私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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2月 私の独り事
28日(土) この日は、議案とにらめっこで質問を考えていた。もっと頭が硬直した状態でないのならば、数字がいろいろな事を教えてくれるのだが、もう何も考えられない状態で、メモしたものの中から市民に知ってもらわなければならない事だけを抽出して質問にするようにした。

それでも、今日はお休みなのでサピオへ行く事が出来た。汗をかくと気持ちがとても良い。
27日(金) 今日こそ、役所に行くのはやめようと思っていたのだが、結局午後からのこのこ出かけた。少なくとも、月曜の質問をきちんと整理したかったのだ。しかし、一般質問のヒヤリングもきちんと終わっていないから、いろいろと話し込んでしまった。あ〜〜あ。どうしよう。

夜は疲れすぎて、サピオへもいけなかった。
26日(木) 議会2日目。歳出の所からの説明で、午前中に終わった。でも、午後にはヒアリングと勉強と整理。頭がパンク状態では、鈍い。結局帰りが遅くなってサピオはむり。だから、入間の湯でのんびり。のんびりしようとしているが、頭の興奮状態は1,2時間のリラックスではどうしようもない。お酒も効果がないほどだ。
25日(水) 議田と会が始まった。9時からという事であったが、いつものとおりに、代表者会があり、全協があり、始まったのは9時を大幅に過ぎていた。今回は議員提出議案があるというので、それについては明日という事だった。一般会計予算の歳入までの説明が午後まで掛かった。その後、教育委員会がきたり、消防が来たり、農政がきたりで大忙し。一般質問のヒアリングなんか、大幅に遅れていて何もしていない状態である。は〜〜〜、忙しい。5時過ぎに帰ってきた。だって、頭が働かないから、今までの勉強の整理が出来ない。

サピオにもいかれないで体おかしい。頭が痛くて、その上首が回らない。仕方がないので、入間の湯で、マッサージをしてもらい、垢すりも頼み、岩風呂にもはいり、ぼ〜〜〜と3時間過ごした。マッサージをしてもらった時に、頭がゆっくり温かくなるのが分かった。血が回るようになったんだろう。16日以来、ずっと走りとおしているかんじだ。
24日(火) 今日は9時半から総務部、午後は他のヒアリング。でも、次々にいろんな人が来て、勉強に明け暮れ、終わったのは10時過ぎ。最後にはもう何も頭に入らないくらいになった。夜帰ってきたが、疲れてしまったが、おなかがすいてがばがば食べて寝た。一日中、予算書とその話だけで、神経が立っていて、頭に何も入らない。とにかく、すべてを勉強に入れあげている。
23日(月) 午前中は養護学校、理事会。午後は福祉部の予算勉強会。帰ってきたのは9時過ぎである。ファイトが沸かない。何を言われても、わからない状態で、約束したはずの事すら覚えがない。一杯一杯というのはこんなことだろう。
22日(日) 今日は朝礼拝。教会から直接サピオに行き、パステルで食事後、トレーニング。4時過ぎにサティに行き、直っためがねをとってくるついでにもうひとつの眼鏡も治してもらった。何も買い物もしないで帰ってきたが結局うちに着いたのは6時前。

最近、まともに夕食を作っていないので、力を入れて夕食を作った。魚のカレーを煮たが食べたのは私達夫婦だけ。丼に山ほど作った金平ごぼうが好評だった。

本当は入間の湯に行きたかったのだが、アファーの校正も最終段階になっており、7時半から11時近くまではコンピューター、ファックス、電話を総動員しながら最終打ち合わせをした。今回は国際シンポジウムの総集編。編集長としては頑張りました。

結局寝たのは2時です。勿論夜の話。
21日(土) 今日は午前中にサピオへ。忙しすぎてトレーニングできないので時間を作って出かけた。汗をかいたが気持ちがいい。その後、聖望学園高校の保護者会。息子は勉強をしないでアメフト部で頑張っている。なんだか、話を聞くととても優秀な学年だそうだが、わが子はいつになったら、勉強するのかとさすがにのんびりの母親でも心配になる。

