私の独り言 2004年 

バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。午後は、
すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を、通します。

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
12月 私の独り事
31日(木) 今日は朝から家事。だって、明日から夫と二人で新潟にお見舞いやらお年始に出かけるから、今日すべき洗濯はすべてやり終えたかった。それに、久しぶりにレンジ周りの掃除をしたくなって、いすに上ってせっせとした。いつもお手伝いさんがしてくれているので、そんなに汚れているわけではないけれど、たまには自分で掃除をしなければ。夫は、家中掃除機でお掃除。

午後からは買い物に。お年玉袋もいるし、お正月3ガ日は留守にするので、子供たちの食料を買い込んだ。山ほどうどんや焼きそばを買ってきた。冷凍庫もいっぱいだし、おなかがすいたら何かを食べるでしょう。その後、御茶屋へ行き、お土産のお茶を買った。

3時からは美容院を予約していたので、パーマをかけに行った。新潟に行かなければ、このままにしていようと思ったが、あんまり変な格好で行くとまたあれこれうるさいので、年末もこのときになってようやく美容院に行くことになった。

今日の大晦日はかなりの手抜き。本当はすき焼きが大晦日の定番であるが、すき焼き風煮をしょっちゅうしているので飽きてしまっている。だから、今日はヤオコーのオードブルとお刺身。鮭と黒豆(私が作った)、ごぼうの金平。私と娘と夫は茶そば。そばアレルギーの息子はうどん。まあ、テーブルいっぱいにご馳走らしきものが並び、(どこがご馳走かといわれそうな普段の料理かな)私と夫は酒、子供たちはジュースで乾杯して食事とした。写真を撮らなかったのは残念。お兄ちゃんは彼女の家で大晦日を迎えるとかで、出かけた。

夜は珍しく紅白歌合戦を見た。勿論、紅白を見ながら皿を洗ったり、明日もって行くお年玉やらお見舞いを包んだり、いつものとおりにじっと座ってテレビを見ている暇はなかった。ただ、ボイルさんの歌は夫と二人でじっくり聞いた。歌詞は字幕を見ていたのだが、夫と涙を流しながら聞いた。夫はなんて残酷な歌なんだろうといっていた。私はユーチューブでみたボイルさんの歌よりもずっと感動した。ボイルさんの緊張もなかなかだったんだろうけれど、よい歌唱だったと思う。CDをアマゾンで予約。1月11日の夫の誕生日プレゼントにする。
30日(水) 今日は勿論家事を済ませた後に、郵便局へ。学資保険が降りた。子供の大学の入学資金である。どうして、もっとつんでおかなかったんだろうと後悔する。100万円では入試費用と初回の納入金にすらならない。あ〜〜あ。

その後、銀行へいき、お金を下ろし新札にしてお年玉の用意にする。子供が6人分だし、お見舞いが2件もあるから大金だ。銀行で入曽の方にお会いして話し込んだ。区画整理事業はもう止めてもいいでしょうと思う。

夕方、議会レポートの配布に出かけた。夫が手伝ってくれてよかった。これで、12月議会関係のお仕事は完了した。年末はどうしてこうも忙しいのだろうか。
29日(火) 今日は午前中は家事。その後、ごみもたくさんあって午前中に、いつものように第2環境センターにごみを持ち込んだ。確かに混雑はしていたが、並ばなくてもよくてよかった。パッカー車が多くて、事業系のごみかなあと思った。年末は環境部総出でごみの対処をする。大変だ。去年は第1環境センターがまだまだ完成してなかったから16号まで車がつながったということだが、今年は順調だろうか。

帰ってきて、ほっとするまもなく電話がかかり、新潟に行くのが、私と夫ということに決まった。本当は息子の受験があるので私は残るつもりでいたのだが、父は喘息その後風邪で入院、弟は動脈瘤の手術で入院となり、急遽私も夫と一緒に帰省することになった。仕方がないなあ。

家を片付けているが、どうしようもない。暖かくなってから、窓ふきをしようと思う。

夜はサピオへ。最近、寒くなってからは体育館は敬遠し、サピオばかりだ。帰ってきてお風呂に入って寝る。
28日(月) 今日は朝から家事。月曜日は洗濯がたまるから、10キロの洗濯機を2回も回してしまう。何しろ、パーカーにしてもアメリカ製XLだから大きい、大きい。 午前中は久しぶりにHPのアップに忙しかった。

午後からは郵便物を持って郵便局へ。本局へいった。いつものようではなくて本当に不親切。頭にきて、郵便を持って帰った。途中、役所によって議会事務局に挨拶して、今度は広瀬の郵便局で郵便を出した。本当に親切で、本局の役人丸出しの対応に電話して文句を言おうかと思った。あんなに無愛想で不親切だから、郵便がクロネコやら佐川急便に持っていかれてしまうのだと思う。私は民営化反対の議員だけれど、あの接客態度だけは民間のほうがいいと思う。

次には手配りをする封筒を持って何件かを回った。あっという間に夕方になり忙しい。夕食を買い込んで帰ってきた。

夜、入間の湯へ。
27日(日) 今日は朝礼拝。久しぶりで自分の教会へ。やはり、ほっとする。メッセージはいつもすばらしいし。本当に感じるところがある。福音に応えるには「正しい行い」だという。ふ〜〜ん。神様の目からみて正しい行いとはなんだろうと思うが、ただただ祈りながら正しい行いをしようと努力することだろう。でも、本当に正しいことだけをして生きていくって難しいよね。何べん、後悔し、何べん反省し、何べん言い訳をし、何べん悔い改めているだろう。それでも、正しいことをしたいとは思っているから、それで神様に許していただこう。

途中でお弁当を買って食べて、サピオへ。トレーニングをして帰ってきた。4時過ぎだった。帰ってきたら、たくさん家事が待っていて、皿を洗ったり片付けたりしているうちに夕食の時間。久しぶりに、あれこれ作った。

食事を作って家人が帰ってくるのを待つ間、封入の途中だった郵送分を娘と終えた。セロテープでとめて、終わり。明日は郵便局と配りに行かなければと思う。

夕食後は、浅田真央がすべるというのでスケートを家族でテレビを見た。真央ちゃんが失敗もせず滑り終わってなんだかほっとした。あんなに期待されているのに、オリンピックにいけなかったら本当にかわいそうだ。いけてよかったねえ。その後、コンピューターの前でHPのアップをしている。今日は、早く寝たいものだと思う。
26日(土) 今日は朝起きたら11時半だった。勿論寝たのが2時過ぎなのだから、遅くおきるのは仕方がないとしても、11時半とは。いつもは1時に寝ても2時に寝ても7時には起きるのに。

