私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
10月 私の独り事
31日(月)
34800カウント
今日は、朝いろんな民族の会のコンサートのための打ち合わせに出かけた。久しぶりの友達に合って嬉しかった。気の置けない友達。今回はウィナイコンサートを3日にアミーゴでするが、私は手伝いができないのでチケットを買った。でも、当日じっとしていられるとは思えない。楽しいコンサートなので智ッけとがほしい人はブラクソンまで連絡を。

午後は役所によって、資料請求をしたり、色々な部署で説明を聞いたりして帰ってきた。久しぶりに役所に行ったので、やることは山積みであった。帰ってきたら、6時前だった。

食事を用意して、食べ始めたら、「トリック オア トリート」という音がして、私や娘は震え上がった。今日はハロウィーンだった。甘いチョコレートなどを渡して、帰っていただいた。久しぶりにハロウィーンにお化けがやってきた。なんだか、子供が小さい時に毎年ハロウィーンで子供がお化けが怖くて泣き出していたのを思い出した。家族の小さな楽しみ。

今日は組閣があった。私はいつもはなんだかワクワクして組閣を見守るのだが、今回だけはしらけてしまって、誰がどの大臣になったかを確認していない。どうせ、小泉イエスマンというのは正しいもの。官僚をうまく使って政敵を潰し、自民党、政府、官僚、日本を手に入れた小泉手法は天晴れである。好きではないけど、彼は政治的天才ともいえるだろう。女性だって登用するんだという姿勢で女性陣にも愛嬌を振りまくお調子者の小泉さん。

小泉さんについてぶつくさ言う気ですらなくなった。だって、彼の行動は一々分かりきっていて、ホリエモンではないが、私の“想定内”の行動しかしないのだ。改革がすすむというが、結局英首相サッチャーの蒸し返しをするのだろうが、悪い点をよくわきまえないとアメリカ型社会、貧富の差が大きすぎることになるだろう。ホームレスの状態を見ると、私は日本の方がアメリカよりもホームレスが多くなってしまったように思える。私は寒いシカゴに住んでいたし、夫の父母も寒いデトロイト地区に住んでいるのでホームレスが比較的少ないのだろうが、大きな公園が青いシートのホームレスで一杯になるというアメリカの都市がどのくらいあるのだろう。橋の下に住んでいるホームレスは狭山市にはいるが、アメリカの夫の実家のあるワイエンドットには、ひとりもいない。

結局、日本はアメリカに比べ、貧しい国なのだ。その日本がアメリカの真似をしたとしても、結局貧しい人はもっと貧しく、普通の人はもっと生活が大変になっていき、一握りの豊かな人だけがとても豊になるということだろう。そして、額に汗して働く労働者に対しての報いはドンドン小さくなっていき、相対的にお金をもてあそぶように思える人たちがあぶく銭を溜め込むようになるのだろう。私は小泉さんが民主党を労働者の利益を守り国益を考えないというような趣旨の話をしたとき、労働者の利益を代弁する政党があってもよいと思っているので、民主党が動揺したのがいらだたしかった。確かに、組織労働者は今や高給労働者が多いかもしれない。けれど、労働者が自らの経済的政治的な利益を政党に任せるのは当然だと思う。私が言いたいのは額に汗して働く労働者が価値を作り上げ、富を作り上げているのだというマルクスの言う価値論のイロハなのだが、私はマルクス主義者ではなくても、一生懸命額に汗して働く人が尊ばれる社会が素晴らしいと思う。

それにしても、今の社会はボタンやキーボードを押すのが労働となり、額に汗するよりも肩が凝る労働の方が多くなった。
30日(日) 今日は朝ゆっくりして、佐久の野沢福音教会で礼拝を守った。色々、様々な事がある。最近は日曜日が忙しくて、祭日に佐久に行く事も多いし、日帰りで帰ってきたりして、教会によることも少なくなった。本当に久しぶりだ。

午後はひとりで大河原峠を目指してドライブした。家の標高1000メートルでは紅葉していないので、少し高いところに紅葉を見に行ったのだ。とても美しかった。しみじみ美しかった。そして、寂しかった。寂しいのがよかった。勿論、ジムさんにもこの景色を見せたかった。今の私にはひとりの時間はとてもとても貴重な時間である。ストレスが抜けていくのが分かった。

帰りに、ほうの木の葉を片付けたり、木の枝を払ったり、ブルーベリーやサツキに肥料を上げたり、隣の友達とべチャべチャしゃべったりしていたら、4時になった。それで帰ってきた。帰りは、渋滞で、4時間半もかかって帰ってきた。NHKのラジオが楽しくて、落語を聴いたりしてひとり笑いながら帰ってきた。あっという間の1日。もし、ジムと一緒ならば、もう何日かいてもちっとも飽きなかっただろうになあって夫が恋しくなった。(なんちゃって・・・ウフ(*^。^*))
29日(土) 息子を連れて、また病院に行った。レントゲンを取って、手術をしないでよいことになり、今後は毎日病院に行く事になった。彼は学校帰りに病院に寄ることにした。とりあえず、ホッとした。

午後急いで別荘に行った。2時半から工務店の人がボイラーとストーブを見てくれることになっていたからである。関越にのり、長野道に入り、下仁田で下りてから、254を佐久まで車で行った。荒船山の紅葉が見事で時速20キロぐらいでゆっくり走った。神様の作った自然は人間には作りえないほどの美しさだ。壮大な山の姿と燃え立つような木々の葉の色に圧倒された。

