私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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1月 私の独り事
31日(木) 今日は朝家事に精を出したが、片付かない。片付けようと思うと、玄関の絵をベッドルームに移したくなったり、打ち捨てられていたカレンダーを張りたくなったりして、結局片付いていない。水彩画と油絵を出して、飾った。家事は下手です。

午後は、議会主催の勉強会へ。今ITはまるで役所の血液のようだ。電算室からランケーブルでつながっていて、これが動かなかったら業務一切が出来なくなる。怖いものだ。だんだん隅々までデータがつながっている。今はもうコンピューターなしでは生活不能なのだとつくづく感じる研修だった。西宮市に習って、良いシステムは導入すればよいと思う。狭山市のHPは素晴らしいがもっとよくするためにお金を掛けるのは悪くないし、お金の掛け方として、委託や派遣を頼むのではなく、今後も考えれば職員を育成する必要を感じた。職員課はきちんと人事管理をすること。

その後、AUショップにより、郵便局に行き、帰ってきた。
30日(水) 今日は朝、洗濯物を2回して、干したりとのろのろ家事をしているとスタッフがやってきて、少しおしゃべり。彼女は沖縄ツアーの準備を始めている。

午後、人権問題講演会を聞きに市民会館へ。水山裕夫さんのバイオリン演奏と、辛坊治郎さんの講演。バイオリンは癒されたという感じ。でも、もっとはつらつとモーツアルトを引いてほしかったな。ピアノが今一だった。ピアノの音がこもるのは弾き方の問題というよりはヤマハのピアノの問題も少しあるのだろうと思った。音がクリアでない。

辛坊さんの講演は面白かったし、正しい情報を正しく判断すること、聞くことが難しいこと、聞かせるのも難しいこと。間違った情報を鵜呑みにして、まことしやかに人に言ってはいけないこと。情報が多くなればなるほど、正しい情報かどうかの見極めが必要であること。間違った情報は人を殺すような(基本的な人権の最たるものである命をなくす)ことになることがある。うかつな情報を安易に信用して、それを伝達してはいけない。人権はどの人にも平等に与えられる権利であり、自由がなければ人権はない。

思い出せる限り、いろいろ書いたが、情報を出すにしても受けるにしてもきちんとその情報の真偽を見極める努力が要る。あふれるような情報の中から、自分の考えに囚われず、きちんとその情報を判断できるようにしなければならない。

4時過ぎ、講演会が終わってからサピオに行き、トレーニング。今日は300カロリーぐらいを消費して帰ってきた。でも、今日はお昼に甘いものを食べたりしたから、このぐらい消費した所で、太ったかもしれない。
29日(火) 今日は朝から知的障害者のためのグループホームの視察。三恵福祉会のグループホーム桜と葵を視察したのだ。丁寧にUさんが説明してくださった。2件を午前中掛けてみた。

私はここのグループホームが好きだ。まず、借り上げ家屋を借りて、4人のためのグループホームである。女性用桜と男性用葵。大樹のグループホームを見て、まるで小さな施設(厚生施設)だわと思ったのだが、三恵さんのは地域に密着した(住宅団地の中にあって、普通の家)生活が出来ると思った。2件とも住宅街にあり、バス乗り場も近いし、スーパーもあるしという事。それに、ご飯もきちんと台所で作る。(大樹は食堂から運んできた食べ物をキッチンで温めるだけ)自分で朝ごはんも作るし、お弁当も作る。

費用は家賃も光熱費も食費も雑費も皆で分け合う。ただ指導員さんの分は市が補助するという事。部屋の中も、温かく飾ってあり、施設のような冷たさはなかった。利用者さんのお部屋を見せてもらったけれど、自分自身で飾っていたりして、これも施設の感じと大幅に違う。家の娘をここに入れたくなった。北海道の伊達市のグループホームみたい。聞いた範囲だが、三恵さんは知的障害者を地域へという取り組みを本気でしていると思った。そして、それのための努力はたいしたものである。今回は、施設長さんにお会いしなかったが、近いうちに会い行ってみよう。

そうそう、ここでの余暇利用も楽しそうだ。娘が養護学校を出たら、仕事を持ち、こんなホームで生活して、いつか結婚して、子どもを産めたらよいなあなんて夢見てしまった。実現するといいなあ。

午後は、家に戻り家事を一通り終えてから、資料を読んだ。たくさん本を借りすぎて、大変・・・・
28日(月) 今日は朝8時半までに児童相談所に行き、加須の「愛泉乳児院」ほかを見学した。可愛い41人の乳児がいた。その横の愛泉寮も見た。92人の定員の所88人が住んでいるそうだ。皆、親と離れて暮らしている。聞けば、生まれて親と暮らしたことのない子どももいて、18年間ここで育つ子どももいるそうだ。41人の乳児のうち、里親に出しても良いと考えている人は10人ぐらい。後の30人はずっとこの施設で暮らすことになるのだ。

今は、孤児が食堂でいっせいにお祈りをして食事をするという古典的な姿は今はもうない。ユニット型でキッチンやお風呂が付いていた。昔の子どもたちはキッチンを見たこともなく、食事は自動的に並べられるというお嬢様お坊ちゃまたちだったが、今では誰かが作っていることを目の前に出来る。それは、寮でも同じで、今はマンション型の寮で、8人が6LDKの家に住んでいた。なるほど、普通の家より良い設備だわと思って帰ってきた。1部屋が広いのである。

それでも、帰りがけの意見を言う時に言ったが、生まれて18年間ここに暮らす子どもがいると思うと切ない。子どもの回りの人は、先生だったり○○さんだったりする。一生に一度でよいから、「お父さん、お母さん」と呼ぶ機会をあげたいと思う。子どもの6割は虐待を受けた子どもだという。受けていない子どもも大きな傷を心におっている。それは、親と引き離されていることである。親に捨てられたと思う子どももいるだろう。この施設にいる子どもはどんなに優しい大人が回りにいても、その人たちを「お父さん、お母さん」とは呼べない。家族がどんなであるかも想像も出来ないだろう。想像できないことを自分たちで築くことが出来るだろうか。

