私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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1月 私の独り事
31日(日)   今日は久しぶりに教会で礼拝を守った。

午後、池袋の立教大学で「子供の貧困フォーラム」に出席。悲しいねえ。書き出すととまらないので書かない。狭山であることは全国にあることだと認識した。他に比べ多少就学援助率はよいかもしれないが、広島の25%というのがたかすぎるのかも。でも、狭山市だって地域に寄れば15%超の学校もあるわけだから、そんなに違わないか。東大生が生活が苦しくて、アルバイトばかりしていると言っていて悲しくなった。優秀な学生に勉強の時間がない。そういえば教科書も高すぎる。4,5千円の教科書を買わなければならなくて、それができずにその講義を取れないというのはいかがなものだろう。学者にはそんな学生がいることすら想像外なんだろうな。自分の本を読ませたいものねえ。

夜、友達夫婦と都庁の45階で食事。夫も狭山から出てきた。娘さんが早稲田大学の政治経済を卒業するのでお祝いをした。弁護士の秘書になるという。市議会議員にならない?ってきいたけれど、ならないそうだ。残念。
30日(土)   今日は珍しくオフ。こんな時は、家事がたまっている。洗濯は10キロ2回だ。干すのが時間がかかる。月末はお手伝いさんがいないからである。

午後、サピオへ。今週は忙しすぎてトレーニングの暇もなく、疲れ果ててしまって何もできなかった。帰りに買い物によって、カルフールでお買い物。「ちょっとだけよ」のつもりがいつものように山盛り。夜は、ワインを楽しくいただきました。
29日(金)   今日は山王小、入間野小、入間野中、入間中、御狩場小を視察した。前に視察した時に比べれば、どの学校もよくなっていた。特前回図書館が黴くさかった入間中の進歩には驚いた。ディスプレイもよかったし、さすがに昭和40年代の社会の本はなかった。百科事典も古すぎて使い物にならないものは廃棄されていた。台帳に関しては、紛失したものがある学校があり、復旧をどうするのかと暗澹とした思いだ。管理に問題があるから、本が傷んでいても買い替えもしないで本屋の勧めで新しいものだけに目をうばわれてしまう。新刊ものでなくても、子供がよく読む本は傷みがちだから、入れ替えすべきなのに。特に絵本の痛みはひどいものが多い。

新しい購入本に関しての扱いもぞんざいな学校もある。きちんと生徒の分かるように展示してほしい。簡単な内容説明もほしいところだ。そのための工夫をする人もいないし、それをリードする司書教諭の存在感が希薄だ。時間がなくて手が回っていないのかもしれない。廃棄をし始めた学校もある。この際、廃棄する本の扱いが問題だと思う。中央図書館のようにリサイクルできないものか。古すぎて誰も手にしないだろうか。

図書の管理を入間川中ではバーコードで行い始めた。PTAがソフトを買ったそうだ。その利用には大人のボランティアが必要だそうだ。貸し借りがよく分かってよいシステムなのに、機械やソフトの管理が問題だ。いったいどこから学校図書の問題に手をつければよいのかとため息が出てしまう。

そもそも学校図書館に誰もいない状況なのが問題なのだろう。せめて週の半分でも専門家がいて、図書館をきちんと管理すればもっともっと使い勝手よくて魅力に富んだ図書館になっていくのだろうに。ボランティアでは、どうにもならない場合が多すぎる。やりようといえ、学校の意向に従うのがボランティアなのだから。イニシティブは取れない。

それと子供の貧困について校長先生に伺ったが、貧富の差が開いているのが本当に悲しく思えた。着る物に如実にでてきたという。ぼろでもきちんと洗ってあればいいけれど。家庭がどうなってしまったんだろう。親がしゃかりきに働いて食べていくだけで精一杯な家庭が出てきている。学校の教師がきちんとそういう現実をわきまえてほしい。教員になる人は一応大学まで行っていてお金の不自由を感じることなく過ごしてきた人が多い。お金がとどこうった時にすぐに親が払えるのにとか、自動車を持っているのに、などと言って冷ややかに見下すことのないことを望む。親を馬鹿にすることは子供の人格を否定するようなものであることを知っていてほしい。子供はそれでなくても、肩身が狭く、悲しい思いをしているのだから。さもなければ、心のそこで社会に怒りを感じているだろうから。
28日(木)  今日は、9時半から狭山台北小学校の視察と思っていったら、予定にないと校長からけんもほろろ。視察の最終案を議会事務局が教育委員会からスケジュールをもらい、議会事務局を通じて確認をしていたのにもかかわらず、「何できたんですか」といわんばかりの学校の扱いに唖然呆然。 はあ〜〜という感じで近くの狭山台図書館で待機。その後、狭山台中、奥富小学校を視察。奥富小学校では食事をした後に図書館を視察。その後、隣の子育て施設を視察。奥富公民館で少ししゃべって帰ってきたが、あっという間に夕方になった。

