私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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9月 私の独り事
30日(土) 今日は朝、娘の養護学校の文化祭を見に行った。いろいろ工夫がしてあった。それにしても、養護学校に行ってから彼女は何を学んだろう。今日見た作品のできばえははっきり言って中学校のできばえに比べ、見劣りした。作業といわれるものも、中学校の方が多彩な作業を緻密に行っていたと思う。人数が多くて、寿司詰め状態の中で、どうしたら満足な教育が出来るのだろう。ちょうど市長が来ていて、話す機会があったのだが、狭山高校をパレットスクール化しているが、そこに狭山養護学校の分校を入れられないかという事である。本当に何とかしなければならない。来年も高校生が10人増えて、100人以上の高等部となる。もう、学校がパンクする。

お昼ごはんを養護学校で食べ、急いで狭山市民会館で映画を見た。入曽キリスト教会の人がチケットを売っていたが、なんと1週間前にこれを上映するという話を聞いたので、他に売りようがなかった。それで、私と夫が一緒に出かけたのだ。映画は立派なキリスト教映画。クリスチャンが主人公で岡山で孤児院を始めて作った人を題材としている。神様の御心だと、医者の学問を捨てて、孤児の救済に当たった。来るものをこばまずで、1200人も子どもたちを養ったことがあったようである。身を切るようなご奉仕で、奥さんは30歳で結核で亡くなってしまう。自分だって48歳で召されるのだから、壮絶な人生だったと思う。

神様に忠実に生き、おかゆが3日も続き、おなかがすいて仕方ない時に、孤児も含め全員で祈っているシーンに胸がいっぱいになった。真剣な祈りは聞かれて、味噌やお金が届けられるのだ。ぬるま湯につかり、幸福があふれているかもしれないが、祈ることも忘れてしまう生活よりも、祈って祈って困難を切り抜け、神に感謝していく生き方とどっちが良いか。私はどうしても困難を神様に助けてもらうために祈らなければならないとしても、そんな生き方がすきだ。神様がすぐそばにいることを実感できる生き方にあこがれる。性分だから仕方ない。今日の映画が私をたきつける。

夕方5時からパステルの運営委員会。たくさん話し合った。終わりは10時。いつもながら、話はあれこれに飛ぶが、だからこそ良い知恵も出るという事である。9月の売り上げが昨年に比べ大きく下がった。水商売は天候に左右されやすい。お天気が良すぎてもだめ、雨が降りすぎてもだめ。商売は嫌だ。
29日(金) 今日は朝、足の方を取りに整形外科に行ってきた。中国に行くには足をどうにかしなければ、連れて行ってもらえないので仕方がない。それで、1万円以上掛かるが装具を作ることにした。うまくいって、痛みが少なくなることを願っている。

昼食後は、急いで品川に出かけた。「大林賞受賞記念シンポジウム」に出かけたのだ。ドイツ、エムシャーパークの地域再生事業について、受賞者のカール ガンザーさんの講演と4人の学者によるデスカッションがあった。きわめて、勉強になった。私は行く前に街づくり推進部長に若手の役人を勉強に生かせてほしい旨、電話をしていたが来ていただろうか。品川インターシティーホールのホールで催されたのだが、なんと450席は満員だった。学者も学生も多かったが、きっと国土交通省の役人も多かったのではないかと思う。

このプロジェクトはドイツのルール地方の地域再生事業である。炭鉱の町が落ちぶれ、荒廃した環境の問題も抱えた地域の後をどのようにしていくか。1990年代にIBAエムシャーパーク公社が推進期間として設立され、800平方キロメーターにわたる地域のでサイン、ランドスケープ、エコロジーの質の向上を働きかけた。まず、面白いことは此の再開発の哲学は「そのまま、手を加えないこと」であった。朽ちていくことの美しさを見せる。廃棄された工場をそのままモニュメントとして残す。古く汚いものを壊すことはもっと環境を破壊するので、そのまま放っておく。何にもしないことのメリットを生かす。死んだ産業を新しいものに変えないで歴史を残す。今の再開発の2つのキーイントは環境と文化であるそうだ。そして、その質を高めること。多くのビルディングの屋根は太陽光発電のためのパネルになっていた。

大人に取って難しいことは放っておくこと、自然をそのままにすることだそうだ。あたかも手入れされた庭はきれいに見える。それは、自然があるからであって、すべてを手入れされた庭、手入れされた自然(?)にする必要はないそうである。古いものは歴史であり、文化である。汚く見える古いものを日本人は「さび」として受け入れてきた。景観を整えること、景観そのものが文化である。

よく理解できた。狭山市の西口開発はちょっと意味合いが違うけれど、新しい景観を作り出す作業であり、 新しい文化の創造である。いつも行っているが、無機質な町にしないでほしい。今日学んだ「環境と文化・芸術」をどこかに意識していてほしい。品川の町がとても変わって驚いた。それとともに、広大な緑の緑地をビルの間に取り込んだ。お金がない時に作るがこの駅前はきっと後50年は変わらないだろう。温かみのある、人が憩える街づくりにしてほしいと願う。太陽光発電もぜひ考えていてほしい。市の職員も研修してほしい良いシンポジュウムだった。
28日(木)
50400カウント
今日は朝から原稿を書いた。外に出るとかけないので、閉じこもって書いていた。でも、飽きると家事をした。お天気が良いから布団を干したり、洗濯物をしたり。でも、外には行かず、議会レポート2面を仕上げた。今回は調査特別委員会をきっちり取り上げることにした。調査特別委員会での経過を傍聴した人でなければ、何が調査されているか分からない状態である。勿論、私の独り言を読んでくださる方は、私が傍聴したことで思ったことを知っているだろうが、他の方々は議会で何が行われているかを知る機会がないと思う。議会が発行している議会便りは、委員長報告が議会でなされない限りこのことを取り上げない。そういう意味でも、私のレポートで市民へこのことを広報する意義は大きいと思う。

