私の独り言 2004年

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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7月 私の独り事
31日(火) 今日は朝少しゆっくりした。ワージントンの人たちが帰る日だなあと思いながら、ゆっくりした。お見送りに行かなかったが、きっと満足して帰ってくれたと思う。結局、午前中は家事をしたり、娘の行状についてお説教をしたりしていた。私は彼女の気持ちが全然分からない。私は男女のことについて晩熟だったので、彼女の積極性が理解できない。私は、女性が男性を追っかけるなんて見っとも無いと思うのだが、それはきっと保守的なんだろう。でも、私はプライドが高いので男を追っかけるなんて出来ません。その点、娘にはそんな気持ちはないらしく・・・・そこでお説教になるのだけれど、全然聞いていないのが分かるという事である。難しいなあ。

性教育は必要なのだが、もし赤ちゃんが出来ても育てられないのが彼女には分からない。私はもう母親をやれない。勿論、彼女が妊娠しているわけでも、男性といかがわしいことをしているわけでないのだが、デートなんてなると、私母親は心配しすぎるほど心配するわけである。私は高校時代のお友達は本が親友という感じだったので、真から彼女の気持ちが理解できない。野暮なのは分かっているけど、学生は学生らしく、なんて思うのだ。でも、彼女には本は読めないし、近くに友達はいないしでは、寂しすぎるのかな。

午後は、バレーを見に市民会館に行った。きれいだなあと思ってみた。でも、この年になると、不純もいいところで、あの男性は素敵だなあ、足が長いなあとか思いながら見ていた。バレリーナはすごい技術だった。それにしても、どうして男性はタイツを掃くのだろう。ふつうのズボンでは踊りにくいからななあ。でも、あのタイツ少しセクシーすぎない?それに、どうしてバレリーナはパンツ丸出しスタイルをするのかなあ。きれいだけれど、少しだらしない芸術だなあなんて思った。何しろ、午前中のお説教の後だから、芸術を見ても、道徳的(?!)チェックが湧き上がってくるのだ・・・・
30日(月) 昨晩遅くまでテレビをつけっぱなしにして、選挙の結果を見ていたので、眠い。けれど、息子は7時半までに学校に行き、エコツアーに参加するし、私は8時までに役所に行き、通訳しなければならない。忙しかった。

とにかく、アメリカ人さんたちをのせ、浅草に。浅草は外国人が一度はいきたいと思うところらしい。日本らしいものがたくさんあって、外人には目新しい。日本人の私達には全然面白くないけれどね。その後、昼食。バイキング方式。好きなものを好きなだけどうぞという事で、皆たくさん食べていた。たこ焼きを食べたり、鰻を食べたりしていたが、きゃあきゃあ言いながらも好奇心いっぱいの様子だった。

午後は、秋葉原に行き電気製品を見た。だれも多く買わなかったようである。高い。という。でも、今は日本円が安いからアメリカ人には日本製品がお買い得である。私は、よどばし電気のビルの近くの本屋で本を見ていた。電気製品は全然興味がなかったせいである。

夕方帰ってきた。本当は、アメリカ人の大人を夕食に連れて行くはずだったが、アメリカ人さんたちは疲れ果て、お腹もすかないとかでホテルに帰ることになった。レストランがキャンセル出来てよかった。アメリカ人さんたちもお仕着せのたびに疲れて少し自由がほしかったようである。焼き鳥を食べに行ったのだろうと思う。明日帰るのだが、楽しい思い出をたくさん持って帰ってほしいと願っている。

私は帰ってきて夕食を作ったが、やはり眠い。もう寝ます。
29日(日) 今日は午前中、礼拝。伝道の書から。新しい聖書では伝道の書とは言わず、コヘレトの言葉という。私は、ソロモンが書いたのだと思い込んでいたが、歴史的にはソロモンだけでなくソロモンの子孫がこれを書いた可能性があるのだそうである。へ〜〜だ。その中で今日のみ言葉で心に残ったことは、

 善人すぎるな、賢すぎるな
 どうして滅びてよかろう。 
 悪事をすごすな、おろか過ぎるな
 どうして時も来ないのに死んでよかろう。
 1つのことをつかむのはよいが
 ほかの事から手を離してはいけない。
 神を恐れうやまえば
 どちらも成し遂げることが出来る。

という聖句である。あまりにも意味が深い。私は、今アフガニスタンで捕らえられている韓国人を思い出した。それに、自分で2つのことは出来ないと思い込んでいたことがあるのだが、ほかの事から手を離してはいけないという事を少し大事にしたいと思った。神様を恐れ敬えば、どちらも成し遂げられるようだから。でも、どこから始めようかなあ。

午後は買い物に出かけた。サティーにいき、2枚ジャケットを買った。明日バスツアーで通訳をするが、エアコンディションの中にいると寒いし、外に出れば蒸し暑いし、なかなか調整が難しい。それで薄いジャケットを買ってきた。

夜中まで、選挙の結果を見ていた。驚くなかれ、8時を10分すぎたころから当選確実が次々に出た。早すぎない?まだ、開票も始まっていないだろうにと思う。今は出口調査の結果の精度が上がっている成果、間違いが少ない。本当にすごいなあ。民主党が勝った。分かっていたつもりだが、これほどまでの大勝とは思わなかった。本当に2大政党に集約していくのだろうか。
28日(土) 今日は、朝から夫と二人でまた西中に行き、バスケットボールの試合のお手伝いに出かけた。本当に楽しい試合で、真剣に頑張っているのが清清しく思える。それに、公立学校の多くの中学生が交流を楽しんでいるのは素敵だなあ。こんなチャンスをもっともっと作ってあげたいと思った。