狭山台中学校では制服が市内一高い理由をきいたが、納得がいかない。子供の貧困はあちこちで指導法や考えの修正を必要としているのだが、学校はいつまでたってもバブルの時と変わっていない。現実を真摯に受け入れ、変わっていくべきだ。なぜ、ジャージに学年別の色にしなければならないのか。管理上の意味はあるのかもしれないが、そのために使い回しがきかない。教員のためにジャージの色を学年ごとに変えるなんてナンセンスだ。ジャージやハーフパンツが男女で同じになっているのは、家計の面で評価する。右翼の人間は女はブルマーで男はランニングパンツにしろというかもしれないが、兄弟で使い回しができるのは悪いことではない。ジャージは共用でもいいけれど、ハーフパンツは違うなんて時代錯誤なことを言う人がいるだろうね。男女混合名簿はおかしいという人がいまだかっているようにね。

学校図書館に関して言えば、とにかく狭山市内の小学校の図書は古い本が多いし、ディスプレイがわるすぎ。要するに人の手間をかけていないことが明らかだ。それに、学級文庫の取り組みも学校として取り組んでいる感じがしない。担任任せに思えてならない。朝の読書の時間は確かにあるが・・・
27日(水)  今日からは学校視察。 富士見小学校、中央中、入間川中、笹井小、柏原中学校を1日かけて視察した。まずは学校図書館を全部見た。それから学級図書を見た。

富士見小学校のディスプレイと整理はたいしたものだと思った。初めて見たものが基準になるが、やはり基準が高いことに越したことはないと思った。台帳はよく見ることはなかったのがちょっと気に掛かった。校長先生が知っていた方だったので、学校の隅々までみせていただいたのだが、私が行くことが分かっていたからかもしてないが、掃除は行き届いていたし、学級での授業はしっとりしていて、落ち着いていて子供も勉強に集中していて感心した。これはお世辞でもなんでもない。

中央中は今年たな卸しをして存在する本をすべてコンピューターに入れたという。すごい作業をやり遂げたものだと関心。残念ながらその結果、ない本が400冊以上だという。開校以来きっと初めてのたな卸しだっただろう。私も20年前にこの学校で図書主任をしたのだがとても大変でできなかった。がんばったなあと感心した。中央中の当間校長先生も昔一緒に働いたことのある方で今年退職だ。熱心な方だから、どこかで教育に携わっていてほしい。

ところで制服のリサイクルについて聞いた。クリーニング代を出せばリサイクルがもっと進むといっていた。バザーでもしてそんなお金が出るといいなあ。とにかく子供の貧困は私が2年前に議会にかけてからもっと進んだ。制服とジャージで女子が8万円もし、男子が6万円以上もするなんて、異常に高すぎる。その上、給食費や教材費などがいる。1ヶ月に子供が3人もいれば、2,3万円はかかる。その上、修学旅行だなんていえば、もっと大変だ。親が教育費にお金が掛かりすぎるというのは子供を塾にやるお金が掛かるというのではない。義務教育なのに、学校に支払うお金が掛かりすぎるということなのだ。

「親は自分の身を削っても教育費にかけるべきだ」という人がいる。しかし、食べないではいられない。子供に食べさせないではいられない。そんな経済状態のときには、教材費の支払いが後になってしまうのは仕方がないのかもしれないと思ってしまう。年収400万円でも、税金や年金を引けば手取りは20万円そこそこだろう。家族4人でも、家賃、食費、高熱水費、電話代などをあわせれば、ぎりぎりの暮らしにしかなるまい。はっきり言って、うちでは食費や雑費(ほとんど外食なんかしないで家で食べている)で10万円は掛かる。高熱水費はなんと5万円は掛かる。電話も6本の支払いをしている。家のローンもある。とても20万円ではまかなえない。二人で働いているからこそ、子供の学費がでているのだ。生きているのが精一杯という家庭がどんどん増えてきている。

入間川中学校に行ったら、私立高校に進学させられないので県立しか受けないという生徒が増えているという。柏原中学校でも受験制度が変わった中で、経済状態が悪いので県立一本の生徒が多くなって心配だという声を聞いた。定時制は倍率が5,6倍にはねあがり、高校に行けない子供が出てしまう。

笹井小学校では卒業アルバムを買えなかった生徒がいたという話を聞いた。先生方はそんな状況に胸を痛めていた。お金がないから卒業アルバムを持てないというのは悲しすぎる。制服にしても、日ごろ付き合いがよくて貰える人はいい。でも、付き合いもなく、親戚もいないで、金がないんじゃあ、買いたくても買えない。「うそ〜〜」と思っていたが、貯金のない家庭が20%もあるということを耳にしたことがあった。本当なんだろうなあと思う。ある時、「現金がないので図書券を買って」といわれたことがあった。500円のお金もないのかと冗談のように思ったが、実際500円のお金すらない家があるのだ。それが現実だ。

