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私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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10月 私の独り事
31日(土) 8時過ぎにホテルをでて、9時からの分科会へ。これがまた腹が立った。面白くもおかしくもないつまらない分科会。ネーミングに偽りありだったわね。日本女性会議なんか次には出席しないぞと思ってしまった。あまりにレベルが初歩的すぎ。フェミ議や市川さんの勉強会や、まどかさんの勉強会に比べ、昔の婦人会に来ているかのようだ。

午後の全体会も酷いもので、女性2人の対談だったが、一人は資生堂の取締役の岩男さん。もう一人は女優。今思い出そうとしても彼女らが何を言っていたかを思い出せない。くだらない話を延々としていたように思う。その後、閉会式のようなことをしていたが、それも行政がするような感じのものだった。はじめ行った青森は手作りの良さがあったし、分科会もはっとするようなものがあり、目が開かれた思いをしたものだったが、私が成長したのか、日本女性会議が堕落したのか、全然興味が湧かない。

閉会式も最後までいないで帰ってきた。大阪を見物したいとも思わなかったし、正倉院展をしている奈良に行くには遅すぎるしで、東京まで直行し、狭山に戻った。帰ってきた。10時だった。大阪も近くなったものだわね。それにしても、つまらない日本女性会議だった。金と時間を返せっていいたい。
30日(金) 朝、急いでタクシーで奈良駅まで、その後、難波経由で堺駅まで。堺駅で樋口先生にばったり会って、ご一緒にリーがロイヤルに。日本女性会議の全体会があった。全体会は樋口恵子さんと赤松良子さんの対談。つまらなかったわ。聞いた話しばっかりだしね。他の所に行くべきだった・・・・

4時過ぎに奈良女子大学の時の友達と喫茶店であってお話しをした。3時間近く話し込んだ。あっという間で、その後私は交流会へ。これもつまらない交流会で、そもそも私のような魚以外はベジタリアンという肉を食べない人には食べ物がない。名刺を交換し合ってもつまらないつまらない。初めて会った人に何を話せばいいというのさ。知っている顔もちらほらするけれど、私はこんな場所はもういいわとさっさと引き上げた。

宿舎は難波に取ってあった。それも、28日の夜中にコンピューターで予約した。禁煙ルームで女性フロアーのあるホテルはなかなかない。だから、大阪に戻らなくてはホテルは取れなかった。始めはリッツカールトンに泊まりたいなあと思ったが、1万6千円で泊まられるはずもないので止めた。清潔でよい宿だったが、新聞が産経新聞でそれが嫌だった。
29日(木) 今日は午前中、視察のための準備。昨日まで何もする閑がなかったので、時間が掛かった。お土産もひつようだったし。

10時半のバスに乗って、ネーサンとともに新宿へ。都庁の観光局に行きたいというので一緒に行った。そのついでに45階の展望に行き、食事をした。ここも勿論おばさんのおごりである。全く、お金が掛かるね。とても素敵な場所で、夜に夫とデートによいわねえなどと思った。

都庁でネーサンと別れ、私は品川から新幹線で京都。その後、近鉄で奈良に来た。近鉄奈良駅で御寿司とビールを買い込んで先生のお宅にタクシーで伺った。凄い高級住宅街。敷地も広くてご立派なお宅。昔の戒壇院の前の古いお宅とは比べ物にならない立派さ。そこに、おひとりでお住まいでもったいないようであった。先生は体は大変そうでお気の毒に思ったが、精神は元気で何も心配する必要なし。良かったなあ。夜中まで昔話などをした。
28日(水) 今日は朝最高裁判所に見学の予定を入れた。何べん電話してもつながらず、30分ぐらいしてようやく予約できた。良かった。

そのうち電話がかかり、アメリカからやってきた甥を、所沢に迎えに行かなければならなかった。鬚があるはずだったのに剃ってきましたというので、よく分からなかったが、よくよく見るとネーサンだった。家に帰るまえに、役所によって議会やら役所やらを上から下まで見学させ、ちょうど昼時だったから、食堂で弁当を食べさせ、喫茶店でコーヒーを飲ませ、今度は智光山公園へ。時差ぼけを直させ、夜眠くするためには昼寝させず、疲れさせるのが一番と思ったのだ。

智光山公園のテニス場に車を置き、体育館、動物園、植物園、菖蒲園、とすべて歩いて回った。疲れたのはネーサンではなくて、私のほうだった。2時間近く歩き回りましたからね。は〜〜〜。

夜は、カレーライスを作って食べさせた。娘が作ってくれたのだが、ネーサンは僕は何でも食べるからねといったので取り合えずカレー。勿論私にはお刺身を買ってきて、別メニュー。

ネーサンは富士山に登りたいという。テントもあるし、自分はネーチャー指導員をしているから山登り大丈夫だというが、とんでもない。上らせられない。富士山の何処にテントを張るというのさ。北アルプスはよいハイキングの場所だと聞くというが、確かに夏はね。でも、冬は厳しいんだよ言って聞かせるが、そもそも山男のネーサンの耳に入らない。それで、どれくらい日本の山を知っているかといえば、何も調べて着てはいない。本当にどうするつもりなのかと暗澹とする。
27日(火) 今日は特別支援学級の視察の日。柏原小、9時。新狭山小10時30分。堀兼中、11時45分。西中、1児45分の予定。堀兼中のあと、保健センターに寄ったので、西中に少し遅れた。

柏原小は知っている先生がまだ頑張っていた。介助員さんなし。

新狭山小、4クラスもある。個人勉強用の施設があるのに使っていなかった。もったいないなあ。介助員も多かった。

堀兼中。昨年できた新しい支援学級。個別指導をしていた。3クラスに分かれていたが、こういう指導はいいなあと思いながら帰ってきた。学力が伸び憎い子供達だけれど、学力を伸ばす必要をとても感じている。指導時間が小学校にくらべ飛躍的に少ないのはどういうことだろう。市議会議員が指摘することではないけれど、カリキュラムのあり方に疑問を感じてならない。

西中。子どもが通っていたせいか親しみが多い。ただ、バリアフリーにする努力が絶対必要で、今工事中だというので、どのようになっているかチェックしたくなって、視察を終えてから、教育委員会に行き、耐震工事に伴う渡り廊下の工事について調べた。一定程度のバリアフリー化はされるようである。

学校はどうしてこうも障害(バリア)が多いのだろう。3障害(身体、知的、精神障害)を区別せず障害として特別支援していくのが決められているが、その特別支援学級のある学校がバリアが大きすぎて障害者が教育できないなんてまるで漫画だ。早く何とかしなければならないと思う。
26日(月) 今日は、朝から家事に追われた。月末なのでお手伝いさんなしなのである。洗濯物が山ほど溜まっていてうんざり。皿もたくさん洗った。事務仕事もあり、それも片付かない。は〜〜〜。

29日の視察の件で午後は時間がたったが、結局視察は不可能という事が3時過ぎに判明。仕方がないわねえ。4時過ぎに役所に行って視察伺いを出した。しかし、視察は出来ないものの、結局、29日に出かけることにした。大学の先生にも久しぶりで会うことにもしていたからだ。彼女は最近退職した後、癌で手術をしたらしく、この前電話をしたら是非会いたいようだった。癌は最近では怖いものではなくなったようだが、それでも私も先生に会いたい。もう、20年もあっていない。声はお電話で聞けてもお互いに忙しくて合えなかった。この前の視察のときには、先生は学会で東京に来ていてすれ違いだった。私が大学院生の時生まれたお嬢さんが結婚して、子供さんもいるというのだから、歳月の立つのは早いなあ。

