5月 |
私の独り事 |
31日(水)
45300カウント |
今日は朝から月末なので払い込みなどたくさんあって、預金を引き落として振り込んだりと忙しかった。その後、友達と食事に出かけた。食事を楽しみにいったわけでなく、パステルの参考のためにちょっと偵察に出かけたというところなのである。食後はドイトに行き、モーニングセットの展示用の丸テーブルを買ってきた。コーヒーを点てるのをお客様に見ていただけるようにカウンターの作業を変える事にした。ちょっと変えるだけでも大変で、私はだんだん嫌われ者になってくるように思う。変化は人を傷つける。私が運営委員長をやめるときは、本当に何も言わずにバトンタッチしようと今から心している。
夕方4時過ぎにパステルに行った。看板の取替えがあり、uccからkeyコーヒーに借りていた設備を取り替えた。看板は無理を言ってロゴを今までどおりにしてもらった。まあ、これでよいと言えるまでになり、日にちも間に合ってよかったと思う。最後はアイスコーヒーから豆の一切をuccの物を破棄してkeyに変えたが、ここでも変える大変さをつくづく感じている。
今日は息子の誕生日。朝のうちにバースディケーキを焼いておいたのだが、夜デコレーションをしてお祝いをした。お兄ちゃんも夫も帰りが遅かったので、初めはお祝いを親子3人でした。でも、息子はさびしかったらしくケーキを切らずに結局10時ころ長男と夫が帰ってきたのを待ってもう一度お祝いをしなおして、ケーキを食べた。15歳になってなんだか嬉しそうだった。私のようにもう年をとりたくない人と比べるとうらやましいなあ。
明日から長男はアメリカの大学で実習がある。ボストンはとてもよいところだからよい経験になることだろう。彼は英語もアメリカ滞在の経験もあることから心配することもない。ただ、明日行くのに今日の夜になって荷造りするものだから、眠れなくて困った。早く荷造りするように何べん言ってもやらなかった。 |
30日(火) |
今日は朝からパステルの実習生の面接。親と学校の先生、本人がやってきた。パステルは障害者就労施設ではあるが、デイケアでもなく、作業所でもない。実際どこからも補助金が出なくなり、家賃免除だけの恩典をもって経営している。今までは運営という事で経営的な視点が少なかった。とにかくがんばるのみである。
1時から安全対策協議会の常任委員会、その後3時から総会。総会を途中で抜け出して、パステルでモーニングセットの講習会。大変である。あれやこれやとパステルで雑用をこなし、帰ってきた。 |
29日(月) |
今日は朝パステルのリスト作りをしていたがなかなかうまくいかなかったけれど、とにかくお昼までがんばった。その後、今日は運動会(雨天延期だったが)の代休で娘はいるし、中間テストで息子は帰ってくるし、長男は学校が昼からでいるしで、お昼ごはんを炊いて、昼ごはんを食べさせた。お昼にご飯を炊くなんて久しぶりだ。
その後、1時半から全員協議会があるので、出かけた。全員協議会の後、住宅協会会議、建設委員会協議会、と続き、その後、西口開発事務所のなぜ今回債務負担行為を議決しなければならないのかという点の説明を受け、交通防災課と市民部長の謝罪を聞き、パステルに行った。本当はパステルにもっと早く行きたかったが、私の本職は市議会議員なので優先順位があるというものである。
途中から頭が痛くなった。とにかく、市民部長には怒りなさい、叱りなさいという(余計かもしれないが)お説教をした。「ごめんなさい」と言っている人をもっと叱ったり怒ったりするのは嫌だと言うのは分かる。でも、叱ったり怒ったりするのが部長の仕事なのだから、“人のよい部長”であると言うのはいかがなものか。上に立つ人は嫌な奴になり、文句を言ったり、説教をしたり、ほめたり、すかしたり、くさしたり、皮肉を言ったり、嫌味のひとつも言ったりするべきだ。言っておきますが、民主的な仕事場なんていうのは無責任な職場とある意味同義だと私は思います。皆で決めて皆で仕事をしているのではなく、市の大まかなことは議会で決めて、市長が遂行するの。部長は職員のコーディネーターでなく、ディレクター、指示する人なのをお忘れなく。ディレクトしなければ部長にあらず。では、ディレクトするにはどうしたらよいか。マネジャー(課長)とはどこが違うのか。
そうそう、何か議会に提出したものに不備があった場合、部長は10万円、課長は7万円、主幹は5万円のペナルティーなんていうのもよいかもしれない。だって、いつもごめんなさいですむから、会議を開くごとに、訂正が入り、修正が入り、謝罪が入りする。人間には完全はないのは私も重々知っているが、最近の狭山市役所はどうかしている。だって、いつもいつも配布する書類に何かの不備がこのところずうっと続いているのよ。責任の所在がはっきりせず、いつも皆が許しあってしまう。だから、どこかでなあなあで、厳しさが乏しくなるのかもしれない。こんなに不備が続くのは組織的にどこかおかしいのである。市長が一言しっかり職員を叱るべきなのだろう。(自分のことを考えれば人を非難するのが怖いのは私も同じだけれどね。)
私はこのごろ職員に言うのだが、このコラムは「私の独り言」ではなくて、「私のお説教」「私のお節介」「私の大きなお世話」「私の嫌味」「私の文句」「私の嘆き」「私のぷんぷん」「私の怒り」と題を変えてもよいように思う。それが独り言と言えばそのとおりなんだけれど、「私の喜び」「私の幸せ」ってところが少ないのはつまらないくない?
