20079月議会一般質問原稿

原稿どおりには発言しませんでしたが、骨子です。
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1.防災について(交際備蓄品・倉庫)

2.橋(橋の修繕・改修、耐震、新富士見橋の架け替え)

3.中心市街地(中心市街地活性化計画、街づくり交付金・都市再生整備計画)

 

議長のお許しをいただきましたので、8番高橋ブラクソン久美子が一般質問いたします。

 

防災について質問いたします前に、中越沖地震、台風9号で亡くなられた方々に哀悼の意を表すとともに、それぞれの災害で被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。

 

さて、私は今年の8上越市におります両親を訪ねました。上越市は中越沖地震で大きな被害を受けた新潟県柏崎市の隣の市です。震災後3週目だったのですが、首都圏では聞くことも少なくなった災害関係の情報が、地元では毎日テレビニュースで流れていました。直下型地震による都市の被害が甚大であったことに驚きました。地盤が軟弱で液状化したので、地下埋設物がずたずたに切断され、都市機能が麻痺していました。下水道の仮復旧しなければ上水道は流すことは出来ず、また、どこが切断されているか分からないガス管にガスを通すことが出来ずに都市ガスは多くの世帯で復旧していませんでした。3週間もたっていても、生活に大きな困難を伴っていました。信越線も止まったまま、高速道路は1車線だけが復旧していましたが、災害援助用のトラックなどが多く、柏崎への侵入は許可証がなければ入れませんでした。上越市でも柏崎よりの柿崎地区では道路の復旧工事をやっている状況でした。

 

その後、1週間して、高速道路が2車線とも開通した後に、柏崎方面を通過しましたら、西山町付近では高速道路の右側にも左側にも、落ちた瓦の養生のために屋根にブルーシートが掛けられた家々がずっと続いていました。震災の被害が個人にも大きくのしかかっていることが見えて、心が暗くなってしまいました。

 

私は今回ほど震災を身近に感じたことはありませんでした。新潟にいて、天皇皇后陛下が柏崎を訪れて避難所にいらっしゃっているのをテレビで見ていて、私は、狭山市が震災を受けたなら避難所はどうなるだろうと思ってしまいました。水、食料、毛布、乳幼児のミルクやオムツ、老人のための介護用品、どれもすぐに必要なものです。狭山市で震災があろうとも、道路が断絶することはないでしょうけれど、少なくとも市として何日かは自力で市民を助けなければならないでしょう。

 

ですから、私は、825日の狭山市の防災訓練には一通りではない思いをもって参加いたしました。「実際に震災が起きたならば」と、今まで以上に真剣に参加しました。

 

当日は、水富地区本部を覗いた後に、すぐ備蓄倉庫を確認に行きました。食料、毛布などはありましたが、乳幼児用のミルクやオムツはありませんでした。介護用品も女性用の生理用品もありませんでした。後で聞くと大型備蓄庫に入っていることが分かったのですが、水富地区の広瀬、水富、笹井小学校の避難所では誰もそれらがどこにあるかわかりませんでした。水については、給水タンクがあるのは分かったのですが、蛇口のひねる部分がとってあってどうやって水を出すのか、頭をひねりました。その上、避難所の鍵は地区センターにあるとのことで、体育館を開くのも、備蓄を開くのも地元の人がすぐに開くことが出来ないことも分かりました。

 

そこで、いくつか提案したいと思いますが、市の見解をお聞かせください。

 

1.    当座の分、すなわち1日程度の分でよいのですから、乳児用ミルクならびに何本かの哺乳瓶、小、中、大3サイズのオムツの用意、大人用介護用品、女性用生理用品を小型備蓄庫に備蓄してください。

2.    水が出せるように、給水タンクの水栓は小型備蓄庫においてください。

3.    小型備蓄庫にはなくとも、大型備蓄庫にある備品が分かるように、大型備蓄庫の備品のリストを小型備蓄に入れて置いてください。

4.    体育館や小型備蓄庫の鍵の場所をもっと、避難所に近くに保管できないでしょうか。さもなければ、バールなどでこじ開けることになりますが、可能ですか。

 

