私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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1月 私の独り事
31日(水)
55200カウント
今日は、昨日の針が聞いたのか頭の痛いのは直ったが、身体が重くて動くのが嫌で困った。午前中に、訳のあった人から離婚が成立して、戻ってきたという電話があった。今までのことは馬鹿だ、馬鹿だと言ったが、とにかく帰ってこれてよかったと思う。親子幸せになってほしいと思う。まだ、31歳だもの、やり直しはきく。だが、この何年間でいっぱい傷ついた娘だけは癒してやってほしい。気になっていたけれど、何もしてやれなかった。思いだけかけていたけれど、その思いだけでも嬉しかったといわれて、こちらも嬉しかった。

最近、友達でいろいろ気になる人がいる。決して何かをして上げられない。クリスチャンの言葉で言えば心の中で祈っているだけだ。あの人、この人。本当に何もしないし、出来ないけど、心から離れていかない人々。幸せになってほしいし、成功してほしいなあ。ある男の人には何にも出来なかったけど、辛い時にこの8年間電話をもらって話を聞いていた。最近、ちょっと幸せそうだ。子どもたちが成長し、親として少し余裕が出たようだ。こんな時、何も出来なかったのだけれど自分の事のように嬉しい。辛いことがいっぱいあったのだもの、幸せであってほしい。

市議会議員をする前から、「久美子さんは大変な人がどうして分かるの?」と聞かれたものだが、人が痛む心を持っている時、なんとなくそれを感じる感性みたいなのが私にあるようだ。でも、だからと言って何にもしてやれないので、幸せになってね、辛いのが早く終わるといいねと祈っているだけだ。私だって多くの人に祈られていると思う。その思いを感謝しながら、きっと甘えながら生きているのだろうが、祈られている分私が優しくなれるのかもしれない。「愛は決してなくなることはありません」と聖書に書いてある。何か出来ればすばらしいが、出来なくても思いだけはかけられる。きっとそれも「愛」の一つかもしれない。

午後は報告を書き始めた。腱鞘炎も2日たって少し良くなってきたので。勿論、書き上げてはいない。
30日(火)
55100カウント
今日は六時半過ぎに夫を入間市駅まで送った。その後、子どもの弁当を作ってやって、2人を学校へ。お兄ちゃんは自分でおきて出て行った。その後、メールをチェックしたり、家事をしたりしたが、何しろ頭が痛くて横になった。それで、これはもう肩こりから来ていると思い、桂木整形外科に針をしてもらいに出かけた。でも、夕方しか出来ずに、電気をかけてもらうだけだった。

お昼を役所でした後に、人権講演会をききに、市民会館に行った。小ホールだったけれど満員。役所に動員が掛かっていたらしく、職員さんも大勢来ていた。ホルンの演奏は今一。演奏はもっと感情を大きく表現しても良いような気がする。

講演は落合恵子さんのお話。痛い話だった。人権が阻害されたり、人として差別されたり、見下されたり、傷つけられたりする話は、心が痛む。高齢者、子ども、同和、女性、障害者、皆同じ人間であるのに差別される。自分が努力して人を見返せるそんなことでないからこそ、悔しい。差別される人が他の人を差別し見下す。人間は悲しい。

虐めは世界各国にあるそうだが、ヨーロッパでは年を取れば誰かが仲裁に入って止めさせようとするそうだ。しかし、日本は分かっていても知らんふり、見てみぬ振り、係わらないようにする。そういう形で虐めに加担する。これは、子どもたちだけのことでなくて、大人の世界と同じだ。篠原先生が市川房枝政治参画センターでおっしゃっていたが、無痛覚症候群。そっぽを向いてみないでいると、人の痛さを感じないで済む。痛くないほうへ、痛みを回避し、痛くない振りをする。もっと心の中は傷つくのに。人の痛さを想像できないから、際限もなくいじめる。同和、障害者、高齢者、女性、差別はどれも結局根は同じ。だから、人権尊重。

選挙も近いけれど、私はこの講演会を聞きたかったし、私の立っているところがこういうところにあると確信した。教育委員会の人もたくさんいた。助役も聞いていた。痛みを痛いと分かっていて政治をしよう。行政も痛い心が分かる行政でいてもらいたい。小さな人権を守るために、盾になれるような政治をしたいと思う。そんな政治家でいたい。

