私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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1月 私の独り事
31日(土) 今日は朝から気合を入れてアファーの編集に取り掛かった。送ってきた原稿を読み、字の間違いや読み憎い所を直した。本当もっと短くする努力がいるがそれはまた明日。コンピューターの前にずっといたので、目が乾いてしまう。時々お風呂に入って湿気を補充しながら、6j半頃までがんばった。

その後、てんぷらを揚げて夕食に。夫は今日出勤していたが、8時ごろに帰ってきたので、映画を見に出かけた。デカプリオの出る「レボリューショナリーロード」をみた。30台の夫婦の物語。悲惨だ。私達もあんなところを通ってきたなあと思いながら見ていた。きっと若い人たちならばあの映画をみて動揺するんだろうなと思った。家族を持って夢を失い、人生に飽きてきた頃のお話なのである。私はそういうときに一生懸命神様に祈っていたなあと思い出した。「神様、御心のままにお使いください」って思っていた。まあ、私は年取ってから結婚したから、息子のジャステンが2,3歳頃に特にそうおもったし、2人目の子どもが出来なかったので自分のするべき事を見失った時期にもたくさん祈った。

相手に夢を求めるのは卑怯だと思った。私はクリスチャンで夫が思うように生きてほしいと願っている。私の思いで夫をあれこれ引き回すのは、日本で生活するだけで申し訳ないと思った。だから、アメリカにいつ帰るというのかと思いながら生活してきている。何かあったら、ジムの思うままに生きようと腹をくくっていれば、退屈なんか感じない。ジムは決断しなければならないから大変だろう。今の所、変化する決断しないで、現状維持という決断だから私は助かっている。変化や刺激を求めて生きるのもいいが、平穏もいいとしよう。でも、今日の映画を見てジムさんはどう思ったんだろうと思った。
30日(金) 今日は朝から予定はないはずだったが、午後には動き始め、結局役所で財政のレクチャーをしてもらって役所を出たのは六時半だった。

急いで帰ってきて食事を作り食べてホッとしたら9時。珍しくテレビを見た。ゴールデングラブ賞の受賞式の様子だった。面白そうな映画がたくさんある。デカプリオもいたが賞は取れなかった。あす、映画を見に行こうと思った。
29日(木) 今日は朝8時に起きた。昨日は10時ごろ交流会を終え、お風呂に入って寝た。交流会も懇談会だからアルコールは一切なし。誰ともしゃべりこまず、ねた。睡眠時間がなかったとは思っていなかったが、とにかくよく眠りました。8時に食事を一緒にしようと言っていたのに、少し遅れて食事に。9時からまた講義。まず、多摩市の議会改革。特に決算委員会の質疑が面白い。事業別に議会が評価する。次には国立市の議会オンブスの方の話。昼食後は長野県の栄村の前村長高橋さんの話。次にまた、自治法の話。

とにかく議会とは何ぞや、地方自治とは何ぞやトいう事に尽きる。5時過ぎに国立女性会館を出て帰宅。6時過ぎには家についてしまった。なんだか、頭の中が興奮している。夜結局サピオに出かけた。汗をかくと何かすっきりする。
28日(水) 今日は午前中に買い物へ。何しろ今日から2日いないのだから。友達と約束して12時に国立女性教育会館で会うことにしていたから、11時過ぎには出なければいけない。それで、11時18分に家を出たらナント11時45分には着いてしまった。高速道路は早い。高速道路を使って車でいくと、早くつけます。

久しぶりに嵐山町議に会って、話しをした。乳がんを患っていたのだが、顔色もいいし、元気そうで安心した。いつものように議会レポートのエール交換をした。彼女は5期になったようで、もうベテラン。立教大学の法学部を出ていて、自分で訴訟もしてしまうほどの才媛である。告訴、告発に関しては彼女から聞いていて、いつかセクハラされた時は本気で告訴状を出そうとした事があった。記者発表の2日まえに謝罪文を持ってきたので、告訴を止めたことがあった。この友達だけでなく、弁護士を夫に持つ友達がいたりして本当に心強い。

