私の独り言 2004年

バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
10月 私の独り事
31日(火) 昨夜、息子の調子がおかしくなっていた。熱が出たのだ。それで、今日一日息子はふうふう言いながら寝ていた。私は図書ボランティアに行くのを止めて、家にいた。昨日からの続きで、何もしたくないし、誰とも係わりたくなかった。だから、家にいてちょうど良かったといえる。子どもを医者に連れて行こうかとも思ったが、今のところ熱だけだから、寝させておいた方がよいかなあと思い、水分を補給させながら見ていた。今日も昨日と同じように、洗濯をしたり、本を読んだりしていた。

4時過ぎにヤマダ電機にプリンターのインクを買いに行った。その上、携帯も買い換えた。メールはともかく、携帯にカメラ機能がほしくなった。

この気分の落ち込みは何だろうと思う。とにかく横になっていたいのは、身体のどこかが悪いのかなあと少し心配もしている。
30日(月) 今日は朝息子に弁当を作ってやってからは、のんべんだらりと過ごした。身体も心もストライキ状態で、本当に何もしたくなかった。何でこんなに辛いのか自分でも良くわからなかった。それでも、メリハリなく、洗濯を山ほどしたり、借りてきた本を読んだりした。

なんだか現実がとても遠く感じられる日。なんだか一日、周りで起きていることがテレビの中で起きていて、自分だけが外にいるって感じ。もう、心が家族も含め、誰とも交わらない感じ。人への感情すら変。とにかく、すべてをシャットダウンしてしまいたい、感じ。久しぶりの休みの日。本当に何にもしたくない日。

夕食はラザーニャを作った。久しぶり。今日は、いつもと違う料理を作りたくなった。

7時から、中国親善旅行の説明会。
29日(日) 午前中は礼拝。午後パステルで昼食後、商工祭へ。今までよりも出店者が少なかったように思うし、とても良い天気だったけれど、お客様も少なかった。規模は小さかったけれど、植物園祭りの方がお客様が楽しんでいたような気がした。どうした、商工祭。がんばれ!!津南のブースで山のなめこを買ってきた。(懐かしくて、嬉しくて、ねぎと豆腐の味噌汁にした。)

帰りにもパステルを見て、あまりこんでもいそうもないので寄らないで帰ってきた。その後、カルフールへ。久しぶりだが、いつものように沢山買い込んで帰ってきた。

なんとなく、疲れが出て、ベッドに横になった。この3日間、帰宅が8,9,10時という事で夕方までに家に帰ってくることができなかった。朝も息子の弁当作りやパステルの仕事などで、ゆっくりしたくても出来ない。注意しないと疲労がたまって中国にいけなくなる。明日こそ、少しリラックスしたい。出来たらよいけど。
28日(土) 今日は朝9時からパステルでお仕事。でも、あまりにも暇で2時までのところ、少し前に帰ってきた。後で聞くとそれでも平日より良い売り上げだったらしいが、忙しくて走り回るという事は一度もなかった。

帰りに図書館に寄って、予約していた本が届いたというのだった。

夕方、5時過ぎからパステル運営委員会。10時まで。秋のご馳走は、売り上げが今一で10月で終えることにした。11月からは善哉を導入する。どのくらい売れるだろうか。11月23日はサンクスギビングディナーを行う。12月のクリスマスコンサートが決まらないのが心に引っかかる。10月もなかなか売り上げが上がっていない。お天気が良いので、プールに来るより、紅葉狩りに行っているのかなあ。それと、駐車場になんでゲートがなければならないのだろう。博物館のようにすうっと入れる駐車場であってほしい。
27日(金) 今日は朝スタッフとミーティング。なかなか選挙の準備とならず、野暮用だけが山積みである。それで、ミーティングはあっという間に時間が過ぎた。午後は1時から議員クラブの視察・懇親会。ソウケン化学と本田技研を視察した。ソウケン化学は地元にあるのに一度も視察したことがなかった。すごく成長している会社で新しい社屋も出来ていて驚いた。

本田技研は社員5000人、季節社員を入れて6300人もいる大工場。化学工場とは違い、ラインで組み立てていた。また、驚くべきは無人で組みたれられているボディライン。すべて、ロボットがこなしていた。今に、人間がいなくても自動車がロボットで組み立てられる時代が来るかもしれないと思った。6年ほども前にホンダを視察した時にはラインに一人も女性がいなかったが、今回はラインにも女性がいて、嬉しかったなあ。後で聞くと、100人ほどの女性がラインにいるのだそうである。頑張れ、女性工場労働者!!!ちなみに、賃金は男女平等だそうである。

女性労働者についてはソウケン化学でも多く見かけた。男女ともに研究所で働いている人は大学院を出ている人だという事である。私は来年の選挙で落ちたら、研究者にはなれないだろうけど、器具を洗うことぐらい出来るだろうから、パートにしてもらおうかしら・・・・落ちるなんて、言うものではないですか?!

