私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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12月 私の独り事
31日(水) 今日は起きてみるとうっすらと雪が積もっていた。なんだかとても嬉しい気分になり、他の家族が寝ているうちに、散歩に出かけた。ウサギの足跡がついていた。もう朝には雪も降っていなかったから、青空の下、爽やかな散歩になった。

遅い朝食後直江津に出発。雪が午後から凍ってしまうのが怖くて日のある内に信州北の山越えをしたかった。うまい具合に妙高を越えるまで雪がなかったのに、新井を過ぎ高田では猛吹雪になった。だから、冬の天候はわからない。

夕方、お兄ちゃんも狭山から来て、おじいちゃんも含め皆でお年やの晩をすごした。全くいつもどおり。すし、すき焼き、かになど。お神酒で乾杯もあったし、年度末のお祈りもした。
30日(火) 今日は別荘に行くので朝から荷物整理をした。高々何日かなのだが、洗濯は出来ないし寒いからセーター類が必要なので荷物が大きくなってしまう。私は午前中に荷物を作ったが、息子は今日も講習があるというので午後になってようやく帰宅。車も山道用にスタッドレスをはかせた。

夕方ようやく出発。佐久に着いて夕食の後、別荘着。
29日(月) 今日は夫は会社。息子は学校。夫は打ち上げがあると言うし、息子は自転車が壊れているので結局2人を送っていった。その後、不要になったストーブやらの不燃物をもって第2環境センターへ行った。今日は、不燃物も受け入れてくれるのだ。第1センターなんか行ったらまた1時間も待つことになるので、第2センターへ行った。その後、銀行でお金を引き落とし新券にしてお年玉の用意をした。そして、帰りしなに、お土産にお茶を買い、帰省の準備はまあまあOK.。

昼食後、美容院へパーマをかけに行った。忙しくてカットが終わったところで息子から電話があり、途中で息子を迎えに行ったのち、また美容院へ行った。何だろう、この忙しさは。今夜は夫を迎えに行かなければならないから、こんな風にホームページを書きながら夜を過ごしている。

今年を振り返ると、無事5人健康で過ごす事が出来て感謝で一杯だ。社会は不安な状況だし、家族に心配事がないとは言えないが、神様が良くしてくださると信じて生きていくだけだ。困難な時には必ず神様が私達に救いの手を差し伸べてくれるだろう。調子がよい時にも悪い時にもイエス様を信じていれば、祈って過ごせばきっと乗り越える事が出来る。信仰があることに感謝だ。
28日(日) 今日は午前中は礼拝。尾崎のお墓によって帰ったきた。綺麗に掃除してあった。その後、業務スーパーで冷凍品をたくさん買い、古本屋に行き、3冊ほど買って帰ってきた。

家に戻り、買った本をざっと読んだ。これが私のいけないところだが、するべきことが多くなって押し詰まると本が読みたくなる。掃除はしないという事にしよう。あ〜〜〜あ。

夜、サピオへ。帰ってきたら、お兄ちゃんが夫と弟とトランプをするというので私も参加させられた。結局、私達親チームが息子達をやっつけてしまった。まだまだ親に勝とうなんて甘いです。親も大きくなった息子達にわざと勝たせようなんて気は一切なし。夜中ずっとしていたが、楽しくて(勝ったせいだけど)良かった。家はカードゲームは大好きである。
27日(土) 今日も息子が早くに出るというので、弁当つくりに起きた。すこしして、床を見ると息子のお弁当が忘れてあった。息子はアメフトの埼玉県の選抜に選ばれ、埼玉栄高校で練習に励んでいるはずである。そこで、これは一大事と、夫とともに車にとびのり、埼玉栄高校まで行った。息子は親が来たのが嫌らしくて無視されたが、とにかく弁当をおいて帰ってきた。練習を見たが、あれでは東京には勝てない。ゲームというか、動作に切れがない。ボアっとした感じだ。もっと、激しくなければと思った。聖望高校の2人が練習していた。息子は足が捻挫していて練習を見ているだけだった。まあ、本当に情けない。直すため医者に行けと何べん言っても行かなかった。どうも、先生に言われたらしく医者に行きたいとのこと。もう、知らない、あれほど言っていたのに。

ごご、夫と2人で友達の蕎麦屋に蕎麦を食べに行った。私にとっては今一の味なんだよな。何かが足りないのは難なんだろう。きっと手打ち蕎麦があまり好きでないのかもしれない。私はのど越しのよい細いこしのある蕎麦が好きだけれど、手打ちはどこかぼろぼろした所がある。人好き好きだから店の個性を売り出せばいいのだろう。

帰ってきてから夫は会社へ行った。私は家事をしたり、ホームページの更新をしたりしたら、あっという間に夕食。その後、本を斜めに読み始め読み始めた。何しろ、7冊もあるのだから、読み応えがあるというものだ。
26日(金) 今日は、朝から家事。その後、書類の整理。これはうまく進まない。午後は、お金を下ろして、ヤオコーで買い物をした。そのあと息子を狭山市駅まで迎えに行き、郵便局で支払いをして、役所でちょっと話し込み、帰ってきた。夕食を作り、早くに済ませた。まずは図書館に本やCDを返し、たくさん本を借りこんだ。やはり、経済を学ぼうと、榊原英資さんの本で中央図書館にある本を全部と世界代恐慌の分析、昭和恐慌の研究など全部で7冊。まずは斜めに読み始めている。後で私の読書日記に題名だけは載せておく。そして本を読んだ後、感想も書こうと思う。

図書館からまっすぐサピオにトレーニングに行く。
25日(木) 今日はクリスマスディである。朝、昨日のこともあり、娘はなかなか降りてこないが、夫はクリスマスプレゼントを開けて出かけた。直江津の父母と弟の所からプレゼントが毎年届く。勿論家からも送るが、やはり楽しみなのである。次に末息子が起きて、プレゼントをあけ、兄ちゃんがおきプレゼントを開け、勿論私もプレゼントをあけた。私のは任天堂のゲーム。どうせ、私はしないから他の人たちが遊ぶ事になると思う。だって、去年貰ったテニスも結局遊ばない。

だらだらと家事をしていたら、お昼になり、まとまった事もしない内にもう夕食。このところ、考えている事は狭山市の、また日本の将来について。この不況の向こうに何が見えてくるのだろうかと考えあぐねている。西口への投資は無駄じゃないか、この際、人は集まらないのではないかという議論がある。しかし、私はこういうときこそ、公共投資の意味があるのではないかと思うのだ。ケインズの理論や1929年の時の不況について少し学ばなければと思っている。いろいろな数字をみている。コンピューターはこういう点がとても楽だ。さまざまな検索を掛けるといろいろな記事に当たる。次々と読んでいるが、まだ頭の整理がつかない。