午後は、議会改革についての研修会。まずは自治法の勉強を先にした。まあ、その前には憲法の勉強。いろはのイの字から始めたのだが、久しぶりの基礎のお勉強もとても新鮮に感じられた。地方自治に関しては、憲法で規定されているが、その本旨が理解され始めたのはこの20年かもしれない。具体的には2000年の自治法改正で地方の長が国の出先機関でなくなったことが一番だ。私は、自治法の改正された直前に議員になったので、首長が国の出先機関であって、県においては80%、市では50%を国の仕事をしていた頃の事はよく分からない。それにしても、自治法の改正後、多くの地方自治体が自治基本条例を作ったにもかかわらず、狭山市は作っていない。通知なんか単なる紙くずなのに、出し続けている国の時代錯誤。地方の事は地方が責任を持ってやらなければ。それにしても、田舎では三位一体の改革では税源を移譲されても税がなければ、交付金がなくなるだけだそうで、三位一体とは都市に人を集めるため、お金でほっぺたを叩いただけのことだったのだと納得。

その後は議会基本条例の話。食後は交流会。アルコールなどの入らないケーススタディのようなこと。
27日(火) 今日は朝からサピオへ。昨日もいけなかったし2日間身体を動かしていないので運動をしたくなった。それに、午後からは出張のはず。というので、頑張った。そして、昼食後、嵐山へ。そこで、今日から研修でなくて明日からだという事が分かった。何てことだ。

後でスケジュール帳を見たらほんと、明日からだった。行きは、高速を使っていったが、帰りはあまりの徒労感で、お金を使わずに下道の294を使いかえってきた。川越でブックオフにより、また尾崎関係本を買って帰ってきた。今まで出版されたほとんどすべての尾崎の本を買ったような気がする。そして、勿論すべてを読んだ。今日は尾崎のピアノ教則本を買ってきた。珍しくピアノを開けて弾こうとしたが、何しろ調音をしていないピアノは音がおかしくて弾く気になれなかった。

それにしても、いないはずの私が夕方家にいたので、家族一同驚いていた。
26日(月) 今日は朝10時から養護学校の理事会。その後昼食。娘を待っていたが、ちっとも帰ってこない。はっと気がついたら、3時半。はぎ山の病院の予約に間に合わないと娘を待たずに出かけた。薬がなくなりかけていたので、行かないわけには行かない。

途中で娘が帰ってきたらしく、携帯に電話がかかってきた。娘に病院に来る様にいって、私は先に病院へ。今日、娘は初めて病院に自分で来た。少し心配はしていたが、この前はひとりで萩山から家まで帰したから、今度は逆。私が先生と話しをしていたら、駆け込んできた。迷子にならず、病院に来れるというのは大きな進歩。今後は、自分で薬を取りに来れる。良かった。

薬を薬局で買って、ぎゅうぎゅう電車に揺られて家に帰ってきたのは8時過ぎ。途中でヤオコーによってお弁当を買ってきた。かえったら、息子がお父さんに固焼きそばを作って食べ始めようとしていた。私と娘は買ってきたものを食べた。

サピオに今日もいけず、膨大な数のメールに目を通して、早めにねたいがもう11時を過ぎてしまっている。今日も、忙しかった。
25日(日) 今日は朝礼拝。午後は尾崎のお墓にちょっと寄ってから、古本屋へ。その後、パステルで昼食。トレーニングをしたいと思ったが、待たなければならなかったので帰宅。夜、夕ご飯を食べていたら、電話が鳴った。夜のミーティングを忘れていた。

あわててバーミアンに出かけた。アメフト部父母会で今後について話し込んだ。あれやこれやに話しが飛んで、結局帰ってきたのは12時過ぎ。今日も疲れた。
24日(土) 今日は朝から後楽園へ。文京区の男女共同参画センターでフェミ議の主催の国際シンポジウムが開かれた。勿論、私は主催者の一人。アファーの原稿依頼もしっかりした。国際シンポの内容はアファー60号でご覧ください。

交流会を終え、2次会には出ずに帰ってきたが、それでも10時過ぎ。とても疲れた。
23日(金) 今日は朝から本を読んだり、HPを更新したりしていた。午後は3時から娘の実習先に行き、今後の仕事について話をした。とてもきつい仕事でかわいそうだ。学校はこれを受けなければ、卒業後は在宅だという。仕方がないのでここに就職という事になるのだろう。でも、続くとは思えない。他の仕事がいいなあと思うが、ここを断れば学校は他を紹介してくれないらしい。本当に残念としかいえない。

