私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
9月 私の独り事
30日(金)
33500カウント
今日は朝から原稿を印刷したりと忙しかった。11時過ぎ、娘といっしょに川越の養護学校に学校見学。卒業生15人中11人までが一般就労したという話を聞いて、この学校に行けたらよいなあと思ったが、倍率3倍とのこと。難しい。それでも、女子学生がほぼ半数と聞いて家の娘もここに入れたらと一層思った。というのは、障害児はどういうことか男が多く、今年は中学校の特殊には彼女しか女はいないのである。だから、どこかで気の会う友達を見つけてほしくとも中々見つからないのが実態なのだ。

学校から帰ってきたら4時近かった。私だけ役所に寄ったら、「今、助役が解職されたファックスを入れました。」との事務局の話。私は、家にいなかったので、寝耳に水。何で辞職でないのかという素朴な疑問があった。議会の中では助役と市長との不仲は取りざたされていたから、そういう状態では市長は辞職を求めて、自分の思いを市政に反映しやすい助役を求める方がよいのだと思う。変なたとえかもしれないが、「私はあなたと一緒にことにあたってもうまく行かなかったから、他の人と組みたい。だから、分かれれほしい」といわれた時、自分に瑕疵を認めないほうは、「私に何にも落ち度はありません。何で分かれなければならないのですか」と開き直ったのだろう。実際、助役に瑕疵はなかったかもしれない。

だから、解職。辞職しなかったからこそ、解職なんだろうが、助役という職務は時には市長代理をすることはあったとしても、市長が任命(議会の同意をうけ)した市長を支えるパートナーなのだ。市長が「あなたとはやっていけない」と言えば、瑕疵があろうがないだろうが開き直ってどうするのかと思う。市長は10月からの節目を持って助役を解職した。解職しないでいやいやそのパートナーと仕事をして狭山市がうまく行くだろうか。パートナーとの信頼関係が崩れたからこその解職だろうと思うが、パートナーに自分の思うことを託せなくなったら、結婚だってなんだってお終いだものね。結婚なら対等な関係だけど、市長と助役は主従とは言わないが、上下はある。上役の言う事を聞かない(と少なくとも上役が思ったら)その部下は使えないよね。

市長の方から見て解職は分かったが、助役はどうして解職されたかったのだろう。辞職だろうが解職だろうが同じでないという理由があるのだろうか。解職されたのだから、もう今の市長に義理はないとでも言うのかなあ。市長と政治的に反対の立場に立つ人の方へまさか情報は漏らさないだろうね。現職中に知りえた情報のすべては公務員は漏らしてはならないはずだ。まさか、まさかと思うことは多いが、解職させた事が何か、市長に傷つけることだと思ったのだろうか。確かに、自分に瑕疵はないと思っているのに、(自分は十分仕えていると思っているのに)別れ話をされたら、相手を傷つけてやりたいと思う人もいるかもしれないもの。でも、相手に三行半を書かせる意味をまだ私は良く理解できない。彼にとって何かメリットがあったのかなあ。

野球母の会があり、夜中まで楽しんだ。(*^。^*)
29日(木) 今日は朝から家事に精を出した。洗濯物はたくさんある。手洗いのものあり、夏物の洗濯は後もう少し残っている。浴衣をどうしたものか。

午後に子供の写真を持って市役所に行った。障害者手帳の書き換え、その他。障害が重くなったので、あれこれと手続きがあった。支援費のこと、医療保険のことなど、色々な福祉のメニューがあったがよく分からないところも多々ある。それでも手厚い保護がなされていると思う。狭山市として単独の補助もあって嬉しい限りである。この子供を養女する時、「子供にどのくらいのお金が掛かるか考えた事があるの」と友達に言われた。私は女の子が授かってただただ嬉しくて、後はどうにかなるさという脳天気そのものだった。今、娘は障害者だったから、心配な事を言い出したらきりがないけど、年金と生活支援と成年後見制度をちゃんと付けてあげれば、私達が死んでからでも彼女は生きていけるかもしれないと思う。彼女は働けないかもしれない。でも、国が彼女を面倒見てくれるだろうと思っている。

今日、あるブログを見ていたら、“頭が生理痛になっちゃう”という表現を使う人がいてうまい事いってるなあとおもったが、生理がなくなった人(たとえば、残念ながら私のようなおんな)は頭が更年期になっちゃうというべきかなあ。すなわち、重苦しく、血圧が時々上がるから時々頭が痛くなり、熱くなったり汗をかいたり・・・・・・要するにうっとうしいということ。だとしたら、頭だけでなく、戦後60年も経って、日本中が更年期になっちゃったという感じじゃありませんか。要するに国が中年を超えちゃったということ。なんとなく、「日本が更年期」なんて表現は団塊の世代がリタイアする日本を象徴しているようだと私は思っちゃっています。どお?

