私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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6月 私の独り事
30日(火) 今日も駄目だ。書けないというか、書かない。とにかく会計をどうにかして、これをネットニュースにのせなければと思うが、加工にも時間がかかりそうだと思うと、データの前で立ち竦んでしまう。ほ〜〜。とにかく、出来ているすすむ会と政務調査費をネットニュースにのせられるように加工しなければと思う。ほ〜〜〜。進まない。勧めない。

原稿を書くにはコンピューターの前にいなければならない。そうするとあれこれネットを見始めた。これがいけない。それに、おやつにも手がではじめた。これではいけないと思うのだが・・・・インクが届いたので、残っていたものを印刷した。

午後から議会へ。その足で議会レポートを役所の中で配って歩いた。人はどのように読むか興味があるが、ある役人によると「高橋さんは自分の道を歩いていますねえ。」という。まあ、いつも言うようだけれど中道というのは、右から見れば左、左から見れば右という事だと思う。自分の道を歩く自由さを持ち合わせていることは嬉しい。その分、失ってしまう事も多いのだけれど、どちらが自分にとって大切かといえば自分の思い通りに言い、且つ行動できることを捨てられはしない。それしか出来ない。
29日(月) 今日は、朝から仕事をと思っていた。ネットニュースをどうするかなのだ。する事はあるが、構想が湧かないと取り掛かれない。困ったなあ。そんなこんなで、家事をこなし、良い天気にも係わらず外にもでず、家にいた。勿論、こんな時はくだらない本も読んだ。

週末がいろいろあって、心がストライキかなあ。考えてみると、先週の火曜日も議会が終わり、燃え尽きていたものな。(今ビリージョエルのアルバムを聞いている。ビリーの若い頃の録音らしく声が若い。そして、その声が尾崎の声に聞こえるのはどうした事か。今はMY LIFEを聞いているのだが、この伴奏のどこかに尾崎の楽曲の編曲が聞こえてくる気がする。きっと、尾崎は自分の曲のどこかにこの感じを取り入れたかもしれない。それだけじゃない。尾崎は自分の思うことをこんな風に言いたかったんだね。ビリーやアメリカの人たちが自分を歌ったように、尾崎も自分を歌いたかったんだ。自分をね。)

よる、お好み焼きをしこたま作ってから、サピオへ。たくさん機械が入っていて、驚いた。人も多かったが、幸い歩く機械が開いていて、歩いた後にはエアロバイクが開き、汗だくだく。1時間20分ぐらいで、シャワーをして帰ってきた。途中で、ツタヤにより、CDを借りた。

最近、自分はきっと日本人らしくないのかもしれないと思う。アメリカ人の妻で彼とは波長がぴったり。彼が私にあわせてくれているのだろうが、違和感がない。私は彼を愛しているし、彼も私を愛しているんだろう。彼のためには何でもしようと思う。それが愛するという事なんだろうと思う。彼は私をいとおしむ。聖書に書いてあるように。そんな風に私達夫婦はある。もっと向かい合えばいいかもしれないが、今の所自分の距離の外で、愛し合っている。そんな風であるけど、何かがあったら自分を投げ打っても彼のためにと思う。

仕事。頑張ろう。空っぽの自分を埋めるには、しごとしかないのかもしれないし、空っぽにしているのは仕事を入れるためなのかもしれない。だから、仕事を頑張ろう。
28日(日) 今日は、朝ゆっくりと言っても8時に起きた。窓を開けたら、緑が美しかった。日差しがあるわけではなかったが、雨も降っていない。ソファに腰掛、また、リクライニングチェアに腰を下ろして窓から外を見ると、緑だけしか見えないから、まるで自分が木の上にいるか、空中にいるような気がする。夫も、最近は中間管理職で気も心も疲れているのか、別荘でとても癒されるらしい。

昨日、穂のかの湯の帰りにコンビニで買ってきたヨーグルトとおいしいコーヒーで朝食。水がおいしいからコーヒーがとてもおいしい。でも、礼拝があるので野沢福音教会に急いだ。それでも、少し遅刻。

終わってからいろいろな方とお話をして帰ってきた。ご老人がなくなって、今日、納骨式だという。12月31日になくなったというので、「全く切りの良い方でした」というのは、あの方らしいともいえるかな。95歳までクリスチャンで礼拝を守ったというのだから凄いよね。彼女のお連れ合いも90歳まで一緒に礼拝に来ていて、あっという間になくなった。最近、長野県のぴんぴんコロリ政策にあこがれてしまう。