お母さんの見本なしに、お母さんになるのは難しい。父親を見たこともなく、母の男に殴られたりしてこの施設にきた男の子に父親のモデルがあるだろうか。出きれば、里親で親のモデルを見て育つ方がいいのである。うちは、里親になってもう20年近くになる。母が(私が)働いていたりして、子どもの委託はなかった。今日可愛い子どもを見ると育てたいなあと思った。でも、私はもう56歳。小さな子どもを育てて、成人にするまで私は元気でいられるだろうか。今まで、すでに一回親との別れを経験している子どもに、私との別れが早ければ可哀想である。それに、子どもには若い人がお母さんであってほしいだろう。それでも、もう一度、可愛い女の子を育ててみたいと思ってしまう。これは母性本能なのだろうか。

加須でお昼を食べて所沢の児童相談所へ帰ってきた。その後、役所に行き資料請求をして、世間話をして家に戻った。
27日(日) 今日は朝礼拝。良い説教だった。私は、同じ言葉を同じように理解して感じられる人がいる幸せを感じる。少なくともお互いを理解しているのではないかもしれないが、神様、イエス様を理解するという共通項があることで、同じ言葉を使いながら会話が出来ることを嬉しく思う。

特に、今回は信じることが出来ることが”奇跡”であるという事は、心からそう思った。尾崎に戻るが、尾崎豊は信じたかったが、信じることが出来なかった。青山学院では彼を放逐してしまった。彼こそ救うべき者だったのに・・・尾崎に「礼拝は偽善だ」と言わしめたものはなにだったのか?クリスチャンは自分が清潔で信仰的であろうとするために、どんどん汚く見えるものを切り捨てる。これは自己防衛本能から来ているのだが、すなわち、自分たちが汚れていきはしまいかという恐れが先に立つからだが、イエス様が神を知らない人人の間で偏見を持たず説教したことを忘れてしまう。サマリアの女に声をかけたのは、イエス様なのである。

尾崎はモルモン教に会う。しかし、モルモン教はキリスト教にとっては異端だ。戒律ばかりに囚われて、酒を飲むな、コーヒーを飲むな、あれをしろ、これをするなといい続ける。そんなことをしても、良いクリスチャンにならない。ただただ神を信じればよいのだ。

芥川龍之介が聖書を枕元において自殺したのも有名な話だ。けれど、彼は神を信じることが出来なかった。芥川だって救いを求めたのだが、救われなかった。神を信じることは、聖書の角から角まで読んでも不可能なのである。信じることは神様からの恵みとして与えられるからである。聖霊の働きによるもので、今日牧師は「これは奇蹟です」といった。

私の場合、今でも覚えているが入間ビレッジで武蔵野音大の学生に「イエス様の奇蹟がなければ私は聖書を信じられるのに、奇蹟があるから、あれは変な本だよね」といったところ、「イエス様が神様ならば、イエス様が私達の理解できないすごいことが出来ても不思議がないんじゃない」といわれ、なんだかはっと自分の理解を超える力があっても良いというか、人間は神のようにすべてを理解できなくてもよいのではないかと、すとんと理解できたのだ。このとき、私が神を受け入れ、信じたときだった。イエス様が神様だったら、奇蹟だろうが何だろうが起こせるのだし、私達の常識以上のことをなさってもちっともおかしくない。

私は、聖書を読んで神様を信じたわけでなく、聖書は信じることを阻害するだけだったが、ある日、神様が聖霊を持って私に神を受け入れさせてくれたという思いがある。これは奇蹟である。私は17歳から教会に行っていたが、洗礼を受けたのは38歳だった。信仰を持つことで心の平安が与えられるかというと、そうではなかった。「新しくなるには痛みをともなうのです」と牧師は言った。一生、クリスチャンとしての苦しみを背負いながら、生きていくことだろう。仕方がないなと思う。でも、信じて救われると、本当の意味での自由を感じる。ゆだねると身軽になる。

午後は狭山市吹奏楽祭に行って来た。とても素晴らしい会だったし、私は午後の部しか聞かなかったが、レベルはかなり高いと思った。それに、音楽を楽しんでいるのがよい。小学生から高校生まで。一般もあった。大学の吹奏楽部があればよいのにと思った。
26日(土) 火曜日からの風邪が治らない。昨日、議会で咳込んでいたら、他の議員の人が病院に行くことを進めてくれた。それで、昨日のうちに石心会狭山病院に予約を入れた。気管支炎を起こしているかなあと思ったが、レントゲンをとってもきれいだった。それでも、痰が黄色になっているので抗生物質が処方され、風邪薬と一緒に、喘息の薬も出た。

お昼過ぎになって、少し元気が出た。咳き込みも痰も少なくなった。薬局から帰ってきたら、1時半。尾崎のdvdを買ったので一人で見た。あまりにもひどいDVDの内容に私は怒った。この監督はサドか。説明を読むと、尾崎の気持ちを一言も考慮しないで、尾崎を作品の素材としてしか考えなかったようだ。何を、何べんでも要求しても尾崎はいやだといわずに監督に従ったそうだ。可哀想に。ペンキをどろどろに掛けられ、その上をのた打ち回るシーンなんか、監督からすればすごい迫力と映像かもしれないが、私達ファンにはあまりにも執拗ないたぶりにしか見えない。

6曲のクリップのどれも芸術的というより、薄汚れているとしか見えなかった。特にひどいと思ったのは、尾崎をまさに牢屋としかいえないところに配置し、ドラッグで往っていしまっているとしか思えないシーンを延々と使い、「I LOVE YOU」のクリップにしていることだ。あのクリップをみて、「I LOVE YOU」を買う人がいたのか。

「後で知ったが、尾崎は昆虫と水が嫌いだったと知った」と書いてあったが、尾崎を水に入れおぼれさせているのを使い、「卒業」のクリップを作っている。体中にミツバチをつけたりさせている。これは、尾崎に対しての挑戦だとは思うが、尾崎は学校を卒業してやっと権力から自由になったというのに、次はこんな芸術性の無い奴に好きなようにされて、自由なんてどこにもないと実感したに違いない。よく切れなかったと思う。彼は切れることで正確破綻者といわれいたのに。私同様に、あまりのひどさに呆然として、自分を失ってしまっていたのかもしれない。だから、私的に酔いつぶれることになったんだろう。我慢する尾崎をいたぶったようなこのDVDは醜悪だ。信じられないひどいものだ。よくこんなものを売り物にすると思う。やはり、マザーエンタープライスは変な会社だとしかいえない。それにこの監督はおかしい。