お昼を食べながら、友達と話をした。今日は家族の話など。今まで、個人的な話はちらちらしたことはあったけれど、初めて聞いた話だった。彼女は息子を交通事故でなくしたのだが、仏壇にある写真を見たら、こんなにあどけない男の子が亡くなったのかと彼女の気持ちを思いやってもう可愛そうで仕方がなかった。時々神様のなさることは分からない。それにしても、80坪の土地に優雅にお家を建てて、芸術家志望だった夫がたくさん美術品を収集していて、文化な家庭だった。それに比べ、我が家には価値ある絵画なんてないのよ。骨董品も一切ないしねえ。文化って余裕のある生活してなければ、育たないんですよねえ。

しゃべりくたびれて、2時過ぎにお邪魔して帰ってきた。大宮でブックオフにより、川越で古本屋により、帰ってきたら5時半。夫が狭山市駅まで迎えに来てくれた。狭山市駅は着々と工事がすすんでいる。もう、駅舎と商業館をつなぐ通路もかかっていた。もうじき、駅前広場が作られ、まち開きが3月の末に行われる。うれしいな。

こんばんは娘は教会に行っており、息子は塾。もう一人の息子は伊豆に行っているから、夫と二人友達のやっている"なるど”という蕎麦屋で夕ご飯を食べた。ちょうど知り合いがいて、2組の夫婦で食事をした。忙しいらしくて、食べ物が出てこない。だから、たっぷりお話ができた。

9時半からは“のだめカンタービレ”という映画を夫を見た。音楽がきれいだったし、玉木浩という男優の指揮が格好良くて見ほれてしまった。カラヤンを思い出した。カラヤンも格好良かったものねえ。一度でいいから、生演奏を聞きたかった。何べん言うか分からないけれど、私が学生時代に1万円も出して演奏会にいけなかった。だって、1ヶ月の生活費が2,3万円だったんだよ、私の学生生活では。でも、でも、今は何万円出したって死んだ人の演奏は聞けない。は〜〜〜。カラヤンが聞きたかった。夫は小沢征治さんの演奏が聞きたいといっている。私だって聞きたいけれど、チケットをどうしたら取れるか分からない。どこで、何を演奏するかも良く分からないし。

"のだめ”は話が早すぎて一度で咀嚼できない感じだったけれど、美しい音楽と映像といけ面男優でまあ、いいか。
25日(金) 今日は、朝家事に明け暮れた。その後、ネットニュースとあいさつ文をコピーをした。そして、その後、会員さんのラベルを作ったが、3ヶ月に一回しか使わない”筆王”の使い方を忘れてしまい、困った。なんと、封入をはじめたのは、午後を過ぎてしまった。だから途中で止めざるを得なかった。その上、コピーが足りなくなって増し刷りをし始めたら、紙が詰まってコピー機が動かないが、どうしたらよいか分からない。もう、仕事ができないのだ。

午後は、彩ネットの人との忘年会がさいたま市の友達のうちであるので、バスに乗って出かけた。今日は一晩彼女の家に泊まる予定なので小さなボストンにパジャマを入れてうきうきして出かけた。集合は5時だったけれど、6時ごろ迷子になりながら到着。今日の友達はさいたま市内や久喜市に住んでいるので終電で帰るとなれば、12時過ぎてもかまわないので、お開きは11時40分。あっという間に、5時間もしゃべり続けた。それぞれの近況を語るだけでもすごく楽しかった。

話の内容は、勿論議員や元議員や、女性活動家などだからお堅いに決まっている。政治のどろどろの部分も語られたりして、「いやだねえ」といいながらそれがこの世界なんだと改めて思う。自分でそのどろどろに足を突っ込むつもりはまったくない。けれど、利用されつくす人もいるんだろうといるし、お金でそれを割るきる人もいるんだろうなと思ったりした。どの世界にもあるようなことなんだろうか。それとも、この政治の世界だけが、直接選挙という露骨な競争があるからこそ、醜くなるのだろうか。

配偶者控除については、なくすべきだというのが私たちの考えである。それを財源に子育て支援をするのであれば、仕方がないじゃないか。主婦が働かなくても食べていかれる家庭ならば裕福なのだから控除なんかしなくてもよし。どうして日本は働かない女性に優しい国なんだろう。働いて税金払ってがんばっている女性のほうが大変だろうと思わないのだろうか。誰も女性に働いてほしいなどといわない??!!だったら、夫が十二分に稼げる世の中ですか?子供の大学費用は夫の稼ぎだけで出せるのですか。なぜ、女性がパートをしていると思うんですか?楽しいから?冗談じゃないですよ。

しんどい思いで150万円稼げば、税金だ健康保険だと出費がかさむし、配偶者控除もない。ばかばかしいたらありゃしない。どこの国に働く人よりも働かない人を優遇する国があるのか。

話はあちこちに行き、社会に憤慨し、民主党も毅然と改革をすればいいのにと言い合い、医療制度についても話が飛び、そういえば家族の話題を一切しないで忘年会は終わった。ビールはあっという間に何缶もあき、ワインもあけても、誰もよっぱわないというのはすごい人たちだねエ。とにかく、硬い内容のことを楽しく話し合うなんて事が少ないから、新鮮なのである。
24日(木) 今日は、朝は家事。その後、ネットニュース作成の最終段階。写真を大きくしたり、小さくしてみたりして、その後で、イラストを入れた。これで原稿はできた。そこで、コピーをして明日封入作業をすることにする。ようやく、この作業もひと段落。できれば今週中に仕事を終えてしまいたいのだが、無理かなあ。

午後、まだ買い終わっていない夫へのプレゼントと娘へのプレゼントを買いに出かけた。夫にはヒートテックタイプの下着。初めて木綿じゃない下着を買ってあげる。娘には毛糸のパンツ。私もすでに股引(タイツっていうのかな、今では)をはいているが、彼女はそんなものははかないから毛糸の可愛いパンツだったら着るかも知れないと思った。女の子は冷えてはいけないと思うんだけれど、若い娘に冷えるなんて言葉はないものねえ。私だって、20のときはミニスカートでしたからね。

夜、原稿を封入しやすいように折った。作業は続くね。それでも、今年中に発送しなければならないから、止めることができない。
23日(水) 今日は朝家事。その後、ネットニュースとあいさつ文の校正に取り掛かった。直し始めると次々の直さなければならず、終わりのない過程だと思う。どこかで止めないと、直してばかりですすまない。

午後、夫が教会学校のクリスマスプログラムから帰ってきたので、一緒にじょうしん電気にコンピューターを買いに行った。今使っているコンピューターが変な音がしたり、私の理解を超える動きをしたりして、いつだめになるのかと心配なのである。とにかくメモリーがいっぱいなのだが、どれを消していいのかも分からない。消したと単にメールの機能がおかしくなって、最近メールが良く見えない。困ったものである。さて、新しいコンピューターは来年から使うことした。