本を読めない。ひとりきりになる時間がない。出かけようと思うと息子が車を使っていて出かけられない。すごいストレスです。
28日(水)
33400カウント
44444まで後何ヶ月掛かるんだろうか。33333を心待ちにしていたので、また長い道のりをいかなければとため息をついています。まあ、ばかばかしいことでしょうが、実際そう思うんで。

今日は朝から印刷をしたり、議会レポートの原稿を直したりして過ごした。後からは後援会ニュースの「高橋ブラクソン久美子とすすむ会ネットニュース」の原稿を書き始めた。肩がこり、頭が少し痛い。だから、寝ます。おやすみなさい。
27日(火)
祝33333カウント突破
今日、夜自分のHPを覗いたらなんと33333カウントを軽く突破していた。まだ、誰からも33333カウント突破のメールが届かない。お願いですから、ゲットした人はメールください。

今日は朝は萩山に行き、娘の薬を作ってもらった。診断は11時には終わり、11時過ぎに会計を終わらせたのだが、薬屋が1時間以上手間取り、狭山に帰ってきたのは結局1時半過ぎ。お昼は所沢で電車町の間に狭山蕎麦を食べておしまいにした。

1時半に急いで役所の市街地整備促進特別委員会に傍聴に行った。この前、一般質問した西口の関係のことが中心であった。内容は目新しいものがなかった。私は基本的な事については賛成で、推進の立場を取っているが、部分的には異論がある。でも、多くの地権者と話し合った結果であったら仕方ないと思うけれど、外に通路を置く街の作りには賛成しかねるなあ。クリーム色を使った街の明るさはまあまあだけど。小田急線の恵比寿のような賑わいをというが、私はあんまりあのような街づくりが同じような建物を作っても出せないと思っている。でも、若い人の溜まり場になれれ場よいけど。それに、ガラス越しに中が丸見えのビル。中年の男が好みそうな建物。ダサいと思わないのがダサい。中のことをああした方がよい、こうした方が良いといい始めたら限がないけど、言いたいことばっかりである。

さて、計画に対してはこのくらいだが、委員会の進め方にはもう開いた口がふさがらない。何を考えているか分からない委員がねちねちと質問し続けていた。基本構想段階のことを部長に詰め寄ってどうするのだろうと思う。権利者のために話しているような人もいた。数字は出せないというといちゃモンをつけているのかと思う発言をする。再開発に反対するつもりなのだろうが、いまさら何を言っているんだろう。共産党だって、プロジェクト21だって、都市計画決定に賛成したのではなかったか。すなわち、再開発事業そのものに賛成したのでしょ。それを、いまさらあのような質問をする意味が分からない。お得意のやっぱり考えを変えたって奴?!

委員会の持ち方もおかしいのではないかと思う。多くの委員の意見も聞かず、いまさらとしか言いようのない質問を許しているなんて。もっと前向きな話し合いができないのかと苛立ってしまった。意見を言うつもりのない委員なら辞めて、私を委員にさせたらよいと思った。私は言いたい事がたくさんありますからね。

西口再開発をさせないで誰が得をするのだろうか?マンションと作ったって今はそれほど売れないだろうし、それに今日聞いて驚いたけど、入ってくる固定資産税は1500万円ほど。北田ビルに入っている公社だ乳幼児情報センターだを西口に持ってきただけでも、そのぐらいになる。それに、何べんも言うようだが、利便性の高いところを一握りのお金持ちの住むマンションなんかを建ててあげる必要は全くない。中央公民館のほうが全くよい。考えて見れば、中央公民館を建て替え、乳幼児情報センターや男女共同参画、市民活動支援線センターを作るのに60億円は掛かるだろう。あったりまえだ。

ランニングコストのことを話していた。5100万円が高いか低いかということだったが、今の行革を進めて行けばそのくらいのお金は捻出可能である。先ほど、財政課長が今年は10億円ほど収入が少なくなるといっていたが、今までその法人税が大きすぎたのだ。そもそも10%も上乗せする補正予算が組めたほうがおかしい。普通の財政状態になっているのに、危機感ばかりあおるやり方は好きでない。だから、私に狼おじさんといわれるのである。
26日(月)
33300カウント
今日は、中学校の体育祭があった。その前に、約束していた小学校での読み聞かせ。バッテリーの解説を読んであげた。よく耳をそば立てているのが分かった。2学期の小学6年生には難しい内容かもしれないが、子供に媚びずに読んであげた。反省会に出る間もなく中学校の体育祭へ来賓として出かけた。まあ、とにかく忙しいことこの上ない。

午前中、成人教育でバザーの品物集めをしたりした。11月19日に今度はこの学校のバザーがある。あ〜〜〜〜。午後は娘の演技を見たりして、3時半過ぎに役所に行った。議会だよりの自分の原稿に更正を入れたりしてきた。カットのキャプションもうまくは行かないが、まあしょうがない。

