私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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8月 私の独り事
31日(木) 今日は、夏休み最終日。息子は夏休みの宿題にがんばっています。歴史上の人物を勉強しなければならないと言うので「勝海舟」が良いわよとアドバイスしてあげました。息子は「勝海舟は平和主義者だね」と、本質を突いたコメント。だから、お母さんは勝海舟がすきなのよ。

午前中に息子のCATの結果を聞きに行った。脳腫瘍ではなくて良かった。鼻腔に何かがあるらしいのですが、手術をする必要もなく経過を見るという事のようです。良かった。

その足で議会に行き、昨日執行部から言われたように、質問事項のことでもし私の解釈が間違っているのであれば質問事項を取り替えるし、それが出来ないならば質問を取り下げる旨を言ってきた。結果として執行部のほうからは、定義があやふやなので私の考えでも良いような話になった。あやふやといったって、私の定義が間違いではなかったわけで、もともとあれこれ言われる筋合いはまったくなかったのにと思った。こんなに嫌な思いをしたのに、「そのまま質問を続けてください」と電話1本だもの。しっかり、調べてから物を言ってほしいと願う。「軽い気持ちで言いました」なんて言われても、言われた方はちっとも軽い気持ちになんかなれませんからねえ。腹をくくって議運でお詫びをする気になっていたんですよ。

と、私の臍は曲がったままでも決算の勉強を午後からした。全然進まないで自分ながら嫌になる。前はもっと集中できたのにと思うのだけれど、そうでもないか・・・・夜、質問要旨を書いた。
30日(水)
49000カウント
今日は朝から決算の勉強。なかなか進まない。そんな中、役所から電話があり、私がどうも約束を忘れていたらしかった。あわてて出かけようかと思ったのだが、”呼びつけて”とか言われて、逆切れの私。そのほか、通告の質問事項についてあれこれ言われ、もう、あわてて役所に駆けつける気も、お詫びを言う気もなくなり、電話でヒヤリングを終えた。

いやはや、私が傲慢になったという事だろう。今後は"電話で呼びつける”のは止めることにしよう。役人が連絡をしてくるのに応答すればよいという事と理解した。その際、私に予定が入っていたら、電話で失礼することにしましょう。紳士協定とか淑女協定とか言われても、今後はそちら様でよくして頂戴。答弁がおかしかったって私は良いです。

午後、昼食を遅く食べ、議案を見ていたら、あっという間に4時半。ホンダの野球応援に子ども3人を引き連れて東京ドームまで出かけました。皆で同じ思いでゲームを楽しむのは親として嬉しかった。ゲームはワンサイド。ホンダがコールドで勝ちました。勝つ試合は見ていても楽しいものです。優勝までがんばってほしい。
29日(火) 今日も朝から決算の勉強。ようやく、歳出に入った。勉強をしながら、話はあっちこっちに飛んでしまう。市長交際費がとても少なくなった。私が市長交際費を取り上げて、議会が4時間もとまったことを思い出す。あのころは480万円の交際費で、今の市長は160万円ぐらいしか使っていない。今年教育委員会の交際費もとうとう議長交際費と同様、インターネットで公表されるようになった。そして、使う額も少なくなっている。公私がはっきりしてきているのだろう。

決算のチェックをしながら自分の仕事のチェックをしているような気がする。まだこのお金がつかわれているなあ、でも今年の予算ではなくなったなあと思うのは生命保険料。いろんなことをしゃべりながら勉強会をしているので、進むのが遅いこと遅いこと。でも、がんばっています。

午後は又役所に行って、一般質問、議案書、決算の勉強。お話が又弾んでしまい(?!)、今日も終わったのが7時であった。おなかがすいたので、上越市からこの前おみやげにもらってきたおいしいおせんべいをかじりながらした。新潟の米で作った高級せんべいはとてもおいしいですよ。あげませんけど、おせんべいの名前の知りたい方、注文したい方はメールをくださいね。
28日(月)
48900カウント
今日は朝スタッフが来て、決算の読みあわせを手伝ってくれた。歳入。1行ずつ昨年度決算と比べてみるが、補助金が大幅にカットされているのが分かる。補助金の変わりに一般財源化されたわけで、その事業をするかどうかはすべて市の決断に掛かってくることになる。地方自治、分権とはこのことだが、執行部の市政運営を市議会議員がきちんとチェックしないといつの間にか、格差拡大になってしまうだろう。福祉切り下げになって仕舞うだろう。しっかりチェックをしようと心をもう一度引き締めた。

