私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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3月 私の独り事
31日(月)
72300カウント
今日は朝から息子をグランドに送っていったり家事に励んだりしたが、それは原稿を書くためのいつもの準備みたいなもの。ネットニュースの原稿を書き上げた。校正もあり、それもした。午後は、もう報告書書きに専念した。本当は今日までに書き上げたかった。でも、資料を探したりしていて出来なかった。明日出来る限り早く書き上げよう。

今日は雨だった。なんだか桜が咲くと寒くなる。花冷えという日。桜が満開で、昨日なんか土手でお花見をしている人もいた。夜、稲荷山公園や入間川の土手沿いの桜がぼおっと霞んでいるように咲いていた。それを見て、どうしても不気味な不穏な思いが浮かんでくる。ぽつんと1本だけ花を満開にして咲いている木があって、春爛漫の美しさなのに、どうして寂しく見えてしまうのだろう。桜の花が咲くのを皆が待っているし、私も近くに寄れば桜の花は可憐で美しいと思うのに、満開の桜の木々がこんなに威圧感を持って私に見えるのか。毎年同じようにおもえて、花粉症とあわせて花見を楽しめない。

尾崎豊の曲を聴いている。アウトサイダーの豊。自分から社会の体制から外れてしまう豊。レールの上を走れない豊。自由になれない豊。しがらみの町でヒモをほどく術もない豊。死んでしまった豊。不思議ですね、彼の歌を聞いたり、DVDで姿を見たり、本で彼の思いを読んだりするのは。とても悲しい男だ、尾崎豊は。若いときの尾崎の曲の中に、私は息子達の声を聞こうとしていたりする。でも、それ以上に私が尾崎にのめりこんでいるのはきっと私自身がアウトサイダーという思いがあるからかもしれない。いつもメインストリームではなく、尾崎じゃないけれど壁に沿ってへばりつきながら歩いている感じだ。

議員で学校にもおおく行って結婚して子どももいて、なにがアウトサイダーだって言われるかもしれないけれど、私の心はどうしても壁の隅を歩いている人たちといつも一緒にいたいという思いがある。自分自身が常に陽の当たるところにいてはいけないという思いで生きているせいもあるんだろう。街の陰の中にいる人や自分を主張できない人とともにいたいという気持ちがある。その人たちのために生きているのだという思いがある。イエス様が常に胸の中にあるという事なんだけれど。
30日(日) 昨日は、午後から息子のアメフトの練習試合を日大二校まで行き、観戦した。野球の応援に甲子園まで行けるのに、息子の応援に下井草までいけないことがない。夫婦で応援した。楽勝。これが怖い。辛い思いで勝つ所で心身が鍛えられるというのに。相手を舐めたり、勝負を舐めてはいけない。

昨日から、甲子園の事を考えこんでいる。試合を見て、思った。勝負とは、まず勝負しようという気持ちがないと始まらない。試合をする気にならなかったら、試合にならない。試合は勝ちたいと思う気持ちがなかったら勝たないが、勝ちたいと思っても勝てないものだ。勝ちたいと思っただろうけれど、慶応も横浜も勝てなかった。強くても勝てない。勝つためには、勝負に真摯に対峙しなければ勝てない。真面目に心しての勝つための取り組み、謙虚に勝つための努力や研究が必要である。ある面では、すべてを投げ打ってもそれにかけるほどの腹をすえる必要がある。どこまでそれが出来るかだが、それほどの事が出来なかったら、甲子園にはいけないのだろう。一流になれないのだろう。

それでも勝てないこともある。それが人生なのだと思う。とても辛いけれど、それでも人生は続く。勝負して勝つ負ける人生を送るか、勝負を止めるかはその人次第だ。人生感による。

勝っても決して楽ではない。とても孤独で寂しいと思う。負けて辛い思いをしている人を乗り越えて、次の高みに行かなければならないことは、もっともっと辛いことだ。道を自分で切り開く事は、何が何処にあるか分からないし、何をしていいか迷うし、自分の道が正しいのかの道標すら見失いがちだ。特に監督は大変だろうな。引っ張っていっているすべての選手がプロになるわけでないのに、それを目指すと同じぐらいの努力を選手達に要求しなければならない。ついてきてくれる選手や親に感謝しながら、それぞれの幸福を願うしかないのだから、監督は孤独だ。

勝負の人生は辛いけれど、私は実りも充実感もあると信じている。選挙もある意味同じだ。3期目でスタッフがいても、孤独だと思う瞬間が何度もあった。候補者は一人だからね。そして、選挙に勝った瞬間から議員としての道が始まり、何処に歩いていくかを自分で決めて行かなければならない。その道が正しい道だと信じたり、考え込んだりしながらも後退や撤退は出来ない。人生のすべてを議員として整えていかなければならない。品行方正なんてくそ食らえだと思って、無頼派の久美子のつもりだったが、議員としてはそれは許されない事だった。嫌だったら辞めればいいんだろうなんて、絶対してはならない事なのだ。(首になるような事はしてはならない・・・)公人として生きるのは、それぐらいの節制が要求される。腹をくくって議員をするのだ。議員だけでない。家族にもプレッシャーが掛かる。可哀想だが、仕方がない。それが耐えられないような家族であれば、議員は出来ないのだろう。

とても大変な人生だけれど、私は真剣に勝負(生きていく)の人生を選んだし、感謝して議員をしている。しかし、すべてで勝負しているわけでない。議員として一般質問を突破口に市民生活に直結して課題を提起する事に真剣に勝負をしているが、議会人事に関してはすっかり降りた。勝負して議長になろうとも、委員長になろうとも思ってはいない。それでも良いではないか。勝負どころを選びながら、人生を生きるのも大人の生き方というものではないか。

午前中は礼拝。午後からは中央中学校の吹奏楽部定期演奏会を聞きに行った。カルフールで食料を買い込んで帰ってきたら、7時前。ご飯を作り食べ、サピオにトレーニングへ息子といった。

29日(土)

今日の朝、友達からメールが来ました。聖望学園が昨日勝ったお祝いのメールです。 下に、返事をコピーして貼り付けます。とても大変なゲームでした。外の人は、始めから終わりまで勝っていたのだから、 楽勝だっただろうというかもしれませんが、応援している方はとんでもなく辛い応援でした。 中京大中京の試合も最後に追いつかれたし、今までに9回逆転なんて試合を何べんでも見ている応援団は必死に応援しました。 気持ちが、選手とともにあったといっても過言でありませんでした。心身ともに疲れ果てたけれど、充実した応援でした。 負けるのはとても辛い事だけれど、勝つのも喜ばしい事だけでなく、辛い辛い道を歩まなければならないのだと、 真剣に生きるって事は本当に大変なんだと感じ入りました。自分に気合を入れなおしました。 すぐ精神論になるのが、私の悪いところかも知れないけれど、この辛さはある種快感です。 私は辛くとも充実した道を歩きたいし、子供達にも歩いていってほしいと願っています。

