私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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11月 私の独り事
30日(木) 9時からパステルへ。デイケアのお昼ご飯作り。午後は役所に。一般質問の資料をもっと集めた。昨日というか、今朝は2時半まで頑張って一般質問の原稿準備をしたが、結局出来上がらなかった。書き始めたが、その時におにいちゃんが帰ってきて集中力が一気に落ちてしまった。まあ、無理だと思ったが、本当に書けなかった。

今日、資料を集めていて思った事は、狭山市教育委員会はこの狭山市の教育方針を持っているのかという事だった。教育委員会はホームページすらもっていなかった。教育委員の名前すら公表していなかった。私は前の野村教育長の時はしばしば部屋を訪ねてお話をすることが多かったが、今の教育長のところに行くことはなくなってしまった。まずは、彼に対しての信頼感が薄いことによるのだが、話をしても彼の信念が私には見えないので、つまらないのである。

よきにしろ、悪しきにしろ、野村先生の胸にぶつかっていったのだが、今の教育長になってからは、そんな気持ちにはなれない。彼は議会では原稿の丸読みだけで、彼が何か自分の言葉で言う時ははっきり言ってこの世界では非常識としかいえない答弁。昔のことを持ち出すつもりはないけれど、リーダーシップの取る人と、調整型の人がいるが、自分がどこで何をしているのかわかっているんだろうかと思ったりするわけだ。今年から義務教育の家族がいなくなって、少しずつ小、中学校が遠くなってきた。そのぶん、生涯学習に目が行く。でも、学校教育はとても大事だから意識してみていようと思う。
29日(水) 今日は朝から議会。子どもの弁当を作ってやり、急いで議会に出かけた。代表者会が終わって、議会が始まったのが9時40分。そのまま、一回休憩をはさんだけれど、12時過ぎまで議会を続けた。その後、建設委員会協議会。

お昼はパステルで食事をし、又役所に戻った。議案の質疑の打ち合わせをしたが、結局その後いろいろな部署によって帰ってきたので、家に着いたのは7時近かった。住民投票の署名をチラッと見てきたが、これを署名した人がどれほど理解して書いているのかとため息が出た。署名を集めた人がこの前電話を掛けてきたが、私が90億円では見直し案も不可能だ説明したら納得した。私の議会報告会に来ればよいのに・・・ちゃんと説明を聞けば、見直し案がまやかしだという事がわかる。

住民投票のメールも届くが、私はこの事案は住民投票にはそぐわないと思う。それに、市は運営するのではなく、市を経営するという観点で行政を考えてほしいと思うのだが、それはサラリーマンの妻には理解できない感覚だろう。経営者として物を考えられない人に西口の開発メリットを理解できないかもしれないとも思う。
28日(火) 今日は朝9時にパステルへ。またまた、隣のデイケアのお昼作り。役所で1時半からヒアリング。終わったのは3時半。そののち、また議案の勉強。新しい保険が始まるようで、頭がこんがらかった。この前、制度改正したと思ったら、今度は老人健康保険を作るそうだ。でも、後15年後に始まる75歳以上の老人の急増までこの制度がもつのかどうか・・・

後いくつかの議案の質問について話をした。最近は狭山市の職員さんも私が自分の興味のために質問するのではないのを理解してくれたようだ。「きっとこんな風に質問した方が市民にはわかりやすいですよ。」と言ってくれたりするが、その点、どうも私はお臍が曲がっているので、「役人の言うようになんかいうもんか!」と思ってしまう。勿論、意見は大切に伺い、参考にはさせてもらいますが・・・・
27日(月) 今日は朝9時にパステルに。隣のデイケアのお昼を作りに。今日は、朝5時過ぎまで一般質問の要旨を書いていたので、ふらふら。約束の時間まで少し時間があったので、あれこれ議案の勉強。午後3時から役所でヒアリング。結局、七時まで掛かったが、最後の方は頭は全然働かず、話を聞きながら眠ってしまうのではないかと思った。帰ってきて、夕食後すぐに寝た。
26日(日) 今日は朝礼拝。午後は、ベッドに寝転んで読書。読書をしているのか、原稿を書くのが嫌で逃避しているか、自分でも良くわからない。だらだら、している。いつもの事ながら、原稿を書かねばならないと思うと余計な意味もない本を山にして読んでしまう。午後に150ページの本を2冊読みきったもんね。すごい。

え、そんなことをしないで明日までに原稿を、要旨を書けですって。まあ、むりですね。今これを書いているのが午後11時50分ですから、明日までとは行かない。もうじきあすだもの。とほほ。
25日(土) 今日は、朝9時からパステルで有料ボランティア。その後、うちに帰ることなく、入間市のアミーゴに出かけた。そして、いろんな民族の会のフォルクロールコンサートに出席。がんがん楽しんで、片付けを手伝って帰ってきた。今年はこの会の会計監査をしている。

