私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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6月 私の独り事
30日(金) 今日は朝9時からパステルへ。倉庫が来るのでそれを見届けなければならなかった。その後、うちに飛んで帰って議会レポートの1面を書き上げ、校正をスタッフに頼んだ。4面の後記も書き入れて、とにかく刷り始めた。そうこうしているうちに中学の懇親会の時間を大幅に遅れてしまった。あたふたと出かけた。11時始まりだったが結局12時過ぎについた。

2時半ごろまで話し込んで、3時のパステルへと急いだが、ここも少し遅刻。6時過ぎまで仕事(お金をもらえないからボランティアかなあ)。急いで買い物をして帰宅。ご飯の支度をしてから、またパステルへ。今日も3度もパステルへ往復した。その後、議会レポートの3面作り。忙しくて、落ち着いて仕事にならない。記憶も飛びがちで、怖い。
29日(木) 今日は朝からパステルへ。昨日の洗い残しのものを洗いに行ったのだが、結局手伝ったりして、帰ってきたのだ。その後、パステルの看板を作ってくれている人の家に看板を見に行き、いつものようにお饅頭なんかをいただいて帰ってきた。

午後早く、議会行き、韓国視察報告をした。どうしても、食べ物がまずかった話や、お皿がプラスチックであまりにチープだった話や、エステに行ったのにちっとも美しくならなかった話に終始してしまった。食い物の恨みはふか〜〜〜いのである。それに、せっかく金をかけたのに美しくなったと事務局の一人たりともが言ってくれないのだから、これも恨みが出てしまうのである。私はお世辞は大好きです。次の時は美しくなったといってもいいよ、事務局員さん。(誰も言ってくれないと思うけど・・・さ)

ご飯を作る間もなくパステルへ。シフト表の個表を作り上げなければならなかった。それが7時過ぎまで掛かり、結局家に帰る時間もなくなったので、パステルの夜の仕事が終わるまでいた。その間、サピオの新しいパンフレットの作成のための写真を撮ってもらった。何枚もとった挙句に、やっとそのうちの2枚を選んだ。

帰ってきてからご飯を食べ、夜は議会レポート作成に励んだ。
28日(水) 今日は朝からパステルに行かず、家事をし、議会レポートを考え、午後には食料を買出しに出かけた。カルフールへ。いつものとおり、山ほど食料を買い込んで帰ってきた。今日はミートソースの試食があるので、7時にはパステルに行かなければならないので、まず家でミートソースを作り、スパゲティをゆでるように言ってからパステルに出かけた。

昨日から夜のコーヒーの特別注文に答えるため8時過ぎにはパステルに行っている。アイスコーヒーを運んでから、ミートソースの試食。でも、結局新しいメニューからスパゲティーは消える方向になりそうである。手作りソースを冷凍していて、出してもよいと思ったけれど、止めてもよいと私も思う。それにしても初めはカフェを作ろうと思ったのに、だんだんキッチン、和食系へシフトして、どうもどんぶり物も出てきそうだ。おいしければ、それでもよいと思っている。何しろ、4、、5人の障害者を雇いたいが、そのためには売り上げを伸ばさないことにはどうにもならない。おいしい食べ物を提供していれば、きっとたくさんのお客さんがきてくれるだろう。期待しよう。
27日(火)
46500カウント
今日は、朝息子を病院に連れて行った。親をしなければ、親でない。子供のために時間が取れてよかった。お昼に制服の半そでシャツを買ってやって学校に送ってやった。今日は和光のロースかつ弁当をデパートで買ってやって弁当代わり。小さな手術というか大きな治療をしてもらい、息子は痛そうだった。可愛そうに・・・・

午後は昼食を食べ、手紙を書いて、その後パステルへ。昨日決メタ事がひっくり返っていて本当に驚いた。これだから、時々テーブルをひっくり返したくなると言うものである。少しパステルを手伝うつもりが結局6時半。急いで帰ってきてご飯の支度をして、またパステルへ。11杯のコーヒーを配達して帰ってきた。

夜は夜でシフトのことで電話を掛けまくった。一日中パステルのことだけをしているようで、明日は夜までパステルには行かないようにしようと思う。
26日(月) 今日は朝からパステルに出かけた。実は、昨日韓国から稲荷山公園駅から直行でパステルにより、週末の状況を聞いた。日曜日はよかったようであった。それでもあれこれ話をして帰った。

それで今日はケーキを作らないでクッキーの種を作ってもらった。氷水の道具を出して明日からでも作れるようにした。次々に解決しなければならないことばかりが続くが決定を次々にしていると後からいろいろ言われる。そういうものであるが、押し切ることができないと本当にイラつく。私に権力をくださいと言いたくなる。会の運営委員長なんていうんでなく、自分で経営できたらどんなによいかと血迷った考えを持ってしまう。自分でやったらこんなものでなく苦痛と苦悩の連続だろうけど。