売り物としか見られない自分を知ることはどんなに辛いだろうか。その監督は一度も尾崎に内容を説明もしなかったという。そして、卒業を19回も歌わせるなんて、信じられない。20回目には尾崎は泣いたと書いてあったが、そこまでして芸術になったというが、尾崎の涙をどう捕らえているかなんか何も書いていないし、考慮もしていない。自分の事だけ、尾崎は自分の作る芸術の端役だ。

早くといえば、スクランブルロックエンロックのクリップの主役は空田満で尾崎ではない。そんな変なクリップおかしい。この監督は尾崎をどう見ていたのか理解できない。へんな奴。

夜、珍しく5人で食事した。お兄ちゃんは勉強で大変である。がんばってね。
25日(金) 今日は9時から議会のため役所に出勤。代表者会、議運があり、9時40分から開会。議案は2議案だったが、私の他に誰も質問をしないので、昨日用意した質問をした。本当は、少し昨日の打ち合わせをしていたのと違う質問にしたが、総務部長は原稿を読み上げてしまい、変わったことに対応できなかった。臨時議会で、議案は人事関係だけとなるときちんと勉強して議員さんたち出てきたのかなあと思う。他の人が質問するのだったら質問しないつもりでいたが、議会だよりに質問が無かったら困るし、このような議案では執行部の広報に載ることもないだろうという事で、あえて質問した。事務局の人が「3つの質問に出来るでしょうかね。」とか言っていた。必要な数字関係だけでも載せてほしい。というか、市民が知るべき情報だと思う。

午前中に全協が終わり、建設委員会協議会もして、お昼にした。アミーでおしゃべりしたりしながら、2時過ぎに帰ってきた。3時半から人間ドックの結果を聞きに石心会狭山病院に行った。少し、肝臓の数値が高いらしいが、脂肪肝があるそうで、やはり60キロを目指してダイエットを続けるようにとのことだった。後もう少し頑張ならければならない。年末から現在まで2.5キロも痩せたが、まだ60キロには至らない。

夜、夕ご飯を作ってから、中央公民館にでかけ、地域フォーラムに参加した。公民館と地域つくりというのだが、何を起爆剤にして街づくりをするかという事のようだ。4月から出張所が地区センターと名前を変える。その際、公民館はどのように機能していくのかと私は心配している。3月議会で一般質問にしようかと考えていることだが、まだまだ焦点が決まっていない。どうあるべきか私にも分からない。
24日(木) 今日は朝早く官邸を見学に行った。大野代議士が現在副官房長官をしているので、官邸に伺ったのである。官邸は、思ったよりも質素に見えた。デコラティブでは全然無い。勿論美術品が無いわけでなく、日本でも有数な方々の彫塑もあり、絵画もあった。それらは、私のような素人でも素晴らしいと感じた。しかし、日本の首相が仕事をするそのオフィスがあるところが、本当にすっきりした所で驚いた。基本的に役所です。

今朝、夫に「首相のオフィスに行くのよ」といったら、驚いていた。アメリカだったら、ホワイトハウスの中にある大統領補佐官のオフィスに行くようなものであるからだ。アメリカでホワイトハウスの中を見学できる人はそうそういないだろうから、すごいことである。

今日は、大野さんにお会いできるとは考えてもいなかった。お忙しいだろうと思っていたからである。それなのに、忙しい中を私達と会うために、待っていてくださったのは、心から恐縮におもうし、年上の方を評価して悪いかもしれないが、彼の誠実な性格を表していると思う。最近、狭山市でお会いすることがあったが、とてもお疲れのように見えた。やはり総務副大臣の時のような責任と、日本国を背負っている首相を補佐する人とは責任の重荷が違うのだろう。今日お会いしたら、大野さんは「県議をしたり市長をしたりしたが、現在の仕事は自分には恐れ多い」といった意味のお話しをなさっていた。謙虚な人だなあと思った。想像するだに、日本国の命運を自分たちが担うなんてと思えば身震いするほど怖い気がする。国民の幸福を自分たちの手腕で支えなければならないとしたら、私ならノイローゼになる。大変なお仕事だと思う。

「あちこちにお願いばかりしている」と大野さんはいうが、国会と内閣との橋渡しをすることがどんなに大変なのかを国会を知らない私には想像すらできない。役人が私の所に説明に来るが、そんなことを党を相手にしているのだろうか・・・・大野さんは衆議院の役目をおっているそうだが。それにしても、ガソリン税のことでまた民主党と自民党はがっぷり勝負になるのだろうか。でも、テロ法では民主党がひよった。民主党のことだから、昔の社会党のように、どこかで汚く手を打つに違いない。そうなれば、また間に入って大野さんも苦労するのだろう。私はテロ法を認めてはいないが、よって、民主党の裏切りも許すつもりは一切無いし、自民党はテロ法なんてものを廃案にすればよかったと思うが、それはそれとして、それでも50数年ぶりに参議院で否決された議案を衆議院に戻して可決することを決断した首相やそれを支えた大野さんの心労は大変なものだっただろうと思う。そのことぐらいは私は理解できる。

大野さんの副官房長官室そのものは、狭山市の議長室よりも小さかった。机ですら、もしかして市長の机の大きさと同じぐらいかも知れない。地方公共団体がいかに分不相応なことをしているかだともいえる。勿論、官邸にはたくさん会議室もあったし、晩餐を出来る大きな部屋も、中ぐらいの部屋も、多くの職員のいる事務所も中にあった。それでも、質素なものである。驚くほど、簡素。もう一度言うが、役人が設計したというから、ここは役所なんだ。