狭山市議会は自浄作業をしなければならないと思う。少なくとも今疑惑とされている点を明確にする必要がある。議会として恥という面もあるので黙っていれば分からないうちに事は済むかもしれない。しかし、私は市民派の議員だ。このことについて、知らない振りをしては市民への裏切りではないかと思う。もし、何事もなければそれでよし。さもなければ、けじめが必要だろう。
27日(水)
50300カウント
今日は朝からまた調査特別委員会が行われた。今日は大島さんが招聘された。この前の山崎さんの話と大きく違っていたので、話をもう一度聞こうという事になったのであった。

話の平行線はほとんど変わりなかった。唯、何点か大島さんの嘘がばれた。彼は県庁に署名を携えて県知事に会いに行ったときに一緒に行かなかった言ったがそれは嘘だった。(街づくり推進部次長が県に問い合わせて大島さんが行ったことが確認された。)彼は変な嫌疑を掛けられているので、嘘をついたというのであったが、生まれて初めてうそをついた人を見た。堂々と嘘をつき、嘘をついたのがばれたら開き直った。おどおどしているわけでなく、ずうずうしくも開き直った。はっきり言って、驚いた。彼は国会議員に会いに行ったが、その時も行かなかったと言いながら、最後になって会いに行ったと認めたのだった。嘘がばれなる時まで、嘘を突き通した。

大島さんは署名簿を作っていた3種類の署名については何も知らないと言っていたが、実際はどれにも関わっていた。唯、彼は署名簿の人を権利者と思っていたというが、思っていただけではすまない。公開する前に、なぜ50人もの権利者じゃない人がいたことを確認しなかったのか。いや、71人が権利者だと確認しないで、市にその署名簿を提出し、何人かの部長に面接に行き、市街地整備推進特別委員長にまで見せつけ、最終的には市街地整備推進特別委員会に提出したのは、いかなる理由があろうとも軽率どころではすまないだろう。その71人という数字が一人歩きして報道され、多くの誤解を生んだのは事実である。

最後はお金の話になった。この前から、この署名簿に関して、後ろでお金が介在していたのではないかという話があったのだ。驚くなかれ、3つの会計報告が出された。政務調査費報告、政治団体会計報告、見直す会の会長宛の報告書であった。同じ年の報告書なのに、数値が一致したものがない。特に、政治団体会計報告と見直す会長の報告書は収入も支出も同額なのに、なぜか中身が全然違うのだ。不思議としかいえない代物。その上、政務調査費から広報費が出ているが、同じ広報誌を発行したものであれば、政治団体支出と政務調査費からの広報費が2重になるのではないかというのだ。下手したら、広報費を政治団体から支出し、不正に政務調査費をもらったのではないかという疑惑が生ずるのである。

おかしいのは、17年度に2回広報したことになっているが、2回目の広報誌が見当たらないのである。17年の8月に発行したはずの広報誌は一体どれをさすのか分からない。とすれば、2回広報誌を出したと嘘をつき、お金を帳簿に載せたが、それは嘘ではなかったかという疑惑も生ずるのである。口さがない人はきっとそれを飲んだんじゃないかなどと噂している。

このように、署名簿を調べていくとどんどん変な話が出てきて、次から次へと訳の分からないことが出てくる。それを調査しようとしているのかと思いきや、調査特別委員の中川浩さんなんか、説明拒否、資料提供拒否で調査する気を示さない。委員を辞任するべきだと思った。彼は今プロジェクト21の会計責任者なのだから、自らの会派のことを調査し、きちんと説明すれば議員も会派も、ひいては狭山市議会も疑惑が晴れてすっきりするのだ。疑惑について、説明がつかないのであれば、潔く謝り、進退を決すればよいのである。

今後の議会対応について、私は早く決着をすべきと思う。大島さんの懲罰をはっきりさせるのは懲罰委員会を設ければよいだろう。後、お金の問題は100条委員会を設けるなりして、徹底究明すべし。とにかく、政務調査費を不正に取得したかもしれないという疑惑は市議会として許せないことであるし、市議会議員が作っている政治団体の収支報告書が正確に記載されていたなかったという事が事実であったならば、政治資金規正法に触れるのだから、それが事実であると分かったならば、それも正すべきであろう。とにかく、狭山市議会としては、毅然とした態度で自浄努力を行うべきであろうと思う。問題はなかった、疑惑は晴れたとなればそれこそ嬉しいことはない。それをはっきりさせる努力を怠ってはいけないという事だろう。
26日(火) 今日は朝からどこにも行かないことにして、原稿を書いたり、パステルのポップを作ったりしていた。自分を缶詰にしなければ、結局何も書けない。それでも、ようやく議会レポートの1面を書き上げ、ポップを5枚ほど仕上げた。高々1ページに3日も4日も悩んでいた。作文が上手な人には考えられないだろうが、文案が頭に浮かぶにはどうも時間が掛かる。それにしても、この独り言はいつもぶっつけ本番なのに、どうして書くことが次から次に出てくるのかと思うのだ。

独り言のように議会レポートが書けたらよいのに・・・・・・
25日(月) 今日は朝、整形外科に出かけた。足の痛さがちっとも取れないからである。レントゲンを取ってもらったらかかとの骨が変形していてとげのようになっていて、かかとの筋肉が炎症を起こしているとの事。これは、どの医者にいってもいわれることである。それで、結局足にあった装填具を買うことにした。保険などが使えても結局1万円ほどするらしい。あ〜〜あ。