結局、遅くになって帰ってきた。
25(日)
46400カウント
今日は朝、戦争博物館に行き、韓国の歴史を戦争の面から見た。韓国が多くの外国、または新羅、高句麗、百済などとの戦争で国力がなかったことがよく分かった。伊藤博文を殺した人がヒーローだったが、伊藤を殺したい気持ちは分かったがやはり暴力はいけないと思った。そのヒーローこそが日本に併合させる理由を作ったとも言える。暴力で問題は解決できない。

日本の侵略もいけない。他国から搾取して自国を富ませようというのは不正だと思う。それを土台として言うが、韓国王朝は自ら生き残るために人民を殺したのではないかと思う。今の北朝鮮のような政治をしていたのだろう。通訳も冷静な韓国女性だからそういう事を言っていた。私は戦争の責任を今年の冬に学んだ。韓国もなぜ侵略されたかを学ばなければならない。官邸料理というのを昨日いただいたが、あまりにも粗末でおいしくもなく驚いた。王様があんなものを食べていたのであれば、庶民をしてどうかと考え込んだ。日本が幕末を迎えていたころには、日本はよかれ悪しかれ富国政策を採り、開国した。韓国も富国政策をせずに国を閉ざしていてはいけなかったのと思うだ。独りよがりで、攻めてくる他国がいけないとばかり言っていてはいけないと、政治家(?!!)としての私は思った。自国の政治を反省し、しっかりした政治がなければ、一番困るのは国民である。政治が本当に大切だと思う。

思えば今の日本の政治は官僚政治で、官僚の都合のよい政治を行っている。また、反韓国、反中国、反米国の感情論の中で日本独自の政治をと言い張る連中もいるが、私は国際政治で日本は協調路線をとり、多くの国の中で、“やさしい日本”というイメージを崩してはいけないと思った。

午後の飛行機で帰って来た。今回の視察であまりよい思いで帰国できなかった。他のツアーに比べれば非常に高いツアーだった。視察で民間人の行かない、行けない場所での多くのレクチャーがありそのせいかもしれない。でも役所は金を取らないはずだ。それなのに、なんだかお金を取られたという気がするのは何だろう。ニュージーランドの時は決してそんな風に思いはしなかった。まずい食べ物(お金が掛かっていないのがみえみえ)、非常に高い(きっと日本人料金)の品物やサービス。金持ちの日本人からふんだくれと言う感じだ。にこりともしないサービス。いやいや日本人にサービスしていると言う感じがありありとした。お金を出していやな思いをしたのはこの国が始めてである。政治家としてウリ党の女性議員がにこやかだったのに、本当にそのほかでは冷ややかなお金を取ればよいと言う扱いには気分を害した。

こういう時は、特に悪い気持ちになり、40億ドルも戦争の補償費をだして韓国の基盤の構築に日本が貢献したことをどう考えているかと聞きたと思うし、戦前の建物(すばらしい建築物)、すばらしい道路や区画整理事業をどう評価しているかと問いただしたくなった。返事は分かっているけれどね。それでも、金持ち日本人に対する屈折した韓国人の感情に接して、もう2度と韓国に行きたくなくなった。私にはクリスチャンの韓国人の友達も多いが、彼らと大違いの一般韓国人に失望した。
24日(土) 今日は2日目。朝4時にルームメートがテレビをつけてスイス韓国戦のサッカーを見ていた。本当は頭が痛くて迷惑だったが何も言えずに横になっていた。7時過ぎにおきて、ご飯を食べ9時過ぎから視察へ。初めは、保育園を視察した。きっと韓国のモデル保育園だと思う。大都会の中の小さな保育園。80人定員だそうだが、内容は充実していた。朝7時半から夜9時半までの保育時間で、夜の7時半からは延長保育としてしているのだそうだ。生活保護を受けた家庭を中心に低所得者の勤労家庭の子供たちが通う。この保育園は視覚障害を除いて多くの生涯を持つ11人の障害児が保育されているそうである。病時、病後時保育はなされていない。狭い3階建ての建物であるので、運動場はなく、近くの公園に行くのだそうだ。どの国に保育所を視察しても思うのだが、教材的な遊具がとてもよくそろっている。狭山市ではどうしてあんなに遊ぶものが少ないのか疑問に思う。それに本当にこんざつしているしね。これから何箇所か見て回るようにしたい。

老人ホームへ出かけた。国立の施設だが、福祉法人が委託で運営していた。3年前にできた施設だが、貧弱で驚いた。生活保護者で身寄りのない痴呆のでた方々を中心に80人ほどが住んでいた。ああはなりたくないなあとつくづく思うし、老人ホームに入りたくないなあと思う。で、誰が好んでこんなところにいるかと言うと、きっと一人もいないんだろうけれど、要するに仕方ないのだろう。ため息が出てしまった。

