私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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9月 私の独り事
30日(火) 今日は、朝次から次へと掛かってくる電話を処理をしているうちに11時。急いで役所へ。書類を出した後、大手町へ。今日は皇居の見学の下見をしてきた。皇居の中に入ったのは生まれて初めてだった。ホームページから予約できたから、予約そのものは楽だった。でも、団体としたら、大変だ。リストを出さなければならないのだけれど、それを出すのが1週間とかというのだ。どうしよう。

皇居の中は新鮮な驚きだった。ここで年賀をするお立ち台が出来るのかとか、2重橋の中から外を見るのとか・・・奉仕団の方々が草取りをしに来ていた。どんな方たちなのだろうか。白い割烹着を着ていたが、今時どこで白の割烹着なんかあつらえるのだろう。男性がいない100人ぐらいの白割烹着の集団を変な思いで見た。男性は他の奉仕団を作って何か皇居で奉仕するのだろうか。

宮内庁は700人ぐらいの規模だとか。大変だなあ。帰りに東御苑を散策した。本当に広いなあと思った。北京の故宮を思い出して、大きさから言えばほぼ変わりないかもしれないと思った。そうすると、日本は思い上がって中国と国力が対等だなんて思ったんだろうなあとなんとなく納得してきた。でも、日本の建物は本当に質素に見える。質素というかシンプルというか。あまり装飾が無い。とてもすっきりしているけれど、どことなく寂しい。華美を避けるという思いがあるのかもしれないが、華美も良いのにとどうしても私は思ってしまう。

謙虚も良いけれど、あまりにも余分なものが無くて綺麗過ぎて清潔すぎて息苦しい。松が綺麗に選定されていた。たくさん松が植わっていて日本らしく感じた。1本の松を綺麗に剪定しておくのだって大変なんだと聞いたことがある。あの静謐とまでいえる皇居の松の植木の数を見るとあの庭園に、さりげなく植えているある松に大金をかけているのは理解できる。それにしても、日本がお金をかけるのはごてごてとした飾りには無く、木の剪定などにさりげなくなんだ。奥ゆかしいというか、日本人らしいというか。家の父も片づけが大好きだもの。すっきりしているのが良いんだよね。

変なことを考えていたら、1時半からの皇居見学と東御苑の見学で4時になってしまった。ずっと歩いていて疲れてしまった。東御苑で大奥の跡をみたり、松の廊下の跡をみたり、篤姫の事を考えたりしていた。どうして、お城がすっかり火事で焼けたんだろう。誰かが、放火したのかなあ。残っていたらよかったのに。前の大戦では明治宮殿すら消失したし、もったいないと思う。日本は古い国なのだから、もっともっと歴史を大切にしても良いのにと思う。其の点、アメリカは新しい国だから古いものを大切にする。見習えばよい。
29日(月) 今日は朝から養護学校の臨時理事会があった。学校評価の親からの評価を聞きたいという事だった。あれこれ言った。初めて役員をしたので、いろいろな事が新鮮であった。良かった、役員をして。

昼食をとった後に、地区委員会をした。出席者は半分だったけれど、連絡事項もあり、開くべき時だった。

午後、息子を学校に迎えに行き、また、医者に連れて行ったりした。其のうちに、頭痛が酷くなって、食事は娘にカレーを作ってもらい寝る事にした。疲れが残っているのと、マッサージのためにはりかえしが来たのかもしれない。腰も痛いし、仕事は山積みなのに、手が付いていない。
28日(日) 今日も朝からアメフトの試合があるので、子どもを送っていき、自分達も用意をして出かけた。試合は負け。25対0。相手は徳春。残念でしたが相手に飲まれたというのが本音だろう。「名前に負けてどうする。相手も高校生だ。」と息子に言い聞かせていたが、「怖いなあ等」と言っていたので、これは問題だと思いながら出て行った。先生もどうも欲が出たようで、平常心を少し失っていた。何しろ、聖望とは練習量が違う学校だから、それに勝つには頭と正確なプレイしかないのだけれど、少しあわてていたみたいだった・・・

負けて疲れ果てて帰ってきた。でも、今回も学ぶところが多い試合だった。とにかく、親がサポートするには子どもなみの精神力が必要だという事だった。最後まで緊張して最後まであきらめずに子ども達の前で応援するのは気力がいる。今回も骨折した生徒がいて、怪我がないように祈りながら見ていた。じりじりする展開で私達も少しづつ何が行われているか理解しているだけに悔しかった。来週は3位決定戦である。次はもっと強いといわれている埼玉栄高校との試合である。緊張することなく、力を出してほしいが有力選手2人が骨折のために入院しているとあれば、戦力が下がっているので本当に心配。しんぱいというのは、怪我している子ども達のためにもっと頑張るから、受けるタックルも激しくなるという事なのである。怪我などないと良いけれど。

帰ってきてマッサージに行った。私は疲れ果てた。
27日(土) 今日は朝から忙しかった。晴天、青空の下、小学校の運動会が運動会が開かれたからである。始めは水富小学校へ、次は笹井小学校へ、最後は広瀬小学校に行った。水富小学校は元気なお上品な学校。笹井小は児童数は少なかったけれど保護者やおじいちゃんおばあちゃんがたくさん見に来ていて、地域の学校。広瀬小はやはり街内の小学校で、児童数も多いのでとても迫力があった。子供達を見ていると、小学校で大きな問題を感じることはなかった。問題があるとしたら、笹井小学校の児童数の減少振りだろう。大規模な開発も笹井地内にないので、今後の子どもの数が増大するわけはなさそうである。そぞろ、学校の統廃合なんてことが言われそうである。

午後は、昼食後道草バザーへ行った。もうほとんど終わりかけていたが、一応顔出し。かわいらしい手作りのブローチと古いイヤリングを買ってきた。知っている人がいたので、立ち話をした。ボランティアの数がどんどん減っているという事である。福祉ボランティアを増やすにはどうしたらよいか、他市を調べたりして考える時期が来ている。

帰ってきてから、美容院へ行った。毛染めをした。この前、娘と歩いていたら「おばあさん」と話しかけられてショックを感じたのだ。大きな声で「母です」と怒鳴り返した。きっと、白髪が多いので間違われたのだと思う。だから、今日とうとう白髪染めをしてきた。私も少しでも若く見せたくなったのさ。
26日(金) 今日は朝から洗濯をしたりしていたのだが、電話がかかってきた。例の生活保護の相談を受けた人だった。その人と一緒に役所に行った。出きれば、障害者手帳をとり少しでも援助ができるようにしたあげたかった。で、証明書を貰って医者に連れて行ったが、残念ながら身体障害者の3級の受給をけんもほろろに断られた。歩けるし、治療を修了しているわけでないというのが医者の言い分。もし、完治したいのならば入院するように言われたが、中3の息子一人を残して今入院できるわけも無かった。身体はうまく動かないし、子どもは受験生だし、とても入院した加療するという状況にはない。身体をだましだまし、生きていくしかないのだ。