夜、車を買うことにした。軽だ。母はジャステンがバイクでなく、車を運転する事になると喜んでいた。私のミニカをジャステンにあげることにしたからである。問題は駐車場である。3台をどう駐車できるか、それが問題なのだ。もっと大きな家に住みたいなあと思う。
25日(日) 今日は聖望学園の文化祭。朝、礼拝に出席するために7時半に家を出た。例年通り、出席者は少なかったけれど、行ってよかった。日曜日に行事を入れるならば、絶対礼拝を学校が用意すべきだと思う。それにしても、生徒や学生の出席が少ないのが気になるが、自主的に出ているから仕方ないのかなあ。どのように、礼拝に出席するようによびかけたのかしら。

バザーの本番の日である。私は洗剤販売係だった。昨日、100円セットや200円セットを作っていたので、今日の売り上げはよく、一番に完売してしまった。それで、花屋さんをお手伝いして、それも完売した。午後1時過ぎからは音楽部コンサートバンドの演奏を聴いた。スターウオーズは思ったよりよかった。でも、本当に難しい曲である。ベルの演奏を中学棟に聞きに行って、その素晴らしさを堪能した。中学生がレストランをしていたので、お茶をして帰ってきた。疲れ切ったが、ご奉仕もできて満足。
24日(土) 今日は朝、雨が土砂降りだった。それで、中学校の体育祭が延期されてしまった。娘はがっかりしていた。それで、久しぶりに朝寝を楽しんだ。おきて、急いでブランチを食べ、聖望中学校へ。今、聖望学園は文化祭をしている。明日はバザーがあり、私はバザー実行委員なのだ。今日は値段付けに忙しかった。私はどうしても安く値段をつけてしまう。とりあえず、残らず売れることを願っているのだが。5時前に一応値段ツケを終えて帰宅。

途中支援者のお宅に寄ったら夕御飯を食べていて、私もご相伴してしまった。総選挙の結果の話をしたりして、暗い気持ちになった。その後、うちに帰り、夕食を作り食べさせた。何か楽しい事がないかなあと思っている。
23日(金) 今日は休みの日のはずだが、スタッフが1時に集まり、議会レポートの編集に精をだした。夕方近くまで掛かった。これで表面はできた。後は裏面。私が原稿を作り上げなければならない。

夕方、急いで夕食をつくり、着替えて友人の前夜式に出た。お葬式の前の夜に礼拝をする。それをキリスト教では前夜式という。彼女は狭山台教会に長い間通っておられた。2年前に狭山台教会が閉鎖され、いのちの樹教会に移られた。私は狭山台教会に伺う事も多かったので、お会いする機会も多かった。私が議会で質問しているのをケーブルテレビでご覧になっていたようで、祈っていただいていたと思う。「議会にクリスチャンがいるべきです」と私が議員になった事を祝福してくださっていた。時には、普段着ている洋服で一般質問したのを見つけられたこともあった。知らないところで多くの方々に祈っていただいて私は仕事をしている。

私にとって彼女は尊敬していたクリスチャンの先輩だった。足が悪くても教会に来る事が唯一の楽しみだった。入間川病院に何べんかお見舞いに行ったが、最後まで頭はしっかりなさっていたように思う。夫とともに、またお見舞いに行こうと言い合っていたのに行かないうちに天国に旅立ってしまった。お棺の中できれいにお化粧してもらって、私は嬉しかった。なんだか、彼女がとても喜んでお連れ合いのいるところに行かれたような気がした。天国にまた友達が行った。ドンドン知り合いがあちらに旅たち、いつか私達もそちらに行きたいと思う時が来るのだろう。寂しいけれど、それまでのお別れって言う事。クリスチャンでよかったなあと思う。
22日(木)
33200カウント
なんだかカウンターのほうの動きが活発になってきました。33333はもうすぐです。是非、ゲットした人はお知らせください。景品をあげられないのが残念だ。でも、何かメモリアルの事をしたいけど、何をするべきでしょうか。4年もかかってやっとですからね。

さて今日は、入間基地の見学に行って来た。西中の成人教室。9時45分に集合のようだったが、私は少し遅れた。その上、申し込みしてなかったというのだが、したと思ったんだけど。遅れたので、お迎えが来てくれて、久しぶりに黒塗りのクラウンの後部座席に乗せてもらった。お迎えにきてくださったのはグリーンハイツの時のご近所の方だった。大変恐縮してしまった。私は人の顔を覚えるのが出来ない。今日はバッチをはずし、一保護者として行ったのだが。

