私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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6月 私の独り言
30日(土) 市川房枝政治参画センターのセミナーが開かれた。全国から議員だけで34人ほど集まった。一年ぶりぐらいで久しぶりの顔顔。本当は交流会に出るのを辞めるつもりだったが、あまりに久しぶりで最後まで残ってしまった。その後も特に親しい人とコーヒーをして帰ってきた。11時近かった。

各議員から選挙報告があったのだけれど、全国では女性立候補者が減ったが、女性議員の割合はうなぎのぼりだそうだ。政党に所属している議員が増え、無所属は8ポイントも数字を落としたそうである。それを受けて、東京都下の議員からは地方議会の政党かが進んでいるという報告が出、私もそれと同じ意見を言った。その受け、今まで立候補者を育てようとしてきた市民団体が次々に高齢そのほかの理由で組織を解体している。今後の女性議員の増加はひとえに政党の努力に掛かってくるのかと心配である。
29日(金) 今日、スタッフは議会レポートを新聞折込してもらうために配達所まで持っていった。私はネットニュースの原稿書き。なかなか進まなくて・・・・

とにかく、電話がじゃんじゃんかかり、こちらからもかけというわけで、原稿書きをする暇がなかったのであった。
28日(木)
62100カウント
今日は本格的に朝から原稿を書いた。2面は昨日苦闘しながら、電話を掛け続けて間違いのないように心がけて記事にした。今日は、自分の一般質問と、議案質疑を3面に書いた。なんべんも書き直し、遂行し原稿にしていく。スタッフがいて、締め切り日に怒涛のように原稿を仕上げている。結局、わたしはこうなのよ。余裕で原稿を上げることなんか無理なんだなあ。

午後中かかって印刷は終わったようである。良かった。私は議会レポートはホームページに載せていない。どうか読みたい人は会員になってください。一年間千円です。ネットニュースもつきますからお得です。スタッフの人件費や事務所費もろもろを考えると千円というのはお安いんですよ。内容も充実してますし・・・何しろ議会にずうっといる私が主筆ですもの、おほん。
27日(水) 今日は朝から「狭山子どもを育てる親の会」の施設見学会にでかけた。大樹の作業所、グループホーム、大樹の森(入所施設)を見学した。自分の子どもの場所をを考えながら見た。グループホームに彼女は入る事が出来ればよいなあと思った。グループホームは新しい施設で少し寂しく見えた。大樹の施設はどれをみても寂しく見える。温かみを感じた北海道の伊達市のグループホームは民家を使っていた。私は少し猥雑さはあるかもしれないが、民家を使ったグループホームがよいなあと思った。

午後は急いで帰ってきて、原稿書き。原稿直し。スタッフは印刷を始めた。
26日(火) 今日は朝から議会レポートの原稿をせっせと書いた。1面を作り上げ、2面に取り掛かっている。スタッフと内容について話しをしながら行っているが、朝日新聞の記事になった事をどう取り扱うかが焦点である。でも、取り扱わないわけにはいくまい。

2時過ぎから教育委員会会議に出かけた。さまざまな報告がなされ、聞いていて狭山市の教育行政がどのように執行されているかがぼんやりながら見えてくる。奨学金、補助金関係のことが出ていて、もっと突っ込んだ話しが聞けたらよかったのにと思った。統合関係の地域での話し合いが始まっているようだ。傍聴に行こう。
25日(月) 今日は朝から子どもを起こして、実習に行かせ、学校に行かせ、大学に行かせ、夫を仕事に送り、忙しい。

原稿の2枚目に挑戦した。書類が見当たらなくて、午後遅くに役所に行った。それで、ヤオコーに行って帰ってきたら、6時過ぎだった。それからご飯をつくり、親子で食べた。これから原稿を書こうと思う。書けるかなあ。
24日(日) 今日は朝礼拝。午後は、娘が明日から実習なので自転車で実習先まで道を教えに行った。自転車で20分ぐらい掛かった。

