poem?!

2007年から思いを託して、詩を作ってみた。
学生時代のように、言葉が舞い散る日々に思いをはせながら

詩たちへ 時速30キロで愛を思う
畏怖と労働 穢れなき者たちの歌 美しいものへ 生きる
生きていくこと 銀杏の葉を踏みしめて
(初冬の思い出に)
冬のある日 青空を映す川
明るく冬の訪れを待つ。 明日からは冬 愛を感じて ざわめく感性へ
夏の日に 海はいいなあ 秋でもなく・・・ 今日、秋が来た。




詩たちへ
詩は湧き上がってくる。
そして、まるで歌のように私の頭の片隅で文字を作る。
2行、3行踊るように、言葉がつらなり、意味を持ってくる。
喜びが、悲しみが、恨みが、悔やみが、言葉と空間の間に広がって
今にもこぼれそうになる。

今作った詩は、私を慰め、私を励まし、
私の将来へ夢を運んで来る。

詩を口ずさみながら、私は幸福だ。
何もない灰色の空にも、私の詩はあふれそうだ。
涙は乾く。見えない絵の物語。
私は、明日の詩で明日の私を描く。
時速30キロで愛を思う
  エアロバイクで時速30キロ
  疾走しながら愛をおもう。

  ただ汗が頬をつたう
  足は空を何べんもかき回す
  何もフリクションを感じないで
  時速30キロではしる。

  目の前には暗い公園が広がっている。
  街灯が街路樹の間に連なって
  寂しい色を放っている。
  森の上を風が通っていき
  エアロバイクで疾走しながら
  森の上から風をみている。 

  私は愛を思っている。
  つらそうな声で愛を歌っている人は
  今はもういない。
  神を求めていた人は
  神を求める事に疲れてしまった。
  許しをどう請うてよいか分からなくなった。

  私は汗を流しながら
  何もフリクションを感じないで
  エアロバイクを時速30キロで疾走させる。
  そして、愛を思っている。

  澄んだ声で愛を求めていた彼は
  何曲歌を歌ったら愛に出会う事が出来るのだろう。
  真実は昨日から今日へと姿を変えて
  探している彼を、どのくらい翻弄し続けるだろう。
  彼は、公園で鳩にえさを与えている人のように、
  彼の夢をすっかり誰かに与えてしまったのだろうか。
  彼の夢は、鳩が飛び立つようにふわふわと
  ビルのかなたに飛んでいってしまったのだろうか。

  私は考えている。
  愛を語った人のことを。
  愛を歌った人のことを。
  愛を信じるといった人のことを。
  愛してほしいといった人のことを。
  抱きしめてほしいと、温かさを求めていた人を。
 