それで、中国にいってもよいかどうかと聞いた。勿論、足の痛みは消えないだろうが、痛み止めを飲めばいいかもしれないとの事。この足の痛さは一生の付き合いになってしまうかも知られない。今日は超音波と低周波を掛けてきたが、それがどれほど聞くものか?!中国に行くのをどうしようか。行きたいのだけれど。

午後はパステルから電話が掛かってきて、出かけることになった。することは山ほどあるが、したくない。気力減退、食欲旺盛。なんのこっちゃと言う感じである。
24日(日)
50200カウント
今日は朝きれいに晴れて、体育祭日和となった。8時半過ぎ、西中学校に行った。運動場の上に青空が広がり、それだけでもうきうきする。今回は短いながらも行進するというので、楽しみに行った。けれど、整然と歩くのでなくて、だらだらと前まで歩くだけだった。また、ラジオ体操も本当にだらだらとしていた。ピリッとしない。人に見てもらうなんて気持ちが感じられない。自分たちのお楽しみ会ならば、来賓なんか呼ばなくて、自分たちだけで遊んでいればよいのにと思う。なんだか、嫌になってしまって、さっさと引き上げた。

中学校になると生徒間で運動能力に大きな違いがありすぎて、徒競争なんて勝負にならないから、お楽しみ的ゲーム感覚の競争が主流。クラス対抗のものが多くなった。そんな中で、障害者がはじき出されなければ良いけれどと思う。勝ちにいくと、障害者は邪魔になる。それで、体育祭をお休みする子どもも出てくる。大縄跳びははじめから障害者は他のグループで行う。たかが体育祭、されど体育祭。いろいろな思いが交錯する。

今日強く思ったのは、今のままでは中学卒業生は仕事場で使い物にならないのではないかという事である。上司に命令されて「はい。」と言ってすぐに動けるのか。そもそも、きちんと挨拶できるのか。礼の一つもきちんとしない子どもが中学生なんて考えてもおかしい。少なくとも15年前までは、校長先生がおはようございますと呼びかければおはようございますと生徒から声が帰ってきたものだが、今はもう何のリアクションもない。このまま卒業したら、すぐに狭山市の若者のための就職セミナーにいかなければ面接で落とされるのではないかと思う。部活で「ため口」でない話し方を教えてもらえれば儲けものだ。何で、こんな子どもたちを育てたのかと頭を抱える思いだ。お上品にと中央中学校で教えていたのがまるで夢のように思える。あれから、15年、何がこういう風にさせたのだろうかと思う。

その後、教会に行き、礼拝。最近、本当に謙虚さに掛けていたと反省した。神様の御心に沿って真剣に生きていく事。御心のままに使っていただくように、祈らなければならないと思う。
23日(土) 今日は、あさ智光山荘でゆっくりした後、帰宅。11時からミーティング。1時ごろ、ヤオコー前で街頭演説。2時からはコンサート。帰ってきて、夕食を作っていたら、腰が痛くなって、お風呂に入って、寝込んだ。どうも、元気が出ないなあ。横になりすぎか。足が痛くて長く歩けないので、かばってしまう。
22日(金)
50100カウント
今日は朝、車の手配をしたりして、ボランティアの方々にお願いして、パステルの看板をつけるためにがんばった。看板は元看板やさんがきれいに書いてくれた。看板と看板をつるす枠は他のボランティアさんが作ってくれた。今日は、車を貸してくれた人がなんと左官屋さんだったので、枠を埋めるために穴を掘り、セメントをつけてくれた。すごいね、皆優しいねと心から感謝した。立派なものが出来ました。

午後は事務所で仕事をしたり、役所に書類を持って行った。

5時過ぎ、夫と待ち合わせて智光山荘に泊まりに行った。値段が上がる前に、どんなサービスをしているか視察に行ったのである。言って置きますが、現在の智光山荘の泊まり代は4千5百円ですからね、それを念頭において言うのですが、食事はそれなりでした。夫は品数もあり、満足したという事です。私もいつも食べない朝ごはんもしっかりいただきました。食事は合格。お風呂は大きなお風呂に一人で入って、これも大満足。もう少し、湯があってもよかったかなあ、熱くても良かったかなあと思った。それで、少しお湯を足した。でも、湯船も洗い場も清潔でこれが一番のご馳走。汚い宿舎は嫌だもの。これも合格。トイレもきれいで合格。でも、ウオシュレットがあればもっと良いけれど。お部屋は畳がきれいで、お布団は良く干してあってふかふかだった。それに、シーツにのりが利いていて、私はこういうシーツが大好き。

お部屋も清潔、お化粧台もよく掃除が行き届いていて、合格。静かだし、窓を開ければ赤松の林、緑がとてもさわやかな上に、涼しい風が湯上りの体に気持ちが良かった。夫と珍しく食事にビールを飲んだので、私はほろ酔いですこしねむってから、2度目のお風呂に入った。他に4人しか泊り客がいなかったので、なんだか館がひっそりしていてそれも良かった。研修施設という事で、バスタオルや歯磨きを持っていかなければならない。ここが、ちょっと煩雑かもしれない。でも、料金を考えれば、また、リサイクルを考えればそれもそれでよいと思った。

それにしても、狭山市は贅沢だなあと思った。広い広い森があるような市の公園があり、安く泊まられる宿舎もある。宿舎だって、ビジネスホテルなみのサービスでしたよ。「まるで、別荘にいるみたいだね」と夫と話し合いました。今のままだと、智光山荘は市としては必要のない施設だろう。それは、勿論サービスが悪いからという意味でない。今日もとても良いサービスでしたからね。もしかして、ここを継続するならば、ある程度手を打つべきだろう。私は7,8月と他の月は金土日の3日間だけ開いていても良いかもしれないと思った。さもなければ、障害者の通勤寮にしてほしいなあと思った。
21日(木) 今日は朝、久しぶりに今まで来ていた手紙をきちんと整理してみた。手紙というより、請求書だったり、領収書だったりが多かった。そのうち、娘が帰ってきて、萩山まで脳波を取りに行った。

