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私の独り言 2004年 

バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を、通します。

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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
9月 私の独り事
30日(水) 今日も朝から原稿をと思っていたけれど、なかなかすすまない。3Pが終わったんだからその勢いでとは思うだろうけれど、そうは行かないのが辛いところである。

銀行に行って、ドルを買い、その後で定期を解約してお金をおろし、チケット代金を払った。残念ながら、10月1日のチケットからサーチャージが掛かるのでお金が上がってしまった。それでも今は円が高いので行くべき時なんだろうなと思う。来年になれば選挙のことも考えなければならないし、とても遊んでいる閑はないかもしれない。それにお父さんの状態だって来年になればよくなるというよりは、悪化もしんぱいなのだ。お葬式には行かないかもしれないから、生きている内に会わなければと思う。

帰ってきて、夕食後悩みながらも4Pをかき終えた。今回は決算でいろいろな質問をしたのだが、どれが市民にとって聞きたいことだろうかと選ぶに時間が掛かった。それに何行もしゃべっているのに、一行に要約するというのも大変なことではある。
29日(火) 今日も原稿書きだった。とにかく焦っている。3pをかき終えて校正にまわした。

忙しくて自分が何をしていいかわらない状態である。ワシントンの会議に出ることにしたが、そのためにエアチケットの用意もいるし、あれこれ資料も集め始めているが、それにも時間が掛かる。アメリカのお父さんのお見舞いに行きたいと思っているがなかなか実現しなかったのだ。夫が出張でアメリカに行くというので、週末に会いに行くので私も一緒することにした。その際、2日ほどワシントンの東北アジア女性平和会議に出席する。フェミ議にお知らせが来ていたが、どうしようかと考えていて、同じアメリカ国内にいるのにこの会議を無視して遊んでいられないという思いになった。英語が分かるといいけれど、少し勉強しないと語彙が足らないだろうと思う。

チケットは取ったからホテルをどうするかだなあ。
28日(月) 今日は朝から原稿書きのつもりで頑張った。残念だがお手伝いさんがいない月末なので、家事も忙しい。とにもかくにも2ページまで終わり、校正を頼んでいる友達に送らなければと頑張っている。勿論、焦れば焦るほどくだらない本を読んでいるが、深刻な本も呼んでいる。

差別に関しての新書だが、部落被差別と朝鮮人差別の事。後で書評を書かなければと思う。そうか、竹下さんの孫のDAIGOは元総理の孫として芸能界でもてはやされたとしても、被差別部落出身の野中さんの孫はそうそう話題にならないのだろう。ふ〜〜〜ン、そんなものか世間はと変に納得した。野中さんが妻に罪悪感を思っているのをほほえましく読んだが、妻となれば大変だっただろうと同情する。家の父と同じ年の野中さんだ。罪悪感を持っていたとしても、どうせ亭主関白は変らないんだろうと思った。でも、好感が持てた。自分が被差別部落出身である事を恥とは思っていないらしいが、親戚、子ども、特に妻(彼女は部落出身ではないから、彼女の親族はどう感じたのだろう。迷惑をかけたと野中さんは言った。)に対しての感情についてはとても複雑で、私には想像も出来ない。自分の努力で解決できないような差別は絶対反対だ。

トレーニングに行った後、夜中まで仕事をした。
27日(日) 今日は朝に礼拝。午後は、帰ってきて仕事。途中で疲れ果てて、夕方から昼寝(!!)、8時におきてからは仕事をと思ったのに、1ページだけしたか完成しなかった。もっともっと頑張らなければと思う。夫も仕事で大変らしく、私が苦しんでいるのを見て、それでも書けない、書かないのを見て、「いいなあ悩んでいる閑があって」といっていた。彼は忙しすぎて悩む閑すらないのだ。

動物園祭りに行くのを忘れてしまった。疲れすぎていて、スケジュール帳を見なかったからだ。つくづく残念に思う。行きたかった。
26日(土) 今日は、朝9時半から水富小学校へ体育祭へ行く事になっていた。しかし、8時半過ぎになると校歌が聞こえてきた。私は議会事務局の一覧表で時間を確認していたのに、いぶかしく思いながら急いで出かけた。もう来賓紹介の少し前だった。遅れては恥ずかしいかったけれど、行かないよりはいいだろうと出かけた。ちょうど教育委員会は中島先生が代表でいらっしていて、水富小学校で一緒に働いたことから昔話に花が咲いた。立派になられたね、中島先生。今後は管理職が与えられるのだろうけれど、きちんとビジョンを持った管理職になってほしいと勝手に思った。少し競技を見てから笹井小学校へ。

笹井小学校もおにいちゃんが卒業した学校だから、まだまだ知り合いがあちらこちらにいる。話し込んでしまった。でも、次は広瀬小学校へ。広瀬小学校は駐車券を持っていなかったので、中に入れなかった。それで、駐車場係りの人に校長先生によろしくと伝言を頼んだが届いただろうか。見れないのは残念だった。

急いで家に戻り、次は聖望学園の学年委員会の会議へ。朝に3箇所も回るなんて、もう目が回るなんてものではありません。

食事の後、今度は飯能市民会館で聖望学園厚生委員会主催の「講演会」へ。阿木洋子さんの講演。彼女の話では何も残らなかったけれど、おきれいな方で驚きました。昭和20年生まれって言うと65歳ですよ。とてもそんな風には見れなかった。きれいな事はいいことだとおもったし、お話の仕方も美しかった。お化粧できれいに出来るかもしれないけれど、話し方だけはすぐにはきれいにするのは即席にはできない。