5時過ぎから針をしてもらって帰ってきた。
29日(月) 今日は実は仕事をしすぎて腱鞘炎だ。手が痛いから、朝からのんびりすることにした。やっぱり仕事がない日はいい。でも、だらだらしていただけで、特に何もした覚えがない。夕ご飯に力を入れてぐらいかなあ。あと、何日かのんびりしなければ、休んだという気がしない。は〜〜〜。
28日(日) 今日は朝、礼拝を新狭山にあるインマニュエル教会で守った。いつ伺っても優しく迎えてくださって嬉しい。一年に1度だけ伺う。その後、うちに帰ってきて食事を下後、パステルへ。2時からパステルのボランティア。今月の売り上げはまあまあのようである。
27日(土) 今日は朝美容院にカットに行った。午後は外へ。夕方、夕食を作りに帰ってきてから、本木後援会の新年会へ。500人もの人が集まった。上田知事をはじめ、大野国会議員、仲川市長、市議会議員などたくさんの来賓もあった。初めて、出席させていただいたのだが、私のところの総会とは大違い、桁違いの規模であった。来月の総会はどうなるのだろう。

顔見知りの人がいて、また、私は忘れていたけれど、向こうが覚えてくれている人もいた。特に、中央中学校の教え子のお母さんがいた。名前を言われたら、子どもの顔を思い出した。あの子達は本当にスペシャルだった。とてもすばらしい家庭のすばらしい子どもたちだった。私は一言も怒鳴ることもなく、勿論子どもに手を上げたこともなく、心が通い合った生徒たちだった。人生の短い教員生活の中でこんなすばらしい生徒と保護者に会えたことは私の喜びであり、誇りであり、とてもよい思い出である。
26日(金)
55000カウント
今日は朝から「狭山手をつなぐ親の会」の東松山の施設見学に行ってきた。福祉エリア、グループホーム、生活相談センター、就労支援センターを見て、説明を聞いた。8時45分発、3時半着の割には多くの施設に行き、説明もよく聞かせていただいた。

思ったことは、これらの施設が市の委託事業であったため資金が潤沢であったので、私達のような会ではこのような運営は不可能だという事である。また、狭山市でこれらのことが出来るかというと決して出来はしないだろうという事。国や県のモデル事業を積極的にこなし、また莫大な費用で箱を作りあげた物。しかし、学ぶべき点がないとは言わない。就労支援にしても県のお金をいただいて、その運営はたいしたものである。今後、狭山市も教えていただきたいことがたくさんある。所長は娘さんが狭山市にお嫁に来ているとかで、何かの折に成功のノウハウでも教えてもらえばよいと思う。そういえば、精神障害者が市の仕事になった時にも東松山市さんからはずいぶん教えていただいたものである。

ところで、グループホームの数が東松山市では9もあり、55人が住んでいる層であるが、狭山市は3つしかない。どうしたことだ。大きな施設をつくりすぎたのだろうか・・・・
25日(木)
54900カウント
今日は朝夫を稲荷山公園まで届けた。その足で、パステルに行ったら、お客が立て込んでいたので、お手伝い。結局1時半近くまでいた。その後、友達のところへ行ったら、話し込んでしまった。それで、2,3件友達を訪ねようかなあと思ったけれど、3時に職員課の人と職員の病気休暇と休職についてのレクチャーを頼んでいたので、急いで役所に行った。

役所で話を聞いたり、他の職員と話し込んだりしていたら、帰ってきたら6時半を回っていた。おなかがすいて、私はさっさとあり合わせで夕食。おなかが落ち着いてから水炊きをつくって、皆に食べさせた。
24日(水) 今日は午前中に報告書を作り上げた。午後に役所に提出。その後、外回り。いつものように、4時には戻り(根性なしです・・・)、夕方から狭山市駅西口で街頭演説。西口は友達が行き来しており、頑張ってねと声をかけてくれる人が多い。この前の東口の時も思ったよりも良い反応で驚いたのだけれど、今回も立って聞いていてくれた人が多くて嬉しかった。

