私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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4月 私の独り事
30日(水) 今日は、朝から報告書を書いていた。4月の女性のための政治スクールの報告書。3時間の講義(2こま)をまとめるのだが、メモを見ながら頑張った。資料がないものもあり、記憶とメモが便りである。世界情勢を学んで市政にどう影響があるのかという人もいるだろうが、国民保護条例、平和政策、国際交流などを考える上にとても役立つ。特に北朝鮮はメディアが言うほど脅威では全くないというを、一年の国家予算が4000億円しかないという話しを聞いて心の底から納得してしまった。狭山市でも470億円である。北朝鮮は本当に弱小国家なのを、まるで孔雀のように平べったい尾っぽを立てて大きく見せているのだなあと思う。

午後までに書き終え、食事をしているとスタッフが来て、バザーについて話をした。

夕方遅くに役所に書類を出しに行った。そのご、役所の中を一回りしてから帰ってきた。あちこちで話し込んでいたので、帰ってきたら8時近いのには驚いた。娘が豚しゃぶを作っていてくれたから、あっという間に夕食が出来た。この前のお説教が聞いたかな。

夕食後、なんだかとても疲れてしまった。このまま寝る事にする。報告書を書き終えたら、立派な仕事をしたような気になっていて、早く寝るのも罪の意識を感じなくてすむ。本当に貧乏性なのだからと思う。
29日(火) 今日こそのんびりでいるつもりで、なんと7時半まで寝た。もっと、うだうだしたかったのだが、体がおきるようになっていて、結局起きた。昨晩、片付けもしなかったから、またもや家事が山盛り。洗濯も半端でない量だ。幸い、良いお天気だったから頑張って洗濯をした。息子が起きて、洗濯を干してくれた。

5月1日からガソリンが上がるというので、車のガソリンを入れに行った。軽自動車2台分。40リットルぐらいを5千円ぐらいで入れた。これが6千円になるとしたら、やはり庶民は安いガソリンを買っておくに決まっている。買い置きが出来ないのが残念である。息子にはガソリンをいれ、1000円を上げて、私の車のタイヤをスタッドレスからノーマルに替えてもらった。少し、空気圧が足りないようだ。

娘の修学旅行の準備を手伝い、あまりに酷い部屋の状態を説教をし、また洗濯。今日こそ、ゆっくりサピオに行こうと、夕食を早めに作り、会社から帰ってきた夫も入れて、珍しく4人で食事。最近は、家族全員で食事をすることが少なくなってしまった・・・・

7時半ごろにサピオへ。1時間、ほぼ300カロリー分の運動をして帰ってきた。もう、11時を過ぎた。明日は、報告書の作成をしようと思う。今日は役所であったお茶と花の祭りにも出かけず、家にいたが、あっという間にこの時間。まとまった事ひとつしなかったのに。お休みという気がしないのは、どうしてだろう。
28日(月)
73200カウント
今日は朝からのんびりムードでいたかった。でも、勿論弁当を作って子ども2人を学校に出し、夫も会社にだしてなどとしているうちに、電話がいくつかかかり、バザーの品物を取りにいくことにし・・・・洗濯はあるし、皿もたくさん洗わなければならないし、あっという間に昼になってしまった。

午後には、役所の資料請求したのがどうなっているかを調べに行った。どうしても、局長と世間話をしてしまい、時間があっという間に終わる。6月議会のためにいろいろ資料を集めているのだが、足りない。どんな風に質問をしていくかという事を考えなければ、ならないわけである。論文を書くのと同じかな。

ところで、先日匿名の郵便物が来た。今日副議長にあったので、その話をした。ここでその詳細を書くべきか迷っている。ただ、書いていることが事実だとしたら、私の正義感が許さない。うやむやにしてはならない事を、うやむやにしていないだろうね。その点をしっかり調べるように副議長に釘を刺した。議会の役割はチェックが大きい。その性格上、少しぐらい執行部にけむったがられても仕方がない。議会が率先して、正しい事を正しいように処理すべきである。市長もその点きちんとすべし。「まあ、まあ」、なんていっていると後が怖い。きちんと対応した方が後々自分の為、市のため、市民のためになると思う。事実関係を調べてから、正すべき点は正してほしいと思う。泥棒は刑事犯だよ。懲戒免職ものだよ。

夕方友達の所にバザーの品物を取りに寄った。ちょっとお茶でもといわれて、話し込む事1時間。夕ご飯がなんと9時前になってしまった。毎日、忙しくて、体の芯から疲れてしまう。
27日(日) 今日は午前中に礼拝。イエス様を信じるということ。辛い中でもイエス様を信じるという事。きっと、辛いからこそイエス様を信じるのだろう。自分を彼にゆだねたくなるのだろう。思考の停止状態かもしれない。何かが動くのを静かに待つという感じだ。祈る事だけだ。

礼拝後、狭山湖畔霊園の尾崎の墓に行った。教会が車で5分と掛からないところにあったのだが、今まで一度も行った事がなかった。そこで、人も少なくなっただろうからと出かけていった。中年の女性が墓のお世話をしていた。すごい尾崎のファンがいるんだなあと感心した。彼女と話しをしているうちに、何人もの男女がお墓に来て帰っていった。お花も一杯飾ってあった。墓は思ったよりも目立たない霊園の一角にあった。ただ、眺望がよかった。でも、尾崎は本当は街の中の霊園で、尾崎の霊が街の中をさまようようだったらいいなと思った。ファンの悪い思いかもしれないが、こんな辺鄙なところに死んでからも尾崎は追いやられたんだなあと思った。尾崎の霊はまだこの世に徘徊しているように感じられて仕方がない。