ストーブもボイラーもすぐに直らなそうで、メーカーの人を呼ぶようである。来週までに直るとよいが・・・

ほのかの湯に行き、本を一冊読み、テレビをつけっぱなしで寝た。今回はひとりで山に来たが、やはり怖い。大きなほうの木がばさばさと葉を落とす。夜のしじまに聞こえると、何が起こっているかと不安になる。暗い山の夜はあくまで暗く、そのくらい所に何かが潜んでいるような気がする。知らない霊が私を見ているかのように思えて、不安になる。科学的でないのだが、びくびくしてしまう。結局、一晩中テレビをつけっぱなしにして寝た。時に、ERを見たり、靖国神社が戦時中は国家カルト信仰だったなどというのを小耳に挟んだり、音楽が鳴っているのを効いたりしていて、眠った気がしなかった。夫と二人で来ればよかったと思った。
28日(金) 今日は朝から息子を連れて整形外科に行った。ぶつかった手の腫れが取れないし、痛みも続いているらしく、病院に行きたがっていた。私は打撲だろうと高をくくっていたのだが、現実には骨折だった。とても痛そうだった。しかし驚いたのはそれだけじゃなく治療に掛かった金額にも驚いた。男の子の子育ては、色々な事がある。後からは思い出として残るのだろうが、今は本当にもう・・・・全く、もう・・・・と言葉にならない。

あ〜〜〜あ。治療が効を奏しないときは、手術だそうだ。手術なんて考えるだけでも、いや。全く、もう・・・・・
27日(木)
34700カウント
今日は、朝9時50分に集まって、銀座と赤坂のスワンを見学に行った。スワンは大和福祉財団が経営するベーカリーとカフェである。赤字も出さず、障害者をたくさん使って、また、障害者には着き10万円近い給料を払い、厚生年金や健康保険に入れ、正社員として待遇している。喫茶パステルもそうなればよいのだけど。

その後、カフェマキリスティに行き、おいしいコーヒーを飲み、社長の話を聞いた。考えるところが多かったが、自分が喫茶パステルをしょえないので、頭が痛い。帰ってきたら、9時だった。
26日(水) 今日は朝胃カメラのテストのために病院に行ったが、喘息があるのでまたも中止になった。しょうがない。

それで、家で報告書を書いていた。スタッフと打ち合わせも、久しぶりにできた。忙しくて困るという時にぽかっと一日あいたような日だった。だから、こういう時でなければできないことをと思ってはみても、やはり体調がイマイチで、時間だけがあっという間に過ぎてしまう。
25日(火)
34600カウント
今日は午前中、養護学校の体験入学であった。午前中、親子ともども色々と考えるところが多かった。どの学校がよいかと考えるが、入れる学校に入れるより仕方がないのだ。養護学校より、高校に特殊学級が組み込まれる方がいいなあと思う。

午後は旭川市の議員さんが生ごみリサイクルについて聞きたいと言うことで、私が青梅まで向かいに行き、狭山市でレクチャーを受け、大誠産業に施設を見に行った。

夕方、急いで帰ってきて、中央公民館に行こうと思ったが、エネルギーが切れてしまった。
24日(月) 今日は朝図書ボランティアに行った。とても楽しい時間を持った。珍しくお天気もよく、気分も爽快であるが、咳が中々止まらないので辛い。結局午後はまた寝込んでしまった。することは多いし、報告書も溜まっているが、体調がイマイチ。あ〜〜あ。
23日(日) 今日は朝家事をちょっとしていたら、いつもの礼拝の時間を過ぎていて、最寄の教会で礼拝を守った。それも、12時ぐらいまでしかいられなかった。近くのぶどうの会がチャリティーバサーをしていたからである。友達の吉野さんが今年から始めた知的障害者用の授産所である。施設長を入れて3人で頑張っている。ドンドン障害者が増えているのに、働く場所がない。だから、新しく授産所を立ち上げたのだ。必要悪というべきかなあ。本当は社会に出れればよいのだけれど。

その後で、武蔵野学院大学の学園祭に出かけた。歌あり、ダンスありと楽しめた。若い人たちが、自分達で催しを作り上げテいるという姿を見て、とても感動した。周りから段々若者が姿を消して行く。平均年齢がとても高い職場・議会にいると、若い人が一杯の大学祭がとても貴重に思われた。息子がファッションショーで新郎役をやるというので見てきた。ウエディングドレス姿の女の子と歩いてステージに出てくるのをみて、「あ〜〜いつかは本当にこういう場面があるのだなあ」と思った。また一段と息子が遠くに行ったように感じた。いや、もっと息子をきちんとひとり立ちさせなければとも思った。

武蔵野学院大学はとても小さな大学で、私や夫の行った総合大学とはぜんぜんちがう。また、カリキュラムも大幅に変わっているようで、新しい経験を息子を通じてさせてもらっている。帰りに学園長先生がいらっしゃったのでご挨拶をして帰ってきた。
22日(土)
34500カウント
今日は朝ゆっくり起きてメールを確認した後、バスで東飯能駅に行った。その後、秩父行きの電車で横瀬に行き、彩ネットのセミナーでミニシンポジュームを行った。私も久しぶりにシンポジストとして女性が選挙に出るときについてのお話をした。時間が短かったが、シンポジュームだけでも1時間以上、質疑も入れれば2時間の長丁場。来てくださった方々も喜んでいてくださったようで、よかったと思う。

4時過ぎ、急いで横瀬で特急に乗り六本木のアークヒルズにある全日空ホテルに駆けつけた。高田高校第22回生の同窓会があった。幹事の方々のご尽力の賜物である。48人も集まった。54歳ともなれば、男性の中には禿げたのも髪が真っ白なのもいたが、女性人は美人だけが集まったのかと思う感じであった。私ひとりデブになっていて、男の子(おじさんたちだけど、私達は君扱い)たちとべチャべチャしゃべった。考えれば、私の3年次のクラスは変なクラスで私立文系から国立理科系までの個性豊かな人がいた。たとえば、頭が抜群だった設楽君は東大を出ていま裁判官。銀行員も商社員も公務員もおり、私みたいな議員もいる。大学教授だって、大学のアドミニストレーターもいるし・・・・医者が3人。15人いた女性は教員で働いている人が多い。でも、団塊の世代の下の人間としてトップに上りきれず、うつうつしている人もいるようである。