12時過ぎまで決算の勉強をして、急いで役所に行った。一般質問のヒアリングや決算で分からなかったことのヒヤリングをしている。結局、夜八時ごろまで。子どもは自分たちでご飯を作って食べていた。政策の話をしていると楽しいなあと心から思う。それにしても、時々役所がだんだんスローになり、前向きな取り組みが失われているのではないかという思いがする。これは役人だけの責任ではないだろう。要するに、機関車が車輪をよくまわしていないという事でもある。市長が市政すべてを見ていられないのは、現実である。でも、役所の士気を高めるのは市長の役目である。お金がないから、少なくとも今までのルーチンを大過なくこなしていこうと言う風潮が市役所にあるように思うのは、「普通の市でよい」という市長の当たり前すぎることを目標にしている前向きでない姿勢の表れかもしれないと思う。私にとっては狭山市は特別な街だからね。
27日(日) 今日は朝礼拝。ルツのところ。イスラエルの民でなくとも、信じれば救われるという事である。それにしても、聖書の、特に旧約には子どもたちには読ませたくないと思う箇所がある。今のクリスチャンの道徳から大外れだ。

午後は所沢のおじの所に寄って遅くに帰ってきた。その後は、議案を見たり、ぼおっと一般質問を考えたりしていた。勿論、家事も。夕方、夫と買い物に出かけた。でも、結局買うものが見つからず、帰ってきた。私は基本的に夜は家にいるが、夫は忙しくたいてい夜が遅いので、夫婦のコミュニケーションは週末になる。いつまでたっても、彼は一番の友達で、同じことを一緒に出来るのは嬉しいな。
26日(土)
48800カウント
今日も朝6時過ぎから目がさえて眠れなかった。でも、昨日寝たのが非常に遅かったから、朦朧としていたのだが眠れない。おきて、紅茶を入れて、新聞に目を通して、ゆっくりした。その後、防災訓練へ。水富公民館、水富小学校、笹井小学校、広瀬小学校を回って、帰ってきた。報告体制が不十分に感じた。未確認世帯を世帯数で書き入れてない班があって、これでは集計不能だ。こういう細かい点の打ち合わせを自治会や自主防災会としっかりしておく必要がある。確認されたところは良いけれど、未確認のところが問題になる。

午後からは、議案について勉強した。買い物も久しぶりにカルフールに行った。今晩は、夫と子どもたちが教会でお泊りなので、私と長男だけだ。それで、夕ご飯は手抜き。なんだかこんな日を嬉しく思うのはいけないかなあ。
25日(金) 今日は朝、胸が苦しくて起きた。5時20分だった。甥のことがずっと頭から離れなくて寝ていても思っていたのだろう。もうこれ以上眠られないのでおきた。昨日、学校を休んでいた息子を起こしたが、明日CATスキャンを取ることになっているから、学校にやっていいものやらどうやら悩んだが、結局彼は学校に行った。

整骨医によってから、パステルの看板についてボランティアさんにお願いがあったので、パステルへ。その後、友達のレストランで昼食。開店してから一度も顔出ししていなかった。その足で役所に行き、各課に連絡して、来週からのスケジュールを決めた。ヒアリングがある。いろいろな課の課長と話したが、同じ年の方も多く、”つう”と言えば”かあ”という風に響くので、コミュニケーションのとりやすいこと。私の言いたいことは理解してもらえたようであった。細かいことは後ほど。6時まで、話し合い。

8時からパステルの運営委員会。いつものように帰ってきたら2時でした。途中で非常に眠くなって、話し合いすべてを完了しなかった。又、後ほど。
24日(木)
48700カウント
今日は朝早く起きて家事に励んだ。このごろ、夜眠くておきていられず、朝早くにおきている。静かな時間を持てるのは嬉しい。それに朝は比較的涼しいし。

今日は午前中に一般質問の通告に行った。息子が熱を出していて、頭も痛いと言うので診察を予約していた。その時間に間に合わせるために急いだ。一般質問は9月8日になりそうである。内容は、青少年に関して、狭山市第3セクターについて、財産についてを訊く。早く原稿をまとめなければならないなあ。