懇親会は川越の吉寅さんで。初めて由緒ある料亭に行った。すき焼きだったが、すばらしいお肉だった。本当の事言って、霜降りの肉なんてはじめていただきました。最近は、BSEのこともあり、牛肉をいただくことは、全くなし。
26日(木)
51300カウント
今日は朝はパステル関係のこと。午後は急いで、永田町に行き、議員会館でフェミニスト議員連盟の人たちと男女共同参画局の推進課長らを向かえ、いくつかの点について聞いた。私は、目標が低すぎる点を指摘した。審議会の女性割合が30%なんていうのはふざけんなの世界である。が、田舎では30%をクリアしていないところがあるそうである。

帰ってきたら、結局8時過ぎだった。
25日(水) 今日は朝から良い天気だったので、レポート配り。でも、12時半ごろおなかがすいて、足も限界でおしまいにした。

午後はお昼を食べてから、中央図書館へ。市川の視察が決まるので、その前に、狭山市の資料をもらいに行き、ついでに中央図書館のころを少し伺い、市川で見てきてほしいこともたずねた。結局中央図書館は市川市から学ぶ点については、何も知らないらしく、又は学びつくしているらしく、視察の際に聞いてほしいことのリクエストはなかった。指定管理者への移行を目指す足立区についても、何にも聞くリクエストもなし。「指定管理者についてはメリットもデメリットもありますからねえ」とは言っていたが、勿論あるに決まっている。だから、デメリットのどこが知りたいのかという事は中央図書館としてはないのかもしれない。
24日(火) 今日は朝、うちの片付け。本当はレポート配りに行きたかったが、雨でめげた。昼食後、役所へ。視察の準備をお願いし、男女共同参画の条例制定について、課長と話した。少しずつ、市民会議などで勉強会をしているのだそうだ。早く、制定をしたいものである。

珍しくリハビリにいく時間が取れたので整形外科に行った。あんまり肩こりが辛いのでそれも見てもらったが、昔の鞭打ちは心配しなくても良いようである。運動するように言われた。本当にそうである。
23日(月) 今日は朝西口事務所の方の報告を聞いた。結局、朝が終わった。娘の学校へ聖望コンサートバンドが演奏にきたので聞きに行きたかったのだが、西口事務所との約束があったのでいけなかった。残念。

午後はパステルで今日はお仕事。ボランティアとはいえ、時給300円ももらうのだから、お仕事。
22日(日) 朝9時過ぎ、娘がお花の展覧会に出展したので、見に行ってきた。上手にいけてあった。すごい。

10時半、礼拝。12時ごろ帰ってきて、食事後、友達の告別式にでた。10日ほど前、ヤオコーでばったり彼女とであった。本当に久しぶりだった。その際、がんだったと聞いた。でも、生き生きとした顔つきだったし、あまり心配しなくてもいいのかと思ったのだ。そして、分かれるときに、私が精一杯、誠実に市議会議員をしていると言ったらわかっていてくれいて、「頑張ってね、応援しているからね」って言ってくれたのだ。私も期待に沿えるように「頑張るから」と言って笑顔で分かれた。彼女は私が始めて立候補した時から応援してくれていた。私のバザーにも毎年来てくれて、「選挙のお金をバザーなどで集めるやり方は良いよね」と少しでも多く買ってあげようという気が見えた。雪の日にバザーをしたこともあったが、そんな日も友達を誘ってやって来てくれた。

彼女は私が自治会で広報部長をした時の副会長だった。会長だった人が昨年突然なくなってしまったが、今度は彼女だ。なんだか本当に悲しい。まだ、60歳だった。次は私かねえなんて冗談を言ったのだが、私はまだ死にたくないなあ。子どもたちともう少しすごしたい。まだ、まだし残したこともあるし・・・・・

告別式の帰りに、私の住んでいた下の階の友達にあった。彼女ももう70歳を過ぎたといっていた。私の出している議会レポートや後援会ニュースを角から角まで何回も読んでいると言ってくれた。議会レポートなどは一生懸命、市民に必要だと思うことを書いている。手抜きをしたことも一度もない。3ヶ月ごとに1辺ずつ欠かさず書いてきた。彼女はケーブルテレビを見ているとも言ってくれた。この前の臨時議会でも、その前の議会でもどの議案も手抜きをしないで説明を聞き、市民の必要な質問を欠かさずしているつもりだ。お世辞でも、「あなたのような議員が必要なのだから、次の選挙も頑張ってね」と言われると嬉しい。