3000円の教材費が払えなくて親が2000円持ってきて、「これしか払えないんです」と小さくなっていたという話も今回聞いた。千円が払えないのだ。払いたくともお金がそれ以上ない。有り金全部を教材費にはらっても足りない家庭がある。校長先生がそういう話をしているのを聞いて、どんなに心を痛めているだろうと私も胸がいっぱいになった。現場の先生は大変だ。

悲しくなってしまう。状況は刻々と悪くなっていく。早く子供手当てが支給されないかなあと思う。教材費の話。なぜなぜ、個人負担が多いのだろう。学校の備品の貸し出しにすればいい。ピアニカ、笛。習字のセットだ、柔道着だ。何で何で、お金が掛かることばかりするんだろう。お金がないから、義務教育を受けるのもいやになって、ドロップアウトするなんて悪夢がそこまで来ている。不登校の子供の実態にすでにそんな原因があるのではないかと心を痛い。
 26日(火) 今日は朝家事。月末はお手伝いさんが来ないからたいへんなのである。とにかく洗濯が・・・。食器あらいも半端じゃない数。

午後からは図書館指導員さんたちと会うために第2環境センターへ出かけた。話を30分ほど聞く予定だったけれど、結局は延長。だって、彼女たちも不満はあるし、私は実情を聞きたいし、時間があればもっともっと聞けたのに、ざんねんでした。

午後は役所に行き、明日からの視察のことやらを確認し、帰宅。夜はサピオ。 
25日(月)  忙しい1週間が始まる。今日は9時から代表者会があった。私は「女性差別撤廃条約選択議定書を批准するための意見書」を狭山市議会としてあげる事をのぞんでいるので、説明をしに出かけた。 5分でというので、簡単にまとめた。

その後、10時半から全員協議会。議会で明らかにされたが、教育長が1月31日つけで辞任すると言う。12月議会で市長と教育長の答弁が食い違ったところがあり、遅かれ早かれ教育長が辞めざるを得ないだろうと思っていたから、まあ仕方がない。しかし、1月末で辞任とは少し早いのではないかと思った。せめて、年度末とか。いや、昨年中にやめるべきだったのかもしれないなあ。3月には2校の閉校もあるのでそれを終えてからとチラッと思ったし、予算議会をどうするかという事も頭にあるが、こんなそんなも吹き飛ばすほどの市長と教育長の距離が開いていたということか。まあ、止める時期なども正解はないのだろう。

誰が教育長になるんだろうかななどと下世話な考えをしたが、まあ、教育長にしても教育委員にしても市長が選ぶわけだから市長の都合のよい人で市長の心を汲むような人を選ぶに違いない。また、入曽の人かね。最近、ありとあらゆる人事が入曽の市民ばっかりである。なんだか、あまりにもお手盛り人事に反対するのは私ばかりなんだなあ。教育長は見識が求められるから、誰でもいいというわけにはいかない。あんまり、右翼な人にしないでほしいと願うが、さて・・・・・市長の見識が問われる人事となることだろうね。

教育長は坂戸の人なので会う機会もないだろうと、全協が終わってから「さよなら」を言いに伺った。何しろ、門倉さんは私が堀兼中学校で働いていたときの校長、上司だったのだから、お別れぐらいは言いたかったというわけ。「お元気でね」って言ってきた。40年以上も教育畑にいたのだもの。もう終わりにしてもいいだろうと思う。本当に、お疲れ様でした。

午後は珍しくカルフールに行って買い物。もちろん、結局2万円以上の食料を買い込んだ。最近は娘が熱を出していてなかなか買い物もたくさんできなかった。ブックオフで本を見て帰ってきた。2万円以上の食料というと買うのにも時間が掛かるが、帰ってきてから荷物をしまうのも一苦労なのである。食材がたくさんあるので、少しうれしい。
 24日(日) 今日も里親研修会。川越児童相談所で。今回は心理についてのお勉強。私はアメリカで心理学を勉強したが、エリクソンの認知主義的心理学なんて忘れてしまった。まあ、いいか。そのために研修に来たのだから。

午後は、里親の体験談が中心だった。実親(産んだ親)を知りたがる青春期の子供たちの対応について聞いたが、ケースバイケースで みんなに当てはまる正解なんてないということだろう。子供が会いたがっても会えないことの方が多いように思った。親には親の生活もあるし。家の場合もいつか彼女は実親を探しに行くのだろうか。会いたいと言っているが、会える状況はいつになったらくるのだろう。会って、ひどく傷つくようなことになるのだったら合わせあられない。彼女が20歳を過ぎてから考えよう。

研修後、所沢までアメリカ人を迎えに行った。香港からきた。夫は接待。私はそのまま家に戻った。夕食後、娘の熱は平熱であることを確認してほっとした。明日からまた彼女は仕事にいける。
23日(土)  今日も娘の 調子が悪かったけれど、朝に熱が7度に下がりほっとした。それで里親研修が川越の児童相談所であるので夫婦で出かけた。私たちはもう20年も里親登録をしている。最近システムが変わったので、里親研修会にでて、施設で実習をしないと里親として登録できなくなったようなのである。私は教員上がりの人間なので研修だけですみそうなのだが、夫はどこかの施設に実習に行かざるを得ない。それが、年度末名なのでなかなか実習場所がない。もともと、施設だってそんなにあるわけないし。