息子の診察の後、食事をしてからスタッフに仕事を頼んで、支援者宅へ。その後、パステルで看板を設置。買い物をして帰ってきたら、もう六時半だった。急いでご飯を作って、今日はこれでおしまい。病院で昨日渡された書類を読んだが、まとまった仕事にならなかった。

夜、甥が首の骨を折ったと言う電話をもらい、吐き気がするほどショックだった。手術が成功したらしいので、回復することを心から願っている。祈っている。一家で祈っている。時間がかかっても、おきて歩かれるようになることを。手で作業が出来るようになることを。まだ、25歳だから、がんばられると思う。あの子とは小さいとき一緒に住んだので、わが子のようにつらい。
23日(水) 今日は朝、全員協議会。次世代育成計画のこと。住民訴訟のことなどが報告された。

午後、調査特別委員会を傍聴した。どこまで、このコラムに書くべきか悩む。議会はすべて公開なわけで委員会議録も策定されれば読めるわけである。興味のある方はお読みください。まるで正反対の意見の陳述で私はどちらが嘘を言っているか判断の仕様がないのでここで、昨日見たことは事実でも、傍聴レポートが書けないのである。

私が大島さんが座らされている被告席なような場に座らされたらどうなるかと思う。きっと私のことだから、真っ正直に言うと思う。嘘をついたり、偽ったりすることよりも、真っ正直になって、心からごめんなさいを言うほうが神様の前で楽だからである。誤りを認めても神様は許してくれるが、偽ったりしているとそれに縛られて苦しくて、私には耐えられないからである。素直に謝ったほうが良い。私だって、議員として反省し後悔したことをこの場で謝ったこともあった。正直にすることで自分が楽になっても、他に迷惑を掛けたら申し訳ないと思ったこともあったが、正直にならざるを得なかった。信仰の故にである。だからそんなことにならないように、自分としては、裏表のないような生き方をしたいと思うし、建前どおりに生きたいと努力している。

今回の署名の人数に謝りがあり、反対権利者と銘打った署名簿そのものが実際の権利者でない方が大半だったという"いんちき署名簿”をどのように作ったのか、大島さんがどのように関わって”いんちき署名簿”を策定し、公表して行ったかを委員会で調べているが、私は大島さんのこの署名簿を持って行った行為への本当に意味での“罪・責任”について考えたい。

彼は何度も"いんちきな署名とは知らず、あのような行為をして申し訳なかった"と委員会で謝罪している。ここで何べん謝ろうが彼の行為や新聞報道されたこと(地権者の反対派は71名だったと言う嘘)は消えない。事実、私は中川浩さんにある時点で大島さんに記者会見を開き、あの署名簿の地権者の数は4倍近くの水増しであったことを発表するように言ってある。偽の、または自分が知っていようがどうであろうが”いんちきな署名簿”で、新聞という公器に誤りの情報を垂れ流し、結果として市民や他の人の考えを誤ったほうに導こうとしたのは、政治的な犯罪行為だと思うからだ。個人的な問題の「ごめんなさい」ですまない範疇でないかと思うからだ。それならば、新聞に自分の誤りを正確に乗せてもらえばよいと思った。

民主主義は徹底した情報の公開の上に適切な判断を下すことに意味がある。イラクに侵入したアメリカが誤った情報でこの戦争に陥ったことを多くの人は今知っている。そのせいで、何万人という人が死んだ。昭和の戦争の大本営発表を思い出す必要もない。わざとでなくとも、謝った情報を流した後はごめんなさいと百万遍言うのではなく、きちんと責任を取るべきなのである。先に私が言ったように、記者会見を開くのもよし、議員辞職をするもよし、責任の取り方はいくらでもある。でも、それにはある意味時期がある。謝罪の記者会見の時期ははっきり言ってもう失った。

今回傍聴してさまざまな"疑惑”といわれることがこの署名簿に関して揚がってきている。今後、このような事をもっと議会で追及していくかどうかを私は知らない。そして又、私は自分が大島さんに責任の取り方をレクチャーできるほどの人間でないことも知っているけれど、実際議会でこのためにどれほど時間をつぶしているかを考えると、大島さんは責任を一度とって、次の選挙の嫌な言い方だけど選挙民の信頼で議会を納得させることが最良なのではないかと思う。クリスチャンの私が使いたくないけど、政治的"禊”かなあ。こんな考え方は私が政治に淡白な性質からかな。あと、半年で選挙だからがんばるというのが次の選挙に結びつくのかな。反対派が推進派にいじめられているという構図のほうが良いのかなあ。