試合の数が多くて、お昼をそれぞれが食べたけれど、中学生が一緒に食べられたら良かったなあと思った。勝つ負けは当然あったとしても、本当の目的は子どもたちの交流にあったのだから。でも、私のこんな思いなんかふっとばすように子どもたちはあちこちで交流をしていた。素敵なアメリカの男の子は日本の女子からイーメールアドレスのメモをたくさんもらっていた。

私は午後から飯能市に飛んで行き、障害福祉計画策定シンポジュームを聞きに行った。これも楽しいシンポジュームであった。親の会の母親が障害者福祉計画などには障害者当人への思いやりはあっても、障害者の親にもケアーが必要だと言う話しをしていた。私は非常に納得した。それにしても、飯能市のこの催しに脱帽した。狭山市はこんなことをしようとも思わなかったに違いない。なぜか。それは、狭山市が同じ計画を策定した時に強い市民との協働製作という思いがなかったからではないか。私はこのシンポを聞きながら、市の役人と市民とが信頼感を持って障害者福祉にあたろうとしている姿がはっきり見えた。良いなあ、この関係は。

夜は、今度は智光山にとって帰り、バーベキューパーティーで通訳をした。ホストファミリーの方々も来ていて、楽しく夕食を食べた。素敵な会話が弾んだ。良かったなと思う。平和って、こんなところから始まるに違いない。心の通い合うことから始まるに違いないと思う。
27日(金) 今日は、朝から狭山市立西中学校に行き、バスケットボールのワージントンと狭山市中学校の交流試合の通訳に行った。とても良い試合をしていた。ワージントンのコーチは交流試合と言えどもとても真剣に試合をさせた。皆楽しく真剣に試合した。狭山市の生徒も手加減なんかしないで勝った。良かったなあと思う。中学生たちはとても良い交流をしていた。

午後は、定例の全員協議会であった。防災訓練のこと、産業系の8号の4についての話があった。私は、市民部長に安否確認をする際に、安否の分からない人を正確にすることに注意するよう要望した。実際の災害では安否が分からない人を探さなければならないからである。実際に災害が起きれば、16万市民全員の安否確認が必要となるのだ。

午後疲れ切って帰ってきた。朝からのバスケットボールの疲れが出てしまった。午後から西中の体育館がとても暑くなったのだ。汗だくだくで水ばかり飲んでいたら、疲れた。
26日(木) 今日は、ワージントン訪問団の人を迎えに行く役目をおおせつかったので、8時半までに役所に行き、新狭山ホテルにつれに行った後、市役所を表敬訪問。市長、議長との対面。その後、東武サロンでホストファミリーとの対面式。私は、3本の通訳。あまりでしゃばらないようにしていた。(出来たかなあ)

お昼を食べた後に家に帰ってきた。報告書をと思ったが,頭が痛くて横になった。夕方まで寝たが頭の痛いのが取れない。運動不足だと思うが、頭が痛いのにジムに通う気にもなれず、うだうだしてしまった。

最近、あちこちで“これはオフレコですよ”という話をしがちだ。全部しゃべりたくてうずうずしてきた。悪い予感。
25日(水)
63300カウント
今日は朝から青森の方の報告書をと思ってはいた。でも、明日からワージントンの訪問団が来るので美容院へ行ってパーマを掛けた。その後、郵便局へ行き、保険料を納めたり、娘のキャンプの申込金を払ったりしてきた。どうして、これで一日が終わるかと思うぐらいだ。家事は今日からお手伝いさんも夏休みに入ったので自分たちでしなければならない。家がどんどん片付かなくなる。

夜、夕ご飯の支度を急いでしてから、入間公民館まで車を飛ばしていった。学校の統廃合の話し合いがあると思ったので傍聴するつもりだった。ところが、話し合いは昨日だったのだそうだ。スケジュール帳を見てみたら、やはり昨日。公民館の人に「お帰りは気をつけて」なんか言われて帰ってきた。チェ、全く・・・・最近どうも夜のミーティングをすっぽかしてしまう。悪い癖だ。

夜中から明日のワージントン訪問団のために翻訳を始めた。
24日(火) 今日は朝から気力総動員で研修報告を書き始めた。書きながら、資料を持ち出してきて読んだりしているから、結局お昼過ぎまで掛かった。夕方、役所に報告書を持って行った。少し、肩の荷が下りたが、まだ青森の報告書を書いていない。頑張らなければ。

役所の帰りに西口開発事務所によって、今後のことをうかがって帰ってきた。まあ、スケジュールどおりということのようだ。明日が補償金の支払日という事でなにか大変かなあと思ったが、事務所のほうはとても落ち着いていた。何しろ、よったのが5時だから所長には悪かったなあと思うが、市長は変わらなくて嬉しかったし、権利変換の具体的な事務手続きが進んでいるかと思うと嬉しくてその気持ちを誰かと分かち合いたかった。所長にはありがた迷惑だったかもしれないが、西口推進派の私は、少ない一歩でも進んでいくのが嬉しくて嬉しくて。

と、気分よく帰ってきた。
23日(月)
63200カウント
選挙から一夜が明けた。ホッとした気持ちが一番でだった。他の2人が市長になっていたら、今日当たり役所がてんやわんやの恐慌をきたしていただろう。もしかして、すごい粛清人事が画策されていただろうし、役職にある誰もが首を洗って待っていると言う感じだったろうね。特にあの方は性格がああだから、ひどいことになっていただろうと思う。誰だと思いますか、この方?

