私の独り言 2004年 

バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。
すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を、通します。

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
7月 私の独り事
31日(金) 今日は朝、子ども動物園。園長の荒井さんに会いに行った。動物園はしょっちゅう行っているわけで、この前、園長に会えなかったので、園を見ながら話をした。考えたら、2年しかいなかった岸さんは夜の動物園を実現させ、サルの行動展示も実現させた。短期でもいろいろできるのね。

幸い荒井さんが前向きで、それも利用者の立場になって考えようとしている姿勢に好感が持てた。頑張れ、荒井園長。新井さんは動物園フェスタをするらしい。ボランティアを育てるらしい。動物園は公社の最後の砦になっている。経営をしっかりしなければ、公社の未来はない。私はそう思っている。働いている人はそれぞれが動物飼育のスペシャリストだから仕事に困るという事はないだろう。だが、経営という視点が公社には少なかった。親方日の丸であるからだ。

本当は指定管理者になった時に利用料金制にしてもらって、人が来れば利益が上がるという風に前向きでいればよかったのにと思う。荒井さんの経営手腕に期待するところである。動物園の職員も1,2年しかいない派遣の再任用職員だなんて園長を馬鹿にすることなく、しっかりと経営者の考えに従い仕事をしてほしい。職員も夢を持って、園長と一緒に夢の実現に取り組んで言ってほしい。そのやる気が何かを動かすのだからね。

金がないならスポンサーを探しに行く事。出来れば、あの貧弱な学習室を3倍から4倍の学習室にしたいものだ。動物映画すら見ることの出来ない小さな空間では仕方がない。ちょうど8月1日から昆虫展をするという事で見せてもらったが、そのとき市川市から来たという家族が見せてほしいというので一緒に見た。「毎年来るんです。昆虫展が目的だったのに明日からで残念で」という事だった。そういう人がいるのには驚く。リピーターが来なければ、子どもが半減しているのだから利用者が半減してもおかしくない。何か新しい試みが毎年見られるように努力が必要であろう。それにしても動物園は夢があり、夢があるという事は整備すべき事がたくさんあるという事である。

お昼を智光山の喫茶店で食べた。あまりにも清潔感に乏しくて驚いた。誰がこのところの責任者なのだろうか。体育課長か。まあ、食中毒も出ていないから問題ないということだし、あんな儲からないところで喫茶店を続けてくれているんだから本当に感謝であるけれど、少し何とかならないものか。とにかく、行ってよかった。となりの体育館にはしょっちゅう行くが、喫茶店に初めて入った。ちょっと、待ってよって感じだったなあ。食べ物がまずいとか貧弱というのではない。タダタダお店の事である。

急いで帰って子育て支援課から次世代育成支援計画の進捗について聞いて、アンケートの結果を見せてもらい、今後について話したが、さまざまな課からの寄せ集めを計画にするので彼らが何かいう事はまだ無理のようである。

というので、市長に会いに行った。まずはアポイントメントを取りに行ったのだが、ちょうどその日にあえるというので、市長と話し込んでしまった。勿論、まず、聖望学園が甲子園に行くので寄付のお願い。その後、保育所関係の事。公立保育所にサービスを増やす事、保育園をふやす事などについてや、他にあれこれ。

私は仲川市長がけちだと言う人もいるのは分かるが、ケチって何もしなかったわけじゃない。この6年間でいろいろな事をしてきたと思っている。西口がすすんだのだって、彼が体を張って賛成したからである。勿論、仲川さんだけの力じゃなけれどね。これだけでも、偉い。子ども医療費の無料化だって、私は市の財政を思い反対したような施策だ。でも、財源を確保して無料化するのであれば私には反対の理由はない。新しい保育園が3つでき、定員を増やした園が3つ。これも良くやったけれど、需要が供給に追いつかないのは残念だ。人気とリという点からは仲川さんは口は上手でないし、時には偏屈である事は確かだと思うけれど、まっすぐなところはあるよね。評価すべき事はきちんと評価すべきだ。時代が良かったというべきだけれど、基金を増やして今のような財源が困難な時でも決して事業が停滞していないのは嬉しいじゃないか。

30分ぐらいしゃべって「おやつを食べないか」と水羊羹を出されたが、「メタボにならないようにいただきません」と言ってお茶しか飲まなかった。「市長も食べないほうがいいですよ」と忠告して帰ってきたが、彼は食べたかなあ。少し太ってきたのは、余裕が出たのかストレスのせいか。

無所属の私は表面しか物事を見れない立場だが、その立場のせいか誰とも何の損得なしに話が出来るのは嬉しいなあ。秘書課の人は私が市長と話をしていても秘書課の人と話をしていても決して変わらないのを見ていてどう思っているんだろう。
30日(木) 今日は御つばさ保育園、狭山台保育所、入曽乳児保育所を視察した。

みつばさ保育園は最近定員を30人増やしてくれた。もともと、多かったので、それを追随したようなものだった。久しぶりに行き、園庭が広がっていてよかったし、0歳児のところが広くなっていた。ここでは0歳児が12人ほどいた。まるで乳児院のようにきちんと消毒をして、スリッパを消毒済みのものに履き替えてはいる。園長先生が看護婦だったせいもあり、また園長先生の娘さんがお医者さんでもあり、その点は行き届いていた。園庭に素晴らしいプールがあって、ひかり幼稚園をおもいだした。もうひとつ保育園を作ってくださいとお願いしてきたが、なかなか難しいらしい。

狭山台保育所はこの前行った時はとても込んでいたような感じがしたが、今回は人数は多いが広々とした印象だった。どうしてかなあ。でも、ここもご他聞にもれず2歳児以下は一杯一杯。所長さんといろいろ話をしたが、この保育所も思ったよりも落ち着いていた。でも、母子家庭も多いし、貧困家庭もおおいし、問題はたくさんあった。とにかく、公立保育園のメニューを増やさない事には、貧困からの脱出は不可能だと思う。土曜半ドンなんて時代錯誤である。私立保育園が反対しようが、私立保育園に入れない人が土曜日のサービスを受けられないというのは不公平じゃないか。絶対、公立も土曜日6時ごろまで開いているべきだ。