夕方からはすこしまた仕事。
25日(金) 今日は朝から議会レポートの作成に掛かった。考え、考え、書き始めている。一ページ目の表題が出来れば後はスムーズに行くはずだったが、なかなかうまく行かなかった。

午後に教育委員会会議を傍聴するつもりだったが、あっという間に時間を越えていた。あ〜〜あ。インフルエンザの事などを聞きたかったのだが。それと博物館関係。

夕方からトレーニングへ。汗を一杯かいて気持ちよかった。
24日(木) 今日は朝からどういうわけか、外の自転車小屋の掃除を始めた。息子のアメフトの道具が置いてあるが、片付けた。もっと前にしていればよかったのだが、なんとなく手をつけられなかった。そのほか、大分捨てた。明日は燃えるごみの日だから、今日片付けると明日には落ち着くわけである。

午後はコンピューターの前でHPのアップの為に座り込んだが、まずはメールの返事で忙しかった。4時過ぎに役所に書類を届けに言った。その後で、教育委員会に行って、レクチャーの日時をきめた。少し他の課でおしゃべりをして帰ってきた。

私のHPは取るに足らないものだけれど、役所では見ていてくれる人もいるらしい。こちらは毎日書いているわけで覚えている事も少ないが、書かれたほうはたまったものではないとのこと。ここからは業務連絡:役所の皆さん、書かれて嬉しい事をしてくださいね。私のお臍が曲がるような事はキット真っ当なことではないはず(と、信じている)。かかれた方は悪しからず。

夜、引き続きHPを更新手続きをした。のどが渇いてワインを飲んだので、散歩は取りやめた。
23日(水) 今日は、朝から頑張りムードである。まず、パワーワーキングに出かけた。でも、一生懸命歩くわけだが、おいしそうに栗が落ちていて、すぐに拾い集めることになり、結局40分もかかって1周しかしなかった。いつもは、2周するんですけどね。

戻ってからは、昨日買ってきた高枝切りバサミや剪定はさみを使いたいから、まずは剪定をした。家の前にはさつきを植えたのだが、階段のところがいい具合に垣根状にになって、そこをきちんとしないと出入りに支障が起きるから、切った。その後、枝きりを始めた。庭の枝が伸びてしまって、庭自体が暗くなってしまっていた。また、家に枝が伸びるとそれも困ってしまうから、枝が細いうちに切るのがいいのだ。それでも手が届かないところが多くて、きりたくとも切れなかった。 だから、今回は好きなだけ切ろうと張り切ったわけだ。新しい歯は切れもいいし。

というわけで、10本ほど切り落とした。まだ葉がたくさんついているから、枝を落とすごとにばさばさと大変である。結局後の処理を夫に頼んだ。明日は手が痛くなるだろうなあなんて思ったが楽しくてやめられない。特に階段の上に張り出している栃の木の枝を払いたかったのだが、ここはうまく行かなかった。残念である。日ごろ、枝きりなんてやりたくても狭山の家には木が一本もないからできない。しかし、自然との共存は大変で、枝を落としながら、イエス様にもし山の神様などがいたらどうかとりなしていてほしいと祈りながら切っていた。自然に逆らうように枝を落とすのは少し気がはる事ではあるのだ。

夕方娘をつれて買い物へ。ブックオフにも寄った。カインズホームでスプレーを買った。アリが気になって、ありの駆除を考えている。

夕方遅くに杏亭で食事。9時過ぎに佐久を出た。途中事故で渋滞はあったが、思ったほどの渋滞ではなく、11時過ぎには狭山に戻った。暑くて空気が悪くてがっかりだ。
22日(火) 今日は、朝からのんびりムード。起きたのが9時近かった。緑はきれいだし、空気はすっきり寒いくらい。娘がコーヒーを入れてくれ、私が紅茶を煎れ、のんびりと朝食。その後、本を読んでいた。くだらない本なのだが、仕事に関係のないくだらない本をだらだら読むのは、至福の時間である。分かってもらえるかなあ、この素晴らしきくだらない時間の使い方と、仕事をしないという事を決めた爽快感。

実はとてもおかしな感じでもあるのである。コンピューター、インターネットがない所で2日もいるなんて・・・。夫と二人でコンピューター中毒だよねって言い合った。手持ち無沙汰であるのだ。

夕方遅くに買い物へ。高枝きりはさみを買った。D2にいったのだが、そんなところでのんびり買い物をするのも何ヶ月ぶりだろう。家に必要なものと不必要なものを考えながら買い物をした。食べ物以外を買うのは少し癒しになるかな。

夜をお蕎麦屋で食べた。佐山そばって言うところだったから、名前が気に入って入った。この前息子達がおいしかったよって教えてくれたところである。味はまあまあ。そばがアルデンテすぎたと思った。もう少ししっかり湯でた方がすきだ。でも、お味はOK.かな。鰹節が聞きすぎている汁だったのが残念といえば残念ね。好き嫌いがアルだろうけれど、癖のない味がいいなあ。