下は、返信です。

昨夜新幹線で帰ってきました。今、3人の子どもに弁当をそれぞれ作ってやって、追い出したところです。

応援はヒヤヒヤどころではありませんでした。祈ったもの、今回は。

7回はイツこの回が終わるのだろうかと、本当に生きた心地がしませんでした。 それでも、私達保護者は大塚君のお母さんの気持ちを考えて辛くて辛くて溜まりませんでした。 彼女は心底辛かっただろうし、応援するのもたまらなかったでしょう。

岡本さんは大塚くんと心中する気だったから、変える様子もなかったし。

私達聖望応援団は相手が攻撃の時、本当に静かに上品に応援するのが常だけれど、 今回は9回には、大塚、がんばれ、大塚君、あと ひとりだよ、などと 自然発生的に声を出して応援してしまいました。 ワンアウト取るのが、あんなに大変で、祈るように思う試合は久しぶりでした。 先回は、あれよ、あれよでしたからね。

終わってから、甲子園の外で、緊張がほどけたせいか、野球部のお父さん方は抱き合って喜んでいましたが、 お母さん方は泣いていました。私達もよくその気持ちが分かりました。 勝ってよかったというだけではない、複雑な思いです。子どもの前ではしっかりしていなければならないし。 子どもが頑張っているのに、弱音が吐けないものね。

勝つことは本当に大変です。私がこんな思いなのだから、関係者はどんなにか大変だろう。 これに報いるためには、良い試合をすることだと、心の負担はどうにかなりそうでしょう。

応援に行って、それも自分の子どもが学校にいて、音楽部で子供達が吹いていて、 お母さんの友達がたくさんいる中で、いろいろ感じながら、とても良い経験になりました。

応援に行ってとても良い思いをさせていただいてと、いつも野球部に感謝するのです。 今回はお金もたくさん掛かったけれど、一生に一度できるかどうかの体験でした。 本当に、辛い練習と、勝ったことによる社会からの重圧とにめげず、 はつらつと頑張っている聖望学園の野球部の選手、保護者、学校関係者、 その他、これを支えていてくれる人人に感謝の思いがあふれているところです。

という事で、私は仕事もあり、応援からリタイアしようと思っています。 いつも応援、ありがとうございました。ブラクソン

27日(木)
72200カウント
今は3時。今日、また聖望学園高校の応援に行く事にした。だから、これを早めに書いている。慶応高校、横浜高校が負けた。関東で残っているのは、聖望と千葉経済付属しかない。聖望には関東の意地を少しでも示してもらいたい。仕事は山積みなので、本当は原稿を、報告書を書き続けているべきだと思うけれど、もしかして一生に1回の機会かもしれないので、聖望学園の応援に行くつもりである。

午前中にリサイクルプラザの工場棟を視察した。所長には何回もお待たせしたので、恐縮で行きづらかったが、やはりこの前、もう一度チェックに行くと、この私のひとり言に書いた以上、行かなければならない。

今回は、この前に比べ、工場がきれいだった。ガラスが散らばっていた床は、前よりもガラスがずっと少なく小さな破片だけだった。ストックヤードも何処も整然としていた。昼食時でコンペアーが止まっている時間だったが、コンベアーはきれいに掃除がしてあり、1時間の休みでもきれいにしておくという事が私には納得がいき、良いと思った。全体として何処が、どう違うのか、何を改善したのか私の目にはよくわからなかったが、とにかく工場がすっきりしていたのが、良かったと思う。この前の状態を思い出せないほどきちんとしていた。雑然とした工場では事故がおきやすいもの、今後も今以上の清潔、整然さで工場を運営していってほしいと思う。

清掃工場が汚いだろうというのは、もう昔の話だ。特にここは生ごみがないので匂いもさほど酷くない。ただ、ひとつ難を言えば、工場周りの植え込みのごみを一日1回は拾っても良いかもしれない。最近は風が酷いので、ごみがどうしてもあちらこちらから飛んできて植え込みの中に溜まっていた。外から見えるところだったから、先ほどの話しではないが、清掃工場は汚くてよいなんて不埒な市民が思っては困る。外面を良くするというのは、大人の嫌なところだけれど、でも、そんなところで人は判断するから、朝の一回り運動をしてもらいたいと思った。ごめんね、いつも苦言を呈して。でも、今回はすっきりした工場になっていて良かったと思う。また、半年ぐらいしてプラザが竣工したら伺います。(業務連絡:えっ、来ないでも良いですって。そんなこといわないでね。今度は遅れませんから・・・このたびは本当にごめんなさい。)
26日(水) 今日は、朝から原稿を書いていた。いつも思うけれど、原稿書きは辛い。でも、楽しい事だけがお仕事じゃないものね。夕方、図書館に行って本を返して、1冊読んだ。その後でサティーで買い物をして帰ってきた。

夜は今日もサピオに行こうと思っていたが、原稿を書き始めていたら、没頭して忘れてしまった。結局、原稿を2枚仕上げた。ここで集中力が途切れたので、寝る。
25日(火)
72100カウント
今日は、水富小学校の卒業式。いつものように優雅で上品で、私には爽やかにみえたお式だった。こういう形式を嫌いな人もいるだろうが、私は好きです。伝統のある学校のよさをこういうところで感じても良いと思う。式辞を立ってきちんと聞くのは、この学校でしかしないかもしれないが、これが正式なやり方であろう。本当は、このぐらいの長さの式辞ならば中学校でも立って気を付けして聞かせても良いと思う。もちろん、こういうのが嫌いだとか、軍事色が有るとか言う人もいるだろうけれど、私は形式美としてあってもよいかなあと思っている。私はきわめて平和主義者であるけれど、この点をすべて軍事色と関係させる事はあるまい。でも、国旗に対する仰々しさをいかがかなあとは思っている。

それにしても、こんなにきちんとしつけられた生徒が3年間と言う短い時間に、西中の卒業式で見たようにああも酷くなるのか。何がそうさせたのか。子どもの成長の過程なんですよというのは簡単だろうけれど・・・・いろいろな障害や子どもの人生に向かい合う大人の問題ではないかと思うが、批評するのは簡単だけれど、実際係わるのは地獄と言う面もあるのでなかなか批判する事も難しい。

