私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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3月 私の独り事
31日(火) 今日は早めだけれど、書いてしまう。忙しいです。1時に会計をしてくれる人が来た。5時には明日からの娘の職場に行く。

明日から、8日までの8日間、イタリア旅行をします。ミラノに2日、フィレンツェに2日、ローマに2日です。5日の日曜日はアッシジの聖フランチェスコ教会で聖日を守ります。とても楽しみにしていたのですが、あっという間に明日出発です。旅行記を書きたいと思うのですが、コンピューターを持っていかないことにしていますから、難しいかな。私のようにコンピューター中毒の人間が8日間もコンピューターなしで生きていけるでしょうか。それが問題です。

それでは、皆さん、しばらく留守にします。それから、2008年度にお世話になった役所のみなさん、2009年度もよろしくね。
30日(月) 今日は朝から忙しかった。ホームページをかいたり、娘の世話をしたり、イタリア旅行の準備もあった。3時過ぎに役所に行き、必要な書類を出し、7階にあがり、今年で定年退職の部長に挨拶をした。女性課長が辞めるのが残念で会いに行ったが、残念ながら逢えなかった。
その後、パステルに行った。この日でパステルは止める。それで、閉店の時に行こうと思っていた。結局、5時の閉店を見届けた。なんだか、複雑な心境だ。親の会の姿勢にはいろいろ疑問が出てしまう。ここでの障害者は結局3人中、1人しか残れない。作業所にして、今度は何人野党つもりなんだろう。どんなお店になるかも分からない。1銭もみのりからお金も貰わないで、すべてを渡す。これにも納得がいかない。

その後、トレーニングをして、急いで帰ってきた。尾崎の放送があったから。うまく録音できずに車の中で聴いた。

夜は友達が娘の髪を切りに着てくれて、子どものあれこれを話していた。家の娘と同い年の息子がいて、幼稚園時代の子供達の噂話に盛り上がり、あっという間に11時なってしまった。はやいね。
29日(日) 今日は朝礼拝。すこし、教会でお話しをした後、尾崎のお墓によった。先週、お彼岸だったせいもあり、お花がいつもよりも沢山上がっていた。汚い涸れた花を処分して、お水が少なくなっていたので、お水をお花にあげて帰ってきた。何で、こんな墓守みたいな事をするのだろうと、自分でも分からないけれど、これは身内をなくした人の感情かなと思いながら、尾崎のお墓の綺麗にして帰ってきた。尾崎の好きだったビールがなん缶も置いてあった。ちゃんとプルが開けてあって、飲んでねって言わんばかりだった。最近はちょくちょく出かけているなあ。車の中のCDも尾崎だから、四六時中尾崎を聴いているのに飽きない。お墓なんか単なる四角い大理石なだけなのに、くだらないなあと思いながらも尾崎に会いにいくように、いそいそと出かけてしまう。

その後、パステルで昼食。2時過ぎからジムに行き、トレーニングをしたらあっという間に4時。図書館によって、ブックオフによって帰ってきたら6時になった。今日は、ゆっくり夜が過ごす事が出来ると思ったのだが、新しいカメラのためにコンピューターをセットしたりしていたので、天地人すら見れなかった。思ったことの半分も出来ない一日だった。
28日(土) 毎日が忙しい。朝はレシートの整理をしていた。お昼からは書斎を片付けた。事務所の書類整理もあったので、一息つけたのは、4時過ぎ。6時から夫と映画を見に行く約束があったので、急いでサピオに出かけた。サピオはジムが満員で少し待たなければならなかった。パステルでおしゃべりをして少し待った。たった、3,40分しか歩けなかったけれど、少し汗をかいてシャワーを浴びて、アイポットで夫とデート。

20世紀少年を見たが、これも何がなんだか分からない。この前の、宮崎やよいの映画も何のことやという宮藤監督のわけの分からない映画だったけれど、今度ののはもっと訳がわからない。は〜〜〜。でも、こんなわけの分からない映画がとにかく好きだ。予定調和の外にいるような映画が好きだ。筋書きが分かっているようなのは、つまらない。でも、もっとリアリティーに富んだ映画も良いかなあ。何しろ最近見る映画はぶっ飛んでいるようなものばかりだから。本当は、マンマミーアを見たかったのに、見そびれた。

帰ってきたら、まだ9時前だったから、ヤオコーに行って食料品を買い込んだ。何しろ忙しすぎて買い物に行く閑もない。もう、お惣菜を買い込み、野菜を買い込んだ。山盛り買ったけれど、すべて食べるんだから、家の人たちの食欲はすごいというものである。帰ってきたら、10時近く。こんばんは疲れたので、これで寝ます。
27日(金) 今日は朝から一生懸命、原稿にイラストを貼り付けた。出来上がったものを、印刷し始めた。お昼頃娘が起きてきたので、印刷を娘に頼んで、役所に出かけた。

役所に行き、書類をだしたり、おしゃべりをしたり。何しろ、内示があったので役所も少し浮き足立っている。驚きの人事があったし。まあ、すべての人が満足するような人事はない。でも、塞翁が馬で、良い時もあれば悪い時もあるとハラをくくらなければ役人はしていられないのだろうと思う。女性課長が辞めるようだ。本当に残念だ。1年しか庁舎にいないのに、もうやめてしまう。もったいない。もう少し頑張ればよかったし、子育てのような部署だったらどうだっただろうか。今年、新しい女性課長は生まれなかった。

3時ごろ帰ってきて、出来上がった議会レポートを新聞やに運び、日曜日の朝刊に入れてもらうようにした。もう、10年も同じように入れてもらっている。3ヶ月なんてあっという間でこの前、入れてもらったと思ったら、もう又だ。こんな風に私が議員をやめるまで、議会レポートを発行していく事になる。

帰ってきたら、夕方で、あっという間に6時過ぎ。疲れ果ててしまったが、ご飯を作った。7時過ぎから「いろんな民族の会」の遅い遅い新年会。嘘みたいに遅い新年会。いつものメンバー。でも、気心がしれていて、なんだかホッとする。私が疲れ果てていても許される。よそ行きの顔をしなくても良いから嬉しかった。帰りは夫に迎えに来てもらい、友人を送っていって、コーヒーを素敵なオタクでいただいて帰ってきたら、夜中の12時過ぎだった。
26日(木) 今日は朝から車を修理工場に持って行ったりしたが、朝から晩まで原稿を書いていた。昨日役所に行ったら、他の会派がもう議会レポートを発行していたのを見て唖然とした。私は指が曲がらなくなるほど、原稿を打ち続けているのにも係わらず、まだ出来上がっていないというのに、何人も人がいると早く仕事が終わってしまうのだなあと感心した。私は17日の夜中には2本も反対討論を書いたし、とっても議会レポートを始める余裕さえなかった。毎日毎日、コンピューターに向かって書き物をしているが、たった4ページの議会レポートすら、なかなか完成しない。

昼頃に支援者が来てくれて、紙面をチェックしてくれた。「読んで意味が分かる?」っていうのが一番の事。土素人が読んで分からないのなら、議会レポートを書く意味ないもの。で、出来る限り市民生活に密着した質問を選んで書いているし、質問もその観点をはずさないようにしている。役所でのテクニカルな事も質問しても良いなあと思うが、やはりその後でケーブルや議会だよりや議会レポートに載せる分には市民生活に密着した方が良いだろうと思う。ま、人それぞれやり方があるというものであるが・・・今回は予算議会で質問事項も多かったので取捨選択が大変だった。