今回は女性とあまり話すこともなかった。直江津中学をでた女性が来ていなかったせいだ。NHKアナウンサーの桜井よう子ちゃんなんかがきたら、皆喜んだろうにね。ホテルを10時過ぎに出たが、家に着いたらもう真夜中だった。狭山は遠い。
21日(金) 今日は朝体調はひどかったが、全員協議会が開かれるので頑張って出かけた。議会事務局についた途端動悸がひどくて、心臓が飛び出すかと思った。ただ、心拍を図ったら80過ぎでそう悪くなかったので、じっと動悸が静まるのを待った。喘息は出ているし、朝に薬をたくさん飲んだ副作用と更年期障害が重なったのだろうと思う。それにしても辛い一日。

今日は午後に全協で市長に助役の解任のことの説明があった。説明は代表者会議での説明どおり。また、今後は総合政策部長が助役の代わりをする場面が出てくるようである。「5年を区切りに、後進に道を譲ってほしい」というのがよいのか悪いのかという質疑があった。さて、本音は言えないのだろうが、市長と助役との間が5年の間に隙間風も吹くときがあるとしたら、助役が退くべきだろうし、市長が辞めてくれといえば辞めざるを得ないのだと思うが・・・でも、辞めてくれといわれたからと言って、意見に違いが出ているだけのことで、助役が何かいけないことをしたとかという個人的なことではないのだと思う。だから、いきり立たないで、「残念ね」という事だけだと思う。もしいきり立つとしたら、立場への思い違いがあったのではないかなあと私なんかは思うんだけど。

私は今日議会だより編集委員会の委員を辞職してきた。今後、編集委員会ではかなり大きな編集をするということらしい。12月議会から始めるというのだが、私は今のを踏襲して変更を重ねる方が良いと思っている。編集では取捨選択が行われるが、それをする自信がない。と、言うのは誰かの発言の軽重をつけることになるのだが、恣意的な部分もあり、自分の発言であればカットだろうが短縮だろうが思いのままにするが、他人様の発言をどうこうするのは任が重過ぎる。副委員長の時だったが、私と委員長との意見に違いがあったときに、私は折れた。それは、委員長報告だから、全責任は委員長にあった。私の意見を主張すべき時でなかった。しかし、次回からは議会質疑に関して、編集委員全員がその責任を負うことになる。

私は多少読みにくかろうが、できる限り議事に忠実に記載する方が市民への情報として丁寧であると思っている。事実私の議会レポートは字を小さくしても、できる限り私の質疑を中心に正確に事実を伝えようとしているのだ。確かに、読みもしないで捨てる人もいるだろう。見出しや小見出しだけを読む人もいるだろう。でも、隅から隅まで読んでくれている人がいるのも事実なのである。私の知らない人ですらファイルしていてくれて読んでいる。議会だよりもきっとそうだろう。読まない人がいるだろう。それは議会に興味がないから。でも、今のでも読んでくれている人もいる。今より、もっと小見出しをつけ、内容がひと目でわかり易くしていくという方法もあるだろう。そのぐらいは私もよいと思うが、週刊誌やチラシビラのような感じにすれば分かりやすくてよいというのは、私は市民を侮辱しているのではないかなあと思うのだけど。

字の数を少なくしようというのに、私は納得がいかないのだ。情報は多く、それを見やすくするのだったら文句はない。議案を3,4取捨選択し、情報量を減らし、センセーショナルかどうか分からないが、分かりやすいというだけで質疑の全貌を伝えなくするのは私は良いとは思わない。全部が全部、隅から隅まで紙面を見てくれなくとも、必要なところや興味を引くところだけ拾い読みできるようにすれば、全文載せていてもちっともかまわないと思う。週刊誌や新聞のようなものを議会だよりとして作りたいというのならば、私はもう責任を持って議会だより編集員をしていられない。

共産党さんと私では視点が大きく違う場面が多い。そして、私達は議場で発言する事も多い。市長に反対する人は発言は多い。他の議員さんたちは議案に納得しているのか質疑に加わらない。このような中で、質疑はともすれば反対の意見を持つ視点からの質疑に終始しがちである。(勿論、私のように、市民に知らせるべき点は質疑しておき、後でケーブルテレビの放映や議会レポートでお知らせしようという単純思考の人間もいるにはいるけれど。)例えば、議案の取捨選択をするということであれば、12月議会ではまずトップに国民健康保険税アップが来るであろう。質疑を載せるとしたら、反対派の質疑満載だね。特に質疑では意見をいえない事になっていますから、要点のみ。いかに困る人が続出するかの質疑を掲載することに終始するだろう。なぜ、この議案が出てきているかという説明は今まで載せた事もなかったし、賛成討論も反対討論も載せた事がないので、賛成する理由も反対する理由も市民には分からないのである。

今までだって、そうだったんではないかという人もいるだろう。しかし、今までは、様々な議案の中での様々な質疑の一部だった。けれど、今度からはいくつか取捨選択をすることにより、注目度はぜんぜん違ったものとなるだろう。