と言うわけで、ホッとして午後から障害者福祉計画の勉強会をした。障害者福祉課長、説明どうもありがとう。なんらやよく分からない計画である。そもそも、自立支援法が今一分からない。帰りに市民文化課に行って、26日からの通訳の件で話しをした。通訳すべき文章をもらって帰ってきた。
22日(日) 今日は市長選挙の投票日だった。朝から落ち着かなかった。午前中は礼拝に行った。決意を持って信仰・イエスを信じるという事が主題だったのだろう。ヨシュア記から。

午後は昨日電話がかかってきた伯父のところに顔を見せに行った。本を2冊持っていったら喜ばれた。良かった。

3時過ぎに帰ってきて、何もする気にならず、家事。息子と5時半ごろに投票に行った。投票率が悪いとのこと、地域の人で外であった人に投票を呼びかけた。だって、その時の水富の投票率はなんと27%だったのだ。悲しいじゃない?

夜、夕食後、映画を見に行った。開票までとても身が持たなかったのである。くだらない映画ではっきり言って苦笑しか出なかった。とにかく、時間を家以外で潰したかった。映画が終わってすぐに電話をかけたら、仲川さんの勝利が決まっていた。良かった。彼が市長になるのと、他の人が市長になるのとでは市の舵取りが全く違う。たとえ、票数がどうあろうとも仲川さんが市長になってよかったとホッとした。少なくとも狭山市駅西口はこのまま進んでいく。良かった。

北田さんの票が思っていたよりも伸びていた。選挙を厳しくしたように思う。仲川さんのビラ以上に北田、高部さんのビラが配られていた。最終日、昨日の新聞折込も北田、高部さんだけで仲川さんのは入っていなかった。勢いが見えなくて焦ってしまった。私が焦っても仕方ないが、高部さんのマニフェストを見た後では、行政を全く知らないこの人が市長になったらどんなに市政が混乱するだろうと心配になった。北田さんに関して言えば、市長になるとは全然思わなかった。まるで助役を解職された恨みを晴らすかのような立候補に思えてしまい、立候補自体が私には薄気味悪いものであった。

実際、仲川さんが勝利したが、反対派は次にはどんな手を打ってくるのだろう。西口は権利変換で補償金もすぐに出る状態である。受け取り拒否者の公告がなされているが、2人の遺産相続者だけであるようだ。これからは粛々と西口を再開発し、素敵な狭山を作って行こう。

でも、出来たらできたで、いやみったらしくああだこうだ批判ばかりするのだろうね。あ〜〜〜、梅雨の季節はうっとうしい。
21日(土) 今日は朝ゆっくりしたのち、娘に浴衣を着させて、養護学校のサマーカーニバルへ。楽しく模擬店を見て周り、パーフォーマンスを見学し、私は帰ってきた。サマーカーニバルは3時過ぎまで続いていた。昼食を食べ、食器を片付けて、あっと思ったら4時。急いで、仲川選対へ出かけた。皆頑張っていた。私は挨拶をして、中にいた人と話しをした。必勝は皆確信しているようであった。やや優位では困る。

候補の息子さん話しながら、時間を2時間間違っていたことに気がついた。それで急いで帰ってきた。娘と夫は教会へ。息子は疲れて寝ていた。そのうちに夫が帰ってきて、狭山グリーンハイツの納涼祭だと言う。やはり顔出しをしなければならないと思い、出かけた。おいしい焼きそばを買ってきた。時間を見るともう7時。急いで、また、選対へ。最後の気合を入れているところに行った。最後のお願いに候補者は車に乗って出かけた。自分が候補者の時と、人の選挙を見るのは多いに違う。また、市長選挙は大きいのでまたまた違う。選対の指揮者は誰だったのだろう。

彼の選対にいた人たちを見ると、私は多くの人を知っている。この世界に入ってもうじき10年。狭山市の多くの人を知ったものだ。誰がどこで何をしているかや、家の状況までは知らないまでも、政治のかかわりが少し見えてきた。あすの市長選は勝つだろうが、最後の最後まで気を緩めないことだと思っている。
20日(金) 今日は本当は報告を書こうと思っていた。でも、いつものとおり、まずどうしても片付けをし始めてしまった。片付くわけがないので、一日あっという間に終わった。

と言っても、午後から支援者や会員にスタッフと一緒に市長選挙の電話賭けをした。私の支援者はほぼ西口を早く完成するべきだという人が多くて、何も電話賭けをするまでもなかったと思った。でも、10人に一人ぐらいは「見直しが出来るならもっと安く出来るのではないの?」とか、「まだ決まっていないんじゃないの?」とか言う人もいたが、丹念に説明してやったら分かってくれて、西口推進の方を市長にという私に賛成してくれた。水富地区では問題ないと思う。

私は今回の市長選で3倍ぐらいの差をつけて、勝ってほしいと願っている。圧倒的勝利を願っている。実際は見直しなんかできる状況にないのに、あたかも見直しや白紙撤回が出来るかのような宣伝をし続けている候補者に失望を通り越して怒りを感じている。もしできるならば、その筋道をはっきりさせるべきである。
19日(木) 今日は朝からフェミニスト議員連盟のアファーの原稿を書いていた。全国組織のこの機関紙に原稿を書くのだから、間違いがあってはいけないと、県選挙管理委員会、深谷選挙管理委員会などに連絡をいれ、数字を確認しながら原稿を書いた。少し長くなったので、編集の段階で削られることもあるかもしれない。

午後1時に役所に行き、ある道路を見てきた。私は地域のエゴに負けず、きちんと道路を通すべきだという意見である。袋小路の道路は危ない。なぜ、地域の人はそれでもよいというのだろう。理解できない。