夜はいろんな民族の会の忘年会もあったようで、参加しようと思ったのだが、はっきり言って身体がついていかなかった。8時過ぎには夫が飲み会があったので、迎えに来るようにと電話がかかり、飯能まで行った。そこでおしゃべりをして帰ってきたが、ついたらもう12時。今日も疲れた。
24日(金) 今日は、あさからスタッフとお出かけ。夕方帰ってきて、夕食を作った。6時からはパステルの運営委員会。いつものとおり、10時過ぎまで。もっともっと話をする必要もあるけど、時間になって帰ってきた。帰りに本屋に寄ったので、家についたのは12時近かった。忙しいな。
23日(木) 今日はサンクスギビング。朝から七面鳥を焼かなければと思っていた。パンプキンパイも作らなければ。スタッフングも、モルデッドサラダも。といえども、なかなか気合が入らなかった。こんなに、気合の入らない日もなかった。もう、日本に来て22年。毎年七面鳥を焼いているし、パーティーをしているけれど、今日はひどい無気力。最近、パーティーをする元気がなくなって、唯一家でするパーティーなのに、いつもの半分ぐらいしか作らなかった。友達にアップルパイを頼んで、その上、おにぎりを握ってくれた友達もいたので、ようやく面目が保てた。

大人4人でビールを6缶、ワインを3本あけた。3時間ぐらい食べて話していたので、結局誰も酔うことなく終わった。すごいね。
22日(水) 今日は、あさ9時を目指して役所に行った。少し議案の勉強をしたかったのだが、ついて連絡したが9時5分だったので、彼は他のミーティングを入れてしまっていた。私もいくつかミーティングをアレンジして、子どもの世話を夫に任して役所に行ったのだが、残念。すぐに帰ってきた。その後、スタッフとミーティングをし、書類を作り、昼食後、また役所に。

午後は1時から4時近くまで議案の勉強。時々、狭山市には政治的視点がどうなっているのかと思うことが多々ある。今回の手数料関係だって、何も今する必要があるのかと思うけれど、環境部長その点をどのように考慮したのか。熟考した上で、西口は西口、手数料値上げは手数料値上げと割り切ることにするのか。まあ、私は西口開発があろうがなかろうが、行革はするべきだという立場ではいるにはいるが、何も12月議会でなくとも良いものを・・・

夜7時過ぎからこの前の中国親善訪問団の方々と写真交換会が行われた。そのために、午後役所から帰って写真をプリントアウトしようとしたが、何しろうまくいかなくて・・・私は沢山写真をもらってたのしんで夜10時過ぎに帰ってきた。席が隣り合わせになった方と合併のこと、国際交流のことなどで意気投合した。政治が大切だ。庶民の生活を豊かにするもしないのもきちんとした政治が出来るかどうかに掛かっているという事を言い合った。大きなため息をつきながら・・・
21日(火) 今日は、朝、友達の会がバザーをしていたので、顔出しした。先週、手紙を届けたら今週がバザーだというので行ったのだった。買い物はしたものの、後から見るとお買い得だったとは思えないが、まあ、いいか。御愛想というものかな。この会は高齢者のたまり場を作っている。毎週火曜日に人が集まっているというが、毎週この会を開いているというのはすばらしいことである。中心になる人の熱意と決意に脱帽である。

午後遅くに議会事務局に行き、一般質問の通告書をだした。今回は、文化行政、教育行政、契約についての質問をする。
20日(月)
52200カウント
今日は、朝、議員クラブ幹事会、その後全員協議会、建設委員会協議会があった。各常任委員会の行政視察報告がなされた。学校の規模の適正化の文教厚生委員会の報告を興味を持って聞いた。午後からは議員クラブ主催の自治法改正に伴い勉強会を行った。今日は議案書が出されたので、勉強会の後いくつかの議案の勉強をした。

通告書は出せずに終わった。
19日(日) 今日は朝から疲れていて、起きるのが辛かった。礼拝に行こうとしたら、電話が掛かってきて、西口再開発事業について質問があった。30分も話をしていたら、礼拝に行きそびれた。

その後は、本を読んだり、子どもと久しぶりにくつろいだりした。忙しくて、心身ともに燃え尽きた。
18日(土) 朝、今日は弁当を作らなくて良いのでゆっくりしたかった。でも、9時からパステルでボランティアがあったので大急ぎで出かけた。

12時過ぎまで、ボランティアをして、午後は女性の政治スクールの勉強会に麹町まで出かけた。今回は21世紀職業財団の松原亘子さんの講演だった。話は男女雇用機会均等法に制定時のことが中心だった。しかし、その話は赤松良子さんの講演や本でよく知っているので、実際はあまり面白くもなかった。彼女はイタリア大使などを歴任して、この財団の会長さんをしている。彼女の物言いには高級官僚のいやらしさも見えたなあ。質疑にはほとんど答えられなくて、自分のやったことだけの自慢だけをしていたように思う。

その後、高田馬場まで行って用事を済ませた。東京は疲れるところだ。麹町から永田町まで歩き、九段下まで地下鉄に乗り、乗り換えて高田馬場に行ったのだが、駅は同じでもその構内を延々と歩かなければならない。最近はエスカレーターも多くなったけれど、やはり階段の上り降りも多くて、私のように足の悪いものには行きたくもないところだ。

