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私の独り言 2004年 

バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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11月 私の独り事
30日(月) 今日は一般質問1日目。さすがに三浦さんは自宅で待機。インフルエンザは熱が下がってもすぐに出てくるというわけに行かない。今のところ、誰も移っていないのでよかった。私は全員協議会の席で隣だったから体調が優れないと移ったかなあなんて思いもしたが、年のせいか、免疫があるのでしょうかねえ、感染しない。

一般質問を聞きながら、みんなそれぞれにがんばっているなあと思う。24人中17人も一般質問をするようになった。昔はたった12,13人なんてことも多かったのに。質問することが悪いことのようになじられたこともあった。なじった人が今では宗旨替えをしているみたいに見える人もいる。多少は狭山市議会もよくなっているのでしょうか。

夜は疲れ果てていて寝た。
29日(日) 今日は、午前中礼拝。午後は、ひたすら一般質問の原稿書き。これが終わらない。もちろん、余計な本もよみたくなるし・・・

はじめはまじめに書いていたら、ボリュームがどんどん膨れ上がり始めた。資料を駆使すればするほど言うことがいっぱいになる。あまり能書きを要れず、まずは質問をしようと、後はまさに通告どおりになってしまった。うちの議会の調査係にたくさんの資料を集めてもらったのを、使いたいと思うのだが、うまく活用できなかった。能書きを多くすればいいのだが、最後はさすがにへばった。

朝2時にファイルで原稿を部署に送りつけて、第一稿とした。後で、また推敲してみなければと思う。
28日(土) 今日は朝からパーティーの準備に忙しかった。毎年恒例のサンクスギビングパーティー。七面鳥を焼きました。大きい鳥だったので4時間以上もかかった。鳥に関してはジムが責任を持った。後、モルディドサラダ、ヤム、キャベツとにんじんのサラダを作りながら、パンプキンパイを焼いた。オリーブとクランべりーゼリーとビーツを出してといつものメニューをそろえた。

1時過ぎに友達が来て、6時半まで。後は、息子の彼女が残って片づけを手伝ってくれたので、あっという間に終わった。もう、昨日から疲れてしまっていて、腰が動かないので、夫と二人入間の湯へ。マッサージをしてもらって少し楽になった。
27日(金) 今日は反対討論を持って、議会へ。まず、反対討論の通告をした。その後、議長、副議長に呼ばれ、それについての話し合い。発言を制限できないし、討論を引き下げることにも議長が権限を持っていない。それでも、議事進行が心配だったのだろう。副議長は「高橋さんだって、欝で報告を期限内で書き上げられなかったこともあり、また、外国にも行っているではないですか。それなのに、なぜ反対ですか」などといっていた。もちろん、私は昨年1年間とてもつらかった。18キロも体重が減ったのも、食欲がなかったのも事実である。治療の目的ではないが、外国にも何べんか行っている。それでも、私のことを棚にあげても言わなければならないこともある。

私が完全無欠の人間じゃなければ議員をし、発言をしてはいけないというのであれば、私は議員を辞めなければならない。私はいつまでも完全になれないだろう。病気もするし、間違いもあるだろう。しかし、私が議員としての努めは、自分がそうであったとしても、市民にとって必要なことは声を出していくことなんじゃないかと思う。自分で自分を許すことがつらくて苦しいことがある。自分の能力のなさに頭を抱えながら罪悪感に悩むこともある。しかし、自分のことにだけに思いをはせず、市民の視線を常に忘れないで、たゆみなくしっかりと議会で質疑し、糾し、提言するというのが私のスタンスであり、初心だ。

ひとつのことを発言することは、自分が人に矢を放つことだとしたら、同じように矢が自分に突き刺さるのを覚悟しなければならない。いつも、いつもそういう思いがある。10年やってきて強くなったというのも、叩かれたり、意地悪をされたり、批判も多いからである。いい人でだけいられないのだ。ひとつの意見裏には絶対反対の意見もある。賛成するには反対からの批判を覚悟しなければならないし、反対するにも同じ気持ちが必要だ。わかってはいる。辛くとも自分の役割をこなそうと思う。

議案質疑もし、討論もしたが、議事進行のために大幅に討論を縮めた。後で、幻の討論を掲載しよう。そのほかの議案もできる限り質疑した。最近は質疑も活発だ。委員会があるのだから、何もそこまでという声がある。でも、24人しかいない議会なんだから、通り一遍は質疑があってよいと思う。

とにかく、疲れた。夜中に明日のパーティのためにアップルパイを焼き始めた。1つに1時間もかかる。夜中の1時過ぎまでアップルパイを焼いていた。
26日(木) 今日は議案審査のために休会ということで、うちで議案を見ていた。ヒアリングはすでに終わっていた。問題は公平委員の選任を私が同意できないことだ。それで、情報公開条例を用い、この前消防職員の戒告処分が取り下げられた件を、公平委員会がどのように扱ったかを知ろうとした。午前中11時、情報は公開された。私は採決文と議事録をすべて読んだ。

採決を読んでもっともらしく思えたことが、議事録を読んでいるうちに納得できなくなった。まるであったことがなかったような認定。すなわち、職務命令があったかどうかについて、書類がないので「ないと認定する」というのはいかがか。書類にする前に口頭で言ったというが、それを職員も上司も認めているのに、それすらがなかったことになったのは納得がいかない。

また、医者が「転地療養を認めている」「某所の某人とある理由で話すことはよい治療になるかもしれない」ということを言ったが、いつ、どこで(実際はアメリカのニューヨーク)に行って、その関係者と(グランドゼロで彼の知人)と話すことが最適な治療法であると医者は言っていないと証言しているのに、公平委員は取り消し請求者にはその治療が必要だと思っても仕方がないと言い切る。思うのと事実は違う。医者がきちんと進めた治療法ではない。