息子のクラスは素晴らしくて、良い先生に恵まれ、1年間楽しく生徒指導上の心配もなく過ごしたようである。私もPTAの役員として楽しく過ごす事ができた。良かった。

帰ってきて、夫をプリンスホテルに送っていったり、息子が友達の結婚式に行くというので手伝ったりしてがたがたしていた。娘も息子もお出かけだったので、「わーーーい、珍しくひとりで家にいる」と思って、開放感に浸ろうとしたのだが、こういうときに限って電話はかかるし、アファーの校正もあるしで、はっと気がついたら娘は帰ってきていて、さっき送っていった夫がお迎えに来てほしいと電話を掛けてきたりで、ひとりコーヒーでも飲みながらゆっくり本を読むという時間は一分もなかった。
20日(金) 今日は、市川房枝記念会の予算説明会に出席。朝からまず、男女共同参画局、農林水産省、午後は、厚生労働省、文部科学省の方々が女性政策に限っての説明。一こま1時間半だからさっさと進んだ。ところで、文科省に関して、手を上げて学校のセクハラ、大学のアカハラをどうにかする対策について聞いたが、答弁はなく、しっかり対策を要望した。他のところで女性政策をさせる、例えば人権教育をするというのであれば、櫂より始めよ。教員がいかがわしい事をしていてどうして教育が出来るものか。

農水省の方はかなり基本をお話されたので一般質問のよい材料となった。農業委員の女性は増えているらしいが、狭山市は情けない。私を農業委員にすればいいのにね。

帰ってきたら、7時を超えていた。
19日(木) 今日は、午前中は財政課長と歳入の勉強会。午後は市民部と勉強会。六時頃からは街づくり推進部と一般質問のヒアリング。
18日(水) 今日は、朝から予算書の勉強を始めた。途中、建設部の方と耐震診断についての話をした。午後5時には役所を出て、新宿区役所で全国フェミニスト議員連盟の世話人会。結局9時過ぎまで新宿区役所で会議をして、帰ってきたら10時半を過ぎていた。それから、食事をしたが、おなかがすきすぎた。夫の帰りも毎日遅いがこんなにおなかをすかせて仕事をしているのかと思うと可哀想になる。
17日(火) 今日は朝から一般質問の内容を考えていた。それであちこちに話をしたり、話を聞いたりして通告した。5時前だった。それまで、確かにアレこれ悩んでいたのだが、頭は通告で一杯だった。

一般質問の通告のために農業委員会をたずね、環境部に行き、政策企画課により、5時近くになって通告した。勿論、農業政策についても質問をする予定である。

ところで、狭山市のプラスチックのリサイクルだが、収集されたものは大半が燃やされる事なくほかの製品に加工されてまた使われていることが分かった。詳しく知りたい方は環境部に行ってください。溶かしたり、チップにしたりして、プラスティック加工品を作るのだそうだ。この前太平洋セメントさんで燃やしていたからがっかりしたのだが、家庭用(一般)プラスティックはリサイクル法に則り処理されていて、大半はもう一度使われるようである。良かったなあ。
16日(月) 今日は午前中全員協議会があった。2月25日からの議案が配布された。この頃あまり全員協議会で執行部からの報告事項がない。今回は皆無だった。

この全員協議会で私はひとつ質問と要望をした。それは農業委員の議会選出枠で女性を出してほしいという事についてだ。私は、女性議員がいるのだから、女性議員を農業委員に議会として推薦するべきだと思っている。学識者枠の中で市議会は4人推薦できる。議会はそのうち2人を推薦しているだけである。女性農業委員がひとりもいない市は全国で少なくなっているのだが、狭山市はその少ない市のうちのひとつなのである。なぜかといえば、学識経験者の中で議会推薦する人間を農業従事者に限るなどと言う申し合わせ事項を入れ、議会推薦でも農民でなければ推薦しない事にしてしまったからだ。

そもそも学識経験者枠というのは農民でなくても農業政策を、現実の農業を考える人が必要だというところから出てきてる。畑や田んぼをたがやしていなくても、食の安全など消費者の立場から農業政策を語る事は重要ではないか。私は代表者会で女性委員をいれるようにと、すすめられていることを聞いていた。しかし、申し合わせ事項があることから、絶対女性議員にお鉢は回ってこないと思った。だって、女性銀3人いるが農民は一人もいないのだから。だから、私は女性委員をだせないとおもっていたら、女性委員を出すという事になりましたと次長から報告を聞いた。私は、立候補しても農業委員になりたかった。私はこれからの農業のやくわりは今以上だと考えているのだ。そのとき私は申し合わせ事項は女性に関して止めにするのだと思っていた。