2時から、聖望学園の甲子園の報告会があった。残念ながら、野球部は公式戦があり、岡本先生始め誰も出られなかった。校長先生はおられた。思ったよりお料理も多くでた。献金も何とかなったようである。私は、昨年の学年委員と楽しくお話しをした。準優勝旗の前で、記念写真を撮った。最後に私は旗を触らせていただいたが、本当に立派な旗で、金糸銀糸がたくさん使ってあった。こんな旗を間近で見る機会はもうないかもしれない。1年間保存するそうだが、優勝旗なんか銀行の貸金庫に入れて保存する学校もあるくらい、その扱いはナーバスであるそうだ。まさか、泥棒に入られて取られてはまずい。まずいなんてものでなく、始末書どころではなく、不名誉どころではなく・・・準優勝というのは大変な事だったんだと改めて思った。

全く忙しい毎日だ。夜久しぶりにサピオにトレーニングに出かけた。家のアメフトの息子がついてきた。汗をかきながら、息子とトレーニングできる幸せを感じた。300カロリー消費したが、お昼を2回も食べたから、もっと運動すべきなんだろうなと思った。けれど、いつものメニューをこなしただけだった。
26日(土) 今日は朝、男女共同参画条例の勉強会へ。この講座の最終日。ある市民から西口開発反対の立場から女性センターをこんな風に置き、それに伴い条例をつくるのはどうかみたいな話しが出た。そんなのであったら、施設条例だけにするという手もある。あの人たちは、公益施設を作る際、検討委員になった人がいて、彼女が提案した女性センター施設なのに、今は公益施設そのものがいらないなどという。なんだろうね。このまま、彼女達は検討委員会を立ち上げたら検討委員になるつもりなのだろうか。そして、検討が終わった時点で、こんな西口整備の中での施設は無用だなどと言うのだろうか。条例の中にセンターについても記載されるはずなのだから、その点をどうするのか理解できない。西口反対、女性センターの作るのは良いとしても本体の公益施設は反対というのでは、条例にどう係わるのか、それとも最終的には条例にも反対していくのか。

私は、長年男女共同社会推進条例を作るべきだと言っている。今もそう思っている。条例を作る意義は大変大きい。また、多くの市民に係わって条例は作るべきだと知っている。しかし、狭山市のように女性団体が全く機能していないような市において、市民を巻き添えにして条例を作る困難さを感じている。ある程度の戦略がなければ、出来ないだろう。その際、またこの条例が政治の具にならないように願いたい。まあ、不可能なんだなあと今日つくづく思ったけれど。きっと、作った所で批判が右は日本会議議員から左は共産党西口反対派から出てくるのだろう。なんだか、非常に空しい思いで、講座を後にした。

午後は、食事の後、国際交流教会の総会に出席。国際交流協会は頑張っている。民間のよさを発揮してもらいたい。

夕方、家族で食事をした後、私は入間の湯に行き、のんびりと垢すりをしてもらった。鏡をみて、痩せたなあと思う。ようやく、20歳の時の体重にまで落ちた。でも、体つきは昔と大違い。胸はないし、おなかはたるんでいるし、まだまだ若いつもりでも体は正直。悲しいところだ。今日も忙しかった。
25日(金) 今日は、朝家事。お手伝いさんは月末忙しいので来ない。午後からは、役所に行き、視察の予定を確認、資料を請求し、事務局に資料の作成も頼んだ。4時ごろ、銀座へ。今日は尾崎の命日。変な言葉だね、死んだ日を命日なんていうのは。キリスト教では、なんと言うかなあ。記念日とか言うかな。死んだ事を記念する日というのも、なんとなく感情にそぐわないけれど、思い出す日という意味か。

それで、銀座の尾崎展に2回目、見に行った。この前よりも大勢の人がいた。尾崎のファンだから静かにDVDに見入っていた。625DAYの後半を見て帰ってきた。その足で、池袋にいき、尾崎の映像を見る会があったので、参加。いくつかの古い映像、それもテレビ局が作った映像を見た。私は見たこともない映像で興味を持った。何でこんな映像を作ったのかなあというのが率直の感想だ。尾崎の表面しか語らないこの映像。私のように尾崎に入れあげている人間には冷たい番組だと思った。温かく尾崎を見てくれる人が回りに少なくなったのは、尾崎自身のせいだろうけれど、それにしても映像を見ながら、(とにかく熱烈なファンとしては)尾崎は本当に孤独だったんだと体が冷える思いだった。

私も哲学人間だから、尾崎の人を遠ざけたくなる気持ちも分からないではない。甘えの気持ちが一番あるのだが、その快い状況が怖いのだ。自分を崖っぷちにおいておかないと自分が駄目になってしまうような気持ち。甘やかされると逆に息詰まる感じ。手を何処に伸ばしても何もつかめなくなる感じ。自分であがいている時にこそ感じる生の感触。贅沢言っているんじゃないよ、ですよね。自己中心で、わがままで、勝手で、それでいて甘えん坊。尾崎を見ていると、正に自分を見ているように感じる。人がついていけなくなりますよね。

