20109月議会一般質問原稿


1.学童保育室 
 2.楽しく、心豊かな狭山市を目指して  3.男女共同参画

 

1.   学童保育室

 

私は、前より9月議会には学童保育室に関する質問をしようと考えておりました。そのため、7月には市内にある全学童保育室を視察・見学させていただきました。関係の方々のご協力に心から感謝します。その視察から指導員ならびに役所の職員も大変がんばって、子ども達のために努力していることが分かりました。この一般質問は個々の事例に関しての批判ではなく、今私が視察を通して調べたことに基づく提言などであることをどうか理解していただき、耳を傾けていただきたいと願います。

 

まず、実態について、伺います。定員、入室児童数、保育時間や保育室の広さなどどのようになっていますか。そのうち、過密児童保育室の状況をどのように捉えていますか。私が行った入間川学童保育室、柏原学童保育室、入間野学童保育室、広瀬学童保育室は児童が多いし、それだけでなく部屋のせいもあるのでしょうが、とても喧しく、静かな環境を求める子どもにはかわいそうでした。身の置き場に困るのは、大人も子どもも同じです。入間川、柏原学童保育室の利用状況を見ると、この5年間定数以下だったことは一度もありません。入間川学童保育室は月によっては、定数の2倍近い児童が在籍の時もあります。柏原学童保育室にしても今年71日には4割も定数オーバーでした。入間野学童保育室はほぼ定数なのですが、保育室の大きさが定員30人の入間川学童保育室よりも小さいので、子どもでいっぱいなのです。ですから、静かに遊びたい子ども達は、玄関のところでひっそりレゴなどで遊んでいました。広瀬学童保育室も40人定員にするのが酷だと思います。教室一部屋分に40人が居ることになります。他にキッチン部分がありましたけれど、子ども達の音がこもって、個々の子ども達は静かに遊ぶことができる場所がありません。

 

夏休み中に視察に行きました。かなりの数の児童がお休みだった保育室がありましたが、夏休み中の保育室利用はどのようでしたか。私は、利用しなかった児童の実態がどのようであったかに心を向けています。すなわち、昼食の弁当作りが面倒などで、児童が家庭に取り残されては居なかったか、気がかりなのです。

 

保護者との交流について伺います。視察でかなりの指導員から保護者の方々とのコミュニケーションが難しいと言う話を聞きました。子どもを送りにきても、指導員と話をしないようにさっと去っていく、迎えに来る時も携帯電話で話をしながらやってきて指導員と話をしようともしない、お弁当などについても、どのように親に切り出して言いか分からない。へたに話をすると、子ども達に迷惑がかかったり、いわゆる“逆切れ”されかねない。指導員は問題があればあるほど、頭を抱えているようです。うかがいますが、保護者との交流をどういう風に持つようにしているのでしょうか。

 

貧困児対策。前回の一般質問で例えば狭山台地区の4人に1人は要保護か準要保護家庭であることが分かっています。まず伺いたいのは、学童保育室に入室している児童の家庭の経済実態は、どのようなのでしょうか。又、その実態を指導員たちはどのように把握しているのでしょうか。職員の研修もしているのでしょうから、それについても答弁してください。

 

2.   楽しく、心豊かな狭山市を目指して

 

私は、狭山市が東京の郊外で、東京勤務者やその家族が多くても、住んでいる以上はこの街がふるさととして思い出があり、愛着があるような市であってほしいと願っています。私は学生時代に新潟県を出て以来アメリカも含めてさまざまな町で暮らしてきましたが、人生で一番長く住んでいるのが狭山市になりました。子どもも生んで育て、子ども達のふるさとは狭山市になりました。ふるさとってなんだろうと思う時に、「思い出が沢山ある町」ということがいえるのではないでしょうか。出来れば、幸せな思い出に満ちている街であってほしいと思います。

 

その思い出が多い街というのは、単に長く住めば思い出に溢れると言うのではないと思います。まるで高速道路のサービスエリアに行ったように、単に通り過ぎて来た街も多いのです。そこでは、後になっても何をしたかなんて思い出すこともありません。

 

子どものふるさと、狭山市には、通り過ぎるだけの町になってほしくないと思っています。先月、七夕祭りがありました。子ども達はこの祭りが好きで、夜店でふらふらして楽しみます。狭山市にあんなに多くの人が来るのも子どもにはうれしいようです。イベントの思い出も大切ですが、さまざまな行事や出来事にかかわることも、豊かな思い出になります。今も楽しく、心豊かに狭山市に住み、後から思い出しても良い思い出がいっぱいの狭山市であってほしいと願います。