夜、夫の教会のキャンドルサービスに出かけ、その後、サピオでトレーング。サピオのよいところは暖かいところで、汗をかいても冷えにくい。人気のない体育館では汗をかくとすぐに冷えてしまい、寒くなって続かないのである。トレーニングに行って風邪を引くのもいやだし、それで最近はサピオに出かけることが多い。
22日(火) 今日は、朝は家事。その後、HPの更新に取り掛かった。思ったよりも時間がかかって、夕方ようやくアップした。その後、後援会ニュースのネットニュースを作り始めた。あいさつ文を書いたが、何回も書き直した。とにかく、早く作り、印刷しなければと思う。がんばって挨拶文とネットニュースの原稿を作り上げた。ネットニュースはたくさん写真を入れる。今回は郵送分しか作らない。だから、コピーで作ろうと思っている。
21日(月) 今日は、朝から家事。日曜日をはさむとまたまた洗濯物が山ほどになってしまう。午前中、家事に明け暮れた。

午後、1時半ぐらいに家をでて、クリスマスプレゼントを送り、その足でサピオへ。寒いし、今日は体育館はお休みだから、サピオへ。トレーニングを軽くした後に、役所へ。何枚か議会レポートを役人さんに渡した。

5時過ぎに役所をでて、新宿区役所に行き、フェミ議の世話人会へ。次のアファーの編集会議もしていただいた感じ。まあ、よかった。今日は新大久保で忘年会だそうだが、私は韓国料理がこのごろアレルギーで食べられなくなったので、出席できなかった。それで、紀伊国屋書店へ。いつものとおり、1時間ほどいた。本屋は楽しいねえ。こんなよい本屋が。狭山市にもあってほしい。ツタヤは雑誌しかないような気がする。アマゾンで本を買うのだが、やはり表紙を見ながら本を選ぶのは至福の時だわよ。

9時の特急で帰ってきた。おなかがすいたので、マクドナルドでハンバーガーを買い込んで車中で夕食。ちょっと寂しくなるような食事である。
20日(日) 今日は礼拝は北入曽の教会で。選挙に来てくださった牧師の教会へ。小さな教会だが、暖かいなあ。愛餐会までご一緒させていただいた。

午後は、サティでクリスマスプレゼントを買った。子供の物、両親へ、弟家族へ、などと考えながら買い物をしたが、なにを買っていいのか分からなくなる。同じ場所をぐるぐる回った。どうしてクリスマスプレゼントはサティかと思うが、いつも結局サティでクリスマスの買い物をする。途中である部長ご夫妻にあったが、もう疲れすぎていてにこやかにできなかった。ごめんなさい。プレゼントの後はいつものように食品売り場で安いものをあさった。

帰ってみれば4時を過ぎていて、夫と二人で疲れたねえといいながら、ぼおっとテレビを見た。"のだめカンタービレ”っていうのを夫がHDに録画していて、音楽がきれいだから漫画のようなストーリーだけれど見た。千秋っていう指揮者になる人が格好がよくて、「いけ面だわねえ、指揮するところもさまになっていること・・・”など中年のおばさんのコメントをしながら見た。テレビはニュース以外なかなか見ない。この番組は音楽がきれいで、それに引かれた。

夜夫と二人で入間の湯へ行った。お風呂で久しぶりの友達とあった。
19日(土) 今日は朝から家事にいそしみ、11時半過ぎに夫に送ってもらいながら内閣府へ。今日は全国女性首長会議が内閣府の地下の大会議室で行われるのである。

行けば知っている顔もあって、少しうれしかった。全国から22首長が出席していた。印象に残る首長はやはり中川宝塚市長、東門沖縄市長。どの市長も個性的だから、4分のスピーチは聞いていて楽しかった。女だから男だからといいたくないが、女性首長がたった22人しかいないのはさびしいなあ。後で、懇談会デモするのかと思いきや、集まっただけでおしまいだった。会場から3人がエールを送ったが、なんだかわけのわからない発言が多かった。

会議の後、私は銀座によって念願の資生堂のカフェでお茶をした。銀座の中であんなに静かな喫茶店も少ないなあ。勿論ケーキセット1600円じゃ若い子は少ないとおもいきや、若い女性であふれかえっていた。そうか、中年女性よりも働く若い人のほうがお金があるのか。はたまた、お金持ちのお嬢様方でしょうかねえ。よい服をきて上品そうに見えたものね。

銀座では友達の息子がパンやで働いているというので、プランタンに行ってパンを買ったのだが、残念ながら彼はもう止めてしまっていた。朝早く本当にきつい仕事だものね。

7時に奈良からの大学院時代の友達が上京していたので、都庁で会うことにした。ロビーで待ち合わせをしたが、私のほうが先に着いていたので、45階で待った。夜景がとてもきれいだった。この前、甥のネーサンをつれてきたときにはスモッグのようで、遠くまで見えなかった。私たちはここでおちあって、食事をした。テーブルチャージが着いたのは気分のよくないものだったけれど、値段はお手ごろだし、音楽も生のピアノだし、人も多くはなくてちょっとした新宿の穴場。もう少しスパゲティがおいしいといいのだけれど、いつ食べてもスパゲティのゆで方が気に入らない。

彼女は帰りにお土産をしこたま買い込んで帰った。ここは展望台とお土産屋もあり、私たちのようなおのぼりさんにはとても便利なところなのである。いつも何かをしにている人で、環境、特に森に関してはエキスパートのようであり、そのための研修に来ていたようであった。

9時半には新宿で分かれたのだが、練馬にでたら急行は来ないし、遅くなって帰宅した。今日は少しおしゃれもしていて、靴がハイヒールだったから疲れ方が違う。
18日(金) 今日は、家事を急いで終えて、印刷にかかった。で、はじめようと思ったが、編集後記が気に入らなくなってまた書き換えた。年末にふさわしいものと差し替え。そんなこんなで、結局は一日中印刷をしていた。で、夕方印刷を終えて、各新聞社に持ち込んで折込にしてもらった。何だかあわただしく1週間をすごしたが、きちんとするべきことを終えてよかった。ほっとした。後は、後援会のためにネットニュースを作って郵送しなければならない。来週のしごと。

夜は体育館へ。本当に寒くて汗もあまり出ないように思う。でも、ネバーギブアップ。がんばろうと思う。
17日(木) 今日は朝から原稿の直しが来たりしていたので直していた。送ったと思った原稿が送ってなかったりとミスはあるわねえ。それでも、午前中かけて原稿をなおした。午後は、まず紙を買いにビバホームへ行った。ここが一番紙がやすい。

その後婦人科へ。先週受けた検査の結果を聞きにいった。肝臓、腎臓、糖尿ともによかった。少し、コレステロールが多めでこれがいけません。でも、中性脂肪が少ないのだそうでまあ薬を飲まなくてもよいようである。後は問題の更年期であるけれど、さすがにホルモンは少なくなっていて、女性ホルモンは生理があるときの100分の一にも満たないようであった。何しろ初めて58歳になったわけで、自分が年をとっていくというのがどんな風になるのか良くわからないから戸惑う。微量のホルモン治療をしてもらうことにする。

