私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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6月 私の独り事
30日(月) 今日は、朝から事務所を少し片付けた。印刷を始めるのに、物が出すぎていて、それでなくても狭い事務所に身の置き場すらない。それで、床下ストレージにコンテナーごと物をしまった。出す時が面倒なのだが、出しっぱなしにもしていられない。その後、原稿にイラストを貼って最終稿つくりに励んだ。其のうちに、紙が届いたので、印刷を始めた。何万枚も印刷するから、時間が掛かる。

夕方からは娘が帰ってきたので、印刷を手伝ってもらった。私はその間に夕食を作った。夕食後、サピオへ。息子が付いてきた。今朝、胃の調子が悪かったので、息子が「お母さん、体大丈夫なの」と心配していたが、もう大丈夫さ。一日、家と事務所にいて一足も外に出なかったから、車を運転していて新鮮な思いだった。
29日(日) 今日は、養護学校の朝日曜参観があったので、珍しく礼拝を休んだ。沖縄修学旅行のDVDを見て、其の後、はっぴ作りを手伝った。高校3年生らしく、落ち着きが出てきている。就職活動が心配だ。先生と其の話しもした。いろいろな企業を訪問して、其の中から選択できるといいのだけれど、そんな贅沢はないようだ。就職担当の教師が車も持っていないで、企業訪問もせず、どうやって雇ってくれる企業を見つけられるのだろう。この学校の就職させるための熱のなさに辟易する。

お昼はまた夫と2人でうどんを食べに行った。このごろ、毎週デートだね。うどん屋で夏休みのスケジュールの打ち合わせ。子どもがいないとスケジュールもあわせられない。息子はずっと講習やら合宿やらがあるので、休みにはならないと思う。そんな息子をおいて、ゆっくりいて別荘で夏休みなんかできるのだろうか。少なくとも2週間は休みたいと思っているが・・・・ヤオコーに行ってから、帰ってきた。

またまた、コンピューターに取り付き、原稿の編集をした。直しても直しても、直し足りない気がする。今夜は疲れ果てて、サピオに行く元気がない。夜中にこんなに食べても良いのかと思うほど食べた。明日はきっと、体重が戻っているはずである。
28日(土) 今日は珍しく5人ともお休み。昨晩は夫が私が寝た後も仕事をしていて、朝起きたら朝祷会に出かけていていなかった。私はゆっくりしてと思ったが、家事は待ったなし。それに原稿書きも終わっていなくて、コンピューターにしがみついていた。3時過ぎ、夫が映画を見に行こうかというので、2人でマジカルアワーっていうコメディを見に行った。抱腹絶倒というか、三谷幸喜監督の映画だから皆でくすくすげらげら笑いながら見ていた。妻夫木聡がハンサムなのに感動した。世の中にはきれいな男性もいるものだ。

ストリーはばかばかしくて書く気にもならない。ただ、ストレス発散にはコメディーが良いというのを再発見した。これは、前に見た舞妓ハ〜〜〜ンよりはまだ分かりやすい。舞妓は〜〜〜んは暴力的にわけのわからないコメディーであって、シューレアリズムなのかと思ったほどのわけの分からなさだった。それでも面白かったのだが。今度のは、役者がもっと大根役者であったならば良かったのにと思った。なんだか分からないコメントだろうが、この映画を見た人だけは私のコメントが理解できるはず。

帰ってきてご飯を食べ、息子を連れてユニクロに行き、下着を買ってやった。その後、8時過ぎにサピオに。帰ってから、またもやコンピューターに向かい、原稿書きに励んだ。
27日(金) 今日は、朝10時から養護学校の地区委員会。12時すぎまで。昼ごはんを家で食べてから、銀行に行って送金してから、役所へ。資料をもらってから、控え室で議会レポートを書いた。途中で、何回か電話で情報を確かめながら原稿書きをした。いつもは書斎で書いているが、役所での作業はスムーズでよかった。メモを持ってきてもらったりも出来たしね。

役所を5時過ぎに出て、ヤオコーでしこたま(!?)食料を買って帰ってきた。帰ってきてみたら、なんと7時。なんだか昨日体調が酷かったのが響いていて、このころまでにエネルギーが切れてしまった。でも、自分に鞭打って夕ご飯を作って食べた。1日で1キロほど痩せたので、其の分を取り戻そうと食べた。
26日(木) 今日は、朝5時ごろから吐き気が始まり、ついには下痢まで。トイレで、ベッドの中で苦しんだ。昨日夜中に食べたチェリーがいけなかったのかなあ。胃液まで吐き上げた。それで、起き上がれず、息子の弁当は作れなかった。

午前中は10時ごろまでベッドでうつらうつらしていた。其の後、議会レポートの原稿を書き始めたり、この前作った所を校正したりしていたら、2時ごろになった。役所に行き、調べ物をしたかったが、体力がなくて結局ベッドに戻った。

最近、気が張っていた。勿論議会がある月だし、それが終われば議会レポートがある。今回は一人でやるようだから、大変なのである。それと、尾崎熱で浮かれていたし・・・・本当に体力がなくなったのを実感している。今日は、午前中の養護学校の講演会には行けなかった。申し込んでいたが、とても外に出れなかった。明日は、委員会がある。頑張っていかなければならない。こんばんは少し身体を休めようと思う。
25日(水) 今日は、朝急いで美容室へ行った。尾崎さんの所にまた行こうと誘われていて、もう一度顔つなぎをしたかった。それで、其の前にちょっと酷い髪を切りたかった。結局パーマをかけた。パーマは今後もかけようと思うけれど、髪を染めるのがいやになってきた。政治家としては若々しく見えたほうがいいのだろうし、息子も若いお母さんにあこがれているようだが、夫同様年相応、自然でも良いのではないかと思う。どうだろう。