4時半ごろから福祉部の保育課の課長らと祇園保育所の指定管理者制度について話を聞いた。うまく行くといいけれど、初めての事だから親に不安があるのは当然だ。また、親だけでなく、役人も慎重だ。それでいいのだろう。役人は親の不安を払拭しきれなくとも説明し続けなければならないだろう。事故など起きないようにしなければならない。緊張する。良い代行者がいればいいが、どうなる事だろうか。法人を考えているようだが、法人だって指定管理者の役割をきちんと認識してもらわないと、自分の所で運営していると間違って考えてもらっては困る。ここいらが大切である。まあ、次長は自分でこの精度を立ち上げたような人だから、モニターにしても民と官との役割にしても熟知はしていると思うが、さてさて保育所の指定管理制度の導入に関してはいかがなものかなあ。もっと、私自身が勉強しなければと思う。

6時近く役所を出て、帰ってきた。久しぶりで子どもと3人で食事をした。8時過ぎ、息子は勉強。私はHPを更新している。
25日(日) 今日は朝、商工祭りに急いで出かけた。朝じゃないと顔を見せる時間がないと思ったからである。大抵、商工祭りには顔出ししているが、去年は忙しくて寄れなかったから、今年は少しだけでも顔出ししたかった。ちょうど、開会式がおこなわれていた。はっぴを借りて私も前に出させられた。遅れていったから後ろで見ていようと思ったが、とにかく受付だけでもと思ったら、市民部長が私を見つけて呼び止めてくれた。

市長も昨晩水富公民館にいたし、部長クラスも大挙していたのに、私も含め、行事が立て込んでいて皆土日がない生活だ。忙しいよね。

ところで商工会議所の会頭にあったので、西口駅前の文化財について寄付できないか聞いた。いくら今は大変だといっても、あの世界のホンダが所属する狭山市商工会議所だよ。23年3月は無理としても、公益施設のできるまでに何かひとつ文化財を寄付してもらいたいものだ。私の父は直江津南口商工会会長を十年したが、商工会は直江津駅の区画整理事業完成と直江津駅の新設を記念して、かなり立派なモニュメントを上越市に寄贈した。はっきり言って、狭山市の商工会議所は父の属した商工会に比べ、何100倍もの資産を持つ大企業がひしめいている。1億円なんていわない。でも後々記念に残り人の心を和ませる文化財のひとつ、商工会議所が寄贈してくれるといいなあ。そうなったら嬉しいなあ。

その後、教会に走り、礼拝。この教会に3週間これなかった。礼拝は教会で皆で持つものだと思う。

教会が終わり、ゆっくりする間もなく、伯父の所に顔出しに行った。2,3日前に電話がかかり、顔を見せろという話だった。この3週間教会にも行っていなかったから、伯父さんのところなんて行く時間も無かった。11月でまん89歳になるという。あんなに頭の良かったおじさんですら、もの忘れが酷くなったのには驚く。ボケと言ってもいいかもしれない。同じ事を何べんも何べんも聞く。まあ、「私が久美子だという事が分からなくなったら、もう来ないからね」と脅したが、そういう時がきても驚かないかんじになっている。嫌だわねえ。この前までは、本の話などもしていたのだが、今は本など読んでいるのかしらと思ってしまった。顔つきがとてもぼんやりしていて、3ヶ月でこんなに退化するのかと愕然とした。声だけは大きいのにねえ。

ブックオフによって帰ってきたが、あっという間に夕方になり、久しぶりで市民体育館にトレーニングに行った。今回は40分徒歩。15分マッサージ。40回背筋、40回腹筋。20回側腕筋、20回内腕筋、20分自転車をしてから、ストレッチ。新しいDVDにしたがって、ストレッチをしているが気持ちがいい。シャワーを浴びて帰ってきた。最近は出来る限り、管理体制に目を向けずにいようと努力をしている。さもないと、トレーニングに集中できない。

ヤオコーによって買い物をして帰ってきた。7時過ぎで夕食は9時ごろになった。その後、夫と二人でカルフールにテレビを見に行った。本当は買ってしまいたかったのだが、残念ながら思ったようなものは無かった。

息子を稲荷山公園に向かいに行き帰ってきたが、11時を過ぎていた。今日も長く、いろいろあった一日だった。
24日(土) 今日は、朝から入間小学校と南小学校を視察。特別支援学級の視察である。入間小学校の先生は本当に子どもを集中させるのが上手だねえ。人に見せる授業もうまいなあ。子供達が何をしているのではないが、きちんと先生の話を聞いて授業に参加しているのがよく分かる。お若く見えるがもう定年だそうで、本当にこんなに能力のある先生が年だからって止めていいのかと思ってしまう。もう一方の南小学校の先生は娘が教えていただいた先生で、なんだか痩せていて誰だかわからなかった。娘が働いているのを喜んでくれた。まだまだあちこちで知り合いの先生に会えるのは嬉しいなあ。

私は今回バリアフリーと介助員のことで視察をしている。介助員さんの能力は高そうだった。それはいいとして、南小学校は5人の子どもに1人の担任。そのうえ、どう考えても子供達は重複した障害を持っているとしか見えなかった。個別指導をしていたが、担任の先生は大変だ。5人分の指導案と教材を用意していなければならない。普通クラスを5クラスもつ時、ひとつの指導案で5回指導できる。特別支援学級では個別にそれぞれ能力が違うから、ひとつの指導案を5人で使うというわけには行かないだけでなく、教え方すら変えなければならない。本当に担任の先生のご苦労は大変であろう。校長先生が、知的と情緒の2クラスをお願いしたが、情緒しか出来なかったといっていたが、統合された後には絶対最低2クラスは必要だろうと思った。

その点、入間小は9人の生徒で2クラス、加配の先生も入れて3人が2人の介助員さんと一緒に指導している。こちらはこれでいいかな。

施設から言えば、この南小は特別支援学級を2階に上げるというが、バリアフリーの観点から言えば、難がある。エレベーターがほしいところだ。情緒の子どもだから身体に異常がないというが、一概には言えないのだ。重複の例もあるし、階段には手すりはあっても危ないことも多い。強い自閉の子どもをまっすぐ歩かせるだけだって、大変な労力がいる事がある。階段を上らせるのが厄介にならなければいいが。6年生になると子どもも大きくなるからね。

お昼に帰ってきてから、事務仕事をした。あっという間に夕食の時間となり、娘と二人で食事をした。娘は入間の万灯祭りから戻ってきてご機嫌だった。7時には水富公民館に行き、ふれあい懇談会に出席した。議会に示されていないアンケート結果などが市民に配られていた。それと後期計画のための懇談会が開かれ始めているらしい。そんな報告は昨日ぜんぜんなかったもんね。

ところで懇談会で市長に会ったので、モニュメントというか文化財を西口にと要望した。豊かな文化都市を構築するって言っているのだから玄関口にひとつ文化の香りのするものがあってもいいんじゃないの。市長はけちだから、ちっとも良い返事は無かった。ふん。

9時過ぎから、西中野球部母の会。なんと子供達は26になったりなろうとしているのに、親達はまだ飲み会をしている。大抵夜中12時過ぎまで、バーミアンで飲んだり食べたりするが、今回もまた楽しんだ。肩の力を抜いて楽しめる、本当に貴重な会である。幹事の方には心から感謝します。年に2回だけれど、楽しみにしていて、遅くなっても欠かさず出席している。