最後になったけれど、今日、全協室のてッちゃんの席に白いお花が飾ってあった。全協室に入った瞬間、それを見て思わず、「てっちゃん、お花になんかになっちゃって・・・」と声を出してしまった。大島さんが「きれいな花だよ」と言ったが、てっちゃんのかわりにきれいな花なんかとても嫌で、後で取り払われてよかった。どんなにきれいな花でもてっちゃんの変わりに咲いていてもらいたくなかった。自分でこんな風に感じるのにとても戸惑いがあったけれど、きれいな花を見るのがとてもつらかった。てッちゃんは議会でも死んだ。花になった。事務局のやさしさが分かるのだけれど、意味なく悲しかった。 |
28日(日)
45200カウント |
今日は朝礼拝。説教を聴きながら物を思ってしまった。なかなか集中できなかった。とにかく、イエス様を信じ、神様の祝福を信じて、決して悪いことはないと思うことにした。いつもの、クリスチャンの脳天気という事だけど、神様が何とか良くしてくださるでしょう。なんだか、気持ちが軽くなっている。私も反省することもあったし、さまざまな思いに心を動かされたが、神様にゆだねよう。ここがクリスチャンのよいところであるが、人によっては無責任というかもしれない。
昼過ぎ、パステルによってまたも変わったシフトをいじり、連絡帳を書き換えたりした。私は本当に使われる人にはなれないとつくづく思った。かといって、使う人というのでもないので不安定なポジションにいる。
2時から川越で「ファルージャからの証言」とイラク医療支援報告 原文次郎さんの講演を聴きに行った。知り合いの人が実行委員会を作って開催したもの。それでも、50人ほどの人が来た。私はクラッセ川越の会場をみてうらやましかった。というのも、とてよい設備の施設だからだ。狭山市にも100人ぐらいの小規模なホールで視聴覚機材(すなわちスクリーンもある)を使える施設はあるのだろうか。特に、入場料を取ることができる施設はどこにあるのか。中央公民館は視聴覚室があるが、社会教育施設では有料の事業をしてよいか分からないというのがこの前までの中央公民館長の言っていたことである。
友達とお茶もせず、本屋に立ち寄って何も買わずに帰ってきた。お兄ちゃんは今日もバイトでいなかったが、久しぶりに4人で夕食を食べた。 |
27日(土) |
今日は朝社会福祉会館である道草バザーへ出品のため、パステルのクッキーとケーキを持っていった。その後、もう一度社協に行き、その足でまたパステルに戻った。シフトのことがなかなかうまくいかない。今日は朝2度ほどパステルに行ったが、お客の入りが悪くて気分がめいる。今日だって人件費と材料費分の売り上げはなかったのではないかなあ。お天気が悪いと売り上げが下がる。
午後は食事の後、フェミニスト議員連盟の総会に出た。初めての総会。私は国際交流の委員を引き受けた。でも、今年はニュージーランドへの視察はいけないし、何ができるかわからないけれど、一応協力しますという事。
本屋によって帰ってきたら、8時過ぎだった。今日悟ったことは私と息子は違う人格であるという事。私と同じように彼が感じなくても、思わなくて彼を非難することはできないという事。いろいろな考え方があることを、たとえ息子でも考えが違っても責める事はできないなあ。親や教師の思うように思わなくても、それは仕方がないことであると思おう。心をコントロールしようというのは独裁者の考えることかも。少し、親として傲慢だったかなあと反省した。 |
26日(金) |
今日は朝、家事をしたり、パステルの事務仕事をしていたらあっという間に3時。今日もコーヒーの練習会があった。おいしく入れるのはテクニックがある。おいしい豆を使っても点て方がうまくなければ、コーヒーの味は落ちる。自分でコーヒーを入れてみて痛切に思った。10グラム豆をケチっても味が落ちたりする。パステルのコーヒーは味をよくするためにキーコーヒーに変えるのだから、ケチることはしません。
今日は疲れていたので、どこにも寄らず、家に戻った。それでも、6時ごろになった。私が家にいると家庭という感じがする。最近続けざまに夜のお出かけが多すぎた。 |
25日(木)
45100カウント |
今日は朝10時からコーヒーを点てる練習がパステルであった。その後、議会に行って、一般質問の通告をした。お葬式の話をわいわいしながら、事務局にいたら、私の葬式にバラを贈ってくれるという紳士がいて、少し嬉しくなった。ところが、彼は早く死んでくれないといっぱい送ることになるなあと暗に早く死んでもらいたいかのような発言。私は、「96歳まで生きて、いっぱいバラをもらってやる〜〜〜〜〜!!!!!」と叫んだ。ふん、私のほうが長生きするのさと心の中で思った。でも、彼が先に逝ったら、私が花を彼に送ることになるのかなあ。とにかく、私は死んでからでなく、生きているうちにバラの花をもらうほうがいいなあ。でも、そうしてくれるのは、うちのダーリンしかいないわね。
うちに帰ってきて、午後から夕食を作り、5時からパステルにたな卸しと掃除に行った。話し合うことも多かったから、帰りは10時になった。その後、カルフール古本屋とによって、帰ってきたら真夜中だった。疲れた。 |
24日(水)
45000カウント |
今日は昨日の夜にプリンターを接続したり、パステルの看板を考えたりしていて、2時過ぎまで寝なかった。それでも、6時半におきて、息子の弁当を作った。睡眠不足。
午前9時ごろ友達が来て、国立リハビリテーションセンターでデイジーのモニタリングのために出かけた。娘の読みの学習に役に立つかと思ったが、まあ、今のままだったら役立たずの機械である。盲人用の機械も合ったが、ボタンが多すぎて母には使いこなせない。とにかく今一、今二の機械だった。
午後1時近くに帰ってきて、食事後、娘は学校に行った。私は一休みして、シフト表をコンピューターに入力しようとした。完成は遠い。
4時半に中学校の学級懇談会があるので4時過ぎに学校に行った。
今日の懇談会の後、私はやはり学校がいじめ、悪ふざけ、またはそんな振りをしながらの人権侵害に敏感でなさ過ぎると思った。子供たちがなぜいじめについて真剣に教師にいえないのか。教師が真剣に受け止めないことを子供たちが知っているからである。1年たって事実を言ったと子供を責めるが、もう耐えられないから言ったし、親がバックアップする安心感があったから、ようやく子供が重い口を開いたのだ。義務教育の中学生を謹慎処分(登校停止)にするなんて公立学校では大事件なのに、その後の指導に本気さが見えない。聞いて驚いたのだが、教師がチャイムの前に教室で子供が来るのを待っていないというのだ。それほど、子供に向き合う教師の姿勢がおかしいのだ。昼ごはんを教員は弁当を教員室で食べるが、公立学校では子供と食べる。決定的に、教員が子供と関わる時間が公立学校より少ない。