午後は、食事の後、手紙を書いたり、年金の訂正の書類を作ったりした。その後、警察に行き、運転免許状の更新。ITチップがつくとかで、手順も変わり、免許状も中型免許となった。講習を受けたが優良免許だからあっと間に終わった。安全協会にも入った。お金を有効に使ってほしいものである。

午後遅く議会事務局に行った。移動が発表になった。事務局長は定年で退職。後には、市民部長の水沢さんが来る事になった。楽しみだね。教育委員会から少しはなしを聞いて帰ってきた。結局、ヤオコーによって帰ってきたら六時半。ご飯を作り、夜はサピオのトレーニングへ行った。デジタルレコーダー・ウオークマンを先日買ったので、それを使ってトレーニングをしたら、時間があっという間に進む。買ってよかったと思った。体重は今の所半年前の14.5キロマイナス。後、2キロほど減量できれば良いのだけれど、さあどうなりますか。
24日(月)
72000カウント
今日は、朝5時半に自宅に戻った。土曜日に8時に飯能市民会館に集合し、次の日、日曜日の11時半に甲子園についた。もはや疲れるなんていうのは言葉にあらず。身体はコチコチ、足はパンパン。お腹は8時過ぎに食べた朝食、11時半に食べさせられた昼食でブロイラー状態。その上、甲子園ではゲートの前で立って待つこと1時間。そもそも、前の試合が延長になるなんて誰がおもっただろう。甲子園球場の前のゲートの前で、もっている人はワンセグで試合をチェックしていたが、ホームランが出たときには、え〜〜〜という叫びが出た。そして、延長。イツまで、待たなければならないのか、最長15回で終わるのよね、とかひそひそ話しをしていた。

何しろ、バスに乗るや否や、応援団は上品であらねばならないというお説教があった。お酒臭い人は球場に入れません、だからバスでお酒を飲むのは・・・と言う話し。また、球場に入る前には、野次についての、応援の仕方についてのお説教があり、これも突き詰めていけば、お上品な応援をしてくださいという事。と言うわけで、いつものとおり、聖望学園はお上品に応援した。

本当に、お上品なのだ。例えば、相手の攻撃の時には一切ブラスを使っての応援を一切しない。ところが、相手はいつでもお構いなしに応援する。驚いた。私達のマナーは四国地方のマナーではなかった。大塚君の投球を息を殺して応援していた。野次を飛ばす人は一人もいなかったし、最後に後一球などと言う人も、後一人などと言う人も相手に悪いと思い誰も言わなかった。そして、勝った時は皆胸が一杯で、校歌すら満足に歌えなかった。甲子園に応援に行けて嬉しかった。野球部の子ども達に心から感謝した。44台のバスを連ねていったが、本当に生徒達も応援する大人もすごく上品だった。

でも、応援が一糸乱れぬという風に行かないのが聖望学園らしいところで、これが良いと言う人、こんなんじゃと言う人がいると思うが、私はこんなものでしょうと言う感じ。自由な校風で、それでいてところどころ上品っていうのはいいんじゃないの。

試合は勝った。勝って嬉しかった。ひやひやしていたが、大塚君が頑張ってよかった。イースターなのでお祈りしていったのだが、所々神様のお力があったような試合だと思った。ラッキーと人はいうけれどね。

28日に第3試合がある。行くかどうか迷っている。お金もいるしね。次の試合は大阪の高校との試合だから、きっと相手は大勢応援団がいるだろうけれど、私達は少ないだろうからいくべきかもしれない。ついでに友達にあってこようか。迷うなあ。

お昼前に起きて息子が池袋に行くと言うので、駅まで送り、その足で役所に行き、聖望が勝ったことを報告した。議会事務局に行って、甲子園の話しを山ほどした。羨ましがらせたい職員がいたのだが、なんと彼も甲子園に行ったという。向こうで会わなかったけれど、応援団だけでも3000人近くいたのだから、会う方が無理と言うものだっただろう。でも、彼も行ったせいで話が盛り上がり、楽しかった。ありとあらゆる新聞で聖望学園のことを読み、何しろ勝った試合だから安心して記事がよめ、ひたすら嬉しくなった。

夜は、久しぶりに私の手作りの食事。明日のための祝辞を書き終えて、寝る。
22日(土) 今日は、まだお昼だが、これをかいている。今晩私はバスに乗って甲子園に聖望学園の野球の応援に行く。2泊車中泊になるので体力が心配だが、この日をまっていたのだから、行く。息子は明日アメフトの練習試合があるので行かない。夫も教会が忙しいので行かない。でも、私だけでも行く。音楽部の保護者が20人行く。私は今年は音楽部ではないけれど、一緒に連れて行ってもらうことにした。気合がもう入ってしまっている。こんな躁状態でいいのかと思うが、何しろ毎年待っていて漸く甲子園にいけるのだから、楽しみたい。

皆さんも応援していてね。明日、1時半からの試合です。
21日(金)
71900カウント
今日は朝からお金を下ろしに行き、聖望へ集めた寄付金を払いに行き、その後で古本屋で本を買って、伯父の所に行き、教会へ夏物の古着を届けた。帰ってきたら、5時近かった。教会へ夏物の古着を届けたというのは、教会員が2年間フィリピンの孤児院に常駐する事になり4月に行くので、届けてもらおうと思うからである。この話しをしたら、うちの後援会の人が子供用のTシャツなどを持ってきてくれた。わたしは少しでも子どもの役に立ちたいと思う。今年は無理だけれど、来年はフィリピンの子供達へ、自分自らが物を届けられるといいなあと思っている。

夜は、コンピューターが起動しなくなって、困ってしまった。夫が帰私もってきてみてくれたら、フラッピーディスクが入っていた。CDとフラッピーを調べたのだが、何もなかったと思ったのに。最後は、原稿書きをする気力もなくなり、結局お風呂に入って寝る。
20日(木) 今日は休みというのではなく(世間は休みだったけど、うちの事務所は開店)、午前中から一生懸命原稿を書いていた。午後には印刷をしにスタッフが来るので、もう必死。原稿を書き上げ、校正し、午後には印刷開始した。ホッとした。出来上がりの議会レポートを見て満足している。