私の議会レポートのよい点は議案は取捨選択してはいるけれど、自分の質疑だけを載せているのではなく、なぜ議案が出てきたか、議案はどのような意味を持つかを常に説明した後に質疑を書き、それに対してもコメントを入れたりしている。けれども、議案を取捨選択して、質疑だけを載せるというのでは、議会の一方的なチェックの側面だけを載せる事になりはしないか。それを考えると私は吉池委員長が進めようとしていることに、賛成できない。今日の委員会で私は自分の言うべき事は言ったと思っているが、他の議員の納得は得られなかった。この状況で議会だよりの情報削減化と週刊誌や新聞化を方針決定したと言うのであれば、私には今後何も言う事はない。というのは、前提その物が私には納得できないからである。よって、今日私は議会だより編集委員を辞職した。
20日(木)
34400カウント
今日は朝人間ドックの最終検査、胃カメラを飲むはずだったが、微熱があって、お医者さんが辞めた方がいいというので、結局帰ってきた。帰りに役所により、するべきことを片付けたが、体力はそれまで。帰ってきて、寝た。ベッドで読書をと思ったが、できなかったところを見ると、体が衰弱しているのかと思った。何しろ毎日忙しいからね。

夜になって、本をというか「文芸春秋」を読んだ。第2次世界大戦の総括をしている記事を読みたかったからである。読んでいて、戦略もなく、戦術もなく、責任も誰も持たず、戦力も貧弱、最後は精神力(それも若い男性の)だけを武器に戦った日本にあきれ果てた。勝利のイメージも持たず、何のためというと自存自衛だそうだが、後でアメリカ大統領が言うように、無条件降伏か全滅かというところまで行ったのだから、自存のためではなく、自衛のためではなく、無鉄砲に自滅の道を歩んだという事だった。世界政治に対しての松岡の国賊的な無能さには腹が立つどころではないし、東条英機の責任を回避するような態度は許せない。今まで、きちんと辛い敗戦の分析を冷静にしてこなかったばっかりに日本はおかしくなるし、一度事が起こると感情論へと発展する。

合併が崩れた事について、誰かがどこかで論陣を張っていた。私も何がいけなかったかを冷静に見届けなければならないと思う。ようやく、胸の痛みが癒され始めているのかもしれない。同じ轍は踏んではいけない。

今、1920年代の危機的状況にいるという人がいる。政党政治ははっきり行ってもう解体したも同じだろう。政治家に対しての信頼は地に落ちている。国民は政治家が事実上小泉のロボットになっていくのを知っている。国会はセレモニーの場所になってしまっている。さて、1920年から1945年に向けて日本は破滅状態まで突き進むわけだが、もし今が1920年の状況に似ているならば、今後日本はどんな悲惨な状態に突き進もうとしているのだろう。今が、最高で後は国力が落ちるばかりだと官僚は言う。どんな日本を作っていくかのビジョンが見えない。小泉首相の外交はほぼ破綻状態ではないの?悲観的過ぎるかなあ。日本の先がまだ私に見えない。戦争だけはやめてくれ。
19日(水) 今日はあじさい荘に議会報告会に行って来た。ゆっくり顔振り峠までドライブした。久しぶりに雨も降らなかったので、のんびりできた。お風呂もよいお風呂だった。

帰ってきてから、カルフールに買い物に行った。そのうちに風邪がひどくなってきて、体中がだるくて仕方なくなった。御飯を食べてすぐ寝る。ところで、最近の小泉首相の靖国参拝を肯定する人が多いのだそうだ。小泉さんも参拝は憲法が補償するケンリだとう開き直っている。確かに、彼にも信仰の自由はあるだろうが、その自由を行使する事で、アジアでそっぽを向かれつつあるのをどうするのだろう。権利は行使してもよいし、しなくてもよい。すなわち、自由なのだ。

ナショナリズムの台頭も本当に怖い。私の支援者だって、「小泉が靖国に行こうが、中国になんら文句を言われる筋合いはない」といい始めている。日本唯我独尊である。人がどう考えようが、それをどう利用しようが、かまわない。自分には非はないという態度。お金の付き合いがあるから、少しだけ日本に引け目のあるうちはよいけれど、そのうちに、「結構ですから、出て行ってください。」という事になるだろうね。生産を外国にシフトした挙句、追い出されるような事になれば、どうするのだろう。政経分離ですって。嘘ですよ、そんなこと。

こんな事に気がついている日本人は多いと思う。でも、マスコミはそれを無視して、小泉が「憲法が保障した信教の自由をこうして何が悪い」ということばかり放送している。ナショナリズムをあおって、その後どこに連れて行くのだろう。日本は貿易で生きている国なのだ。自己完結できない、資源のない国なのだ。知的財産があるって?そんなもので潤う事ができるのは、一握りの大企業だけだわよ。
18日(火)
34300カウント
今朝は9時半から智光山公園緑化植物園の視察。昨日の視察(日生団地内)も歩いたけれど、今日もしっかり2時間半は歩きました。植物園をくまなく回り、智光山公園の遊ぶ場所も菖蒲園も見て回りました。1時過ぎに食事をしに埼牧のレストランにいき、その後ドイツパンとソーセージと野菜と卵を買って帰ってきました。

お金を下ろしたかったのでヤオコー方面に行ったのだけれど、今日はヤオコーがお休み。それで、役所に寄った。役所でするべき事がいくつかあったのだが、思い出せず、また、事務局で話し込んでしまった。話し込めばそのうちに思い出すと思ったけど、聖書のアダムとイブの話にまで話が飛び、飛躍しすぎた私の頭では何をしたかったのか分からなくなってしまった。帰ってきて思い出したが、後の祭り。

アダムとイブの話はアダムを神様が作ったがあまりにもアダムが一人ぼっちでかわいそうに思い(男は一人では生きていけないのよ、聖書の時代から)女性を彼の肋骨を取って作ってくださったという事。女性を作ってくれたのはすべて男性が一人で生きられないためなんだから、女性を大切にしなければならないという事。そもそも男性の肋骨は一本足りないというか、女性の構造の方が複雑にできているはず、聖書の時代から。男性に女性なしでは生きていけないという自覚がないのが情けないところだ。藻谷先生じゃないけど、男は一人で十分。女がたくさんいれば、子孫繁栄ってことかなあ。

