私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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2月 私の独り事
28日(火)
41200カウント
今日は議会初日だった。様々な事があり、疲れきった。議会が終わり、返ってきたら娘がカレーライスを作ってくれた。息子はお風呂を作ってくれたので、入ってすぐ寝た。
27日(月) 今日は朝息子と激論。こころの整理ができぬまま議会へ。市街地整備促進特別委員会の審査を傍聴に行った。この前、地権者、又は権利者71人として提出された文書で大島議員がその署名を委員会に提出したが、その署名者に地権者が20人借地権者が1人しかおらず、後の50人は実は地権者でも借地権者でも(すなわち権利者)でなかったという事が判明した。

この度は、このような権利者でない人をあたかも権利者のように装い、権利者だと嘘を言って名簿を委員会に提出した大島議員や、大島議員等の話を丸呑みにして、週間民主(赤旗日曜日版)に“地権者(時には権利者)71人が反対など”と書きた狭山議会共産党とその代表者の広森議員、また、地権者で71人もの反対の人がいると言って委員会で見直しを求めた共産党内笹井議員、地権者と共に71人の署名があるとして市長等に面会を求めた中川浩議員等に質問が集中した。

答弁によると中川、広森、内笹井議員とも署名については一度も目を通さず、大島議員の持っていた署名を正しいと信じ、共産党機関紙に載せたり、議会内の公式の場(委員会)で発言をしたのだそうである。この署名が全体として嘘で固められておると判明した事態を受けても、今までの件についての責任などには3人とも触れなかった。内笹井議員は共産党機関紙の問題は議会を通じて訂正を要請するべしとの見解を述べた。私もそう思う。

大島議員は出席を依頼されていたにも関わらず今日は傍聴にも来ず、委員会が電話をして確認したところ外出していて出席せずじまいだった。大島議員は市長に要望書を渡した時に地権者71人が反対したという署名を持っていたといい、封筒を見せたという。しかし、反対の地権者の代表はすでにその中の地権者は71人でなく、たった5人であると訂正した書類を市長に提出してあったそうである。それなのに、なぜ大島議員は委員会においても地権者または権利者が71人などと虚偽の発言し、委員会を混乱させ、市民にあたかもそれが正しいかのように喧伝し、させたのかについて本人からしっかり説明を聞きたいものである。その後、その責任が問われても仕方がないと思う。署名者が地権者や借地権者でなかったとは知らなかったと彼が言ったとしたら、逆にその無責任が議会から問われても仕方ない。

国会の永田議員は法律上嘘を信じて国会で発言しても責任を問われないが、地方議員は虚言の流布として責任が問われる。私は彼が議運の委員長時代どれほど言葉の言い回し一つですら適切でないと訂正、削除を命じられたか分からない。私は一度も嘘を言わなかったし、私の言い方の方が事実に近くとも彼は極めてうるさかった。その彼が今度の件ではっきり言い切ったことを知らなかったでは済まされない。議会での謝罪は当然として、自ら記者会見して釈明、謝罪し、訂正するべきである。それは委員会所属の3議員だけでなく、要望書提出時に同席した議員全員にもいえることかもしれない。

午後はいろんな民族民族の会のミーティング、教育委員会等とのヒアリングが8時すぎ続いた。1つ特記しておきたい。それは、総合企画部、企画課が私の一般質問のヒヤリングを拒否した事である。私がヒヤリングしなかったのではないから、私は通告どおり質問するが、ヒヤリングがなかったので答弁できないなどといわない事である。私はもう一度こちらからお願いするつもりは一切ないが、議長にはこの事実を申し上げておきたいと思う。ヒヤリングを申しいれたのに拒否されたら通告しているのにも関わらず質問できないというのであれば、議会の権威が執行部によって踏みにじられるという事である。執行部が聞きたくないことでも私達議員や議会はいわなければならない。それが使命である。

他市の議員には原稿を執行部に見せるとは議会が猿芝居をしているようではないかといわれるが、私は責めるために質問するのではないと大抵は見せている。けれど、ヒヤリング拒否では執行部との付き合いも水臭いものにならざるを得ない。
26日(日) 今日は朝、礼拝。話は「神の言葉に聞き従いなさい。」という事。この前とは違う教会に行ったにも関わらず、結局同じテーマだった。証しの時を持たせていただいた。

午後は食事の後、弟とカルフールに行った。人が一杯だった。また、1万円以上の買い物をした。

夜、食事の後、弟を連れて狭山市駅に。夫は東村山まで送って行った。末の息子は頭が痛いといって、食事も取らないで寝た。子供を持つと色々な事が起きる。
25日(土)
41100カウント
今日は、早朝息子に起こされた。彼が行ったクラブのロッカーから閉まっておいたはずの財布が取られたということである。それで、警察の現場検証に車で川越まで連れて行った。帰ってきたら7時。ようやく寝ようとしたら、電話が掛かってきた。寝る暇もなく、朝からとても忙しかった。

