私の独り言 2004年 

バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。
すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を、通します。

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
8月 私の独り事
31
日(日)
今日は、朝、分科会。DV関係に出た。午後は富士宮市にB級グルメの町おこしについての視察を行った。当たり前だが、この視察では渡辺さんという関係者の話を楽しく(親父ギャグのようなうんちく話)を聞きながら、役人では出来ない町おこしについて聞いた。この事は後々一般質問させていただこうと思うが、とりあえずは狭山市はB級というよりはA’級で、焼きそばの香る富士の宮市ではなく、お茶香る街狭山市として素敵な街づくりを提案したい。

夜7時半ごろ帰宅したが、疲れ果てていて速攻で寝た。
30日(土) 今日は朝8時前に家を出て、富士市であるフェミニスト議員連盟の合宿へ。基調講演は糠塚康江さんのパリテの論理という話し。法学者なので、きわめて学術的に話しをなさったが、私達のように学問から離れているものたちにとって、とても刺激的で新鮮な講演だった。男女共同参画は国際社会に対しての公約であり、実行をしないでは国際社会から取り残されるという指摘があった。

日本は唯我独尊の気風がこのごろ強くなり国際的に日本がどのように見られるか、扱われるかというより、自分が自分がという人間が多くなった。あるところでは、日本からある民族を追い出せなどという事を、何の客観的な根拠も示さずに声高に言っている。そうしたらどういう損が生まれるか等は全然考えてもいない。こういう論調が、戦前の満州をとれだの、アメリカが意地悪をしたから日本が戦争をしなければならなかっただのという、ふざけた事をする基盤を作ったのだと思う。世の中、国際社会を見渡して、冷静沈着な対応が必要とされているのだろうに、結果も考えない人間が多区なってはいないだろうか。先の小泉首相の悪影響がこんなところに出ていてがっかりだ。

講演ののち、パネルディスカッションへ。富士市長、坂本由紀子参議院議員、糠塚さんをパネリストにして、コーディネーターは三井マリ子さんだった。内容は、パリテから男女共同参画を考えるという事だった。坂本さんは元労働省の人だったから、それも婦人局長をなさったらしいから、女性問題に対しての造詣は深かった。富士市長は女性の選挙態勢に問題があり、女性は専門に特化するだけでなく、ジェネラリストとして政治一般に関与すべしと言う考えだった。

三井さんはフランスに1994年に行ったときのポスターを見せてくれたが、一番心に残ったのは、三色(自由、平等、博愛)の国旗の色の中で、平等の白色が抜けていて、其の場所に涙をためた女性の顔が半分だけのぞいているというのであった。フランス女性にとって平等はあたかもあるかのように見えるが、実際にはのぞいてみるだけというのが其のころのフランスだったのだろう。なんだか、切ないポスターだった。
29日(金) 今日は朝から役所へ行き、少し勉強をした後、午後から福祉部の決算勉強をヒアリングしながら行った。其の間にいろいろな部署のヒアリングが入り、夜にサピオへ。8時ごろまで数字とにらめっこをしていると、頭がもう回らなくなって考えも出てこない。サピオでようやく息をついた。

家に帰って明日からの視察の準備。忙しい。
28日(木) 今日も、10時半ごろ役所へ。歳出、総務費に突入。途中、資料請求を出したりしているから、なかなか進まない。お昼になり、食事をした後、法律相談へ。内容は内緒。弁護士さんもいろいろいるなあ。其の後、少し決算書を見ていたが、3時から息子の練習試合というので、双柳グランドまで出かけた。途中、病院で血液検査。ところが、グランドには人っ子一人おらず、電話をしたところ中止とか。連絡してくれればでかけなかったのに。

4時過ぎから病院で血液検査の結果をきいた。脂肪肝臓はなくなり、数値は素晴らしくよい。グリコーゲンも初めて5.0まで下がり、問題なし。中性脂肪もOK。健康体ですとの事。後、4,5キロ痩せても良いらしいが、この体重を維持できればそれでよいとの事。維持というのは痩せるよりも難しい。

その後、役所に戻り、8時近くまで頑張った。なぜ、役所で頑張るかというと、書類が多いので一々家にもって帰るのが重くて大変だからである。決算書と行政報告書で4冊ですからね。其の上、議案と其の資料だけで3センチの厚さのファイルが2冊。毎日、持ち歩きする気にならない。

今日は息子に肉野菜炒めと味噌汁を作るように指令してあったので、サピオへ直行。行く前に電話をしたら、もう食事は終えたという事で安心した。10時前にヤオコーによって、牛乳やらの必需品を買い求めた。明日のために半額のとんかつも買ったが、お昼までになくなるだろうね。夏休みは食事が大変である。
27日(水) 今日は、朝からまたまた役所へ。ようやく決算書の歳入を読み始めた。歳入を読みながら、行政報告書を併読。10年も同じ事をしていながら、昨年度までの事を忘れたり、事業内容を思い出せなかったりした。歳入は月曜日に財政課長に教えてもらう事にしている。金曜日の午後には福祉部とのヒアリングもあるから、どうしても歳出の民生費まで読み終わりたかったが、残念ながら、7時半までに出来たのは、総務費の中ごろまで。最期には数字を見るのも嫌になって、決算書を放り投げてしまった。