 

そこで、伺います。狭山市は節目ごとに式典を行いますが、これについては、どんな風に考え、今後どのように行っていくのでしょうか。私は、特に、次の2つの式典に疑問を持っています。

 

昨年は狭山市市政55周年で、記念式典を行いました。だんだん式典も簡素化されていて、どこでどんな風に式典がもたれているか、市民にわかりづらくなっています。私はこんな式典ならばしなくても良いと考えています。もっと、狭山市に興味を持ってもらい、将来の狭山市のあり方を語るイベントを持ったり、小中学校生に作文を書かせて狭山市について考えたり、狭山市の文化や産業を紹介するなどの公演などを行ったりして、今の狭山市への理解を深めたりするような記念の行事であってほしいと思うのです。多くの方々が狭山市を意識するような式も含めた催しがほしい。こんな考えは、いかがですか。

 

次の市政60周年記念では、「そういえば、60周年記念に太鼓をたたいたなあ、パレードしたなあ、パネルディスカッションの小学校の部の代表になったなあ。」など、どんな思い出でもいいのですが、式典に関わる思い出を演出していくのがいいのではないでしょうか。

 

その点、成人式は自分も出席し、仲間の話も聞けると言う半分参加型とでもいえる式になっています。しかし、私はこれに少し不満もあります。成人式の意義のひとつは「成人とは」を考える契機になることです。今ある同窓会な雰囲気も意味あるかもしれませんが、最近は少しそれに流されては居ないだろうか。ここにも少し工夫が必要だと思います。法的な意味で成人、20歳を超えるとは何かを短時間でもいいので、レクチャー、クイズなど飽きない方法できちんと伝えるべきです。どう考えますか。

 

楽しいことにイベントがあります。しかし、関係皆さんのご努力、ご協力などの誠意はとても良く理解できるのですが、私は狭山市のイベントが広く狭山市民に知られ、楽しまれたりしていないのではないかと思うのです。だんだん縮小してきた「狭山茶と花いっぱい祭り」。「商工祭」も以前に比べて楽しくなくなったように思います。狭山台茶会は私の大好きなイベントで、狭山市の誇りとも言えるすばらしい催しだと自負しています。それでも、もっと多くの人が参加しても良いように思うのです。

 

どうして、いろいろあるイベントが市民のものとして、全市を上げての催しにならないのかと考え込みます。あの七夕ですら、「入間川町の祭りでしょ」という覚めた目があることを否めません。こんな状況も、狭山市が56年前に合併してから、街に核がなかったことが、その理由の一番になりはしないかと思うわけです。狭山市の町の真ん中で何かをしている、そして、自分達にも参加でき、楽しめるそんな経験がなかったわけです。

 

そこで提案ですが、狭山市駅西口市民広場が来年秋には出来ます。そこを利用して、各種イベントを開催するのはどうですか。狭山市議会、建設・環境委員会で市民広場を拡幅することを提言しました、最近提言を踏まえた新しい案も作成されたようですので、市民広場がどのようになり、どんなことが出来るかその可能性も答弁お願いします。

 

文化的なイベントと言えば、市民文化祭です。最近の開催状況とそれを分析した課題はどうですか。若い人が仕事などで忙しくて、公民館での団体活動が難しくなっており、団体数も減っているとの事。また、よく言われているのが、公民館利用者の高齢化ですが、高齢な人が生き生き文化的なサークルで学習したり、交流したりするのは素敵なことだと思います。(私も時間を作ってシェープアップ同好会に参加したいところです。)

 

次に狭山市には各種文化団体があり、それぞれが合唱祭、吹奏楽祭、美術展、書画展などに催しているのではないかと思いますが、どんな状況で課題があるとしたらどこにありますか。私は今年の春に県展の最優秀作品に狭山市民が大勢選ばれたのを新聞で知り、大変うれしく思いました。また他の新聞で全国規模の写真コンクールに狭山市民が選ばれたのもしり、これも大変誇らしく感じました。これらの作品を一度は見てみたいと思うのですが、どの展覧会に行ったら見られるのかも分かりません。狭山市には書道協会もないという話も聞いたことがあります。すばらしい誇りとなるような文化に狭山市民が接するチャンスがほしいと願うのです。いかがでしょうか。

 