夜はサピオ。
22日(木) 今日は朝うちで仕事をするはずだったが、経済関係の本をずっと読んでいた。昼食の後に役所に。1時半から親の会の人にあった。パステルのことをあれこれきいたし、自分の意見も言った。3時半過ぎ、教育委員会、障害福祉課によって役所を出て、JTBで昨日作って貰った切符などを受け取りに行った。帰ってきたら、六時半。娘と一緒に夕食作り。娘にグラタンを作らせた。まあ、インスタントグラタンの元があるから、あまり失敗はしない。昔自分でホワイトソースをつくり、失敗した事を考えるとインスタントでもおいしい。

7時半過ぎに息子から電話があって迎えに行った。食事は結局8時半から。なんだか、体が疲れてしまって、コンピューターを見ている元気もなくなり、早く寝る。メールだって最近は半端じゃなくて一回開くと20も入っていて見るだけでも大変なのである。10時半に床に入るなんて、何ヶ月ぶりだ。
21日(水) 今日は朝全員協議会。次は建設委員会協議会。お昼過ぎになって、養護学校の高等部の食事会にでかけ、3時過ぎJTBに行き、2月の視察のための切符などの手配をした。その後、役所により、視察のための書類を作った。帰ってきて、娘と二人急いで夕食を作った。忙しいなあ。

夜はサピオへ。
20日(火) 今日は厚木市に議会クラブが視察に行った。防災体制への視察。厚木市までは車で2時間ちょっと掛かった。何しろ高速道路が出来たので、八王子まで時間が掛からなくなった。とにかく、震度6強に対する地震対策にはお金が掛かっていた。相模湾沖地震に備えたりっぱな防災センターがあり、たくさんストックを用意してあるのが分かった。狭山市は東京直下、八王子直下、相模湾沖地震が起きたとしても、震度5だと中央防災会議で報告されている。まあ、そういう面では何の心配もないと思うが、狭山市もそれなりの防災対策はしている。厚木の防災センターをみて素晴らしいとは思ったが、あのような施設自体は不必要だと思った。

ほぼ全員の議員で視察をしたが、会派を超えて同じものを議員が視察する事の意味を感じた。勿論、同じものを見たとしても同じに感じるわけはないが、それも大切だろう。ひとり、ひとりは限られた能力しかないがいろいろな考えが集まれば良い考えになる。三人寄れば文殊の知恵というではないか。

行きのバスの中でDVDで山古志村の全村避難の様子を見た。そのときに鳥や犬も一緒に避難していた。鳥も犬も家族だもの、ほうっておけなかったんだと思う。ちなみに厚木市の防災倉庫には犬のケージや犬のえさなども貯蓄されていた。狭山市も少し貯蔵を考えても良いかなと思う。
19日(月) 今日も朝から弁当作り。昨夜、1時過ぎに寝たのだから少しはゆっくりしたかった。土日も子どものスケジュールで朝はいつもどおりだったし、夜は夜でコンピューターの前で仕事をしたり、ネットで遊んだりだ。午前中は家事。

午後、さすがに本を読んでいたら疲れが出て、久しぶりに昼寝をした。のどが痛くて体の節々も痛み、うがいをしてねた。2時間ほどして起きたら体の調子が良くなっていた。疲れが出たのかなあ。土日をゆっくりしたつもりでも、睡眠時間が5時間か6時間だものね。

夕方、銀行に行き、役所に行って帰ってきた。夕食を作り子供達と食べてからサピオへ。帰ってからホームページを更新している。最近、経済の本を読んでいる。新しい本も古い本もあるが、経済への危機感はどの著者も同じだった。私が呼んでいる人たちは、グローバライゼーションによる産業の空洞化、金融の無秩序、会社の意味(株主のための会社というアメリカの考えが正しいとはいえない)などについて述べている。今の非正規雇用者の失業の状況を考える時、どんな手を打つかはどんな日本にしたいかという事を考えることなくして出来ないと思う。それにしても、小泉は何をしようと、どんな日本にしようとして日本を駄目にしたのだろう。