子どもにスパゲティを作って食べるように言ってあったので、役所からすぐにサピオに出かけてトレーニング。少し頭の切り替えをしないと、頭が興奮していて眠れない。サピオの後、急いで牛乳を買いにヤオコーへ。結局、おなかがすきすぎて、10時過ぎから夕食。これはダイエットには最悪なのにと思ったが、夕方に食べたブドウパンだけではおなかが持たず・・・
26日(火) 今日は、朝から役所に行き、議案書ならびに決算書を読み込んだ。いつものように、議案書は電話を片手に分からないところは、各課の課長に説明を求めた。そんなことをしていたら、4時半。急いで一般質問の通告に行った。コンピューターがおかしくて、入力できなかったので、焦った。手書きで済ませた。

決算書はとりあえず、決算ガードを昨年のものと比べるまで。実際平成19年度の決算は素晴らしいとしかいえない。予算を作った財政課長をほめたいし、市長の財政引き締め策のすごい事。少した手綱を緩めても良いかもしれない。まあ、単年度収支、実質単年度収支、基金積み立てなど、お見事。

概要として何も心配のない決算だと思うが、小さな所、大きな所見直しを考えてほしいところがある。だから、一行づつ読んで、昨年度の歳入歳出と今年のを比べながら、考え込んでいる。もう少し、臨時職員を正職員化できないか。官がワーキングプア製造してはいけない。それにしても、決算書を読むのには時間がいる。
25日(月) 今日は全員協議会があり、議案書が配布された。決算議会なので、まあすごい厚さの封筒が2冊。協議会後、建設委員会協議会があった。忙しいが、午後にはいくつか議案の勉強をした。帰ってきたらナント7時すぎだった。議会が始まるとなるとこんなものだろう。

全員協議会が始まる前に代表者会があった。其の報告を聞いて唖然とした。この事はもう少し後にここに書くことが出来るだろうが、自浄努力をきちんとしなければ議会でも問題にするべき事であると書いておく。それにしても、組織の頂点にあるものがするべきことと、してはいけないことの区別が付かないわけであるまいに。魔がさしたとは思えない。きっと其の手のことを今までもずっとしていたのだろうが、近くの人がとめもしなかったんだろうと思う。今時は誰も人のことを構おうとか忠告しようとかしない。時々、私が小言こうべいのように言うので、議会でもけむったいだろうし、執行部も私なんか目の上のたんこぶだろう。まして、家族、とりわけ末息子は私がウザイそうだが、戦争の時もそうだが、誰かが苦言を呈さなければならないのだ。それが私の役目。それでいいのだ。

最近、それでいいのだと自分に言い聞かせている。それでいいのだ。ちなみに先の組織のトップというのは、市長や執行部の人ではありませんから、間違わないでくださいね。

帰ってきて、食事をして、サピオへ。体がだるいので行くのを止めようかと思ったが、こういうときほど動かなければならないと自分に叱咤激励しながら行ってきた。帰ってきてからの糖質ゼロの発泡酒がおいしかった。350キロカロリー消費してきたから100キロカロリーぐらい補充しても許されるだろう。甘いかな。夜は、本を読んで、ウェブを読んでしまった。
24日(日) 今日は、朝入曽にある教会へ。我教会は夏休みなのである。だから、この3週間はあちらこちらの教会に出席している。いろいろな教会があるし、牧師の説教も新鮮である。この夏に学んだ事は、勇気をもって今の状況を感謝しなさいという事かな。勇気を持つというのは、イエス様がいつも私達を思っていて良くしてくださる事を信じる事らしい。そして、悪魔のささやき「もっと、できるはず。今のままではいけない」という焦りの言葉に耳を傾けないで、現在をしっかり生きる。「それでいいのだ」と赤塚富士夫が言うとおり。能天気にイエス様を信じて、真面目に生きるのでいいのだ。

私は、いまのままでいる事は腐ってしまう事だという固定観念があった。しかし、イエス様を意識しての今あるままであったら、腐る事もないのだろう。自己満足が常に出来ない私であるが、神様がいまのようにしてくださっていると信じてただただ感謝する事に努めよう。能力に限りがあるのがよくよく分かり、時には本当に焦ってしまう。スタッフもいない事務所ですることはやま積みだ。

それなのに来る議会のプレシャーに負けて、今日も古本屋で本を買いこんで、夜中まで読んでしまった。一冊は田中真紀子さんが書いた「私の歳時記」という雑記、また、越後高田藩の昔のお殿様に嫁いだ榊原喜佐子さんの書いた「殿様と私」。あと、買てきたのは、「昭和陸海軍の失敗」という半藤一利さんらの座談会のまとめの本。まだまだ、全部は読んでいないが、最後の一冊は切歯扼腕しながら読むことになるし、戦争の時に政治家の役割を凍結した平沼騏一郎などの大政翼賛会政治を考えると、地方政治家とも呼べない私だが本当に責任を感じてしまう。政治家は大事な局面から逃げてはいけない。

真紀子さんの本は絶対自分で書いた本だと分かるほど口調、息遣いが感じられる。豊かな子ども時代(新潟の西山での)、広いお家での四季の様子や家庭の様子など興味深い。家も子ども3人もいる家庭なのでどこかに共通点を探しながら、この本を読んだりしている。文才があり、内容は雑記だけれど状況が彷彿されるところが立派である。まあ、私は彼女の噂がどんなものであっても、真紀子さんのファンである。今年の春、衆議院の会議室で勉強会をした時に、ロビーで彼女をお見受けしたが、非常にエネルギッシュで嬉しく思った。どんなバッシングにあっても頑張ってね、真紀子さん。
23日(土) 今日は、朝から聖望学園高校の学級委員会があった。バザーについて。その後、友達と会食。アレルギーで食べるものが無かった。仕方がないなあ。3時過ぎまでおしゃべりした。ブックオフによって帰ってきた。また、昭和史を買ってきた。本当に、敗戦がいかにして起きたか、其の過程をきちんと捉えなければ、同じ事が繰り返されてしまう。冷静に知ることが大切である。