また、情けないけど、男の創世記始まって以来初めての言い訳は、「だって、妻がしろって言ったんだもん」という事だった。叱られると女のせいにするのは聖書が書かれた初めからであり、男に潔いとか責任をしっかり取れとか言っても無理無駄なのかもしれない。聖書は男性には苦労して働くように神様が決めたと書いてある。女性は妊娠と出産で苦しむと言い渡されたけど。事務局ではある人が「女性が好きですから、女性を大切にというのは賛成です」なんていっていたけど、なんだか視点が微妙にずれていない?

“きっこのブログ”というのを最近読み始めた。視点が私と似ていて、その上、彼女ははっきり物を書くしで面白くてやめられない。特に昨日の小泉首相の靖国神社参拝では公用車を使い、公務時間内に、たくさんの公務員を引き連れて行って、何が私人の私的行為だと噛み付いていたが、正にその通り。姑息な手段をとるのが彼のやり方。ほんとに。

郵政民営化は反対したってもう決まってしまって仕方がないわけだ。で、日本はどう変わるか?地方はどう変わるんだろうか?郵便は届かなくなる事はないだろうが・・・とにかく、過疎地といわれているところから人が消えて、地方都市が巨大化し、その地方都市も衰退していくのだろう。とすると、農業はどうなるのだろう。田舎にUターンしていく団塊の世代もいるだろうケド、都市に出てきている人は2,3男か女性で田舎に帰る家もないし、結局都市の高齢化がすすむだけかな。

あれこれ、考えているけど、日本がどこに行こうが、障害者が無くなる事はないし、明日の御飯も用意しなければならないし。「新聞があれこれ言っていても、今日の雨、傘がない」という視点で見ているのもありかも。でも、それは逃げだろうケドね。
17日(月) 今日は朝から忙しかった。報告書をかきはじめていたら、9時半に役所から電話があり、高齢者介護課の人が説明にきているとの事。スケジュール帖に書き込んでいなかったので、ダブルブッキング。申し訳ないけれど、これを後回しにした。10時にケーブルテレビがきて、テレビを直し、プログラムの説明。0時半過ぎに帰ったので、急いで日生団地の役員さんたちと区画整理地内にある問題箇所を見て回った。区画整理はもうじき終わることになっている。道路もほぼ完成だ。それでも、できたらできたで、図面と違う事が起きているのだ。いや、思いも寄らずという事。お役にたてば、なんでもしようと思った。

お昼を食べ、役所に2時半ごろつき、パステル改善会議のために、レジメを作った。話をするごとに何が問題かどうしたらよいか見えてくるような気がする。それでも、まとめには中々行かず、27日に視察をする事が決まった。私が店長をできるとよいのだが、体が5つほどあれば、頭が3つほどあればできるのだけれど、1つの体と頭では実際不可能だ。

役所を出たのは6時ごろになった。やりたいことはいくつもあるのであるが、実際できることは少ないなあ。
16日(日)
34200カウント
今日は朝礼拝。本当に考える事の多い礼拝だった。

午後、伯父の所に寄ってきた。結構元気でいたのでもう心配しないでよいかなあと思う。

最近日本はどうなるのだろうと考えている。こんな時には歴史の本を読むとよいのかもしれない。私の目の黒いうちは戦争もなく、貧しくもなく生きていけるのだろうか。「国が倒産したらどうなるの?」と支援者に聞かれる。う〜ん、年金は無くなるだろう。ありとあらゆる福祉施策は無くなるだろう。(みよ、南米アメリカ、アフリカを)会社は残る。税金は上がる。汚職や腐敗は進む。食べる事だけに必死になる。こんなところかなあ。金持ちはもっと金持ちに、貧乏人は貧乏から立ち上がられない。

徳川幕府がどんなに幕府であったとしても、とにかく戦争もせず、平和を250年も保っただけでも偉い。さて、今後日本はどうなりますやら。先が見えないと怖くて仕方がない。怖がってもこれこそ仕方がないことだけど。
15日(土) 今日は朝仕事をし、午後からは駿河台大学の公開講座で少年法を学んだ。厳罰化は解決にならないといえども、やはり、私は厳罰に処す意味も大きいのではないかとも思う。なにしろ、昨日は3人の男性に死刑判決が出たが、18,19歳、又はそれ以下では死刑はないと思うから、人をへいきで殺してしまう。泥棒も何も、大人や社会を舐めているいるとしか思えない子供もいる。私の友達は息子の非行があまりにもひどくて、最後は少年院に入れて矯正してもらいたいといっていた。親が悪いというか、環境も悪い子は確かにいるが、罪をすべて親にかぶせて、非行や犯行をした子供の責任を一切問わないというのは、どうなのか。親も環境もひどくても、立派に成人する子もいるし、親も環境も問題ないのにずるずると悪に染まっていく子供もいる。矯正も大切だが、責任を取らせてからというのはいかがだろうか。
14日(金) 今日は朝から「人間ドック」に行って来た。生まれて初めてで、実は緊張していた。今日は検査だけなので、心配はないわけだが。ところで、結局バリュー無は飲まず、後に胃カメラを入れることにした。どちらが辛いか分からないが、バリュームで異常が分かれば結局胃カメラを入れることだしと思い、胃カメラにする。