直感でものを言うべきではないが、言わせて貰えば、不況にびくびくするなという事である。絶対道はあるのだから。日本や、狭山市がディフォルト、倒産する事なんかありえない。皆で力を合わせて乗り切ればいい。議会レポートに書いたが、一人ひとりがばらばらになるのが一番怖いし、寂しいし、悲惨な結果になる。それは、非常時でも普通の時でもそうだ。だから、家族で、夫婦で、地域で、行政とで、手をつないで悪い時を乗り切らなければならない。大変な人に手を差し伸べる勇気が必要だね。震災の時のボランティアを思い出せば、出来ない事はないのだが、制度上の改正が必要な事は政治がきちんとすべきだ。派遣制度は見直しが絶対必要である。

夜、クリスマスディナーをしたのち、私は夫とサピオのお風呂の方へ行った。夫は初めてサピオのお風呂に入った。私は、すぐにトレーニングの気持ちが強くなって、リラクゼーションお風呂で2回サウナに入った。また、普通のお風呂では1回。600グラムほど減量したが、帰って夫とビールを飲んだのでこれでチャラ。まあ、いいか。
24日(水) 今日はイブ。だからどうって事のない。することは山ほどあるが、手につかない。本当は原稿書きがたくさんあるのだけれど、師走は忙しいのだ。家事もたくさんあって、午前中は洗濯と皿洗いで終わったような気がする。

午後、役所に行って財政課と政策課の話しを聞き、其の足で会計に行き、ちょっとおしゃべりをして、サピオへ。サピオの帰りにヤオコーによって帰ってきたら7時半を過ぎていた。そこで、私の携帯電話を家に置いてきたことから大変な事件が起きていた。まあ、娘が自転車で歩行者とぶつかった事に端を発し、ぶつかられた人が娘の謝罪を受け付けなかった事が事を大きくしたようである。娘は、あまりの剣幕に言葉がでなくなったようで、親を呼べっていう事だったらしいが、私はサピオ。夫は勿論職場。5時過ぎのことであり、親は電話にでなかった。それでも、その方は怒り狂っていたようで、生意気だという事だったらしい。でも、娘は知的障害者でそういう人(大きな声で怒り狂う)に接した事がなかったので、最後は泣き出していたようである。

それを見かねた通行人が警察官を呼んでくれた。そのうち、息子達が駆けつけて、その方に謝ったらしい。一件落着なわけだが、相手を傷つけたというのでもなかったようで、ただただ気分がわるかったようである。よほど酷い怪我で保険会社のほうから手立てをしてもらわなければならないような事故でもなかった。着信記録を見ると1時間も娘は怒鳴りつけられていたようで、そんな状態だったら、娘はパニックを起してヒステリックに泣き喚くだけだったのが理解できる。「口が聴けなかったの」と言っていた。そうだろうな、普段の状況から見たら。

親ばかだから言うのだと思うが、この方は警察を呼ばれたらしゅんとして居丈高のところがなくなったというのだが、なんだか娘をいじめたみたいに思う。息子が「妹は知的障害者なんです」って言ったら、「そうだと思っていた」とその方は言ったそうだが、だったら、知的障害者に何を求めるのだろう。問題があって、親が来ないならさっさと警察を呼んで、住所を確認させ、保険会社と話しをすればいいだけのことじゃないかと思う。後で親はきちんと謝罪に行くのに。何で人前で娘を1時間も居丈高に怒鳴りつける必要があっただろう。勿論、うまく自転車を操作できなかった娘にも全部とは言わないが非があった事は認めるにしても、60歳を過ぎた大の男のする事なのか。後で、名前と住所と連絡先を聞いたが、名前を名乗っただけで何も言わなかったそうだ。通行人が警察官をわざわざ呼んでくれたのだから、警察官にきちんと家の娘のやったことを訴えて、交通事故にしてくれても良かった。警察を呼ぶと怒鳴っていたというのに、実際警察官が来たらあの態度では、始めからその気がなくてただ娘をおびえさせたかっただけのように思える。これも、大の男のすることなのかと思う。

とんだクリスマスイブになった。私がいなくて良かったと皆が言っていた。私がいたら逆切れして、話がもっとこんがらかっていたのではないかというのだ。そうかも。最近、ちょっとの事を大げさに仕立て上げ、付け入って悦にいっている人がいる。特に相手に非があるときには、居丈高で鬼の首を取ったかのように振舞う。こういう手合いは、下品だ。あ〜〜、考えても気分が悪い。今回の事では、勿論なにか不都合のことでもあれば、それなりに対処するし、せざるを得ないと思うけれど、大人の対処の仕方とは大きく違うのが悲しく思う。

イブでしたが、皆しゅんとなってご飯を食べた。娘はすぐ自分の部屋に篭った。その気持ちがよく分かった。
23日(火) 今日はお休み。朝、新聞を見てちゃんと公告が入っていたので安心した。公告というのは私の議会レポートの事である。午前中にホームページの更新なんかをしたらあっという間に時間が経ってしまった。昼食をした後、まだまだ残っているクリスマスショッピング。其の後、ビデオDVDHDDデッキを買った。夫のクリスマスプレゼントである。石油ファンヒーターも買ってきた。今あるヒーターは灯油の消費が大きくてもったいなく思えて仕方がなかった。新しいほうに期待しよう。何しろ、電気代と灯油代は馬鹿にならないぐらい使うのである。

夫と娘は教会に行くというので、夕ご飯を早く食べた。私はユニクロに息子とショッピングに出かけた。穿くズボンがないという事だったから仕方がない、買った。今日もユニクロは人で一杯だった。帰ってきてからいつものようにサピオへ。頑張っていますが、体重はちっとも減りません。筋肉がついているかも。
22日(月) 今日は朝娘を学校に出してから、リサイクルプラザの竣工式に出かけた。いろいろ議論のあったリサイクルプラザであるが、出来てみると小さいなあという感じだった。出きれば3階建て(今は4階建て)で面積を同じくする。すなわちフロアー面積を広くすれば良かったなあというのが感想だ。図面を見てもちっともイメージが湧いてこない。ある議員がここは広すぎやしないかと行っていたが、できてみればちっとも広すぎるという感じでなかった。しかし、しかしここにリサイクルプラザというのは、所沢の東クリーンセンターと同じく場所が悪すぎやしないかという事である。

今まで子ども用品がたくさん買われていったがそれは稲荷山公園に遊びに来たついでに寄った若いお母さん方が多かった。奥冨というなかなかわかりづらいところに人が理解来る商品を買いに来るかなあ。少なくともサンパークに来る人や、奥冨の公園に児童遊具を置くなどして若い人も楽しんできてもらえる工夫が必要だろうな。

リサイクルプラザは本当は補助金のメニューとしてはこちらがメインである。でも、工場棟を建てたかったというのが本音。工場棟も少し見たが、見た目が綺麗になっていた。見た目って言うけれど大切な事である。ガラスが散乱しているような汚い所で仕事をすれば、労働災害も起こりかねないもの。あとは、外まわりの工事があるそうで、残念ながら今年の年末も混雑は避けられそうもない。今日も帰りに込みぐらいを見てきたが、驚くなかれ、奥冨公園のほうまでずうっと車が並んでいた。今日結局1時間半ぐらい待ってごみを出す事が出来るのだろうと思う。役人は仕方がないですよと言うが、まあ、今回は建築確認に時間が掛かりすぎたので、年末に間に合わなかったのだが、本当に残念で仕方がない。

