私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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5月 私の独り事
6月1日(金) 今日は、娘が起き上がれないので石心会に電話をして診察してもらうことにした。病院にいってもまともに座っていられないぐらい“しおれて”いた。中央検査室のベッドで結局点滴をしてもらった。帰ってきたら、3時半。脱水症状だったのだろう。とにかく、悪い病気があるかどうかを月曜日に精神神経センターで見てもらうことになった。毎週、週末になると発熱しているのがとても心配である。でも、今はやりの“ハシカ”ではなさそうである。

帰ってきて、役所に出かけた。月曜日の約束を午後からキャンセルしなければならない。だから、その分の埋め合わせをしなければならなかった。結局役所を出たのは7時半過ぎていた。帰ってきたら、姪が夜にやってくるとのことで、大急ぎで夕食の支度をした。夜中まで姪を囲んで話し込んだ。とにかく、忙しい。原稿が書けないじゃない・・・・
31日(木) 今日はスローな朝から始まり、原稿書きをごごからし始めたが、またしても資料が面白くなって止められない。資料の分析、それでどのような施策の展開が可能かなどを考え込んでいる。資料をどう使いこなすか。せっかく素晴らしい資料を作ってくれた議会事務局の調査担当の人のためにも、きちんとした質問にしたいと思っている。

夕方、学校からお呼びがあり、息子を引き取りに行った。家でがんがん怒り狂っていると、今度は娘がげえげえ吐き始めた。胃液を空っぽにするほどはいて、熱を出して寝込んだ。やれ氷枕だ、濡れタオルだといつものごとく夫も手伝ってくれて、吐瀉物で汚れた布団を取り替えたりと大童。忙しくなればなるほど、まだ子どもたちは親に手を掛けさせる。とうとう息子には「親に迷惑かけないようにしようと思わなかったの?」と詰問してしまった。本当に、子どもを持つといろいろな事があって・・・・

どんなに怒っていても、今日は息子の誕生日なのでケーキを焼いた。ぷんぷん怒りながらなんでいつもどおりケーキなんか焼けるかと思う。しかし、どんなに怒っても息子は息子だし、親はやめることは出来ない。そういうことである。
30日(水) 今日は朝からのんびりモード。家事。洗濯は基本的に楽しい家事である。日よけ帽子をしっかり被って洗濯物を干した。午後はお金を振込みに行ったり、食料品を買い込んだりと忙しくすごした。原稿を書き始めているが、そうなると資料を読み始めてしまい、原稿を書かずにいる。

今回は韓国で英語を教えていた姪が週末に遊びに来るので早めに原稿に取り掛かっているが、書くまでの助走がいつものごとく長くて・・・・
29日(火) 今日は午前中は家事。午後は役所に。全員協議会があった。その上、建設委員会協議会があったので、終わったのは4時近かった。その後、一般質問の通告に悩み、でも通告をした。原稿を書かなければならない。3ヶ月はなんて早いのだろう。

結局買い物をして帰ってきたら7時近かった。今日はサピオはお休み。なんだかゆっくり夜をすごした。HPの更新をした。
28日(月)
60800カウント
今日はスタッフも来ない日で、お手伝いさんもお休みだから家事に励んだが、なんだかお休みのような感じだ。くだらない本を読んで、夕食をゆっくり作り、息子と娘とで食べた。

夕食後、サピオに運動に出かけた。運動がとても気持ちよい。

帰りがけに車の中で松岡農水大臣が自殺したとラジオで聞いた。いのちを賭して仕事をするというのは理解できるが、それはたとえば長崎市長のような場合である。辞任もさせてもらえないし、自分の言葉で説明もさせてもらえない。批判は矢のように飛んでくる。辛くなって死んだというところか。説明しないで死ねばすべてがチャラになるのか。なんだか許せないなあ。虐めのときに児童に自殺をするな、いのちを大切にしろと大人が呼びかけておいて、大臣が自殺するんじゃ示しがつかない。