夕食後、サピオに出かけた。先週は21日に夫と二人して出かけた。今日はスタッフの一人が娘と来ていた。うっすらと汗をかいて気持ちが良かった。大抵1時間ぐらいしか運動しない。運動をしすぎると腰が痛くなったりするので、あまり運動しない。

夜中に原稿を1枚書いた。
23日(土) 今日はゆっくり起きた。息子が昨日足を滑らして捻挫したようで、整形外科に連れて行かなければならなかった。娘は内科によく連れて行くが、整形外科に連れて行くことはない。男の子はどうしてこうだろう・・・・

午後は日暮里でフェミニスト議員連盟の総会に出席。あまりにも出席者が少なくて、驚くやらがっかりするやら。

夕方、交流会と称してビールで乾杯をして帰ってきた。代表が荒川区の区議会議員で、日暮里の駅から5分のところに事務所を構えている。そこで交流会をした。たった駅から5分でも下町の風情があり、路地には草花を植えたプランター(昔は植木といったかもしれないけれど)が軒下にあったりした。道がきれいに掃除がしてあり、細い路地でも住民の心意気が感じられた。「日暮里は田舎だから」と代表が言っていたが、神田も田舎、ここも田舎と言い出したら、日本全国どこも田舎だらけである。初めて日暮里を歩いてみたが、東京は本当に広いなあと思う。下町散策をしてみたいと思った。
22日(金) 今日は、本当は議会レポートの原稿を書いているところであった・・・でも、やったことは、息子たちの部屋のクローゼットを片付けて、ヒーターを締まったことなどだった。ジムは今日はお休みで、うちでなにやらしていたから、私は落ち着かなかった。お昼を作って、夫婦で食べたが、あっという間に2時。

少し休んで、聖望学園のコンサートバンドの定期演奏会に出かけた。夫は早くに出かけて駐車場係をした。息子がアメリカンフットボールに転部したので、音楽部の育成会は今回で私達も退部。寂しいけれど、仕方がない。今回のコンサートはジャズが少なくてちょっとがっかり。どうもビッグバンドで、カウントベーシーとかのスウィングを聞きたくなってしまう。アイリッシュダンスはきちんとしていたけれど、ところどころ音色が今一でした。

帰りがけに息子の幼稚園時代の友達にあった。開成高校へご進学とのこと。もう一人、幼稚園時代の友達もそうだそうで、皆さん本当に優秀でいらっしゃる。は〜〜〜。
21日(木)
61800カウント
今日は6月議会最終日であった。田中さんのファックスがおとといきた。まさに何回もNさんから陳情があって、議会で無視した案件であった。最近朝日新聞がそれについて、全くNさんの主張に沿った記事を書いている。この朝日新聞の記者は4月から変わった人らしく、4月までの記者だったら記事も変わったものになっていただろう。Nさんの経緯もわかっており、こんな書きようはしなかっただろうと思う。他の新聞が追従しない意味が彼にわかっているのだろうか。

1昨年、大島さん事件があり、大島さんのパーフォーマンスにだまされた新聞がとんでもない誤報を流したことが契機となり、調査特別委員会が設置されるという事態が起こった。このたびの田中さんの一般質問の件では、それと同じようになりはしないかと恐れている。なぜなら、今日の全員協議会での執行部による説明では、田中さんの言っていた公文書偽造、私文書偽造になんら根拠はないという弁護士の説明がなされ、脱税教唆に関しても当然与えられる控除を教えただけ、なぜ市に土地を登記したかといえば、生産緑地の買戻しを開発公社には出来ないと思い込んだ職員が開発公社名義ではなくて、市に登記したという事であった。

あんなおどろおどろしい偽造、脱税教唆などはすべて田中さんの思い込みだったという結果であった。自分はまだ疑惑を信じているというが、他の議員にとって何が疑惑か分からない。説明を聞けば聞くほどどこにも疑惑が見当たらない。10年ほど前にミスがあったのは明らかになったが、だから何?登記をしなおせばよいことである。