夜は穂の香の湯へ。どうしても管理が杜撰に思えて仕方がない。今回はシンクがピカピカじゃなくて気分が悪かった。サピオを見習えばいいのにと思う。公社が管理しているというが、だんだんサービスが悪くなり、汚くなっているとしか思えない。民間業者の指定管理者に任せればいいのにと思う。でも、それも今の管理が悪ければそれと同じ事しか指定管理者もしないかもしれない。選ぶほうの能力にも寄るものねえ。
21日(月) 今日は朝から、気合が入っていた。なにしろ、アメフトの秋の大会。昨日ヤオコーで100円引きのカツ丼弁当を買ってきて、息子に朝から食べさせた。勿論、息子はすでに引退していて出るわけではないが、気持ちはいつも同じさ。すなわち、勝。

息子達2人と私達夫婦で車に乗り込み、加須市の徳春高校へ。前の試合の立教高校は凄くて、狭山ヶ丘を44対0で完封した。その後の聖望学園は千葉日大付属に15対7で勝った。聖望はお馬鹿だから多彩な攻撃が出来ない。実力的には30対0でも良かったのにね。

帰ってきたらもう5時ごろ。ご飯を作って食べて、疲れきった。夫が、今日中に別荘に行くというので、10時半ごろのこのこ起きて、出発。こんなに疲れているのに、夫には運転を任せ切りで申し訳なく思って、「明日の朝に出かける?」ともうしでたが彼は今日のほうがいいでしょうというので、出発した。私は車の中でバクスイ。たった4,5時間外で観戦しただけなのに、どうしてこんなに疲れるんだろうと思う。闘っている子供達は消耗しきっているだろうな。

別荘に着いたが、やはり佐久は寒い。冬の服を着ていて正解だった。
20日(日) 今日は午前中、礼拝。信仰の力について。祈りを忘れないでいなければ。帰りに、ブックオフによって帰ってきた。

午後、少し休んでから、広瀬の交差点で街頭演説をした。1時間ほどした。途中で、市民の方と西口の公益施設のことで激論を交わした。彼は今は不況だから公益施設なんか作るなという。でも、計画され期待された施設を作らないほうが、市内の景気を悪くする。景気の悪い時ほど、お金を回すのが行政の仕事なのだ。箱物はいけないというが、箱物を必要に応じて作る必要もあるのだ。今、これはやめることが出来るロジェクトには思えない。それに財政的にも無理はないと思う。ただ、問題は政権交代で国の補助金がどうなるかがだ。全部なくなるなんて事はないだろうし、計画されて実行されている物は続行するという話だから心配はないだろうが、もし万が一にでも機構や補助金に大きな問題が発生すれば公益の部分だってどうなるかは分からない。

しかし、それでもやめるべきプロジェクトではないと思う。八つ場ダムの事が取りざたされている。これと狭山市の西口のプロジェクトと同じように考えてはならないと私は思っている。それは、西口の再開発の意味や意義と、60年前に試算された水の需要やいっすい対策で今作り上げようとしている八つ場ダムとは違う。高齢化がすすみ、駅や駅付近、公民館等のバリアフリー化は避けられないというか、絶対必要である。どんなに中央公民館をリニューアルしてももう使い物にならないほどだ。今からの新しい施設の建設はほとんど考えられないだろう。そうすればなお、この施設の重要性が分かるというものである。

演説の後、市民体育館によってトレーニング。汗が気持ちよかった。
19日(土) 今日は、午前中に西中の体育祭の来賓。10時半ぐらいまで見ていた。一所懸命にゲームをしたり、走ったりしていて好感を覚えた。友達の息子が開会式の宣誓をしていたが、こんなに大きくなってと感慨を持った。小さな小学生だったんだよ、あの男の子。久しぶりに中学に行ったので友達に会ったりして嬉しかった。子どもが学校を出るとなかなか友達とも顔を合わせる機会がない。それは寂しい。それに、私の職は孤独な面もある。ちやほやしてくれる人もあれば、全く無視という人もいるのがこの世界なのである。強くなければ生き残れないのはどの世界でもそうかなあ。

その後、自動車の点検に行った。昼ごはんに戻ってきてから、ホッとした。ようやくシルバーウィークに突入という感じがした。でも、夫は仕事、子どもは勉強やら趣味に忙しい。お兄ちゃんはデートかな。私は、午後遅くに市民体育館にトレーニングに出かけた。いつものとおり、汗をかくのは気持ちがいいのものである。

夜早くにねたのだが、娘が大発作を起したので叩き起された。このところ、発作が多くなっている。とても心配である。
18日(金) 今日は議会最終日だった。スムーズに行くかなあと思ったら、田中さんの所でまた休憩が入った。田中さんが反対討論をしたのだが、そこに齟齬があるのではないかという事だったが、何の問題も感じなかった。でもひとつ田中さんにいいたいのだが、やはり委員会審査をもっと大事にしてほしいという事だ。確かに委員会だけでは調査がすすまない事もあるとしても、やはり議会人としては委員会などによる質疑は役人の緊張を高めるだけでなく、慎重な行政運営をする契機にもなる。委員会審査をもっと丁寧にしてほしい。