午後、4時から面接員が家に来て、障害程度の認定をしてもらった。終わって、ご飯を作って・・・7時からのミーティングを忘れてしまった。4時の段階では覚えていたのだが、面接が終わってホッとしてしまった。あ〜〜〜あ。
18日(水)
63000カウント
今日は午前中に狭山市就労支援センターを視察に行った。就労支援センターとは名ばかりで事務所はない、就労支援センター用の相談室もない、会員が集う場所もない、2人の支援員用の机が、実りの事務室においてあっただけだった。これはないでしょう。あんまりでしょうと思う。狭山市がみのり法人に委託し、1200万円もお金を出す事業なのであれば、就労支援センターのための少なくとも場所だけでも確保してほしい。会員さん用のロッカー室、相談室なども必要だと思う。私は、就労支援センターでの実習の際にはみのりの作業所の利用者さんと区別するために作業着を着させることも考えるべきだと思う。

私のような几帳面な性格の人間にはどうしても独立した場所がなければ、センター機能を有していると考えにくい。特に、支援センターの看板が掛かっていながら、玄関がデイケアと同じところで、入った途端にデイケアにきている利用者さんに取り囲まれて途方にくれたのだが、精神障害のある方は、この玄関にすら入られないであろう。知的障害者だけでない障害者を対象とする就労支援センターは入り口もそれようにするべきであると思う。

福祉部、障害福祉課は何を見ているのだろうと思う。私は大阪の箕面市、新座市、東松山市の就労支援センターを視察したが、狭山市の就労支援センター程何もないセンターは見たことがない。実際あったのは、2人の支援員さんの机がみのりの事務室の隅っこにあっただけ。今後どのような支援センターにしていくのかビジョンが何も見えなかった。場所なんかなくても就労支援をするのは支援員なのだから、彼らの机があれさえすればよいのさとでも言うのだろうか。違うと思うけど・・・・
17日(火) 今日は朝からパステルでミーティング。お昼を食べて、話しをしていたら、3時。狭山台南小学校で統廃合の話し合いがあると思い出かけた。しkし、その説明会はなんと土曜日に終わっていた。私のメモが間違っていたようである。それで、校長先生にどんな話しが合ったかを伺って帰ってきた。

夕方、郵便局により、役所に行って帰ってきた。ある候補者のマニフェストについてあまりのひどさについて、ある場所で痛烈に批判をした。まあ、私のいう事は常識的なので皆納得してくれた。実際、彼のマニフェストを渡したら、見た人はもう呆れ果てていた。これが市民に分かればよいのにと思った。ひどいよね、この人が市長になったら、狭山市民の見識を疑う。
16日(月) 今日は朝からクローゼットの片付けなどをした。探し物だったわけだが、見つからない。いらないものはないかと思ったが、それもなかった。午後から夫たちが映画から帰ってきた。それで今度は夫のクローゼットの片付け。夫の30年来の洋服を片付けた。

どういうわけか腰が痛んで、運動も出来ない。ぎっくり腰かなあ。

柏崎で大地震が発生したらしい。父から電話がかかって、実家に被害はなかったようでよかった。午後からはずっとテレビをつけて災害状況を見続けていた。被害は甚大だ。
15日(日) 今日は台風14号が来ていて、朝から雨がひどかった。礼拝に行こうとしたが、あまりに土砂降りで車を出すのをやめて、礼拝に出席しなかった。その後で、少し雨脚が湯服なったので、息子を教会に送っていった。彼は教会後、川崎のアメリカンフットボールのワールドカップ決勝戦を見に行くことになっている。

私は博物館のロボットを見に行った。いろんなロボットがあった。アザラシのロボットが可愛くて、抱っこしたかった。触ったりすると泣いたり、目を開けたり、身体を動かしたりして、まるで生きているみたい。可愛かった。いろんな企画イベントがあるらしいので、これからが楽しみである。さまざまなことをする博物館であるが、個性があると言うか、ないというか。学芸員が一生懸命企画を作っているその熱意が伝わってきて、嬉しくなる。博物館後援会があるとしたら、私は一番に会員になろうと思う。

常設展示場を何とかリニューアルできないかなあと思いながら帰ってきた。

その後、図書館に行き、またHPを使ってみた。何しろ、強い規制があり、これで調べ物が出来るかなあと心配になった。でも、規制なしでは子どもたちには困る。大人の調べ物コンピューターと子供用と区別して、規制をかけるべきかもしれない。

帰ってきて昼食をした。2時半だった。息子が大宮まで行くと言うので狭山市駅に送っていったら、顔見知りの市議会議員が集まっていた。私は何かと思っていたら仲川さんが駅前で演説するということであった。市長選挙に本当はあんまり入れあげたくないと言う思いがあり、何にもしないようにしていた。でも、仲川さん以外の人が西口反対なのだから、仲川さんしか応援する人がいないのは事実だ。そうであるならば、旗色を鮮明にしても構わないような気がした。

カルフールで食料をたくさん買い込んで帰ってきた。7時過ぎだった。
14日(土) 今日は10時から聖望学園のバザー実行委員会があった。途中ブックオフによって、帰ってきたら2時だった。声望のバザーは気合が入っている。

お昼を食べてから、一息ついたのちに市民会館へ行った。まずは、北川前三重県知事のマニフェスト選挙についての講演。先々週島根前県知事片山さんの講演を聴いたばかりで、どうしても比べてみた。やはり、片山さんは北川さんより切れ者と言う気がする。今回の北川さんの講演はありきたりに聞こえた。知っているマニフェストの説明があったせいもある。新しい発見がなかったのは、つまらなかった。彼に語らせるとしたら、県政改革をどのようにしたかについてを聞きたいものだった。