今の状況を受け入れる事は、あきらめる事だ。なんだか何処もかしこも八方塞に思えた。私が彼女のために出来る事は少ない、奨学金の事は教えてあげた。でも、彼女は子どもに状況をきちんと説明する事ではないかと思った。彼女自体、子どもの将来へ夢を描くのは理解できるというものの、生活保護を受けている事実から目を背けても仕方がないと思った。息子を大学に、私立高校へと彼女の夢はあるのであろうが、現実にするのは大変難しいと思う。

「お金がすべてじゃないなんてなんて綺麗にはいえないわ」ってダンスホールで尾崎が歌っているが、本当にそうだなって思う。いまや、教育も仕事もお金で買うような気がしてならない。今こそ、学歴社会である。大卒と中卒の生涯賃金の格差は今まで以上に広がっているのではないかと思う。それにしても、母子家庭で生活保護を受けずに頑張っている人も多い。病気にもめげず、睡眠時間を削って子育てに励んでいる。そんな友達もいる。それを考えると、彼女の悩みは分かるが、なんだか我ままに感じられもする。

役所に行ったり、病院に行ったり、また役所に戻ったりとしているうちに3時になってしまった。帰ってきてから、また議会レポートを書いた。もう、本当に忙しい。まとまった時間がほしいのにちっともそんな時間が取れない。
25日 (木) 今日は朝からホームページなどを直していたが、お手伝いさんが10時を過ぎても来ないのでようやく今日が25日になったのに、気がついた。月末はお手伝いさんが来ない。それで洗濯やお皿洗いをしなければならない事に気がついた。お天気が良かれ悪しかれ洗濯物はやまほどあり、食器もシンクに一杯だ。ため息をつきながら家事をし始めた。

夕方、3時過ぎに萩山の神経精神センターに書類を作ってもらいに行った。どうしても、書類が見つからないので、出向いてもう一度作っていただくようにお願いするしか仕方が無かった。その後、新宿へ行き、フェミニスト議員連盟の世話人会に出かけた。9時ごろまで、新宿市役所で話し合った。報告事項も多い。一応、来号のアファーの原稿の振り分けを行った。メインページの原稿を他の人にお願いしなければならなくなった。大変だ。

その後、また大勝軒15夜でラーメンを食べて帰ろうと思い、新宿3丁目まで行ったのだが、8時には閉店だというので食事が出来なかった。其のうちに、大崎で仕事をしていた夫から電話が入った。西武新宿駅で待ち合わせて、スタバで食事を一緒にとってから、帰ってきた。スタバに入ったのは、何年か前にナイアガラの滝のホテルの前のスタバ以来だった。二人で窓の下の人の波を見ながら、自分達もすぐに其の流れの一粒になって帰っていくのが信じられない思いだった。子供達もそばにいない時間は不思議な夫婦の時間だ。いつか子供達は自立し、また2人ぼっちの時間を過ごすようになる。そして、それはきっとすぐにやってくるのだろうと思った。

かえってきたら、11時をとおに回っていた。
24日(水) 今日は、朝から教育委員会の点検評価の話しを聞いた。部長自らのお出ましであった。彼は有能な人だから、やることにはそつがない。今回いくつか指摘したから、きっとこの点は来年度の評価に生かされることを期待したい。ただ、教育関係の内容を数値目標で示すのは難しいだろうと思う。テストで現れる算数や国語のいわゆる「学力検査」といった指標があれば簡単だろうけれど、人権教育の効果、有効性、効率性などを数値目標化するのは、非常に困難だろう。数値目標としていえるのは、人権教育学級に何人来たのでそれを目標化して90%のアテンドで5をつけるとかといえば、分かりやすいかもしれない。評価の基準を数値化できない限り、評価が主観的であると言われても仕方がないだろう。

狭山市の評価は、概ね5と4だった。すなわち、必要な事業を有効的に、効率的に行っているという評価である。まあ、重点施策を取り上げたのだから、それが必要でなかったら取り上げるなといわれるだろうし、それを有効に効率的にしていなかったら、何をしているという事になるのだから、自分の評価で3以上をつけるに決まっているのである。もしつけない(武道館運営がそうだったが)で2なんかをつけるのは、自分達で変えようと考えていた事業だろう。そんなことが見えてくる教育委員会の評価だった。

日高市のをチラッと見せてもらったら、施設修繕事業の費用対効果がナント3段階評価で1。驚いた。例えば雨漏りや戸の開け閉めに不都合があったりすると修繕するのだが、其の費用に見合わない効果とは、雨漏りが止まない、戸の開け閉めが修繕してもうまく行かないという事だろうと私は想像する。要するにお金をかけても効果はなかったということだ。普通、行政マンは効果がないところにお金をかけないし、効果を出すようにお金を支出するはずなんだけれどね。まあ、きっと学校がおんぼろすぎて修理よりも建て返した方がよいという事なんだろうか。それにしても、率直な評価が新鮮だった。狭山市では日高市の評価のような絶対議員に突っ込まれるような評価は、部長が松本さんである限り作らないと思うけどね。

参事で課長の仲川さんにレクチャーをしていただいた。本当に、話しをしながら聞いていて、なんとなく意味が分かりかけた。評価とは今までかいたような意味をもつのであり、時間をかけて少しもったいないと思った。今まで、教育委員会(行政全体では評価しつつあるけれど)で評価をするという習慣が少なかった面もあるので、してもよいとは思うけれど、結局5と4のオンパレードにしかならない感じはするね。そして、事業は現状維持。勿論、人権教育にしろ、国際交流教育にしろ、たとえ評価は難しくとも、行わなければならない事業がある事は承知しておかなければならない。

午後、ある人から内部告発に関して話を聞き、2時過ぎに役所を出た。買い物もせずにまっすぐ帰ってきたが、ちっとも原稿が進まない。それどころか、2通書類が見つからず、ずっと探していたが、見つからない。こんな時には、夜は仕事をと思っても手に付かないで、探し回っている。でも、見つからない。どこにしまいこんだのだろうか。
23日(火) 今日は、朝から原稿を書こうと焦っていたのだが、何しろ天気が良くて、布団を干したくなったり、洗濯を次々にしたくなったりで、あっという間に午後1時を過ぎてしまっていた。では、原稿へというのが出来ない私。夫は休日出勤。勿論、何の報酬も出ません。中間管理職の可哀想なところ。責任感が一杯。私だって管理職でないけれど、いつも仕事に追われている感じがする。お互いの仕事を何もしてあげられないし、したくもないし、大変だとため息だけをついている。

私は、少し横になってしばらくの間本などを読もうとしたが、結局ホームページをいじり始めた。このコンピューターが曲者で、始めると時間の感覚がなくなってしまい、あっという間に夕食を作る時間になってしまった。