夜は、娘と二人で入間の湯へ出かけた。私はマッサージをしてもらうつもりだったけれど、指名の人がもう仕事を上がっていたので、垢すりにした。気持ちよかった。市議会レポートが出来たので、それで気持ちが落ち着いたというのが、本音かな。
19日(水)
今日は、午前中に幼稚園の卒園式だった。43人の園児が修了していった。中学校の卒業式よりもしっかりしていたと思う。少なくとも一生懸命人の話を利こうとしていたし、中学生がしていたような、嫌になってあくびをしたり、両手をつきだして背伸びをするという不謹慎な事を誰もしていなかった。私は自由が好きだけれど、節度も大切だと思うのだ。古い人間だと思われたって構わない。

人の話をよく聞くべきだし、くだらなく思える祝辞だって、言う人間は一生懸命考えて、少しでも心に残ればよいなという暖かな気持ちでいるのだから、少しはその思いに敬意をあらわしてもよいと思う。それに、卒園式も卒業式も招待される事を光栄に思ってはいるし、喜んで出席するのだけれど、やはりその時間を空けて、衣服を整えて出席するのだから、それなりの対応もあってしかるべきだとも思うのだ。古い人間かな。でも、本当にそう思うのだから、古いといわれても仕方がない。

午後は、原稿を書いて、校正して、1,4面を完成したので、スタッフは印刷をはじめた。私は、2,3面の原稿書きをしてたが、5時半過ぎると、もう頭が働かなくなってしまった。夕ご飯の後、サピオに行きトレーニングをした。座ってコンピューター入力だけしているので、腰が痛くて仕方がない。運動していいのかなあと思いながらも、汗がかきたくなって出かけた。
18日(火)
71800カウント
今日は議会最終日。いつもは何があるかどきどきしながら最終日を迎えるのだが、今回も波乱を予測しながらいた。それは、私の手にコントロールがあるわけでなかった。でも、何があろうと議会として正しい方向は、市が市民に誠実に税金の執行をする方向かをチェックするのだと信じているし、議会総体としてその方向を忘れてはいけないと思っている。

要するに田中さんや市民21さんがどう、何を提言するかに掛かっていた。私は田中さんには、市政執行で疑義を覚える事がある場合は議会総体として、それの解明に当たる事は議会の使命であると思うと伝えておいた。すなわち、110条で調査特別委員会を作るという議案が出たら、賛成するよという事だった。最終的にはこの事案は110条ではなく、総務委員会での調査となった。市民21がそれでいいというのであれば、それでよいだろう。私は、110条の議案が出され、否決される状況であるとしたら、この方が良かったのかもしれないとも思う。

ただ、総務委員長の小谷野さんにこの事案に対する重要性の意味がよく分かっていないのではないかと心配している。契約執行に疑惑がある。それは、市民21が単独で調査する内容ではなく、議会として調査する内容なのだという認識が委員長にあるのかという事なのだ。もし、きちんとこれをしないでいては、議会の役割を放棄になりはしないかとおもう。ただ、小谷野さんが何処に疑義があるのか理解できないのなら、はっきり市民21に確かめる必要があるだろう。疑惑、疑義であるだけでいいのだ。議会がする事は疑義が事実かどうかを調べる事だから。

あれやこれがあり、終わったのは5時半を過ぎていた。とても疲れていた。私は、自分のスタンスについて考えていた。それは、私が市議会議員として、市政のチェックをする立場を忘れてはいけないという事である。私は、仲川市長とは合併、西口開発に関して同じ主張を持っていたと思う。でも、だからと言ってすべてを賛成してきたという事はなかった。だって、私が市議会議員だからである。私が市政をチェックする立場である事を忘れたら、私が市議会議員でいる意味はない。

今回だって、小さいかもしれないが、議案28号については、反対した。それは、議案の審査の過程で、もしこの道を法定外にしないで再認定したら、また何かあったら議会にお伺い立てなければいけないので、事務が煩雑になるなどという意味の説明ががあたからである。確かに議会は執行部には面倒くさいことだろう。確かに道路認定に2時間も掛けるのは、執行部には嫌だろうよ。けれど、後で何かがあれば、議会が認定したのではないかといわれるだろう。慎重にならざるを得ないのだ。これが議会の使命ではないか。私は市民のためには、執行部には嫌われ者であるほうがいいのだと思った。嫌われたって仕方がない。いや、その程度でなければ、議会としての意味がないのかもしれないと思うのだ。

地の塩になれと聖書は言う。どこか私自身に棘がないといけないと思う。エキセントリックで、アンテナの感度をどんどん上げなければならない。私も頑張るから、情熱家の小谷野さんはじめ、若い市議会議員も頑張ってと思っている。田中さんも、おかしな路線ではなく、純粋に市議会議員としての使命で頑張れ。変な市民に利用されないように祈っている。その際には、協力しようと思っている。仲川市長に敵対するのではない。チェックそれそのもの自体は市政のためによい結果になると信じているからだ。私は甘ちゃんと言われているかもしれないけれど、仲川市長が私利私欲で市政を運営をしているとは思っていないのだから。人が仲川さんをどんな風に言ようとも、ね。だから、私達議員は正しい市政運営を求めて、チェックを強めればいいのだ。
17日(月)
71700カウント
今日は、朝から原稿を書いていた。とはいえ、まず何時間かは表題をどうするかをずっと考えていた。そして、それが浮かんだ瞬間から原稿が書けた。午後は、校正をして、1ページを完成させ、イラストを貼り付けて、原稿の下準備が終わり、明日スタッフが印刷する。

夕方、カルフールに買い物に出かけた。いつものとおり、大量に食料を買い込んできた。夜は、珍しく家族で食事。とはいえ、夫は東京の勉強会に出ていて、ルスだった。
16日(日) 今日は朝礼拝。いろいろ考えながら説教を聴いていた。受難週ですからね、今日からは。洗足の木曜日、暗黒の金曜日、そして来週の日曜日は復活日である。神様の声を聞こうと耳を澄ましながら生きていこう。それと、今回説教を聴きながら思った事は、自分は神の導きだと思っても他の人にはわからないことだから、この事は人には言うまいという事である。私は、イエス様を証しているつもりだったが、人によっては神の名前をみだらにつかうものではないという事にもなるだろう。心して神の事は私事にしておこう。これは自分の信仰をさらけ出すのが悪いと言うのではなく、神を利用して自分を正当化しているのではないかという批判に対しての答えである。私、断固神を利用してなどと言われるのは拒む。アメリカのブッシュさんが政治の場に神様を持ち出すのも嫌いだもの、自分もしてはいけない。