政治はいのちを賭してという仕事ではいけないと思う。職はいつも賭していなければならない潔さを要求されるだろうけれど、死ぬのは卑怯だね。私は松岡さんの自殺に同情できない。
27日(日) 今日は朝礼拝。午後は、家事に励んでからサピオへ。2階のトレーニングルームへ。初めてトレーニングルームを使って運動をした。一人で運動するのは飽きたりするが、こういうところで大勢と一緒に運動するのは飽きないし楽しい。運動していると心が無になるところがあり、それがいい。週3回ほどいくとよいという事だから頑張っていくことにする。少しやせたいしね。

帰ってきてからビールを一缶。これで運動の効果はなくなったかな。
26日(土) 今日は朝は家事をしながらゆっくりしていたが、午後には聖望高校のPTA総会。私は学年委員。PTAをしたくとも後3年。楽しむことにしている。夕方は懇親会へ。何しろ聖望に4年目。知り合いがたくさんいて、たのしい。お母さん方も同じ感じの人ばかり。特に中学校からの人は和気藹々。

帰ってきたら、7時過ぎ。これが今年最後の総会かなあなんて思った。
25日(金)
60700カウント
今日は朝、新狭山小学校の特学を視察。4クラスもあるのだからすごい。言いたいことはあるけれど、新しく作った教室は少し工夫が必要だと思った。教育課程を見させてもらった。???まだ私には教育課程を分析できないでいる。とにかく、障害者だってきちんと社会で生きていけるように教育する必要がある。ここからすべてが出発する。今日あった児童は皆社会生活は可能な感じがした。

とにかく、教員、介助員の研修が必要だと思う。教員を何十年しても障害児の教え方は健常児に一斉指導するやり方では教えられない。その子が覚えられるチャンネルを使って教えなければならないのだが、それを見極める能力とその技術が必要とされる。それから、あまり元気すぎる先生は障害児教育には向いていないかもしれない。大声を出すよりも、落ち着いた声使いが良い。具体的なことを言い始めたらキリがないから、やめよう。

それにしても、新狭山小学校の障害児たちは落ちついていた。私が行ったので、カチカチになっていたのかもしれない。

午後は役所に行って、教育委員会でお礼を言ったり、施設について部長と話をしたりした。「とにかく、お金が・・・」と部長は言うが、なあにこの部長は実力者なのだから、どこからか絶対お金を引き出してきて、彼がすべきという事はきちんとやってくれるだろう。だから、指摘するべきことをしておこう。後は彼にお任せだ。それに、学校、公民館のリニューアルプランと全体のグランドプランを彼が作ってくれることを願っている。何しろ、企画課に長くいたのだから、プランニングに関してはプロだから、今年中ぐらいで試案が出来ればよいけれど。これに関しては、私案でもよいとおもう。

市長でもないけれど、頭の中は市全体のことでいっぱいである。地域にも目を向けていこう。
24日(木) 今日は朝さいたま市にある「さいたま桜高等学園」に視察に行った。まあ、校長先生と教頭先生の熱意が素晴らしい。目標意識に2人ともヅレがない。とにかく100%就労を目指す。そこから教育が始まるという事である。校舎も立派だ。設備も素晴らしい。学科はいろいろあったが就労に結びつくのかなあというのもある。ヘルパーの2級を目指すというのは立派だと思う。西武線沿線にもこのような学校がほしいと願っている。
23日(水) 今日は朝柏原小学校へ行き、特別支援教室を視察した。もう少し教室に工夫があってもよいかなあと思った。ある子は穴倉のようなところが好きだという事だった。作ってあげればよいと思う。そこに行かないでもよいような教育になればよいと思う。

いくつもの学級を視察すると教員の能力差を知ることが出来る。それとも技術の差かもしれない。知的障害者を教えるツボがあると思うがそれをどのくらい分かっているのかなという事でもある。教育技術研修が必要ではないかなあ。子ども一人ひとりが違うので勿論一斉指導のような研修は出来ない。でも、教員が教えあうか、講師を呼んで学びある必要を感じている。教育委員会のリーダーシップをきたいしよう。