グリーンハイツで私の大事な35歳から50歳までをすごしたが、考えてみれば、これまでの人生で一番長く住んだところだった。子ども3人を必死で育て、共働きで疲れ果てた。回りの人たちの暖かな交わりがあったからこそ、つつがなく子育てが出来たのだった。離れて、徐々に友達がなくなってしまうのは、寂しい。本当に、寂しい。

夕方、パステルでボランティア。
21日(土) 今日は朝10時から代々木の市川さんのセミナーにでるため、8時半過ぎに家を出た。講義は歴史と青少年問題。近代・現代史教育について学んだ。東大の名誉教授の講義だったが、つまらなかった。彼は、本当の意味の学者だと思った。すなわち、無責任。ある視点での歴史の見方を否定しているのだが、多角的に歴史を見るといっても、一人の人間が多角的に見れるわけがない。すなわち、いかなる観点で歴史を見るかを明らかにしながら歴史を見なければならないという事だと私は思う。このような学者ばかりだったら、いつ戦争になってもおかしくない。つまり、歴史をきちんと見ていないという感じがした。

青少年の問題というか、いま、足立区の生涯学習部での様子を3時間近くにわたり聞いた。とても興味深い試みがされていて、一度足立区に視察に行かなければならないと思う。

教育委員会の方で、学校統廃合を推進している方に業務連絡/足立区では隣接した小、中学校を統合し、小中一環学校を作ったそうである。一緒に視察しましょうよ。
公民館の方に業務連絡/足立区では指定管理者制度を公民館施設と類似の学習センターに導入したそうである。視察に行きませんか。
図書館長へ業務連絡/足立区では千代田区と同じように図書館を指定管理者制度を導入するそうです。狭山市でもどうですか。市川市の図書館システム同様、視察に行きませんか。学校図書ボランティアの講習会など、図書館と学校図書館との結びつきについては、足立区に学ぶ点が多いようです。
20日(金)
51100カウント
今日は臨時議会だった。柏原保育所の機械室のアスベストの除去に高い比率の防衛補助がつき、本年度中に完成させなければならないそうで、臨時議会の開催となった。質問するべきことは、頭の中に入っていたので、いくつか質問した。委員会付託がないので、かなり立ち入って質問した。子どもの安全が大切なのだ。アスベストの除去は一日で終わるので、日曜日に作業をしたいという事だった。アスベストが飛散することなく、誰一人アスベストを吸い込むことなく作業が終わることを願っている。

学校にも除去しなければならないアスベストがある。その部屋を封印はしているそうだが、除去の計画もない。今回を良い例としてアスベストはすぐにも撤去すべきだ。昨日、アメリカの両親にご機嫌伺いの電話をした際、臨時議会の話になり、実はアメリカ人にあきれられた。アスベストはアメリカでは20年前に処理済みのことなので、いまさらなんだという事であった。恥ずかしいなあ。

議会後、パステルで昼食。看板を取り付けた。それが終わってから、博物館の展示を見に行った。化石にロマンを感じる人がいるようだが、私は骨が出てきても、気持ち悪いとしか思えない。いろんな趣味の人がいると感心した。唯、化石の入った石が売店で売っていたが、きれいで驚いた。安いブローチがあったら買ったのにと思った。

今日も早く帰ってきた。明るかったので、ビラ配りをすこしした。もっと、もっと配らなければならないのに、時間を作り出せない。
19日(木) 今日は、暇なはずでビラ配りをと思ったが、決して暇でなかった。午前中に議会、役所に行き、資料請求をしてきた。あちこちで話をしたら、あっという間に2時。急いで美容院に行った。明日は議会。来月には中国へ行く。頭のてっぺんは白髪染めがなくてまだら模様で恥ずかしかった。パーマをかけたのもいつか忘れてしまった。だから、私としてはすっきりしたかった。

帰ってきたらもう暗くなっていた。本当に、日が暮れるのが早い。久しぶりに、6時過ぎからゆっくり食事を作った。生鮭を焼いたが、鮭はバターでソティーのほうがおいしいことが分かった。
18日(水) 今日の朝は「年金ミニ学習会」を“高橋ブラクソンとすすむ会”の主催で行った。社会労務事務所の方が2人来てくださり、市の出前講座を行った。さまざまな年金があり、今きちんと払わなければ、老齢年金だけでなく、障害年金も、遺族年金ももらえなくなるかもしれないという事が分かった。2時間半ほどの勉強時間だったけれど、時間が足りなかった。もっと、もっと教えてほしかったし、聞きたかった。「年金パート2」も来年しなければならないと思った。

家庭内離婚をしている人たちへ。離婚後の年金の支給はいろいろ難しいですが、多い人から少ない人へというのが原則だそうで、男性諸君、熟年離婚されないようにご注意遊ばせ。女性へ、まあ昔に比べて離婚がしやすくなったことは確かです。だからと言って、離婚はしないに越したことはありません。家庭内離婚だろうが、日本の女性は家計を握っているのですから、下手に離婚はやめましょう。「うちは離婚をすることはありません」なんて思っている、あなた。明日はわかりませんよ、本当に。