午後は、サピオでトレーニング。パステルで食事後、ブックオフへ。そして、その後帰宅。夕食を作ろうとしていたら、知人が来て、不二家でお茶視ながら話しをした。帰ってきたら、皆食事を終えていた。私も有り合わせで食事をし、その後夫と篤姫を見た。女の子が可愛くて、飛び飛びながらこの番組を見ている。勝海舟が彼女のお世話をしたような事を前に読んでいたので(鰻や煮連れて行って、焼きたての鰻を食べさせたとか)篤姫さんには少し好意を持っているのである。

原稿はまだ1行も書けていない。
15日(土) 今日は、朝息子を駅に送りに行き、私も急いで支度をして東京へ。実は午後から麹町の剛堂会館で女性のための政治スクールの勉強会があったのだ。その前に、ちょっと尾崎豊の歌碑を渋谷のクロスタワーに行ってみてきたかったのだ。

クロスタワーは尾崎のファンの聖地らしいのだが、プレート自体埃にまみれていたし、思ったよりも小さかったし、回りにはいじらしいほどたくさんの書き込みがあり、胸が詰まった。やはり、尾崎はこの広い東京の下のアウトローだった。それに、尾崎のファンと言うのは(勿論私も含めて)本当に力のない表に出てくる事のないような人人の群れなんだなあと思った。押し込まれた場所で孤独やハードワークにきゅきゅううとしているからこそ、尾崎のような男が自分達を慰めてくれるのにホッとしていたような気がする。

尾崎だって、本当にローな場所から日のあたる場所へ駆け上がりたかったに違いない。お金もなかったからほしかったのだろうし、ブランド物も買えなかったから買いたかったのだろう。でも、彼は自分のいるところがはっきり見えていたのだろう。最後のコンサートで一度落ちた底から這い上がってきたんだぜと言っていたが、彼は何度も落ちただろうし、回りから浮いていただろうし、自分が誰の味方で何処に属していたかを知り抜いていたのだろうと思う。彼は能力もあったから、エリートの中に入ろうとすれば出来るポジションの入り口から、その中まで少し見ただけに、自分がそのところに入れないのが残念に思う気持ちと、自分は入れない人種(!?)であることの諦観もあったような気がする。でも、尾崎は懸命に生きたんだろうけれどね。

はっきり言って尾崎を普通の偉大なアーティストの仲間入りをさせてあげたいと思った。彼は天才なんだよ。そこらへんのジャンキーミュージシャンと同じように、まるでごみのように扱うのは間違いだよ。朝霞の再開発ビルの中に尾崎のミュージアムが作れないものか、良かったら本田美奈子さんと一緒でも構わない。どうなんだろう。友達の市議会議員に話をしてみようと思う。お父さんにお会いする機会を作ってもらおう。

クロスタワーのスタバでチキンサンドイッチを食べ、花粉に覆われ青空の霞んでしまったビルの谷間をみて、尾崎の歌の歌詞を思い出した。孤独な尾崎はこんなところから真っ赤な夕日を見ていたのかと思いをはせた。17歳の地図の歌詞がプレートの書かれていたが、うちの16歳の息子の地図はどんな風になっているのだろうかと思いながら渋谷駅から麹町へと回った。お母さんとしては、息子達の心に寄り添っていたいが、息子達は精神的に自立したいらしくて、「また人生論かよ、うざいな」などと面と向かって私にいう。どっちがウザイのやらと思う。しかし、うちの息子達もどこかで孤独に夕日を見ていたりするのかなあ。

午後の勉強会は政治の潮流を見ること、社会保障財政についての2講演があった。それについては後で書く。

5時過ぎに急いで狭山に戻り、食事後、夫の要請で教会の聖歌隊の指導に行った。私は音程などの指導は出来ないが、曲想については少し何とかできる。それの指導と夫から望まれた。私もさせてもらえて楽しかった。
14日(金)
71600カウント
今日は、朝から西中の卒業式。こんな落ち着きのない卒業式は初めてだった。あまり酷いので注意をしようと思ったぐらいだ。でも、私が立ち上がったら事が大きくなりそうだったから、じっと我慢をした。西中に係わって10年。今までで最低な卒業式だった。一部の生徒には卒業式なんかウザイだけで無意味だったのだろう。

私は尾崎の「卒業」を何べんも聞いている。何十回も聞いている。彼は学校から卒業するために、自由とは何かを考え、血みどろになり闘い、そして、壁を蹴破るようにして社会に出た。そして、出た社会はもっともっと過酷なところだった。右から左からがんじがらめになるように、契約だ金だと縛られて、息も出来ずに薬に逃れてしまうほどだった。

しかし、今日の一部の卒業生にはそんな気迫も、そんな思いもなかったと思う。反抗なんて事を考えもしなかっただろう。好きな事を好きな時に好きなようにしていただけだった。自分の卒業証書をもらっても感慨のひとかけらもない。卒業証書の大きな意味も分からないだろう。在校生のスピーチも聞かない。勿論、自分たちの代表のスピーチにも耳を傾けない。先輩という思いもなく、同級生・同窓生としての連帯感もない。悲しいぐらい西中3年生から外れている子どもたち。それが、一人や二人でなく、何人もいた。この子達は何処にも所属できないのではないかと恐ろしく寂しい思いで一杯になった。「これから向かう社会は冷たいよ。社会を舐めたら、辛いよ」と心の中で叫んでいた。この子達の将来を思うと暗澹たる気持ちで一杯だった。

一方教師の指導力のなさにも落胆した。さじを投げていたのだろうか。あれほど実力のある教師もいるのに、活用できていたようには思えない。それは、一面、親達が強力な指導を望まない体質があるせいもあるだろう。学校が地域に開かれているのだろうか。どんどん後退してはいないか。西中の様子が見えない。当間さんの時は、学校便りが回覧されていたのに、どういうことだ。今は小学校だけになっているように思う。学校で悪い事がおきているときにかぎって、学校はSOSを出さない。

式後、学年主任が今日式で渡せなかった卒業証書を捧げて退場をした。私はそれを辛い思いで見た。いろいろな子がさまざまな理由で式で卒業証書を受け取られなかった。その子と親を思った。何も言葉にならない。この度は誰も校長室での2度目の卒業式について話をしなかった。話せなかったと言うべきかも知れない。あのふざけたまねをした子どもたちは、自分達が卒業式をぶち壊したのに気がついてもいなければ、卒業式に出られた幸せも分からないだろう。それだからこそ、式に出られなかった子どもと親を思って辛かった。