基地の中の記念館を見て回り、胸がつぶれた。私は国を左右する立場にいるわけではないが、第2次世界大戦の無茶な攻撃、アメリカとの戦争に入ったことの無意味さを嫌というほど感じた。やたら精神主義で前途ある若者をただただ国のため家族のためと勝算ないのに、特攻に駆り立て、むざむざと殺し続けた軍部の中枢の馬鹿どもを心から憎んだ。敵は科学の力で初めから暗号を解読し、準備していたというのに、挑発に乗るかのように戦争に入るとは。我慢できないくらいの屈辱だったのだと説明者は「自虐史観」を批判していたが、だからといって勝算のない戦争にまい進し、戦争をやめる時期を逸し、若者を消耗品のように殺し続けたのは、自らこそ精神力がなく、事実に面することのできない腰抜けドモ、阿呆ドモが陸軍に多かったのではないかと思う。指導的な立場にある人が命を大切にしないのでは、国民が広島、長崎、東京、それに私の故郷長岡で丸こげになって死んでいったのも無理はない。それにしても、戦争はしてはならない。

弾薬や弾頭もみた。何億円、何十億円という。高射砲は一分に100発も発射できるそうだが、1発4000円だそうだ。それだけでも、戦争とはお金のかかる、いやお金を消費、浪費するものだと変に感心した。あの大国アメリカだったとしても、長い間イラクに10万人も兵隊を出している。そして、一発4,5億円もするミサイルを何発も発射している。国力が疲弊していくのではないか。1900人もの若者がイラクで死んでいる。アメリカが徴兵などにならない事を心から願っているが、今日は特にそう思った。記念館を見ながら心の中にむらむら怒りが沸いてきてたまらなかった。政治家の端くれとして、どのような屈辱を受けようが、どのような困難にあおうが、絶対戦争はしてはならない、阻止するようにしなければと心に誓った。

昼食を食堂でいただき、輸送機を見せていただいて帰ってきた。航空自衛隊って何をするのかなあと今もってよく分からない。空中戦をする時代ではない。飛行機で爆弾を落とすだけか。今はパトリオットのように迎撃ミサイルがあれば、飛行機すら必要ないのかもしれない。輸送が主なのかなあ。2時過ぎまで見学したが、そのところはぜんぜん分からないまま、帰ってきてしまった。

最後に訓練中の兵隊さんを見た。女性もいた。「男女の区別はしません」ということだった。女性兵士に「頑張れ、男に負けないでね」と心の中でエールを送った。ところで、政府専用機のスチワーデス兵士の話を聞き、ここでも私の心は苛立った。今時は、民間会社でも男女平等でスチワードも同数いる会社が多くなっている。接客は女と思うのは1世代遅れていると私は思うのだが。とにかく今日は、色々考え、怒り、悲しみを覚えた見学会だった。
21日(水)
33100カウント
今日は9月議会の最終日だった。なんだか荒れた議会だった気がする。まあ、総選挙真っ只中の議会のせいでもあったのかも知れない。私は一生懸命議案の勉強をし、平素どおり質問するべきところはし、糾すべき所は糾し、提案すべき事は提案した。もっともっと勉強すれば、もっとよい質問が出来たかもしれないが、あれが私の実力だろう。歯切れよく、分かりやすくお話できればもっとよいので、改良する余地がある。

今日は午後開かれた議会だより委員会がかなり紛糾したが、最終的には意志統一できてよかったと思う。“実は・・・”と内容を書きたいところではあるが、この際言わない方がレディーのすることと思う。とにかく、議会にとっても市民にとってもよい結論であると私は思っている。

さて、女性用トイレが議場近くに1箇所しかない。休憩が5,6分しかない時は込み合う。できれば、もう一箇所ほしい。男性はあまりトイレに時間が掛からないが、女性の場合男性の2,3倍の時間が掛かる。(お化粧なんかしなくても)今までは、女性が少なかったから男性と同じ数で足りたのだろうが、できれば休憩の時間を少なくとも10分取るか、もう1箇所議場近くで洋式トイレがほしいと願っている。こんなこと、一般質問で要望もできないし、議長に申し入れする事なのかなあ。トイレの悩みは決して小さくない。
20日(火) 今日は朝久しぶりに中学校の図書ボランティアに行った。六月議会で学校図書館で古い本が一杯で、廃棄処分をしていない学校があるといった。西中学校もその1つで本が112%だったかの充足率だった。それで、今日は廃棄処分のお手伝いをした。「結局、自分で言った事は自分ですることになるんだね。」とぼやきながらも楽しくボランティアをした。本当に嬉しい時間なんですよ、このボランティアは。いっしょにやっている人も、もう何年もしている人で気があっているせいもあるけど、もっともっとお手伝いしたいなあ。