狭山市の学校主催の文化事業も沢山あります。文化祭や合唱祭もすばらしい学校があります。市民会館を使っての合唱祭を見に行き、感動した覚えもあります。しかし、子ども達が中学校を卒業したとたん、何のお知らせもなくなり、学校行事と疎遠になりました。もっともっと、学校の文化的な催しを地域にも広めてほしいと願いますが、今どのようにしているのでしょうか。開かれた学校が唱えられて久しいのですが、最近はその言葉すら、忘れられてしまったかのようです。

 

3.   男女共同参画

 

この11年間、男女共同参画について沢山提言しました。この間狭山市では、男女共同参画社会にするために、保育所の整備や、学童保育室の整備などハード面の整備を充実させてきています。また、介護保険の導入で、介護の世話もプロにお任せできるようになり、介護への女性の負担軽減が図られてきています。

 

しかし、ハードやソフトの面が充実したとしても、狭山市の役所における男女平等に関していえば、私は忸怩たる思いです。役所は法律によって、男女平等の職場であるはずなのです。実際、男女とも、ほとんど定時に帰宅することが出来、有給休暇、出産休暇、育児休暇も平等に与えられています。その意味で、役所こそ民間事業所の模範の男女平等職場になるべきなのですが、結果として平等だとはとても思えないのです。

 

伺います。職員の卒業区分別の男女比、年代別の男女比はどのようになっていますか。男女半数ずつではありませんね。なぜ、大卒の女性が男性の4分の1に満たないのか、女性に早期退職者が多く、定年まで勤められないのかについての考えをお聞きしたい。また、この問題を他市と比べた場合、何が課題でどうしたら解決できると思いますか。

 

私は職員が職場結婚するのは当然だと思っています。近くで仕事をすれば交際にいたるのは当然です。昔は役所で職場結婚した場合、女性は退職するのが一般的であったという話を聞きました。また、夫が課長になれば、女性に肩たたきが合ったこともあったとも聞きました。しかし、それらは女性の人権侵害であり、働く権利を奪うものとして最近ではないと言うことです。だから、夫婦で役所に勤めていることも目立ようになりましたが、その際夫が課長になった場合、妻の職階はどうなっているのでしょうか。狭山市の職場結婚の状況、夫が課長以上のときの妻の職階はどのようですか。他市の状況とそこから見える課題と解決に対する考えをお聞きしたい。

 

私は男女とも「公平な」採用試験を受けて役所に入ってきているのにも関わらず、すなわち、夫と妻が能力的にはそん色ないにもかかわらず、狭山市では一組たりとも夫婦で課長職についていない事に疑問を持っています。

 

採用試験も平等、人物考査も平等にしているといわれているのに、なぜ女性は定年を待たずにやめる人が多く、特に女性の大学卒業者が45歳以上では男性に比べ極端にすくないのでしょう。夫が課長になったのを機に、自分の職階が上がらないことに絶望をしてやめた人がいたのではないか。そんな気もしています。自分の面倒を見た男性が自分よりも職階が上がった時、私ならばなぜ私が課長にならないのだと思うに違いありません。そして、それを機に仕事をやめるかもしれません。法的には平等な職場であるはずなのに、結果的には女性が職を全うできない不平等な職場になっているのではないかと思うのです。

 

そこで市長にお聞きしたい。女性幹部が1%と少なく、中年以降の大学卒業した女性も男性に比べ極端に少ない狭山市役所の中で、どんな風に女性幹部を育て上げる予定ですか。女性議員ですら少ない狭山市の現状で、今後の職員体制を真剣に考える時、私は年配の女性職員が少なく、幹部女性職員がさらに少ない現状にとても危機感を持っています。女性の結果平等な幹部登用の目標を決めて、採用からの戦略的な平等施策を行わなければ、中年以降の女性の数が著しく少なくなります。パートの女性職員がいたとしても、政策決定の場に関与できる女性正規職員がいなければ、市のあらゆる施策に女性の視点が決定的に欠けるということになります。女性幹部登用に対する政策をどうするつもりですか。また、始めに登用する数値目標を決め、そのために研修などの計画を特に女性対象に行わなければ、現状が続くのではないかと危惧します。

 

何べんも言いますが、女性幹部の育成、登用は意図的になされなければ、狭山市に十分な女性職員がいなくなるのではないか思います。その結果、女性の視点を欠く施策が多くなり、結果として魅力のない狭山市になると思います。このままじゃいけません。現状を放って置くと、狭山市だけ時代に取り残され、都会近郊の女性や若い世代の住みにくい町になり、人口がどんどん他の市に流れていくでしょう。現在ですら、その傾向が見えているだけに、男女共同参画への決意を新たな取り組みを望みます。これで私の第一回目の質問とします。