私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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2月 私の独り事
29日(金)
70900カウント
今日は朝5時過ぎに起きて、質問を整理した。疲れすぎていて、何が良いのか悪いのか分からなくなってきている。「誠実に誠実に、真面目にしっかりと」自分に言い聞かせながら、議案書と予算書に目を通している。特に、昨年は決算委員だったし、決算の要望指摘事項がどのように予算に反映しているかをしっかり見届ける必要がある。

議会での質問は思ったよりもスムーズだったように思う、私の質問に関しては。施政方針演説に関する質問は田中さんの所でまた休憩が入ってしまった。田中さんが原稿を忘れた事に起因するんだけれど。まだまだ新人の田中さんなのだから、4期で一緒に会派を組んでいる中川さんがルールを教えてあげればよいのにと思う。

民主主義はルールだ。それも、権力者というか、多数を取る人たちが作ったルールだ。少数派にとって、大抵は理不尽だと思うところがたくさんある。でも、それをひっくり返すには民主主義では多数を取るしかない。多数を取る事は正しい事をすればよいという事でもないし、多数が正当な事をしているわけでなく、ただ多数は議会の中で力で、決める力であるという事なのだ。でも、理不尽と思う事でも、ルールはルールでそれを無視するのならば民主主義を否定する事になると言うものだ。

田中さんはルールが書いてないと言う理由でこの前に議会である人の名前を言って質問した。それは、議会では暗黙の了解として、してはいけない事だった。この議会の前、議会運営委員会でそれは決まりごととして明文化された。不文律だったのに、明文化されれば、今後はこれは融通の聞かないルールとして、私達を縛る道具になる。ルールが一人歩きしていく。勝手にこれが使われ始める。先回、ルールが書いてないから、ルールを破っていないと言う論理で田中さんは、自説を通した。でも、本当に大切な事は大抵は誰も書いてはいないはずだ。例えば、愛はルールより上だなんて、何処にも書いていない。でも、そうだ。自由は、ルールよりも何よりも大切なんだとは書いていない。でも、そうなんだ。田中さんはその辺の事を考えてみるべきかも知れない。私達は、ほとんどマージンの中で押しつぶされないように生きている。それを理解するべきだろうと思う。(ちょっと、哲学的かな)

午後は、2時すぎに議会は修了した。その後は、少し予算書を見直し、企画関係の人に、質問のヒヤリングを受けた。またまた、どうしようもないようなシンドサ。疲れ果てて帰ってきた。勿論、もう何も出来なかった。ご飯を食べてすぐ寝る。
28日(木) 昨晩は結局12時には眠ってしまった。だから、今日は、朝から明日のための施政方針に対する質問の原稿を書き始めた。あまり、能書きも要らないから、今の言葉でサクサクと書けばいいわけだが、原稿がサクサクなんて書けたことがない。

書き上げたのは、4時45分ごろ、少し手直して、まあ完全稿にしたのが5時半だった。クリップにして、役所に送った。便利になったものである。その後、ゆっくりなんかしていられない。明日の議案の質問事項を確認しなければならないからである。議案で何をケーブルテレビを通じ、市民に届けておかなければならないかを考え考え質疑事項を整理した。無理やり質疑する必要もないし、あまりにテクニカルの事を聞いても仕方がない。事務的な事は、私の知識として職員さんに聞けばよいわけで、なにも議会での発言にしなくても良いわけだ。

予算関係も歳入まで入っているから、質問もきちんとしておかなければならない。途中、もう頭がまた疲れ果てて、寝る事にする。明日朝起きて、もう一度質問を点検しようと思う。
27日(水)
70800カウント
今日は議会2日目。朝は予算の説明だけ。数字を読んだのを聞きながら、目で議案書の数字を追い、理由をメモしたりして集中していると、午前中3時間(中15分の休みがあったが)だけで頭がつかれきった。肉体疲労とは違う疲労困憊なのだ。午後は食事後、1時間近く説明があった。本当のことを言って、この3日間の頭脳の疲れは、午後になってピークに達した。実際、人に会いたくなくて、職員さんと話しをするのを拒んだ。一人の時が必要だった。

2時間ほど、一人の時間を取って施政方針に対する質問を書き上げた。たくさんの人が質問するのだから、あまりすべてを網羅しなかった。出来るだけ、市が自分の方針で行う事業を取り上げるようにした。その後、担当の職員と話をした。今回は多くの職員とではなく、担当者一人だったから、負担が少なくてよかった。今日は、本当に疲れすぎていた。

6時近くに役所を出た。帰ってきて食事をちょっとしてサピオに出かけた。運動して汗を流して、血のめぐりを良くしなければ、もう、とてもやっていけないと思った。今夜は頑張らなければならない。
26日(火) 議会初日。代表者会、議運、全協があり、開会。午後までかかり、予算の歳入までの説明が終わった。

その後、国民健康保険についての説明をしてもらい帰ろうと思っていたのだが、なんだか知らないけれど、大勢の課が来ていて、順次話した。まず環境部、福祉部(障害者福祉、福祉課)、国民年金保険課、老人健康保険、子育て支援課、保育課、ここで終わりだとホッとして一息ついたら、電算課、職員課が来て話し込んだ。え〜〜〜、9時過ぎ!!7時半ごろだと思っていたのに、話し込んで時間を忘れてしまっていた。

あまりたくさんのさまざまな事を話し込んで、頭がまた回らなくなって、説明が分からない。とにかく、何で条例を分かり憎い言葉で書くのだろうか。日本語を読めても、全然意味不明。職員の解説というか翻訳というか、説明抜きには文章が何を言おうとしているのか、私には理解できない事がたくさんある。その上、言葉を理解しても、それが市民等にどんな影響を与えるのかが見えない。昨年も同じ事を聞いたなあと思いながらも、もう一度聞き返している。まったくも〜!!!