その後、狭山市長選挙の討論会が開かれるという事で待っていた。結局○さんのマニフェストについて、司会者が質問するという内容になった。私は○さんのマニフェストを読んで、本当にがっかりした。あまり書くと選挙妨害になるかもしれないから、いえないが、給食費無料にするとか医療費の無料化などと口当たりの良いことをいい、財源は西口の公益施設を作らないことから、それに当てるという。でも、公益施設を作らなくても補償金ははらわなかければならないのだから、結局はお金を払って何も作らないと言う事実にしからならないのだ。

私が本当○さんの腹が立ったステートメントは「駅前の公益施設は非生産性のものだ」と言い切ったことである。確かに、公民館では何も作らないだろう。女性センター、市民活動センター、子育て支援センターでは物つくりはしない。ただただ、市民が使い、楽しく学び、集い、リラックスするだけかもしれない。けれど、そう言ってしまえば、狭山市の施設で生産性のものなんか、給食センターを除いて何があると言うのだろう。行政のすることはほとんどサービスの提供であり、物を作り出す産業とは多いに違う。でも、物を作らなくても大事なことをしているところはたくさんあるわけで、非生産性の市民が集うところなんかいらないと言うのでは、狭山市の公民館はすべていらないくなるし、自治会館だって、子育て支援施設だってすべていらないという事になりはしないか。行政サービスに生産性を求める発想自体が理解できない。

○さんは「待機児0は不可能である」という。本当にそうだろうか。狭山市は長い間待機児0だった。この4,5年だ。待機児が多くなったのは。ジャステンの時には保育園は定員を大幅に下回っていた。需要に見合う保育園(認定子ども園でも良いけれど)を作ろうと言う気持ちもないのに、「子育てするなら狭山が一番」というのが重要施策とするのが本気だとは思えない。

女性政策がどこにも入っていなかった。街づくりに関しては西口と入曽駅についてしか言及していない。私のような建設委員ばかりしている人間にはとっては、全体の街づくりのイメージをもてなかった。

仲川さんのマニフェストを見たときに、中期基本計画から一歩も出ていないようでわくわくするところがなくてつまらないと思ったものだが、結局仲川さんのマニフェストはバランスが取れているように思う。この世界にいる人間はあんなマニフェストになりがちなのだ。

政治にド素人の方が作るマニフェストはそれなりに面白い。たとえば、北川さんが示した恵庭市のマニフェストは政治に長い携わっている人間には書けない種類のものである。○さんにもそんな新鮮なマニフェストを望んでいたのだが・・・
13日(金) 今日は朝から郵便局に行ってお金を下ろし、午後から役所に行った。支援費の手続きをした後、環境部長のところで工場棟の話をし、街づくり部長のところで西口開発の状況を聞いたりした。ちょっと話し込み、8時過ぎに帰ってきた。

西口開発については、もうすべてがセットされた状況である。私は仲川さんが再選されると思っているが、万が一違う状況になったとしても西口再開発は進んでいく。私はそれが知りたかったのだ。良かった。
12日(木) 今日は午前中に養護学校のベルマークの係りに出かけた。できる時にしか出来ないけれどお手伝いしようと思う。この学校には図書ボランティアがないようで寂しい。私は本を直すのがすきなのだ。図書ボランティア大好き。

午後、ミーティング。9月議会のことについての予定を考えた。報告会と共にイラクのDVDを上映しようと思う。多くの人が集まってくれることを望む。
11日(水) 今日は朝10時から私の議会報告会。その前に、「更年期をハッピーに」という出前講座を聞いた。まあ、大勢が集まって聞ければよかったのだけれど、今回は人出が少なかった。ちょっとわたしの友達には、早すぎたかなあ。私の友達は皆40才台後半に入っていると思ってこれをテーマにしたのだけれど、まだまだ若い人が多かったようである。

議会報告の方はみな熱心に話しを聴いてくれた。話の裏側を丁寧に話しをしたのだが、政治好きな人には本当に面白いらしい。今回の市長選挙の話しも出た。高部さんのこと、北田さんのこと、現市長の仲川さんの話もした。選挙があるが、私の支援者はどうしても西口のことが一番の関心事らしく、「見直しが出来るのか」と聞くから、もし、市がこの事業から撤退などという事になっても再開発事業は進んでいくだろうという事。その際、今の事業費と同額程度の補償費を市は払うことになるだろうという事などを話した。という事は、市は今から抜本的な撤退、または見直しなどは出来ないということなのである。「だまされてはいけない」と私は言った。

午後は昼ごはんを食べた後に、第一環境センターへ。工場棟を視察した。あちこちにガラスの破片が飛んでいて、とても危険で、汚い工場だった。においはまあまあ。大型ごみ処理の方、不燃物の処理の方は破砕はスムーズだったが、最終の方までは見ることが出来ずに残念だった。破砕した後のチップの分別後から見に行こうと思う。

ところで、私は、三重県の鈴鹿市、さいたま市、所沢市、朝霞市、福生市、入間市、の同等の施設を視察したが、あんなにガラスが飛び散っている施設はなかったと思う。狭山市のラインをもっと安全にするべきではないかと思う。私に危ないから行かないようにと言う場所で作業員が働いているのはいかがなものか。ガラスが天井から降ってくるのはどうにかしなければ、作業員の目にでも入ったらどうするのだ。

リサイクルラインも早くラインが動きすぎていたのかもしれないが、缶などの取り残しがあった。作業員は一生懸命働いていたのだから、何かがおかしかった。ビンも缶も一緒のラインにするのに慣れていないのは確かにある。それでも、分別が今までよりも落ちている感じだ。