ところで婦人科の先生と癌の検査とワクチンの話をした。この前研修会で聞いたとおり若い人の癌が多くなっているらしい。現場の先生の声を聞くと生生しく思えた。ワクチンも高くて誰でも受けようと思うものではない。まあ、癌のハイリスクの人は受けるべきだろうけれど。そうなったら私なんか父母ともに癌になったのだから、一番のハイリスクだろうけれど、もう年も年だから癌になるとしても子宮頸がんではないかもしれない。

夕方から原稿にイラストを入れ始めた。1ページに3個、久美子の顔を入れようとするのだが、うまく入らない。でも、がんばって、印刷できる原稿を仕上げた。
16日(水) 今日も、朝から議会レポートの原稿を書いていた。友達が読んでいてくれて、わかりにくいところをだめだししてくれる。議会というか、行政には業界用語があって、自分たちにとってはなんともない言葉も普通の人には何の言葉かわからないこともある。そんなときには率先してわかりやすい言葉に書き直すようにしている。

今回は、「あて職」という言葉がネックになった。審議会や委員会のメンバーを決めるときに、法律などでこの会から委員になってもらうようにと指示があるときがある。また、市でもこの団体から委員を出してもらおうと決めているときもある。そんな時、その委員は○○さんというよりもその会の代表という意味合いが大きい。ただ、代表は何も会長に限らないわけで、その会で誰か一人をだせばいいので、それが女性であってもかまわない。第一、女性が会長になる例なんて本当にすくないから「あて職」で委員を選ぶ場合には女性が選ばれることが極めて少ないのである。

夜はトレーング。昨日はサピオが込んでいてできなかったから、体育館へ。ストレスがたまって、汗でもかかないと仕事が続かない。帰ってきてから夜中までに4ページ分の原稿を友達に送った。
15日(火) 今日は朝は家事。何しろ洗濯物がありすぎ。あちこちにおいてあるもののうち、どれが選択するべきか良くわからないから次々にあらっている。

午後は真剣に議会レポートをかいている。1面が終わり、4面を書き始めた。書きたいことはたくさんあるけれど、スペースが足りない。私の活動記録も書いているけれど、忙しかったというのが実感である。とにかく家にいるときですら原稿書きだ、HPアップだと忙しい。じっとしている暇なんかほとんどない。せめて平日1日だけでも休みが取れればいいのだけれど、貧乏症だから平日に何もしないで自分の好きにしていることはできない。疲れ果てて横になっている日はたまにあったとしても。

夜、トレーニングにいこうとして、サピオに出かけた。だって、体育館は寒すぎる。でも、サピオは人でいっぱい。トレーング場の空きを待っている人がいたのを見て私は退散した。プールもいいのだが、とても水着になる気にならなかった。それで、入間の湯へ。
14日(月) 今日は朝から家事。今日でお手伝いさんがお休み。だから、彼女がいるときにお願いすることもあり、午前中は少しがんばって、あれこれ片付けたつもり。でも、まだまだ遣り残しがある。それは、28日以降のお休みにしたいと思う。

午後は議会レポートを書き始めている。いろいろ頭を悩ましているが、一行目が出てくれば何とかなる。そこで、お風呂にはいってみたり、本を読んでみたり、うろうろしながら考えた。出てきたキーワードは事業仕分け、無駄を省くということ。この言葉がでてくればOK。後は、議会を省みて書けばいいだけである。とは言いながらも、悩みながらかいている。副市長の言葉を表紙に持ってこようかどうか迷ったが、思うところがあってタイトルとした。

思うところとか言うと意味深でしょ。どんな風に思ったかというと、私が「指定管理者はやすいほうでいいんじゃないの。管理費を減らしたらいいのに」といったら、浜野さんは「管理費を減らすのは施設をなくせばいいんですよ」と答えた。勿論、議会では彼はそんなことは言いません。議場外での話し。そこで、私は「だったらどの施設をなくすかさっさと決めればいいじゃないの」といった。だって、この前施設の改修計画をつくり、議会に提示し、施設のあり方については23年度以降に考える先送りの考えを示したからである。だから、私が「先送りしていないで」といったら、副市長は「だったら、高橋さんが提案してくださいよ」という。「ふん。自分の責任を回避したいのね。」と私はおもった。私が提言したからって聴く気があるんですか。それに、私が言っているのは、施設を存続させた場合の管理費の縮減の話なんですけれど。

ということで、悩みはしたが副市長の言葉を巻頭のことば、今年最後の議会レポートのことばにした。

ごご、役所に視察報告書を届けた。夜は体育館でトレーニング。体育館はヒーターが入っていないから寒い。歩いている時は汗をかくからいいのだが、筋トレをはじめると汗が引いて寒いこと。だから、最近は中に着込むものを一枚多くしているが、冷えるのはしかたがなくて、途中でまた有酸素運動を入れている。人が少なくて待たなくていいから好きなんだけれど、何しろ寒すぎ。
13日(日) 今日は、朝、新狭山のインマニュエル教会へ。久しぶりだった。牧師先生が変わられていて驚いた。後で聞いたら、前の牧師は引退されて老人ホームに入っているそうだ。ここも世代交代。

午後、市民体育館へ。隣の食堂でうどんを食べた。前のときより少し清潔感があったが、畳の汚いこと。変えなければ。市の施設なのだから、市がお金を出しても畳替えぐらいしてもいいんじゃないか。今日はバスケットの大会があったのでたくさん人が入っていた。いろいろな人が食事をするところだけに、もう少し清潔感が増すといいと思う。たとえば、ウエーターには帽子とエプロンが必要だと思う。長い髪が不潔だと思った。この食堂が市の施設の中にあるだけに、もう少し改善したいなあ。

トレーニングをして、シャワーをして、急いで市民会館へ。やはり、ずっと聞きたいなあ、見たいなあと思っていたアイリッシュダンスを見た。何年か前にアイリッシュダンスの一部を息子が聖望の音楽部のコンサートに弾いた。それからアイリッシュダンスに興味をもった。そのときのリバーダンスのイメージがあって(DVDも持っている)今回を見たが、今回のは少しあっさりしていた。もっと、情熱的かなあと思っていたが、それはリバーダンスにはフラメンコの要素があったせいかもしれない。タップがすごかった。

よいパーフォーマンスだった。というか、照明などが効果的で、狭山市民会館でもこれだけの照明技術があるのかと少し驚いた。でも、何かが足りないなあ。同じ舞台を他の施設で見たらどんな風だったのだろうか。ちょっと、会館が大きすぎたのかなあ。人は思っていたよりも入っていた。それも、市外からの人が多くて驚き。アイリッシュダンスのファンは私のようにこの前のリバーダンス以降増えているんだろう。きっとね。

夕食を食べた後、また夫と買い物へ。上新電機に行ったがなくて、またカルフールまで行った。戻ってきたら珍しく息子2人もいて、久しぶりの一家団欒。なんだか、忙しくて、またまだ寝るのが1時を過ぎる。
12日(土) 今日は午前中、グループホームの説明会に行きたかったのだが、子供を起こしたりしているうちに時間が過ぎて、あきらめた。