いじめ、悪ふざけについて、人権を侵害するとてもひどいことであるという学校と教員の認識が浅く薄過ぎる。もっともっと真剣に敏感に対応すべきなのに、「何でいまさら」なんて言っているはおかしいのだ。1年前からあったことは今もなおあると思わなければ。それに、教師がきちんといじめを認識しないでは、何事も進まないし、教師が変わらなければ子供も変わらない。授業にならないクラスや授業には校長みずから乗り込んで一緒に指導する意欲を見せなければならないのに、講師の若い女性が舐められていても「仕方ないですよ」とは何事か。子供たちの心がすさんでいったのを家庭の責任や子供の責任に転嫁するだけでなく、学校も一枚岩になって対処する姿勢が見せてもらいたいとつくづく思う。教育の力を信じているからこそ、こんな強いことを言う。
いじめの問題で東京の学校でお葬式ごっこをし、死んだことにされた生徒が自殺した。今、きちんと対応しないと、これに近いことが起きないかと心配している。逆に学校での生徒同士の傷害事件も報告されている。この学校は高校まで続く学校だからこそ、恨みを根に持っていれば今後何が起きても不思議でない。心を育て上げる教育が今こそ必要である。
とにかく、祈ろう。 |
23日(火) |
今日は朝告別式に行かなかった。ボランティアも入っていたのだが、てっちゃんの告別式が心にかかっていて、出かけるのもいやになって、事務所にいた。スタッフが来て、仕事をする前にてっちゃんの思い出話をした。彼女たちは今までのいきさつも多少は知っているので、狭山市議会の裏話もできるというものなのである。その後、ミーティング。
2時にパステルでキーコーヒーさんと会った。シフトの仕事をして、5時までいた。その後、買い物して帰ってきたら、7時ごろになってしまった。忙しい毎日だ。 |
22日(月)
44900カウント |
今日は朝、自治会の副会長さんのお父さんの告別式に出かけた。昨年、夫は自治会の会計だった。それに、娘さんは息子の同学年。
その後、1時半から、「ジョアン宮地の里」に視察。施設長から設立のいきさつ、施設の理念などを聞いた。この前、見学はしたがお話を聞けなかった。今回は1時間半にわたり、お話を伺った。やはり、責任者がいなければ視察にはならない。
3時半からは式服をもって、パステルに行った。あれこれ忙しくした。5時からはみのりのパンの試食。焼きたてパンを供給できるかという事。でも、6時からてっちゃんの通夜なので途中で退席、着替えて、通夜へ出かけた。てっちゃんに土曜日にお別れしていてよかったと思った。政治家の葬式はこんなものかと思わざるを得なかった。潤ちゃんのとも、本木さんとも、違った。勿論、私の友達のお葬式とはまったく違った。皆冷静だった。もう、葬式っててっちゃん本人のものではないのだなあと思った。そして、政治家の葬式は家族の悲しみを癒すためにもあるのではない。私のような友達が悲しみというか寂しさを語りあう場所でもない。本音でうらみつらみも含めて、てっちゃんの事を語り合えたら嬉しかったのにね。私はその席でお酒なんか飲んだら、つぶれちゃうと思うけど。
私の自分の葬式はどんなになるのかを考えざるを得なかった。現職で葬式をするときには、できればいのちの樹教会で、司式は今私の行っている教会の牧師にお願いしたいと思うが、できなかったら、どこかのホールでキリスト教式でお願いしたい。私のことゆえ、語りつくせないほどどじなエピソードがあると思うが一晩でも家族にそんな話をしてあげてほしいなあ。だって、私は仕事のことをぜんぜん家族に言っていないから、珍しく私を知る機会となるだろうな。いつも言うように、花かごは3個。棺のところの写真は要らない。賛美歌をたくさん歌って、説教は短く。神の裁きの場で、天国に入れていただけることを祈ってくださればよい。プロフィールの紹介はいりません。お花料はいただいて半分は葬式代にしてください。私は選挙でお金を使い果たすので、現職中に葬式代の貯金なんてできないから。それで、後の半分は"パステル”に寄付してください。引き出物はなしで。引き出物の変わりに障害者就労の場所”パステル”に寄付しても、葬式に来てくれる人は十分納得してくれると思います。それと、思い出話も残ってくださる方が、"パステル”から、たくさんクッキーやケーキを買って、お茶しながらお話してくださると嬉しいな。御通夜に一緒にいてくれる必要はありません。ちょっとせこい葬式の考えですが、現実的かなあ。
通夜からまたパステルに戻り、運営委員会を開いて10時近くまで、会議をしていた。 |
21日(日) |
今日は朝礼拝。遅れたけれど、礼拝に行かない方が心が落ち着かない。
午後は実はいくつも予定が入っていた。映画とダンスパーティー。映画はともかく、ダンスパーティーはいろんな民族の会の主催なので行くべきだったが、パステルのシフト作りがなかなかうまくいかないので、私はそれを優先させた。それに、てッちゃんの事もあったし、足も痛くてダンスパーティーにいける状態でなかったこともある。 |
20日(土) |
今日は朝新都心のwith you 埼玉の彩ネットの勉強会に行く準備をして、ふと事務所の電話を見るとファックスが来ていた。何気なくファックスを見たが、信じられなかった。私はファックスを見ながら、うそだうそだといっていた。だって、てっちゃん(斉藤哲夫さん)が死んだと書いてあったのだから。
お亡くなりになったというべきなのかも知れない。お上品に言えば。てっチャンはこの前に臨時議会を休んだ。きっと糖尿病が悪化して、入院したのかなあと思っていた。中川ひろしさんに病状を聞いても、大島さんに病状を聞いても何も言わない。でも、大島さんがとてもとても小さくなっていて沈んでいて、何が起きたのだろうかといぶかしく思っていた。
昨日の朝、てっちゃんは心筋梗塞でなくなったようである。でも、私には信じられなくて、通夜や告別式のことがファックスに書いてあったけれど、個人的に確かめずには要られなかった。鵜の木にお宅に伺いに行った。公の場所でお別れしたくなかった。てっちゃんはとてもきれいな顔をしていて、眠っているようで、今にもおきてきて、「おい、ブラちゃん何しに来たの」なんていう感じだ。私とてっちゃんは政治の場面では多いに敵対関係のこともあったし、ひどく痛めつけられた事だって何べんもあった。てッちゃんは頭がよく回ったし、議会での政治的な動き方動かし方はほかの議員にまねはできない才能があった。冷酷に人を貶める事だってあったが、私には彼なりの論理が理解できた。敵ながら天晴れ。てッちゃんはこう出たのね。という、感じ。
彼は私を完膚なきまで痛めつけたけれど、その点について引けももちょっと感じていたらしい。私は時々彼の手の内を見せてもらったけれど、それは私が議会で政治的に力を持たないから安心しているからだったかもしれない。それで、私は議員としての限られた情報源の中で、彼の話を聞いて動きの大勢が見えてくることも多かった。私が狭山市議会の裏を知って、がっかりしたり、絶望したりしているのを見て、面白がっていたのかもしれない。心理的に私をいたぶっていたのかなあ。それと、自分の主義主張のために孤立もいとわずという私の態度を哀れに思っていたのかもしれない。私は政治の暗い部分の外にいたけれど、それを垣間見させてくれた人がてっちゃんだった。私は長いことてッちゃんは政治的にお兄ちゃんのようだと思っていたしね。いろいろな意味で嫌いだったけど、大好きでもあったのだ。私は一度もてッちゃんと対等にけんかしたことがなくて、「馬鹿だね、ブラちゃんは」なんてよく言われたけど、怒れなかったもの。