帰ってきて、ホッとしたら、夕食つくりの時間。今日は私と夫と娘の3人での夕食。家族が夕食にそろうのは月に1回か2回になってしまった。寂しいと思う。北京オリンピックも日本が参加するゲームが少なくなり、もうじき閉会だ。この2週間本当にスポーツ観戦を楽しんだ。この1日、1時間のために4年間、もしくは8年間も練習してきたアスリートには心から感激というか、尊敬の念を持つ。一つことに真剣に取り組むその姿勢には教えられるものが多い。私も残り何年ある川からない人生だが、一生懸命生きたいと思った。今日はサピオはお休みした。
22日(金) 今日は、朝から報告書を書こうと努力して、コンピューターの前に座り込んでいた。でも、かけない。こういう時は、どうしてもHPをいたずらにのぞいたり、本が次々に読めたりする。「昭和天皇」「隠された皇室人脈」などを読みきり、「日本で一番長い夏」を切歯扼腕しながら読んでいる。本当に馬鹿なとしかいえない数々の事柄。無駄な議論を続け、体面だけを考えていたために、原爆は落とされ、私の故郷の長岡は焦土化し、大勢の人が死んだ。この責任を誰も取る事がなく、天皇は自らの責任について結局は回避した。其の無駄な議論の内容を知れば知るほど、腹が立つ。

と、このように本を読み、北京オリンピックも観戦し、報告書を書きもせず、一日を過ごした。あ〜〜〜あ。思ったことの何分の一も出来ずに終わった。

夜はサピオへトレーニングへ。汗が吹き出るのが気持ちよかった。帰ってきてダイエットビールを飲み、夫と北京オリンピックを見た。日本の男子400メートルの銅メダルに感激した。
21日(木) 今日は、議会で基地を視察した。PAC3(patriot advanced capablity) を見ることが出来たので、私も参加した。わざわざ、PAC3を移動させて見せてくれたようで、ありがたかった。性能の割りにかなりコンパクトな武器である。ある国のミサイルが発射された時から2分から10分以内に発射の決断をしなければならないそうで、決断する人は大変だろう。まあ、情報は首相官邸へダイレクトに情報としてつながっているが、意思の決定が素早くなければ、使えない。例えば、テポドンを発射したとしてもどこに飛ぶか分からないわけだから、其の見極めに何分掛かるのか。戦闘下にあるときに、ミサイルが発射されたらすぐに打てとでも言っておかなければ、発射の決定する時間がないだろうと思う。

ミサイルを発射したら、命中しようとしまいと破片が落ちてくるのだから、危ない事には変わらない。命中率もどのくらいか分からないが、命中をよくしようとすれば近くまで来なければならないし、命中率が下がれば、ミサイル自身を自爆させなければ危ないわけで、とにかくこの武器も使ってはいけないというのが、結論である。どんな破片ですかと聞いたら、ある議員を指して、あの方ぐらいの大きさの破片が落ちてきますという事だった。私より少し小さめな方だったが、それでも破片と言っても人間が落ちるくらいの大きさなのだ。本当に、こんなものは使ってはいけない。

日本の平和はとにかく外交にある。情報収集が一番必要である。どの必要だと国とも仲良くやっていく努力が肝心である。政治家の端くれとして、日本国民の安心と安全を守るには、平和な世界が必要だと心から思っている。

お昼に自衛隊の食堂で1000キロカロリーの定食を食べた。私は少し残したが、働く人にはちょうどよいカロリーだと思うが、私が食べていたら完全に太ってしまうカロリーであった。

帰ってきてから、役所の福祉課であることについて聞いた。其の事はまた後で・・・腹が立って仕方がない。少し早かったが、オリンピックを見たいので、サピオに5時過ぎにトレーニングに行った。

夜は、ソフトボールの決勝を見た。すごい金メダルへの執念だった。このオリンピックの女性の活躍は素晴らしい。サッカーだって4位ですもの。金メダルの数だって、女性のほうが男性よりも多いかもしれない。日本はもっともっと女性を尊敬し、女性にもお金をかけてほしいものである。スポーツにかけるお金のうち、どのくらいが女性に使われているのだろう。
20日(水) 今日は、午前中に報告書を書き上げて、午後役所にもって行った。1時から教育委員会と面談の予定があった。その後、「親の会」の人たちとお会いして話を聞いた。ため息がでる。

帰ってきてから遅い夕食を食べた。
19日(火) 今日は、朝10時半から娘を連れて就労支援センターへ。娘の障害は情報が少ない事だと思った。回りに話しが出来る友達がいない。皆障害者でおしゃべりできる子どもが少ない。字が読めない。先生は軽い障害の子どもは何でも分かっているように感じているが、実際は彼女は字が読めないし、数もよく数えられない。言っていることの半分ぐらいしか理解していないかもしれない。語彙だって、どうしたら増えるのかわからない。自分の知っていることしか、興味のあることしか覚えない。経験も不足気味である。

「夜暗くなる前に仕事から帰ってきたい」と娘がいった時にはのけぞった。なぜなら、遊びに行く時に私がよく言う言葉で、「暗くなるまでに帰りなさい」というが、仕事の場合、5時に仕事が終われば、冬暗くなるのは仕方がないのに・・・仕事という事が分からないのである。実習もまるでお客様扱いだし・・・