なぜ、「人間ドック」に入ったかというと、今年議会で財政改革に協力するということで、健康診断をやめにしてしまったからである。特別公務員の議員は狭山市に雇用されているわけでないので、狭山市に健康診断をする義務がないのである。(と、私は思う)それで、自分でお金を払って健康診断をしたわけだ。夏にしようと考えたが、どうせ夏は疲れていて数値がよく出るわけがないので、秋にに日取りを変えた。本当は、女性診断というか、更年期相談の方が私には必要ではないかとおもうのだが・・・今回の人間ドックで驚いたのは、女性の社会進出がここまできたかということ。だって、受付から、医師、心電図技師、レントゲン技師、エコー技師、看護師、すべてが女性だった。ただひとり、眼圧を測る人だけが男性だったが、とても優しい感じの方で男性という違和感を感じなかった。とてもよかった。
13日(木)
34100カウント
今日は朝病院へ行き、ポリープの状態を調べてもらった。ソプラノがでず、中音にビブラートが掛かってしまうので、心配していたらポリープがあったのだ。それで、経過を見ていたが、手術はしないでよいだろうという結果になった。「ポリープを取ればソプラノが出るのですか」と医師に聞いたら、喉頭部が柔らかくふにゃふにゃしていて、それを直せないのでよい声が出る事はないということ。私は、太ると喉頭にまでお肉がついちゃうんだと変に感心してしまった。デブというのは内臓だけ脂肪がつくのではなく、体中満遍なく太っちゃうんですね。へ〜〜〜〜〜

午後はネットニュースを配りに行った。秋晴れで気持ちが良かった。少し、汗ばむ陽気だった。今日も議会レポートを読んでいてくれる高齢の方にお会いした。「毎回レポートを書くのは、できる事でないよ」と褒めていただいた。あんな小さな字をちゃんと読んでいるとおっしゃる。ありがたいなあ。

知っている人がブログを立ち上げて、毎日更新している。内容も本当にご立派で、そうだそうだと思いながら読んでいる。“いたわりあう街をめざす”というのは今や時代遅れになったかもしれないというようなコメントをしたら、いやいや大勢の人がそういうことに価値を見出しているというようなお返事だった。とても嬉しいお返事だった。私は時代遅れだろうがなんだろうが、人が思いやりを持って日本を社会を作り上げる事が必要だと思っている。ただ、日本の財源が枯渇しようとしている時に、国のポケットのお金だけを当てにしているのも後ちょっとの間だけだろう。

今日思ったのだが、日本人は小泉さんを延命させた。それは、彼が消費税を上げないといい続けているせいではないかと思った。国は遅かれ早かれ増税が必要なのであり、地方や中小企業を助けるためには(お金を日本でまわすためには)小さい政府で公共事業をカットしてばかりいては自殺大国の汚名は消えない。国民は、次が予感できている。だからこそ、その時代を先延ばしするためにも、小泉さんを選んだのではないだろうか。国民は「改革」を支持すると口先では言いながら、結局現状維持をできる限り引き伸ばし、本当に辛い現実に目をそむけたのだ。この態度こそ、過去5年間小泉がしてきた事であり、日本国民も小泉流なのである。それにしても、儲けているトヨタや本田、株で大もうけしているホリエモン、村上ファンドなど、一部では勝ち組、それも大勝ち組が出始めているが、その人たちに増税をするのはどうか。まあ、小泉さんはホリエモンを選挙に担ぎ出したぐらいだから、お金持ち集団に増税なんてするわけないか。

国の税収は45兆円。年金への拠出が40兆円だそうだ。だから、政策的な経費45兆円はほぼ赤字国債で賄っているのだそうである。それを買ってくれていたのは、簡易保険や郵便貯金だった。今後、民営化をして、このお金がつかえなくなった時、この国債は誰が買うのか、誰が引き受けるのか。引き受けてがなくて、日本は破産してしまうのか。政治家はどう手を打つのだろうか。小泉さんは何を考えているのだろうか。郵政を民営化したら、尚一層日本は困っていくのではないか。私だって、80円で郵便を離f島まで運べない、採算が合わないことは知っている。結局、税金をもっと使う事になるんじゃないか。こんな事誰でも知っていて、民営化がよいといっているんだから、もう言うのも止めだ。
12日(水) 今日は朝から養護学校の説明会に夫や娘と行った。川越市立養護学校を見た後だったから、この学芸大学付属養護学校の校舎の立派さや学校の環境のよさに改めて感心した。さて、娘はどこを受けたらよいのだろうか。悩んでいる。

午後、食事をしてから帰ってきた。娘も私もつかれきって横になった。
11日(火)
34000カウント
今日は朝郵便局に行き、役所に行った。資料のこと、視察のことなどの準備をお願いし、また市民から相談のあったことを窓口で聞いたりしながら小一時間ほどいた。西口開発事務所によって少し話をしてから帰ってきた。

午後はネットニュースを近所に配布した。私は春は花粉症があって外に出れないのでこの時期に皆さんのお顔を拝見に行かなければと思っている。時々会う方にはとても好意的に接していただいた。先週の日曜日には議会レポートを新聞折込しており、それもよく読んでいただいているようであった。毎回議会レポートを作るのも、後援会ニュースであるネットニュースを作るのも本当に大変なのである。でも、「継続は力なり」とスタッフと言い合って頑張っている。皆さんも、会員になってお読みくださいね。
10日(月) 今日はお休み。自分に言い聞かせて仕事をしなかった。身体もだるかったし。午後3時半、コンサートに向けておしゃれをした。久しぶりにスカートをはいたら、娘が驚いていた。コンサートは8割がたの入り。アカペラのコンサートは2回目なのだが、音響は悪く、アンサンブルは悪く、私は不満足で帰ってきた。耳が肥えているのか、良し悪しが分かるので、今回のコンサートはもったいなかった。
9日(日) 今朝6時過ぎに起きて、地区運動会があるかどうか心配していた。夫は自治会の班長だからテントを張りに出かけなければならなかった。雨の中、運動会をすることになり、7時半に出かけて行った。私は開始が9時半になったので、それに間に合わせて出かけた。テントの中での開会式だった。入場行進もなく、雨でグランドがぐちゃぐちゃだったけれど、決行。