ただ、町田市長がなくなってからは、少し捨て鉢になっていたかもしれない。てっちゃんは一度私の議会報告会にふらっときた時があって、何が知りたかったのだろうかと今でも不思議な思いを持っている。最近は合併や西口開発に対して、てッちゃんと私が正反対の立場だったのであまり話をしなかった。最後に立ち話をしたのは議会の最終日で、ある議員について言っていた。それがサニープレスに載って次の手をもう打ったのかと思ったが、なんだか焦っている感じだった。個人的なうらみつらみが政治の原動力になることが多いのだが、最後のころは西口のことはもうどうでもよかったようだったし、パーフォーマンスにも嫌気が差していたようで、もっぱら個人攻撃を余裕なく考えていた感じがした。うらみつらみで動くことは議会ではよくあるが、てッちゃんはさめていて、そこから少し距離を置きながら策略を考える人だったのに、このごろ違うなあと思っていた。
3月にてッちゃんに「体はどうよ」って聞いたときがあって、「もうだめだよ、長くねえな」って言っていたのだが、私はあまり信じていなかった。私がぶくぶく太っていることをからかっていたけれど、てッちゃんは太ってもいなくてきちんと体重をコントロールしていたようだった。ひどく顔色が悪いとき、「てっちゃんお酒やめなさいよね」といったら、「あんまり飲んでねえんだよ」っていっていたのに。たびたび言うのもはばかれて・・・・
潤ちゃんが入院しててッちゃんの選挙を応援できず、てッちゃんは次点で落選した。潤ちゃんが亡くなり、仲川さんが市長になって、てッちゃんが議会に帰ってきた。落選のとき、声をかけるのも怖くていたら、電話がかかってきててッちゃんと長電話したことを今のように思い出す。あと一年議員の任期があるのに、てっちゃんは全うすることなく亡くなった。私はきっとてッちゃんのほんの一部しか知らないし、汚い部分も実際具体的に知ってはいない。表面のことだけしか知ってはいない。てッちゃんが私をどう思っていたか全然分からない。けれど、私は本音で話してくれる議員のお友達というか先輩を失って本当にさびしい。
午後、彩ネットで県の選挙管理委員会のお勉強会に出かけた。 |
19日(金)
44800カウント |
今日は朝パステルでKEYコーヒーさんと打ち合わせをして、その後新しい提案のコーヒーがあったので店に人たちと飲み比べをした。新しいほうが癖がなくておいしいという結論である。
その足で市川房江政治参画センターに行き、東京大学名誉教授の篠原一先生の講義を受けた。パブリックの希薄な為政者の態度、制度改革がイギリスなどでどのような結果を招き、日本では国民全体として痛みの分からない、または痛みすら麻痺されているアナルギシア(無痛覚症)となっているとの指摘。メディアの発達とメディアからのコントロールで自分の考え・自分自身を発達確立することなく、人間性を喪失していった結果だという。マスプロダクションの発達は、言われたものを確実に生産することを命じられる中かで、多くの人から創造性を取り去りった。今は、生産における創造性だけでなく、思考力、想像力まで奪い去られ、貧困な人間は感情をもコントロールされやすく、理性的でないので極端から極端へとはしる。
まさに私が危惧していることを明確に言葉としてくださった。今ほど、大衆操作をしやすい時代はないと思う。際限のないメディアの合唱は低く、高く、けれどもどこも同じ旋律を奏でている。日本が危ない。北朝鮮がてぽどんを打つぞ。中国が尊大で日本の権益を奪うぞ。子供から大人まで、知識人といわれている学者すらも周りの状況に飲み込まれ、立ち止まることを知らない。考えない。望まない。痛がらない。すべてが表層。メディアの進入は、実に他人事ではなく、我が家にすら危機的な状況であり、キリスト教という指針とイエス様の復活なくして、自分を確立することができないと思う。
えっ、宗教だって、マインドコントロールでほかのメディアを変わらず人間の思考をコントロールしているって?そうかもしれないが、その価値観は何千年という歴史の中で磨かれ、聖書の変わりなさはインターネットのウツロイの中で一際確固としたものに見える。勿論、私がキリスト者であるからこそ、そう思うのだけれど。 |
18日(木) |
今日は第一回臨時議会。先決議案(議会を開いている暇がなく、決定しなければならない火急を要するので、市長が先に決定し、議会に承認を求める議案)が多かった。市民税などは法律の成立が遅かったので仕方がないが、後のいくつかの議案ではもっとしっかり考えて補正予算を組めばよいのにと思う。それに、最近議案の訂正、差し替え、議案以外でも執行部配布物の差し替えなどが多々ある。私もこの独り言に多くの誤字を見つけるので大きな事を言いたくないが、はっきり言って執行部は何かが緩んでいる。
この前の議会での議案で1条入れなかったので、訂正(本当は議案を引き下げ、後に再提案するべきだと思ったが)もあった。チェックしないで“なあなあ”の体質になってはいないか。まず現課が責任を持つとしても、議案関係は総務部総務課がしっかりしてもらいたいものだ。今日、総務課長は始めての役に緊張の面持ちだったが、その緊張で議案の一ページづつをチェックしてから、議案を議会に出してほしいものだ。今回だって小さな間違いが数多くあったが、それを見過ごしておくと、この前のような1条入れるのを忘れたり、そのために答弁を訂正したり削除したりという見っとも無い議会になるのだ。町田さんのときは少なかったミスなのに、どうして仲川さんのときになるとこうなのか。市長もしっかりしてほしいものだ。
私のいくつかの質問に対しての答弁の言葉が難しく業界用語のオンパレード。調停額、予算額、影響額などといわないで、答弁できないものか。私は一応説明を受けて、質問している。それは市民の生活に直結しているから、ケーブルテレビや議会だよりなどのメディアに載せることにより、市民に広報できるからと思っている。だから、市民に分かりやすく説明するように答弁できないものか。私に答弁するのではなく、業界用語を知らない市民にも分かるようにしてほしいものである。研究してほしい。ちなみに聞くところによると、議会では分かりやすい言葉で議会をするようにシナリオを作っているという事である。
