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私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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8月 私の独り事
31日(月) 今日は、朝眠いけれどおきだして洗濯などを午前中にした。台風が来ているので、外に干せないが仕方がない。

11時ごろ議会事務局により、、台風で多摩動物公園から視察のキャンセルが入っていないかを確かめたが、何も連絡がないとのことで、視察に出発。今日は楽しい楽しい動物園の視察なのである。

朱鷺の飼育に関しての視察であったが、何しろ(私は知らなかったが)鳥の飼育の神様みたいな世界的に鳥の飼育に関しては有名な方が多摩動物公園にいらっして、お話しを伺いながら楽しくて楽しくて為になって、夢中でお話を聞いた。くだらないような小さなことがとても重要なのである。朱鷺が冷凍ワカサギを食べるというのは、今まで知らなかったし(勿論解凍して与えるわけだが)、中国産のどじょうが日本産の(勿論超高いもの)に比べ、残留農薬が多いとか、朱鷺は1年ごとにパートナーを変えるらしいとか、朱鷺のくちばしが湾曲しているから鷺に比べて食べ物をとりにくいだとか、もう、書いていたらとてもとても書ききれないぐらい多くの情報があって楽しかった。

その後で係長さんが園の半分ぐらいを特に鳥に関して見せてくださった。とても大きなケージに遊歩道があって鳥を放し飼いにしているところにも行った。怖かった。だって、鷺なんて攻撃性はないと言っても私の背の高さぐらいの鳥だ。突っつきませんよというが、なんだか向こうのほうが数が多くて人間が2人しかいないから、とても変な感じ。

ちなみに台風のせいでだれも公園に来ていなかったのだ。公園は本当に水商売。天候によって、左右されてしまうのだ。モグラの家も面白かった。やはりオラウータンはおかしい。寒いのか麻袋を着ていた。変だ。娘が可愛かった。3世代のオラウータンが一緒にいた。台風なので家の中だった。とにかく、あの施設が宝くじの補助で出来たらしい。他にもう一棟も宝くじの補助金でたてたという。東京のようなお金持ちですら、宝くじの補助金を貰うのかと新鮮な驚きだ。狭山市の動物園は一円も貰っていないのに・・・

楽しくてはっときがついたら、5時近かった。自分にお土産を買った。その後、京王線で新宿へ行き、丸の内線に乗り換えて後楽園の東京ドームへ。ホンダが勝って、優勝戦へこまを進めた。かえってきたら、結局11時。疲れた。
30(日) 今日は近くの教会で礼拝。私の教会は夏休みだから、最近は近くの教会で礼拝を守っている。

午後は、暑かったせいもあり、何もする気が起きない。それでも3時からはエステと美容院に行く事にしていたので、選挙を済ませた後に、のこのこ出かけた。来週からは議会も始まる。毎日、議案書と決算書を読んでいて肩のコリが凄かったようだった。エステの人がマッサージをしてくれるのだけれど、顔のマッサージよりも肩のマッサージが気持ちが良くて、眠ってしまいそうだった。こんなに肩がこっていたから、頭に血が回らなくてやる気もなくしていたんだなあと自分で納得した。友達が勤めている美容院だから、白髪染めとカットをしてもらって帰ってきた。7時半を回っていた。

夕ご飯を食べてからは、もうテレビにかじりついて、総選挙の開票を見ていた。民主が強い。まあ、予想されていたことだけれど、実際政権交代が出来るようである。議会での一般質問の項目に政権交代したらどうするんだというのを入れておいたが、これを取り下げる必要もなくなった。
29日(土) 今日は、のんびりするはずの日ではなかったのに、何も手につかなかった。洗濯はたくさんしましたけれどね。それで、開き直って野球hondaの応援にお兄ちゃんを誘っていく事にする。頑張れ、ホンダ。がんばれ、私。

そういえば、酒井法子の覚醒剤事件。きちんと事実関係を突き止めなかったらいけないと思う。やっている人を徹底的に摘発すべきだ。

しかし、生活の根源まで脅かす、社会から排除してしまうというのは、まるで魔女狩りだ。今までのCDもDVDも売らないというのはやりすぎではないか。生活の基盤をなくしてしまったら、この人はどうやって生きていくのだろう。それに、CDやDVD、そのパーフォーマンスに罪があるわけではないだろう。いろいろな人が集まって作ったCDでありDVDだろう。何も覚醒剤の宣伝をしているわけでないのだから、市場から排除するというのは、やりすぎだと思う。

私は尾崎豊がジャンキーだったのを知っていて彼の曲を聞いている。彼の曲は素晴らしいよ。とても慰められ、励まされ、かんがえさせられたりする。覚醒剤の使用者だったからって、すべてを否定してしまえない。少なくとも尾崎豊の場合はそうだ。酒井法子の歌をきいたことはない。しかし、罪を犯した人をまるで生きていなかった人のように、すべて過去すら日抹殺してしまうようなやり方は人権無視としか思えないのだ。なぜ、こんなに魔女狩り的な状況が巻き起こっているのか。罪を憎んで人は憎まずとは行かないものか。
28日(金) 今日は朝からぼうっとしていた。昨日の晩も頭が興奮していて、夜中にはっと起きるとその時に質問の内容を整理していたりする。寝ていても、考えているんだから我ながら辛くなる。