金持ちがもっと金持ちになり、国民の3人に1人が貧困に陥る日本にする必要があったのだろうか。雇用がこの5年で230万人分増えたそうだ。630万人分は非正規雇用が増えたが、正規雇用は400万人分減少したのだったそうだ。だから、若い人が年取った時に貧困に苦しみ、年金もほとんどない人たちが増えるだろう。日本はほとんど生活保護者の国になってしまうのだろうか。どうしたら、国民全員が文化的で幸福な生活を送れるようになるのだろう。労働について考えるべきだろう。雇用は会社の都合の良いようにだけ考えるのはいけない。儲ければ社会的責任が果たせるというアメリカ型の考えには私は絶対賛成できない。市場はひとりでに何とかなるという考えにも組みせない。

結局私はある程度社会民主主義的な国家が日本にあっているのではないかと思う。お金を追求し、奢侈に陥るような一握りの人びとが勝ち組としてもてはやされる国は品がない。皆がそこそこに生きられるべきだ。ホームレスがあふれかえる日本を恥ずかしくないか。若い失業者があふれる日本は夢も希望も持てない悲しい国ではないか。セーフティネットに引っかかる人は幸運だなんて国はやめにしよう。
18日(日) 今日は息子が練習試合というので川越まで送ってから、所沢の教会で礼拝。ブックオフにより、パステルで昼食。その後、サピオで4時過ぎまでトレーニング。ヤオコーによって帰ってきた。

夕食を作り、珍しく4人で食事をした。珍しく夫と二人NHKの大河ドラマを見てリラックス。その後、ホームページをサイトアップしたりしていたら、もう1時。
17日(土) 今日はゆっくりしたかったのだが、子どもは学校があるので結局弁当作り。その後、家事。でも、今日はどこにも出かけないと決めて、午後には本を少し読んだ。夕方、玄米を精米しに夫と出かけ、買い物をし、息子を迎えに行った。

帰ってきたら、娘がカレーライスを作ってくれていたので、夕食。

夜8時からBSで見たいテレビがあったので、ワインを片手に見ていた。娯楽番組で昔の歌を聞きながら、のんびりした。もっと尾崎のかっこいい映像が見たかったなあ。本当に残念。
16日(金) 今日はコンサートの日だった。司会をすることになっていたので、緊張していた。まあ、すべてがスケジュールどおりになっていたので、あんしんだった。それにしても音響の悪い体育館で小さくすると音が届かず、大きくするとワンワンと音がこもり何を言っているかわからなくなる。駄目なところだ。歌手泣かせだ。頭を抱えて音あわせをしていた。すべて片付けて帰ってきたら4時を過ぎていた。

おなかがすいて、おやつを食べてからホッとしたらもう着替えて議会の新年会へいかな帰ればならなかった。議会の新年会って楽しいわけでないが、まあお仕事。それにしても、気が利かない事務局で、何かうらみでもあるのかというお料理だった。突き出しはOK.次の茶碗蒸しは海老入り、食べられない。刺身、甘エビ、これは駄目、マグロ。次はホタテ、勿論食べられない。カキフライ、これは一緒についていたキャベツの千切りは食べられた。風呂吹き大根は食べられた。でも、食べられないものが多くて、またウーロン茶だけではおなかがすいて仕方がなかった。一言、店に行ってくれればよいのに。でも、隣で何も手をつけない私をみて、事務局長が鳥のお料理を出してくれた。おなかがすいていつもより多くいただいてしまった。アレルギーってなんて面倒なものなんだろう。

かえってきて、8時にはまたサピオに出かけた。食べすぎを直すには運動しかありません。でも、食べ過ぎるほど食べたかなあ。
15日(木) 今日は朝は来年度の予算編成の話を聴いた。またまた下方修正だ。法人市民税は予算の段階で半減だ。でも、後何年かはもつ。その後は大変だろうが、国がどうするか。今、補正予算の審査をしているが、さっぱり地方自治体にどんな金が回ってくるか分からない。また、来年度予算にしても、いつもの事業のほかに国はどんな対策を進めるか、よく分からない。だから、予算も今までどおりって言うだけだろう。困ったものである。

午後は急いで帰ってきてから養護学校へ。イスを並べて明日のコンサートのした準備をした。流れもきちんと整理されているので、何とかなると思う。4時過ぎまでかかって準備した。その後、美容院へ行って毛染めをした。明日の準備です。