ご飯を作る気もなくて、子どもたちは自分たちで食事を作り、私はヤオコーでお寿司を買ってきて食べた。これじゃ、太るかもねって思いながら、食べた。夕食が10時過ぎじゃ、お腹がすきすぎて何でも食べられる。ワインを一杯飲んだ。これほど、頭にいろいろ入れると脳が興奮していて眠られないのだ。早く眠りが来るのを待っている。疲れた。
25日(月)
70700カウント
今日は朝9時半から高齢者介護課、その後、国民年金保険課、昼食後、青い実学園、財政課、企画関係とヒアリング。終わりは7時半ごろ。頭が一杯一杯で最後は考えられなくなった。
24日(日) 今日は朝は礼拝。イースターに向けての説教。イザヤ書。帰りに古本屋に寄ったので帰ってきたのは3時。途中、お金がなくなってセブンイレブンでお金をひき下ろした。便利になったものである。ATMで手数料が惹かれるのが嫌だけど、日曜日に財布が空になる事も多いので、時々使ってしまう。

お腹がすいて、食事をした後、結局買ってきた本を読んだりしている。原稿書きが頭の隅にあるから、ちっとも楽しめないわけだが、書けない。申し訳ない。どうして、切羽詰らないと駄目なんだろう。アウトラインだけでも書かなければと思うんだけれど。
23日(土) 今日も忙しかった。午前中、少しゆっくりしたかったが、息子が学校があり、駅まで送っていったり、家事があったりしたもので。

午後は聖望学園のPTAの臨時会。選抜に野球部が出場するので、寄付金の事での集ま、りである。先生方、後援会、PTA、野球部の親ともども気合十分である。寄付金集めを頑張ろうと思う。

帰ってきてから、もう1件に連絡して、集金した。皆さん、理解がある。

夜は食事ののち、入間の湯へ夫と出かけた。私は垢すり、夫は岩盤浴。少し、きれいになったかな。
22日(金)
70600カウント
今日は朝、養護学校の保護者会があった。役員決めだというので、実は時間をはずして行ったのだが(卑怯者と言わないでね)、学校に着くなり、「ブラックソンさん、くじに当たったよ」と言う声。何のことか理解できなかったのだが、役員になる人がいなかったようで最終的にはくじ引きとなり、私があたったようである。断る理由がないので、引き受ける事にした。どの子にも学校で一度は役員を引き受けるようにしているのだが、養護学校は小学部からの人もおり、高等部からの私のようなものの出る幕はないと思っていた。引き受けたら、それなりに頑張ろうと思う。

帰ってきたら、もう1時ごろ。お昼を食べた後、4時からのミーティングに備え、頭を抱え込んだ。午後遅く、スタッフが出てきたので、沖縄平和ツアーの話しをした。そろそろ、日程も決まりかけている。後、2人ほど人が集まるといいなと思うが、どうだろう。

4時からのミーティングは、ある程度思っている事を話した。しかし、ひとつ言うのを忘れたが、今の複合施設、「現在ある公民館(出張所)をどう運営するか」という事を聞きたい。そのありよう、そのあるべき姿をどう考えているかを市に質したい。業務連絡:教育委員会、自治振興課の人はこの答弁を書いていてください。

その後、保健センター所長とヒアリング。来年、健康増進法が変わったりするので、大きな制度変換があり、市民にどう係わっていくかを質疑の中で明らかにする必要がある。彼には悪かったが7時ごろまで掛かった。

その後、少しぼんやりした後、帰ってきた。ヤオコーにも寄った。頭が政策で一杯でお母さんになるのが難しかった。遅かったので、子どもたちはあり合わせで食べたようだった。私が夕食を食べ終わったら、8時45分。息子がサピオに行ったらと言ってくれたので、急いでサピオへ。一時間だったが、汗をかいて気持ちが良かった。帰ってきた後、もう、頭が一杯でとても仕事にならず、お風呂に入って寝る。仕事は一杯あるのにと思うが、
21日(木) 今日は、朝から議会の控え室に閉じこもって、スタッフとともに予算の勉強会。またまた、がんがん電話を掛けながら、付箋をあちらこちらに貼りながら、5時まで。もう最後は数字を見るのも嫌になるほどだった。小さなことが気になったり、大きな数字が気になったり、全体像がまだつかめない。困った事だ。

それにしても、昨日の国の予算の勉強会で11兆円のうちの数字を読んで、この施策は1000億円なんていっていたから、高々36万円予算がついた成年後見制度について注目するのは、小さいと言うかもしれない。でも、全国の数千億円でなく、狭山市の高齢者の生活の方が私には重要だ。彼らの暮らしの心配をしてしまう。市議会議員だもの。狭山市議会議員だもの。狭山の一人ひとりが幸せであってほしいと思う。

ヤオコーによって、買い物をしてから帰ってきた。夕食後、尾崎の音楽を聞きながら、これを書いている。何でこんなに尾崎がすきなのか。彼の言葉は強いし、歌う時、彼の日本語がきれいだからかな。私は合唱を長いことしてきて、言葉を立てて歌う事を教えられたが、尾崎は本当にそれが出来ていて、アーティキュレーションも素晴らしい。だから、彼が何を歌っているか歌詞が分からないという事がない。それに、歌のドラマがドラマチックである。感性が似ているからだろうか、共鳴する部分が大きい。それも、彼の歌詞が素晴らしく、且つ先ほどから言うように、言葉がはっきり聞こえてくるから、曲を聴きながら感情移入できるのである。

尾崎のように、こんなに苦しんでいる息子を見て、親は何が出来たのだろう。何をしようとしたのだろう。東京ドームのコンサートは見ているのも可哀想で辛い。見ているだけでも、飛んでいって肩を抱いてあげたいと思うほどだ。自分の息子があんなに苦しんでいるのを見たら、私はどうするだろう。何も出来ずにおろおろするだけだろうか。いや、私は体当たりで息子たちに対峙し、こっちを見させて、私の愛だけは揺るぎがないことだけでも伝えるだろうと思う。