笹井地区は学校の体育館の中で運動会をした。たくさんの子供達が楽しそうにしていた。こちらにも出かけて来た。私は今住んでいるところは笹井ではないけれど、笹井のグリーンハイツに長年住んで子育てをしていたので笹井はやはり故郷というか私を育ててくれた場所のような気がして愛着があるので、笹井で何かをしている時に知らん振りはできない。

その後1時ごろまで広瀬会場にいて、川越の福祉センターに出かけ、イラクの絵画展のミーティングに出た。イラクの問題はいつも私にとげのように突き刺さっている。戦争が速く終わってほしい。アメリカ軍の駐留が終わってほしいと願っている。徴兵にでもなれば、我が家は大変なのだ。これ以上、無駄な死傷者を出す事のないよう願っているが、一度兵を出せば引き上げるのは難しい。日本にだって、まだアメリカ軍は駐留というか駐屯している。イラクの場合どうなるのだろう。

とにかくイラクの問題からは目をそらさずに、また狭山市でもこれについて話あったりする機会を作りたいと思う。相沢さんというNPOの方に高頭さんとのトークセッションについてできるかどうか伺った。来年の早い時期に企画が整えばよいと思っている。私は多くの人にイラクの状態をアピールしたいが、狭山市で実行委員になってくれる人がどのくらいいるのだろうか。平和活動を忘れずに続けたいと思っている。

夜、アメリカから送ってきたビデオ、「ロボッツ」を見た。アメリカのストーリーの単純さに辟易するが、アメリカ人の夫はかなり楽しんでいた。まあ、ストーリーの変わらない水戸黄門のアメリカ版かな。その後、NHKアーカイブで男達の旅路「シルバーシート」をみた。私はこの番組が好きでずうっと見続けたのだったが、それが28年も前のことだったらしい。あの役者もこの役者も無くなってしまっていた。鶴田浩二、殿山まこと、笠智宗、志村喬などなど、懐かしい顔。あの頃ものめりこんで見ていたが、今日見ているとあまりにも身につまされて、悲しかった。28年前は、桃井かおりや水谷豊の世代だったのに、今回はもう鶴田浩二の老年目前の世代。鶴田が「後20年後の覚悟はできている」と劇の中で言っていたが、さて私にその覚悟があるのかと自問した。夫に「これからも仲良くしていようね」といった。あと20年をどう生きて行こうか。今を明日につなげるようにしたい。
8日(土) 今日は朝急いで水富幼稚園に行き、運動会へ出席。9時半ごろ、稲荷山公園の彩の福祉バザールに出かけた。いつもは市川政治参画センターの勉強会が入るのでいけないのだが、今年は参加できた。「狭山手をつなぐ親の会」がブースを出していた。私も午前中は手伝った。お弁当羽ばたきがおいしいお赤飯を作ってきて格安だったので、大きな声ではんばいしたら、狭山市議会議長をはじめ、大野代議士などが買ってくれたり、民生委員の知り合いがいくつも買ってくれたりして、すぐに売れきれた。何しろ、蒸したての熱々赤飯だったからおいしかっただろう。家にも1個買ってきた。

午後は今週も駿河台大学へ公開講座を聞きにいった。伊藤行紀先生による「外国人家族と出入国管理」という講義。外国人とは、外国人が日本に滞在できる条件とは。時には、外国人にとって日本に滞在するのは大変なのだと分かった。家のように、アメリカ人の夫を持ち、二重国籍の子供を抱えている人間にはとても興味のある講義だった。金の切れ目が、滞在許可の切れ目とは驚いた。たとえば、日本人と結婚した人が離婚した場合、子供を養育している時には日本に滞在できるが、そうでなければ日本に滞在不可能なのだそうだ。だから、子供が大きくなったら、日本から出て行ってくださいだって。日本人である子供にとって養育者として外国人は必要だが、それが終わったら(すなわち日本人をそだておわったら。子供が金を必要としなくなったら)日本から出て行ってくださいということ。日本にとって必要な、又は有益な外人だけが日本に滞在を許されるということらしい。

結婚とは何かという話もあった。結婚とは実際家庭を営んでいる2人という事らしく、同一生計を営まず、同居もせず、何の関係もなく戸籍だけは入っている状態では結婚とは認められないそうである。単身赴任のお父さんちょっと胸がうずくだろう。変な例として、タイ人の妻を捨て、他の女性と同棲し子供までもうけた不実な夫がいたそうだ。夫が女性を捨てたのに、このタイ人の妻は日本の滞在を認められず、日本から退去しなければならなかったそうである。変だよね。それにしても、法律は面白い。私は行政法の勉強をしたいなあとつくづく思っている。
7日(金)
33900カウント
今日は朝急いで議会へ。議会だより委員会があった。新しい車を始めて運転していたので、なんとなく要領が飲み込めず、ゆっくりしか運転できなかった。

昨日からの疲れが残っていて、体がだるい。私だけでなく、議会だより委員会でご一緒の建設委員会の議員さんも同じ事を言っていた。「使わないようでも、神経をつかっていたんですよねえ」と彼は言っていたが、私は神経が初めから最後まで張り詰めていて、疲れきってしまいましたよ。それでも、午後には体に鞭打ち、カルフールに行き、文字通り山ほど食料を買い込んで帰ってきました。それほど買い込んでも、明日から3連休ですが、3日持つとは思えません。あ〜〜〜。
6日(木)
33800カウント
今日は委員会視察からようやく戻ってきた。大阪、蛍池の再開発、奈良、王子町の水と緑の街づくり(再開発もすこし)、今日は高石市の再開発事業を見てきた。百聞は一軒にしかず。見なければ分からない事が多い。様々なやりようがある。