選挙のことはさておいて、政治家の責任について考えている。
22日(火)
48600カウント
今日は朝早く目が覚めて、家事に励んだ。ゴミ出しも1回では終わらなかった。息子は学校で補習があると言うので、昨日から登校している。弁当作りも楽しい親の仕事だ。なければホッとするのは言うまでもないけれど、弁当を作るのが苦だと思ったことがない。まあ、家にあるので作ってあげるせいもあるけれど。こんなことが出来るのもあと3,4年だけである。

午前中にスタッフが出てきて、パンフレットの打ち合わせ。経費のこともあり、悩みが尽きない。どうしよう。

1時からは視察を入れていて、施設管理公社の事業の実態を見に行ってきた。急がしそうである。急いで植物園、動物園、赤坂の森公園、智光山荘を視察。だんだん経営者のような思いになってしまう。はっきり言って、植物園は何とかせねばならないと思う。ここはドラスチックに何とかしなければ、今まであったきらめきすらもなくなる。

動物園は去年に比べて掲示板や水遊び場の日よけなどはっとするような新しい仕掛けがあった。若いお母さんが子どもと遊んでいたのを見て嬉しかった。だが、今年は入場者が去年に比べて少ないそうである。ここは、展示場がせますぎるし、雨天の時の学習場もないのが現状である。何とかならないものか。去年書いた学習場の絵を思い出す。宝くじの寄付をもらう申請すら出せなかったという事を聞いて、情けなく思った。私は動物園への思い入れが大きいのだ。そうそう、サル山に木を植えて、さもなければサル山に木のジャングルを作ってあげて。日よけも。

赤坂の森公園に行って私は考えを変えた。スポーツは芸術と同じほど金が掛かるのだ。そして、誰にでも出来るお手軽なスポーツと、ある程度のレベルの贅沢スポーツは違った種類のものであると思った。たとえば、甲子園に出る野球は練習、そのほかのレベルが県の大会の1勝を目指している野球とは違い、お金の掛け方も全然違う。赤坂の森の芝生は贅沢の極みみたいなものである。これを一般のサッカー練習に使わせられない。6千万円掛けた芝を維持するためには、レベルの違う人たちに高い使用料を取ってつかわせるべきものである。1千円や2千円の使用料で使わせられない。博物館もそうだが、文化には金が掛かるのだ。お金を掛けて贅沢スポーツのスポンサーになるのも良いのかもしれない。本当に贅沢だが・・・・そうでなければ、アメリカの芝生のような安い芝生を張ってがたがたでも許すというチープ路線しかない。

智光山荘は今日は満員だった。でも、ほとんどが市外の方々。ここは何年も前から言っているように、固定費が掛かるので、赤字としては最大のもの。市外の人の宿泊のためになんで狭山市の税金を垂れ流しにしなければならないのか、理解に苦しむ施設である。もし、そんなことを言われたくなかったら、観光業者と手を組んで税金の投入を限りなくゼロにする努力が必要なのである。視察は何べんもしているが泊まったことはない。とにかく一度泊まってみようとは思っているが、9月の連休の時しかないかなあと思っている。所管の市民部長さん、一緒に泊まりましょうか。私は夫と行きますので、奥様をお連れ遊ばしてね。(ちなみに私はもう予約しました。)商工課長は一度は宿泊していると思うから誘わない。
21日(月) 今日は朝パステルに娘を連れて行き、その足で役所に行った。一般質問のためにあれこれ資料を取り寄せる手続きをした。一般質問の通告が始まっているが私はまだきちんと質問内容をつめていない。先週まで忙しすぎて頭がなかなか回らなかったせいもある。唯今考えているのは、2期目の終わりに際して、今までの私の提言がどのように実行されているかを検証しなければならないと思っていることである。

さしあたり、公社を解体して役所をスリム化することを提言してあるが、この実現をどうするかを考えることにしたい。それは、私には指定管理者としての管理が今まで以上になっているかと言う点にいささか疑問も感じているのだ。施設管理公社の独立を考える時に市からの派遣社員がいつもトップを占めていて、公社の社員が市の下請けから脱却できないのでは、何のための別組織かという思いがある。