それをどうしてあんなにセンセーショナルな文言で質問などをするのだろう。また、今日は議長に言ってきたが、あんなに不穏当な(すなわち間違っている)発言をなぜ許しているのかという議会運営が理解できない。きちんと糾すべきではないか。一応、議長、副議長には申し入れてきた。

私はことば狩りをしようというのではない。でも、あまりにも無遠慮で事実関係もきちんとしていない状況で、断定的に、人をあおるような発言は許されていいのだろうかという事である。人が何を思おうが、何を発言しても構わないという自由社会であるが、だからこそ自重が必要なのだろう。議会はことばがいのちである。衆議院議員夫人から市が高い値段で土地を買ったのではないかという発言をしているが、これは事実ではなかった。言い値の方が評定価格よりも安かったので、言い値で買ったのだそうである。言い値で買ったのが悪いという論調で発言があったのだが、名誉毀損で議会や議員が訴えられても仕方がないだろう。どういうつもりで発言を撤回させなかったのか理解不能である。申し入れたのになあ。

朝日新聞が心配である。退路を作りながら記事を書いているのだろうか。田中さんの背後にNさんがいて、このことの裏があることを記者は分かっていながら書いていないとしたならば、あまりにもナイーブではないか。そこらへんについて、先輩記者から何も言われていないのだろうか。他の新聞社が取り上げない理由を彼はどう思っているのだろうか。また、その裏については、死んだ前市長とNさんの胸にあるのかもしれないが、裏なんかに何があるかを詮索するのが議員の仕事ではない。私達議員は表をしっかり理由付けが出来ればよいわけである。違法でなかったら、説明がつくことに対して、議会はどうにもできない。

田中さんとNさんのこの騒ぎは狭山市の評判を落としめ、市民が狭山市に嫌気を起させて政治に無関心にさせるだけではないかと危惧している。Nさんは服役までしたのだから、うらみ骨髄という気持ちがあっても分かる気がするが、田中さんは何を目的でこんなことをしているのか分からない。選挙がらみなのだろうが、こんな嘘まがいな発言をする議員に応援されて候補者は嬉しいのだろうか。また、こういう議員に応援されて市長になったとしたら、どんな市長になるのかと頭を抱える。

仲川さんは几帳面な方であり、時には議会でことばが本当に足りないと思う。勿論仲川さんには評価できる面も出来ない面もあるけれど、汚いまねはしていないようである。それを、あたかも汚い政治家のような印象をあたえる戦術で市長選まで行くとしたら、私は嫌だなあとつくづく思う。いつも言うけれど、選挙の戦い方が後の政治家のありようを決めるのである。汚いやり方はやめてほしいと願う。
20日(水) 今日は朝から事務所の人とミーティングだったが、世間話で3時半ごろまで話し込んでしまった。結局、夫婦とは何だという事である。パートナーに何を望むか、パートナーに何をしてあげるか、人生をともにする覚悟があるかという事。私の場合、ジムさんがいなければ生活がとても不便である。ただ、ジムが隣のベッドで寝ていてくれるだけでも私にとって、彼の存在がありがたい。ジムが出張でいない時があるが、本当に心細い。

聖書の結婚の誓約に、汝、富める時もまずし時も、元気の時も病気の時も夫を愛しますか。という下りがあって、私達は神に誓約して結婚した。相手が誠実でない時、離婚をしてもよいことになっている。夫は妻をである。夫が不貞をはたらいたら、妻から離婚をいえるのか。聖書には何も書いていない。でも、神の前には男も女もないという聖句もあるから、きっと妻からも離婚を言えることになる。

聖書では妻は主に従うように夫に従いなさいと言います。夫はキリストが教会を愛したように、教会のためにご自身を捧げたように妻を愛しなさいといいます。でも、本当にこれは難しくて、信仰を固く持ってもなかなか出来ないハードルです。でも、そうしようと思って結婚したのとしないのとでは全然違うように思います。