今日は人事議会。ぜんぜんサプライズのない人事。不満な人もいるだろうと思うなあ。ところで、私はこのような人事関係については蚊帳の外の人だ。多くの休憩があり、その休憩中にさまざまな葛藤があるのが人事議会であるが、私はなんと視察報告をひとつ書き上げることができた。それにしても、7時半近くまで議会があったのに、夕食が出なくておなかがすいて仕方なかった。税金を使わないで自前で買うのだから、6時半ごろ食事を出してもよいのに、本当に気の利かない事務局である。(私はおなかがすきすぎて、津南町からいただいたにんじんをかじって飢えをしのいだ。)文京区の役所のようにコンビニがある役所でないのと、議会の開く時間が不規則なので買い物に役所から出れない。だから、アメなどを買っておくのだが、いい加減アメもたべあき、お茶だけではおなかがすきすぎたのである。津南のにんじんは確かにおいしかったけど、丸ごとのにんじんをかじってみると、馬になったような気がしたなあ。
きっと市民は知らないと思うが、市議会議員は時には飢えをしのぎながら、血糖値が下がりすぎるのを心配しながら議会をすることがあるのである。結局、今夜はヤオコーによって帰ってきたら、8時過ぎ。今日は出来合いのお惣菜で私は夕食とした。 |
17日(水)
44700カウント |
今日は朝、リサイクルプラザにバザーの売れ残りを置きに行った。ついでにごみも捨てた。その後、書類を書いたり、議案書を見直していた。先決議案だが市民税の引き上げなどがあり、市民生活に直結しているので質問する。後で役所に行こうと思ったら、電話がかかってきてやはり「役所に顔を出してください。」との事だった。
午後、3時に市長がパステルに視察に来るというので、お出迎えに行き、パステルの状態を説明した。経営を立ちなおさなければならないこと、そのため経費を節減することと売り上げを伸ばすことを実行しなければならないと説明した。お店が外から見やすくするように植栽もいじることに賛成していただいた。私のような教員上がりの人間で民間にお勤めしたのが西友シカゴ事務所だけという人間がどのくらいお店の救世主になれるか自信がないが、とにかく前向きにやって行こうと思う。
その後、ほかの運営委員と打ち合わせをし、養護学校の先生とお会いし、研修生の受け入れを承認した。4時半になり、急いで役所に駆けつけた。打ち合わせを終えて、6時半過ぎにヤオコーにより買い物をして、帰宅した。早く寝ようと思うのだが、あれこれすることがあって、眠れない。 |
16日(火) |
今日は7時におきた。子供の弁当つくりは手が抜けない。昨夜寝たのが、3時。おきたら頭がなんとなく痛い。睡眠不足だからだ。最近、夜遅くまでコンピューターの前で仕事をしている。よくないなあと思う。でも、朝10時から、「ジョアン宮地の里」の視察があったので、頭痛を押して出かけた。もう3週間も前にスケジュールを組んでいたのだ。
ところが行って驚きました。誰も私が来ることを知らなかったのだ。私は高齢介護課で視察のお願いをし、私の見ているところでスケジュールを組んだのだ。それなのに、施設長もいず、指導員もおらず、しばらくしてから事務員が施設の見学をさせてくださった。私は途中で帰ってこようかと思ったが、怒って帰ったというのでは子供っぽいと一応施設の見学だけはしてきた。でも、説明を聞こうにも事務員に施設の運営について説明ができるわけでなく、パンフレットをもらって帰ってきただけだ。もう一度、きちんと視察に行きたいと願っている。(事務連絡:高齢介護課さん、私を宮地の里の施設長に紹介してください。)
午後3時半からパステルでキーコーヒーとUCCコーヒーのプレゼンテーションを聞いた。今までの仕入値段に納得できない点が多かったからである。真剣に値段を比べてみた。今のところ、キーコーヒーが全般的に安いという結果だ。9年間お付き合い願ったUCCさんとコーヒーのお付き合いは考え直すときが来たと思う。10円、20円のことを言っている。でも、年間1万杯近く売るコーヒーだ。10円20円でも大きいし、おいしくなければ人はコーヒーを飲みにこない。
その後、運営委員会をした。議事録を作らなければならないと思うのだが、なかなかできない。夜8時過ぎに帰ってきて、食事をして(パステルに行く前に夕食を作って出かけた)、その後シフトつくりのために電話をかけ続けた。もう限界。寝る。 |
15日(月)
44600カウント
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今日は朝グリーンハイツの婦人会に呼ばれて、狭山市駅西口開発について講演をした。講演というのはちょっとオーバーであるが、なぜ再開発しなければならないかを話した。ぶっちあけばなしをしたら、皆納得してくれたらしい。なんと30分もオーバーしてしまった。仕方ない。故郷グリーンハイツでの講演で、なんだか後援会の婦人部の人にお話しているような錯覚を持った。やさしく、親切で、暖かい人たちに感謝だし、私を忘れず、呼んでくださった方々の気持ちが本当にありがたい。
(事務連絡: 西口事務所に告ぐ。ビデオを借りるときに、「西口事務所の人のお話を聞きたい」とグリーンハイツの方々がお願いしたら、ビデオで分かると断ったそうですが、市民はビデオ以外のことで聞きたいことがあるのです。出前講座をしてあげてください。勿論、私も呼ばれればどこにも行きますが、忙しいでしょうけれど、西口事務所もPR活動にもっと熱心になっていただきたいと思います。)
1時少し前に役所に飛び込んで、昼食。1時から市民税課の課長、資産税課の課長から専決処分の議案の説明を兼ねて、勉強会をした。その後、財政課長、福祉次長と議案の勉強をさせてもらった。市民税は毎年よくよく改正があったものだ。私は改正の中身を忘れてしまう。複雑怪奇な計算式。官僚はよく小手指の技で何兆円というお金を生み出すことか。つくづく彼らは頭がよいと思う。それにしても、国は金がないから、三位一体の改革といいながら、税金を上げ続けているような気がする。また増税かと思うとぞうっとするが、児童福祉手当ての年齢アップに伴う財源もいるし、高齢化に伴う経費は増大の一途である。今の福祉を維持しようとすれば、しかたないのかとため息が出るだけだ。
夕方久しぶりにカルフールに行った。一万円札があっという間に飛んでいった。これで何日持つのだろうと思う。長ねぎもお米も買うのを忘れた。一体いくら食費を使っているのか、分からなくなる。
夜中2時までパステルのスケジュール表を作っていた。ワードですればよいのに、エクセルで表つくりをしたが、エクセルをよく理解していないので時間がかかった。シフト係りとなったが、生まれて初めてシフトなるものを作る。私は社長をするつもりでいたが、零細企業の社長は小使いさんであるのを忘れていた。 |
14日(日) |
疲れて寝込んでしまった。珍しく、予定の入っていない日曜日。今月初めてである。おきたら11時で礼拝も行かなかった。起き上がれなかった。
一日中、バザーの後片付けをしていた。また、必要もないものを持って帰ったので、仕舞う場所を見つけるのに大変だった。夕ご飯を久しぶりに作ろうとしたが、食材がない。あまりにも忙しくて、満足に買い物をしている暇がなかったせいであった。洗濯も2回も洗濯機を回したほどいっぱいあった。ボツボツ家事をしながら、なんとなく幸せだった。いつも議会のこと、後援会のこと、パステルのことばかり考えていて、家にいながら心は家にない日々だ。たまに、スケジュールを入れない日を作らないとつぶれてしまう。今日はつくづくそんな風に思った。 |