プラザは環境に優しいものをという話があったが、とにかく真似事をしましたという感じかなあ。私は屋上の芝生をはるのを環境に良いことだなんてちっとも思わないから、真似事をする必要があったのかとは思うけれどね。また、浸透槽に関しては本当にがっかりだ。雨水利用はもっと大々的にするのかと思っていた。例えば、車の洗車に使うのかと思っていたのだが、単に草の水遣りのために2立方だけの貯水量で、後は浸透池で浸透させた後に入間川に流すそうだ。は〜〜〜あ、これもなんだかねえ。

午後は昼食後役所に行って、レクチャーを受ける予定だと思ったが、私の間違いだったようで、7階にいき誰もいないところで主幹さんたちとだべってきた。お偉いさん達は議会で不況対策やら予算などについて説明に回っているようだった。さて、私には説明来るのかどうかね。不況というか恐慌対策は至急すべき事よりも、恒久対策がぜひ必要となると思う。特にホンダ対策は大変である。私はエコタウン構想を持っているが、それについてはもっと調べて提言しようと思う。提言した所ですぐに実現するわけでないのだが、とにかく起死回生の事をしなければ狭山市の高水準の福祉、先端のリサイクル都市などは維持できなくなるかもしれない。少し、肩に力が入りすぎていると思うが、ゆっくりしっかりたゆまず頭を働かせていなければならない。

今日、竣工式で市長や大野さん(衆議院議員)がすっかり痩せてしまったのを見ると苦労が絶えないのだろうなと思った。私は自民党ではないが、こんなご時勢に市長やら国の重要な役割を担っているという事は大変な重荷だろうと思う。ご苦労様といいたいな。

午後は、サピオ。夜は一家で食事をし、アメフトの試合を見た。久しぶりの家庭団欒。お兄ちゃんがいなくて残念だった。
21日(日) 昨晩は1時半頃まで、カットを張ったりして印刷の準備をしていたのだが、今日は6時半の電車で息子が練習試合に出るので、6時におきた。急いで息子を狭山市駅まで送っていった。寝ていないけれど、議会レポートの印刷があったから、7時ごろから印刷を始めた。もう少しだけだった。8時過ぎに新聞屋に議会レポートを届けた。一時間ほどかかって戻ってきた。着替えて教会へ。

今日はクリスマス礼拝。たくさん賛美歌を歌い、クリスマスのお話を伺った。その後、もっと賛美をした後に愛餐会。好きなだけ御寿司をいただいた。小さな教会の一年に一度の贅沢。(私はイースター礼拝を聖望の甲子園のために欠席したから)

午後は、新聞やを回って配達費を支払った。その後、クリスマスショッビング。ユニクロに行ったが人ですごい込み合いだった。まだまだ、クリスマスショッピングは終わっていない。新潟と直江津にプレゼントを贈った。例年の事だけれど。

夜6時過ぎにお惣菜をヤオコーで買ってきて、夫と娘にわたし、私と息子は寝室に直行。もう、睡眠時間4時間では持たない。
20日(土) 今日は朝から印刷にせいをだした。何しろ明日に新聞や似もって行き、23日に配ってもらいたいと思っているのだから、印刷を今日中に終わらせたかった。でも、午後からは出かける事にしていたので、後は娘と夫に託した。娘だって、夫だって忙しいのだから大変だっただろう。

今年は金曜日と土曜日に毎週忘年会が入っている。11月28日から毎週である。まあ、それなりに楽しんでいる忘年会である。勿論、義理で出なければならないものもあるけれど、それ以上に楽しめるように気持ちを切り替えて出かけている。今日のはただただ自分の楽しみのために出かけるのだから、ちょっと夫や娘に申し訳ない。それで、2人にはクリスマスコンサートのチケットをおいて出かけた。後で聞くと楽しめたようだった。良かった。

夜、新宿から戻ってみるとまだ印刷をしていた。疲れ果ててホッとしていて時計を見上げると12時半。いくらなんだってもう止めなければという事で印刷を終える。お風呂に入りたくて、頑張ってお風呂に入る。
19日(金) 朝、4P目を支援者の方にファイルを送り校正をお願いした。其の後、イラストを入れてすり始めた。たくさん刷るから大変で、午後からは娘に手伝ってもらった。夕方からは、3Pの原稿書き。校正者がせっついてくれたおかげ(?!)で夜10時半に第3原稿を渡した。書きかけの途中で何回か原稿をファイルしたという事である。何で、B5一枚がさっさと書けないのかといわれるが、出来ない。正確に書く必要もある。多くの人に理解される文章が必要だ。人を傷つけてはならない。誤字脱字にも注意。それでも、校正を何回もしてもらっても間違いは出てくるのだ。あ〜〜〜あ。

とにかく4Pを10時半までに校了して、カットを張った。明日は印刷できる。
18日(木) 今日は本当のこといって、何もしない日にしていた。原稿書きをするには私には3,4時間の助走時間がいる。で、会議が途中であったりすると原稿はかけない。でも、10時に養護学校へ。地区委員会の用事で事務室長さんと校長先生に会いに行った。コンサートの事で事前にお願いしておいた。こうなると、もう原稿なんか掛ける状態でない。

11時ごろ帰ってきたら、入間川病院から電話があって、乳がん健診を午前中にしてほしいとの事。午後から手術が入ったという。それで、急いで入間川病院へ。その後、12時に人と待ち合わせをしていたのでい、急いでパステルへ。結局30分近く遅くなってしまった。2時半ぐらいにパステルをでて、電気やに行き、CDカセを買って帰ってきた。母に何か録音してあげたいと思ったが、機械が壊れてしまっていた。昔ながらの機種。まあ、音が取れればいいかなって感じ。3時だった。洗濯物を入れて家事を少ししたら、もう夕ご飯の時間。今日こそ原稿をと、娘にカレーライスを作らせて、書斎に閉じこもっているが、なかなかかけない。くだらない本を一冊読んだ。何とかしなければ・・・・・
17日(水) 今日は朝から家事にいそしんだ。何しろお手伝いさんが来ない。年末は仕事収めが早いのだ、家では。

11時過ぎに笹井のマクドナルドで養護学校の地区委員会。2時半近くまで。明日の予定を決め、コンサートの打ち合わせをした。催し物を仕切るというのは大変である。昔はこういう事が大好きで、仕切り屋の久美子だの、チェックの久美子だのといわれていたが、今は頼まれた事をチャンちゃんとすることに意義を感じている。とはいえ、会議を仕切ってしまったかな。何しろ最年長の副委員長だからどうしても私が会議を引っ張ってしまう。まあ、うまく言えばそれでいいとしましょうか。