食後、鋭才学園に行った。赤ん坊からの鋭才教育とはなんだろうと思う。校長先生自身がきっとLD多動の娘さんを持っていて開発した教育法だそうだ。賛否いろいろあるが、障害児教育に応用できる面が多く、彼女の開発した教育器具を広範に売り出せば、多くの障害児が恩恵を受けるだろうと思った。けれど、彼女はこれを障害児教育に使おうとして折らず、知能をもっと高めるために使っている。きっと、効果は普通の知能の子供にけんきょに現れるだろうから、はやるわけである。生徒が100人もいるそうである。頭脳活性化をカリキュラムにしたものである。年齢が上がると教科特訓もしていた。
23日(金) 今日は朝、3時半におきて用意をし、4時半過ぎに夫に頼んで所沢まで車で行き、バスで羽田まで行った。韓国ソウルへ視察に行くのだ。お昼過ぎに金浦空港に着き、すぐに中央選挙管理委員会に行き、電子投票の仕組みを学んだ。これの日本への導入は不可能に近いだろう。住基ネットですら導入に大変な国で指紋認証制度を全国民に受け入れさせられるか。不可能である。住基ネットは行政だけでやれるが指紋の押収は国民の理解がなければできないからである。残念ながらパワーポイントの資料をもらえなくて、ノートが取れなかった。

次に女性家庭省に行き、1.女性の政治進出について 2.子育て支援政策について聞いた。通訳が悪すぎて、きちんと答弁が聞き取れなかった。この通訳のつたなさには最後まで悩まされた。最後に、「主婦で突然借り出されて・・・・」と言っていたが、主婦だろうと突然借り出されたのであろうと仕事ができなかったら迷惑だ。私は観光旅行に行っているわけでない。課題をどう理解していくか考えるためにいったのだ。今回は政務調査費を使わせていただく。税金を使っているのに、よく分からなかったというのでは申し開きができるか。本当に腹がたって主催者にこの通訳のつたなさについて抗議した。

その後、韓国国会議事堂へ行き、議事堂を見学後、韓国の女性議員に女性議員を増やすにあたってクオータ制導入の経緯を伺った。女性家庭委員会の委員会室も見学。

夜になり、韓国ウリ党の女性議員6人と懇談会食。でも、何しろ今日は韓国がサッカーでスイスと戦う日なので皆夜になって浮き足立ってしまった。「テーハミンゴ、ちゃちゃっちゃ、チャチャ」を皆でしてお別れした。テーハミンゴってどういう意味かよく分からなかったけど、「日本、チャチャッチャ、チャッチャ」もしたのできっとテーハミンゴは韓国のことかなあと思う。

疲れてホテルに入った。ホテル着が9時半過ぎていた。それから、ちょっとお茶をして、お風呂に入った。ルームメートは垢すりに出かけた。12時過ぎに寝た。長い長い一日で最後には頭痛がした。
22日(木)
46300カウント
今日は朝萩山の病院まで娘の薬を取りに行った。何年通うことになるのだろう。今回医者に娘の病気は治るかと聞いたら、かなり難しそうな答えだった。それと、先生は娘が一般就労できるだろう(少なくとも能力がある)という話をしてくださった。それと夏休みにアルバイトをするのも賛成で、経験を増やしてやってほしいとのことだった。よかった。

今日は珍しく自動車で萩山まで行った。脚が痛かったので、階段の上り下りがいやだったからだ。新青梅街道を通ってきたら1時間で帰ってこれた。その後、支援者のうちに行き、パステルの看板を作ってもらう相談に行った。材料費だけで済めばよいと思いお願いした。宣伝をしないことにはパステルがどこにあるかも分からない。パステルは行けば長くなる。

さまざまな改革があって、いろいろな考えがある。原理原則を通すことは難しい。でも、それを崩さない努力も必要だし、それを根本から変える勇気も必要。改革は大変なのである。
21日(水) 今日は6月議会の最終日。議会開会の前、全員協議会で福祉公社と社会福祉協議会の統合についての説明があり、執行部が議会に報告が遅れたことで非難がごうごうとなった。まあ、議会としては公社と福祉協議会の統合にはほとんどの人が賛成しているのだから、もっと詳しく説明をしていただくことで納得するだろう。とにかく、福祉公社を作ること自体がお金の無駄だったのだ。

議会は午後まで続き、討論に入った。討論は大島議員と共産党の議員が補正予算に関しての反対討論をした。内容があまりにも客観性に欠けていて、本当は訂正か削除をお願いする箇所がたくさんあった。やはりそんな時、議会運営委員長か副委員長の適切な判断が必要だと思う。

また、これは議会内の話をするのは身内のことなので恥ずかしいことかもしれないが、私は執行部の批判や非難をこのコラムでしているのだから、公平を期すためにも議会事務局のことも言うべきであると思う。今日、議長がシナリオを読み間違えたり、飛ばしたりする場面があった。私は、議長が不慣れなせいと言うよりも打ち合わせをきちんとしていなかったからだと思う。議会事務局はもっと議長をサポートするべきではなかったか。単に、横から原稿を渡すだけではいけない。人の名前の読み忘れは、大変失礼なことである。人生で1回だけの表彰と言う場面での失礼は本当は許されないことじゃないか。こんなことを局長に言うのは心苦しい。しかし、もっと緊張して議事運営のサポートをしてほしい。