というのは、田中さんが委員会審査ではほとんど発言しないにもかかわらず、反対討論をしたことに不快感を表した人がいたからである。これは当たり前である。もし、何かあるのであれば、議会人としては議会、委員会、などの場所で公に糾す事が大切だと思うからである。私も反対討論をするときなどは、予め質問をしておいて、そのうえで反対討論をする。何の疑義もないのに、反対だけするというのでは理屈に合わないという事だからである。これは、議会人としてのルールでもあるのだが、誰も彼に教えなかったのだろうと思う。

委員長による委員会報告で、文教委員長が誤った答弁をした。これは重大な瑕疵だと、共産党から休憩が入った。文教委員長の思い間違いだったのだが、その後の処理がいけない。訂正し発言の削除を求めるのであれば、壇上にたちそれが良いかどうか議会の承認を得なければならないという事である。その手続きを誰もしていなかった。正式には、議運の委員長か議長が事務局長あたりに削除のための原稿を用意させべきだ。その原稿を読むのであるが、普通は議会事務局が気を利かせるんだわよ。議長や議運の委員長に一々言われて用意するようじゃしょうがない。そもそも新さんは1年生だから、自分が何を言ったかも訳が分からなくなったんだろうから、誰かがフォローすべきだった。しかし、誰もそれをしてなかったから、議会が始まってからまたもや共産党から指摘があり、その後またまた時間をとった後、正式に誤りの発言を削除した。

そもそも、あった質問をありませんでしたという新さんの発言そのものもいただけないなあ。でも、質問されると思わなかったから、頭が真っ白になってしまったのかなあ。これは、極めてまずかったね。議会では言葉がとても大切だから慎重を期さなければならない。

スムーズな議会運営といいながら、アレもこれもなんだろうと思う最終日だった。田中さんのなんともない反対討論の為に3時間も時間を使ったのはいただけなかったなあ。

休憩がはいた後、午後に閉会した。私は報告書つくりに励んだ。結局、最後の報告書を作り上げ役所を出たのは6時を回ってしまった。
17日(木) 今日は朝から全員協議会。明日、長くならないように全協をこの日にすることになった。例えば意見書のとりまとめなどは結局会議の最後の日に提出という事が多いわけだ。それを、明日するとしたら、いつものとおり何時に開会できるか分からないから、今日のうちに出来る限りの事をしましょうという事である。

午後は報告書をひとつ書き上げて提出した。原則的には、もう報告はHPにアップしてあるようなもの。きちんと資料を添付して、分かりやすくして提出した。あと2つ書き上げなければならない。
16日(水) 今日も頑張って報告書を書き上げなければと思っていた。コンピューターの前でまずは頑張っていたのだが、らちが開かないなあ。

午後に友達から連絡が入って遊びに来るとのこと。嬉しくなった。オザ友である。私達はユタちゃん会(?!)というものを勝手に作っていて、一緒に遊んでいる。まるで子どもの遊びなのだが、仕事を忘れさせてくれて楽しい。でも、私は忙しすぎて、なかなか遊びに出かけられないのが残念なのである。

夜は入間の湯へ。のんびりと快汗房で汗をかいた。ぼおっとしていたが、珍しく何も考えなかった。いつもは仕事の事が頭から離れないのにね。
15日(火) 今日は、久しぶりに片付けに精を出した。勿論、すべき事がたくさんあるときにこそ、片付けなんかしたくなるものなのである。報告書が気になっていて、さてどう書くべきかと悩んでいるが、困ったなあ。

夜、久しぶりに市民体育館へ。サピオが点検の為にお休みだから。
14日(月) 今日は朝からHPを更新するためにコンピューターの前にいた。しかし、コンピューターは誘惑が多くて、あるところの書き込みをしたり、メールの返事をしたりして忙しい。1時にはゼロックスがきて、コピー機の点検をしていった。4時に家を出て歯医者へ。私は歯医者へはトラウマが多くて怖くて行きたくないのだが、何しろ前歯が欠けたので行かざるを得なかった。

その後、役所へ。書類を提出後、ある部署に行き、2,3の話をした。夜は珍しく家にいて、本を読んだりしていた。

今回の選挙の意味を総括して、あるところにかき込んだ文。

はっきり言って、自民党が負けたのは、右翼的な思想に国民は嫌になったんだと思います。
国民に痛みを説き、国民は耐えました。まるで戦争中のようでしたね。
税金はお金持ちには有利になり、株式の売買利益も減税し続けました。
若者に仕事がなくなり、派遣社員といういつでも首を切られる番号(名前すら呼ばれない)に
なってしまいました。
女性にはパートの仕事(フリーターってかっこいい名前をつけたけど)をとられ、
若者には夜勤しか回らなくなり、高校中退の人間の行き場すら失われました。
親は子どもたちを際限なく支援しないでは、子供達はホームレスへ。
この前までは、パラサイトといわれていましたけれど、他に生きる術がなければ
若者は家にいるしかない事を世間が理解し始めました。
1970年代生まれのヒトは、中年になったって、家から出れない、結婚も出来ない人が一杯ですよ。

国民は痛みを分かち合いましたが、儲かったのは企業と金持ちでした。
いざなぎ景気以上に続いた平成景気だったなんて、国民は分かっちゃいなかった。
だって、毎年給料は下がっていたからね。この10年以上、所得は減りっぱなしだった・・