10過ぎに帰ってきた。
24日(木)
73100カウント
今日は、朝9時半から「こひつじ保育園」の視察。この前、移転したばかりと思ったら、もう3年もたつのだそうだ。私は、狭山市の保育園はすべて視察したつもりだったが、この保育園を忘れていた。何週間か前に、視察の予定を組んでもらい、園長先生が施設を見せてくださった。新しい施設は素晴らしい。木がたくさん使ってあり、平屋で天井が高く清潔だった。4月が始まってすぐだから子供達が落ち着かないかなあと思っていったのだが、0歳児の赤ちゃんから落ち着いていて、泣き出している子どもがいなかったので驚いた。これは良い方の驚き。男性も3人保育所の中にいて、やはり女性と子どもだけという状況よりは安定感・安心感がある。

施設は立派だったし、園庭が広いのが素晴らしいと思った。地主の方のご好意があるというのだったが、広い土地をお借りできて、子ども達がのびのびと遊んでいるのをみて、移転してよかったんだなあとつくづく思った。ただ、水富保育園の跡地について考えた。今は一時保育をしているそうだが、今後は水富学童保育室の待機児の解消のために、あの場所を活用できれば良いと思った。

なんと11時過ぎまでお邪魔し、その後役所へ。役所で視察の報告をしたが、はっと気がついたらお昼。急いで、さやま養護学校へ娘を迎えに行った。2時から萩山の病院で脳波の検査があった。帰ってきたら、6時すぎだった。急いで夕食を作った。

夕食後、娘の修学旅行の用意のためにカルフールへ出かけた。結局食料もたくさん買いこんで帰ってきた。なんだか、朝から晩までばたばたしている。
23日(水) とにかく忙しい。今日は、朝養護学校のPTA総会だった。私は今年役員を仰せつかっていたので出席。昨年は何もしなかったけれど出たから、ようやくこの学校のPTAっていうのが分かりつつある。でも、ちょっと遅かったかなあ。1年の時から頑張ればよかったかもしれない。

ところで、総会後に地区委員会が開かれ、1時近くまで。おなかがすいたので、場所をバーミアンに変えて3時近くまで。話す事がたくさんありすぎて、ひとつずつ片付けた。それが終わってから、聖望に駆けつけた。聖望でPTA関係者と立ち話をすること1時間近く。甲子園に行くという事は本当に大変な事であるとしみじみ思った。前にも書いたが、学校自体の力が問われているって感じである。実際、決勝戦まで行かせることが出来たのは、野球部だけの力ではない。(勿論、野球部の監督ならびに選手の力が一番である事は言うまでもない。)

帰りにブックオフによった。本屋はちょっと立ち寄るだけと思っても、あちらの本に引っかかり、こちらの本を立ち読みし、帰ってきたのは結局6時ごろだった。

夕食後は久しぶりにサピオでトレーニング。汗を流す快感を忘れないようにしないといけない。忙しくて、なかなか出かけられない。
22日(火) 今日は私の誕生日だった。57歳。嬉しくないなあ。

臨時議会があり、9時に集合し、結局終わったのが六時半だった。議長が代わり、副議長が代わり、その影響で建設委員長、議運の委員長副委員長が代わり、議席が変わりと忙しく粛々と裁決に励んだのだが、あの時間になった。私は無所属だから、人事には無関係、蚊帳の外というわけで、人事のような一日だった。

人事に関してはそうだが、3議案についてはいつものとおり手を抜かず質疑をした。答弁については失望してしまったが・・・・

買い物をして帰ってきた。ヤオコーで人にあい、話し込んでしまい、家に帰ってきたらなんと9時前。これから食事を作ったのだから、かわいそうでしょう。娘はいたけれど、何も作っていないので叱った。せめて、ご飯ぐらいは炊いておいてもらいたかった。
21日(月) 今日は朝あわただしく準備して銀座へ。奈良女子大学の後輩とデートだった。彼女は「東芝と言っても子会社なのよ」といいながらも、その東芝の子会社の重役夫人。「サラリーマンだからさ)」なんて言っていたけれど、私が明日誕生日だといったら、お昼ご飯をご馳走してくれた。まあ、彼女の子どもは独立して夫婦で生活しているらしいから、重役夫人にご馳走してもらっても良いかななんて思った。ご馳走様でした。

銀座に行ったのは、ソニービルディングで尾崎の写真展をしていたからである。尾崎の原稿を見たり、ギターやシャツを見たりしていたら、寂しい気持ちになってしまった。生きていたら良かったのに。生きている尾崎に会いたかったなあと痛切に思った。尾崎が可愛いルイードのときのDVDが大きな画面で流されていた。私もそのDVDを持っているから何度も見ているわけだけれど、じっくり見ながら涙が出て困った。いろんな思いで複雑だった。若い人に混じって、私みたいなおばさんが泣いているのが不思議だったらしく、テレビ局に取材された。でも、あんな酷い受け応えしか出来なくて、後で取材を受けるのではなかったと後悔した。あんな状態ではきっと使われないだろうと思う。夜に息子達にその事を行ったら、いつのテレビに出るの?とかいっていたが、出るわけない。本当に、しちゃかめっちゃかだったから、出さないでほしいと願った。

さて、友達とランチの後、ウィンドウショッピング。何も買わなかったのだから、ショッピングとはいえないかもしれない。でも、女同士2人で楽しいねといいながら、銀座界隈を歩いた。「夫と2人出来てもお店に入らないものね」って言いながら「高いね」だの、「センスが良いね」だの「珍しいね」だの好きな事を言いながら、見て回った。彼女とは10年以上もあっていないわけだけれど、お互い年を取ってはいるはずなのに、全然年のギャップを感ぜず、30年以上も前の大学時代の話をついこの前の事のように話して楽しんだ。これが学生時代の友達の良いところだと思う。