そうしても、子どもに対しての親の愛は彼らのアイデンティティーの形成にとって、影響のない小さなものなのだろうか。尾崎を見ながら、子どもの心の危機を放っておけないと思ってしまう。わが子の内面に触れる事は難しいが、夜中2時過ぎ長男と2人きりで話しをしたり、ウザイと言われながらも下の息子に語りかけたりする。それは、彼らの心が傷ついた時には彼らの心に寄り添いたいと、本心から思うからである。彼らの魂とともに居たいと思うからである。
20日(水)
70500カウント
今日は、朝10時から、衆議院議員会館で持たれる市川房枝政治参画センター主催の男女共同参画関係の予算説明会があるので、急いで衆議院議員会館へ出かけた。ぎりぎり間に合った。課長級の説明と質問。内閣府・男女共同参画局、農業水産省、厚生労働省、文部科学省。いろいろな新しい施策が出された。

しかし、ジェンダーの視点が薄れてきているという感じがしてならない。これは女性の問題ではなく、その世代の問題だと言う課題もあった。例えば、介護は女性の問題だけではない。老いの問題。子育てだって、女性問題ではない。勿論、男女共同というのでは、結果平等ということであるならば、よいのだろうが。ジェンダーの視点という事にすら、ためらいを感じる役人がいるのではないかと思う。

今回、筑波みらい市について、先輩女性が声を上げた。実は、先日行われたフェミニスト議員連盟の時にその事も出た。それは、筑波みらい市でDVの啓発事業をしようとしたところ、DV加害者が怒鳴り込んできて、DV法は家族を破壊する悪法だから啓発をするならば妨害すると言うのに、筑波みらい市は驚き、啓発事業を辞めてしまったのだ。怒鳴り込むという暴力に屈したのだ。DV加害者がどんな人たちであるか、直接接したことのある人なら想像できるとおもうが、とても一人よがりだ。DV法が出来たのは、暴力で女性を支配しようとする人から、女性を解放するために作られた法律である。DV法が家庭を壊したのではなく、暴力を振るった夫がすでに家庭を壊していたのだ。加害者が被害者だという詭弁を許し、暴力で行政の仕事を阻止させるなどさせてはいけない言語同断の行為である。

こういう事が1件だけでなく、連鎖が起きたら、DV法の理念すら犯されてしまう。男女共同参画社会基本法の理念が捻じ曲げられる。国は毅然として、筑波みらい市のこんな行為に懸念の声を上げるべきである。私は坂東久美子局長にこのことをはっきり言った。フェミ議の方々は私が過激であると思ったらしい。けれど、市川さんのこの会でも先輩女性は同じ事を懸念し、同じようにお話しになった。そうそう、福島瑞穂さんも同じ事をおっしゃられたのだった。男女共同参画局の人には体を張って守る法律があるはずである。男女共同参画社会基本法とその精神だけはなし崩しにしてはいけない。

夕方、戻り、食後サピオでトレーニング。少し、汗をかいて、気持ちが良かった。それにしても、忙しく、充実している。
19日(火) 今日は、朝9時に役所に行った。予算書の読みあわせをスタッフと始めた。今日は歳入と歳出の総務費の半分ほどまで。お昼をはさんで5時まで頑張ったが、なかなか進まない。どんな質問をすると市民に分かりやすいか等と考えながら、読み進めている。分からないところは、どんどん課長に電話をしたり、部長に聞いたりしている。早口で言いたい事ばかり言うから「きっと心証は最悪だろうな」と思いながら、「きっと傲慢に聞こえる口調だよな」って思いながら、次々と仕事をこなした。役所の職員さん、許してください。

帰ってくる前、30分は役所でうだうだしていた。議員としての仕事と、家庭人としての母親になるためには、少し時間が必要である。通勤している時間が長ければ、その間に変身できるのだろうが、短いと切り替えが難しい。車の中で尾崎をがんがんかけて、母親モードに戻しながら、帰ってきた。

夜、ご飯を食べさせてから、またヤオコーに出かけ、お買い得品を中心に買い物をした。山ほど、パンを買ってきた。子どもが喜ぶだろう。
18日(月)
70400カウント
今日は朝10時半から全員協議会というので、役所へ。代表者会があったので、実際全員協議会のは10時45分から。報告はただ一件、狭山緑陽高校について。

その後、食事をし、執行部とのヒアリングの日程を決めた。それ後急いで萩山の精神神経センターまで行き、娘の薬をもらって帰ってきた。4時過ぎにまた役所に戻って5時過ぎまでいた。

夕方、家に戻り夕食を作った。子どもたちは帰ってこない。それで、お風呂を作り、一人ゆっくりお風呂に入った。ようやく身体に血が回った感じだった。今日は、一日中からだが冷たくて、いつか友達に言ったように意思の力だけで動いていていた。疲れきっていた。睡眠時間も足りなかったし。お風呂に入ってから、サピオに行った。トレーニングがしたかった。一生懸命走り、エアロバイクに乗ってやっとすこし汗をかいた。私のような新陳代謝がよくない人間は、汗をかくことが少ない。少しでも汗をかくのは、気持ちがいい。だから、トレーニングを止められない。それに、サピオはお掃除が行き届いていて、清潔で好きな施設である。シャワールームに髪の毛が溜まっていたりしたら、気持ち悪くてとてもいけないが、今の所そんな事は一度も無かった。

帰りにヤオコーによって帰ってきた。血のめぐりが良くなって、疲れが飛んで行ってしまった。夜に元気になるのは私の悪いところ。
17日(日)
今日は、朝礼拝。久しぶりにいつもの教会へ。メッセージが心に響いて、一生懸命生きて行こうと思った。貧しいもの、弱い者に寄り添ったイエス様を覚えていよう。市議会議員の使命も大きいかもしれないが、ほかにないかと考えている。だから、里子なんだけれど・・・