それと介助員さんたちの研修も必要だと思う。声の掛け方、接し方はやはり教員と同じように技術研修が必要である。

なぜ子どもたちを教育するかという理念も必要である。キーワードは自立ではないか。そのための個別教育計画、個別支援計画だと思う。特に中学校に入ってからこの視点での教育計画、支援計画をしっかり作るべきだろうと思う。

柏原小学校の後に、柏原保育所を尋ね、アスベスト除去後の施設を視察した。もう、全く新しい保育所になった。よくやりました。子どもたちも落ち着いていたようだった。

その後、公民館に寄った。AEDをみたかったのだ。きちんと締まってあった。締まってあるのがよいのかなあと思うのだが。本当は市民が見えるところにすえつけておくのがベターではないかと思う。県の施設で見たのだが、公衆電話のようなスタンドの中にいれて、正面玄関においてあった。このほうが分かりやすいし、啓発にもなると思う。
22日(火)
60600カウント
今日は朝5時半におきて子どもの弁当を作り、7時までに養護学校まで送ってやった。その後、会社を休んだ夫と私は熊谷の陸上競技場まで娘の陸上競技を応援に出かけた。彼女は100メートル走、リレーの選手だった。両方とも決勝まで残った。でも、100メートルは4位、リレーはビリだった。残念。でも、とてもお天気が良くて、気持ちのよい一日だった。大声で声援できてよかったと思っている。娘も嬉しそうだった。

帰ってきて5時半からNPO法人の設立勉強会に出席した。お勉強させていただいて本当にありがたかった。帰ってきたら、9時だった。毎日、毎日ミーティングだ、総会だと忙しい。
21日(月) 今日は朝9時から学校の視察。特別支援教育について。中央中、山王中、入間小。午前中に終わらせた。感じるところ多々あり。施設に関して、入間小の個人ブースがとてもよいと思った。それにしても1学級6,7人というのは何なんだろう。それも1年生から6年生までを見なければならない教員はスーパーマンとしか思えない。一人ひとりに会った課題を与え続けるのは、たとえ介助員さんがいようが大変な作業と責任と労働である。これはひどい。先生がかわいそう。

まだ、実際のところ良く見えてきていないが、新しい理念の特別支援教育をどのくらい教員が理解しているかが問われるなあ。その上、教員の能力開発をしっかりしていかないといけません。一般質問にまとめたいと思いますが、教育長は真剣に学校のバリアフリー化を考えてほしいと願います。ある学校で足が悪い子どもがいると聞きました。少なくとも手すりがあるかと思いきや、片方にしか手すりがなくて、私は不備だと思います。右側通行が呼びかけられた学校で、足の悪い子が左側通行しているとぶつかりやすいのよ。それにしても、エレベーターがほしいところですね。

午後は、ホッとしたり、HPの更新をしたりした。でも、7時にミーティングがあるので中央公民館に出かけたら、休みだったので、ガストではなしあった。帰ってきたら、10時でした。
20日(日)
60500カウント
今日はバザー。宣伝が行き届かなかったので、バザーといえるほど物が集まるかしらと心配していたが、どうにかなった。売り上げは3万6千円ぐらい。経費を引くと2万4千円ぐらい純益だろうと思う。係わってくださった方々には感謝でいっぱいである。これで10回目のバザーである。毎年、よいときも悪い時も、天気がよいときもあったし、雪の日もあったし、でも継続は力なり。儲けはあるのかないのか分からない状態だけれど(経費だけでなく人件費などを考えると)地域還元、リサイクル事業だと思いながらやっていこうと思う。

今日は片付けに6時ぐらいまで掛かり、腰が曲がらなくなった。夕食後、入間の湯のマッサージに出かけた。つかれきった。
19日(土) 朝早くから今日はバザーの準備を始めた。午後1時、新都心のwith you さいたまに出かけた。今日は「女性と議会をつなぐ彩の国ネット」の総会。毎日総会が続きます。