それにしても忙しいわねえ。
23日(金) 今日は全員協議会。インフルエンザが猛威を振るい始めたという話。子育て応援手当てを給付しない事。20年度の分はほぼ配り終えたとの事。まごころ手当ての給付状況。福祉関係のことが多かった。その他の国の補正関係では減額がなかったようでよかった。

その後、お昼まで建設委員会協議会。雨水幹線からみで新しく枝線を契約するとの事。市営住宅のことでは、鵜の木の市営住宅を高層化すると言う事。西口開発では16億円も経費削減したこと。内容は盛りだくさんだった。

午後は、関西方面の視察の日程調整。その後、教育委員会から評価について、その後は西口開発事務所から西口関係について。モニュメントをという話はほぼ無くなってしまったようで、私は怒り心頭。豊かな文化都市をどうするんだ。お金がないというだけの話が先行して、おなかが膨れないモニュメントなどの文化財は見向きもされていない。西口再開発が高すぎるという人がいるが、だからと言って安くすればいいというのではないでしょう。教育委員会の馬車鉄道のモニュメントは結局無くて、ちいさなプレートになるらしい。なんだかなあ。

24日からの教育委員会の視察の日程が決まった。結局、教育委員会が言ってきて調整案はほとんど実行不能の形で、仕方がないので公開授業を見せてもらう形で二校を入れて、大幅変更した。それでよいと分かったのは、なんと金曜日の5時過ぎ。明日朝からの視察とはスリルのあった視察日程調整だった。
22日(木) 今日は朝から怒り心頭。電話で事務局と話をしていたが、もう私には調整能力などない。自分の要望は言ってあるのだから、教育委員会が調整してほしい。また、私が要望を言った所でそれがそのままうまく行くかどうかも分からないしね。

そもそも・・・・と結局怒ったままで教育委員会へ。参与になぜ正式書類を出す前にきちんと調整しなかったのかと詰め寄った。本当になぜしなかったのか理解できないなあ。なぜ、正式書類を調製前に要求したのかそれも理解不能だ。来週からの視察の日程なんかが今でも組めないなんて、何のために9月に教育委員会に出向いたか。なぜ、私の希望が分かっていて、調整を全然しなかったのか。議会事務局から電話までさせたのに。何べんも言っても仕方がないけれど、手順が違うでしょうという事だ。「あの〜〜」と若い先生が話しかけたが、無視。教育委員会が調整したのを事務局に言ってほしいと言って帰ってきた。

午後は関西視察日程調整。うまく行かない。どうしても、うまく行かない。私は博物館などの文化施設の視察を行いたいのだ。博物館の常設展示を何とかすべきだと思うが、他の市ではどんな風にしているか見てみたい。だから、市立博物館やら文化会館などを視察したいと思っているのだが、日本女性会議のせいかちっとも日程調整が出来ない。遅すぎたわねえ。だから、お断りされたりしている。困ったなあ。夕方遅く、あちこちの部署によって帰ってきた。

夜はサピオでトレーニング。汗をかくのが気持ちがいい。
21日(水) 今日は午後に役所に行ったら、教育委員会から視察の日程の事で、26日は視察できないという事だった。だって、日どりは最早3週間も前から言ってあって、19日に日程調整のときにわざわざ議会事務局から校長会などの日程と重ならないようにお伺いすら立てて組んだ日程である。それも、こちらから言っても向こう様のご都合もあるのだから、日程調整をしてほしいとこれも3週間も前に教育委員会に行ってお願いしてあるのに、教育委員会は何もしていないで、書類を出せという。

4日で13校回る予定を3日で4校回れといわれたって、日程をどう調整していいか分からない。教育委員会に日程の調整を頼む事にする。始めからきちんと調整してくれれば、こんなことにならないのに。

夜は久しぶりで体育館でのトレにーんぐに励んだ。汗をかいたら体が軽くなったような気がした。新しいストレッチのDVDが気に入って一生懸命したが、久しぶりで足が攣ったりして、運動不足を痛感した。
20日(火) 今日は、久しぶりにHPの更新に精を出した。毎日書けばいいのに、ちっとも書ききれない。それでまとめ書き。

午後は久しぶりに買い物に出かけた。なんだか体がだるくて動けない。こんなときには無理はしないのさ。
19日(月) 今日は朝、議会事務局に久しぶりに顔を出した。視察の計画のことが中心だった。学校関係の視察をする予定だが、書類を出さないと計画をしないと教育委員会が言うので、計画を出した。前もって、この日だったら視察が出来るので、学校を特定してそちらがいい日にいい学校に行くので調整してほしいと教育委員会に頼んでいたのだが、一切何もしていなかった。書類がないとできませんですって。今まで市内の視察は書類を出すという事は少なかった。政務調査費がほとんどかからないからという事もあるし、事務局が係わらなくても自分で日取りを調整できるという事があったせいである。

今回は、下準備を教育委員会に頼んだが、正式な書類がないと計画すら出来ないといわれて書類を出した。これは、かなり今までの慣例とは違う。まあ、いいでしょう。でも、行程表までこちらが準備したのだが、教育委員会は私が示した行程表どおりに視察をさせられるのだろうか。あちらのご都合はいかかなんだろう。今までかって、議会で議長名で正規に要望した視察がひっくり返ったという事例はないと思う。それは正規の書類を提出する前に、調整を重ねた結果、正規の書類は修正などせずそのまま視察を行う手順を踏めるわけだったからである。これは、市内、県内他市、県外を問わず視察の場合そうなのである。だからこそ、調整をお願いしたのにもかかわらず、調整もしないで書類だけ出せと教育委員会が言うのだから、まさか行程表が変る事はないという事なんでしょうね。すべて、私が書いたとおりに視察をさせてもらいましょうか。

さもない場合には、正規に提出した書類を行政側が議会に訂正をお願いするとしたら、教育委員会は教育長の名前で、行程表の修正の要望書を正式に出していただきたいと思う。正規な書類を出すという事はそういう重みがあるからこそ、内々での調整をするのでしょう。私は、議会を通してこちらから行政にお願いしたのだから、視察のお断り(修正だって結局お断りの一種だ)は正式なルートでやってほしい。そもそも、視察をお願いするときは高橋ブラクソン久美子が個人的にお願いするなんて事は内々での視察以外はないし、正規にするとしてもそれは調整をした上での書類の提出なのだとのことが分からない役人はいないと思う。分かっていてしているのだったら、先に私が言ったように、私が書面で議長経由で提出した事を出来ない場合は、教育長からご返事を議長宛にいただきたいと思う。

実際の所、同じ役所の中にてどうしてこんな面倒な事をするのか伺いたいものだ。今までだって、書類なんか出さないで学校を視察したものだし、校長先生はいつでもお出でくださいといってくださっている。今後は書類を出さないといけなくなるんですかねえ。これでよく開かれた学校なんていっているわねえ。えっ、他の人にも書類を出さないと学校見学をさせない仕組みに変えてしまったんですか。その点は、議会の一般質問で伺うべきものですかね。

と、腹を立てながらも書類を出した。次の視察は10月末の日本女性会議に出席する事だが、うまく予定が立てられないので明日には早急に立てなければならない。でも、今日は行政報告会を事務所でする予定だったので、家に帰るつもりで議会事務局を出た。でも、福祉部に昨日の事を言わなければならなかったし、福祉部の話も伺いたかった。日程だけをつめるつもりだったけれど、1時まで話した。