記者会見の間を見せていただいた。ここは思っていたよりも大きな部屋だった。今日は大野さんが記者会見をなさったと聞いた。後で、コンピューターでニュースを見たら、大野さんの会見の記事が乗っていた。多くの記者たちが首相のお出ましを舞っていたので、何があるのかなあと思っていたが、後で知ったら人事のことらしかった。あそこが閣議室あたりと聞いたあたりに記者がたむろしていた。「あのあたりでぶら下がり記者会見があるのです」と聞いたが、テレビで見ているのと実際の場所を見るのとでは印象が違う。映像は注意してみないといけないなあと思った。

御名御璽の本物をはじめて見させていただき、とても緊張した。不敬罪がないのではっきり言うが、明仁というお名前は漢字で書くと難しいのか私には分からないが、かなり素朴にお書きになっていると思った。要するに、へたに思えた。しかし、御璽に関して言えば、あんなに大きな公印を生まれて始めてみた。卒業証書の公印もかなり大きなものがあるが、さすがに御璽は大きく、残念ながら素養の無い私には何とかいてあったのか分からなかった。日本国天皇かなあ。大野さんがおっしゃるには、一枚一枚に天皇が御名をお書きになるので、全部書き上げられるには1時間半も掛かるそうである。

あまりの質素さに心から驚いて帰ってきたが、官邸で大野さんにお会いできてよかったと思った。大野さんがいなかったら、垣間見ることの出来ない世界を見せていただいた。それに、いつも30分で官邸に来れるところにしかいけなくて、その上、電話の通じないところにはいけなくて、私生活も公生活の区別もなく、24時間365日一秒たりとも日本のことを忘れることができない責任を持ってお仕事をこなしておられることに、大きな尊敬の念を持った。主義主張はきっと大きく違う大野さんと私である。しかし、何べんも言うが、私のような一介の市議会議員にこのような国の中枢を少しでも垣間見せていただいたことに心から感謝申し上げる。また、繰り返し言うが、私は無所属で、政党に入っている人とは主義主張は異なるけれど、「この方は正論の方ですから」と私の事務所の者に言ってくださる大野さんの大きさには、お世辞が半分以上であれ、心から嬉しく思った。今日のすべてをありがとうございました。

午後は、議員会館のしたの食堂で昼食をしてから帰ってきた。本当は、デパートでもと考えたが、体力がなくていけなかった。で、結局役所に行き、視察の書類を書いたり、明日の議案書のヒアリングをした。家に戻ったら、7時前だった。

食事を終え、このホームページを更新している。今は1時を過ぎた。寝る。
23日(水) 今日は、朝から疲れすぎていた。昨晩は結局熱が出て、トイレにも何度も置き、その上、足が吊ってとび起きたり、一晩中寝たのかどうか分からない状態だった。午前中は、薬を飲んで、ベッドから出ることが出来なかった。

午後、お昼ご飯を少し食べた。息子がストーブをつけてくれて、温かいところにいたら、少しからだの痛みも少なくなったように思う。それでも、体力が落ちていて、ベッドで本を読んだ。家族が心配してくれた。結局、一日中寝たり起きたりだった。

朝、雪が降っていて、居間の窓から外を見ると、とてもきれいに見えたけれど、大好きな雪を触りに行くことすら出来ないで、夕方には雪は消えてしまった。雪国育ちの私は雪が優しく思えるのだが、あっという間に消える雪はなんだか図太い感じがする。すっぽりと白く柔らかなものに包まれたいのに、と思うのは私の体調が悪いからだろうか。
22日(火) 今日は朝から家で仕事をすることにした。鼻水がでて、風邪っぽいのか、花粉症が始まったのか、体調が今一。それなのに、日中は私だけだったので暖房費をケチろうと思い、石油ストーブを焚かないで小さな電気ストーブだけで仕事をしたら、どうも体が冷えすぎたようだ。

体が少し痛んだが、夜はサピオにトレーニングに行った。少し汗を流せば、体の不調子感もなくなるかと思ったのだ。確かに、シャワーを浴びた時まではよかったが、家に帰ってきたらもう寒気が止まらなくなった。寝る。
21日(月) 今日は朝9時半から「あきくさ保育園」の視察をした。10月に開園したばかりだが、内装もきれいで新しい調度品もあり、新しいところには新しいコンセプトが詰まっていて面白い。園長さんも真面目で熱心で大変そうだが誠実な人だという感じを持った。これはとても大切なことだ。真面目で誠実。私はこういう人でなければ、人の命を預かる仕事は無理だと思う。良い保育を頑張ってね。そして、ケアが必要な家庭に必要なケアが行き届くような心をもって、さまざまな家庭に親に接してほしいと願う。

午後は食事をする前に入曽駅東口の区画整理事務所に寄ってきた。来年度の都市計画決定なんかできるのだろうか。その中での計画に議会はどのくらい口を挟めるのだろうか。考え込んだ。

その後、役所に戻り、食事の後、障害福祉課、アミー、議会事務局、保育課によって帰ってきた。役所を出たのは六時半ごろ。

今日、7年ぶりに公文書公開条例に則り資料を請求した。自治振興課が持っている文書を議員に資料として提供する際に墨を入れるという事を言うので、公開条例で許されているのになぜそんなことをするのか納得がいかずに、とうとう公文書公開条例で取り寄せることにした。自治会の決算書類を求めた。狭山市は補助金を出している以上、補助団体の支出の状況をチェックするのは当たり前。それなのに、自治会の名前を伏せて書類を出すなんていうので、私が怒ったのだ。

公文書条例は私も積極的に係わって作った条例だ。原則持っている文書は全部公開すべきである。何を課長は隠そうとしているのかと疑心暗戯になる。私は、各自治会の加入率を調べ、自治会が高齢者福祉にどのように係われるかを知りたかった。大まかな数字は出ていても、これを把握していないから、どの地区でどのような方法が一番よいかを考えるベースが無い。もし、加入者が50%も満たないところで自治会だけを相手に、例えば孤独死の方策を考えても仕方がない。そんな風に、私は資料を使いたかった。

時には、資料が無い場合は、執行部に調査をしてもらい作ることもある。いつか研修費を調べてもらった時には、政策企画課は3日間も残業をしてくれて、素晴らしい資料を作ってくれた。その資料をみながら、職員の研修費の増額を決算特別委員会の要望事項に入れた。職員にもっと勉強してもらいたいと。資料を作った課でも、現状の認識がその資料によって明確になっただろう。私はそんな協力体制の中で仕事をするのに慣れてしまったのだろうか。