午後、事務所にいて原稿を書いていた。私のひとり言への反響があり、少し前の記事を訂正する事にした。誤解を解くべきかと思うが、私は、下水管の改良工事を不明水との比較で費用対効果の考えを聞いた。端的に言えば、下水管改良工事は結果として不明水の減少に効果が上がればよいと言う事でしかない。1年や2年改良工事をした所で、不明水はなくならない。では、なぜ改良工事をするのか、その理由は何なのかという事だった。

私には、前と同じだけの工事をするから、それを新しい項目立てしたのだというのでは、私の質問の意味を解したとは思わなかった。真正面から私の質問に答えたと思わなかった。そう思ったという事だ。それに対して、いろいろな人がいろいろ思い、私に対してもさまざまな批判があるだろう。それは、こんな事をここで書く以上甘んじて受けるより仕方ないだろう。

私はヒアリングを受け入れた。多くの場合、自分で職員を呼んで教えてもらう。議会や委員会で質問があれば、市民にとって情報として流すべきは議会で、もっと詳しくは委員会でするようにしている。そして、ヒアリングの際、それを伝えるようにしている。正面から答弁を受けてほしいからである。「なあなあ」をするためにヒアリングをしているという批判もあり、職員を呼びつけていい気持ちになっているという人もいるだろう。私にはその意識はなかった。その場で質問して意味が分からなかったら、職員も私も困るという思いから、ヒアリングをしている。大抵は、答弁内容の本旨を聴くこともあり、それで議会も委員会もスムーズに行く面がある。

質問は議員の特権だ。職員を困らせるためにしているのではない。市民に分かりやすい政治にするためだと私は思っている。ヒアリングはとても楽しい。多くの有能な課長達を知る事ができる。逆にわけのわからない課長もいる。ボールを投げれば、投げ返されたボールを見て驚く事も多い。だから、この9年間続けた。でも、これは考え直すべき事なのかと迷っている。それは、自分が市民派の議員としてどういう風に何を目的に政治活動をするかを問い直す作業にもなる。答えは簡単に出る事はないだろう。
13日(木) 今日は、朝から暇なはずだったが、そうではない。9時に中央中学校を訪れた。中央中学の安藤君が聖望学園高校の野球部で、甲子園のベンチに入る。すごい快挙だと私は思っている。とても嬉しい。それで、校長先生に会った。校長先生もたいへんうれしそうだったし、感激もしていらっしゃった。同じ思いの人に会うのは嬉しい。

そのご、図書館の工事を見に行った。返すべき本もあったし・・・「思ったよりも広く道路に取られるな」という思いだ。それにこの日は工事をしていなくて、3月中に工事が終了するのか心配になった。館長は駐車場の台数は変わらないと言う。それは良かったが、誘導路のことをよく考えないと事故が起きるかもしれない。対策をお願いしてきた。館長は今年3月で退職だ。体育課から来た人だと侮っていたが、この何年間で少しゆっくりお茶しながら本の読めるスペースを作ったり、HPが見られるコンピューターを導入してくれたり、図書購入費を削らないように努力してくれたりと、頑張っていただいた。なかなか手の内を見せない人だったけれど、足跡を残して(図書館だけの事ではないけれど)いく仕事をした。

職員さんはいいなあ、少しは自己満足して退職できる。私のような議員は、職員からは煙たがられたり、嫌われたりしながら、思ったことだって、市長が予算をつけなければ出来ない。まあ、いいか。自己満足は出来ないけれど、市民のために何が出来るかと努力するだけで。そして、このポジションにいて、見ることもない人のお役にたっているかもしれないし・・・

午後は、うちのスタッフと話しをし、その後、郵便局に行き、お金を下ろして息子の学費を払った。その後、役所に行き、書類を提出した。議会事務局により、上下水道部によって帰ってきた。

夜はサピオに行った。
12日(水)
71500カウント
今日は、朝に養護学校の新旧役員会があり、地区委員会の副委員長を引き受けた。5人いて、一人は中国人で、書記、会計、委員長、副委員長を4人で分けるとしたら、副委員長しかチョイスはなかったのだ。私ははっきり言って書記も会計も出来ない。一度子ども会の会計をやって懲りました。

事務所に1時過ぎに戻り、昼食をとった後に役所に行った。あれこれ仕事をしたが、役所の人の心意気に深く感謝した。聖望学園の校長や理事などが来庁したそうで、部長会、次長会などがきっと心づけを渡したらしいから、よかった。校長が市長に会いに来たのに、激励も渡さずに返せないよね。少しは、私の力もあったかな。とにかく、狭山市の中央中学校の卒業生の安藤君がベンチに入るはずなのだから、期待したくなる。その安藤君が狭山シニアの出だと聞いて、驚いた。あの弱い狭山シニアから選抜とはいえ、甲子園球児が排出されるなんて、思いも寄らなかった。それで、完全に驚いた。すごいね〜〜〜。

夕方は、早く帰ってきた。途中、ヤオコーに寄ったが、花粉が酷くて、くしゃみや目のかゆみで早々に買い物をやめて帰ってきた。うちは、このところ朝から空気清浄機をつけっぱなしである。

夜、尾崎の新しく買ったDVDを聞いた。尾崎は真剣で素晴らしい。それに、本当に美男子だと思う。
11日(火) 今日は委員会最終日。下水と上水の会計関係。下水は昨日、質問のことを言っていたにもかかわらず、勉強をしてこなかったように思える答弁だった。不明水対策としての下水管の改良事業の所も、結局まともな答弁できなかったと思った。少なくとも私の意図したような答弁ではなかった。昨日のヒヤリングはなんだったと言うのだろう。分かったのは、私の聞きたいことの意味が分からないという事だった。分からないのであれば、昨日ちゃんと聞けばいいのに・・・・

狭山市の雨水管には古くなったのがあって、クラックなどから雨水が入り込んでそのために県に不明水と言うことでお金を支払っている。それは6000万円ぐらいである。それがもったいないので、管の修理をするというのだ。それのために、これから毎年7500万円のお金をかけるというのだ。毎年7500万円をかければ不明水の6000万円がなくなればよいけれど、きっと全部がなくなるなんて事はありえない。要するに、修理をしたほうがしないより持ち出しは多いわけだ。だったら、修理をしないで放っておいて経費として6000万円払った方が修理に際限もなく7500万円ずつ出すより損は少ない。それについての見解を聞いたのだが、私にはなぜ7500万円という金額を不明水の対策に今後毎年使うのか、きちんと理解できる答弁ではなかった。