夕方、歌舞伎座で分かれた。私は勧進帳を見たかったので、切符を買おうとしたのだが一枚もなくて、仕方がないので立ち見席で見ることにした。立見席の切符を買うのに30分以上も待たなければならないので、彼女も一緒に待ってくれた。ウィーンでのオペラ座の話しを彼女がして、オペラ座にも立見席があったという事だった。結局、私は勧進帳だけでなく、夜の部を通してみてしまった。橋の助の山岡鉄舟はすばらしくよかった。三津五郎の慶喜も良かった。勧進帳の勘三郎は少し小さく見えて残念。仁左衛門の弁慶は、大きくそれでいて心情があふれていて、これは秀逸。玉三郎の義経は美しいが声色が色っぽ過ぎだと思った。男をしているわけだから、もっと太い声でも良かったのではないか。

最後の「浮かれ心中」は井上ひさしの「手鎖心中」の歌舞伎版。とてもとても面白くて、おかしくて、これを演じた勘三郎はとても素敵。彼はどちらかというと型にはまった歌舞伎よりも世話物というか今様がうまい。この前の「刺青奇遇」の演技も良かったし。私のひいきの七之助さんが出ていたが、大根役者だ。お父さんの勘三郎と演技をしても、あまり見劣りしないようになってもらいたいものだ。

帰ってきたら、11時過ぎだった。
20日(日) 今日も忙しかった。とにかく、午前中は礼拝。戻ってきたら1時過ぎ。少し家事をした後に、髪の毛を染めに行ったら、帰りは6時近かった。ご飯を作ろうかと思っていたら、夫がケーキを買って戻ってきた。実は22日は私の誕生日。火曜日で皆が集まれないので、日曜日にバースディパーティをしてくれるという事。川越で買ってきたというブルーベリーチーズケーキだった。最近、ダイエットでケーキなんか口にした事がなかったが、わざわざ私のために買ってきてくれたのだから、お祈りをしてから、ローソク(7本立てた)を吹き消し、食べた。おいしかった。

それが終わり8時ごろ、アウトレットモールが出来たとかだったので、夫と2人で出かけた。日中はパーキングに入れないほど盛況だったようだ。で、行ったらお店は8時で閉店。結局、ウィンドウショッピングというか、覗いただけで終わってしまった。ただ、多くの店が出店しているので驚いた。でも、私が着るようなものを(すなわち若者向けでなく中高年向けのもの)売っているところが少なくて残念だった。「あなたのほしそうなものは、マルヒロデパートにありますよ。」なんて夫が言っていたが、マルヒロでお買い物をした事がない。いつも安物コーナーばかり。時には良い服なんかを買いたいなあと思う。

帰ってきたらもう10時を過ぎていた。ゆっくりする暇がない。
19日(土) 忙しい。10時から、男女共同参画条例の勉強会。12時過ぎに終わり、急いでパステルで食事をした後、麹町で女性のための政治スクールに参加した。重村さんの講演は面白くて時間があっという間に終わった。蒲原さんは厚生労働省の障害福祉課長だった。お話ししたい事がたくさんあったはずだが、養護学校と自立の話ししか出来なかった。ほ〜〜〜。厚生省の障害福祉課長なんかと話す機会なんてそうそうあるわけでないのに、もったいない事をした。

5時過ぎに終わり、急いで帰ってきたけれど、やはり7時過ぎに家に戻った。買い物をして、夕食をしたら、サピオにトレーニングに行く時間も持てなかった。
18日(金) 今日は疲れていたけれど、9時50分からは養護学校の保護者会に出かけた。高等部3年、修学旅行直前なので、学年会も含めると終わったのが12時半。帰ってきて、スタッフがいるかと思ったが、もうネットニュースを搬送に行ってしまった。

午後、電話で、22日の臨時会の議案書が出たという事。それで、私は役所に行き、議案書のヒアリング。3件だったが、1件に質問をすることにした。良い答弁が出るとよいけれどと思う。役所を出たのは6時ごろ。買い物をして帰って来て、夕食を食べ終わったら、8時を過ぎていた。明日も忙しいし・・

沖縄ツアー続き
3日目:美ら海水族館は国立の水族館。大きな水槽に南の海の魚が泳いでいた。特に圧巻は甚平ざめとマントエイのいる大きな水槽だった。のんびり泳いでいるさめを見ていると、なんだかストレスが溶け出してしまう感じだ。1800円の入場料は高いけれど、もっとゆっくりしていれば、まあ高すぎるっていうものではないだろう。水族館のお土産屋によって、エイのマグネットを買ってきた。それとさめの絵のついたステンドグラスまがい。年を取った時、思い出を語る品があるのは嬉しい事かもしれない。友達と「沖縄にもうこれないかもしれないよね」といいながら帰ってきた。

時間がないので4日目はまた後で。
17日(木) 今日は疲れ果てています。あんなに待っていた沖縄平和ツアーから昨晩かえって来ました。とても天候に恵まれて、楽しいひと時を持ちました。でも、平和ツアーですから、おきなわ戦争の跡と米軍のキャンプ場まわりが主、1日だけ観光を入れ、私は友達と2人で美ら海水族館と古宇利島に行きました。