これが自民党の政治だったんですよね。

金を景気対策と言って、企業や公共団体にまわしたって、
国民に余禄はなかった。企業は自分のポケットや外国へ工場を作っての投資、
地方は建設会社に金を回す。
政府はちっとも国民のほうを向いていなかった。政府がしたのは、
国民に痛みに耐えさせ、自己責任で不幸を乗り越えろと掛け声をかけるだけだった・・・
こんな自民党の政治の何処がいいの。

民主党にどれほど期待ができるかわからないけれど、
少なくとも高校生が授業料がなくて高校にいけないなんてことのないように。
若い世代が制服や修学旅行に子供達を出せるように。
毎月10万以上の食費の出費の足しにこども手当てが当てにできる。
大学に行きたい子どもたちに大学への資金を貸し付ける。
直接、国民の生活に直結して、国民に直接お金を回してくれるというなら、
民主党のほうがいい。自民は企業や自治体ばかりを見ていた。

ネガティブキャンペーンをして、相手を貶めても国民が投票しなかったのは、
民主党よりも自民党の方がたちが悪いと思ったから。
自分達国民のほうを自民党が見ていないと悟ったから。
政局より景気といったヒトがいたけれど、
景気が良かったって、国民にどれほどの分け前が与えられたのか。
一度だけの、定額給付金や中途半端な子育て応援手当てなんかに
国民はだまされないという事。

国民を裏切り、国民の痛みに寄りかかり、
国民をいつまでもないがしろにしていては、国民も決起するしかなかった。

自民党の悪い点を国民が指摘してあげるてこそ、
自民党が再生するチャンスを与えると思う。
民主党一党支配にならないためにも、
こんなところでネガティブキャンペーンを張っていないで、
自民党の悪口に見えるかもしれないけれど、自民党再生案を考えた方がいい。

今回の選挙の総括する時にいろいろな考えがあると思うが、私は上のように思った。健全野党として自民党に頑張ってほしい。民主党の一党独裁になってほしくはない。しかし、今の自民党に何を望むことができるか疑問ではある。小泉、安倍政権では右翼的な傾向が強く、国民に痛みを強いた。それで、国民が幸せになったのかといえば、決してそんな事はなかった。それをきっちり反省しなければ、自民党の再生はない。国民の幸福や生活が一番という民主党に自民党が負けるのは当たり前だったと思う。私は、人として9区の自民党の候補者は好きだったが、結局彼が憲法改正論者だっただけに、自民党は支援はしまいと思ってしまった。戦争は絶対反対であるから。

これに対して、次のような書き込みがあり、私の答えは以下のとおり。

今朝のTVで就活のスーツが買えなくて困ってる人に、貸してくれる団体の活動を取り上げていて考えさせられました。
若い人が希望を持てる社会にしていきたいですね。


私達、親って子どもには出来る限りの事をしたいって考えていると思うの
お金だって、子どもに必要であればあげたい。
家だって子供達が出て行くところがなかったら、おいておくしかない。
物も買ってあげられるかもしれない。

でも、
子供達が望むのは、夢や希望や愛や真実や将来への展望だったりする。
恵まれた絶望や出口のない愛や色あせた希望や果てしない夢ではないと思う。

これは、お金や物や親の愛情だけではどうしようもない。
心の問題を解決してあげられるのは、一人ひとりの問題に見えても、
やはり社会が係わるしかないところが多いと思います。
そういう意味で政治が大切だって、国民は理解したんだと思うの。

有効求人率が0.37だって。3人にひとりしか働けない。
あとの2人は何をすればいいんだろう。
この0.37には、正規労働者だけでなくパート労働もはいっているんだよ。
限りなく小さい正規労働者になる道。
パートから正規労働者へって、昔はあったかもしれないけれど、
今は経営者はそんなことを考えていない。首切るのに簡単な労働者だと見ている。
そして、フリーターをしている人たち、派遣の人たちもそれを知っていて、
自分達の立場に不安を感じていても、なにもすることが出来ない・・・

しばらくは国は国民にお金をわたしながら、
新しい産業や雇用の創造を考える事でしょう。しかし、
それには時間が掛かるのではと思います。
きっと、誰かがどこかで戦争をし始めるかもしれませんね。
この前、ブッシュがしたように・・・・悲しいなあ。

夢や希望は何処からくるのだろう。尾崎の歌を思い出してしまう。
13日(日) 今日は聖望学園文化祭2日目。家を7時半前にでて、7時45分からの礼拝に出席。とうとう最後の礼拝かなあ。6年間で去年だけはこの礼拝が遅くになって、そのうえ、アメフトの試合があったので出かけられなかったが、毎年頑張って出かけた。そういえば、始まったのは中学校2年ぐらいの時かな。だから、4回出席。これで、ひとつずつ親の係わられる子どもの行事が終わっていく。後残るは、クリスマス礼拝と卒業式ぐらいかなあ。長いようで短い子育て期間。それでも、聖望に入れたから、私達夫婦は子どもとの係わるチャンスは大きかったように思う。後半年でこれも終わりだ。その後はお金が必要なだけ。