そして、治療が優先するから、市民の常識でも外国まで行くこと(実際はアメリカ、ニューヨークに行くこと)が何も問題ではないと言い切った。私は、地方公務員ではなく、議員である。でも、治療として5日間アメリカに行くことが非常識だという思い、やりすぎだろうという上司の思いは共感できる。それが、ハワイやタヒチでのんびりするというならばわかるが、ニューヨークに行く?ハワイやタヒチだって、沖縄や小笠原でもいいんじゃないかとも思う。病気休職中、治療という名目でのんびり観光旅行かと市民に思われるような事は謹んでほしいという使用者の思いが尊重されることはないのか。止めても、「いや、それでも行きます」という職員に「それはいけないよ」と書類で注意することがいけないとは私には思えない。

9月に出された裁決には私はどうしても納得できなかった。そういう採決をする委員に公平委員になってほしくなかった。だから、反対討論をすることにして、反対討論を夜中までかかって書き上げた。反対討論に関しては、執行部の一部からは迷惑だという声が上がった。反対されれば、今後引き受ける人がいなくなるというのである。そうだろうか。採決は人の考えだ。民主主義の世界では、ある意思にかんして反対の人がいるのは当然のことであろう。水戸黄門の印籠じゃあるまいし、ある採決にすべての人がはは〜〜とひれ伏す必要なんかまったく感じない。最高裁判所の判事すら、国民審判の付されるのだ。ましてや、公平委員会の採決に認定する議会の一人として、過去の採決を元にその賛否を表明することが間違った行いではない。正常に民主主義が働いている証拠だ。

と、一日中こんなことを考えていた。議会がとまるならそれはそれで仕方がないじゃないか。
25日(水) 議会が始まった。忙しい。午前中、私のとなりで三浦さんが鼻をぐすぐすしていたので、マスクをするように注意をした。私の勘が新型インフルエンザという感じだったので、三浦さんに帰って医者に行くようにいったら、午後5時ごろファックスで三浦さんが医者から新型だと診断されたと報告があった。何しろ、私は子どもが多いので下手の医者ぐらいの事はできる。このまえ、息子達のインフルエンザを言い当てて、医者に生かせたときには息子達は私を尊敬した。

議会の会議は午前中。委員会の協議会は1時から数分で終わった。それからは会議室に開示されている資料を読みに行き、2時を過ぎたので急いで小手指の銀行へ。帰ってきたら5時。日の暮れるのは早い事。
24日(火) 今日は朝から議案の整理をしたいと思い役所へ。電話を掛けて控え室を暖めてもらっていた。どうして役所に行くとあっという間に時間がたってしまうのだろう。はっと気がついたら夜の8時。
23日(月) 朝から、ごろごろしながら本を読んだ。外はもう裸の木々。2冊本を読んだところで少し飽きてしまい、外に出て庭の樹を片付け始めた。蔓があちこちに撒きついていて木々が可哀想だったので、夫と一緒に切ったり、それを片付けたりした。日ごろの生活とまるでかけ離れた事をしているわけだが、楽しくて暗くなるまで庭仕事をした。

その後、いつものように穂のかの湯へ。夕食は荻の屋の釜飯を食べようと出かけたのだが、完売。それでそばを食べて帰ってきた。渋滞があるという看板をみて、覚悟をきめて高速に乗ったのだが、佐久を出たのが8時過ぎだったのだから、ちょうど渋滞が解けてきていて、佐久から2時間で狭山に着いた。今回は私が運転をした。
22日(日) 午前中にホテルをチェックアウトし、直江津の両親の家へ。

午後からは別荘に行った。落葉松の葉も落ちて、道路が黄色なっていた。空気が冷たくて気持ちが良かった。途中で夕食を食べ、食料を買いこんで明日の朝食に。寒くて私と夫はホットカーペットで寝た。
21日(土) 今日は朝10時半出発で直江津へ。久しぶりの日中のドライブで少し嬉しい。今回は関越で六日町まで行き、その後は253で直江津へ。紅葉はもう終わっていたが、それでも山々は美しかった。新潟に入って雨が降ってきた。

夜は、父と母の結婚60周年記念宴会。家族全員が集まり、飲んで近況を語り、楽しかった。飲みすぎたなあ。
20日(金) 今日は絶対家で原稿を書こうと思っていた。が、電話が係り結局役所に出かけて、情報公開条例によって公平委員会の会議録と裁定書の情報開示を求める事になった。実は昨日の夕方局長と話し込んでいたのは、これの事だったのだ。これらの資料は議員の資料請求の中でしてもらえるかどうかと話をしていたのだが、情報公開条例で正式に公開するほうが良いという結論を誰かがどこかで出したという事だったのだろう。まあ、それについて私には文句はない。

さて、話し込み手続きをしていたらあっという間にお昼。昼食をしたのち、御茶を買いに行き、ついでに明日の準備。明日は新潟に行くので、ガスを満タンにしなければならないし、車のナンバーを変えたのでそのために駐車の届けも出さなければならない。それをしたら、あっという間に5時近かった。

夕食後はトレーニング。あっという間に一日がおわり、原稿を書くなんて夢になった。一行も書いていない。
19日(木) 今日は朝家事。

昼食後、富士見公民館に行き、「女性と貧困」の講座を聞いた。貧困ネットの方が講演者だった。フェミ議で友達の吉祥さんのお友達。女性はなかなか貧困の和にも入れないという話をしてもらった。女性のほうが貧困の人が多いにも係わらず・・・・

役所に寄ったら、またまたあちらこちらにつかまりそうで、早々に引き上げようとしたが、資料をまたお願いしたり、局長などと話し込む事が会ったりで遅くなった。局長も私との会話は神経を使うので嫌なんだろうなあと思うが構わず、話しかけている。どう対応しようかと悩んでいるのも分かるが、そんなのを見ながらもこちらも仕事なので話しかけたりしている。でも、半分は自説をとうとうと述べているのが多いのだから、迷惑なんだろうなあ。聞くのも彼の仕事のうちだと思ってほしいものだ。(えっ、そんなのは仕事のうちではないですって。そう思う貴方、情報収集は大切な事。聞くのも仕事のうち)