午後は、別荘においていた服がかびていたので洗濯をしたり、本を読んだりしたが、夫が4時半頃から草刈をするというので、私も枝きりに励んだ。自然との対決です。私達は、一月に1回ほどしか別荘にいけない。お草さま、木々の方々の好きな放題です。あっという間に、庭はジャングルに変身し、あの細い木は大木へ、一本の幹は何本もの枝を伸ばしと手がつけない状態です。本当に、自然の中で暮らすって大変。正に、私達が自然へのインベーダーなので、吐き出されそうです。自然は凄いわ。負けそうです。

夜、暗くなって見えなくなったので庭弄りというか、格闘をやめざるを得なかった。昼の残りで夕食をすませた。帰りは出発が9時半になってしまった。ETCを取り付けたので、半額程度で帰ってこれた。1万5千円もしたETCだが元は取れそうである。
27日(土) 朝、起きて息子が8時までに学校へいくというのでご飯を食べさせ、さあ出かけられると思ったら、昼食がいるというので、ツナサンドを作ってやってようやく息子を学校へ。その後、急いで印刷を始めた。ところが途中でインクが切れた。それで、しょうがないから出来た分をもって新聞屋へ。急いで、あちこちに回っていったが、皆優しい。勿論、私はお客だからだが、それにしても10年もたつと働いている人とも知り合いになって、嬉しい。ありがとう。

その後、リサイクルセンターへ。ちょうどその時、知り合いの方がいて、久しぶりにお話をした。リサイクルセンターでの講座がいつも人で一杯だと聞いていたので、おめでとうといった。彼女は経費が掛かるのに、委託料にそれが入っていなくて困るといっていた。まあ、少しは出るんだろうけれど、思っていた以上に盛況だから大変なのだろう。

そこで、この前当たった箪笥のお支払いして家に持ってきた。2階の娘の部屋に運び入れて、ほっとした。

その後、聖望学園の地区集会のために柏原まで飛んでいった。夫も一緒。そして、おいしい昼食をいただいて、いろんな話しが出たのを聞いて帰ってきた。PTA会長とも話をしたが、誠実で実行力がありとても感じの良い方だった。聖望学園が良い学校になる事を心から思っているのが伝わった。私だってそう思っているから、同志だ。聖望学園の保護者は熱い心があるのが素晴らしい。

あっという間に、4時を過ぎ、この分じゃどうしようと思ったが、やはり別荘に行く事にした。疲れを癒すためにいくのだが、本当に行く前までに疲れ果てた。ブックオフにより、食事をし、穂のかの湯に行ってから別荘へ。
26日(金) 今日は、朝から紙を買いに出かけた。印刷の日だからだ。(今、フジコさんのピアノ、ショパンのノックターンを聞いている。なんて心にしみるんだろう。同じ曲を何べんも聴いているけれど、この人が引くと痛みとともに嘆き悲しみ苦しみが聞こえてくる。涙が出そうになる。これが芸術かもしれない。天才なんだね、ひとつや二つタッチにミスがあっても感動は消えないものね。)

紙がそろって、印刷に掛かった。インクがなくなり、スペアのインクを使い始めたが、続かないだろうと思う。それで、電話を掛けたが時間が遅くなって火曜日にしか届かないそうだ。どの位印刷できるかが心配だ。

結局10時半まで印刷をした。家中を閉めて音を出さないように気をつけた。仕事をしながら、尾崎のDVDをみた。じっくり見ると感情移入をしてしまいすぎるので、何かをしながらじゃないと見れないのだ。尾崎の歌詞にいつもおそれいってしまうのだが、一つ二つ発見があり、そうかなんて思いながら聞いている。
25日(木) 今日は、朝からずっと原稿を書き、それを校正してくれる友達にファイルを送り続けた。最後は、夜8時前にファイルを送り終わったと思った。10時半ごろ、体育館のトレーニングから帰ってきたら、最後に送ったファイルが古いほうのファイルだったようで、最後の原稿が入っていないとの事。え〜〜〜。いろいろ探したが、削除したみたいで書き直し。は〜〜〜。

今日は、あるところの内部告発2件。気持ちが暗くなる。
24日(水) 今日は、朝からずっと原稿を書いていた。原稿を書くために、ひとり言をまとめたりした。飽きてしまう。で、くだらない本をよんだりもした。でも、結局一日中、コンピューターの前に座り、煮詰まりながらも書き続けた。前に書いたものを読み返しては、直したりしている。時間を置くと書いたものが陳腐に思えたりもする。だから、原稿を一気呵成に書いてはいけない、少なくとも後で見直さねばと思う。
23日(火) 今日は、朝皆を出して、さあ仕事をと思ったら、夫から電話。現場に直行した。事故のような、事故でないような。全く気分が悪くなる。双方が悪いのだろう。あ〜〜〜あ。警察を呼んで事故処理にしてもらい、後は弟に処理を頼んだ。