今週は3日も東京へ出かけた。へとへとになってしまった。昔は東京に出かければ、どこかのデパートに入ったものだが、今は全然そんなこともしなくなった。することといったら、本屋に立ち寄ることだけ。今日は帰りにたって変えるのも嫌で、特急に乗って翔ってきた。
17日(金) 今日は、あさ疲れ果てていこうと思っていた両親学級の視察をやめた。まあ、連絡もしていなかったのでいいか。

午後にはいつものとおり議会レポートを配りに出かけた。他の議員は1ヶ月も前に行っているのだろうが、私は作るのも遅く、配るのも新聞の折込に入れてしまい、手渡しすることも少ない。反省しながら、すこしずづ回っている。

夕方疲労困憊。
16日(木)
52000カウント
今日は、朝6時に起きて六時半ごろ家を出て、車を庁舎にとめて、市川市、足立区の視察に伺った。市川市は中央図書館に行って、図書館行政についてみっちり2時間半ブリーフィング。聞きたいことが沢山あったが、お相手の方はこの道のプロらしく、ツーというとカーと答えていただいた。職員が55人もいるというのだから、この市の図書館行政に対する熱意が伝わってくる。いいなあ。

午後は足立区へ行き小中一貫教育について学んだ。職員が違うなあ。お金がないのも良いことかもと思いながら、レクチャーを聴いた。成果はすぐにはわからないが期待したい。図書行政については、中央図書館の指定管理者移行は無理だという事を理解したが、狭山台の図書館は指定管理者にすることは可能だろうと思った。市川も含め、中央図書館は同じぐらいの規模であるが、予算と人はずうっと充実していた。狭山市図書館にもっと人を、もっと金を。
15日(水) 今日は朝8時40分に狭山市駅に集合して国会見学会に出かけた。一度国会を見てみたかったのだが、ようやく実現した。「すすむ会」のご一行様18人。国会は歴史があり、豪華であった。国会は国権の最高機関としての風格をしっかり保持していた。アメリカ軍がここを爆撃しなかったことは大変意義あることであった。

ゆっくり、あちらこちらと見学し、昼食は国会内の食堂でいただいた。この食堂はさすがに狭山市役所とは違う。私は“とろ尽くし”をいただいたのだが、1000円。安い。だって、寿司職人がいてその場でにぎってくれるのよ。おいしくてよかった。イスも緞帳も昔ながらのご立派なものだった。格調高いところでゆっくり食事をし、その後、お土産を買って帰ってきた。

なんと、このご立派な食堂で誰にあったとおもいます?狭山市の教育長はじめ、役所のご一行様6人。どうしてこんなところでこういう方々とお会いするのかときっとお互いびっくりしたと思います。世間(このごろ世間という言葉をよく使いますね)は狭い。とにかく、予期しないときに予期しないことが起こるものである。誰も見ている人はいないだろうなんて思うのは間違いだ。どこで何をしていようが、人様のそしりを受けないように身を正していよう。もちろん、今回だって悪いことをお互いしていたわけでもないし、こそこそ国会にいったわけでもないので、唯会うなんて思っていなかった人にあって、お互い驚いたという事。

教育基本法特別委員会で教育基本法の審議をしていたので、傍聴しても良いかなあと思ったのだが、市川さんのところで維持会員の会があったので、結局傍聴なしにした。根性なしの野党は委員会欠席しているうちに基本法は通って仕舞った。この臨時国会のために、国会議員はほとんど議員事務所に待機状態だった。そして、野党議員はシナリオがあったのか、強行採決はありませんよとのんびりしていた。実は、やはり裁決されてしまったのに。どうして、国会は右翼みたいな人がいっぱいになってしまったのだろう。平和主義に徹する議員を国会に送らなければならないと思う。
14日(火) 今日は、朝から議会リポートを配った。配りながら市民の方の意見や、さまざまな情報を聞いて為になった。久しぶりに地域を歩いたが、水富地区はなんときれいな場所だろうと心から思った。天気はすばらしく、青空の中、畑の中にまるで別荘地だねといいながら車を走らせた。狭山市は本当にいいところだ。それにしても、私のうちの近辺は家が建て込んでいる。広い土地にゆったりと生活したいものだが、出来ない相談である。

夕方役所に寄った。久しぶりで、持っていた資料を差し上げた。喜んでくれたかなあ。
13日(月) 今日は朝から事務所でスタッフと仕事。午後は、少し休んでからパステルへ。来年の仕事のことで、狭山養護学校の先生と懇談。夕方帰ってきたのは結局6時過ぎだった。

本当に嫌になるほど忙しく、家が片付かない。
12日(日) 今日は朝礼拝。とても、本質的な話。今度2人が洗礼を受けるので、洗礼準備もかねているようである。

午後は、買い物に行ったり、図書館に本を返して、借りたりと久しぶりにゆっくりした。このところ私は毎日東京へ行って勉強会に参加し、帰宅が遅かった。今日は、家族がそろうのですき焼き(豚すき)を作った。なべのシーズンがやってきた。すき焼きは野菜が残ったが、肉はひとかけらもなくなった。
11日(土) 今日は朝から市川房枝政治参画セミナーの勉強会。内容が多岐にわたっているので、高齢者福祉という題名だけではなかった。私が学んだ点は指定管理者制度について。とても良い資料をもらったので、役所のこの担当職員に見せてあげたい。すごく刺激をうけた。具体的なのは一般質問にまわそう。そのほか、市場テストについての理解は私が考えている以上に進んでいる。これについても、狭山市のような保守的な役所はやらないと分かっていても、検討しておいてほしい課題である。