帰る前にブックオフに寄った。いつものとおり、尾崎の本を探し、CDを見つけ買った。本当に尾崎の本棚を作り尾崎ライブラリーとするべきのように思う。かなり集めてしまった。狭山市に尾崎のコレクションを集めたコーナーを作りたいなあ。私が尾崎を卒業するのはいつなんだろうと思う。

夜サピオへ。原稿書きをしようと思うのだが、なかなかワードを開ける気にならない。こういう硬直状態は困ったものだ。掛ける時はすぐにも掛けるのに。結局、本を朝方の3時まで読んだ。
16日(火) 今日は朝から胃カメラを飲んでの健診。この前、血液検査の結果も出ていたので、それも聴いた。私は肥満あり。臍周りが91センチだった。90センチ以上がメタボ予備軍。超気分悪い。せっかくダイエットしたのにね。胃の方は、今回は生体検査なし。胃がんではなかったらしいが、来年詳しい話を聴く。

昼食を役所で取って、役所で調べ物をして帰ってきた。そして、5時近くなってヤオコー前で演説をした。寒かった。聞いていてくれる人がいるのかどうかわからないけれど、これは私の務めだ。10年一度もサボらずにやってきた。これからも、誠実にやっていくつもりだ。頑張ろう。今日はトレーニングをサボる。
15日(月) 今日は議会最終日だった。9時に控え室に待機したけれど、11時近くまで全然始まらなかった。結局3本決議やら意見書やらを議員提案にすることにしたらだ。だから午前中は処報告だけで終わり、午後から裁決となった。始めの議案の採決を終えたのが3時半。その後、休憩という動議がでて、1時間ほど何がなんだかわからないうちに過ぎた。

結局、出されたのは田中議員への問責決議だった。田中さんと他議員との確執はもう喧嘩状態で、こんな時には昔は長老という人が間に入ったりして何とかする事もあったのだろうが、今は血気盛んな人たちが売り言葉に買い言葉状態で、ああすれば、こう問責を掛けるという感じなのである。

まず、田中さんは議会のルールを知るべきだと思う。意見の違いはある。ある時ははっきりあることを主張すべきなのである。それに、多数決は決して多数派が正義だという事ではなく、多数をもって決定するだけの事なのである。多数決の場合、少数派の意見は切り捨てられるのではなく十分に聞かれなければならない。そうでなければ、いつも少数派の意見は切り捨てられる。大抵はそうだけれど、主張しているうちに少数派の意見にも耳を傾ける人がでてくる。だから、私は一人会派というか無会派だけれど、私が議員をしている意義があるというものなのである。

だから、むちゃくちゃ言われているという時には、反論すべきなのである。質問という形で、反対討論という形で、弁明という形で言うべき事は言う努力が必要だ。今回なぜ問責決議になったのかといえば、まずは、田中さんが総務委員会ででNOといわなかった、自分の意思を表明しなかった事で賛成した事になったのが発端だった。もし、NOならばNOといわなかったらいけない。言ったってしょうがないではすまない。言わなければ賛成とみなされても仕方がないのだから。この前の問責決議は私にだって議会による市民21へ言いがかりをつけたとしか思えないものだったが、それに対して反論をしなかったのはどうしてだ。反論しなかったという事は、それを認めたという事になるんだよ。私は反論しなさいと田中さんいったのに、そんなのしたって無駄だよと何も言い返さなかった。少なくとも、反対討論・弁明しようとの意思すら示さず、自分の権利を放棄した。

今回の一般質問の冒頭、田中さんは前の問責決議について批判した。一般質問で何を言ってもいいのかということだが、私は基本的に何を言ってもいいと思う、通告のないようにそっていれば。民主主義はルールなのである。多数派が作るルールだから少数派には時には理不尽としか思えないことも多い。それが嫌なら多数派工作をして自分の好きなルールを作るしかないわけなのだ。狭山市議会では一般質問は通告の内容にそって行政への質問をするという事である。それなのに、田中さんは一般質問をこの前の問責への批判からはじめた。これは2つの意味でルール違反に思われる。一つ目は一般質問の意味を逸脱しているのではないかという事。2つ目はさきの問責決議の批判であったならば先の議会の時に、私が田中さんに言ったようにしっかり反論、弁明すべきなのであった。市民21の2議員が2人で反対討論を行い、あれがいかに不当かを述べて、議事録にとどめさせるべきであった。なぜ、それをしないで、次の議会のそれも一般質問の中で、批判をしなければならないのか。ここら辺で、市民21はルールに対しての意味を理解していないのではないかと思うのだ。

今回、田中さんは問題となった発言を自ら削除した。それで、私は事足りたと思った。しかし、他の議員は許さなかった。それがまた今度の問責になった。私は本当に今回に関して問責をすべきかどうか迷った。この前の市民21に対しての問責には反対した。あの時は議会の方がルールを逸脱していると思った。総務委員会で審査する事を皆で決めたのに、疑義を申し入れたのはおかしいなどと言うのであれば調査とは実際に問題が発覚しなければしてはいけないことになり、議会の調査権を狭くする事になりはしないかと心配したのだ。藪から蛇が出なくとも、藪をたたくという態度が行政と議会との緊張関係を正常に働かせることになるからである。

今回は私は問責に賛成した。それは、田中さんはじめ市民21が、民主主義に対する、狭く言えば狭山市議会でのというか、へのというか本質的な意味を無視しているか、意味を感じていないことにあるのではないかと思うことによる。確かに議員の質だってピンからキリだ。それは確かな事だ。まともに議案を勉強していない議員もいる。それでも議会は市民の付託を得てさまざまな決定をし、チェックも甘いかもしれないけれどしようとしている議員もいるではないか。自分だけが正しいわけでないだろう。議会みんなで分担しながらそれを行うようにすべきだ。どうも田中さんの中では市議会議員の一員で議会総体としてこうあるべきでこうしようという考えが少ないような気がする。勿論、議会に対する思いは一人ひとりの議員では違うだろう。党に属している人はまた違う意味を議会に与えているんだろうと思う。でも、いつも言うように私達議員は同業者で議会という車を皆で引っ張らなければならないと思う。反対でも賛成でも同じ土俵にいるべきである。自分だけが違う土俵にいる、違うルールで戦うというのではいけないのだ。

田中さんは議会を侮辱したというつもりはないというだろう。私も田中さんは議会自体を侮辱したわけでないと思うが、現狭山市議会を軽蔑している事には間違いはないだろう。それで、議員とぶつかり合い、権力を持った多数派が問責という剣を次々に出すというわけだ。まあ、問責を次々に出す多数派にいいたい事はたくさんある。少数派の意見は懐深くして聴くことが必要だ。狸だといわれても腰抜けだといわれても、それの方が狭山市議会全体として対面が保たれる事が多い。また、田中さんにも言いたい。民主主義は多数が力であり、それが民主主義というものなのである。そして、互いがルールを守ることで、其の形式は守られ民主主義も存続するという事だ。多数決が最善の方法でない事は明確だろうが、それに変わるものがない以上、其の上で闘うしかない。戦い方は、先ほどから言うように、問責には反論で、弁明で対応すべきだ。