これで、私の原稿書きの気分は飛んだ。原稿って気合というか気分の煮詰まりというか、そういうのがないとできないのである。それが、事故処理なんてなるともう戻れない。息子が風邪のため医者に行ってから学校へ行くというので、診察を終えた息子を学校へ送ってやり、帰りにブックオフによって帰ってきた。もう、これで午前中は終わってしまった。

午後は、気持ちが乗らなくて、仕方がないから図書館に本を返しに行き、ついでに弟に税金を送り、帰ってきたらもう夕方。図書館では、久日ぶりにぼうっと雑誌の小説を読みふけったし、勝海舟のことを読んだ。勝は狡猾かもしれないが、福沢諭吉のような気分の悪い奴でない事は確かだ。確かに勝がやせ我慢などをして江戸を引き渡さなかったら、日本は植民地に去れていたかもしれないと思うと、福沢諭吉の評論家としての下世話さが嫌になる。それだからどうも私は慶応義塾が嫌いだ。
22日(月) 今日は議会。9時までに行き、悩んだが反対討論をすることにした。この前にHPに書いたことを丁寧な言葉と当たり障りのない言い回しにして原稿を朝に作っておいた。それでも、誰かが聞き及んだのか、反対討論をするのをやめろといわんばかりの圧力があって、悩んだが討論した。仕方がない、こういう考えもあるのさといいたかったし、議会では反対者もいたことを世間にアピールする必要もあった。勿論、継続審査にしたい気持ちが分からないわけでは全然ない。しかし、継続にしたところで条例の骨子が変わる事はあるまい。だったら、後の規則のつめ方を議会であれこれ言うだけでよいのではないかと思う。

「そもそも公共駐車場とは」から始めてしまえば、もう、何回審査をした所でキリがないと思う。意見の相違はたくさんあるだろうからね。私は、訂正した表現を使えば、あの議案で止むを得ないと思うのだ。月ぎめ駐車場を作らないように、条例を訂正させる?それは非常識だと思うけれどねえ。だって、それを前提に作った駐車場なんだよ。

反対討論には休憩が入り、まあ間違った語彙があったので、訂正した。その後、あんな反対討論をするとは委員会を侮辱しているというのだが、自分の意見を言えない反対討論なんかないわけで、自分達と同じ考えでなければ許せないというのはいかがかなあ。考えを述べ、はっきり自分の立場をさせるのが反対討論の意味を私は確認のうえ、討論しているんだから、考えを述べるなというのは非常識極まりないのだ。委員会を傍聴していないんだから、聞き及んだ事を言うのはという事だから、まあ、聞いた人にも迷惑が掛かるかもしれないと思い、そのところを削除する事にして妥協をした。本当に、妥協なのである。本当は、何を言っても意見の相違は仕方がないで突っぱねればいいんだが、今日はあまりにも議会が遅くて誰もがうんざりしていて、私も議事運営に協力してしまった。

まあ、私が削ったところは委員会が継続審査にしたのは執行部の説明が酷かったからという事で、一定程度、委員会の判断にも共感を持っているというところだったのだが、私の共感なんていらないというのであれば、いいさ、本旨に触らないところなんだから削除しようというのが、私の妥協点だったわけだ。まあなあ。「高橋さんは丸くなりましたね」という声があったが、気分は良くなくても仕方がない。

急いで帰ってきたが、7時を過ぎていた。手巻きすしを食べてから、急いでトレーニングへ。汗だらだらだが、気持ちよかった。
21日(日) 今日は、朝10時から池袋で予備校の保護者会があった。息子は真剣に勉強をしなければ、合格できまい。12時半まで池袋にいて、急いで神保町まで。明治大学のタワーでWWN主催の国際フォーラムに参加した。

前半の基調講演はCEDAWの委員がなさった。分かり憎い英語。とにかく、単語が難しくて、一度文献をみて、必要な英単語を覚えているべきであった。想像で話を聞いていたが、批准という英語のつづりを一々頭に描いて聞いていたが、それが正しいものが思い出せず、最後までいらいらしていた。女性差別撤廃条約はtreatyではなくcomvenrtionらしい。このつづりも正しいかなあ。駄目だね。話は通訳がきちんと通訳していてくれたからとても良かった。原稿があったのだろうが、とても上品で的確な通訳でさすがプロは違うなあと思った。