「潤ちゃんがいたらなあ」と思う局面が多々ある。仲川さんでは考えられないほど今の行革関係の試みは進んでいる。教育の取り組みも新しい取り組みが沢山あるけれど、実際行うのが大変らしいと思えば、狭山市の役人は飛びつかない。もちろん、市長が勉強していないのだから、市長から指示が出ることもないだろうしね。政務調査費をつかってこれほど勉強しても狭山では宝の持ち腐れだ。東京から1時間も離れていないのに、私が自分のことを田舎議員というのは、新しいものに対しての役所の姿勢がまるで田舎の市役所なんだもん。寂しいなあ。

夕方、新宿で信州大学の化学科の関東地区の同窓会に行った。初めて行ったのだが、はっきり言って、皆さんお年を召した方ばっかり。杏林製薬の常務、専務、事業部長、山之内製薬のお偉いさん、中外製薬の偉いさん、学会のボス、右を向いても左を向いても偉い方々。NHKの偉いかたもおられた。こういうところは、偉くなければ来れないのだなあと感心しました。高田高校の同窓会に行ったことがあるが、何しろ同じ年の同窓会だから、皆そこそこ。信州大化学科の同窓会は何しろ新制大学になって以来の方々がいらっしゃるので、まあすごいわねえ。

この同窓会に出て嬉しかったのは、たとえ、私が知識をひけらかしても皆さんわかっていらっしゃるので、言いっぱなしにならず会話になるということ。「君、それはこうだよ。」なんていってもらえると、いつになく先輩に胸を借りて、知的な会話を楽しんだ。年寄りは、説教だけしていると思うけれど、偉い方々は柔軟で、経験が豊富で、お話を聞いているのも楽しかった。残念ながら2次会は失礼した。少し会費が高くて、懐が寂しくなったが、良い経験をしました。それにしても、名簿に○○薬品なんて書いてあるだけだけど、皆上り詰めていらっしゃるのですねえ。ほ〜〜〜。市議会議員なんか目でないらしく、「君、国会議員にはならないの?」とか言われたけれど、きっとお付き合いしている政治家は国会議員だけなんでしょうねえ。ふ〜〜〜。
10日(金) 今日は署名簿の調査特別委員会があり、傍聴した。聞いていながら、いつものとおりに嫌になる。大島さんの答弁で今日極め付けだったのは、「疑われるのが嫌だったから、嘘をついた」といったことだろう。まさに、偽証を明言した。こんなことが議員の口から出てよい発言か。小谷野議員が「疑われているのでこの調査委員会が発足したのだから、嘘はつかないでください」と言っていたが、大島さんの自己防衛のための発言は爆弾発言が多くて、のけぞってしまうことが多々。

その上、中川浩さんは今回も委員会の最中に携帯で何かをしていた。延々と携帯をいじっているので、議員の一人が委員会の最中に何をしているのかという糾した。委員長にも注意をされていたが、この前は議会で携帯をいじっていてしかられたばかりだ。不真面目だ。委員会で調査をする気がないのならば、辞任すればよいではないか。いつかサニープレスで何にも発言しない議員が批判されていたが、この際、この調査委員会で発言しない委員は何のために委員になっているのだろうか。伺いたい。

午後は市川房枝政治参画センターの勉強会。2時間半にわたり、「生活保護ー現状と対策」について厚生労働省、社会・援護課長の吉田一生さんからレクチャーを受けた。膨大な資料を駆使して、現状を今後生活保護をどのようにしていくかについての説明があった。どっちにしても、景気に左右され不景気の付けが生活保護である。仕方がないのかもしれない。あ〜〜〜〜。先回の世界史の教科書の話の時は、質問を沢山した私だが、今回の生活保護については言う元気もなし。出口なしって思ってしまうのだから。

話は変わるが、市川房枝記念会の理事長はお年は召しているが、頭脳明晰でいらっしゃると感心いたしました。昔からの闘士はいつまでも気高く意気盛んである。見習いたいと思う。
9日(木) この2日間、息子が学校から帰ってくるとごろごろしていることが多かった。昨夜は食事もしないで寝てしまった。これは、彼が病気だという事である。それで朝にクリニックに予約をいれて息子を連れて行った。血液検査をし、レントゲンもとり、小児科だけでなく耳鼻科にも掛かった。細菌検査の結果が悪いとかで今週いっぱい学校を休ませるようにという事だった。あ〜〜あ。

帰ってきたら1時過ぎ。ようやくお昼ご飯を食べようとしたら、パステルからお呼び出し。仕方なく、出て行ったら帰りは4時過ぎ。それから又息子を今度は皮膚科に送り、狭山市駅西口に行った。西口駅前再開発推進のビラ配り。でも、こんなことをしなくても、西口駅再開発は出来るはずであるが、あまりにも「見直し」という人たちが嘘ばかり言うので反論しようという事なのである。90億円で出来るわけもない事を出来るように言うのは嘘である。
8日(水) 今日は朝から忙しかった。議会事務局によって資料の整理をてもらい、視察の打ち合わせをした。