1日目:海軍指令部と自決した壕を見ました。私は帰りには怒り狂っていました。大田海軍少将の最後の電報を読んでです。彼は沖縄が草木残らず焦土となる事、6月一杯を沖縄戦を支えるのが関の山だという事、後世県民に対し特別な配慮をしてほしいと書いています。当たり前の事です。そして、彼は自決しました。彼が死ぬのは構いません。でも、私としては彼に白旗を揚げ、沖縄の島民に対しては降伏を説得し、沖縄島民を救ってほしかった。降伏するのは格好悪いし、名誉にならないかもしれない。でも、人の生死を簡単に考えすぎた軍国日本だった。太田少将の「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」という思想は、今後絶対持ってはいけない思想だと思う。死ぬのを美化してはならない。

天皇のために死ぬのは国のために死ぬのだ、愛国心は尊いという3段論法のために一人ひとりの命を粗末にする事は、これからの日本の歴史にあってはいけない。戦闘に関係のない市民を巻き添えにして、すべての国民が天皇のために生きている国なんて異常だ。北朝鮮が不気味だというのと同じ、日本も世界の中で自分勝手な気持ちの悪い国だったと思う。大田海軍少将の電報を読んで、国民が悲惨な死に方をしているのを止めること出来ない戦前の体制への反省を徹底するべきであると痛切に思った。

2日目:普天間基地(大学の敷地内にヘリコプターが落ちた場所は小さな公園になっていた)、嘉手納基地〈道の駅のベランダから見た。4キロの滑走場があり、入間基地に比べられない大きさだった)、チビチリガマ(4月2日に沖縄戦で始めての集団自決をした壕、84人が死んだ)、読谷やむちんの里、辺野古海岸を見てきた。

南部から中部にかけて、アメリカ基地の多いこと。日本にある米軍基地の75%、沖縄本島の20%が米軍基地というのはいかがなものだろうか。それにしても、沖縄の基地、アメリカ軍は必要なのだろうかと考え込んだ。まあ、日本や中国の状況次第では欠かせない位置に沖縄がある事は確かだろう。そして、その実質上の力を誇示するには大きな基地を持つ必要もあるのだろう。ただ、アメリカ軍は日本の領土を借りて基地を作っている事を忘れさせないように、日本政府は対応すべきだろう。現実的には日本の安保上、沖縄の米軍基地がなくなったり、なくす事はできないだろうと思うが、それにしても、これ以上大きくする必要はない。辺野古にヘリコプター基地を作るなんて事は大反対である。辺野古自体はとても田舎にある平和な村だった。バリバリと大音響のする大型へりが発着する基地は辺野古には要らない。

辺野古の海岸線にある有刺鉄線には、いろいろな労働組合や個人や団体が思い思いな言葉を添えて、布をくくりつけていた。私は何も持っていなかったから有刺鉄線にハンカチをくくりつけてきた。私の友達はこの前ツアーを組んでここに来たが、その時の有刺鉄線の布を誰かが燃やしたらしく、焼けた有刺鉄線はさびておいてあった。なんて心無いのだろうと悲しくなった。

チビチリガマについては、辛すぎてかけない。狂った人が統治する狂った社会では、人は異常になり、何でもしでかす。なぜ、民間人が何十人も殺し合い自殺しなければならなかったのか。悲しみと怨念とがとぐろを巻いているような、じめじめした所にある壕だ。人はそんなに簡単に死ねるのか。84人のうち6割は子どもだったという事だった。何が国のため、天皇のためだ。一人ひとりの命を大切にしない国なんて滅びて結構。ここでは、集団自決を悼み、無口でガマを後にした。

この後はまた後で。
12日(土) 今日は朝10時から中央公民館で男女共同参画条例の勉強会に出席した。お話しはとても分かりやすく、私のような行政と市民の間にいる議員という立場の人間にはとても参考になった。良い講師で、情熱的でした。推進室の皆さんありがとう。

ところで、DV法の反対者のような人が来ていて、DV法は家族を分断する法律だという事を言っていたが、DVで被害にあった妻たちを知っていると、何を馬鹿な事を言うのだという思いが強い。離婚したいから嘘で夫がDVをするという妻がいるというが、そんな人は万に1つのケースだろう。嘘かどうか調べるのは司法のしごとであり、私達地方自治体ではDV被害者が目の前にいるのだから、それに対応する施策をしていくのは当たり前の事である。法律の改正を言うのであれば、国会に行くべきだ。また、DV法が家庭を分断するのではなく、分断された〈夫の暴力などで)家庭だからこそ問題があるのではないか。

午後は、2時から、聖望学園高校の保護者会。学年委員になった。楽しくPTA活動をしている。

明日から沖縄平和ツアーに出かける。当分、ひとり言はかけないけれど、ごめんなさい。
11日〈金〉 今日は朝は9時半から広瀬保育所へ視察へ。久しぶりの広瀬保育所への視察。効率保育所のよさをひしひしと感じる。ここは赤ちゃんがいないから、また違う雰囲気である。公立保育所と民間保育所の違いは何かという話しもした。お金の事はやはり公立では少し考えてやっている。私立のようにお金を出しても良いという考えや財政力の人だけではないのだから、公立保育所は考えて運営してほしいと要望した。公立と私立の住み分けがはっきりしてきたような感じがする。

広瀬保育所に行ったのだからと、第3児童館、水富学童保育室を視察して帰ってきた。児童館は責任者がお休みだった。誰か他にその人に代わる人と話をしたかったが、どの人もパートの保育士のようで、話が出来なかった。突然視察にいったのだか仕方ないのかもしれないが、何か釈然としないものを感じた。実際、今日はどの職員が正規職員だったのだろうか。