午後は、急いで朝霞に行った。電車の便が良いから、狭山からもそんなに時間が掛からなかった。私を含め5人でお会いした。お疲れの所申し訳なかった。前にお客様がいたようなのだ。少しの時間と思っていたが、結局1時間近くお邪魔した。私は尾崎のメモリアルプレースを公の施設の中に作れないかと思う気持ちがあったのだが、どうも実現不可能のようだ。お父様には全然そんな気持ちはないようだ。尾崎豊の曲は永遠だと思えば、そんなメモリアルプレースなんか必要ないという事かもしれない。尾崎自身に触れるよりも音楽に触れてほしいという事か。

尾崎は死んで16年たった。あと何年人は尾崎を覚えて、また新しいファンになる人が出てくるのだろう。100年も命を保つ楽曲が何曲あるだろう。其の中に尾崎の曲が入っていくだろうか。人為的にビジネスとしてセールスプロモーションをしないでは、其の鮮度は保たれないのだろうか。一人のファンとして、尾崎の曲を楽しみ、音楽に慰められたり、力をもらったりしていこう。でも、嵌まりきったファンとしては、狭山市の再開発の商業棟の一角に尾崎の写真(とても美男子ですよ)、使ったギターや生原稿などを飾ってもらえたら嬉しかったのだ。それは、ファンの強い思いと、市議会議員として、街の活性化を考えての事だった。実現は無理のようだが、もし出来ても、また、尾崎を利用して・・・という批判をうけるだろう。

夕方、急いで帰ってきた。ラッシュアワーというので、5時過ぎの電車は込んでいる。驚いてしまった。電車の中でも、尾崎のお父さんとの会話を反芻していた。あんなに息子との時間を共有していたおとうさんなのに、豊の事を理解していたのは妻ですと言い切った。笠智衆のようなお父さん。作務衣を着ていて、82歳でもかくしゃくとしたおとうさん。父と息子の関係は、母と息子の関係とは違うなあ。今日は命日だったから、仏壇の前の過去帳には、尾崎豊26歳と書いた所がひろげてあり、お父さんがきれいな写真を見入って、なくなった者はいつまでも変わらないで良いなあとおっしゃっていたのが、印象的だった。もう、本当に尾崎の過去を穿り返したり、今のお父さんにつながりを持つのだけは、これまでにしようと思った。お父さんを通じて尾崎を見ているのでは、本当に音楽を理解できないのだろうと思う。
24日(火) 今日は、朝育成会の総会。この会についてはノーコメント。あ〜〜〜あ。

お昼を役所で食べてから、議会レポートの原稿を書いていた。4ページを書き終え、3ページの半分も書き終えた。後、2ページと3ページの半分。明日、用事があるので、残念だが、今週印刷できない。来週の日曜日に配布できるように頑張ろう。これが終われば、ネットニュースの原稿書き、土曜日の報告書もある。議会が終わってからも、議会のためにたくさんすることがある。

夕食後、またサピオへ。尾崎の楽曲をメディアプレイヤーで並べ替えて、my ベストをつくり、デジタルプレーヤーに取り込み、聞きながら運動をしていると1時間などあっという間に終わる。このところ、出来る限り毎日トレーニングに励んでいる。3,400カロリー分のエクササイズなんて、ダイエット効果は夕食を食べ過ぎれば無意味だろうが、たるんでいるお腹を引き締める効果があるに違いない。まあ、それを願って励んでみよう。
23日(月) 今日は、朝メールを読んだり返信したりした。何しろ、朝晩メールを見ないでいると、1日に20もメールが着いている。勿論、其の中の多くはジャンクメールだったりするが、それはきちんとデリートしなければならないし、メールの管理を怠ると、4,50もメールが溜まり、読む気力がなくなったりするのである。だから、出来る限り、朝、夜の2回はメールのチェックをしている。でも、メールが少ないのも寂しく、メーリングリストが活況を呈するとチャト状態になるのだが、それをフォローしていくのも楽しみである。

11時から尾崎のファンの人とパステルであった。いわゆるオフ会。3人のおばちゃんたちが熱く熱く尾崎を語った。2時ごろまで。お互いにかなりお馬鹿になっているのが分かっていて、お金も時間も尾崎に入れあげているが、ファンなので仕方がないわねえと理解し合える。人が見たらあきれるだけであろう。この前、12000円も出して尾崎の写真集を買った話しをしたら、一人はそれだけの金銭的な出費が出来るのがファンのファンたるところだ、踏み絵なのだといわれて、そうか、私は踏み絵を踏んだのだ、もう、私はしっかりファンの中に組み込まれているのだという事である。分かっていたけどね。

其の後、役所に行って、コンピューターで資料を取り出しながら、議会レポートを書いていた。あっという間に、5時になりそそくさと帰ってきた。夜は、サピオへ。
22日(日) 今日は、朝礼拝。其の後、小手指の業務スーパーによって、安い肉を山ほど買ってきた。でも、牛肉1キロは夜に食べた。だから、いくらあっても食料は足りない。当分お肉は大丈夫だと思ったら、冷蔵庫の野菜がなくなっていた。全く、我が家は・・・

帰ってきてから、ホームページをのぞいたり、メールに返信したり、少しゆっくり出来た。図書館で朗読グループの人がボランティアで本を読んでくれたテープを受け取りに行った。母が喜んで聞いてくれると思う。平岩弓枝さんの御宿かわせみの最新本なのだから。夜は、サピオでトレーニング。
21日(土) 今日は、朝聖望学園高校の学年委員会が10時から礼拝堂であった。12時前に終わり、急いでパステルで昼食して、麹町の剛堂会館へ。女性の政治スクールの勉強会。5時に終わり、少し池袋で本屋によって帰ってきた。尾崎関係の本が新書になったので、前文が着いたかなと思ったら、落合さんは前に出したまま新書になさっていた。