「彩ネット」は解散した。10年一区切り。さまざまな理由があるけれど、運営委員が疲れたというのが実感だろう。もっと細々と出来ないかという気はあるのだけれど、自分が背負えなくて、また他の人も背負えないとしたら解散もやむなし・・・女性議員は30%にも届かない。政党の力がなければ無所属での当選は難しい。私達のような市民団体が女性議員の増加を推進するのではなく、政党がもっと頑張ってもらうしかないかも。

総会後はいつもの通り居酒屋に繰り出し、寂しいねえといいながら運営委員5人で食べて飲んだ。本当に、志半ばで終わるような気がしてならない。私は9年間「彩ネット」に係わってきたけれど、初めがあれば終わりがあるさという事だ。そうは思っていても、どうにかして同じような市民団体ができること願っている。政党も良いけれど、無所属の是々非々の立場の市民派議員もまだまだ地方議会では必要とされているのだと思ってもいる。
18日(金) 今日は朝早くに病院に血液検査の結果を聞きに行った。私はいつものことながらとても悲観した。いろいろ事情もあるので・・・しかし、結果は陰性で、今のところ膠原病ではないらしい。良かった。嬉しくて診察室で万歳をしてしまった。でも、癌もそうだがマーカーが陽性になった時は恐ろしいことである。今後は継続して血液検査をして観察していくことになった。今回は2週間の発疹だった。紫外線には特に注意をしていかなければならない。

娘を学校に連れて行ってから事務所に戻り、明後日のバザーのための買い物に行った。カルフールに一度行けば結局2万円近い買い物になる。どうしてかなあ。安いし、ここでしか手に入らないものもあるせいかな。

ご飯を作ってゆっくりしていたら、7時目前。7時から里親会の総会があることを思い出して、大急ぎで出かけた。里親会に入ってからもう18年がたとうとしている。「可愛い少女を里子にしたいなあ」なんて思っているけれど、私の忙しさではもう育てられないかもしれないとも思ったりする。神様はどうお考えだろうか。
17日(木) 今日は朝からバザーの品物を取りにいったり、ばたばたしていた。少しずつ寄付品が集まっていて、今回もそれなりのバザーになりそうである。良かったと思う。

息子がアメリカンフットボール部に入るという。危険なスポーツだからやめるように言ったが聞かない。どうしてもやるというので、勉強をサボらないこと、3年間続けることを条件にやってもよいことにした。あぶないことがないとよいけれど。
16日(水)
60400カウント
今日は朝10時に浦和の県庁の教育委員会で特別支援教育についてレクチャーを受けてきた。あっという間の2時間半。次々に話しが進んだ。お土産も持たずにお話だけを伺い申し訳なかった。でも、8時前に家を出たので、買う時間もなかった。

午後は急いでwith you さいたまに行き、彩ネットの運営委員会に出た。彩ネット解散のことについて話をした。自分で引き受ける気がないのであるならば、解散に賛成をするしかないのだ。10年も続けてきたのにと思うと残念だ。代表の体調も悪いし、後を引き受ける人もない以上、解散しかないかと思う。まだまだ、女性議員は少ないし、今後も女性議員を増やす努力は必要なのだけれど、彩ネットはそれを担いきれないということである。

夕方帰ってきたが、なんだかとても寂しい思いでいる。
15日(火) 今日はのんびりするはずだった。勿論、そんなことが出来るはずはないけど・・・・というわけで、朝、娘を学校へ送ったあとで、バザーの品物を取りに行った。たくさんもらってきた。雨が降りそうだったが、片付けるものがたくさんあり、ばたばたしていたら朝食も取れなかった。