いつもとおり(私たちは気が合って、気心知れた仲という事で時々議論をしあったりしています。)、私と議会事務局次長(要望にお答えして特定します)と私の独り言に“役人”について書くことで議論をした。彼は“役人”をいっぱ一からげにするのは許せないようである。でも、私はどこで何をしても“議員”として批判の矢面に立つことが間々ある。政治家は汚いとか、政治に真剣に取り組んでいないとか、個人的なものから、私は関係ないのに何でこんなことを言われなければならないのかと思うことまで。本当にサンドバックだ。勿論、私と無関係だったり、自分は違うことにはきちんと反論をする。でも、私はある時からは、議員の代表として市民にしかられても仕方ないかなあと思うに至った。私は一市議会議員だが、狭山市議会の一員なのだから、市民の目にはいっぱ一からげの狭山市議会議員なのだ。会派も男女も関係ない。

“役人”にもそれはいえないだろうか。私も含め世間様(なんと昔めいた言い草だろう!)はあの役人、この役人と思っていない。役人(この言葉も古めかしいけど、地方公務員なんていえない)はどの人も同じ。部長だろうが、ひらだろうが、部外者には同じなのである。こんなことは私には自明なのだが、自分が役人だと腹が立つらしい、とくに批判をされた時は。

このコラムで役人を批判することは少ないけれど、ある。勿論、世間様に批判している人を特定させないために名前などを書くことは少ないが、批判された人や役所の関係者は誰のことを言っているのか明らかだと思う。一方的な意見を言うというが、独り言は世論を乗せているのではなく、私が思ったことをつづっている。私の目から見たことであるのは事実である。私の目から見て批判することがあっていけないのだろうか。役人は私の意見に反論できないので、批判してはいけないと次長は言う。特にHPは多くの人が見ているからいけないという。

本当に反論できないか。メールアドレスは公表している。私にメールしてくれれば、反論をここに掲げたり、訂正を入れたこともなかったわけでない。反論してください。確かに、私だって他の議員が不正をしたことを、あたかも私がしたかのように言われた時に、議員として申し訳なさが先にたって反論できないこともあった。この場合、反論の仕様がなく、ごめんなさいだ。そんな場合もあることにはある。

表現の自由って何だ。同じ事をしてもそれに関して同じように人は考えない。さまざまな考えがあってよいというのが、自由民主主義ではないか。批判することも批判に反論することも自由だ。そして、それを文字に書かれても、仕方ないと思う。いい気持ちはしないに違いない。でも、批判されたりしたことは、その時は腹が立つこともあるが、後々考えると有益なことも私の場合あった。

私は、係わり合いにならないことの方が、無関心でいることのほうが、愛がないのではないかと思う。私は人と議論することも、腹を立てること、立てられることも多い生き方をしているだろう。回りにとって私はうっとうしいかもしれない。しかし、幸せなことに私がこのような人間にもかかわらず、古くからの友達が多いのは何でだろう。勿論私は八方美人的な生き方は出来ないから、私を大嫌いな人も多いかもしれない。しかし、それ以上に身体ごと心ごとぶつかりあった人とは長い長い友好関係を築いている。批判をしないでいい子で、思ったことも言わない生き方を私はしないし、出来ない。もちろん、そのために返り血を浴びるのは仕方ない。すなわち、私だって批判されても仕方がないという思いをもって批判している。たとえ、役人を批判する時にも。
7日(火) 今日は朝から忘れないうちに私の独り言を書いていた。朝はスタッフも来たので、仕事の指示を出したり、報告を聞いたりした。「すすむ会」のイベントはもうすべてスタッフ任せである。安心して信頼できるスタッフにお任せできるのは嬉しいことである。今後は選挙をにらみ忙しくなる。会員だけでなく、多くの市民の支援者を組織しなければならない。スタッフ任せにせずに頑張らなければならない。

今日は午後からするべきことは沢山あったが、家から一歩も出なかった。夕ご飯はいろいろ作った。子どもたちは久しぶりに母の作ったご飯を喜んで食べていた。
6日(月) 今日は帰りの日。少しスローダウンした。起床は7時ですから。とはいえ、私は6時にはおきだし、7時前に朝食。少し時間があったので、西湖までお散歩した。一人で出歩くのはこれが唯一のチャンスだった。西湖のほとりにたたずみ遠くを見ると、緑が霞の中で美しかった。その湖に昔ながらの屋根がつりあがった屋形船風の観光船が浮かんでいた。その近くを今風の観光船が通っていった。中国の景色はおおらかで、ゆったりとした歴史の流れすら感じさせる。

湖畔では太極拳をしている人がいる。大勢でしている人もあれば、何人かの小グループでしている人もいる。ゆっくりした動作はこの国の広さを象徴しているかのようだ。人間の大きさもこの国で学んだように思う。政治のことについても、良い時も悪い時もある、雨のときも曇りの時も晴れるときもある。でも、いつも、雨ばかり降っているのではないという。これは杭州市で出迎えてくれた呉さんの言葉であるが、ふっくらとしたお顔の呉さんが言うと本当にそうだと思うし、悠長に思える考えでいればいいのだと変に納得した。中国人にはかなわないなあと思う。