娘と息子の就職活動に悩みが増す。夜はサピオへ。
18日(月) 今日は、朝から家事が大変だった。何しろ、たくさん洗濯物があったもので。午後は、娘と一緒に出かけた。娘はパスモを使い、所沢で乗り換え、稲荷山公園まで一人でお出かけする練習。私は、市川さんの所でこの前の研修会の反省と今後の企画。企画委員会のメンバーとして今後も頑張るつもり。市川の女性運動の火を消させるものか。

会議の後、紀伊国屋で本を見てから帰ってきた。もっとゆっくりしたかったけれど、時間が無かった。でも、帰ってきたら、8時過ぎで、それから夕食を食べたのだが、疲れきった。
17日(日) 今日は、朝は礼拝。お昼に流し素麺をするという事で、教会に残っていただいた。とうもろこしときゅうりも頂いた。新鮮な野菜はおいしい。ワックスの掛かっていないきゅうりをもろ味と一緒に食べるモロキュウだったけれど、本当においしかった。

午後は、雨が降る前に草刈をすると夫が言ったので急いで帰ってきた。夫が草刈の間、私は例のごとく別荘のお掃除。今回はワックス掛けもした。別荘は締め切りになるので、帰りの掃除をきちんとしないとカビが生えてしまう。だから、来る時よりも帰りのほうが大変なのである。

私が皿を洗って水をすてたら、少しゆっくりベランダにいた夫が変な音を聞きつけ、流しの下を見たら配水管が劣化し、穴が開いている事に気がついた。設備屋を呼ばなければならないかと思ったが、ちょうど隣の別荘の人が来たのできいたら、部品が売っているというので、夫は下まで行って部品を買ってきた。そして、直して流しが使えることになった。もう、別荘を作ってから13年ぐらい。そろそろ、あちこちが痛み始めたようで怖い。

夕ご飯まで別荘にいて、「遅いほうが渋滞にあわないね」、等といいながら帰ってきた。9時前に出て、10時半過ぎに狭山に戻った。夫によいバケーションだったかと聞いたら、「毎日何百キロ走っただろう」などという。そういえば、今回だけでも3,4百キロは走ったかもしれなかった。私に運転させればよいのに、夫が運転するんだもの。でも、私は運転は嫌いなので、ありがたかったんだけれど・・・
16日(土) 今日は、まず魚屋へ行って、魚を買いこんで狭山に送った。その後、スーパーに行き、米を父に買ってもらった。

その後、母のデイサービスに行き、施設を見て、母にさよならを言った。デイサービスは温泉もあって、ヒノキの湯船にゆったり浸かっていられるようである。他の施設も十分にあって、昼ねというか、横になる場所もあり、午前中にお風呂に入るから、少し疲れも出るだろうし、昼寝は良い考えだ。40人定員という大きな施設に40人ほとんどが来るそうで、大きな施設であるのは当たり前、リハビリの機械も新しく、一人ひとりにメニューがあるようである。良いなあ。ちょうど食事の時間だったが、品数も多くて、ご飯が多すぎるかなあ等と思ったが、男性にはあのくらい必要なのだろう。母が嫌がらないでデイサービスに行っていてくれて嬉しい。お友達も出来るとよいけれど。

午後早く直江津を出た。その後、軽井沢に行った。この時、ガソリンが底を付き、最後のゲージの1本ラインがピカピカし始め、私はトンネル内でガス欠にならないように祈った。軽井沢の出口を出て、ガススタンドがどこか分からなくて、とうとう渋滞に嵌まった時には、冷や汗ものだった。地元の人に抜け道を聞き、ようやくガススタンドに着いたときには、ほぼタンクの中は空っぽだった。スリルとサスペンスの軽井沢行きだった。

軽井沢では本当はローラアシュレイのワンピースを買いたかったのだが入るものがなく、其の上、昔ほしかった花模様のスカートなどはもう売ってなかった。今回は自分のものを買いたかった。だって、半額セールなんだから。でも、結局勝ったものは夫のワイシャツを3枚買っただけだった。自分のものでは高いものは買えない。本やDVDにお金をかけられるんだけどなあ。

別荘泊まり。
15日(金) 今日は、夫や娘が寝ていたが、昨日飲んだ便秘の薬が効きすぎて、おなかが痛くて朝早くに起きた。今まで1錠を使った事があって、其の時は効いたのかどうか分からない感じだったので、昨日は2錠使った。きっと、空腹時に飲んだので効き目がよすぎたのだろう。

パワー散歩を別荘の道を2周して帰ってきたら、夫が起きていて私が作ったコーヒーを飲んでいた。まだまだ、頭の中で仕事をしているらしくて、ホッとしていないようだった。それで、彼は着替えをして草刈を始めた。草刈は心を無心にする作用があって、疲れるけれど癒しにもなるのである。

お昼を食べた後に直江津へ。父母の顔を見にいったのだ。生きているうちに親孝行をと思う。一家でご飯を食べた。父も田舎の墓参りから帰ってきて、皆でオリンピック観戦。柔道の塚田の応援をした。残念だったが、懸命に戦ったのには感動した。男子の金メダルは万歳である。アメリカと日本は戦うが、どうしてもアメリカに勝てない。私が悔しがっているのをジムは見ていて、「こういうときには何も言わない。でも日本は頑張ったよね」とか言われると、もっと悔しくなる。夫を睨み付けた。
14日(木) 今日、夫がようやく夏休みになった。それでも、息子の部活はあるので早起きをして、昼ごはんの心配をしてから送り出した。夏の昼ごはんは難しい。揚げ物ばかりにならないように考えてしまう。