大型備蓄庫も視察しました。その結果、いつ保管し始めたのか分からないような品物がありました。たとえ賞味期限がないと思われる紙おむつなども、ポリマーが入っているのである程度立てば買い替えも必要になります。そういう意味で、備蓄庫の管理は備蓄の数だけに留まらず、保管開始日などのデータも必要に思われます。たとえビニール袋に入っていても埃まみれの哺乳瓶は使うのはためらわれます。細かいようですが、もう少しきちんと保管できないものかと思いました。

 

そこで、提言します。見解をお聞かせください。

 

1.    大型、小型は問わず備蓄庫の管理は数だけでなく、保管開始日などのデータも記載しておいてください。

2.    オムツなどは少しずつ入れ替えをする必要を感じます。哺乳瓶についている乳首も劣化があると思うので、少しずつ定期的な入れ替えをして、それが分かるように管理してください。

3.    買い換える必要はなくとも、おきっぱなしの備品もありますので、たまには埃を払ってください。

 

次に、安否確認について伺います。

 

私が先の中越沖地震の際に驚いたのは、1週間か10日して最後の一人の行方不明者がお墓の下から見つかったという報道でした。勿論身内が行方不明になったら、ありとあらゆるところを探すに決まっています。柏崎市も最後の一人の安否を確認するために協力したのでした。

 

今回の防災訓練でも安否確認をしました。私は、安全が確認された人は安心だけれど、安全を確認されていない人をどう確認するかがより問題であると全員協議会で指摘していました。行方不明者が出たときには、最後のひとりまで安否を確認しなければなりません。昨年、建設委員会で長岡市を視察しましたが、山崩れで車ごと生き埋めになった親子のうち、ただ息子だけが助かった現場を見てきました。行方不明者については、希望を捨てずに最後の一人まで探し出し、救助の努力が必要です。

 

私は災害が起きた時、人命が一番大切という思いでことにあたるべきだと思っています。ですから安否確認が最も重要だと思っていますが、市長は安否確認についてどう考えておられますか。

 

また、安否を確認できない場合、市はどうしますか。災害弱者への対応もまだ完璧ではないということです。たとえば、安否確認をしたくても、耳の不自由の人も、声を出せない人もいます。目の不自由の人は決まった避難所へ無事避難できるかも分かりません。まずは人命が大切ですから、全市を挙げて行方不明者の安否を確認する努力が要ります。自治会が責任を負うといっても、限度があるでしょう。自治会名簿すら出来ないところもあるそうです。実際、自治会長さんによれば、自治会に入会しているすべての世帯の家族の状況は把握できないという事です。だから、結局は市が住民基本台帳を基に、最終的に安否確認をしていくほかないと私は思っています。市としてどのように安否の情報を集めていくのか、または安否確認のための情報をどう公開していくのか、行方不明者への対応をどのようにするのか、答弁よろしくお願いします。

 

今年の防災訓練はとても暑い中を多くの方々が真剣に参加されました。木陰を見つけ、水分の補給を心がけても、やはり日向に出ないでは訓練になりません。私は、昼過ぎに3箇所の訓練を見て帰ってきたら、熱中症になったようで、頭が痛くて横になってしまいました。他に私のような人がいなければよいなと思いました。

 

どうでしょうか、防災訓練を出来れば気候のよい5月とか10月とかに出来ればよいと思うのです。不可能ならば、8月の最終週末ではなく、たとえば1週間か2週間後に出来ませんか。

 