午後は、パステルに行き、11月から出す“お善哉”の試供品を作ってみた。まあ、大変おいしいものを出せそうである。

帰ってくる前に、カルフールによって買い物。いつものとおり、沢山買い入れて帰ってきた。
17日(火) 今日は朝、稲荷山公園駅でパステルのチラシを配った。23日から29日までケーキフェアをするのでそのためのプロモーション。

昼ごはんをパステルで今日も食べた。その後、郵便局によってから家に帰ってきた。午後遅く、タイ人の友達のところに行った。彼女はいつも元気。ビラ配りを手伝ってくれている。感謝。今日は早く帰ってきて、夜をゆっくりと思ったら、パステル関係の事務があって、忙しいかった。ふ〜〜〜。

一般質問を考え始めている。資料を集めなければならない。かなりタフである。
16日(月) 今日は朝、息子に弁当を作ってやってあれこれしたら、もう10時。本当に忙しい。ちょっと鬱ぎみで、気持ちが沈む。それでも自分を励ましながら、スタッフとともに、ビラ配りに出かけた。私は足が悪いので、スタッフの半分も配れなかった。でも、晴れた青空の下、がんばって配布した。

午後はパステルで食事。おいしかった。スタッフも初めは「パステルで食事ですかあ!」って言っていたが、食べ終わるとおいしかったと満足げであった。この前の時よりも、ボリュームを感じた。私も今回は食べ終わっておなかがいっぱいになった。安い食べ物を安い値段で出すことは可能だろう。しかし、パステルの運営委員長として、パステルではリーズナブルな値段でおいしい物を提供したいと思う。きょうの食べたものは味がはっきりしてたし、食感も良かった。何を食べたか分からないような食べ物は出せない。茸が入っていれば、茸が入っていると分かるものでなければならない。訳の分からないものは出したくない。熱いものは熱いうちに出す。そのために器だって暖めているし、冷たいもののためには器を冷やしている。パステルの出す食べ物は毅然としたものであってほしいと思う。

午後3時からは教育委員会の人の説明を聞いた。その後、福祉部の人の説明を聞いた。庁舎を出たら、7時過ぎていた。20日には臨時議会がある。その議案勉強会でもあった。我ながら手抜きせず頑張ると思う。市民が知っておくべきことは議場で質問しようと思っている。いくつか質問事項を福祉部に伝えた。きちんとチェックし、それを自分の議会レポートだけでなく、既存のケーブルテレビ中継などで知らしていくことが大切だ。勿論、もっともっと大切な議会活動もあるだろう。2期目の最後になって、いろいろ遣り残した議会活動に思いをはせている。それにしても、遣り通したことも沢山あり、施策として実施されているのを見ると自己満足も出来る。これが議員の喜びだろう。
15日(日) 今日は、朝礼拝。その後、パステルで食事をしようと出かけたが、結局くそのままお手伝いすることになった。忙しかったからである。それは稲荷山公園でバザーがあったり、障害者マラソンがあったりしたせいである。すこし手伝ったのち、バザーを見に行った。まあ、新しい試みのようで人では少なかった。赤飯やサトイモなどを買ってパステルに帰ってきた。

パステルでは5時過ぎまで働いた。その後、パステル運営会議を開いたが、いつものように10時までの長い会議となった。皆で憂さを晴らしながら、気を持ち直してがんばろうという思いになって会議を終えた。本当に必死で生きている感じがする。わき目も振らず、とにかく前にあることを一生懸命にこなしているという事。
14日(土) 今日は朝、植物園祭りに行ってきた。雨が降らなくて良かった。寒くもなく、熱くもなく、人がどのくらい来るかしらって心配していたけれど、それなりに沢山人が着てくれていて良かった。もう少し植木やお花屋さんが出展していて、植木市みたいになればよいのにとついつい思ってしまう。でも、第1回目だから、今後もっと楽しいイベントにしていけばよい。11時と1時の抽選会も好評のようだった。来年は、スポンサーを探してもう少し良い景品(とくに3等かなあ)があるとよいね。薬草探しなどもあったようで、もう少しこの祭りを楽しんでいたかった。

ちょうどこの会場で生涯学習部長に会って、「Sccの運動会をみていってください」と誘われたので、行こうとしたが、大盛況らしく駐車場がなくて断念した。Sccの方々もお元気ですね。

午後は女性のための政治セミナーに出かけた。前の宮城県知事の浅野さんの講演だった。浅野さんの講演は彼がまだ宮城県知事をしているころにも聞いたことがあったが、今は慶応義塾大学の総合政策部教授でいらっしゃる。話の内容は、いかに不正のない行政府を作り上げるかという事。まず裏金問題、入札問題。福島県で、岐阜県で、和歌山県で談合や裏金の問題が指摘されている。そういう体質をどうやって改善するかという事である。