例を聞いた。せっかくヘルパー2級の資格を取ったけれど、土曜日が働けなければデイサービスでは働けない。なぜならば、デイサービスは土曜日もしているからである。公立が駄目なら私立に行けばいいさ。なんて能天気な事は言ってほしくない。私立のほうが満員なんだから、入れないのだ。やはり公平なサービスがいる。それに日曜日のサービスがみつばさ保育園だけというのもいただけない。笹井から土日だけ狭山台まで行っている人がいるらしい。せめて、川のこっちにも日曜保育が必要である。今は、仕事の多様化、労働の多様化がすすんでいる。夜まで仕事をしてほしいという使用者の要求が応えられないと雇ってもらえない時も多い。これも課題だ。

入曽乳児はもう、時代遅れ。0歳と1歳の保育所じゃ仕方がない。ここに入った子は2歳で他の保育所に行かなければならない。大変だ。他の園も一杯だから、ここの子供達が他の保育所に行くと2歳から入れる事が出来る人が本当に少なくなるのである。だから、皆1歳から入れる事を考える。0歳児もここは産休明けをしていなくて6ヶ月からである。小さな子は親が面倒を見るべしなんていう人がいる。確かにそうだろうが(私もどの子にも1歳までは手元で育てた)、出来ないから預けるわけで仕方がない。

入曽乳児は古い建物だけれど中はきちんとしている。床がぷかぷかする事もなかったけれど、それにしても早くここも立て換えをするべきだ。そして、0歳から5歳までの普通の保育所にすべきである。何しろ、今の公立保育所の2歳児以下の満杯ぶりは大変だ。それに、80人を超す待機児となれば、年度末にはどうなってしまうのだろう。早い手立てが必要だと思う。

視察を終えて、福祉部長と話をした。まずは笹井のペンキ塗りはすぐにでもしてほしいものである。今年は笹井の外装を塗り替えるそうだから、フェンスの塗り替えもしてほしい。後は、いろいろな話をした。結論は市長の政治的判断だから、近いうちに市長と話をしなければならないだろう。

なんだか、体がだるくてトレーニングにいけないので、入間の湯に行った。快汗風呂で汗をかくのがやめられない。気持ちが良かった。
29日(水) 今日は朝から東京都の下水道の最終処理場を見学へ。ホンダを退職した人が環境関係のNPOを立ち上げたらしく、誘われて出かけた。お昼を品川の駅内のレストランで食べた。駅中ショップの凄い事。今はこういうのが流行らしい。

その後、大田区の森ケ崎水再生センターで、下水処理と常用発電事業(バイオマス発電)、小水力発電事業を視察した。広大な敷地に広々とした施設。それに、においを施設外に出さないような周到な設備。さすが、東京都の施設は埼玉の朝霞にある処理場とは比べ物にならない施設だ。かんしんした。

視察を結論から言えば、都のレベルでは出来るだろうけれど、狭山市のレベルで出来る事がない。バイオマスにしても、見たものよりも小さければ経済効率は少ないんだろうし、あれほどの大きさのものは狭山市には作れない。汚泥の供給も出来るわけでもないし。この事業はPFIで作ったそうだ。ふ〜〜〜ン。で、PFIだけが関心の的だ。

小水力発電も水量が必要で、それにコンスタントに必要だから、入間川で何とかできるというレベルではない。両方とも狭山市では使えないという事が分かっただけでも良かった。

視察の途中で聖望学園の野球の決勝戦が気にかかって仕方がなかった。勝った。凄い。甲子園だ。絶対、一度は甲子園に応援にいこうと夫と言っている。今日、夫は出掛けに年休を取って応援に行こうかというので、私は甲子園に行かなければならないので休んではいけないといった。言葉とおりになった。うれしい。

他の人は一緒するという夕食を私は遠慮して帰ってきたが、戻ったらもう8時近くだった。4キロ見学で歩き回ったという事で、つかれきった。
28日(火) 今日は又朝から保育所視察。何しろすべての公立保育所を視察する事に決めた。9月は子育て議会にする。9月を過ぎればすぐに予算編成が始まるので、9月議会までには来年度に予算化してほしいものははっきりさせなければならない。保育所は視察すればするほど、足りないというのが分かった。とにかく、公立保育所は満杯だ。定員に3人欠ける等というが、園舎には子どもが一杯だ。いつも言うが、保育所と幼稚園の基準が違い、保育所のほうが子どものスペースが少なくてよいので、園庭は狭いし、部屋そのものも狭い。それに、保育所ではその場所で食べて、お昼寝もして、小さな子どもはオムツも取り替えてと長い子は12時間もいる場所なのに、狭い。そして、子どもが大勢である。

10時 笹井。11時半 柏原。13時 新狭山。15時 祇園。

笹井保育所は園庭が狭すぎ。2階のベランダのレールのペンキがさび付いていて、子どもの手に刺さったら問題だと思った。母子家庭は多いし、虐待すれすれの子も多いし、いつものように大変な保育所だ。それでも、園長先生は「今年は落ち着いています」というのだから偉いよねえ。何処もかしこも0,1,2歳児は一杯。ここは、4歳児が29人でひとりの先生だった。小学生だって30人学級なのに、4歳児が29人で一人の先生とは大変だろうと思った。プールなんか目が届かないだろうに、他の先生が助けるのかなあ。2階は広々としていて良かった。前は4歳児が30人を超えて2クラスというときもあったから、少し子どもの数は減ったかのように思えるのだが、その分月齢の小さな子どもが増えたから、大変さは変わらないのかもしれない。

柏原保育所は園庭は広く、内装改装したから保育室もきれいで広かった。やはり2歳以下の子どもは一杯だ。何処もかしこも同じ。仕事をやめない人も多いし、早く子どもを預けなければ保育所が開いていないという事にもなる。だから、どんどん低年齢化がすすむ。仕方がないのだろう。ここは小学校はとなりだし、学童保育室も隣にあってとても良い立地。前はガラガラだったのに、ほぼ定員一杯なんだから、保育の需要の大きさを感じる。

お昼ごはんを食べる時間がなく、おやつをいただいたのでそれを車の中で食べて、新狭山保育所へ。狭い。とにかく狭い。園庭は広がっても敷地が狭い。4歳児の部屋を見て驚いた。2,3歳児の合同の部屋もアレでいいのかねえ。本当に生まれて6年間を過ごす場所として、酷くない?新しく2階建てのプレハブを作るというが、大きめにしてあげてほしいよね。日当たりも決してよくないし、幼稚園と比べて本当に見劣りする。新狭山地区の議員達は見に行くべし。そして、改築を示唆すべし。それにしても外国の人が少なくなったと言うのは景気が悪いという事なんだろうね。