議会だよりに問責が掲載されれば田中さんは名誉毀損で訴えるかもしれない。それはそれでいいのかもしれない。でも、法定での戦いは面子を除けば、非常に不毛な闘いだろう。それは田中さんだけでなく、議会にとってもだ。議長は、こんな泥沼的な議会運営を真摯に反省すべきだ。田中さんがいけないんだなんていうが、違うぜ、議長。あなたの能力が試されているんですよ。まるく議会を治めるのが議長の役目なんですよ。まあ、まあ待て待てと仲裁に立つように、また次の議会でこんな事が起こらないようにどんな手立てを考えているのか。第3期目議員の初議長として、しっかり荒波を立てない議会運営をしてほしい。議運の委員長ももっと大所高所を見ながら、狭山市議会の意味やら役目やら市民にとってどういう議運が大切なのかを考えるべきだ。こんな苦言を呈するのは私の役目ではないかもしれないが、とにかく一言言っておく。

夜、頭も切り替えがうまくゆかず、ずうっと議会を反芻していた。サピオへ行き汗をかいた。そうでもしないとあたまが興奮していて眠られそうもない。
14日(日) 今日は朝礼拝。午後、ケーキを持って伯父さんの所へ。喜ばれた。アマゾンで本を買って上げた。来年80歳になる叔母さんがコンピューターをいじっているが、なかなか上手だ。それでも本の注文はなかなか出来ないので、私がたまに行く時に3,4冊まとめて買ってあげる。今回も4冊ほど注文した。二千円ほど。年金暮らしで透析をしている88歳の伯父は読書が好きだけれど買いにいけないので、私がちょっとお助けをしているということ。2時半ごろまで、ケーキを食べおしゃべりをして帰ってきた。

帰りにサティーに行って少しクリスマスのプレゼントを買った。その後、家に帰ってきたがカルフールに夫と出かけた。米がなかったから20キロほど買ったり、あれこれ買ったら2万5千円。最近はクレジットカードを使って食品を買う事が多い。

夜は夕飯を食べてからサピオへ行こうと思っていたが、なんだか2時間もショッピングしていたら疲れ果ててしまい、行くのをやめた。年末が近づいている。後援会の政治資金報告書がもうやってきた。ボーナスも出たが、そもそもマイナスだったから、いつの間にかなくなってしまうのではないかと怖い。田舎に帰る旅費も用意しておかなければ・・・
13日(土) 今日は午前中ゆっくりしたかったが、午後に麹町で坂東真理子さんの講演があるので出かけなければならなかった。早くに出かけたかったのだが、結局家を出たのが11時半。途中でサンドイッチを買って、会場で食べた。

話は政治の品格という事だったが、問題は品格があり、人格が高い人が政治家になれるかというとそうではないところである。選挙民が望む政治家が選ばれるのだ。選挙の仕方も旧来型で2世には良いのだろうが、新しい人が政治家になるには大変厳しいものがある。政党化の流れの中で女性にはまたまた難しいものがある。

其の後ディベードの練習をした。外国人労働者を増やすべきかという事が討論の課題だった。私は外国人労働者を増やすべきだという方に組した。第2の開国だという人がいたが、そうすべきだろう。日本はアメリカにはなれないだろうが、アメリカが出来た移民政策を日本ができないわけはない。その際、すべき事は外国人にも国籍を与える方法をもっと考えるべきだろうという事である。アメリカでは帰化も、そこに生まれれば国籍は与えられるわけで、そういうシステムを構築しなければならないだろう。そうでもしないことには、日本は労働力不足が起きるだろう。それに、日本だけが高水準の生活と富を得ていて、他の国の人に分け与えないなどという事を続けていいものか。富の再分配もせず、経済的に他の国から利潤だけを引き上げてくる(搾取という人もいるかもしれない)をしていてどんな国際関係が持てるというのだ。

円より子さんの考えは私は嫌だ。彼女は外国の生活水準が低いから、日本に外国人労働者を連れてきて外国並みの安い労賃で働かせればよい。それの仕事で得たお金で其の外国人は国に帰ればよい生活が出来るとしたら、日本人にも外国人にもメリットがあるのではないかという。私は日本人の何分の一の労賃で外国人を日本で働かせる事には反対である。そんな労賃では其の外国人はお金を貯めて送金なんかママならないだろう。日本の暮らしは外国の生活の何倍も金が掛かるのだ。労賃が低かったら日本で生活を維持するだけだ。そんな外国人が今ですらたくさんいる。

それに低い労賃で働かされた外国人は、自分達が差別されていると思うだろう。実際、3Kの仕事を安い労賃でしてもらうというのだ。私はその考えに大変怒りを覚える。外国人だって日本人だって、女だって、男だって、老人だって、若者だって、同一労働同一賃金というのが当たり前の事だ。3kとは何を言うのだろう。きついく汚い仕事にはそれなりの対価が必要だ。3kの仕事を外国人に頼んで自分達はのうのうとしようという考えに退廃と傲慢を感じてしまう。特に、日本人以下の労賃でとはなんと言う品のない考えだろう。外国人を見下しているという事だ。人間はどんなに貧しくても人間として同等であるという考えが人権に対する基本的な姿勢だ。金で人のほほを叩くようないやらしい考えは嫌いだ。

私は円さんの勉強会に来年は行くのを辞めようかなと考えてしまった。
12日(金) 今日は朝から仕事にいそしんだ。リード文の構想が浮かんだ時点で1ページ目は書ける。2ページまで頑張った。勿論原稿書きは夕方まで掛かった。支援者の方にまたご迷惑かけるがファイルを転送して校正をお願いした。高々2ページ書くのに1日掛かるというのは情けないが、こんなものなのである。

夜、サピオへ出かけた。帰ってきてから読書。明日は子どもも夫も学校も仕事もないからゆっくりできる。それで深夜まで本を読んでいても構わないので、少しリラックス。
11日(木) 今日は朝、息子の弁当をいつものように作り、娘を起して食事をさせ、学校に出した。その後、くだらない本を手にしてしまったのがいけなかった。やるべき事は山積みなのに、本を読んでしまった。アッと思ったらもう昼。お昼ごはんを食べ、今度はコンピューターの前へ。少し、この前にダウンロードしていたものをCDに落としてみようとしたが、どうもうまく行かなくて、これもあっという間に3時間。

夕方、一日中内にいて、本を読んだり、コンピューターと格闘したりしていては運動不足になると思い、娘の自転車を借りてヤオコーまで買い物に行った。ところがいつものように大量に買い物をしてしまい、自転車に積めない。それで、仕方がなく一袋自転車で持ち帰り、車で荷物をヤオコーまで取りに行った。

こんばんは、この前おにいちゃんの誕生日に紅牛に焼き肉を食べに行かなかったので、皆そろって食事に行った。皆がそろうのは珍しい。きちんとお祈りをして、好きなだけ食べた。と言っても、最近は息子達も懐具合を考えてむちゃくちゃ食べるという事はしなくなったようだ。息子の食欲はすごくて、特に下の子は大盛りの丼ご飯を2杯とビビンバと勿論焼肉を大量に食べた。それでも遠慮して食べているというのはどういう食欲であろうか!!!お兄ちゃんにはいい年して食べ過ぎないように釘を刺した。家はデブの家系だから、怖い怖い。