今日の様子を見て、私はたとえ袋収集にしても、缶とビンとを分別して出してもらう方がよいように思う。今のままで作業をしていると、ガラスのための事故が発生し、誰かの目にガラスでも入って失明したら大変である。宮岡部長に告ぐ。しっかり、工場の安全性を再点検するべきだと思います。午後3時ごろ、視察に行って御覧なさい。ガラス片があちこちに散乱している様子が見えるから。危ないよ。最後に、プラスチック袋の梱包を見たが、ガラスはついている、缶詰の蓋は入っているし、あまりにもひどい状態で驚いた。他の市でもプラスチックの最終梱包はあの状態なのだろうか。これも調べてください。

ところで、私が視察している最中も破袋器が詰まってしまっていた。すぐに、ラインは復旧したようだったが、やはり私が入間市で見たことが狭山市でも起きていた。このことは前環境部長の関根さんにも何べんも言っていたことである。まあ、それは織り込み済みという事か。

それにしても、新しい工場の割には他の工場で経験している不備な点が改良されていないのには少しがっかりした。それに、人間用のエレベーターもないのよ。作業用のはあるらしいけど。グランドレベルから、上までは5階以上の高さになるのに、バリアフリーの工場でないことは確かだわね。ひどいなあ、こんなだったのか。私も契約の時には図面も出ていなかったので、どんなになるか分からなかった。

新しい工場なのに、エレベーターもないせいか、一人の障害者も働いていなかった。障害者が働けたらよかったと思ってみてきたが、あの状態では働けないかもしれない。身体障害者では5階まで上れないしね。ラインは早いしね。もっと工夫しなければ障害者は雇えないだろうね。新しい工場を見に行ってがっかりしたが、なんだか市議会議員として責任まで感じて帰ってきてしまった。
10日(火)
62600カウント
今日は、元気が出てきたので、役所へ。とはいえ、その前に図書館に行ってコンピューターのシステムを見てきた。検索が目的のコンピューター。入ったのは良いが、管理が大変そうかな。でも、いつ行っても図書館は素敵なところだ。人生の友達、本がずらっと並んでいるだけで嬉しいのだが、私は狭山市の図書館の床の色、明るいフロアーが大好きだ。この20年間、よく通っている。市議会議員になって以来、なかなかリクエストが出来ない。くだらない本を読んでいるなあと思われるのが少し恥ずかしい。

パステルで昼ごはんを食べてから、役所へ。役所で教育委員会で教えてもらいたいことがあったのだが、よい情報はなくて残念でした。郵便局に行き、知っている人のところによって帰ってきた。仲川幸成さんの選挙事務所開きがあったようなので、少しよってきた。今回の市長選挙で3人の人が立っている。私は今までの選挙で直接誰も応援しなかった。今回は仲川さんを消極的な意味で応援している。と言うのは、他の人たちが出来もしない西口の見直しなどを言っているからである。嘘つきは嫌いだ。

仲川さんのマニフェストを見せてもらった。今一。というのは、彼は基本構想や中期基本計画を作り直したりした関係で、施策がどうしても総花的になってしまうせいだろう。ただ、前回のものに比べれば、具体的な施策が多い。ただ、それを見て本当に彼が望む街づくりを提言しているのかなあと思ってしまう。町田さんの街づくりははっきりしていた。「元気な狭山を皆で作ろう」と言う割には、センターを強調するが市長が率先して市民の先頭に立って街づくりをしている風に見えないのだ。政治的なセンスの問題かなあ。リーダーシップの問題かなあ。

そんなことを考えているけれど、さっきから言っているように消極的な意味での仲川さんの方かなあ。だって、北田さんは助役として信望はなかったし、他の人は良くわからないけれど、どうも学歴を詐称しているという噂も聞く。だったら、仲川さんかなあと思ってしまう。もっと素敵な人材があるといいのだけれど。

守りの選挙は難しいのね。水富地区ではあまり広報車も仲川さんのは通らない。他の自動車も早々通るわけではないけれど。
9日(月) 今日は疲れ果てていて、お休みの日。でも、それは出かけなかったというだけで、午前中はこの独り言を書いていた。3日分はかなりのボリュームで大変であった。夕方、入間の湯に行った。韓国式垢すりをしてもらった。本当は肩をもんでもらいたかったのだが、指圧の予約が取れなかった。

視察で歩き回ったので、足もどうにかなりそうである。まあ、今日休めば元気がでるさ。
8日(日) 今日は朝からワークショップを行った。私はCテーブルの座長をし、まとめて発表した。私達のグループの話題はなぜ鷹ノ巣で政権交代が起こったのか。どういう選挙で負けたのかという事が興味の中心だった。次から次への福祉の後退をさせている市長と議会の状況を見ながら、結局は選挙が問題だったのだという事である。

鷹ノ巣の市民の方も加わってくれたが、何しろ口が重くて、その上お年を召しているかただから、時々何を言っているのか分からなかった。でも、前市長の思いが市民には伝わっていなかったという事だろうと結論つけた。鷹ノ巣の人にとって自分たちの福祉サービスが全国の先端を行っているとは分からなかったのだろうし、その価値も今後わかったとしても今は分からなかったという事であろう。手の中からなくして初めて分かることって、悲しいけれどあるものね。

選挙ではデマ、中傷が多かったと言っていた。そして、悪意ある行為には敢然と戦わなければならないし、デマ、中傷には戦略を持って潰す気持ちが必要ではないかとワークグループで話し合った。その戦略は難しいけれど。

女性議員の増やし方についても話をした。政党の力、特に自民、民主による女性候補の掘り起こしを促進してもらいたい。それと同時に、立候補した女性が勝つには支持者をきちんと組織する力も必要であると言う事。1000人以上の戦いには組織が物を言うのである。とはいえ、自分の事を考えると寂しいものもあるね。私の組織って何?