1時過ぎ戻ると市民が待っていて、本当に申し訳ないことをした。優しい優しい市民の方で、私はこういう人に支えられているんだと思うと心がかえって沈む。十分な仕事をしているんだろうか。今日の報告でお分かりしていただけたんだろうか。そのうえ、カンパもしていただいたんだから、本当に頭が下がります。ありがとう。ありがとう。彼女はリサイクルセンターを視察したいという。1月の中旬から下旬に予定しようと思う。出来れば、リサイクルセンターの行事にあわせられればいいなあと思う。裂いた布でぞうりを作るというのがしてみたいと思っていたからどうだろう。

報告会後、又議会事務局によって視察の調整を重ねた。でも、やはりまだまだ調整が出来ていない。七時まで頑張ったけれど、大阪府内、奈良県内で市立の博物館が少ない。これには驚くなあ。博物館はお金が掛かるものねえ。まあ、町中が博物館みたいなものなのかなあ。10万都市の博物館はないわねえ。動物園もあり、博物館もある狭山市って本当にリッチですよねえ。

夜は、このHPを書いてねる。
18日(日) 午前中はさすがに動けなかった。もう、こんなスケジュールは嫌だ。休みらしい休みを3日続けて取りたい。本当は教会に行きたかったけれど、体が動かなかった。でも、1時過ぎにお風呂に入り、自分に活を入れて、2時から祇園保育所の指定管理者にするのを反対する保護者の方々から意見を聞いた。不安で一杯なんだなあと思った。この不安を解消する努力が必要だと思った。

指定管理者になったからと言って、公立なので内容が変るという事はないだろうが、保育者は変る事は変る。けれど、公立保育所の先生達のように配置転換がないから、一箇所に長いこと付き合ってくれる先生も増える事もあるだろう。その際、今まで5年を目処の指定管理者の選定を繰り返していたが、きちんとしていたという評価の指定管理者であれば、少しはインセンティブというか評価点を上乗せした上で、選定をするべきかなあと思う。選定という評価が5年ごとにはあるべきだと思うが、あまりころころ保育母体が変ってしまうのもいかがかなあと親の心配も分かる。

仮保育所の話と祇園保育所の建て替えの話もあったが、私は出来れば2箇所に保育所を増やしてもいいかもしれないなんて思った。だって本当の祇園保育所が出来た際、もしかして待機児童が多かったならば、仮の保育所をそのまま使っていてもいいわけだし・・・

話し合いをしながら、お母さんが東京へ働きに行っているのを聞いて大変だなあと思った。5時まで東京にいて、六時半には狭山で子どもを受け取るなんてどうやったら出来るんだろう。若いって凄い。私も堀兼中学校から笹井保育所まで車を走らせて、5時終業で5時半までに子どもを受け取るのはしんどかったなあ。それなのに、電車で帰ってきてから子どもを受け取り、家事をするとはスーパーマンである。そのうえ、土日も仕事があり、出かけることもあるとなれば、よくよく反対運動などをする体力と気力があるもんだ。

そういえば、私の息子が年中のときから、私は笹井に学童保育室を作る運動を始めた。そういえば、私だって彼女達と同じように同じ思いの友達のお母さんと運動を始めたんだった。それを思うと、彼女のうちの何人かがいつか市議会を目指し頑張ってくれるガッツのある女性に育ってくれる事を心から願っている。彼女達の給料よりは市議会議員の報酬のほうがいい。単純にその点だけで、市議会議員を評価してくれてもいい。選挙が大変であるのは当たり前なんだけれど、それは教えてあげるからと。行政にとって面倒くさいぐらいの人間が議会に必要なのだろうと思う。私は大分人が良いから、人が悪いぐらいの議員がいても良いかも。そんな言い方はないかなあ。でも、とにかく、若い女性が政治を目指すならば、応援したいと心から思っている。そういう意味で、この女性たちを応援したいなあ。

ただ、指定管理制度そのものは、私は悪いとは思っていないのだけれど。

夜ご飯を食べてお風呂に入ったら、またもや眠い。
17日(土) 今日は朝10時過ぎに入間川の河原へ。里親会のバーベキュー。おいしく食事をいただいた。

1時半過ぎに、聖望学園へ。謝恩会のための話し合い。渉外・運営係りに。

18時過ぎから、エープリルバンドコンサートに原宿へ。酔っ払いました。楽しかった。でも、尾崎豊は死んじゃったんだなあと実感した。どこかに尾崎を探していたんだけれど、死んだんだなあ。深く深く寂しくなった。探さない方がいいし、そこから尾崎を聴くべきだと思った。本当に尾崎への考えを転換しなければならないのだ。距離を持たないといけないと思った。あまりにも、あまりにも熱烈に尾崎に入れあげていて、自分と尾崎との接点を妄想しすぎていたかも。尾崎を手放すときが来たんだろうか・・・・・。
16日(金) 今日は子どもの弁当を作り、学校へ出したりした後、又ベッドに入った。時差ぼけだっておかしいのに、九州での視察も疲れを増した。バクスイ状態で1時まで。その後、起きてHPのリニューアルをしたりしたが、もう体がだるくて外に出る元気は全くなかった。

今日は市川房枝記念会の女性と政治センターの企画運営委員会があったが、パス。新宿まで出る元気がない。

夕食を作った後、息子を入間市駅へ送った後、入間の湯へ。もう、疲れ果ててのんびりお風呂にすら入れず、ぼんやりサウナに入っていた。
15日(木) 今日も視察。今日は大野城市。公園のリニューアルについて伺い、現地も1箇所見せていただいた。市民にリニューアル計画を作ってもらい、その後の管理まで任せるという事。まあ、1平米1,2万円でリニューアル計画を作ってもらうそうだが、1000平米もあれば、1000万円。狭山市にはちょっと不可能だ。でも、街区公園の遊具などは市民の提案を考える事ができるかもしれない。例えば、1年に2件、200万円まで等としてみたらどうか。これは、私が提案しても良いなあと思ったりしている。

帰りはおいしい昼食をいただいた。これは大野城市の議会事務局のご紹介のお店で、安くかつおいしかった。飛行機で福岡から羽田に。そして、帰りは空港バスで所沢まで来て解散。私は車を役所に扱ってもらっていたので、それで帰ってきたが、途中、ヤオコーによって食事の惣菜を買った。8時近くなって食事。本当につかれきった。
14日(水) 今日は朝5時半に起きて、視察の用意をして出かけた。建設環境委員会視察。行き先は久留米、大野城市。羽田・福岡は飛行機。久留米までは電車。

とにかく久留米市役所にはひっくり返るほど驚きましたよ。20階立てだものね。市内を睥睨できる19階に議会があった。30万都市。議員32人。代議士は誰かと聞いたら、あの鳩山邦夫さんだと。へ〜〜〜って心から思いました。ブリジストンが久留米市から始まっただなんて、私は知りませんでした。どうして鳩山さんが九州が地盤なんだろうと思ったものでしたが、これで納得。

環境に関しては良い点がたくさんあり、狭山市にも取り入れればいいと思いました。副委員長がきっと議会に提言してくれるんじゃないかと思います。お金も掛からないから、こんな経済情勢の中では取り入れやすい施策ですね。

久留米泊。食事は魚料理で、いろいろなお酒を舐めさせていただき、とても楽しくおいしく過ごしました。食事の後、タイ式マッサージの店に行き、全身マッサージをしてもらいました。でも、指圧の方が聞くかなあと思いましたね。
13日(火) 着いたのは夜の5時半。一日損した。でも、行きに一日得したのだからチャラ。荷物を取り、税関を通り、車をパーキングから持ってきてもらい、帰ってきた。帰りは何処にも寄らなかったけれど、車は快調だった。9時前に家に着いた。