  何もフリクションを感じないエアロバイクにのって、
  汗をかきながら、愛を思っている。
  いつか頬に流れる汗と思っていたものが、
  涙にかわる。

  人生を真面目に真剣に精一杯生きなければ
  身を捧げるように愛さなければならない
  涙を拭くのも忘れて、愛を思っている。



畏怖と労働者
真っ黒な夜空に、まるで闇の魔王のように
工場がそびえる

管を体中に巻き付け、
7つの角のような煙突をどっと
闇夜につきだし

とぐろ巻く蛇のようにくねりながら、
永遠の彼方まで煙を噴出している

その工場に
まるで魔力にひきつけられるように
工場の労働者が吸い込まれていく

いらなくなったスラグが吐き出されるように
つかれきった工場の労働者がのろのろと出てくる

私は、いつもこの光景に圧倒され、
畏怖の念をもって、工場の前に佇む。

あ〜〜〜、これが日本の生産
これがGDP、これがマニファクチャー

罪の意識が工場を覆う闇よりも暗く広がる。
自分という無力な存在が吹き上げられている煙の彼方に
飛ばされていくようだ

立ちすくみながら、思う。
私は今まで何を生産したのか、何を作り出したのか
使っている何一つ作ったことなく
食べている物ひとつ作った事がない

魔王の力でねじ伏せられていく労働者の
汗と魂を
私は消費し、私は食べ、私は生きている。

暗闇にそびえる巨大な建物に
激しく圧倒され、
畏怖の念に包まれて、
一人、立ち尽くす。



穢れなき者たちの歌
汚いものに顔をしかめるほど
お下品ではないけれど、
きれい好きなものでね。
本当は、どこかに行けばよいと思ってはいるのよ。

汚れている感じのする人を
気持ち悪いわねというほど
お下品ではないけれど、
きれい好きなものでね。
実際は、知らん顔してそっと離れてしまうのよ。

自分が汚くなるのは否だから、
自分が汚く見えるのもいやだから、
きれいに見える人たちであつまって
他の人を外にみているのよ。

清潔で上品で、穏やかで間違いない
きれいな着物をまとい
お金はそこそこ有りそう
言葉遣いは感謝とアーメンでみちて
お互いに対する愛情はいっぱい

裁かれないために裁かないはずだけれど、
仲間に入れないのは、裁いているんじゃないのよね。
言葉が違うだけなのよね。感謝とアーメン
あの人は違う・・・・

本当に信じているのかしら。
信じる深さに欠けるのじゃないかしら。
信じているようには見えないわね。
信じているならば、こうすべきよね。
コーヒーを飲むのは、タバコやアルコールを飲むと同じく依存症よ。
女性は男性を立てるべきよ。役員は皆男性に決まっているでしょ。
キッチンの仕事は女性がするべきことなのよ。
同性愛なんてとんでもない。
男が男を、女が女を愛することは許されない話しよ。
あのうちの娘、結婚前に同棲していたのですって、はしたない。
清く、正しく、美しくあらねば・・・

十字架の下の美しい兄弟姉妹、
十字架を取り囲んで、
十字架に近づこうとしている
救いを求める人を阻止しているかのようだ。
あなただけの十字架じゃないのに、
きれいに飾りつけた祭壇の壁に
触ることも出来ないほど高く
十字架を 貼り付けておく

十字架は見るものなのよ。
見上げるものなのよ。
あなたの手には届かないものなのよ。
きれいな祭壇は堅固な教会堂の
そのまた奥にあり、
私達だけのために大切に、しまっておくのよ。

そう、あなたのような
ロックンローラーが来ても
十字架には触れさせられないわ。
あなたはどこか犯罪のにおいがするし、
それに、来ているものがベルサーチ。
ちょっとお下品すぎるわね。
お悩みのようだけれど、感謝とアーメンの
言葉も分からないのでは、場違いというもの。

  誰が救われるというのだろうか。
  どこで救われるというのだろうか。
  どう信じればよいというのか。
  何を信じればよいのか。

祈りのない
聖霊の働きのない
頑な心で満ちた、清潔で穢れのない
信仰深き
偽りの園
を告発する。




美しいものへ
立原道造は24歳で無くなった。
昭和14年、1939年。
道造が戦争を知らなくてよかった。

あの遠い雷のどよめきを聞いた空から
爆音がとどろき、
美しく風をとおした木々が
真っ赤に燃え上がり、
人人すらも黒い墨になってしまったのを
道造が見ないでよかった。

優しき歌を歌えなくなってしまい、
哀れなカナリヤのような立原を思うことすら残酷だ。

立原から紡がれる
きらめく柔らかな言葉は透明で、
人を裁くこともなく、自然の中で静かに舞っている。
天才の悲しさ

立原は、短い生の予感に
慟哭することもなく、
愛することもやめず、
自然の中で悠然と
命の燃え尽きるのを
待っているかのようだ。

26歳の尾崎は土にまみれて
古ぼけた家の庭に震えて凍えていた
その日、尾崎は死んだ。
尾崎には、ビルの中の空はみえたが、
立原がみた、軽井沢の林の中の光のざわめきや
小鳥が、蝶が昼に舞い上がるのを見たことが無かっただろう。

しかし、二人とも、立原も尾崎もゆめみたものは・・・・

夢見たものはと、立原は言う

夢見たものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛

天才たちが感性の全く違う天才たちが
夢見たものがおなじだったとは、
ねがったものも同じだったとは

あ〜〜。立原の純粋な詩を私は終生愛すると思う。
どんなに、乙女だといわれようと 、透明な思いは私を感化する。
尾崎の空しさを哀れみを持ってみると同じように
神の与えた才能に恐怖を感じるほどの感動を覚えるのだ
立原道造に、尾崎豊に


生きる
生きる
ずうっと生きる
死ぬまで生きる

生きるってなに?
生きたいの?
どう生きたいの?
何のために生きたいの?