午後、夫と二人、パリーミキに行って夫のメガネを買った。20年も同じメガネをかけていて、メガネは傷だらけになっていた。そこで、遠近両用のメガネ、遠くを見るメガネ、それとサングラスを買った。今はどれもお安くなっていて、3つ買ってもかなりお得だ。本当は去年買いたかったのだが、時間がなくて買わなかった。それに、去年までは大学費用が必要で、メガネを買うお金も工面しなければならなかった。今年は、ボーナスで息子の冬の講習代やらを払わなければならないし、もう少ししたら受験料を払わなければならないけれど、少しの間、それに少しぐらい散財したい気がした。夫ために買いたいものはあるけれど、自分には何もほしいものがない。

夫が理髪に行ったので、その間に報告書を書いた。やっと、日本女性会議の報告書をあげた。立派なものとはいえないけれど、できる事だけを書いた。

夜ハープのクリスマスコンサートに夫と出かけた。クリスマスキャロルや有名なハープの名曲の中に尾崎豊の「TLOVE YOU」があった。尾崎のことを丁寧に話をした。尾崎と同じ44歳だという。いじめられっこだったというこのハーピストは、尾崎が学校拒否をしていたことなどを知っていただろうし、きっと尾崎の楽曲であのころ慰められていたんだろうなと思った。そう思いながら、この曲を聴いていたら、胸に迫ってきた。他の曲を弾いてくれてもいいのになあ。

コンサートのあと、カルフールに行った。食後の後、掃除機を買った。安いなあ。昔は2万円もしたのに、今は7千円。うまく使えるのかなあと思うけれど、今までのように10年は持つんだろうか。
11日(金) 今日は、議会最終日である。とても緊張していた。朝起きて、市民会館の反対討論を書き忘れていたことに気づき早速原稿を書いた。昨日は2本書いていたから、3本目。3回も登壇して反対するのもいかがかと思うが、どれにしても思いがあって、きちんと反対を表明したいと思った。

市民会館の高い評価の業者はどれほどの仕事をしてくれるかと今から興味しんしん。私はどの業者がどのような提案したかを知る立場でないのがよかったと思う。公正な判断ができるからである。高いのだから高いなりの仕事になるだろうが、期待しよう。まあ、善家さんの武蔵村山市もこの業者でまあまあと言うのだから悪くはないだろうが、実際管理運営費が高すぎる。身の丈政治を目標にしている仲川さん、ちょっと見えはりすぎてはいませんか。

議会は午前中で終わった。本当にほっとした。食事の後、私はサピオでトレーニング。その後、汗まみれになりながら、お風呂へ。ジャグジーのある健康風呂でサウナに2回入り、少し自分にご褒美。お風呂上りにお茶を飲んだら少しふわっとして、これはいけないと1時間ほど横になって帰ってきた。考えてみたら、睡眠時間がこのごろ短かった。

夜は、報告書を作っていた。仕事にけりがつくなんてことはない。
10日(木) 今日は、朝全員協議会があるので役所へ。きのうおいてきた意見書案が代表者会に出されたようで、その報告を議長から聞いた。まず問題となったのは、意見書案を無所属の私が出せるかと言うことが議題になったそうで、その点はよいのではないかとなったそうである。そのほか、意見書については各会派にもちかえり、検討すると言うことである。そうしていただくことに私はぜんぜん異論がない。ゆっくり少し学んでほしい。まあ、公明党さんは昔から賛成だし、共産党に異論があるわけでもないだろうし、民主党関係では鳩山さんがOKを出しているわけだし、何も問題がある意見書ではない。ただ、右翼の人は女性の権利について拡張を望んでいないから、反対するかもしれない。でも、女性が幸せな社会って男性にも優しいすみよい社会であるのよ。

昼過ぎ、食事の後、マルエツ前で街頭演説。そのご、ヤオコーに行き、街頭演説。寒かったが、いつもしていることだから、手抜きはせずにきちんと話した。買い物をして戻ってきた。夕食を作って、トレーニングにいこうかと思っていたら、電話がかかり、結局いけなかった。2つ明日のために反対討論を書いた。

今、HPを更新しているが、もう目が乾いて仕方がないので、寝る。
9日(水) 今日は午前中は婦人科のお医者さんの所へ。更年期のことで相談のつもりだったが、血液検査だ癌検査だのをされた。

午後になって、役所に行き、例の意見書案を局長に預けた。議長と入れ違いになったようだ。

夕方帰ってきてから、夕食を作り、食べた後、視察のレポートを書き始めた。ひとつ、飯能市立美杉台中学校の視察報告を書き上げ、後は日本女性会議について書き始めた。11時すぎ、もう目が乾いてモニターを見るのがつらくなったので、お風呂に入って終わりにする。
8日(火) 今日も午前中は家事。なんだか、議会中はご飯を作るだけしかしていない。気持ちが家事に行かないせいもある。だから、家中がどことなく片付いていなくていやだ。それに、手紙の処理、スケジュールの管理もできなくて、いちいち封筒をあけ、スケジュール表に書き込んでいる。あっという間に、来月のスケジュール、特に土日が詰まってしまう。いやだなあ。一日あいた日がほしい。できれば週末がいいのだが、無理だわね。

午後はまた議会レポートに取り掛かっていた。一行目は国の事業仕分けと絡めて財政と言うか、行革関係の話にしようと思っている。しかし、文章がなかなかまとまらない。でも、かくより他にないのだ。遅々として進まない時は、くだらない本がよく読める。いつものことだが、まったく困ったものだ。

そんな中で他の市の女性議員が進めていている「女性差別撤廃条約選択議定書の批准を求める意見書」を狭山市でも採択するように議長に申し込むつもりで狭山市案を作り、一応代表者へファックスを流した。この議会で意見書があがるかどうかわからないが、少なくとも石をなげよう。私は一人でいるので誰かを巻き添えにしなければ意見書などを出せない。いろいろ勉強会に行き、議会改革や国の政策などに提言をあげることも調べてきたが、狭山市議会では数の論理として私には力がない。それで、その方面ではかなり傍観者でいて、自分からはアクションを起こしたことはなかった。けれど、女性問題では私が動かなければ、何もできないと言うのが事実だろう。そうなると私のできることをきちんとする使命がある。石を投げた後の波紋だけは報告の義務があると言うものである。

夜久しぶりに市民体育館でトレーニング。
7日(月) 今日は朝から家事をしたのち、議会レポートを考えていた。質疑のはん訳があがったと言うので、ファイルを送ってもらい、読みながらどんな風に作ろうかと悩んだ。はじめの一行が出てくれば、できるのだがと思う。この議会のテーマはなんだろうと考えをめぐらした。