午前中に少し買い物をしたが、なんと30分しかなくて、今回のお土産はまともに買う暇がなかった。朝早く遅くまでの日程を精力的にこなした。自分では足がどうなることかと心配をした。人に迷惑を掛けてはいけないと思うからである。だから、時間があればマッサージをお願いした。これは私の趣味の問題かもしれないけれど、どこに行ってもマッサージをお願いしている。北京でもしてもらったけど、今一。でも、ここのマッサージは気持ちが良かった。マッサージをしてもらっていたから、昨夜は買い物にいけずに残念した。焼き物博物館のようなところに行った。金銀財宝が安く売っていたが、買い物はなし。でも、きれいなものを見るのはとても嬉しい。

午後、日本に帰ってきた。役所に着いたのは8時40分。明日の弁当のおかずを買って帰ってきた。夫はまだついていなかった。子ども達にお土産を渡したが、女の子は喜んだけれど、男の子は絹のパジャマなんか見向もしない。いいさ、私が着るものね。

4泊5日、全く知らない人との旅は疲れた。それでも、皆陽気な人で笑いながら旅行を楽しんだ。私は心配したアレルギーも出さず、足がはれ上がることもなく、すごすことが出来た。これをアレンジしてくれた狭山市職員、団長の野口さんには感謝でいっぱいである。杭州市の方々の熱烈歓迎はひたすら嬉しいものがあった。狭山市でもクロスカントリーの時にでも杭州市の市民をお呼びできたら良いのにと思った。体協の方や国際交流協会の方の協力なしには出来ないことだし、お金も掛かることだから、簡単とはいえないかもしれない。でも、トンヨン市やワージントン市の人はしょっちゅう来ているわけだし、中国の方々にもきていただきたいと願っている。いつも伺うだけでなく、お呼びしたいものである。

それにしても杭州市は大きい。帰ってきて狭山市に入り、早く西口を再開発したいものだと思った。杭州市の街づくりに比べて、狭山市がお粗末に思えて仕方がない。狭山市には中心核というものがないのだなあとつくづく思った。それに、中国に比べて人が少ないのはいたしかたないところであるか・・・・中国が大好きになって帰ってきた。お食事もおいしかった。国も広々していた。どこから出てくるのかレセプションなどの大判振る舞いもすごい。いつか、また夫を連れて中国を訪問したいと思う。
5日(日) 今日はマラソンの日。朝早くに起きて、開会式場に行った。ハーフマラソン、クオーターマラソン、5キロマラソンの人をここでおろした。けれど時間がないので、私たちは開会式を見ることなく2.5キロの出発点に出発。2.5キロを走る人が出発したのを見届けてから、私たち荷物もちはゴールへ向かった。女性の部で狭山市のランナーが1位、2位を取り嬉しかった。

10時から表彰式があった。私は写真をとりに受賞者とともに会場へ。この時ひどい渋滞だった。この渋滞を抜けるのに、車は歩道に乗り上げて走るし、マラソンコースも走るし、さすがに共産国。公安の車はどこにもいける、どこでも走れるという事がわかりました。本当に、日本では絶対不可能なことが中国では可能です。乗っていて、日本人たちは凍り付いていました。

私は表彰式場でカチカチに緊張。カメラを写すのに粗相があってはいけないからです。受賞者は靴からウエアーまで与えられて、さすがに国旗の掲揚はなかったものの表彰台のうえに上がって表彰を受けたのです。ところが、私のカメラはバッテリー不足になり、変えて写しているのに写せない。よく見たら、カメラのボタンの位置がずれていて、写せない。あ〜〜〜〜、カメラマンを申し出るのではなかったと思っても後の祭りでした。ごめんなさい。

午後は食事をするためにレストランにいきました。おいしかった。3食中華料理ですけれど、私にあっているのか、おいしくておいしくて仕方ありませんでした。きっと、私のアレルギーを考慮していてくれたのかもしれません。それにしても、他の日本人も食事には満足していたようでした。味付けも口に合うようにしてくれたのかもしれませんが、おいしい。台湾の味付けよりもずっと本土の料理の方が私の口に合いました。薄味なところがとても良かった。食事毎にご馳走に配慮が行き届いていて本当に感謝した。他の方々からも文句一つ出ませんでした。ありがとう。

お茶の博物館に行って、お茶の点前を見せてもらいました。ジャスミン茶を買ってきましたが、高かったので50グラムしか買いませんでした。ところで、このお茶の博物館は国立博物館なので、観光お茶屋さんではありません。でも、狭山市駅西口には観光お茶屋さんのような場所があるといいのにと思いました。杭州市のお茶の博物館のように観光客にお茶をたてて見せるというのはどうでしょうか。そして、狭山茶だけでなく世界のお茶、特に杭州とも友好都市なのですから、中国のお茶も売るというのはいかがでしょうか。商売では難しいというのであれば、商工課がバックアップするのがよいとおもいます。お茶の狭山市としては西口にコーナーを設けるのはいかがかと思います。