次に3位一体改革については、浅野さんは自治体自立改革だとおっしゃる。話の内容はわが意を得たりである。すなわち、補助金の率のカットは国の力の、支配力の温存であり、真の地方自治には補助金をカットしても良いから財源の移譲が必要なのである。私も今回レポートで取り上げたが、狭山市では補助率をカットされた事業はほぼサービスの低下を招いている。しかし、補助金がカットされても、税として入ってきているものは少なくとも事業を低下または廃止などをしていない。その上、補助金カットよりも税源移譲分のほうが2億円も多いので、とても良い制度なのだ。補助金カットがいけないと一言で切り捨ててしまう人が居るが、私は補助金カットしてもらっても構わないと思っている。狭山市がその事業が必要ならば、移譲された税金でその事業をしていけばよいからである。その際、主体的になって、事業を選択する能力をしっかり首長も議員ももっていなければならない。

それと、浅野さんは議員が提案権を行使し、条例を作ることを提言なさった。男女共同参画条例、入札基本条例を作り上げる必要を感じた。あと半年で議員生活が終わるかもしれない。(続投したいが、それは審判によることだ。)その前に、この条例を作り上げたいとおもうが、何しろ一人でしているのでどうなることでしょうか。私は条例を作らなかったことに、特に男女共同参画条例を作り上げていないことに罪の意識まで感じている。1年間勉強会をして、他市のものを勉強したのにも係わらず、何もしていない。私が原案をつくるべきだ、そんな思いを持った。
13日(金) 今日は一日中事務所で仕事をした。最近仕事が遅くなって、1週間発送そのほかの仕事が伸びている。パンフレットが出来たので、それも郵送した。市議会議員として3期目をどうしようかと悩んだこともあったが、市政にまだ貢献できるのではないかと思っている。勿論、市民が決めることではあるが、姿勢は前向きになっている。

夕方、一仕事が終わるころ、パステルから電話があったのでパステルによってすこしボランティアをした。ついつい長居をしてしまう。買い物をして戻った。
12日(木) 今日は、朝からゆっくりしたかった。というのは、会議の予定が入っていなかったからである。でも、昨日同様、事務所でたくさん仕事があって、ゆっくりしている暇もなかった。それでも今日は仕事を5時にやめたから、夕方すこしほっとした。息子の頭痛が始まったし、娘は学校から帰ってきて疲れて寝てしまった。平凡な1日のような、心配のような日。

HPでニュースを見て、怒ったこと。埼玉県の教師がその地位を利用して、中学生にわいせつ行為を繰り返していた。その判決を見て、私は怒った。懲役3年、執行猶予5年だというのだ。何べんも学校の一室に呼び出しわいせつ行為を繰り返し、ホテルに呼び出しわいせつ行為をし、成績表を改ざんし、親に言うなと口止めしても、懲役3年、執行猶予つきとは許せない。

わいせつ行為とはセックスを言うわけでしょ。合意によるセックスだったから、執行猶予付きだったの?40歳代の男が13や14歳の女子に合意の上でセックスしていたというのは、まやかしだ。実際は、強姦じゃなかったの?それも、非常に悪質で、公文書偽造までしているのに、なぜ懲役3年なの?執行猶予がつくの?

私はこの国は強姦に対しての罪が軽すぎると思う。わが子がそんなことをされて、その罪が3年、猶予つきだったとしたら、どんな風に感じますか。その女子の心の傷はどんなだと思いますか。女子がバージンに戻れますか。こういう性犯罪を犯した男をおめおめ何の罪の執行もなく(猶予ってその期間罪を犯さなければ、懲役に行かなくてよいという事だもの)、この世の中にいることっておかしい。私は、このケースの場合、懲役10年でも20年でも罪は償えないと思う。

この女子は一生、これをトラウマとして抱えていかなければならないのだ。女子だけでなく、家族全員が一生辛い。この女子が恋愛出来るのか、男性を信頼できるようになるのか、とても心配だ。私の知っている性虐待にあった女性はいくつになっても男性との関係がうまくいかないと言っていた。40年たってもフラッシュバックが起きて、頭がおかしくなるといっていた。「犬にかまれたようなものだ」という無責任な言い方をする人もいるが、女性にとって嫌な怖いセックスは一生を左右するようなことなのだ。

裁判官だって悪質と認めているこのケースなのに、なぜ、3年執行猶予5年なのか、私には理解できない。ひどい判決である。
11日(水) 今日は朝からゆっくりするはずだったのだが、忙しかった。朝にネットニュースの3,4面を仕上げて、印刷に掛けた。