それでも、朝シャワーをし、頭を洗ってから役所へ。書類を役所の自分の部屋に置いておいたから、仕事するには役所に行くより仕方がない。でも、役所にいると結局自分の時間は持てない。次から次への報告が上がってくる。嬉しい事やら悔しい事やら、人生いろいろ、役所もいろいろです。お昼の時間もそこそこに1時からは民生費の勉強会。

役所での勉強会は昨日より20分おくれて、10時半までだった。家に戻ったが、ビールを飲んで寝るしかない。帰ってからでは頭に何も入らなかった。
27日(木) 今日は朝からヒアリング。決算の勉強会。総務は終わった。昨日早く寝たので好調。

帰ってくるとき時計を見たら10時10分だった。疲れた。途中にツタヤで本を見てきた。買いたいものがなくて残念。もう、頭が数字と共に校不運状態で眠られない。1時半過ぎに寝る。
26日(水) 午前中はヒアリング。議案について。午後からは代々木まで市川房枝記念会の企画運営委員会。

夕方、江端さんの選挙事務所に行ってきた。かなり締まった事務所で勝つことを本気に考えていた。よし。

その後、帰ってきた。戻ったら珍しく8時前だったが、何しろ疲れた。寝る。
25日(火) 今日は午前中全員協議会。次々に新しい事が国の補正予算がらみで行われる。嬉しい事は民間だが保育園が開所されるような事。それと、住宅困窮者への補助金事業。少しでも困った人に役に立つといいけれど。PRの仕方次第。

その後、建設協議会。

午後はヒアリング。教育委員会の議案説明。きくだけ。早く帰ろうと思ったが、さまざまなヒアリングが入り、役所を出たのは8時過ぎだった。トレーニングに行かないので、太りがちだ。
24日(月) 今日は、朝から憂鬱。なぜなら、一般質問の通告をお昼までにしなければならないからである。家であれこれ考えていたのだが、まとまらない。それで、役所に行って書くことにした。

結局出てくる内容は考えていたことしかない。ひとつ政権交代した後の市政運営について聞くことを付け加えた。だれも聞きそうもないので尋ねる。これが無党派の良いところだろう。党派性のある人は、負けても勝っても嫌な質問になるだろうから。淡々と聞こう。

後は、動物園と保育所のこと。視察で感じたことなどを言おうと思う。

昼食後、ばったりと副市長に会ったので、政権交代した後の市政運営について聞くよと話をおおした。その後、7階の企画に行き、部長、副部長や財政課長にその話をして、考えをまとめておいてほしいと言ってきた。政権交代して、市政になにも代わりがないと言えばいいが、そうじゃないでしょと思ってしまう。

私は、平和主義者だから、憲法を改正しない人に入れたい。そういう政党が政権を握るといいなあと思う。比例は決まっているんだけれど、困ったなあ。皆右よりの人しか立候補しない。いや、出来ないのかもしれないね。

帰ってきて、HPをサイトアップの更新準備をした。今は、10時半。眠くなってきた。
23日(日) 今日は午前中礼拝。いのちの樹教会に出かけた。説教は分かりやすい説教だった。知っている人がマレーシアから帰ってきていて、会って嬉しかった。シンガポールに行くはずがいけなくなったという。本当に彼の人生は山あり谷ありである。祈っていなければならないと思う。

午後は、サピオにトレーニング。珍しく1時間歩いた。他のトレーニングは腹筋40回、背筋40回、20キロの腕の引き上げを20回など。少し、足の疲れがとれない。ストレッチもしたけれど。

サピオの帰りに博物館の模型を見に行った。凄いジオラマ。凄い模型。ボランティアさんの努力の結晶だ。企画展は難しいが、この手のものは外れることがなく、人が来てくれる。NHKも新聞もよく報道してくれた。博物館は勿論貴重な展覧会もして、そんな時にはマニアというか一定の人しか見に来ないこともある。それはそうだが、やはり多くの市民に親しんでもらいたいものもある。博物館は楽しいところだと思ってほしい。動物園も好きだけれど、博物館も大好きなのである。

馬車鉄道だった模型もあった。私はこれがほしかったといったのだが、作ってあって驚いた。私などが考える事は、博物館の人はお見通しっていう事だ。家の模型もあったが、あの当時の農家ってああいうのだったんだろうかと、馬車鉄道の模型を見ながら考えた。それにしても、何処で作っていたんだろう。とても大きな模型だから、つぎはぎをしたのだろうけれど、それにしても凄い労力だ。

夕方、朝の知人が子どもを連れて夕食に来るので大急ぎで、食事を作った。あれこれ、あるもので次々に作った。珍しくイタリアで買ってきたものも出した。ワインが芳醇でおいしかった。子供さんも1歳半。妻は韓国人で、日本語と英語をちゃんぽんで話した。私達の韓国語はほんと1,2の単語しか知らないから使えない。8時過ぎには子どもの寝る時間とあす田舎に帰るのでホテルに戻るという事で、帰っていった。次はいつ会えるだろう。彼と彼の家族に幸せが来ますように。
22日(土) 今日は疲れた。朝から山ほどある洗濯をし、HPも更新の準備をしたりしていた。熱くて蒸すしで大変。でも、子供達はいないし、夫は仕事だから、冷房を入れるのももったいないなどと思っていたら、もうかなりバテテしまった。