寒い所でイスだしをしたりして、疲れが出て夜にサピオに行かなかった。
14日(水) 今日は午後から視察があった。ワークワック、陽だまり館。両方ともデイサービス。ワークワックは老舗という感じだが、28人定員の中、12人しかいなかった。たくさん働いている人がいるのに、あまり利用者に係わっている人が少ないという感じがした。広い所に少ない人なので、なんとなく閑散としていた。きっと余り人と係わりたくない人はこういうところがいいのかな。でも、高齢者は活動をさせられているっていう風に見えた。お風呂は個浴。措置の時の、高齢者を預かってあげるという感じがぬけないように見える。箱に集めて遊んであげるという。

陽だまり館は比較的新しい施設。建築会社が始めたところだが、11人が利用していた。ここはデイの利用者さんに関してはお泊りもできるようで、新しいサービスが始まっているのが分かる。デイの人はショートステイに泊まり行くのは難しい。認知が入ると自分がどこにいて誰と話しているか分からなくなり、パニックを起したりするのだ。だからねえ、小規模多機能型居宅介護事業が必要である。

ここで驚いた話しがある。今までdoor to door から sofa to sofa にサービスが変わったと思ったのに、今はbed to bed の人がでてきたというのだ。家人が仕事に出てからお迎えに行き、ベッドから利用者を起こし着替えさせてからつれてくるというのである。これじゃ、本当に訪問介護を朝、晩しているようだ。着替えは介護、または介助になるでしょ。こういうきめ細かいサービスをしてくれるところが生き残れるのよね。実際はもう小規模多機能型居宅介護事業がデイサービスの利用者に行っているわけである。

夜はサピオに行った。
13日(火) 今日は朝娘を連れて実習先に出かけた。とても良い社長さんだ。就職に結びつくと良いけれど。

その後、在宅支援センターさくらの視察。お昼を役所で食べた。ちょうど、古い知り合いの方がいたので、お昼をご一緒できた。良かった。そして、その後も視察。デイサービスの武蔵野園、クローバーと回った。さくらの責任者の方の話を聴いた。包括支援センターができて以降の、採択支援センター役割について聴いた。なんだか分からない。一方は介護法、一方は老人福祉法によって制度が作られており、役割はほぼ同じという事だ。相談件数も同じだという。それでいて、介護法の下請けのような事もしているらしい。居宅介護事業もしていて、ケアマネージもしているようである。なんだか住み分けが分からない。もっと、現場をみると分かってくる事もあるのだろう。

デイサービスも黙々と視察をこなしていて、もう狭山市のうちのほとんどを見たかもしれない。大きなところ。複合施設(特養やショートステイ)にある施設。小さなところで特徴があるところ。経営不振で新しい経営者になったところ。さまざまである。武蔵野園さんは複合施設。居宅介護センター、在宅支援センターも併設してあるデイサービスだった。高齢者も80歳以上が大半で来月100歳になる方もいますという事だった。さまざまな工夫を凝らしていて、リハビリの機械もあった。大きい所は広々しているが、なんとなく温かみを感じないのはどうしてだろう。餅つきをしてたが、大半の人がぼうっと餅つきを見ているが印象的だった。認知症が入っている人が多いのだろう。

クローバーはこの前経営者が変わった施設。10人規模の施設である。まだ、10人にはなっていなくて、これから利用者をふやしたいという事だった。事業内容を魅力的にすれば人は集まる。楽しい所だったら利用者は来る。そんな気がする。認知症だって人間だ。すべてを分からなくても好き嫌いは分かるんだと思う。でも、老人達を見ていると私もいつかこうなるのかとため息が出る。あの人たちはデイサービスで幸せなのかと首を傾げてしまう。どうなんだろう。
12日(月) 今日は成人式。朝、どの服にしようかと迷いながらも普通で暖かかったらそれでよしと決めて出かけた。でも、寒かったけれど。成人式は滞りなく終わり、可もなく不可もなく。ただ、成人の言葉の代表者が学生だけだったのが気に入らない。仕事をしている人や、派遣の人もいただろうし、結婚している人も居るかもしれない。そんな人の考えも聞きたかった。なんとなく、そつはないけれど面白みもない式。こんな事をしていると人が来なくなる。今回、西中を含む第2式は大幅に参加者が減った。特に男性の参加者が減ったのはどうしてだろう。きっと、仕事もきちんとできていない子が多いのかもしれない。