水富学童保育室は満室って感じだ。物で一杯。70人がいるには狭い。新しい学童保育室が必要だ。それには、広瀬小学校の中にひとつ作る必要があるかもしれないと思った。

そのご、歯科に行き、傷口を見てもらった。異常なし。

ご飯を食べた後に、スタッフと話しをし、夕方役所へ。おしゃべりをしていた。それで、出来た書類を出すのも忘れた。資料請求はちゃんとした。保育課によって、次の視察をお願いしてきた。郵便局により手紙を出した。そのご、何件かに手紙をおいてきた。忙しい事。

夜はのんびりした。 
10日(木) 今日は幼稚園の入園式。33人。とてもとても可愛く見えた。保育園のちびちゃんたちが来たら、急におにいちゃんやらお姉ちゃんやらになってそれも可愛かった。先生方もほほえましそうに子供達を見ていた。

午後は、少し仕事をしてから、歯医者へ。取れた歯を治してもらう予定だったが、実際は抜く事になった。私は怖がりだから、しっかり麻酔をかけてもらい、その上笑気まで吸って治療を受けた。でも、奥歯を抜くというのは大変です。

そのあと、役所に行った。いくつか資料請求もした。すこし、話し込んだり、教育委員会の人と話しをしたりした。あ〜、そろそろ6月議会の準備をし始めている。休む事がない最近である。

夕食後はサピオへ。
9日(水)
72700カウント
今日は朝からゆっくりしようなどと思っていた。しかし、母のために朗読をお願いする必要もあり、そのためにはテープを買わなければならなかったし、電話で私の歯医者の予約もいれて、、、などと今まで忙しさにまぎれて出来なかったことをしていたら、あっという間に、午後になった。スタッフと打ち合わせなどをして、早速カルフールに買出しへ。買ったテープを持って、図書館へ行き、朗読者へ渡してもらう手はずをつけた。

CDをひとつ借りた。吉岡って人のラストソングという曲が入っているものを。途中で聞いたけれど、尾崎のまがい物のような曲だった。がっかり。勿論、尾崎を思って作った歌らしいが。
8日(火) 今日は、朝小学校の入学式。ご挨拶がないと気が楽だ。それでも、朝に何を着ていくかと迷った。雨で寒くて体育館では凍えてしまうのが分かっていた。

入学式はとても暖かで子供達も緊張していたからか、静かに落ち着いていた。よろしい。校長先生は新しい方で、中学校から来た方だから少し言葉が難しかったのか、子どもに届かなかったようだ。これから、先生もまなぶだろう。他の場面でも子供達は自分が1年生だってこともよく分からないようで、「一年生立ちましょう」と言われても、誰も立ち上がらなかった。とても可愛かった。

入学式のその後で、役所に行った。まずは6月議会の資料収集。その後は、行財政改革の説明。指定管理者の説明。分かったような、分からないような感じである。

夕食後は、サピオへ。
7日(月)
72600カウント
今日は、なんだか疲れきってしまった。きっと雨が降っているせいだろう。それと、今日はポンと予定がない。だから、少し息が抜けたのかな。過去2週間以上にわたり、どこかで野球の応援や野球の試合が頭にあったが、それも終わってしまった。ちょっと緊張感が失われた。

こんな時には娘を病院に連れて行き、午前中が終わった。午後からは息子の医者にお付き合い。まだまだ母親業は終わりません。明日からは、高校生は学校が始まる。勉強の嫌な息子はユウツそうだ。アメフトだけで高校が終わるというのは間違いです。頑張って勉強に励んでほしいものだ。私は、子どもの病院の間に食料を買い込んできた。毎日毎日、よくよく食べてくれる。これを幸せだと思う。後これが何年続くだろうか。また、弁当作りが始まる。楽しみながら作られると良いけど、時々負担に感じる。

何にもない日を楽しみにしていたのに、あっという間に終わった。本一冊読めなかった。
6日(日) 今日は朝礼拝に行く準備をしていたけれど、自治会の総会を思い出して、車をUターンさせて自治会館へ行った。人でいっぱいだった。決めることに実は不服があった。この自治会は神社の役員を出している。本来ならば、自治会と神社は切り離しをするべきなのだ。それを主張すべきなのだが、私は一歩引いている。議員を止めたらと思う。でも、本来ならば今でもきちんと主張すべきことなのに、変に妥協している。もし、切り離しをするつもりならば、予め下準備をする必要がある。

さもなければ簡単な事は自治会を脱会する事だ。ごみの事がなかったら、自治会をやめてもいいのだ。実質、自治会に入っている意味はないのだから。私の場合、刊行物は常に手に入るのだし。自治会行事も実際上関係ないといえば関係ない。掃除を手伝えといわれればするけれど。

総会後、サピオのパステルに行き、お手伝いをしようと思ったが、お客様がいないので公園のほうへ行った。トン汁が飛ぶように売れていた。娘が午後からお手伝いに入る予定だ。12時過ぎまで、ここにいて、新宿の市川房枝記念会の夏季研修の実行委員会に出席した。プログラムが出来上がった。後は、記念会にお任せという事である。珍しく事務局長も出席していた。裁判の報告もなされた。私の誕生日に判決が出るという事である。4時半には会議を終えた。

