、今までは行政サービスとして所得の上限なしにばら撒いていたお金は今後出来なくなるのではないかと思います。たとえば、敬老祝い金。それに、自治会長 や自治会補助金は税金の還元として自治会に渡していたわけですけれど、お金で渡せなくなるかなと思っています。お金の分、サービスとして渡すことになる。 たとえば、介護サービスにお金が行くとか。

サービスが良くなり、無料化するという事は税金を多いに使うことになりますから、必然的に税金を上げなければならないでしょう。さもなければ、効率化を考えたり、採算や、応分の負担という事で受益者負担が増えます。

具体的にはどう考えても、8千円で大きな幼稚園の施設を維持管理して、2クラスに担任をつけ、園長、副園長、用務員をやとうことを続けるには、年間1億円近い金額が掛かるわけで、応分の負担なんていえば、一人1ヶ月何十万円になります。

では、税金を上げられるか。日本人はサービスは良くなっても、それを支える税金を上げるのは大嫌いです。ではどうするか。集中と選択って言われる ように、何かを切り、何かに特化するサービスをすることになりますね。でも、それも実際は難しい。どのサービス(たとえば幼稚園か、保育園か)でも結局両 方は無理と言う場合も出てくるわけです。

(7)議会のしていること

それは、出来れば市民のコンセンサスを得られればよいのですが、結果として議会での多数決で決めるという事になります。でも、これはある意味いろ んな意見があるけれど、まあ、多数がいいと思ったほうを選ぼうと言う、健全なやり方ではないでしょうか。勿論、どちらが正しいかと言うのは、後で結果はで るわけですけれど、取り合えずどちらかを選ぶしかない。

(8)税金の使い方

税金を所得の再配分として考えるか、税金をサービスとして配分するか、そのバランスの撮り方は時代によって違うんでしょうね。昔は老人に再配分を多くしていたけれど、今は子育て世代に児童手当として配分するとかね。