夜は家にいる事にした。
18日(水) 今日は午前中に教育委員会とのヒアリング。昼食後は総務部関係のヒアリング。その間に収税課が寄ったり、あれこれ控え室に来たり行ったり。とにかく、最近、私は悟りました。役人は出来ない事の言い訳が一丁前にいえることが、役人の本分だとおもっているのだ。

ところで、職員課と総務課が私の逆鱗に触れた。勿論女性問題で。「あなた達は努力不足よ」と切って捨ててしまった。一刀両断。だって、問題が分からないでは「努力する」と言ったって、何をするのか担当課は分かっちゃいないのだ。一々指摘されなければ分からないのは情けない。要するにどうしようとも思わず、ただ「努力します」とか「検討します」とか言っているのは不誠実に思える。そのうえ、課題の答えをすべて出してもらい、そのうえで判断しようなどというのは怠慢どころじゃない。ずるいというか、情けないというか、あなた達その程度の能力しかないのといいたくなる。

だんだんヒートアップして、我ながら嫌な性格になったな後は思うのだが、同じことを10年も言っていると本当にアイソが尽きるのよ。

夜は入間の湯へ。
17日(火) 今日は、通告日の最後の日。通告書とメモリースティックをもって出かけた。不備のないように書いてはいたつもりでも、「克復」とかいて「克服」ではないですかと指摘されたり、書きもれがあったりして直した。結局通告は17人中13番目で3日目の第一番目に一般質問をすることになった。

昼食して、あれこれしているうちに、通告している課の市民部が議案について説明に来たり、男女共同関係の事を聞きに来たり、環境部が寄ったり、政策企画課が来たりして、なんだかわからないうちに夕方遅くまで話し込んでしまった。

夜はトレーニング。市民体育館にて。
16日(月) 今日は10時半から全員協議会。とうとう議案書が配られて12月議会が真近に感じられる。午後からは一般質問のための通告書に取り掛かった。あれこれ視察を重ね、資料請求し、また狭山市議会の優秀な調査係がお願いした事を良く調べてくれるので資料は整ってはきているが、勉強すればするほど裾野が広がって、いいたい事だらけになってしまい、収集が着かなくなる。

特に庁舎のビルメンテの話は省エネ法の改正問題もあって、話しが大きくなってしまった。まあ、時期としては取り上げるべき時だったから、ある意味タイムリーかもしれない。あまり環境に詳しくないが、何しろ建設環境委員会のメンバーなのだから、ぼちぼち頑張っていきましょう。

女性問題も取り上げる。これは恒例の問題だ。10年来、ちっとも進歩しない。狭山市に限らず、日本自体、この10年間自民党の右傾化が激しくて、女性の人権問題や就労に関しての取り組みを積極的に行ってこなかった。だから、貧しいのは女性。だって、男性に比べ賃金は60%。そのうえ、離婚をすれば養育費も貰えず細々と暮らす母子家庭。ガラスの天井なんかどんどん低くなって、女性が働き憎い環境が広がっている。ため息だけでなく、あきらめの気持ちもある。

後、障害者教育について。十分、質の高い障害者教育が施されているのかと少し心配している。環境整備というか、設備もなかなか整っているとはいえない。バリアフリーって言う言葉は校舎にはなかなか適応されていないなあ。13校をみてつくづくバリアだらけの学校に呆れ果ててしまった。

全協後、お昼から市民部がきて話し込んだ。

途中で通告書を書ききれず、家に戻った。夕食後、一応書き上げた。
15日(日) 午前中は礼拝。午後、サピオによってトレーニング。おなかがぺこぺこになって夕方帰ってきた。食事をして後家事。

久しぶりに家族で食事をした。なんだかのんびりした。
14日(土) 今日は朝10時半に代々木の市川房枝記念会へ。だから、家は八時半過ぎに出た。今日は市川房枝政治と女性センターが発会するのである。私はご存知のようにここの企画運営委員。今日の発会式と今後の運営について、午前中に話し合った。午後からは発会式。財団法人市川房枝記念会女性と政治センターとして今後の活動が行われる。

目黒依子先生が基調講演。その後、首長、区議、市議の3人のパネリストと橋本先生がコーディネーターになって女性候補者を増やすため、女性が政治参画する事の意味や意義についてシンポジウムだった。女性も首長をめざすべきだという話。よく理解できるのだが、さて自分の問題としては無理。周りにいた知り合いの市議会議員を大いにたきつけた。

後に交流会。私などは若い部類にはいるのだから、この市川房枝記念会の歴史や格式(?!)の高さがしれるというものなのである。お金がないので皆で持ち寄ったというワインを飲んだが、良いものばかりだった。さすがにキャリアウーマンの方々、お金もきちんと蓄えていらっしゃるんだなあ。

交流会の後、友達を誘って夕食へ。高島屋の上でスープを飲んで帰ってきた。帰りは狭山市駅から徒歩で帰った。運動が足りなかったから気持ちが良かった。
13日(金) 今日は、朝弟が車を納車してくれた。赤いホンダ。今までの三菱チェリオが時々おかしくなるので買い換えたわけである。勿論中古車である。この前の車より小さくなったが、ホンダの車を買おうとしていたからこれはこれでよし。

その後、2台の軽自動車のバンパーをはずして、3台の所有者を変更に出かけた。まず、役所。次に陸運局。次に軽自動車の登録センターに。まあ、時間がかかること。それでも1台は書くのを代書してもらい思いがけずに早く終わり、だから軽自動車のほうは午後1に受付を済まし、1時までにすべてを終えて帰ってきた。その後、バンパーを弟に取り付けてもらって、弟は帰っていった。

あっという間に2時半。夫の為に銀行に走った。3時に間に合い、書類を受け取り、役所に行き、議事録の署名をしろというので、議事録を斜めに読み、1箇所おかしい所を見つけて直してもらい、議事録に署名した。終わったのが5時を過ぎたのは言うまでもなし。