また、指定管理制度の導入が私の考えるペースに比べると遅すぎると思う。その点に関して突っ込めるかなあと思うが、どうしよう。

そんなことを企画課で話をしていたら、4時を過ぎた。娘を迎えに行き、整骨医によって帰ってきたら、6時だった。今日は眠くて仕方がない。
20日(日)
48500カウント
後、1500カウントで
50000カウント。
今朝は野沢福音教会で礼拝を守った。なんとなく、意味不明な説教。とにかく、「夫よ、妻は弱いパートナーだし子育てをともにするのだから尊敬して大切にしろ」という教えなのだから、何も言いません。夫は私が弱いパートナーだと真剣に思っていてくれているのだなあとある意味とても感動した。私は自分が決して弱い人だとは思っていないが、事実夫こそが弱みを見せることが出来る大切な人である。泣くなどというのはとても嫌いで(涙もろいのが恥ずかしいです)、人前で泣くなどという事をしたくない。でも、何はともあれ私が私であることを批判せず受け入れてくれているのだから、夫にはとても感謝している。時たま、こんな説教を聞くのも良いね。

ところで、先週は妻は夫に従いなさいというところだったようである。私は従順な妻だから、まあ教えには背いていないわね。(だれ、うそ〜〜〜なんていっている人は?)まあ、夫が私の考えを尊重してくれているので、自分の考えどおりに出来るのさ。ね、従順でしょ。私たちはよい夫婦だなあとつくづく感じる。(だれ、ジムさんはそう思っていないって言う人は!!彼は十分幸せです。)

午後は夫は草刈、私は洗濯をしたり、食器洗いや掃除をして帰ってきた。10日ぶりに休みを取った。今回も疲れすぎていて、別荘の周りをきちんとできなかった。今年は5月の連休から初めて行った。風が涼しくて、気持ちが良いのだが、自然すぎてアブや蜂、ぶよがうじゃうじゃいて、おちおち外にも出られない。やはり春、虫のいない時が一番である。

渋滞があったが、3時間弱で帰宅できた。子どもがカレーライスを作ってまっていてくれた。ありがとう。
19日(土) 今日は午前中パステルへ。午後も入っていたけれど、もう体が動かなくて変わってもらった。一仕事が終わったという感じである。私は、今月はもう仕事はないし、シフト作りも他の運営委員に任した。運営委員長としてもっと高所からゆっくり経営に携わっていこうと思う。だからといって、一人でも、障害者を多く雇える体制を作るためにがんばる気持ちは全然失っていない。他の運営委員さんには申し訳ないが、議会もあるし、住民投票こそ考えていないけれど選挙の準備も始めなければと思っている。それにしても、(私も含めてと言わせてね)運営委員さんたちの献身的な活動には頭が下がる。いろいろあって大変だけれど、今回一緒に仕事をしていて勉強になることが多い。ありがとう。

パステルは今月は順調に経営が推移している。これが維持できると良いのだが、9月の長い休み以降の経営を考えるとまたため息が出る。2人の長期休業ボランティアがいてその補充も必要なのだ。安い給料だけれど、働いてくれる人がいると良いのだが・・・

夕方3時過ぎから、夫と二人で別荘に出かけた。もう、子どもたちは大きいのでついて来ない。それでよいと思った。携帯電話で夕食のことを指示したり、明日のことを指示できる。携帯があるといつも繋がっているようにおもう。それは携帯の良いところ。

夕食はいつものスパゲティ屋に行った。とてもおいしいが、10年近く通っていると飽きる。やはり新しい献立が必要だ。こんなところもパステルで考えなければならない点だ。どこで食べようが、パステルを想起してしまう。その後、穂の香の湯に温泉に入りに行った。合併したら50円温泉税をとるようになった。狭山市は条例で1000円を超えないと温泉税を取っていない。狭山市は気前が良いのだと思う。
18日(金) 今日はパステルに行かなくても良い日であったが、私が行かないのが気が引けて、娘が手伝いに言ってくれると言うので連れて行った。結局、明日の支度を手伝うことにして、材料を持って帰ってきた。珍しく午後は暇になり、ゆっくりしようとしたが、家事がたまっていてそんな暇もなかった。2時半過ぎに昼ごはんを食べていたら、娘からお迎えしてほしいと電話があり、迎えに行った。