外にでて市民の話を聞くと、西口の整備は早い方がいいという声が多い。地域によって、西口整備には温度差がひどくあるのをつくづく感じてしまう。
23日(火)
54800カウント
今日は朝から報告書を書いていた。書いては本を読んだり、HPで資料をながめたりしていた。私はどうしても書くまでの時間が掛かる。チャチャと済ませればよいものを、しなければしなければと思いながら、1ヶ月。ふ〜〜〜。

一歩でも外に出ると、書く気がそがれるので、ずっと家にこもりきり。夕食後も頑張った。手が腱鞘炎気味で痛くなっている。まだまだ、原稿書き、報告書つくりは続く。
22日(月) 今日は朝、9時半から議員クラブの幹事会。その後、全員協議会。その後、食事もしないで建設委員会協議会。

昼食を役所でした後に帰ってきた。今日は息子の高校受験日。エスカレーターで高校にいけるのだが、彼は自分の実力を知りたかったようで、外部生に混じって試験を受けた。結果はどうなるだろう。終わってホッとしたようだ。本当はもっと勉強をしたらと何べんも言ったのだが・・・・私が受験した時はもっともっと勉強したものだが、こどもと自分とを比べることは無意味だと悟った。

夕方、狭山市駅東口で1時間ほど街頭演説をした。真剣に聞いてくれる人がいてうれしかった。息子の弁当つくりがあり朝の街頭演説が出来ないので、ゆうがたでも仕方ない。
21日(日)
54700カウント
今日は朝礼拝。昼から、「狭山手をつなぐ親の会」の新年会。障害者といわれる人がカラオケでさまざまな種類の歌に挑戦するのに驚いた。演歌もあればシャンソンまである。その後、急いでパステルへ。今日はパステルでボランティア。帰ったら、6時半を過ぎていて、夫が焼肉の支度をして待っていてくれた。私は、帰りに彼の好きな黒ビールを買って帰った。

いつもラブラブだねって娘に言われますが、ラブラブ上等だといちゃいちゃしています。夕食は二人でビールで乾杯でした。
20日(土) 今日は朝に小豆を煮た。午後からの餅を食べながら議会報告をするための準備だった。

議会報告会はいつものとおり、少人数。でも、結局3時半過ぎまで話をした。西口のビデオを見たが、いくつか問題点も出されたので、開発事務所に聞きに行かなければならない。市民の話を伺うことはいいことだなあと思う。私はもっともっと議会の様子を離したいのだが、それよりも市民の方は自分で言いたいことがあるのだ。それでいいのかなあ。一応は議会報告会なんだけど、タウンミーティングとか、シティズントーキングと名前を変えるべきかもしれない。

今日は他に何もしなかった。街頭演説も今日はお休み。久しぶりでのんびり出来た一日だった。
19日(金) 今日は、朝議員の告別式へ出席。焼香はなしで、ご挨拶をして帰ってきた。失礼かもしれないが、私はこの議員の最後の活動の意味を理解できなかった。議長までした人で、西口の再開発がここまで進んでいて、狭山市がドラスチックな改善を必要としている時であることを彼は理解できなかったのだろうか。担がれたとはいえ、なんであそこまで反対運動の先鋒を行わなければならなかったのだろう。彼が代表した住民監査の趣旨なんて、お粗末だとしか私には考えられなかった。

告別式で園田天公公さんが弔事を述べていた。結局体制に組せずという事だったのだろうか。最後は信じることに殉じたとはいえ、そうしたらそれまでの生き様は一体なんだったのだろうか。前の市長の時は、まるで体制派だった。現市長になったら、手を返したように変わった。私にはそんな彼の生き方が理解できなかった。彼は事前に分かっていたと思うが、最後に見た住民投票否決をどう考えたのだろう。なぜここまでこの活動を彼は引っ張ったのだろう。そうすることが狭山市民にとってどんな利益があったというのだろう。

告別式の最中に心の中でそんなことを考えていた自分がとても嫌だった。私は選んで葬式に出るようにしている。基本的には死んだ方を知っている時にでる。このたびは、同僚のよしみで告別式に出た。でも、こんなことを際限もなく思うのだったら、行くのではなかった。今後、悼む思いをもてない葬式には出ない。

午後、一休みしてまた外へ。足は最低な状態である。でも、少しでも外に出ないと時間がない。
18日(木) 今日は、朝夫を稲荷山公園駅に送っていき、そのままパステルでモーニングセットを食べた。その後、家に戻ってから、元気出して、また外へ。偉い!!と自分をほめた。足が痛いのに、リハビリをする暇がない。