帰ってくる途中ヤオコーによって、お惣菜を買って帰ってきた。娘が夕食を作ってくれているはずだったのに、結局何も作ってなくて、お惣菜をもりもり食べてしまった。お昼のうどんだけしか食べていなかったので、8時過ぎの夕食では血糖値が下がりすぎて、震えが出ていた。怖いね。

疲れてしまい、お風呂に入って寝る。心労も心痛もあるが、忙しくしていて辛さを忘れようとしている。でも、逃げてばかりはいられないのに。向き合わなければ。いろいろ考えこんでいるが、結局祈ろうと思う。祈りは聞かれるから、祈っていよう。きっと良いようになる。イエス様が良いようにしてくれる。それが、自分が望んでいる事でなくとも仕方がない。それが神様の目から見て最上ならば、私はそれに従順に従おう。とにかく、祈っていよう。祈りはビジョンでもある。私は身の丈に会うことを謙虚にしていこう。できない事のほうが多くて、悲しいが仕方がない。神様がよくしてくださるだろう。
20日(金)
75200カウント
今日は朝11時までにパステルにお弁当を取りに行き、飯能の聖望学園研修棟でクラス懇談会を開いた。先生も授業の合間を縫ってお話に来てくれて、クラスの状態をお話ししてくださった。なんだか、とても良い雰囲気の学級のようだ。19人しかいないクラスだから一度何かが起きたら大変なのだが、そんなこともないようだ。女子はたった6人しかいない。写真を見ていると全く幼い。息子が良い雰囲気を作っているという事だが、御馬鹿をしていないことを願う。(私が高校のときも理系文系の吹き溜まりクラスだったけど、女性は15人男性35人だった。男性はほとんどが国立大学に行くような秀才ばかりだったなあ。皆どうしているだろう)

午後は3時ごろまでクラスの保護者がなんとなく話しをしていたが、3時15分からは学年保護者会。でも私は4時からは娘の実習先にご挨拶に行かなければならなかったので、途中退席した。だから、其の後の学校懇談会もパス。残念だった。

実習先の社長さんは素晴らしい方で、たくさんの障害者の方を雇っている。仕事を障害者が出来るように工夫してさせてくれている。娘は手に豆をつくり、指を切ってもこの2週間一生懸命働いた。大変良いことを言われて帰ってきた。これが仕事に結びつくかどうか分からない。私が、つてを辿って娘に仕事を見つけなければならないのだろうか。学校は何をしてくれるのだろうか。彼女を自立させるために就職をさせなければならない。

5時過ぎに、パステルにお弁当を返しに行き、すこしはなしこんだ。パステルをみのりに移行するそうだが、その後の展望が全然見えない。従業員、ボランティアさんはじめ、今働いている人たちはどうなるのだろう。

夜、夕食後、サピオへ。トレーニングをしているときが、何も考えないで、ぼおっとしていられて嬉しい。私を知っている人から声をかけられた。お名前と顔が一致していなくて申し訳なかった。
19日(木) 今日は議会最終日だった。議案は粛々と裁決された。私の腰痛は立っているときには出ないし、座っている時のもOK。でも、立ったり座ったりがよく出来ない。我慢して裁決したが、私は議案にはすべて賛成したので、座る必要がなかったんだけれどね。

その後、1件の追加議案が出た。教育委員が辞任し、新しい委員が選ばれた。本人の資質になんら問題はないが、川北すなわち、柏原水富地区からの委員がいなくなった。地域なんか考慮に入れないという話しだったが、私は市議会議員として、市全体のことを考えているけれど、やはり地区の事しか見えない部分がある。それも、子どもが学校に行かなくなるとそれすらも見え憎い。地域性なんて事を言うのは保守的だという考えもあるだろうけれど、実際市議会議員をしていると見えること、見えないことがわかってきている。視察をたくさんしていただいて、教育委員さんには狭山市の教育事情をよくよく分かっていただかなければならない。でも、教育委員ってなんなんだろうと思う。

さて、議案がすべて採決されたあとで、市民21、中川浩さんと田中寿夫さんへの問責決議がでた。いやな決議だ。私はこの前大島さんの辞職勧告決議には賛成した。彼が議会(委員会)で嘘を言ってもよいと明言した事で議員としての資質を欠いたとしか言えなかったからである。いやだったけれど、辞職勧告決議に賛成した。けれど、今回の議案には賛成できなかった。なぜならば、1.問題があるだろうといわれる案件を議会が審査するのは当たり前の事であること。だから、たとえ審査の結果問題ないとわかる事であったとしても審査した方が良かったと思う。2.議会外での広報に関しては、議会中でもなければ私は問題にしてはならないと思うからである。問責決議は議会内で活動に限ると実例集に書いてあるとおりなのである。よって賛成できなかった。

とにかく、中川さんや田中さんの広報活動においての文言の過激さ、すなわち、事実かどうか判明していない時点での断定的な書き方には違和感を覚える人が多いのは事実だ。私もそれは問題だと思っている。疑惑、官製談合などという文言は、問題があるのではないかという言葉にかえられる程度の事だった。一方的な思い込みによる文書をあちこちで撒くのは、市民へ政治への注目を引くという意味なのだろうが、事実と違えばそれは見方が違うからというだけではすまないだろう。あのような書き方では、市の職員、また市議会議員として精一杯頑張っている人たちを傷つける事になるのは自明だ。まるで市職員全体が悪い事をしているようだし、市議会議員全部がそれに加担しているように思われる。そんな事はないのだから、もっと書きようがあるではないか。それに、自分達だって議員だから、総体としての議会には責任を持たなければならないわけだし・・・・