ところが、驚く事に議会は2人の農民議員は今までどおり推薦し、女性議員は農民でないので、農協に推薦してもらってその女性を議会から推薦するのだという。あまりにも女性議員を馬鹿にしたやり方じゃないか。私は代表者会の報告を次長がした時に、「農協から推薦していただきます」というから農協の推薦で農協枠を女性にする話をしているのかと思ったら、ナント議会推薦は女性議員を差し置いて、議会の外から女性委員を推薦するという事らしい。今までかって議会推薦で議員以外を推薦した事なんかなかった。

議員は農業政策を含めすべての政策決定の過程に係わっている。私は農地の改良事業について質疑をしたこともあり、確かに作付けの具体的な事は知らないまでも、国の農業政策などに特に注意を払っている。去年だって市川房枝記念会での予算説明会で農林水産省の課長さんと話をしたりしている。今年だって、20日に懇談の時間を持つのだ。昨秋には 女性の政治セミナーで農業政策、フードマイレージ、有機農法についての講義を受けている。はっきり言えば、下手の議員よりも政策に関しての勉強をしている。農協の女性職員と狭山市議会議員と比べると、農協の職員のほうが農業委員として優れているという事をどう証明するのか。農民ではないからこそ、農業が他の角度で見れるというのが理解できないのか。

農民じゃなくては農業をかたってはいけないなんて法はない。農業委員になってはいけないなんていう申し合わせは法律の精神に大いに違反している。法律を遵守しない議会でいいのか。女性議員をどう思っているのか。女性は少数派だから馬鹿にしても良いと思っているとしか考えられない。

夜、8時過ぎに帰ってきた。本当はサピオによりたかったが、サピオの前に行った時に8時半を過ぎていたのであきらめてそのまま帰宅した。
15日(日) 今日は朝自治会の掃除。その後、礼拝。礼拝後は、チョコレートを持って伯父のところへ。お昼をいただき、お土産もいただき、「海老鯛だね」って言った。おじさんは年の割りに呆けてもいず、元気です。

また今日も、尾崎のお墓によって帰ってきた。いつものように綺麗なお花がいけてあり、まだ線香がとぼっていた。私がお墓にいる間にも何人かの人が尾崎のお墓にやってきていた。来週はお彼岸だから、人が一杯来るだろうから今週でよかったのかもしれない。この霊園は本当に田舎にあるのに、どうしてだろうか毎週たくさんの人がお墓に来ていて、尾崎のお墓だけでなくどのお墓もとてもきれいに管理されている。

あったことのない歌手の尾崎。あの歌はまだまだ廃れないんだなあと実感している。「なぜだろう、何を探して」いるんだろう。誰かのクラクションがいつもなっているような世の中。尾崎の声は多くの人の泣き声だったり、「さらけ出された」毎日の痛みの中でのつぶやきだったりする。しかし、尾崎の歌は弱いファンの思いをしっかり受け止める。だからこそ、尾崎自信が辛かったんだろうと思う。

愛するものすべてに歌える歌を作ろうとするなんて、神を目指したようなものだから不可能だったし、また、傲慢だったともいえる。でも、それは批評家として私が言うのは簡単だが、多くのファンの思いを受けていればそれを払いのけるのは難しかっただろう。尾崎は孤独だっただろうが、毅然と歌い続けた。それでいいんだと思う。だから、私は尾崎の墓を毎月訪れてしまうのだろう。私はクリスチャンだからおまいりしているわけでもなく、その場に行くだけなのに。私自身がなぜ狭山湖霊園にこんなにしょっちゅう行っているか、その理由がよく分からないのでいつも自問自答だ。。。

その後、業務スーパーで大量に買い物をして、勿論その前の本屋で本を物色して帰ってきた。夕方近くになっていた。今日は別段サピオにいく事もなく、過ごした。夜の大河ドラマも今回はあまり興味がなくてパス。上越市の上杉家の話なのだが、私は基本的に戦国時代に興味がない。この前の篤姫は勝海舟がらみで調べた事があったのでよく見たのだが。
14日(土) 今日は娘が練習試合だというので、弁当を作ってやって夫は彼女と友達を車に乗せて出かけた。私は家事を終えた後、HPの更新に取り掛かった。最近は忙しくてなかなかアップが滞りがちである。しっかりしよう。午後には娘が「負けた〜〜」といいながら帰ってきた。