だって、同窓会はこうなり名を上げた人が多いもの。私の場合なんか、なんとなく、私みたいな地方の市議会議員は行っても肩身が狭かったりする。大会社の幹部、大学教授、弁護士、医師なんかに混じって、すみませんという感じだ。それに、女性にしても現役張りばりの人や、夫が偉くなっちゃって余裕の人たちがいる。

そんなこんなで男性は成人式にこれなかったのかもしれない。まあ、他市にでた人が男性の方が多いかもしれないけれど。

午後はカルフールで買い物をして、遅い昼食を食べた。昨日の疲れが残っていて、体がだるくて仕方がなかった。
11日(日) 今日は朝息子を川崎に送り出してから、急いで夫と二人急いで自分達も用意した。今日はスティックボールの日。息子が埼玉県選抜チームの一員として東京選抜とアメフトの試合をすることになっている。防寒対策が一苦労でホッカイロを3個も貼り付け、暖かい紅茶を用意し、夫から長いダウンジャケットを借りて、防止に手袋、小さな座布団(ベンチがこれまた冷たいのですよ)とナップサップ今はデイバッグというのかに入れて、さてお出かけ。川崎まで2時間ほど掛かった。

試合は21対14で負けてしまった。息子の出番は短かったがそのときに1タッチダウンしたので良いとしよう。試合としては最後まで緊張感があり、本当によかったと思う。MVPに聖望学園の西口君が選ばれてとても嬉しくて大騒ぎしてしまった。写真を撮ったりした。

その後、2人で新宿に行き、ライオンで食事をしたのち、ローリングストーンズのライブ映像、シャイン ア ライト をみた。ミックジャガーは若いね。驚きました。顔には皺も多いけれど、あれだけ踊り歌えるんだからすごい。バックの音楽も素晴らしかった。私はブルースが好きで、1曲だけ黒人を交えたブルースがあったが、よかった。私は気分はとてもマイナーな人だから、ブルースが好きなんだなあ。黒人の友達はいないけれど、私達有色人種は同じ引き合うところがあるのかなあ。人種の問題ではなく、性分の問題か。

映画の後、お茶をして帰ってきたら、もう11時を過ぎていた。今日は夫の誕生日。少し、思い出に残るかなあ。
10日(土) 今日は朝出初式だった。10時から奥冨の公園で。雪が降るかもしれないという予報だったのだが、見事に外れてよい天気になった。今年から少しやり方をかえて、式典を先にしてパレートはあとから。可愛い幼年消防隊の幼稚園児がたくさんパレードしてくれたので、お父さんお母さんなど大勢の観客が居た。消防団の方々はボランティアではなく、特別な公務員という位置づけである。夜中もでたり、早朝の火事もあり、命がけのことすらあるのだから、本当に感謝なのだ。でも、狭山市は女性消防団員が居ない。いつまで、こんな時代錯誤の消防団なのだろうか。女性協力隊とは別に女性消防団員も募るべきである。ボスターはいつも女性なのに、狭山市では女性消防団員を募集していない。それに、常備消防の方も女性が少ない。いてもやめてしまう。この状況の分析をきちんとすべきではないか。

午後、ネットワークを配りにつつじ野団地ほかいくつかの団地に行った。寒くて帰ってきてからもなかなか体が温まらなかった。するべきことがたくさんあるので、今の言葉で言えば サクサクと仕事に携わっているって感じである。ようやく、ネットニュース関係の事を終えた。

夜はサピオ。夫が勉強会から帰ってきて、私がトレーング終えるのを待っていた。二人して帰ってきた。家族っていいなあと思う。大切だなあと思う。夫が居てよかったなあと思う。心が通じていて良かったなあと思う。子どもたちもそれぞれだけれど、いつまでも彼らたちのことに心を砕いていようと思う。
9日(金) 今日は午前中西口開発事務所の課長と産業センターの指定管理について話し込んだ。いや、それだけでなく社会状況、行政の仕事など話があちこちに飛んだ。申し訳なかったが、話したい事が一杯あった。この不況のときに、どのような箱物にしていくかは大切な事だ。不況だから、サテライトスペースが使われなかったら何のために作ったという事だろう。管理者にとっては、利用料金制でないから、お金を貰えば何もしない方がメンテも掛からずかえってよいかもしれない。仕掛けをしてもらうにはそれなりの費用が掛かるしね。