昨晩も寝たのが1時半。朝は7時にはおきているから、もう夜にはエネルギーが切れた。本当はトレーニングに行くべきなのだが、明日も新宿の市川さんの所に行かなければならないし、HPは更新するべきだしというので、コンピューターの前にもう4時間も座りっぱなし。これで、腰がいたくなるのは当たり前。そのうえ、目もちらちらし始めたので、寝る。
12日(木) 今日は午前中、疲れ果てていたが、郵便の整理やら片づけやら、あれこれしているうちにあっという間に2時。3時から飯能の美杉台中学校の視察。バリアフリーの中学校を見たかったので、近隣では唯一の学校を見てきた。機能としては入間川小学校のほうが面白い。また、木の使い方などは入間川小学校のほうが斬新的。まあ、入間川小学校の設計者は世界でも有数な方。美杉台はなんだか面白みは入間川小よりも少ないかな。使いかってもどっちもどっちかな。ただ、入間川小学校ではエレベーターを常時使えるようにしてるが、この学校は鍵を掛けていて使えない。障害者用トイレも常時鍵を掛けているらしい。どうしてだろう。危険を考えているんだろうが、使えないトイレやエレベーターでは仕方がないじゃないか。他のトイレがきれいだから不必要といえるのかな。トイレはホテル並みのきれいさ。

帰りは渋滞して40分も掛かった。途中、業務スーパーに寄ったらちょうどラッシュアワーに掛かったからである。

夜、入間の湯に行った。珍しくマッサージしてもらった。腰が痛んで、足が重かった。肩も凝っていたが、40分では全身マッサージできる時間ではない。いつものように、いろいろなサウナをはしごして帰ってきた。少し、体が軽くなったかな。
11日(水) 今日は、「高橋ブラクソン久美子とすすむ会」による国会図書館、憲政記念館、最高裁判所の見学・研修会。朝、7時に起きて息子の弁当を作り、急いで支度した後に出発。8時45分に狭山市駅東口に集合。さすが時間に皆が集まった。

いつもドジは私で、携帯は充電していて忘れるし、あるはずのパスモもない。あわてて買った。狭山市から永田町までは何の支障もなし。国会図書館へは雨の中永田町駅から歩いた。おまわりさんがたくさんいて、いつもより多くてオバマさんが来るからかしら、平成20年の式典のためかしらなどといいながら歩いた。雨の中、おまわりさんは傘も持たず、警戒していた。本当にご苦労様。

国会図書館見学は館内だけでなく、書庫まで連れて行ってくれた。地下8階の書庫。地上よりも地下のほうが深いのは変な感じである。地下が深いので働く人が不安にならないようにと、一箇所地上から見え、階段になっているところがあった。さもありなん。地下8階なんて、何かがあったら圧死はまぬかれないし、息するのもなんだか怖い。古いふるい本のにおいは独特でむせ返る。

平成になって機会化したそうだが、さいたま市のコンピューター化した図書館よりも人の手によるところが多い。何しろ、1500万冊以上の本が保存できるが、それも後8年もすると満杯になるそうだ。毎年90万冊も納本されていれば、本があふれ返るのは当たり前である。雨の日なのにたくさんの人が入っていた。何を勉強しているんだろうと思った。

お昼、6階の食堂で昼食後、憲政記念館へ。今、激動の明治国家建設という特別展が開催されている。話を読み、展示されているものを見ているとなんだか切なくなってしまう。西郷は不平武士に引導を渡すために闘ったのかなあと思う。まさか、政府を転覆できるなんて思いも寄らなかったんだろうし。なんだかとても悲しくなった。調子よく新政府に取り入ったものも多かったかもしれないが、一生懸命生きて、一生懸命闘って、一生懸命で死んでいった。怒涛の時代。自分達が何をしているか、誰がわかっていたんだろう。

勝海舟ぐらいだろうかね、時代を読んでいたのは。勝海舟がこの中にいなかったのは、勝海舟そのものが言っている様に、彼はずるかったのかもしれない。徳富蘆花が言っているように「白鳥蘆花に入る」という事か。身を隠しながら、自分の仕事をしていたのが勝だろう。西郷が新政府を固めるために、不平武士と共に死んだように、勝は幕府の武士を飢えさせず、不平武士としないために渋沢と共に経済にも(勿論政治の中枢にもいたけれど、あまりそれが表に出ていないところが勝の狡猾なところ)励んでいたんだろう。それが、新政府を磐石にすることになると勝は信じていたし、実際うまく行ったんじゃないかと思う。

とにかく、さっとしか見る時間がなかった。お昼を食べてからたっぷり時間をとっていたつもりだったけれど、御茶をする時間がちょっと取れただけだった。霞ガーデン出のお茶だったが、見事なお庭を見ながらゆったり出来た。政府系の会館はお庭もきれいだし、お値段が安くて私達女性には大変好評である。ケーキセットが600円って、狭山市役所の喫茶店なみ。

急いで最高裁判所へ。三宅坂を通ったが、お堀端が雨にぬれてしっとりとして、静寂。最高裁判所はいつも思うが無駄に天井が高く、芸術の香りが全くしない無色透明というか、無味乾燥なところである。大ホール、大法廷を見たが、思ったよりも小さくこれが日本の最高か。女性裁判官は15人中たった1人。これが日本の女性の位置というわけだ。女性に厳しい判決が出るのは仕方がない。

その後、お土産屋によって歴代首相の似顔絵の入ったマグカップを買い帰ってきた。今日も本当に疲れた。
10日(火) 今日は、また視察。水富小、広瀬小、山王中。結局役所に戻ったのは2時近かった。水富小は階段の手すりが片方だけ。ここの特別支援学級は小学校にも係わらず2階にある。特別学級などに近いという事もあり、交流には都合が良いように思えるが、なかなか交流に出している様子はない。トイレも何も配慮がなかった。教室ひとつあれば特別支援学級になるというのではないと思うが。知的だ情緒だと障害を区別するが、それらの子どもは運動機能に問題を持つ子が多い。そう見えない子どもでもよく転ぶし、うまく行かないことが多い。少しは注意して環境整備をしてもらいたい。