大体、何処から雨水が浸入してくるかなんか分からないのが現状だから、古い管を治していくという事に意義があるという事なんだと思う。それに補助がつくらしいが、これなんか国土交通省の思惑を感じる。今もう市街地の公共下水が完備されたので、あとは修理デモしておかなければ、下水道局の仕事がなくなってしまうという事である。下水管がぼろぼろの所もあるかもしれないけれど、それのために改修を始めると言うよりは、またぞろ道路を掘り返して工事のための工事を始めるような気がする。ここまで言わなかったけれど、こんな考えを持って質問している事を、理解できない人がいるようだ。その方には、理解できないママでいてもらうしかない。私の説明のしかたが悪いのかもしれないけれど・・・・

委員会はお昼過ぎまでに終わり、疲れ切った。昼食後、サピオに行き、トレーニングをした。急いで帰り、夕食を作り、料理屋に急いだ。今日は委員会が終わり、役所の1年もすぐに終わる。だから、建設委員会懇親会。勿論自費です。飲み食いは自分のお金でするんです。私は、外で飲めないので、ウーロン茶を頂いた。久しぶりにお酒の入る席だったせいで、本音で語ることが出来たような気がする。2時間なんて短すぎるね。皆さん、2次会に行ったようですが、私はすぐに失礼した。

議員としての姿勢について考えるところがあった。でも、性分で、今のような議員生活しか送れないのだと思う。それでも、考え込んでいる自分がいる。
10日(月)
71400カウント
今日は朝から委員会審査。結局、午後3時半ごろまで掛かった。その後、下水道の予算について、ヒアリング。

4時半から市長とあった。聖望高校のPTAでは今選抜に行くために献金をお願いしていて、そのためにいろいろな人にあっている。日ごろの不徳がたたり、なかなか献金にならない。とにかく、「お金をください」と言うのは言い出し憎いことである。自分の事なら、はっきり言って恥ずかしくて出来ないかもしれないけれど、子どもの学校の事で、その上に、高校野球のことでもあるし、人肌脱ぐのは当たり前だ。それにしても、自分の子どもが聖望にいるなら別だけれど、いない人に献金をお願いするにしても、出してくれる人はすごいなあと思う。自分でお願いしていながら、特に今ブラクソン家はお金がないときだからでもあるが、心の広い人がいると感心する。ちなみに、私達PTAは1軒で2万円寄付をした。聖望学園は飯能市にあるので、公職選挙法には抵触しない。

帰ってきて夕ご飯を作り、夜はホームページなどを更新したり、メールをチェックしたりしている。明日は今日以上に忙しい。頑張ろう。
9日(日) 今日は、朝、礼拝に行った。いつにもまして、ぼおっとして説教を聴いていたが、先生が心を込めてイエス様について話をなさるのを感謝で聞いていた。毎週、朝から晩まできっと、一週間の説教のために生きているのだろうと思う。神様からの声にアンテナを向け続けているのだろう。牧師とは大変な仕事だ。礼拝の後、霊的な話を出来たのも、この教会が小さくて、今週は洗礼を受けてから長い人ばかりだったせいもあるだろう。

午後は、サピオに行き、パステルで昼食後、トレーニングを1時間して、シャワーを浴びて帰ってきた。汗がたくさん出て、気持ちよかった。

午後は、帰ってきてから、聖望の友達の所に献金をおねがいしに出かけた。快くお金を出していただいて、感謝である。

実は昨日夜中から息子と二人、カラオケに行った。息子は恥ずかしそうで、ちっとも私の方へ寄ってこなかった。カラオケの中では、私は尾崎豊のオンパレード、息子はなんとブルーハーツなんか歌っていた。ブルーハーツというグループは知っていたが、これは古いグループでどうして16歳が知っているのか不思議。それから「俺たちの戦艦大和」っていう歌も歌っていたが、さすがに私の子どもが歌う歌だなあと少し嬉しかった。反戦の歌だからね。ところで、カラオケで歌って分かったのだが、尾崎の歌は難しい。何十回となく歌を聴いたいたのだが、自分で歌うと歌えない。さすがにプロは違うと感心した。息子と2人でカラオケに始めて行ったが、すこし(とても)嬉しかった。
8日(土)
71300カウント
今日は仕事をしない日にした。息子もお休みで弁当つくりもしないでよいから、朝も久しぶりにのんびりした。新聞を読んで、紅茶を飲んで、お昼ご飯を食べて、本を少し読んだら、あっという間に2時前。男女共同参画室の主催の講演会に出かけた。女性の運転手さんのお話。うちの父と同じとしだもの、考え方が古くても仕方がない。女性は男性を立てて生きていくのよっていっていたが、何をどう立てるべきかね。たくさんの方が講演を聴きにきていた。なんだか、ひとつピントがはっきりしない講演会だった。

その後、急いでカルフールに行き、食料を買い込んだ。山ほど。そして、帰って食料を家に置き、ご飯を仕掛けて、お兄ちゃんのお迎えに出かけた。

夜は、何もしないでゆっくりしているから、長く感じる。本当に久しぶりの休日という感じだ。来週は、議会と原稿書きに押しつぶされそうだ。週末だけはのんびりしようと思う。
7日(金) 今日も議会。今日からは委員会審査。始めに雨水管を視察に行った。大きな雨水管で私達大人が入る事ができる。よく狂いもなく掘り進めると感心した。中のコンクリートも腐食のないような素晴らしいものだ。すごい日本の技術。

その後、委員会審査。活発に質問をした。終わったのは、3時過ぎになってしまった。委員はもうベテランばかりだから、ポイントをついた質問が次々に出てくる。やれやれ。

5時過ぎに帰ってきて、夕食を作った。早めに食事を作り、私は8時過ぎにサピオに出かけた。トレーニングをして汗をかくと気持ちがとても良い。10時前にヤオコーに飛び込み、パンを買って帰ってきた。
6日(木)
71200カウント
今日は一般質問3日目。古谷野さんの質問には驚いた。教育委員会の仕事にあれほど踏み込んでいいのだろうか。行政委員会は政治から独立した機関のはずで、私達議会のタッチできるところは施設的な事だと思うのだが、もうカリキュラムの中まで踏み込んでいた。教科書の中身の事まで、市議会が踏み込んでいいものだろうか。

それに古谷野さんの質問の中で危惧を感じたのは、死を美化しすぎではないかという事である。私の父は戦争に借り出され、ラバウルで終戦だった。江田島で海軍の訓練を受けた多くの父の同輩が、南の島で死んだ。国防、国を守るという美名によって、あたら若い命が南方で死ななければならなかった。何が国防だ、何が国を守だ。単に侵略戦争に国防という大義名分を使って若い命を浪費したのだ。国を守ろうとして命を賭したなんていわないでほしい。ばかばかしいファシスト・軍国主義者のために、命をとられたんじゃないか。