夕食時に驚いたのが、冷凍庫の中が空っぽだった事。お肉を買って入れてあるはずだったのに、ない。何しろ、3パックを今晩使いきった。1キロぐらいお肉を使わないと、息子達は食べた気がしないらしく、「お母さん、何か食べるものない?」という。鮭が一切れなんて私には十分でも、息子達には箸置きぐらいだ。夕食後、仕方がないので夫と二人カルフールへ買い物へ。結局、2万円以上の買い物となった。お肉だけでも牛、豚、鳥の10パックぐらい買ったし、パンも5種類ほど。まとめ買いだから大量になるが、それだって1週間もつわけなく途中でヤオコーに行く。帰ってきたら、10時だった。
22日(月) 今日は、朝10時から養護学校の理事会へ。お昼に帰ってきて、食事後、1時過ぎに友達の相談へ。帰ってきてから、役所へ。あれこれ、していたら、結局六時半ごろ役所を出た。

生活保護の相談を受け、その人が役所の人が怖くて聞きにいけないというので役所に出向いたが、あれでは怖いだろうなと思う場面に出くわした。もう少し、女性のソーシャルワーカーがいるほうが良いと思った。男の人は普通に話していても、怖いなあ。特に、男性2人が一人の女性と話しているのを見て、何の喧嘩だろうと思ってしまった。実は説明をしているだけだったんだけれどね。カウンターに女性をお願いします。福祉課の生保担当に女性は1人だけとは・・・・友達もソーシャルワーカーが女性だったら話しやすいのにと言っていました。其の通りかな。

生活保護を受けるというのは、大変な事なんだけれど、生活保護受けている人にはそれがよく分かっていないようで、なぜ、生活保護を受けると一般の人並みの事が出来ないの?っていう感じだ。其の考えも分かる。高校に行く時に、滑り止めに私立の高校を受けさせても、学費などが続かなくなる事がある。だって、授業料は県立分しか出ないからである。確かに私立の学校は金が掛かる。お兄ちゃんは県立だったし、末の息子は私立だが、倍ぐらいお金が掛かる。(それでも聖望は外国に修学旅行に行かない地味な学校なのに。)生活保護を受けて私立に通わせるのは贅沢というものだ、そういう考えも分からないわけでない。実際、私立は県立より贅沢である事には間違いないもの。

生活保護の人が、税金で暮らしながら、税金を払っている人以上のことをしていいのかという議論が出てくる。子どもには少しでもましな暮らしをさせたいというときには、学歴が必要になってくる。中卒では本当にまともに仕事がないのが実情だもの、県立を落ちたらどうしようというのも、分かる事である。経済上のことで学校を一ランク落とし、大学も先が見えないんじゃ、離婚した夫以下の生活しか息子にさせてやれないと思うと生活は出来ても母親として悲しくなってしまうだろう。分かるよ、それはね。でも、それが生活保護を受けるという事なんだろう。だから、生活保護を受けないような生活を目指して頑張って生きているんだろうと思う。生活費の保証があるというのは、「幸せな事なんですよ」と主幹が言っていたが、実際ボーダーにいる人はそれはそれは大変な暮らしであるから、それを思えば、家賃も病気の手当ても生活費も出るのを感謝すべきだろう。

それを逆手にとって、税金を盗んでいるような輩がいるから、福祉事務所も厳しくなる。税金で暮らすのが平気な人もいる。窓口にいたら、アルコールのにおいがぷんぷんした若い女性が来た。病気関係の事のようだった。それにしてもなぜ彼女が生活保護を貰っているのか、理解できない。表面では見えない部分があるとは思うけれど、なんだかため息が出てしまった。
21日(日) 今日は朝からあわだたしかった。9時には西中の体育祭があり、10時半近くまでグランドにいてみていた。女子の団体ダンスを見て、しっかり踊っている子どもに目を奪われた。勿論一部の生徒だけれどね。才能が見え始めている。

その後、あわてて家に戻り、アメフトの試合の応援に出かけた。今日は涼しくて、後から雨が降るという予想だから、雨具を用意して、父母会長の車に乗瀬手貰って、新座の立教高校へ。埼玉県では徳春と立教しかアメフトのまともなグランドを持っていない。聖望もグランド1面は取れるが、残念ながら、大会をするにはアップする場所も必要で、そんなに広くない双柳グランドでは大会は開けない。其の上、駅からは遠いし、車を入れるところもないし・・・・不可能なのである。というわけで、いつもよそのグランドで試合になる。ひとつ付け加えれば、聖望はそれほど強くないというのが、胸を晴れないところでもある。

しかし、試合は分からない。強いといわれていた川越東高校との対戦だったが、結局34対13で勝った。始めのタッチダウンをこちらが取ったらもう後は一気呵成に押せ押せムードだった。シーソーにならず、焦る事すら一度も無く、スムーズに勝った。向こうは、きっとあれあれッと思う間に点数が取られ、ちっともゲームをさせてもらえないで負けたという感じだろう。勝つときとはこんなものなのである。まあ、親も負けるなんて事はちっとも考えないで、子どもに昨晩はカツ丼を食べさせ、今日の朝はカツ弁当を食べさせた。子どもはいつものように出かけた。親だって勝つことしか考えていないんだから、子どもも気持ちは川越東に一歩も引いていなかった。迷いのないこの心境が勝ちにつながったのだろうと思う。戦う前に勝つだろうか負けるだろうか等と思っていては、負けるのだ。虚心坦懐、「勝つ」でいいのだ。

いつものように精神論を子どもに叩き込み、そして、うざったいと煙たがられたが、其の中で本当に素直な選手がいて、彼は大物になるだろうと思った。運動能力もあるから、かれの曇りのない闘争心がすごいと思う。良いなあ。部長の彼の目の鋭さもいい。この部活にはこんな一角の選手が育っていたのかと、監督に感謝の思いで一杯だ。家の息子も他の選手を見習って、本当に大事な事を学んでほしい。

帰りに父母会の会長と帰ってきながら、子供達の素晴らしい経験について話した。勝利を同じように喜び、負けた悔しさを同じように経験するこんな時を持てて子供達は幸せだという事である。スポーツをしているからこそ持てる、一体感や充実感。それは確かに長くて辛い練習に裏打ちされているのだ。楽しさだけでなく、喧嘩もあるし、辞めていく同級生と止められなかった時の寂しさもあるし、本人だって自分の能力の無さに悔しい思いも何べんもしていると思うけれど、それもこれも、通り過ぎてきたものには、素晴らしい思い出であり、貴重な宝石のように大切な経験である。いつか、きっとうちの子供にも分かる時が来るだろうと思う。

夜、疲れきった。それでも、夕食を作らなければならなかった。有り合わせを食べた。
20日(土) 今日は、朝聖望学園の学年委員会。その後、帰ってきて昼食。養護学校から電話。昨日、娘が下級生に首を絞められた件について。もう、サルとしか言いようのない生徒がいて、家の娘は学校に行くのを怖がっている。廊下を歩くのにも注意が必要なのである。先生はこれから娘を守りますからという。娘の首筋は赤くなっていて、絞められたあとが少し残っている。私は、相手のほうを拘束していてほしいと願うけれど、それが出来ないのだそうだ。拘束ができないならば、絶対彼から目を話さないでほしいと願う。