一方では、中川さん、田中さんの活動に対しての意味も感じてはいる。議会と執行部のありかたは、ある程度の緊張状態がなければならないわけだ。だから、突出した部分があるのは当然で、私がそれを担っていたときもある。いわゆる革新といわれる人がそれを担っていたのだろう。そして、それはかなり出来ゲームというか、回りには想定内のことが多かったのだろう。其の限度を超えたというのが、中川、田中組、市民21という事なんだろうと思う。見方が違うとこうも方向がずれるのかと思うことも多い。

とにかく、土俵は議会。本当の勝負は執行部とすべきなのだが、同じ側の人間が足の引っ張り合いをしていてはしょうがないと思うのだけれど。議会が終わり役所を出たのが5時過ぎ。またまたストレス一杯になった。このまま家に帰りたくなくて、サティーで食料を買って帰ってきた。夜はサピオで汗を流したが、エアロバイクに乗って考える事は議会の事。議員としての自分の事。心が仕事から離れる事がない。明日も明後日も忙しい。頑張ろう。
18日(水) 今日は朝から議会レポートの原稿書きをしていた。この何週間で初めて、予定が入っていない日だけれど、議会レポートを頑張らなければならない。やっと1ページを書き終えた。後3ページなのだ。朝から、この1ページを書くために、何べんも書き直し、お昼を食べてから読み直したりと、時間が掛かる。一気に書いてしまうと冷静なところがなくなってしまうので、時間をおいてみたり、他の事をしてみたりしながら原稿を書いていく。特に1ページ目は気を使う。仕方がないな。

それで夕食までそんなことをしていた。夕食後、2ページ目を書こうと思いながらも、サピオへ。気分転換のつもりだったけれど、帰ってきて、少しワインを冷たくして飲んだのがいけない。眠くなったので、寝る。
17日(火)
75100カウント
今日は、朝から原稿を書こうとしていたが、どうしても前にすすまない。天気も良いので、布団をほしてみたり、シーツや布団カバーを洗ってみたり、いつもの事ながら原稿には向かわず。其の上、尾崎の音楽で人に約束した事があり、コンピューターに向かって、2時間も掛けてみたり。

2時からは、今娘の行っている実習先に職場見学に出かけた。娘は黙々と仕事をしていた。結構即戦力になる子だとおもう。養護学校の先生に仕事をよろしくと言ってきたが、「本人次第ですから」といつもの答え。どういう意味なのだろうか。学習能力が低いのは分かりきっている。本人がどう変われば仕事にありつけるのか。はっきり言ってもらいたい。教師の逃げ口上として「本人次第」という言葉が出てくるように思う。本気で仕事を探してくれるのだろうか。川越養護学校から来ている人がいて、彼は正規雇用だそうだ。教師に正規雇用の仕事をお願いしますといったら、またぞろ「本人次第」。頑張って探してみましょうぐらい言えないのか。始めから、偏見があってこの子は無理とでも思っているのだろうか。家の子どもが正規雇用の口もなくて、誰が仕事に就けるのだろう。今まで狭山養護学校を批判していた友達の気持ちがよくよく分かってきた。仕事探しは親がやれというのか。全く、100%就職の養護学校もあれば、38人中5人という学校もあるわけだ。教師の資質に関係があるのかもしれない。

そもそも、2年前にパステルに就職させてあげるからという話しをしても、返事もなかったという事例があった。本気に就職させる気があるのかと思う。就職させてあげるというところに実習にも出さず、作業所へ生徒を入れる教師はノーマライゼーションもインクルージョンの意味もわかっていまい。笑ってしまう。

役所によって帰ってきた。今日はサピオはお休み。
16日(月) 今日は朝久しぶりのよい天気なのでお洗濯に励んだ。10時からは養護学校の理事会。初めての出席である。11時半に終わり、委員長と少し打ち合わせした後に、家に戻り昼食。昼食後、役所に行き、1時から市長にあった。聖望学園の応援に感謝し、一般質問した不祥事の対応を厳しくして明文化してもらいたいという事、それと西口の賑わいに目玉として尾崎の記念プレイスを作ってほしいという事を言った。まあ、3番目には答えを要求したわけでなく、尾崎の歌を聴いたほしいとCDをおいてきた。

尾崎と狭山市との接点がないというのがネックだという。でも、ジョンレノンとさいたま市と何処に接点があるというのだろう。朝霞が尾崎の音楽の素晴らしさに気づかず、何もしないというのであれば、狭山市は同じ埼玉県の中にあり、所沢の狭山湖畔霊園には尾崎のお墓もあり、尾崎のお母さんのお墓は川越にあるのだし、川越で下りれば朝霞まで東上線で1本な訳だ。副都心線も出来たから、渋谷のクロスタワー、池袋の公園、所沢のお墓、狭山のメモリアルコーナーという尾崎ツアーが出来る。

私は尾崎の死の事で彼の作った楽曲の評価を下げてはいけないと思っているし、下がらないと思う。音楽なんて好きな人も嫌いな人もいるかも知れないが、彼の音楽は特別だと思う。尾崎の楽曲は今後誰も作りえない普遍のテーマ、若さ、愛、自由、命、平和、夢、傷ついた心と癒し、を歌い上げている。そして、詩そのものがきらきら光っていて、私は詩集を読んでいるような気がする時がある。

西口の開発には特別な思い入れがある。西口ができる時に、何か特色のあるものがあるべきだ。役人はそういうのを好まないだろうが、冒険をしてみたらどうだろう。西口開発に価値を付加するためには、1.安全な駅前をつくる。2.市民が大勢来て使う場所にすること。3,4もあるだろう。私は西口が他の市の人に誇れる場所になってほしいと願っている。まあ、何もしなければ今反対している人たちの批判にさらされる事も少ないと思うかもしれない。でも、もし尾崎のメモリーコーナーが出来たら、将来的には必ず渋谷のクロスタワーのように人の訪れが絶えない場所になっていくと思う。変な意味でなく、観光的な意味もあるかもしれない。これは私の夢かなあ。