午後は役所に来て、資料請求の用紙を書き入れたり、議会だよりの原稿を書いたりした。夕方銀行により、息子の学費のためにお金を引き出し、学校に納金した。珍しく御飯を作り、皆で食べた。
19日(月)
33000カウント
今日は朝からのんびりとしていた。少し、かび臭くなっていたじゅうたんや布団などを次々に持ち出して、干した。夫は、またもや雑草を刈っていた。私はレースのカーテンをつるしたり、暖簾を掛けたりもした。帰る直前には、サツキの選定をした。アブもいるし、ブヨもいるし、蜂も元気だし、毛虫はいるし、イモリだかヤモリだかもいるし、、、、自然は一杯。今年初めて、ブルーベリーをちょっと収穫。栗も少しだけ拾った。柿を植えてみるのもよいかなあなんて思った。10年前に植えたりんごは一度も収穫した事がない。スモモは残念ながら、できる時期に行っていないのか、しなびた実が木についていた。また、鳥の餌になってしまう。

農作業は生まれてこの方やった事がない。まあ、ガーディニングと称して野菜を何本か植えた事があったけど、虫の餌にしてしまった。それ以来、ナスもピーマンも作った事がない。家の近くの人が「食べたかったらとってもよい」といってくれているので貰う時もあるけど、食べきれない事の方が多い。ここを買って15年になるけれど、延びるのは雑草と木々。自然との闘いの厳しさに、時にはうんざりしてしまいます。それでも、素晴らしい空気と木々の緑に癒されて帰ってきます。別荘を持っていることに少し飽きているけれど、まだまだギブアップしたくないなあって思う。お百姓仕事が好きなら、きっともっと別荘ライフを楽しめるだろうにと少し残念です。
18日(日) 佐久から直江津の親に会いに行った。敬老の日を前に、生きているうちにできる限り会いたい。それに、母は昨週退院したばっかり。37キロまで痩せたといっていたが、今日は少し太ったといって喜んでいた。でも、夕御飯に食べたのはお寿司5個とカボチャ一切れ、これでは太るわけがない。「まずい」といいながらも、父の命令で養命酒を飲んでいた。まあ、昔からのものだから、きっと効くと思っている。本人は前から比べればとても元気になったつもり。よかった。夜、御飯を食べ、お風呂に入れてもらってから、佐久に戻った。車で2時間ほど。実家に近いので佐久に別荘を買ったのだ。

佐久は涼しくて、朝、夫と散歩に出たが、夫はセーターを着込んでいた。ヒーターの調子が悪いし、ボイラーの火がつかない。築後10年もするとあちこちがダメになってしまう。困ったなあ。
17日(土) 今日は朝水富小学校の運動会に出席した。息子が卒業して、早2年。でも、そこここに知った子供たちがいる。まあ、息子の同級生の弟や妹達。その上、保護者だっていっしょにPTAをした人もまだたくさんいて嬉しい。そういえば私も駐車場当番したなあなんて思いながら、車を止めた。水富小学校の後は笹井小学校へ。その後、広瀬小学校へ行った。どの学校も、息子や娘を卒業させていて、自分の学校のような気がする。変?

こども達は熱い日差しの中で一生懸命かけっこをしたり、踊ったり。小さい子が頑張って走っているのは見ていてた。だただ可愛い。水富小学校は一応すべて改修を終え、校長先生が喜んでいた。学校図書館の整備をお願いした。笹井小学校の方は、なんとなく距離ができたようで寂しい。広瀬小学校は今年耐震設計が始まるのをPTAの人たちが喜んでいた。よかったね。広瀬小学校は樹木が茂りすぎていて気になった。体育館の屋根を押して伸びている木々。これは早くきってやらなければ。雨漏りしているところもあるとか、見に行こうと思う。

午後は、少し休んでから佐久の別荘に出かけた。途中、レストランによってスープを飲み、スパゲティを食べた。気分が悪くなって、もどしてしまった。疲れすぎたかな。
16日(金) 今日は朝から議会レポートの原稿を書いていたが、中々進まなかった。今日はまだ2面の半分も終わっていない。書くに当たっては、間違ってはいけないので役所に電話して正確を期している。

ところで、33333が近づいてきた。ゲットした方は連絡くださいね。私は実は32900カウントをゲットいたしました。ぱっとHPを開いて32900カウントを見た時は小さな感激があって、画面をじっと眺めました。嬉しかった。
15日(木)
32900カウント
今日は、朝から議会レポートを書いていた。議会だよりのことも心にずっとひっ掛かっている。3時過ぎまで書いていて、頭が痛くなり、横になったら眠っていた。でも一応1面は書いたので、後2,3面を明日書き上げればよいことになっている。

佐久の狸の話ですが、お前が狸だなんていっている人、いるんですってね。ふん、私は捕まえられる尻尾も、出す尻尾もない、軟弱な奴なんですよ。体型はやや狸がたですけど・・・・とほほ
14日(水)
32800カウント
今日は、朝母が電話を掛けてきて、所沢の伯父さんが危ないとか言うので、委員会が終わった午後に、たずねてきた。もう、寝たきりでいるのかと思ったら、伯父さんは元気でよかった。死んでしまうかと心配したが、85歳としたら元気のほうだろう。それにしても、話ができる時に会いに行ってよかったと思った。「お葬式は、呼ばないよ」と言っていた。それでも、良いと思った。今度は、こどもを連れて行くことにしよう。大勢にあっても大丈夫のようだ。

