私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
8月 私の独り事
31日(水) 今日は羽村市の動物園を視察した。園長さんが一般の方を公募した方だとお聞きしていたので、園長さんに会えるときを議会に交渉していただいた。素晴らしい方でした。お会いできて、心から嬉しく思いました。参考になることもたくさんあった。動物園を直営で行うという方針を市が持っているそうだが、私は現園長を核としたNPOでも会社でも立ち上げて、思いのまま動物園を経営した貰えばよいと思う。市では経営はしません。運営だけですから、おのずから限度があります。そうすれば、もっともっと素敵な動物園になるような気がします。

それにしても、園長さんは夢もあるし、動物が好きでたまらないようだ。こんなリーダーを持っている羽村市動物園は幸せだなあとつくづく思った。後2年で契約は終わるそうである。その後でもよいから、狭山市に来てもらいたいと願う。猿を牛乳風呂に入れるなんて奇抜な発想はこの園長でなくて、誰がするだろう。今、箱物なんか作りたくても作れない世の中に、2年連続、宝くじからの補助金を貰って学習棟を作ったり、キリン小屋を作ったり。する事が前向きなのである。小さな動物園なのに、様々な工夫で来る人をあきさせない。こどもが喜ぶ姿が見たいようで、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さんにつれられて可愛い子供が来ていた。平日なのにかなりの入園者だった。これもすごい。20%も入場者を増やしたそうである。

事務所の掲示板に毎日の入場者の数が書いてあったが、ふれあい広場を学習棟でするようになってからは、あまり雨の影響を受けなくなったそうである。雨の日にきてくれた人をがっかりさせないようにという思いやりの心が入場者にきっと理解され、リピーターが増えたのだろうと思う。ところで、様々な節約と増収のための仕掛けがしてあった。狭山市のように、「お金の苦しいところはするんですよ、そういう事を」なんて高ピーのことは、この羽村動物園でも言わなかった。ところで2500円のファミリーパスポートもかなり売れているらしい。狭山市でも導入したらよい。えっ、狭山市はリピーターが少ないので、ファミリーパスポートは売れないですって・・・そんなことはないと思うけど。
30日(火) 今日は昨夜というか朝3時まで通告した一般質問の要旨を書いていたので、9時過ぎまで眠った。要旨はまだ終わっていない。業務連絡:ごめんなさい。

11時過ぎ、ホンダの野球の応援に息子2人を引き連れて、東京ドームまで出かけた。あ〜〜〜あ、負けた。末の息子は社会人野球を見るのは初めてだった。高校野球の応援は音楽部なので毎年参加している。で、大人のフィーバーした応援を見て、戸惑っていた。大人も馬鹿になれるんだなあという感じかな。プロ野球も好きで、子供達は西武ドームに行くが、ホンダ1色の社会人野球は独特ですね。今日負けたので、勿論次はない。子供達を今日連れて行ってよかったと思った。

夜は、夫と池袋の東京芸術劇場で落ち合い、聖望の音楽部の間野先生のお連れ合い石橋寿恵子さんがプロデュースなさった 「the Earth-Be」の公演を見た。石橋先生のダンス教室のおさらい会ぐらいかと思いきや、これは芸術でした。2部の最後は、ダンサーがくたびれ果てて少し動きが悪かったけれど、それでも、モダンダンスとしては一流だと思った。芸術祭に参加すれば、文部大臣賞ものだと思う。素人の域は超えている。本物を見た喜びを感じた。それも、かなり先端を走っているほどのレベルではないか。

間野先生へのお義理のようなつもりでチケットを買ったのだったけれど、この公演にお誘いをしていただいて、心から感謝した。ダンスそれもクラッシックではないモダンダンスなんか、お誘いしていただかなければ私達では絶対行くことのないジャンルの芸術である。勝手にマイナーな芸術と思い込んでいたのに、芸術劇場の中ホールがなんと2回公演とも満席で立ち見すら出たというのだから、信じられない。飯能市の市民の文化度にも、肝を潰した。昔からお金持ちで贅沢を知っている市は、本当の意味で豊かなのだと思う。
29日(月)
32000カウント
今日は、横浜動物園(ズーラシア)に視察に出かけた。八高線で八王子まで行き、横浜線で中山へ、その後バスで動物園まで行った。思ったよりも早くいけてよかった。行きは1時間半ぐらい、帰りは2時間掛かった。

視察は1時からだったが、友達と11時に待ち合わせをし、お金を出して先に少し見て回った。食事もズーラシアでした。一人で見て回るよりも、違った観点で動物園を見れて楽しかった。視察は指定管理者制度を取り入れるための準備として、横浜の環境協会がどのような事業と財政をしているかを中心に伺ってきた。勉強になりましたよ。指定管理者として、公社とどのような契約を結ぶのかというのが、多少分かりかけてきました。総額18億円の事業費で市からの持ち出しは9億円。後の9億円は協会が様々な活動営業をして稼ぎ出している。寄付は3000万円。ここら辺の話も参考になりましたよ。

スポンサーシップですけど、狭山市もドンドンすべきですね。ありとあらゆるところに名前を掲載してたった350万円の協賛金と聞いて、王子動物園はたった1箇所プレートをジャイアントパンダの前につけるだけで200万円という話をしたところ、ズーラシアのひとは驚いていました。話は変わりますが、名古屋の東山動物園が全面改装するという話。いつか、話を聞きに行こう。こういう投資は首長の判断1つ。狭山市の動物園にもお金を、投資をしてほしい。

ところで、今日は増井園長に会えた。光栄だった。その上、写真も取らせていただいた。狭山市の動物園にお弟子の方がいるそうで、「智光山公園の中にあるのですね」とおっしゃられた。札幌でもこども動物園を知っている方が説明してくださったし、とても小さな動物園なのに、よくご存知だ。この世界は狭いと思う。今日、お話を聞いて思ったのは、動物園をよくするも、悪くするも飼育への情熱だというような話であった。経営を誰がやっても、硬直した組織やものの考え方ではいけないとおっしゃっていた。そうだね。