その後、新宿に行き、本屋を覗いてすぐに帰ったが、7時半。今日のスケジュールは朝、昼だったが、東京に出ると時間は掛かるし人は多いしで疲れてしまう。は〜〜〜。
20日(土) 今日は、朝ゆっくりできた。思いのほか楽しい劇をテレビがしていて、私は劇場中継が好きだから家事をしながら見てしまったら、もう11時半。急いで着替えて聖望学園のPTAへ。始めに学級懇談をして、その後、進路勉強会。その後また学級懇談。終わったのが、結局5時半ごろ。急いで夫に飯能駅まで送ってもらい、後楽園の文京区男女平等センターのフェミ議世話役会へ。なんと9時まで。アファの編集長を実質上行っているが、次の号の中身をどうしようかという事がひとつの話題。早く内容をつめよというが、ちょっとまってよ、この前発行を終えたばかりで、議会中。とっても、アレもこれも考えられない。というのが私の言い分なのだが、まあ、皆さん、早く早くという。無理。だったら、誰かにやってもらいたいという事。誰もしないんだから、あれこれ言わないでほしいなあ。

その後、新宿まで戻り、オザカラの3次会に合流。11時過ぎに終電が出るので、急いで帰ってきた。今日は昼、晩、晩とスケジュールがあった。この頃、土日は朝、昼、晩とかという忙しい日程だが、今日は午前11時半出、帰りは夜中12時半であった。ほ〜〜。
19日(金) 今日はHpの更新などを行っていた。その後、昼食をしてから議会レポート作成に取り掛かっている。1ページが出来た。後は淡々と自分の質問を書いていけば言いわけであまり問題はないだろう。それにしても一日中コンピューターの前に座って仕事をしているから、腰がだんだん痛くなる。夜、市民体育館にトレーニングに行ったが、今日は外に出たのがそれだけだった。

一日中コンピューターの前にいてもちっとも原稿が進まない日もある。けれど、今日はなんだかすっと原稿を広げ、すっとかけて嬉しい。来週には議会レポートを発行したいと思う。頑張ろう。
18日(木) 今日は、朝子どもや夫が咳き込んでいて、インフルエンザじゃなければいいなあと心配していた。弁当を作りながら、息子に「学校を休んでもいいんじゃないの」というが、こんな時は息子は頑固で「絶対で掛ける」という。仕方がないので、送って行った。

車で聖望まで行き、帰りの車の中で昨日聞いた総務委員会で駐車場と駐輪場を継続審査にしたことに対する怒りがこみ上げてきて、絶対反対討論する事を決意した。大体、もしあの条例が嫌いというか良くないというのであれば否決して、修正案を出させればよい。何で引き伸ばす意味があるのか。

そもそも、なぜ継続にしなければならないのか私には意味不明である。あの案でまあ仕方がないだろうというのが、私の考えなのである。私は会派にも属さないし、党も関係ない、中立な無所属市民派である。大抵は真っ当なことしか言わない。これからが反対討論の趣旨になるが

1.再開発の中で保留床を買っていただいた元地権者の方々に駐車スペースを用意する事にどこに異論があるのか。再開発地内の駐車場はここしかない。あれほど、土地を持っていて何台も駐車させていた地権者さんの方々で、あの住宅棟を保留床として買っていただき、補償金を払わないで済んだのをありがたいと思わないのか。その方々のために、本当は駐車場を作るべきであったのに、お金をいただいて、駐車場を借りていただくのだ。何が、特定の方に既得権とされてはいけないだ。笑わしちゃいけない。だったら、予め、お金をいただかない駐車場を作って差し上げるべきであった。まあ、元地権者の方もあんなに高い駐車料金で停めてくださるかどうか分からないけれど、市としては、元地権者に対して、「ご協力ありがとうございました。一応駐車場ができました。お金をいただき申し訳ありませんが、よかったらお使いください。」ぐらいの気持ちがなかったらどうする。公平公平というが、あの方々が協力してくださり、先祖伝来の土地、ひとりで築き上げた財産をいやいやでも公的な目的に出してくださらなければ、今後何万人何十万人と使う西口の再開発なんか出来なかったのだ。そのところ、古い言葉だけれど、恩を感じないでどうする。