夜、トレーニングに行きたいと思ったけれど、体力がなくて、とてもトレーニングに出かけられなかった。それで、夫と二人入間の湯に出かけた。のんびり、お湯に浸かったり、サウナに入ったりした。2人きりだから食事も入間の湯でした。夫は私が作れないエビフライなどを食べた。私はそば。これで何日蕎麦やうどんを食べているのだろうと思った。帰ってきて、疲れも取れず、そのまま寝ることにした。
21日(金) 今日は、朝10時からの視察があった。アイーナという岩手県の複合施設の概要や管理などの視察。前から職員に見に行くように言われたところであった。施設は254億円もかけた地下2階、地上8階建ての凄い箱物である。6社のJVが指定管理者として岩手県から管理を代行している。広さもある。8階から施設を見ていったのだが、広いのは貸し部屋の広さも広い。そして、150席などという広い部屋はなんと80%から90%の稼働率だそうだ。凄いね。駅前2分の位置にあり、公共交通機関の利便性は最高のところで大きな研修などに使われたり、試験場会場になったりしているそうだ。何しろ貸し館だけで1億円も売り上げるというのだから、本当に驚きの公立公益施設だ。

管理料は8億円。そのうち、4億円は光熱水費という。明り取りの大きなガラスの天井には太陽光電池が組み込まれていた。ガラス張りの施設は冬でも光を取り込む。大きなふきぬけがあるので、トンネル効果をりようして、温かさを維持するという。それにしても、7800平米が8億円の管理料だとしたら、狭山市の5100平米は5億円ぐらいの管理量が必要になるのか。少し、気分が落ち込んだ。

見ていると施設には少なからず、弱者の視点が欠落している。トイレ。やはり、男性と隣り合わせにあり、管理室からは遠い。痴漢がこわい。それに、隅にあるトイレは緊急の時、助けに行き憎い。今までも、トイレで倒れた人を何べんも救急車に乗せたそうだ。ストレッチャーがはいるエレベーターもない。緊急の避難階段がまたまた分かり憎いところにある。本当の事を言って、緊急階段は隅にあるよりも、出来る限り分かりのよう真ん中にあるべきで、それはトイレとも同じ。トイレは階段やエレベーター、事務所などの人のいる近くがよい。これらの考えに説明してくださった方も同意していた。

そもそも、エスカレーターは年寄りには乗れない。足が出なくなるのだそうだ。だから、緩やかな階段が良いそうだ。それなのに、設計図を書く人は若い男性が多いそうで、「やはり、利用者の52%が女性なのだから女性も企画から参画してないと使い勝手がわるいですよ。」ということだった。それに、年寄り向けの配慮も決定的に足りない。トイレでの病気、足が悪い人にはエスカレーターは役に立たない。図面を書くことが出来るのは技術者高も知れないが、利用者を知らずに、また管理費を考えずに作ってもらう事が重大なことなのである。

情熱的な人に一生懸命考えながら視察をさせていただいた。参考になったなあ。お昼を食べる時間がなくて、また、ベーカリーでパンを買い、水でお昼にする。バスを待っていたが、なかなか来ないで駅で待っていた。おかしいなあと思って延々来るバスを待っていた。バスの車掌さんに聞いたら、それならば、そのバスの後ろにいて、もう発車したとのことだった。焦って、ハイヤーにのって盛岡市動物園に行った。

盛岡市動物園は普通の動物園だった。学ぶ点があるとしたら、市民に開かれている点だろう。催し物がたくさんある。子供達の飼育トレーニングもたくさんしている。ここは、秋田とは違い、広すぎるほど広い動物園である。何か特徴があるかといえば、広い動物園を有効に使ってのスタンプらリーをしたしているようだ。そういう事のネーミングがとても良くて、ワクワクする。市民参加型の催しが多いので、夏なのに思った以上に人が入るらしい。

鳥類も多くて、今まで朱鷺のことを考えなかったときには思いもよらなかったような発見がある。展示の仕方ひとつで見えるものも変る。大鷹は思ったより小さい。それは巨大な岩鷲を見た性もアルだろう。可愛いふくろう。つがいでじっとこちらを見ているのが、まるで絵のように見えた。もっと、鳥類を知りたいと思った。狭山市には猛獣がいないので鳥に思いが行く。

夕方、動物園の人に市街地まで送ってきてもらってから、駅に行った。ここも、やはり城下町だった。残念ながら、お城は奥州戦争でまけたので、城跡しかなかった。勝海舟がわざわざギブアップしたのに、内戦を起す必要はなかった。それでも、武士のやせ我慢で闘わずにいられなかったんだろうかね。

蕎麦の夕食後、新幹線で帰ってきた。新幹線は20分も遅れて盛岡に来た。熊のようなものと衝突したので、点検のためおくれたという。さすが秋田の辺境を通る新幹線。熊をひくとは凄いよね。でも、そのために遅くなって、本当に疲れた。盛岡の駅に秋田のポスターを忘れてきてしまった。残念。
20日(木) 今日は、5時半には起きて支度して、42分のバスにのって、大宮から新幹線に乗り込んだ。少し早く着すぎたので、大宮でコーヒーを飲んだ。その後、秋田新幹線で秋田へ。駅を出てまたコーヒーとサンドウィッチでお昼。その時に、携帯がなった。15分の待ち合わせだったと思ったが1時ちょうどの待ち合わせで秋田議会事務局の人が議長車でお迎え。佐渡市も議長車での視察だった。狭山市議会よ、一人で視察に来るという事はそれだけ真剣な思いで視察に来るのだから、どうか他の議会事務局が私にしてくださるように、親切に丁重に議員をお迎えしてほしい。