午後は、頼まれていたごみだしをするためにパステルに行った。本当のことを言って、何でこんなことまでしなければならないのかと思った。事務所ではスタッフが汗を流して仕事をしているのに、自分の仕事もままならないのにと思うのだ。常勤の方に、今後をしっかり頼んで帰ってきた。パステルに毎日、出かけているが、自分の仕事が遅くなりがちで焦ってしまう。

頼まれたことをあれこれしてパステルから帰ってきたら、5時を過ぎていた。夜は、パステルのポップ作り。今日はゆっくり出来ると思って、この日を待っていたのに、一見スケジュールがない日でも、結局仕事やボランティアに追いまくられている。
10日(火)
50600カウント
私のPCから独り言のカウンターが見れないので分からなかったのだが、役所で昨日見たらなんと50000カウントを超えていた。読みでがありすぎて、申し訳なく思ったりするが、許してほしい。

今日は朝事務所でスタッフと仕事。昼からお金を下ろし、中国へ行くのでその支払いに行った。結局親善訪問団に加えてもらえることになった。あまり、迷惑を掛けないようにしたいと思うが、よろしくお願いします。

その後、教育委員会に行ったり、議会事務局によったり、忙しくすごしてきた。はっと気がついたら、3時半。急いでパステルにいって運営委員会。10時まで。帰りに蔦屋にフラッとよったら、親しい友達がいて、しゃべりこんだ。彼女と共通の友達に心配なことがあるが、私たちにはなんともして上げられない。今までひそかに心配していたが、それが本当になったという感じだ。

ところで、昨日今日と北朝鮮の核実験について、巷でもちきりである。政府もかなり強硬な態度である。私は日本の姿勢に危惧を持つ。核実験は今までアメリカ、ロシア、インド、フランスなどなどたくさんの国が行った。その際、一々日本は経済制裁をしたか?!しなかったではないか。私は個人的にフランスが核実験をした後、5年間フランスのもの(ワインを含む)の買い物をしなかった。でも、国のレベルでは何もしなかったはずだ。インドの時は?アメリカの時は?どうだっただろうか。今の危機感のあおり方そのものが非常に危険だ。

北朝鮮は近いし、それを使われたら困るというが、アメリカは日本に駐留していて、核弾頭をイージスに載せていても誰もわからない状態だ。そんなことをいうのなら、アメリカの方がもっと日本の脅威のはずだ。でも、なぜ日本はアメリカの核爆弾を脅威と思わないか。それは、友好な関係があり、安全保障条約を取り交わしているという、きわめて良好な外交関係が保たれているせいである。そして、外交は経済、スポーツ、文化、そのほか、いろいろなチャンネルを通じて行われるのである。北朝鮮となぜそれをしないか!北朝鮮とは外交努力は出来ないといい続けている日本政府の根拠はなんだ。

北朝鮮に経済制裁をして、孤立化させると日本に何が良いことがあるのか。制裁をすれば、北朝鮮が核開発をやめる見通しなのか。単に怒っているポーズとして、経済制裁をするのは危険である。特に、日本独自ではしてはいけない。日本だけ、北朝鮮に刃を向ける必要もさっきから言っているようにない。また、日本が経済パートナーであれば、北朝鮮は日本にテポドンだって核兵器だって使うことが出来ないが、何の協力関係、何の利害関係もなく、一方的(北朝鮮から見て)な敵対行動だけを日本がしているならば、日本は北朝鮮のヒステリーのよい標的になる可能性が出てくるのだ。

北朝鮮の”金ジョンイル”を嫌いだとする人が多いし、信用できないかも知れない。何やりだすか分からないというかもしれない。けれど、彼がほしいのはお金であり、経済立て直しの方策である。私は、クリスチャンだ。聖書には「よい隣人でいなさい」と書いてある。きれいごとをという人が多いし、それはあの独裁者金を助けることになるのだという人も多いが、日本を救うには、日本の安全保障のためには、過度の北朝鮮への制裁を止め、今まで程度の経済交流、文化交流などは続けていけばよいと思っている。

蛇足かもしれないが、北朝鮮と戦争するメリットは全くない。そして、韓国にも、中国にも、ロシアにも攻め込まられない北朝鮮が戦争を仕掛けるとしたら、日本しかないではないか。その際、韓国、中国、ロシアが北朝鮮に乗り込んで仲裁をするだろうか。アメリカが仲裁に入るだろうか。国連はどうするだろうか。とにかく、日本が北朝鮮を叩く意味を私は感じていない。アメリカが出してきている国連の制裁に他の国と同調するだけで十分である。それでも、日本の国益にはどうか、日本人の安全安心にはどうかと心配している。
9日(月) 今日は、朝コンピューターに向かい、原稿を仕上げた。窓の外の木々が揺れるのを見ながら、せっせと仕事をした。本当に静かで、物音一つしない。狭山の家とは違い、家が広い。その広いリビングの片隅にダイニングコーナーがあって、そこにコンピューターを持ち込んだ。お昼には2枚の原稿が出来たので、なじみのスパゲティ屋さんに食事に出かけた。スパゲティはおいしく作るのは難しい。今回はごぼうとインゲン豆のミートソースというのを食べた。目新しいメニューだったが、いつものだけでは飽きてしまうので、嬉しかった。