今私は動物園が大好きになって、多少通になってき始めたが、素敵な動物園は何もパンダがいることやコアラがいるということではなく、今いる動物をどうしたら見学者にもっとよく理解してもらえるかという飼育展示係の意欲のような気がしてならない。愛する動物をもっと知ってほしいという思いが見学者に伝わることだと思う。今日ボルネオオラウータンの雄が地べたの涼しいところでスイカを食べていた。皮を残して器用に食べていたのだが、違和感を覚えた。野生では高い木の上で地面に降り立つことなく生きているというボルネオオラウータンの住まいには、高い木一本植えてなかった。とてもおざなりな飼育に思えた。ここは行動展示はやっておりません、生態展示ですとおっしゃられたが、どうも釈然としないオラウータンの展示だった。考える事が一杯でここにかけないので、報告書にはしっかり書きたいと思っている。
28日(日) 午前中、礼拝。午後は食糧を買い込んで帰ってきた。夏ばてで動けない。ホンダの応援に行くつもりだったが、行かなかった。息子達ががっかりしていた。彼らは行きたかったのだ。夜、暑すぎてよく眠れない。それでいて、食欲は無くならないのに・・・・
27日(土) 防災訓練。今年から、実践的な訓練になり、家の夫も班長なので戸別に人員の確認に行った。水富地区では水富公民館に自治会長が集まり、副会長からの報告を待った。75%の人の安全が確認されたが、25%については確認できずだったそうだ。遊びに行ったりしている人もいただろう。様々な取り組みをしていたが、今後はもっともっと実践的な取り組みとなろう。また、そうするべきである。議会としてどうするかは、木曜日に議会事務局に確認したが、ファックスで事態を知らせるということである。電気が通じなくなったらどうするのだろう。すぐに議会が開かれるというより、市長が専決でドンドン仕事をするということだろう。

とにかく、暑い中、炊き出しの様子を見たりしていたし、緊張して様子を見守っていたりして、午後はすっかり疲れてしまった。夏ばてだ。
26日(金)
31900カウント
今日は朝からビラ作りに精をだした。というのも、「埼玉だまってらんない女の会」が“だまってらんない”というビラ配りをさいたま市でしようと言う話があり、私もそれに呼応して、狭山市駅前でビラ配りをすることにしたのである。「だまってらんない市民の会・狭山」としてビラをくばった。

内容は、小泉政権の独裁的、独善的、自己中心的、我まま、公私混同、筋違いの政治はいけないのだ、やめさせようというキャンペーンである。私は無党派だから、どこにも組することはないけれど、小泉を政権うぃ続ければ、今は少し右よりの政治が今度はあっという間に、「戦争をするのも仕方ない」よいうことになる政権になり、憲法を変えて、集団自衛権をみとめ、戦争をすることになろう。なぜなら、小泉のような、独善てきな考えではアジア諸国とうまく外交できなくなるのは必至だからである。

気に入らないのは刺客を放つ、嫌な奴とは喧嘩をしても自説を曲げないとなると、外交ではどうなるのだ。アメリカには追従したいらしいが、アメリカを使って日本の安全を守ってもらおうとしながら、自分で喧嘩を吹っかけて行ったらしょうがないではないか。アジアは経済ブロックを作り始めるだろう。超大国インドが実力をぐんぐんつけている。いい気になって、“日本固有の”“日本古来の”の神道がどうのこうの・・・なんていっていると、日本だけ置いてきぼりになってしまうだろう。それに、バリに行って思ったのは、日本古来のものや固有の物なんてないのかもしれないということだ。アジアの文明を取り入れ、中国の思想を取り入れ、韓国の技術を模倣し、日本は生きていたのだろうとつくづく思う。勿論日本人はそれを真面目に消化し、今日に至っている。それを自覚せず、日本が、日本古来、日本の伝統、日本の信条なんていっていたら、外国は日本を相手にしなくなる。「笑わせるな,真似したのに」ということだ。

日本が生きる道を小泉さんのような手法:賛成か反対かの2元論で行っていったら、早晩日本国民は2分し対立し、外交においてはそれが通じず孤立して行くのだと私は思う。その上、反対は抹殺するというのだから、もっと恐ろしい。「和をもって尊しとする」と言った聖徳太子さんは真っ青になってしまうだろうね。だから、私は無所属で、無党派だけれど、小泉さんだけはやめにしてほしいと願うのだ。

5時ごろから私はマルエツの前で街頭演説をし、6時ごろから狭山市駅西口と東口でビラ配りをした。あまりにも、ビラを取ってもらえないので、ここでも演説をした。結局7時半まで、2時間半も演説をしたので、つかれきってしまった。座して心配だけするというのは、どうしても私の性に合わない。合併の時もそうだったが、たとえ、結果がどうであっても私は信念にそって動く。えっ、「自己満足だけなんじゃないの?」ですって。そうかもしれないが、時代の節目、政治の潮目で、おめおめ過失を見過ごすことは罪であると思う。

私の政治的な感が今“改革”といって日本をかえるのは、正に2.26の将校達の血気・決起で日本が軍事侵略を始めた時と同じようなことをしているのだと言っている。日本が危ない。小泉や阿倍は要注意人物なのだ。
25日(木) 今日は朝家事をしていたら、あっという間に10時になり、急いで議会に行き、資料請求その他をした。職員課の課長とお話をし、議会であれやこれやの話をし、少し事務局の方々のお邪魔をし、1時過ぎに食事に行った。そこで、サニープレスの田中さんにあい、合併反対派の田中さんに次の市議会議員選挙にでて合併後の市政をリードしてほしいことや小泉総選挙のまやかしなどについて話をした。田中さんはなんだかあまり元気がなさそうに見えた。