こんな風に、何を見ても何をしても狭山市のことが頭から離れません。これは市議会議員は、役所の職員のように、仕事は9時から5時まで、休みの日は仕事でないという立場ではないからです。後で触れますが、親善訪問に自前で来ている役所の職員に「高橋さんは僕を職員としてみている。僕は個人としてきているのですから」と大きな声でしかられました。私の場合は自前で来ようが休日であろうが、夜であろうが昼であろうが、国外であろうが国内であろうが、市内であろうが市外であろうが、公務であろうが私用であろうが、狭山市議会議員であることに変わりはありません。それが選挙で当選した議員というものでしょう。特に狭山市主催の親善訪問団に加わっているのだから、市民と全く同じというわけにはいかないと思っていました。関係部署の職員の場合、他のツアーで旅行をしているのならいざ知らず、彼が職員であり、責任を持っていることに代わりがありませんから、私はもっと洗練されていてほしかったと思いました。洗練に関してはいろいろ考えが違うし、端的に指摘したのは申し訳なかったわけですが、座がしらけるようなことを言われるのはいかがだったかと思いました。
4日(土) すばらしく晴天が続いている。午前中にホテルを出て、杭州に行った。飛行機で約2時間。午後は杭州観光をした。見る景色がとても懐かしい。柳の木の並木が西湖湖畔に植えてあり、その一角にある白楽天が好んだという丘に登った。そこで見る景色はまるでデジャブのように、いつかどこかで見た景色なのだ。きっと、山水画や掛け軸でみた絵がそこにあるという事なのかな。嬉しいことは、この景色と風景には人が沢山いて、寂れていないこと。人々が生き生きと昔どこかの掛け軸で見たことのあるリゾート地の西湖で昔以上に楽しんでいるというのは、驚きだ。歴史の場所が歴史として捨て去らず、いまだに現役。

夕食は杭州市による歓迎会。野口団長、諸口さん、狭山市役所の前沢さんに杭州市から長年の友好協力に対して感謝状が贈られた。私はなぜこの親善訪問に加わったかというと、どんなりっぱな武器を作っても平和をたらせると思わないからである。何べんもここに書いたが、人との交流、隣国を理解すること、そういう積み重ねが平和を築くことになると信じているからである。アジアを、隣国を知らずに日本は立ち行かない。他国と仲良くしなければならないと思う。今回は政務調査費を使わず自費で参加した。観光が中心の旅行であるからだが、観光というけれど観光によってとても多く中国を知ることが出来た。施策の勉強はその背景を知らずには理解できない。観光による広い知識によって深く政治の理解が出来るというものである。いつもどこに行っても市議会議員として、小さな田舎の街(北京市1200万人都市、杭州市600万人都市、これに比して狭山市16万都市)の政治家ともいえない政治家としての目で、すべてを見てしまう。特に、建設委員を長くしてるので、街づくりを見るとチェックしてしまう。

ともかく、野口さん、諸口さん、職員の前沢さんの今までのご努力には狭山市として表彰物だと思う。勿論、狭山市も野口さん、諸口さんには功労賞をささげると思うし、すでに差し上げているかもしれない・・・今回杭州市にはとてもよくしていただいたが、これはすべてこの方々の長年の尽力のおかげである。「良い時も悪い時も友好関係を持続させたことに感謝する」と杭州市の呉さんがおっしゃったが、この10年間、この御3方がちっとも変わらず友好関係の持続にご努力したことについて心から尊敬の念が沸いてくる。こういう努力の積み重ねが平和を築くのだ。出来ないことだとつくづく思う。
3日(金) 今日は朝6時過ぎに起きた。昨夜は疲れ果てて、ベッドにつくや否や寝てしまった。今日は8時半出発で天壇公園を見て、午後は万里の長城を観光。

天壇公園は樹木が多く世界遺産に登録されている。多くの市民がこの公園の中で太極拳をしたり、ダンスをしたり、楽しんでいた。この国は人が多すぎて、女性は45歳、男性は55歳が停年だそうで、暇をもてあました人たちが三々五々金の掛からない公園で遊んでいるという事らしい。若い人は仕事で忙しいが、中年以降の人は遊び暮らしている。良い国ではないか。

でも、私は出来ないなあと思う。朝早く仕事に行く前に運動するのはわかるけれど、一日中太極拳をやっていられないなあ。暇がありすぎる人生なんて今のところしたことないが、きっとつまらないかもしれない。誰かのご奉仕を出来る人生でありたいなと思う。残念ながら現地の方々と親しく話す機会はなく、どう考えているのか聞く機会もなかった。次は、現地の方と懇談できることを願う。

この公園には、昔の皇帝の子孫が書を書いていて、一枚色紙を書いてもらった。一万円。高いか安いかはわからない。そのうちのいくばくかは天壇公園や故宮の補修代になるという事なので心付けのつもり。勿論、通訳は仕事として私たちをその場に連れて行き、キックバックもあるかもしれないけれど、彼らはやはり人民政府を愛していて、皇帝を冷ややかな目で見ているのは明らかであった。すばらしい故宮や天壇公園など昔の建物を見ていると、私はどうしても人民の側に立って物を見てしまい、この金はどこから来たのだろうかと思うのだ。金銀財宝に包まれた人がいる一方で、虐げられた人々の暮らしを思うのだ。中国を攻めさせるような政治をしていた皇帝たちの無能力さを思う時に、広大な国の中での一人ひとりの人民の重さ、軽さに考えが行き、広大な公園や広大な宮殿を見るごとにこの国の政治の難しさに胸がふさがれる思いだった。