2.駐車場に関してどのくらいの費用が掛かり、どの位の収入が予想されるかについては私が議会で明らかにしてもらった。あの計画では4800万円ほどの経費が掛かるが、2200万円ほどしか収入が予想されていない。たとえ、67台の固定的な利用を想定してさえも、年間2600万円もいわゆる赤字である。中川浩さんなんかは赤字に土地と建物の減価償却を入れて考えろという意見すら議会で述べていた。これを考えると、本当はもっと駐車場の金額を高くしなければならないはずなのである。また、固定的な利用でいってい程度の売り上げを確保しなければ、もし、85%の駐車という予測が低い場合はもっともっと赤字が増えるだろう。経営的な視点を持てば、固定客を幾分か確保するのは仕方がないことだと思う。

3.もし、同じ人が何年も固定客になったらどうするか、その場所に既得権を持つのではないかというが、それは規定の作り方次第である。例えば、つつじ野団地のように、1年に1回シャッフルする事も出来る。駐車したい人が多かったら抽選にすることも出来る。そもそも、、この駐車場の意味の一つには、パークエンドライドの概念すらあった。すなわち、夜遅くバスがなくなるような時間に通勤する者にこの駐車場を貸せて通勤してもらうという事だ。そうなれば、その通勤者が退職するまで、その駐車場を借りる事は必須で、固定的に駅前駐車場を月ぎめで何年も借りる事になるだろうが、それで狭山市に住んでいただいて固定資産税を払ってもらえれば、良いという考えなのだ。固定化してはいけないという事ではあるまい。他に多くの人が望んでいるのに、その人だけが借りるという仕組みがいけないのであれば、きちんと先ほどから言うように仕組みを作ればよいだけだ。もし、そんなに借りる人がいなければ、借りる人が固定化しても何にも問題はないじゃないか。

4.公共駐車場は誰でもがいつでも借りられるべきだとう神話がある。これは神話だ。何の目的でどうして作られたかを考えるべきである。先ほどから行っているように、再開発の元地権者の方々に率先してお貸しするのはいけないとは思えない。こんな事は他の施設だってしているんじゃないか。サンパーク奥冨はどうだ。他にも迷惑をおかけしたからと他のところで便利を図っている例なんかないとは言わせない。また、公共交通機関の利便性には限りがあるのであれば、個人的な交通手段である自動車や自転車、バイクなどと交通公共機関との整合を図る意味で長年使用なんかは認めるべきだ。自転車で学校へ行く、通勤する時に、駐輪場に既得権が発生するのではないかなんて誰も言わなかっただろう。もともと、一時駐車だけのために駐輪場が作られたわけでないと同じく、駐車場が通勤通学のために使われることに何の違和感もない。だから、今回だって、誰でもいつでもというが、公平公平という中で本来の意味を忘れたのではないかと思う。

反対討論はここで終わる。しかし、私がどれほど崇高な事を考えているとは思わない。常識的なことしか考えていない。としたら、どうしてこんなことが執行部として委員会でいえなかったのか。議会を説得できなかった執行部が情けない。ここにきて、西口再開発のまち開きが遅くなったりしたら、市民部の議会対応がいけなかったからという事になるわね。こんなことを言いたくないけれど、執行部は何を考えている事やら。理解してくれない議員・委員がいけないんだなんて思っていたら、もっとしっぺ返しがやってくるんですからね。

ただ、議会が継続審査にしてしまったら、この条例の落としどころはどこになるのか。先ほど私が言った1年後との契約の時の条件、シャッフルがあったりくじ引きがあったりという事を明らかにしていくしかないだろうね。それと、元地主に足しての考慮はしなければならないという事だ。どうだろう。
17日(水) 今日は、朝からのんびりムード。議会レポートを書かなければと思うが、このところ議会で忙しくしていて出さなければならない書類等が溜まっていたり、しなければならない事も多く、午前中はそれで終わってしまった。ごご、2時過ぎ。これから役所に行き、議会レポートの材料を集めてくる。質疑したものをどう記事にするか。今悩んでいる。

夕方5時過ぎ、トレーニングに市民体育館へ行った。あまり人が多くなく、特に6時過ぎになると夕食のために人がいなくなった。私は、六時半過ぎにトレーニングをやめて帰ってきた。さっぱりした。最近休肝日でワインを口にしないようにしていたが、今日はあれほど汗を書いたのだからいいでしょうと、夫二人イタリアのワインをあけて楽しんだ。でも、疲れていて、もう寝る。
16日(火) 今日も朝から委員会審査。今日は議案というよりも所管事務調査。まず、鵜の木の雨水幹線の最終場所、自衛隊脇の大きな枡を見に行った。何しろ50メーターにもなるというのだから、怖い。私は高所恐怖症なので、下を見るのも血が下がるような思いなのだ。とにかく、仕事というので勇を鼓して視察した。怖かったなあ。