広瀬小の特別支援学級は暗い。団地がそびえているのがいけないのだが、仕方がない。少なくとも蛍光灯を増やせないものか。南向きだというが、朝10時半にいってあの暗さでは雨の日なんかはどうなるというのだ。一律に蛍光灯の数を考えるのではなく、実態に合わせ琉べきだろう。

山王中ではとても能力の高い生徒に会った。その能力はきっと学習面でも発揮できるのではないかと思った。もったいないなあ。タダタダ社会性に問題があるとのこと。高校の免状がもらえる専門学校に入れるように今から指導に力を入れてほしいと願った。養護学校にはもったいない。目標をはっきり持って、指導してほしい。この学校は音楽に特色があったのだが、担任だった先生がもう退職されてしまい、その指導が出来ないとのことだった。こういう先生には講師として週何日かきて指導してもらいたいなあ。そういう手はないのだろうか。

午後、教育総務に行って、少し指摘してきた。議会であれこれ言えてもあまりにも具体的過ぎるところは今の内に現場に指摘しておけば良いと思った。修理できるところは、お金と相談の上してくれるだろうし、難しいところは今後の課題にしてくれるだろう。

ついでに学務課に行き、学童等について話をした。あれほど子どもが少なくなったというのに、学校のスペースに余裕がないのはどうした事かと思う。全く。

役所を3時半過ぎに出た。市民会館でトレーニング。その後、夕食。
9日(月) 今日は、朝から視察。狭山台南小、東中、入間川東小を午前中に視察し、午後からは入間川小を視察した。とにかく、インフルエンザが猛威を振るっていて、明日から台南小は4年生が、入間川小は5年生が学年閉鎖をするという。クラスをちょっと見せてもらったけれど、ある5年のクラスは半数しかいなかった。もう、綱引きや音楽祭などが出来ないのは仕方がないと納得した。

台南小では、来年度の統廃合に際して、学童保育室が増えるというが、今の作業所が出て行かないから、2階に一部屋作る事になりそうである。どうして、作業所に早く出て行ってもらわないのだろう。学級に余裕があったから学校に作業所が出来た。学校に余裕がなくなったときには、私は率先して他の場所を用意するべきだと思う。一義的には学校は児童生徒のためにあると思う。

それぞれの学校のバリアフリーを見たが、お粗末なものだ。手すりすらまともに(両側に)ついていないところもあったり、その片方の手すりが大人用のもので子どもは握りにくかったりしていた。校長先生もしっかり自分の学校のバリアフリーの状況を把握すべきではないかと思う。しっかりしてくださいね。東中は西中同様、わけのわからない作りだ。何とかしなければ、私のような部外者は目的地につけない。階段をつけて。

その点、入間川小は天国。いいなあ。エレベーターもあり、廊下も歩きやすいし。勿論、手すりもばっちりだった。

入間川小といえば環境。太陽光発電について聞いたら、全体の電気料の6%を賄っているという事。これは大きいですよね。たった10キロワットの発電装置しかないのに。学校に太陽光発電を導入すべきだと思った。初期投資は仕方がないじゃないか。ロングランで見てみましょうよ。どうせ学校は電燈ぐらいしか使わない。勿論、冷房を入れるときには太陽光発電だけでは十分ではないとは思うけれど。

帰ってきて、4時から障害福祉課が来て話し込んだ。頭が働かないけれど、どうしても福祉が後退するのを停められない。ただ、いろいろなサービスが増えているので、重複する点もあり、整理が必要というのも理解できるのだけれど。

夜、体育館でトレーニング。
8日(日) 今日は午前中礼拝。午後、久しぶりにのんびり。しかし、家事が山積していて、洗濯やら皿洗いやら。それでも、ようやく夕食を作る時間に恵まれ、具たくさんの石狩鍋などを作り、子供達に喜ばれた。忙しいとどうしてもちゃちゃっと作るし、惣菜を買ってきたりしがちで母の味を堪能させる事が出来ない。

夜は夫と買い物へ。米が安かったので、30キロ買った。その他、ヤオコーとカルフールで買い物をした。勿論、2万円以上の買い物だったが、食べ物は仕方がないなあということ。
7日(土) 今日は朝市制55周年記念事業に市民会館小ホールに出かけた。冷えた。ストールを持って行ってよかった。さもなければ、風邪を引いただろう。この頃は省エネというか、ケチのせいか、暖房を入れるのが遅い。だから、冷える。昨日の議会だって、短い時間だったけれど冷えたものねえ。後で、おなかが痛くなって、下痢だった。体が冷えたからだと思った。女性の体はデリケートですからねえ。

今回、市民の多くの方に功労賞、感謝状などを贈ったが、女性が割りに多かったのが嬉しかった。50周年記念のときの表彰は男性だけで、唯一の女性は民生委員の一人だけで、私は怒ってここに書いた覚えがある。それに比べ今回は、女性も狭山の行政に寄与している事を認めてもらったようで、多少嬉しく思った。もっともっと功労賞を揚げるべき女性もいる事だろう。女性も男性よりも前に出ることを恐れず頑張っていてほしいと心から願う。

式典後、私は市民会館を視察。床や壁が汚い。壁はペンキを塗る直しするべきだと思うし、床はまずワックスを落としてきちんと床の汚れおとしをするべしと思う。館長にもそういって来た。後はお金の問題だろう。トイレももっと何とかならないか。ホテルのトイレのようなトイレにしてほしい。

急いで帰ってきて、昼食。その後、聖望学園の保護者会に。そこで下痢が始まり、何べんもトイレに行った。恥ずかしいわね。全体会の後、クラス会。その後、クラス懇親会。いつものように和気藹々と仲良く有意義な時を過ごした。息子の進学に関しては心配ばかりだ。それでも私が受験するわけでないから、もっといや。息子には頑張ってもらわなければどうしようもない。

帰ってきたら8時を回っていた。とても疲れた。
6日(金) 今日は臨時議会。いつものように、代表者会、議運、全協などがあるため、議会が開かれたのはなんと10時すぎ。