私の叔母も従姉も戦争で死んだ。そして、早く終戦になっていれば焼ける事のなかった母の実家。日本人の命をなんとも思わなかった軍人たち。天皇が辞めようと言わなかったら、国がなくなっていた。長岡なんか私が小さいときなんて、焼けてから10年しか経っていなかったから、何もなかった。国防と言うのは、平和を築く事だ。それも、私達は日本国憲法で戦争を放棄した。武力での国際紛争をやめるのだ。

狭山市には基地があるが、基地を使うような時ははっきり言って日本は負けるより仕方がない状態だろう。それに、何処と戦争しようと言うのか。中国か、ロシアか。はたまた韓国・朝鮮か。アメリカとまた戦争をしようというのか。誰が仮想敵国なのだろうか。まさか、日本が危ないからなどと言って、先制攻撃が良いなどと言い出さないでしょうね。小谷野さんは自分の2人の息子を自衛隊に入れて、国防に当たらせるのだろうか。そして、死を賭して“国防”のために生きさせるのだろうか。私は子どもを軍隊に入れるのは絶対嫌だ。軍隊は所詮人を殺すのを職とする。人を殺させるために、自分の子どもを育てるなんて真っ平と言うものである。時々、若い人の考えを恐ろしく思う。人を殺す事は、どんな美名の下でも許されないと思う。

午後は、中川さんの一般質問の口調に辟易しながら聞いていた。

夕方は建設部とまちづくり部の人と予算を勉強した。
5日(水) 今日は朝から一般質問。田中さんが新聞記者に何かを知らせたのか、何社かの記者が来ていた。何を問題にするのか。

さて、午後からは、3時間程度でおわったから、その後サピオに行った。久しぶりにトレーニングした。人がいないので、最後は私一人になった。始めってのことだった。早い時間だったからかもしれない。

夕食をゆっくり作り、その後楽しく本を読んだりした。少し気持ちがゆったりした。
4日(火) 今日は朝から一般質問。緊張していた。私は4番目。内容が暗い、孤独死やら高齢者虐待やらであり、複合施設はなんとなく付け合せに感じるだろう。でも、孤独死に関して、議員さんは一生懸命聞いてくださっていたように思う。遺書やら遺体の話しやら、あまり聞きたくない話しかもしれないが、出産から死まで、ゆりかごから墓場までと言うのが、行政のサービスなわけで、避けては通れないのだ。孤独死は狭山市議会として始めて取り上げた課題だった。

嫌なことだけれど、真剣に取り組んで、一人で寂しくなくなり、死後誰にも気づかれなかったというのはなくしたいなあ。一般質問の後、すこしそれが話題になり、狭山台地区では孤独死が多い事、男性一人暮らしに多い事などを話した。高齢者虐待をするのも男性が多くなっている。男は助けを求めるのが下手なんだなあ。

午後2時に議会は終わったのだが、その後、施政方針に対する質問の議会だより原稿を書いていて、書き終わったのが5時。それから帰ってきて、久しぶりにゆっくり夕食を作った。子どもも夫も帰宅が遅かった。私は、9時半ごろになって、もう眠くて起きていられなくなった。考えてみれば、昨晩は2時にねて、今朝は6時に子どもを起こし、じぶんも原稿をチェックしたのだから、この時間に燃え尽きても仕方が無いだろう。
3日(月)
71100カウント
今日は、朝から質疑。質問はすべて言ってあるのだから、後は分かりやすく私が質疑すればよいわけで、早めに自席につき、質問の文言を考えていた。議場には職員は入ってこれないのだから。

私は用意した質問のいくつかをはずし、また、いくつかは他の人が質疑をしたので、それもはずし、結局用意した90%ほどの質問をしたと思う。私以外の方々の活発な質疑は嬉しい。議会はショーではないが、やはり一般の傍聴が出来る場だし、ケーブルでご家庭の方も見られる公式の場だし、ここで発言しなければ「議会だより」にも載らないわけで、情報を届ける術が無くなってしまう。しつこいようだけれど、自分のために質問しているのではないこと、すべきでない事をはっきりさせるべきだと思う。勿論誰のためかと言うと、市民のため。

質疑は午前中で終わった。午後から市長のヒアリングがあるとかで、お昼ごはんもそこそこで職員と打ち合わせた。帰ってきてから、少し横になった。夜中は、最後の足掻きというべき、原稿の最終チェックをした。短くするようにしたが、あまり縮める事が出来なかった。14ページ。第2質問とコメントで4ページ。後はフリーにしよう。
2日(日) 今日は朝少し楽な気持ちで起きた。昨晩に一応原稿を完成させたからである。そして、すべてメールに添付して、原稿を送った。は〜〜。後は、それを推敲して、完成稿を作ればよいのだが、すぐ作業をすると冷静に原稿を読めないので少し時間を置いてからすることにした。

朝、教会で礼拝。お昼はパステルでパステル弁当を食べた。その後、1時間上のジムでトレーニング。本当に久しぶりにトレーニングに来た。汗がたくさん出て気持ちが良かった。シャワーをしてから、ヤオコー前で演説をした。3ヶ月ぶり、久しぶりだった。

その後、美容室へ行き、髪にパーマをかけた。明日は質疑、明後日は私の一般質問だ。夕方帰ってくると、やはり、ファックスには紙が機械の後ろで蛇のようにとぐろを巻いており、もう一本の電話にもファックスが8枚ほど入っており、伝言は3つ。夕食後は、ファックスに目を通して考え込んだりと、忙しくすごした。こんなにどたばたしないで、すうっと一般質門が出来る人がいたら、羨ましく感じる。
1日(土)
71000カウント
今日は、朝から頑張って一般質問の原稿を書いていた。約束した10時になっても書きあがらない。本当は昨夜、疲れ果ててかけないので今日早く起きる事にして、食後すぐ眠ったのに、今朝起きたのは6時。私は、書き始めるまでに約束事がなくて、とにかく一字を書くのが出来ない。構想を練って、そのとおりに書くなんて事が出来ない。構想そのものをまとめられないと言うべきなのか。テーマはあるし、勉強もしてあるのに、問題もそこにある。でも、文字にならない。

今回はどうしてこうも原稿にならないのだろう。いや、私が原稿を書かないだけか。

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