午後、東京出張の夫を駅までおくり、娘を迎えに行った。今日こそプールに行った。身体の調子が今一で、運動不足なのだ。足はしょっちゅう痙攣していたい。肩も凝って仕方ないし。サピオで泳いだのだが、1時間が持たない。300メーターほど泳いで、少し歩いたら、また足に痙攣が来て、やめてきた。本当に、しっかり運動しなければと思う。歩けばよいのだが、なかなか出来ない。プールでは飽きないのに、歩くのはどうしても飽きる。さて、少なくとも週2回はプールに行こうと思う。出来るかな。
14日(月)
60300カウント
今日は朝からゆっくり出来るはずだったのに、甘かった。朝電話がかかってきてバザーの寄付品を取りに出かけた。その後、パステルに行き、書類を運営委員長に引継いた。パステルで昼食を食べた後に、支援者宅へ行きちょっと相談。その後、娘を迎えに行き、帰ってきた。事務所で仕事を始めたら、今後は友達から電話があって、小手指のカトリック教会のバザーの残り物をくれるというので、小手指まで出かけた。途中で業務スーパーでたくさん買って帰ってきたら、6時。ほ〜〜。

その後、バザーで赤飯を作るので、その材料を持って友達のところへ。帰ってきて夕食を作ったが、朝早くから車で飛び回っていたので疲れてしまった。忙しいね。

1つ決断しなければならないことがあった。それは「すすむ会」会員の一人に会員をやめてもらおうと思うのだ。その方は、私が1期の時から会費を払い協力的な方なので、本当に残念だ。理由は彼のしていることが私には納得できないという事なのである。彼はタイの女性を日本人男性と結婚させるという事業を始めた。自分ではボランティアだというがお金が掛かる事業であることは事実だ。ある時、彼は64歳の日本人男性に23歳のタイの女性を娶せたといった。私はこんなのが結婚だとは思えない。不自然すぎる年の差だ。男性はタイへ行き、その若い妻と暮らしているという。チェンライはタイ北部の美人が多いので有名な地方である。そこからの女性は古風で日本男性によく仕えるので日本人男性がとても喜ぶのだそうである。(私はそんな結婚が幸せなのか理解できない。体よく若い女性をセックスつきのメイドでお金を払わなくて良い妻という事にしたのではないかとかんぐってしまう。日本の戸籍に入れた正式な結婚かどうかだって分かったものでない。)

私にはいかがわしいとしか思えない。その上、今朝、彼はうちによって、深谷市の大きな農家の長男が遊び人で、嫁でも迎えれば仕事をするようになるだろうという親にタイの女性の写真を持っていったという。私は恥ずかしく思う。日本人の素晴らしい方をタイの女性に紹介するならば私も納得するが、遊び人をタイの若い女性に紹介するなんて国辱ものだ。日本人はお金があるから、妻だって外国から輸入できる。貧乏なタイの女性を金で釣るようなことも実際は可能だろう。でも、私はそれは結婚という名の人身売買としか思えない。このすすむ会の会員はなんとも思わないで、それどころか人助けをしているつもりだろうが、志が低い。孫のような女性で日本語もできない人とどんな結婚生活が出来るのか。遊び人の日本の男がタイの従順な女性と結婚して本当に真面目な夫になる保証はどこにあるのか。

10年ほど前、私の友達がタイに行き、売買春の実情を調べに行った。その時、チェンライでいかがわしいNPOがたくさんいるという話をしていた。そのうちに日本人もいるという事だった。やめてもらう会員は80歳だ。いい年した男が人身売買まがいのことをボランティアだと言いふらし、「日タイ友好の会」などと勝手な会の名前で人身をたぶらかしているのを私は許せない。というわけで、彼には「高橋ブラクソン久美子とすすむ会」の会員をやめてもらう。もし、どこかでタイの結婚斡旋のようなことを言いながら、私の名前を持ち出す人がいたら、その方とは一切関係がないことをここで明言しておく。
13日(日) 今日は午前中に礼拝。午後は少しゆっくり出来たが、冷蔵庫に食料がなくて急いで買い物に出かけた。夕方、4時半からは消防団の結成式後の懇親会に行った。

帰ってきて食事を作り、ホッとしたら疲れが出てしまった。毎日毎日総会やらミーティングやらが続く。
12日(土) 今日は朝「ぶどうの会」総会に出席。3年目に入るとのことであったが、事業の急な発展には目を見張る。きっと頑張っているのだろう。昼食をいただいて帰ってきた。