10時半から4時までびっしり、講義を聴いた。内容は聞いたこと事が多いことだった。なぜ、どんな子供が施設にいくのか。法律などについても学んだ。里親についても法律で決められた義務など。里親はプロの親ですとか言われると、私はプロの親になれるだろうかと思ってしまった。お金をもらって人の子供を家庭で育てるのには、勇気が必要だと重い気持ちになった。できるのかなあ。養女をしているが、里子のほうが難しいかもしれないなどと思ってみたりした。
 22日(金) 今日は朝、娘の熱が下がらないので、またしても病院に。インフルエンザはまたしても陰性。しかし、熱が下がらないので抗生物質を変えた。家に戻り娘を寝させてから、 薬局で薬を買いに行き、帰りにプリンやらジェリーを買い込んできた。医者に行ったり、薬を飲ませたり、買い物をしたりしているうちに一日が終わった。

一人が病気になるとその子のために世話をしていると本当に仕事にならない。困ったものだ。それに、熱が上がらないかと思うと常に気持ちが看病に行ってしまう。娘はまったくどうしたというのだろう。お医者がよいというので、この前にもらったリレンザ(抗ウイルス剤)を飲ませた。夜には少し熱が下がったように思う。
21日(木)  今日は子供を学校と仕事に送り出して、ほっとしていたら電話が掛かってきた。建設委員会協議会だ。私は「え〜〜〜!!!」 っと飛び上がってしまった。協議会はたいてい全員協議会後にあるので、ファックスが来ていたが日時は25日だと思い込んでいた。だから、今日は午後に研修会があるので、そのときまでに役所に行けばよいと思ったのだ。

お化粧もせずに飛び出して、役所へ。建設委員会協議会で視察に行くちょうど前について、委員の方と一緒に西口の視察に行った。協議会は午前中におわったが、研修会が2時からあるので、役所に残っていた。

研修は議会改革についてである。話としては取りとめもないという感じだな。もっと整理して何をどう改革すべきかを話してほしかったと思う。議会が議会であるために、執行部と線引きをして、2元代表制のもとに、議会は自分たちの役割を果たすべきなのであるが、議会がさまざまな意見を含みながら、総体として活動するという事の意味を誰がどのくらい理解したのだろうか。

5時からは議会の新年会。懇親会。私も何年かぶりで出席した。決して楽しい場所ではないけれど、立場の相違や意見の相違があるにしても、先ほどから言うように、総体としての議会を運営する一体感を持つべきだという思いはある。市長、教育長、副市長が一緒だった。前は県議会議員や国会議員を呼んだものだが、最近は内内で懇親会だ。少しお酒は入ってもこんなところで狭山市はどうあるべきかなどをざっくばらんに話しができたらいいと思う。でも、なかなかそんな話にならず、そつない話に終始してしまうのは寂しいかなあ。
20日(水)  今日は、午前中に娘を連れて病院にいった。 先々週、インフルエンザということだったから、今回は普通の風邪ではないかという。抗生物質と熱さましをもらって帰ってきた。昼食を食べさせて、薬を飲ませて寝させた。その後、プリンなど食べやすいものを買ったり、ポカリスウェットを作ったりと彼女のために心を砕いた。

夕方急いで銀座へ。尾崎関係のミュージカルを友達と見ることになっていた。友達がそのミュージカルの主演の人を知り合いで招待されたのだった。尾崎に対しての理解の仕方がこういう風のもあるのかとところどころ新鮮な思いだった。青春のと、尾崎の若いころに焦点を当てたのだったから、見ている最中は尾崎のお母さんに心が行った。あんな子供を持った親は大変だっただろうと思う。そう思いながら、自分の息子を思うとそれもため息もので、今後どうなるだろうと少し暗澹足るものと思った。

観劇後、お茶をした。あっという間に10時になり、急いで帰ってきた。毎週、銀座まで出かけている。
19日(火)  今日は朝10時から家政大学で男女共同参画社会基礎講座というのがあり、出かけた。内容は本当に基礎。狭山市からは何人か課長が勉強に来ていた。分かりやすい講座だったのでよかったと思う。広報課長に出るように電話をしていたのだが来なかった。少しは勉強して、よい紙面を作り上げてほしいと願うが、ちっともこちらの言うことを理解していない。10年来言って来たことがちっとも理解されていないと思うと不甲斐ない思いでいっぱいになる。

午後は食事をした後、また議会事務局へ。なんだかんだと忙しい。 帰ってきてみると娘が寝ていた。仕事で気分が悪くなり早退したということだった。夜に熱が7度8分。
18日(月) 今日は朝からHPを更新したりしていた。事務局が視察の場所を調査していてくれ決定したので、書類を書きに事務局へ。また、政務調査費の会計をひとつ作り上げて、提出。領収書のないのがあり、どうしていいか。苦戦中。