子供達は何を買ってきたか興味津々。仕方がないので、スーツケースを明けて買ってきたのを見せた。いろんな物を買ったけれど、あまり大喜びをしなかったのは悔しいねえ。もっと喜びなさい。久しぶりにお風呂に入ってから寝た。
12日(月) 今日は午後3時15分の飛行機で帰る予定。もう朝から結局スーパーに買い物に出かけた。今回は夫が好調で、ワインを4本かいたしたし、私は私で食料を買い増しをした。本当はもっと買いたかったのだけれど、もって行かれないから150ドルほど。今回は少ししか買わなかったけれど、ワインがあるからお金が必要になった。その後急いでチョコレートを買いに出かけた。昨日パックして後50ポンドほど買い物が出来るのがわかったが、結局30ポンドほど買っただけだった。

お昼過ぎにお母さんが運転して空港に出かけた。行きはジムさんが運転した。お父さんは心臓病のために血管に直接薬をいてているので、危ないというので運転をやめさせられている。80歳だからいいか。一生懸命ダイエットしている。インシュリンも打っているし、糖尿病は怖いとしかいえない。私も最近太り気味だから、注意しないと最後が大変だ。伯父さんの例もあるしね。

昨日は良く眠れなかったから、飛行機に乗った瞬間もう眠ってしまった。13時間ものるのだから、眠られるととても楽だ。それでも、飽きた。
11日(日) 今日は朝教会。さすがに教会では女性も着飾っていた。コンテンポラリーの礼拝が9時半から、古典的な礼拝が11時すぎからある。私達はコンテンポラリーのほうに出かけた。コンテンポラリーというのは賛美歌よりも今風の音楽で賛美する。知っている曲もあり、楽しかった。メソジスト教会で私達もこの教会で式を挙げたのだ。

礼拝後、ホールでドーナツを食べて懇親。日本人の方がいらっして、初めてお目にかかりお話しをした。女性でフォードで働いていたという事だった。今はソーシャルセキュリティー(年金)もあり、企業年金もあるので悠々な生活らしい。時々日本に来て1ヶ月とかいるらしいが、聞いてみるとまあ夫婦で年金をもらっているせいか優雅なシニアライフって感じです。いいわねえ。

その後、息子が靴がほしいとスカイパーで話したので、買いに出かけた。28センチだけれど、彼がいうような物がなくて、次善な物で済ませることにした。仕方がないよね。それだって60ドルもするんだから。それと私にも一つ買った。私の靴もぼろぼろではけなくなっていたので、2つ目が半額というのでもう一足買ったわけである。

1時からは弟達がやってくるというので、ピザパーティーが開かれた。今回、皆にあまりお土産を買わなかった。忙しすぎて買いに行く閑もなかったし、何を買おうかと頭が回らなかった。悪かったなあ。わざわざ会いに着てくれたのに。初めて甥にあった。この前はこの子はおなかにいたものね。ピザがおいしくて4切れも食べた。日ごろピザなんてカロリーが高いので食べる事はないのだが、少し気分がゆるくなって食べてしまった。そうしたらおいしくて止められなくなった。ピザはアメリカのピザに限ります。イタリアでも食べたけれど、アメリカの方がおいしい。という事はカロリーが高く、私の健康には悪いってことだけれど。

午後3時過ぎに2家庭が帰り、6時過ぎには他の2家庭が会いに来てくれた。52歳でリタイアした弟はすることが沢山で今まで以上に忙しいとか。家を3軒もっていて、それを貸しているのだそうだ。勿論、自分のための家もある。その家は自分で立てたもので、娘夫婦に売って、自分達はカレージを改良した家にいる。とにかく、馬鹿みたいに大きな家は大人2人には不必要だという事。彼は3軒の家の家作で食べていくのだろう。彼の妻はバイブルストアを開いているが、それはうまく行っていないみたいで大変だろうと思う。でも、52歳でリタイアしてお金に不自由なく生きていけるんだから、いい生活だといえるだろう。

夜皆が帰った後、疲れ果ててしまったけれど、結局良く眠られない。12時ごろ、買い物に行こうかなどと話をしたが、夫がコンピューターの前から動かず、腹が立って寝た。でも、結局4時ぐらいにおきてしまい、眠れなくなった。夫は4時過ぎから良く眠られたといっていた。
10日(土) 今日は夜に寝たのか寝ないのか分からない感じだったが、とにかくベッドに朝7時過ぎまでいられてよかったと思った。夫が11時過ぎの飛行機でミネアポリスからデトロイトまで来るので、弟のジョーが運転してくれた車で空港まで迎えに行った。デトロイトは紅葉が始まっていて、美しい。真っ赤な葉、黄色い葉の木々が森を作っている。道路が広くて、片方3車線なんて当たり前で、真ん中に常時変更車線があるから、大体7車線だ。その両車線の向こうには歩道がついていて、それも広いから、車で走っても目の前が広々としている。いいなあ、ミシガンは。特に秋のミシガンは美しい。

昼はベジタリアンレストランで食事をした。魚は食べても肉はパスという生活を続けている。アメリカに来てもそれは変らないでいる。

午後からは買い物を予定していたが、夫が疲れ果てていてまずは夫が昼寝をしたものだから閑。でも、5時過ぎには買い物に出かけた。夫はグロッキーだったが、とにかくいつもアメリカで買っている夫のズボンを3着、息子は大きすぎて日本でなかなかサイズが見つからないので、ジャンパーやら街着などを買ってやった。もう、着る物がないなどとは言わせない。私も子ども用品の所でジーンズを2本買った。女性売り場では私のような小さな者のためには何もない。ちょっと子どもっぽい可愛いジーンズを買った。

しかし、アメリカの商品が悪くなっている。特に安いものは買う気にならないほどだ。デトロイトは景気が悪いからかもしれないけれど。女性物の衣料品を見たが、センスなんかない。日本には可愛かったり、ドレッシーだったりするものがたくさんあったし、歩いている人もきちんとして物を着ている。それに比べ、アメリカの人たちは基本的にTシャツとジーンズだった。素敵に洋服をコーディネートする余裕がないのか。まあ、私も日本で家にいる時はジーンズとトレーナー等を着ているから、同じか。それにしても、景気が悪いという事はこんなことなのかと寒々として実感を持った。

後は食べ物。170ドルほど買ったのだが、どうせこれでは2週間持つかなという感じ。日本では買えないようなものを選んだが、今日本円が高いからどれも安く思えて買いたくなった。とにかく、シリアルやら缶詰やら、帰ったら収納が大変だろうなと思いながらも、どうせあっという間に亡くなるんだからと買い込んだ。
9日(金) 今日は朝早くにおきてしまい、オバマ大統領がノーベル賞を貰うというニュースが延々と流されているのを見ていた。まあ、ニュースが冷淡だ事。オバマのノーベル平和賞には驚いたという論調だ。この前、アフガニスタンの増強を言ったばかりだから、本当おかしいよねという感じだ。9ヶ月しか大統領をしていないのに、なにも成果が見えないのに、何でオバマがと本当に喜ぶという感じではない。しかし、マスコミも金持ちの所有だし、ジャーナリストもお金持ち出し、貧乏人のオバマなんか嫌いな人がニュースを仕切っているのだから、結局ああ言う皮肉めいた論調になってしまうのかなあと思った。