夕ご飯を作ってから、新年会へ。勿論、会費制。私はもっぱら食べる係り。飲んだらつぶれそうな体力しかない。帰ってきてお風呂が炊いてなかったから、待つのも嫌で、「明日朝風呂ね」とか言いながら寝る。
17日(水)
54500カウント
今日は予報どおり雨。「やったあ、外回りなし」と思ったが、何だろう雨は午後には上がってしまった。郵便局へ行き、銀行へ行き、役所に行って、また、友達のところによったりしていたら、もう日が暮れた。早々、西口の再開発事務所に行って様子も伺ってきた。順調に進んでいくらしく良かった。ビデオをお借りして、20日の餅つきの時にまた流してみようかと思っている。
16日(火) 今日はあっという間にお昼になった。何をしていたのだろう。洗濯かなあ。それで、12時に環境センターにごみを持っていったら、あいていなくて、しっかりお昼休み。今時こんな役所があったかと呆然。お昼の交代要員がいないのか。は〜〜〜。それで、パステルで食事をしてからまた行った。今度は臭気が気になった。「今日はひどくない方です」というが、ひどい時は本当にひどい。そこで、どのように臭気を抜いているのかとたずねたら、機械が故障していて抜けないというではないか。今度はえ〜〜〜である。あの空気口、こちらの排気口は何だときいたのだが、「どちらも壊れていて使えません」とのこと。ま〜〜〜〜、なんてこと。修理すればよいのに。修理すべきだ。何を考えているんだろう。全く。環境部長、修理しなさい。働いている人、ごみを搬入してくる人に健康被害が出てからでは遅いですよ。

その後、ネットニュースを配り始めた。軟弱なわたし。日も暮れないうちに戻ってしまった。3日続けて、少し歩いただけで疲れがたまった。明日は雨だそうだから、お休みできるかなあ。報告書かけるかなあ。
15日(月) 朝から忙しく、ネットニュース配り。お昼は精神障害者の生活支援センターの食堂で食べた。理事長がおられて、ご一緒した。順調に仕事が進んでいるらしく、良かったと思った。お安く、おいしいので、夕食のお惣菜まで買ってきた。良かった。

午後は川越の弁護士事務所に相談に行った。まずは、サニープレスさんに反論を載せてもらったらと言われた。たとえ、サニープレスさんがいかなる考えがあろうとも、一応は総合情報誌という立場を持っておられる以上は、公平な扱いが必要だ。反論権というのが最近認められたそうである。原稿を書いてチキンと反論を載せていただこう。後は、その対応次第。
14日〈日〉 午前中は団地の新年会。共産党系の人からは、住民投票についてあれやこれや言われ、保守系の人たちからは西口を早急に何とかしろといわれ、西口をもっと小さくできないかという声に買収方式は不可能だと答え、もう、それはそれは大変。さまざまな方がそれぞれの意見を持っているという事が分かった。最近は、一人ひとりの見識の高いのは理解できるが、誰もちっとも譲らず、妥協するという事がなくなった感じがする。自分の思ったようには人生や社会は進んでいかないのだというのを理解しない人が増えた。自己主張ばかりだ。

「とにかく、高橋、聞け」というので聞くのだが、私のいう事はちっとも聞かない。また、市議会議員はありとあらゆる弔事に顔を出さなければならないと考えている人もいた。市民の代表は弔事に顔を出すのが今までのやり方だったそうだ。しかし、市民の私はたとえ自治会が同じでも、知らない人の葬式には顔を出さない。お悔やみを心から言いたい。あったこともない人やあまりかかわりのなかった人にそんな思いを抱けない。宗教が同じか違うかは関係ない。私は知らない人に市民を代表してお悔やみを言える立場にはないと思う。