午後からは、印刷を始めた。娘が手伝ってくれたので、頑張って2,3面を印刷し終わった。私は、1,4面の原稿を打ち続けた。いろいろ整理したり、文面をかんがえたりした。今回はどうしたわけか、一般質問の紙面がなくなり、短く4面に持ってきた。言いたいことや伝えたい事は沢山あるけれど、これ以上紙面は増やせない。お金も掛かってしまうし。

結局、夜9時過ぎまで、校正をして、原稿は仕上げた。
25日(水) 今日は朝、水富小学校の卒業式へ。昨日書いたあいさつ文にWBCの事を少し付け加えて読んだ。なかなか理解できないようだった。簡単にしたつもりでも、こちらのほうを中学校に使ったほうが良かったかもしれない。密かに頑張る決意を持ってくれればよい。この学校はとても伝統的で良い。いつも言っているが、勿論私語ひとつないし、お辞儀もきちんとできる。いつも言うけれど、お辞儀のひとつもできないで日本人といえるか!(家のアメリカ人は握手とハグは上手です。国によって文化が違っていいと思う。)告示や祝辞は座って聞く略式を取ったが、送辞、答辞に当たるお別れの言葉は在校生、卒業生ともに立って対面でした。西中学校の時は答辞も送辞も着席だったからね。

ところで、この前の武蔵野学院大学の卒業式はもっと伝統的で、まず礼から始まり、起立礼は当たりまえ、送辞の時も、長い長い答辞のときも卒業生・在校生ともに起立したままだった。学長祝辞は長かったから着席させたかなあ。卒業生だけ起立だったかもしれない。何しろ圧巻は送別の歌が「蛍の光」、卒業生の歌が「仰げば尊し」だったことだった。3番まで歌ったが、合唱部の子がマイクを通して歌っていたようだった。それでも、やはりこの歌を聴くと涙が出てくるのは、こういう歌で私が育っているからだろう。こんなアル意味時代錯誤かもしれない卒業式も私には嬉しい。年取っているかもしれない。夫はもう訳がわからなかったようだけれど。残念なのは、ひとりひとりに学位を渡さなかった事。アメリカではひとりひとりに渡す。私も修士号を学長から直接いただいた。

所で、仰げば尊しは古すぎると思うが、今時は高橋先生が作った「別れの時」だったっけがどこの学校でも歌われるようになった。西中のとき当間先生が高橋先生を東中から何べんも呼んで、合唱指導してもらったのを思い出した。高橋先生はかなりゆっくり歌わせていたようだった。今時は、かなりアップテンポで歌うことが多い気がする。「飛び立とう、未来信じて」って中学生や高校生、また大学生にはなかなか言えない世の中になってしまっている。歌詞を聴きながら、この子供達はなんて不幸せなんだろうと思ってしまう。子どもたちに何を残してあげられるだろうか。希望をなくした者は絶望だけ。絶望しては人は生きていけないんだよね。幸せになれる予感がなければ、秋葉原で大量殺人を犯した男のようになってしまう。

午後、役所に行き、人事関係の内示をみて、多少おしゃべりをして、少し役所を回って、サピオへ。5時過ぎだったのですくないかなと思ったらずいぶん人がいて、驚いた。でも、1時間少しトレーニングをして帰ってきたが、気持ちよかった。

珍しくヤオコーで買い物をしてたらあっという間に8時を過ぎていて、今日も10時半ごろに眠気が出てきた。考えたら、昨日の睡眠時間は5時間だった。
24日(火) 今日、朝からコンピューター前で仕事。でも、12時ごろから息子がテレビをつけ、WBCの野球の中継を見始めた。決勝戦で韓国対日本。手に汗を握る試合だったが、何しろ日本がずっと勝っていたので、見やすかった。でも、延長10回の表の試合は見れなくて、イチローの場面だけを見た。息子は手に汗がかいたと何べんも手をぬぐっていた。これこそ、手に汗をかく試合とはこんな試合だろう。すごいなあと思うのはイチローはこの場面で2塁打を放ったことだ。プレシャーが一杯だっただろうに、それに負けずに堂々と勝負に臨み、結果をだした。この精神力はすごい。向かっていく気持ちを持つだけでも、すごいと思う。息子達もこれを見ていたが、学んでほしい事がたくさんあった。私も後ろを向かずにただただすべき事をしよう。

でも、疲れた。休みたいなあ。休んでいる閑がない。

午後もずっとコンピューターに向かって仕事を続けた。夕食後、8時過ぎにサピオへ。最近忙しくてなかなか出かけられなかった。トレーニングをしながら、明日の小学校の挨拶を考えていた。帰ってきて、10時半過ぎから、小学校のあいさつ文を考え始めた。書き終わり、プリントアウトして、一度読んでみたら、もう2時。いつもよりも優しくしたつもりだが、小学6年生には分からないかな。「いいんだよ」という水谷修先生の言葉がとても印象に残っていて、今までの事はいいんだよ、中学生になったら新しく始めてご覧といいたかった。今日のイチローのようにはなれないけれど、ただただ挑戦してみるという気持ちが大切だといいたい。
23日(月) 今日は、朝コンピューターに向かいながらWBCを見ていた。始めから見たわけでなく、2−1で見たから、なんとなく安心してみていた。じっとしていたわけでなく、仕事をしながら、時々コンピューターで試合の経過を見たという事だが、最後、イチローがヒットを打った時からはしっかり見ていた。嬉しかった。まあ、アメリカはベストメンバーではなかったのかもしれないが、それでも勝つのは気分がいいものである。

午後、急いで入曽の東口事務所へ。2時間近く地権者、それも大地主の区画整理事業の反対の声を聞いた。まあ、私が思ったように、入間小学校跡地を使ってバスの乗り場とアクセス道路を作ったらという話だった。地主さんたちがそうならば、私には反対の理由がない。地権者が集まって自分の街づくりを考えればよい。ただ、狭山市としては、駅前の人たちだけでなく、駅に通ってくる人たちの事を考えれば駅前をきれいにしたいという思いがあるのは理解できる。で、小学校を移転させてそこに駅前広場とバス乗り場をきちんと整備する事に反対はしないらしいから、そこを中心に整備すればいい。

地主が市長は地主達に頭を下げてまで区画整理事業をしたいのかと揶揄していたが、私もそこまでして区画整理事業をする必要を感じない。100億円もかけて事業をするのは、狭山市のためという風に思われるのだったら止めたらいい。他に投資するべき所はたくさんある。何も、入曽駅前だけにお金を掛けるのもいかがか。投資効果を考えれば、圏央道周辺の下水道整備を急いだりすべきだろう。都市計画道路だって、早く狭山市駅加さし線や富士見台線、入曽線、また路線変更する狭山市駅上諏訪線、299バイバス付近をきちんと整備した方が投資効果は上がるのではないかと思う。

午後遅くに帰ってきてから、ずっと仕事。コンピューターに掛かりきりだった。しかし、10時半ごろ、どうしても眠くなり寝る事にする。どうしてだろう。不断は12時前に寝るなんて事はないのに。
22日(日) 今日は朝、娘が洗礼を受けるというので、いのちの樹教会に出かけた。娘が洗礼を受け、心からホッとした。私は彼女を養女にしたときに、クリスチャンのミッションを通じて彼女を引き取った。私達夫婦がクリスチャンだから、そして親(この場合私)が日本人だから、私達の所に彼女は来た。見た瞬間からこの子は私の娘だと思った。なぜだか未だ分からないけれど、瞬時にそう思った。