午後帰ってきてから、息子の相談に乗ってやった。バイトのことだが、若いのだから色々な経験することを進めた。いろんなバイトをするのは、世界を見るチャンスでもある。金を稼ぐ辛さも知るのも勉強、いろんな経営者に合うことも勉強だ。でも、学生のうちは学業が一番である。身体を壊したりするほどアルバイトに精を出してほしくない。これは親の思いである。

一般質問の要旨を書かなければ・・・いつものように、苦しい時が始まる。でも、今回はどうも力が入らない。夏ばてかなあ。いま、雨がひどくなっている。台風が接近中。なんとなくワクワクする。(昔から台風は大好きだが、最近の台風は風はあまりふかず、雨だけだ。)
24日(水) 今日は朝全員協議会。アスベストの報告があったが、これを除去するのは大変である。空気の中のアスベストを検査してもらわなければならないだろうが、1件あたり4万円もかかるのに100を越す施設の色々な場所にアスベスト製品が使われている。この騒動は全国津々浦々で起きている。アスベストが怖いという話は昔からあった。どうして、日本はこんな風に行政が企業とくっついて人間の命を軽んじるのだろう。本当に、残念である。

午後は文京区のシビックホールにでかけ、友達の区議会議員とあい、区役所の仲を見せていただいた。23階建てのご立派な区役所(シビックホールというのは区役所の愛称である)はレストランあり、展望台あり、保育室アリ、健康トレーニングルームありで素晴らしい。狭山には不用の豪華ビルであるが、素晴らしいと思う点があった。それは議会がガラス張りになっていることである。23回の展望室から議会を見れるのである。これは、よいとおもう。狭山市は傍聴していなければ、覗き込めないようになっている。それにしても、東京都、特別区はお金持ちである。18万人しか人口がないにもかかわらず34人も議員がいて、報酬も高く、政務調査費も一人1ヶ月20万円もあるのである。羨ましい。今回、友人はオーストラリアに視察に行って来たといっていたが、その費用を聞くと狭山市の政務調査費年間24万円では到底いけそうもない。彼女はデンマーク視察もし、それは一人当たり50万円もしたといっていた。

去年ニュージーランド視察をして、男女共同参画社会のありようについて学んだ。結局、保育園をたくさん作るよりも労働時間の短縮や、正規職員とパート労働者などの賃金格差をなくす事が、遠回りながら少子化対策になり、女性の地位の向上にもなると分かった。私はアメリカにいく事が多いけれど、視察という目でその土地を眺めることの大切さを実感する。

話はそれた。午後6時から後楽園、東京ドームで都市対抗野球を観戦。ホンダが勝った。その途中、お財布がないのに気がついた。すべてその中に入れているので、冷や汗が出た。シビックホールに戻り、守衛さんに友達の控え室に連れて行ってもらい、見つけた。よかった。周りの方々にオ心配をおかけした。申し訳ありません。それにしても、よかったとほっとした。
23日(火)
31800カウント
今日は朝から家事に精を出しながら政治を考えていた。午後はスタッフミーティング。国政に関して、スタッフと意見が一致した。今月は夏休みで1ヶ月ほどスタッフと会うことなく過ごした。国政に対する考えについて話し合う事がなく、私の考えをスタッフがどう思うか心配していた。で、いつも身近にいてくれるスタッフとは意見交換しなくても、同じ思いでいたと思うと心強かった。1昨年の県知事選でごいっしょした方々も同じような思いの人がいて、安心する。思いの同じ人がどう行動すべきかを考えている。

今秋、「すすむ会」ですることなどを確認した。議会レポートも、ネットニュースも、議会報告会もする。できれば、ワクワクシニア講座を行いたい。また、平和活動を引き続き行いたい。できれば、高遠さんにお越し願いたいと心から願っている。自分が中心で動くのは中々しんどいが同じテーマで誰も何もしないのならば、誰かがするべきならば頑張ってみよう。そんな風に思っている。夏のけだるさを引きずりながらも、もう勢力全開の秋を思っている。
22日(月) 今日は、朝から一般質問の通告をどうしようかと頭を悩ませていた。家事をしながらぐずぐずしていたが、事務局にいけば何とかなるだろうと事務局に出かけた。とにかく、動物園と市民参画推進条例を何とかしようと思っていた。そのうち、やはり西口再開発事業のことも1年に1回はプッシュするべきだと思い、入れることにした。「ひよるなよ」とカツを入れることにした。

西口開発をできなかったら、市長の責任である。ここまで積み上げてきた努力を無にするようなことを絶対してはならないと思っています。計画だって、半分ほどまで圧縮したのだ。私は狭山を埼玉の成城、埼玉の田園調布にする構想をずっと言い続けている。この前の青年会議所のレクチャーを聞いてやはり今後の街づくりはグレイドの高い高齢者対応をした住宅地を駅周辺に持ってくることや、医療や生涯学習拠点のような市民活動を盛んにする公益施設を作るのが、今後の狭山市の生きる道ではないかと思う。

亡くなった町田さんのことを悪く言うのもなんだが、狭山市の名誉というか名声をおとしめたのは、町田さんの“市長室での恐喝”事件ではなかったかと思う。なんだかあれ以降、人口は衰退し始め、狭山市の元気が蝕まれてきたように思う。その上、残業をしないことも手伝い、役人の士気がドンドン落ちているように思われてならない。それを立て直すのには、合併という手もあった。でも、その手が使えないとしたら、夢を語り合い、それを実現するための方策を語り合い、いつかそれを実現していくことではないか。素敵な狭山市ができれば、作る意欲があふれていれば、狭山市も生き生きしてくるのではないか。