今回、女性の視点で防災について考えてまいりました。狭山市は災害が少ない市です。安心して暮らせる街です。しかし、備えあれば憂いなしです。この質問をする前に狭山市地域防災計画を読みました。まだまだ、実践的でない部分も見られます。出来れば、安否確認などはフローチャートにしておくと分かりやすいと思います。災害弱者対策などの課題については、もっと具体的な課題克復計画が必要だと思います。今年は、日本中で災害が多く、その被害や避難所の様子をテレビなどで見ていますと、女性を防災会議や防災課に配置し、女性の視点で災害援助をしていく必要性をとても感じます。狭山市は、今後ますます努力して災害に備えなければならないと思います。

 

 

次に橋について伺います。今回は特に入間川に掛かる橋について伺います。

 

なぜ、橋について質問しようとするのかと言いますと、先だってアメリカのミネアポリスで築後40年という橋が崩落しました。夫の関連会社がミネアポリスにある関係で、夫はよくミネアポリスに行きます。夫もその橋を通ったことのあるということで、私には、ミネアポリスの橋の崩落は他人事でない思いでした。また先日、秋田県では国道に掛かっていた橋の鉄部分が腐食し折れ曲がっていたという報道がありました。橋への信頼に揺らぎが出てきています。

 

狭山市には入間川に掛かる橋が9本在ります。市が管理している橋が3本、県の管理している橋が5本、日本道路公団管理の橋が1本です。先日、橋の視察をいたしました。入間川大橋を除き、8本の橋の下まで行き、橋げたから床部分までつぶさに視察しました。

 

素人の私のみた目にはどの橋も安全に見えましたが、市ではこれらの橋をどのように点検しているのでしょうか。改修の必要な橋は在りませんか。広瀬橋は橋の欄干部分のさびがひどい状態ですが、これを修繕してはいかがでしょうか。

 

本富士見橋は昭和38年竣工から44年、新富士見橋は昭和33年竣工から49年、昭待橋は昭和56年竣工で31年たっています。これらはいままでどのように補修、改修されているのでしょうか。また、大きな地震などが来ることを想定しなければならないと思いますが、この3橋の耐震診断や耐震工事などについてどう考えているのでしょうか。お答えください。

 

新富士見橋は狭山市の中では特別な橋です。竣工後49年もたっています。昭和52年には拡幅工事がされましたが、いまだに朝夕の通勤時だけでなくいつも渋滞があるといってもよい橋です。また、工場団地が広瀬地区にあるので大きなトラックが行き交う橋です。車道部分の幅員は狭く、大型トラックの行き交う時にはこすってしまうのではないかと思うほどです。その上、圏央道へのアクセス道路で、トラック、乗用車の通行量はとても多いのです。

 

私は、このような状況を見ていて、新富士見橋は抜本的な改善が必要ではないかと思います。すなわち、

1.    少なくとも車道部分は架け替えし車道を広くし、トラックの行き来に余裕をもって運転できる幅員とすること、

2.    広瀬側は今上下2車線ですが、ここを3車線化し、1車線は広瀬に向かう下り車線をまっすぐな車線にし、後の上り2車線は左折・直進車線と右折車線とする。

3.    反対側の国道へ橋から出る部分は4車線化し、上り3車線、左折車線、直進車線、右折車線と下り1車線にして、通行をスムーズにする。

 

このような改善が火急に必要ではないかと思います。一時この橋は国道16号への立体交差まで考えられたことあるほどです。県では優先順位をつけて橋を改良し、架け替えをしていると聞いています。狭山市も狭山市駅西口再開発事業が完成すれば、駅に行く自動車の数も大幅に増えることも想定できます。私は、狭山市が埼玉県に対し新富士見橋の改良についての要望をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。県議にもお願いして、要望活動をしてほしいと願います。

 

入間川に掛かる橋は9本ありますが、そのうちの5本は平成になってから作られた橋で耐震基準もしっかりしていますから、安心です。しかし、昭和に作られた古い橋は、見た目には安全に見えてもやはり心配です。床を支えている鉄部分ペンキ塗りには、お金も掛かることでしょう。だからこそ、定期的に点検をし、できれば橋の改修計画などを作り、計画的に橋の補修をしてほしいと願っています。