それ以降、一生懸命彼女を育ててきた。愛したつもりでも、彼女には足りなかったかも知れない。彼女は癲癇もあり、知的障害者で、私の考えとは全く違う思考方法で途方にくれたことが何回もある。彼女を泣かした事もあるし、彼女の事で泣いた事もある。それでも、私は彼女をクリスチャンにするために育ててきたという思いがあった。神様から預かっている子だという思いだった。バイブルキャンプにも高校3年生まで通わせた。本人が行きたかったからでもあるけれど、神様を知って生きて行ってほしかった。イエス様の愛は私の愛と違い完全だから。そういう面で、今日の洗礼は嬉しかった。どうか、神様の愛に包まれて生きていくことに感謝して、今後の人生を歩んでいってほしいと願う。神様、今後の彼女の人生を祝福してやってください。

午後は愛餐会があり、受洗を祝っていただいた。その後、牧師が移動するのでそのさよなら会もあった。それにも参加して帰ってきた。帰ってきてすぐに、サピオへ。良い事悪い事、いろいろな思いがあり、汗をかいて忘れたかった。30分歩き、30分エアロバイクに。

夜、家族5人であさくまで食事。お兄ちゃんの大学卒業と娘の卒業、受洗を祝った。あさくまはファミレスと違い、静かで席もゆったりしていた。サラダバーを取って、私はサラダだけで十分でほとんどのハンバーグを息子達に。息子達はお変わり自由のご飯を3回もお変わりしながら食べた。家みたいな大食漢が来られたら、あさくまも大変だっただろう。でも、とにかく、久しぶりにゆっくり食事をした感じだ。

夜帰ってきて、仕事に取り掛かった。時間に私は追いつけない。忙しい。
21日(土) 今日は午前中に美容院に行き、髪をセットした。

午後からは、おにいちゃんの大学の卒業式。学位授与式。彼は学士、教員免許状(英語、中学、高校)、上級情報士、認定社会福祉主事を貰った。忙しかっただろうが、頑張って資格に挑戦し、4年で大学を卒業した。勉強が出来ないので心配した面もあったのだが、彼なりに努力して頑張ったと思う。とても誇りに思った。これからの彼の人生を思う時に、親の手を離れて自分で頑張ってほしいと心から願う。今、臨時的任用で仕事が来ているが、その仕事を真面目に行い、しっかりテストを受けて受かってほしいと心から願っている。頑張れ、お兄ちゃん。

帰って着替えたらきたら、ナント5時。お兄ちゃんは、卒業式の後デートらしく出かけた。で、一家4人で食事。この頃、一家4人での食事すら珍しくなってしまった。私も、夫も、息子も夜が遅い。今日は、サピオをどうしようかと思ったのだが、一週間もホームページを彫っておいたので、何とかしなければと思って、コンピューターに座り込んでいる。することが一杯あるのに、どうして手につかないかと思うのだが、どうしても仕事から逃げ出したくなるのはいつもの事さ。切羽詰ると始める。この前の、反対討論だって頭にあったものをさっと書いた。あまり書きすぎてくどくなるよりも、論旨だけをはっきりさせた方がいいと思うようになった。シンプルの方が良いのさ。

という事で、する事は一杯あるが、時間が細切れしかなくてなかなか手が付かない。困った・・・
20日(金) 今日は、朝から仕事をしようと思っていたが、どういうわけかWBCの野球を見てしまった。勝っていたので見れたわけだ。負けているとはらはらしていて見れない。途中、車やにいって点検の日取りを決めたり、ETCの機械の購入について話をしたりした。その間、2対2になり、はらはらしたが、家に戻ってテレビを付け、見ていたら結局6対2で勝った。家では、5人中4人が見ていたから、「これは視聴率80%だわね」、なんて言っていた。

その後、サピオへ。黄金色に世界が染まる黄昏時。いろいろな事を考えながら、歩いたり、自転車に乗ったりした。

とにかく、仕事が山積しているにもかかわらず、うまく時間が使えず、いらいらしている。運動したのでビールを一缶飲んだら、眠気がでて仕事にならなくなった。あ〜〜あ。
19日(木) 今日は朝幼稚園の卒園式。挨拶もないので気楽に水富幼稚園へ。来賓の言葉が何一つなくなってしまった。寂しいなあ。私達の挨拶はいらないかもしれないけれど、小学校の校長先生から一言あっても良いのにと思った。まあ、入学式でお話しがあるから良いのかな。子供達の真剣な様子に涙が止まらなくなった。この前、家の子どもたちもひかり幼稚園をあんなふうに卒園したばかりだというのに・・・・などと考えた。私も若くてかわいらしい子ども達を育てている幸せさに気が付かなかったなあなどと、卒園会場にいる若い両親をみながら思っていた。可愛い園児を本当に抱きしめたいと思った。不安そうな子どもも、しっかり前を向いていた子どももどの子も皆可愛く見えた。

帰りにいつものように保育所によって帰ってきた。このたびは、保育所の所長先生はお招きされていなかったようだった。卒園式を簡素にするのはよいことなんだろうかと考え込んでしまった。保育所の子供達はけなげにも自分でご飯を食べていた。けなげという表現は悪いかな。でも、1歳児がうまく食べられないけれど頑張ってスプーンを使って食べていると、けなげに見えるのである。だって、お口にスプーンが入るまで大変なんだから。この前まで、お母さんのおなかにいた子が1年で自分で物を食べられるようになるなんて、とおばあさんに近い年の私は感慨にふけるわけです。

午後、ゆっくりしたらまたしても昼寝をしてしまい、夕方近く議会事務局へ。お願いしていた必要な書類をいただき、またしても事務局長と長話。私は時々事務局長のことをぼろくそにここで書いたりするが、彼が大嫌いという事は絶対にない。彼も私も素直な性格なのだろうと思っている。時々考えが違うのだが、勿論皆それぞれ考えがあってしかるべし。ただ、立場が違うので、彼のほうが我慢している事のほうが多いかもしれないと思ったりする。同い年のせいもあり、私にはどこかで甘えというか同志的な気持ちが働いていることがある。最近は農業に目覚めてしまっている私だが、事務局長は農業に通じている人なので学ばしていただいている事が多い。

夜、サピオへ。
18日(水) 今日は議会最終日である。9時に議会に行ったのに、代表者会があるとか。議員提出議案が4本出される事になり、市長提出が1本で5本の議案を追加して審査する事になった。そのせいもあり(追加を承認するために議運、全協が開催された)、議会が始まったのが、11時半。30分ほどの議会の後、昼休み。1時から議会は再開されたのだが、ナント終わったのが、10時半。最後の全協などがあり、帰ってきたら11時半だった。疲れた。

私は後から掲載するつもりだが、3議案に反対討論をした。1つ目は議員定数を18人にすることを継続審査にしたことに対する反対。私の考えはすぐにでも否決したほうが言いという考え。ほとんどの人が18人では少なすぎると思っているのに、なぜ継続審査にする必要があるというのか。

2つ目は、起訴され拘留されている議員に報酬を支払わないという条例への反対。これは、推定無罪の状態で報酬を差し止めると議員の生存権を奪いかねないという事。また、冤罪だったり、無罪の判決が出たりした場合、たとえ後で報酬を返したとしても、あたかも有罪犯罪者と同じような扱いにしたら、その人の政治生命にも係わる。そして、それは民主主義を根絶やしにしかねない。自分は犯罪を犯さないから大丈夫なんていっていた人がいたが、その人こそ私は冤罪を着せられる可能性があると思った。さもなければ自分が何かをしでかさないとは限らないと思った。まるで他人事のように考えていると、しっぺ返しは自分の所に来るんだという事。怖い事を決めたんだけれど。