その後、環境部の仕事を調査。というのは、この議会から、建設委員会は建設環境委員会になり環境部の所管事務も担当する事になったのである。よって、環境部の所管事務とは何かを勉強しなければならなかったわけである。

委員会が終了後、委員会協議会。これは延々と、昼食をはさんで3時過ぎまで。その後、帰ってきたが、4時を回っていた。夕ご飯の準備をして、6時から委員会の懇親会。8時半にお開きになった。買い物をして帰ってきた。お風呂に入ったら疲れきっていて、珍しく早く寝る。
15日(月) 今日は朝から委員会審査。午前中は市内の道路認廃の場所を視察。その後、その道路を審査した。まあ、どの道も市道認定と廃止に賛成してきた。それから条例が1本。長期有料住宅の認定手数料について。

午後は、議会だよりの原稿を書いてきた。珍しく夕方早く帰ってきて、夕食をつくり、サピオへ。体育館は月2回お休みなのだ。どうしてだろう、サピオは月1回の休みなのに。とにかく、歩いて汗びっしょりかいて帰ってきた。帰りに土砂降りになった。昨日の土砂降りは1時間に60ミリという事だった。今日は50ミリ程度の雨がかなり長く降っていた。道路の冠水などがなければいいが・・・・
14日(日) 今日は、午前中礼拝。午後、尾崎のお墓によってお掃除をした。その後、ブックオフにより、フジコへミングさんの本を探したのだが、見つからなかった。綺麗なイラストを書くし、自伝も胸に迫るものがあるので、一冊ほしかったのだが。昨日立ち読みした本で、彼女は自分がクリスチャンで不遇な時は祈って過ごしたと書いてあった。祈りと猫によって苦境を乗り切ったという事である。彼女の音楽は好き嫌いがはっきりしているだろうが、私はこの前の皇帝を聞いて涙がでた。こんな風に弾いてもいいのかと思ったものだ。

家に帰ってきて、昼食後、HPを書いたりした後に、街頭演説。いつも変わらない同じ事を続けているが、継続は力なりだもの。街頭演説中、ある部長にあって、なんだか恥ずかしく思った。でも、私はいままでもこれからも議会の事を市民に伝える努力は忘れまいと思っている。

これから、入間の湯に行く。のんびりしよう。
13日(土) 今日は、朝は聖望学園学年委員会。午後1時半から西中のコンサート。上手だった。トランペットの音に感動した。夫はトロンボーン以外は素晴らしく音がいいといっていた。3時半からは聖望学園音楽部のコンサート。これは今一だったね。何しろ、耳の奥深く間野先生の音楽が響いているので、比較してしまうという悪い習慣があるのだ。それも、あの年のあの演奏がよかった等と、かなりマニアックに聞いているのだから、このコンサートは怖い。コンサート会場に行けば、しっているひとばかり。それが嬉しくて。

何しろ、在校生最後のコンサート。息子は出ていないわけだけれど、なんだか胸が一杯になった。間野先生にも会えたし、よかったなあ。間野先生は痩せてしまっていた。まだ、忙しいそうだ。結局、あのバンドはジャジーな音楽が似合っている。だけど、今度のコンダクターはオペラ歌手だからなあ。まあ、演出つきの舞台はお手の物かもしれないから、コンサートが楽しくなるかも。それに、もう一人の顧問はなんとエレキギター引きでかなりいけていた演奏をしていた。これからを期待しよう。

7時からは西中野球部母の会の恒例の飲み会。よく食べ、よく飲んだ。好きな暖かい紹興酒を3倍も飲んだら、眠くなって、早めに帰ってきた。話はなんとお墓の話になって、我々母も高齢化してきた。
12日(金) 今日は一般質問の日。朝5時に起きて、想定問答を頭の中でくりかえした。何しろ、どんな風に進んでいくのか自分のシナリオがきちんとしていない。不安で仕方がない。とにかく時間配分が考えられないのだ。だって、教育委員会とのヒアリングが終わっていなかったので本当に不安だった。とにかく用意した質問は2つ飛ばした。そのほかは出来た。答弁を用意してくれたところには申し訳なかったが、何しろこの日の朝にインフルエンザがフェイズ6になってしまい、新聞をコピーしたりと忙しかったし、原稿もないことを言ったりしたから、少し上がってしまった。