1時から1時間ぐらい脳波の検査があり、2時から診察のはずだったが、なかなか診察にならず、3時過ぎてからになった。脳波の具合はとても良くなっていて、薬があっているようだった。良かった。それで、薬をもらって帰ってきたら、もう六時半。どっと疲れが出て、車の中で寝ていた娘にカレーを作らせた。まとまったことが全然出来なくて一日が過ぎていく。結局病院に行くのは一日掛りとなる。

昨日、安倍さんが自民党総裁になった。憲法を改正すると言っていた。靖国へ行くのかどうか明らかにしないそうだが、行くでしょう。彼はこの前の戦争を悪かったと思っていないのだから。戦争責任なんて取る必要はないと思っているのだから。おじいさんはA級戦犯なのだから。戦前なんか知らない世代なのに、昔は良かった、昔に戻った方が美しいなんていう人だから、今後の日本はどこに連れて行かれるか心配だわさ。自民党を良いと思っている人が多いらしいが、私は小泉以来、自民党がどんどん嫌いになっていく。民主党だって同じ狢かもしれない。だから、私は無所属。無党派。市民派。
20日(水) 昨日いつの間にか50000カウントを超えていた。キリ板のメールが来るかと待っていたが、来なかった。どなたでしょうか。

今日は議会最終日。一つ意見書を議員提出議案として採択した。私たち建設委員会が所管であるので、私も賛成議員に名前を連ねた。くぬぎ山を公有地化してほしいということ。相続税を優遇し、現物で納入した森は売らないでほしいという事であった。狭山市で買ってほしいという声もあるが、とても買い切れる広さではない。国や県で何とかしてほしいというのが、市の願いである。

今日も議会ではどたばた、あれこれありました。書きたくも情けないところもあり、武士の情け(?!)で書かな〜〜い。前は、執行部のことを書きましたけれど、議会もしっかりしなければ。人のことが言えないばかりに、私は何も書きません。

すべての議案に賛成してきた。障害者の手当てに所得制限をつける事をどうしようかと思ったが、月18万円も収入があり、年金も入っている状態の人に5000円づつ手当てをあげる必要もないと賛成した。知的障害者は手当て打ち切りの対象者490人の中に7人しかい。ほとんどが低所得者で、この際所得制限があったとしても実害はない人ばかり。手当てを打ち切られるほど、収入があるように自立させたいと思った。

そうそう、障害といえば、昨日役所に電話をして、私が中国の友好団に参加しても良いか聞いてみた。というのは、私の足がまだ痛くて長く歩けない状態だからだ。それに、私は食べ物アレルギーもあるし。まず、答えは「あなたは手がかかりそうですね」という事だった。要するに、中国はバリアフリーでないので、身体障害者は友好団に入れると邪魔というわけである。食べ物にしてもアレルギーのある人の面倒まで見切れませんよという事らしい。

そんな風にいうのならば、広報で友好団を募る時には、身体障害者および食べ物アレルギーのある人は行けませんとはっきり書いてくれればよいのにと思う。確かに障害者は手が掛かるだろう。だから、健常者だけで友好団を作りたいという気もわかる気がするが、一方、そんな風に障害者を邪魔に思ったり、はっきり嫌がったりするのは障害者への差別じゃないのと思う。障害をお持ちならば、「ここはご一緒できませんから、待っていてくださいね」とか「一品だけでも、食べられる物を見繕っておきましょう」とかといえないものか。配慮できないものか。

市議会議員の行政視察の時も8年前の職員は面倒に思ったようだが、今議会事務局の職員は障害者に対してとても優しくなった。車椅子、食べ物アレルギーを"我がまま”という人は一人もいない。「高橋さん、大変ですね」という。自分が好きで物を食べるとアレルギーが出たり、足が痛くなったりしているわけでないからだ。それに、治療して治おらない事もある。それを障害という。友好団の件に対応した職員が私と個人的に親しいから、はっきり思ったことを言ったのだろうが、もし同じような対応を市民にしたとしたら、問題じゃないかと思う。仕事に一工夫もしなければならないし、配慮も必要だろうが、友好団の中に障害者がいても良いのじゃないかと思う。

障害者だって、旅行の行程の中で出来ないことはあきらめる。障害者はあきらめることがとても多いから、あきらめることに慣れている。さっきも言ったけれど、始めから「障害者お断り」っていうのなら、広報にきちんと書いておいてほしかったと思う。今年私の参加が迷惑だから、来年にしたらどうかと言われたけれど、来年はどうして行ってよいの?来年度は障害者対応の旅行にするのだろうか。そうしたら、狭障連のひとをたくさん誘っていくことにしようか。でも、私は今年行きたいのだけれど、これは我がままという事なのか。障害者らしく、あきらめればよいのか。
19日(火)
50000カウント
今日は朝から議会レポートの作成に取り掛かった。こんな日はどうも家事を手がけたくなったりするのが私の悪いところである。とにかくリード文だけは書き上げた。後は、質疑関係を書けばよいのだが、明日ね。

午後からはパステルで秋のメニューを食べてみた。まあまあ、行けるかな。多少の調節は必要であるけれど、秋らしいメニューが登場する。オムレツ、きのこカレー、芋御前、きのこハンバーグという感じなる。今日はチーズケーキも試食したが、それはとても良いお味だった。後はどのようなプレゼンテーションで出すかが問題である。22日から秋のお店が始まる。お正月までどんな風なお店になるかと楽しみです。その上、小物を売ることにしたので、お店に変化が出る予定です。着々と魅力あるお店作りが進んでいます。
18日(月) 今日は、珍しく朝のんびりした。夫は教会の勉強会があるとかで、出かけた。私は、午前中はお洗濯をしたりしていたけれど、午後には敬老会があるので、出かけた。挨拶なんて考えてもいなかったのに、「今年はお前が挨拶の番だ」という先輩議員の一言で市議会議員を代表して挨拶することに決定した。もう、それでなくとも水富小学校の体育館は熱いのに、汗が吹き出てしまった。何を言ったらよいのだろうと。