全協ではワクチン接種のことが報告され、11月の中旬以降に接種可能だそうだ。それも、やはり優先順位があるそうだ。私のような喘息持ちはワクチンの接種を優先的に出来るのだそうだけれど、いつも行っている水富診療所はワクチン接種をしてくれないそうだから、証明書を発行してもらって他のお医者さんに行かざるを得ない。そこらへんがよく分からない。どんな証明書を何処からもらって書いてもらうのだろう。お金は掛かるのか、掛からないのか。織り込みチラシを入れるというが、あのままのチラシではワクチン接種のて続きが分からない人が多いだろうなというのが私の感想である。

議会で名誉市民に関しての議案にいつもの事ながら、基本的な質問をした。条例に書いてあるとおりですというが、市民は条例なんか見る機会もないだろうし、私にしても初めて見た条例だった。本当は、名誉市民に推挙する基準を決めたほうがいいと思うが、今回の大野さんに関しては文句なしに名誉市民に当たるのだから、一々その点に関して触れるのは止め、一般的な質問をしたにとどめた。議員にしてみたら、「なんだ、そんな質問をして」という事になるだろうが、議会だよりで読む市民には、多少の知識となると思う。名誉市民に推挙するのは何でなんだという事をきちんとしておくことも大切だと思った。

午後は帰ってこようと思っていたのに、結局役所で調べ物をした。役所のメンテナンスを取り上げようと思っているが、エコに注目したメンテをするとしたら、どんなものがあるかという事を省エネ法の関係も含めてインターネットで情報を集めた。HPは充実していて、凄いね。対象を役所だけでなく、出先や学校などの施設にも広めてエコ化を進めるべきだろうと考え始めている。きっとロングランでは安上がりとなると思うが、初期投資が出来るかどうか、国の交付金事業の中に含まれるかどうか等、調べるべき点は多いのだ。

このエコ化は10年以上も前私の政策集の中のひとつとして取り上げたものだ。ようやく10年のときを経て人々が注目する課題になった。施策がすすむといいんだけれど。

役所の何人かと話した。夫をなくした方がいて、慰めの言葉もない。直接の死の原因は突然だったけれど、長年の看病だった。死者を送るときにはどうしても後悔が残るだろうが、端から見れば一生懸命尽くしていたと思う。気落ちせずにいてほしいと願う。(勿論、そんな事は無理だろうし、寂しくなってしまうだろうけれど)

夜、トレーニング。
5日(木) 今日は、朝から何も食べずに石心会狭山総合クリニックへ。胃がん健診のため。今回は胃カメラを鼻から入れるタイプにしてもらった。初めて鼻から入れるタイプにしたので、多少緊張した。しかし、嫌なのは筋肉注射だけで、鼻は少し痛かったが、えずくことがないので、口から入れるタイプよりもずっと楽である。また、石心会では入間川病院のように全身麻酔をかけない。だから、体にも負担が少ないような気がしてならない。

結果はいつものように食道ヘルニアがあり、腹7分目にしなさいとのこと。食べ過ぎると胃液が上がるから、なるべく食べないに越した事はないという。最近の私には大変難しいことである。どうしても、食べてしまうからなのである。まあ、胃がんでなくて良かった。毎年、がん検診をしているが、いつもより今年は胃の調子がいい。あまりもたれないのは、食べる量を調節したり、野菜の多い食事にしているからだと思う。たんぱく質はほとんど魚からとっている。でも、どうしてもカロリーが2000を超えてしまう日があって、駄目だ。でも、ネバーギブアップと心に固く思っていて、体重維持を心がけている。

午後は役所によって、明日の議会の開催について尋ねた。何しろ昨日ファックスが来て、明日議会というのには驚くほかなかった。事務局が言うには私が出張の日に家に代表者会の説明を置いていったというのだが、見ていない。家に戻ってその話をしたが、息子は知らないと言っていた。一体どうしたんだ。夜、議案書が届いていて、大野松茂さんが勲章をいただいたので、その栄誉を称える意味もあり、名誉市民に推挙する事を議会に同意を求めるという事だった。

役所でべちゃべちゃと栗原武さんと話し込んだり、資料請求や調査をたのんだりして帰ってきた。

夜中、本が面白くてやめられず、夜更かし。くだらない本なのだが、面白くてやめられない。馬鹿馬鹿しいなあと思うのだが、夢中で読める本に出会うととても嬉しくて、いつもの凝り性でその作家の本を全部読むまで辞められないのがいけないなあ。反省するが、同じ事の繰り返し。
4日(水) 今日は朝子供達を学校や仕事にだし、家事にいそしんだ。何しろ、夫達が山から帰ってきたが、その洗濯物が本当に山ほどになり、10キロのの洗濯機で2回もまわした。干すにしろ、もう場所がないほどで困った。お皿だって馬鹿にならないほど溜まってしまい、せっせと皿洗い機を回し、お鍋などは手であらった。

その後で、国会図書館ツアーのスケジュールの詳細を作り、ファックスしたり、メールをしたり、名簿を作ったりと忙しくした。高々、2,3枚の書類を作るのに、HPを開いては時間を確認したりしているから、時間が掛かってしまう。

夜珍しくトレーニング。その後HPを更新した。
3日(火) 今日は、朝から絶対仕事はしないと決めていた。29日の出張から昨日まで毎日出ずっぱり。疲れた。洗濯もたくさんあったが、出来る限り無視。でも、やはり10時過ぎには洗濯していたね。だって、お天気がよくって洗濯日和だったから。

午後はブルーインパルスを見てから、図書館に本を返しに行ったが、結局、図書館で又本を読んでしまった。オール読み物を読むようになっちゃおしまいよと思うのだが、結局「御宿かわせみ」を読んでしまった。続き物を読み始めると私は凝り性だから、本を全部買ってしまうという事になるのだ。だから、新聞の連載小説は読まないようにしている。明日を待ちわびる、それも、連載小説の為になんてことを絶対してしまうのだから。昔とっていた朝日新聞の「氷点」に夢中になったっけ。幾つの年だったんだろう。