臨機応変に対応する必要のときもある。最後の閉めの場面でももたついた。議長は始めての議会だったから揚がっていたのかもしれない。だからこそ、議会事務局はしっかりしてもらいたい。議長でもない私がこんなことを言うのは、議長が大好きでかばいたいと言う事ではない。きっと彼と私とは男女共同参画社会実現に対して反対の考えだろう。しかし、考えが正反対だとしても彼は議会を代表する議長だ。もし、市民の間に議会や議長の権威にたいしての失望、失墜がおきたら困ると思うのだ。議会はなかなか市民に評価される事が少ない。それは、開かれた議会として情報を分かりやすく出さなかったと言う経緯もあったかもしれないが、今はケーブルテレビ初めHP,モバイルなどでどんどん情報を流している。その場合、ケーブルテレビなどでは間違いがそのまま映し出されるのだ。もたつきが目の当たりになるのだ。本当に注意するべきだろう。

情けないことだが、委員長報告の中で漢字の読み違えもあった。委員長がちゃんと読んでいればよいが、読み違いと言うのは自分ではなかなか気がつかないことである。会議録では微調整できても、ケーブルテレビはいかんともしがたい。副委員長か事務局が注意してあげるべきだ。ルビを振るのもよいだろうし、読みあわせをするのでもよい。読み違えの頻度が高いのは、議会の品位を落とすと思う。私は自分の原稿では間違いそうなところは赤でルビを振っておく。分かっていることを一々言われるのはいやだろうが、今回はっきり注意したい。(どうか、えらそうにと言わないで。わかっていても言うべきことはあるのだから。)

今日3週間ぶりに息子がボストンから帰ってきた。楽しい時だったようだ。
20日(火)
46200カウント
今日は朝娘のパスポートの更新に行ったのだが、娘を連れて行かなかったので午前中に終わらなかった。午後、娘を早退させてパスポートの更新するために川越のパスポートセンターに行った。お昼時間に、議会便りとファミ議の原稿の直しがメールに入っていたので、直してメールした。便利と言えば便利だ。

娘は今年夏休みにパステルでバイトをするという事で、黒いズボンを2本買った。バイトをしてくれると言うので、安い出来合いの浴衣をユニクロで買ってあげた。アメリカに行くので、アメリカで着て見せてあげればよいと思う。本人はとても嬉しそうだった。かわいらしいピンクの地にコスモスが咲いている模様の浴衣。こんなのを買いながら、娘がいるのが嬉しくなる。

早々、全国フェミニスト議員連盟の機関紙に載せる原稿の題名は、
「隠れフェミは止めた」 実は久美子はフェミニストでした。
というのです。「実は奥様は魔女だったのです」をちょっとパロディー化したのだけれど、魔女よりフェミのほうが怖いと思っている男性もいるそうです。家の夫だって、多少びびりましたからね、私が全国フェミニスト議員連盟の世話人になったと聞いたときには。でも、私は決して怖いフェミではありませんよね。(誰、それはあまりにも主観的過ぎると言う人は?!)男性に対する思いやりでは男性に負けませんよ。だから、家の夫婦は銀婚式まで続いているのです。(え、だれ?ジムさんが偉いからだと言う人は。それは偏見です・・・・よ)
19日(月) 今日は朝またまたパステルに行った。在庫の米がなくて車を走らせて買い物に行った。今日はクッキーの材料についてあれこれ考え3種類のナッツを試してみた。胡桃がよいと決定。少しでも経営に沿った材料を仕入れなければならない。ケーキが売れないとのことで、今日は売れ筋のクッキーを作った。2時過ぎまでパステルにいた。

その後、少し休んでから、車で鶴ヶ島のカインズホームに倉庫を買いに行った。大は小を兼ねる。敷地いっぱいになるが大きめの倉庫を買ってきた。パラソルも買うことにして値段を調べたら結局5000円することが分かった。もっと安くなるとよいけれど。明日パステルで使うものを買ってきたが、家に着いたらもう7時過ぎだった。違うスーパーに行ったのでちょっと珍しい黒ゴマ豆腐や揚げ物、かつおのたたきでご飯を食べた。子供たちが協力的で嬉しい。
18日(日) 今日は朝礼拝。ふ〜〜んと思いながら聞いていた。礼拝できることを心から感謝した。心に残ったことは、「神様の枝に繋がっていれば、自然に神様からの滋養が体に回ってきて神様の御心を行うことができるようになります。」というところ。礼拝に通い、御言葉に耳を傾け、反省しながら生きていこう。神様が何とか御心にかなう道を与えてくださるさ。(いつものクリスチャン脳天気)

午後は、パステルでお仕事。でも、タイムカードを押し忘れた。最後までして、鍵をかけて帰ってきた。疲れ果てた。本当にこんな事をしていたら、本業の議員生活に支障がきてしまうと焦る。
17日(土)
46100カウント
今日は朝、パステルへ卵を届けに行き、冷やし中華の作り方を伝授し、モーニングセットを食べてから、さいたま新都心のWITH YOU さいたまの彩ネットの勉強会に出かけた。