それと同じ事が政治倫理規程に関してもそうだ。「事実と違う事を宣伝してはいけない」この条文は一見正しくみえるだろう。だが、事実の認識はそれぞれ違う事もある。これを委員長報告のところで聞いたら、虚偽と分かる事を言うのはいけないという。虚偽とは何ぞやである。たとえ、白を黒と言っても実は虚偽でない場合だってある。黒く見える白ってなんだと思うが、そんな時も実はあった。蒸気が雲の陰に隠れて白いはずが黒く見えたことがあった。何でもそうなのである。見方によっては、事実と反するといえどもそんな簡単じゃない。そして、その解釈を巡って、汚いバトルが始まってしまう事が今から想像できる。嫌だなあ。事実は多数決で決められないことが分かっているだろうに。いざとなったら、100条委員会設置になるだろうし、いざとなったら告発という事になるだろう。そうでなければ、嫌がらせのために政治倫理委員会なるものが何べんも開かれ兼ねない。そんな事例は枚挙にいとまないのだから。

3つ目の反対は、農業委員会の女性委員推薦に対してである。何で、女性議員がいるのに農協に女性委員の推薦を求めなければならないのか理解も納得も出来ない。申し合わせが・・・というがそんなものは議会での事だから、女性に限ってはこの申し合わせを使わないと申し合わせればいいことなのだ。馬鹿馬鹿しくって仕方がない。それなのに、私が何べん言っても話を聞かず、他から推薦を頼んだ。もう、腹が立つ。それもまた入曽。仲川さんが市長になって以来すべての人事が入曽。この前の教育委員だって入曽からだった。良い人がいたらどこからだって良いじゃないかというが、あまりにも入曽の人ばかりになると、なんだか市長が入曽だから、入曽で固めたいんだろうなと邪推してしまう。嫌だね。この反対討論に関しては、さまざまな人がするなするなといった。僭越ながらと事務局長が言いかけたが、本当に議員の発言に関して事務局は何も言う権限はありません。分かっていて言うのは、いかがなものか。

誰かが、体の調子が悪くて家に戻っていた吉沢さんに電話したのか、吉沢さんから電話がかかってきたが、さすがに吉沢さんだ、「高橋討論をやめろ」なんて一言も言わなかった。私がすると決めていて、発言の権利があるのに、この期に及んで私が引き下がるわけがないのを良くご存知なのである。「まあ、言いたいことを言っても後までごねるな」と言っていたが、確かに私は言いたいことを議会ではっきり言わせてもらう権利はあるが、それ以上に関しては多数決の論理さ。分かっているだけに、自分の出来る範囲のことをするのだ。

35議案のうち、ひとつだけ賛否に組しない議案があった。議会決議に関してである。私がその議案が出るというのを聞いたのは、数日前。議案の内容に関しては、3,4分しか説明してもらっていない。どんな過程を経て、なぜこの議会にかけなければならないのか、またその決議の内容の良し悪しの判断をどうするのかを数日では採択に関与できる状態ではなかった。だから、これに関しては退席した。提出者にはこれを前もって話をしていた。私には、実際どんな構想だったのかいまだかって理解できていない。????という感じで、皆さんよく判断したものだと思った。今までのやり方をまた逆行していく感じなのだ。何が良くて、何がいけないのだろう・・・・・

この議会は予算議会で真剣だったが、最後の最後に提出された定額給付金の支給条例はなんだかなあ。市長にきちんと支給する理由を聞いたら、全国で支給するのでという。何を目的にというと、生活援助と経済活性のため。どのように消費していただきたいのかという事には使っていただきたいとのこと。まあ、私は市長に質問するとはいってはいなかったが、何しろこれは国会で麻生さんが頑張っていたのだから、やはり市長にきちんと答弁をお願いしたかった。それにしても、仲川さんは言葉足らずだなあ。出来れば、狭山市の皆さんに狭山市の商店などでお使い願いたいとでも言えば良いのにね。それに、私もひとつ聞くのを忘れた。仲川さんにこの給付金をどう使うのですかという事。まあ、政治家だから寄付は出来ないけれど、何とか有益な使い方を示唆してくれたかもしれない。まあ、たいていの人は(我が家もそうだが)生活費の一部につかってしまうのだろうね。
17日(火) 今日は、あさから変に気合が入っていた。明日が議会最終日だからである。本当はしなければならない事があったが、手に付かない。それで、郵便局に行き、お金を送金したり、お金を下ろしたり。その後、所沢に行ってユーロを買った。ブックオフがあったので、少し立ち読みをして帰ってきた。汗をかけば何とかなるかもしれないという事であるが、サピオに行く時間が取れない。

夜。この前の3年を送る会の会計報告会というか、役員会をバーミアンでした。10時半頃まで。その後、反対討論を書いていた。論旨ははっきりしている。長くはないけれど、言いたいことがはっきり分かればいいと思う。結局寝たのは2時をすぎた。
16日(月) 今日はとにかく疲れて何もしたくなかったけれど、ホームページをきちんとしなければと午前中は頑張った。午後、本を読んでいたら、寝てしまい、はっと気がついたら5時ごろ。急いで、役所に行き、定額給付金についての議案について勉強をした。どうせ質問をするんだからと思うが、分かっていて質問をすれば市民に必要な情報は何かという事が明確になるという事である。ケーブルテレビで流すのだから、その点はきちんとして、見ている市民の方に良い情報としたい。また、このようにきちんと議会で質問をしないと議会だよりにも載らない。だから、自分のために質問をしているのではない。議会が市民のために代表として行政に聞いているという事をもっと市民に知ってほしいと願っている。

役所を出たのが遅かった。それでサピオに行く時間がないので、ヤオコーによって安いものを買い帰宅した。遅くご飯を食べた。夜、入間の湯へ。
15日(日) 今日は朝から聖望学園アメフト部の「3年生を送る会」であった。何しろ50人近い男達の食事を準備し(これは弁当を頼んだ)、お菓子やらケーキやら飲み物やらを好きなだけ食べさせるわけで、家の息子は100キロの体重だが、そんな体重の子どもなんか5,6人もいる。ちなみに家の息子は私のものも食べたから2人前の弁当をぺろりと食べた。2年生に豚汁を出したが1年生の2倍は軽く食べた。すごい食欲だ。それにしても1年生は食が細くて、来年が心配なのである。

そんなこんなで9時に会場について、会を始めたのが1時半。終わったのが4時半。さよならをして、すべてを片付けたのが5時過ぎ。帰ってきたら勿論6時。疲れ果てた。でも、その後、食事を作り、食べさせ、私はサピオへ。8時過ぎに出かけた。今日は3送会でいろいろ食べたからカロリー消費が必要だった。それに、いつも何かした後はいろいろ考えるところもあり、反省をするためには汗を流すのもいいのだ。さもなければ、嫌な事を汗を流して忘れてしまう事も。

夜に、息子に言って分かってもらえない事が会った。送る会で3年生の挨拶がとても下手だった。いや内容がよければ下手でも構わなかった。まず、私は古いから態度がいやだった。ニヤニヤ笑ってまとまらない話。後輩に対して恥ずかしくないのだろうかと思う。何が言いたいのかも理解できなかった。まあ、部長だった生徒はまだそれなりに話をしていたし、真面目な態度だった思うが、後の生徒達。こんな生徒達があのハードなアメフトをしていたのかと首を傾げてしまった。挨拶できなくても技術はあるのだろうか。

私は古い人間だから、短くても真摯な態度で挨拶が出来る子が運動もまた真摯に頑張るのじゃないかと思うところがある。息子は挨拶と運動がどうして係わるか分からず、「また意味不明なことをお母さんが言っているよ」というが、どうしても私にはそれが一直線で結びついてしまう。たまたまアメフト部に入り、まあまあ真面目に練習をこなし、試合で負けたけれど、それは時の運だとして通り過ぎるとしたら、ちょっと違うんじゃないかと思うのだ。