朝食を8時に一緒にとる事になっていたから、それまでにお化粧などをして、ダイニングへ行った。たくさんの人と食事をしたが、そのうちのひとりが韓国のもと首相のはん(だと思う、名前を忘れた)だった。彼女とは今までもお会いした事があるが、初めてお話をする機会だった。穏やかで、聡明で芯が強そうな女性だ。まあ、韓国の女性たちはどの人も芯が強いけれど。

9時半にホテルを出て、10時半には空港に行った。私の場合、ホテル代は主催者が持ってくれたので助かった。12時45分の便でデトロイトへ。ワシントンはこの3日間、とても気候が良くて嬉しかった。それでも、朝にはセーターが必要だった。青空が抜けるようで、郊外のない空気がとても新鮮に感じた。まだ昂揚が始まっていなかった。きれいな青空に緑の芝や木々。洗われるような思いである。

昨日、スミソニアン博物館に行って思ったのは、建築物がこの前イタリアで見たような様式名物が多いという事だった。公園の周りには連邦政府の省庁が立ち並んでいたが、それも含めて古い様式。結局、アメリカも欧州の属国だったんだなあと思ってしまう。属国と言ってはいけないかもしれないが、ヨーロッパの建築物を大きくし、虚勢をはったように見える。富を見せびらかしたかったんだと思うが、なんだろうなあ。ちょっとお下品かなあ。でも、せこくない。大きく、広々していて、内容物は非常にご立派でキット芸術価値も高いだろうと思う。

スミソニアンというのは博物館群のことで、歴史、自然、近代画、絵画、アジア、アフリカ館、NASAなどいくつもある。この前、向野生涯学習部長と博物館について話をしたので、彼に無料で配布していた案内書を貰ってあげた。英語で有益な事をたくさん書いてありそうなので、きちんと読んで大切なところを要約してもらおうと思う。私は英語であんなたくさん読むのは嫌だったので、絵の所だけを見て、場所を確認するのに用いた。ざっと見ると面白そうなところもあったと思う。向野さんにレクチャーをお願いする事にして、まともに読んでいない。良い博物館つくりの参考にしてほしい。なんだか、向野さんと話をしていた時に、NASAの話しが出たので、20年ぶりに行ったが、昔とあまり変わりなかった。狭山市の博物館の参考にするには今回行かなかったアメリカの歴史博物館のほうが良かったかもしれない。まあ、スケールの大きさなんかを考えれば参考にはならないだろうが、コンセプトだけでも知りたかったかな。

すべてが国立博物館で、荷物のチェックはあったけれど、無料だった。20年前に来たときに家の父親が「無料だって凄いね、教育機関はそうじゃなければいかん」と言っていたのを思い出した。だって、イタリアの美術館はどれも2000円以上もお金が必要だった。万人の生涯教育の一環であるとしたら、博物館は無料でもいいのだと思う。アメリカのお金の使い道は日本のお金の使い道とは大いに違う。そうそう、収蔵物は財団からの寄付がおおかった。良いものをたくさん買い求め、死んだら独り占めせず国に寄付するというのは大変よい考えである。今は有名でも昔は安く買えたような作品もたくさんあった。そういう目のあるスポンサーが良い芸術のパトロンになり、芸術が高まったのだろうと思う。アメリカ人が金に糸目もつけず買ったのを、結局寄付したのだろうが、もらう度量も凄い。だって、美術館を作らなければならないほどの素晴らしいお宝だもの。

ところでちょっと頭にきたのは、素晴らしい日本の屏風や工芸品や版画や絵画がスミソニアンにあったことだ。こんな素晴らしいのを売りっぱなしてしまったんだなあと心が痛んだ。ボストンの所蔵が一番多いというが、日本人は自分達が持っているものの価値が分からなかったんだろうか。それとも有り余るほどあったんだろうか。

2時半頃にデトロイトに着いてスーツケースが出てくるのを待っていたら、お母さんが迎えに来てくれた。お母さんは変りなくて、すぐに親戚一同の噂話になった。お父さんは糖尿病が酷く、心臓が弱ったとかで凄く痩せてしまっていて驚いた。今までは向くんでいたらしく、心臓を津曲し、インシュリンを入れるようになったら腎臓の働きが良くなって痩せたということだった。顔色を見たら、本当に血のけがあって、元気なんだろうなあと良かったと思った。

夜時間があったので、長々と日記を書いている。
8日(木) 今日は結局眠られなくて4時には起きた。仕方がないので本を読んでいた。食事も7時過ぎに行った。昨夜はおなかが空かなかったので食べなかったから、さすがにおなかが空いた。珍しくオムレツなどをいただいた。とにかく大抵私は朝食はアールグレー(紅茶)とヨーグルトなのだが、まあ今が日本では夜だと自分に言い聞かせて食べた。実は私はほとんど肉を食べない。卵だって食べる事が少ない。大抵、私は魚か野菜しか食べない。でも太ってきたのはお菓子の食べすぎだなあ。

8時40分。私は他の参加者と共に迎えの車でGeorge Washington Universityに行った。私以外の人は外務省に行き、オフィサーに昨日作ったステートメントを持って行き、話をしてきたようだ。私は一時間半時間があるというので、近くのホワイトハウスを見に行った。勿論外からである。私は去年皇居や官邸を見学に行ったが、ホワイトハウスのように国民に開かれた場所ではなかったなあ。勿論、20年ほど前にホワイトハウスの見学をしたときに比べ、警備が厳しかった。行きにはお庭の近くまでいけたのだが、帰りはブロックされていた。きっと、オバマ大統領が出てくるのかしらなんてホワイトハウスの近くにいた人々が言っていた。

その後、美術館まで行こうとしたが残念ながら時間がなくて帰ってきた.

11時過ぎに戻ると、会議が始まっていて、夜に出すステートメントについて討論していた。私は昨日までの流れが分からなかったから、何もいう気がなかったけれど、思ったのは女性会議というのに、男性の会議のようなステートメントだなあという事。ステートメントの1は北朝鮮の核兵器の形成に反対し、核武装解除するように努力する事。勿論、会議に女性も入れるべきだというのは女性会議らしいところで、これが第2ステートメントだったけれど。アメリカ人、ロシア人、日本人、韓国人がいたが、韓国人が主催した会だったので、韓国人が多く出席していた。外国の講師の人にはチケットもホテルも払ったらしく、お金がたくさん掛かっただろうと思う。

この作業は一応皆が意見を述べた後に、作業部会が作られて作業をしたので、私達は5時半頃までひまになった。私はまたまたスミソニアン博物館のほうへ行った。何箇所もまわり、NASAで時間を見たら、4時45分。急いで帰ったけれど、何しろタクシーはないし、時間に遅れてしまった。ステートメントはかたづいたので、今度はパーティーへ。パーティーといえども、交流会という事でいかにネットワークを構築するか、今の国際ネットワークを強力にするかが問題である。その一種だったのだが、一番印象深かったのは、韓国人のネットワークの強さである。いろいろな組織が女性の活動をサポートしているし、若い人を率先して使おうとしていることが素晴らしい。このパーティーは、クエーカーの女性会館のようなところで行ったので、アルコールはでなかった。そういえば、この何日かお酒なしだなあ。良い事かな。
7日(水) 今日、息子がインフルエンザに完治して学校へ行くので、お弁当を久しぶりに作った。その後、雨なので彼を聖望まで送り、その足で郵便局の本局に行き、昨日封入した後援会ニュースなどを出した。少なくとも、息子はインフルエンザから直り、他の子どもはまだ感染していないから良いとする。これで、アメリカに行くのに心配がへる。