午後は「高橋ブラクソン久美子とすすむ会」の総会をパステルで行った。今年は会員2割アップを目指します。頑張ろう。いろいろな話をしたのだが、話しをしているうちに、もっと政治的に動かなければならないと思った。怒ることが必要だし、それを行動に示さなければならない。抗議文を書いたり、ファックスしたりと言うのを後援会としても行う。アンテナの高さが必要だと思った。子育てがひと段落してほっとしたなんて言ってはいけないのかもしれない。あれもこれも行動に起こさなければならない。私の少ない後援会の人も同じような気持ちでいるようだった。それがとても大きな支えなのだ。感謝です。

私は無所属議員だ。政党には一切係わっていない。その限界も分かっているし、その利点もある。いろんな政党の人と同じ距離で付き合っている。水曜日は福島瑞穂さんの協力で男女共同参画局長に会えたのだし、官邸へは大野松茂さんによっていく事ができたし、昨日の勉強会は円より子さんの作った勉強会であった。それぞれの方々に深く感謝である。一方で国会へチャンネルを持っていない不便さと言うか辛さもある。それは、国の制度を変えるには政党の力が必要であるからだ。ねじれているからと言うが、政策が実現可能だからという事で自民党に擦り寄りたい人の気持ちは分かるようにも思える。でも、私はそれらの声をいろんな政党でいう事が必要だと思うから、無所属の小さな力でもめげずに頑張ろう。

午後は、本屋に行き、何冊か本を買ってきた。どうも古本屋に行ってしまう。古本屋も多くの本があって、選ぶのに苦労しない。実際は、図書館よりも本が多いかも知れないと思ってもいる。私は食べるよりも読むほうを選んでしまう。買いすぎだと思うのだが、本の山が出来ている。
16日(土) 今日、朝はゆっくりしようと、昨日のうちに息子の弁当を用意しておいた。それで、彼は朝ごはんを食べ、「お母さん、行ってまいります」を私のベッドルームまできて言って出て行った。この子は可愛いところがあり、私が「行ってらっしゃい」と言ってやらないと出て行かない。週に1,2回は外に出て「行ってらっしゃい」を言ってやっている。こんな事が出来るのも、子どもが生徒の間だけだ。

午後には女性の政治スクールがあり、「新型インフルエンザの脅威」講師、岡田晴恵さん、「生活者主権の国づくり」講師、長妻昭さんの講演を聴いた。前者は国立感染症研究所の研究員、後者は民主党衆議院議員、ミスター年金とも巷で言われている。

報告書を書かなければならないが、鳥インフルエンザが猛毒性のインフルエンザに変わりつつあり、これが蔓延すると、スペイン風邪どころでない猛威となるという事である。出きれば早くワクチンを打ってしまいたいと思う。たみふるも常備したいくらいだ。日本にこのインフルエンザと言うか全身性感染症が上陸したら、すべての機能が麻痺するだろう。その上、食料を外国に頼っている日本では食料が確保できるか分からない。命の安全保障の上では、本当に危険だ。ワクチンに関しては、日本には1000万人分しかないので、万が一この感染症が蔓延でもしたら、医者などの医療関係者分ぐらいしかないのではないかという事である。こわいね〜〜〜。

長妻さんのお話はいかに国民を無視して、官僚は「官僚の官僚による官僚のための」政治をしていると言う話しだった。いろいろな例が示されたが、聞けば聞くほど命を大切にしていない事がわかって、「なんて非人間的な組織なんだ官僚制度は」と思った。政治家が見識を持ち、官僚たちをコントロールできたらよいのにと思った。

5時に麹町の会館をでて、どこにも寄らずに狭山に帰ってきた。7時からは里親会の懇親会があった。今回は新しいカップルが出てきた。里子が委託されるといいけれど。私も子どもを育てたいと思うが、議員しながらは大変ではないかと皆が言う。でも、私は今まで3人の子どもを育てながら議員をしてきたし、今は子どもも大きくなったので、子育てに戻られると思うのだが・・・どうかな。
15日(金) 今日は息子のクラスの懇親会、保護者会。飯能プリンスでバイキングで食事をしながら話しをした。息子の成績が返ってきたが、あまりよくなかった。でも、高校1年生だもの、こんなものでしょう。本人のやる気がいつ出るかだけれど、うちの場合、国立でなければ経済的に余裕が無いので頑張ってもらわなければならない。志は高く持って、専門家として生きて行くような努力がほしいと思う。

尾崎に嵌まっていることは公表している。今日、高校の先生に尾崎の話をするチャンスがあった。勿論、先生は彼を知っていた。何しろこの高校はミッションスクールである。青山学院と同じように。救われるべき生徒を救われなかった事が残念である事を言った。尾崎が境界性人格障害であったという説を先生は信じているようである。私は、彼が20歳以前(覚せい剤を使う前)は違うと思っているが、たとえ彼がそうであったとして、彼は救いの対象にならないか。私の知っている教会は多かれ少なかれ精神障害者を会員に持っている。彼らも救われるべき魂だ。

勿論、多くの学生を預かっている状態では、青学の担任の態度は理解できなくも無い。しかし、「礼拝は偽善だった」と尾崎に言わしめたその下には、どこか青学には愛が足りなかったのではないかと思う。杓子定規な態度で裁く事が無かったか。子どもの心情に深く入り込む努力が必要だと思う。勿論、教員が空回りし、空しくなる事もあるだろうけれど、少なくともミッションスクールじゃないか。愛がまるで生徒を甘やかしているように見えてもだ。こんな事を思うのは、尾崎の事だけでなく、この学園でのいくつかの悲しいインシデントを思い出すからだ。胸が痛む。

夕方、5時近くまで保護者会の全体会があった。その後、議会事務局に行き、一般質問の通告を考えてきた。月曜日一番で提出する事にした。孤独死、高齢者虐待、複合施設について。また少し多いかな。仕方ない。