今回、私の目から見ると、自治振興課の真意が全く読み取れない。だから、いいよ、自分のスタッフを使って資料を解析するからさという事。この前の「市長交際費」の公開請求では、市長の交際費の透明化をするためにホームページ上での公開が決まり、そのため400万円近い交際費が現在では160万円ほどしか使われていないという結果になっている。さて、今回の「各自治会の決算書類」からはどんな質問をすることになり、どんな蛇がでてくるのかと思う。請う、ご期待だ。
20日(日) 今日は朝礼拝。午後はパステルに寄って、パステル弁当を食べてから、サピオのトレーニング場で少しトレーニング。いつものルーチンをした。ダイエットをしているが、運動も必要であるとの医者の提言を受け、できれば週3回、大抵は2回ほどサピオに行く。

その後、カルフールで買い物をし、ブックオフで古本を買って帰ってきた。本屋によると1時間があっという間に2時間となる。本はよいのだが、本当に読書が有意義なのかは、コンピューターでのネットサーフィンと同じように疑問な点が多い。まあ、有意義にする努力が要るのだろうが、私はどうしてもそれに没頭して他のことをしないでいることが多い。反省しよう。
19日(土) 今日は「すすむ会」の「新年を祝う会」をした。久しぶりにお会いする人がいて、私の議会報告会をかねているのだが、それというよりも政治を語る会という感じだった。いろいろな市民の方の意見を聞くのは、とてもためになる。それをどうすれば施策に出来るかを考え込んでしまう。終わったのは、4時過ぎで、後片付けをした。少しずつ、また人が集まってくれるようになった。なんらなの形で、政治の情報を提供していることがよいのだと思う。継続していこう。

何年も何年も市議会議員をしている。議会報告会は一度も欠かしたことは無い。でも、これでよかったかといつも省みてしまう。市民派の議員というのは、ミギから見れば左に見え、左から見れば右。そして、政党を持たないというのは、権力闘争(政権を握る)を放棄しているという意味では、単なる改革主義者で、革新とはいえない。相対的に保守であるという事で、離れていく人もいた。確かに私は市長を引き摺り下ろすために議会活動をしていない。もっともっと不正を正せという事なのだろうが、私は事務事業の不正を見つけ出すよりも、新しいニーズに対しての新しい施策を提言する方が得意だ。

どんな議会生活が正しいというのではない。私は、人の悪いところを見つけ出すよりも、今の暮らしの中での改善を提言する方が得意だというのだ。いろいろな議員がさまざまな活動をするだろう。その中で、市民の生活が豊かになったり、住みよくなったりするのだ。私に出来ることは限られていて、市民派の私は市民の生活の中からのテーマを取り上げようと決心した。そして、政党の動きとは連動したり、離れ孤独になったするだろうが、私は常に市民の味方であろうと思う。

地方政治に政党化の嵐が吹き続ける。そして、市長のポストを手に入れるための熾烈な戦いが始まり、時には市民へデマを飛ばしながらの権力争いとなる。昨年、これを見たばかりだ。そこで取り残されるのは市民の利益。うんざりだ。私は、やはり政党の、右だの左だのの力関係の中での政治はしない。市民派で行く。市民の利益を最大限追求していく。

図書館で孤独死と高齢者虐待関係の本を借りてきた。
18日(金) 今日は朝から新宿の市川房枝政治参画センターへ。女性センターのはしりの市川房枝政治参画センターである。元職員がまるで市川房枝記念会を女性の敵のようなことを言っているそうだが、私は市川房枝政治参画センターの歴史的な役割を積極的に評価している。私は、この会によって育てられ、市議会議員になり、真っ当に議員生活をしようと努力をしている。今、女性をめぐる大きなバックラッシュの中で決して消してはならない女性支援のとりでである。私は、友達の議員とともに、最後の一人となるまでこの会を支えようと思っている。神様のお力が加わることを願っている。

市川房枝記念会は昨年来ドラスティックに変わっている。それはそれでいいと思う。生涯学習の部門をやめた。それでよいのと納得している。市川房枝さんも歴史上の人物となってしまって、知っている人も中年というよりも高齢な方々である。財団としては資料の散逸を防ぎ、きれいな選挙と女性の視点で政治をみるという啓発が中心になってしまうのは、仕方が無いだろうと思う。今の理事たちがいなくなったら、どうなるかと本当に心配なのである。

友達とお昼ごはんを食べて帰ってきた。新宿で紀伊国屋本店によって、はっと気がついたら4時だったので急いで帰ってきた。デパートに寄ることも出来なかった。東京に遊びに行きたいなあと思う。
17日(木) 今日は朝、ホームページの書き換えやメールを読んだりと朝のルーチン仕事をしながら、スケジュールを書き込んでいた。このスケジュール管理だけは人任せにできず、自分でしなければならない。

午後1時半から、中央公民館で男女共同参画の講演があったので、出かけた。「「みんなの家」の代表の方の講演だった。昨日の癌ではなかったという事をとても大きく思っていて、今後市議会議員としてだけでなく、障害者のグループホームの立ち上げを望んでいるのだが、神様はこの講演で何かをおっしゃいたいのかなあと感じた。積極的な視察などをして見なければならない。福祉都市の構築を考えてみたい。でも、そんな風に思っていても、まだまだ一歩も進まない。どうしよう。

珍しく中央公民館に行ったので、その前の西口開発事務所を訪ねた。忙しい所お邪魔して、その上「熱いお茶」までいただいて恐縮である。話しは広報のことが中心。技術屋に市民に分かりやすいメッセージがはっきりした広報をするようにといっても、土台無理無駄。本当はさじを投げているのだけれど、一応言いに行きました。工事中、市民の協力を求めるならば、工事の進捗がどうなるのか、もっと詳しく市民に知らせるべきだと思うのだが・・・・全くね。機構の所長にまた会いに行こう。