確かに1票をいただかなければ仕事は出来ないが、その仕事の評価は議会便りやケーブルテレビなどの議会活動や政治活動によって評価してもらいたいと願う。弔事に細やかに顔を出す議員が良い議員とは限らないのだと知ってほしい。知らん振りしてという話をまた聞いた。私は生活者として住んでいる。買い物の途中に顔を覚えていない人に一々挨拶はしない。相手は私が誰かわかるのだろうが、ごめんなさい、私はよほど親しくないと顔を覚えきれない。買い物をしている時は、夕食のおかずのことが頭いっぱいで他には考えが行かないことも多い。何しろ、育ち盛りのこどもを3人抱えたお母さんだもの。もっと顔と名前が一致する田中角栄さんのような才能があればよいのにと思うんだけど。

午後はパステルコンサートだった。まあまあ、お客様が喜んでくれたのが良かったという事である。チケットも売れてほっとした。
13日(土)
54400カウント
今日は朝から、ネットニュースを配り始めた。土曜日だからいるかなあと思ったがあまり人はいなかったようだ。疲れて帰ってきた。でも、お天気は良いし、ダイエット、散歩にはなったかもしれない。

夕方ご飯後、また作業。事務所の仕事は限りない。
12日(金) 今日は朝からまたしても事務所で作業を続けた。報告書も書き始めたが勿論終わらない。丁寧に書きすぎていることと、よくぞこれだけ勉強してきたというところ。思い出しながら、もう一度学んでいる。

夕方、議員クラブでの新年会。今年は4月に選挙があるので、まるでお別れ会のような感じ。定員は3人も減るし、新人さんはたくさんチャレンジするらしいし、いかに生き残るかとても大変な選挙になりそうなのである。選挙を前に、やめる人はなんだか余裕でニコニコしていた。共産党さんは1人、公明党さんは2人交代するらしい。他に何人かはやめるといっていた。ある議員はこの世界に嫌気が差したようだった。その気持ちは良くわかる。私が2期目に挑戦する時に、やる気が全然出なくて義務感で選挙したことを思い出す。

本当にこの世界は嫌になることも多いけれど、頑張っても大きな成果が上がるというのでもないけれど、責任は潰されそうに重いけれど、でも、市民の生活を守るという意味ではとても大切な職業なのである。私は48歳からこの仕事をしているが、自分の人生の最後の元気なところを市民の生活を良くする努力に費やそうと思う。微々たる力かもしれないが、一生懸命誠実に職を全うする。その覚悟をずうっと持っていようと思う。
11日(木)
54300カウント
このごろ、とても読者が多いので驚く。きっと、mixiからやサニープレスをご覧になった方が覗いているのかも知れない。そうだとしたらとても歓迎だ。私の主張や人となりを見ていただけることだろう。そして、ご自分で何が正しいか判断すると良いと思う。

今日は、事務所で事務仕事をスタッフとしていた。昨日の話が出た。午後にはサニープレスが配達されたので、支援者も含め紙面を見て話し合った。あまりにも論点が馬鹿馬鹿しいから無視をするという考えもあった。でも、一般の方々はこれをそのまま信じるかもしれないという話も出た。サニープレスに私の意見を記事として掲載してもらうという意見もあった。勿論、やり取りすべてを公表するのはどうかという考えもある。

スタッフは私が小林さんとのやり取りが私的なメールのやり取りと知っていた。私は小林さんが反対の立場の人だからといって無視したりしないし、誠心誠意、話をしようしていた。だから、私が小林さんにどんなに失礼なことを言われても、真摯に彼に説明をしたりしていたのに、一方的に自分の都合の良いところだけを取り出して公表すると言うのは卑怯ななり方だと憤慨していた。(意味が全然違うように編集するのだから)

他の人は、こんな記事を書いて得になる人は誰だという。勿論、サニープレスの私についての記事の隣に写真が鎮座していたが、その彼ー田中さんではないかという人がいた。そうでなければ、小林さんは民主党だそうだから、民主党の誰かか。誰だろう。他には誰かな?