今の人たちに愛して結婚するようにと言っています。愛って何だろうと思いながら、思いやっていることが必要なんじゃないかと思います。自分の思いに振り回されたり、振舞わしたりするのではなく、相手を思って一緒に生きることが結婚生活じゃないかと思います。愛についてのスピーチを結婚の時にさせていただく機会があれば、私は心を込めて夫婦の愛について語ろうと思います。
19日(火) 今日は朝からまた議会レポートを書こうとしたが、いつものようにくだらない本を読み、片付けたりした。電話もじゃんじゃんかかってきた。家にいることが少ないので、いれば電話がかかってくるのである。

午後は夕方ヤオコーとマルエツで街頭演説をした。途中で電池が切れ始めてよく聞こえないので、メガフォンをなおしたりした。だから帰ってきたら、7時半になってしまった。最近は七時まで明るくなっている。
18日(月)
61600カウント
今日は朝から議会レポートを書こうとした。原稿を書こうと思う時には、まずくだらない本を読みたくなる。その上、片付けたくなる。その上、役所に行って、視察の予定をお願いしたりした。結局、7月6,7,8日に青森、北秋田に行くことにした。

帰りにJCBによって、飛行機の予約と電車の予約をしてきた。という事で、原稿をかけないで終わった。は〜〜
17日(日) 今日は朝礼拝。聖書についてであった。聖書の歴史など勉強になった。小さな教会はバイブルスタディのような趣がある。

午後は、本当にゆっくりした。何にもしないでボーとしていた。することはたくさんあるけれど、何もしたくなかった。明日からまた、議会レポートの原稿書きが待っている。あ〜〜〜
16日(土) 聖望学園の学年委員会。はばたき弁当を取ったが、やはり弁当は弁当箱で決まる。少し、ご馳走が少なく感じた。弁当箱の性かもしれない。叔母ちゃん向きの弁当でおいしかったけど・・・

あれやこれやで帰ってきたら5時半だった。疲れて今日はラーメンを食べに出かけた。
15日(金) 今日は委員会の審査の続き。午前中で審査を終わり、裁決までした。午後は、議会便りの原稿を書いたり、視察の打ち合わせをしたりした。あっという間に、5時になった。

夕方、夕ご飯の支度を早くに終えて、サピオに出かけた。
14日(木)
61500カウント
今日は、委員会審査。朝はたくさんある道路認定箇所の視察。その後、昼食をはさんで審査。結局終わらず、明日また続行となる。とにかく、資料がきちんとないので審査しにくい。それに、開発の場合、開発チェックが道路の認定でようやく出来る。市議会議員はどこを見て道路を認定したんだといわれないようにきちんと審査するべきなのだ。それにはきちんとした資料がいる。資料がずさんで撤回するようでは、審査が出来ない。

近隣の開発規則を調べなければならないと思う。3000平米以上になると規則が厳しくなるので、2900平米台で開発をやめる。けれど、その隣接地がまた同じ地権者の場合、開発が続くとしか考えられない。要するに規則逃れでこんなことが起きる。嘆かわしいけど、何が出来るだろう。

午後からは、お茶を飲む機会が1回あっただけだった。最後は頭も回らなくなってしまった。ほ〜〜〜
13日(水)
61400カウント
今日は一般質問3日目。議会が変わったのを感じた日。8年前の議長は吉沢さんだった。彼はこれ見よがしに、かなり理不尽に、執拗に私の発言を削除を求めてばかりいた。何べん休憩を取って、意地悪めいたことをされたものだろう。それが、今は嘘のようだ。今回の田中さんの発言には聞きようによっては穏やかならぬ発言が何べんも続いた。ききようによっては、代議士婦人の土地を市が高額で買い取ったかのようにも聞こえる発言だった。