弟がきているせいでもあった。とにかく朝食後、夫を弟と娘と共に散歩に出し、私はしごとに。といっても、予算書をスタッフと共に読み合わせ。ゆっくりした訳ではないが終わらなかった。その後4時過ぎから、ミーティング。帰ってきて、ゆっくりする間もなく夕御飯を食べ、高遠さんの実行委員会に出かけた。

実行委員会は思ったよりもスムーズに行き、今後の役割分担なども決めた。でも、帰ってきたのは9時過ぎだった。
24日(金) 今日は朝9時からヒアリング。まず、健康関係のこと、医師会との契約。次は教育委員会と国際交流関係。その後、パステルの事で日程をきめ、その間に子育て関係のことを課長と立ち話。蕎麦だけ一杯食べてから、議会事務局でお茶を飲んでいたら、次のヒアリングの課長に遅刻だと叱られ、はっと時間を見たら1時5分。9時からのミーティングでお茶一杯飲まなかったし、ホッとする暇なく、2時からは西口関係のヒアリング。途中で建築指導課が話を市に来て、はっと気がついたら2時50分過ぎ。家に立ち寄り書類を持って、3時半からは聖望中学校の保護者会。全体会があり、学年会があり、クラス懇談会があって終わったのが6時過ぎ。急いで帰ってきたけれど、7時過ぎからやっと御飯作り。

弟が午後3時ごろ車検済みの車を持ってきた。8時半過ぎにはアメリカの弟がビジネストリップのため日本に来たので、泊まりにきた。だから、夕御飯は9時近くなった。久しぶりに家が片付いているのはジムの弟のジョンが来たから。私は忙しくて何もして上げられない。
23日(木)
41000カウント
今日は朝パステルでミーティング。改革ってお金もかかるし、乗り気になれないのかね。これではパステルは赤字で倒産するだろう。障害者のための仕事場として開始したのに、経営不振で閉じるなんて・・・その前に、何とかしなければ。

午後はスタッフと高遠さんのことで話し合い、議事録を送付した。

夜は6時から男女共同参画市民会議の傍聴に出かけた。(開始は6時半だった。)今まで、何度も傍聴したいと言っていたのに、市民部の次長が決して傍聴させてくれなかったのだ。そもそも、市民会議の日時だって公開していなかったと思う。閉鎖的な会議が前向きな議論をするわけない。今日は初めて傍聴したが、この会議が市民に開かれ、多くの人が啓発されていく事を願う。公開したことで、今後は少しずつ変わっていくかもしれない。

途中ヤオコーで安いものを買って帰り、夜9時過ぎから夕御飯となった。不規則な食事はデブの元なのに・・・
22日(水)
40900カウント
今日は朝から、原稿のことを考えて過ごした。要するに考えただけである。いつものごとく、本を読んだり(勿論関係のない本)ホームページを見たり、鬱々していた。役所からは何の問い合わせもない。予算書を読まなければならないのに、元気がない。

夕方、カルフールに買い物に出かけた。何かロケをしていた。いつものごとく、1万円を越す買い物をした。カルフールにはマイバックではなくマイ篭を持っていく。ショッピングの篭を売っていたのでそれを買った。カルフールって書いてあるのでヤオコーに持っていけないのが難点だが、ショッピングバックは大きさが足りないし、この篭は便利している。それでも、レジ袋が溜まって仕方ない。燃えるごみだけでなく、使わせてもらいたいと思う。

夕方、頭のマッサージをしてから帰ってきた。血行がよくなったのか、頭がほかほかした。鬱状態は変わらず。
21日(火) 今日はあさ、子供2人が頭痛でお休みした。インフルエンザがはやってし、少し熱っぽかったので休ませた。お姉ちゃんは中3だから風邪を引かせたくない。

その後、友人のところで書類を完成させた。昼近くになり、役所に書類を出しに行き、食事を一緒にして分かれた。通告をシナケレバならないが、結局、今日の夕方になって出した。圧倒的な鬱状態がやってきている。嫌だ嫌だ。(何がって?原稿書き。)頭の悪さと切れのなさを毎回感じる。ナタ。シャープさに欠け、追求はゆるく、言い負かされ、しどろもどろ。ああ言われればこう言うという論理の切れが全然ない、私。丹念な調査と豊富な資料で役人に迫らなければ。それでも、私は役人をぎゃ分と言わせるためにそれをするわけでないので、種明かしをしてあげている。私のように資料を持っている役人はいないから、教えてくださいなんていう人もいるのだ。とにかく、資料や調査結果を一生懸命考えて、結論で物を言う事しか私には出来ない。