私が委員会視察が嫌なところは、食事。昨年の嫌な事を思い出していた。悪い酒飲みがいるので、和気藹々と政策論を語り合うという場で無くなるのだ。どうして、あんなに威張りたがり屋がいるのだろう。人のことを“馬鹿野郎”なんていうのを聞いているのも嫌になるというものだ。私は、一杯飲みながら狭山市の政治課題を2日に渡って語り合うならば、たとえスタンスの違う共産党さんや他の会派の方々の考えを聞いて見るのも意義があるので、食事をともにするもよいと思う。でも、今回のような食事では、本音を言えば、ごいっしょするのが嫌になってしまう。何で、2泊3日をすべて同じ行動しなければならないのか分からない。

今回良かったと思う点は、2次会なんてしないで食事1時間半でおしまいにしたところ。食後、私はさっさとホテルに戻り買った本を読んだ。日ごろ、ひとりきりになる時間が全く持てないので、今回は静かなホテルでのんびり読書できてよかった。それも、仕事とは関係のない本を思いっきり読んだ。初日は梅田のホテルだったが、買い物もないしでホテルから一歩も出なかった。2日目は堺市の再開発地内にあるホテルだったので、再開発ビルの中を見て、本屋に寄っただけ。

私の議員視察は、委員会視察に比べればもっと過酷なスケジュールを組むのだが、委員会視察ほど神経が疲れない。税金を使い、勉強させていただくのはなんとも疲れ果てることだ。特に団体で行く視察は、できればコースだけ決めていただき、ひとりで出かけたいところ。本当に、大変なんですから。
3日(月)
33600カウント
今日は朝から原稿書きに没頭した。今日までにネットニュースを書かなければならなかった。明日の早朝から委員会視察に出かけるからである。その間にスタッフは印刷し、郵送する。ネットニュースは会員さんのためのニュースであり、私の個人的な政治活動について書いてある。日々、1つの提案をするために汗を流しながら視察し、学んでいる事を知っていただけると思う。どうぞ、会員になられますように。または、献金によって支えてくださいますように。

午後遅く役所に行った。10月の課の編成替えが行われ、課長が増えた。交通防災課が防災課と交通防犯課になったし、高齢者福祉課と介護課が介護福祉課になったようだ。また、児童福祉課が保育課と子育て支援課に分かれた。間違っているかなあ、課の名称。

助役が解職を望んだ理由を推測してみよう。一般論だが、解職ならば、現市長と縁が切れる。という事は、現市長の反対派の方が市長になった時、その方の助役になる可能性が考えられる。(“2夫にまみえず”、とは昔のやもめさんの話であるが、三行半を貰ったら話は別だっただろう。)辞職ならば形としては、“現市長に忠誠をつくしたが、自分の理由でやめる”と言うので、縁がきっぱり切れている形にはならないので、他の市長が彼を使う事はないだろう。

また、市長に決断を迫る事によって、市長のイメージダウンを図るという意図も考えられる。でも、これは一面よくやったという人も多くいるだろうから、自己満足しか残らないかもしれない。はたまた、解職によって刺し違えるつもりであったとしても、自治法上解職されるは助役であり、市長の立場は安泰で刺し違えるなんて不可能だろう。自治法に対しての裁判闘争をしても、単に時間を掛けるだけで、自分の身分の保全はできない。また、裁判までして喧嘩した市長に仕える人がいるだろうか。忠誠が尽くせるとは思えない。となると、男の意地だけの問題なのかなあ。意地を通して現職の市長にたてつく事により、市長の決意を試し(もし、そうならばかなり底意地悪いね)、今後の自分の立場をハッキリさせたというのが、本音だろうか。
1日(土) 今日は朝娘を連れて目医者に行った。特に問題はなさそうで目薬を入れることになった。子供が医者に掛かっている間、私はマルエツの前で街頭演説。大抵、議会前と後で演説をしている。今日は土曜日の午前中なのに、たくさん知っている人に会ったり、高田高校の先輩に声を掛けていただいたり、手を振ってもらったり、嬉しかった。市民に受け入れていただいているんだとしみじみ感じた。とくに、狭山台なんて私のことを知らない人が多いと思うのだけれど、決して冷たい目で見られる事がないのは嬉しい。

10時半に行ったのだから午前中に終わると思ったのだけど、結局は1時近くなり、急いで駿河台大学へ公開講座を聞きに行った。第1回目で今回は消費者保護法を中心に学んだ。教師は大録英一先生。久しぶりに大学の講義というのを聞いたが、テキストはしっかりしているし、マイクは調子よかったので、分かりやすかった。まあ、今日の授業は1,2年生用の授業かな。行政法関係の法律を学びたいとつくづく感じた。大学に行きたいが、授業料が高く、私のように博士号ならともかくほかの学位はいらないという人間には行きにくいのが残念である。でも、学びたいなあと思っている。

その後、図書館に行き、本を借りた後、今度はヤオコー前で街頭演説。このところも、知っている人が挨拶したり、車から手を振ってくれたりと嬉しい。立ち止まって聞いていてくれる人もいた。あした、議会レポートを入れるが誤字脱字などがないといいけど。チェックを何回もしていても、出してから見つかることも多くて・・・・

夕食を食べてから、入間の湯に行き、さっき帰ってきた。肩が凝っていて頭も痛かった。少しは楽になったかなあ。

現在メールがあった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。