 

中心市街地について

 

今年7月、政務調査費を使い青森市を視察しました。青森市の中心市街地活性化基本計画について視察したのです。青森市富山市とともに昨年28日、内閣府から「青森市中心市街地活性化基本計画」 を認定されました。

 

青森市の中心市街地活性化基本計画では「歩いて暮らすことの出来る質の高い生活空間」としての「ウォーカブルタウン(遊歩街)」の創造を目指して、1.多くの市民がにぎわう中心市街地(街の楽しみづくり) 2.多くの観光客を集客する中心市街地(交流街づくり) 3.歩いて暮らしやすい中心市街地(街暮らし) 4.中心市街地の商業の活性化 を目標にしました。達成のために、それぞれの目標に対して数値目標を設定しました。また、その数値目標を達成するために15事業をすることにしています。たとえば、駅前周辺整備事業ではバス停を集約するなど総合交通ターミナルを整備します。また、老朽化した市民文化ホールを廃止し、駅前の既存文化施設を改装し、機能を移転したりします。これらの事業には街づくり交付金を利用するそうです。また、パッサージュ広場の」整備により、空き地を生かして商業ベンチャー支援事業を実施、9店舗を実験店舗として貸し出し、新規商業者の育成を図っているのだそうです。180億円を掛けて、再開発ビルを2棟建設し、1棟は商業・公益複合ビル、もう一棟は駅のまん前にケアハウス、医療機関などとともにシニアマンションとして建設されており、販売金額はかなり高かったようですが、全床を売りつくしたそうです。

 

レクチャーをお聞きした後に、町を3時間ほど歩いて見ました。確かに昔はにぎわっていただろうと思われる、駅から5分ほど歩いた商店街はところどころシャッターがしまっていたり、店が潰され更地になっていたり、駐車場になっていたりしていて、はっきり言って寂れた印象を持ちました。県庁所在地の割には活気をかんじない町並みで、ここをてこ入れしたいのだと言う思いがよく分かりました。私にレクチャーしてくれた青森市の職員の中心市街地活性化に対する意気込みは素晴らしく、この情熱が街づくりを推進していくのだなあと感心して帰ってきました。

 

狭山市も平成133月に「狭山市中心市街地活性化基本計画」 を策定しました。広大な146ヘクタールを中心市街地区域としたものでした。改正中心市街地活性化法による市街地活性化計画とは性質が異なり、遠い将来まで見通したもので、いわゆる「机上の計画」といわれても仕方が無いものでした。けれども、改正中心市街地活性化法では、年度を区切り、数値目標を設定し、実施計画に近い計画が要求されます。新しい「狭山市中心市街地活性化計画」を策定しなければ、国の補助メニューを使い街の再生をすることは不可能です。

 

私は今まで何回も西口駅再開発事業の周りの計画について伺い、今後それらの策定計画を作るなどと答弁をいただいています。もう、再開発事業は権利変換も終え、あとは工事を待つばかりとなりました。今こそ速やかに狭山市駅を中心とした中心市街地活性化計画を策定し、280億円の投資効果をもっと高める計画とするべきだと思います。どのような計画を作っているのでしょうか。「中心市街地活性化計画」策定の進捗状況をうかがいます。そのうち、計画内容で公表できる部分はお話しください。

 

次に、この中心市街地活性化の中で、「街づくり交付金」の活用は街づくりにとても魅力があります。そのためには、面整備として都市再生整備計画が必要です。街づくり交付金は再開発の中に組み込まれた事業の資金の一部としてすでに予定されているものです。そして、この交付金の申請は本年度中になされなければなりません。どのようなに事業がこの計画に組み込まれているのですか。都市再生整備計画の内容と予定している事業額について伺います。

 

これで私の一般質問の1回目を終わります。