夜、久しぶりにサピオに行った。サピオは隣の焼却所が2週間定期点検のためお休みしていた。その間、プールの方でも水質改善のために修繕を行ったそうだ。大幅の改善を願うものだ。私はいつものように1時間トレーニング。遅い時間に若い女子がジムに来た。騒々しくて嫌だった。注意しようと思ったが、彼女らも一生懸命トレーニングをし始めたら静かになった。よかった。
14日(木)
70300カウント
今日は朝、養護学校のボランティアに出かけた。本当にこういうボランティアが大好きなのだが、時間が取れなくて結局、2回しか出来なかった。わたしは小学校、中学校の図書ボランティアもしたが、あの本を直す作業が大好きだった。どうしてかな。とにかく手を動かしながら、おしゃべりをするボランティアが大好きだ。

1時過ぎ、養護学校から帰ってきて、ミーティング。本当は中央公民館である講座を見学したかったが、いけなかった。残念。人が夕方来るので、待っていたら5時半。他の友達がお茶を飲んで帰ったりして、夕食を食べたら9時ごろになった。それから急いでヤオコーに買い物に行き、残り物をたくさんかって帰ってきた。半額のものもあり、お得でした。
13日(水) 今日は午前中は尾崎の19歳の時のコンサートのDVDを見た。自分がDVDを独占できるのは、朝のこの時間しかない。うちの家族はリビングでうだうだしているのが好きで、夜なんかテレビは自分のものにならない。息子も娘も自分の部屋にテレビがあるにも係わらず、下でうだうだ。2階に追い上げるのが大変。「人間は孤独に耐えるのよ」、「孤独になれなさい」と言うのだけれど、ブラクソン家は寄り添い、人のぬくもりが好きな家族だ。私が一番孤独を好んでいるらしい。

午後からは、参議院の会議室で男女共同参画局長を囲んで懇談会をフェミニスト議員連盟で行った。それで、11時過ぎに出かけた。川越経由で帰ってきたら、なんと8時半を過ぎていた。今日もお疲れ様。
12日(火) 今日は予定をスケジュール帳に書き入れてなかった。でも、何かすることがあったはずと思うのだけれど、思い出せなかった。それで、久しぶりの事務仕事に励んだ。スケジュール帳を新しくした。3月まであるのだが、もう予定は4月以降の事がどんどん入ってきて、今のスケジュール帳では管理できなくなった。思ったよりも時間が掛かった。間違いが無いように時間と場所をしっかりしなければ。秘書がほしい。なんてね。

事務仕事をしながら、尾崎のDVDをかけていた。18歳の時のコンサートのDVDである。あのサトテルのチカチカは少なかったけれど、編集しすぎ。腹が立つなあ。始めから最後までゆっくり見させてくれればよいのに、臨場感が無くて、ただただ歌を取ればいいって言うわけでないでしょう。

午後は、久しぶりに一人でくつろごうと思った。しかし、午後から役所に行き、資料請求の事やら、西口の事やら、中心市街地のことやら、する事が一杯である。結局、夕方5時半ごろ議会事務局にも寄って、帰ってきたのは6時過ぎだった。私の優雅な一人の時間はどこに行ったのだろうか。は〜〜〜。
11日(月) 今日は、朝は久しぶりにゆっくりした。と言っても、起きてしまえば洗濯やら片づけで忙しい。

ごご、市川房枝政治参画センターの企画運営委員会に出席。夏季セミナーの企画を練った。5時ごろまで。

その後、銀座に出て、歌舞伎の夜の部2幕を見て帰ってきた。幸四郎は演技がうまい。泣かせるなあ。染五郎がきれいだった。3月はともかく、玉三郎さんの出る4月の公演は逃せないと思う。でも、忙しいのでいけるかなあ。今月は東京に毎週出かけるけれど、4月は沖縄があるし、どうだろう。
10日(日) 今日は、朝は雪が降っていて教会に行くのをためらっていたその時、娘が大発作を起こした。久しぶりの発作だった。夫が音がしたので彼女の部屋に行ってみたら倒れていた。薬を入れ、寝させた。それで、教会に行くどころではなく、彼女を見守っていた。お昼過ぎにはよくなっていたが、寝させておいた。発作の後は疲れるから。

夫が教会から戻ってきたので、午後は知人と会う約束があり、出かけた。サティーによって帰ってきたら6時過ぎていた。なんだかあっという間に一日が終わってしまった。そうそう、中央公民館で養護学校などの作品展をしていたので寄ったのだが、娘の作品が無かった。帰ってから娘に聞いたら、選ばれた人のだという。今までは全員選んで出してくれたのに、よほど出来が悪かったのか。
9日(土)
70100カウント
今日、息子のコンピューターでカウントを見たらなんと、70000を突破し70100カウントも突破していた。キリバンを楽しみにしていたのに、いつの間にか超えた。7年半かかってやっと70000カウントを超えた。1年に10000カウントとすると位置に葉は2,30人が見てくれいるのかな。市役所のSさんのように、毎日開けてくれる人がいるので、カウントが進むのかもしれない。同じく市役所のKさんのように、カウントが進むのが悔しいので、3日に1回開けますという人もいる。ふ〜〜〜ん、カウントが進むとくやしいかねえ。

不思議と悪口(!)を書いた時ほどカウントが上がる。でも、最近私はお利口になったので、あまり悪口を書いていない。そうでしょ。それと、お惚気(?!)を書いた後は白けるせいか、カウントが鈍るような気がする。人の幸せは嫌かなあ。たくさん書く事はあるけれど、選んで書かざるを得ない。その中で、楽しい事ばかり書けばいいけれど、本当のことを言って、人生は楽しい事だけでなく、辛い事も多いし、心配ごともある。正しい事を書ければいいけれど、間違った事もある。それは事実をどう見るかによる部分もある。スタンスはいつも公正であろうとする事。私はクリスチャンなので、神様が喜ぶような事をしたいという事。え、悪口を言うのはよくないって?でも、批判は大切だと思うから、悪口と言うのではなく批判として書こう。そこから、違う芽が出てくるかもしれないから。