12月議会の大きな点は予算でも決算でもない。もし、12月議会の大きな意義は4月以降に施策を変える(すなわち予算をつけたり、削ったりする)ために制度改正をしておく、条例改正をすることがいつものテーマと言えるだろう。だから、今回も4月以降契約する指定管理者の契約条例がたくさんでたし、その上、今後カットする福祉手当の条例が3本出た。そんなことを考えてはいたが、必要な1行に詰まってしまい、困った。

夕方、役所へ。議会だよりの原稿を書き上げ、CDに落として局長に渡して帰ってきた。結局家に着いたら、8時。でも、議会便りの原稿だけでもできたから、まあ1日の仕事のノルマはこなせたとしよう。
6日(日) 今日は、午前中礼拝。教会の帰りに買い物をしていたらあっという間に1時。育成会のクリスマス会。娘と一緒に行くはずだったが、私のほうが先に着いた。2時近く私は博物館へ。国際交流教会のわー人トン部会が狭山市の歴史を学んでいて、館長から講義を受けていたのだ。私ははじめから聞きたかったのだが、後半を少し聞くことができた。江戸時代からの狭山市。要するに狭山市は百姓の村だったのだ。それでも、農村自治が進んでいて、裕福に暮らしていたんじゃないかと言うことだった。旅もしたしね。

研修後、私は博物館の催しを見た。最終日だったから、この日を逃すと見れなかった。狭山市の収蔵美術展と銘打っていたが、本当に貧しいなあって思ってしまう。価値あるほとんどは遠藤さんからの寄贈品。買った作品はほとんどが庁舎内にあるが、平成7年からは1点たりとも美術品を買わなかった。この何年間は税収がよかったので、何かを買ってほしいと言い続けたけれど、貧乏性の狭山市は何も買わなかった。あの美術音痴としかいいようのない財政課長は「美術品ではおなかは膨れませんから」と言って、残ったお金はしこたま基金に積み込んだ。あの時、たとえ、100万円でも200万円でも出して美術品を駆っておけばよかったものを。どうしてお金持ちの市なのに、まともな絵や彫塑を買い求めることができないのだろう。

博物館を見た後、急いで帰ってきて息子の誕生日のためにケーキを焼いた。ほとんど、夫がしたのだが、私は監督。1時間ほどでかなりよくケーキが焼けた。

息子は彼女を連れて7時過ぎに帰ってきたのでパーティー。誕生日のパーティをしないことなどない。お兄ちゃんは25歳になった。早いものだ。ケーキを食べ、少しご馳走の夕食を6人で食べて幸福だった。神様に本当に感謝である。
5日(土) 今日は家事に励んだ。あまり天気はよくなかったけれど、することはたくさんある。午後は2時から聖望学園で謝恩会のための話し合いをした。DVDをつくることにして、友達に頼むことにした。4時過ぎまで話し込んだ。聖望3年生は行く大学が決まった子供がいるそうで、聞いているとあせる気持ちもわかる。

夜、夫と入間の湯へ。私は珍しくあかすり。
4日(金) 今日は朝から家事を少しした。何しろ、この20日間頭の中は議案と一般質問でいっぱいいっぱい。洗濯子供の弁当を作ってやるだけしか、家事らしきものをしていない。(特にお手伝いさんがいる時は)食事は鍋もので済ませて、手抜きもいいところかなあ。まあ、鍋は健康な食べ物だからいいとするか。

午後はHPの更新をした。文章を書くのは大変である。議会ではいすに座って話を聞き、家ではコンピューターの前でこの1週間座りきりである。またまた、腰に負担がかかっている。腰を時々伸ばしながらがんばっている。それでも、10日間のことを思い出しながら、HPの独り言を書いたが、議会一色で細かいことまで覚えていない。精魂こめて議案の勉強やら一般質問への対応やらをしていた。役人さんと話すことも多かったけれど、学ぶこともあった。また、私の提言をどう取り上げてくれるか楽しみだ。それでも、金がないという一言で多くのことが葬り去られてしまった感もする。確かに基金がそこをつく2011年後には、きちんと狭山市の財政上の体質改善をするべきである。

ではどうするか。管理費を少し下げる努力が必要だろう。狭山市には129もの施設があるという。これの維持管理費を少し精査する必要を私は感じている。指定管理者にするだけが、維持管理費を下げる手段ではない。とにかく、精査。財政課だけでなく、現課がしっかり精査すとべし思う。西口関係で全部完成すれば管理費は3億円もかかるだろう。5億円にしない工夫が大切だ。

こんな風に書いていると時間がかかってしまった。昼にトレーニングに行こうと思ったのだが、いけたのは午後8時。夕食が終わってから。帰りにツタヤによって、ぶらぶら立ち読みをした。至福の時間なのである。
3日(木) 今日は委員会審査日。まず、認定、廃止道路の視察に行った。はじめの場所では廃止する道路の横にすむ飯能市民から廃止への苦情が出た。私は考え込んでしまった。

いろいろと審査を重ねた。苦情が出た道路は、多くはないけれどまだ使っている人がいる。きっと朝晩の通勤通学、散歩道などに使っているんだろう。使っている道路の廃止は考え込んでしまった。他に迂回路をうまく作れないかと訪ねた。迂回路になるはずの道路が舗装もされていない道路でがたがたしていたのだ。半分は狭山市道だから、整備は可能だけれど、それ以降になると飯能市道だから狭山市はどうすることもできない。飯能の市道部分が特にいけなかった。道を知っている人にしたら、圏央道の側道から県道に抜けるには便利な道路なんだと思う。

だからといって廃止しなければ危険この上ない道路でもある。武蔵カントリークラブのゴルフ場を抜ける道路で幅も3メーターしかないのだ。カートは通るし、ゴルフ場のボールは飛んでくるだろうし、夜は明かりひとつない道路。もちろん、明かりのつかない狭い市道なんて狭山市内には五万とあるわけだけれど。妥協案としては、迂回路の整備と迂回路を明示した看板をつけてもらうことにした。部長はきちんと答弁したが、課長の答弁はいつもいつも歯切れが悪い。そういう立場なのかもしれないけれど、自分たちの都合だけをいうのではなく、今回のように多少なりとも使用されている道路の廃止なんかは、少なくとも通行している人のために何かをしなければならないという認識を持たなければいけないのじゃないか。高々1週間に100人、1時間にすると0.2人というか、毎日使っている人にとって道路の廃止はとても不便をおかけすることになる。弱者、通学する高校生などは数は少ないだろう。でも、きちんとその人たちのために何かをする心構えが、行政の感性を物語るんじゃないか。建設部には何かが欠如しているとしか思えない。

道を廃止するに当たっては、作った経緯もあるのだから、まず作ってほしいと要請した人たちに廃止するにあたって意見を聞いてもらいたかったが、地元の議員がよいと言ったから廃止すると言うのでは、本当に頭にきた。私は何も聞いていませんからね。私は地元にすむ議員だと思っていますけれど。隣に共産党の猪俣さんがいて彼も水富地区に住んでいるが、「俺も聞いていないよ」と言っていた。だったら、ナニ。私たちはいつから水富地区に住んでいなくなったんでしょうね。地元の議員さんって誰のことよ。一人いらっしゃるけれど、地元の議員さんって彼だけが地元の議員なわけね。建設部の認識はそんなものかと激しく怒った。後で訂正していたけれど、それでも私の怒りは消えない。地元の議員さんに聞くならば、私たちにも一言話があってしかるべし。違う???!!!