午後はきりたんぽをご馳走になり、また青森から飛行機で帰ってきた。遅くならずに戻ったが、それでも家には9時過ぎであった。
7日(土) 今日は朝5時半に起きたが、ゆっくりしようなんて思ってまた寝た。モーニングコールを7時にしていたから、安心して寝たら、なんと8時過ぎにおきてあわてた。とりあえずは鷹ノ巣まで特急で行った。私は、弘前城を見たかったのだけれど、結局時間もなく、いつもの視察のようになんの観光もなく市から市へと急いだ。

午後から、夏合宿IN秋田が始まった。フェミニスト議員連盟の代表瀬野さんの挨拶から始まり、秋田県副知事、北秋田市長の挨拶などがあり、まず、一級建築士の村越さんの1時間に渡る基調講演があった。原稿なしできちんと話しを進めたことに感心した。ワーキンググループの話しが中心だったが、市長が変わったことにより市政が全く方向変換されあの「福祉の町 鷹ノ巣」が平凡な田舎町になりつつあるのを話しのあちこちで聞いた。もったいないなあ、日本全国から視察が着、全国ブランドの街をどこにでもある町にしてしまおうと言うのは。仲川さんがよく言う「身の丈にあった街づくり」を目指すという事なんだろうけど、せっかく培ったものを捨てるのはもったいないと思う。それに、何が「身の丈だ」っていう事もあるじゃない。

それにしても指定管理者に関しての評価が低いのに驚いた。そして、選定基準が不透明なのにも驚いた。でも、狭山市だって選定委員会に民間の学識者も入っていないのだから、人のことは言えないという事であろうか。

交流会に出た。私はどうもこういうのは苦手で、結局壁の花をした。ジェンダーの視点が同じ女性議員が集まったので、その点気心が知れていてよかったと思うが、私はどこかシャイなところがあって、人と打ち解け憎い。これでよく市議会議員をしていられるなあと思うのだけれど・・・
6日(金) 朝5時過ぎに起きて、6時38分の西武特急にのり、浜松町経由で羽田から青森に来た。飛行場を出たらお天気が良くて、青空に真っ白な雲が浮かんでいました。風も空気も本当に田舎です。深呼吸してから青森駅に行くバスに乗り込んだ。

ホテルにチェックインしてから、昼食をホテルで取り、タクシーで青森市役所に出かけた。まあ、青森は美人だけでなく男性もいけているのに驚きましたが、そのイケ面の職員さんが頭も良くて2時間の説明(勿論随所に質問した)もきちんとしていただき、満足した。

その後、青森の中心市街地を歩いた。中心市街地の活性状態を見たいと視察に入れたからである。私は今まで3回青森に行ったことがある。始めは大学院の時に東北の3大祭りの1つねぶた祭りを見に行った。人出が多いと思ったが、何しろはねてばかりで踊りのしぐさが決まっていないので、へんな祭りだなあと思った。

次に行ったのは15年ごろかな、日本女性会議が青森であり、出かけた。第2地区の再開発ビルが出来上がっていて、図書館や女性センターがそこに入っているので見学した覚えがある。その後が今回で17階立ての第1地区再開発ビルを見てきた。1回は商業床、2,3階はクリニックで19ベッドの入院施設がある。4、5階はケアハウス。それ以上は分譲マンションであるが、ナースコールサービスを望めばつけられるようである。女性の単身者が狭い方の部屋を買ったと言う。それももっともだと思った。駅前の便利なところにあり、セキュリティーもよい、ケアハウス、病院付きである。私だってほしくなる物件である。

何年か置きに青森に行っていると、中心市街地がどんどん代わって言っているのが見える。素敵なマンションが建っていて、それも出来る前に完売だったそうだ。ベイブリッジもカッコよかったし、赤字箱物丸出しの県の物産館もなかなか良かった。明るい夏の日差しの中で格調ある街づくりを目指しているのだなあと思った。

市長は今5期目だそうである。確かに長期間権力の座にあれば良し悪したくさんあるだろう。しかし、事業の一貫性を考えると良かったんだろうなと思う。再開発の根回しに10年は掛かり、その後の紆余曲折にまた5,6年。今やっと市長の思っていた街づくりの1/3ぐらいが出来ただけなんだろうなと思う。特に基本構想の残りが10年もあれば10年たったとしても自分が思い描く街を作るにはそれ以降になる可能性も大きいわけだから。

なんだか、市長になって狭山市の街づくりをやりたくなった。私は議員になってほとんどが建設委員会で街づくりをしてきたものだから、良い街づくりが進んでいる街を見ると「私だったら狭山市をこうしたい」という思いが膨らんでくる。勿論、22日の市長選挙には出ようと思っているわけではありませんけどね。
5日(木)
62400カウント
今日は朝から明日からの視察の準備に忙しかった。その上、久しぶりに晴れたから家事もたまっていた。忙しいねえ。午後は夕方役所に行き、視察関係のためいくつかの課に行き、議会事務局で明日のための資料を打ち出した。帰りに、買い物をしていてお土産を買うのを忘れて買いに行った。本屋によって帰ってきたら、結局9時過ぎだった。

明日からは、青森市、北秋田市に視察、研修に出かけます。

この前、慈眼寺の前を通ったらとても大きなお葬式があった。若い人も多く集まっていた。花輪をみたら、越生高校の父母会からなどとなっていた。私は高校の先生のお葬式かなあと思っていた。でも、今日聞いたところによると関根先生のお葬式だったようだ。とうとう亡くなられた。長い闘病だった。関根さんは西中学校の先生だったし、堀兼中学校で同僚だったし、奥さんとは中央中学校で同僚だったし、なんとも言えない。あの日、あの場所を通ったのもなんかのご縁というか。名前を確認すればよかったと思うけれど、今はもう遅い。関根先生と最後に言葉を交わしたのは、合唱コンクールの時だった。2年以上前になるかな。久しぶりに学校に復帰していて、声を掛けた。会えて嬉しかったから。「身体どお?」って聞いたら、いつも照れくさそうで弱みなんか絶対見せない関根さんが珍しく「何食べてもおいしくないんだよなあ」って言っていたのが気になっていた。それからもう話す機会もなくて・・・