私は自分の持分を2秒残してやり終えた。途中で議長が「短くしろ」という事を言ったが、私はルールにしたがっているのだからあの発言は本当に気分のわるいものだ。一問一答では自分の時間は決められているが、答弁の時間については答弁者が好きなだけ出来るわけで、私が発言を短く白などと制限する事はない。一問一答では執行部との丁々発止がみものであって、時間を短縮するために行うものでない。それこそ質問者は自分の持ち時間を工夫して、分かりやすく必要な答弁を引き出すために駆け引きをすべきなのである。

そもそもそのために通告書にはとても詳しく質問内容を書き、そのとおりの質問をしたうえで、質問をしているのだ。それも時間以内に。あれこれ言われる筋合いはない。本当に不愉快。議会改革をどう思っているんだろう。何でも時間を短くすればよいというのでは、何のための議会かという事になる。

とにかく、質問を終えた。ヒアリングをしてあるから、執行部は私が言わんとすることを分かってくれているんだと理解しているが、それにしても私のは今5.改良の余地はあるが、さてどうするべきか!

夜、ご飯を作って食べさせてから市民体育館へトレーニングに出かけた。人が多かった。動物園の駐車場に停めたが、帰りには体育館の電気が消えるので暗くて怖い。それでも、今日は人が多かったので、すこしはよかった。そういえば、私が帰るとき、テニスコートの駐車場に停めていた車が出せなくなって困っている人がいた。早く何とかしないとこういうことが頻繁に起きる。いままで、こういう場合はどうしていたのだろうか。鍵なんかかけないでいられればいいのに。
11日(木) 今日は一般質問2日目。

誰とも話しをしたくなかった。頭の整理をするときに人と話すと整理が出来ない。早くに役所を出て、サピオによった。煮詰まっていて、頭が働かない。それで、汗びっしょりになった。運動している時でもいろいろ問答を心に描いていて無心になれなかった。それに、サピオは人が多すぎて、機械を待つ時間が馬鹿馬鹿しくなる。さっさとやめてシャワーを浴びて帰ってきた。

夜、原稿をチェックし、印刷し、早めに寝る事にする。すべて明日の朝早くにする。
10日(水) 今日は一般質問1日目。

いろいろなスタイルがあるが、一問一答というのは分かりやすい。時間は長くなりがちだが、議会の活性化というのは議会をしゃんしゃんとする事ではないわけで、これはこれでよい。それにしても、皆さんうまいものである。は〜〜〜。自分はどうなる事やら。終わったのは、3時過ぎ。あれこれはなしをしていたら、遅くなった。
9日(火) 今日は議会の質疑の日。私の質問はきちんと用意されていた。でも、他の人が聞けば私は自分から質問はしないと決めていたが、なかなか他の人が手を上げないから、今度も私の質疑が多くなってしまった。ここで発言すれば、議会だよりで市民へ発信される。それから、私も議会レポートで発信できる。何しろ、委員会での審査は議会だよりでも小さなコラムにしかならないから、議会が当たり前だが重要。

午後は、出来る限り自分の時間を取って一般質問の準備をと思ったがあれこれヒアリングや話し合いがあり、帰りはまたまた遅くなった。
8日(月) 今日は午前中は家で一般質問の事を考え続け、その後、明日の質疑の検討に入った。一段落して昼食後、役所へ。

結局帰ってきたのは夜。明日の準備OKという事だ。
7日(日) 今日は午前中は礼拝。神を信じるという事はという話。この教会の平均年齢は高く、かなり哲学的な話を説教してくださる。今回の所は難しかった。ああ、そうかという感じで聞いてきた。

忙しいので、どこにも寄らず帰ってきて、書類の整理をした。書類を読みながら、一般質問を考えていたのだが、展開がなかなか読めない。落としどころはどれもはっきりしているんだけれど。35分をどう使えばいいんだろう。整理が出来ない。初めての事だしね。今までどおり、一問一答でなくともいいのかなあ。ひとつづつするって、大項目は行ったり来たり出来ると考えてもよいのだろうね。だって、どれもこれも実際は関連しているのだもの。