祇園保育所は前に行った時とは様変わりしているらしい。母子家庭は少なくなっているようだし、飲み屋にお勤めの人もいないらしい。ここも全くガチャガチャという感じがする。とにかく2歳児以下が多いのはここも同じ。建て替えることになっているが、さっさと建て替えるべし。広く出来るといいのに。特に後ろのグランドがなくなるというので見せてもらった。あの広々したグランドが全部なくなるなんて残念である。その分が前の土地が与えられるらしい。本当は、区画整理地内でない土地に建て替えられるということだったらしいが、結局この地に立替が決まった。でも、前の人が動かなければ建て替える事すら出来ないらしい。

祇園保育所の関係を調べるために狭山市駅東口区画整理事務所を訪ねた。その経緯を聞き、ため息が出た。何で既定方針どおりにしないのだろう。というのは、換地した後の祇園保育所の形状は三角形に近くなってしまうのだ。広さもすこしせまばる。ここに立替するのは電車でお出かけする人には便利だと思う反面、保育環境が悪くなってしまうのを恐れるなあ。設計時には保育者の声を良く聞くことだろう。まあ、設計は区画整理事業とは全く関係のないことだけれど。それにしても、この十年で区画整理事業は良く進んだものだと感心している。職員も頑張ったね。

夜はサピオへ。
27日(月) 今日は朝から保育所視察。10時水野保育所、11時半山王保育所。分かった事は2園とも0,1,2歳児が定員一杯であること。(水野保育所だけが産休明け保育をしているので一層その傾向が強い。)障害児が多いこと(特に山王には重度の子も多い)。母子家庭も虐待児というかその疑いのある子も何処の園にもいますと、園長たちはこともなげにいう。本当に公立保育所は大変なのである。

これが公立保育所の存在意義だろうか。私立保育所でなかなか引き受けてくれないような大変な家庭・子ども・ケースは公立がいやおうなしに引き受けざるを得ない。そして、そういうケースほど保育所が手を出さなければ子どもの安全に係わる場合が多いのだ。「とにかく、昼食は良く食べます」という。昼食だけでもきちんとしたものを食べさせていただければ、子どもも何とか生きていけるかもしれない。(なんて酷いことだろうか!!)

回ってみて、保育所の先生方の意識が変わったのを肌で感じた。前は時間通りにこないトラブルメーカーの親という定義の人たちに、かなり暖かなまなざしを向けるようになった気がする。私は時間通りに凝れなくても、遅くても子どもさえ連れてきてもらいたいといい続けてきた。情けないが子どもに栄養価のある昼食を食べさせたかったし、子どもを観察するチャンスが与えられるので虐待防止になると思っていたからだ。何年か前では私のいう事に頷いてくれる先生は少なかった。先生の思い通りの親が良い親で(今もそうかな)、そうでない親は迷惑なだけだった。

でも、親の裁判をするよりも子どもの福祉の方が大切。保育所に来させているのであれば、おんの字ということ。仕方がない。狭山市で虐待で亡くなった子どももいるし、酷い怪我をした子どももいる。それを避けるには、人の目で早くに子どもを助けるしかないのだ。

午後、遅くに役所に戻り、保育課長に視察の内容を報告した。

その後、忘れ物をとりに行き、そして来週の視察のためのチケットを取ってきた。まあ、8月の視察の電車の予約も取ったから、帰ってきたのはなんと、7時過ぎになってしまった。忙しい。
26日(日) 午前中は礼拝。午後はブックオフによって帰ってきた。午後は、アファーの原稿でリード文や編集後記などを書いた。これでアファーの入稿はひと段落。

夜、市民体育館でトレーニング。
25日(土) 今日は朝夫と来るまで大宮県営球場に聖望学園の応援に行った。この前、とにかく歩いたので今回は歩くのをやめようという事になったのだ。それで、車で行ったが、途中でけんかをした。踏み切りで信号無視した親子ずれがいたので子どもの小学生に注意したら、親が逆切れした。自転車で車を追いかけてきたのには驚いた。逃げも隠れもせずにけんかになった。注意をされてすみませんでもない。危ないのはお前達の運転が悪いなどという。自分が信号無視して踏み切りをわたり注意された事なんかに一言も触れない。

「あやまれ」などといわれたが、何も悪い事をしていないし、良い事をしたと思うのだから、あやまるもんか。子どもが悪い事して注意されたにもかかわらず、変な言いがかりをして自分を正当化するとは何事だ。「注意されたのを感謝するべきだ。それがわからないなら馬鹿やろうだ」と言い放ってやった。人だかりがして、「車から出て来い」というから、私は出て行く気満々だったけれど、となりで運転している夫は「何で」といった。夫がいるのが分かったし、夫は外国人だし、人は集まるしで、はっと我に返ったのか、離れていった。

馬鹿親とはこんな男を言うのだろう。親子して信号無視するのもへんだが、注意されてごめんなさいどころか、怒り狂うのもへんだ。「今時はそうなのだから、お母さん、人の事はほうっておきなよ」と子供達に言われた。きっとそれのほうが賢いんだろうね。でもさ、どうなっているんだろう。あの男というか、お父さんをみて、私は今後日本がどんな風になっていくのかと憂いましたよ。

聖望は勝って、準決勝に行く事になった。今回もヒヤヒヤはしたけれど、最後まで粘ったという感じだ。強くもないのによく勝てるなあ。応援をテンション高く頑張った。日焼け止めを塗ったけれど酷く焼けました。

昼食はおにいちゃんと彼のガールフレンドと3人でレストランに行った。焼きたてパンのおいしい店でありとあらゆるパンを食べた。おいしかった。で、帰りに少し買って帰ってきたけれど、やはり焼きたての時とは味が違った。

夜は、アメフトの父母会の懇親会。2次会まで出席。帰ってきたのはなんと1時近かった。つかれました。
24日(金) 今日は全員協議会である。その前に議運の委員長が話があるというので聞いた。そうかという事しかいえないね。