午後は、飯能市民会館で米良義一氏の講演会。短くて真意が伝わらなかった。少し宗教掛かっていたが、キリスト教とは違うものだった。最後は「よいとまけの歌」だったが、私はアベマリアの方が嬉しかったし、バッハのカンタータを歌ってほしかった。そんな、講演会だったら良かったのに。イエス様が出てこないで、神の愛が語れないはずだろう。彼がクリスチャンでないから、仕方がないけれど。

其の後に、夫と喫茶店でコーヒーを飲んで帰ってきた。
19日(金) 今日は、議会の最終日だった。議会は午前中に終わり、午後は全員協議会だった。其の前に私は議長に申し入れに行った。全員協議会にいくつかの議案があった。ひとつは教育委員会からの評価であり、もうひとつは財務評価であった。私達に午後に資料が配布され、その場で質疑応答しろというのだ。はっきり言って、私のように(いや私だけでないだろう)評価を見たこともない人間にどうして、資料を見たとたんにその意味が分かり、それに意見を言えるのだろう。議会への報告というのを儀式としてするのであるならば、それで良いだろう。そして、其の資料が単に見せるもので、分析するものでないのであれば全く意味がない。

私は、資料を1週間前にでも配布してくれれば勉強して意見も用意しておいた。今まで、資料に対して意見や質疑が出来る場面を、真面目に取り組まないで過ごす事はなかった。議長はいろいろ言っていたが議会としては、全協で見るほどにしていて、後は決算委員会で係わるところをするという事だった。そして、分からないところは個人として勉強し、意見を言うというのだった。私には、議長の言う意味が理解できない。個人として意見を言うのは、ある意味簡単だ。しかし、議会の中の全員の中できちんと意見を言うのと、個人がものを言うのは全然意味が違うと思う。あんな言葉の意味すら理解するのに時間が掛かるというのに、べらべら説明文を読み上げられて、誰が理解できたというのか。

勿論、何時間勉強しても理解できないほどのものとしても、議会として何のコメントもしないで承認するしかないとは思えない。こんな感じでいては、自ら議会の権威を貶めるような気がしてならない。何のために法律が改正され、さまざまの評価を議会に示す事になったのか、其の点をもっと真剣に捕らえるべきではなかったか。今年は、終わった。来年度はこんな遣り方ではいけない。

勿論、全協が終わった後、財政課長に控え室まで来てもらい、勉強会をした。財務諸表に関しては、狭山市の健全財政が明らかにされただけだが、あまりにもそれらの数字を出す式が複雑で、其の上、其の式で実際の意味をきちんと反映されるのかが疑問に思われる。数字のマジックにトリックにだまされてしまうだろう。こんな数字に踊らされる事なく、決算書をしっかり読み、狭山市の財政状態をきちんと把握した方がいい。現実を角から角まで知っていれば、こんな数字を見ることなく、狭山市の財政は健全で、今後日本が不況に陥ル際にたくさん出される補助金を有効に利用する事を考えるのがクレバーな財政運営だろうと思う。

教育関係は24日に勉強会をする。実際、こんな勉強会を全協の後にすることに意味を感じない。まるで自分の知識のためにする気がするのだ。そうでなくて、市民のためにするのであれば、やはり議会という場でケーブルテレビをいれ、また議会だよりにきちんと掲載する事が大切だと思う。
18日(木) 今日は、朝に養護学校に呼ばれていて、娘の就職の事を話し合った。私の思いを理解してもらえたかどうか分からないけれど、一生懸命自分の思いを先生方にお話しした。娘は障害者だけれど、常に健常者の監視というか保護のしたで生きなければならないとしたら、それがヒエラルキーとして一生固定された環境に彼女がいなければならないとしたら、まるで娘を、親切であるかもしれないけれど“優しさという偽善の檻”の中に閉じ込めるような気がしたのだ。本当に、それがなぜ偽善だというかというと、なぜ偽善に感じたかというと、あのユニホームで健常者の指導の下、プラットホームを人に見られて仕事に行く、この会社は障害者も雇っているんですよと言わんばかりに。これに私は嫌気がさしてしまった・・・・

とにかく、いくつか仕事に結びつかなくても実習をさせていただくようにお願いした。出きれば介護施設で老人介護のお手伝いでもできればいいのだけれど、仕事になれば尚いいのだけれど。

午後は、議会レポートの原稿を書き始めた。1枚目を書き上げ、4面を書かなければならない。この調子で頑張れば、来週には印刷できるかも。問題は校正なのだけれど、誰に頼めばよいやら。

夕食を作ってから、役所へ。役所では友好で上海・杭州に行くので、顔合わせである。私も2年前に北京・杭州に行った。とても良い旅だったので、また今度もご一緒します。
17日(水) 今日は、朝から仕事をしていたが、12時前は家をでて1時に友達と新宿御苑で待ち合わせた。大勝軒のラーメンを食べに行った。尾崎の幼友達のラーメン屋さんに行ったのだ。ずっと行きたいと思っていたけれど、一人ではとても行けなかったから友達を誘って行った。一緒に行ける人がいてよかった。つけラーメンだけれど、煮干の味がおいしかった。ところで、こんなところまで出かけるまで、自分の中でなぜこんなに尾崎に惹かれるのか理解できないところがある。尾崎の何が私の琴線に触れるのか。真面目さか。弱さすらさらけ出して生きている正直さだろうか。人間らしさ。詩の美しさ。洞察力。

午後は中野のブロードウエイに行き、尾崎のcdと本を買った。友達と情報を交換した。尾崎の話と自分達の話をした。なぜ、いい年のおばさんがこんなに尾崎の歌で癒されるのかと思うのだ。通り過ぎていっても、通り過ぎた歌が多いのに、なぜ尾崎に私達は嵌まったのか。答えは勿論でないけれど、もう尾崎から遠ざかることなく生きるのだろう。生きるって死ぬための過程にあるという事だが、生きる事は悲しさのうえにあるというのだろうか、寂しさの上にあるというのだろうか。そんな生きることにのた打ち回っていた尾崎と自分達は同じ地平でのたうちまわっているというか・・・・

帰ってきて夕食を作り、Hpを整理しながら、尾崎の追悼番組をニコニコ画像で聞いた。今日は全く尾崎一色の日だった。本当に私にとってはお休みの日だった。毎日が追われているような日々だが、今日のような自分のためにだけ時間を使った日があったのをとても嬉しく思う。今日の贅沢な一日を感謝する。
16日(火) 今日は朝からHPを書いたり、整理したりしていた。毎日忙しくて、今月初めてお手伝いさんに会った。片付けもいろいろあった。手紙の整理もあり、1週間分の手紙を見た。ほとんどが請求書や領収書だった。

午後遅くなって大和の湯へ。無料券を貰った。この前貰った時は時間が無くていけなかったので、今回は是非行ってみたかったのだ。1時間ほどゆっくりお風呂に浸かっていたのだが、贅沢の極みに思った。ぼ〜〜とした。その後、見狩場のヤオコーで買い物をして帰ってきた。いつもの店ではないので目新しいものもあり、少し買い物をしただけだったが、結局4千円。

夜は、夕食後 散歩に行った。1時間ぐらい歩いた。サピオが点検のために休みなのでジムにいけず、体が鈍ってしまった。せっかくお風呂に入ったのにまたまたシャワーに入ることになった。