午後は急いで帰ってきて、行政相談のために家にいた。今回はお電話もなく、ご相談に乗る事はなかった。実際の相談は時間を問わず、日にちを問わず、電話がかかってくる。でも、3ヶ月にいっぺんは時間を決めて相談日としたいと思う。電話を待ちながら、ホームページの更新をしていた。

夜、久しぶりに垢すりに行った。入間の湯が近い。一ヶ月に1回ぐらいしか行かなくなった。特に休みの日が高くなったので、週日疲れが溜まった時に垢すりをしてもらったり、指圧をしてもらったりする。気持ちが良くなるし、肩の凝りもとれてすっきりする。
8日(木) 今日は、朝から家事を、した後、お手紙を配ったリ、挨拶をしたりした。大抵の方々にあえた。久しぶりだったのでお会いできて嬉しかった。自転車で回った。エコです。お天気も良かったし、少しは運動をしなければと思った。

お昼は遅く食べて、息子の用事を済ましてまたご挨拶に。それぞれ短くご挨拶をと思ったが、お茶をご馳走になったところもあり、結局、戻ったのは6時近かった。お話ししていろいろな情報が伺い有意義だった。いつも近くの方の所だけに伺っているが、これからは少しづつ会員さんをお尋ねしたいものだと思い始めている。

夕方、ご飯を作り上げてから、サピオへ。体がどうも重くて走るのが嫌になってきている。こういうときこそ、頑張らなければと思う。

ところで、この頃怒りやすくなっている。そのひとつは、この前のホンダ社長の会見の事である。彼は、寄居の工場を建設を1年以上延期するという。しかし、効率を考えれば狭山工場も寄居に一緒にする。その上、円高が進めば車は輸入した方が言いなんて言った。私はこれを聴いて愕然とした。ホンダといえども儲けが一番んだ。儲けるためだけに仕事をしているんだ。たとえどれくらいの労働者がホンダで働いていようが、その雇用を守るよりも儲けが大切なんだ。株主への配当の方が、労働者の生活を守る事よりも大切なんだ。日本の会社なのに、その会社に働いている人よりも、儲けるためにはすなわち株主に株を配当するためには手段を選ばないんだ。だから、日本で車を作らないで海外で作って輸入した方がいいんだ。

私は、ホンダという会社をもっと高い道徳性のある会社だと思っていた。本田は家族的な会社だという手島さんの言葉に洗脳されていたのかもしれない。皆で世界で使う車を作っている誇り高き会社だと思っていたのだ。従業員を大切にする会社だと思っていた。いつかホテルと見違うほどのホンダの厚生施設に行ったことがあった。手厚い厚生施設は、会社の従業員への感謝と団結の気持ちだとおもった。ホンダは暖かい会社だと思っていたのだ。違ったんだな。一皮向けば、儲けのためには日本に会社を置かないで、車を輸入しようというのだから。日本人を首にしても儲けるというのがホンダなんだね。

でも、民間企業はただただ儲けのために会社を経営しているのだろうか。それでいいのだろうか。社会的責任は儲けて税金を払う事だけなのだろうか。雇用に対しての責任はないのだろうか。確かにグローバル経済の中では会社の経営は連結されるから、儲かるところで会社を経営すればよいのだろう。しかし、それでは何のための会社ののだろうか。金のための会社だね。本当に会社は社会の構成員としてさまざまな社会にたいして責任はないのだろうか。

労働が人件費として計上されないという。役所だって物品費か何かになっているはずだ。部品を調達すると同じように、労働を調達する。だれだれという必要はなく、ある工程ができれば誰でも良いわけだ。派遣さんと呼ばれ、名前をよばれなくなったとか、番号で呼ばれるようになったというのを聴いた。人間疎外もここまでかと思う。これは以前にも書いた気がする。

もし、会社が儲けだけを考えて働く人の事を考えないとしても、国や県や市は決してそういう風であってはならない。国民の、県民の、市民のために、それぞれの幸福と福祉のために仕事をする。働く人のために施策を続ける。だって、彼らは国民であり、県民であり、市民じゃないか。それに行政は儲けのために仕事をしているわけでない。病気の人のために、働けない人のために、動けない人のために、さまざまな施策を行ってきている。一人の国民が飢えず、凍死せず、生きていかれるようにするのは行政の責任だ。