全員協議会はいくつか報告があった。しかし環境車への補助金を出すという事。まあ、ターゲットはホンダのインサイトを買った人に5万円を上げるというものだが、市の施策としては当然な施策である。ホンダ様にはいくら税金を入れてもらったか分からないほどなのだから、ホンダが困っているのであれば何とか市も援助したいものである。気持ちばかりだけれどね。そりゃ、満足といえないかもしれないけれどね。

手島さんは、遠慮していた。それでいい。そのお上品さというか、世知辛くないのはホンダらしいところだ。がめつく利益ばかりで人の福祉や環境を無視していれば、きっとその企業は成り立っていかなくなるんじゃないかと思う。理想論かなあ。

午後は、食事の後、新しく出来た給食センターの見学に行った。議会全体で行った。最後の消毒の前でないと入れなくなるというので、今視察した。コンパクトにまとめられたセンターで、とにかく衛生基準が高いらしく、議員のありとあらゆる質問に答えていた。ひとつ、私が注意したのは、トイレに子どものオムツを換えるところがなかったこと。見学者には小学生の保護者もいるが、そんな時に赤ちゃんを連れてくる人もいる。そんな人に配慮して、おむつ交換の場所を設けるべきだと思う。設計者は男性、建設も男性となると、女性の視点が足りないなあと思う。それに、役所の担当も男性だけだったから、尚いけない。女性が多く使う場所は女性の意見を聞いて設計すべきだね。

帰ってきてから、保育課で来週の視察の最終打ち合わせをしてから帰ってきた。

夜は市民体育館でトレーニング。
23日(木) 今日はアファーの編集整理をし続けた。夕方、フェミ議の世話人会が新宿であるので出かけていった。少し時間があったので、紀伊国屋をのぞいた。世話人会のあとに回転すしで食事。あっさりしたものが食べたかったから。それにしても、新宿で100円寿司とは驚く。経営が成り立つのだろうかねえ。お腹一杯になっても1000円と掛からなかったものねえ。
22日(水) 今日は、Hpの更新に今1時半頃まで掛かっている。聖望学園が浦和学院と野球の試合をしているが、今日は怖くて応援に行けなかった。かつかなあ。勝ってほしいなあと思う。

今日は5時過ぎから聖望で3者面談。息子の勉強はどうだろう。頑張ってもらいたいとしか先生にもいえない。まだまだ、受験への真剣さが足りないような気がしている。いつ本気が入るのだろうか。それが問題だ。勉強の仕方すら教えられないのが本当に残念だ。私の親も勉強については何もいえなかったし、言わなかった。私は、息子に勉強しろとしか言えない。高校3年生に向かって言うような言葉ではないと思うのだが、CPで遊んでいるとイラついてつい「勉強しろ」と言ってしまう。そもそも、8時以降に遊んでいるとは何事だと思う。私は、学校から帰ってまずは寝て、その後、夜中の12時か、1時ごろからずっと朝方まで勉強していたような気がする。半分は深夜放送を聴いていたのかなあ。あの頃の深夜放送は楽しかったから・・・
21日(火) 今日は、朝から事務仕事に励んだ。会費が納入されて領収書を作らなければならなかった。今までのを多少変えた。また、会費の領収の一覧表をエクセルで作り、書き入れた。表を作るというのが時間が掛かる。それと、領収書の封筒のためにラベルを作ったが、思うように作り上げられない。仕方がないなあ。

そんなこんなで3時過ぎまで頑張っていた。そうしたら息子が帰ってきて郵便局へ行くというので、後から出かけた。うまくゆかなかった。あ〜〜。そこで領収書を送り、又1件は持って出かけた。ありがたいことに婦人が在宅だったので少しおしゃべりをして帰ってきた。いろいろな話をしたが、貧困についてが多かった。麻生さんのような大金持ちのお坊ちゃんには分からないだろうな。悲しい現実がごろごろしている。制度を知らないと最後に何が出来るか、何をしてもらえるかを分からない。若いうちに介護保険の制度やサービス、社会保障の制度とサービスを知っておくべきだと痛感した。

夕食後、サピオに行った。少し遅かったが、今日はとても込んでいた。たくさん機械が入ったので運動できた。夜のせいか高齢者が少なかったが、若い人がたくさん来ていた。健全な施設だなと嬉しくなった。市の施設はどうしても高齢者用や子育てのためのものが多くなるが、若い人にも自分達の税金の使われ方を見て、知ってほしいと願う。

今日はお酒は飲まない。
20日(月) 今日は気合で聖望の野球を見に行くことにした。夫を二人電車に乗って出かけた。11時半が試合開始。それで、9時過ぎに出かけた。川越で乗り換え、大宮で降りた。大宮駅から徒歩で球場まで行く事にしたのだ。ところが、球場が市営だったから、歩けども歩けども着かない。結局、電車で2駅分を歩いてようやく着いた。

この頃にはもう試合が始まっていた。2回うら、ちょうど聖望の攻撃で、私達が席に着くなり猛攻撃が始まった。6点取った。賛美歌を何べんも歌って嬉しかった。7回コールド勝ち。去年、第1回戦を見に行き、大井高校に逆転負けしたトラウマがあり、ゲームセットするまではらはらしていた。

帰りは最寄の駅まで歩き、帰ってきた。途中で昼食をしたり、お茶をしたりして、帰ってきたらもう5時だった。今日はもう十分歩いたのでジムにも行かず、ワインを飲んだ。飲みすぎたかなあ。ボトル3分の1を明けてしまった。熱くて、氷を入れたワインがジュースのように飲めた。とにかく聖望が勝ったから気分も良かったし・・・
19日(日) 今日は、朝から市川房枝記念会で勉強会。岡澤憲夫早稲田大学大学院教授の「北欧に見る福祉政策の展開」という題名での講義だったが、とても興味深くレジメがないのでノートとリが大変だった。

きわめて短く要約すれば、国の舵取りには品が必要だという事である。スウエーデンが高福祉である事は国の方針によるという事。それは、ほどほどの生活をよしとするという国民のコンセンサスによるという事。極端の貧乏もないけれど、極端の金持ちもいない。税金は高いがその恩恵は誰もが受けられる。金持ちも貧乏人にも平等な福祉。普遍主義というらしい。だから、金持ちも金を出すのをいとわないし、貧乏人も卑屈になる事もない。出せるものが出せるだけ出す税金。