はっと気がついたらもう5時。ヤオコーによって買い物をして、友達とヤオコーで立ち話をして帰宅。帰ってきたら、夫と息子がいた。ネーサンを松本に置いて帰ってきたとか。ネーサンは上高地に行ったという。まあ、彼はどんなに寒くてもあの装備ならば死なないだろうと思う。食べ物も持参したしね。私は、急いでご飯を作って子供達に夕食を食べさせた。娘がカレーを作っていてくれた。
2日(月) 今日は、午前中家事が大変だった。洗濯物が山ほどあった。自分の出張の後の始末も終わっていなくて、子どもたちの洗濯もしていなかったらしく大きなトレーナーを何枚も洗濯した。10キロの洗濯を2回もまわすんだから、干すのに時間が掛かって仕方がない。午後は少し役所によってから、1時過ぎに永田町へ。

今日は11日の見学会の下準備に3時から最高裁判所を見学する。少し、永田町に早く着いたので、まず国会図書館の南口に行き、国会図書館の見学の集合場所を確認。その後、憲政記念館へ。ここで特別展があることを確認し、まだお茶も出来る事も確認。そこを出て最高裁判所へ。そぞろ歩きをしたが、お堀端でとても素晴らしいところである。

最高裁判所の見学ではどういうわけか眠くなって困ってしまった。それにしても、日本の施設は何処もシンプルであり、ごてごてした飾りなど本当に無縁だ。つまらないなあ。そして何処にでもあるのが、高い吹き抜け。どうして男って吹き抜けが好きなのかと思う。無駄に高い天井を見ていると、どうしてもあの冬に寒く、夏に暑い狭山市の議場を思い出してしまう。何をして最高裁判所の大裁判室の吹き抜けを20メーターにしなければならないか知りたいものであると思う。昔の最高裁判所を潰したというのがもったいない。なぜ古いからと保存をしなかったのかと思う。使い勝手が悪いだろうけれど、それよりも古い建物をアメリカでは使っている。日本は新しいほど良いと思っているし、古いのはメンテがかかりすぎだと思っているようだが、歴史的な価値をどう評価するのだろう。本当に、昔の最高裁判所を潰してしまったのは、本当にもったいなかったと思う。

4時には見学が終わった。私はまた頑張って国会図書館に戻り、今度は中をそぞろ歩き、本はどうやったら読めるかを調べた。いろいろな本があるがほとんど閉架だから、持ってきてもらわざるを得ない。どんな本が入っているかと思ったが、下世話な本は少ないのかな。私は勝海舟の信奉者だから、彼の書いた本を読みたいと思った。コンピューターで探すと、古本はマイクロフィルムにはいっていたり、コンピューターに画像として保存されていた。後で、自分のコンピューターからも読めるそうで、少し嬉しかった。いつか、ここに通って朝から晩まで本を読んでいるってこともアリかなあ。狭山の図書館でも十分間に合うか・・・結局7時近くまで国会図書館にいた。
1日(日) 今日は朝礼拝。久しぶりに聖餐式に出た。怒涛のようなこの2ヶ月。毎月第一主日礼拝の日が忙しくて、教会にいけなかったので、とても嬉しかった。おいしいお茶もいただいたが、ゆっくりも出来ずに狭山に戻った。

ネーサンは午前中に池袋に出かけた。お昼に夫が稲荷山公園にネーサンを向かいに行き、息子や娘と5人で稲荷山の大茶会に行った。毎年行かない年は内ほど大好きな狭山の催し。おととしの雨もときも、去年のような風の時も行って御茶をいただいた。今年はとても良い天気で温かくて素晴らしいお茶会だったと思う。お手前もお店も素晴らしかった。

お花の展示も今年は力が入っていたと思った。高価なお花がふんだんに使われていて、見栄えがした。これも文化だし、お茶会と一緒にこういう展示がされているのは嬉しい。ついでに菊の展示もあれば尚いいかな。菊の季節だしね。

三曲がまたまたいいの。お茶のバックに流れている音楽がみな生の音楽なんてなんて豪華なんだろう。私はよく分からないのだが、皆さんとても上手に弾いていらっしゃったと思う。夫は聞きほれていましたよ。

短冊が飾ってあるのも風流で結構。お茶菓子やお茶を売っているのもよい。水を持ってきてくれた津南が農産物を即販しているのもまあ優雅とはいえないけれど仕方がないか。

それにしても、この催しだけはなくしてほしくない。上品で優雅な催しである。どうして、全国にこんな素敵な催しを宣伝しないのだろうねえ。宣伝しないでもアレほど人が来るのであれば、宣伝なんか不必要かねえ。文化好きな私としては、狭山市を誇りに思う大好きな催し物である。(手放し)

2時に急いでみのり祭りへ出かけた。でも、遅すぎました。そこで岸さんに会った。動物園を病気で止めたというのを聞いていて、心配していたが、お宅も知らないからただただ心配していた。お元気そうで会えて嬉しかった。みのりの後援会長を引き受けたという事だ。まあ、名誉職のようなものだろうけれど、しようと思えばいろいろな事も出来そうだ。お金に換えがたい何か。そんなものを岸さんは分かっていて、残りの人生を掛けてやってくれるだろう。そんな期待が持てた。岸さん、体をいたわりながらご奉仕お願いします。

帰ってきたら、もうすでに夫、ネーサン、息子、息子のガールフレンドは別荘に出かけた後だった。のこったのは私、娘、息子の3人。人数が少なくて少しホッとした。多いとご飯だけでも大変だからねえ。夜は、市民体育館でトレーニング。
10月
31日(土) 8時過ぎにホテルをでて、9時からの分科会へ。これがまた腹が立った。面白くもおかしくもないつまらない分科会。ネーミングに偽りありだったわね。日本女性会議なんか次には出席しないぞと思ってしまった。あまりにレベルが初歩的すぎ。フェミ議や市川さんの勉強会や、まどかさんの勉強会に比べ、昔の婦人会に来ているかのようだ。