とにかく、海岸線を通り、何機もある風力発電のプロペラを見ながら、秋田大盛山動物園へ。園長先生とずっとお話をしながら説明を聞いた。私はグーグルで大盛山動物園がいろいろな催しをしている事を知っていた。いつか行こうと思っていたし、今回は朱鷺舎を持っているので、是非是非見てみたかった。展示はいろいろな工夫があり、ワクワクどきどきした。となりだった展示場のトラがライオンのオスにちょっかいを出したらしく、雄ライオンがほえたのには驚いた。犬が鳴くのとは大違いの迫力。オラウータンは私達が園長先生についていったのに嫉妬したらしく、窓を蹴った。それに驚いて、他の舎のサル達が大騒ぎした。こんな自然な動きは今まで見たことがなかった。いつも見に行っても、寝ていて動いていなかった。夕方4時過ぎになったときには、ご飯が近くなったのか、動物達がそわそわしてきていた。それを始めてみて、又どきどき。

そうそう、ペンギンは本当に鳥なんですね。泳いでいるという水槽を見せてもらったが、羽毛がたくさん浮いていて、羽があることを認識した。だから、旭山動物園のあの空をペンギンが飛んでいるというトンネルなんですね。今頃、分かりましたよ。

それにしても古い動物園にちょっとずつ手入れをしていた。一億6千万円もかけての通路のような遊具は高所恐怖症の私も平気だった。岩の上に住むというヤギの展示、サルにしても葉を食べに来るように工夫がしてあった。本当に楽しく、はっとすることが多い大盛山動物園。旭山にも負けていませんよね。それに、園が大きすぎず、小さいのがいい。ポスターもすばらしいポスターだ。それも、誰かに委託するのではなくて、あの人が作っているんですと紹介された。プロだ。写真が凄くいい。2枚いただいてきた。本当に、本当に素晴らしい才能が動物園にいる。

この動物園で一番興味深いのは園長ですといってしまったが、本当に園長先生の熱意は凄いし、それを助けている飼育員も凄いね。ボランディア活動も活発で、あの花壇も作ってもらいましたという事。写生大会の優秀の絵をずっと掲示してあった。まるでモニュメントのようにしてあったが、これも凄いと思う。あれもこれも、感動で、秋田まで早起きしてきてよかったと心から思った。ありがとう、園長先生。素晴らしい説明をしていただいて感謝でした。旭山の2番煎じという感じがしない。勿論、旭山とちがうコンセプトがあるからだと思う。

朱鷺舎は少し意外な気がした。小さかったし、たくさんの朱鷺がひとつの鳥舎にいた。これを見ていると、あまり朱鷺に構っている風ではなかった。かえってイヌワシに力を入れているようだった。朱鷺は狭山市でも飼えるって気がしたが、キット秋田は朱鷺は育てる気はないんだろうと思った。

夕方、稲庭うどんを食べて、盛岡へ。
19日(水) 今日は久しぶりに家にいた。疲れ果てていた。13日からほぼ家から出ていた。このところお天気もよく、視察で外に出ていると熱いし、日焼けはする。疲れて当然である。どうしたわけか、7時前にはおきてしまうしね。久しぶりにトレーニングをと思うのだが、疲れ果てていてとてもトレーニング行く気にならない。無理はしない主義だから、家にいる。

午前中は少しHPのアップするために書き込みをしたり、いない間のメールを読んだり整理したりした。メールは60近かった。MLの活動も活発だ。とにかく、メールを読むだけでも大変だから、なかなかHPのアップまで行かなかった。

夕方役所へ。明日からの視察の確認など。それと、視察に関しての報告。勝手に話し込んだのを、迷惑な顔すらしないで聞いていてくれている職員。ありがとうね。話すこと。話したいことがたくさん。児童館のリニューアルについて子育て支援課から聞いた。なんだか、どこかがおかしいというか、変なのだが、なにがおかしいのかよく分からない。なにかをかんじるんだが。

夜、10時半ごろになって疲れ果ててしまった。明日も6時半には出なければと思うので、早く寝ることにする。
18日(火) 朝、6時半に起きた。お風呂に入り、お化粧し、朝ごはんをいただき、7時半には佐渡汽船へ。ジェットホイルで佐渡へ。両津港へ着いたのち、バスで金井へ。佐渡市役所で議会事務局の方とお会いし、朱鷺保護の話を聞き、朱鷺保護センターへ。

いろいろ伺った。朱鷺の習性。朱鷺の飼育の仕方。154羽いる。そのうち10羽は多摩動物公園にいる。会いに行きたい。ケージのあり方。面白かったのは、朱鷺は足をけがしがちだということで、足は大きくてかかとに当たるのが、見た目はひざのところだそうだ。一度は日本からいなくなった朱鷺。見ていてとても厳粛な気持ちになった。私は新潟県の生まれだから、キンという最後の朱鷺がなくなった衝撃を今でも思い出すことが出来るのだ。「あの子は36歳でした。朱鷺は20歳で人間で言えば80歳でした。とてもとても大切に飼育しました。人間で言えば160歳まで生きたんです。」と朱鷺保護センターの所長さんは言った。本当に真剣に種の保存に取り組んでも駄目だった。手遅れもある。どうしようも亡くなることがあるのを目の当たりにしたときの絶望感を子どもながらに感じだ。