吉沢さんにはいろいろな思惑があったのかもしれないが、すべての発言が何のチェックもなくスルーした。サニープレスに何かを書かれるのが嫌だったのかなあ。あれがすべてOKだったら、今後は好きなことがいえるという事になる。今後私が同じような発言をしてもOKなんだわね。

中川浩さんが答弁漏れがあったと休憩を入れた。答弁漏れというが、結局市長の答弁は部長と同じだった。部長が答えたんだったら、答弁漏れにはならないだろうと思いながら聞いた。私も自分の質問に答弁漏れがあると思ったら、休憩してもらい答弁漏れをしっかり正すことにしよう。今後、これはルールとして確立されるのだろう。いつか哲ちゃんがしたときには、議会で却下したことだったのにね。自分の好きな答弁が出るまで、休憩させるのはおかしいことなのに・・・・
12日(火)
今日は私の一般質問の日。なんだか、緊張していた。原稿を読むのが下手で、分かってもらえただろうか。答弁も、分かったような分からないようなへんな答弁。一歩前進はどこだろう。

今の市長は何を考えているのだろうかと思う。ただひとりの西口整備事業推進の立場の方。好き嫌いはともかくとして、いろいろ助け舟を出してあげているのに、その意味すら分かっていないのだろうね。休憩中に私のことを揶揄していた。私は、彼の顔を見てしまった。確かに私は市民のために質問していて、彼のために質問はしていないが、私が彼ならば私の質問をうまく自分の政策展開の宣伝にするのだけれど。

時々、市長は素直な方なのか、分からんチンなのか分からなくなる。政治的な人でないことだけは確かだ。良い人だという評判なのだが、市長って良い人でだけいいのかなあ。なんだかなあ。一般質問後のいつもの欝でうっとうしい・・・・

夜、ご飯を食べてからサピオのジムに行った。うっすら汗をかいて気持ちよかった。
11日(月)
61300カウント
今日は、一般質問1日目。ヒアリングの内容を考えながら、空しくなった。何言っても結局分からない教育委員会。本当は何にもしたくない選挙管理委員会。だんだんどうでも良くなっていく。あれだけの視察、あれだけの調査の意味を考えると、本当に空しい。
10日(日) 今日は、朝少しゆっくりした。というのは、珍しく礼拝に行かなかったからである。雨が降っていたけれど、夫は屋根に掛かった枝おろしを始めたので、手伝った。私も玄関の前の樫の木の枝を切った。もう少しすると、樫の木には蜂が来て切ることも出来なくなるので、さっさと切った。自然はすごい。木の成長や草の成長に人間は負けてしまう。多勢に無勢ですからね、山では。

午後遅くに山の家を出て、おいしいスパゲティを食べた後に、軽井沢に出かけた。白糸の滝を姪にみせ、旧軽井沢のショッピングモールに行ったが、遅すぎてみるもの、買うものなし。ついで、プリンスホテルのショッピングモールに行こうとしたが、7時に閉店なのに6時55分だった。という事で、ショッピングはなし。急いで、帰ってきた。8時半過ぎには家に着いた。
9日(土) 午前中に髪を染めに行った。今度は黒く染めた。その後、急いで双柳グランドに息子のアメフト部の保護者会に夫といった。楽しい保護者会になりそうである。嬉しい。

昼ごはんを食べた後に、佐久に出かけた。そばを夕食に食べた。これはジャパニーズファーストフードだといって急いで食べさせた。せっかくのそばが延びてはおいしくないからね。古本屋により、ジャスコによって山の家に着いた。遅くなったので、本を読みながら少しゆっくりした。
8日(金)
61200カウント
今日は朝議会。勉強していたことを結局質問した。議会は質問もなく終わるというのでは、ケーブルテレビを含めて議会に注目している人に申し訳ない。報酬をもらう限り、議会での質問は議員の責務だと私は思っている。