地元議員への根回しが横行しているのかとも思ってしまう。もちろん、議会で反対されたら議案は通らないわけだけれど、共産党や私のような無所属市民派の議員は数に入らないし、根回しの対象にもならないのだろう。それはそれで変に納得できるものがある。

とにかく、審査は夕方まで続き、協議会間で終えたのは5時近かった。協議会では入曽駅東口の区画整理の件が出された。私は新しい事業は進めないほうがいいと思っている。毎年、10億円ですむと言うが、本当だろうか。財政的にまかなえるだろうか。政権交代で都市計画道路への補助金カット。区画整理事業への補助金カット。となれば、何も区画整理事業で計画を進める必要もあるまい。学校跡地に駅前広場を作り、人を駅に流す安全確保だけすればよくて、後は地権者の意見と財政と補助金とをにらみながらすればいいのではないかと私は思っている。

とにかく、補助金などの情勢がわからない以上、急いで都市計画決定だけはしてはいけないと思う。反対者が何しろ42人もいて、その上、土地の52%はその反対者が所有しているのだから、軽々に決定してはならない。都市計画決定は狭山市を縛ることにもなるので、本当に慎重であるべきであり、都市計画決定は現段階ではすべきではないと考える。

急いで帰ってきた。なんだか疲れた。採決のような後は、やはりあれでよかったのかなあなどと思うのだ。特に先の市道の廃止に賛成してよかったかをまだ悩んではいる。
2日(水) 今日は、気合を入れてお化粧をし、胸に障害者団体から買ったブローチ、環境の勉強会で東京都の水道局からもらったバッチ、DVのNPOに賛同して買ったブローチをつけて出かけた。女性、障害者、環境を取り上げるのだから。

何しろ、第1人目の一般質問。ちょっとヒアリングで話をしすぎて、一般質問としてはいつものように内容が薄かったかもしれない。それとも、内容を少なくすればいいのかなあ。あれもこれもとやりすぎというのはわかっていても、年に4回しかできないから、がんばってしまうのだよねえ。後から、いつものようにあれも話さなかったこれも話さなかったと思うが、35分間話をしたのだから、仕方がない。もっと、時間がほしいと思うが、長かったら長かったでまた反省するところもあるだろうし。仕方がない。

特学のこと、もっと突っ込みたかった。何しろ、バリアフリー化は耐震の後という。省エネだって、耐震と平行にしていかなかったら、学校に冷房を入れるごとに電気使用量が、エネルギーが増え、1%削減なんかできなくなっていくだろう。しっかり、来年の11月までに省エネ計画を作ってほしいものだ、教育委員会には。役所関係も大変だが、がんばってほしい。狭山市では計画で温暖化ガスは13%削減を目標としたのに、4%削減しかしていない。

帰ってきて、食事の後、市民体育館でトレーニング。久しぶり。
1日(火) 今日は一般質問2日目。とにかく、35分しか議員の持ち時間がないのだが、一問一答になってからは皆さんがんばって質問なさるから一人当たりの時間も伸びがちである。でも、迫力があり、うまいなあと思う。

終わったのは4時近かった。その後、ヒアリングなどをしたのだが、もう、人が来るのを待ちかねて7階の環境部で省エネ法のことを部長とはなした。今まではリサイクルに時間と金をさいてきたが、今後は省エネのために時間とお金をさくことになる。それに、省エネ法改正で狭山市も役所と教育委員会が工場を持っていもいるし、たくさんエネルギーも使っているしでエネルギー削減体制を構築しなければならなくなったので、大変なのである。さすがに私。よいところに勘が働く。はじめは庁舎の設備改修にあたり、省エネ計画を立ててから設備改修するべきだと思ったのだ。それに議会の調査係にお願いした調査では、近隣で一番管理費にお金がかかっている庁舎を持っているのが、狭山市だったのだ。後で、この資料は管財課にあげることにする。

女性問題にしても、調査の結果、狭山市は女性登用に関しては近隣市と比較はできない。課長職以上が1%に満たない市なんかどこにもなかった。117人の課長中、女性課長が1人なのが狭山市。小さな市、飯能市で4人、隣の入間市5人。ふじみ野市が1人だったけれど、36人中1人だから、比率としては狭山市よりもずっといい。なんだかねえ。この10年間、私が旗を振っていてもちっとも変化がなかった。もしかして、悪くなっている。

それに、やめる女性も多い。50歳になると女性はやめていく。平均勤務年数は女性27年、男性は32年。5年も女性の退職が早い。だって、趣味の方が仕事よりも面白いというのだ。いや、新しく仕事を始めた人も、役所にいるときよりも生き生きしているそうだ。仕事はいつも大変だ。でも、仕事も責任のある仕事は大変だけれど、やればやったで楽しいとおもう。仕事の楽しさをわからせるように女性を鍛えてほしい。最近やっと女性を変わってほしいというより、男性が変わらなければ女性の状況は変わらないのだと理解し始めた人が出てきた。一見やさしいことや、女性にとっていい人になろうとすると、後々女性のためにならないこともある。女性も鍛えられる辛さに負けることなく、また、辛いときには連帯して乗り切れるそんな職場にしてほしいと思う。狭山市役所は男女共同参画では見本になれない。そういう意味でとても恥ずかしく思う。

教育委員会とはどうしても話がうまくいかないなあ。でも、あちらも問題点を理解してくれたんだろうと思う。でも、バリアフリーのために、中学校に拠点をつくろうなどとは思ってもいないようだけれど。環境整備だけはしてほしい。特別支援学級の教室整備はコンサルタントを入れてもいいほど、整備が遅れている学校がある。普通教室を即使えるものでないこと、学校長の特学への理解度もさまざまである。

夜、入間の湯へ。疲れたし、うちにいるとあれこれ考え込むから、サウナに入ってぼ〜〜としたくなった。第2稿。少し長くした。
30日(月) 今日は一般質問1日目。さすがに三浦さんは自宅で待機。インフルエンザは熱が下がってもすぐに出てくるというわけに行かない。今のところ、誰も移っていないのでよかった。私は全員協議会の席で隣だったから体調が優れないと移ったかなあなんて思いもしたが、年のせいか、免疫があるのでしょうかねえ、感染しない。

一般質問を聞きながら、みんなそれぞれにがんばっているなあと思う。24人中17人も一般質問をするようになった。昔はたった12,13人なんてことも多かったのに。質問することが悪いことのようになじられたこともあった。なじった人が今では宗旨替えをしているみたいに見える人もいる。多少は狭山市議会もよくなっているのでしょうか。