今日は私の選挙をどう戦ったかという話と、ポスターなどの製作について大沢広告事務所の大沢さんに来てもらった。統一地方選への出馬を考えている女性が集まった。女性に対する風が少しも吹いていない。特に中年女性は一度はもてはやされたのに、今はかえって逆風である。地道に実力を発揮していなければ、つぶされてしまう。ど根性のある女性でなければ選挙だけでなく議会へ入ってからもつらい。それは男性にも当てはまる部分もあるのだから、女性はがんばらなければならない。勿論、今の日本では女性のほうが何倍も努力をしなければならないのだけれども、そうしながら他の国は女性の地位向上を目指したのだからメゲテはいけない。それにしても、アジアのどの国よりも日本の女性政策は遅れている・・・・

久しぶりで懇親会にも出たので、帰ってきたら10時を回っていた。懇親会で驚いたのは、彩ネットで現職議員が少なくなっていることである。合併選挙で女性が落選する。市長選挙でもまだまだ勝てない。私のような潔癖すぎる女性が多いので、政党や会派に入って妥協もしないからだろうか。政治は数だから群れないと権力からは遠いことは多いだろう。市長になっても何ぼのことかと思う気持ちが強いのだが、その市長と言う権力を用いてさまざまな事も可能なのだから、意欲を持たなければならないのかも知れない。私はともかくとして、女性よ、がんばれ!!
16日(金) 今日は朝、ひどい雨で夫は息子と娘を車で送っていった。私は、久しぶりに家事。でも、パステルに卵を届けなければならなかったので出かけた。少し卵が高すぎて、今後はこの卵は使えない。おいしいのだけれど。家の分も買ってきた。

パステルでは午後少し手伝ってと思ったが、少しどころか結局店を出たのは6時過ぎだった。今日は冷やし中華の導入の日だったから、あれこれ指図することもあり、連絡帳は私の指図が3ページも続いた。こんなことを長く続けられない。本職がおろそかになってしまう・・・・早く黒字にして、バトンタッチしなければ。それとも、店が軌道に乗れば私も楽ができるのだろうか。その日を待ち望んでいる。

今日も疲れ果てて帰ってきた。夕ご飯をうちでも冷やし中華にした。疲れて、ビールを一缶飲んだら、アルコールに弱い私は眠くなってしまい、後片付けもせず、寝た。後片付けは娘にお願いした。
15日(木)
46000カウント
今日は朝冷やし中華をはじめる広告文をもって、パステルに出勤。とはいえ、私はボランティア。お店の状況をみて、研修生の顔色をみて、広告をパウチして、あちこちにはり、11時半になって、息子の出演する所沢ミューズに出かけて、演奏を聴いてきた。あのバンドは2,3曲を演奏すると言うのではなく、コンサートで雰囲気を作って演奏するのがよいバンドである。とにかく、これで3年連続で聞いたが、人数が多いと言うのは大変なことである。

昼食を食べて帰ってきた。まず、その足で乳幼児情報センターに行き、視察。そして、ファミリーサポートセンターに出向き話を聞いた。教育委員会に行き、出前講座の申請をした。議会によって視察についての伺いを書いた。あと、7階に上ってお勉強会のお誘いをし、サティーで平岩弓枝さんの恩宿かわせみの最新本を買い、食品も何点か買って帰ってきた。今日は早くて、7時前に帰宅。

ご飯のしたくは娘に指示をだして、私は横になった。足が痛くて、たっているのがつらかったからである。パステルに行かない日を作らないとと思ったりしている。昨日じゃないが、家族のことより、夫のことよりパステルを考えていると言うのもいかがなものか。やはり休みの日が必要だと思う。
14日(水) 今日は建設委員会の日。午前中に視察し、採決まで行った。その後、建設委員会協議会があり、終わったのが12時半ごろだった。ご飯を食べてから帰ってきたが、事務所ではスタッフががんばって働いていた。今後について指示を出したりしていたら、あっという間に3時前。3時からパステルで仕事と思い、出かけた。結局、仕事をするというより、今後の作戦を考えるだけで時間が過ぎた。

帰ってきたら、8時半。息子は勝手に夕食を食べていた。私はそれから夕食を作り、寝ていた娘をたたき起こし、夫が帰ってきたので9時過ぎから夕食にした。夫が「久美子、僕を愛してる?」と聞いたから、「愛しているけど、今は心は向いていないみたい」と正直に答えた。夕ご飯を夫と一緒に食べていても、パステルのこと、今日話し合った内容など、心の中はパステルの経営のことでいっぱいだった。新聞を読んでいる振りをしていたけど、本当は新聞も読んでなんかいない。冷静に次を打つ手を考えなければならないのに、とにかく明日までにしなければならないことで気がせいている。