今の朱鷺は昔日本にいた朱鷺とDNAベースでほぼ100%同じものだという。中国産である。「ほら、日本人も中国人も変わらないでしょ。」と言われたが、本当かねえという感じ。「女性で言えば、日本人と中国人では性格はちがいますよ」と言い返したけれど、朱鷺の性格の違いはよく分からない。朱鷺は臆病で繊細で神経質なのだそうだ。怖がりだからカラスなんかに負けるという。智光山動物園で飼うとしたら問題はからすだろうなあ。フラミンゴだって子どもを産まないんだ物ね。

急いで、朱鷺の森公園に行き、朱鷺を見た。遠くでよく見えなかった。黒朱鷺もいた。つがいが原則だそうで、一度つがいになると死ぬまで浮気をしないそうである。偉いよね、世の人に教えなければならないよね。

議会の方に両津まで送ってもらい、ジェットホイルで帰ってきた。おばの所で夕食をいただき、そのまま新幹線で家に戻った。本当は佐渡市をもっと見ていたかったが、あっという間に送り返されてしまった。滞在時間3時間。お土産を買う時間がなんと5分あっただけだった。お昼ごはんはなんとチーズパン1個を水で食べた。視察させてもらったんだから、もっともっと何かを買うなりしてお金を佐渡で使おうと思っていたのだが・・・・

家に帰り着いたのが、10時前。
17日(月) 今日は、午前中のんびりとしたのち、午後1時から上越市で子育て支援・保育所の視察であった。

上越市は本当に子育て支援をよくしているなあと感心する。まず、待機児ゼロ、入所率85%とは、のけぞった。公立保育所が50園もあるそうで、もうそれだけで「は〜〜〜っ」て声も出なかった。20万都市だ。広い都市ではあるがさ。ニーズにはこたえていますということである。子育て支援課は市民部にあるそうだ。保育所・学童保育室は市民部のマターだそうでおどろいたが、そうかなとも思う。

病児保育は5月18日から正式に始まったようである。それまでは、塚田病院の方々が行っていた無認可病児保育室だったようだ。年間2千万円もの出費を個人でだしていてくれたらしいが、今年からは1100万円は国、県、市、使用者から出される。定員は22人だが、用意された支払いは4人分というのだから、理解がよく出来ない。なぜ、無認可を5年間もしていたのかという問いに医師会との話し合いが難しかったという事だった。残念ながら、ここは視察できなかった。私は始めから病院のような保育園を視察できるとは思っていなかったので、病後児保育室を視察した。

病後児保育室は本当の所ギブスをした子どもなんかがいるのだと思っていた。でも、実際はせきが止まらない咽頭炎の子と風邪を引いた赤ちゃんがいた。0歳児と2歳児だった。熱っぽいのか3時近くに行ったが寝ていた。可愛いぽちゃぽちゃした足が可愛くて愛おしかった。病児と病後児との違いはぴっと線をひくことが出来ない。主治医が連絡表を書いてくれれば、登録してあれば保育所に連れて行けるらしい。今まで拒否した事はありませんという事だった。狭山市にもほしいと思ったが、ただ単に保育所を作るだけでなく、かかりつけの医師の連絡表を書いてもらわないといけないなど、システムの構築に時間がかかりそうである。

夕方、新潟に移動した。叔母の所に泊まる。
16日(日) 今日もいつものとおり、7時過ぎにおきたので、実家の近くの散歩道を往復1時間ほど歩いた。関川という大きな川の土手が散歩道となって整備されていた。狭山市のサイクリングロードの2倍の幅で整備されているので、対面から人や自転車が来ても危なくない。さすがに、新潟県の事業は狭山市とは違うと感心しながら歩いた。ミミズが道路にたくさんいて、それを突っつきに鳥が群がっていた。カラスがいるとどうしても気持ちが悪いし、少し怖い。風は浜風で涼しいのでもっと歩きたいと思ったが、カラスに遭遇するとどうしても嫌な気持ちが抑えられなくて帰ってきてしまった。それにしても良い散歩道で、ウオーキングしている人も多い。

午前中、遅くに海に出かけた。勿論私は海に入らなかったが、夫と娘は少し入った。遠浅で小さな子どもも含め、多くの人が泳いだり、遊んだりしていた。

午後、少し遅くなったが母も一緒に上越の湯に出かけた。前、カウボーイという店があったのだが、残念ならが倒産し、今はレジャーランドのような温泉になっている。お昼を込みでひとり2500円というのは安くはないが、お昼が豪華だから高すぎるという金額でもなかった。私は弁当を頼んだが、海老、かに、烏賊と食べられないものがたくさんあって、娘と交換しながら食べた。本当に、外食は大変なんだ。

温泉なので匂いがきつかったけれど、あれこれ入り、お湯に浸かっている時間は短かったのにもかかわらず、体があったまって、夜中までぽかぽかしていた。本当にアレは温泉だったんだと思った。

夫は夕食をいただいて、6時過ぎに狭山へ出発。六日町を通って湯沢の方から関越に乗るといっていたが、11時に高崎からでんわがあり、ついたのは深夜を越えていたらしい。やはり渋滞があったようである。私は明日の視察のために直江津に残った。
15日(土) 今日は、朝早く起きた私は、別荘地内を2周歩いた。その後、バーベキューをと思ったが、その前に、どうした加減か、夫が家の屋根の上に出ている木の枝を切ることにした。見ているとはらはらしていたら、息子が手伝ってくれて、屋根にあがった。彼が屋根に届かんばかりの枝を次から次に下ろしていった。本当は木を切ってもよいのだが、素人の私達にはもう不可能なほど大きくなってしまっている。枝を払わなければ、切ったときに屋根を突き抜けかねないわけだ。だから前から言っていたのに、話を聞いても知らん振りしていた男ども。まあ、夫一人で切るのは不可能で男3人の力が要るだろうけど。