結局、自分の父と母の話をした。敬老会に多くの方が来ておられたが、どの方々も父母の年の方々。興味を持って聞いてくださり、皆さんの目がしっかり私の方を見ていてくださって、視線が痛いようだった。母が55歳の私に「太りすぎているからやせろって言うんです」といったら笑ってくださった。そう言われるのも、ありがたいのです、嬉しいのですといいたら、皆さん嬉しそうにしておられた。「吉沢さんがお父さんとお母さんを看取って、心に穴が開いたようだと言っています」といったら、しんみりとなった。きっと、良いスピーチではなかったかもしれないけれど、病気でも元気でも長生きしてくださいという私の思いは伝わったなと思った。
17日(日) 今日は朝、教会に礼拝に出かけた。信仰を持つという事を時々礼拝で確認する必要が私にはある。今日の説教を聴きながら、イエス様に頼って生きているつもりが、イエス様を忘れる時があると情けなくなった。私は嵐の船でイエス様に「どうにかしてよ」とすがりつくことさえ、時に忘れてしまう。自分が何をしていて、どこに行こうとしているかも忘れる。自分の顔も姿も忘れる。鏡の自分を見て、誰だろうと思うことがある。魂に厳しさがなくなってしまってはいけないと反省した。

午後はパステルの掃除・運営委員会があった。今パステルはお休み中。明日、防虫剤を撒くので、そのための処置をした。その後、掃除。床をワックス掛けてくれたそうだし、ガラスも磨いてくれたらしいが、もっときれいにという事である。換気扇を洗い、空調のフィルターを掃除し、ガラスももう一度磨いた。こんなものかなと思うが、19日にはもう一度点検することになっている。パステルではもう一人料理人兼メンバーの指導者を必要としている。どなたか応募よろしくお願いします。
16日(土) 今日は朝から運動会回り。まず、水富小学校に行って、開会式に出席。市長も出席していた。その後、ご招待のあった笹井小学校へご挨拶に伺った。もう式が終わったところだったので、申し訳なかったがそのまま退席。又、水富小学校へ行った。少し、競技が見たかったのだ。中学校はもうフェステイバル化した体育祭だが、小学校の運動会は徒競走もあったりして、とても真剣だ。親も自分の子どもたちががんばっているのを真剣に応援していた。新入生になる小さな子どもたちが走るのを見て、自分の息子や娘のことを思い出そうとしたが、思い出せない。私たち夫婦のことだから、きっと二人を連れて運動会に参加させたと思うのだが。

その後、招待はなかったけれど、やはり広瀬小学校も気になって出かけた。一番児童数が多いのか、迫力のある綱引きを見た。1,2年生の踊りも、3,4年生の踊りも可愛かった。家の娘はこの学校の特殊学級の卒業生。どうしても、それらしい子どもの様子が気になった。彼らは彼らなりにがんばっていた。それが分かるだけに、ジーンと胸にきた。よかったね、少なくとも普通学校に行っていてと思った。高校にも特殊学級があってはなぜいけないのだろう。何も、養護学校に障害児を集めてしまう必要なんかないのにね。健常児と同じ場所にいることだけでも成長させられるものがあるのに。障害者はどんどん社会の片隅に追い込まれていくような気がしてならない。

久しぶりに学校へ行ったが、親が顔を覚えてくれていないのにショックだった。ついこの間まで私もこの学校の保護者だったのにと思った。勿論、知り合いもたくさんいたのだけれど。
15日(金)
49900カウント
え〜〜。実は私が49900カウントを踏んでしまいました。うそ〜〜〜。昨日が昨日だったのでまだまだかなあと思っていたのに。ぜひぜひ、50000カウントという記念のカウントの方はお知らせください。その後の、55555カウントもいつまでに達成できるか楽しみです。50000回この独り言をあけていただくのに、5年も掛かったのだなあとしばし感慨にふけりました。きっと毎日見てくださる方も、通りすがりの方もいるのでしょうけれど、たまにメールをいただけると喜びが倍増です。よろしくお願いします。

私がこれを始めたころはブログもなくて、ホームページビルダーを駆使して、ようやく毎日サイトをアップしていました。もちろん、ブログが発達しても、ずっと同じように更新してきました。今後も、ブログにはせずにこのまま続けようかなあと思っています。嬉しいことをたくさん書きたかったけど、怒ったことが多かったなあと思っています。潔く、自分の失敗を書きました。自分の事を書くのは、恥であろうと嘘偽りなく書いてはいますが、そのために議会にご迷惑を掛けたりするのではないかと時々心配をしています。他人の悪口は書かないようにしようと思っていますが、悪口でなく、批判すべきことは後から何を言われようが、他のところで足をすくわれることがあったとしても、勇気を持って言ってきましたし、今後もがんばろうと思います。

幸いなことに、加藤衆議院議員のように私は偉くないので、何を言っても大方無視されているのか、今のところ家族に災いがありません。(いつかのDV事件で女性を助けたら、私の夫が暴行にあったことを思うと、暴力は怖いし、卑劣な手段だという思いは人一倍あります。)言論の自由がなくなる世の中ではいけません。絶対自分からペンに規制を掛けたり、妥協したりしないように心がけています。その反面、間違ったなと思ったら謝りますし、削除することもあります。けれど、脅しや強烈な批判に屈してはだめだと心を強くしています。