万里の長城は市役所の桜井さんが手を引いてくれたので上れたというのが本音である。ありがとう、桜井さん。長城へはまず、長城付近にバスで行って、そこから上るのである。女性坂と言われるところだって、かなりの急斜面であった。長城自体が山の峰にそって何万キロも続いているわけであり、だらだらとのぼり下りが続く。良くぞ作ったものだ。中国の歴史を学ぶのはきっと面白いだろうなと思う。だから、なぜ日本の高校で世界史を教えないか理解できない。私が昔に教わった歴史の知識だけでも多少の役にたった。もしなにも中国の歴史を知らなかったら、中国観光なんて若者はしないだろうと思う。何にも中国にロマンを感じないだろうと思う。隣国に興味を持たすのは、受験どころでなく大切だ。そんなことを話題にしながら長城を歩いた。

夕食後、京劇を鑑賞。歌舞伎はまさに京劇の亜流と感じた。ああ、日本文化よ、どこに独自性があるというのだ。これから、日本文化を新に創造しなければ・・・・・
2日(木) 朝3時半におきて、食事をした後、4時半に狭山市駅に集合。中国杭州市へ西湖マラソン親善訪問に行った。詳しい事はアルバムを作るとして、たずねたところだけを書く。

飛行機を降りたのが、午後2時ごろ。その後、故宮博物院へ。故宮博物院は建物を見て歩くところで、中似合ったお宝はこの前台湾で見た。広い広い敷地に御殿が何棟も並んでいた。3000人のお妃を持っていた皇帝もいたそうだ。あまりにもご立派で驚いてしまう。中国7千年の歴史をまずは軽くジャブされた感じ。

このところを歩きながら感じたのは、何でこんな大きな国に攻め込んで征服できると日本は思ったかという事である。台湾と比べ本土は実際とてもとても広大だし、道路にあふれんばかりの人の数。自転車の数。活力を感じる。高々2千年や3千年の歴史しかない日本。そして、文化そのものだって中国からまねたものが多い。この文字にしたって、いまだ漢字を用い、ひらがなも漢字から作ったものだ。寺の建築様式はほぼ中国と変わらず。唯、日本のものは中国に比べ小さいだけだ。

この日夕食後に少林寺拳法の公演を見たが、日本の武道の柔道、剣道、空手のどれをとっても中国の影響を受けたというか、中国のものを発展させたとしか考えられない。すばらしい公演で昔ニューヨークで見たダンスのパーフォーマンスを思い出した。ただ、昨日すばらしい音響でキャッツを見たので、公演の内容と舞台の装置は世界の一流であったと思うが、音響は平板で技術力のなさを感じた。しかし、あのパーフォーマンスを見ているとオリンピックで体操も他の種目も金メダルを取ることに納得できた。

夜の夜景がきれいだ。このたびは中国アフリカサミットが行われているので、街のライトアップがいたるところでなされていた。橋もきれいだった。木々もクリスマスのようだった。通訳も「今回来られてラッキーでした」と言った。あちこちに警官、軍人がいた。そのせいか、今回は掏りにも会わず、安全なたびだった。
1日(水) 今日は朝から楽しみにしていたミュージカルキャッツに出かけた。もっと早くに出かければ、夫と二人ゆっくり昼食も出来たが、息子の調子もまだ回復していないばかりに、息子に薬を飲ませるやら昼の食べ物を指示しておくやらで時間がかかりすぎて早く出発できなかった。

キャッツは五反田のキャッツシアターで公演されていた。大きな劇場でなくて、この前見たオリバーのストラットフォードでの劇場と同規模。舞台の作りもほぼ同じ。作曲者もオリバーと同じアンドリュー・ロイド・ウェバーだから、舞台そのものの作りは同じようでも不思議はない。所々、オペラ座の怪人のメロディーが聞こえたりしたのも、オペラ座の怪人も彼の作品だから不思議はない。また、ところどころに賛美歌が聞こえたのも彼はジーザスクライストスーパースターを作曲したような人だからそれも不思議はない。そもそもこのキャッツそのもののテーマがイエスの救いについて言っているようなものだ。クリスチャンでなければ、西洋文化をよく理解できないのではないかと思う時が多々あるが、このキャッツの公演もそうだと感じた。

特に娼婦の猫が昇天するシーンは、どんな罪びとでもイエス様は救ってくださるのだというメッセージである。弱ったもの、虐げられたものは私の元に来なさいというメッセージがよくわかった。それに、メモリーという曲のすばらしさは、たった2回しか歌われないのに胸に響いて、涙が出た。本当にすばらしいミュージカルである。出来れば、演技者がこの神を、イエスを賛美する内容を深く深く理解した上で演技してほしいものだと願う。娼婦の猫は実は私たちであり、沢山の罪を犯しながら生きている私たちも信じれば救われる。罪を背負っていても天国へ招かれる希望を持っている喜びを表現してもらいたいと思った。

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