枝きりがひと段落したので、バーベキュー。たくさんしなかったのだが、それで十分だった。次男がいないとお肉の消費があまりない。そもそも私はお肉を食べるのをやめてしまっているし。結局、朝ごはんのはずのバーベキューもお昼兼用となった。帰りに掃除をするのだが、こっちの方が大変。次に来た時に黴だらけではいやだから、少しでもきれいにしておきたい。

ごご、2時ごろようやく出発し、親のいる上越市へ。皆、私達が来るのは大変だろうけれど、喜んでくれる。だから、お金をかけても結局親の顔を見に出かけることになる。両親とも元気そうで良かった。暑いけれど、直江津の暑さは浜風が吹くのでなんとなくしのげる。それに、お盆過ぎると北からの風らしく涼しく過ごしやすい。

夜は歓迎大パーティーとなった。10時ごろ、息子は飲まず、ガールフレンドと狭山へ戻った。次の日、朝3時に着いたと夫にメールが届いていた。
14日(金) 今日は、疲れ果ててはいても、やはり息子の弁当は作った。7時前にはおきてしまうからである。その後、別荘へ行く準備をした。新潟や秋田など視察の準備のために、お茶などを買い込んだ。結局、出発したのは、昼を過ぎていた。長男はすでにガールフレンドと夏休みで別荘に行っている。残るのはは次男だ。受験勉強で予備校にも行かなければならないわけで仕方がない。この頃はずっと、朝9時の授業に間に合うように、7時半にでかけ、夜9時まで勉強しているらしく、戻るのは10時半ごろ。彼も頑張っているので、私も一生懸命頑張って、おにぎりをつくっているわけである。

別荘に行く前に、穂の香の湯に行った。陽のある内にお風呂に入っていると、いつも思うがなんと贅沢だろう。1時間近く入って出てきたら、長男からの電話で近くのスーパーにいるというので、そこで落ちあった。バーベキューのお肉やらをかって、別荘へ。佐久は空気が乾燥していて、天気が良くても暑くても気持ちがいいこと。特にお風呂上りだったので、なんともいえない。夕食にバーベキューと言っていたが、私は疲れ果てていてとてもする気になれず、明日の朝に延期。夕食にスーパーで買ったお稲荷を食べたらもう眠くて駄目。考えたら、昨晩は5時間も寝ていなかった。眠いはずで、エネルギーが切れたロボットのようになった。
13日(木) 今日は、夫と二人、朝5時におきて、6時のバスで狭山市駅へ。それから、東京駅に行き、新幹線で新大阪。そして、阪神電車で甲子園に行った。夫婦で関西に行くのは20年ぶり。修学旅行のような感じだった。きっと混雑して座れないだろうと早くにでたが、早すぎたのか席はがらがらで夫婦して座れて少し嬉しかった。曇っていて富士山が見れなかったけれど、あっという間に新大阪についてしまった。

結果はご存知のとおり、聖望は負けた。負けるのは簡単だなあというのが感想。勝つのに比べれば、負けるのはあっという間。淡々と負けた。実力が相手が上だったという事かな。残念だけれど、完敗だから応援団皆がっかりはしていたが、それでも悔いが残るという感じもなかった。応援グッツを買って帰ってきた。

夫は甲子園から夫が留学した時の甲南大学の先生にお電話した。そうしたら、お会いしてくださるという事。それで、急遽、京都、嵐山の先生のお宅に出かけた。今回は私達がご招待の夕食をと思ったのに、オタクでシャワーをおかりして、冷たいビールとおいしい食事までいただいた。話も積もるようにあり、あっという間の2時間が過ぎ、私達は京都駅まで車に乗せてもらい帰ってきた。本当に夢のようなじかんだった。もう、先生もお年を召していて、大病を患ったとかで、今回会って本当に良かったと思う。

最終の特急にのったので、帰宅はもう深夜12時を過ぎて1時近かった。
12日(水) 今日は10時から市川房枝記念会のこのまえの研修会の実行委員会の反省会。まあ、よく出来ましたという事で、今後について話し合った。また、11月にイベントがあり、そこでもひと頑張りするようなので、1時ごろまで話し合った。26日にまた会議をもつことにして、ひとまず散会。近くのカフェで食事を皆でとりながら、また話し合い。紀伊国屋によって帰ってきたら、もう夕方。明日の準備もあるので大忙しである。
11日(火) 今日は、本来ならば甲子園に行くはずだったが、雨で順延になってしまって、13日になった。思いがけずスケジュールが開いたとおもったが、アファーの最終稿を出すまでにまだまだ校正が入る。今回、どうしてこんなに直さなければならないんだろうと思うところが多い。皆気合を入れて校正しているかなあ。一番駄目な校正者はわたし。でも、編集者と協力して誤りのない文面を作ろうと頑張っている。もう、大分出来上がっているのだが、もうひと頑張りである。

また、今日は午後までに報告書を書き上げて、役所に提出した。これで一安心。
10日(月) 今日は市川房枝さんの勉強会の報告書を書くと共に、アファーの校正に手を焼いた。4箇所に見てもらうための第1稿を渡したのだが、それが入ってきて、まとめて編集者と校正をくりかえすわけで、間違いのないように頑張った。本当に神経が疲れる仕事だ。がんばっている。