リーマンブラザーズの倒産は世界にどんな影響を及ぼすか心配である。私は株を一切しないし直接影響はないが、私のがん保険はアフラックでAIGへの影響があるとか言われているのでどうなるか・・・山一の経験があるので日本は割りと冷静に見ているが、4000億円という負債を日本の企業は背負うようだ。景気が今一なのに、今後はどんな風になっていくのだろうか。
15日(月) 今日は朝からのんびりムード。というか、昨日一日中日に当たっていたので、疲れが溜まっていて、動き回れる状態ではなかったというのが本音である。それでも、私は家事もあり、洗濯物は溜まっていて午前中は休む暇なく過ごした。息子は、10時半ごろおきて、朝食を食べた後に昨日骨折した友達が結局入間市に入院したのでお見舞いに出かけた。後で聞くと、足の骨の太いほうと細いほうの2本ともがぽっきり折れているので、手術が必要となるようである。大変だ。

午後お昼を食べた後、荷物を作り、図書館に行き、お茶屋でお茶を買い、ヤオコーで買い物をして帰ってきた。とにかくグ沢山の豚汁を作り、野菜をたくさん息子に食べさせる事にした。夫は焼肉が食べたいというので、少し奮発してお肉を買って来た。

夜、夫と二人レイトナイトショーで「20世紀少年」を見てきた。一度見ただけでは何がなんだか分からないけれど、第一部は見終えたので1月以降に2部を見に行くことにする。血がたくさん出て怖いけれど、怖い所は夫の手を握り、画面を見ないで過ごした。この手の映画を私が見るというのは珍しいのだが、このごろ映画は娯楽であってほしくて、荒唐無稽な内容のものを選んで行く。付き合う夫は大変だと思う。特に今回はあまり面白くなかったようである。どうしてスターオーズが好きな夫なのに、この映画を楽しめなかったのか分からない。私もこの映画を楽しんだのかどうかよく分からないのだが、続編が見たくなったのだから面白かったのかな。
14日(日) 今日は、朝こどもを六時半過ぎに出して(勿論弁当を作った)、私達は7時半過ぎに双柳のグランドへ。父母会長の車で加須市の徳春まで行った。アメリカンフットボールの試合のできるグランドは、徳春と立教新座ぐらいしかなく、遠いけれど仕方がない。私達は、9時半過ぎにグランドに行った。前の試合の最中だったが、アメフト部はオーミングアップをしていた。曇りのち雨の天気予報だったのに、ギンギンに晴れて暑いの何のって、真夏並みの暑さで、氷がなくなってしまった。

試合は42対0で聖望の圧勝だった。この何日か、うちの息子はプレシャーで苦しいといっていたし、負けたくない、絶対勝つんだとすごく緊張していた。まあ、相手も負けたくなかったんだと思うが、この前1回戦負けしていただけに聖望は勝ちたい気持ちはとても強くて、よく体が動くなあと思うほどの気迫だった。この時点で勝負は付いていたのかもしれない。

それにしても暑さの中で、息子をはじめ、次々に選手が痙攣を起こし、足が攣った、肩が攣った、腕が攣った、背中まで攣ったとのた打ち回っていた。私達親は水を飲ませたり、マッサージをしたり、酸素を吸入させたりと忙しかった。何しろ少ない部員が結局総出でゲームをするような状態に陥ってしまっていた。最後には1人の選手が骨折して救急車で運ばれてしまった。父母会の親が一緒に救急車に乗って病院まで行った。聖望の子供達はなかなか練習の時間が取れない。最近は遅くまで筋トレをしたといっているが、それでも時間として有酸素運動が足りないのかもしれない。

帰ってきてしばらくして、息子が帰ってきた。全身痙攣状態になって、バスに乗れずに父母会長の車で送ってもらったという事である。私は頭を抱えた。とにかく、総合ビタミン・ミネラルを飲ませる事にする。彼は偏食だから体がアンバランスに違いない。また、牛乳をもっと飲ませなければならないと思った。牛乳は嫌いだとか行っているが、背に腹は変えられない。とにかく、走り込みをして身体に酸素が回るようにしたらと進めた。痙攣も足などでは構わないが、心筋梗塞などになったら大変だ。
13日(土) 今日は、朝から聖望学園のバザーの準備に出かけた。朝10時から終わったのが3時過ぎで、腰が曲がってしまった。それに、バザーの主のような私だから、根付けがあまりにも安くて、お金にならないのが腹立たしい。一部の値段は変えたが、全体に去年に比べ安すぎると思った。まあ、仕方がないだろう。毎年、オペレーションは変わる。

バザー準備の後、文化祭を見て回った。聖望のどの子も可愛い。同じような顔立ちに見えてしまう。ボ〜〜としていて、人生の荒波にもまれることなく今まで来ましたという感じ。事実そういう子供達なんだと思うけれどね。まあ、知っている子供達はお品よく育ちましたという気がする。いわば、可も無く不可もなく。先生方も結構のんびり。これでいいのだと思います。勿論、うちの息子もほどほどだ。そうそう、甲子園に行った野球部の子供達にあったけれど、この子達のどこからあの試合が出来たんだろうと思うほどの感じがした。ほのぼの、人がよさそうで、礼儀正しい生徒達だった。この人たちはどこにでも出せるなあと思った。それは、他の聖望の生徒達と同じ。

聖望の文化祭と子供達を観察していて思ったのは、青学での尾崎の事だった。尾崎は本当に青学では浮いていた不良生徒だったんだろうなあ。青学の子供達もきっと聖望と同じようなミッションスクールで大半が自由でぼ〜〜としている子どもたちだったんだと思うけれど、尾崎はお兄さんもいて擦れていたいただろうからね。無期休学の時点で学校は早く辞める事を望んでいたんだろうと思う。尾崎はS学会のお家だから、ミッションスクールの事がよく分からなかったんだろうと思った。まあ、異質なものに対する青学の戸惑いと救えなかった事は悲しく思う。学校教育に関しての尾崎の姿勢も斜に構えていて、素直でボ〜〜〜のミッションスクールでは先生が手に負えなかったんだろうと想像する。聖望にもキット尾崎のように素直でボ〜〜〜に違和感を感じている生徒もいるんだろうなと思う。私達はそれになれていてそれでよいと思っているのだが。

帰ってきたら息子がいて、明日の試合のことでギンギンに緊張していた。親もなんだか力が入ってしまった。早く寝て明日の試合に親子ともども備える事にする。
12日(金) 今日も朝から建設委員会。議会の月だとすべてが議会優先だから、人生がシンプル。そのため、必要な事を横においているので、さて何をしなければならないのかと不安になる。

午前中委員会があり、午後は食事後、議会だよりの原稿を仕上げて帰ってきた。其の足で、美容院に行き、パーマをかけた。毛染めをするのが嫌になって、白髪があってもどうせ自然だからと、パーマだけをかけた。本当は一般質問の前に行きたかったけれど、そんな暇はどこからも生み出せなかった。美容院から戻り、夕方恒例のヤオコー前での議会報告をした。1時間近く演説したけれど、蚊に刺されて痒くて仕方なくなった。