その後、一所懸命荷造りをして、車で成田まで出かけた。ひとりが車で行くというのは贅沢の極みだとわかった。何しろ高速道路代だけで4000円も掛かるんだから。これは夫じゃないけれど電車で行ったほうが安上がりである。

ところで、酒々井パーキングに入って電話を掛け、再度エンジンを入れようとしたらエンジンが掛からなかった。なんと、バッテリーが上がったのだ。でも、おかしい。だって、100キロほど走ってきたのにバッテリーがあがるなんて。あわててJAFFを呼んだ。急いでいるといったら、30分もしないうちに来てくれて、チャージしてくれた。ホッとした。本当にあわてた。空港の目の前にいるのに、車がうごかないんだもの。帰りが心配だけれど、後は後のことさ。

とにかく、2時過ぎには空港に行き、無事チケットを取った。イーチケットはどうもなれない。そして、はっとしたのはドルを忘れて持ってこなかったことだ。え〜〜〜。仕方がないので、空港でまた500ドルほど買った。あまりにも忙しくて、あわだたしくて、そのうえ、アクシデントがでたりして、自分が何をしなければならないか忘れてしまう。とりあえず、飛行機に乗れたのでいいとしよう。出発は7日4時半、到着は7日12時半。わけのわからない時間だが、長い勉強のための時間がある。

私はこの何年間か第2次世界大戦について勉強していた。今回は北東アジア女性平和会議に出るためにワシントンにいく。だから、もっと勉強すべきだと思った。幸い飛行機は9時間かかってミネアポリスに行く。だから、2冊本を買い、20枚にわたるこの前出された国連のCEDAWによる日本への答申を読むことにした。

1冊目はアジア主義に関しての学者の意見だった。だから何だというのが私の考えだ。だって、中国とインドが経済成長をするに決まっている。それを阻止するのは日本の傲慢だし、それを利用しようとすれば絶対どこかで破綻するような気がする。まあ、すでに日本は2国に深く係わっているから距離を置くのは難しい。では、どのようなアジア感をもち、どのような将来へのビジョンを持つべきかだ。そもそも、日本はアジアの中でどのような地位を持っているのだろうか。どのような位置にいようと努力をしているのだろうか。あの嘘つき小泉首相のようなことをしていたら、日本はどの国からも尊敬されないだろう。日本はただお金のある民族で、貧乏なアジアの国がどうやってあの金を取ってやろうと思っているだけかもしれないのだ。それは関係による。もし、良い関係があったらそんな事にならない。狭いナショナリズムに囚われて、あまりにも傲慢に振舞えば、他の国は表面上は慇懃にふるまうだろうが、その後ろでは軽蔑しかない。どうしたらよい関係を築き、どうしたらお互いに尊重しあう関係が築けるかに対する考察がない。この本とはなんだ。買う必要がなかった。

もうひとつは村山元首相と佐高信の対話を元に、「村山談話とは何か」という意味を考えていた。これは政治家の端くれとして面白かった。 小泉も安倍も福田も麻生もひっくり返されなかった戦後50年での首相談話だ。ただ、小泉なんか村山よりもっと突っ込んだ話をしているようだが、「実」がない。口だけの嘘つきだというのがよく分かる。とにかく「田母神」が言うようなあまりにも浅い陰謀論、日本は被害者だというあまりにも日本そのものを否定し、馬鹿にした考えをそのまま受け入れている馬鹿が跋扈したら日本の将来はない。たとえ、戦中、考えは間違いだったとしても、日本は日本なりに正義(?!)または大義を求めていたというか、捏造していたのかもしれないけれど、あった事は確かではなかったか。勿論すべて軍人の軍人のための軍人による大義だったり正義だったりした。それは天皇すら利用した。すべてコミューンによって陰謀がありそれに乗らされたなんて、自衛隊のトップが思っていたとしたら恥ずかしいとしか思えない。どうかしている。

この本で思ったのは、アジアに対して日本は真摯に誠実に付き合うべきだという事だ。これは、私が勝海舟の影響を受けているからだろうと思うが、日本は一時の経済繁栄にいてもおごることなくアジアと付き合うべきだ。日本は小さな島国である事を覚えているべきである。私はNGOのメンバーとして、この点をきちんともって、アジアの方々と対等に付き合うべきだと思っている。威張る必要もないだろうし、勿論卑屈になる必要もない。誠実に真摯に。      

1時ごろミネアポリスに着き、3時15分のワシントンDC行きの飛行機に乗り換えた。ワシントンには7時ごろ着いた。何しろ、時間差があり、自分が今何処の時間で何時かがよく分からない。とにかく荷物をとり、お迎えを待って、ホテルへ。日本時間できっと8日の朝だろうと思うが、残念ながらこちらでは夜だ。体がまだ朝だから眠くないのが問題である。仕方がないので、 ホテルのトレーニングジムに行き、いつものようにとレーングをした。アメリカのホテルはちゃんとジムがあり、ホテル利用者には無料で開放しているのが嬉しい。プールもあったが、残念ながら水着がないので泳げない。12時過ぎに寝る。
6日(火) 私は明日絶対にアメリカに行くのだから、その前までにネットニュースを完成し、会員さんに郵送しなければならない。だから、今日中に絶対、原稿を作り、印刷し、宛名を作り、封入しなければならない。それにしても、それにしても忙しい。アメリカに行く前に事務仕事を終えなければ、決してアメリカで仕事に集中も出来ないに決まっている。だから、頑張った。

夜、8時までにすべてを終えた。今回は領収書を入れたりしたが、最小の数だけを郵送する。それにしても、一応仕事を終えてホッとしている。

8時を過ぎてからサピオにトレーニング。昨日体育館もサピオもお休みだったせいか、サピオは満員だった。今は健康にスタイルに気をつける習慣が出来たようで、いつもサピオは混雑している。やはり、ゆっくり市民体育館でトレーニングするかなあと思った。

夜中、まずはHPを更新した。次の更新はアメリカですることになる。そのあとで、明日の為にスーツケースをだして、支度をし始めた。
5日(月) 今日は、朝から息子の様子を見たり、学校まで届け物をしたりして、いる。それと、ネットニュースを書かなければ。時間がない。7日にはアメリカに行かなければならないのだから。は〜〜〜。頑張ろう。
4日(日) 今日は朝地区の運動会。2箇所を回った。朝早かったせいもあり、人が少ないような気がした。

帰ってきてからは夫のアメリカ行きの支度を手伝い。所沢まで送っていった。重い荷物を持つのに電車で空港まで行った。可哀想に。でも、2時ごろには着いたようで、電話がかかってきた。私は、今日は教会に行きたかったが、結局時間がなかった。

私も7日にアメリカに行くので美容院でパーマをかけに行った。その後、デパートに行き、お土産を買い込んだ。

夕ご飯をたべてから、もう私は寝る。昨晩も、アメリカ行きのことで電話をしたりしていて、寝たのが3時ごろ。そのうえ、今日は朝7時過ぎに起きたのだ。寝る閑がなくて、体の切れも悪く動けない。
3日(土) 今日は、幼稚園の運動会がなくなったが、朝から教会のバザーに出かけ、養護学校のピカピカ祭りに行った。養護学校の校長先生と話し込んでしまった。良い学校になってほしいと願う。