返ってきたら、もう買い物にも行くのが嫌になるほど疲れていた。頭が、働かない状態である。あとから、お風呂に行って肩を揉んでもらいたいと思う。時間的に無理かなあ。
20日(月)
40800カウント
今日は朝読み聞かせのボランティアに行った。その後、友達と会って市と教育委員会から後援を貰うための申請書を取りに行った。友達に申請書を持っていってもらい、私は全員協議会へ。執行部の報告は屎尿処理の業務委託のこと。私は見積もりをとるにしても結局は補助金を900円から3000円に上げると同じ事ではないかといった。違いますというが、業者に渡るお金は結局3000円になるのだ。見積もりだって一番安いところに委託するわけでないので誰が安い見積もりを出すものか。そんなことも分からないわけはないのだが。

その後は下水道の調整区域への拡大。今後は本当はやめるべきではないかと思う。維持経費がかさむし、その上、調整区域では住宅は基本的に建設できないのだし、投資効果なんて今後は考えられない状況になっている。45億をかけ、1400所帯のために下水道を引く事になる。もうこれでよいのではないか。入間市が調整区域に手をつけていない理由が今になって分かる。投資的な意味合いが少なすぎるのである。費用対効果を考えれば無駄かもしれないと思う。合併浄化槽をかんがえるべきではないか。

全員協議会が終わった後、議会で請願の紹介委員になる署名をした。その後急いで飯能のプリンスホテルへ。狭山市にもシティーホテルがほしいなあと思った。とにかくトップオブハンノウで聖望のバンドの育成会の反省会に出た。顔なじみのお母さん方と楽しく過ごした。まあ、料理はほどほどのお味。もう、口が肥えているので、あのぐらいの料理ではおいしいねえとは行かない。残念だ。

その後、役所に行ったが、あれこれ分からない事があり、教育委員会へ行った。結局返ってきたら8時半だった。疲れた。夜中は書類を作るのに忙しく寝たのは2時過ぎだった。
19日(日) 今日は朝近くの「のぞみ教会」で礼拝をもった。今日のメッセージは「お言葉ですからやってみます」という事。神様からの思いが与えられた時には、神様がおっしゃられて事は、できないと思おうとも無理難題だと思っても、とにかくやってみますといい、やることにする。戻ることなくヨルダン川を渡りきる。心を強くして全力でわたる。「そうしよう」と思った。高遠さんの事があり、340席もあり、一杯にしなければならないのだが、不可能に思われた。けれど、「神に不可能はありません」という聖句がある。私も後2ヶ月一人でも多くの方に整理券を持ってもらうために頑張ろうと思っている。「平和を作る人は幸いです」と聖書に書いてある。私は平和を作る事はないかもしれないが、高遠さんの講演を聴きに着てくださる方の中から、もしかしてその一人になってくださる人がいるかもしれない。そんな風に思う。

午後は洗濯を干した後、郵便局に行き、図書館に行った。図書館では明日の読み聞かせボランティアのための本を選んだ。恐竜の本をたくさん借りてきた。読み物ではなくて、理科の本も楽しい事を伝えたい。私は調べ物学習をさせたが、本から色々な知識を得ることを知ってもらいたい。
18日(土) 今日は朝ゆっくりしてその後に家事に勤しんだ。1時過ぎに息子の中学の合唱祭があるので夫婦で出かけた。まあ、上手だったが、狭山西中学校には負ける。唯、中学校1年生は聖望の方が良く歌っていたかもしれない。選曲が割りと古くて、10年前に良く聞いたなあと思う曲もあった。息子のクラスは練習は頑張ったと言っていたができはイマイチ。指導者の問題なんだろうと思った。担任はあまり合唱を分からない人だから仕方ないか。

その後、7時からは高遠さんのイラク報告会の第1回実行委員会。色々な考えがあるようだが、私は個人個人のネットワークで進めるより仕方ないかなあと思っている。大きな組織を巻き込んで行えればそれにこした事はないかもしれないが、既存の組織に依存しないで、本当に一人一人がきちんと賛同人を集めたり、整理券を持ってもらう事が大切なように思う。今度の時は分担をしっかりしよう。
17日(金)
40700カウント
今日は10時から「パステル」で親の会と指定管理者とのミーティング。その後、少し友達と話しこんだ。パステルで食事をして、議会事務局に行った。4時間、資料を読み、話しをだらだらしたりして、通告をまとめようとしたが、まとまらない。「他の場所で考えたら如何ですか」と言われたが、他の場所に行くと絶対本を読んだり、新聞を読んだり、コンピューターを覗き込んだりと逃げてしまう。だから、頑張って粘って議会事務局にいたのだが、結局まとまらなかった。私の頭は本当に詰まっていてまともに働かない。いつもの、議会前症候群なのだ。