委員会のほうは、活発に質疑がなされた。様々な考えがあったとしても、建設委員会は和気藹々としている。議会として、チームワークができている。執行部としては、少しやりきれない場面もあったのかもしれないが、そつなく答弁して良かったと思う。

忙しくゆっくりできない。週末が楽しみである。少しゆっくりしたいと考えている。別荘に行きたいと思う。ところで、佐久の別荘に来たい人は、鎌を持ってついてきてください。くぬぎ山に行かなくても、佐久の我が家の裏庭で森林浴をかねて、草刈をさせてあげます。楽しいのよ、蚋(あぶ)と蜂(3センチもあるのがいる)と蟻(噛まれると痛い)と蛇(大蛇はいません)とがいなければね。そうそう、山栗もできているかもしれないので、リスが食べてしまう前に、取りに来てください。狸はいるそうですが、昼間はうちには出てきません。心配なく。
13日(火)
32700カウント
今日は委員会での審査。朝、視察し、午後からは審査。4時過ぎまで掛かった。皆一生懸命審査している。傍聴してもよいのですから、見てもらいたいなあ。建設委員会は副委員長が2年目の建設委員だが、他の人はベテランが多いので少し詳しく、突っ込んだ話が多い。年配の方の質問は聞いていても、「ああ、そうか」と思う点が多々ある。

夕方、街づくりの方へ寄って勉強をさせてもらった。何年やっても、わからない事が多い事。また、忘れてしまっている事も多い。

ところで、私は小池百合子さんにはなれない人だとつくづく思う。姿かたちは勿論なりたくたってなれるわけはない。誰に言われなくても、私もそれは認めます。体重が20キロほど違うからね。ただね、私はたいてい大勢に付くほうにならないんだなあ。合併だって、精一杯合併のために頑張ったつもりでも、結局は少数派だった。今回の自民党の事だって、圧勝すると分かっていても、「少し考えてよと」いうメッセージを送った。議会でも、一人でいる。自分の居場所が楽になるように、動けない。器用に生きられないのだ。時代の流れが分かっていても、わざと乗るのをやめてしまう。まあ、そうした方が自分自身の精神状態がよいのだから仕方ない。私には神様がいるので、世間の動きに合わせて動くというより、神様の言う同じ方向だけを見ているということである。振り子はゆれるけれど、軸はしっかり中心にある。軸の方を見ていようと思っている。小池百合子さんのように、生きられないなあ。
12日(月) 今日は議会で一般質問の3日目。共産党の人2人が開発関係の話をしていた。西口に関しては、もうどんな事業手法を使うかという話はさすがに終わってしまった。補償や生活再建に関しての話が多くなっていった。いまさら、再開発事業業でなくて、買収方式がよいだの、組合施行がよいだのと議論しているのは、時期としておかしいのだ。

動物園の話は進展なし。子育て支援もセンスが必要。

ごごは、議案の勉強。帰ってきたら7時ちかくでした。今日の朝ベッドに入ったのが、3時過ぎ。変に興奮していて、眠くもない。今朝、快晴だった。青空の下、議会に行くため車を運転していたのだが、(日本を心配していても、たとえ何があったとしても日はのぼり、時は過ぎていくのだ)と思った。だから、私は何をしよう。いつものように、一所懸命仕事をしていればよいのか、心の中は落ち着かない。
11日(日)
32600カウント
今日は、12日というよりすでに13日に入っている。総選挙の結果を見ていてこの時間になった。自民党の圧勝。予測どおりである。民主主義、とくに安全弁のない小選挙区では良くありがちな一方的な勝利であった。私は、この自民党が新保守的な思想で突っ走り、国民を熱狂的に愛国的、民族的なほうに引っ張っていく事を懸念している。

私は、小泉政権をとても危険な政権だと思っている。もっと危険な政権は安倍晋三さんのほうだと思っている。小泉政権は今やアジアでは孤独な外交の道を進みかけているが、安倍さんになったらもっと極端に独自路線となり、孤立化すると思う。アメリカとの関係すら、私は損なわれていくのではないかと心配している。ブッシュ政権だって今は台風の事があり、危機的な状況だ。小泉首相に一顧だにする時間も余裕もないだろう。また、小泉首相だって、もうそんなブッシュにすがりつくようなまねはしないだろう。プライドの高い小泉首相は日本をどこに、どのように連れて行くのだろうか。

内政にしても、女性バッシングが始まるのは必至だろう。とても賢いエリート女性は別かもしれないが、庶民の女はパートさん以上の価値は与えられないだろう。税金は上がる。年金制度は破綻するまでほっておくだろう。そして、小泉さんは1年後には首相を辞めて、安部さんがもっと怖い憲法改正で国民投票をするのではないかと思う。もう、国民は郵政民営化総選挙をしてしまったので、1つの事で国民投票することをなんとも思わないだろうし・・・世界の誰も日本が軍事力を高め、つけつけと自己主張だけする国になってほしく思ってはいないのに、いつの間にかそんな国を作っていくのだろう。