こんなことを考えたり話したりしながら作業をしていたら、あっという間に夜になった。今日は夫の誕生日。手巻き寿司とケーキでパーティーをした。珍しく今日のケーキは私が焼いたケーキだった。アメリカのスパイスケーキ。甘くないけれど、日本では食べられないスパイシーな味。子どもたちはいっぱい乗せたイチゴをほうばってたくさん食べていた。イチゴの取り合いをしている子どもたちを見ていて、あれこれ言うのも親の楽しみというところである。幸せな夕食だった。

ところで、サニープレスの小林さんの記事に「これについては、虚偽の発言ではないかとお伝えしたところ、ブラクソン議員からはこのことを公開した場合、名誉毀損で暗に訴えるというような返事が返ってきました。」と書いてあった。私は、何べんも言うように、また、議会発行の議会便りの4ページにも「法定手続きはすでに完了しており、権利者の合意形成はされている」という答弁を受けて議場で発言している。小林さんの言う“虚偽の発言”というのは、「嘘、ごまかし、デマ、思いつき」の考えであり、個人のメールで私が真面目にそうでないという事を説明している時に、何の根拠もなく私の議会での発言を公の場所で“虚偽”と言い切るとしたらそれは私の名誉を傷つける以外の何ものでないことは誰にでも分かる理屈であろう

もし、私が“虚偽の発言”をしたというのであれば、また、私が「行政からの情報を鵜呑みにして、おかしな発言をしてしまった」というのであれば、
1.小林さんは法的手続きが完了していないことの証明をし、私の発言が虚偽であったという証明が必要であり、
2.行政からの情報が、特に議場での街づくり推進部長の発言を信じるのに足らないという証明をしていただきたい。
もし、部長が議場で嘘をついたとしたならば、大島議員への辞職勧告決議案どころか、市長の不信任決議案に至るだろうから、しっかり調べてきてほしいものである。それが出来ずに、このような事を10万部も発行しているというサニープレスという公の情報誌に記載するのであれば、小林さん自身、「事実と異なるサニープレスでの記事に対しての責任」をどう考えているか説明していただきたい。サニープレスは情報誌としてそこまでフォローするべきだと思う。
10日(水) 今日は午前中にスタッフ会議。午後はお手伝いさんのお誕生会。帰ってきてから、あいさつ文・事務連絡の原稿を書き上げ、スタッフに渡した。印刷することになる。

夕方娘を病院に連れて行った。鼻をぐすぐす言わせていたので、アレルギー性鼻炎だろうとおもうからで、実際アレルギーの薬を飲むことになった。私はそのまま役所に行って、選管で書類をもらってきた。本当に難しいことが多い。

その時に、サニープレスがあるので見せてもらった。私の名前が出ているではないか。小林さんからメールが来ていたのだが、きちんと対応したつもりでも、ああいう記事になるのかと今更ながら 納得。私信のやり取りだと思っていたが、公開質問書だったわけだ。もし、あれを公開するのであれば、事前に私に公開する旨を話すべきではなかったかと思う。考えは違っていても小林さんを真摯な青年だと思いたかったのだが、いつもながら私の御めでたさが嫌になるなあ。mixiなどでの話も人づてに聞いていた。なんだかなあ。私のメールも公開したほうが良いのかと思ったりしたが、同じ土俵で今議論しない。

小林さんは私の反対討論が「度が過ぎる間違いを含んでいる」とか「議会で虚偽」を発言したという。しかし、私は部長が議場で答弁した「すべての権利者の合意をいただいている」という言葉を踏襲して、「すべての権利者の方々が合意を形成した」と発言したわけだ。だから、私の発言のどこにも「度が過ぎる間違い」や「議会で虚偽」が含まれてはいない。私は発言の根拠をきちんと確認しないで議会で発言しない。それなのに、小林さんが何の根拠やその証明もなく「度が過ぎる間違い」「議会で虚偽」というふうに自分の発言を公にすることは、私を貶める行動である。

小林さんには「すべての権利者が合意をしていない」証拠を出してほしいといったのだが、彼は権利者の何人かが反対や見直し運動、裁判を起こしていることで、彼らが合意をしていないのだといいたいようである。しかし、認可1ヶ月以内に権利者が認可関係の合意をしたことが議会で明らかにされている以上、それを覆すのは、その際、合意しなかったのだという証拠を出す以外ない。裁判を起こしている権利者が合意文書に署名捺印していないという事がその証拠になる事だろう。私はその証拠を示すように言ったのだが、彼は私に対して証拠を示すことは出来なかった。そして、関係ない私への非難を他のメディアで返すことしかしない。これでは議論にならないというのが、事実なのである。