今日は一日中、ホームページを手直ししていた。このひとり言もまとめて書いたりした。だって、毎日連日視察だったので、書く暇と余裕が無かった。珍しく、きょうは雪が降ったりして、静かな一日。夕方、夫とカルフールに買い物に出かけ、その後、サンパーク奥冨へ。少しプールで歩いた。
8日(金) 今日はあさから視察。始めは川越の高階公民館だと思い込んで、9時半ごろについた。10時からだと思い込んでいたので、時間を待っていたら議会事務局から電話が入り、所沢の公民館が朝だとのこと、ファックスを見たらそうだった。急いで富岡公民館まで車を走らせた。

富岡公民館、出張所、図書館の複合館の視察。バブルのころに作られたと言うが、建築家が思いを込め美しく作ったと言うのがわかる施設。いまだに、輝きを失っていない。入間市のありきたりな四角い建物の比べ、お金は掛かっただろうけれど飽きのしないよい建物だと思った。すこし、使い勝手のわるいところ(トイレ)があった。男性と時代でバリアフリー、男女共同参画の意味がわからなったのだろう。管理体制は入間市と同じだったが、公民館と出張所のコラボレーションはこちらの方がよさそうである。事業の内容も狭山市にも参考にしたい事があった。業務連絡:もし、中央公民館の館長さんがこれに興味があったら、連絡ください。

午後は、高階公民館。古い建物を今新しくするため建設中とかだった。昭和47年に建てられた建物をとりくずすそうで、狭山市も入間公民館、水富公民館は早く新しくすべきだし、新狭山公民館にエレベーターをつけなければならないと思う。管理は公民館。何処も施設で一番床面積を使っているのが公民館であるから。ここは出張所事務がまるで支所と変わらない。後で見に行ったが、市民課がここに入っている感じだった。13人体制だし。公民館は古く、使い勝手が悪く、これでは立替が必要だと納得した。新しい施設は市民センターといい、市民部が所管するらしい。実際はどのように運営するかよく分からないらしい。今の人たちが市民センターに移動するかも分からないそうだ。ところでこの体制では、公民館機能がどうなっていくのだろう。

社会教育はなくなっていくのだろうか。生涯学習とは個人の事であり、教育とは外からの知識の供与ではないか、そうすると行政は教育をする必要はなくなっていくのだろうか。行政が時代を引っ張るなんておこがましい事だろうか、今までのように。それとも、教育が下火になったのは行政に時代の要請を見るアンテナが低くなり、意義を遂行する能力がなくなったのか。実際、講座の内容を見ながら行政の力不足を感じた。しかしかろうじて、富岡公民館のサイエンス講座、川鶴公民館のイスラム教講座など質の高そうな講座を紹介され、この水準だったら多くの人が喜ぶだろうなと思った。公民館のアイデンティティーについてしっかり議論し、センターとの住み分けを狭山市でも考えていかなければならない。

本当に今週は中身の濃い1週間だった。疲れた。
7日(木) 今日は午前中に息子と夫を送っていったが、雪が降ったのが凍ってしまい、道路はつるつるだった。目の前で、大きなワゴン車が車線変更しようとした際スリップして大きく蛇行し、後ろから走っていた私達は恐怖した。ぶつからなくてよかった。だから、こういう日は嫌なのだ。それで、帰り道は大通りを走ろうとしたら、すべて渋滞。でも、怖くていつも使っている道は走れなかった。

午後、石心会狭山病院で血液検査。晴れて私の肝臓、腎臓、胃とも元気になり、糖尿の気もまあ心配なく、安心した。喘息の薬だけを出してもらい、と言っても安心薬という事だったけれど(花粉のときに悪化しがち)。よかった、ダイエットの成果がちゃんと現れた。リバウンドしないように頑張ろう。

診察の間に電話が入り、息子を稲荷山公園まで迎いへ行った。結局午後まで、体力が続かなかったらしい。ご飯を食べさせて、薬を飲ませて寝させた。

私は少し事務所で働いた後、4時ごろ家を出て、後楽園の文京区役所(シビックホールという)で勉強会。フランスと日本の女性政策の比較。フランスの女性政策の遅れに驚いたが、一度政策変換を果たした後はぶれずに男女平等の道をたゆみなく続けているフランスは偉い。バックラッシュにもめげなかったと言う点が素晴らしい。日本の今の女性の状況を見ていると残念だ。それは女性の状況だけでなく、権利は自分たちで守らなければならないと言うフランス人の意識と日本のように権利は権力が与えれくれると言う考えの風土が違いすぎるのだろう。

それにしても、家庭の日本モデルがあり、男性は給料運搬人として位置づけられているとはお可哀想に。それに、日本の高学歴主婦は外国には見られないらしい。高学歴の女性は高学歴の男性と結婚し、夫の高収入をえているので働かないでよいらしい。日本モデルでは、男性が給料運搬人にたいして、女性は家庭経営者という。すなわち、男性という労働者を働かせて家庭を経営していくのだそうである。今も尚、この考えがはびこっている。でも、男性だけの給料で暮らせるのは、結局高学歴主婦しかいない。一般の家庭では共働きでなくては子どもを学校にも行かせられない。あ〜〜〜あ。日本モデルはすでに破綻している。特に、中流が狭められている現在では。
6日(水) 今日は午前中息子が風邪で寝込んでいた。数学があるからと言うので、午後から高校へ送っていった。その後、私は入間市の藤沢公民館へ視察。公民館、図書館、支所の複合施設。施設自体は面白みのない普通の施設だった。しかし、管理や運営の仕方を聞いたりしていたら、興味深いお話をたくさん聞く事が出来た。

施設の管理を公民館でしていた(一番敷地面積を取っているからだろう)が、一元化した施設管理はとても良いという事。施設ひとつづつは独立して運営しているという事だった。支所機能が充実しているから、取り扱いはまるで市民課がここにあるようだ。これでは多くの人がこの支所で用事を済ませるだろうと思う。この施設の難点はロビーが少なくて、フリースペースがない所かなと思った。市民が来て、小さな話し合いが出来るスペースがあってもよいと思う。狭山市は中央公民館にあったが、最近はテーブルもイスも片付けてしまったのは残念である。