環境部によって少し宿題をおねがいした。 それにしても、リサイクル率が40%を超えている市はどんな取り組みをしているのだろうかと不思議に思う。日高市に例外だそうだけれど。

今日こそごろごろしたかったが、そうも行かない。センター入試がおわり、息子はあまりにもひどい結果に泣いていた。勉強ができなくて泣くなんてはじめてみた。自業自得だけれど、息子の哀れな姿に胸が痛んだ。でも、親として何ができるのか。金をだせばいいというが、あまりにも教育費が高くてどこにも行ってもいいよなどと言えないのがさびしく厳しいところである。
17日(日) 今日は珍しく教会で礼拝。今年初めてだった。この2週間は父のお見舞いなどに行き、狭山市にはいなかったから。お話を聞きながら、たくさん祈ることがあると思った。父の病気、夫の父も入院した。息子はセンター試験。次から次へといろいろなことがおきる。弟の手術のあとが良いようで少しほっとしている。

午後は教会から戻り、4時半に夫と映画に行くつもりだったから、片づけをして夕食をつくった。2時過ぎにトレーニングに行き、さて映画館にいこうとしたら、夫が日曜のその時間には映画はないというので、驚いた。3時だったそうだ。がっかりした。それで、私は4時半過ぎに、またブックオフに行き、立ち読み。最近「のだめカンタービレ」にこっていて、外国編を読みたくて仕方がない。だが、この漫画は流行でなかなか見つからない。それでも、何巻かあったので、早速立ち読みをした。買った本は、富士子へミングさんの本。だって、きれいなんだもん。

夕食後、のんびりして「プラダをきた女」って言うのを娘がHDDに取っていたのでそれを見た。女性が働くって大変なんだと思った。いや、映画の中でも言っていたが、男性だって同じように働いているが、女性の場合それをひどく言われるって言うのも分かる。有能な若い女性が着いていけなくなって仕事を止めるが、結局社会で生き残ろうとしたら、大なり小なり生活を犠牲にするのだろうと思う。少なくとも、男に合わせた生活なんか不可能だし、女性を自分の生活に合うようにしろというような男性とは生活を共にできなくなるだろう。忙しい中で調整しながら同居する決意がなければ、男女とも同棲できないだろうなあ。結婚も同じだけれど。子供を思ってないていた女性がいたが、子供に理解を求めるのは本当に難しいだろう。そうなると子供は生めないなあ。

仕事も家庭もというのがどんなに大変かと分かるが、女性だって仕事か家庭かなんて選べる時代は終わった。どちらもしなければ、社会も国もそれに男女の幸せもない時代になってしまった。
16日(土) 今日は朝、子供がセンター試験なので弁当を作り持たせた。昨日の夜もかつ丼、今日の朝もカツ丼を食べて息子はセンター試験に出かけた。夫が送っていった。がんばれ、息子。

その後、私は市川房枝記念会の企画運営委員会に行くので狭山市駅へ。途中、昔からの友達に会う約束をした。市川さんのところでは、きたる2月5日、6日の勉強会についてどのように行うかを話し合った。私は新しい人とお昼ご飯を一緒する世話役をすることになった。選挙が来年だし、ボツボツ補欠選挙もあり、選挙に出たいという人の応援をしたい。そのために、私の乏しい経験が役に立つならば、それはうれしいと思う。

1時。日比谷公会堂に民主党定期総会に出かけた。フェミニスト議員連盟が招待を受け、今回は私と友達が行くことになり、待ち合わせて出かけた。残念ながら私が少し送れたので、来賓挨拶の福島さんのところを聞くことができなかったが、亀井さんあたりから聞くことができた。亀井、田中さんは無難な挨拶だったが、鈴木宗夫さんが検察批判。分かるところも多く、まだ捜査している段階で関係者からの話として事実かどうか分からない話が新聞や報道にのり、あたかも世論操作をしているかのように思えるところも多々ある。

世論操作に関しては自民党のときもあったと思うが、とにかく事実関係がはっきりしていないのに捜査当局が話をリークするやり方はおかしいと思う。また、石井議員に関しては自殺の恐れがあるので身柄を確保したということが新聞に載っていた。これに関して、そこまで追い詰める捜査とはいかがなものかと思うし、また、心神耗弱にある人を逮捕するとはいかがなものか。いつ検察は病院になったのか。弁護士を通じての話ではひどい状態に見える。こういう場合は、逮捕するのではなく、病院に入院させるのが人権に配慮したやり方ではないかと思う。最近の検察はどうしたのだろうか。

午後遅く、鳩山さんの挨拶を聞き、小沢さんの挨拶を聞いてから、事業報告の最中に大会を抜け出した。民主党も大変な状態だと思うが、もう自民党に後戻りしてほしくない。民主党が大好きだというのではない。でも、今行われている革命を進めてほしい。「生活第1」というのはお題目って言われても、実行する党は自民党ではないことは明らかである。何があっても石にかじりついても民主党は4年間政権を担当し、改革を進めてほしい。ひよったらおしまいだ。内閣支持率なんて数字に惑わされる必要は全くないと思う。