ヒットラーだって国民から熱狂的に迎えられたのだ。国民は彼を喜んだのだ。後で、反省しても遅かった。日本もそうなるんじゃないかと心配である。国民をそう馬鹿にしてはいけないよという人も多いだろう。でも、今回のヒステリックな状態を見ていると、私には異常としか見えないのだ。たいてい、私の見通しは正しい。心配で心配でならない。謙虚で上品、丁寧で清潔好きの日本国のままでいようよ。いや、そういう国にしましょうよ。ね、小泉さん。

ところで、息子と初めて選挙に行った。息子にとって生まれて始めての選挙だったのだ。親子でも投票するまでは、相談なし。何はともあれ、こどもの成長が嬉しい。
9日(金)
32500カウント
今日は、なんだかとても嫌な気持ちで帰ってきた。今日は議会で一般質問の2日目だった。まず1人目のS議員の質問の時間に彼の質問の意思にぜんぜんそぐわない答弁が出た。確かに、彼の質問には執行部は答えようとしなかった。不誠実といえば不誠実だが、言えない、答弁できないのだといえば言えない。答弁できない事をわざと聞いたのかも知れない。何しろ、答弁が気に入らないと言って休憩の動議をだし、議長が休憩した。休憩の間、何があったのかさっぱり分からなかったが、とりあえず、30分ほどして再開した。ところがだ。また、答弁が気に入らないと言い出し、休憩の動議を出したが、他の議員は休憩動議にウンといわない、簡易評定では「休憩に異議アリ」の声が大きく、結局採決になり、休憩は否決され、一般質問は続行された。

休憩に関してS議員とI 議員と言い合いになった。S議員は腹の虫が納まらないらしく、自分の一般質問が終わるや、I議員をののしり始めた。「この野郎、今に見ていろ」「何言ってんだ、馬鹿野郎」「おめえなんか・・・」私はI議員の隣に座っているから、S議員がののしっているのが全部聞こえた。はっきり言って怖かった。男同士では平気な言葉使いかもしれないけど、もし私に言われたら恫喝というか、脅迫めいた言葉と思う。私の夫は、歯がゆいほどきちんとしつけられた紳士で、決して汚い言葉や怖い表現で物を言う事はない。私は決してお上品な家庭の出ではないと思うけれど、私の家庭ではあんな言葉を使う男性は一人もいなかった。男の人があんな物言いをしたのは、あのDV事件の金沢さんだけで、あの事件がトラウマになっているのでそれを思い出した。私には、今日のS議員は怖かった。本当のやくざさんにあった事がないのだけれど、やくざのような言葉使いだと思った。そういう物言いは止めてほしいと心から願った。

議場で自分の思うように事が運ばないのはよくある話である。私だって何べん執行部や市長、はたまた議長や議員に腹を立てたか分からない。何べんがっかりしたか分からないけど、意見が違ったり、コッチの思うように他の人が反応しなくても仕方ないのではないかと思う。力関係やその人に対する評価や様々なことで事柄が変わる。小泉首相もそうだが自分が思うようにいかなかったからといって、あまりにも好き勝手をしてよいのだろうかと思う。

私は無所属の議員だから誰かがかばってくれるとかという事がない。体を張って、議会の中で戦った事が何べんもある。でも、今思うに、それだからこそ見えてきたところがある。1期の頃、山崎滋夫さんが「崖っぷちや刃の上を歩くような経験をしないものに、人生は分からないんだ」という事を言った。議会のせめぎ合いの最中であった。結局、S議員は町田市長のバックがあり、また、彼の政治的手腕もあり、議会を思うようにする事ができた。合併反対にしても、自分の損得だけで、反対に導いた。自信に満ち満ちていた。それなのに、今日のように執行部が皆そろって議場で自分に背いたのには、プライドがずたずたになった事だろう。自分の味方が自会派と共産党だけだったこともショックだったと思う。でも、私はS議員には同情しない。あまりにも下品な物言いにどうして同情できるだろう。