世の中でさまざまな意見がある。さまざまな論評もある。言論の自由は大切だ。考えが違っても理解しあえる関係もある。意見が平行線になってしまうこともある。議論にならない状況もある。私は議論は多いにすべきだと思うが、ルールがあると思っている。民主主義はルールを守らなければ民主主義といえない。少なくとも嘘はいけない。デマを分かっていて流すのもいけないと思う。自分が都合の良いところだけを捻じ曲げてストーリーを作り上げるのもいかがなものかと思う。まあ、この世界にいて、小林さんがするようなことは多々あるが、本質をわざとはずして、悪意だけを敵意だけを書き始めるというのは私は嫌いだ。これはもう西口整備事業に関しての意見の相違というよりも、ある新聞が記事にしたように選挙のためのネガティブキャンペーンと受け取る方が良いように思う。
9日(火) 今日は朝から久しぶりにお弁当を作り。息子はいやいやながら学校へ。私は家事をしながら、コンピューターをいじっていた。この後、スタッフが来たので話しをした。

午後は少し休んでから、パステルへ。その後、整形外科へ。帰ってきてから、夕食を作り、すぐに寝ようと思ったけれど。ついついコンピューターへ。結局、何もまとまったことをせずに今日は終わってしまった。あ〜〜あ。
8日(月) 今日はまた青空がまぶしい一日だった。成人式が祝福されて行われた。2部に分けて行われた。一部はざわついていたのだが、堀兼中学校の代表がすばらしい太鼓(アフリカの太鼓だった)ですばらしいパーフォーマンスをしてから締まったよい式になった。私は女子二人が述べた言葉で人生をあきらめずに生き抜くという言葉と人生には覚悟が必要だという言葉に強く感銘を受けた。甘えず、生きていく強い決意を感じた。頑張れ、2人。一部の最後は入間野中学校の代表で、入間野中学校の生徒だった人を起立させて合唱した。胸がいっぱいになる歌詞だった。私の近くの人が歌っていて、歌詞が聞こえて涙が止まらなかった。「皆幸せになってね」って祈った。

2部は1部よりも静かに推移した。代表の挨拶は私としては、かなりがっかり。きっとこの代表たちは大人なんだろうと思う。気使いを忘れず、思いやりが大切、事を荒立てず和を尊もうという趣旨のメッセージが続いた。お母さん、お父さん、皆さんありがとうというメッセージもあった。これはこれでよいのだが、私の行き方と違いすぎて、どこか違和感があった。私のような年よりは「回りを気にせずに自分の道をがむしゃらに生きていくだけでよいのよ」って言いたくなるのだ。

それにしても、素敵な成人式だった。帰ったらお昼を過ぎていて、急いでご飯を食べてから、ヤオコー前に行き、年頭の挨拶を兼ねて演説をした。今年は温かくてありがたい日だった。それでも、30分過ぎたころから寒くなってしまった。今日は、朝に議会レポートの折込を入れておいたのだが、演説をしている最中に知らない男性が声をかけてくれて、今日の議会レポートを読んだと言ってくださった。とても嬉しかった。昨日の職員の方もそうだが、一声掛けていただくだけでどんなに励みになることだろう。手が腱鞘炎になるほど、何べんも書き直して、分かりやすい紙面を、誤字や脱字のない紙面を造る努力をしている。書いたものを配布するのには、さまざまな影響を考えなければならない。神経を使う作業でくたくたに疲れるのだ。これを3ヶ月ごとに繰り返しているが、3ヶ月はあっという間に来てしまう。高橋ブラクソン久美子事務所の事務局長がネットニュース(後援会用お便り)に書いていたが、このような励ましがあるからこそ今まで8年間やってこれたのである。言葉ってありがたいものだ。

その後、私の政治看板をかけていてくださる友達のところに挨拶に行った。挨拶と言ってもタオル1本持っていけば、買収行為とみなされるのでネットニュースしか上げられない。いつもよくしていただいているのに心苦しい。夫が一緒に行ってあげるというので夫婦で出かけた。友達だから皆「頑張ってね」って言ってくれて感激が胸いっぱいである。いつもご無沙汰していて申し訳ないが、今日の挨拶で許してもらいたい。(だって、年賀状も出せないんだから)