ところで、西口事務所に女性職員がいた。ちょっと嬉しい。女性の視点に立って施設を点検してほしいと思う。特に、あの角に予定しているトイレはいかがなものかと思うんだけれど。女性センター的なところのカウンセリングルームの仕様も工夫がいるし。できれば、障害者総合相談センター的な機能をどこかに持ってほしいし、包括支援センターのそうまとめてきな部署もここのほうがよいかもなどと思う。

はっと気がついたら、5時を過ぎていた。それで、急いでサピオに行った。夕ご飯を娘に作るように電話していたので、帰ったら夕ご飯がありよかった。
16日(水) 今日は朝かなり悶々と過ごした。勿論仕事をしなかったわけでない。しかし、12時に病院のアポがあり、この前人間ドックで引っかかった胃カメラの生体検査の結果を聞くことになっていた。12月の27日以来、癌ではないかと心配していた。実は遺書を書き直したし、身辺整理についても考え込んだ。いろいろ考えたが、それにしても残すものが少ないのには驚く。貴金属なんて無い。貯金も葬式出して、後の始末をすれば、どのくらい残るやら。生命保険も少ないので、ローンが心配だ。もっと生命保険に入るべきかもしれない。また、必要のない本は捨ててしまおうと思う。

そんなことを考え、たくさん祈りながらこの2週間をすごした。朝、目を覚ますと祈った。自分の事だけでなく、家族のことも考えた。何回か今までだって癌について思い悩んだことがあったが、その時は死のが恐怖が一番だった。このたびは、子どもや夫を残していくことの寂しさが大きかった。子どもの行く末を見たいと切望した。兄ちゃんの結婚式、子ども、家庭のことが胸に浮かんだ。死なないで、それを目にしたいと思い、祈った。

この度は、例え癌であろうとも、最後の最後まで戦っていこうと思っていた。治療に前向きに取り組もうと決心していた。のた打ち回りながら生きた「尾崎豊」を知って、人生に立ち向かう生き方を思い出して、そういう風に最後までいようと思った。だから、沖縄ツアーの日程も入れたし、視察も計画し3月の一般質問の資料請求もした。事務所の処理についても、スタッフに話しをして、おいた。どんなことがあろうとも、前向きに、これが私の今年の言葉だろう。

ところで、癌ではなかった。「1,2年は胃癌にはなら無いでしょう」とのことだった。あまりにも思いつめていたので、それを聞いてもホッともしなかった。今まであれこれ考えた整理をしなければならないと思ってもいる。本の整理が大きいし、癌ではなかったのだから生命保険も少し多くしなければ、死ぬに死ねないことが分かった。

午後12時のアポイントメントなのに、診察は1時半。そのご、役所に行き、仕事の算段を付けた。帰りは5時過ぎ。もっともっと前向きに生きなければ、人の命は有限なのだからとつくづく思っている。
15日(火) 今日は朝から役所に行き、視察の関係や次の議会でする一般質問の資料を集めた。午後まで掛かった。一生懸命仕事をしようと思う。まだ、提言の骨子が出来ていないが、他の市では施策として行っていることだから、ある程度の提言を問題することは出来る。ただ、職員体制が問題で、IT化できることは極力して、マンパワーのいる福祉に人を集めるべきだと思う。

夕食を作ったが、子どもたちは遅くて、夫も夜少し10時過ぎに帰宅だったから、一人で夕食を食べた。食べ過ぎたかな。最近体重は落ちない。あと3キロとか思っているが、あまりに落としすぎるのも怖いのでペースダウンをしている。食べた量によってやはり体重が変わってくる。人間の身体は正直である。
14日(月) 今日は、朝9時から受付の成人式に出席した。出来る限り出席している。若者たちのパーフォーマンスや主張を聞くのが楽しみだし、成人の様子も見たいものだから。

今年の成人式は穏やかだった。まずは、市長の式辞は長くていただけない。狭山市の歴史に薀蓄を傾ける必要があるのだろうか。それよりも成人になってどのような権利と義務が生じるのかを言うべきではないかと思った。行政の力になってくれというような、行政に貢献してほしいという事を言っていたが、ちょっとさもしい感じがした。議員としては、若い力を市の中で活性化する施策を持たないのに、彼らたちが本気になった時にどうするのかと思った。地域センターは中高年男性の巣窟だしね。昔は青年団もあったし、消防団だってもっと若者中心だったと思うけれど、今は中高年が牛耳っているし・・・・

議長の祝辞は直接若者に語りかける内容で私はとても好きだった。それに、20歳になると選挙権を持つことその責任についても多少の言及があり、選挙によって選ばれた私達は市民に選挙権の行使をもっともっとお願いしなければならない立場である。若者を行政が利用しようという魂胆(?!)一杯の市長の式辞に比べ、手前味噌だが議長の祝辞はお祝いの思いがこもっていて大変よかった。

1部2部の2回に出席した。帰ってきたら昼を過ぎていた。そういえば、舞台で倒れた男性は大丈夫だったのだろうかと心配した。

午後は、娘と夫が映画を見に行くというので、私が映画館に送り、彼らが見ている間、サピオでトレーニング。5時半ごろまたお迎えして、帰ってきた。夫は娘とのデートを楽しんだようだ。

夕食後、夫は今度下の息子を連れて、映画へ。息子とデート。息子に午後、「一人で映画を見たら」といったのだが、「お父さんが一緒に行こうというから一緒に行く」とのこと。息子もお父さんとデートしたかったのだろうと思い、気持ちよく2人を送り出した。子どもには一人ひとりにアテンション(注目)が必要だという夫の考えを尊重した。
13日(日) 今日は、朝礼拝に出かけた。先週、出初式でいつもの教会にいけなかった。今日は、朝10時から自治会の新年会があったが、酒席に出かけるよりも、礼拝の方が優先だ。特に招待されているわけでなし、自治会長と懸案事項を話すわけでもないのでね。話す時はしらふの時の方がいいし・・・・

午後、教会の近くのスーパーで寿司をかって、伯父さんの所に新年のご挨拶に行った。88歳というのは、人間の能力がだんだん少なくなるときなのだろうか。記憶力も本当に衰えているというのがよく分かり、彼自身自分に不安を持っている。あんなに頭がよかった人なのにと悲しくなったが、そんなそぶりも見せずに楽しそうにして、帰ってきた。年を取るというのは、老いるというのはああいうことだし、それでも伯父は呆けていないだけよいとしよう。