役所であれこれおしゃべりをして帰ってきた。役所に結局5時まで。その後、ヤオコー前で演説をした。夕食後、サピオへ。最近は込んでいて、思い通りの機械が仕えない時がある。今日は遅く行ったので、シャワーをする日まもなく帰ってきた。
15日(日) 今日は朝礼拝。いつも心に響く良い礼拝だと思う。きっと、牧師は一週間を礼拝のメッセージを書くために過ごしているんだろうなと思う。大変なお仕事だと思う。今の教会は家庭教会のようで、とても小さな教会だから礼拝以外の活動がほぼないから、礼拝だけの贅沢に浸っている。良い事ですよ、信仰だけのつながりというのも。わずらわしさが一切ない。

午後は、本屋によって帰ってきた。時計を見たらなんと3時。なんか今日はあった日だったけどと、スケジュール帳を開いたら、アジサイ祭り。2時半までだったから終わってしまっていた。残念。去年もそう思ったなあ。結局今まで一度も行った事がない。

夜、夕ご飯を珍しく5人で食べた後、サピオに行った。腰痛が良くなってきたので、今までのメニューのほかに腹筋、背筋のトレーニングを少し入れたいと思っている。運動は気持ちがいい。もう少し時間を取れればいいのだが、8時過ぎに出かけるので1時間ほどしか出来ない。
14日(土)
75000カウント
今日は、朝ゆっくりして10時過ぎに聖望学園の双柳グランドへ行った。アメリカンフットボール部の父母会の総会。あと、1年しか楽しめないから頑張って楽しもうと思う。父母会の副会長を引き受けた。息子が副キャプテンをしている以上、引き受けないわけに行かなかったという事である。

午後、1時過ぎに、新しい会長、副会長、会計でお昼ご飯を食べて帰ってきた。頼もしい会長さんだから補佐を頑張ろうと思うけれど、事務仕事が苦手な私なのでどうしましょう。帰りに業務スーパーに行き、しこたま買い込んできた。安いお米も買った。高いお米は以前に比べやすくなっているが、安い米はもう安くしようがないのか、2480円のままだった。10キロ1週間で終わってしまうから、怖いなあ。少し、スパゲティやうどんで伸ばす事にするが、かえって米の方が安上がりだ。

夜は、ご飯を食べた後、夫とデートに行った。毎週、デートだねなんていいながら、映画を見た。ジャック ニコルソンの主演の映画。名前を忘れた。アメリカ人的な陽気な映画だ。アメリカンドリームもお茶目なところもある。死ぬ前にしたいことを棺おけリストって言うのだそうだ。私は死ぬ前までに何がしたいかなあ。あまり、考え付きもしないが、お兄ちゃんが仕事を持ち、結婚して孫の顔を見たい。弟の方もきちんと大学を出て就職してほしいし、娘も自立をしてほしい。さて、自分はというと、痛くなくあまり入院も長くなく夫に見守られて死にたいと思うけれど、それまでにしたいことってなにかな。

まず、外国旅行をしたい。ヨーロッパに行きたい。リタイアする前に行きたい。イギリス、フランス、ドイツ、北ヨーロッパ、勿論イタリアもスイスも行きたいなあ。南の島にももう一度行きたい。

何かできる事ってないのかなあ。きれいな洋服も着たいかな。縁がないものねえ、お金のある生活は。伊太利亜屋のポロシャツを着たい。ローラアシュレイのワンピースが着たい。エステって一度も行った事がないので、行ってみたい。多少、ラグジェリーな生活にも憧れがあるのかな。いつか実現出ると良いなあと思っている。書き始めるとしたいことって、多いのに驚いている。それに、したこともないことも多いのね、今の私には。
13日(金) 今日は、委員会に付託された事務事業のうち、都市計画道路関係の事を調査し、議論した。それに先立って、視察も行った。こんなに現場に行き、きちんと見る委員会は、狭山市では建設委員会が一番じゃないかと思う。毎回、視察に行きますからね。市道の認定でも、道路の形状を知らなければと見に行きます。役人は市道にしていいか聞いているのであって、どんな道路か等は聞いていない。というのだが、悪い道路は認定できないという事です。だから、作ってない道路の認定は本当に図面をきちんと見せてもらってから認定するようにしています。

午前中は委員会。午後からは委員会協議会として、西口関係の話しを中心に話し込んだ。3時近くまで。2時間も座りっぱなしでいると、足がむずむずしてくる。きっと血が足の下のほうに下がり、循環が悪くなるせいだと思う。

橋上駅舎の工事費について話があった。残念ながら、私には其の値段での契約が高いか安いか分からない。他の市のほかの駅舎に比べどうかと聞いたが、理由を言われればそうかなあとしか思えない。西武に言いようにしゃぶられたのだろうかとも思うが、それで駅舎が良くなって人が集まるようになれば、2,3億円高くなっても良いかなあと思ったりする。でも、2,3億円高くなったというのはとんでもない事なのかなあ。全体の工事費はきっと、あの規模の工事としては24億円で仕方がないわけだろう。ただ、市の負担割合が多すぎるというのが問題なのだろう。交渉ごととなるのだろうが、狭山市の市長はじめ職員が交渉ごとに長けているとはいえないものね。でも、だからと言って、批判だけしていれば良いってものでもないし。良いものができ、狭山市がそれを払い切れればそれにこした事はないという事だろう。

夕方。早く食事を作り、食べてからヤオコーに買い物に行った。その後、サピオへ。
12日(木)
74900カウント
今日は、朝から建設委員会。これで建設委員としては8年目にはいる。明日は、市街地整備促進特別委員会がなくなったので、調査委員会として、建設委員会を開く。今回は議案数が少なかったので、視察後すぐに審査し、裁決が終わったのは11時半だった。その後、総合政策次長からの説明があり、1時間ほどかかった。食事後、資料請求の話を下水道に行ってした。西口開発事務所に行きたかったが、議会だよりの原稿をかきあげたりしていたら、5時になってしまった。一日があっという間におわる。