私は議会事務局で狭山市がどうあったらよいかなどを事務局職員と話す事が多いのだが、とても楽しい思いをする。(えっ、聞いているほうはちっともおもしろくないですって・・・)それで、職員も私達のような話をしているのかと聞いたら、あまりしていないようである。昔はノミニケーションというのがあったということを聞いたが、最近は真面目に夫や妻をしている職員が多いらしく余り盛んでないようである。基本計画作りが始まるが、市民会議をする前に、この前基本構想でしたように、小中学校生徒、市民、それから職員全員にこんな狭山市になればよいなとかすみたいなとか言う論文を書いてもらったらよい。きっと、楽しいだろう。
21日(日) 今日は、朝6時半に起き、久喜市長選挙の応援に出かけた。後上さんの必勝を祈っている。電話掛けをしたが、うまくできなかった。口が回らなくなる。ポリープのせいか声がガラガラするような気がしてだめである。少し考え込んでしまった。でも、選挙ではたくさんする事がある。多くの人がボランティアで頑張っていた。後上さんも幸せものだ。感謝しているだろう。それにしても、選挙にはお金がかかるとつくづく思った。市長選は私には出来ないと思った。

夕方、5時過ぎにでて、8時前に家に着いた。子供達がハヤシライスを作って待っていてくれた。嬉しいなあ。

今日、いくつかのHPを見た。そして、今回の衆議院選挙を小泉さんがすることについて、官僚あがりの知事達はかなり評価している人がいることに驚いた。多くの官僚が“刺客”として立候補する。女性達も喜んで立候補する。まるでお祭り。官僚達のお祭りのように思える。官僚支配をあんなに怒っていた当の首相がアリとあらゆるところに官僚をいれ、支配を強化している。官僚にとって、一々議案にチェックを入れる政治家が邪魔なのだ。だから今回のような、反対する政治家をやっつける解散が嬉しいのだと思う。

それでも、私は悲しい思いでいる。私のように感じる人は本当に少数派なのだ。いつも私の友達が言うのだが、「久美子さんは先が見えているのに、それを理解できる人が少ないのだよね。」。うぬぼれとは思わない。今回の総選挙の後やってくるのは、もしかしたら右傾化した息が詰まるような世の中ではないかと思う。間違いであると良いのだけれど。
20日(土) 今日は朝聖望学園の狭山地区の地域懇談会に出かけた。聖望学園はよい学校だなあと心から思った。長年の付き合い(6年間)になると思うと付き合い方が変わるのかなあ。とにかく、親達も親しみ方がなんとなく違う。

午後は、暑くて動けなくなり、ごろごろ。夜は、息子と夫を3人で食事。お兄ちゃんはどこかに行き、娘も遊びに出かけている。寂しいけれど、こういうことにも慣れてきている。

最近、思う事がある。それは、時代の流れということである。今、郵政民営化の話が選挙の争点になると小泉さんが言い始め、多くの国民の共感を得ているそうだ。私の支援者だって、小泉さんは分かりやすくてよいなどと電話を掛けてくる勢いである。私は、そのたびに分かりやすいということは物事を単純化して物事の本質を摩り替える事があると言っても、ちっとも理解してもらえず、高橋は分かりにくくなったなんていわれる始末である。確かに、民営化しても私達の地域で大きく物は変わって見えないだろう。だから、民営化したってよいといえばそうだろう。

長い目で見れば、民営化できっと郵便のシステムは現在とは大変わりし、ポストの数は少なくなるだろうし、特定郵便局も数を減らすと思う。メールが発達し、民間も参入し、郵便局の民間であるメリットは少なくなり、全国郵便網の衰退をもたらすことは必至だと私は思っている。この全国郵便網を維持するか、それとも小さくするかという問題が、民営化の賛否の基本なのだろう。そして、全国郵便網を維持するという方向の人がこの前の民営化法案を反対したと思う。私も、少なくとも郵便のことは国の事業として残した方がよいと思っている。銀行と保険は民営化したらよい。でも、赤字になろうが郵便網は確保しておくべきものだ。

しかし、私がこう思っていたとしても、4社の民間大会社として郵便は民営化されていくのだろう。その流れがある。空気がその方向に行っている。私が、何を言おうが時代は進んでいく。小泉さんはこの施策ゆえに政権を維持するかもしれない。だとしたら、この政権は次に何をするのだろうか。改憲か。これだって、彼の長年の“思い”ではなかったか。なんだか、昔に郷愁をもった、右傾化した人たちが多い政権下で、私は大きな期待ができない。実際、民主党を含む野党だって身体を張ってこの流れを止めようとしていない。時代の空気、流れに迎合している。これからの社会は大きく変わっていかなければならないのは事実だが、その方向が“なんとなく大国”、“普通の軍事力を持つ自立した国”“日本に固有な精神を持つ国”というのでは、私はとても怖い。

今、時代小説を読んでいて、江戸時代に300年も戦争がなかった事をとても評価しているところである。確かに不正もあっただろう、腐敗と言われることもあっただろう、改革という引き締めも行っている。しかし、戦争を起こさなかった。内外ともにである。江戸時代最後には、勝海舟は王政復古を無血に近い形で行い、内戦を最小にした。私は、平和を300年もの間日本にもたらした徳川幕府を非常に高く評価する。

小泉さんが言わなくても、現在は改革をしなければ今後の少子高齢化の日本を乗り切れるものでない。それは、事実である。でも、本当に小泉政権は日本にとって平和の礎を作る政権になるのかと思うと、私は違ったほうに舵をとるのではないかと心配で仕方ないのだ。これが杞憂でないといいけれど、座して心配しているだけでよいのかと居たたまれない思いだ。「時代の流れが、空気が私達に反対の口を封じ込めたのです。」と第2次世界大戦をなぜ阻止できなかったかという時に多くの人が言った。今日の新聞その他の論調を見ていると正にそれが起きている。「正面きって私は法案に反対したのは・・・」と誰も言っていない。