夜、弟が車を取りに来た。彼が来るのを忘れて役所にいて、申し訳ないことをした。寒い中を歩きながらやってきた。ごめんね。車検をお願いした。

夜、7時過ぎに弟を送り出してから、富士見集会所に行き、この前のワージントンの高校生を迎えての交流の反省会があった。まずはホストファミリーからの話があった。楽しく有意義な時を持った事が皆から発表された。私もそう思った。願わくば、次回は韓国や中国の中高生らとの文化交流もほしいと思う。この度は音楽を通じての交わりだったが、演奏してくれる人だけでなく、聞くほうもとても感動した。よかったと思う。
16日(木) 今日は朝から資料を読んだり、このサイトを直したりしていたが、12時からは狭山手をつなぐ親の会のミーティングがあり、三時過ぎまでバーミアンで昼食を取りながら話し込んだ。午後は一般質問の内容について悩んでいた。でも、家にいると考えがまとまらない。結局、いつものように関係のない本に逃げ込んだ。議会が近づくとドンドンこうなってしまう、ダメな私。
15日(水)
40600カウント
今日は朝スタッフと話し合いながら仕事をし、午後1時からは環境部次長に屎尿関係の話を聞いた。理解はできても納得できない。私ならば違った対応をするだろうなと思う。役人さんはああいうけれど、彼が部署が変わったら次の人が彼の言うようにするかなあという不信感がぬぐえない。いくつもいくつも期待はずれの事をくりかえされた経験があるので、今そういっているけど今後そういう風に行くかいなと思うの。眉唾物かなあ、なんて思ってしまう。

3時からは「狭山市駅西口再開発事業を推進する会」の発足会に出席した。請願を議会に出すとの事である。私は紹介議員の一人となる。最終段階に来た再開発事業を再生機構の手でしっかり施工していただき、新しい街づくりの核、拠点を作り上げてほしいと願っている。

私が今の計画で一番心配している事は風の問題である。下からの吹き上げの風がすごいだろうなと思うのだ。2方にビルが並んでいてトンネルのようになっている形状では強いカーブをつけるか防風体や防風林を作らなければビル風がすごくて、駅前広場で催しもできないし、カフェもできなくなる。外向きの店舗に人が来なくなり、結局ガラス窓をつけるか、ガラガラになるかだ。新都心のビル風のすごさを知っている人にはこれが理解してもらえるだろう。この点をどうにかしなければと思う。
14日(火)
40500カウント
今日は朝10時からの「森は海の恋人」という講演会に出かけた。森と里と海とは一体として生きていて、海を再生するには森も里も再生品ければならないということ。そうだと思いながら話を聞いた。

その後、役所で昼食したのち、議会事務局へ。資料請求したものが少しずつできてきていた。それで、疑問点があるので、7階の財政課へ行った。そして、財政課長、企画次長、行政改革課長、事業誘致課職員、広報課長、教育委員会学務課長、都市計画部長、商工課長等と話をして帰ってきた。その前には契約課長と電子入札について話を聞き、少しでも安くよい入札をと頼み、環境次長、環境部長と立ち話をした。午後、1時から6時近くまで役所にいた。和やかな話の中でやはり問題点もあり。電子入札はどうなる事やら。メリットはないのかなあ。
13日(月) 今日は朝ゆっくりしようとした。けれど、高遠さんの広報がされてから、チケットのことで電話があったりして、寝ていられない。また、昼にはチケットを取りに来る人もいて、1時半過ぎまで忙しかった。それで、この前のごみをようやく2時過ぎに第1環境センターへ持っていった。その後、カルフールで買い物をして(コンテナーなど)帰ってきた。

午後はあっという間に過ぎたが、夕方からエネルギー切れ。夕御飯を作って、本を持ってベットにいったのだが、本を読まずに寝てしまったようだ。9時過ぎだったのに、毎日トリノオリンピックを見ていて、睡眠不足で眠り込んでしまった。
12日(日) 今日は朝近くの教会で礼拝。高遠さんの話をさせてもらった。整理券を何枚かとチラシを置いてきた。「ピリピ人への手紙」の一節が私の心に届いた。「思い煩わないでいなさい。感謝して祈っていなさい。そうすればイエスによる平安が与えられます」というようなところであった。幸せな私でも思い煩うことも多く、心配したり不安に思うこともある。イエス様に感謝して祈ることにしようと思う。分かっているつもりでも、その時々にはっと心に響く聖書の箇所がある。

午後はお昼をその教会でいただいた後、カルフールに買い物に出かけた。忙しくて、ヤオコーに駆け込んでそそくさと買い物をして帰るという事の多い日々。今日はカルフールでゆっくり買い物をしたので、大きなカート一杯の買い物で1万7千円にもなった。これで何日か過ごせるはずだが・・・・それでもすぐにたりなくなるんだから、我が家の食欲はすごい。
11日(土) 今日は朝娘をスペシャルオリンピックスの練習に連れて行ってもらうために狭山市駅に送っていった。その後、家の片づけをした。夫にごみを出しに行ってもらったが、今日は祝日だということで環境センターが休みでごみ出しができなかった。残念。

その後、夫はお友達と一緒に自転車小屋に整理棚を作ってくれた。一日中掛かった。今まではまるでごみ置きのように見えたから少しはきちん見えるようになった。

私は狭山生活環境ネットのごみ減量グループのミーティングに今回も出かけた。珍しく時間があったからである。狭山市長にあって缶ビンの収集方法について袋収集反対の要望書を渡してきたとの事。この前のミーティングで私はそうしたところで決定は変わらないだろうが、そう思うならば言えばよいと言う立場を話していた。その中で、私は市が議会に報告したことと市民に説明したことが食い違っていたことを市側に糾した。また、その市民への説明で今からでもラインを変えられるという風にある市議会議員ですら思い、環境ネットの市民はそれゆえ要望書を出すということを行っていると市側に伝えておいた。