夕方遅くに、図書館に行き、帰りに買い物をして帰ってきた。とにかく用事はなくとも、ばたばたと忙しい。バレンタインデーなので、息子達と夫にチョコレートを上げた。上の息子は昨日彼女から手作りチョコレートを貰ったといっていた。家の夫も子どももあまり嬉しそうでもなかった。後から、少し味見をさせてもらう。だって、日ごろは食べない高級チョコレートだもの。

夜はサピオ。
13日(金) 今日は、視察。朝9時に出発して寄居の県の環境整備センターへ。このセンターの概要をお聞きした。28年まで予定で埋め立てを考えているというが、埋め立て量が考えていたよりも少ないので、まだまだこのセンター付近での埋め立ては継続されそうである。リサイクルが進んできたので、焼却灰などはもう埋め立てする事も少なくなっているそうだ。だから、今後も狭山市が埋め立てをお願いしても大丈夫なようである。安心した。28年度でもう搬入が出来ないとなれば、狭山市として頭を抱える事態となりかねない。1社廃プラスティックを素材にリサイクルしていた会社が撤退したそうである。残念なことであるし、廃プラのリサイクルは経済になわないのかと残念以上の気持ちになった。

その後、センター地内にある株式会社埼玉ヤマゼンを見学した。焼却灰や煤塵を砂にしてリサイクルしようというところである。どれもこれも大きなプラントで投資などの大きさに目を見張るものである。うまく、この事業が将来的にも軌道に乗っていくことを願った。

昼食後、太平洋セメントを視察した。ここでも気持ちは複雑であった。まず、狭山市の焼却灰をセメントに入れてリサイクルしてもらえる事をありがたく思った。このリサイクルのために大規模な工場を作りパイプラインで本工場へつなげていた。このようなリサイクル事業を考えた人を尊敬する。また、これを投資を受け入れ事業ベースに乗せた経営陣の頭のさえにも驚く。今までは買っていた粘土を、リサイクルのためにお金を貰って処理をするのだから、投資部分を引いて考えれば本当に濡れ手に粟だ。でも、これに関しては、リサイクルがしっかりなされているから、ただただありがとうだ。

複雑の方はタイヤ、柔プラ、そのほかプラスティック成分が燃やす原料として山積みされていた事である。プラスティックはリサイクルして、何かの素材にするはずだった。始めはチップにして、その後は溶かして棒状にして使うはずだった。それが、いまや結局燃料として燃やされている。まあ、市のバーナーで燃やすよりは生産のために使われたほうが1000倍も良いに決まっている。それでもなんとも複雑な思いだ。狭山市のプラスティックの行く末を辿らなければならないと思う。

帰ってきて、娘が後をつけられたという場所に行き、それらの子どもが今日もいるかと調べたがいなかった。また、いつか見に行こう。そのご、娘と二人で食事を作った。

夜はサピオ。まだまだ軽めのメニューを1時間だけ。
12日(木) 今日は午前中にお金を引き出し、ついでにヤオコーで買い物。ごごに、図書館に行き何冊か本を借りた。その後、目がねを直してもらおうと眼鏡屋に寄ったら、もう修理は聞かないという。仕方なくて、一番安いめがねを作った。目は近眼が進んでいた。近いほうは老眼鏡があるので、遠めがはっきり見えるものを作ってもらった。眼鏡がなければ運転もできないのだから仕方がないが、予定外の出費。残念である。その後、本屋をはしごして何冊か買った。ほしい本はなかったが、尾崎豊の写真集が安く売っていたので買った。いつまで続くのだろう、尾崎への熱。

帰ってきたら、ナント4時を過ぎていた。その後、メールのチェックをしたりしていたら、もう夕食を作る時間になってしまった。一日が、ばたばたと過ぎてしまう。今日も何もしない内に終わったという感じだ。

夜、久しぶりにサピオに行った。この頃点検でサピオはお休みをしていた。だから、この2週間は運動も出来ずにいた。今日は体が鈍っていたので少しゆっくり目のメニュー。腹筋を40回の所を30回にした。

その後に、ツタヤによってまた本を眺めて、テープやcdなどを買って帰ってきた。
11日(水) 今日はする仕事が山積みなのに、昨日の原稿の送信で気力がなくなって、一日中本を読んで過ごした。今日はご立派な本を読んでいたのではなく、本当に娯楽。それが12巻もある本。そのうち、9巻とスペシャル版を読んだ。あと3巻を手に入れたいが、紀伊国屋に行かなければならないから、当分は無理である。