バザーの手伝いをした。楽しかった。たくさん売った。最後には必要もなかったが、義理買いをした。帰ってきて、もう汚くなってしまっていたおわんを捨てて新しいのと買えたり、小鉢を出したりした。結局、もったいないと思ってしまうのだ。けれど、普通は倉庫に直行させる新品だが、今日は気がかわった。何も汚い欠けた茶碗を使わなくても、ささくれ立ったおわんを使わなくて良いような気がする。もったいないのだが、もう少し、少しだけ優雅に暮らしたくなった。きれいな器で食べても許されるだろう。それにしても、もう30年も40年も使っているおわんを処分できないのは、なんとしたことだろうか。エイやっと捨ててしまいたいなあ。という事で、我が家の食器棚はどうしようもない古い食器であふれかえっているのです。5個だけ取り替えただけだ、今日は。

バザーが3時過ぎに終わり、夫と会い、二人で文化祭を見て回った。見ながら、本当にこれが最後の文化祭だなんて感慨を持った。きっと、息子以上に私のほうが感傷的だったのかもしれない。

夕食後は、サピオへトレーニングへ。その後、入間の湯。快汗風呂は本当に快感。帰ってきたらもう深夜。
12日(土) 今日は、バザーの準備。朝10時から3時過ぎまで。本当につかれて、最後のほうは頭が痛くて、文化祭はチラッと見て帰ってきた。私が帰ってきたら、ちょうど息子が駅前で送ってほしいとのことで、駅まで送りに行った。帰りに図書館により、久しぶりに本を借りてきた。少しリラックスできた。図書館はいいねえ。

夕食後、アスピリンを飲んで寝ることにする。のども痛くて、インフルエンザじゃないといいなあと思っている。
11日(金) 今日は、朝から報告書を書くことにしていた。ひとつだけ書き上げた。月曜日に持っていこう。今日は9年前にアメリカでテロがあった日。夫と二人、「あのテロはまるで映画を見ているようだったよね」と、言い合った。あまりの事で生々しい現実感が一切なかった。ところで、あのCNNの映像はどうして合ったのだろう。実況中継があんなにタイムリーに出来たのはなぜだったんだろうと不思議だ。

一日中、コンピューターの前にいて、書いているのか、ネットに嵌まっているのかわけのわからないことをしていて、体中が凝った。それで、食後はサピオへトレーニングへ。久しぶりに汗をかいて気持ちが良かった。やめられない。体はコリコリで動かすだけでも音がしそうなぐらい。歩くのもいやで、寝転がっていたいのだが、そんなことをしたら、またまた体調が崩れるので、無理をしてでもサピオへ。体育館にはあまり出かけない。管理が気になって、運動どころじゃなくなるのが嫌なのである。
10日(木) 今日は委員会審査。何しろ、まず議案の1つ目からつまずいた。いつもあるはずの資料がない。それを要求するとわけのわからない資料。それを直したら、答弁がおかしい。午前中で審議は終わらず、午後遅く審査を終えた。この課長はすこし役所仕事に慣れてしまったのか、すこし丁寧な仕事が議会対応として必要なのではないか。最近、とみに議会対応が真摯に見えないことがある。何をしても、何もしないでも議案は通るのだというおごりが行政側にないか。それは議会をないがしろにする考えではないか。「議会をなめんなよ〜〜〜」と言われないようにしてもらいたい。私達議員は無責任に議案を通す事は出来ない。

その後、建設環境委員会協議会。入曽駅東口の区画整理の公聴会を開くとか。私は入曽駅の開発は広場と取り付け道路だけでよいと考えているので、この公聴会には反対である。もっと、住民を説得してからの方がよくはないか。だって、区画整理事業をするとしたら、少なくとも住民の85%は賛成でなくては、はじめられまい。

議会を終えて、なんだかへとへとになってしまった。ブックオフにより、カルフールで買い物をして帰ってきた。
9日(水) 今日は、私の一般質問があった。2番目。一番目の田中さんの質問中に市長から休憩が入り、結局田中さんが一文を取り下げた。そのせいもあり、私の一般質問は11時前から始まった。私の質問は可もなく不可もなく。今回は1分30秒ほど時間をのこして終えた。やはり、質問が多くて掘り下げる事が出来なかったかな。ヒアリングが出来すぎて、自分も相手も言いたいことが分かりすぎて、他の人に伝わっただろうかと少し心配した。

政権交代に関しては事務的なことを聞いたのだが、実際にはまだ分かりませんという事だった。とにかく、アンテナをたかくして、新聞情報をきちんと読み、最悪に備える努力が必要だろう。とにかく、国が補正予算の執行を止めているのだから、何をどうするのか不安な材料に事欠かない。県に預けている基金も今の所凍結。これを当てにしているのだから、本当に心配。

新たに民間保育園が祇園に出来る事がわかった。23年度の開所。建設に子ども基金を使う予定だから、この基金の執行を止めるのだけはやめてほしいと願う。後、保育サービスで、公立にはない土曜日の保育時間を午後6時に延長する事は前向きに考えてもらえると思う。何しろ待機児が100人をこえているのだから、早急に何とかしなければ。働きたくとも保育がなくて働けない家庭の親がおおい。生活保護に至る前に、保育所を。

動物園に関して言えば、またまた何も決められない。誰が何処で何を決めるのかもはっきりしない。とにかく、審議会でも立ち上げて、動物園の改善計画を作ってもらうべきであると思う。何も決められないというのは、どうしてかというと公社の問題がアルからともいえるが、実際は公社の考えを救い上げるシステムがなかったことが問題だったのだろう。いや、公社は経営感覚に問題があるのだが、実際の経営者は副市長なのにも係わらず、副市長に経営者という自覚がない点にも問題があるのだろう。どうにかしたらどうだい!!!