迎えにいって少し時間があったので、サピオのプール管理を視察。危機対策マニュアルを見せてもらった。水の動くプールの管理は難しい。私は、小さいプールで何かがあったら、すぐに人をプールから引き上げることが一番ではないかと思うと話をしてきた。実際は死亡事故などは今までだってなかったわけだけれど、人命第一だ。ちょっとのことでプールから人を出すと文句があると言っていたが、また市民の中にはそんな人もいるだろうが、人命第一。多くの人に迷惑が掛かっても、安全を確保するのが大切だと思う。その点、オーチューさんは分かってくれたようである。会社にしても危機管理というか、危機に対して対処の仕方一つで会社の存亡に関わるのだから、きちんとせざるを得ないのだ。

その後、娘を家に送ってから役所に行った。西口の事業認可されてから事業部で何をしているかを聞いていなかったので部長から話を聞こうと思ったのだ。が、彼はいなかったので事務局へ。あれこれ話をしているうちに、住民投票の呼びかけがあるだろうという話が出た。まあ、住民監査請求が却下され、提訴している段階で住民投票をしたいようである。でも、議会の中のうわさとしては、彼らのこの行動は住民投票のための署名活動が目的で、実際の住民投票が目的でないそうである。いかに西口の問題を来年の選挙に利用しようかという考えで動いているのではないかという事。私はさもありなんと理解した。西口開発の是非を問うようなポーズをしているが、実際はもう認可も下りて事業は進み始めているのに住民投票をしたところで事業を止められるわけがない。

実際今回は市長が住民投票にはウンというはずもない(もし、彼がウンというのであれば、私が市長リコール運動を起こす)。今まで狭山市議会では、市議会議員は何べんも自分の意思をはっきりさせてきているが、19対7で推進するべきだという議員が多いのが実情である。西口というある一つの事業、それも地域が限定しているような事業を住民投票で決定するのはいかがなものかと私はこの住民投票には反対である。合併の時は開票の方法など条件が私には賛成できなかった(反対討論を読んでください)。今回は住民投票する事案ではないから反対なのである。それに、隠れた目的が選挙のための名簿作成かとまで噂されているのだから、本当に辟易している。

夕方遅くなってから、又整骨医にいった。足は直りそうもない。
17日(木)
48300カウント
今日は、朝から又パステルであった。日曜日からずうっとパステル。それも昨日今日は朝9時から夜5時半まで。忙しくて休んでいる暇なし。今日は3時過ぎからお客様も少なくなったが、私は足が動かなくなった。腱鞘炎のあるかかとが脹れて、歩くのに一々気合がいる。歩けなくなったらどうしようと落ち込んだ。

ニュースを見て愕然としている。加藤紘一さんの事務所が右翼の人間に放火されたというのである。私は、その犯人が割腹自殺しようが本人の勝手だとおもうが、放火するというのはテロ行為だ。暴力行為だ。自分と同じ考えでない人間を暴力で脅しつけ口封じをしようとする、民主主義を否定する卑劣な行為だ。許しがたいとしかいえない。それをマスコミは放火、テロに対してはっきりと怒りを表さないように見える。こんな状態で日本はどうなるのだろう。

最近、日本の状況、マスコミの論調が非常におかしいと感じる。まるで、小泉に同調しているかのようだ。日本の右傾化が非常に進んでいて、知性や理性が軽んじられ、感情論が席巻している。北朝鮮の問題、ロシアの問題、靖国の問題、どれにしても論調に冷静さがない。マスコミは売れればよいとでも思っているのか。

この数日読売新聞で先の戦争(昭和戦争と読売新聞は名づけた)の戦争責任について詳しく検証していた。私には頷けるところが多くあった。戦争を行った人、戦争を続けた人、戦争を止めさせられなかった人、そういうリーダーであった政治家、軍人に責任を問わなかった日本はおかしかったと思う。東京裁判について否定的な見解を述べていた人たちは、東条を始めとする人間に責任はなかったと言いたかったのか。また、戦後の生き残りのリーダー的な軍人はこの戦争を正当化しようとしたいらしい。60年経た今、無謀な戦争を起こし、軍人たちによる日本人始め多くの国々の方の人権や人命を無視した非人道的な戦争継続は自己満足の極みとしか言い切れない。冷静に判断して戦争を起こした罪は許せないものである。