とにかく生きることが目的で
前向いて
死ぬことを忘れて生きてみる
しかし、死の影は生きることの
横にいつも付きまとい
命の流れはどこまでも続くわけでなく
死に行き着く

私は、行き着く時と行き着くまでの
曲折を知らずに
とにかく生きる

生きることを楽しめるか
生きていることを喜べるか

もう、問うことをやめて
生きることに専念しようと思っても
繰り返し聞こえてくるのは
自分の足音のかすかな響き

立ち止まらないように
たちすくむことのないように
前に一歩足をだす
その音の響き、小さな足音

足を踏み出す勇気の鼓動


青空を映す川
青空が美しく広がっていた今日

久しぶりに、心が軽く感じている
不思議にゆれるものも無く
人に優しい思いを持つ

汗をかきながら歩いていると、
人生の重みなどは忘れてしまう
足が思いのほか軽く感じられ
心まで軽々と運ばれていく

青空が美しく川の上を覆い
土手の上を赤い帽子を被った人が
大きく手を振って歩いて行った

きっと彼女も
青空が美しく広がっていた今日
心も軽く、思い煩いを忘れて
まっすぐに歩いていったのだろう

川は、私達の 思いなど関知せず
青空を移しながら、静かに
きれいな水をながしている。
まるで命は川の流れのように、
物もいわず水のように流れていく

冬のある日
青空が暖かな陽気をささえている。

洗濯物が我が物顔でベランダの角から角まで占拠し、
真っ白な下着がはためいている。
息子の大きなTシャツがまるで万国旗のように連なり、
幸せな家庭の冬の午後だ。

私は事務所にいて
今日の仕事を片付けている。
スタッフは黙々と手を動かしている。
地道な誠実な昼下がりのひと時

電気ストーブが柔らかな温かさをつくり、
石油ストーブの上ではしゅんしゅんお湯が沸いている。

家族はそれぞれの所で
自分を育んでいる。

幸せな私の冬の午後
幸せな私の冬のひと時

銀杏の葉を踏みしめて(初冬の思い出に)
黄色の銀杏の葉が
道路にぱあっと敷きつめられて
今の道はgolden road

住宅街の街路樹の
葉はすでに落ちて
木々は道に沿って寂しい姿を
さらしているけれど

道はgolden road

銀杏の葉を踏みしめた向こう
白くけぶっているあたりに
夫のいる工場がある

golden roadをふみしめて
夫に会いにいく
街灯の白い光のなかに
夫を見つけた
まるで街路樹の一本の木のように
夫は立っていた

夜のしじまの中で
遠く、高速道路を通る車の
低いエンジン音が途切れず聞こえる

駆け寄って夫の顔をみた
彼は私の肩を抱きながら歩き始めた
街路樹は寂しそうに裸の幹を揺らす
私達はgolden road をふみしめ
寄り添いながら家庭へもどる

初冬の風が私達を通り過ぎて行く
夫はもう一度強く私の肩をだいた



生きていくこと
観念が先に出ているとは思わない。

自分をさらけ出しているとは思う。

それではつらすぎるのよ
と言われるけれど、
結局それしか生きようがなければ
仕方がないじゃない


私が私以外の何ものでない以上、
私はきっと勝って
私を表現しなければならないのだろう

自分の言葉以外しゃべれない私だから
私以外の言葉を話すと
話すその後から空気が胸に入らなくて
窒息しそうになるから
涙と後悔で沈み込みそうになるから

だから、私は自分の言葉を捜しながら
自分の胸に刃を突きつけることになっても
孤独な自分でいることも
孤独を自分に課すことも
仕方ないじゃない

私はきっと勝って
私を表現しなければならないのだろう
そう、戦いとって、
私は自分の言葉を話すしかないのだろう

神様、私が自分の言葉を得るために
どうか正しい時に
正しく戦うことができますように
そして、勝利が私の言葉になりますように



ざわめく感性へ
同じ曲をエンドレスに

同じ歌を同じ声で同じ高さでエンドレスへ

癒されながら
悲しみはいや増し
悲しみは深くなり

そして

私の感性はざわざわと
音を立てて震える

ざわめく感性
沈むリズム
刻まれるビートは
いつしか私の心を強く叩く

ざわめく感性
震え続ける私の心
抱え込みながら
私の思いをどこに向ければよいのだ

私が私であるために
このざわめく感性を
振るわせ続ける勇気があるのか

ざわめく感性
沈むリズム
刻まれるビートに
私はただ悲しみを増す

押し流されるように震えている
私の心
私のざわめく感性
おびえる私のこころを