馬鹿な出し物が多かった。私は馬鹿も大切だと思う。人に笑わせるために楽しそうに取り組んでいた在校生達。私はこういうのが大好きだ。他のお母さん達とハラを抱えて笑ったりもした。私は馬鹿をするなというのではない。馬鹿を出来るのはすごいことだと思う。ただ、メリハリがあるのではないかと思う。今時、上級、下級生などの区別はないというが、体育会系の部活にはしごきはないにしても厳然としてそれはある。上級生が上級生らしくなければ下級生は何を見本にすればいいというのか。その点、今年の3年生には多少失望させられてしまった。
14日(土) 今日は午前中は狭山市立西中学校の卒業式だった。思っていた以上に素晴らしい式だった。型どおりに行っただけなのだが、それがようやく西中学校でも出来るようになったという事。何しろ前年度が目も当てられない酷さだったから、今年に関しては出席者が皆ほめていた。何しろ、私は去年は男子生徒の振る舞いに怒り心頭だったけれど、今年は男女の席が入れ替わり目の前に女子生徒だったから、そうそう怒ることもなかった。ハンカチを出して女子生徒が泣いている風景なんかとても卒業式らしく、私もウルウルしてきてしまった。そこがいい。あんまりあっけなく、何の感慨もなく卒業するというのは、中学校が高速道路のサービスエリアのようになんの思いもなく通り過ぎていく所になってしまうようで、ロマンチストの私としては寂しい限りなのである。

合唱も男子女子ともにしっかり歌っていた。3年生の答辞を聞きながら、あまりにも普通のことを言っているのに変な思いがあった。きっと、その生徒には同じ学年の子の逮捕も生活指導のことも関係なく、普通(?!)のように学校生活を送っていたのか。その生徒から見た学園生活を答辞にしたのだろうが、見事にその辺の事が抜けていて私には不可思議としか思えなかった。春に桜が咲き、部活や行事を頑張って、楽しく卒業まで来たというのだけれど、他の生徒の逮捕なども心になんの影響もなく過ごしたとなると、その辺、この学校ってなになんだろうかと少し思ってしまう。でも、卒業式はきちんと出来ていた事に間違いはない。

午後は、昼食後、サピオに出かけた。夫が東京の勉強会に出かけるというので稲荷山公園に送っていき、その足でトレーニングしたのだ。トレーニングのあと、お風呂に入った。熱いサウナで身体を絞りたくなったのだ。だって、夜には狭山養護学校の学年委員会主催のさよなら飲み会があったのだ。これで、養護学校ともお別れ、娘はありとあらゆる学校との付き合いがなくなる。昨日の卒業の時も思ったが、今後の方が彼女には長いわけで、私がいないでも生きていけるように算段してやらなければならないと思う。娘の卒業式はそういう意味でとても緊張してしまった。就職は決まっているが、長く努められる事を心から期待する。仕事は厳しいから。

夜、10時ごろまで皆でおしゃべりとお酒を飲んだ。私も今回は珍しくワインをいただいた。(車は夫がサピオから引き上げた)お酒に強い人がいてがぶがぶ飲んでいたが、あんなにのめるなんてすごいなあ。あれこれしゃべっていてあっという間に3時間。来年も誘ってねって卒業組みのお母さん達は在校生のお母さん達のお願いしたが、さて来年の事はどうなる事でしょうか。でも、またみんなの様子を聞きために集まられたら良いなあと思う。
13日(金) 今日は娘の卒業式だった。心温まる卒業式でとてもよかったと思う。子どもたちはそれなりのパーフォーマンスを行い、その能力の応じた良い指導だったと思う。あっという間に卒業式は終わり、写真を沢山撮って帰ってきた。夫は午後から仕事に出るという。この前、娘と私達夫婦の3人で食事をしたので、今回は食事会はなし。家の戻ってありあわせの食べ物で昼食。

私は午後遅くにサピオへ。日のある内にサピオでトレーニングをしていると、私はなんて贅沢をしているんだろうと少し嬉しい気持ちになる。今は、春休みで学生さんたちが大勢練習に来ている。花粉症の私は外で歩くのも怖く、ここで1時間のトレーニングデ済ます。最近は外で食べる事が多い。だから、太り気味である。特に夫は今日から3連荘で宴会だ。なんだか、可哀想に思える。おいしい物を食べるのは好きな人だが、沢山食べるわけでないから。

夕食を作って食べた後、コンピューターに向かい明日の西中学校の卒業式でのあいさつ文を書いた。前のを参考にして、もっと短くした。息子と夫が聞きたがったので、書いたあいさつ文を読んだ。下の息子は何の感動もないらしく冷めたものだが、お兄ちゃんと夫はしっかり聞いてくれた。明日、どの位中学生の胸に言葉が届くだろうか。
12日(木) 今日は忙中閑ありの日。いろいろ考えていたが、行革特別委員会を傍聴するのをやめた。また、午前中はホームページの更新などで手間がかかった。午後からは図書館で本を返して、その後であれこれと考えていたが、図書館でばったりと、まるで示し合わせたかのように街づくり推進部の部長はじめ西口開発事務所の人たちとあったので、工事のをようす視察かたがた一緒に見た。思った以上に大係りの再開発であること、しかし、市民広場などは思ったよりも小さそうなだった。今年は狭山市は工事ラッシュで、PFIで給食センターを2棟つくり、3本の橋の架け替えがあり、調整区域での下水道工事やこの再開発もある。これらの事業が終わると狭山市は日が消えたように多き案事業がなくなっていくような気がする。まあ、100年に一度の経済危機の中で大型事業が毎年のように進められるわけがないから、仕方がないのかもしれない。

夜は少しくたびれてサピオにも行かず、家にいた。気力は充実しているが、毎日のトレーニングは身体に応えるのである。
11日(水) 今日は午前中委員会。上下水道部の補正予算、決算関係である。その後、鵜の木の給水タンクの更新のことで所要事務調査ということで、視察の後、また委員会。眠気に負けずに頑張った。タンク更新の決定をしておきたいようである。まあ、今回は、また調査から始まるのである。前の計画があまりにもバブリーであったから、きちんと調査し計画するべきである。まあ、国の基準も変わり、補助金も出るようであるから、その補助金を貰うような計画と算段がいると思う。タンクの更新は必要かもしれない。それにしても、あのタンクのさびをどうにかしたら。わざとペンキを塗らないで、更新が必要ですというパーフォーマンスに思えるのだが。

その後、サピオに行った。昨日のトレーニングの爽快感がわすれられなかった。それに、今日は珍しく建設委員会の懇親会があるので夜までスケジュールが入っていて、夜にはサピオへ行けないことが分かっていた。懇親会は2時間でおしまい。おいしいお刺身と中国4千年の歴史的飲み物ウーロン茶を5杯も飲んで帰ってきた。

帰ってみたら、息子がアメリカから帰ってきていた。時差と風邪のために寝てしまっていて、しゃべられなかった。大きなスーツケースを3つも持って帰ってきた。買出し部隊だったのだ。あす、スーツケースを開けれるのが楽しみである。
10日(火) 今日は、朝から委員会。気合は入っていて、街づくり関係の審査である。まあ、昨日の午後からまた1勉強したわけだから、分かっているけれど、やはり公の場所で聞いて確認を取らなければならない。自分のための好奇心のために議会をしているわけじゃない。勉強をするのは良いけれど、これが事前審査ということになってはいけない。このことが本当に気になるところなのである。