雨が降らないといいなあ。パステルは本当に水商売。天候ひとつで売り上げが変わる。16日から冷やし中華をはじめるが、熱くなってたくさん売れるといいけど。
13日(火) 今日は一般質問3日目。質問にクレームがつき休憩したりして長引き、午後遅くようやく終わった。議会で議員のことに対する行政の対応についてあれこれ言われるのも仕方がないといえるかもしれないし、でも、場でもないような気もするし・・・・

私は議会後、夫のポーナスをひきおろして、あれこれ支払いをした。まだ、生命保険料を払っていないので払わなければ。ボーナスは右から左への消えていく。信じられないけれど、私の一回分の地方税が7万円近い。37万円の手取りから7万が引かれ、国民年金1万3千8百円が引かれ、国民保険6万5千円が引かれ、固定資産全約3万円が引かれると19万円が実際の手取りで、その上、事務所の諸経費が紙屋、コピー屋、文房具屋から引き落とされると、実は今月は自分のお金があったのかどうか分からなくなる。とにかくマイナスだ。

もう、ご飯を食べた後はいやになって、寝た。
12日(月)
45900カウント
今日は朝から議会。午後1時近くに終わった。5番目の一般質問は大沢正一さんによる精神障害者施設へ1400万円の補助を望むという圧力。傍聴席には社会福祉法人こぶしの家の関係者でうずまった。私たちに「狭山手をつなぐ親の会」への12万円の補助金がきられたばかり。もし、来年以降、こぶしに何万円、何十万円、何百万円の補助金がついたとしたら、私たちの会もしっかり圧力をかけようと思った。

私は最近、一日に1円でも多くのの売り上げを上げ、どうしたら赤字にならないか日々心を痛めている。補助金がカットされ、赤字の補填の見通しがつかないからなのである。それに、今日だって、昨年度内で市が支払っていた電気、水道代をパステルで払うようにと言われた。「高々1万二千円ではないか」と健康推進課長はいうが、これを得るためには3万円の売り上げが必要なのである。昨日3万円の売り上げがあったが、汗みどろになって私たち運営委員も総出で手伝ったほど忙しかった。あんなに、大変な思いをしてやっと3万円を売り上げるのだ。本当に、議会で傍聴人をたくさん集めて1400万円の補助金をもらえるなら、それのほうがどんなに簡単だろう。私は子供たちを自立させようと言う政府の方針を支持してきた。子供の自立を保障しようと親の人生をかけている。そういう姿勢で行政と付き合っている「親の会」は補助金カットしやすい団体なのだろうか。何かとても悔しい。

出前でおいしいコーヒーを出しますから、役所や福祉団体の方のお越し、予約をお待ちしています。4時からは、新しい料理人の面接をした。おいしい料理を出せるように考えて行きたい。それにしても、これからは、料理人の人件費の分の売り上げを上げなければならない。ランチをしっかり売りたいと思う。
11日(日) 今日は朝礼拝。聖霊の働きについて。聖霊の恵みについて。信仰は聖霊の働きによって恵まれるという事。午後、食事をパステルで取った。カレーうどん。まあまあの味だった。

1時からは運営委員会を開く予定だったが、あまり忙しそうだったので少し手伝った。また、パステルのパティシエと今後どのようなものを作っていくかについて話し合った。夏はあまりケーキが出ないそうである。では、おいしそうなタルトなどを作ればどうかと思うが持ちが悪いらしい。でも、コーヒーと一緒に食べられるおいしい小さなケーキと言うかタルトというかを作りたいなあと思う。研究が必要。

話し合いの後、またもお店を手伝い、おにぎりセットを導入するためにメニューを書き換えたりしていて、帰ってきたのは結局8時ごろ。それから夕食。夫がお刺身を買ってきてくれて、それを食べた。最近は毎日遅くなって、夫にも家族にも申し訳ないなあ。
10日(土)
45800カウント
今日は、朝、パステルに行ってショートケーキ作りした。事務所のスタッフがケーキのスポンジを作ってくれて、ありがたかった。今日はそれを2枚に切り、中に桃とクリームをいれ、それをもう一度重ねて、その上からクリームでデコレーションをした。なかなかうまくいかなくて、最後はお店のスタッフが私の変わりにデコレーションをしてくれた。ありがとう。

私は午後から、半蔵門行き、女性の政治スクールで選挙の戦い方と、外交問題を学んだ。平和を保つのが大原則。平和を維持するために何をするかが大切である。今、反中国、反アメリカのナショナリストの台頭が日本で著しいが、メディアの影響とともに、グローバルな外交状況の中で憂えるべき状態であると思った。何しろ、外交とはいろいろな面が錯綜していて、ダイナミックな力学も働く中、いくつもある連立方程式を解きつつ、その上、解そのものは平和だけしかないという難しいことである。麻生や安倍なんか石原新太郎や桜井よし子とともに、どこかに行っちゃえばよいのにね。

日米同盟は崩すことは不可能であるが、日本は自分が同盟の中で決定権を持っていなければならないという、講師・武井さんの考えに賛成である。それには金を出すという事かなあと思いながら、外交状況の説明を聞いていた。国の安全保障だけでなく、この方も緒方さんと同じように、人間の安全保障について熱意をこめてお話をなさっていた。亡くなった小渕さんの考えであったそうである。