マルエツの前で演説をした後に少し冷えたので、夕方夫と二人パステルでコーヒーを飲んで帰ってきた。夫はチーズケーキを食べたが、とてもおいしくて(一口食べさせてもらった)鼻が高くなった。パステルは進化しています。
7日(日) 今日は青空が美しい日だった。出初式という事で8時半近くに奥富公園に出かけた。実は1時間早くに着いてしまったので少し散歩をしたが、富士山が美しく、湿気を帯びた空気がさわやかで心が洗われるようだった。狭山市はすばらしい市だ。

出初式はつつがなく終わった。来賓の挨拶を聞きながら、皆さんご立派だと心から思った。大野総務副大臣は消防の元締めをしているわけで、それにふさわしい内容のお話、県議会議員は県のレベルの話、市議会議長は議会としてそれなりの話だった。今日は風も強くなく、日差しが暖かで出初式としては最高だった。終わってから,豚汁が出された。これもおいしかった。その際、退職した職員の方に珍しくお会いして嬉しくお話をした。このホームページを読んでいてくれると言われてとても嬉しかった。「役所のことを書いて下さい」との事であるが、私が書く時は怒りに任して書くことが多いので、職員の悪いことばかり言っているように思うかもしれない。でも、実際には(職員にもこんなに良いところもあるんだ)と感心していることもあるのだが、感心するほうはあまり書かないのはいけないことだ。きっと。今年は職員の良いことも書くぞ〜〜〜。勿論、悪いことはもっとかくぞ〜〜〜。書かれる対象になると怖いと逃げて行ってはだめよ。勿論、逃がさないけど・・・

帰ってきて、お会いしたご町内の方にご挨拶。考えてみれば、正月なのに挨拶一つしていなかった。昔は隣近所に正月は挨拶に行くのが普通だったのに、忘れたとは情けない。今年は選挙もあるし、ご迷惑をおかけすることもあるかもしれないので、きちんと挨拶をすべきだった。勿論、私は年賀状も出せないから、本当に愛想が悪い。反省。

午後はlパステルで運営委員会。私は4時までに終わらせたかったけれど、結局終わったのが六時半。街頭演説をしたかったのに、出来なかった。残念。明日、夫に手伝ってもらおう。晴れたらだけれど。
6日(土)
53800カウント
2007年 明けましておめでとうございます。
今年初めての独り言。実は、8日まで書かないでおこうと思ったのですが、コンピューターの前に座るとじっとしていれない気分で、もうスタートします。今年は、多忙に継ぐ多忙のような気がしています。選挙もありますから、仕方がありません。日ごろの活動をしっかりしているし、賛否はあっても自分の考えでしっかり政治をしているつもりでいますから、その姿勢を理解していただける方にはきっと支持していただけるとは思いますが、選挙はまた別物という話もありますから、しっかり気持ちを引き締めてことにあたろうと思っています。皆様のご支援をよろしくお願いします。私のような一匹狼で政治にあったっている者は、皆様の温かいご声援やお声掛けで一歩一歩進んでいけるというのが本音です。心から、応援をお願いします。

去年の念頭の誓いはダイエットでした。1年で5キロほどやせました。(この正月でまた太ったように思うので、これは今年も続けなければならない)今年は「選挙がんばるぞ〜〜」ということ。2期目の時は、どこかモーチベーションが低かったのですが、このたびは3期目を目指したいという気持ちが沸いています。一つの仕事を全うしようという決意が出来ました。

今年のお正月は31日に直江津の実家に一家5人で出かけ、大晦日をすごしました。1日には息子は同級生との飲み会があるといって、一人狭山に戻りました。3日、新潟市の母の実家に移動。下の息子は塾があるといって、夕方狭山に戻りました。私達は5日まで新潟でゆっくりして帰って来ました。実にのんびりしたお正月で、おいしい食べ物を食べさせてもらい、デパートに冷やかしに行ったりしました。実家と叔母には感謝です。今回もコンピューターを持って行ったのですが、お仕事はしないと決めていたので、たまにメールをチェックするだけでした。いつものことですが、仕事をしない日が続くと、仕事をするぞ〜〜という意欲が湧くから不思議です。明日は出初式、あさっては成人式です。今日は美容院で頭をきれいにしてきました。明日お化粧をばっちりして、出かけるわ。えっ、お化粧まではいらないですって!気合の入っている私のお化粧はすごいからね。まあ、見ていてください。(きれいになるかどうかは問題じゃない!!気合の問題ですぅ!!?)

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