なんだか、身を削って仕事をしている感じだ。「もっとのんびりする事が出来ないのか」と思うのだけれど、市民の付託を受けている以上出来る限りの事をしようとしてしまう。「だから何?」って言われるかもしてない。私のしている事なんか何の意味もないかもしれないと思うと自分の存在の意義すら考えてしまう。徒労でも一つ一つを真面目に掘り返そうと思うのだ。本質にどの位切り込めるかが問題で、そこが一番の悩みだ。頭が悪いからねえ。

私のいい所は心がいいところかな。これもイエス様にしたがっているからこそ、そんなことがいえるかなあ。(人の評価は別ですがね)悪い所は顔と頭って言っているんですけれど。これは仕方がないので、お化粧と誠実さでカバーしよう。

委員会は午後まで続き、5時過ぎに帰ってきたが、途中サピオによってトレーニングをした。体が鈍っていて、汗が一杯出る。この爽快感が癖になって辞められない。
9日(月) 今日は建設委員会審査。ゆっくり時間をかけてやっている。よく分からない答弁に振り回された。理解不能なのだから仕方がない。「高橋、勉強して来い」と大島さんに言われたが、本当の事を言ってあなたにはそんなことを言われたくはありませんよという感じだ。

とにかく審査は午後2時半頃まで続いた。私はその後、家に戻り、必要な事をしてから、また役所で1勉強。六時半過ぎに帰ってきた。買い物をして家に戻ってご飯を食べ始めたら、息子から電話で迎えに来いという。あ〜〜あ、今日は夜にサピオに行きたかったのだが、息子を連れ帰ったら8時を回っていたので、サピオはなし。HPを更新して、少し早めに寝る事にする。する事は山ほどあるけれど、体力と気力が続かない。

今日、「議会事務局の職員に議員は大変ですね。」と言われたが、「市民の方はそういうのが分からないのよね」といったら、「何をしているか知らないからですよね。」とのこと。議員の仕事は本当に大変で、肉体的によりも精神的にくたくたになる。それに、家中を振り回す事になる。今は、狭山市議会の右傾化がとても心配なのだ。私は無所属でひとりで議会にいるので、議会内では無力にと等しい。今回、政治倫理規定を作るとのことなのだが、一見なんともないように見える規程に言論の自由を縛るものがある。嘘を書いてはいけないという項目なのだが、嘘か真実かは審査会では分からない。嘘かどうかは多数決では決められない。任意の委員会では審査権もない。この一文はとんもない混乱と言葉狩をもたらすだろう。本当に危ない。私は、インターネットでいろいろな政治倫理条例や規程を調べたが、この一文を入れた市のひとつもなかった。なぜなら、問題が多いからだと思う。これは、入れてはいけない文言だろう。

また、逮捕された時には報酬を一時棚上げしたり、無報酬とする条例を出すそうだが、不当逮捕などのこともある。政治的なものが見え隠れして、拘留が長引く時もあり、そんな事を思う時に、一見矛盾のない逮捕時の報酬カットを黙ってみているわけには行かない気持ちなのだ。

一見なんともない文脈の中に、結局自分達の首を絞めることになる事がある。この倫理規程では議員が議員を違反として審議してもらえる機能がつくが、自浄努力とはいう意味ではなく議員間の抗争の手段としてこの規程が使われることが必至だろうと思う。私は、こんな規程をもうけない議会の方がずっと言いと思う。では、なぜ必要なのか。何のために作るのか。本当に自分の無力が嫌になる時は、こんな途方もない条例や規程が何のためらいもなく導入されるのに、抗議の声しか上げられない自分である事である。とにかく、抗議の声はあげなければ・・・・
8日(日) 今日は、朝礼拝。午後友達とランチをともにした。その後、尾崎豊の墓へ。彼の墓地の近くで食事をしたので、寄った。いつものようにお花が綺麗に上がっていた。素晴らしいカサブランカという大きなゆり。その隣に桜の花が1本。菊の仏花も1そろい。線香はまだとぼっていた。何をするのでない。いつもただお墓に行って、しばしお墓の大理石を見ているだけなのだ。ちょっと、心の中で尾崎に話しかけてみたりしながら。大抵は、尾崎は救われなくてかわいそうだったね。というような事を語り掛ける。

ブックオフによって安売り中のCDなどを買ったが、その足でサピオに行き、トレーニング。汗をかいてとても気持ちが良い。特に、明るい中でトレーニングするのは気分のいいものだ。いつも、8時過ぎに出かけて、せっせとトレーニングを済ませて帰ってくるものだから。

夕ご飯を有り合わせで食べて、私はHPの書き込みを済ませた。とにかく、書きたい事は山ほどあって、また、書かなければいけないことも多くて、2時過ぎまでかかって書いた。よかったと思う事は、少し時間がたっているので、感情的でなく冷静に記述できたかなということである。事実関係をあまり書かないから、読んでも分からない人も多いかもしれない。書けないこともある。書かないこともある。書きたくないから飛ばしたところもある。なんだか、議会が悪い方へ悪い方へと流れていっている気がしてならない。そもそもご立派な議会ではなかったが、それでも近頃の荒涼振りから見ると、これではいけないと思う。
7日(土) 今日は土曜日。朝からHpの更新を始めた。原稿を書いているというか、書き込みをしているわけだが、記憶もついていかないほど、頭がいっぱい一杯だった。メモを見ながら思い出したが、多少不正確もある。昨日寝ていなかったから朝9時ごろまで寝たのだで、午前中はあっというわ間に終わった。1時過ぎに用意して、2時からの男女共同参画講演会に出かけた。樋口恵子先生のお話はいつもためになって、それでいて楽しい。大学の先生らしい基礎知識とウィットに飛んだ挿話がマッチする。終わってから、少しお話しをした。樋口先生とお話しするのは初めてだったが、何しろ私の友達は樋口先生ととても親しいから私としては昔から先生を知っているかのような思いなのである。

先生の話では近代になって日本の3度目の大改革を今しも迎えているのだそうだ。明治維新、敗戦、そして今。こういう混乱期では、変革を進める勇気と、変わらないものを受け止める冷静さと、それを見極める知恵が必要だそうだ。今こそ、男女共同参画社会を作り上げ、日本を活性化するしかないと先生はおっしゃるのだ。明治維新は、男性を身分の束縛から自由にした。敗戦では軍国主義から民主主義へと、死ぬための人生から生きるための人生へと人々を変えた。今度は男女が協働して共同して社会をつくるような世界観を持たなければ日本の活力は失われるというのだ。

昔はいいという人がいる。しかし、昔を知っている者は昔なんかに戻りたくないという。束縛だけが多い社会に誰が戻りたいというのだろう。束縛が少なく、人を隷属する事ができた階級の人だけがそんなことを言えるのだ。

おわってから、カルフールに買い物に行った。帰ってきたら、なんと六時半を過ぎていた。ご飯を作る気力もなく、夫と娘と3人でお友達の経営する蕎麦屋に行き、あれこれ食べた。なんだか沢山サービスをしてもらった。娘が洗礼を受ける事になったので、そのお祝いもあった。友達夫婦もその娘も皆で喜んでくれた。私も嬉しいが、喜ばれると娘も嬉しそうだった。帰ってきたら、結局9時近かった。

珍しく、土曜なのにも係わらずサピオにも行かず、一気呵成にHPを書こうと思うが、なかなか進まない。
6日(金) 一般質問3日目。まあ、私の一般質問は可もなく、不可もなく。初めて、私の質問に「そうだ」なんて声が掛かったのには驚いた。私の質問の前に20分の休憩が入り、そのためにかえってすこし緊張してしまった。58分を使っての質問。いつもちゃっちゃとは終わらない。答弁が、歯切れが悪いのが気になったが、まあ、結論をすぐに出せるような簡単な話をしているわけでないので仕方がない。