その一端を企業は担わないでいいのか。儲けて税金を払えばいいでしょうという事にはならないだろう。ホンダの社長の会見をみて、本当に愕然としてしまった。ここまで、企業のモラルはなくなり、とても冷たくなってしまったんだね。それも、昨年までは史上最大の利益を上げており、20年度でも利益があるといわれている会社の社長のいう事か。情けない。お金だけを言うのであれば、日本の企業をやめて、ホンダは中国へでもどこへでも行けばいい。今まで働いてきた従業員への思いなど伺えない。日本、行政も含めて、への感謝なんかも感じられない。儲けて、税金を上げてきたのだからそれでいいでしょうという傲慢さしか感じられない。日本の社会は持ちつもたれつだったし、それは馴れ合いじゃなくて、助け合いって言ってきたんだからね。

あ〜〜〜〜!!!!腹が立つ。
7日(水) 今日は、朝入間川病院で胃検診の結果を聞いたら、1年に1回健診を受けるようにとのこと。癌もありません。胃潰瘍もありません。ただ、ポリープがありますが、心配はありませんとのことだった。ポリープがあってもなぜ心配しなくてもいいのかと思うが、先生がそういうのだったら心配しない事にしよう。もう、年末に健診を受けるのは止め。年末年始にいつも心配している。今回だって、親に会うのもこれで最後かなあなんて思ったものね。

封書詰めを終えた。午後から郵便局に行く。することがつぎ次にあって、目の前の事をこなすだけで精一杯である。本当にどうしよう。
6日(火) 今日も朝からお仕事。ネットニュースを仕上げた。それから、紙にうちだしたが、その後の校正のほうが手間が掛かってしまう。まあ、いいかと終わりにしたが、今回は他人のチェックをお願いできなかったから、怖いなあ。自分では誤字脱字が見えない。印刷した後に、娘に封筒につめてもらい、私はご挨拶を書き出した。ニュースとは違い会員さんには言いたい事がたくさんあって、一枚の紙に書き込むのが難しい。でも、裏表に挨拶されても困るだろうしね。ということで、小さな文字でたくさん書いてしまった。それも印刷して、封書につめた。

明日、頑張って送りたいと思うが、領収書も書かなければならないし、明日の午後まで掛かるだろうなあ。

夜、久しぶりにサピオに行った。一週間ぶりぐらいだから、体が鈍っていて走れなかった。ゆっくり歩いたり、ゆっくりエアロバイクをこいだりしていた。ブルースの歌詞をかんがえながら・・・・
5日(月) 今日からお仕事。ネットニュースの作成に掛かった。どうしたわけか、きちんとエンジンが入った。一枚半ほどができた。勿論、一日賭けての話しである。洗濯物もたくさんあるし、片付けもあるのだが、無視。とにかく、仕事のできる時は仕事をするのです。

長男は学校。次男は練習。夫は仕事。娘はお昼まで起きてこないで、私に怒鳴られて起きた。全く。

とりあえず、朝から夜までコンピューターの前にいて、腰が痛くてたまらない。歩く時に腰が曲がってしまい、これは仕事病だから仕方がない。お風呂に入ってみても、その時は楽だけれどちっともよくならない。
4日(日) ようやく家に戻ってきた。楽しい時はあっという間に終わってしまう。新潟を3時半頃でたら、7時半にはもう狭山に戻った。渋滞らしい渋滞にもあわなかった。明日からの仕事に頭が切り替わってしまった。頑張ろう、今年の一年も。自分のペースでしか活動できないし、決まった事を決まったようにする事が一番の課題である。本当に頑張らなければ。

子どもたちの新しい出発もあるが、どうなる事やら。祈るしかないし・・・夫の仕事も大変である。何も出来ないけれど、そばにいることだけは出来ると思う。心が弱い人間であるけれど、くじけずに立っていようと強い意志を持たなければと思う。神様の導きのとおりに生きていくことが大切なのだろうと思う。
3日(土) 新潟の叔母のところでゆっくりしていた。
2日(金) 新潟市のおばのところに移動した。
1日(木) 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。直江津(上越市)にて

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