9時過ぎに食事から帰ってきて、夫と二人で散歩に行った。運動不足とカロリー消費のため。昭待橋まで歩き、サティーによって帰ってきた。1時間ぐらい歩いたし、汗も少し出たのでまあ良い運動というべきだろうか。夜はまた、HPを書いている。
10日(水) 今日は朝から原稿をどうしようかと考えていたが、午後から役所に行き、資料を入手してから始めようと決めた。で、役所に行くと、議会だよりの原稿が締め切りを過ぎていたので、書かなければならなかったし、そのための写真も取らなければならなかった。

役所で男女共同参画推進室によって帰ってきたが、結局役所を出たのが6時だった。その後、急いで食事をつくり、8時過ぎにサピオに。ヤオコーによって帰ってきたら夫が入間市駅に迎えに来てほしいというので出かけた。入間市駅のブックオフで1時間ほど立ち読みをして帰ってきた。本屋は楽しいね。
9日(火) 今日は朝からあれこれ家事をしていて、其のうちHPを更新し始めた。HPはあれこれ手を加え始めるとちょっとだけと思ってもあっという間に時間が立ってしまう。

夕方、4時過ぎにサピオに出かけた。机に向かってばかりいると体がコチコチになって、歩くときに腰が曲がってしまう。これではいけないと、トレーニングをがんばった。

6時過ぎに帰ってきて夕食作り。夜が長くて、こんな時は仕事をと思うのだが、原稿は一字も書けていない。焦ってしまうという割りには、ウェブから尾崎の曲をDLしたりしているとあっという間に夜中になってしまう。コンピューターは仕事だけでなく、遊びにもよい器具で困ってしまうね。
8日(月) 今日は朝のんびりと家事をしていた。そしたら、面白そうな本を見つけてしまい、読破。くだらない本とはいえ、少し考えるところがあった。

1時半にこの前聞きそびれた協定書の内容について話しを聞いた。3時ごろまで。その後、福祉部の学童保育関係の事で報告を聞いた。少しがっかりだ。結局4時過ぎまで役所におり、帰ってきた。ヤオコーにより、買い物をした。牛乳がないという事だったけれど、結局あれもこれもといつものパターン。見たら、土曜日に5万円下ろしたのに、もう1万円冊一枚しかなくて、結局それを出して買い物だ。頭の中で何を買ったか考え込んでしまった。

夕食後サピオへ。2日も行かなかったので体が鈍っている。少しハードなトレーニングをと思ったが、結局いつもどおりに終えて、10時閉店直前のヤオコーへ。またまた牛乳やら納豆やらを買い込んで帰ってきた。米もなくなっていたので5キロ買い込んだ。ちょっと高かったので10キロのお米を買う気持ちになれなかった。本当にお金が飛んで行く。
7日(日) 午前中は礼拝。午後は親の会のクリスマス会。娘と出かけた。その後、マルエツまで行き、演説。この前、マルエツを通ったら知っていた人に「この頃演説をしませんね。市政について知りたいのでまた来てください」とリクエストがあった。それで、でかけた。寒い。30分ほどの演説だが、オーバーコートを着ていなかったので骨まで冷えた。ヤオコーによって安い物を買って帰ってきた。家で暖房をつけたが、どうしても温まらなかった。それで、仕方がなく、お風呂を作って温まった。

夕ご飯後、今日はおにいちゃんの24歳の誕生日なのでケーキを焼いた。久しぶりにいつものアメリカのインスタントケーキミックスでのケーキである。甘い、甘いケーキにクリームとイチゴ。息子は9時過ぎにバイトから帰ってきて、ささやかなパーティーをした。下の息子は中間テストの勉強があるとかでいなかった。こんな幸せな時をいつまでもてるだろうかと考えているが、どの子のパーティーも出来るだけつづけたいものだ。たとえ、結婚しても続けてあげたいなあと思う。甘いケーキもおにいちゃんは喜んで食べてくれた。私も皆と食べるせいもあっておいしく感じた。このところダイエットでケーキなんか口にしなかったせいもあるが、ケーキはおいしいのね。
6日(土) 今日は朝から気持ちがダウンしていて、家事をしながらも考えていた。

夕方お金を引き出し車にガソリンを要れ、博物館に車を走らせた。特別展示会が明日で終わるが、明日は時間がないので、4時半という遅い時間だったが、少しだけでも展示を見ておきたかったのだ。地元の人にソニーの副社長さんがいてウオークマンを作った人だそうだ。その方に協力していただいた展示だそうである。きっと、その道の人には面白い展示だったんだろうな。

急いで帰ってきて、家で車にコンピューターやテレビを載せて出ようとしたら、バッテリーが上がってしまった。途方にくれたが、教会に駆け込んで友達の車からジャンプをさせて発信できた。情けないが生まれて初めて車のバッテリーをジャンプさせる事が出来た。男にできる事は女性が出来ないわけがないのだが、この手の事はすべて夫や息子に任せきりだったから少しうろたえた。というのも、大きな車を外に出していたので、ジャンプをするための車を出せなかったので、どこから車を借りるかが大問題だったのである。それにしても、教会が近くにあってよかった。

実はアメフトの秋の大会の反省会というか祝勝会だったわけである。6時半に始まり、2次会も含め、かえってきたのはナント1時過ぎだった。私は車でいったのでウーロン茶。お酒がなくとも盛り上がれるので楽しかった。それにしても飲み会には体力が必要だ。誰かが宴会は運動会だと言ったが本当だと思う。
5日(金) 今日は委員会審査の日。午前中に2つの議案審査をしたのち、建設委員会協議会で報告を聞いた。協議会では資料が出されてそれに対しての報告という事で、質問はしなかったが、報告を聞いているだけでよかったんだろうか。

午後から2箇所の指定管理になるところを視察した。植物園は今まで公社が指定管理者として管理してきたが、今回の公募に参加しなかった。2社が公募に参加し、1社が落札した。今までは公社は100%市の子会社だから何があってもあまり文句を言わなかったが、今回からは民間企業に指定管理して管理を代行してもらうのだから、草木、樹木を立派に育ててほしいと願う。公社が指定管理者になって以来、私は昔に比べ見劣りするような感じがしてならなかった。植物園祭り等をしてくれたのはとても良かったけれど。今年の6月8日にバラ園を見に行った時もバラが綺麗で嬉しかった。でも、なんだか植物園が寂しい感じがした。アプローチもこんなのでよいのかなあと思ったし、教材園やら薬草園やらもきちんと管理されているのだろうかと疑問に思った。でも、素人の私の思うことだから、玄人の見る目とは違うはずだけれどね。