私の後は田中さんの一般質問だった。かなり新聞記者が入っていた。内容はパワフル。よく調べていた。しかし、議長の議事進行がよく分からない。自分が許した質問を休憩を取ってそれで良いかを議運にかけたのだが、問題がありそうだったら前もって何とかできないものか。 とにかく、時間だけがかかった馬鹿馬鹿しい休憩の取り方。うんざりである。よく説明もされないから、何で休憩を取ったのかも分からなかった。それで、議運を傍聴したのだが田中さんの質問が市長の行政事務上の話だったのかという事で、馬鹿馬鹿しくなって部屋を出た。そんな事は議長が通告の時に田中さんに確認しておけば良い事だっただろうに。何も、質問の途中に休憩を取って、議運で話し合う事だったのだろうか。

ところで、私にはよく考えなくても、市長の答弁は分かっていた。法律に触れないようにするには、あの答弁しかない。田中さんだって、爆弾を落とした後に、どのように破裂するか考えていただろうから、あのような事しか考えられなかっただろう。それにしても、よく調べていた。

良いかどうか、好きか嫌いかはあると思う。田中さんは今回の件に関してはジャーナリスティックな観点でたくさんの資料を駆使して質問した。彼は市長を追い詰めようとすれば出来たかもしれない。でも、そっと逃がしてやったのかとも思う。後は、警察に任せようという事だったのだろう。下手したら、市長は公職選挙法に引っかかるかもしれないからである。でも、市長が選挙費用や政治団体の収支をきちんと調べ上げて、訂正をしたら、それでよしとなるかもしれない。その点、私にはよく分からないけれど、市長が言えることは会計責任者ときちんと調べてみるという事だっただろうし、市長はそう言った。

最後の質問は中川浩さんの質問。なんだか、もったいぶった質問だったがどれもこれも因縁をつけたような感じだ。どうして、そんな風に聞こえのだろうか。確かに時には共産党さんも嫌味だなあと思うことも言うし、私だっていい加減起こった時には嫌な物言いもしてしまう。しかし、今回の中川さんの質問は初めから終わりまで自分の考えの開陳で、それに従わない行政は馬鹿だ悪だ感性が鈍いとでも言うかのようだった。

例えば、彼は何をとち狂ったのか、今の不況下では財政を緊縮するべきだと考えた。だから、西口の事業はやめて、人件費は縮減させ等という。基金を取り崩し、借金をしたのがいけないかのようにいう。しかし、どんな人が考えても今始めた西口の再開発を途中でやめたほうが経済に影響が出るに決まっている。機構が地元の業者を使わずにいるようなプロジェクトは意味がないという。でも、地元に出来る仕事と出来ない仕事があるのを彼は知っていて言うのだ。こんな大きなプロジェクトは地元だけでは出来ないのだ。それに、あまり地元地元と狭山市が豪語して良いのか。狭山市の大きな法人税は狭山市民が出したのではなく、海外や日本の隅々の人が狭山市で作った商品を買ってくれたからこそ入ってきた税金なのである。入るのはどこからでも、出すのは狭山市の業者にだけなんて論理は通用しない。自己中心な狭い考えでは狭山市のようなグローバル経済のもとに税収を得ているところは成り立たない。

人件費の縮減は良いだろうけれど、労組と話し合いが必要なのにおいそれと地域手当をどうにかすると明言できないでしょ。それに基金を取り崩す事がそんなにいけないことか。何のために130億円もためたのか。西口のためでしょ。だったらそれを使えばよい。何も基金に手をつけないために、変な緊縮財政にしてしまわないほうがよいに決まっているのである。今回の予算ではサービスのカットもなかった。さすがに5%シーリングはあったが、市民の負担になるような事をしなかった。この大変な時期に、今までの好況のときの蓄積を少しづつ取り崩し、時間を稼ぎながら対策をする。私は、市長のこの不況への姿勢は評価できると思っている。すなわち、私が市長でも同じようにするだろうという事である。

臨時財政対策債を借りたのがいけないみたいな言い方を中川さんはした。でも、彼だって狭山市が好きで借金をしているのではないことを知っているだろう。財政的には狭山市は臨時財政対策債なんて必要なかった。自前でこの何年もの間進める事はで来た。でも、政府の命令で仕方がなく借りていたのだ。だれも、こんな経常経費のお金なんか駆りたくもなかった。だから、それを使いながら基金を増やしたのがいけなかったというのか。借金があることがいけないという物言いは考え方の相違だとしかいえない。誰も借金しない方がいいとおもうだろう。でも、今の経済は借金もお金を回す方便であることを大人は知っている。まさか、債務超過になるほどの借金をするべきでない。でも、それで利益を上げている人もいるし(金融関係者)、また、事業により恩恵を受ける人もいる。特に、行政の場合は、家庭の場合とは違い、不景気の場合はお金を使わなければならない場面も多い。

中川さんは何が言いたかったのだろう。何を市に言わせたかったんだろう。1時間、嫌味の言いたい放題(に聞こえた)を市にいい、部長が少しでも中川さんの物言いに不思議な顔をしただけで、それをあげつらい、自分だけが正義かのように休憩をとって答弁の言い回しを代えさせた。だから何?結局、いつか中川さんが(自分のことを言ったンだと思うけれど)、行政が自分の提言を聴きもしないから議員は意味ないのだといった。彼はその壁の前でいらいらしていたんだと思う。でも、私はいろんな意見のある時に、すべてが自分の思うようになるわけがないと思う。この世界にいれば、時間の進み方がとてものろいのも事実なのだ。決定するには会議も開かねばならないし、大抵その前に計画をしっかり作らなければならない。たとえ、意見がもっともであろうともすぐに返事は出来ない事もあるのだ。

そんなこと中川さんも14年も議員をしていれば分かっているはずである。彼はごねているのが立派な議員だと思い始めたのだろうか。まさかねえ。なんだか、中川さんは何かにあさっているように思えて仕方がない。議員の中からの疎外感だろうか。確かに、だんだん中川さんは議員の中で信頼を失ってしまっているかのようだ。自分と思いは違うのだろうが、この前の彼が説明した議員提出議案にしても空しいパーフォーマンスのように他の議員達には思えてしまう。中川さんが本当に狭山市の市民、行政にとって意味ある行動をとっているように思えないのだ。いろいろな議員がいていいわけだけれど、なんだろうなあ、このぎすぎすした議会は。何処の議会も、こんな風なのだろうか。

何かがおかしい。じりじりと変な思いがしていて、狂ってくる。議会を何とかしなければならない。
5日(木) 一般質問2日目。今日も6人だから、時間が掛かった。私は睡眠時間が2時間だったから、眠くて仕方がなかった。それでも、明日が自分の質問だから神経が高ぶっていて、居眠りすら出来ない。一般質問がおわってから、原稿を出してからの打ち合わせ。今回は、予算の勉強に時間をとりすぎて、一般質問が深くないような気がする。

とにかく、入曽駅東口に関しては、徹底的に入曽駅東口開発事務所長と意見が対立している。彼は区画整理事業をしたいというが、私はアクセス道路と駅前広場を作れば良いので、区画整理事業は延期しろというのだ。いつまでたっても平行線で、これはこれで仕方がないだろう。事実上は、区画整理事業の都市計画決定を延ばした。計画を取りやめて、アクセス道路と駅広だけにすればいい。

等など、いろいろヒアリングで自分の意見を取り入れるように説得したりするのだが、対立した考えを所長レベルで返答ができるわけもない。また、時期的に私が自分の意見をいう事が出来ても、ああ、そうですかといえるわけもないのを分かっているから、対立は対立のままだ。いつか結論がでるのだ。大抵、皆は私のいう事が妥当だと知っているから、大なり小なり、遅かれ早かれその方向に行かざるを得ないのだろう。それにつれても、今回は自分の言いたい事を言うだけで、自分の施策がきちんと取り入れられるかどうかは、分からないなあ。