夕ご飯をつくっていたら、息子からお迎えに来てという電話がはいり、迎えに行き、夕食をたべたのち、サピオへ。会議が続くと体なまってしまう。足のむくみは昨日よりはよいけれど、おなかが張って仕方がない。なんだろう、これは。汗をたくさんかいて、10時過ぎに帰ってきた。汗を書く快感になれると、毎日でもジムに通いたくなる。それに、自分でやり方を帰られるので、ストレスも感じないし、気持ちが良い。

メールがはいり、時効は10年ではなく、5年じゃないかという事であるが、きちんと調べてもらっている。それにしても、消防署員にしても、柏原中の事務員さんにしても、恥ずかしい事である。この人たちが特別な人であってほしい。もう、不祥事は十分だ。
11日(水) 今日も一般質問。結局2時半まで、お上品にイスに座って、黙って話しを聞いていた。寝てる人がいるという話だった。私も講壇から昨日見たら、後ろのおじさんが寝ていましたよ。失礼だよね。議長は注意すべきだと思うなあ。

足がむくんできた。イスは立派なのだけれど、エコノミー症候群のようなもの。帰りに、少しおしゃべりをし、総務部長からちょっと説明があり、4時過ぎに庁舎を出た。其の足で、サピオのトレーニングへ。「早いですね」と驚かれた。少し運動をしないと、足の調子が悪く、足が攣るのだ。エアーバイクを30分、歩きを20分して帰ってきた。汗まみれになって気持ちが良かった。でも、夕食で食欲がすすんで、結局出した分の水分はしっかり取った。お茶でですけれどね。
10日(火)
74800カウント
今日は、朝一番に私の一般質問。スムーズにすすんだのだが、最後にある議員から休憩の声がかかり、休憩へ。何が問題なのか私にはさっぱり皆目検討が付かなかった。後で議長に呼ばれたが、何のことやら分からず、議運の委員長と副委員長がいて、問題ありませんという事。当たり前だよね、前日に議長と話し合って、まあセーフの線で質問をまとめたのだから、他の人から文句の出るわけがないとおもっていたのだから。

あ〜〜あ、やだなあ。朝、9時からなのに傍聴者も多く新聞記者もいた。市長はこういう時は、私の説教臭い一般質問を真面目に聞いて、反省の色をもっと出していれば良いのに。こっちだって、鬼の首を取ったようには質問していませんでしたよ。トーンもおとしたし。「首にしたら」なんて事を言うのは不本意だけれど、議会としたら言わずにはいられない事だし。何も私が言う必要もないのだけれど、他の人にがんがんされるよりも、私がしたほうが穏便に済むと思ったんですけどもね。市政会の長老がすべき質問でしたかね。議会総体としての役割と、役割分担なんて気持ちは分かっていただけない議員がまだ多いようだ。若い人は仕方がないとしても、お兄さん方、理解してほしいものですよ。

結局、休憩は本当の休憩で終わったという事だった。これからは、私の推測だ。泥棒消防職員は告訴されなかったので、免職にならず停職3ヶ月で職場に戻れるという処分だったが、この人は自分のしたことの意味がよく分からなかったのではないか。もし、3ヶ月して出てきても、本部としては、泥棒した職員を同じ職場では使えない。消火活動もさせられない。ロッカー室でのトラブルは全職員が知っていることだから、防犯カメラをつけることも要望されるかもしれない・・・本当に厄介な事になる。辞めていただいて、ありがたかったというのが、消防の本音だろう。実際、その人が3ヵ月後に戻ってきたって、針のむしろであるだろう。一度信頼を失った者は戻れるわけがないとおもうし、だからこそ辞めたのだろうけれど、本人はどのくらい人に迷惑をかけたのか分かっているのかねえ。

しっかり、条例を作ってほしいとは言ったが、作らないそうだ。規則にするらしいが、厳しく作ってほしい。どんな厳しくとも、そんな悪い事をするのは、一人か二人だ。全員に係わるわけでないのだから、厳しくとも構わないのではないか。1000人以上いる職場だもの、どんな人がいるか分からないのが実情である。あの人とこの人の処分の内容が著しく違ってはいけない。それと、県のレベルと市のレベルで市のほうがゆるいなんて事があってはならないと思う。

夜は、入間の湯に行き、その後、食料を買いに出かけた。小麦粉が高騰して、スパゲティがとても高くなった。まだ安いカルフールに走った。日曜日にカルフールで高くなったと思ったので買わなかったのだが、いなげやで値段を見たら、カルフールの値段は半額だった。これから、スパゲティが安くなる状況は無いだろうと思うと、買いだめに走らざるを得ない。500グラムのスパゲティを20袋買ってきた。買占めと言ってもこの程度。家は1キログラムずつ使うから10回分という事である。勿論、マカロニも3ふくろ程買ってきた。それと、うどんとそばと素麺も少し買い込んだ。いつまで持つだろう。
9日(月) 今日は、一般質問1日目。6人だから、結局午後まで掛かった。朝9時から、お休みを入れたとしても、3時近くまでイスに座って話しを聞いているだけ。狭山市議会は野次も飛ばせる雰囲気がないし・・・足はむくんでくるし、腰痛でイスに座っているだけでも何とかなりそうなのである。

午後は、明日のためのヒアリングがあった。金曜日に柏原中学校の県費の事務職員が盗撮で現行犯逮捕された。其の事も、やはり今回の一般質問に加えなければならないという事で、教育委員会、職員課、消防も含めてのヒアリング。全く、怒ってしまう。通告から10日もたたず、一般質問もする前にまたもや不祥事だ。情けないを通り越してしまう。あきれた。