夜は疲れ果てていて寝た。
29日(日) 今日は、午前中礼拝。午後は、ひたすら一般質問の原稿書き。これが終わらない。もちろん、余計な本もよみたくなるし・・・

はじめはまじめに書いていたら、ボリュームがどんどん膨れ上がり始めた。資料を駆使すればするほど言うことがいっぱいになる。あまり能書きを要れず、まずは質問をしようと、後はまさに通告どおりになってしまった。うちの議会の調査係にたくさんの資料を集めてもらったのを、使いたいと思うのだが、うまく活用できなかった。能書きを多くすればいいのだが、最後はさすがにへばった。

朝2時にファイルで原稿を部署に送りつけて、第一稿とした。後で、また推敲してみなければと思う。
28日(土) 今日は朝からパーティーの準備に忙しかった。毎年恒例のサンクスギビングパーティー。七面鳥を焼きました。大きい鳥だったので4時間以上もかかった。鳥に関してはジムが責任を持った。後、モルディドサラダ、ヤム、キャベツとにんじんのサラダを作りながら、パンプキンパイを焼いた。オリーブとクランべりーゼリーとビーツを出してといつものメニューをそろえた。

1時過ぎに友達が来て、6時半まで。後は、息子の彼女が残って片づけを手伝ってくれたので、あっという間に終わった。もう、昨日から疲れてしまっていて、腰が動かないので、夫と二人入間の湯へ。マッサージをしてもらって少し楽になった。
27日(金) 今日は反対討論を持って、議会へ。まず、反対討論の通告をした。その後、議長、副議長に呼ばれ、それについての話し合い。発言を制限できないし、討論を引き下げることにも議長が権限を持っていない。それでも、議事進行が心配だったのだろう。副議長は「高橋さんだって、欝で報告を期限内で書き上げられなかったこともあり、また、外国にも行っているではないですか。それなのに、なぜ反対ですか」などといっていた。もちろん、私は昨年1年間とてもつらかった。18キロも体重が減ったのも、食欲がなかったのも事実である。治療の目的ではないが、外国にも何べんか行っている。それでも、私のことを棚にあげても言わなければならないこともある。

私が完全無欠の人間じゃなければ議員をし、発言をしてはいけないというのであれば、私は議員を辞めなければならない。私はいつまでも完全になれないだろう。病気もするし、間違いもあるだろう。しかし、私が議員としての努めは、自分がそうであったとしても、市民にとって必要なことは声を出していくことなんじゃないかと思う。自分で自分を許すことがつらくて苦しいことがある。自分の能力のなさに頭を抱えながら罪悪感に悩むこともある。しかし、自分のことにだけに思いをはせず、市民の視線を常に忘れないで、たゆみなくしっかりと議会で質疑し、糾し、提言するというのが私のスタンスであり、初心だ。

ひとつのことを発言することは、自分が人に矢を放つことだとしたら、同じように矢が自分に突き刺さるのを覚悟しなければならない。いつも、いつもそういう思いがある。10年やってきて強くなったというのも、叩かれたり、意地悪をされたり、批判も多いからである。いい人でだけいられないのだ。ひとつの意見裏には絶対反対の意見もある。賛成するには反対からの批判を覚悟しなければならないし、反対するにも同じ気持ちが必要だ。わかってはいる。辛くとも自分の役割をこなそうと思う。

議案質疑もし、討論もしたが、議事進行のために大幅に討論を縮めた。後で、幻の討論を掲載しよう。そのほかの議案もできる限り質疑した。最近は質疑も活発だ。委員会があるのだから、何もそこまでという声がある。でも、24人しかいない議会なんだから、通り一遍は質疑があってよいと思う。

とにかく、疲れた。夜中に明日のパーティのためにアップルパイを焼き始めた。1つに1時間もかかる。夜中の1時過ぎまでアップルパイを焼いていた。
26日(木) 今日は議案審査のために休会ということで、うちで議案を見ていた。ヒアリングはすでに終わっていた。問題は公平委員の選任を私が同意できないことだ。それで、情報公開条例を用い、この前消防職員の戒告処分が取り下げられた件を、公平委員会がどのように扱ったかを知ろうとした。午前中11時、情報は公開された。私は採決文と議事録をすべて読んだ。

採決を読んでもっともらしく思えたことが、議事録を読んでいるうちに納得できなくなった。まるであったことがなかったような認定。すなわち、職務命令があったかどうかについて、書類がないので「ないと認定する」というのはいかがか。書類にする前に口頭で言ったというが、それを職員も上司も認めているのに、それすらがなかったことになったのは納得がいかない。

また、医者が「転地療養を認めている」「某所の某人とある理由で話すことはよい治療になるかもしれない」ということを言ったが、いつ、どこで(実際はアメリカのニューヨーク)に行って、その関係者と(グランドゼロで彼の知人)と話すことが最適な治療法であると医者は言っていないと証言しているのに、公平委員は取り消し請求者にはその治療が必要だと思っても仕方がないと言い切る。思うのと事実は違う。医者がきちんと進めた治療法ではない。

そして、治療が優先するから、市民の常識でも外国まで行くこと(実際はアメリカ、ニューヨークに行くこと)が何も問題ではないと言い切った。私は、地方公務員ではなく、議員である。でも、治療として5日間アメリカに行くことが非常識だという思い、やりすぎだろうという上司の思いは共感できる。それが、ハワイやタヒチでのんびりするというならばわかるが、ニューヨークに行く?ハワイやタヒチだって、沖縄や小笠原でもいいんじゃないかとも思う。病気休職中、治療という名目でのんびり観光旅行かと市民に思われるような事は謹んでほしいという使用者の思いが尊重されることはないのか。止めても、「いや、それでも行きます」という職員に「それはいけないよ」と書類で注意することがいけないとは私には思えない。

9月に出された裁決には私はどうしても納得できなかった。そういう採決をする委員に公平委員になってほしくなかった。だから、反対討論をすることにして、反対討論を夜中までかかって書き上げた。反対討論に関しては、執行部の一部からは迷惑だという声が上がった。反対されれば、今後引き受ける人がいなくなるというのである。そうだろうか。採決は人の考えだ。民主主義の世界では、ある意思にかんして反対の人がいるのは当然のことであろう。水戸黄門の印籠じゃあるまいし、ある採決にすべての人がはは〜〜とひれ伏す必要なんかまったく感じない。最高裁判所の判事すら、国民審判の付されるのだ。ましてや、公平委員会の採決に認定する議会の一人として、過去の採決を元にその賛否を表明することが間違った行いではない。正常に民主主義が働いている証拠だ。

と、一日中こんなことを考えていた。議会がとまるならそれはそれで仕方がないじゃないか。

現在メール
があった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野、広島

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。
バックナンバーへ