13日(土)
44500カウント |
今日はバサーだった。雨が降って、人手が少なくてがっかりだった。がんばったのに。でも、売り上げはいつもどおりでまあまあとするか。一人でも多くの人に政治活動にかかわって貰いたくてバザーをする。バザーができることはとても嬉しい。でも、疲れて果てる。夜は、入間の湯でマッサージをしてもらった。 |
12日(金) |
今日は、午前中親の会の3役会に出て、営業時間短縮の話、土曜、日曜、祭日の出勤では今までボランティアさんに400円、平日は300円払っていたが、土日、祭日の時間給を1割下げ、370円に、メンバーは30円上げ240円にすること。しかし、メンバーからは今後昼食代もいただくという事。交通費は今までどおりとする。休業日が月1日になったことから、メンバーを2人増やすことにして、会員の中から募集する。人件費のカットにはどのくらい寄与するか分からない。4月は桜祭りがあって、10万円ほど収益があって本当に助かったが、修理費が26万円もあり、結局10万円の赤字となった。あ〜〜〜あ。
午後は、バザーの準備。すごい量の寄付であった。立派なバザーになると思う。 |
11日(木) |
今日は昨日のコーヒーゼリーが心配でパステルに行った。少しゆるかった。寒天が入っているともっとよい食感だっただろうが、たんぱく質としてゼラチンで固めたのでちょっとスムーズすぎた。でも、手作りのおいしいコーヒーゼリーは買ったものとは一味違うように思う。原価は同じとしてもあれはあれでよし。(もう少し硬めでもよかったけれど)
午後12時半に朗読ボランティアの方にお会いして、母のために朗読をお願いした。本当に嬉しく感謝している。その方は本当に謙虚な方で「私たちの作業にきちんと評価をしてくださるのは、それも朗読ボランティアを育てているのでよいボランティアです。お母様に沿うお話ください。」とおっしゃる。頭が下がります。
夕方4時半からは、パステルの運営委員会であった。決まったことも多い。明日、親の会の3役会で報告することにする。 |
10日(水)
444444カウント
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おめでとう。そして連絡ありがとう T@狭山市さん44444ゲット!!!!(^_^)v
今日はあさ、検便を持って保健所に行った。その後、「みのり」に昨日のパンの苦情に行った。はじめは冷静に苦情だけを言うつもりだったが、怒りが爆発した。この一週間、パステルは隣のデイケアからお昼ご飯の注文をいただいている。そのために、「みのり」から食パンを買っているのだ。その食パンのうち、昨日は5枚が使い物にならなかった。切り方がずさんだったのだ。きれいに切れていないものを商品としてパステルは使うことができない。それで、それの苦情に行ったのだ。
ところが、まず、「みのり」は謝らなかった。「焼き立てを切ればあんなものです」という。私は、「きれいに切れないという事ならば、はじめから言ってほしい。ほかで買う」といった。作れないものを作れるといってもらっては迷惑だ。私は5枚の出来損ないのパンを見せるために持っていった。それをほしいかと私は聞いた。「ありがとうございます」とみのりが取ろうとしたから、また怒った。私たちは出来損ないを買ったが、その上それを製造者に上げるつもりはない。出来損ないを引き取って、しっかりしたものに取り替えるのが常識だ。どこの店で、悪い商品を持って行って、よいものと取り替えない店があるか。私はオレンジ1個が傷んでいたのを苦情を言いに持っていったら、スーパーでは恐縮して1バッグをくれた。今回は少なくとも5枚分よこすべきだ。
なぜ、腹が立つかといえば、私たちは赤字経営だから経費を落とし、仕入れも必要ぎりぎりだからだ。トヨダ方式そのもので在庫をできる限り減らしている。昨日は、その5枚分は使えないのでトースト用のパンを使い、納品のサンドウィッチを作ったのだ。あまったものではない。あげるものでもない。最低5枚を帰してほしいと思う。それで、商品を作り売り上げて人件費に回している。ありがとうと受け取ろうとする神経がわからない。安いパンを供給しているから悪い商品でよいと思うのだったら、ほかの店のものを使う。だって、必要な量をきちんと納品してもらわなければきちんとした商売ができない。私たちは、パンの1枚2枚が利益の分かれ目であるのだ。5枚も損したら赤字なのだ。
だから、福祉作業所はいやだ。福祉だからあてにならない商品を出してよいのか。使えないものは、商品でない。時々、甘えるなといいたくなる。今日は、責任者を怒鳴りつけたが、親切だと思ってほしい。次は、黙ってほかの店にするからね。
午前中は建設部、水道部によって帰ってきた。昼は家で食事をして、午後はまたパステルに戻り、明日のデザートのコーヒーゼリーを作った。久しぶりのデザートつくりだった。ガムシロップも作り、冷やして明日に備えた。そのまま、また役所に戻り、月曜日の視察の資料を子育て支援課にあげて、7階の政策課へ後援報告書を出し、5階に回り、社会教育課で後援報告書を出し、議会事務局で資料請求の紙を書き、あっと思ったら3時半過ぎ。急いで帰ってきた。
4時からは家庭訪問の予定だったが、先生たちが遅れたので4時半ごろからとなった。1時間ほど。その後、バザーの寄付品をもらいに行った。お茶までしたので、2件回って帰ってきたら8時を回ってしまった。今日も忙しかった。 |
9日(火)
44400カウント |
今日は朝寄付をいただいてから、パステルへ。パステルではすることがいっぱい。渉外係も忙しい。隣のデイケアにご挨拶に行き、今後もよろしくと言った。
その後、役所で昼食をした後、議会事務局へ。街づくり推進部へ行って話しこみ、国際交流課に立ち寄り、商工課の課長のご機嫌を伺い、今度は1階に行って、「あい・ぽーと」の話を延々として、帰ってきた。教育委員会にも立ち寄ったかなあ。
あい・ぽーとと西口だが、公益施設の使い勝手については多くの女性や団体のご意見を頂戴するべきだと思う。時間はかかるし、面倒くさいかもしれないが、いまどきは市民参画のものつくりをしなければ。幼稚園後の利用も公募して公開プロポーザルにして、選べばよいけれど。狭山の役人にできるかねえ。がんばれ、総合政策部。部長の采配と才覚で狭山市がどのくらいセンスがよくなるか決まるんだからね。
夕ご飯後はボランティアさんたちに電話をかけて、15日以降の営業短縮の協力をお願いした。夜まで仕事は終わらない。 |
8日(月) |