その後、小手指の本だらけに寄って、少しの間本を立ち読みとおもったら、本を買って出ようとしたら、なんと5時。2時間以上もここにいた。美容院の予約を入れていたので、大慌てで帰ってきた。昨日の残りがたくさんあったので、家族には残り物で夕食を食べてもらった。帰ってきたら、8時だった。

ところで、昨日衆議院でアフガニスタンでアメリカ軍に無料で石油をやるが可決された。ばかばかしく仕方が無い。アメリカに追従するにしても限度がある。アメリカが勝手にやっている「テロ退治」とか言うのに、何で付き合わなければならないのだ。戦争に加担するのは、憲法上許されない行為である。本当に腹が立って仕方が無い。何のためにこの法案を通したのだろうか。民主党への力の誇示のためか。日本の国益のためになるとは一切思えない。本当にばかばかしい。
12日(土) 今日は、朝息子を駅まで送っていき、その後家事に励んだ。10時ごろ夫がおきてきたので、食事をしながらオードリーヘップバーンとケーリーグラントの「シャレード」を見た。何ヶ月前に、500円で買ってきたDVDだった。これは私が若いときに見たいと思ったけれど、銃撃の場面が宣伝に入っていて、怖そうで見れなかったのだ。

で、きょう「シャレード」を見たが、とてもおしゃれな映画で、堪能した。あまりにも嘘が沢山でてきたので、何が嘘で、何が本当か訳が分からなくなった。そこが素敵なところ。パリの風景もよいし・・・・

午後は、夫は会議に出るために渋谷に出かけた。私は、娘を連れて市民会館の「ハッピーコンサート」へ。素人のコンサートだけれど、まあまあ聞くに堪えた。クラッシックの部分は心が洗われるような思いだった。「アベマリア」のバイオリン、リストの「愛の夢」のピアノ。どこかに優しく慰めがほしい自分がいるのかな。自己憐憫はいけないと思うけれど。

その後、農協で買い物をし、カルフールに行き、大量にきょうする夫のディナーの材料を買い込んだ。値段のことを少し忘れて夫が喜びそうなもの、子どもたちがすきそうなものを買った。帰る途中、息子を駅に迎えに行き、急いで帰ってきて、ご馳走を作った。

したの息子が遊びに行ってしまい、結局ディナーは夫と私と上の息子と娘で行った。後から、したの息子が帰って着たけれど、ケーキカットは終えてしまっていた。本当に久しぶりで5人で食事をした。話すことも無いけれど、5にんがそろうだけで幸せな気持ちだ。
11日(金) きょうは、朝息子を駅までおくったので、そのついでにパステルに行き、サピオでトレーニング。もっと、頻繁に行きたいけれど、あれこれ忙しくて出かけられない。

午後、スタッフとミーティングした。今年の予定を立てた。今年のメインイベントは沖縄平和ツアーである。その他、例年通りに社会見学もするし、バザーもあるし、新年会、議会報告会と一つ一つこなしていくだけでも大変だ。頑張ろう。

スタッフミーティングをしながら、夫の誕生日なのでケーキを焼いた。久しぶりだ。で、夜にでもケーキでバースディを祝おうとしていたが、上の息子は忙しそうに出かけるし、下の息子はなかなか学校から帰ってこないし、娘は私に叱られてふてくされているしで、結局ケーキカットも出来なかった。かわいそうなジムさん、お父さん。

私は、「赤ひげ」を見終わり、満足。
10日(木) 今日も朝から封筒に印刷物をつめたが、終わらないのでスタッフに任せ、私は1時から議会の議員研修会に出かけた。研修は有意義に行われたが、少し時間がたりなかった。いや、何回かに分けて講習しなければ、話しを網羅できる内容ではなかった。年に1回の講習ではなく、年に2,3回は全員で勉強する機会があってもよいと思う。勿論、個人の政務調査費を使っての研修はたくさん行っているわけだが。

私は体の調子が今一で、カロリー制限、飲酒も制限されている状況で新年会は失礼させていただいたが、議員新年会があった。私は部長にご挨拶して、帰ってきた。夜は「赤ひげ」を半分見て寝た。
9日(水) 珍しくスタッフが総出で、印刷物の袋つめをした。何万枚と印刷し、今回は多めに議会レポートを発送するので、1日中、袋つめをしても終わらない。久しぶりの大仕事。

私の体重減が10キロになった。複雑な心境である。確かに1200キロカロリーダイエットを続けてはいる。また、目標体重は60キロでそこまで入っていない。だから、もう少し続けるべきだろう。でも、少しカロリー数を上げてもよいのだろうが、あまりお腹がすくこともなく、高カロリーのものを食べたいとは思わなくなっている。それに、お正月にお汁粉を食べても、結局太らなかった。まあ、お正月は大抵2食だから、太りようもないし、田舎の料理は煮物が多く、日本食だから太りようも無いのかもしれない。
8日(火) 今日も原稿仕上げ。イラストを張ったり、印刷した原稿を郵送すべく畳んだり、折ったり。

その後、買い物に出かけたり、お金を引き出しに行って、支払いをしたりと忙しくすごした。
7日(月)
69300カウント
今日は朝から原稿を仕上げるために頑張った。スタッフも10時過ぎに出てきて、郵送分の封筒を仕上げていた。私の原稿はすべて夕方までに校正され、明日はイラストを張って完全原稿となる。これで、私がするべき12月議会の後始末は、19日の新年会だけとなる。ちょっと嬉しいかな。

夜、ツタヤにいって、とうとう「椿三十郎」の三船敏郎バージョンを借りてきた。夜、10時過ぎから夫と2人で見た。織田裕二のほうはカラーだったから椿屋敷の美しさはこちらの方がよかったように思う。ただ、三船敏郎は貫禄もあり、どことなくユーモアもあり、これはこれでよかったのかもしれないと思った。田中邦衛が若くて、44年も前の映画だとしみじみ思わされた。黒澤明監督の娯楽映画は楽しそうなので、「用心棒」を借りてこようと思う。