洗濯をして、掃除をして、食器を片付けた。夫は、私のコンピューターがうまくサイトアップ出来ないことの修理にかかって、サーバーに問題があるので、サーバーと話を始めた。(チャット)ホームページのドウメインをもっている会社が他の会社に買われ、その際サーバーが変えられ、前のサーバーからうまくサイトが新しいサーバーに動かせなかったようである。なぜなのか、調べてもらうというところまできた。明日までに解決しているといいのだが。

午後遅くなってから、お金をATMから引き落とし、買い物をして冷蔵庫を一杯にした。その後、車にガソリンを入れて、別荘に出かけた。何しろ、昨日は下りの高速道路は渋滞が酷かったというので覚悟して出かけたが、上りが渋滞していた。で、2時間で別荘に付いた。途中のスーパーで買い物をして、夕ご飯は別荘で食べた。おいしかった。私はどうも高原の空気の薄いところに行くと眠くなって仕方がない。早々に寝る。
13日(水) 今日は、朝夫を会社に送った後、家事にせいを出した。その後、昨日の続きの報告書を一部書き上げ、少し満足。次も書かなければならないけれど、いったん中止。環境センターにプラスティックをおきにいき、娘のアルバイトの状況を確認しに立ち寄った。

いつもは通り過ぎている博物館に寄ったが、あまり人が入っていなくて驚いた。展示物が見るだけで、触る事や実験もないので興味があまり持てない。今は体験型の仕掛けのある展示物が必要だろうな。「環境って何」という事よりももっとメッセージを鮮明にした題がよかったかもしれない。展示にも当たりはずれがあるなあ。ごめんね、当事者を知っているだけに言いにくいんだが・・・

その後、入間の湯に行った。ここも人が思っているほど入ってなかった。5時半という早い時間だったせいもある。まずは、マッサージをしてもらい、その後、岩盤浴、垢すりなど贅沢の極み。本当は別荘に行っているはずなのに、夫が休みが取れないので、少しお休みの贅沢をしようとおもったのだ。いつものように、かえりにお刺身を買って帰ってきた。
12日(火) 今日は、ぼんやり一日中過ごした。と言っても家事が付いて回る。夏休み中はお手伝いさんも夏休みなのである。午前中は娘と久しぶりにお掃除にせいを出した。洗濯、食事の片づけをしたら、もう2時。友達が娘と私の髪をカットしにやってきてくれた。私は男の子のように髪を短くした。

その後、報告書をようやく書き始めた。どう書いたらよいか悩んでいたが、書き始めたら、書くべきことが見えてきた。明日、この日の報告書を書き上げられる。よかった。

夜、オリンピックを見てからサピオへ。谷本の金が決まったから、なんだか安心してトレーニングが出来た。私は負けず嫌いすぎて、テレビの勝負が見れないのだ。結果のよいのだけを見ている。力が入ったゲームは見るのが辛い。
11日(月) 今日は、少しゆっくり起きた。朝家事をした後に、いろんな民族の会のバーベキューパーティーに出かけた。いつものメンバーだ。あるメンバーのお家の庭でのパーティーだったのだが、まあ贅沢なお庭。家の別荘の庭なんか比べ物にならない。今日の暑い中でも高台にある庭には風がよく通って日陰のディレクターチェアーに座ってぼんやりバーベキューのできるのを見ているのは贅沢の極みであった。私の友達は貧乏人ばかりと思っていたが、私立の幼稚園の父母友達はさすが私立だけのことがあって、お金持ちもいたわけだ。変な感じ。

ペルーの友達もいて、サルサを踊ったが私はどうしてもサルサというより昔倣った社交ダンスのチャチャチャなのである。いつか踊りをもう一度練習して、ダンスパーティーを楽しみたい。でも、夫はリズム音痴だし・・・

帰りにビバホームが閉店セールをしていたので安いオーブントースターを買って帰ってきた。10年以上頑張ってくれた古いトースターに感謝するし、日本の技術力にも感謝だ。家には扇風機が6台あるが、古い日本製の扇風機が元気なのに、1台新しいの外国製の扇風機が壊れた。こんな時に日本の力を感じる。

夜はサピオに出かけた。腰が痛いのでお休みにしようと思ったが、あの汗の快感には勝てず、出かけた。やはり気持ちがよい。
10日(日) 今日は、いつもの教会は夏休みに入ったので、新狭山の教会に行った。帰りに友達の顔を見てきた。彼女も痩せていた。ダイエットが流行ですね。買い物して帰ろうとしたが、ブックオフがあったので、結局寄って帰ってきたら、3時半。

お昼ごはんをそれから食べた。家事をしてから本を読んだり、ホームページを作ったりしている。今日はサピオはお休みです。
9日(土) 今日は、朝からうだうだと家にいた。なぜだったんだろう。仕事をする気になれず、テレビの前で北京オリンピックを見ながら、本を読んだ。「隠された皇室人脈」「昭和天皇」ついでに「荷風の誤植」矢野誠一、「フレグナント」「Eternal heart」は尾崎関係。うだうだとあの本の一部を読み、尾崎の美顔を拝し、評論を読み、昭和天皇に関しては無数の????が湧く。たとえ東京裁判を受けなくても、先の大戦の一番の責任は天皇にあるわけだ。天皇がウンといわなかったら戦争にならなかった。たとえ、彼が軍に丸め込まれたとしてもだ。

とにかく、昨日借りた本がまだ4冊、「 昭和史の教訓」「日本の一番長い夏」「昭和史の一級資料を読む」「戦争観なき平和論」。終戦記念日を迎える時、最近は前向きにあの戦争を見据えようとしている。戦争は怖い、悲惨だ、可哀想だという側面だけでなく、お馬鹿な指導者が間違っても戦争をしないように、考えなければならない。