夕食を作り、その後サピオへ。昨日も行ったが、運動後は体の調子がとても良いから、今日も出かけた。いつものメニューをこなして10時過ぎに帰ってきた。

昨日、9.11だった。そういえばと思い出した。新聞記事も短くなり、昨日は思い出しもしなかった。

あの日、うちでテレビを見ていたら、突然CNNニュースに変わり、飛行機の突入を知った。誰が、どこであの映像を取っていたのかわからないのだが、よい映像で、2機目の突入もまるで映画を見ているかのように見ていた。目が離せなかった。夫に「アメリカに電話をしてよ」、と叫んだ。電話をしたら、アメリカのお父さん達はまだテレビを見ていなくて、「CNN, CNN」と焦って、お父さん達にテレビを見るように行った。すぐにお父さん達はテレビを見たらしく、「Oh, No」と絶句していた。

私はアメリカ人の気質がよく分かるものだから、「また戦争になるわ、アメリカが攻撃するわ」と夫に嘆いた。夫は、呆然とテレビを見ていて、ペンタゴンにも突入したという情報を頭を振りながら、静かに聴いていた。ビルが崩れ落ちるのも見たが、もう其の時には時間の観念もなくなっていて、固唾を呑んでテレビに釘漬けになっていた。何がなんだか分からないけれど、アメリカ中が震撼した時だった。パールハーバー以来の襲撃とかいう声も聞こえてきて、本当に日本人としてやりきれない思いだった。9.11と同じ感じで、パールハーバーがあったんだなと思った。

記憶が確かでないが、次の年か其の次の年の8月11日には、私達はアメリカにいたと思う。9.11が来月だという事で、テレビは其の事を告げていた。いろいろな追悼番組があった。それとともに、アフガンにイラクにとアメリカは派兵していた。リベンジをしないではアメリカ人の負けず嫌いの気持ちが治まらなかったのである。私も彼らのその気質を知っているだけに、怖くなって仕方が無かった。テロのためにアメリカから遠くはなれたところで若いアメリカ人が死んでいくのが辛かった。そういえば、9.11の後に狭山市議会ではどんな事をしてでも、制裁をしろというような決議をしようという事があったが、決議を辞めてもらった。日本人はお金を出せば制裁だと思うかもしれないが、アメリカ人は命を張っていくだろうというのが分かるし、また、アメリカ人が本当に怒ると原爆だって落としかねない人種なのである。戦争が誰にとっても不幸な事であるのは、今までもこれからも変わらない。

其のころ、甥がアラスカにいて海軍関係の所にいた。私は彼が派兵などされないことを心から願っていた。すぐに、そこを辞めたので、心からホッとした。戦争が長引けば、徴兵もあるかもしれない。家の息子達もまさか、福生に出頭などという事はないとは思うが、それでも早く戦闘をやめることが出来るように祈っている。一度出兵すると、撤退が難しい。日本だって、あれから何年イラクに兵隊を入れっぱなしだろう。今年秋に撤収するという話しを聞いているが、早く実現することを願って止まない。
11日(木) 今日は、朝から建設委員会だった。とてものびのび委員会が進んでいて、大変だけれど勉強させていただいている。それにしても分からないのは、水道の原価が給水価格よりも高いから儲かっていないかと思えば、1億8千万円も儲かっている事。どうして、逆ザヤになっているのに儲かるんだろう。分かりやすい答弁は無かった。前の安永さんなら分かりやすく、私の質問をやり込めたんだろうになあ。それに、下水道では9億円も足りなくて一般財源から繰り入れているにもかかわらず、儲かっているという指標になる事。これにも、明確な答弁なし。ちょっとしっかりしてよねっていいたいなあ。

4時に裁決を終えて、明日は所管ジム調査だ。帰ってきてから、早い夕食を食べ、サピオへ。久しぶりのトレーニング。8時過ぎにヤオコーで買い物をしてから帰ってきた。久しぶりに友達と長電話をしてストレス解消をした。まあ、あと一日を残すのみという開放感が出てきた。
10日(水) 今日は、一般質問の日だった。頑張った。気持ちが入ってしまい、最後には言葉に詰まった。5日間、この日のために精魂込めた。構想は半年ぐらい前からのものであった。傍聴者も多くて、後で話しを聞いたら、よくやってくれたといっていた。彼女達と同じ思いだろうが、私の提言は彼女達の考えとは違う。申し訳ないが、私は会のロボット議員ではないから、其の点は理解してもらわなければならない。それでも、彼女達の思いを組み入れたつもりである。頑張って、良かったな。

言いぱなしの遣り方を初めてしたけれど、かなり快感であることが分かった。問答無用、返答無用、言いたい事だけ言うのでよく聞いてよねってこんな気持ちになるのね。特に、私の後は昼食休憩に入ったので、尚のこと言いっ放しという感じになってしまった。それにしても、タンタンと質問できないのは嫌だなあ。毎日平均睡眠時間4,5時間って言うのがいけなかったんだと思うけれど、寝ている暇が無かったんだからしょうがない。

今日、隣にすわっている田中さんに「だれよ、議員って年間20日議会に出席するだけで給料がもらえる楽な商売だって言った人は」って怒ったら、田中さんは笑っていた。本当に、議会に行っている時だけ議員が仕事をしているのではなくて、脱力するほど毎日しっちゃかめっちゃか頑張っているんだから。

委員会のために少し勉強したら、結局役所を出たのは5時半だった。帰ってきて疲れて寝込んだ。今は真夜中の2時。明日の朝のご飯を研いでから、もう寝ます。
9日(火) 今日は、朝5時におきて、5時半から原稿の整理と書きいれをした。昨日の第1稿はさすがに寝ぼけ眼で書いたので、読んでも意味が通じなかったり、論点が呆けていた事もあり、書き加えた。また朝の8時ごろに第2稿をメールした。答弁の書き換えがあるので、申し訳ないが、書き換えを最小にするように努力はしたつもり。でも、きちんと質問すべき所は、明文化していたほうが良いだろうと思った。

それにしても、この日も役所を出たのが6時過ぎ。ヤオコーに行って、簡単に食べられる惣菜を買おうと思ったけれど、疲れると何を買って良いか分からない。メニューが浮かばない。娘にカレーライスを作らせて、秋刀魚を焼いて、おしまい。その後、頑張って答弁をにらみながら、原稿を考えた。第2質問があるからである。でも、答弁を読みながら、空しさがこみ上げてきて、どうせ第2質問をしたところで、何が変わるわけでもないだろうと思ってしまう。

実は、答弁中「検討します」ということが多々出てくる。あれもこれも検討するそうだが、いつどこで誰がどんな風に健闘するか全然答弁していない。検討する事すらがすぐに忘れられていく感じだ。特に、美術品なんか買うつもりもないんだから、「検討します」の意味すら分からない。もう10年も議員していれば、答弁があっても事実上出来ないことだって、単なる美辞麗句の事も多いというか、その辺のからくりみたいなものが分かってしまい、空しさが心に立ち込めてしまう。