夕ご飯は娘がカレーライスを作るといって頑張ってくれたので、今日は全く朝から夜中まで、ひっくり返って読書。やらなければならない事が一杯あるので、罪の意識を感じながら現実逃避。あ〜〜〜。
10日(火) 今日は仕事が山積みでとにかくアファーを印刷・編集者に原稿として渡さなければならない。20日発行で1週間前だとぎりぎりかもしれないがとにかく送ってみる。気合で一日中アファーの校正を行い、ギブアップしながら、夜には原稿を送った。今はメールがあるので非常に楽になっている。それでも、最後には嫌になってしまった。ぎりぎりの手直しがいくつもあったからである。は〜〜〜。

いつもの事だが、夕方5時ごろ役所による。13日の視察の件で、道順などの確認。その後、本屋に行って、何冊か本を買ってきた。

夜は疲れ果てた。くだらない本を読んで寝る。
9日(月) 今日もアファーの編集は続いた。校正をかけて、その校正したものを編集する。午後、入曽駅東口の区画整理地内を視察した。一般質問しようと思うからである。3時半過ぎまで、説明を聞いたり、地区内を歩いたりした。ここについては考えがある。

視察後、急いでかえり、車を置いて新宿へ。電車が人身事故のため遅れていた。最近投身自殺がナント多いことか。この前は狭山市でもあった。暗いご時勢で、戦争しているかのように自殺者がいる。3万人以上の自殺とはナント命がもったいない事だ。

所沢まで電車が出ていたので、池袋線に乗り換えて池袋まで行き、新宿市川房枝記念会館へ出かけた。来年度の企画会議。夏合宿の企画会議だったが、とても良い企画になったと思う。もし、出来れば、秋と来年の初めにも講習会をもてれば言いと思う。素晴らしい講師陣を及び出来るだろう。私も少し学びたいものだと思う。経済を中心に講習会をすることになる。そういえば、狭山市の財政についてはアファーに小さな記事にした。

8時前に市川房枝会館を出て、いつものように紀伊国屋書店で本を眺め、電車で帰ってきたが、家についてみたら11時前だった。東京は遠いですね。

娘にインスタントグラタンを作るように言って出かけた。この前、一緒に作ったから大丈夫だと思ったのだ。しかし、箱の後ろの作り方の説明が、娘にはわかりにくかったようである。時々、娘の能力にショックを受ける事がある。能力のなさのほうか。説明を見ると彼女がなぜ分からなくなったか理解できた。400ccと400mlの違いが分からなかったんだろうと思う。カッコつきの説明も彼女には理解できなかったんだろう。400ccが2カップというのが分からなかったんだろう。養護学校は何をしてているんだろうなんて思う。結局、後から教えた。でも、この前も教えたようにおもうから、1度や2度教えたって、無理なんだろうな。彼女は学ぶかな。障害って克服できない事なんだと分かっているが、頭を抱えてしまう。どう教えていいか分からなくなる。私も悲しくなるけれど、彼女だって悲しいのかもしれない。
8日(日) 朝起きて礼拝。いつものように野沢福音教会で礼拝を持った。この教会も息子がおなかにいた頃からだから、18年も通っている事になる。後で、聞いたら最長老の渡辺さんのおばあちゃんが亡くなっていた。去年あった時にはあんなに元気だったのに。もう95歳じゃ仕方がないのかなあ。私も死ぬ直前まで教会で礼拝を持っていられるだろうか。渡辺さんのお連れ合いも本当に毎週教会で礼拝を守り、あっという間に逝ってしまわれた。雨にも寒さにも戦争にも負けない信仰だった。

礼拝後、いろんな人と立ち話をして、スーパーに寄って帰ってきた。午後は、昼食後、散歩に出かけた。体が温まるほどのパワーウオーク。その後、庭仕事をした。りんごの木が倒れていたので起そうとしたら、根っこを切ってしまって、結局引き抜くことになった。一緒に植えたプラムの木は元気に育っているのにと悲しい思いがする。つい、いつもの癖で哲学してしまう。育たないものもある。途中で涸れたり倒れたりするものもある。