私は時代に竿をさしているのか。時代遅れか。大きな流れの中でおぼれ、淘汰されていくのか。時代の先頭を走っていたような思いで、私はこの5,6年を過ごしてきた。しかし、今“改革”を大声で叫ぶのが怖いのである。小泉が“改革”を言う言葉を使うごとに、私の心は後ずさりし始めた。絶対右に舵を取る手先になりたくないからである。戦前、戦争翼賛の軍人が昭和の不正を正す“改革”を唱え、“昭和維新”などといいながら、戦争礼賛し、戦争に突き進んだと歴史の本で読んだ事がある。今、“改革”という言葉を軽々しくつかえない時代がやってきてしまった。私は自分を改革派とはもう呼ばない。では、私はなんであろうか。気持ちが混沌としている。
19日(金)
31700カウント
久しぶりに独り言を書いています。皆さん、息子の病気は直りました。ありがとうございました。昨日、病院に行き、血液検査をした結果、炎症がなくなったとのことでした。息子は、熱は下がったものの、さすがに疲れやすく、勿論バイトもできず、ごろごろしたりしています。それでも、若い息子のことですから、すぐに元気はつらつ、遊び歩いて親を心配させることだと思っています。直ってくると、心配した事が腹がたって・・・でも、ママとしては熱と咳でぼおっとしている息子をほっても置けず、病院に付き添い、食べられそうなものを買い揃え・・・過保護だったでしょうかねえ。

私は、今日自分のために病院に行き、またしても結局痩せる事が大切と医者に言われて帰ってきました。もう、行く必要もないようで、イケ面の独身の先生とお話しするチャンスも無くなってしまいました。気があって、楽しかったんですよ。気兼ねなく、聞きたいことを聞いて、ちゃんと返答をいただき、知的に満足いたしました。そういう意味で、楽しかったのです。(^.^)

友達の後上民子さんが久喜市の市長選挙に出馬します。21日に応援に行きます。私の友達の女性が次々に市長に挑戦しています。そして、残念ながら当選はありませんが、善戦しています。今までならば考えられないほどです。後上さんは久喜市でいつもトップ当選でした。選対もしっかりしています。今回は当選すると思います。遠いから、毎日行くとはいえないのだけど、必要ならば泊まりこむつもりでいます。彩ネットでずうっと頑張って生きた同志、また、市川房江さんの所でもいっしょした仲間、是非当選するように祈っています。
13日(土) 今日は、さすがに息子が朝38度5分の熱でおきた時、またまた私の直感が働き、月曜を待たず、今日また病院に連れて行くことにした。レントゲンの結果、肺炎はもっと悪くなっていた。今日から、彼は点滴を受けることになった。入院させてもらいたかったが、本人は嫌がるし、お盆の頃でベッドが空いてなかった。彼が寝ていようがおきていようが心配している。神様に祈っている。これ以上悪くならないで、早く回復するように。熱が出てもう5日、それも38度5分より低くならないなんて・・・・

明日から、私は独り言を1週間お休みします。息子を医者に毎日連れて行き、点滴をさせ、何をしていても心がすべて息子の病気の方に行っている感じです。彼が元気になったら又書きます。
12日(金) 今日も朝息子が熱が高くて眠れないといいながら起きてきた。38度7分。昨日よりましだが、それでも寒気で震えていた。御飯を食べさせ、薬を飲ませ、解熱剤も飲ませた。昏々と1時過ぎても眠っていた。2時半ごろおきてきてようやく昼食。薬。また、寝込み、6時半ごろおきてきた。少し、楽になったみたい。夕御飯を食べさせ、薬。

なんだか、身体全体で息子の健康のほうにアンテナが向いている。買い物したが、息子が飲むスポーツドリンクや口当たりのよいせりーなどや息子が好きなスイカが中心だ。肺炎は体力勝負。薬さえ効けば、安静にしていれば直る。何べんも汗を掻き、下着やシーツを取り替えた。早くよくなることを願っている。咳がでて、痰が絡んでかわいそうだ。でも、出ないよりもよいのだろうと思っている。本当に早く直ることを祈っている。他の事が手につかない。
11日(木) 今日は朝7時に息子が熱が39度あるので、眠れないといって私を起こした。彼は9日の夜から熱を出していたが、バファリンが効いて、37度ぐらいまで熱が下がっていた。だから、昨晩は熱さましなしで寝たのだが、また高熱がでた。親の直感にしたがうようにと、アメリカの育児書に書いてあったのだが、私の直感ではこれは一大事と思った。この子は39度の熱を3日間も出した事がないのだ。クリニックでは心配で、どの病院にしようか悩んだ。とりあえず入院まで想定して、息子の友達が働いている豊岡第一病院に行った。

結果は肺炎だった。素人の私でもレントゲンを見た途端、これはいけないと思った。お薬をいただいて帰ってきたが、15日まで熱が下がらなかったら、もう一度来るようにいわれた。お兄ちゃんは体力があるので、夏休みをかなりエンジョイしていたのだが、野球やサッカー、バスケットボールなどの運動では身体を壊すこともなかったが、大学生活で少し不摂生がたたったのだと思う。本人に言うとかなり素直に反省していた。私達も若いときはあんなものだろうと高をくくっていたのがいけなかったのかもしれない。親も反省している。

それで、今日はボランティアに行かなかった。息子は熱さましと抗生剤で眠っていたが、置いて出て行けなかった。鵜の木薬局さんが家の薬剤師さんなのだが、途切れることなくお付き合いしている。「お母さんしていますね」と声を掛けられたが、子供3人いると本当に色々な事が起こる。

私も疲れてきて、午後から昼寝をしてしまった。毎日3食こどもに用意するだけでも一仕事である。エアコンを入れっぱなしなので、来月の電気代が心配である。ところで動物園の視察の最後に羽村動物園と横浜のズーラシアの視察を考えている。本当に頑張っていると思う。視察報告書が着いていかない。あ〜〜〜〜。
10日(水)
31400カウント
今日は朝夫を会社に送ってから、家に帰ってきて家事に励んだ。夏休み中はお手伝いさんもお休み。だから、私が頑張っている。今年は別荘に行く暇もない。今日も午後からサピオでボランティアをしたが、これを入れるために別荘行きを1週間伸ばした。13日に出かけることにした。まあ、昨日のカキ氷の売り上げが6千円ぐらいと聞き、多少パステルに貢献しているかなあと思っている。それにしても、3時間ほどのボランティアだが暑い最中の仕事で疲れてしまい、夕御飯の買い物をして帰ってくると体力を使い果たしたという感じだ。