ところでもうじき70000カウントがやってくる。ゲットの方のお知らせを待っています。
6日(日) 今日もゆっくりしたかったが、息子たちが朝からいそがしかったので結局早くに起きた。私は少しゆっくり新聞を読んでから、出初式に出席。出来る限り出席しているが、今年は暖かでよかったと思う。思ったことは、消防署には女性が少ないなあという事である。昨年一人採用したという事であるが、今年は2人しか女性を見なかった。少し、考えなければならないのではないか。事務官にでも、女性を入れたらどうか。何かあったときに、女性への対応が出来ないこともあるのではないかと心配をした。

出初式のあと、最寄の教会へ。自分の教会に行くには、時間が遅くなりすぎたので。昼食後、夫を駅に送った後にサピオへ。ジムで汗を流して帰ってきた。途中、蔦やによって黒澤明監督の「椿三十郎」を借りようとしたが、すでに借りられていたので、「まあだだかい」を借りて帰ってきて、すぐに見た。黒澤の最期の作品だそうで、面白いところなんてあまり無いのだが、涙が流れて仕方が無かった。教師冥利に尽きるな。教え子たちが本当に親身。金無垢先生と言われた先生もきっと誠実に生徒と接していたのだろう。

妻役の香川京子もいろいろな監督に使われているけれど、清楚でそれでいて生活感があって、素晴らしい。私は、吉永小百合よりも好きだなあ。香川の方が個性がない分、きっとどの監督も刺身のつまのように使いやすかったのかもしれない。ジェンダーの観点から見てみると、個性の少ない女優で清楚でというのが、昔の男にとってはよかったのかもしれないな。自分に無いものを求めるように、昔のああいう女性が懐かしく思えたりする。「先生」の所に多くの生徒が集まったのも、結局はお母さんのようなきれいな奥さんがいたからだろうと思う。日本男子はマザコンだものね。家の息子たちもそうだけれど。

娘は友達のうちに遊びに行き、ゆっくりして帰ってきた。
5日(土) 今日は朝ゆっくりしたかったが、息子たちは専門学校へ行ったり、部活があったりと朝からばたばたしていたので、親たちも早くから忙しかった。結局朝ホームページをリニューアルしたり、洗濯や片付け物をしていたら、あっという間にお昼過ぎになった。

午後は新しく本がアマゾンから届いていたので、それを読んだりしていたが、夫が映画を見ようと言い出したので、「ナショナルトレジャー」を見に行った。昨年末、織田裕二の「椿三十郎」を2人で見に行って、かなり楽しかったので、今回も痛快娯楽映画を見に行ったのだ。ニコラス ケージは昔見たアル中役のイメージがあって、今回の役をみて驚いた。かっこいい役もできるんだあ。それにしても、息子たちの好きそうな映画であるが、彼らは忙しすぎてついてきてくれないし、女の子は全然興味を示さない。このごろ、夫婦二人で出かけることが多くなった。女性では、友達同士で出かけるという話しを聞くが、家の場合、一番の友達は夫かなあ。

映画を終わって、息子を駅でピックアップして帰ってきた。息子はバイトがあるとかで、食事をして出かけた。彼は忙しい。夕食後、私はネットニュースの原稿書き。下の息子はようやく宿題に取り掛かった。いつも早く終えておけというのだが、この子はぎりぎりまで宿題に取り掛からない。は〜〜〜。でも、私の報告書も原稿もぎりぎり間に合うというのが実情だから、息子に強くも言えないかな。
4日(金) 今日は朝ゆっくりした後に、急いで荷造りをした。その後、新潟のお魚を買い込んだ。おいしいからね。出発は1時10分。途中までは快晴だったのに、さすがに長岡あたりから少し雪がちらついた。堀の内はもう雪景色でとても美しかった。新潟県は本当に美しいと思う。雪に覆われた山々を見て心が表れるような思いだ。湯沢近辺は少し混雑していた。けれど、そのおかげもあり、路面の凍結もなく、午後3時過ぎに関越トンネルをとおりぬけることが出来、4時には山をおりて、高崎までやってきた。狭山についたのは5時半ごろ。家に着き、荷物を下ろしてホッとした。

夜は、ありものですましたが、洗濯物を2回もまわし、スーツケースの中を片付けるのが1仕事だった。
3日(木) 今日は朝ゆっくりした。午後から、弟がまた遊びに来た。弟とWIIで勝負をしたが、私はテニスだけ買ったけれど、ゴルフもボーリングもべた負けした。けれど、遊びながら一日を過ごすなんて幸せだなあと思った。おいしい物を食べ、楽しく過ごす、こういうのがお正月というものだろう。

夜に娘と買い物に出かけた。結局、娘はピンクのお財布を買い、私はブックオフで古本を買った。叔母の家は新潟の中心街にあって、三越も大和も丸大もすぐ近く。本当に便利なところ。車なんか必要ない。
2日(水) 今日は朝いつものお正月のように、お雑煮とお汁粉とサラダなどのご飯を朝遅くに食べ、12時過ぎに新潟に向かった。大晦日に吹雪にあい、とても怖い思いをしながら直江津の実家までやってきたので、きょうは早めにでて、ゆっくり新潟まで車を走らせた。途中、日本海のすぐそばを通るので風が強く、海も荒れているのがよく見えた。

西山を走っているときにブルーシートがまだ少し見えた。地震の影響がまだあるのかもしれない。道路はかなりスムーズで夏に走ったときにはまるでエレベーターに乗っているような感じだったが、それも修理されたのだろうか。

見附のあたりは少し雪が降っていたがあとはスムーズに新潟までいけた。新潟では伯父や叔母が待っていて、弟の一家も来てていたから、13人で夕食を食べた。たくさんご馳走が出て、子どもたちにもお年玉を上げた。
1日(火) 明けましておめでとうございます。私は年賀状をかけないものですので、この場をお借りして、旧年の御礼と今年の皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。

今年の抱負といえば、健康で仕事に一途にすごしたいという事です。家庭としては、娘と息子の就職が今年の課題である。さてどうなることか、神様にすべてをゆだよう。結局は「すべてが良い」というふうになるだろうと信じる。

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