ところが、この行為が市民への裏切りだ、スパイだという人がいた。市側は要望書が出されることによって、部長はじめ課長は面子がないと感じたのではないかという。だから、対応が非常におかしかったのだそうである。私が事前にそういう事が市民によってなされていると市側に言ったことによって、そんな事が起きたのではと非難されたわけだ。しかし、要望書が突然出てきたらもっと動揺があったのではないかと思う。そして、市長に会うことすらできなかったのではないかとも思うのだ。そもそも要望書を書くことをなぜ秘密裏にしなければいけないのか。市側の態度の悪さを私のせいにすることの正当性を、私には理解できない。

私は、この狭山生活環境ネットに行き、議員のあり方についても真剣に考える事があった。議会での顔と市民向けの顔を持つ議員を見て、私には不愉快なのである。議会では「良く分かりました。もう、言うことはありません」などと議場で言っておきながら、一方では反対の要望書を市民と一緒にもって行く。もし、議会への説明と市民への説明が食い違っていた時、議員はどうするべきか。(私は直接市に行き、議会への説明に間違いがないという事を確認したのだが、市民には違う意味で捉えられていたようであった。)市民と共同で活動することだけでなく、議会できちんと取り上げるルートに乗せる事こそが議員の役目ではないか。この議員は合併の時は「自分は反対であったが会派の拘束の中で賛成せざるを得なかった」という事を市民にいっていたようである。反対の人が多いところでは反対の顔をし、賛成のところでは賛成の顔をするカメレオンのような人。まあ、このような議員が実際は多いのだ。それで、議員の腹のうちを読まれては市民に軽蔑される。

リサイクルプラザの建設に関しても、私を含め全会一致で議会で賛成したではないかと言えば、その議員はその部分は反対だったけれど全体としては賛成だったなどという。その部分が反対ならば、きちんと討論で自説を述べればよいものを。誰もその議員の発言を聞いていてその部分に反対したとは議会の人は思っていなかっただろう。私にとってみれば支離滅裂な態度なのだが、市民にとっては利用しやすいのかもしれない。自分達の思いを吸い上げてくれる理解ある議員なのかもしれない。でも、私にはこのような議員活動はできないなあと思う。私はどうしても自分の信念や考えを曲げる事ができないし、お上手に議会や社会を渡れない。そこが私の議員としての限界なのだろうし、そこを買ってくれる人もいるのも事実だろう。いろんな議員がいるのが現実である。
10日(金)
40400カウント
今日は朝狭山養護学校の合格発表だった。今回は娘同伴で合格発表を見に行った。勿論、合格する事が分かっていたからである。この養護学校に入れなかったら、彼女は行き場がない。なんと31人が合格した。1学年4,5クラスになることだろう。本当は高校に特殊学級があれば入れたいのにと思う。ニュージーランドで養護学校を視察したとき、大半の生徒はサテライト学級にいると行っていた。勿論高校だってサテライト学級があるのだ。それに比べ、日本では障害者は段々社会の隅においらやられる。この次は授産所かと思うと私の気が滅入ってくる。何とかできないものか。

午後は市街地整備特別委員会の傍聴に出かけた。5分ぐらいで出てきた。共産党の方が「市長は西口再開発をすると決めたようなことを言っているがその真意を聞きたい」などと言い出したのだ。再開発を決めたのは議会だって決めたじゃないか。基本構想を多数で通した。平成12年の事である。市街地整備特別委員会では提言書を出し、早期実現を促した事もあった。この間、計画は何回も変わったけれど、区画整理事業では減分も出るので、補償がしやすい再開発事業をすることで話は進んでいたのである。それを今更「決定するような事を言う」とは笑わしてはいけない。することは決定しているのである。都市計画も認定され、実際の計画を進めている段階なのだ。決定している。実現の道筋をたどっている。共産党さんだって都市計画審議会で賛成しているではないか。

笑わしてはいけないのは、71人(これは事実かどうかという疑問を持っている人もいるが)が反対を表明したので、再開発をやめて区画整理事業を考えてはどうかということをサニープレスが書いたことだ。この論調でいけば、71人を除く約120人が再開発事業に賛成しているわけで、賛成者のほうがずっと多いのだから、どうかんがえても区画整理事業が事業として成立するはずがない。“再開発をやめて区画整理事業を”と言うのは、いくら早期に着工するべきだと口では言いながらも、結局何もしないでよいといっていることである。すなわち、事業を壊すためにおしゃべりしているに過ぎない。