帰ってきて、電話をかけてショートケーキの売れ具合を聞いたら、全部売れたようであった。隣のデイケアに来ているおじいちゃんやおばあちゃんのために作ったケーキ。喜ばれてとても嬉しかった。また、老人が食べたいと言うものを作ってあげたいと思う。パステルは、皆さんのニーズに少しでもこたえたいと思う。ケーキが好評だったのを聞いて、昨日からの鬱があっという間に消えた。とても嬉しかったから。
9日(金) 今日は一般質問初日。時間を目いっぱい使っての質問で、演説も長かったが、答弁も長かった。第2質問をすることができずに終わってしまった。あ〜〜〜〜あ。終わってから、勿論後悔するのだが、どうしてする前に後悔しないのだろう。あまりにも疲れすぎて、考えがまとまらなくなって、「え〜〜〜い、これまで」という感じで原稿を上げてしまうせいかもしれない。でも推敲は3度もしているのだが・・・・もっと前に原稿を書いて、一度頭を冷やしてから書きなおせばよいのにね。分かっていることをできれば、私はもっと偉い人になっているのだけれど、締め切りにならないとエンジンがかからないのが、この私なのだ。

内容は原稿をアップします。今月は男女共同参画月間なので男女共同参画についてを重点にお話しました。

夜は、少し後悔で打ちのめされていたら、家族がお風呂に行ってマッサージをしてもらうようにと進めてくれたので、入間の湯に行って垢すりとマッサージをしてもらった。まだまだ、疲れは取れない。
8日(木)
45700カウント
今日は質疑の日である。月曜日のうちにほぼ質問する事項はチェックしていたので、淡々と質疑をした。教育委員が男性4人女性が1人しかいないのは問題だし、今回の方は71歳で健康が心配。この前、教育委員が任期途中で亡くなり、後任が決まらず大変だったのを皆覚えているだろうに。

文化の面で保存技術の掘り起こしをするのかと聞いたが明確な答弁はなかった。まあ、伝統を継承することは難しい。何のためにするのかというが、お金のためとはいえないけれど、文化や歴史は大切なものだ。残したいものだ。

補正予算で西口開発の債務負担行為についての質問が伯仲した。大きな買い物をするのだもの、このぐらい議会が白熱して当たり前である。

狭山市障害認定委員の条例も決めた。自分の娘が障害者なのだが、全然自立支援法がよく分からない。困ったなあ。とにかく、2合議体で3ヶ月120人を認定するのだそうである。大変である。

議会が終わってからサッサと帰ってきて、原稿を書いた。結局原稿を3回書き直した。どんどん短くなっているが、16ポイントで16枚の原稿は決して短くないわね。
7日(水) 今日は朝から原稿を書いていた。書いては、メールで部署に送り、書けずに悶々としたりした。コンピューターに向かっていて、目が乾くし、頭が痛くなるし、肩は凝るし・・・・・まるで拷問だ。どうして、一般質問なんかするんだろうとこんな時に思ってしまう。
6日(火) 議会初日。朝、駅前西口で久しぶりに演説した。斉藤さんの席に白い花があった。哀悼、追悼の言葉が議員と市長からあったが、どこか紋きりな感じ。でも、公式な場所ではああいうものなのだろう。自分のときを考えた。現職で終わってあんな美辞麗句を言われるのもよいのかもしれないなあ。

午後はお昼をパステルで食べ、2時前に役所に戻りヒヤリング。役所を出たのは8時半を過ぎていて、買い物をして帰ってきたら9時を過ぎてしまった。
5日(月) 今日は明日から議会がはじまるし、一般質問の要旨を書かなければならないので、家にこもっていた。でも、いつものように、考えがまとまらず苦戦している。あ〜〜〜あ。
4日(日)
45600カウント
今日は朝礼拝。久しぶりにアルゼンチンから帰ってきた人がいて、すばらしい働きをなさったようで今後お話を伺いたいと思った。

礼拝後、パステルに行き、お店を手伝った。忙しかった。3時近くまでいた。夕方からヤオコーで街頭演説をした。

夜、原稿を書き始めたが、なかなか終わらなかった。仕方ないなあ。
3日(土) 今日は朝、全国フェミニスト議員連盟の機関紙に原稿を書いて送った。今時は手紙やファックスをするわけでなく、ファイルを添付してメール(E メール)するのだから楽だ。後、原稿は2本5日までに書き上げなければならない。

でも、1本書いたので機嫌よくブランチをしに、夫と娘を引き連れてパステルに行った。モーニングセットを食べに連れて行ったのである。途中、友達も合流して4人でモーニングセットを食べた。今回もこの商品は大好評で、特に卵のゆで方が夫と友達にはとてもよかったようであった。すなわち、やわらかいゆで方。いつもぱさぱさにゆでがちだが、柔らかい方がお客様には好評である。もっと宣伝が必要だ。