扉を開けて放つとするか


愛を感じて
尾崎豊の歌がCDから流れ
宇多田ひかるが I Love you と歌う
すすり泣くように 終わりが来るように

愛は温かいはずなのに
わびしく悲しい歌
若い人たちの恋はつらい

恋の心を持って
夫にさわってみた
指と指をからめてみた
温かい夫の手のひらの温もり

若いとき、成田空港で
別れ離れになったときの
辛さは忘れられないが
今はお互い、いることが
いつまでもいられるような思い

尾崎豊は、
愛は温かいはずなのに
わびしく悲しく愛の歌を歌う
終わりが来るように

私は夫のぬくもりを確かめて
愛の歌をうたう

わびしくも悲しくもなく
私は愛の歌を歌う
まるで、終わりが来ないかのように
明日からは冬
秋は今日で終わると
天気予報が言う。

明日からは冬

風が吹く
霜がおり、北海道では雪

明日からは冬

今までは冬を身構えて待っていたのに、
今は冬の訪れを受け入れるほかなくて
冬篭りの支度は何にもしていない

風がほほを叩く時は、
ほほが真っ赤になる前に、家に帰ろう
雪が降ったら、子どものころを思い出しせば良い
そして、ストーブのまわりで
桜吹雪のお花見の日や、
熱かった夏の日
紅葉の山々を次々に思い描こう

明日からは冬
春、夏、秋は終わった。



明るく冬の訪れを待つ。
唐松がすっかり黄色になって、
さらさらと落ちてくる。
風の音がきこえているとおもったら、
それは大きな苞の木の葉が落ちた音。
山桜の赤い葉はすでに土にうずたかく積もっていた。

秋が駆け足で過ぎていく。
どこからか冬が訪れる。
美しい秋の夕暮れ。
爽やかな空気の向こうから
冬がやってくる。

なんだか、うきうきと冬の訪れを待つ。
秋がとてもとても美しくて
冬もきっと楽しいに違いない。

明るく冬を待つ。私の秋を楽しみながら。


今日、秋が来た。
今日はもう秋、昨日は夏だった。(立原道造)

今日、おきて窓をあけたら、1所パアッと明るい所があった。
木々が葉を薄黄色に変えていた。
木漏れ日が木々の間に光りをさしているのかと思ったら、
紅葉が始まった栗の木だった。


昨日は暑い夏の日で、半そでシャツに麦藁帽でりんご狩りをした。

今日は、窓の木々の葉っぱを見ながら、秋に惑わされている。
昨日は夏だったのに、昨日は夏の続きの秋を忘れている日だったのに、
今日はもう、秋。

秋。秋。美しい秋の始まり。
寂しい秋の、実りの秋の、そして私の秋の始まり。

今日
秋が窓から、私の元にやってきた。


秋でもなく・・・
秋でもなく
夏でもない

蒸し暑い夕方
雲は低く
灰色の重石のように空を覆っている

面白みのない一日
これが365日続くとなれば
面白みのない人生
面白みのない街

どこに出かけようか
何を食べようか
誰に微笑めばよいのだろうか
誰と祝えばよいのだろうか

夏でもなく
秋でもない

寒くもなく
あつくもない

どこに出かければ
青空と白い雲を見られるのだろう。
颯爽と胸を張って
夫と手をつないで歩けるのだろう。

今日は灰色の雲が空を覆い
暑くも寒くもなかった。
面白くもない日々が続いている。


海はいいなあ
海はいいなあ。

ひねもす、のたりのたりと波を岸に打ち付けていた。

海はいいなあ。

目の下で、ざあざあと波が流れていく。

夕日まで飲み込む海の寛容さ。
ラ メール。母さ。

海はいいなあ。
母と一緒に海の音を聞いた。
母の音なのかもしれない。

いいなあ、海は。

夏の日に

ある朝、起きてみると霧が晴れて、
雲はなくなり、いきなりの陽光。

夏が東の窓から無遠慮にやってきた。

まだ、蝉の声は聞こえない。
蛙の合唱も下火

でも、この陽光は夏の光だ。

家を、道路を、木々を焼けつくすような勢いで
コンクリートを溶かし、
ベランダの洗濯物を突き刺すように
私達を征服しようとしている陽光は
夏の光だ。

今はもう、その陽光に向かうことも出来なくなった私。

小学校のころは、ひまわりだった。
陽光に向かい、それを浴びて喜んだ。大好きだったプール。
高校生だったころ、焼けたアスファルトを踏んで、
お堀のふちの学校へ通った。
あの時の空の色、雲の白さ、真っ黒の友達の顔、
夏を楽しんでいた。夏が嬉しかった。

今はもう、夏を避けている私。
日傘や夏帽子を探してしまう、私。

人生の夏がすぎて、私には夏がまぶしすぎる。

きっと秋にいる私。冬の前のこの秋の美しい時を満喫しよう。