すなわち、どの応えも検討しますという玉虫色というか、行政用語でしませんという事かと思う。後からの、フォローが絶対必要である。
4日(水) 一般質問1日目。6人の質問を聞いているのは、とても大変だ。昨晩は、なんだか酷い徒労感に襲われて、帰って食事をして、寝てしまった。だから、今日こそ一般質問の原稿を書かなければならなかった。実際に取り掛かったのは、夜9時。終わったのは5時半ごろ。勿論朝。2時間ぐらい寝ることが出来た。でも、ふらふら。朝方、メールで原稿を送っておいた。始めは一杯書いたが、最後は質問の趣旨だけのような原稿だ。だって、もう朝方は疲れ果て、考える力がなくなってしまった。読み返しても、これでよいのか分からないから、第1稿として出した。
3日(火) 今日は、朝から質疑。歳出だから時間が掛かる。これは仕方がないだろう。予算議会なのだから。

一応質疑が終わった後、議員提出議案が出された。中川浩さんら(大島、田中議員が賛成者)が議員定数を18人と6人も減らす議案を出した。今回は提案者の中川浩さんから提案理由が述べられた後、質疑された。年長者の何人かと議会運営委員会の委員(ここに議案が付せられるから質疑は委員会でするので、議場での質疑に加われない)が質疑に加わらなかったが、ほとんどの議員が質疑した。全く、議員の人数を減らせば、議会が活性化するというのは嘘である。人数が少なくなれば不活性化する。24人が話すのと18人が話すのとでは24人の方が多くの意見が出る。中川さんは選挙が激戦になるので、活発化するというが、定員18人で18人しか出なければ激戦になりようもないので、数の問題が選挙を活発化するわけでもない。行革になり、お金が掛からなくなるというが、本当に議員を減らして減らしてチェックが甘くなれば、議員の数を減らした以上に問題が出てくるだろう。

今以上に民意を反映したものにならないだろう。だって、多くの人がいるからこそ、いろんな人の声を救い上げられるのだ。神様でないから、一人ひとりの議員の力量は決まっている。代表する政党があれば、その政党の意見に従うのが普通だ。議員が少なくなれば少なくなるほど、組織のバックを持たなければ立候補すら出来ないだろう。私のような、純粋無所属は当選できないだろう。自分が当選できないから反対するのかといわれれば、そうですよと言う。私のような、何の団体からのしがらみのない市民派の議員は、市議会レベルの議会には絶対必要だと私は思っている。そういう人が議員になれないような議会ではきちんと行政を市民の目線でチェックできない。

民主主義というのは、人民が自分達の政府が自分達の思うことを思うようにしているかをきちんと自分達でチェックするためにあるのだと思う。それをないがしろにしていると、いつの日がまたぞろ昔の幻が軍事を使ってやってくるだけだ。市民が自ら選ぶ議員が何をしているかをよくよく理解し、それをサポートする思いが必要ではないかと思っている。

議会が終わったのは5時を過ぎていた。芯から疲れた。中川さんと他の議員のやり取りで、中川さんの詭弁と問題のすり替えにいらだった。自分の高ぶった感情を押さえるのに苦労した。最後は、あまりにも意味のなさない中川さんの答弁を聞いていて、馬鹿馬鹿しさが先にたってしまった。かえって、質疑などしないでさっさと委員会に付議してしまったほうが、馬鹿馬鹿しい答弁を我慢していたよりよかったと思った。彼は自分が何をしているか分かっている。自分の行っている事が意味を成さないことも分かっている。そんな人に真剣な議論を吹きかけても、誠実に答えないのだから、だから、馬鹿馬鹿しくなったというわけである。
2日(月) 今日は朝から質疑。歳入までだが、一応調べたとおりに質疑をしたが、なるべく最後に手を上げるようにして、多くの議員が質疑に加わるようにした。それにしても、私が質問をするとがたがた言っていた議員達もあきらめたのか、質問をするのは当たり前だからか静かになったものだと思った。明日の議案の質問を確認しようとしたが、頭が本当に動かない。きっと大切なチェックもあるのだろうが、後は他の方にチェックしていただくしかない。自分の限界にくよくよしても仕方がない。もっと、素晴らしい質問をする人もいると思う。それは仕方がない。だからこそ、24人の議員がいる。私一人では背負えない議会というものだ。
1日(日) 今日は午前中に礼拝。午後から急いで帰ってきて食事をした。今日もサピオへ。気分転換のつもりだったが、4時過ぎに終わり、サティーに行き買い物を済ませたりしていたら、あっという間に夜。

夕食を食べてから議案が不安なのでもう一回質疑の場所を確認した後に寝ることにする。緊張感がまたまた高まっている。
28日(土) この日は、議案とにらめっこで質問を考えていた。もっと頭が硬直した状態でないのならば、数字がいろいろな事を教えてくれるのだが、もう何も考えられない状態で、メモしたものの中から市民に知ってもらわなければならない事だけを抽出して質問にするようにした。

それでも、今日はお休みなのでサピオへ行く事が出来た。汗をかくと気持ちがとても良い。
27日(金) 今日こそ、役所に行くのはやめようと思っていたのだが、結局午後からのこのこ出かけた。少なくとも、月曜の質問をきちんと整理したかったのだ。しかし、一般質問のヒヤリングもきちんと終わっていないから、いろいろと話し込んでしまった。あ〜〜あ。どうしよう。

夜は疲れすぎて、サピオへもいけなかった。
26日(木) 議会2日目。歳出の所からの説明で、午前中に終わった。でも、午後にはヒアリングと勉強と整理。頭がパンク状態では、鈍い。結局帰りが遅くなってサピオはむり。だから、入間の湯でのんびり。のんびりしようとしているが、頭の興奮状態は1,2時間のリラックスではどうしようもない。お酒も効果がないほどだ。
25日(水) 議田と会が始まった。9時からという事であったが、いつものとおりに、代表者会があり、全協があり、始まったのは9時を大幅に過ぎていた。今回は議員提出議案があるというので、それについては明日という事だった。一般会計予算の歳入までの説明が午後まで掛かった。その後、教育委員会がきたり、消防が来たり、農政がきたりで大忙し。一般質問のヒアリングなんか、大幅に遅れていて何もしていない状態である。は〜〜〜、忙しい。5時過ぎに帰ってきた。だって、頭が働かないから、今までの勉強の整理が出来ない。

サピオにもいかれないで体おかしい。頭が痛くて、その上首が回らない。仕方がないので、入間の湯で、マッサージをしてもらい、垢すりも頼み、岩風呂にもはいり、ぼ〜〜〜と3時間過ごした。マッサージをしてもらった時に、頭がゆっくり温かくなるのが分かった。血が回るようになったんだろう。16日以来、ずっと走りとおしているかんじだ。
24日(火) 今日は9時半から総務部、午後は他のヒアリング。でも、次々にいろんな人が来て、勉強に明け暮れ、終わったのは10時過ぎ。最後にはもう何も頭に入らないくらいになった。夜帰ってきたが、疲れてしまったが、おなかがすいてがばがば食べて寝た。一日中、予算書とその話だけで、神経が立っていて、頭に何も入らない。とにかく、すべてを勉強に入れあげている。
23日(月) 午前中は養護学校、理事会。午後は福祉部の予算勉強会。帰ってきたのは9時過ぎである。ファイトが沸かない。何を言われても、わからない状態で、約束したはずの事すら覚えがない。一杯一杯というのはこんなことだろう。

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