本を読んでいたら、8時になり、帰りたくなかったけれど、近くの杏亭でまたイタリア料理を食べて帰ってきた。9時に佐久を出て、帰り着いたのは11時過ぎ。途中、事故があり、渋滞していた。
7日(土) 今日は朝本当は別荘に行きたかったけれど、娘が午後からお花があるというので午後に出かけた。それまでの間は、結局仕事。とにかくアファーを終わらせたい。来週はすることが満載なのだから。

結局、夕方夫と娘と3人で山に出かけた。冬に一度は出かけて家の状態を見ないといけない。この前、バーナーから水漏れがあり、修理もしていなかったから心配をしていた。後で調べてみるとお風呂の水が漏れていたわけでないので、給湯のほうが問題なのだろうと思った。夫と二人、あまり別荘を使っているわけでないけど、建築後10年はもう過ぎているのだから仕方がないかと話をした。

それにしても、空気が冷たくて、月がクリアに見えた。雲ひとつなかったので、月の光だけでも明るく感じた。佐久のインターを降りて、イタリアンレストランで食事。パスタはまあまあだったが、エスプレッソがおいしかった。

穂の香の湯に浸り、その後別荘についた。3人しでボードゲームをして、まあ3人とも勝ったり負けたりして楽しんだ。夫が勝ちすぎるとつまらないし、わざと負けると腹立たしい。だからゲームは嫌いだけれど、家族サービスですよ。はっと気がついたら、1時過ぎた。急いで寝る用意をしたが、あまりに寒いのでベッドルームから寝具を持ってきて、リビングのホットカーペットに布団を敷いて寝た。
6日(金) 今日は朝少し仕事をしたが、11時にはフライパン屋さんで養護学校PTA地区委員会の反省会。まあ、頑張りましたという事だった。特に、反省らしい反省もなく、ランチをいただいて帰ってきた。これで、お姉ちゃんのPTA活動もおわりだ。昨年の春に「おめでとう、当たりました」といわれ、鳩が豆鉄砲食ったような思いで引き受けてしまったPTA活動。やはりしないよりもしてみてよかったと思っている。養護学校の内情もよく分かったし、官僚的な県立学校の実態にあきれた部分もある。私自身、市立小、中学校で教員をしていたが、県立は本当に違う学校であると思う。組織の動き方がよく理解できないというのが本音かな。

午後2時過ぎに帰ってきた。その後、又アファーの編集をして、校正のために友達の所にファイルを送った。来週また編集しなおしだろう。

夕方役所に行き、書類を書いたり、視察場所を確かめたりした。焼却灰の資源化施設を文教厚生委員会がいくのだが、私も他の議員と一緒に視察をすることにした。私も行きたいと言ったら栗原さん(委員長)が快く一緒に行くのを許してくれた。まあ、私の場合は自分の車で行く事になるけれど。

その後、福祉部、市民部などによって、帰ってきた。来週に予算書が配られるけれどそのためにお勉強会をしようと思っていて、その日程を組んだ。それが目的で話をしにいったのだが、いつものとおり脱線ばかりしていて帰ってきたら9時だった。おなかがすかないのはなぜかなあと思ったら、今日は大きいランチをしていたのだった。帰ってきたら、息子と夫が食事を作って食べていた。これだから、安心して仕事に励む事が出来るというわけである。
5日(木) 今日は丸1日アファーの編集に明け暮れた。ちょっとテキストが多いかもしれない。写真が入るだろうか。心配である。

夕方、食事を作った後、8時ごろにサンパーク奥冨に行った。10時までのつもりだったが、9時までで時間がなかった。その後、カルフール、ブックオフにより、戻ったら12時近かった。娘を連れて行ったのだが、夜遊びはいけませんねえ。でも、保護者同伴ならいいのかな。
4日(水) 今日は午前中はHPの更新をしていた。それと、アファーの編集。視察に関しては覚えているうちに、感動の深いうちにかいておきたかった。

午後は3時に役所に行き、役人と会談。何を話したって?勿論鈴鹿の財政状態のことよ。鈴鹿は余裕でしたよって事。狭山市もある程度基金があるけれど、仕事の先送りなどはあまりせずに果敢な財政出動をする。それに関して私は異論はない。やるべき事をやるべき時にする。それでいい。

その後、また局長を捕まえて話し込んだ。本当に迷惑なのだろうが、誰かにこの感動を伝えたいという事なのだ。僭越な事を言うなんて失礼な事を言っているが、局長からは学ぶ点も多くて、農業関係についてはさまざまな知識を圧してもらっている。今後、本気で農業振興を考えるべきだと思っている。コルホーズ、ソフォーズはどうかしらね。