批判すれば批判されるのは当たり前です。それが言論の自由と言うものでしょう。切った刀で切り返されて、満身創痍という時があります。自分を省みれば、恥ずかしながらコメントすることも多々あります。でも、批判を恐れて誰も何も言わず、"なあなあ″でいたら市議会議員としての私の使命が泣きます。コメントする時は、いつも自分に鞭を当てているようで辛いのですが、それでもがんばっているのです。特に市役所に関しては辛口になって職員さんと、特に部課長の方々には目の上のたんこぶでしょうが、これが私の仕事なので、許していただくほかありません。

50000カウントを前に、気分も新たにがんばろうとしています。「こんなコーナーを作ったらどうですか」といった意見がありましたらお寄せください。掲示板は一度置いてみましたが、管理が難しくて継続できませんでした。このことは悪しからず・・・・今後もよろしくお願いします。
14日(木)
49800カウント
今日は朝ゆっくりと思ったが、母は朝早くから息子の弁当作りがあり、いつものとおりに起きて、いつものように息子の弁当を作った。ゆっくりというのは、委員会審査が終わったので、議会に今日は行かなくてもよいからであった。

でも、雨で息子と娘を学校に送っていったり、銀行に定期を崩して長男の授業料を払いに行ったり、お金を支払いに出かけたり、整骨医に行ったりと、この3週間したくとも出来なかったことを少し片付けた。それでも、5時には家に戻ってきたので、夕食は6時半に出来た。

食後、少し横になって本を読もうと思ったら寝込んでしまい、「お母さん、10時半だよ」と言う言葉ではっと起きた。このごろ、ようやく涼しくなって、議会も終盤、気持ちも緩んでしまい、横になったとたん眠ってしまったようだ。
13日(水) 今日も朝から建設委員会。午前中に委員会を終えたが、建設委員会協議会が引き続き行われ、これが午後まで続き、終わったのは3時過ぎ。その後、私は議会便りのための原稿を書き続けていたので、結局役所を出たのは5時近くだった。サティーに寄って、買い物をして帰ってきた。

平成12年に基本構想を審査した。今日はそれを用いながら、中期基本計画の見直し案を話し合った。もう大変。「昔は物を思わざりけり」って思う。なぜなら、構想の平板だったこと。あの時は、そんな風に思わなかったのに。夢が現実に近づくってこんな風なのかなあ。市議会議員になってさまざまなことを学ぶと狭山市はこうあってほしいと言う思いが変わってきた。上品な住みやすい町であったほしいと願っている。
12日(火)
49700カウント
今日は朝から建設委員会があった。午前中は視察をし、午後は4時まで審査があった。あれこれ、聞くのが議員の仕事。割と穏やかに審査が進み、気分の良い委員会だった。勿論、それはオンブスとしての議員の立場からのこと。執行部はあれこれ言われて、その対応へ大変だっただろう。建設委員会は土建屋なんていわれるが、街づくりをしっかりチェックするのが私たちの仕事。がんばろう。

庁舎を4時過ぎに出ると、とても早くの帰宅に思えて少し嬉しい。昨日だって帰ってきたら、六時半だった。その前の1週間は8時過ぎなんてことがざらだった。明るいうちに帰ってきて、ゆっくり出来るなんてすばらしい。なんて思っていたが、接骨医に行き、足を治療してもらって帰ってきたら結局7時を過ぎていた。
11日(月)
49600カウント
今日は、朝一般質問。午後は、2時から調査特別委員会。一般質問の中の歩きタバコの禁止については、頷けるところが多かった。危ない。たばこはすでにプライベートなものではないかなあと思う。ある限られた自分の空間で楽しむ趣味で、人前で当然のことのように楽しむものではなくなってきているのです。秘密の趣味とは言いませんがね。

ところで、調査特別委員会では前の大島議員と文書で書いてきた山崎さんの言い分が全く食い違っていたので、今回は山崎さんを招聘しての参考人の審査が行われた。始めは署名簿がどのように作成されたかという点が問題になった。次には、お金のことで、先回、大島さんはお金のことは一切知らないと言っていた点が取りざたされ、証拠として、大島さんが書いた領収書が示された。お金は山崎さんやそのほかの方々からプロジェクト21の口座に振り込まれていた。20万円の現金での献金は後になって、大島さんから山崎さんのほうへ返金されていた。

領収書が正しければ、大島さんはこの前の特別委員会で嘘を言っていたことになる。また、大島さんが言っていた署名のうち、代議士から返された物は、大島さんが持っていたようである。県に行った時作った名簿はなぜか大島さんに渡っていたらしい。これには証拠がないので山崎さんの証言によるけれど。まだまだ、事実は藪の中という点はある。

私は始めお金の件を議会がどのように扱えばよいか分からなかった。でも、違法性のない献金だったら問題はないが、それが受諾収賄なんかになる可能性があるのならば、議会がきちんと追求し、白黒つけ、自浄作用を市民に示すこと必要なのかもしれない。くさいものに蓋を掛けてはいけないのだろう。もう、ここまで来たのであれば大島さんはきちんとけりをつける腹をくくる必要があると思う。議会は司法の場ではないので、罪を定めることは出来ないが、(100条では嘘をつけば告発されるが、今はそういう権限をこの委員会は持っていない。)あっちがこう言った、こっちがこう言ったという事を言い続けるのではなく、証拠から大島さんの行為を推察し、政治家としての責任を結論つけていく必要があるのではないかと思う。