今後は4月から造園業者が管理するのできっともっと素晴らしい管理になるだろうと期待している。でも、今度私が問題としたところは、例えば補償の問題。ないとは思うけれど、バラ園が全滅したらどうする。ないとは思うけれど、あのハンカチの木が駄目になったらどうする。ないと思うけれど、物が盗まれたらどうする。何しろ、建物を除き、すべてが開放されている植物園なのだから泥棒に入られて素晴らしいバラやら珍しい薬草やらを盗まれてもどうしようもないのだ。こんな場合どうするか。保険に入るそうだが、市民に損害のないようにお願いしたい。

審査を終えて、帰ってきてから頭の中は自分の質問のリフレインが止まらない。あの時、こう聞くべきだった。あれについて、言及しておくべきだったなど、いつものように反省、反省だ。そして、気持ちは沈む。後で、個人的に聞くより他はないのだけれど、公式に発言すべき内容もあった。一応、議案の勉強はしたつもりだったのだが、協定書の読み込みが足りなかったなあ。もっと、もっと真剣にならなければと思う。いつもの事だが、私はざるのような思考だ。モレが多い所は他の議員さんにおぎなっていただかなければならない。こんな時に、やはり議会のチェック機能はいろいろな世代の多彩な経験の方々が必要なのだなあと痛感する。私がもっと法律に詳しかったら、協定書の質をきちんと評価できるのにと自分を責めてしまう。自分をせめても知識は増さないと判っているのに。

動物園はまだ公社が一社髄契になった。これも24年までの4年間の契約だ。今後公社は取り潰される予定。でも、動物は生き物だから例えば明日から飼育者が全員代わってしまったら、パニックを起すかもしれない。私は公社がこのまま動物園を指定管理できると良いなあと思う。ただ、この動物園には投資が必要だろうと思う。雨風に当たらないで弁当が食べられる場所が要る。カラスにおびえないで食事が出来るようにすべきだ。からす対策、鳥インフルエンザ対策も含め、大ゲージを考えるべきだろう。動物園は狭山市が誇る財産である。大切にしたいと思う。

夜はサピオに行った。運動しても気持ちが晴れなかった。
4日(木) 今日は一般質問3日目。始めの2人は30分ですんだのに、田中さんのところで休憩が入り、2時過ぎまで休憩だった。結局終わったのは5時ごろ。何しろ4時まで寝付けなかったから今日は眠くて仕方がなかった。今も眠い。

今日の休憩はどっちもどっちという感じの休憩。田中さんも大人気ない。議会内のことを一般質問で文句言うのは筋違いかなあと思った。それと、あまりにも大野さんについて言及しすぎではないか。法律違反をしているのを市がみすごしているのであれば、やはり糾すべきだと思うが、節税をしているのは糾すべき事ではないと思うのだ。わざわざ大野さんという必要があるのだろうか。それを言い出すと、民主党対自民党の政治政局対決の感じがもろしてきて、市議会という場での議論ではなくなってしまう気がする。

まあ、政党化が進み、市議会レベルですら政党による系列化が進むと市の政治まで政党の党利党略の位置づけになっていくのかもしれない。そういう意味では私のような無所属市民派の議員の意味が大きくなっていくのだろうと思うのだけれどね。

結局今回は田中さんは自分で発言を取り消したのだが、勿論議長にここらへんは取り消した方が・・・・などと言われたに違いない。嫌だなあ。議員が自分達の言葉狩りを始めたら、言論の自由をどんどん自ら狭めて行く事になる。其のデメリットの方が大きいのに。

そうそう、月曜日に私も自分の発言を取り消したけれど、其の時は事務局長が積極的にここを取り消した方が・・・などと言っていた。私はめんどくさくなって「そうですか」なんて言って取り消しをしたのだったが、考えてみればあの時の事務局長は僭越だったと思う。議員の発言について事務局があれこれ言うとは何事だろう。議長が言うのには、権限があるから良いとしても。今回は事務局長は田中さんの発言にはどんな態度だったのだろうか。裏方に徹したのかな。そうあるべきなのだが。

休憩が長かったので、其の間に議長に断って銀行に行き、其の足で西口事務所へ行き、帰ってきてからは交通防犯課へ。昨日の事について。

今日は娘がカレーライスを作ってくれていたので、私はブロッコリーやらほうれん草を茹でたりするだけでよかった。子どもが大きくなって楽になったなあ。
3日(水) 今日は一般質問第2日目。順調に行った。それで、私はまず、郵便局に行き私書箱に裁判員の手紙でも着ていないかと調べに行った。ありませんでした。狭山市では300人近くの人があたり〜〜〜だったはずなんだけれど。私ははずれ〜〜〜でした。ホッとしました。

その後、今度は図書館に本を返しに行く事にし、車で西友の前をとおり駅前を横切って、図書館にいった。駅を過ぎたころどうしたのか大きな声がする。車の中では何を言っているのかわからなかった。ところが、図書館についてからわかった事は白バイが私を止めていたのだった。えっ。生まれて初めて白バイのおまわりさんに車を止められた。私は何がなんだかわからなかった。そうしたら、おまわりさんが言うには私は一旦停止を無視したという。実際の所どこに一旦停止の箇所があったのかわからなかった。はっきり言って、私は法律遵守をするようにしている。自分から法律を破るなんて考えた事もない。家の夫もそうだが、車がいない所だって一旦停止の標識があれば一旦停止する。それは馬鹿みたいと思うほどで、私も彼に見習って神様はどこでもご覧になっているからときちんとする努力をしている。

晴天の霹靂というべきだろう。私はおまわりさんにどこにあったのですかと聴いたら、西友の前だそうだ。私は、そこを通るときに見通しがよくなって良かったなあと思いながら徐行したが、そこに一旦停止の標識なんかなかったし、止まれとも書いてなかったと思った。おまわりさんが言うにはバス用に高い位置に標識があり、道の止まれはこすれていて見えないのだそうである。今まで何べんかそこを車で通った事があったが、人通りが多い所だけに一旦停止というか最徐行をしていたように思う。でも、私には一旦停止場所だという観念がなかった。特に、この頃は見通しのよい交差点になっているからなおさらだ。

横断歩道には人が立っていて私が通るのをまって横断したらしい。それも、いけなかったそうで人を通してから車を走らせるべきだったという。私はそこに人がいたらしいとは思ったが反対方向、すなわち駅に行く人だと思っていた。だって立っていたように思えるからね。なんだか、全然判らないのに、私はいくつか法律違反をしたらしい。こういうときに、市民はなにも言えないものだね。チケットを切られ、罰金を払う事になった。どうも、一旦停止は私が徐行運転したから許してもらえたらしい。だって、本当にあそこに標識があることを知らなかったんだから。意図的に悪い事をしようなんて絶対に考えない。

でも、チケットを切られた跡で少し腹がたった。あんな見通しのよいところになぜ一旦停止をしなければならないの。それに、本当に標識なんか見えなかったんだから。道路の止まれの文字は消えていたし。消えていたのを見る事は出来ないよね。おまわりさんに道路の文字を役所で書き直してもらうようにしますと約束して分かれた。明日、西口と交通防犯課に行く。標識はもっと下げるべきだ。軽に乗っている私の見えるのは目の前2メーターぐらいの高さまでじゃないかと思う。