予定がないので嬉しいと思うと、とてもじゃないが家ですることが山積み。買い物すらしていない。
9日(日) 午前中、「癌対策と参加医療」という岩成治さん島根県立中央病院、産婦人科医師の講演を聴いた。フ〜〜ン、子宮頸がんはウィルスによる感染症だったのかと無知を実感した。子宮がんになる前に、発見すれば手術もしなくていいし、命に別状ないし、痛くない。日本ではワクチンも使っていないし、感染症の検査すらしていない。一番気になったのは、性交年齢が下がるにつれて、がんの発症年齢が下がり、ピークが20歳代だという。怖いなあ。妊娠中に見つかる時もあるそうである。だから、早く感染症の検査が必要で、プラスならば経過観察を続けなければならないという事なのである。皆が感染するが後でウィルスはなくなっていくので、60歳代以上の子宮頸がんは少ないそうだ。

勿論ウィルスによるだけでないので、例えば線がんのようなものもあるので、細胞診断も必要であるそうだが。とにかく、今はお産が命に係わることで、365日24時間の仕事であり、医者が少なくなったという。産科医療はもうセンター化して多くの医者のいる病院を県下に何箇所か設けるだけに名っても仕方がないのではないかという。身近な産科で子供を産むなんてもう出来なくなっていくのだろう。

午後は、出雲そばを食べた後にいくつかの歴史資料館を見た。良かったなあ。お城のある松江はその歴史をしっかり観光や街づくりに生かしていた。きれいな街だった。勿論古い街づくりだけれど、新しい再開発で何処も個性がなくなっていることを考えれば、素晴らしい。

夜、また出雲から飛行機で羽田に。家に着いたら、11時過ぎていた。今日も疲れた。
8日(土) 今日は、息子のおにぎりを作った後、朝8時の電車で羽田に行き、出雲空港へ。それからバスで松江に行った。午後から松江で全国フェミニスト議員連盟の夏合宿があった。この団体は女性の政治進出や女性問題を考え、学ぶ任意団体で、議員や市民を合わせ200人の会員がいる。私は、広報世話人。

まずは、清末愛砂さんの基調講演。「広がる貧困、女性から男性へ」。次に吉祥真沙緒さんと鳥取県の県議浜田妙子さんを加え、フェミ議共同代表の野村さんが司会で「女性が生きて働くためには」という切実な題によるパネルディスカッションがあった。

今まで、女性は貧しかった。安い賃金で働かざるを得なかった。夫がいるからと女性の賃金は抑えられてきたが、すべての女性に夫や生計を共にする人がいたわけでもなく、不当な差別であった。今、同じ状態に男性がたくさんいて、それが顕著になれば問題化される。正月の派遣村ですら男性のためであって、女性は無視され、テントすらない状態だった。女性の貧困への対策のおくれは、男性の派遣社員の首切り問題の中で忘れ去られようとしている。本当に悲しい思いでディスカッションを聞いた。

その後、交流会。拡大世話人会。前日ほとんど寝なかったから、疲れが出た。
7日(金) 今日はアファーの原稿を校正した後、午後から役所へ。知っている人に寄付をお願いした。快く寄付をしていただいた方に、感謝だ。自分だって何も関係のない高校に寄付できるかといえばしないと思う。本当に、凄いなあ。ありがとう。
6日(木) 今日は朝からどうしてこんなに時間が早く進んで行くのだろうかという感じである。するべき事はたくさんあるが、HPのアップをして、アファーの校正をして問いいていたら、もう2時になった。これから、聖望に行き、寄付金集めのために領収書を貰う事になるが、私にはいくあてがないなあ。市長にはお願いしてあるので、そちらは本部がどうにかするだろうし・・・・

8000万円の寄付が必要だという事だが、聖望学園の蔵はもう底を突くだろな。家も、夫と息子と私で甲子園に行くつもりだから、いくら掛かるのか怖くなる。それに、現役高校生の2万円の寄付はするつもりだし。もう、本当に大変です。
5日(水) 今日は、またまたどこにも行かず、家にいた。家事は山ほど合ったし、領収書も書かなければならないし、それを表にしたりしなければ。要するにすすむ会の事務もたくさんあった。午後、あまりの暑さにギブアップ。冷房をつけては見たが、体がだるい。レポートを書かねばと思いながら、本を一冊呼んでしまった。いつもの悪いパターンに陥った。

夕方、娘が喜んで帰ってきた。今日は彼女の給料日だった。ワ〜〜イ。私も嬉しい。少し、食事代を入れてもらったので、それを持ってお買い物に。娘に、結局水着を買ってやり、夫にハーフパンツを買い、息子に下着を買って、そのうえ、食料を買い込んだらもう残りが少なくなった。

夜は、入間の湯へ。垢すりと快汗房。それと、あらゆるサウナをはしごしたが、減量は少なかった。のどが渇いて水を飲み、帰ってきてビールを飲んだから無意味となった。
4日(火) 今日は朝家事をこなして、急いで役所に。午前中一杯掛かって視察関係の書類を作った。その後、レポートを書いていたが、5時近くになって嫌になって帰ってきた。夕食を作り、今日こそ体育館へ。