今日の仕事はまず来週から営業時間を5時までにすることをオーチュー、福祉部関係に報告に出かけることだった。急いで、9時過ぎに出かけ、健康推進課、障害者福祉課、福祉部長席などを回ってきた。皆さんご理解していただいてよかった。いつかディナーのメニューを用意して、夜の部の再開を果たしたいものだと思う。人件費の節約の計算はできるが、収入がどのくらい減るのかを計算し切れていない。その点が、気がかりだが仕方のない決断だと思っている。どうせするならば、血を流すのが少ないほうがいいので、来週から時短を始める。
本当に悪いなあと思うことは、今までの運営委員長に今もなおパステルを任せっぱなしであることである。渉外ばかりしていて、なかなかお店に入れない。検便を10日にするので、それ以降は時間を見つけたい。乗りかかった船と思ってはいるが、沈没させないためには、もっともっと努力が必要である。
午後3時から港区に出かけ、青山にあるあい・ぽーとの視察に行った。思いがけず静かなところにあった。事務局の方が待っていてくださった。お話はこの前女性のために政治スクールで聞いたばかりなので新鮮ではなかったが、市立幼稚園を廃園後の利用で、この子育て支援事業をしているということであった。狭山市でも3園を廃止する。その後利用をどうするかであるが、今回のような施設に改善するのも一つの方法だろう。特に、奥富幼稚園の廃園後には、奥富・新狭山地区に児童館もないことだから、特に子育て・女性支援センター的なものに変えていくのもよいのではないか。
ところで、私が「児童福祉課が保育課と子育て支援課にわかれてしまい・・・・」などと説明したら、それは時代に逆行していませんかと大日向先生に切り替えされた。「女性支援という観点が低いとそういう事になるのです。」との事であった。保育は働く女性のため、子育て支援は働かない主婦のためと女性の生き方を2分して考えているのではないかというのである。子育ては女性の自立支援でもある。
視察は5時半ごろに終わった。議会事務局にちょっと宿題をお願いして申し訳なかったが、どうしてもほしい資料なので仕方がない。その後、いくつかカフェを見てきた。2軒立ち寄って、ディーニッシュを食べた。確かにおいしかったが、私の口が肥えていて、すごくおいしいとも感じなかった。表参道ヒルズのカフェの900円のウィンナーコーヒーは値段が張る割りにどうという事のない味だった。私は生クリームが好きでないが、味の視察だと思い食べてみたが後で胃にもたれた。
帰ってきたら9時を過ぎていた。今日も疲れた。 |
7日(日)
44300カウント |
今日は朝、礼拝。その後、郵便局によって私書箱の郵便をチェックした。
午後1時から、狭山台の大納言で「高遠菜穂子さんのイラク報告実行委員会」の解散食事会を行った。会長挨拶、会計報告をした後、この前のアンケートの結果をみんなで読み上げた。いろいろな考えがあったが、内容がとてもよくて、主催者として励まされた。この実行委員会では新しい出会いもあり、いやなこともあったりしたが、“終わりよければすべてよし”ということであろう。反省会として行わず、解散会としたので、いちいち省みることなく、楽しくよい点だけを胸にお別れした。こういうお別れはまた次に続きそうな気がする。1本締めでおしまい。
また、人に喜ばれるような平和活動の催しをしたいと思った。秋にできたらよいけれど、選挙もあることなので、どうかなあということ。私は今ある「平和を願う市民の会」の継続活動の提案をした。今後は何かをする場合、この会を中心に行うことにした。どこでどう実がつくかわからないけれど、いつか私たちの撒いた種が大きく育ち、平和活動が進んでいくことを願っている。
夕方は、支援者のところで蜂蜜をもらいに行った。自家製の蜂でとった蜜で、さらさらして嫌味のないおいしい蜜をもらってきた。うちは1月に1キロぐらいたいらげるので、いただけるととても嬉しいのだ。本物の蜂蜜を見ると、中国製がどろどろしているのは、きっと水あめでも入れてあるからではないかと思ってしまう。ほんとに、さらさらなんですから、自家製蜂蜜は。 |
6日(土) |
今日はあまりの汚い家に何も言えず、片付けた。息子たちをしかりつけて、まず皿を洗わせた。洗い物はいくつもあるし、布団も干したかった。新聞紙は何日分もあっちこっちに読みっぱなし。夫に片付けてもらった。私は、部屋のごみを取り除いたり、テーブルの上を片付けたりしたが、まるで一日掛りで家をどうにかした。
午後遅くに美容院に行ってパーマをかけた。もっと強くかけてもらえばよかった。前とどこが変わったかいえません。美容院で電話がかかってきて、自分が仕事モードに戻っていったのがよくわかった。もう休暇は終わった。
夫もまた、午後から会社に出かけた。仕事が終わらないといって帰ってきたのが、9時ごろだった。出張の準備をしていたがなかなか荷造りがすまなくて、寝たのが2時過ぎだった。 |
5日(金) |
今日は朝夫と娘は熱気球に乗りに出かけた。私は、高所恐怖症なので怖くて気球に乗れない。それで、本を片手に窓の外の緑を見ながら、のんびり。1冊読んで、その後、昨日のバーベキューの後片付けやら、お皿洗いをしたり、干していなかった布団を外に出したり、洗濯をしたりしたら、午前中はあっという間に過ぎた。
午後は夫と娘が帰ってきて、昼食。その後、夫たちは昼寝をしていた。私は、庭の木に肥料をやったり、虫よけの薬をまいたりしてすごした。飽きたら、本を読む。夫が明日また仕事に出るとかで、今日に出発することになり短い休暇も終わった。巷では9連休なんていう人も要るらしいが、我が家では3連休しかなかったようだ。
帰ってきて、あまりにも家が汚くて、いやになる。私は男の子たちをどうしつけたらよいのだろう。ぜんぜん片づけができない子達である。とんびは鷹を生まない。 |
4日(木)
44200カウント |
今日は朝7時前に起きて、眠れなくなった。とにかく、ベッドがやわらかすぎて腰が痛くて眠れなくなったのが真相。夫は疲れていておきてこないので、一人で散歩に出た。今日は昨日に引き続き朝から暖かくて別荘地内を半周してお友達にあった。その友人が畑を借りているというので、畑まで車で連れて行ってもらった。帰りには山越えで帰ってこようと、山に入ったのだが、腱鞘炎の足で、軍手もなく一人で山を越えるが怖くなり、途中で引き帰した。高々一山超えればよいだろうと思ったのだが、それは素人考えで、もう一山ありそうだった。地形のわからないところを何の準備もせず、山に入るのは怖い。引き返すも勇気と思い、元の道を帰ってきた。とはいえ、少し近道をしたけれど。そこにはロープが張ってあったので、きっと大丈夫だろうと思って・・・・・
私は信州大学に4年間行っていた。もちろん、その間も大学を出てからだって、穂高岳を登ったりしていたし、トレッキングだってした。けれど、今回つくづく、年を感じた。昔のような山の散策はできない。体重だって、30キロも多くなり、足の痛みもちっとも取れないのが実情。10年前、別荘を作り子育てをしてきたが、その子供たちも娘を除いては別荘に寄り付きもしない。隣の別荘では、娘さんたちが結婚して小さな子供が元気に遊んでいる。できるとき、その時々に楽しい思いをしたいとつくづく思った。10年後にはできないことがもっともっと出てくるに違いない。