国は7百万人の人口。高福祉にするには財源がいる。福祉はお金が掛かるのである。それをどのようにするか。スウェーデンは貿易立国である。小さな国に有名な商品がたくさんある。100%のインシュリンを作っている。テトラパック。車産業のボルボもあり、サーブもある。一歩先に行く勇気と実践を持つ国。スウェーデン。人口が多いので直接的な比較は難しいかもしれないが、学ぶべき所は多い。

午後は、私が司会で政策研究 ケーススタディを行った。山田美也子・栃木県議、奥野真弓・滋賀県守山市議、田村みさ子・東京都日の出町議のケーススタディと討議。時間が足りないくらいだった。この前の好景気が東京1極だった事がよく分かるケーススタディだった。栃木県の財政圧迫は驚くが、聞けば群馬県の一般財政基金が今年末で3千万円というのには、耳を疑ってしまった。桁が違うのではないかと思ったがそうでないらしい。栃木は今年末で30億といういう事であった。比較してはなんだが、狭山市はその点今年末では100億円ぐらいあるはずだから、気が楽といえば気が楽である。

今回もこの研修会が好評でよかったと思う。これからも続けていかなければと思う。

帰りは紀伊国屋で本を見たが買うものもなく、帰ってきた。疲れきった。夜、入間の湯に行った。
18日(土) 今日は、朝市川房枝記念会の夏季研修会である。今まで何べんか企画運営委員として参加してきたが、とうとうこの日になったという感じがする。まずはミーティング。

その後、食事をしてから、日本経済新聞社地方部編集委員の中西晴史さんによる「激変する経済と自治体財政」。私は2011年の地方公共団体の財政危機をどう乗り切っていくべきかと聞いた。結局は人件費節約、公共事業の先延べ、補助金カットくらいしかないのかもしれないという事。狭山市ではもうすでに手を打ってある。まあ、西口が終われば節約体制はあるのだから、それでいいとするか。それで足りなかったら、交付団体になるしかないのだ。心配しすぎても仕方がないな。

次は大澤真理先生の講義。勿論彼女は東京大学大学院社会科学研究所教授。いつも思うが、彼女の頭の切れることである。アロハシャツで省エネルックですとおっしゃっていたが、ボーイッシュな先生を見るとあこがれる女性がいるのもなんとなく分かるなあ。とても頭がいいのにあったかな感じがとても良いの。結論から言えば、財政確保のためには累進課税の強化しかないという事。格差のはなしをしたが、この十年、企業、特に大企業は莫大に儲けたが、労働者の賃金への分配はほぼ横ばい、または少し少なくなった。これで内需を増やすなど不可能なのである。

大澤先生は間接税の増税は反対で、特に金持ちからの増税を進める。私もなぜあんなに金持ち減税をし続けたのか理解できない。勿論、そこには福祉の普遍主義がないから、金持ちには税金を取られる感が多かったのかもしれない。それにしても、アメリカ型の弱肉強食の社会が良いとは誰が思ったのか。すべて自己責任にしてしまったら、国も県も市も町も村もいらないのだ。そして、そういう小さな政府、お世話をしない政府がいいとは誰が言えるか。ただ単に自分のお世話が出来るのはお金持ちであり、共同だの共生だの言わないですむのはお金持ちだけなのである。日本のお金持ちは一握りで、それも政治家と同じく世襲制なので、そのお金持ちの集団に入る事はもうとても難しいことなのだ。

教育の平等もなくなった。たとえ奨学金やローンがあろうとも、結局借りられるのはそれに見合った金の入る余地のある人たちだけなのだ。国立大学の学費すら高すぎて、働きながら大学に行くという事も実際上出来ない。怖いなあ。もう、地位も金も固定化された社会になった。

講義の後、交流会があり楽しく過ごす事が出来た。交流によって、ひとり頑張っている無所属の女性議員に連帯感が高まり、自信もつく。こういう状況を見ながら、研修会をして良かったと心から思った。帰ってきても頭が興奮していた。

夜にアファーの校正が来たがもう仕事にはならないので来週回しにする。
17日(金) 今日は午前中に娘を連れて、病院へ行った。薬も必要だし、この前の発作の事もあった。どうしても早く病院へ行きたかったが、予約がこの日じゃなくては取れなかった。仕方がなかった。でも、薬を増やすことなく済んだ。本当は、この1年半ほど大発作がなかったから、直りかけたかなあと嬉しかったが、もう直るなんて思っちゃいけないんだと思った。一生この子はこの病気と付き合うのだろう。でも、この人は一人じゃ危なくて生きていかれない。この前はガスがついていて、お湯を沸かしていて発作が起きた。将来の事をしっかり考えざるを得ないなあ。

ごご、帰ってきて遅くに食事をして、役所のあちこちで話をして帰ってきた。9月の一般質問に関してが多い。子育て、動物園などについて話をする。それと自治基本条例。毎日の事には対応できるが今後の市をどうするかを考えなければならない。

夜は、市民体育館でトレーニング。汗だくで気持ちよかった。
16日(木) 今日は朝に友達の働いている美容院でエステをした。キャンペーン中だという事で、手のマッサージもしてくれた。ぼおっとなってしまった。あのキャンペーン値段で1時間半もかけて磨いてくれたのは、顔だけでない。肩が凝っていますねと肩もマッサージしてくれた。嬉しくなって8月もお願いしてきた。議会前に美しくなろう。

お昼はサピオで食事をしようとした。麺がなくて残念。それでパンとコーヒーで済ませた。パステルはメニューも少なくつまらない所になった。その後、トレーニング。新しい機械がどんどん入っていて目を見張る。それにしても、ここはいつもたくさんの人が来てトレーニングしている。健康ブームなのかしら、以前より利用者が増えたような気がする。

今日は早くにトレーニングが終わったので、となりの第2環境センターに行き、久しぶりに工場を視察した。何処もかしこもきれいで、掃除がしてあって、文句のつけようがなかった。特に、ピットの前の所はいつもは多少臭いのだが、今日は仕事も終わっていて、お掃除も済んでいたせいか、ちっとも匂わなかった。これは凄い事です。大抵はすえたような、腐ったような嫌なにおいがするのだけれど、毎日の終業後のお掃除が行き届いているのだろうと思った。突然の視察でも、外の雑草はきれいになっていたし、チリひとつ落ちていなかったし、工場内はきれいで匂いもせず、緑の観葉植物が青々を生い茂っていた。99点です。1点は何かというと、100点にすると慢心するから、1点引かれたのはどこか考えていただきたいと思う。