これらの本を読んで、あの馬鹿な安倍晋太郎が吉田茂や岸信介(私はこの人が嫌いだけれど)の考えを全然理解していない事を嘆かわしく思う。なぜ馬鹿なというかというと、憲法9条の意味を分かっていないからである。中国と戦争をなんて事をチラッとでも考えるなんて馬鹿だからだ。何のために吉田は岸はアメリカに軍隊を駐留させたと思うのか。時代錯誤的な考えは本当に危険だ。外交による平和、日本人の血を一滴も流さない術を学ばなければならない。昔がよいなんて、軍国主義国がよいとは誰も言わないはずだ。あの轍を踏まない事を学ばなければ。それにしても、長州閥が跋扈している日本はおかしい。幽霊に力を持たせてはいけない。

夕方になって、合宿から帰ってきた息子を学校まで向かいに行き、おいしいものが食べたいというので買い物に行った。ヤオコーで半額セールの魚をしこたま買って帰ってきた。友達と会って、話し込んだりした。

夜は北京オリンピックを見ていたが、日本が負けると悔しく見ていられない。だから、見るのを辞めて、サピオにトレーニングに行った。谷は残念ながら金メダルは取れなかった。あんなに緊張している谷の顔を始めてみた。ママで金が出来なかったのは、くれぐれも残念だが、20年もすごいストレスの中で生きてきた精神力には脱帽だ。偉いとしかいえない。
8日(金)
75600カウント
今日は、朝家事のあと、娘をキャンプ場へ連れて行った。近くの教会へ韓国人さんが来ていて皆でキャンプをしていたのだが、お昼のバーベキューに誘われたので連れて行った。私は知り合いがいて、少し話し込んだ。その後、図書館へ。図書館は、車で行くと本当に不便で、駅前をぐるっと回らないと図書館に入れない。市民からは、自転車置き場が遠くなったと苦情はあるし・・・・仕方がないけれど、もう少し便利にならないものか。また、戦争関係の本を借りこんだ。なぜ、日本は負けたのかをしっかり知る必要がある。なぜ、まけるような戦争をしたのかを分からなければ、また同じ過ちをするかもしれない。

平和が良いに決まっている。そのためには、戦争をしない方法をよくよく考えておかなければいけない。戦争は悲惨だからしてはいけないに決まっているが、戦争を回避する方法もきちんと学ばなければいけないし、なぜこの前の対戦で回避しなかったのか、できなかったのかをきちんと整理すべきである。さもなければ、あの戦争は仕方が無かったのだなんていう馬鹿が出てくるからである。あまたの誤りの結果が戦争になったのだから、其の誤りを糸をほどくようにして、見出さなかったらいけないのだ。それをしている人人も多いから、其の考察から学ぶ。

多くの国民はばかばかしい戦争に巻き込まれ、国防と言う言葉によって死ななければならなかった。父の同僚のようにサイパンやグアムやラバールで死んだ兵士が何で国防のために死んだと言えるか。侵略のための戦争に巻き込まれただけだ。人間の命をあたかも木屑のように捨て去った旧軍の責任者の過ちを糾すべきは後輩の責任である。なあなあにすべき事ではないのである。其の責任の所在が、長州閥などによって引き起こされているのを見ると、私の長州人嫌いがむくむくと起きてしまうのである。何しろ、私は長岡の生まれだから、どこかで旧軍を支配した、特に陸軍を支配した(最後は海軍すら支配したが)長州人脈に嫌悪感がある。勝海舟もそう言っているしね。(そもそも西郷隆盛を殺した長州人は誰だ。伊藤博文か)知りたい人は、勝海舟の書いた本をお読みください。

役所によって、あることを調べ、県庁に電話をいれ、課長と話をして帰ってきた。かなり大事である事は間違いない。夕食後はサピオへ。オリンピック開会だ。4年間は早い。アテネはついこの前のように感じるのに。
7日(木) 今日は、朝からファイルつくりに励んだ。今までは、引き出しに入れておけばスタッフが整理しておいてくれたのに、自分で整理をしなければならない。これが溜まると困ったもので、私はもう分類する気力がなくなってしまった。すべているのといらないのに分けて、いるのはもう全部をつづってしまった。必要なのは、それを見ればよいという事。つづる必要もあるのかと思いながらも、頑張りました。其のうちに、レポートの参考資料も見つかったので、明日からこそ、レポート書きができるというものである。

なんと、家事とファイルに午後までかかり、そのご、役所へ。役所であれこれ話しをした後、サティーで買い物をして帰ってきた。

今日はサピオに行かないつもりなので、夕食もゆっくり。それにしてもオリンピックが始まっていて、サッカーの試合で日本がアメリカに負けたのは悔しい事だ。夫が仕事で遅かったので、悔しい顔を見させなくてまあよかった。悔しそうにするのが、悔しい。負けず嫌いの私です。夜は、昭和天皇、皇室人脈という本を2冊読んだ。戦争に関してのことを2つの味方で天皇の動きから見るという感じの本だ。日本は天皇ををはじめ、リーダーが優秀でなかったという事を改めて実感した。

数ヶ月前、議会で情報公開の請求があったのを、蹴った。それに対して、苦情があがり、審査会が議会に公開するようにと答申した。それに議会は従った。本当はこんな事は恥ずかしい事である。答申がこうなるとは思わなかったのだろうか。すべての議員に明らかにされている内容を確認するためにテープを出すようにという請求なのだから、出せばよかったのに。審査会の答申でやっとテープを出す事になるというのは、議会が自分で決めた条例を理解していなかった事という風に取られても仕方がない。あの時に、どのくらい審議をしたか。私もしつこいくらい聞いた覚えがある。それを思い出せば、請求却下なんかするべきでなかったのだ。