この職員は県の「迷惑防止条例」、消防署員のは「刑法」。逮捕されなくても、消防署員の罪のほうが重いに決まっているのだが、現行犯逮捕でないので、市の職員なんか告訴もなれていないのだから、消防署の方が罪が軽いように思っている。まあ、告訴されなければ罪にならないと考える人もいるだろうが、時効は10年間だから、いつ告訴されるかわかりませんよ。逃げ切れますか、罪から。いやだなあ、こんな風な事を書くのは。実際、明日こんな事を言うのも嫌だ。

ところで、県の職員は無給の欠勤という取り扱い、処分されるまでは学校に出てこない。一方、消防署員は有給休暇、お金を払って、たいしょく金を払って、罪にもならず辞めた。このところ、議長と副議長を交えて、どう質問するか考えた。でも、教育委員会の不祥事にたいして、質問を控える事は私には出来ない。議長にも其の点を理解していただいた。通告の範囲内であるのは自明である。
8日(日)
74700カウント
今日は、午前中に礼拝。教会の帰りにパステルによって昼食。その後、トレーニング。3時ごろ、トレーニングを終え、カルフールに買い物へ。

夫とカルフールで待ち合わせをした。父の日も近いことだし、彼のために甚平と黒いポロシャツを買った。勿論食品も。夫のものを買うのは久しぶりだ。私の悪いところで、ショッピングが嫌いなので、まとめ買いをする。例えば、ポロシャツなんか色違いで何枚も買うという具合。特に、アメリカに行くと次はいつアメリカにいけるか分からないと思い、たくさん買う。どれをどのくらい買ったかを忘れてしまう。というので、一枚づつ買うといいのだ。それにしても、長男は別として、夫、息子、娘の衣服の管理なんか、もう出来ない。したくない。自分で勝手に買いに行けばよいのに、特に夫は、「久美子が好きなのが一番良い」とか何とか言って自分で決めようとしない。もう、良いのよ、なんだって・・・「あなたが着れば何でも素敵になるのだから」と、私の方もお世辞とも本音とも言えることを言うのだが、夫は私がいなければ何も買わない。は〜〜〜〜。若いころ、彼の趣味についてあれこれ言ったのがいけなかった・・・・

そのご、2人で智光山のローズガーデンに行き、手をつなぎながらローズガーデンを散策。「毎年来るよね」って言いながら歩いたが、少し時期が遅かったようで、今は次のバラが咲くまでの端境期だった。それでも、きれいなバラが咲いていて、嬉しくなった。「幸せだね」って顔を見合わせて言った。「これでもっとお金に余裕があればね」ってわたしがいったら、「もう少しの我慢だよ、この時期を乗り越えれば楽になるよ」とジムが言い、二人で頑張ろうねなんていいながら、ローズガーデンをあとにした。

今日は、私の病気の完治祝いに二人でビールで乾杯した。お酒を1ヶ月以上飲んでいなかった。おいしいなと思った。でも、原稿を夜に見直すので、ちょっとだけだ。役人の皆さん、これから仕事をします。第2質問を書き上げる予定です。明日、よろしく。
7日(土) 今日は寝坊をしようと決めていた。とにかく7時前に目は覚めたが起きない。おきたくない。ごろごろすると決めていたからである。答弁にしても原稿にしても読まない、きょうは。

で、何をしたかというと。遅い朝食後、押入れを片付けた。夫は片付けるのに抵抗した。彼は私が片付けると言うとどうも機嫌が最悪になる。捨てるかどうか決めてよと言うとふてくされる。要するに判断するのがいやなのである。何でも、溜め込みたいのである。私が、日本では場所は金なりで、いらないものを取っておいて、どうするつもりだろうと思うが、テレビを見る時間はあっても、判断するのはいやだという事。私は体調が悪いので、変なものを取っておかない準備を考えてしまう。とにかく、アメリカで使った教科書を捨てる事にした。息子が教員になりたいというのだから取っておこうかなと思ったが、学問は生き物である。変わっているのだから、何も古い教科書なんか取っておく必要もないだろう。面白いものがあったので、先生に上げようかとも思ったけれど、英語の教科書を読むのは苦痛だろうと思うから、捨てた。

私の分が少なくなったので、押入れが片付いてよかった。ほッ。

夜、息子と娘は教会へ。長男はどこかへ。で、夕食は私達夫婦2人となったので、鰯屋に食事に行った。夫婦でいても話す事もなくなってしまった。でも、おいしいねといいながら、食事をするのも良いかも。これからは、こういう事がおおくなるだろうな。
6日(金)
74600カウント
今日は、朝から議会。其の前、5時半に起きた。息子が運動会なので早く出るとか行っていたから、おにぎりを作り、お茶を作り、お絞りを作って、持たせる用意をした。昨日、弁当は作らないと宣言したのでおにぎり。(私の母は弁当を作らないと宣言して、本当に作らなかったのに、私はなんと軟弱だろう。)それなのに、運動会は中止だった。(後から晴れると予報で言っていたのに、やらないのだもの。すれば、今日はいい天気だったのに・・・)とにかく、時間があったので、原稿の見直しを行った。

議会に9時前までに入ったが、代表者会が長引いた。5日の毎日新聞の件が問題になったそうだ。何が問題だろう。誰が、毎日新聞に言ったのかが問題になったそうだ。誰だって良いのに。事実関係はあっているのだから。新聞社の人も私のHPを見ていることがわかった。でも、私のHPは個人的な思いが連なっているので、面白くもないだろうに。おにぎりを作っただとか、息子に怒っているとか、娘は困ったものだとか、夫が出張だとか、本当にくだらないなあなんて思いながらも、日記のつもり。

議会は始まれば、スムーズにあっという間に終わった。私も用意した質問はした。とにかく、説明が十分でないので、質問しなければ市民には何を議論しているのか分からないだろう。私は他の人が質問した後に質問をするようにしている。時には、他の人が私が聞こうとしていることを聞いてしまい、手を上げることなく終わる事もある。それはそれで良いだろうと思っている。