夕方6時前に別荘を出た。帰りも渋滞にあい、10時ごろ帰宅。夫は運転している間静寂が好きで、音楽を掛けてくれないのだが、今回は私が運転手なのでFMで70年代のポップを聞きながら帰ってきた。今ではすこし英語が理解できるようになった。だから、あのころは意味も分からなかったなつかしのメロディーもその意味が理解でき感動しながら運転した。わたし、すこし年を取ってきたなあと思う。30年も前の歌なんか、家の息子は全然興味を示さなかった。当たり前かな。
8日(日) 今日は久しぶりに別荘へ来た。もう寒くなって水の始末に来たのだ。渋滞を避けるために、お昼近くに出発したのだが、残念ながら渋滞に巻き込まれてしまった。結局、ついたのは3時を過ぎていた。息子とともに、ぼんやりと過ごした。鍵を忘れてきたので、納屋の戸をあけられず、草刈も出来なかったのだ。あ〜〜あ。

気圧が低いせいかとても眠くなる。空気はきれいだし、青空は真っ青だし、別荘の友達はやさしいし、緑を眺めているだけで幸せだ。
7日(土) 今日は朝10時から幼稚園の運動会へ出席した。その後、知人のところによってから、帰ってきた。昼食をたべてから、パステルでお仕事。今日は、有償ボランティア。時給300円とは多いのか、少ないのか。本屋によって帰ってきたら、8時だった。

ところで、この前の視察で、新潟県の長岡に行った。歴史資料館に寄ったのだが、河合継之介のことが大きく取り上げてあった。戦争をしたくなかったし、すれば負けると分かっていたのにも係わらず、交渉が決裂して戦争をしなければならなくなったことは、長岡藩にとって不幸だった。戊辰の役と第2次世界大戦の際の空襲によって長岡には城跡一つ残っていない。城跡どころか、石畳、石塀すら残っていない。徹底的に焼き払われたのが、長岡の中心部なのだ。思い出せば、お花見は悠久山に行ったものだった。私が物心ついたのは昭和の30年ごろ、そのころ焼けないで花をつけるほどの大きな桜の木は悠久山にしかなかったのだ。

そこで、私は勝海舟を思い出した。海舟は西郷隆盛と江戸城の引渡しを交渉し、成功した。江戸を焼け野原にすることなく、将軍を殺させることなく、権力の移譲を果たした。河合と海舟の違いは何だったのだろうか。海舟はあまりウエットな人間ではないので、負ける戦はしないし、内戦は外国に侵略の口実を与えるので極力したくなかった。海舟は幕府の国家維持機関として能力を見放していたので、薩長同盟が権力を掌握しても構わなかったのだ。彼はそのころの時代を担う若者とは知り合いだった。とくに、海舟は交渉相手の西郷隆盛にはぞっこん惚れ込んでいた。西郷だって海舟を尊敬していたので、交渉の時もそういう事が物をいったのは当たり前だろう。勿論、海舟のことだからさまざまな根回しもしていたのは事実だろうが。

そんなことを考えると、河合継之介は海舟に比べ交渉力は足元にも及ばない。そして、稚拙な交渉で国を焦土とし、あの裕福な長岡藩を食べるにも事欠くようにしたのだ。第2次世界大戦もそうであるが、感情に走って戦争を起こすなどは無責任この上ない。交渉ごとはある程度の妥協をするためにいくのであって、決裂してしまえば無意味なのだ。言うは安く、行うはきわめて難しいのだろうが。

まとめると、戦争に突入するか、戦争を回避するかという事は、武力の問題ではなく、外交力の問題であるという事なのである。平和な国を保つためには、武力をどのくらい大きくしても平和を保たれるとはいえない。アメリカを見て御覧なさい。また戦争をしている。平和を保つのは、相手に尊敬され、愛される国作りをしなければならない。そのため、相手を知り、こちらが平和を維持することを国是としていることを言い続けなければならない。近隣諸国と仲良くするには、武力ではなく、外交力が必要なのである。もう一度いうが、外交力こそが日本の平和維持をもたらす一番の力なのである。
6日(金) 今日は朝から、子どもと夫を送って学校へ、職場へ。その後、整形外科によって装具を買って来た。1週間前に石膏で私の足型を取り、これを靴に入れて使うことになる。とても値段が高くて驚いた。まあ、特注品だから仕方がないのかもしれない。靴を作ると20万円も掛かるという事なので、敷物だけになった。7割保険が利くのだそうである。良かった。午後はパステル。