夕方5時半からのサマーコンサートに出かけた。ジャステンの友達で音大に行っている学生のコンサートだった。それにしても、才能とはなんだろうと考え込んだ。荒削りの中にきらめくような才能で演奏する学生。お金がたっぷりかかっているのが分かるような芸術という名の道楽。この学生達の行き着くところはどこだろうかと思いながら、演奏を聴いた。私は度素人だからこの人たちがどう成長していくか想像もつかない。でも、演奏家として生きていくのは本当に難しいだろうと心から思った。

「芸術なんて“きちがい”のすることです」と私の友達はいう。世の価値観と全く違う贅沢、それは金銭面で時間の面で。美しいものが残ったところで世の中がよくなるって事でもないし、貧しい人が豊かになるわけでもない。でも、だからこそ貴重で素晴らしいのだろう。美しい何かに触れる喜び、それは見るほうからのことで、見せるほうは何年にもわたる切磋琢磨の結果である。そして、それは努力だけの賜物ではなく、神様がある種の人にだけ与えてくれる才能というなの不公平さによっている。平凡な人間は才能ある人のパーフォーマンスをただただ敬意を払って見せて、聞かせていただくだけである。
9日(火)
31300カウント
今日は朝夫を会社に送ってから、動物園に視察の報告に行った。狭山市こども動物園だって頑張っているようである。あまり、私があれこれ言うのは悪いかなあと思ったがサル山改修については是非お願いしたい。また、フラミンゴは羽を切ると受精しないという話をした。交尾できないのである。できれば、からす対策もあることですし、大きなケージか、それでなければ、網を張ることを考えてほしいとお願いした。動物園は先々のことを考え色々なアイディアを出しているようである。デッサンを見せていただいたが、私はもう少し考えを広めた物を造っていただきたいと思った。魅力にやや欠けている。でも、それを作ろうという前向きの姿勢はとても好感を持った。応援団長も頑張ろうと思う。

あっという間に2時間半が過ぎ、12時半ごろサピオへ。昼ごはんをたべたのち、3時半までカキ氷売りのボランティアを今日もした。暑いのでよく売れてメンバーともども喜んだ。よかった。

昨日の続き。小泉さんの解散の争点は小泉流の政治がよいか、それとも民主主義的なやり方がよいかということではないかと思う。絶対、民営化反対か賛成かの解散だとは思っていない。反対した人たちへの復讐が大きいのではないかとおもう。昔からの権力闘争で、じりじりとあぶるように反対派を隅に追い詰めようと言うことだろう。こんな非情なことを公にする人を、分かりやすくて良いという市民も多いのだろう。その心理は、リンチを遠回りで見ている野次馬のよう物ではないか。そんな市民が増えているのも事実ではないか。

私は森元首相なんか好きではないが、彼の小泉さんとの会談のあとの人間臭い談話が大好きである。その時感じたのは、やはり小泉さんの異常さだ。非情というのではない。異常さ。自分の意見が通らなければ、相手をとことんやっつけてやろうという織田信長のような気質。会見の時の目の色の異常な輝き。利己的な単純さ。分かりやすいからこそ、あの扇動にのる多くの市民がいるのではないかと心から心配している。

ハーメルの笛吹きがこどもを連れてどこかに行ったというおとぎ話を思い出して身震いするほど私は今怖い。実はこの解散は小泉さんが言うように単純な対決軸が争点とは絶対私は思っていないが、単純なスローガンをどこでも言い続けていればあたかもそれが事実のことに聞こえてくるから怖い。郵便の民営化だって賛成反対といえども複雑である。私のように、銀行と保険を民営化し、郵便のシステムは国営でよいというものもいる。単純に答えが出せないから、衆議院賛成、参議院反対となったのではないか。それをあたかも改革派かどうかの踏み絵のように、単純化しないでほしい。この前の法案のどこが良かったのだ。小泉が改革派だって?笑わすのはやめてよ。改革派だったら小泉に入れろ、自民党に入れろ。そうじゃないでしょ。全く。

外交の行き詰まり。どうしてこんな風なのかを小泉さんはちっとも反省しない。日本の良心だといって、靖国参拝をやめない。総理大臣としてでなく、個人として行くのは嫌だとダダをこねる。神道が日本の良心だなんていい、辺に日本固有の大和魂見たいな事を強調する。潜望鏡のような小さい穴から世界をのぞいて、自分の位置を確かめているが、潜望鏡の穴を世界の誰も注目なんかしてはいない。世界のスタンダードに自分をゆだねられない自己中心の男なんか、G7の中でも相手にされない。なぜなら、財政状態が悪くて、借金だらけの発展途上国のような有様だから、誰も日本に敬意を表さないのだ。世界のいうことに耳を傾けることもできない偏屈な人間だから相手にされないのだ。世界で人に敬意を持って接してもらわれる首相を持ちたいものだ。なんといっても、田中角栄さんは中国で尊敬されていましたからね。小泉とは大違いだ。

日本の政治だって、外国との政治だって結局彼の人間性ゆえにデッドロックに乗っかっているのではないの。それをさておいて、この解散は郵政改革賛成か反対かだって、もう一度言うけど、わらさせないで。問題をすり替えないで。

とはいえ、今回民主党はどうかといえば、まあ政権交代もいいかなとも思ってはいても、だから民主党に力を入れて応援する気はさらさらない。とくに、この区の民主党議員には何年か前に三行半を書いたいきさつもあり、応援なんてとんでもないという思いがある。
8日(月) 今日は朝夫を会社に送ってから、議会事務局へ。政局の状況をテレビで確認しながら、自治基本条例の資料をHPでチェックした。午後までかかって様々な条例を比べたりした。