今一番現実的な開発は再開発事業として再生機構に施行してもらうことである。民間のデベロッパーに任せたらというサニープレスさんのおしゃべりもあったけれど、民間のデベロッパーに任せるなんて津山市の例を見ても怖くて市としてはできない相談である。再開発して焦げ付いたらすべて市のの責任として処理しなければならないような再開発事業なんかを民間業者に任してはいけない。

今、再開発事業に反対しているのは共産党とプロジェクト21の議員達や、地権者ではYさんが中心である。Yさんはこの前まで推進協議会の副会長をしていて、開発をしてほしいと再開発機構に陳情に行った人である。彼は補償金が自分の思ったほどではないといって、それでは止めろといい始めたのだが、では、区画整理事業に賛成するのか。自分で20%も30%も減分するつもりがあるのか。Yさんが再開発はしないで区画整理事業をと言って誰が信用するものか。また、事業が始まったらあれこれ言い出して事業をご破算にするような事をしかねないと冷ややかに見ている人がとても多いからである。プロジェクトの人たちだって、本当は再開発について何にも考えていないのである。どうせ、自分達が何を言ってもダメさとわかっていて、ただただ反対のための反対をしているんじゃないかと思える。楽しんでいるのだ。市民をあおって、市政を停滞させるのが、面白いだけだろう。行革反対で目先のことばかり言う共産党さんだって、投資なしに狭山市を経営して今のままで済まないのは先刻承知だろうに。
9日(木)
40300カウント
今日は朝病院に行き、喘息の薬を貰い、ポリープの状況も見て貰った。喘息は発作もなく、お薬を少なくすることも考慮中である。ポリープは代わり映えしないようで一安心。声がよくなくてといったら、喉頭の膜場がぶよぶよになっているといわれた。「脂肪でしょうか」と聞いたら、「まあ、水太りのようなものです」という事だった。ダイエットしたら声もよくなるのだろうかと思った。4月にまた病院に行く。

帰ってきたら、2時半をすぎていて、急いで商工会議所に行った。会議を傍聴して帰ってきた。政治がきちんと機能していれば混乱もなく進むことも、政治が不甲斐ないと指針、基本、基盤が揺らいでいく。権力とはなんだろうと最近は思っている。民主主義の権力とはやはり市民や国民の大多数の支持を得ることだろう。力は数だ。数は田中角栄によれば金であるというが、今時国民が小金持ちになったときに金が多くの個人に対して力を持つことも早々ないだろう。(ホリエモンが世の人に笑われていた事を思い出してほしい。)権力としての数を得るにはやはり力強く説得し政策を理解してもらう事が必要なのではないかと思う。私は嫌いだが、小泉さんの政権が力を持ったのも、民営化に対しての強いメッセージが国民を納得せしめたのであろう。我狭山市の仲川さんにそれだけの説得力があるか、政治的なセンスがあるのか考えてしまう。彼にそれができなかったときは誰か変わりにスポークスマンになるべき人が必要である。助役がいれば良いのにと思う。

その後、役所により昨日の資料について打ち合わせをした。5時過ぎ、支援者の家にイチゴを貰いに行った。「今年のはおいしくないよ」って言われたが、帰ってきていただいたらおいしくて「お砂糖を掛けて食べてよね」なんていわれたけれど、そのままでもおいしかった。明日の弁当にも入れてあげようと思っている。
8日(水)
40200カウント
今日は朝日高市の友達が来て、うちのスタッフ等を交えて、会議。ポスターの話になって、なぜ私がキレイだったかという話題になった。(ポスターの私は美人に見える。勿論カメラマンの腕がよかったのだが、修正は一切していないはずだ。私は実際にきれいだったのだ。と、思っている)私は一番初めの選挙でチラシをもってずっとひとりで歩いたことを話した。時には友達と2人で、また、一人ぼっちで散らし配りをした。今だって、自分でチラシを配ることもある。ほっかいろをいくつも身体に貼り付けて朝駅に立った。最近サボってはいるが、もう少ししたらまた始めなければならない。64キロあった体重が56キロまで下がったのも散らし配りのお陰だった。

始めの選挙では立候補するのを止めたいと何回も思ったことか。2期目の選挙だって市議会議員が自分の天職だって思えなかった。勇んで選挙に臨んだわけでない。3期目を目指しているのだが、この度だって不安がないと言えば嘘だろう。一生懸命仕事をしているが、それを市民の方が知っていてくださるか心もとなく思っている。議会レポートもネットニュースも欠かさず書き続けているがそれにも色々な考えがあるだろうし・・・