ゆうがた、友達と銀座であった。銀ブラしたのち、資生堂パーラーで食事。念願のオムライスをいただいた。まあ、味はそこそこだけれど、雰囲気は良かった。食後のお茶もいただいてのんびりした。銀座の喧騒も届かず、落ち着いた食堂だから中年以降の私たちにはほっとくつろげる場所である。

夜帰ってきた。多少疲れたけれど一日充実していた。民主党大会に今後出る機会などないかもしれないが、良い勉強になった。がんばれ、がんばれ民主党。
15日(金) 今日は朝から忙しかった。お昼ごはんを早めに食べて議会事務局へ。来月の視察のことについて書類を書かねばならなかった。それと、一般質問関係の資料請求もしていて、資料はもらったがまだまだ分からないところがあり、どんな資料を作ってもらえばよいかなど、職員と話をしたら、あっという間に1時間半。局長に「職員に昼食を食べさせてください」なんて叱られた。食事のことなど忘れて夢中になってしまっていた。自分が早めの昼食をしたので、おなかがすいていなかったせいで申し訳なかった。それに、忙しくて、あの時間しか事務所にいけなかったし、できれば今週中に視察や研修の書類なども整理したかった。それにしても、本当に親身に考えてくれる職員が事務局にいて、問題も共有してもらえるようで心からうれしい。

今日は息子のお上がり(?!)の迷彩色のフリーズをきて事務局にいたら、ある議員さんに「戦争反対の高橋さんが、迷彩色とはどうしたんですか」などといわれた。息子がなぜ迷彩色のフリーズを持っているかは忘れたが、彼が大きくなって着れなくなった。もったいないので私が着ている。迷彩色は汚れ目が目立たないので良い。戦争がいいとも思っていないし、迷彩色のこのフリーズが戦闘服であるわけでない。私には戦闘服を着る趣味なんて全くない。迷彩色は目立ちにくいというのがきっとコンセプトなんだと思うが、私の心の中で自分を目立たないようにしたいという思いが潜んでいるのかもしれない。

1時半から3時まで議会報告・行政相談会をしていた。特筆するようなことはない。ただ、市営住宅での盗難事件がひっかかる。市営住宅も高齢者もおおいし、単身者もふえた。物騒なことになったというでは困る。これについては、どうにかせねばと思う。

4時に約束していたことをけろっと忘れ、仕事をしていた。夕食後、今日はトレーニングにも行かないから、夜が長いと思っていてはっと約束を忘れたことに気がついた。は〜〜〜。
14日(木) 今日も朝から仕事モード。何しろ、お手伝いさんが来ているから家事に気をとられることがないので、すうっと仕事に入れる。それにしてもなかなかすすまない。HPも更新もしなければならないし。でも、それは後回し。会計のほうが先。領収書とにらめっこをしながら、下書きを作っている。

午後は1時過ぎに友達を迎えに行き、リサイクルプラザと工場見学へ。全く組織力のない私だなあと悲しくなるが、「行きたい」と言った人が来ないことになり、なんと2人で出かけた。現地集合だから誰かがいるかもしれないと甘い考え持たないわけでもなかったが、そんなこともなく。第一環境センターの所長には申し訳ないことをしたかな。でも、工場見学を久しぶりにしてよかった。それとリサイクルプラザでは古本を買ってきた。へ〜〜、こんな本もあるのかと少し驚いた。

夕方、本屋によってまたまたくだらない本を買い求め、帰ってきた。夕食は早めに、娘がカレーをつくり、私は煮物を自分のために作った。

夜はサピオに出かけた。寒い冬の夜なのに満員だった。それで少し待ってからトレーニング。もっと、トレーニング場が広いといいのにと思う。ここは暖房が効いているので、着替えも暖かいし、汗がでても冷えないから、最近はサピオへ行く。1時間近く歩いたり、バイクをこいだりして汗をだす。寒くて汗なんかトレーニングでもしない限り出ることもない。気持ちがいい。

帰ってきてから、夫と一緒に「越の寒梅」を飲んだ。叔母が送ってくれたもの。二人で「飲みやすいね」といいながら、飲んでいる。普通の清酒なのだが、なかなか手に入りにくいのでうれしいし、直江津では清酒でも「越の寒梅」は1本3600円もして手が出なかった。この酒はさらっとしていて、それでいて甘すぎず、のん兵衛の夫には口当たりが良いらしい。私も好きだ。だからといって、毎日飲めるというお酒ではないので、味わって飲んでいる。
13日(水) 今日は、朝から勿論仕事モード。だけど、なかなか思うようにすすまない。いやだなあ。アファーの編集のこともあり、HPのアップもあったりとすることは山盛りなのだが・・・

