2010年3月議会一般質問原稿  

1. 貧困  2.読書  3.予算について

 議長のお許しをいただきましたので、8番高橋ブラクソン久美子が一般質問いたします。

1.貧困

 私は2006年12月議会で初めて「貧困」という言葉を用いて一般質問をさせていただきました。ニート、ワーキングプアなどという言葉がようやく巷で使われてきたころでした。そのころ、小泉元首相のいう聖域なき構造改革の波にのまれ、正規雇用されず、いく場を持たない若者がネットカフェにたむろしはじめ、改革の矛盾が格差として人々の目に明らかになってきました。また、OECDの調査で相対的貧困の度合いは世界で2位となり、日本の人口のほぼ15%は貧困にという数字が公表されました。働いても、働いても食べるのが精一杯という世帯が多くなり、貧困の連鎖が言われ、一度陥ったら底から這い上がれない絶望で無差別殺人が起きたのも、このころでした。

 このたび、狭山市内の小学校の半数を視察させていただきました。本当は学校図書館のための視察だったのですが、話題は児童・生徒の貧困の話になりがちでした。何人もの校長先生から胸が痛むような貧困の実例を伺いました。親の貧困が子供に大きく影響を与えている現実に目を見張りました。

 具体的に言えば、卒業アルバムが買えない子供がいた。中学進学の際、制服やジャージが買えない子供がいた。小学校では着替えの服がないのではないかと思われる子供が出てきている。修学旅行にお金がないので行かせられないという家庭がある。子供が朝の読書の時間に読む本を親に買ってほしいと言えない家庭がある。お金がないので部活に参加しない子供が出てきた。私立高校には経済的に進学できないので、県立高校だけを受験するが、今年は受験率があがり、合格しなければいく先がまったくない。教材費の3千円が払いきれず、母親が2千円を持ってきて、今月はこれ以上払えませんと学校に謝りに来た。

 時に、子供をないがしろにして、自分のことを優先させる親がいないでもないのは確かです。しかし、今でも親は自分の身を削っても子供にお金をかけたいと思っている人が大半です。ただ、ないお金は払えません。お金がないのが分かっている子供は親にお金掛かることを言い出せません。私のような年の者が5,60年も前に体験した貧しさを、一見豊かな現代社会の中で、今の子供たちが経験している現実は衝撃です。いまどき、子供に満足に学用品すら、そろえてやれない親の気持ちは如何ばかりかと思います。静かに貧困が蔓延し始め、経済格差が広がり、貧困が貧困を生み出し、家庭を崩壊させ、DVや児童虐待が増加し、地域や社会の絆がなくなって、社会や地域での支えあいを期待できなくさせていっています。誰もが見たくない面の狭山市の一面です。

 生活困窮者には生活保護があるのではないかという人がいます。私は、公的な援助が必要な人には、生活保護が与えられることを願いますが、狭山市の場合、本当に生活困窮者に手を差し伸べているのかと思うことがあります。まず、実態を知りたいと思います。過去5年間の生活保護の総数、世帯数、単身女性数(そのうち65歳以上の高齢者数)、単身男性数(そのうち、65歳以上の高齢者数)、母子家庭数、父子家庭数、児童を養育している家庭数(そのうち義務教育児童・生徒を養育する世帯数、高校生を養育する世帯数)はどうなっていますか。 

私が、リーマンショック以降の生活保護費の状態を友達の女性議員に聞いたところ、各市で相談数は多くなり、大規模な補正予算を組んだということでした。そして、保護率を比べると、船橋市の場合保護率は13.23、三鷹市15.4、立川市21.5、松戸市14.3。狭山市の場合、毎年保護率はさがり続け、6.0という事が先日議会の資料請求で明らかになっています。そこで伺いますが、相談数や比較的若い男性からの申請数など、最近の特別な状況があったらお聞きしたいと思います。

また、過去5年にわたるホームレスの状態は、総数、年齢、男女、いる場所などどうなっているのでしょうか。

次に、児童生徒の実態はどうなのでしょうか。過去5年間の給食費の滞納の人数、滞納額、準要保護か定数、児童生徒の支払う教材費の額、卒業対策費や修学旅行費などの支払いの実態、入学時においての費用(制服、バック、ジャージ、体育着など)はどうなっているのでしょうか。

実感として、生活困窮家庭が増えています。そういう児童生徒のための施策と、教育を施す際には特別の配慮が必要だと思います。どんな配慮をしているのでしょうか。

経済的な理由で私立高校を受験すらしないという生徒が増えているという中学校があると聞きました。実態はどうなのでしょうか。そのような生徒の場合、高校受験が失敗に終われば行き場がなくなる恐れがあります。県の調査を見てみれば、狭山市では中学卒業者のうち、毎年20人弱の子供たちが進学もしないし、就職もしない状態です。このような子供たちの将来への展望をどう考えますか。また、教育委員会や行政はこのような子供たちにどのような手立てができると考えていますか。

高校を中退する若者も多いといいます。狭山市の場合、過去5年間でどれほど中退者が出たと推測しますか。

埼玉県の求人状況は日本でも最下位だと新聞報道されていました。経験のある中高年にくらべ、社会的な訓練ができていない若者の雇用は難しいといいます。正規雇用だけでなく、非正規雇用を含めても厳しい現実が待っていると思います。狭山市の青少年の就労の実態はどうなのでしょうか。