午後は聖望学園のPTA準備会があった。夕方帰ってきて、出来れば国際交流協会の懇親会に出たかったが、時間が足りなかった。夕ご飯を作り食べ終え、ホッとしていると電話がかかってきた。打ち合わせに行くのを忘れていた。8時過ぎに入間市まで飛んでいった。帰ってきたら今日も午前様でした。ふ〜〜〜〜。
11日(金)
60200カウント
今日は朝から娘の病院に付き合った。血液検査して会計したら1時半になった。病院にいくのは全く1日仕事だ。

その後急いで役所に行き、特殊学級などの特別支援教育について話を聞いた。役所のいくつかの部によって帰ってきたら、もうご飯を作る時間。

急いでタコスを作り、7時にバーーミアンに出かけた。西中野球の母の会の飲み会。楽しく飲んで帰ってきたらちょうど今日の終わりだった。気心の知れた友達は、市議会議員ではなくいつもの友達というか母親同士でいられるのでとても気が楽である。途中で知らない人に挨拶された。身体の中で市議会議員にスイッチが入ってしまって、飲み会の雰囲気に戻るのが大変だった。ふ〜〜〜。
10日(木)
60100カウント
今日は3期目始めての議会があった。第1回臨時議会。正副議長を決めたり、常任委員会の委員を決めたりとかなり忙しい。大抵は夜までずれ込んだりするのだが、今回はすんなり決まった。今までの経験では5時前に臨時議会が終わるなんて事はなかったのである。議長は吉沢さん、副議長は伊藤さんになった。後の委員も委員長も若い人たち(1期目、2期目)の人たちが頑張ってくれるようである。

始めに渡されていた委員会のメンバーとは大幅に違っていたのは、議長などを決めるにあたりさまざまな配慮があったせいだと思う。私は建設委員会に属したが、メンバーは1期目の町田さんが武藤さんの変わりにはいり、吉沢さんがいなくなったという事で他のメンバーは変わっていない。新鮮さがないといえばないかなあ。でも、その分経験豊富な議員だからきちんと審査も出来るという事であろう。

先決議案が出された。私は調べていったように質問をした。市民が知るべきサービス、特に新しいサービスについてはきちんと執行部から説明をしてもらうような質問である。隣の席に新人さんがいて、「狭山市議会はチェック機能が全然ない」などと機関紙に書いていたから、彼がどんなチェックを入れるのか楽しみにしていたが、今回は全く発言しなかった。この市議会議員には、今後期待したいものである。どんな風にチェック機能を働かせるのだろう。まさか、自分が市議会議員でいるのに、自分の機関紙に「狭山市議会はチェック機能が全然ない」とは言えまい。でも、はっきり言って、黙っていたらチェックは出来ないのである。さて、彼の今後は如何に・・・・・まあ、彼が黙っていたとしても他の議員が頑張れば、狭山市は夕張のような状態にはならないだろうけれどね。

帰ってきて夕食を作って食べた。臨時議会の夜なのにこんなにリラックスしていてよいのだろうかと思ってしまう。
9日(水) 今日は朝郵便局へ、役所へ行った。帰ってきてから、事務所の整理をスタッフとした。古い書類をたくさんリサイクルへまわした。私は「ぶどうの会」の会員で、ぶどうの会では古新聞をリサイクルして経費に当てている。

夕食時に娘の状態がちっとも回復していないのに驚いた。そして、棒で殴られるように医者が言った言葉を思い出した。もしかして、難病?それからずっとコンピューターでその病気を調べた。血液検査を金曜日にお願いするしかないと思った。本当は国立病院で6月にしてもらえばよいと思ったが、イッコクも早い検査が必要に思われる。

時々、人生が辛くなる。夫は泣き言を一つも言わないけれど、私はだめだな〜〜。娘だってかわいそうである。知的障害者で癲癇もちで、その上難病を患うとしたら、3重苦だよ。私もどう彼女を面倒見たらよいだろうと途方にくれてしまう。とにかく、重症でないことだけを願っている。血液検査の結果をみなくとも、彼女はその病気を一生患うことになるような気がする。暗い思いがいっぱいである。だからと言って、明日はやってきて、ご飯をきちんと食べさせて学校に行かせるのだなあ。