また、雨水対策課の課長に来てもらい、家の近くの水路に入る場所を閉鎖したことに関して経過を聞いた。ある市民からの苦情でしたとの事だ。安全を中心にしたという。しかし、私はそれについて怒った。というのは、自治会やその水路の近くの人の意見も聞かず、苦情を言った人の意見を鵜呑みにして工事を実行したからである。近所の底力という番組があるそうだが、あることに関して自治会を含め色々の人が力を尽くしているのに、それを無視し、一方的に(好意でしたというが)その人に組するようなことをされては、地域としては迷惑だということ。

それに、どうして水路の閉鎖を決行する前に、近くに住む私のところに説明に来なかったのだろう。この水路の閉鎖は人権問題講座の中でお母さんが取り上げ、こどもの人権とご近所の人権なんて大きな問題にされていたのだ。目の前に住む市議会議員としては、実際何にも知らなかったのが恥ずかしいぐらいであった。1メートルを超えるような柵を作る前に、私に一言あってもよいと思った。まあ、市議会議員なんか関係のないことで、安全策を行ったとでも課長はいいたそうだったが、そこが危険かどうかを一市民の苦情とこの際の事情を知らない課長だけで決定し水路閉鎖したとは、実際開いた口がふさがらない思いだった。

議員は地元のいろんな話を聞いている。もし、それが市で処理した方がよいならば、私は市役所に行くことをいとわなかった。いや、率先してお願いに行った。めんどくさいなんて思ったことはない。もう一度言いたいが、1市民の意見を丸呑みし、地域の人の意見を聞かないようなやり方は地域の市民にとって非常に迷惑である。近くのことであったら、申し訳ありませんが、地域の市議会議員にもお知らせください。水道、下水道、道路などの工事や補修などは2,3週間前にちゃんとお知らせをいただいております。どうか、他の課の方でも地域の市議会議員をお忘れないように。

小泉さんが衆議院を解散した。本当にこの方は国会をなんと思っているのだろう。これは郵政民営化に賛成か否かの国民投票だというようなことを言っている。やめてくれ、国民を変なほうに引っ張るのは。この解散で問われるのは、小泉さんのように1つの事が成就しなければ国会なんかあてにしないという非民主主義的、自己中心的権力固持のやり方である。国会を壊してしまえというやり方である。こんな事が繰り返されたら、あっという間に日本は単純な大和魂皇国に大変身を遂げてしまい、またぞろ“世界一人ぼっち”国となっていくだろう。
7日(日) 今日は午前中からボランティア。娘を連れてサピオに行った。「朝、早くから販売した方が売れますよ」ということだったのだが、お昼近くになってやっと売れ始めた。昨日に比べ今日は比較的涼しかったようだった。1時まで3時間がんばって帰ってきた。身体がだるくて、昼寝をしてしまった。夜は、視察の写真でアルバムを作り、アップするために時間を費やした。視察報告も書かねばならない。ふ〜〜。
6日(土) 今日は朝洗濯をし、家事に励んだ。昨日までの強行軍で本当に疲れてしまった。でも、1時からサピオで氷水を売るボランティアをすることになっていたので、身体に鞭打って出かけた。車がないのでタクシーで出かけた。なんと1380円もかかった。1円のお金を貰わないのはいいが、持ち出しは辛いなあ。障害者の人たちと組んでたくさん売った。メンバーさんは売れて楽しそうだった。私も嬉しそうな顔を見て嬉しくなった。

夫は娘を松原湖キャンプまで迎えに行った。渋滞に巻き込まれたということで朝8時前に出かけたのに、夜8時過ぎに帰ってきた。それでも、花火を見られて、夫も娘も息子達も嬉しそうだった。娘に浴衣を着せたが、帯の結び方が分からず、困った。もう何年も浴衣を着ていないもの。
5日(金)
31200カウント
今日は朝10時から神戸市立王子動物園に行って来た。サポーター制度の勉強にいったのだが、館長さんには昨日の富山の館長さんもそうだがお世話になりました。本当に感謝です。年間00万人以上の人がやって来る動物園で、収入も4億円もありながら(経常支出も11億円と多いこともあるが)、1億円の工事費が出せず何年かに分けて工事や改善を行っていくと言うことであった。だからこそ、サポーター制度なのだろう。財政規模1兆円の政令都市でも財政難は付きまとっている。私はこのサポーター制度に注目している。都市公園法にも触れないそうだから、ドンドン狭山市でも導入できたらよいのではないかと思う。

狭山市のサル山はどうにかしなければならないと思う。その費用をどうするか。王子動物園のようにスポンサー探しをするのもよい方法だろう。館長も係長も、本庁の幹部連中もそろってお願いに出かけたというのだから、頭が下がります。そうそう、富山の館長さんも「学校などに営業(実際はこども無料なのでお金にならないのだけれど。)に行きます」とおしゃられていた。私は人が来てくれなければよい動物園ではないと思っている。どんなに素晴らしい動物園でも人が見に来なくなったら、それは研究機関になってしまう。動物園の使命の大きな1つは多くの動物が命を分かち合いながら生きていることを人間に知らしめるという事があり、私は動物園は大学の動物学とは違う意味を持っているんだと思う。

行動展示の理念の下旭山動物園は頑張っている。富山だって飼育展示員が頑張っているのが私に伝わって来た。王子動物園も行動展示なんて館長さんは言いもしなかったが、実際はサル山のやぐらの組み方を高くして、猿が神戸を睥睨できるようにしてあった。猿は高い位置から見下ろすことで精神が安定するのだそうである。アザラシだって元気に泳いでいるのを水槽の横で見ているのは迫力があった。不思議だが、生き生きしている動物を見ているのは幸せな気持ちになった。やはり、暑くて木陰でひっくり返っている動物や隠れて見えない動物を見に来ているわけでないなあと思う。動物の営みが見たいのだ。