癌で痩せ始めていた時、私もきっと関根さんも癌だって知らなかったから、「ダイエットが効いているねえ」、「よっぽど校内巡視が大変なの?」なんて冗談を言い合っていた。今から考えればあの時からだったんだけれど。人の命ははかないね。あんな頑丈そうに見えた関根さんが私なんかよりも早くに逝ってしまうのだもの。命のある限り、できるときにしっかり悔いなく働いておこう。そんな風に思っているけど、気分はどんどん沈んでしまう。
4日(水) 今日は朝から原稿を書いていた。でも、終わらない。スタッフが来て、「久美子さん、まだ原稿が終わらないんですって」などと言っていて、私は恥ずかしくなった。で、原稿を必死に書いた。書いている最中から校正が入り、書き直しをしながらも頑張って書き続け、夕方ようやく原稿を仕上げ、印刷に掛けた。会員さんには封書で郵送するので、封書つめもした。後、議会報告会が来週ある。これが終われば、6月議会の後始末はおしまいである。もうすこしだ。頑張ろう。

夕方遅く、郵送のため郵便局の本局まで出かけた。帰りにヤオコーによって寿司を買ってきて夕ご飯にした。子どもたちは、他のご飯だったが私は脂っこいものをほしくなくなった。結局、今日もあさから晩まで一心不乱に働いた。
3日(火) 今日は朝忙しくしていた。午後、建設業組合の防災講演会に前山古志村長の長島忠美さんが講演するので出かけた。すごい村長さんだったんだなあとお話しを聞きながら思った。器は衆議院議員としても十分の方であった。人は試練にあったときにその人の真価が表れるというが、この人の真価が本当に発揮されたのは地震という大きな災害があったからだったんだろうなあと思う。話を涙しながら聞いたところもあった。大変な時には決断力が必要だったというのはわかる。一人でいる時間が貴重だったというのも本当に分かった。一人で孤独でも決断をしなければならない村長は悲しかっただろうと思う。それでも、村民の命や財産を守るためには仕方がなかったこともおおかっただろう。村長のその心がわかっても批判があった。彼はその批判を真摯に受け止めている。ここが私の泣けるところだ。

「がんばれ、辛抱してくれ、我慢してくれ」といい続けてきたけれど、村民から何を「頑張ればいいか示さないで頑張ればかり言っているのは大馬鹿野郎だ」という批判に、「そうだ、早く復興計画を作ろう。がんばって、しんぼうして、我慢している村民にもうそういうのはやめよう。」と思うところが偉い。私も始めの選挙で一生懸命出来ることをやっていた時に、「頑張ってね」ということばが辛かった。「もう、これ以上どう頑張れっていうのよ」と心の中で思っていた。そして、それがとても辛かったことを思い出す。頑張っている人、我慢している人、辛抱している人に軽々しく「頑張って」も、「我慢して」も、「辛抱が大切」だのと言うまいと思っている。

最後の質問の時に「議会はどうしたのだ」という事を質問した。議会は情報をあつめて村長に具申することが多かったようである。という事は、直接何の手伝いも出来なかったという事であろう。それ以上に村長の足を引っ張らなかったのは議会として偉かった。両輪の輪と言っていたが、危機のときに議会がしっかりしなければ、村長も村も市長も市も国も成り立たないに違いない。考えるところの多い講演会だった。

夕方、帰ってきて夕ご飯を急いで作った。夜7時に国際交流協会のミーティングがあったのだ。国際交流協会の通訳の仕事として、たくさん仕事を持って帰った。出来ることしかできないが、お手伝いすることにしよう。
2日(月) 今日は、このごろの疲れがでて動けなくなった。昨日の大フィーバーの疲れもあったが、やはりお嬢さんを預かっているっているのは大なり小なり気疲れする。娘は今日は学校の代休とかでお休みだったが、疲れていて起きない。しょうがないかなあ。

午後遅くに役所から電話がかかってきて仕方がないので腰を上げた。議会事務局により、いくつか部署を回って帰ってきた。つかれた〜〜〜。今日は、心して休んだ。良かったなあ。(という事は、原稿を書かなかったという事である。)たまにこういう日がないとどうしようもないものね。
1日(日) 今日は午前中に礼拝。午後はパステルでランチ。その後、東京へ。市川政治参画セミナーで前鳥取県知事、片山さんの講義があった。彼は本当にシャープな方だ。素晴らしく切れる。それに見ている方向がはっきりしている点が素晴らしい。私はいつものように質問した。女性の登用についてである。彼は言うには首長が本当に男女共同参画社会を作ることに熱心かどうかできまるそうだ。仲川さん、本当に男女共同参画社会にしなければ、日本も、狭山市も生き延びれないのがわかっていらっしゃいますかと聞きたくなった。片山前知事は男女が半々出なければきちんとした市民サービスは出来ないし、議会もチェック機能としてうまく働かないとおっしゃっているのですが。

帰ってきてから、姪を連れて家族一緒に焼き鳥やに行った。その後、カラオケに姪を連れて行き2時間一家でがんがん歌った。すごいストレス解消だったが、お金はかかりましたよ、どちらも。姪は明日アメリカに帰る。やれやれである。今日は、さよならパーティーだったのである。

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