叔母も叔父も従姉妹も亡くし、家の母などが長岡の空襲で家屋敷すべてをなくし逃げ惑ったことを思えば、戦後生まれの私にしたって戦争で死んだ軍人、市民への思いは強いものがある。父はラバウルで九死に一生を得た。戦争は大嫌いだ。一般市民に戦争で得るものはない。悲しみと苦しみだけである。どんなに昭和戦争を正当化しようとしても、300万人以上の日本人が死に、それ以上の外国人を殺した事実は変わらない。アメリカの原爆投下は許しがたい暴挙であるが、結果として戦争継続を主張し続けた軍人どもの思い上がりと自己保身(もしかしてこれが大きいかった)の帰結でもあったと思う。これに対して、旧軍人またはその周辺から自己批判の弁すら見られないのは究極の無責任である。

日本は戦争をせざるを得なくなったのだという考えで戦争を肯定する人がいる。私は戦争をしたかった人がいて、問題を起こしたのだと言う思いが強い。中国侵略、南印侵略をしていた日本が利益を相反するアメリカと衝突するのは目に見えていた。ここでも、読売新聞の考察をそのとおりだと読んだ。外交だってめちゃめちゃであった。冷静な外交分析など皆無で、自分たちの望むようにしか状況判断していない。自己中心、自己満足の外交は行き詰るだけである。今の麻生の外交、小泉外交の帰結を私はとても危ぶんでいる。

アメリカだってブッシュは今期限り、外交は大きく変わっていくことだろう。この前、アメリカの有名な民主党の政治家が民主党の予備選挙で新人に敗れた。彼がブッシュのイラク戦争を支持してきたのを民主党員が反対したのであった。今の小泉外交を踏襲しているといずれアメリカからも見捨てられる。そうなった時、仕方なく(?!)戦争するのかい!

何べんも言っているが、日本の道は外交による平和主義を維持することが生き残る最大の道なのである。戦争を放棄して、多少人に馬鹿にされようが経済をしっかり保ちつつ、国民生活の安心安全を守るしかないのだ。リーダーの質の悪さで日本の将来は左右される。感情論が知性や理性を上回ることのないようにしなければならない。マスコミが当てに出来なければ、少なくとも自分発信のメディアを使って言い続けようと思う。
16日(水) 今日は朝から息子が忘れた弁当をもって入曽多目的公園横にある市営プールに行った。彼は監視員のアルバイトをしている。誰も泳いでいる人はいなかった。監視の人間だけがたくさん監視室にいた。私は一人でもお客様が来られたら、きちんとプールサイドで監視をするように言って来た。寒い日で且つ雨まで降っていてプールを開けている必要があるのだろうかと思った。こんな日はお休みにして、監視員も帰して良いかもしれないと思った。そうするとバイト代が浮くが、家の息子は入るものも入らなくなるので怒って監視人なんかやらないと言い出すかもしれない。監視員がいなくなったらプールが開けなくなるので、それも困る。

その後、パステルへ。今日は昨日コーヒーゼリーを作ったので、それを切り分けた。今日も人手があったので少し楽をした。スイカを切り分けて種をきちんととってデイケアに出した。サンドイッチとおにぎりもつけるのだが、サンドイッチは具沢山だからおにぎりを食べることが出来なくなるのではないかと思ってしまった。心をこめて作っている。

お昼休みを取った。また、2時からパステルに出勤するが、途中で博物館によって夏の展示を見てきた。 同じような催しを何年か前にしていたが、展示物は少し変わり、展示方法もかわり、雨にもかかわらず多くの子どもや家族が着ていた。この前の、横溝正史の文学展も良かったが、今回のも楽しめるし、体験できるしとても素敵だった。これだけの展示物を借りるのにお金が掛かるだろうなあと思う。何しろ予算がないのだから、良くこんな展示が出来るものだと感心する。他の展示が係員の手作りでお金が掛かっていないからこそ出来るのだろう。まあ、この博物館の人たちはがんばっています。図書館も見習えばよいのに・・・・・シールをあげている場合ではありませんよ。