私は新宿の紀伊国屋により、西武線で帰ってきた。すこし、本屋に寄ったつもりだけれど、結局家に戻ったら、7時半。まともにお昼を食べなかったので、おなかがすいて夕食は有り合わせを掻きこんだ。
5日(土) 今日はあさから、後期高齢者医療制度の勉強会。お花見でいつものメンバーも集まらず、講師には申し訳なかった。さまざまな行事が重なっていた。

お昼は上州でおそばを食べながら、沖縄ツアーのはなし。2時過ぎに終わり。帰ってきてから、お洗濯をしたりしていた。

夕方、珍しく一家5人で寿楽で食事をした。男の子達は大盛りの定食を食べて、さっさと帰ってしまった。私はゆっくり食事をした後、3人で帰ってきたが途中でヤオコーに寄った。はっと時計を見たら8時だった。私は家にかえらず、サピオに行った。夫と娘も桜を見にサピオへ。彼らたちはプール。私はトレーニングに行った。

報告書もまあ書き上げたし、議会報告も終わり、レポートも発行し、ネットニュースはもう印刷しおわった。野球も準優勝で終わった。来週は沖縄ツアー。4月はかなり忙しい。今年は原稿書きが忙しくて春休みを取る暇がなかった。どこかで息を抜かないとおかしくなりそうだ。でも、休む暇がない。どうしよう。
4日(金) 今日は朝歌舞伎座に行った。お昼の部の公演を見に行った。本当に長年玉三郎さんの歌舞伎を見たいとねがっていた。昨年の12月公演も見れなかった。2月公演はみたのに、その時は玉三郎さんは出演していなかった。京都南座で京劇との競演をしていた。今回、ようやく席が取れてみる事が出来た。今回見てみて、玉三郎さんがもっともっと若いときに見ておきたかったなあとつくづく思った。もっともっとはかなげな美人だっただろうに。すこし、貫禄がみえて残念。

「熊野(ゆや)」は能のような舞。きれいなのだが、少し物足りない。セットも素敵なのだけれど。私のひいきの七之助さんが出ていた。でも、七之助さんは玉三郎さんに比べ固すぎる。玉三郎さんは自然体で且つ美しい。上品。でも、熊野では、どこか身に着いた貫禄が邪魔。

勘三郎と玉三郎の「刺青丁半」は二人とも素晴らしい。玉三郎がお仲を演じるのだが、これは素晴らしい演技。貫禄だの何だの言いません。とにかく、彼は完璧だと思った。勘三郎もけれんみなく、素朴に心情を込めて演じた。私は歌舞伎でこんな出し物を始めてみたのだが、すごく良かった。ただ、長谷川伸作の戯曲は最後が古すぎた。まあ、劇としてはああすれば面白いかもしれないが、私はもうすこし工夫してしみじみとしたおわりで会ってほしかった。あんなに博打をやめてくれと頼んで死んでいこうとしているお仲に、博打で稼いだ金で楽をさせてやりたいという男の馬鹿さ加減。それにたいして、反省する何かがあって終わってほしかった。それにしても、心情がしみじみしていて、昔の劇は良いなあと思った。

3番目の劇は、庶民というか下流の庶民の機微を描いたものだが、きれいな着物を着た人人や若い人人にこの心が分かるのかしらと思いながら見ていた。永井荷風の時はともかくとして、売春禁止法の発令以降、表向きは娼婦はいなくなった。でも、今どきでも、娼婦はあの地獄から這い上がろうとしているのだろうか。今日見た芝居のような世界が日本のどこかで繰り返されているのだろうか。だからこそ、キリスト教矯風会は存続しているのだろうか。すぐ、考え込んでしまう。

劇を見て、外に出てから携帯で決勝の結果を見た。9対0で負けたそうだ。なんという負け方。今までを見ていると信じられない完敗。一体どうした事か。とにかく、歌舞伎を見ていて良かったと思った。銀座でウィンドウショッピング。あまりの高さにお店に入ってみる元気もなかった。勿論買うものもないのだが、大抵は目の保養と思うのだが、今回はそんな気にもなれず、ドトールでマッフィンを食べて帰ってきた。池袋で本屋に立ち寄り、御宿かわせみの新刊本があったので買って帰ってきた。母が読みたがっていたのだから、朗読を頼もうと思う。
3日(木)
72500カウント
今日は、朝から落ち着かなかった。何しろ準決勝だからね。はじめ、家のテレビで観戦していたのだが、いてもたってもいられなくて、聖望学園の礼拝堂にいき、大スクリーンで他の30人と観戦した。最後の9回はノーアウト1,3塁で、もう祈ってしまった。とにかく勝った。すごい快挙。スポーツは身体に良くないのをひしひしと感じた。血圧は上がるね。確かに、心臓には悪い。神経にも悪い。精神も興奮状態が続いていて、まあ、眠られない事はないけれど、なんだか雲の中にいるようなふわふわした感じでこの1週間いる。夢見ているような感じ。聖望が全国1番を目指しているなんて、本当な感じがするわけない。あのゆるい高校で、自由に満ち満ちた生徒が日本1だなんて、不思議だよね。飯能市は7万人の小さな市だよ。伝統はあるけれどね。で、私は嬉しい。

午後、原稿を書き上げ、資料を整えて役所にもって行った。私が事務局に行くと、やかましい奴が来たなと思ったかもしれないが、優しい事務局の人はそんな事はおくびにも出さず、「聖望、勝って良かったですね」なんて言ってくれて嬉しかった。本当に皆に喜んでもらえて我事のように嬉しい。能天気だね。でも嬉しいものは嬉しいの。