午後には昨日忘れていたケーキを焼いた。デコレーションは娘がイチゴを買ってきてしてくれた。夕方、少しはご馳走を作ろうと、珍しくあれこれ考えたが、なんだかいつもの和洋折衷。私がどうしても洋物がいやになってしまって、黒豆を作ったり、レンコンの金平を作ったりしてしまう。でも、ホタテを焼き、クリームマカロニをつくり、ポトフを作ったりと、洋物もすこし。

夫も7時過ぎに帰ってきたので、珍しく一家5人でパーティ。幸せな家族でありがたい。いつまでもこんな生活が続くわけもないなあと思う。で、今だけでもこの幸せを享受することにする。夜は、私は珍しく家にいてコンピューターをいじっている。新しいコンピューターが使えない。また、新しいウインドウス7対応のホームページビルダーが必要だというのがわかり、購入しなければと思う。新しいコンピューターはうれしいのだけれど、新しいセッティングが必要で面倒くさくてならない。
12日(火) 今日は朝から仕事モード。それにしても寒い。領収書をいろいろ仕分けして、政務調査費の会計をしようとしたが、なかなかうまく行かなかった。それでも、午後まで係り、ようやく仕分けをした。午後からは息子のためにお金を下ろしに行き、ついでに買い物。帰ってきて夕食を作り、皆を待った。

あれ〜〜〜。昨日は夫の誕生日だった。それが分かったのはなんと、夕食時。忘れていたものねえ。夫は覚えていたらしいが、ぜんぜんそれを持ち出さないからケーキも作らなかった。不二家でケーキを駆ってこようかとも話したが、明日、パーティーをすることにした。とにかく、ボアのスリッパを彼のために買っておいてよかったなあ。それに、お魚屋で大きなホタテも買ったから、明日は彼の好きなもので食事が作れる。今日は、私の好きなめぎす。これは一山300円で買ってきた魚。直江津ではいやになるほどよく食べるが、狭山ではなかなか見かけない。あったとしてもご立派な魚で一匹100円もする。

夜、サピオへ。寒くて行きたくないと思ったけれど、体がなまっているのでがんばった。汗をたくさんかいて、それは気持ちが良い。
11日(月) 今日は午前中のんびり実家で過ごし、父に病院であってから、魚屋へ。あまり良い魚がなくて、それでもあれこれ買ってきた。さばが安かったかな。ブリもなかったし、蟹もあまりなかった。おいしそうな魚は鯛が一切れ600円という。カワハギはきれいだったけれど、好きじゃないので買わなかった。その後、スーパーに行って直江津じゃなければ買えなさそうなものを見たがあまりなかった。

午後、3時過ぎに別荘へ行った。家の状態を見るために行ったのだが、パイプから水は出ていることもなく、のんびり2時間半本を読んだりしていた。狭い狭山のうちに比べ広い家。もっと時間があったらほっとするだろうなあと思う。最近は行く時間がなかなかないが、高速代が安くなったので、前よりも行きやすくなった。直江津までだって、1500円。佐久から狭山まで1400円。これでは行きやすい。前は直江津まで7千円、佐久まで3500円ももかかったのだから。

夜、うどんを食べ、穂の香の湯によって帰ってきた。9時半に出て11時半には家に着いた。山は凍るので怖かった。3連休なのに渋滞もなく、快調。途中で、佐久のスーパーによって安いものを調達した。だって、キャベツ6個で300円。買いたくもなるというものでしょう。
10日(日) 今日は、出初式の日。開会は10時半と遅かった。いつもは出初式で途中から失礼して礼拝に行くのだが、今回は時間帯が悪くて礼拝にはいけなかった。西中のバンドが出るというので、最後までいた。また、救助ヘリが来るのもみたが、怖くないものかと思った。あんな重いものが空中でじっとしていられることが良く分からない。大変な訓練の成果だろうと思う。

ところで、途中で日の丸の旗をやぐらに飾ったりした。まあ、狭山市の出初式だよ、日本の出初式じゃないのだから、狭山市の旗を掲揚するというのはいかがか。一本も狭山市の旗を掲揚しないというのは理解できないことだなあ。そこらへんの意識は問われるべきだろうね。一本も狭山市の旗がないとなんだか日の丸の旗で遊んでいるかのように思えて不愉快なんだよね。何も国旗が神聖であるというのではないけれど、物には軽重があっても良いと思う。単なるお印ではないし、あの旗の下たくさんの方(私の親戚も含めて)なくなったと思うと、丁重な扱いがあっても良いかなあ。日の丸の旗も国旗になってからは軽いものになってしまい、おばさんには時々着いていけないわ。

そうそう、議会便りと市の広報が届いた。議会便りの表紙は無難に富士山。内容も可もなく不可もなく、それはそれでよいと思っている。議会で出された討議をできる限りきちんと書くというのがよいのだから。ただ、問題は賛成討論、反対討論の趣旨を載せないことだろうと思う。他の市ではただ、反対討論があったというだけでなくその趣旨を書いているところがある。よいところは、一般質問についてきちんとページをとっている点。最近気がついたが、委員会での審査をまとめて載せるようになった。QAにした点は良かったと思う。いつからなのかなあ。