午後の全体会も酷いもので、女性2人の対談だったが、一人は資生堂の取締役の岩男さん。もう一人は女優。今思い出そうとしても彼女らが何を言っていたかを思い出せない。くだらない話を延々としていたように思う。その後、閉会式のようなことをしていたが、それも行政がするような感じのものだった。はじめ行った青森は手作りの良さがあったし、分科会もはっとするようなものがあり、目が開かれた思いをしたものだったが、私が成長したのか、日本女性会議が堕落したのか、全然興味が湧かない。

閉会式も最後までいないで帰ってきた。大阪を見物したいとも思わなかったし、正倉院展をしている奈良に行くには遅すぎるしで、東京まで直行し、狭山に戻った。帰ってきた。10時だった。大阪も近くなったものだわね。それにしても、つまらない日本女性会議だった。金と時間を返せっていいたい。
30日(金) 朝、急いでタクシーで奈良駅まで、その後、難波経由で堺駅まで。堺駅で樋口先生にばったり会って、ご一緒にリーがロイヤルに。日本女性会議の全体会があった。全体会は樋口恵子さんと赤松良子さんの対談。つまらなかったわ。聞いた話しばっかりだしね。他の所に行くべきだった・・・・

4時過ぎに奈良女子大学の時の友達と喫茶店であってお話しをした。3時間近く話し込んだ。あっという間で、その後私は交流会へ。これもつまらない交流会で、そもそも私のような魚以外はベジタリアンという肉を食べない人には食べ物がない。名刺を交換し合ってもつまらないつまらない。初めて会った人に何を話せばいいというのさ。知っている顔もちらほらするけれど、私はこんな場所はもういいわとさっさと引き上げた。

宿舎は難波に取ってあった。それも、28日の夜中にコンピューターで予約した。禁煙ルームで女性フロアーのあるホテルはなかなかない。だから、大阪に戻らなくてはホテルは取れなかった。始めはリッツカールトンに泊まりたいなあと思ったが、1万6千円で泊まられるはずもないので止めた。清潔でよい宿だったが、新聞が産経新聞でそれが嫌だった。
29日(木) 今日は午前中、視察のための準備。昨日まで何もする閑がなかったので、時間が掛かった。お土産もひつようだったし。

10時半のバスに乗って、ネーサンとともに新宿へ。都庁の観光局に行きたいというので一緒に行った。そのついでに45階の展望に行き、食事をした。ここも勿論おばさんのおごりである。全く、お金が掛かるね。とても素敵な場所で、夜に夫とデートによいわねえなどと思った。

都庁でネーサンと別れ、私は品川から新幹線で京都。その後、近鉄で奈良に来た。近鉄奈良駅で御寿司とビールを買い込んで先生のお宅にタクシーで伺った。凄い高級住宅街。敷地も広くてご立派なお宅。昔の戒壇院の前の古いお宅とは比べ物にならない立派さ。そこに、おひとりでお住まいでもったいないようであった。先生は体は大変そうでお気の毒に思ったが、精神は元気で何も心配する必要なし。良かったなあ。夜中まで昔話などをした。
28日(水) 今日は朝最高裁判所に見学の予定を入れた。何べん電話してもつながらず、30分ぐらいしてようやく予約できた。良かった。

そのうち電話がかかり、アメリカからやってきた甥を、所沢に迎えに行かなければならなかった。鬚があるはずだったのに剃ってきましたというので、よく分からなかったが、よくよく見るとネーサンだった。家に帰るまえに、役所によって議会やら役所やらを上から下まで見学させ、ちょうど昼時だったから、食堂で弁当を食べさせ、喫茶店でコーヒーを飲ませ、今度は智光山公園へ。時差ぼけを直させ、夜眠くするためには昼寝させず、疲れさせるのが一番と思ったのだ。

智光山公園のテニス場に車を置き、体育館、動物園、植物園、菖蒲園、とすべて歩いて回った。疲れたのはネーサンではなくて、私のほうだった。2時間近く歩き回りましたからね。は〜〜〜。

夜は、カレーライスを作って食べさせた。娘が作ってくれたのだが、ネーサンは僕は何でも食べるからねといったので取り合えずカレー。勿論私にはお刺身を買ってきて、別メニュー。

ネーサンは富士山に登りたいという。テントもあるし、自分はネーチャー指導員をしているから山登り大丈夫だというが、とんでもない。上らせられない。富士山の何処にテントを張るというのさ。北アルプスはよいハイキングの場所だと聞くというが、確かに夏はね。でも、冬は厳しいんだよ言って聞かせるが、そもそも山男のネーサンの耳に入らない。それで、どれくらい日本の山を知っているかといえば、何も調べて着てはいない。本当にどうするつもりなのかと暗澹とする。
27日(火) 今日は特別支援学級の視察の日。柏原小、9時。新狭山小10時30分。堀兼中、11時45分。西中、1児45分の予定。堀兼中のあと、保健センターに寄ったので、西中に少し遅れた。

柏原小は知っている先生がまだ頑張っていた。介助員さんなし。

新狭山小、4クラスもある。個人勉強用の施設があるのに使っていなかった。もったいないなあ。介助員も多かった。

堀兼中。昨年できた新しい支援学級。個別指導をしていた。3クラスに分かれていたが、こういう指導はいいなあと思いながら帰ってきた。学力が伸び憎い子供達だけれど、学力を伸ばす必要をとても感じている。指導時間が小学校にくらべ飛躍的に少ないのはどういうことだろう。市議会議員が指摘することではないけれど、カリキュラムのあり方に疑問を感じてならない。

西中。子どもが通っていたせいか親しみが多い。ただ、バリアフリーにする努力が絶対必要で、今工事中だというので、どのようになっているかチェックしたくなって、視察を終えてから、教育委員会に行き、耐震工事に伴う渡り廊下の工事について調べた。一定程度のバリアフリー化はされるようである。

学校はどうしてこうも障害(バリア)が多いのだろう。3障害(身体、知的、精神障害)を区別せず障害として特別支援していくのが決められているが、その特別支援学級のある学校がバリアが大きすぎて障害者が教育できないなんてまるで漫画だ。早く何とかしなければならないと思う。

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