午後から、バーベキューをした。夕方からバーベキューをすると虫が飛んでくるのがいやだからである。ここにいて、お料理する気もなく、2日分の料理のつもりでチキンやら、ハンバーガーなどをやいた。風が柔らかで、日差しもそんなに強くなく、蜂もいたにはいたが、そんなに脅威とはならず、庭先の芝生にイスを出して、のんびり。「ビールを飲むと運転できないから、ファンタ」と、夫婦と娘はのんびり、のんびり。久しぶりに干した布団もふかふかになった。
夜は5時過ぎに穂の香の湯にでかけた。その後、バルーンのイルミネーションを見に出かけた。第14回目だそうだ。私たちは毎年、この時期に別荘に行くが、人ごみが多いだろうと一度も見に行かなかった。今年はどういうわけか、夫が行きたがったので、出不精の私もついていった。バーナーで熱気球を明るくするのだが、24機ものバルーンがバーナーをつけたときは圧巻だった。来年一度行かれることをお勧めします。けれど、帰ってくるのに、駐車場を出るのに1時間以上もかかった。それも、想定内だったから、 いらいらもしなかった。
新しい経験をして、楽しい日だった。 |
3日(水) |
今日は朝少しゆっくりした後、別荘へ行く準備。ほとんど、衣服も別荘においてあるので、下着ぐらいしかつめなかった。昨夜、夫は遅く帰ってきて、雨の中出かけようかといったのだが、いつも2時間でびゅうっと行って、びゅうっと帰ってくるのが日課で、ちっとも旅に出るという思いがしないので、今回はR299を通ってゆっくり行ってみたくなったのだ。
R299は込んでいたので、途中芦ヶ久保から顔振峠の方に横道に行き、すごい山道を通って秩父まで出、そのままR299に戻った。299はさすがに田舎の国道である。狭い対向車線のないところもあった。夫が「これが国道ですか」と聞いたが、まるで生活道路のようなところもあった。きっとこの道が唯一秩父と上州、信州を結ぶ街道だったのだろうと思った。秩父事件を思い出した。
山奥に行くと桜が満開だった。まるで桜のトンネルを走っているようなところもあり、優雅な思いがした。とてもよい季節である。けれど、道は尾巣鷹山の麓、上野村近辺になると桜さえ咲いていず、木も芽吹いていなかった。標高1600メーターとか。恐竜の足跡というところに止まり、アンモナイトの化石を売っているところで、お焼きを買っておやつにした。
1時に出かけ、途中で買い物をし、別荘についたら8時を過ぎていた。もう、どこにも行く気がしなくて、買ってきたもので夕食を食べた。夫と娘はビデオを見ながらポテトチップスをぼりぼり(カウチポテト)食べていた。私は、いつものとおり、リクライニングイスにねて、オットマンに足を乗せて、ハーレクインを読んだ。非日常のところで、非現実なことをし、現実からの逃避をするのが、目的。 |
2日(火) |
今日は体調が少し回復した。熱が出ないと楽だ。朝、ゆっくりした。夫は今日も昨日に引き続き出勤。休日出勤になるのか、サービス出勤なのか。会社の暦では休みだけれど、いつも長期休みでゆっくりできたためしがない。
私は、昨夜遅くまで、寝ないで考えていた営業時間短縮について、あちこちに電話をかけて意見を聞いたりして短い午前中を使った。反対という人が一人もいなかったから、よかった。もともと、これは前からの懸案事項だったのを、すぐにも始めようということである。
障害者をもっと雇用するために、親の会の3役会に出て、会員の中で働きたい人を募ることも理解してもらってある。決まったとなれば、することもたくさんある。全部自分ですると思うと気がめいるけれど、親の会の人たちも同じように行動してくれるらしいからよかった。
午後は役所で資料請求をした。その後、ディベートの練習に偉い方(誰でしょう!)が付き合ってくれたので(と、私が勝手に思い込んだのかも)、彼をへこまそうとがんばったのだ。しかし、敵もさるものでなかなか勝てない。最後は、禁じ手かも知れないが、年のことで(実年齢は同じだが、親としては私の方がずうっと若い)私の強みをだして、昔の実績を持ち出してもだめとか言って、うっちゃってしまった。意気揚々と帰ってきたつもりだが、もしかして、私を事務室から追い出す作戦に乗ってしまったのかもしれない。残念だが、敵はこちらの心理をよく読んでいる面が見られる。次のディベートでは必ず帰ってきても、「もしかして負けたのかも」と思わないような勝ち方をしたいものである。もちろん、彼は私が勝ったと思おうとぜんぜん関係ないというようなそぶりをするはずだが、私はめげないぞ。自己満足のできるディベートを明日も(明日は休みなので、今度あったときは)彼とすることにしよう。ご迷惑をおかけしますが、事務局の皆さんには審判をしていただきたい。でも、あの人たちは皆彼の味方。ほかの議員は私のこのような打倒偉い方の遠大なる野望については、無視するだろうから、勝てないかも・・・なんだか、考えているだけで、負けた〜〜。私のように頭のよい(?!?)人は考えすぎてしまうのだ。ふ〜。意味不明と思う人は事務局まで。 |
1日(月) |
今日は朝、体調がよくなくて医者に行った。夜中に寒気がして震え上がったあと、熱が出た。久しぶりのお医者さんだったが、風邪かなあ。胸焼けもするので心臓が弱まっているのかと思ったが、単に胸焼けだったようで一安心。薬をもらって帰ってきた。
その後は、パステルの運営の引継ぎ。会議。改革というのは、不安なものである。私だって、今のままで売り上げが増えれば、それに越したことはないと思う。でも、売り上げを上げるにしても、売るものを考えなければならないし、おいしいものでなければならないし、その上、補助金が110万円も減額されたのだから、その分の売り上げ増をするにはどうしたらよいかを考えなければならない。ともかくは、人件費の節約を考えるのが一番だろう。買い物して帰ってきたら7時近かった。
夜にずうっとパステルの経営を考えていたら眠れなくなって、2時ごろ売り上げが出ない5時から7時までの時間帯の営業をしばしやめたら、すなわち営業時間を5時までとすることが今のメニューや体制の中での経費節減対策として一番だと結論が出た。費用対効果を考えたとき、このお店の第一目標は障害者の雇用であり、今、夜は障害者を雇用していない状態であるから、ここからカットしていっても目標をずらすことにはなるまい。後々夕ご飯の戦略が決まれば、ディナータイムに人を呼ぶことが意味を持つかもしれないので、その時までということではある。
なんだか、社長になったようで、心はパステル一色である。お昼からのスタッフミーティングで今のままでは2年と持たないといったら、「それではやめたらどうですか」などという人がいた。止めることを考えるならば、私は運営委員長を引き受けはしなかった。一人でも多くの障害者を雇える持続可能なレストランにしなければならないと思っている。 |