4時半ごろまで視察した。ご協力に感謝した。
5日(火)
69900カウント
今日は朝飯能市にあるキロロハイツに行った。ここは精神障害者のグループホームである。知的障害者が住むところとケアの仕方が全く違うのには驚いた。管理のしかたが違う。ここでは食事は基本的に自分たちが作る。買い物だって出来る。張り紙があったが、漢字がたくさん使われていて、新鮮なショックを受けた。男性用のホームはかなり殺風景、女性用はなんとなく暖かな感じだった。お世話する人は、女性用は女性、男性用は男性。2種類のホームがあって、自立訓練用の所は、5、6人が住めるように出来ていた。もっと進むとマンションがあって、そこで2人で共同生活をすることになる。

この施設の特色は、永住型ではないことらしい。2,3年でここを卒業しなければならないそうだ。でも、その後どこに行くのだろう。それを考えるとこの場所に住むのは考えるだろうと思う。永住型の施設が無ければ、病院から出て行っても、また病院に戻るようだ。年金とアルバイトで生活できれば良いけれど、仕事が無ければ年金だけでは経済的にここには入れない。それは知的な障害を持つ人も同じだけれど。半数が生活保護を受けているという事だが、そうでもなかったら10万円を越す費用は賄うことが出来ないだろう。永住型を作ろうとしていた。知的の人はよくなりようが無くて、自立して一人で生きていくのがほとんど不可能に近いのだが、精神の人は病気という面もあるから生活力が飛躍的によくなることもあるのかもしれない。

管理としては出来る限り普通の生活に近づけるという事だそうだ。それでも、病気が悪くなって救急車を呼んだこともあるそうだ。このホームは病院が作っているので、近くのクリニックに医師はいるし、いざとなれば救急車も呼べる。近隣にはホームの説明もしていて、理解をしてもらっている。それに、ホームの方では、常駐の世話人(サービス管理者)がいて、夜は泊まりの人が入るそうである。精神の人は夜のほうが不安定になりがちなのかなと思った。薬やお金のお世話も結局しているようだ。これは、何処も同じで、知的の所でもお薬を飲んでいる人が多い。

本当に今日も多くの方にお世話になった。時間を割いていただいて心から感謝する。誠実な対応の仕方で、この施設を心を込めて運営しようとしている姿が分かる。障害者を地域に住まわせようという努力には頭が下がる。実際には多くの困難があるに違いないからである。精神障害者にはグループホームで生活できないという人がいる。でも、きめ細かいケアがあれば、何とか行くのではないか。また、一人暮らしが本当に一番良い暮らし方かと言えば、障害者に限らずそうとはいえないのではないかという思いがある。結婚も結構。男通しで暮らすも結構。3,4人でグループホームに一生住んでもいいかもしれないとも思っている。どうだろう?

午後は、事務所で仕事。その後、銀行へよって、定期を解約して車検のお金を払った。お金が飛んで出て行く。
4日(月) 今日は2箇所の視察をする日だ。一箇所目は川越にある親愛会の生活ホーム、グループホームだった。本当に親切な施設長さんとサービス管理責任者の方にご説明をいただき、その上、施設をすべて見せていただいた。すべての施設に特色があり、私の目から見てよい点も悪い点もあると思った。

好きだったホームのひとつはまるで普通のうちのような感じの家。家は借り上げで、思ったよりも狭かったのだが、暖かな感じだったのだ。仕事が休みの人が、居間でタバコをすって新聞を読んでいた。どこかの家庭であるような感じだ。ここにはダイニングセットがなくて、座ってちゃぶ台でご飯を食べていた。食器棚の所を見たら、住んでいる人それぞれの食器がおいてあって、さまざまな大きさ。施設だと、皆が同じような食器(時には割れ憎いプラスティックのものも多い)でいっせいに食事をする。自分のものなんか無い。私は、自分らしく生きるには自分のものを使い、自分の思いで生活することだと思う。その、プライバシーが十分尊重されてこそ、脱施設だと思う。

グループホームだって、生活ホームだって、散らかす自由も無い。自分の部屋ですら、片付けのためのチェックが入るなんてたまらない。ほとんどの施設は清潔度は家庭よりも上だ。汚くして何かが起きるんじゃ困るという事だけれど、病院じゃあるまいし、消毒ばかりに精を出す必要もない。勿論、清潔なところはよいのだけれど、ちょっと雑然とした温かみも必要だよね。

ところで、この会のグループホームの一番の悪い点は自分の所で食事を作らないという事だろう。家に近づけるのであれば、やはり夕食時に味噌汁のにおいがしたり、ご飯を作る音がしたりというのが必要だと思う。配食されたプラスティックの弁当を突っつくのは、施設とどこが違うのだろう。せっかく、夕方には支援員さんが来るのであれば、他の施設のように夕飯を作ってもらえばよいのにと思う。弁当なんかを食べているからこそ、居間に人が集まらないで自分の部屋でテレビを見るという事になるのだろう。

でも、この会のグループホームはよいものになっていくという予感がする。だって、管理者のセンスがよいもの。どの施設をたずねても、どんな人が運営しているかでその施設の個性が出てくるという事である。この若い管理者は知的障害者を馬鹿にしていない。見下していない。障害っていう事をよく理解している。ここが一番大切なことである。だから、この会のグループホームはきっともっと良いオペレーションになると思う。期待している。

全部で6箇所も見学したので、終わったら12時40分になった。本当にお世話になったが、勉強になった。

午後は、川越から迷いながら、「所沢市立 ゆきわり草」を視察した。知的障害者グループホームである。う〜〜ん、施設は立派だった。コンクリートつくり2階建て。一部屋一部屋のつくりは、どの施設よりもよかった。でも、つまらない。まるで、ミニ厚生施設だ。どうしてなのか理解できないけれど、昔利用者が冷蔵庫にあった生の肉を食べたとかで、また、ガスをつけるのが怖いせいで、キッチンダイニングの鍵を9時以降は掛けるそうだが、今まで10箇所近く視察したグループホームでは初めてだった。管理のしかたが本当にミニ施設なのだ。驚いたのは、キッチンで整然と並んだ食器を見たときだ。同じ柄の、同じ大きさの、きっと壊れ憎い陶器の皿やボールが並んでいた。なんか、げんなりした。