午後は高遠さんのイラク報告会のPRについての打ち合わせをした。するべき事がドンドン出てくる。

4時ごろ、議会に行き様々な資料を請求した。学校医が1年に27万円も報酬を貰うのには驚いた。1校に内科医、歯科、耳鼻科、眼科医がいるし、薬剤師もいるので、一校あたり100万円も報酬を払っている事になる。すごいね、3,4校以上も校医をしている医者もいるがあっという間に100万円も報酬を得る事ができるわけだ。医者は高額所得者のわけである。また、産業医は年に96万円ももらう。たった月1回市役所に来るだけなのに8万円ももらえる仕組み・・・本当に、こんな高い報酬を払わなければならないのか全く理解できない。
7日(火) 今日はお昼前武蔵村山市の通所介護施設(デイケア)「お母さんの家」に視察に行った。友達の市議会議員善家さんの息子さんがやっている施設で普通の家を改築して作った施設。暖かでゆったりと時間が過ぎていく感じである。好きな事をしていて、無理にあれこれ何もさせていない。碁をしている人がいたり、本を読んでいる人がいたり、お風呂に入る人がいたり、好きのように過ごしている。痴呆の人、介護5の人、怒りっぽい人、様々なおじいちゃん、おばあちゃんがいて、その上、学校に行けない小学生もいた。知的障害者の人も手伝いに来ていた。鉄筋コンクリートの建築物の中のデイケアが多い中、ここは家こそ古いけれど優しい空気が流れていた。

ここで、善家さんと旭川市の山城さんと私で予算書をもちこんで、少し勉強会をした。私も資料請求をしながら少し狭山市の事を調べてみようと思う。あれこれ問題が指摘されたが、狭山市の状況が分からないので何にもいえなかったのだ。改善を要求する一般質問になりそうなので、またまた職員に嫌がられるかもしれないけど、市民のためになることならば仕方ないと思っている。
6日(月)
40100カウント
今週はようやくすろうダウンができる。今朝は水富小学校の図書ボランティアに行った。新しい本にカバーを掛け、ふるい本を直した。今日は低学年図書館に行ったのだが、いつも言うように本当に古く汚れきりよれよれになった本ばかりといってよいぐらい。新しそうな本だと思って、手にとっても平成8年だったりした。学級文庫に本を持っていっているにしても、本の量がすくないのに驚く。きっとたくさんの本がなくなっているのだろう。きちんと廃棄処分にしなければ、市からの図書費は入らない。忙しいのだろうが、司書の先生もいるのだから、休みの時にでもきちんと原簿の整理をするべきだと思う。

10時から12時過ぎまで本の修理に励んだ。おしゃべりをしながら奉仕するのだけれど、何べんも言うように楽しい。時間があったらもっとご奉仕したいと思う。楽しいので、長続きしているのだ。色々な事にボランティアをしようと思うのだが、年間何回かしかできないボランティアでも私が仲間に入れてもらえてとても嬉しい。

今日はとても寒い。午後から外に出る元気が出なかった。あ〜〜〜あ。
5日(日)
40000カウント
なんだかおかしいと思うが、カウントがあっという間に40000を超えてしまった。何かの間違いがあったのかと思う。そうでなかったら、2,3日のうちに500カウントも上がるなんて変。どうしたのだろう。

とにかく、今日は朝礼拝。聖餐式もあった。同性愛などについての教会の考えを牧師に聞いた。とにかく、私達はそれを裁かないという事。裁くのは神様の仕事。苦しんでいる人を受け入れるのは、私達の義務。キリスト教信者は性についてタブーが多いので返って自分達を貶めている面も多いのだ。

その後、所沢の伯父の所にご機嫌伺いに行った。元気そうで、顔色もよかった。少し話し込んだ。本を貰って帰ってきた。

その足で、今度は図書館に。あれこれ、図書館の本を手にとって見て、何冊か借りて帰ってきた。

帰りの途中で夫に会い、この前パリーミキで作っためがねを取りに行った。何しろ、遠くの文字が見えなくなってしまったので作り変えた。それに、夫は老眼を作った。本当に不便な目になってしまった。買い物して、返ってきたら、6時過ぎ。御飯を食べて今日は夜のんびりしている。友達の選挙の結果が気になるが、中々結果が出ないので眠られない。
4日(土) 今日は朝10時過ぎに、with you さいたまのフェスティバルにパネラーとして出席するために出かけた。私は狭山市国際交流協会のお手伝いをするところでだったが、彩ネットがフェスティバルでパネルディスカッションをすることになり、夫を私の代わりにお手伝いに出した。

私達彩ネットの催しは1時から始まり、4時近くまで行われた。多くの方が参加してくださったのではなかったけれど(このフェスティバルは年々人が少なくなっている)、他の催しに比べれば、今年も多くの参加者があったほうである。参加者が少なくなっているのは、やはり男女共同参画への行政の熱意が少なくなっていることの表れでもあるだろう。バックラッシュの中で一時は膨らんでいた女性運動が少し下火になってきている。女性の議会への進出も段々頭打ちになってきている。40%を超える状態で頭打ちならばよいのですけれど、まだ10%にも満たない市町村が10もある中で頭打ちでは女性の政治参画が足りているとは思えない。そういう点もあり、彩ネットは今年も講習会をすることにした。