夕方、買い物をして帰ってきた。環境センターがきれいだったから、なんとなく嬉しくなってお刺身を多めに買って帰ってきた。
15日(水) 今日は朝から次の仕事にかかり始めた。アファーが一応段落したので、自分の仕事にかかることが出来るのだ。まずはHPの更新。だんだん、間遠になって言っている。これが時間が掛かった。その後、ネットニュースを撒きに出かけた。大型マンションに大量に入れた。会った人と立ち話。久しぶりであったら、もう孫が出来るとか。「いいなあ」と思う。孫を見ることが出来るのだろうか。

役所で書類などを書いた。視察を少し変えた。大変だ。事務局が調整が大変だろう。申し訳ないが、どうしても秋田から新潟へのつなぎが悪くて、ついでにずっと前から言われていた盛岡の複合施設の管理運営の仕方を視察する。県の施設らしいがいろいろな性質の施設が入っているらしいので、それを一体管理をどうするのか興味がある。公益施設が出来る前に視察できるのが良い。
14日(火) 今日は、午前中にずっと続けていたアファーの校正を終えて、一応他の人に読んでもらうようにファイルをすべて転送した。これが帰ってきて最終稿にして納品するつもりだが、その後に又校正が入るからこれからが山場といえば山場なのである。ハ〜〜〜、大変。でも、製品が出来上がるのは楽しい事ではある。

午後、遅くサティのJTBへ。フェミ議の合宿のために飛行機をとらなければならない。それに思いがけず時間を取ってしまい、結局役所にはいけなかった。まあ、明日にする。夕食の材料を買って帰ってきた。途中で向田さん(元市議会議員)にあった。元気そうだった。

夜、私は入間の湯へ。何べんかサウナに入り、いらない水を体内から排出した。ぼうっとしながら勿論仕事の事を考えていた。視察がうまく出来るといいけれど。佐渡に朱鷺の飼育を見に行く。秋田の動物園の鳥も見に行く。上越市に病児保育、病後児保育の実態も調べに行くつもりである。楽しみだが、あまりにも凄い日程で、秋田から新潟に行くのには一度戻ってきた方がいいという事である。盛岡の複合施設の指定管理者の仕方が興味深いという話があったからそれを見ることにして、2回の視察にしようかなあ。
13日(月) 今日は、朝からアファーの校正にかかりきり。午後過ぎに飽きて仕事を止め、チラシ配りを少しした。一見支援者宅で話し込んだ。その後、役所に書類を作りに出かけた。でも、視察の事で話をしていたらあっという間に六時半。5時から女で申し訳ない。

夜、珍しくビールを飲んだら、なんだか眠くて10時半過ぎ、寝る。考えてみたら、昨日寝たのが2時過ぎだった。都議会議員選挙を見たりしていて遅くなった。
12日(日) 今日は朝礼拝。その後、尾崎のお墓に。東京はお盆が始まったのか、多摩ナンバーや練馬ナンバーの車が霊園にあふれていた。お墓のお掃除をしている人はやはり老人が多い。新しい霊園だからお墓もきれいだ。その後、ブックオフによって帰ってきた。

遅い昼食を済ました後、久しぶりにのんびりと新聞を読んだ。今日は都議会議員選挙。熱くなり家事というか洗濯物は山ほどあり、洗っても洗っても次から次へと出てくる。机のあちらこちらにソックスが脱いであったり、子どもの制服の汚いワイシャツがイスにかけてあったりすると本当にいらいらする。何べん言っても駄目だ。子どもの自立を求めるには一生「うるさい、ダサい、ウザイ」といわれ続けても、「片付けなさい」といい続けなければならないのだろうか。児童虐待といわれようが一度叩いたら分かるようになるのであれば叩くけどねえ。叩いたって直らないのでいつまでたっても「ウザイ」といわれ続けている。

夕食後、市民体育館へトレーニングに出かけた。熱くて体がだるかったので行くのをためらったが、少しだけでも汗を流す事にした。始めはゆっくり歩いていたが、だんだん調子が出て結局5000歩歩いて、またエアロバイクで2000歩こいで帰ってきた。まあすっきりした。

帰ってきてPCをあけたら都議会議員選挙の結果が出ていた。自民党が大敗。民主が勝ったが、都民の考えはもう自民党は止めていいよということで、民主党に期待しているわけではないだろう。でも、自民党が止めたところで民主党もそう変わらないとしたら、すぐにこの政権も飽きられて終わるのだろう。日本は今後どうなっていくのかだ。とりあえずは民主党に責任政党になる努力をしてほしいものだ。

それにしても、第9区の衆議院選挙はどうなるだろう。私は無党派だから選挙は関係ないとは言え、民主党の候補者は大嫌いだし、かと言って自民党や公明党の方々の選挙を手伝うつもりも全くない。まあ、お邪魔にならないようにしているのが正解かもしれない。
11日(土) 今日は午前中にメールの整理やら、HPの更新やらをし始めたら終わらなくて、昼ごはんを食べてからまたまた続きをした。HPというのも更新するのはかなりの労力が必要で、あっという間に3,4日たってしまう。すこし、支援者のご要望に応えて、私の最近の姿をトップページに掲載した。この1年間痩せたのを維持しているので、ある支援者の方が「励みになるので痩せた姿もHPに載せてほしい」との事だった。もっと大きな写真に刷ればよいかもしれないが、痩せた結果皺も多くなったことなので、遠めの写真にしました。

毎晩更新していた頃は夜のお仕事にしていたが、この頃は夜8時過ぎになるとトレーニングやらサウナに入りに行ったりとかなり忙しく夕食後に時間を取れない。時には体がだるくて行きたくなくなる。そんな時には無理をしないで休む。だから続けられたのだろうが、でも自分に叱咤激励しないと夜市民体育館やサピオに出られない。私が痩せたのが誰かの励みになるのであれば痩せ続けなければならないかなあ。お饅頭はこの何年間か食べていない。好きだけれどね。

はっと気がついたら、なんと洗濯物が洗濯機に入ったままで、子供達にお願いしたと思っていたのに、彼らは干さなかった。夕方からは家事にかかりきり。夕食後、娘と米を買いにカルフールへ。この前10キロのバッグを米びつに入れたと思ったら、もうなかったのだ。一番安い米を買った。米がおいしくないのか、家はどうしてもふりかけの消費が激しい。仕方ないなあ。
10日(金) 今日は朝からメールのチェックやら、内閣府の場所のチェックやらに忙しかった。1時半に内閣府に行き、選択的議定書を早く批准するように要望書を課長補佐に渡した。その際、30分にわたり会談もした。