どこにも絵が掛かっていない。3枚、意味が分からない住民の絵を張っていた。愛情を感じられなかったなあ。確かに住人にとって見れば、ねぐらなのだろうが、何かそれ以上のものを感じられなかった。市の施設だからかなあ。マニュアルにそって、タンタンと1日を過ごしているって感じだ。三恵さんの施設の指導員さんたちが人生を楽しむように工夫していたことを思い出した。こういう施設は市がするものでないのかもしれない。私の娘はここだと寂しくてすぐに家に帰ってくるだろうなと思った。
3日(日) 起きたら、8時半だった。家の雨戸を空けて外を見たら、雪が降り積もっていた。木々が白く縁取りされていて、枯れ草もすべて白く覆われていて、ずうっと別荘でのんびりしたかった。しかし、今日は日曜日。礼拝に出かけた。来る時にあまりにもアイスバーンが危なかったので、その上に新雪が積もっていて危険な状態がわかっていて、山を降りればもう狭山に戻るしかない。

礼拝はいつものように野沢福音教会の牧師の力強いメッセージ。悪魔との闘いについて。信仰の自由について。この世では悪魔のささやきが多い中、信仰を保つのは難しい。私の場合、クリスチャンの政治家の端くれ。神道びいきの右翼、靖国大好きの自民党とはやはり一線を画したい。でも、民主党の体質だって、似た者で、やはり巻き込まれてはいけないと思う。では、政治家をしなければよいのにという声もあるだろうが、市民、国民の生活をよくするのは政治を抜きに考えられない。この世を完全に無視するのは、かえって信仰者としては間違いのようにも感じる。

「日の丸、君が代」問題も気になる。私は日の丸が日本の旗であること、君が代が国歌であることにあまり違和感がない。ただ、旗は旗なのだから、馬鹿みたいに敬意を示す必要は感じない。旗をあたかも何か他の象徴のように馬鹿丁寧に扱う必要もないと思う。だから、掲揚することには違和感はない。しかし、式の際、あんなところに旗を飾る必要があるかと思う。アメリカなら、きっと角に立てておくだろうに。

「君が代」はクリスチャンには天皇の世が続くのがいけないということらしい。でも、私は象徴天皇にはこれまた違和感を感じない。天皇になってご苦労様という思いがある。誰がなりたくてなるのだろう。普通の人なら、雅子様でないけれど、不適応症になりかねない。天皇の存在をなんとも思わないから、君が代を私は歌えるのだ。しかし、天皇が神道と絡むと話しは別である。天皇が個人的に神道を信じるのは勝手だが、それをあたかも日本の信仰で国民全員が神道信者でなければならないとは決して思わない。天皇が私的に神道の神事をするのは、構わないけれど、国が絡めば、私は信仰の自由との関係で戦わなければならなくなる。ここが、ネックである。天皇よりも天皇を利用しようとする輩に注意がひつようだ。

午後、信州そばを食べて、買い物をして3時過ぎに帰ってきた。雪は小康状態だったし、早く出たので渋滞もなく、なんと5時前に狭山に着いた。狭山は雪が降っていたが、佐久の雪に比べると、じめじめじとじとしていて、きれいに思えなかった。
2日(土) 今日はゆっくりした後に、結局午後から別荘へ行った。思ったより暖かだった。それで、珍しく途中、下仁田で高速を降り、山道R254を上ってきた。途中からは雪が深くなっていて、山々がとても美しかった。峠を越してからも、白い風景で心が表れた。夕食を買い込んで、穂の香の湯へ行った。ゆっくり温まって別荘へ。車を走らせながら、ところどころが凍っていて、スリルがあった。特に、別荘入り口からは圧雪がアイスバーン化していて、スタッドレスを穿いていたって後輪がスリップしていた。怖いなあ。

家に着き、水もれもなく、どの管も破裂していなくてよかった。ストーブもついたしね。荷物を車に入れっぱなしにしておくと凍るので、すべて家に入れた。その後、曇り空で星ひとつ見えなかったけれど、夫が散歩をしようというので、二人で手に手を取って別荘地内を歩いた。何しろすべるので、私はジムさんにくっついてなければ歩けなかった。真っ白で風ひとつなく、夜の鳥も南に行ったのか鳴かない。狐か狸が出てくるかと思ったけれど、何一つ動物は見えなった。

夫とちょっと高いワインをあけて、少し飲んだ。二人で、ホットカーペットの上に寝転んで本を読んだ。幸せ。
1日(金) 今日は、朝11時から公文書公開条例に従って、各自治会の決算書の情報を公開してもらってきた。159枚であった。何で、こんなことをして、情報を得なければならないのだろう。議員の資料請求の際になぜ出さなかったのか、理解に苦しむ。内容をよく見ることにしよう。市議会議員の仕事とは何だろう。それでなくとも私の目はずぼらで、役人を徹底的に追い込むほどの力もなく、また、そんな気もない。ただ、もしかして直せるものは早く直すべきだと思うのだ。

それも言われるのは嫌だというのなら、完璧に業務をこなして、誰がどこを見てもいいような仕事をすればいい。市議会議員にも、市民にもすべてをオープンにして、見てもらえばいい。何かを隠そうとするならば、それは非難されるべき点がそこにあるのではないかと思われても仕方ないんだ。

風が冷たい。冬は大好きだが、青空に花粉が混じりあう。私には、空気の中にまるで毒が撒かれているようである。ガラスのこっちから、外の木々が風にゆれているのを見ている。すごい、閉塞感である。負けるもんか、マスクをかけて、外出した。

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