買い物をして帰ってきたら、遅くなっていて、息子とおっとがご飯を作っていてくれた。ありがとう。
3日(火) 今日は朝起きて食事をして、鈴鹿市の職員のお迎えを待った。何しろ、三重県は埼玉県同様、いや埼玉よりも公共交通機関が分かりにくく、要するに車がなければ生活不能という地方都市独特のものがあり、ホテルからくるまで10分の所を電車で行くとナント1時間掛かる。昨日は伊賀の議会事務局は来るまで1時間も掛からないので送りますといってくれたのを遠慮したのだが、電車の乗り換え2回もして2時間かかって隣の市にやってきたのである。私が狭山市から所沢に行くのに電車では15分しか掛からないのにである。

鈴鹿市ではホンダの税収減をどうするかを聞いたが、要するに1.節約、2.事業の先送り、3.基金の取り崩ししかないそうで、投資的支出を抑える。すなわち道路整備をしないか縮小するらしい。具体策は言わなかったが、やる事は狭山と同じ。でも、狭山市は道路の整備に金をかけないというよりは基金を取り崩す方が多いかもしれない。なぜならば、鈴鹿市では90億ある基金を70億まで使うといっているので後の30億は借金で賄うようである。ところで法人税減収分は狭山市と同じ50億円ほど考えているらしいのである。

狭山市は120億ほど基金があり、それを50億ほど使い込むらしいが多少鈴鹿市とは手法が違うのかもしれない。ま、それにしても財政課長というのは同じことをいう人であるというか、同じ匂いがあるものである。例えば、「お金がない」という。いつもいつも「お金がない」という。どこの市の財政課長も同じように言う。私はあるときの課長を「狼おじさん」といったと鈴鹿の課長に言ったら、楽しそうに笑っていた。きっと身に覚えがアルに違いない。お金があっても「お金がない」というのが財政課長の身についた口癖なのである。

今回もお話を伺ったがなんとなく余力を感じた。それは基金があるからだろうと思う。それに行革もしている感じでもないから、絞れば絞れる体力が市全体にあるのかもしれない。「職員に危機感がなくてそれが問題です。」といっていた。「そうかあ、狭山市は上から下まで危機感で一杯なのに」と思いながら聞いていた。隣に亀山があり、四日市市がある。亀山は大変らしいが四日市市は港湾の経済特区をしていてどうも財政ウハウハらしい。亀山だってグリーンニューデールに乗った事業をしている限り将来は安泰。四日市市に例の水素電池の試験工場などがあるらしく、これが実用化すれば鈴鹿のラインで大量生産されるかもしれないわけで、鈴鹿も将来的には工場がなくなるなんて考えてもいないことだろう。

その点、狭山市は工場移転も視野にいけれなければならないわけで大変だ。1時間という予定だったのに、2時間あまりも話し込み、その上議場を見せてもらい(市役所は2年目の新しい建物だった)、最新設備の議長とは何かを知った。パワーポイトの設備があり、いまや表やグラフを使っての議会になるのだと知った。その上、ここもケーブルテレビで実況をしているそうだ。暫時休憩の時はどうするのですかと聞いたら、ケーブルは2チャンネル持っていて、議会の時はそのうちの1チャンネルを議会専用にして放映するそうで、ずっと議会を流しているそうである。まあ、こんな状況では馬鹿げた長い暫時休憩も取れないだろうから、良い議会へ刺激となるだろう。費用も年間とても安いらしい。勿論1問1答形式で、登壇するのは執行部。議員はそれに向かい合って話をするという事になる。それにしても、他の議会ではすべてに近い人が一般質問をしているのには驚く。狭山市議会では4年中1回の一般質問をしない人もいるのはいかがなものか。

そうそう、伊賀市議会では執行部による反問権があるそうで、下手な事を言うと逆に問いただされるらしい。しかし、そこにもルールがあるらしく、意味不明な質問はきちんと聞きなおすという事らしい。何しろ、通告書が狭山と同じに短いらしく、ヒアリングはあるようであるけれど1問1答形式ではどこにどう質問が行くのか分からないのでスリルとサスペンスの議会らしい。まあ、狭山市も第2質問以降は原稿がしっかりしているわけでないから同じようなものだけれど。