足が悪くなってみて、いろんなことが見えてきた。まず、昨日までのバスの視察はありがたかった。電車の乗り降りと駅の階段の上り下りがないのがどんなに楽なことか。エレベーター、エスカレーターの嬉しいこと。今回は車椅子を使わないで済んだのは嬉しかった。足が非常に悪かった時には車椅子を押してもらった。昨年の北海道では旭川でギブアップして、友達に車椅子を押してもらったし、今年は施設管理公社の視察でも車椅子をお願いした。

車椅子を使ってまでも視察をしなくても良いのではないかという人もいるだろう。私は今回の視察で、ある議員から施設管理公社で車椅子を押してもらったことは、傲慢だと批判された。押してくれた人は実際は押したくなかったのだろう。唯、私が車椅子を押してもらっても、視察がしたかったし、車椅子で施設が回られるかも見てみたかった事もあった。それで、車椅子を押してくれるように頼んだ。これを傲慢だという批判があったとしても、批判を甘んじて受けるしかないのだろう。職員は市議会議員に嫌だといえないのだそうだからね。車椅子をおして、足の悪い市議会議員の視察の説明なんかしたくなかったんだね。あの時に、私は本当に「ご親切にありがとう」と思ったけれど、職員は実際のところは嫌だったんだね。車椅子は今後は自分で動かせばよいという事かな。

本当に足が痛くなってからというもの、障害者がどんなに不自由をしているかがわかってくる。足が、てが、目が、耳が不自由で、あれが、これがと障害があると、かなりの制限が出てくる。多くの人が障害者のことを迷惑がっているのが、言葉の端はしから分かってくる。確かに、障害者が生活圏にいることは、足手まといになることもあるだろう。社会として、障害者に優しい社会をと標榜しているのに、自分に障害者が係わってくると嫌なんだよね。で、私は遠慮しいしい生きていけばよいかといえば、もしかして、傲慢だともっと思われても、ずうずうしく人に迷惑掛けても健常者と同じようなことをさせてもらうように言い続けようと思う。それが、きっと障害者のためにも、やさしい社会作りのためにもなるのではないかと思うのだ。

でも、傲慢だと思われているのが分かっても、迷惑を掛け続けるのには、強い意志がいることを理解してもらえるだろうか。我がままだといわれ続けて8年間。いまや食べ物アレルギーについて、議会の中で理解してもらえるようになった。しかし、ある年の視察では昼食が蟹雑炊で、何一つ私が食べられるものがなかった。私がおしんこだけしか食べられないのが分かていても、何一つ代わりのものを出してくれなかった。自分のお金を出すから素うどんを頼んでほしいと言っても、受け付けられなかったのだ。その委員会視察では一切自分の自由な時間を与えられなかったから、信じられないかもしれないが、帰りの飛行場まで朝からほとんど物を食べられなかった。

これも事実だと思っているが、わざと私がアレルギーで食べられない食べ物を出すという意地悪をされたものである。(ここが、一部議員の陰険なところである。まあ、議会ならずともこんな虐めというのはあるのでしょうが。)議会職員は古参の議員に「高橋はわがままでたべないのだから、斟酌するな」といわれれば、私がアレルギーを持つ海老、蟹、烏賊、たこ、貝のオンパレードメニューを変えない。わざととしか思えないメニューになってしまうわけである。

そんな虐めにあっても、私は何べんもアレルギーがあること、食べられないものは食べられないのだといい続けたのだ。実際、食べなかった。(食べて、吐いたりしたこともあり、倒れたこともあるので、怖くて食べられない。)そして、ようやく、自分が好きでアレルギーになったのでもなく、その食べ物が嫌いだからアレルギーになったのでもなく、アレルギーが気力で克服されるものでないという事を分かってもらえるようになった。議員たちも私用の食べ物を見繕ってもらうことを容認するようになった。回りに障害を認めもてらうのは、とてもとても大変なことなのである。でも、私の奮闘努力の結果、次にアレルギーのある議員さんが出た時には、私の受けたような虐めにあうこともないかもしれない。

そう思うと、傲慢といわれようと、我侭といわれようと、次に続く障害者のために、強い意志を持って、主張するべきことは主張しようと思う。
5日
49600カウント
今日、視察から帰ってきた。3日から群馬県藤岡、新潟県長岡市、富山県富山市を視察した。今回はバスを借り上げていったので、歩く距離も少なく楽だった。視察の内容は濃くて、今後の参考になるだろう。

ところで、新潟県長岡市は私の生まれ故郷である。久しぶりに行ったのだが、時間がないので従兄弟などには会えなかった。

現在メールがあった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。
バックナンバーへ