初めて白バイに追っかけられたのだと知って、なんだか興奮してしまった。(はじめ白バイが自分の車の横に止まった時は、どうしてこんな所に白バイが来るのかなあ。本を借りるのじゃないだろうになんて思ったのよ。)夜にサピオに行き、トレーニングに励んだが、どういうわけか気が高ぶって夜というか明け方まで眠られなくなった。は〜〜〜
2日(火) 今日は私の一般質問があった。5番目。午前中の最後だった。1時間の時間を使いきった。本当は1時間では足りないと思った。質問のひとつづつをフォローできなかった。でも、精一杯できる事をした。今回は4点だった。あまり能書きを言うのをさけ、問題点だけを、自分の考えを中心に話した。法律の話などをすると格調高く聞こえるかもしれないが、そういう質問は少し卒業した感じなのである。昔は、計画の一つ一つを質すということもしたことがあった。それもちょっと卒業かなっという思いなのだ。

問題点は何か、それをどう解決するか、法律によってではなく狭山市の施策としてどう展開していくかという事に興味がある。仕事と介護の両立をどうするか。どんな施策があるだろうか。高齢者の相談体制を充実させるにはどうするか。小規模多機能型居住施設の必要性を認識してもっと設置してほしいから計画を変更してほしい。数字ではない。現実の課題として語りたかった。出来ただろうか。

経済はホンダの首脳陣と市長にホットラインがほしい。もっともっと話し合い、近寄っていてほしいと願っている。形だけの接触ではなく心胆照らしあうって感じになれば良いのに。それに、私は狭山市の経済がホンダに依存している事が悪い事には思っていない。あれもこれもというのはリスクヘッジの考えだが、狭山市の場合ホンダと一蓮托生でも仕方がないかもしれないと思う。だから、ホンダの将来にあわせて施策を展開してもよいのだと思っている。こんな事は他の議員は一人タリとも言わない。新しい産業を企業をというが、私はそうだとは思っていないのだ。本田様、コーセー様、広瀬にある大企業様という思いで産業や企業のために何が出来るかという視点があってもよいと思うのだ。インキュベーションに私は期待していない。もし、私が市長でインキュベーションの経営をするならば、ホンダやコーセーなどの狭山にある企業の下請けや其の技術がそこで使われるような企業にインキュベーションに入ってもらう。

それに、工業用地も用途の指定だけでよいのかと思う。投資をするべきだと思う。下水も入っていないところにどんな企業が来るというのだ。特にこんな不況なのに、わざわざ下水を設置してまで企業が進出するものか。何十億という投資を言っているのではない。、1、2億円で済むのだから早くすれば良いのに。でも、駄目だろな、狭山市の幹部にはそういう観点で物事を進めないからなあ。

第3セクターに関しては、施設公社の解散が25年に決まった。そして、指定管理者になれなかったから、業務の縮小で職員が減らされる。どうなるのだろう。解雇という事か。そうなれば、仕事はこの不況下にあるのか。私は市に入れてほしいといったが、そんな事はで着ないと突っ張られてしまった。いつもいつも頭の固い役人。身内には優しくて再雇用なんかで60過ぎた退職後の役人に300万円も上げるのにね。とにかく路頭に迷わないように、一人残らず仕事の斡旋をすることを願った。

非行については、サポートシステムを地域とともに構築するのだそうである。この前逮捕された少年が学校に帰ってくるのだ。鑑別所に行ったが少年院に行かなくても済んだらしいのだ。今までだってあったことだろうが、少年法が改正されて14歳から逮捕なんてことがあるようになったから、本当に学校は大変なのである。この前、教育指導課の課長と話をしていたが、彼は「卒業後の子どもなんて私達の責任なんかじゃありませんから」とはっきり言う。良いなあ、学校の先生は。学校を卒業させるまでなんだものなあ。私には学校を卒業した子供達も心配なのだ。それで、何がして上げられるかに心を砕いてしまう。教育長は見放しませんと言っていたが、学校という帰属場所のない子供達は誰が面倒見るのだろう。大抵、そういう子供達の家庭は破綻しているし。転がり落ちるように、人生を転落していく事になるのだろうか。それは自己責任なんだろうか。子供達がかわいそうに思われて仕方がない。

午後、残りの1人の一般質問の後、私はへとへとに疲れきってサピオに出かけた。とても久しぶりにお風呂に入り、その後トレーニング、そしてまたお風呂にはいり、4時間近くのんびりした。体中がゴチゴチになっていた。トレーニングも早く歩けなかった。今日は朝6時からおきて第2質問をタイプしていたから、とても疲れていたからだ。心身ともに一般質問にのめりこんでしまう。ちっとやそっとじゃ、この疲れは癒せないのだ。

今日は夕食を作る気力もなくて、ヤオコーの弁当にした。久しぶりだったせいで息子はヤオコーの弁当はうまいねと感激していた。ちょっと複雑な心境である、お母さんとしては。私は自分のご褒美に缶ビールを飲んだ。これも久しぶりです。
1日(月) 今日は議案質疑の日。昨晩考えながら寝たが、きちんと質疑を文章にしてなかったから、不安で朝早くに起きてしまった。それから、議案書を取り出して、質疑を整理した。一応、役人には質疑の点を明らかにしていたけれど、それ以上に質疑が膨らみそうだった。

議案質疑が始まったが、いつものように質疑をしていると後ろの方で私語が聞こえ始める。質問しすぎるという事なのであるが、議会は黙っていて何ぼではない。行政に説明させ、糾し、市民に必要な情報を届ける事が必要ではないか。議会にはケーブルテレビも入っている。テレビを通じて市民に何を届けるというのだ。質疑をするからこそ、テレビを通じて情報が届く。質疑をするからこそ、議会だよりを通じて情報が行き渡る。自分で何もしていないで、人のことをぶうぶう言うのはいかがなものか。質疑は自分が議案をよく勉強しなければ出来ない。私は其の努力を10年間たゆまずしっかりやっている。人様に何を言われても良いが、勿論議員通しで評価するものがいるわけないが、市民にはわかってほしいと願っている。

午後から一般質問の事のヒアリングで最終チェックが入った。早く帰ってきて質問書を手直しするはずだったが、結局夜遅くになった。サピオに行きたかったが、時間はあっても結局気持ちとして出かける事が出来なかった。マイナーのチェンジだけをした。第2質問を考えたが、一応役人に言ったことを中心にすることにした。疲れすぎで頭が働かない。緊張とストレスでまとまらなくなる。体もおかしくなっていて、便秘だ。体中がコチコチになって、一般質問だけに集中している。それにしても、人の力というものは小さなものだ。年を取ると自分の能力がよくよくわかってくる。議会にいろいろな人が必要だと思う。同じことを見てもさまざまな観点がある。そんな風でいいのだと思う。だから、議員定数削減ばかりを言うのはどうかと思うのだ。

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