夕ご飯後はまたサピオへ。
2日(水) 今日は朝から原稿を仕上げようと頑張っていた。明日は準決勝。行くのは止めたのだが、なんだか明日を待つ日のような感じだ。とにかく、女性のための政治スクールの4こまの講義というか講演のレポートを書き始めた。はじめは、国立感染研究所の岡田さんの鳥インフルエンザのH5N2型の脅威に関して。この型の鳥インフルエンザの人人感染が始まったら、スペイン風邪どころではない、日本人の200万人は死ぬのではないかという怖い怖い話しである。日本にはそのワクチンが2000万人分しかない。勿論ワクチンは先にお医者さんや看護師などの医療関係者が使うから大変なのだ。それに、この感染症は若い人が死ぬ。それも全身から出血するというのだから、エボラ熱並み。写真で見たら、感染した鳥は腐っていたというより、溶けていたもの。怖いよね。

長妻さんの講義は国民中心の行政とはどうあるべきかという事である。この国は正に大企業のためにあるのかと思ったし、役人のずぼらさには驚いてしまう。この前の中国餃子にしても、保健所が土日なので検査しなかった。ついでに年末休みにしてしまい、子どもが死にそうになったのだ。人の命をどう考えているのだろう。

星さんの日本の状況は、政治状況はという話しだったが、実際の所私には何がどう変わっているのか、行くのか分からない。政権交代とはなんだろう。対立軸の話しがあったが、実際の所権力奪取をどうするかという事なんだろう。テクニックの問題かもしれないなあ。まあ、自民党だけの支配ではなく、今度は民主党とすべてが変わることによって、役人の体質も変わるのかもしれないし、悪い事でもないかな。地方自治体では3期ぐらいずつで首長が変わっていて、それでよいにしろ、悪いにしろ新しい風が吹く。国も風通しがいいに鼓した事ないかな。

最後は財務省の主計局の主計官の金がありませんという話し。公債をこのままにしておいては国は破産します。赤字国債はもう発行したくないという話し。よく分かるけどさ。じゃあどうするの。結局消費税を上げましょうという事になってしまう。あ〜〜〜あ。役人の言いそうなことだよね。

とこんな事をかいている。ここで書くのは簡単だけれど、まさかこれだけではすまないので大変なんです。結局主計官の話しは明日書くことにする。夕方4時過ぎまで頑張ったけれど、嫌になって本なんかを読んでしまった。
1日(火)
72400カウント
今日は朝からごみを集めて、少し片付けた。勿論、こんなにせっせと家事に励む時は原稿書き・報告書書きがたくさんあるという事である。あんなに片付けても、書斎は書類の山。事務所が別にあってよかった。あっちはスタッフが片付けてくれるので比較的きれいです。

原稿を書いていたが、11時過ぎからはもう聖望学園の野球の試合が始まってしまい、もう原稿どころではなくなってしまった。はらはらどきどきの2時間。1時過ぎに勝負がつき、8対0で聖望が勝った。4強、準決勝に出る事になった。今日初めて甲子園に応援に行かなかった。もし、負けたら甲子園に行かなかったのをとても後悔しただろうと思いながら応援した。この前の事があるので、8点取ってもちっとも落ち着いてみる事ができなかった。最後の9回だって、ダブルプレーがでて漸くホッとしたんだもの。石田君にピッチャーが代わって、走者が出たときには、8点をひっくり返させる事は無理だろうと思っていても、落ち着かなかった。勝ってよかった。

もう体中勝った興奮で、書類を出しに役所に行ったけれど、騒音を撒き散らしに行ったような感じだった。今日は年度の変わり目、部長、課長はじめ多くの移動があった。顔出しをしてまわったが、新しいポストで戸惑っていたようだ。

それにしても庁内に2人の女性課長が出来た。庁外に女性課長がいた事は多かったのだが、庁内には最近見ることがなかった女性課長である。失敗もあるだろうが、くよくよしないで頑張ってね。ずるい男達の真似をしろとは決していわないよ。でも、男性に知恵をかりるのもよし、尊敬する男性課長を見てそのやり方を盗むもよし、私は定年まで頑張ってねって声援したい。迷惑かな。最近、女性が定年まで勤めずに辞めてしまっている。(まあ、男性もそうなんだけれど。)

昇進するのをまるで名誉心の塊のようにいう人がいる。でも、責任のある仕事をしたいと思う事を単に名誉心をあらわすと思うのは、間違い。責任のある立場は、人をあごで仕えるというのではない。決定するという事はリスクが伴う事で苦しい事もあり、職員と違う孤独感があると思う。そういう場に自分をおきたくないという人がいるのもいるし、最近は役についても金銭的なメリットがあるわけでないといって、課長を降りる人もいる。それもその人の人生感なのだからいいだろう。でも、自ら責任のあるポジションで、もしかして楽しくないかもしれない職を全うするのは私は素敵な生き方だと評価している。職責に忠実に生きるというのは、とても平凡な生き方かもしれない。どの職場のどの仕事もとても大切だ。課長、次長、部長になる事は今まで以上に大変だろう。特に議会対応もあり、私なんかに批判される事も出てくるわけだもの。

私は無欲が良いとはいわない。自分の能力を信じて自分のポジションを求めて努力するのは素敵だ。勝負と同じ、努力しても報われるという事はないかもしれないけれど、前向きに生きていくのは辛いけれど充実している人生だと思っている。(いつもの私の哲学だね)

夕食後、サピオでトレーニング。

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