午後はまたパステル。今日はキッチンを4時で止めた。ご老体の運営委員ばかりのスタッフには体にきつい。だから、キッチンのオーダーを止めて片付け始めた。それをしながら明日もパステルに行くのかと暗澹たる思いがする。
15日(火) 今日は昨日作ったオレンジゼリーを持ってパステルに向かった。今日は昨日の4人に加え、障害者の方が出勤したし、他の運営委員もいたしで、とてもやりやすかった。昨日は、何がなんだか分からがんなくなるほど時間に追われてデイケアの昼食を作ったが、今日はゆっくり作ることが出来た。それでも、やはりお盆休みのせいもあり、お客様が引きもきらないので、大変であった。

私は12時前に帰ってきてご飯を食べてから横になった。足の痛みがきつくて足を下にしていられなかった。横になってじっとしているとじんじん痛んでいた足もようやく痛みが取れ始めた。それで、夕方5時過ぎに整骨医に行った。足が痛すぎる時は動くのも嫌だったから、いけなかった。足に画鋲のようなものを打たれて帰ってきた。これが効くというのだが、ちくちく痛んで歩くのに困った。とにかく、夜は寝ているのだからつけていようと思った。

その後、肩がこって仕方なくて指圧に行った。夫とむすめや息子は上越市にアメリカのお土産を持っていき、今晩帰ってくるというのだが、どうせ遅くなると思い、9時半の予約を入れた。30分もんでもらったが気持ちが良くて眠ってしまった。帰ってきたら、もう夫たちはかえってきていた。そして、夕ご飯を食べていた。私はてっきり渋滞にまきこまれてもっと遅くなると油断をした。ヤオコーで買い物をしたらしく、おいしそうなお惣菜を並べて食べていた。私も午後、足の痛いのをがまんして、半額になったオードブルを買っておいたのに・・・・・・
14日(月) 今日はデイケアの弁当を作るために朝8時にはパステルへ。バナナを洗い、昨日作っておいたミルク寒天を切って容器に入れてシロップをかけているうちに従業員が出勤。お手伝いの方も来てくれてサンドイッチを作ったり、おにぎりを握ったりしてるうちに11時半過ぎ。とても大変だった。それに、お盆でお休みのせいもあり、お店も忙しい。それは、今までの赤字を考えると解消のためには嬉しい限りである。

お昼は忙しくて私は12時には帰ってくる予定だったのに、1時過ぎまで残って手伝った。本当は次の日のゼリーを作りたかったが忙しくてキッチンが開かないので、家で作ることにしたのだ。器具を持って帰ってきて、夕食後作った。とにかく、デイケアのおじいさんやおばあさんがおいしいと食べてくれることを願いながら、甘さを考えたり固さを考えたり、大きさを考えてきったりしている。喜ばれれば嬉しい。

今週はパステルに人手がなくて、朝から晩までパステルにいる。ボランティアで出勤表につけないときもあったり、短めにつけたりしている。従業員も疲れが出ている者もいる。私自身も腱鞘炎が直らない。右足が腫上がってびっこを引いているが、そうしているうちに左足も痛くなってしびれてくる。横になりながら、パステルに行っている。これは長く続けられないと思う。

午後は役所によって帰ってきた。久しぶりで事務局の面々と顔を合わせて嬉しかった。8月でも特別委員会がもたれているらしく、進展具合には関心を持っている。詳しい話は23日の全員協議会後の委員会を傍聴してからここでコメントをしたい。
13日(日) 午前中、教会へ。とても久しぶりだった。先週だって教会に行かなかったのをとても嫌な思いでいた。日ごろするべきことをしないと何か変な感じである。教会に行ってすっきりした。いつも教会に行ってよかったと思う。

午後はパステル。終わって返ってきたら、8時前。疲れ果てていた。本当はお風呂に行きたかったが、その元気もなくなった。
12日(土) 昨日夜に帰って来た。まだまだ、時差ぼけで苦しい。一家そろって朝5時ごろ起きてしまった。午後は11時ごろから体がだるくて動けなくなった。結局昼寝をした。夕方、パステルでコーヒーを飲んだ。

夜、アメリカアルバムを作った。今回はあまり良い写真はない。父のことが心配だったかなと思う。それにしても、もっともっとグランパとの写真を撮ればよかった。後悔はいつも後からやってくる・・・・でも、何べんも言うが、本当に今年にアメリカに行かなければ後でもっと深く後悔すると思った。行ってよかった、お金をくめんしてでも。

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