内閣府が官邸の前にあるのも知らなかった。内閣府に入るのに、議員バッチはありますかと聞かれたのには驚いた。もって行かなかったら、通行書をくれた。議員バッチは通行所の代わりになるのか。知らなかったなあ。会議室で要望書を渡したが、この要望書はフェミニスト議員連盟がこの前の総会のときに渡す事を決議をしたものである。日本が何で早くこの選択的議定書を批准しないのか理解が出来ない。世界の中で批准していない国はほとんどない。先月は公明党の浜四津さんが他の公明党の女性議員と麻生首相を訪ね、この選択的議定書の批准を要望したと聞いている。反対しているのは自民党だけで、自民党の中でも進歩的な方は賛成なのである。だから、男女共同参画局もかなり前向きな姿勢ではある。しかし、批准しないでこの分で行くと日本は男女平等に関しては非常な後進国であるとレッテルが貼られてしまうだろう。なにしろ、女性の参画順位は世界で98位ですからねえ。男女平等の国であるなんて大きな声で言えないのが日本の実情なのである。恥ずかしいね。

内閣府からタクシーを飛ばして、六本木のアマンドへ。交差点にあったアマンドがなくて驚いた。とはいえ、六本木に行くのはいつANAホテルで同窓会に出席した時以来だから、もう4,5年たつわけだ。友達と「ユタちゃん会」を作っていて、尾崎が好きだったというキャンティにお茶をしに出かけたのである。内閣府から六本木まで車で5分しか掛からなかったから、時間的にちょうど良かった。ちょうど誰もいなかったキャンティのカフェで友達6人が集まって、わいわいいいながらお茶をした。とてもお高いところらしいが、1階は古めかしい喫茶店という感じだ。私はコーヒーセットをいただいたが、エスプレッソに最近は凝っているのでエスプレッソにした。ケーキはベークトチーズケーキ。レモンが利いていておいしかった。お味は古い感じ。

でも、レストランはお二人で5万円という高級店らしいから私達庶民の「ユタちゃん会」メンバーではいけそうもない。いつか夫と出かけたシカゴのイタリアンレストランでいただいた子牛のステーキが忘れられない。そんなものを食べる場所は日本にきてから機会も場所もなかったし、お金もなかった。アメリカにいた時は食べ歩きをしたのになあ。そして、2人で5,60ドルもあればおいしく食べられたのである。

夕方、六本木の町をそぞろ歩き、おなかが刷り他のでサイゼリアで安いイタリア料理を食べ帰宅。稲荷山公園で降りて、サピオで1時間トレーニングをしてから帰ってきた。東京は疲れる。トレーニングの疲れとは全然違う、嫌な疲れ。トレーニングで汗をかいたら、その嫌な疲れが出て行った。
9日(木) 今日は、朝アファのことをしたり、何十と来るメールを読んだりした。何でそんなにメールが入るのかというと、いくつかのメーリングリストに入っているからである。例えば最近そのMLでホットな事は選択的議定書の意見書の提出に関してであったりする。いろいろな市議会議員の各議会でのやり取りがメールに出てきたりして興味深いものがある。私のような無所属議員が何を出来るか、何を知るべきかという事に関して良い情報源なのである。とりあえず、私が会派に属さなくても党に属さなくてもやっていけているのは、このようなネットワークを持っているからなのである。

午後は娘が早く帰ってきたので、娘に散らし配りをおねがいして、私も他の所に散らし配りへ。チラシを配っていると、「まあ、議員ご本人が散らし配りですか」などとびっくりされる。本当に久しぶりに散らしくばり等をしているのだ。でも、私はそういってもらえるのが嬉しい。そして、必ずそう声を掛けてくれる人が、隅から隅まで読んでくれていると言ってくれる。十年一日のごとく同じ議会の姿勢を貫いていて、毎回議会レポートを発行しているが、きっと継続は力なりなのだろう。これからも頑張っていこうと思う。こうやって、支援者にあったり、市民の方と話したりすることが大切なのだろうと思っている。

夜、チラシ配りが効いてトレーニングに行く元気がないので、また、入間の湯へ。快汗房でじっくり汗をかいたが、気持ちが良かった。今日は暑くて何回もシャワーをしたが、さすがに夜に風がふいて、露天風呂のデッキに横になって涼んだ。横になりながら、9月議会について考えていた。懸案の視察をきちんとしなければならないと思った。心配事が少ない事はいいことなのだがぼおっとする時に考えるのは、何の事はないタダタダ仕事の事。こんなに仕事中毒になったのかと我ながら呆れている。
8日(水) 今日は、昨日作ったお手紙をもって、郵便局へ投函しに出かけた。その後、帰ってきてから昼食。郵便の整理をしたりしていた。アファーの編集の仕事がある。

今日は久しぶりに何万円かがお財布に入っているので、食料品の買いだめに出かけた。冷凍していたお肉がなくなりかけていたし、魚もないし、野菜もなくなってしまった。少し、仕事に集中していると冷蔵庫の中をのぞくのを忘れてしまう。そして、ご飯を作る時に、あれがない、これがないと言って、娘に買い物を頼む。ひとつ二つなら近くで買い物を済ますことが出来る。でも、大量にいろんな種類をというとスーパーに出かけなければとても無理。

夜遅くトレーニングへ。珍しく2日続けてだ。体の調子が良いのか腰の痛さも取れかけている。それにしても飽きずに続くものだ。ダイエットはゆるめになってきているので、トレーニングを止めたらあっという間に体重が増えていくだろうと思う。
7日(火) 今日は朝からお手紙をもう少し出す事にして、印刷やら封入やらと忙しく過ごした。ネットニュースもすりましをした。