夕食後、夫とともに入間の湯へ。2時間半ほどいた。快汗坊にもはいり、垢すりもして、サウナに何回も入った。1回入間の湯に行くと、1キログラム体重をおとすのがいつもなのだが、今回は夫がいるので、ちょっと早くでたから、700グラムぐらいしか体重が落とせなかった。仕方がない。それにしても、確かに体重は落としたが、それでも私はデブだなあ。本当はあと5キロぐらい落とすのが理想なのだろうが、現状維持で精一杯かな。
6日(土) 今日は朝11時から聖望のアメフト部の総会。今まではひとつのテントで済ませたが、今回は26人もの出席だったので4張もテントがセットしてあった。この3年間で県で4強に上り詰めたが、強くなると入部する生徒も多くなる。とにかく、この1年間よく闘い、少し勝ち、よく負けた。子ども同様親も頑張ったと思う。先生にもお話ししたが、勉強で得られなかった多くの事を子どもは学んだ。きっと高校の部活でなければ学ぶ事はできなかっただろう。充実した毎日だった事を後悔はしないだろう。それにしても、今後の事よ、大学入学してほしい。

1時過ぎに帰ってきて、息子の予備校の経費を払った。なんと30万円。そのうえ、夏季講習がある。後10万円。それに、通学するための交通費だ食事代だとこの子は金食い虫である。予備校のお金がこんなに掛かるとは知らなかった。酷いね。少なくとも教育費は出してあげると言っているので仕方がないかな。

その後、美容院へ。パーマをかけたが、かけたと単におばさんになったきがした。パーマがないほうが若そうに見えるんじゃないか。まあ、年相応に見えるという事か。

夜は、市民体育館へトレーニングへ。1時間ほど汗をかいた。気持ちがよかった。
5日(金) 今日は議会初日。30議案ぐらいが上程された。なんだか、本当にうっとうしい議会。とにかくスムーズに事を運ばせるのを嫌だと思う議員がいるようで、動議をだしたり、引っ込めたり。時々うんざりしてしまう。

午後2時に議会がおわり、その後は建設協議会を行った。それも終わったら、またまたヒアリング。役所を出たのは8時を回った頃。それでも、今月は予算も決算もないので、時間的には楽である。

今回インフルエンザについて質問するが、埼玉県の患者の数はひとり、又ひとりと増え続けている。大混乱をもたらす、流行がなければ言いと思う。
4日(木) 今日も午前中はヒアリング。総務部。今日は不愉快な事があった。ここに書ければいいけれど、腹が立つので書かない。それと、自分の判断がよかったのか分からない。下手な妥協をしたのだろうか。まあ、いいか。

午後からは、予定が入っていなかったのだが、役所にいれば仕事が振ってくるかんじ。急いで帰て夕食を急いでたべてから、息子の用事で郵便局へ。

郵便局で用事を済ませて、サピオでトレーニングをと思って行ったのだが、満杯で待たなければならなかった。それで、嫌になって市民体育館へ。市民体育館のトレーニングジムは人も少なくて、熱中してトレーニングできた。サピオの人であふれている場所よりも、マシンが新しくていろいろある市民体育館の方が最近の私のお気に入り。それにしても、汗が拭いてあるといいなあと思う。まあ、今日は他の日よりも綺麗だったかなあ。
3日(水) 今日は、午前中、午後とヒヤリング。市民部。その後、コンピューターで検索をし、帰ってきたらもう、7時を過ぎた。シンプルで、疲れきる議会前の日々。頭はまたもや一杯一杯。
2日(火) 今週はもう、5日から始まる議会対応が始まった。ヒアリングが続く。まず、広報関係。次に教育委員会。その後、福祉部。9時半から始まり、夜は7じまで。つかれました。話しすぎると、心身ともに疲れきります。

特に自分なりの正義を振り回すのだが、分かってもらえないと悲しいし、分かってもらえるとかっこいい事を言っている自分が後ろめたいし、どっちに転んでも心の負担は大きい。正義というか、大義名分を振りかざすのは恥ずかしいが、仕方がない。
1日(月) 今日は朝から片付け回った。何しろ、午後から友達がビデオを観にくることになっていたのだ。こういうときに限って、午前中に支援者が来て話し込んだりする。とうとう、片付け切れなかった・・・・

1時過ぎに友達を狭山市駅でピックアップ。バラの花が綺麗なので智光山公園のバラ園にまず連れて行ったのだが、昨日までの雨のためにお花が腐りかけて綺麗に咲いていなかった。残念。

家に着いてからは、尾崎のビデオとDVDを見ながら、お持たせのお菓子を山ほどいただいて、話し込んだ。ご存知のごとく、私は尾崎豊のファンで、今日来た友達も熱烈なファン。1時から5時までね。なんて始めに言っていたが、5時にはあっという間になってしまい、何時間おしゃべりしても足りない感じ。楽しい時ってあっという間に過ぎてしまう。尾崎の記念館がほしいねえという話だ。狭山市にできるといいのにね。

夜、一般質問のために原稿を書いた。

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