お客様をしていようと思ったが、お昼時期となり、忙しそうだったので、結局お手伝いをすることになった。あっという間に、1時を過ぎ、2時ごろようやくパステルを出た。私は運営委員長と言う立場でこの店に関わっているが、6月は忙しい昼ころにできる限りいるようにしている。今日見ていておにぎりセットを早く導入するべきだと思った。材料、手間、人件費を考えても、1個100円でできる体制にはなっていない。もっと付加価値をつけ且つおいしくして、売らなければならないと思う。

毎日があっという間に過ぎていく。市議会議員の仕事もあるのに、パステルが生活の重要な一部になり始めている。1年間の腰掛運営委員長のつもりでいる。終えるまでに、何とか改革を済ませておけるようにしたいと思う。
2日(金) 今日は朝親の会の3役会でパステルの状況説明をした。今1ヶ月お店をやってみたが状況が好転しているようには見えない。やりたいことはあるがそれに至るまで大変だ。今日は役員会でさまざまな問題点やそれの克服について話したが、意見を異にする人もいる。仕方がないと思う。意見の相違はあっても状況を見守ってもらいたいと願う。

役員会での報告を終えてから、パステルで昼ごはんにモーニングセットを食べた。ボリュームも満点だし、卵はおいしいし、サラダドレッシングもマイルド。トーストもパリッとしていていう事なし。コーヒーは2杯も飲んだ。これで売れないはずがない商品だ。お店でモーニングセットを食べていた人にも大好評だった。宣伝をどうしよう。お店に出なくてもよいから秘書がほしい。いろいろしてほしいことが山積みだ。どうしよう。

お昼から役所に戻り、資料を集め、ヒヤリングを終えたら、5時半過ぎ。事務局の人が帰ってから、役所を出た。今は8時半過ぎで、勿論夫は帰ってこない。民間企業も役所のように5時帰宅ができるとよいけれどと思う。夕方の時間を家族と過ごす人生を楽しめるのは人間的である。働き蜂のように働いて、空っぽの人間になって定年後を過ごすなんて悲しい。熟年離婚も悲しい。近頃は定年後を考える必要もなく、いくつになっても働ける企業が出てきたようである。定年がなければ定年後の心配もしなくてもよいのだから、死ぬまで働くとするか。日本人の場合、朝から夜中まで、22歳から死ぬまで働くことになるのか。本当に働くための人生だね。私はこんな人生は降りたい。時々、楽しみながら働きたい。休めなかったら、働けない。
1日(木)
45500カウント
今日は新しいコーヒーとモーニングセットを導入する日。昨日の夜は息子がアメリカ出発のために用意を今日の明け方までしていたし、私は私で新しい事の導入で興奮と不安で眠りが極めて浅かった。夜中に何べんおきただろう。

とにかく9時にはパステルに行って、カウンター周りの電気の配線をし、コーヒーをお客様のほうを向いて立てられるようにした。仕事をする人がお店のほうを向いて仕事をする。お客様にはコーヒーを立てている様子を見ていただくと言う寸法である。怪我なく新しいやり方にお店の人が慣れてくださることを願っている。

新しいコーヒーはお客様に大変好評でお代わりがほしいというお客様が多かった。それだけでも、反対者がいる中を新しいコーヒーにした甲斐があった。否定的なことを言われなかっただけでも嬉しい。これをみていてくださる方、どうかお休みの日にサピオ内、パステルにおいでください。

モーニングセットは3つしか出なかった。食べた人には「安くておいしくて」と大好評。ただ、宣伝もしていないし、お客様に浸透していないのが難点。どうにか考えなければならない。それに、お客様そのものが少ないのが難点なのだ。

2時までお店にいて、その足で役所に行った。疲れ果てていたが、ヒヤリングがあったのだ。一般質問までもう1週間しかない。本当はもっと調べたいことがあるが、役所の人と一般的な話をしているうちに私の真意を役所の関係の皆さんに知ってもらおうという事である。2時過ぎから5時過ぎにヒアリングを終えた。なんだか知らないが、何もいわずに聞いている課長がいたり、とても好意的な課長がいたりと狭山市役所は個性のある課長が多い。それでも女性がヒヤリングに出てこないのは、マネージャー(課長)クラスに女性が2人しかいず、それも外にいる。7年間同じ事を言い続けていても、実現がされないと本当のことを言ってがっかり気落ちしてしまう。

私の提言を無視し、女性政策の停滞の付けはきっちり狭山市に帰ってくるのになあと残念どころでなく、焦ってきているのが実情だ。私が去年男女共同参画のことを一般質問しなかったのはあまりの落胆に提言する気力がなえてしまっていたのだ。それでもこんな狭山市の状態では今後この市の評判がいっそう悪くなり、若い女性がこの町を住みかとして住まなくなるのが心配だからだ。女性の選ばない町に発展はないのよ。それが分かっていない人が多いこと。この市は工業都市の側面が強調されているが、実は住宅都市でもあることを忘れてはならない。

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