体育館で一生懸命歩いて、汗をかいて気持ちよかった。しかし、ここの体育館の悪い所は管理上の問題が目に入ってくることである。古い建物だから、あちこちが汚くなってしまっているのは仕方がないけれど、電気が切れていたり、換気扇の所に埃が積もっていたりするのを見ると、一言いいたくなってしまう。嫌だなあ。もう、何も見ないでトレーニングだけに精を出そうと思うのだが、どうしても気が散る。長い目で見てください、良い管理にしますという。そうだろう。それにしても、今までの公社の管理が杜撰だったのではないかと疑ってしまう。あの公社の管理を踏襲しているのでは、次の指定管理者にはなれないだろう。だって、他の所はもっと良い管理をしている。

「お金の問題ですよ、もっとお金を出せばもっと良い管理をさせますよ」というかもしれない。でも、本当かなあ。事務所に何人も人がいても、はっきり言って何をしているんだろうと思う時が多い。それに、ひとりの受付に大の男2人でするというのも、理解しがたい。何も、コンピューターを入れろとは言わないが、もっと簡素化できるだろうに。そんなことをするのであれば、すべての貸室を1時間に一回ぐらいは回ってみるというのはどうだね。あ〜〜〜あ、こんなことを考えながらトレーニングしてもちっとも面白くない。

それにしても、ではなぜ体育館に行くかというと、サピオは人気がありすぎて込んでいて、人気のない体育館は空いているから好きなのである。そう考えると、今までの通りの体育館の管理で、人が来ない方がいいのかしら。ふ〜〜〜ん、考え込んでしまいますね。
3日(月) 今日も朝、弁当を作り、家事に精をだした。今日から12日までは外に出る予定を入れていない。でも、レポートは書かなければならないし、「すすむ会」の事務は滞っていて、することだけは一杯ある。とにかく、領収書を作り、だしに行かなければならない。今年は後援会事業を辞めようかとも迷ったが、細々とやっていくつもりになっている。そうするとぞろ事務仕事が出てきて時間が掛かるという事である。仕方がないなあ。

午後になってというより、4時過ぎから役所に行き、あれこれ話すべきことを話して帰ってきた。5時過ぎに議会事務局に行ったが、用が足せなかったから、明日という事で・・・

夜、サピオも体育館もお休み。なぜ、同じような施設を同じ日に休まなければならないのか、理解できない。お風呂(老人健康施設)が月曜日にすべて休館だったのを、曜日をずらした覚えがある。ここも出来ないものか。トレーニングできずにつまらない。
2日(日) 今日は朝、息子の弁当を作り、塾に出してから少しホッとしようと2階にあがった。そうしたら、大きなドンという音がして、娘が戸を乱暴に閉めたんだろうなあと思ったが、なんだかおかしいと、1階に下りたら娘が発作で倒れていた。大きな発作で、私も驚いてしまった。薬を探して入れたのだが、後から良く見ると間違った薬だった。私もあまりにも大きな発作で驚いてしまったのだと改めて思う。何べん、発作を見ても落ち着いてはいられない。今回の発作も典型的な癲癇の発作だった。薬をいてて何分体をさすっていただろうか。少し良くなったので、2階のベッドに寝させた。

今日は、日曜日で教会では第一主日といい、聖餐式がある日であった。それだから、山に行かず、今日は礼拝にと思っていたのに、思いを裏切るように、娘の発作。おいて出かけるわけにも行かず、家にいた。洗濯だ、皿洗いだと家事をこなしながら、娘はどうしてこんなに大きな発作を毎月起すのだろうかと考えた。養護学校の時はあまり発作を起さなかったのに、お仕事がきついのか、体調管理が悪いのかと悩んだ。とにかく、薬を飲む間隔の12時間というのを几帳面に守るしかないと思う。それに、とても楽しみに仕事に行っているのを、やめさせる事は酷だ。悩みは尽きない。

夜、他の子どもが家にいるので、夫と二人で映画を見に行った。一日中家にいていろいろ考え悩んですこしストレスがあった。織田裕二の出るイタリアロケの映画だった。この前イタリアに行ったし、怖くなさそうなので出かけた。織田裕二は「踊る大走査線」以来のファンなのである。渋く、格好いいなあ。これでコミカルな面をという人がいるかもしれないが、私は渋い織田だ好き。アルマーニだと思うけれど、白いシャツに本当に地味なネクタイが格好いいなあ。夫にこの前買ってきたあの渋いフェラガモのネクタイをするように言い渡した。だって、アルマーニにしてもフェラガモにしても、家の夫はあまり地味なものを好まない。シックというのはアメリカ人の辞書にはないのだ。全くアメリカ人は趣味が悪い。(言い切ってしまうと、夫は怒るかも。でも、カウボーイスタイルを格好いいと私は思わないんだよねえ。)
1日(土) 今日は朝から家事とHPの更新に明け暮れた。HPはかなり更新が遅れてしまい、思い出しながら一生懸命書いた。スケジュール帳を見ると、毎日外に出ての仕事を入れすぎだ。7月22日から毎日出かけている。27日の月曜日から金曜日までは、毎日視察をいれた。この5日間でまともにお昼ご飯を食べる時間があったのは29日だけだった。

こんなことをしていて、夜にはサピオだ市民体育館だとトレーニングに行っていれば、夜の時間がほとんどなくなって、HPを更新する時間と体力、気力が残っていない。とくに月末はお手伝いさんが来てくれないから、朝、6時過ぎに起きて子どもの弁当を作ったり、洗濯物をしたりしてからの仕事。夜にはもうくたくたである。それでも、涼しいからよいのだ。

夜はサピオに出かけた。息子が塾から帰ってくるのをまって、10時に稲荷山公園からのせて帰ってきた。

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