本当に疲れたが、議会後、建設部と下水道部へ。明日の質疑ためのヒアリング。そのご、急いで歯医者に行ったが、遅れてしまい、医者は終わっていた。残念。
8日(火) 今日は一般質問2日目。議会後、原稿の推敲を重ねた。原稿を読んでみたら、15ページは25分掛かったので、これはいけないと5稿まで書き換えた。とてもスリムになったといいたいが、2ページ分しか削らなかった。20分ぐらい掛かるかもしれない。この前の議会では、能書きを一切言わなかったのだが、今回は視察報告も入れてあるから、長くならざるを得なかった。

途中、ヒアリングもはいり、気がついたら11時。急いで帰ってきた。第2質問からは原稿がないので、又もベッドの中で想定問答を考えていた。一般質問の前の日は緊張で眠れないが、幸い昨日寝ていたから、あすは何とか行く事だろう。
7日(月) 今日は、朝は2時間しかねていないから、眠くて仕方がなかった。第1日目の質問。順調だが、6人だから3時ごろまで掛かった。

午後、ヒアリングが続いた。帰ってきてから、もう、体ついていかなくて寝た。
6日(日) 今日は、珍しくいつもの教会で礼拝。6週間ぶりである。いつも行っても、感激する説教だ。神様の恵みについて。十分ある恵みに感謝して信仰しようと思った。そのご、尾崎のお墓へ。久しぶりにお掃除をして帰ってきた。狭山湖のほうの青空をながめながら、秋風が気持ちがよかった。なんだか、短い夏だったなあ。

午後は、サピオでトレーニングをした後、原稿を書くためにコンピューターに座りっぱなしだった。結局、出てくるものは、自分の頭の中から。視察した事は自分の体の中に蓄えて、発酵させて、問題を明らかにして原稿を書く。時間が掛かる。余計な本を読みながらも、質問を反芻している。寝ていても、想定問答を考えている。だから、時間がかかるのだ。途中で昼寝を入れて、結局朝方の5時まで原稿を書き、お風呂に入り、朝ごはんを食べた。2時間仮眠できた。
5日(土) 今日は朝本当に久しぶりにゆっくりした。食事もしないで眠り込み、おきてからは10時半までベッドで本を読んだり、仕事の事を考えたりしていた。

その後、友達の夫が亡くなり告別式があったので、メモリアルホールへ。密葬だった。親族だけの小さな告別式。あっという間に亡くなってしまった彼女の夫。体の具合が悪くて、定年後ぶらぶらしていて彼女は起こっていたものだが、今から考えれば肝臓が悪くて仕事も出来なかったのだろう。肝臓はだるくなるものね。それに、おばあちゃんがいなくなって彼も人生につかれきったのだろうと思う。そんな気がしてならない。子供達も大きくなったし。

帰りに友達の蕎麦屋によって昼食。帰ってきてから家事をした。洗濯も皿洗いも待ったなしだ。その後、メールのチェックとHPをチェック。はっとおもったら、7時。夕食後、またコンピューターの前へ。

9時。夫と映画へ。20世紀少年を見た。夫は意味不明とか言っていたが、私は好きだった。人の死ぬのは嫌なのだが、意味不明で現実味のない展開が、わけのわからないのが好きなのである。ハチャメチャが好き。とってもストレス解消になる。かえってきたら、もう12時を過ぎている。
4日(金) 今日は質疑2日目。今まで用意した質疑はきちんとこなした。一箇所クレームがついたような箇所があったが、私が少し感情的になったせいもある。本当に嫌だ。教育委員会は全く石頭だと思う時が多い。いいたい事は一杯あるが、言わない。でも、質疑が終わってもなんとなく嫌な思いがあった。

ブックオフにくだらない本を買いに行った。その後、久しぶりに食料を買いにカルフールへ。しこたま買い込んだ。ストレス解消かな。たくさん買い込んだ食糧を使って、珍しく食事を作った。最近は私の帰りが遅いので子供達がカレーを作ったり野菜炒めを作ったりしてくれている。娘と調理をしながら、久しぶりだねえと言い合った。ホイコーローがおいしかったが、ひじきを煮たのもおいしかったようだ。私はギンダラの溝付けを焼いて食べた。

息子が7時過ぎにサピオに行くというので私が連れて行き、トレーニング。汗をかくのは大変楽しい。早く行ったので帰りにヤオコーに行き、安い食料をまたまた買い込んだ。
3日(木) 今日は質疑初日。するべき質問はきちんとした。行政報告書に書いてあることを聞くのは止めなよと共産党の広森さんが後ろの席でささやいていた。確かに私は行政報告書に書いてある事も聞く。分かっていても聞くことがある。それは、どの市民が行政報告書を読むかということなのである。議員だってきちんと読んでいるか分からない。

私が質疑する情報はケーブルテレビや議会だより、私の議会レポートにで市民に伝わるはずである。私は大切だと思う情報はきちんと何らかの方法で市民に伝えるべきだと思う。質疑なしでは情報は市議会議員のものとなりがちである。私は党に属さない市民派の議員である。私は市民にとって必要情報だと思う事を聞いている。党のために党の政策のために質疑をする事はない。党派に属する人たちとはここが違うのだ。それに私がまるで知らないことを聞くこともない。ほぼ、私は答弁を知っていて質疑をする。それは、何べんも言うように市民にとって有用な情報だと思うからである。市の、行政の情報は議員の為にあるのではなく、本質的には市民のものなのである。