息子が新型インフルエンザに掛かった。とうとう家にやってきてしまった。皆に移さないように部屋に閉じ込めている。

午後は家事をこなした後、ホンダの優勝パレード、報告会の為に役所に行った。私は5回の試合のうち、3回は応援に行った。私がホンダを応援できるのはこんなことだけ。だから、一生懸命応援した。一生懸命というのは、声を張り上げ、一緒に応援歌を歌い、ちゃんと手を打ったりすることだ。結局生き方になるんだけれど、できることならば一所懸命頑張るのだ。出来る事なんか本当に少ない。だからね。出来る時は精一杯するの。したいの。

夕方急いで、三鷹へ。お友達のお嬢さんが俳優で劇をするというので出かけたの。お母さんは「凄い役で、恥ずかしい」といっていたが、娼婦の役なのにお嬢さんのお上品さが損なわれる事なかった。私達は彼女の素顔を知っているからだと思う。本当に素敵な方なんだ。お嬢さんもお母さんも。

劇がはねてから、私達ユタチャン会の3人はご飯を食べに行った。10時ごろ、もう帰らなければと立ったが、それまでは話といえば尾崎の事ばかり。良くぞ、何年も尾崎の事ばかりで楽しめるのかと思う。インターネットのオフ会なんかだったら、絶対子供達には行くなというのだが、私も躊躇したりしたけれど、ユタチャン会の人にあって、日常生活から離れる事が出来て嬉しい。とにかく、「尾崎なような子どもがいたら大変だよねえ」といいながらも、尾崎は苦しんだけれど、馬鹿もしたけれど、歌は凄いし、音楽も凄いし、すべて私達のようなファンには音楽さえよければ尾崎がどんなでもいいのさって感じです。生きていてくれれば、もっと良かったんだけれど。
2日(金) 今日は朝から印刷に明け暮れた。夕方までには絶対もって行かなければならなかった。一生懸命印刷したが、多少の印刷ミスもあった。けれど、無料で配布するのだから許してもらう事にした。もったいなくて反古には出来なかった。

夕方、朝日、毎日、読売に持って行った。日曜日に挟み込まれるはずだ。毎回、一回の漏れもなく発行し続けている。これを作るプレッシャーは大変だ。間違いは書いてはいないつもりだ。政治的な批判は人を傷つけるかもしれない。でも、それには勇気を持って発言するしかない。人への批判は自分への跳ね返りがアルと思わなければならない。だから、皆は見てみぬふり、なあなあでいる。でも、それでいいのか。

そんなことを思いながら腹をくくりつつもう10年も同じことを繰り返している。継続は力なり。それだけでない。マンネリといわれても、同じ事続ける事は信念の問題と思っている。過激な事かなあと思うこともあるが、言わずにいるよりも言った方が辛いけれど、正しいのだろうと思う。こんなことを言うと「大人になりなさいよ、貴方が言わなくてもいい問題だろうから」という人がいる。口をぬぐっていたからと言って、何も変らないのだから、何も波風を立てる事はないかもしれない。息子にすら言われる事があるのだ。「お母さん、しゃべらないで」と。でも、大人であるからこそ、それをすべきだと思うのだ。そんな大人がいてもいいだろう。いや、いなければ。

夜、遅くなったがトレーニングへ。
1日(木) 今日は朝から忙しく原稿を直していた。また、原稿にかわいらしいカットを入れていた。私にはかっと入れの才能がないので、入るのを見つけては入れるだけだ。それと大量の久美子の似顔絵。何べん見ても、友達の才能には脱帽である。うまいなあ。

12時に友人が来て、プルーフリーディングをしてくれた。とにかく決算だ、予算だという議会の後のレポートは数字が多いが、自分ではきちんと数字を叩いているつもりでも間違いがある。今回も数字の間違いが2箇所あって直した。本当に慎重に慎重にと原稿を作っている。それでも、印刷してから間違いを見つけるときがあり、冷や汗物である。最近は他の人のことを言うのが難しい。わが振りを振り返ってしまうので。

午後は、2時半から特定健診に行った。前の人間ドックよりもお金が掛かる気がする。これでは50%の特定健診の受診はないだろうと思う。胃検診をしないで、3750円もかかるんだから。若い人が健診をしないのも理解できるなあ。時間も掛かる。予約するのに2ヶ月もかかったんだから。まあ、健診の時間は1時間半ぐらいだから、そんなに悪くはないけれどね。

夕方から夜にかけて、議会レポートの印刷。それから、夜中は支援者からのお電話。11時半までは少しかかりすぎたわね。
9月 私の独り事
30日(水) 今日も朝から原稿をと思っていたけれど、なかなかすすまない。3Pが終わったんだからその勢いでとは思うだろうけれど、そうは行かないのが辛いところである。

銀行に行って、ドルを買い、その後で定期を解約してお金をおろし、チケット代金を払った。残念ながら、10月1日のチケットからサーチャージが掛かるのでお金が上がってしまった。それでも今は円が高いので行くべき時なんだろうなと思う。来年になれば選挙のことも考えなければならないし、とても遊んでいる閑はないかもしれない。それにお父さんの状態だって来年になればよくなるというよりは、悪化もしんぱいなのだ。お葬式には行かないかもしれないから、生きている内に会わなければと思う。

帰ってきて、夕食後悩みながらも4Pをかき終えた。今回は決算でいろいろな質問をしたのだが、どれが市民にとって聞きたいことだろうかと選ぶに時間が掛かった。それに何行もしゃべっているのに、一行に要約するというのも大変なことではある。
29日(火) 今日も原稿書きだった。とにかく焦っている。3pをかき終えて校正にまわした。

忙しくて自分が何をしていいかわらない状態である。ワシントンの会議に出ることにしたが、そのためにエアチケットの用意もいるし、あれこれ資料も集め始めているが、それにも時間が掛かる。アメリカのお父さんのお見舞いに行きたいと思っているがなかなか実現しなかったのだ。夫が出張でアメリカに行くというので、週末に会いに行くので私も一緒することにした。その際、2日ほどワシントンの東北アジア女性平和会議に出席する。フェミ議にお知らせが来ていたが、どうしようかと考えていて、同じアメリカ国内にいるのにこの会議を無視して遊んでいられないという思いになった。英語が分かるといいけれど、少し勉強しないと語彙が足らないだろうと思う。

チケットは取ったからホテルをどうするかだなあ。
28日(月) 今日は朝から原稿書きのつもりで頑張った。残念だがお手伝いさんがいない月末なので、家事も忙しい。とにもかくにも2ページまで終わり、校正を頼んでいる友達に送らなければと頑張っている。勿論、焦れば焦るほどくだらない本を読んでいるが、深刻な本も呼んでいる。

差別に関しての新書だが、部落被差別と朝鮮人差別の事。後で書評を書かなければと思う。そうか、竹下さんの孫のDAIGOは元総理の孫として芸能界でもてはやされたとしても、被差別部落出身の野中さんの孫はそうそう話題にならないのだろう。ふ〜〜〜ン、そんなものか世間はと変に納得した。野中さんが妻に罪悪感を思っているのをほほえましく読んだが、妻となれば大変だっただろうと同情する。家の父と同じ年の野中さんだ。罪悪感を持っていたとしても、どうせ亭主関白は変らないんだろうと思った。でも、好感が持てた。自分が被差別部落出身である事を恥とは思っていないらしいが、親戚、子ども、特に妻(彼女は部落出身ではないから、彼女の親族はどう感じたのだろう。迷惑をかけたと野中さんは言った。)に対しての感情についてはとても複雑で、私には想像も出来ない。自分の努力で解決できないような差別は絶対反対だ。

トレーニングに行った後、夜中まで仕事をした。

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