私はお金をもらって一般質問をしたりしたことはない。活動をする時も、きちんと自分の後援会活動とは別会計で行っている。自分の個人や後援会口座に市民活動のお金が混じることは100%ありえない。政治家は寄付も出来ないし、政治団体への寄付も法律によって額の上限が決められている。政治団体への寄付金はその団体の活動に共鳴してくれる人が寄付してくれる。この点は、逆になると問題である。お金をもらったから、議員活動や政治活動をするというではおかしいのだ。それは、賄賂性があるといわれても仕方ない。大島さん、プロジェクト21の件はどうなんだろう。どのように結論付けられるか、今しばらく傍聴に通うことにしよう。

それにしても、狭山市議会の一員として、私は心が暗くなって仕方なかった。嘘のつけないように見える大島さんが、もしかして嘘ばかり言っていた、その場逃ればっかり言っていたとしたら、本当に救いようもなく悲しい。そんな情緒的なことを言っていてどうする。政治とはこんなものではないかと言われても、やりきれない嫌な思いが消えることがないし、その場に一緒にいることさえも身の置き所がない思いなのだ。人のやったことではないかと思うのだが、私自身が同じ空気を吸っている議員だと思うと、同じ空気を吸うのも嫌だという思いが湧き上がってくる。自浄努力によって、この空気をきれいにしたい。スカッとさわやかな思いになりたいと願う。そして、後半年の任期だが、一日も早くこれを清算し、議会としてやり直したい。そういう意味でも、これは大島さんだけの問題ではなくなってしまった。

議会はしっかり良い悪いをはっきりさせようではありませんか。自らそれが出来ると良いけれど・・・・
10日(日) 今日は朝、7時45分の礼拝に間に合うように、がんばっておきて、出席した。この3年間、聖望学園のバザーの日に催される礼拝には欠かさず一家で出席している。先生方や少数の生徒たちが出席するが、保護者が出席することが少なくて、少しがっかりである。日曜日には自分の教会で礼拝しているのだろうが、私の場合10時から息子のパーフォーマンスがあったので、教会の礼拝を失礼した。出来る限り礼拝に出席しているが、自分の教会でというわけに行かなくて、申し訳ないなあって思うことがたびたびである。

この、独り言はですます体になったり、である体になったり、一本化してなくてすみません。

という事で、今日はほとんど聖望学園の文化祭を楽しんだ。飯能高校には息子が1年の時に行ったきりだったなあと思いながら、展示品を見ていた。(でも、お兄ちゃんが中学校の時は毎年行ったな。)私立学校と公立学校の違いが良く分かる文化祭だと思った。私立学校はこの際多くの学生や保護者が学校見学にやってくるので、学校見本市のような感じだが、公立学校ではそんな意識まるでありません。立場が違うから、仕方がないけど、私立の文化祭のほうが、学校にリキが入っているから楽しいことは楽しい。コンサートバンドの演奏は、体育館が熱すぎて、演奏を聴くというよりも音楽つきサウナって感じだった。やせたね、今日は。

そうそうお兄ちゃんの高校の時は野球の試合を見に、たとえ練習試合でも出かけたから、子どもの学校とのつながりは、どの子だって出来る限りのことをしてきました。中学校でも、どの子のPTAでも一度は役員をしたし・・・・

夕方、パステルによって、垣根の草刈をしたり、看板を塗ってもらうためにペンキをお願いした人に、渡したりと、ちょっと一時間のつもりが2時間ほどになった。例年通り昨月は売り上げが良くて気をよくしていたが、9月に入り、がたっと客足が減ったようである。学校が始まり、家族連れが来なくなったせいかな。おいしい料理を作っているので、食べに来てください。
9日(土)
49500カウント
今日は、朝ゆっくり起きた。昨日、バッファリンを飲んで寝てしまいましたので、朝ゆっくり出来たのですが、まだ体はしっかりしていませんね。

お昼前に産業文化会館(入間市)に「ベアテの贈り物」の売り残りチケットをおきに行きました。私は21枚売ったのだけれど、もう少しがんばれればよかったかなと思いました。この映画はとても良い映画だし、男女平等がどのように憲法に書き入れられたかという証拠映画のようなもの。たくさんの人のインタビューもすばらしい。本当は狭山市でしたかったのですが、私は春に高遠さんに入れあげていたのでここまでは手が届かなかったのです。でも、映画を借りる手はずを整えてあげたのよ、私が。と言うのも、いろいろな場所で私は製作者の一人の赤松良子さんとご一緒することが多くて、制作費をまかなうためにも借りてくださいねと言う話を良く聞いていたからです。とりあえず、上映会は成功したようですので、ほっとしています。

その後、私は麹町の剛堂会館で女性のための政治スクールに行ってきました。中東情勢について。中東の人の理解が足りないと思いましたが、女性を物と同じように取引するとは納得がいかないと言うのが私の思いです。その地方にはその地方のしきたりがあろうとも、私は中東の女性でなくて良かった。とにかく、アメリカのイラク占領は今後日本へのアメリカ軍の駐留と同じように長く続くであろうとのこと。残念。これからの中東の問題はイラン対アメリカ。イランとアメリカの戦争になったら、オイルの供給が世界で80万バレル足りなくなるそうで、オイルの高騰が予想されるそうです。だからといって、私たち個人がガソリンを買いだめをすることも出来ない。電気もガスも石油も石油製品も、何もかにもがすべて高くなるでしょうとのことでした。何を買い置きしておきましょうかね。

テロとの戦いは貧困との戦いだそうです。日本の防衛は海軍を強めることではなく、制空権はアメリカに握られているわけで、外交による防衛を考えるほかないそうです。冷静に考えれば、結局同じ結論に達するのに、何でナショナリズムを煽り立ててあたかも日本が中国や北朝鮮と戦争をするのをよいと言うような宣伝をするやからがいるのか理解に苦しみます。きっと、これは外交が下手な日本外交官が一番楽な方法、日本NO1による唯我独尊政策を取ろうと言う画策かもしれません。唯我独尊では相手のことを斟酌する必要がなく、自分の思いだけで動けばよいのですから、外交としては何の策略も計画も交渉もいらないので一番楽な政策です。それは日本の首相、小泉が過去5年、外務省を引き回してきた結果なんですけどね。これじゃあ、日本はアジアからもアメリカからもロシアからも相手にされないお馬鹿な小国になってしまうのに。下品な国は滅びます。小さくても上品な国は発展します。北欧の小さな国を御覧なさい。