難病は原因がわからないのだから、生活上の注意も良くわからない。疲れさせないようにすればよいのだろうが、16歳の少女に運動もするなというのは可愛そうである。プールも今年は入れないかもしれない。早く医者に行って診断してもらおう。そうでもないと何をしてよいか分からない。すぐ将来のことを考えてしまう。でも、とにかく今日は足元だけを見ていよう。何べん、こんな風に思っただろうか。いやいや、明日の心配は明日することにしよう。聖書にそう書いてあるのだから。
8日(火) 今日は朝10時から「狭山手をつなぐ親の会」の総会があった。私はパステルの運営委員長であったので、平成18年度の事業報告と決算報告を行った。今後のパステルの運営が順調であること、そこで働く障害者の方々が幸せであること、一人でも多くの障害者の働き場になるように努めるように期待している。私は、パステルに入れあげ過ぎていると市民からの苦情もあり、実際時間的にパステル運営委員長をしていると市議会議員としての活動にも支障が出てきたので、1年で降りさせていただいた。

しかし、一度乗った船を降りるのは難しい。今だって、心からパステルの前途を応援している。また、親の会を辞めるわけではないので、他の形で障害者が幸せに暮らせる街づくりに奉仕して行きたいと思っている。私が「係わります」という時はずぶずぶに係わる。だから、きっと何かを動かす手助けが出来ると思っている。

お昼はパステルに新しいメニューを食べに行った。ところが、私が座ろうとしたらどっとお客さんが入ってきて、食べる暇をなく、結局お手伝いをする羽目になった。1時にミーティングがあるのにと思っても、人が途絶えなくて出前まで手伝ってしまった。ごめんね、福祉課長。結局、10分も待たせてしまった。

その後、市民税課長、資産税課長とヒアリング。質問を確認した。その後、下水道会計について、ちょっと下水道部長と話しをした。不明水については今回は議会で質問せず、決算の時にじっくり検討することにした。しかし、不明水がちょっと多いのが気になる。2千万円が足りなかったので補正をするのだが、この補正は気持ちが良くない。有水率が90%を割ったというのが嫌なのであるが・・・・

そして、西口関係のことを聞きに街づくり部長のところへ。明拠にした補償金をいつまでに支払うことができ、その後どのように建設に至るかという点が知りたかった。このことは議会で明らかにされるであろう。きっと。

帰ってきたら4時半近く、急いで娘を車に乗せて病院へ。演説で言い続けたように、本当に私は生活者である。ママを止められない。やっと病院から帰ってきたら、もう6時近く。急いでヤオコーに行って、手巻き寿司の具を買ってきた。は〜〜〜。忙しい。
7日(月)
60000カウント
今日はお仕事始め。4期目の臨時議会が10日にある。先週、議案書が来た。今日は議案書の勉強会をした。いくつか市民にとって有益な情報があるので質問しようと思う。とにかく、あまりにも老人健康保険がかかって驚いてしまう。全くね。

午前9時から初めて、ヒアリングが終わったのはお昼をはさんで2時過ぎだった。急いで養護学校へ行った。2者面談だった。帰ってきて、あれこれしていたらあっという間に6時になり、夕食を作る時間。子どもも学校から帰ってきていて久しぶりに息子とご飯を食べた。

早々、5月の連休は別荘に行っていた。のんびりした。息子たちは家にいた。私は夫と娘とともに佐久の別荘で過ごした。スタッフが遊びに来てバーベキューをしたり、カードをしたりして遊んだ。5日には直江津の両親のところに行き、当選を報告した。二人とも喜んでいてくれて嬉しかった。

帰ってきて驚くのは、メールの多さである。メーリングリストに入っているのと、メールマガジンなどが届いているのですごい量になる。それだけでなく、郵便も多い。1週間もお休みすると溜まるわねえ。

現在メールがあった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野

私のメールアドレスは
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