午後、帰ってきてから息子の運動会へ。綱引きの様子を見に行った。楽しそうに運動会をしていた。

夕ご飯後、いろんな民族の会のサルサの練習に出かけた。もっともっと運動が必要だと思った。
7日(木) 今日は朝から原稿書き。お昼に休んで、姪を連れてパステルでお昼を食べた。役所に書類を取りに帰り、見つからずそのまま帰り、また原稿書き。5時過ぎに第1稿を掻き揚げた。いつものとおり、尻つぼみである。
6日(水)
61100カウント
今日は、議会初日。ある会派が解散してしまったので、それの混乱が尾を引いて議会が始まる時間が遅くなった。今後もこのための調整が進んでいくことだろう。烏合離散は政治の常。国会もそうであるし、仕方がない。

午後はヒヤリング。4時からは娘の職場実習のところに顔出しに行った。私も娘もとても緊張した。うまく行きますように。
5日(火) 今日は朝娘の職場実習の説明会が行われた。18歳になったら娘を仕事をして社会に出すことを目標に育てている。彼女は障害があるが、あっても自分で食べていく、自立するのは他の子どもたちと同じように当たり前だ。ただし、彼女にはたくさん支援がいるけれど。

午後は、入間川小学校を視察した。教育はソフトだというけれど、ハードがソフトを支えているなあと思う。ありきたりな学校設備と整備された学校では授業の仕方が変わらざるを得ない。学区の自由化を言えば、入間川小学校には大挙水富地区からの入学者が増えるようになると思う。まあ、クラスがあまり始めているようだから、そうしてもよいかもしれない。広瀬小学校は満杯に近くなっているからね。さもなければ、学報保育室を入間川小学校にもう1教室分増やしてもよいような気もする。

特別支援教室の視察の最終日。いろいろな学校を見たが、特殊学級のときと特別支援学級になっての支援の違いが良くわからない。よく出来ましたというのは、個別教育課程が各人分出来ていたことである。しかし、内容についてはきちんと精査するべきだろう。たとえば、指摘したことだが、100までの数を言えるようにしようという2年生の男子に、時間着席を求めるという事があった。時計が分かる子どもだったら、時計に注目させる訓練をすればよいことだ。時計が分かる子供で時間着席を求めるとしたら、少なくともトイレ、廊下に時計を置かなければ、時計に注目できない。教室だけにいるわけでないからである。それに、一時間目、2時間目と同じ時間からスタートではないから(一時間目は8時45分、2時間目は9時半からというように)、とても障害者にとってとても混乱がある目標なのである。障害のある子どもにとって、指示されたらすぐ着席の方が、チャイムがなったらすぐに着席の方がやりやすい。

私は指導者でないので、各学校のそれぞれの先生の教育課程の内容を吟味はしていない。やはり教員内で、忌憚なくケーススタディとして話し合う必要があるだろうと思う。また、個人指導計画であるならば親との話し合いが必須だと思うが、どのくらい話し合いが出来ているだろうか。

ところで、新狭山小学校のように、ある年2クラス分も教室を作らなければならなくなるというのがある。頑張って教室を改善した。改修した。他のところもそんなところがあった。こんなにクラスが増えたり減ったりでは教育委員会は大変だろうと思う。特別支援教室は他の教室と違う設備もいる。黒板と教員がいればよいわけでないので、施設を整える時にはその点よくよく考えてもらいたい。それに、学校のバリアフリーは狭山市は今一どころではなく、もっともっと推進すべきところに思えた。特に、肢体不自由な子どものいる学校へもっと思いやりがあることが出来たらよいなあと願った。
4日(月)
61000カウント
午前中に市民税の勉強会をした。新人の三浦さんも誘って勉強をした。余計なおせわかもしれないが、彼は新人であるし、議案の勉強の仕方を教えてあげたかったのだ。他の会派ではきちんと勉強しているだろうが、無所属では自分から動かなければ何も情報は入ってこない。そういう事もあり、無所属の新人の三浦さんに少し頑張ってもらいたいと思うのである。私が指南役をする必要もないのは分かっているけれど、若い人に期待してもよいだろうと思う。