記者会見もしたし、女性の政治参画が進むように彩ねっとは頑張っている。時期がよい時も悪い時も歯を食いしばって市民活動を続けること。これが必要だと思っている。一円もどこの市から補助も受けていないNGOの彩ネット。今後もひとりでも多くの女性議員をという使命感を忘れずに頑張って行きたいと思っている。
3日(金)
39300カウント
今日は朝10時から奥富公民館に人権セミナーを聞きに行った。虎井まさ衛さんの講演会だった。性同一性障害の話でこの障害がどんな事をから生じるのか、そのためにどんな思いをせざるを得ないのかということをお話してくださった。狭山市では私の一般質問を通じて、性を記入する欄の削除が大幅になされ、日本の中でも一番その点が改正されている市だと思う。ちょっと、鼻が高い。

御飯を食べてから、3時に育成会(障害児をもつ親の会)のパステル改善委員会が持たれた。増田さんも来られて6時ごろまでお話し合い。疲れて帰ってきた。一日に2つのことをこなすのはもう辛い年頃になっている。
2日(木) 今日は朝からワゴン車を持って国際交流協会のボランティアをした。一昨日、アメリカ、ワージントンから高校生18人と3人の教師達が来ている。今日、高校生等は入間野中学校、秋草学園高校、文理高校に行き、交流をした。入間野中学校は教室をグルっと見ただけだった。後で言うが、狭山市の教育委員会は国際交流協会の今回の交流にはかなり冷淡だったそうだ。だから、学校で校長はじめ英語の先生達は出てきてくださったが、子供達のふれあいはなかったのが残念でたまらない。

秋草学園ではまず校舎を見学した後、歓迎の小さな式があった。その後、高校生等は浴衣を着せてもらい、写真を取ってとても喜んでいた。次は、その格好でお茶室でお茶をいただいた。そして昼食。ゆっくりお昼をいただき、アメリカ人と日本人の生徒等は楽しそうに話をしていた。今度は音楽の交換。ワージントンの学生は合唱団員だったのだ。とてもよく訓練されていてハーモニーもとてもよい。秋草のほうの合唱部はまあまあ。アカペラも披露してくれた。時間をたっぷりとっていたので、急ぐことなく、そこそこで生徒達は日本人の生徒達と仲良くしていた。若いっていいなあとほほえましく思いながら見た。日本の生徒もちっとも恥ずかしがらずコミュニケーションを楽しんでいた。時代は変わり、人も変わっていくなあと思う。

文理高校では、まず校舎を見学した。非常にゴージャスな建物で驚いた。進学校らしい張り紙がたくさんあって、目が点になった。だって、中間テストの順位が全学年クラス別に張り出されていた。上位何位までというのではなく、ビリまで。ね、驚くでしょう!やはり、家の子供を文理に入れなくてよかったなあと思った。3時からは文理中学・高校とキルボーン高校とのジョイントコンサートがあった。文理も中々やります。ブラスは勿論上手だったけれど、合唱のうまさは期待以上。今まで文理高校の合唱なんて聞いたこともなかったのに。キルボーン高校の合唱を挟んで最後は文理高校とのジョイント合唱があった。なんだか、胸が一杯になった。生徒達も感激して歌っていたし、聞いていた生徒も同じだったと思う。ここでは、生徒同士の個人的なふれあいはなかったけれど、音楽を通じての心のふれあいをひしひしと感じた。

夜、みずきので懇親会。言っておきますけれど、個人が会費を払って開いたものです。楽しく過ごしました。
1日(水)
39200カウント
今日は朝美容院に行って髪をカットしてもらった。実は1時から狭山養護学校の入学試験があったからである。終わったのは4時過ぎ。その後、友達を送ってから郵便局に行き郵便を取り、役所に行った。教育委員会の課長からこの前の件の説明を聞いたが、要するにお金がないからということに終始した。影響は70人ぐらいで450万円だそうである。今後、給食費が払えなくなったり、修学旅行にいけなくなったり、教材費を学校に持って来れなくなる児童、生徒が増えるだろう。450万円の経費削減が結果として、給食費の未納となることや、お金が持って来れなくて片身の狭い思いをする児童が多くならなければよいけれど、その点どうするのかしら。

もう1つは、「近隣とか埼玉県の中で、狭山市は多いのです」という説明を聞きながら違和感があった。確かに仲川市長は身の丈にあった普通の市を目指しているようだが、今の高福祉で子育て支援に優しい街の狭山市が他の市並みにこの点をさげたら、今だって埼玉県の市部で一番の人口減市なのに狭山市は今後どうなっていくのだろう。高齢化都市として特化して、高齢者の街狭山にして、“高齢でも元気な街づくり”でも推進していくのかしら。

所得の低い若い世代が多くなっていると言う。確かにそうだ。だって、失われた10年の間に結婚した人たちは仕事も不安定で、夫は長時間労働で、女性は働けなかった。だから、夫一人の給料では所得が多くなりようもないわけである。まだまだ、貧乏な若い所帯持ちが増えるだろうと思う。子供も中々もてないという状態はもしかして益々進んでいくのかもしれない。

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