まあね、出来ることを質問しているのではなく、出来ていないから質問するわけで、そうそう「議員のおっしゃる事をすぐにいたします」なんて言えないことが多いのは分かる。

という事で、第2質問は取りやめた。答弁を作ってくれていたところもあるだろうが、申し訳ないがしない事にした。その代わり、夜中中かかってコメントを作り上げた。丁々発止というやり取りにならず、言いたい事をたくさん言うという一般質問になってしまう。今までしたことがない遣り方だけれど、この空しさは質問すればするほどだろうから、こっちの言いたい事を精一杯言う事にした。まあ、こちらは言いたいほうだいいうのだから、言葉を返したくなる人もいるかもしれないが発言をしていただかない。返答無用。

それにしても、親の会の人がたくさん傍聴に来るといっているのに、答弁があれでは申し訳ないという思いが強くて、コメントに力を込めた。
8日(月) 今日は、一般質問1日目。原稿は一応メールしていたから、役人さんに届いたはず。午後一般質問が終わった後、答弁も次々に届いた。まあ、失望だらけだ。勿論、私の原稿は遣らせも何も一切なく、すべては自分の頭から発するのだから、こんな質問しても来年の予算に届くというわけでないことだらけなのである。自虐的に言えば、私が何々をしたなんて事は一切ないような気がする。提言が後から実行に移されていくのは、法律で遣らざるを得ない時ぐらいかなあ。そこまで自虐的にならなくても良いと思いはするが、答弁書を読むと本当に空しくなる瞬間がある。

疲れていて、さっさと帰ってきたかったが、結局役所を出たのが6時を過ぎていた。美術品関係の質問するので、財産管理課に行き、狭山市役所内にあるすべての財産目録上の美術品を見て歩いた。倉庫に入っている500万円した絵画もいかに収納されているかまで点検した。課長達に案内されて、目録を見ながら点検したわけだが、自分ながら小姑みたいと思った。目録にありながら、どこにあるか分からない絵画が2点あった。探しておく方が良いよと課長達に話した。まあ、なくなっていはいないとは思うが、管理上はあるべき所にあるべきだし、しまってあるならば其の場所はしっかり知っておくべきなのだ。一応、50万円以上のもののはずだからね。

とにかく、役所内はすべて回ってみた。見慣れた、見飽きた絵画が多い中、何点か初めて見たと思われる絵画があった。お上品なもので、選んだ人の品の良さが分かった。20年以上同じ所にかけっぱなしで、本当に埃が被っているものもあった。どうにかすべきだろう。とにかく2点ぐらいしか架け替えることの出来る絵が無くて、狭山市のあまりの質素さに最後は悲しい思いがした。そもそも、美術基金を使うつもりが無かったならば、この前ではないが国債でも買って運用益を出す工夫をしておくべきだった。利子も付かない貯金をしていてなんになる。答弁中、「運用益を使い美術品を購入する」などというのが出てくるのだが、昨年の利子が11万円ぐらいしかないはずで、何が運用益だ。結局買えない、買わないというのと同じなのである。こんなところに、買いますなんていう言葉を言っていて、事実上買わないという事が私に分かるからこそ、空しいという言葉が出てくるのだ。

そういえば、寄付されたものがあった。市長室にも、議長室にも有ったが、其の目録がない。私は市に寄贈されたものは、きちんと目録または台帳を作るべきだと思う。頂いたものだから、値段はわからないだろうが、いつの間にか紛失なんてことにならないようにすべきだろう。秘書課長しっかりしてください。事務局長、これは次長の仕事かもしれないし、庶務のSさんの仕事かなあ、議会の方も人様に後ろ指刺されないようにしていてください。さもなければ、執行部のことをあれこれいえなくなるので、よろしくお願いしますね。

美容院に行こうと思っていたけれど、そんな暇を作る事が出来なかった。9時過ぎから眠気が出て、仕事にならない。寝ます。
7日(日) 今は8日朝4時20分です。後、2じかんは眠ります。やっと第一稿を書き終えました。見直していないから、文字の変換もおかしいだろうし、直しが満載だろ受けれど、いったん終わり。書き始めれば早いのだけれど、特に今回は提言ばかりだから、ノーレクチャーですから、知識の開陳もないわけで、質問を淡々としているだけ。(でもないか)

7日は午前は礼拝。午後は1時間サピオへ。その後、何にもしないでコンピューターの前で悩んでいた。書き始めは10時過ぎ。書き始めてしまえば何とかなるんだけれど、どうして書き始められないのか自分でもよく分からない。プレシャーがないと書けない情けない女だ。
6日(土) 今日は、何もスケジュールを入れなかった。原稿書きがある。でも、今夕方の5時半だけれど、一字も書き出していない。こんな風に私のひとり言を書いている。ひとり言は決まりもないし、自分のプライバシーは書いてもいいだけで、後あまり制約がない。悪口も最近は言わないので、つまらないひとり言だなあ。人が良すぎると良い文章が書けなくなるのかもしれない。鋭い分析はちょっと穿った考えから出てくるのかもしれないと思う。ど〜〜〜お。其の点、私は人がいいほうだから、つまらないかな。

今日は、一日中、コンピューターの前に座ったり、書類を捜したりしていたが、思ったものが見つからない。そうすると、原稿は私の脳の襞の隅っこから引っ張り出した知識と浅い考えを中心に書かなければならない。おぼつかないなあ。どうしたらいいのだろう。は〜〜。頑張ります。
5日(金) 今日も議会。毎日、毎日読み続け、考え続けた決算書の質疑の終わりの日。今回は決算委員にならなかったので、議場で頑張ったというわけである。まあ、的を絞ったという事もあるのだが、午前中に質疑を終えた。私は、いくつも質問を飛ばしてしまった。するべき質問も、用意した質問も、なんだ〜〜という事になった。答弁を書いた人には申し訳なかった。もう、頭が疲れ果ててしまっていて、正常に働かなかった。質問の意味が分かってもらえたかが心配だ。いつものように、質疑が終わると、あれでよかったかと反省するのだが、もう考えてもしょうがないのだからと自分を慰めている。でも、精一杯、決算書を読み込み、精一杯やったんだ。それでいいのだ。それでいいのだ。

午後は昼食を食べてから、一般質問の原稿書きをと思っていたが、もう能力の限界。まず、サピオに行き、ジムで汗を流した。その後、パステルでコーヒーを飲んだ。帰ってきたら、4時過ぎていた。もう、性根疲れすぎていて、ベッドにもぐりこんだ。心身はこんなに疲れているのに、頭はさえてしまっていて、しかし本を読む読解力すらおぼつかなくて、ただただ横になって目を閉じていた。6時に起き上がり、夕食を作り、9時過ぎになってから、カルフールに買い物に出かけた。あまりに遅い時間に買い物に行ったので、パンもなくなっていたし、惣菜も残っていなかった。それでも、結局1万円を超える買い物をした。家の食費は1ヶ月10万を下る事なんかないんだ・・・・食べるだけで精一杯だ。
4日(木) 今日は朝から議会で質疑が行われた。私があんなに一生懸命議案書を読んで質問をまとめたとしても、まあ、あんなものである。他の議員さんはなぜ質問しないのだろうか。自分の知識のためにならば、私は何も議会で質問なんかしなくても執行部に教えてもらえる。其のうちで、ケーブルテレビや議会だよりなどで市民に知ってもらわなければならない事だけを取り出そうとしている。たくさんあるのだが、たくさん質問するとまたまた文句が出てくる。誰も質問しないような議会ならば、市民には不必要に見える。皆そろって、1問づつでも質問すればよさそうなものなのに、質問しない。