「動物は食べるために生き、食べ物を取るために動くのですよ」という。動物園の動物は食べる心配がないから寝ているだけなのだ。象は口が肥えてまずいりんごは食べなくなってしまっていると園長は苦笑いしていた。檻の中の動物で移動だってママならないのだから、せめておいしい食べ物を食べさせてやりたいと飼育係は考えているようだ。でも、おいしい食べ物を食べて寝ている動物を見ていて何が楽しいものか。動物園の中の動物の営みがただ食べるだけというのならば、その時だけでも見ていたいということで、旭山のもぐもぐタイムが始まったわけだ。サル山に食べ物を隠して探させるようにしたわけだ。

今日、私は王子動物園の石川園長さんの説明を聞きながら、至福の時を持った。本当に楽しく動物園を回った。私はもしかして動物園を愛し始めちゃったようだ。最長寿の象の諏訪子さんの前で彼女がもう自分の檻から出るのを嫌がるようになった話を聞き、表に回って仲のよい1対の象を見た時、きっと諏訪子さんは若いものとの違いに戸惑っているかなあと思ったりした。死んだ小象のももちゃんが生まれた産室、死んで空っぽの小象部屋やプレイグランド。助けられなかったことを淡々と園長さんが話してくださったのを思い出して、園の皆がどんなに小象の誕生を喜び、また、死なせてしまった悲しさにくれているが伝わってきて、胸がふさがるおもいだった。教育館の中に死産した赤ちゃんの象が飾ってあったが、ももちゃんを剥製にしていなかった。できなかったんだろうなと思った。命に関わるというのは研究という冷徹なメンもあるだろうが、やはり感傷といわれようが心が関わるのだとつい思ってしまう。ももちゃんの思い出に象のマグネットを買ってきた。

私は園長さんに私が伺ったようなことを本に書かれたら良いのにとお話した。謙虚な獣医さんの園長さんだから自らはしないのだろうと思ったりした。でも、本当に動物を愛しているのが伝わる説明だったのだ。シマウマのところに行った時、シマウマは私なんか無視していたが、園長が優しい小さな声で名前を呼んであげたら、やってきて挨拶をしていた。動物との通い合うものを見ると感動する。そこが分かる動物園がよいなあ。

園長さんのお話の中で、社会的な生活がないと種の保存ができにくい話を聞いた。さっきの象は夫婦だけしかいない動物園では子育てができないのだそうだ。お母さんは子供を生むが、育てるのは実は群れの中の年取ったほうの象なのだそうだ。ももちゃんだって母親に虐待され、人が育てていたのだ。核家族は子育てに向かないと聞き、人間世界のことを考えた。人間だって、社会的な動物。核家族では子育てできずに少子化だ。社会的な子育てシステムを作るしかないのだと思った。

4箇所の素晴らしい動物園を視察した。分かったことや狭山市でするべきこともなんとなく理解できている。後、2,3箇所できたら視察したいと願っている。狭山市こども動物園の皆さん、私は応援団長にさせてもらいます。
4日(木) 今日は、朝6時に起き、7時19分発の電車で富山にきた。富山駅からタクシーで3200円。富山ファミリーパークにやってきた。この動物園は旭山動物園とは違う意味で動物園改革に熱心である。飼育員がここでも飼育展示係として自分で名前を出して展示物のパネルを出し、説明書を書いている。展示の仕方も行動展示を心がけ、もぐもぐタイムを実施ししている。でも、動物園としてはとにかく施設が古く、内容はとてもよさそうなのだが、何かが欠けている。広すぎる敷地に転々とある動物小屋、どうして旭山の時のようなときめきを感じないのかと首をかしげてしまった。動物と人間との接点を感じないし、動物の営みを共有できない点にあるのかも知れない。

一方、学ぶべき点は、ファミリーパークの概念を動物園と狭義に捉えるのではなく、ネーチャー ラーニング センターをいう風に解釈しているような点ではないかと思う。市民が多様なイベントや講座や事業でこのパークに関わっている。友の会、生き生き生き物クラブ、炭焼き、植物図鑑など、参考になる事が多かった。大人も来る動物園をいう命題を掲げているといっているが、動物と人間との接点を多くするのだということで、空き田んぼで蛙や亀や虫を捕まえるわいわい田んぼを1年に何べんも行っている。こういう風な動物園のありかたもあるのだと思う。何もパンダやコアラにこだわるよりも、地方の動物園としてこんな道もあるのだなあと思っている。生涯学習の拠点の1つということか。フ〜〜ン。
3日(水)
31100カウント
昨夜、雨が降っていて耳慣れない音がしてよく眠れなかった。それで朝ゆっくりしていた。又、読書。疲れが出てきて、気力なし。それでも、お昼からはお掃除をして、別荘を出る用意。1時半過ぎ、娘のキャンプのある松原湖高原まで娘を送って行った。松原湖は標高1200メーターもあり、私達のところが1000メーターだからもっと涼しい。娘は毎年ここのキャンプに参加している。楽しい事がたくさんあると思うけれど、発作など起きないことを祈っている。

その後、直江津に向かって車を走らせた。明日は7時19分の電車で富山ファミリーパークに行くのだ。途中、小布施で眠くなり止まって眠った。着いたら7時。3時過ぎに松原湖を出てきたので、4時間近く運転したことになる。私は電車の旅の方が好きだ。
2日(火) ひたすら、読書。本当は草刈をするべきだが、腰も痛めたくないし、気力がわいてこない。疲れていたのかなあと思う。涼しくて、クーラーも扇風機もないのに全然暑くない。下界は暑いとか。本当はずうっとここにいたいとおもうが、娘と2人ではちょっと怖い。
1日(月) 佐久にある別荘に着いた。途中、下荷田で下りるところ、富岡で下りてしまい、大回りしてしまった。娘と2人で広い家にいると少し怖い。

現在メールがあった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。