彼は後ほどあった議事運営委員会で自分の行動を謝罪したそうである。“馬鹿野郎解散”もあったような世界だから、あまりにも下品だという事でやはり問題になったのだろうと思う。それに、途中で議場を無断退場したN議員には議長からのお叱りがあったそうである。今日の彼らたちの行動は一体なんだったのかと思う。先々何が目的で今日のような強硬な態度を取ったのか。西口開発を遅らせたいという本心はなんだろう。S議員は合併反対の時、表の理由と裏の理由を使い分けていたようだった。今度は財政が悪いので西口開発の公益部分を止めてマンションを作ればよいと言っているのだが、これが表の理由としたら、彼独特の裏の理由とは一体なんなんだろう。ただただ、仲川市長が気に入らないという事か。そういう事か。
8日(木)
32400カウント
今日、一般質問だった。朝、2時半に起きて、原稿を書きなおしたり、第2質問や第3質問を書いたりした。気持ちが張っているのでできることである。動物園についての答弁はぜんぜん思ったようではなかった。まあ、政治のセンスの問題かなあという気もする。動物園の意義は理解するが、それを施策の目玉にしようなんて思いのない人に、動物園のリニューアルを言っても無駄なんだろうね。西口はあの答弁でまあよし。市民参画推進条例を作り上げ、市民と協働の街づくりをと思わない人が頑張って作りますという答弁にならないのは仕方ない事かなあ。こんなところが町田潤ちゃんと仲川ゆきなりさんとの違いなんだなあ。答弁の違いに、本当にがっかり。潤ちゃんの時は、私が1を言うと3ぐらいの事が帰ってくる事があって、楽しかったのになあ。今は、こちらから資料をあげないと私の言っている意味すら分からないという職員も多いものね。(T_T)

あまりにも期待した答弁でなかったので、気が抜けてしまった。疲れていたので昼寝をしようにも、今日はとても暑くて眠れなかった。食料を買い物に行き、お刺身を買ってきて、ビール一缶を飲んだ。少し、リラックスしたいのだが、ストレスがどうしようもない。一般質問の後の抜け殻症候群と変な後悔が入り混じり落ち込んでいる。

落ち込む原因のひとつは、今晩放送されたケーブルテレビの議会中継。私はデブですね。話もはっきりしてませんね。何を言っているのかといわれるのですが、本当にもぐもぐとしか聞こえません。キレイで、はっきり物を言える人になりたいなあ。アナウンサー養成所にでも通おうかなあ。まあ、キレイの方は無理なのでしょうけど・・・・
7日(水) 質疑はしたが、用意したところを全部というわけに行かなかった。残念。夕方、買い物をして帰ってきたが、御飯を作って食べるだけで精一杯。明日の準備は寝てからと言うことにした。
6日(火) 質疑1日目。火災予防条例改正で家に火災報知器をつけなければならなくなった。お金がかかるし、つけるのも大変そうである。弱者、お年寄りの焼死も多いので、条例改正ということであるから、お年寄りが火災報知器をつける場合には、消防も手助けしてやってほしいものである。帰ってから、歳出のところを勉強。今年は、決算委員でないので問いただしは議場のみ。今日勉強しなければ間に合わない。結局朝3時まで調べた。
5日(月) 議案の勉強と決算の勉強を一日中していた。歳入までようやくべんきょを終え、電話を掛けてきた職員に質問事項をお知らせした。今回は決算特別委員ではないので、議場で聞くべき事はしっかり聞くようにしたい。12時就寝。
4日(日) 今日は午前中、礼拝。午後は美容院。夜は原稿書き。今日は夫が気を利かせて夕御飯を作ってくれた。気持ち的に原稿書きの頭が続いていたので、夜中2時まで頑張った。テレビを見ると、狭山市でも床上浸水、床下浸水もあったようで、これから来る台風が心配である。
3日(土)
32300カウント
今日は午前中に一般質問の原稿を書き始めた。午後は聖望学園でバザーの実行委員会と学級委員会があり、出席した。高校まであるので、私と同年輩のお母さんもいて、ちょっとほっとした。息子は「僕のクラスのお母さんは38とかだよ」なんていうが、「54歳のお母さんで悪かったね」と言い返していた。実際、年の差を感じる事も多い保護者会ではある。(ところで、この学校は古くて保護者会のことを父兄会などという。これは家制度で男だけが家族を代表する時の名残である。)

夜、原稿を書いている時に夫がご機嫌よく帰ってきた。親父の会の人と飲んで帰ってきたのだ。原稿はこれで書けなくなった。一度、気持ちがぶれると、原稿書き戻れない。残念!!
2日(金)
32200カウント
今日は9月議会の初日だった。議案の説明があり、午後まで掛かった。気合を入れて説明を聞いていたが、食事後は眠くなってしまった。議会後、議案の勉強をした。打てば響くような頭のよい役人さんと話しているのは楽しい。
1日(木)
32100カウント
今日は朝ヒアリングのために役所に行き、2時過ぎに帰ってきた。

実は朝に娘が大きな癲癇発作を起こして、痙攣止めの薬を使った。娘は3時間ほどこんこんとねむっていた。いや、発作がおさまらなかったのかもしれない。久しぶりの発作だった。制服に着替えて倒れていた。私は息子の弁当を作っていて、台所にいて気がつかず、夫があまり娘が遅いので見に行って気がついた。昨晩は元気だったのに、いつどんな時に発作が起きるか考えても分からない。

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