質問をひとつもしないで、決算を不承認なんかするとしたら、間違いですからね。最低、質問して、疑問な点を糾したり、勿論反対討論の中でその理由を述べるべきである。予算にしても、反対するならば予算の質疑中で疑問を呈するべきで、予算に何も言わずに決算だけをあれこれ言うのもへんなものだから、一つ一つをしっかり質疑してもらいたい。なんだか、議長のような事を言っていますね。

この日、私が始めて取り組んだのは、現金の運用に関してである。国債を20億円、2回短期でまわしたら、利回りが昨年より良くなったので、500万円ほどの運用益が増加したのだ。狭山市の現金出納の状況を見ると、現金がショートするなんてことなくお金が回っている。だから、市場の動向にしっかり目を向けて、国債をいくら買えるか、どのくらいの日数、どの時期に買うかをしっかり見極めるのが、市長や会計責任者の仕事だと思う。みすみす、お金を作れるのに、何もしなかったというのでは税金を預かっている人としては怠慢である。勿論、安全一番、元金保証のものでなかったらできないから、金融商品は限られるだろうけれど、石橋は叩いてOKならば渡るべきだと思う。現金だけでなく基金の方もきちんとすべきだ。基金は利子しか入っていない。これじゃ、もったいない。会計責任者しっかりしていてくださいね。100万円、2百万円を削られて困っている部署や人もいるのだから、お金をお金で稼いで其の方に回してやってください。

次の日のために、午後はまたまた9時過ぎまで役所にいた。もう、数字で頭が回らなくなり、数字も文字も頭の中で意味を持たなくなってしまった。ある役人が高々10億円なんて口にしたのをたしなめたのだが、決算所の中の数字ばかりを見ていると、高々10億円なんて感じになってしまうのが怖い。数の感覚に狂いが出てきてしまい、生活で1円稼ぐ重みがなかなかつかめなくなってしまうのである。
3日(水) 今日は午前中に娘の仕事の実習先に行ってきた。午前中全部掛かった。西武の特例子会社である。お金の良い作業所のような感じだ。働いている人は一生懸命で、私の知っている人の娘さんが働いていた。娘をこの会社に働きに出したいかと悩んだ。実習をするという事は仕事があれば、そこで働きたいという意思表示でもある。仕事の内容を見てみるとお掃除だけである。家の娘が黙々と掃除をしている姿など思いも寄らない。きっとやらせれば出来るというのはわかるのだが、一生の仕事になりそうもないと思うのだ。

それでも、作業所とは段違いのお給料がいただけて、大会社の福利厚生に預かれて、数多くの障害者とともに仕事をするのは良いかもしれないと思った。でも、指導員はじめ、偉いさんは健常者で、労働者は障害者というヒエラルキーをはっきり見てしまうと、なんとなく耐えられない思いがした。娘に「できそう?」って聞いたら、「やってみなければわかんないよ」との事だったけれど、私が望んでいた健常者に混じって自立させたいという理想からは大きくそれてしまう。

私が実習先の方に自立を目指して厳しく育ててきた話しをしたら、気に入っていただけたようだった。親の面接としたら、印象は良かったのかもしれない。私はどこに行っても嘘もつかないし、誠実に対応している。しかし、どうしても枠の中の特定子会社の仕事に抵抗がある。親子でもっともがいて少しでも社会に近い所で働かせたいと願っている。よい仕事が見つかるように、祈っている。

午後は、役所に戻り、議案書、決算書、行政報告を読み続けた。9時過ぎに帰宅した。
2日(火) 今日は、議会開会日だった。朝は議案の説明があった。年々説明が短くなってしまっている。一時の3分の一ぐらいの説明である。もっと、もっと丁寧に説明すれば良いのに、なんだかチャッチャト物事は進んでいく。決算もあまりにもおざなりな説明に思えて仕方がない。部長による説明も、しゃべらない方が質問が来なくて良いのではないかと思われているかのようである。議会を舐めんなよといいたくなる。議長はこの点、しっかり執行部に言うべきだと思う。例え、狭山市の施策の大きな部分が市長と同じ思いであろうが、だから議会での質疑はセレモニーでよいわけがないのである。

今日は朝日新聞に消防団長の記事が載っていた。私が25日に書いたことがこれであった。団長が辞表を書いたというのも知っていたが、私が公表する立場でないので黙っていた。勿論、この情報に関してすべての事で私が出すぎる立場でないので、静観していた。ただ、事実が明らかになる時には、大きなスキャンダルになると思ったので、早く責任を取った方がよいと考えていた。報道があってから、あたふたと処分を決めたり、進退を伺ったりするような事ではないし、組織の長として何もしないでは示しが付かないと思った。それに、先の議会で消防署の事を取り上げたので、このことを知った以上、きちんと進退を決めていなかったらば、私自身がそれを議会で責めるべきだという思いがあった。そして、それをする事はとても気が重いことであった。だから、一般質問の通告する以前に彼が辞職する事が分かり、少し心の重石がとれた。だから、このことの通告はしなかった。

それにしても、昨週末に防災訓練は予定されていたし、今後の団長を年度の中途で決めなければならない事もあって、辞職後のことが気がかりで仕方なかった。消防長の頭があっという間に白くなって、声をかけるのも悪いような感じになってしまっていた。いつ公表するのだろうかと思っていたが、産経新聞がすっぱ抜いたのが一報だったようだ。こういう話は内緒にはしていられないのだ。でも、とにかく報道以前にきちんと対応が終わっていて良かったし、団長が毅然と辞職して正解である。

それにしても、今は飲んだら乗るな、乗るなら飲むなを肝にしっかりおかなければならない。二日酔いは酒気帯びになり、週日は夜12時以降にお酒を飲み、次の日に車に乗るのすらいけないらしい。消防署員は仕事のまえ12時間は飲んではいけないらしい。今後、消防団員はほぼ禁酒しなければならないようである。

ごご、議案書、特に決算書を読み、其のときの質問を考えていた。役所を出たのは夜8時を過ぎてしまった。
1日(月) 今日は、朝9時の約束でヒアリングがあったので、急いで役所へ。お昼まで急いで次々と話し合い、お昼になったので15分でチャッチャと食べた後に1時から歳入の勉強会。最後は7時過ぎになった。其のころ、息子から電話がかかり、迎えに行った。

夜サピオに行きたかったが冷蔵庫の中に何も食べ物が無かったのでカルフールへ行った。2時間、2万円以上の食料を買い込んだ。

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