午後は娘を連れて萩山の病院へ。血沈検査などで時間が掛かり、薬をもらって帰ってきたら、なんと六時半。夕ご飯は昨日の残りに手を入れておしまい。原稿を書こう。
3日(日) 午前中は礼拝。午後は帰ってきて原稿書き。すすまないなあ。夕食をつくったのちも原稿書き。進まない。
2日(土) 今日は朝から忙しかった。息子は学校があるし、娘は運動会。おにぎりを作ってから、少し遅れて運動会に出かけた。県立の養護学校だから、入間市、狭山市の県議会議員の先生たちがお出ましになっていた。すこし、西武線沿線、特に稲荷山公園の保留地あたりに高等養護学校の設立の運動をしたいという陳情をした。回り中が知った人ばかりだから、あっちで話をし、こっちで話しを市という具合。市議会議員としてというよりもお友達だからあれこれ話しをするという感じである。

お昼を養護学校で食べてから、市民会館へ。西谷さんのイラク報告を聞いた。良かったなあ。いろいろ考えるところがあった。

西谷さんのイラク報告を聞いて2007年6月2日

イラクの現状をフリージャーナリストの西谷文和さん殻聞きました。現状のイラクはあまりにも悲惨でマスメディア、特に商業メディアには載ることがありません。

はっきり言って、私も西谷さんが取ったDVDのすべてを直視出来ませんでした。特に子どもが泣き喚いているシーンや、劣化ウラン弾の影響で癌になりからだが変形してしまったシーンは母として辛かった。

毎年、「平和を願う市民の会」は平和についての、実は戦争についてのイベントを続けています。劣化ウラン弾の子どもへの影響は何年か前に取り上げて、パネル展示を中央公民館で行いました。昨年は、高遠菜穂子さんの後援会、今年は西谷さんの講演会でした。

今回のイラク報告会には30人近い方々がいらっしゃいました。出席者とお話しする機会がなかったのは残念でしたが、狭山市以外の方々がメディアに載せたアドをみてお越しくださいました。私達会員以外に誰も来なかったらどうしようと心配でしたが、まあまあの入りとしましょう。

私は、あまりにもイラクのひどい状況を見て何が出来るか考え込んでしまいました。昨年のスライドも、今年のスライドも女性、男性の視点は違うけれど悲惨さや嘆きは伝わってきます。私はこれを知っているのに、何をしているんだろうというわけです。確かに、テレビで見れない事実を皆さんに知ってもらう橋渡しをし続けてはいますけれど、それで良いのか。

一年に一度、プラカードを掲げて、イラクからのアメリカ軍の撤廃を主張してみようかなどと考えました。どうしよう。

戦争はなくならないかもしれない。でも、やはり戦争では何も変わらないし、戦争は憎しみの連鎖だけを残す。このことを言い続ける義務だけは、果たさなければならないとおもうのだ。
1日(金)
60900カウント
今日は、娘が起き上がれないので石心会に電話をして診察してもらうことにした。病院にいってもまともに座っていられないぐらい“しおれて”いた。中央検査室のベッドで結局点滴をしてもらった。帰ってきたら、3時半。脱水症状だったのだろう。とにかく、悪い病気があるかどうかを月曜日に精神神経センターで見てもらうことになった。毎週、週末になると発熱しているのがとても心配である。でも、今はやりの“ハシカ”ではなさそうである。

帰ってきて、役所に出かけた。月曜日の約束を午後からキャンセルしなければならない。だから、その分の埋め合わせをしなければならなかった。結局役所を出たのは7時半過ぎていた。帰ってきたら、姪が夜にやってくるとのことで、大急ぎで夕食の支度をした。夜中まで姪を囲んで話し込んだ。とにかく、忙しい。原稿が書けないじゃない・・・・

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