その後、アファーのために仕事をした。宝塚市長の中川さんからファックスで原稿が来ていて、それをコンピューターに打ち直したりした。夕方近く役所に行った。医療費補助の手続きをした後、いつもより少し早めだが市民体育館でトレーニング。医療費補助の仕方が分からなくて放っていたら大変な量になっていた。でも、思ったより簡単な手続きだった。もっと早くきちんとするべきだったなあ。
6日(月 ) 今日は、娘の看病をしたり、朝から印刷をしたりしていた。午後、娘を起してご飯を食べさせ薬を飲ませた。テレビを見させないように、仕事私のを手伝わせた。私は夕方4時から市川房枝記念会の女性と政治センターの企画運営委員会に出席。そのために、2時半過ぎに家を出た。娘と息子に夕食はカレーライスを作るように指示。このところ、こども達が食事を作れるようになりとても楽になった。

夜、10時前に帰ってきた。市川さんのところの夏季研修会ではケーススタディの司会をすることになっている。あれやこれやで本当に忙しい。
5日(日) 午前中、礼拝。午後、伯父さんのご機嫌伺いへ。89歳になるというが、呆けてもおらずお元気で何より。

帰りにブックオフにより、業務スーパーで買い物をし、本だらけで立ち読みをして帰ってきた。帰ってきたら4時半を回っていた。急いで、家事をした。洗濯は干さなければならないし、ばたばたしていたら、夫が食器を洗った。

珍しく夕食に5人がそろった。この前がいつだったかと思うほど、一家が集まって食事をする回数が減った。下の息子が部活を引退したのでかなり早く帰るようになったが、今度は上の息子とすれちがったりする。それでも、今が一番私達夫婦にとって幸せな時なのだろうと考えている。

夕食後、入間の湯へ行った。上がろうかと考えていたら、息子がやってきて娘が大発作を起こしたという。この1年半ほど大きな発作がなくてよかったと思っていた。それに就職したので緊張していつ発作が出るだろうと身構えていたのだが、今までなかったのでホッとしていた。それに、大抵朝に発作が起きる事はあっても夜というのが珍しい。薬を飲み忘れていたわけではないのだが。急いで、入間の湯から戻り、薬を入れて寝かしつけた。何があったか分からないと娘は言っていた。泣いていたが、私の顔を見ると安心したのか泣き止んで寝た。こんな時に、本当に途方にくれる。私がいなくなったらこの子はどうなるんだろう。
4日(土) 今日も朝から原稿を作っていた。ある決心をして、ネットニュースで会員を募集する事にした。今までも後援会員を募っていたではないかというが、昨年来後援会の解散も考えていた。お金を出していただくのも気が重い。大抵の寄付は私が出しているならば、自分の活動として行った方が面倒はない。実際後援会の活動は会費からというよりも、個人活動は参加者が実費で負担した活動が多かったから、今とそう変わる活動となるわけでない。まあ、議会レポートは個人が出すべき政治活動だし、ネットニュースがなくなるだけである。そう考えると、何もわざわざ後援会を持っている必要も感じないわけである。

が、後援会を解散するのは止めた。細々だが、理想選挙、理想政治の旗を担ぎ続ける事にする。たとえ、会員が10人を切ろうとも、私一人が会員という事になれば別だが、続けていこうと思う。市民が身銭を切って政治を支援するという構図を作り出したいと願うからだ。本当は税金による党の支援等というのはおかしな話であるのだ。企業献金を個人献金にするという。その受け皿は何も国会議員でなくてもよい。地方の市議会議員のような政治家に対しても市民のサポートが必要だ。その受け皿になっていようと思う。大変なんだけれど。

午後までかかって原稿を仕上げた。

夕方早くにご飯を食べ、サピオのトレーニングへ。その後、9時半からユナイテッドシネマで夫と「愛を読む人」を見てきた。何が言いたいのか混乱した。戦争は悲惨だというのか。戦争の個人としての責任回避が主題か。愛はなにかというのが主題か。正義とはどうあるべきかが主題か。よくよく分からない。でも、スペースカーボーイムービーは嫌いだから、どうもわけのわからない映画を見てしまいがちになる。夫はいい迷惑だろうなあ。彼と趣味は全然違うので。
3日(金) 午前中に昨日の続きの原稿を書いていた。書ける所まで入ったが、途中で何を書くかまた悩み始めてしまった。そこで中止。

午後は尾崎ファンの友達と4人で、友達の家でビデオ鑑賞会をした。いい年の大人が良くぞ良くぞ尾崎にきゃあきゃあ言っていると思う。自分達だって変だよねって思っているんだけど、止められない。私の中で尾崎はまだピクピク動いている。なかなか、私は尾崎を客体化できない。まあ、ファンになってようやく2年。それに自分の状態があまり変わらないと思うから、びくびく度もかわらないのだろうね。

でも、楽しい会だからあっという間に時間がたつ。最後に街路樹という曲を凄いスピーカーで聞いて、あまりの臨場感に呆然とした。リマスターされたCDだが、まあ凄い。エンジニアの精魂込めたのが聞こえる。目一杯の音なのだが、音の中に体ごと埋め込まれたように思った。尾崎、貴方はこんな風に感じていたのかと新たなおもいまでした。

夕方、ヤオコーでまたお刺身を買って帰ってきた。私は最近安いお刺身ばかり食べている。帰ってきたらもう9時ごろだったから、行こうと思っていたトレーニングも今日はお休み。明日行く。
2日(木) 今日はようやくエンジンが掛かり、何とか原稿を書き始めた。会計も入れたが、どうもエクセルからワードへのコピーがうまく行かなくて、どんな風にしたらいいのか分からない。仕方がないのでかなり大きなスペースで会計を入れた。しょうがないな。あれこれ、いじりながら原稿を作り上げているが、は〜〜〜。大変。

エンジンがかかっって乗っていたので、夕食はあまり物なってしまった。こんなときには出来る限り原稿を書かねばと思う。焦るなあ。
1日(水) あっという間に7月にはいった。今日も悶々とネットニュースを書こうともがいた。それにしても税金も払わなければならないので、郵便局へ。あれこれしなければならなかったが、夫がいないと出来ない。私がすべて夫の名義で行っていた事が私が出来なくなってしまった。めんどくさいなあ。郵便局は土日も明けておけばいいのにと思う。

午後は、やはり原稿書きと会計処理に戻ったが、なかなか進まない。気合の問題だと思いながらも時間だけがだらだらと進む。

夜は市民体育館へ。こちらは汗だくになった。気持ちよく帰ってきたが、勿論夜の仕事はなし。夫と飲んだワインがおいしかった。

現在メール
があった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野、広島

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。
バックナンバーへ