帰ってきてから、カルフールによって、食料を買い込んで帰ってきました。まだ、オイル対策はしていませんが、輸入品は買いだめするべきだと思っています。今年の冬がイランアメリカ戦争の山場だそうですよ。戦争にならないことを願っています。いつまで、トップページに戦争反対と書かなければならないのでしょうか。ため息が出ます。
8日(金)
49400カウント
一週間のご無沙汰でした。何をしていたかというと、議会のために一心不乱に取り組んでいたと言うのが事実です。8月19日まではパステルに入れあげ、それからというものは、一般質問のための資料集めがあり、ヒアリングがありましたし、本議会は何しろ決算議会なので、そのための勉強がなかなか進まず、時には夜9時過ぎに役所から帰ってくるという始末でした。

そのため、先週末に一般質問のアウトラインを作ったので、ほっとしたこともあり、一般質問の原稿を書く時間よりも目先の決算のことに集中してがしまったのです。夜帰ってきて、コンピューターに向かう時間を作っても頭の中がほぼ飽和状態で、思考がまとまらない。水曜日までには一般質問原稿を書き上げようとしたのですけれど、今度は頭痛がして、コンピューターの画面を見ていられない。モニターの字が老眼鏡を掛けても見えなくなってしまいました。

仕方がないので、ジムさんを誘って入間の湯に行き、体をもんでもらったりしても、頭痛は治らず、結局はバッファリンのお世話になってしまいました。でも、この3日間は寝てもさめても一般質問のことが離れず、奥歯が痛くなっていたのをみると、歯軋りをて寝て、うなされていたのかもしれません。結局は、最後におっつけ仕事になってしまい、あ〜〜〜あです。でも、骨身を削って役人さんたちと向かい合い、議論をし、議場で質問はつたなかったけれど、真意は課長級の方々に分かっていただいているのではないかと思っています。

まる、3週間、私に付き合ってくださった多くの役人さんには感謝の気持ちがいっぱいです。それと、家族には迷惑を掛けました。時々、自分が市議会議員をしていて良いのかなあと考えたり、他の職業を思ってみたりするのです。もう、決算の数字を見るのも嫌になって、何で毎年同じことを繰り返し繰り返ししているんだろうとほうり投げたくもなりました。でも、私には放り出すことが出来ない。勿論、そんなことしなくても市議会議員をやっている人もいるんだから、手を抜けばよいのだろうけれど、私には手が抜けない。私は生真面目すぎて、言ったことや書いたことは、建前も本音もなくやりたいという思いがあるので、頑張りすぎて時々疲れ果てても抜けの殻のように仕舞うのです。

と言うのが、今日の言い訳かな。今日は朝10時半過ぎから私の一般質問がありました。もう1時間をフルに使いました。その中で、市長が障害者就労支援センターを19年度には立ち上げると明言してくれました。親の会の会長はじめダウン症の会の人も傍聴に来ていてくれたので、皆で喜びました。そこで私の何かが終わってしまったのです。もともと、朝から頭は痛かったし、睡眠不足でふらふらで、もぬけの殻状態だったのですが、就労支援センターのことが嬉しくて、すべてが飛んでしまって仕舞いました。それで、なんと、午後の議会に13分も遅れてしまったのです。え〜〜〜ですね。議会が午後からあることが自分の頭からすっかり消えていたのです。議会事務局の人が探しに来てくれて、はっと気がついた始末。

議会後、議長初め、各会派室に行き、謝りました。10分間ぐらい皆で議会を開かず待っていてくれて、その上、私の体調が悪いのを皆さん知っておられたので、心配してくださっていたそうです。事務局の女性職員はトイレにまで行って、私が倒れていないか調べてくれたのだそうです。皆さん、ごめんなさい。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

放送してくれたそうですが、私には全然聞こえなかった。疲れと一仕事終わったことで、他が何にも頭からなくなってしまったのです。服は、応接室に忘れてきたそうですし、帰ろうとしたらバッグが議場に置き忘れてありました。本当に頭が真っ白だったに違いありません。力の限界かしらって、しおれて帰ってきました。いつもは、ああいえばよかったとかこういえばよかったとかと自己嫌悪なのですが、今回はまったく自分のドジが嫌になりました。

本当に時々どうしようもない私ですけれど、真面目に一生懸命仕事をしていることに免じて、どうか許してください。
1日(金)
49100カウント
今日は9月議会初日。いろいろな事が進んでいるようで、代表者会も開かれず、30分。代表者会が開かれて30分。結局、全員協議会が開かれたのが10時15分。その後は、順調に議会が進んだのですが、決算に対する総括説明があまりにも簡略で驚いてしまった。昨年の議事録を見てみよう。

午後、議会終了後、役人さんたちとヒヤリングそのほか。お勉強させない戦略かなあと穿った考えを持ってしまった。議案の勉強は月曜日にしなければならない。夜7時過ぎに役所を出て、買い物をして帰ってきた。子どもたちは自分で夕食を作って食べていた。家族を持てば悩みも大きくなるけれど、家族がいる幸せをしみじみ感じている。子どもたちはご飯ぐらいは自分で作れても、やはり母さんは必要なんだなあと自分の役割の大切さを思っている。

思春期の子どもを持つとはらはらしてしまうが、何事もなくすごすことが出来ればよいと心から願っている。

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