昼食を食べ損なったので、おにぎりを買って帰ってきた。赤福をお土産に買い、帰って食べた。あんこが本当に上品で、赤福はおいしいです。帰りは域よりも時間は掛からなかったが、それでも5時間は掛かった。
2日(月) 今日は朝5時半におきて、着替え息子が宿題で徹夜をしていたので息子に送ってもらって狭山市駅へ。その後、高田の馬場を経由、品川駅から名古屋。名古屋から近鉄にのって伊勢仲川を経て上野駅へ。ここが今日の視察場所、伊賀市役所があるところ。1本電車を乗り間違えたりしたので、12時半着。ナント家から伊賀市まで6時間掛かった。本当に田舎の町。

そこで、自治基本条例と議会基本条例の説明を聞いた。今時は開かれた行政をしているところでは条例はすべてHPで調べる事ができる。ではなぜ、のこのこと6時間も掛けて説明を聞きに行くのかという事だ。まず、なぜそういう条例を作ったかを知りたい。そのためには、その町の風土を知ることが大切で紙面だけでは分からないのである。それと、職員の態度についても知りたい。熱意などはHPでは知りようがないのである。議場は見なければ分からない。議会基本条例のある街では、議場もフラットで傍聴席とは20センチしか離れていないのだ。大抵の議会の期数の多い方は後ろの席にでふんぞり返りたくなるのだろうが、この議会では後ろの傍聴者に何を言われるか分からないので緊張感が大変のようだ。ある市民は傍聴席から寝ていそうな議員を見つけて事務局に文句を言いに来るそうで、議長から注意されるなどという事もあるとか言っていた。

また、ケーブルテレビでの中継は録画ではなく実況で、それこそ寝ているなんてのが見えたらすぐに電話がかかってきて、それも議長注意ものらしい。透明で身近な議会というわけだ。その上、議会主催の議会報告会が条例で定められており、全議員が班に分かれて、全市で報告会をするそうである。市民にやり込められる市議会議員がいるらしく、勉強会を開いて出かけるようである。これは、議員にとって刺激にもなるが、ある種の議員には大変な負担のようである。その負担を感じるような議員はもう選挙に出ないという風であるらしい。私もこれについては噂では聞いていた。市民と話しがかみ合わない場面もあったと聴く。市民に怒られた議員もいたと聴く。市民に議会と執行部の役割の違い、議員と市長との権限の違いを理解してもらうのは、最初は難しいと思う。私にも良くある事だが、要望をする人は議員は議会を通じて要望を出せるだけで、執行権がないので実際に請合う事など出来ない事を理解してもらえない。予算編成権も議会にはないわけだし。

しかし、3時間も話し込んでしまったが、伊賀市の議会は前向きである。私のほかに霧島市からの議員さんたちが視察に来ていた。

本当は上野城跡をみたかったのだが、あまりに話しに夢中になってしまい、時間がなくなって、近くでお土産を買って伊賀市を後にした。何しろ明日の視察は鈴鹿市なのだが、きっと車では近いのだろうけれど電車では2時間以上も掛かるのだ。始めは上野に泊まろうとしたが、明日の朝に間に合わず、鈴鹿市に今日行く事にした。鈴鹿のホテルに着き、食事をしたが長い長い一日だったので、食後寅さんの映画を見ていたら眠くなってしまい、いつの間にかうとうと。
1日(日) 今朝は12時から埼玉大学で聖望アメフトの練習試合があるので出かけた。あさ、10時半には出たが、途中でドラグストアーを探しながらで時間が掛かってしまった。試合はボロ負け。本当にボロ負け。何も出来ず、相手にはすき放題されて負けた。まあ、主要選手が怪我で欠場していたからどうしようもない。息子は頑張っていたが、息子だけでは勝てない。どう立て直すのかと心配だが、監督に任せるしかないのだからしょうがないわね。

試合が終わり、子供達を送って帰ってきたら、もう5時ごろになってしまっていた。私は疲れ果てて横になった。何しろ、あの寒い中3時間ほどたっているだけで体がごちごちである。

夜はメールを確認して、アファーの編集作業を続けた。今回は書き手が多いので整理が大変なのだ。それに原稿が届かない。長すぎるのは切らなければならないし・・・・アッと思ったら12時過ぎ。明日の視察は朝6時過ぎに出かけなければならない。これから視察の準備をする。

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