実際、仕事もせず学校にも行けずという状態の青少年のために居場所つくりや高校入学再チャレンジ教室など、行政や教育委員会は手立てを尽くすべきだと思います。今までに何度も同じことを提言し、教育委員会も社会教育と連携するなどと答弁はしていても、実際に何をしているか見えないのが現状です。4月からは、狭山市駅西口には産業労働センターができ、元気大学も試行的に開講します。それらや、教育センターや図書館を利用して、若者のための施策は実現可能ではないかとかんがえます。いかがですか。

 

2.読書

 今年は国民読書年です。読書の効用については申すまでもありません。ご存知のように、国会において読書推進の決議もなされ、国民的読書運動を奨励しています。私は市立図書館や学校図書館については以前にも質問をさせていただいています。その時の提言により、図書館にコンピュータが配置されたり、食事をするスペースが設けられたりしました。学校図書館は古い図書がたくさんあったのですが、今回視察したところずいぶん新しい図書と変えられていました。議会での率直な提言が時間を経て実行されているのを知ることは、とても喜ばしいところです。

 今回は、まず、学校図書館の利用や整備環境の実態と、学校図書館の問題をどう考えているのか伺いたいと思います。また、学校図書館の廃棄図書の状況と廃棄図書の再利用の実態はどうなっていますか。近隣市と比べた場合の予算などの配分の実態と学校図書館への支援員の配置の状況、中央図書館との連携はどうなっていますか。学校においての国民読書年に置いての読書の特別な取り組みはありますか。全部の学校で朝読書などを推進しています。学校によっては個人用の本での読書を進めている学校もありますが、本を買ってもらえない家庭も出てきています。そのようなこどもへの配慮はどうしていますか。学級文庫・図書の利用やその実態はどうなっていますか。

 次に図書館の4分館構想について伺います。この構想はその後どのようになっているのですか。旧第一給食センターが今年取り崩されますが、その跡地に図書館の建設を望みます。入間川の北部には1館の図書館もない状態で、広瀬公民館にあった分室も撤去されてしまっています。退職者も増えており、図書館などの文化施設の建設が望まれております。いかがでしょうか。

 

3.予算について

 ご存知のように、一般質問の通告は市長による施政方針演説の前にしました。通告時に、私は狭山市に「新しい公共」の概念を導入するとは思っていませんでした。この10年来流行になっている「市民との協働」を多少取り入れるぐらいで、従来どおりの市の運営をするのだろうと思っていたのです。だから、これからする提言も少し“ゆるく”聞こえるかもしれません。

さて、政権交代の実が結んでいないこの時ですが、改革はいやでも進みます。今までの行政の制度は制度疲労をおこしているといいます。その内実は、しがらみの政治が続いたことで、官主導のサービス供与が、市民に公平な利益を与えることができなくなったことが1因です。だから、今までの官による民へのサービスという概念と制度を大幅にかえ、市民が政治・行政に直接的にもっと大きな役割を持つ制度に変えていくというのが、今後10年の間に行われる改革の骨子ではないかと私は考えています。自民党政権のときは、国民は税金からの再配分を経済活動からのおこぼれで得ておりました。しかし、税金を経済活動へ投入したとしても、企業や株主を潤しはしても、満足する利益を住民に与えなくなってしまったのです。税金を企業や経済活動経由でなく直接国民に配ることにするという手法がこれからはとられていくだろうと思います。

その発想から行けば、狭山市の予算の策定の仕方も改革に手をつけるべきだろうと私は思うわけです。公共団体の役割は市民に密着したサービスの提供です。今後は、市民自らが受けるサービスやその対価を決めていくようになって行くのでしょう。または、市民自らが主体的にサービスの提供に関与する。そのためには、予算の成立過程を透明化し、予算策定にさいして市民の参画をおし進めることではないかと思うのです。その、ほんの手始めとして予算の状況をHPなどに公開していき、パブリックコメントを受け付けるのはどうでしょうか。

もちろん、もっと進んだ市民参画での予算策定過程に移行するための準備という事なのですが、市民や市民団体の補助金は市民が査定するシステムを構築していくのはいかがですか。3年サンセット方式で、市民会議を作り補助金をゼロベースから見直すのです。

実際のところ、私は、市長や職員がきちんと「新しい公共」に、本気で取り組もうとするのであれば、少なくとも総合政策部や庁内会議メンバーは、革命的な変革意識を統一的に持たなければならないと思います。変革の全体像がないときに、1手法だけを取り入れても魂の入っていないイベントに終わってしまうのではないかと思います。ですから、事業仕分けなどは、まず、身近な市からその手法を学び、その成果を狭山市に導入することも良い考えではないかと思うのです。そのようなことをしたのでしょうか。予算に取り入れたでしょうか。

いまどきはHPを見ると、他の市の様子がとてもよくわかるようになっています。見ているだけでも、目からうろこという感じで、他市の発想に目を見張るものが多いのです。狭山市も学びながら後を追っていかなければなりません。遅れをとることなく進まなければ、人口流出による狭山市の地盤沈下がおきかねません。勇気をもって前に進みましょう。以上で私の1回目の質問とします。