わたしは、何も言える立場でなかったが、変だなと思っていた。この度は、議会の見識が否定されたのだ。今後、今回のように議会の決定が全否定されるような答申になるなんて事があってはならない。条例に通じている議会事務局長はこんな時に議長にきちんと条例にそった内容を具申すべきだ。議長に対してでも、このような事は条例では許されない事ですと諭すべき立場なのだ。局長には、しっかりしてもらわなければならない。さっきも言ったように、議会は常識的な動きをしなければ、其の決定に対して市民からの賛同が得られない。議会総体の意思決定が市民によって馬鹿にされるような事があっては決してならないのだ。だからこそ、今回の事を肝に銘じなかったらいけない。同じ事が2度と会ってはいけないのだと、議長初め議会事務局ならびに議員各人が知っておくべき重大な事案なのである。

ここで蛇足かもしれないけれど言うが、情報公開した議員についてあれこれ言うのではなく、自らの態度を反省する必要を私はいっているのである。
6日(水) 今日は朝からまたまたフェミ議のアファの校正に励んだ。電話、メール、ファックスとやり取りが続き、午後に校了とした。間違いが無いと良いけれど。家事を子どもに手伝わせながら、しているが、自分の仕事が進まない。ようやく、気持ち的に落ち着き始めたので、明日からは頑張ろうと思う。

夕方、役所によってから帰ってきた。下の息子が湯沢にアメフトの合宿に行ったので、うちが静かである。今日は、25周年目の結婚記念日。原爆の日。昨年行ったヒロシマを思い出していた。平和記念公園ってもっと大きいかと思ったら案外小さかった。原爆の廃止は当たり前の事だ。このような爆弾を使用してはいけない。それなのに、劣化ウラン弾を使い子どもたちに白血病や癌を起こさせているアメリカに抗議したい。クラスター爆弾の禁止は国際条約が出来たが、劣化ウラン弾については何も聞かない。わたしたちNPOがしっかりしなえ蹴ればいけないのだろうが、元気が出ない。元気な人の声を支える側になるのを心がけよう。

とにかく、銀婚式だったので、今日は特別な日にしようという気はあったのだが、残り物も多いので、結局残り物で夕食。それに、どうも体が鈍っていて仕事の集中力も落ちているので、サピオに行きたくなった。夫は7時過ぎに帰ってきた。大きなバラの花束を抱えて帰ってきた。久しぶりにもらうバラの花束を心から嬉しく思った。2人で記念撮影をした後、すぐラップを取って活けた。いろんなことがあったような結婚生活だけれど、いつも愛していた。ジムさんに感謝している。私はジムさんの支えが無かったならば、生きてこれなかった。いつも何があってもジムさんは私の味方だった。ありがとう。

私もジムさんの支えにならなければと思う。仕事が大変なんだといっている。でも、私は何もしてあげられない。せめて、ジムの好きなおいしそうな食べ物を作ってやるぐらいのものだ。それと、「愛している」という言葉を言うだけだ。ジムがしていてくれるように、何かがあったらとことん彼のそばを離れまいと思う。寄り添っていようと思う。いつも言っていることだが、一番は神様(イエス様)、2番はジムさん、3番は子供達である。ジムさんのためには命をかける思いを忘れないつもりである。「愛している」
5日(火) 今日は朝からフェミ議のアファの校正をしていた。昨晩も遅くまで、印刷所というかデザイナーの方と打ち合わせをしていた。校了近くなると忙しいことこの上ない。仕方がありませんね。HPの更新がうまく行っていないようだ。23日から更新されていない。原稿は書いているからどこかでサイトの転送間違いがあるらしい。夫にいわなきゃ。

夕方、3時過ぎに息子がグラウンドまで迎えに来てほしいなどというが、雨が酷くて出て行けなかった。それで、その後、出かけ其の足で図書館に。予約していた本が入ったようなのである。図書館で本を借りた後に、サティーへ。買い物をして帰ってきて、夕ご飯を食べさせた後、サピオへ。

帰ってきたら、夜に電話が次々と掛かってきた。どれもこれも深刻な話。ここには書けないけれど。
4日(月) 今日は、朝家事に励んだ後、仕事。メールの返信にも時間が掛かった。1時には就労支援センターに出かけた。ショックな事に、この日にカウンセラーがいなかった。そして、スケジュールを見せてもらったら、1日に行く事になっていた。しかし、私達は4日の予約していた。なぜかというと、娘が2日までキャンプに板からである。スケジュール表に教師は自分で書くという事で、私のスケジュール表には4日と書き込んでいたのだ。こんな風に間違えられたら、本当の就職活動の時にはどうなるなるだろう。面接の日と時間とを間違ったら、就職なんかあるはずないのだ。だから、養護学校の先生には不信感を覚えるというのだ。

とりあえず、みのり福祉法人さんのご好意により、必要な書類を書き入れた。ほっとした。

そのご、役所へ。いろいろ話しをして帰ってきた。暑いのに一番元気そうなのは、あの痩せたIさんだった。やはり、デブ系は駄目のようなので、私ももう一息痩せるべきなのだが、Iさんまで絞るのは不可能ではないかと思う。市長の健康がよいという話を聞いてよかったと思った。皆夏ばてしているようだけれど、昨日の七夕で元気をもらった感じだ。
3日(日) 今日は午前中礼拝。の2週間礼拝をお休み(勉強会、新潟)で、久しぶりの礼拝。聖餐式もあり、8月はこれで教会はお休みになる。先生も毎週毎週説教を書くのも大変だ。少しお休みして、秋からまた素晴らしい説教をお願いしたい。夏の間は、他の教会に顔出しをしようと思っている。