午後は、一般質問のためのヒアリングを少々。何しろ珍しく原稿を書き終えているので気分爽快。それと、最近ビタミンCを飲み始めたら、気分が少し浮くようになった。欝欝した気持ちはビタミンC不足だったのかもしれない。

夕食後、HPを書いていたりしたら、眠くなる。明日の予定を見たら、原稿書きのために予定を入れてなかった。嬉しい。明日こそ寝坊しようと思う。考えたら、毎日睡眠が5時間くらいだった。眠いわけだ。昨日、医者にいったら、寝る前の薬が処方された。咳に負けず、眠られた気がするが、今日だって結局4時間ぐらいしか寝ていなかった・・・・
5日(木) 今日は、朝から原稿を書いていた。とにかく書き上げなければならない。昨晩は咳が酷くて、2時間おきに起きた。もう、六時半まで何回起きたか分からない。朝なのに、息子の機嫌は最低で、とうとう私が怒った。弁当を作ってもらっておいて、難だろう、あの態度の悪さ。ほんとうに・・・(もう、弁当なんか作ってあげない)、と思った。咳のため、医者に行った。薬を買った。

午後は2時から娘の実習先に学校の先生とご挨拶に伺った。会社が近いので嬉しい。

その後は、書斎にこもって原稿かき。今日は娘にカレーライスを作ってもらって、ずっと原稿書き。偉いねっと自分をほめてやりながら夜中まで。とにかく書き上げたが、もう見直しても、なにも分からないので、この続きはあしたとする。
4日(水)
74500カウント
今日は、議会初日だ。いつものように、代表者、全員協議会等があり、議会が始まった。議案説明が年々短くなっていくような感じがする。これではたくさん質疑しなければ、市民には何を議題にしているか分からないのではないかと思う。私だって前に勉強をしているからそれで分かるというものなのである。

午後、保険年金課にレクチャーを頼み、あれやこれや出かえってきた。咳が酷くて、集中力がなくなって、体力も落ちた。食欲はあるのでまあいいか。
3日(火) 今日は朝10時半から養護学校の実習説明会。実習先が決まり、2週間の実習をする。其の会社に入社できる可能性があるのかと聞いたら、本人次第という事。本当?今まで実習させてもらっても採用にならなかったのは、本人がいけなかったから?なんだか、実習先は実習をさせてくれるところで、それはそれでありがたいが、ちっとも採用にならない。狭山市はパートで良いから知的障害者を雇ってほしい。さもなければ、知的障害者をや取っているところと契約してほしいと願う。

昼食後、一般質問の原稿書気を始めた。なかなか書きすすまない。けれど、少しでも書かなければ。途中、いくつも電話がかかり、書くのを止める。そうすると、集中力が途切れて書けなくなる。それに、コンピューターってとても良い遊び道具だから困ってしまう。でも、断続的に書いた。

夜はサピオにトレーニングに行った。本当はこんな事をしている場合じゃないのに。帰ってきて書く意欲がなくなり、咳も酷くなったので寝る。
2日(月) 今日は、朝教育委員会、保育課とヒアリング。原稿を書かなければと思う。お昼過ぎ、急いで帰ってきたが、1時だった。

昼食をしたのちに、スタッフとミーティング。事務所を少し小さくする。スタッフには週半日来てもらい、会計とファイリングをしてもらうだけにする。後は、細々と自分で議会レポートとネットニュースを印刷し、発行しようと思う。今まで、いつの間にかすべてをスタッフにしてもらっていた。お金を十分出せば、罪の意識もなかったんだろうけれど(でも、雇うみたいな感じになるのも私にはいやだった。お金で済ませられない自分がいる)スタッフは素晴らしくて、本当に親身に献身的に仕事をしてくれた。仕事というよりも誠心誠意のボランティアのようなものだった。それがつらくなったのだから、人には理解できないだろう。

とにかく、議員としてきちんと仕事をするが、自分のできる範囲を超えない。自分の身の丈を超えない事を考えていきたいということ。議会報告会を10年近く行ってきたが、もう止めることにした。いろんな催しをしたが、人集めに限界を感じている。市民のニーズにあった講座などが出来なくなった。友達も忙しくてとても私には付き合えなくなっている。今後は、電話での相談日を作り、市民相談などに答えるようにしよう。

心身ともにちょっと疲れたのは、人間関係の中で市議会議員でなかったら遭遇しないような事が続いたからだろう。中年のおばさんだって心がずたずたになるような思いをするのだ。そして、それからの立ち直りが難しくて、時としてルーチンワークすら負担に思う事が多くなった。すべてを投げ出したくなる時があり、実際はそんな無責任な事は出来ないのを知っているからこそ、負担感が増したりする。今は一人きりになっていたいと思う時が多い。とても素晴らしい人たちが私を支えてくれているからこそ、孤独に浸っていられるのだから、いい加減甘えんなという声が聞こえてくるのは分かっているのだが、心の疲弊が自分を今甘やかしたくなっている。大分良くなっている。夏を越えれば、きっと大丈夫。

消防関係の事で、毎日新聞社から電話で取材があった。事実関係は消防長に聴くようにといった。私のhpをみたとか。記事になるのかならないのか分からないけれど。前向きに条例の制定などで、綱紀粛正を図ってほしいと願う。市民に納得できるように、私が納得できるように、説明し、対策を考えてほしいと願う。
1日(日) 今日は日曜日。礼拝の日。教会の後、ブックオフにより、帰ってきた。昼食後、ちょっと仕事をして、其の後少し横になって、本を読んだ。体力が本当にない。

夕食後、議会のためにファイルを作り、このホームページを作り、メールに返事をした。疲れたので、お風呂に入って寝る。

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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。
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