一般質問は提言のような事が多いが、質疑は行政からの報告をさせる事が多い。また、決算ではなぜか、その後どうしたかという事にまで踏み込む事が多い。これが泣ければ、なぜ決算の質疑をするのか分からない。私の質疑にいろいろ言う人がいるが、それでは自分達はどの位真剣に決算書類をみているのだろうか。議案を貰って以来、毎日10時、11時と決算書類とにらめっこをして、ようやくいくつにか質疑を絞り込んで質疑をしているのだ。とやかく言うならば自分でもきちんと質疑に臨んでからにしたらと言いたい。

この日は2日目の質疑を深めるためにヒアリング。珍しく教育委員会がきた。あれやこれやで、役所に11時までいた。大学院時代、いつも実験の終わるのが遅くて、夜中過ぎに大学から帰宅したのを思い出していた。夜の大学も閑散としていたが、夜の役所も静かで怖いぐらいである。いつまでも決算書類を眺めていても、十分という事はない。結局最後はあきらめて、今回はこれまでという終わり方だ。

それオ、私自身には能力の限界があるというのをひしひし感じるのだ。議員は本当に何人もいろんな人が必要だと思う。結局私が一番頑張ったのは福祉と教育だったと思う。それと市民税。市民に直接関係のあるところを出来る限り頑張った。事務手続き関係に関しては、今回は意識してパスした。時間の制約の中で仕方がないと思う。他の人がカバーしてくれるといいのだが・・・・
2日(水) 今日は朝少しゆっくりした。議案の勉強の為に休会である。もう、連日の野球の応援で帰りが12時というので、へたばった。

しかし、10時に約束していたミーティングがあり、遅くなったが出かけた。昼食後、1時間トレーニングをし、役所へ。それからずっと決算の勉強やら議案のヒアリング。私が役所を出たのは9時を過ぎた。
1日(火) 議会初日。割と早めに議会が開会し、午後は質疑のために時間をとった。5時には夫と待ち合わせて、東京ドームへ。都市対抗野球の決勝を応援するためである。

ホンダは優勝した。最後の表彰式までみた。夫と夕食をして帰ってきたら、12時を回っていた。最近毎日遅いので、本当に疲れる。
8月 私の独り事
31日(月) 今日は、朝眠いけれどおきだして洗濯などを午前中にした。台風が来ているので、外に干せないが仕方がない。

11時ごろ議会事務局により、、台風で多摩動物公園から視察のキャンセルが入っていないかを確かめたが、何も連絡がないとのことで、視察に出発。今日は楽しい楽しい動物園の視察なのである。

朱鷺の飼育に関しての視察であったが、何しろ(私は知らなかったが)鳥の飼育の神様みたいな世界的に鳥の飼育に関しては有名な方が多摩動物公園にいらっして、お話しを伺いながら楽しくて楽しくて為になって、夢中でお話を聞いた。くだらないような小さなことがとても重要なのである。朱鷺が冷凍ワカサギを食べるというのは、今まで知らなかったし(勿論解凍して与えるわけだが)、中国産のどじょうが日本産の(勿論超高いもの)に比べ、残留農薬が多いとか、朱鷺は1年ごとにパートナーを変えるらしいとか、朱鷺のくちばしが湾曲しているから鷺に比べて食べ物をとりにくいだとか、もう、書いていたらとてもとても書ききれないぐらい多くの情報があって楽しかった。

その後で係長さんが園の半分ぐらいを特に鳥に関して見せてくださった。とても大きなケージに遊歩道があって鳥を放し飼いにしているところにも行った。怖かった。だって、鷺なんて攻撃性はないと言っても私の背の高さぐらいの鳥だ。突っつきませんよというが、なんだか向こうのほうが数が多くて人間が2人しかいないから、とても変な感じ。

ちなみに台風のせいでだれも公園に着ていなかったのだ。公園は本当に水商売。天候によって、左右されてしまうのだ。
30(日) 今日は近くの教会で礼拝。私の教会は夏休みだから、最近は近くの教会で礼拝を守っている。

午後は、暑かったせいもあり、何もする気が起きない。それでも3時からはエステと美容院に行く事にしていたので、選挙を済ませた後に、のこのこ出かけた。来週からは議会も始まる。毎日、議案書と決算書を読んでいて肩のコリが凄かったようだった。エステの人がマッサージをしてくれるのだけれど、顔のマッサージよりも肩のマッサージが気持ちが良くて、眠ってしまいそうだった。こんなに肩がこっていたから、頭に血が回らなくてやる気もなくしていたんだなあと自分で納得した。友達が勤めている美容院だから、白髪染めとカットをしてもらって帰ってきた。7時半を回っていた。

夕ご飯を食べてからは、もうテレビにかじりついて、総選挙の開票を見ていた。民主が強い。まあ、予想されていたことだけれど、実際政権交代が出来るようである。議会での一般質問の項目に政権交代したらどうするんだというのを入れておいたが、これを取り下げる必要もなくなった。

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