帰りに、伯父の所に本を届けに行った。88歳の伯父は体の調子が悪いらしく、人工透析を始めるといっていた。2,3週間の入院のようである。あ〜〜あ。仕方がないのか。本を持っていったら喜んでいた。それから、おばさんにインターネットで本を買うのを教えてあげた。古本だから1冊4,5百円で買える。4冊ほど買った。これだけあれば、おじさんも病院で退屈しないだろうと思う。私が本が好きなのは、母の系統によるのだろうと思う。伯父も母の兄である。

教会の帰り道にブックオフが出来たので寄ってみた。結局尾崎の曲をAlexei Sultanov を編曲して演奏しているJEWELというCDを買ってきた。尾崎のものをどうしても探してしまい、金額が手ごろだとどうしてもかってしまう。そのまま、サピオへ。パステルで食事をしたのち、トレーニング。

帰ってきたら、もう6時近かった。急いでご飯を作って食べた。今日は七夕祭りの最終日だから、一度は入間川に行かなければ。自転車で一生懸命いったのだが、阿波踊りは最後の連だった。でも、それを夫を見、本部に顔出しをし、西中の出店に行ったのに、終わってしまって残念だった。でも、今日は素晴らしいお天気だったから(昨年は土砂降りだった)、吹流しもかざりもきれいで嬉しかった。こんなにいるのかというほど、若者がいて、夜店も流行っていて、人を見に行くようだったが、それが嬉しい。

狭山市はイベント作りが下手だ。七夕祭りもどうしても入間川のお祭りでしかないようだ。水富地区ではお祭りの浮かれた気持ちなんか全然湧いていない。市全体で楽しめるような事があってもよいのにと思うが、このように「ない」というのも狭山市のひとつの風習なのかもしれないと思う。

デモさ、私が子どもの時、長岡のお祭りが心待ちだった。神社も何も関係なかった。きっと、戦災の記憶がみなの中にあったからかもしれないが、信濃川の灯篭流し、それと鎮魂も兼ねた花火大会(どうして花火を打ち上げると鎮魂になるか分からないけど)、近在からおじちゃんが来たり、従姉が遊びにきたりして、スイカを食べたり、桃を食べたり、珍しく刺身を母が取ってくれたり、ジュースだってこんな時にしかかってもらえなかったし、一大イベントで楽しかった。うちの子供たちにはこんな経験をさせる事が出来なかった。子供達の楽しいブラクソン家のイベントはなにだっただろう。アメリカ旅行だったのだろうか。

夫が急いで帰ったので、不思議に思っていたら、10時から篤姫がBSであったのだった。家定がなくなって、後の人生を篤姫はやもめとして何十年も暮らしていくのかと思うと可哀想だなと思う。この前まで、きれいな着物を見るのが楽しみだったのに、灰色やにび色の着物ばかり。不自由な江戸時代の女に同情するだけでなく、自由な時代には、自由に生きなければならないと強く思った。自由を大切に生きる事は、私達の使命だろう。それは女性だけに限らず、身分制度がなくなって以来の庶民が、許された自由を存分に謳歌するのは、きっとわがままなことでなく、幸せな事として感謝しながら十分楽しむべき事だろうと思う。

最近、歌舞伎を見に行かなくなった。美しい事はうつくしいのだが、あまりに内容が封建的過ぎてもう私にはついていけない。ばかばかしい思いが先にたつと、美しいと思っていたことすら美しく思えなくなった。
2日(土) 今日は、朝9時ごろまで寝ていた。だって、昨晩というか、今朝というか3時に別荘についたのだ。何がなくとも涼しい別荘では、とても眠りやすい。10時過ぎに松原湖に娘を迎えに行き、知っている宣教師と話し込んだりした。お昼は高原のパン屋でサンドウィッチをかって、コーヒーと一緒に食べた。松原湖の帰りは大抵ここによってパンを買い込んでくるのが、ブラクソン家の習慣のようなもの。今回は隣の野菜直販売所によってズキーニなどの野菜を買って帰ってきた。

午後は、夫が草刈をしている間、私は横になって本を読み、夫が休んでいる間私が草刈をした。5月の連休から別荘に行けなかったので、草はぼうぼうに生えていた。なんだか、其の草すら愛おしく感じたりする。5時にはでて、狭山で花火を見ようと思っていたが、結局出たのは6時過ぎ、途中でいつもの蕎麦屋によったが、もう遅くて閉店していた。結局嵐山で食事をして帰ってきた。帰ってきたら花火は勿論終わっていて残念だった。
1日(金) 今日は朝から息子に弁当を作ってやって、講習と部活に出した後、家事に励んだ。する仕事はたくさんあるが、家事を始めると気持ちが仕事に向かわなくなってしまう。勿論、家事は際限なくある。

夕方、食事を作っていたら、夫から電話があり、迎えにこいとのこと、其のうち息子からも迎えのお願いの電話。結局夕食が8時過ぎからになってしまった。9時になってようやくサピオに出かけ、トレーニングを1時間。帰ってきて、シャワーをしたのち、コンピューターを開き、メールに返事を描いていたら、1時近くになった。

明日は娘を松原湖まで、10時ごろまでに迎えに行かなければならないので、遅いけれど夫と別荘へ出かける事にした。夫は忙しく、また私も自分の仕事があったりして、一緒にいる時間がどんどん無くなって行く。意識して夫との時間を作るようにしている。

現在メール
があった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野、広島

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。
バックナンバーへ