広報はまずは驚いた。女性が乗っていない。どこにもいなかった、表紙から10Pまで。男女共同参画へのアンテナの低いのは、この前女子(3歳の幼女)の検診のときの裸を掲載した時に指摘したのだが、ぜんぜん分かっていないようだなあ。表紙も男の子だけ、新春対談も自治会の男性だけ。私は記事を読む気にもならなかった。表の世界は男性ばかり。自治会のことを知っていて、実際切り回している女性だっているだろうに。4人も自治会から人を呼ぶなら半数は女性でとなぜお願いしないのか。男性の目と女性の目は違う。これでいいとは思わないけれど、今なお女性は縁の下の力持ちで働いている。だから、感性も違う。視点が違う。

そんなことを考えてみていたら、10Pまで女性が出てきていない。10Pの写真にしてもどうしてあんな集合写真を使うのかと思う。昔の広報そのものだ。女性が不老川の浄化作業に参加しなかったわけじゃあるまいに。そして、女性がたくさん出ているのは趣味のページ。なんだかなあ。女は遊んでいるだけですか。もしかして、女性をそんな風にしか捕らえていないんじゃないですか?女子と男性が並んでいる写真では女の子が一番すみ。意図して女性を隅っこにしているとは思わない。意図しないからこそ、問題がある。

写真を撮るのは男性職員である。意識しないでも男は男に眼が行くものだ。男が注目する女性は若くてかわいい子と相場が決まっていて、七夕の時の浴衣姿。茶摘だって女の子ばっかり。あまりにもステレオタイプで笑ってしまう。いつからそこを脱却して、男女共同参画のジェンダーフリー社会を作るために立ち上がるのだろうか。ジェンダーの意味すら分からないんじゃないかと邪推する。(邪推じゃない、事実かもしれないですって・・・)いつもいつも私が言っていても分からない人々。勉強してほしいよ。今後こんな風じゃ、狭山市は終わってしまうんだけれど。若い人が出て行ってしまう、人口の社会減はこんな古い町は住みにくいということが一番だろうけれどさ。

午後、夫と二人で直江津に父の見舞いに出かけた。行くというと、こなくていいというので、黙って行った。私は甘楽から妙高まで運転した。妙高からは雪が降っていて怖くて運転できなかった。それにしても雪を見るとうれしくて興奮する。犬みたいだね。とにかく4時間を切って直江津に着いた。

父は思った以上に元気だった。おしっこが出なくなったというので心配したが、入院しているから手当てもしっかりしていて心配なさそうである。私たちの目の前で夕食を全部食べた。これからは忙しすぎてとても見舞いに行けないから、顔だけでも見れて良かった。
9日(土) 今日は午前中に医者に行き、午後はフェミニスト議員連盟主催の「福島大臣と語る」。あまり宣伝もしなかったのだが、80人近くの人が集まり、盛況だった。去年も国際フォーラムを行い、すごく好評だったが、今年もそれに劣らなかった。

その後、フェミ議の懇親会。福島さんも出席。この前、総会のあとの懇親会も福島さんもやってきて話し込んだことを思い出した。今回は、彼女の著書を買ったのでサインをもらった。今年は参議院選挙だから、少しは何とか彼女のために動こうと思う。ただ、社民党の方とは疎遠だから、他のルートでしかお願いできないかなあと思う。それにしても、女性問題をしっかりがんばってほしいと願っている。懇親会の後、ケーキを食べたりお茶をして帰ってきた。なんだかリラックスしたなあ。みんな知っている人たちだからかな。
8日(金) 今日は、領収書を片付けて、計算をしようとした。その1年分以上の領収書の区分けがきちんとできていないので困った。それに、ほぼ1日掛かった。それでも、なかなかすすまない。領収書を探すために、部屋とファイルの整理もしなければならなかった。終わるわけがない。でも、取り掛からなければと思う。

夕方、早めに夕食にして、夜はサピオへ。トレーニングでもしないと運動不足である。
7日(木) 今日は久しぶりにお手伝いさんが来てくれるのでうれしかった。家事を任して、私は役所へ。昼食後、お年始周りというか、各課を回った。市長へもご挨拶と思ったが、市長はすでに予算のことで会議に入っていた。大変だ。お金があるときはいいが、お金がないのだから、来年の予算つくりはどこをどう切るかということばかり、すなわち無駄をいかになくすということと、無駄じゃなくても予算を縮小しなければならないということだろう。後で建設部長に会ったが、あれは予算をまともに減らすように言いつけられてきたのだろうかと顔色をみて思った。

夕方帰ってきて、今日はカツどんを作って息子や娘に食べさせた。最近はいつも一人で夕食のことが多いが珍しく3人で食事。その後、こんな風にHPの更新をしている。書斎が寒くて震え上がっている。これから入間の湯に暖まりに行こうと思う。
6日(水) 今日は娘が熱を出していてインフルエンザらしいので、何もできずに家にいた。家事はたくさんあるし、薬を飲ましたりしていた。午後、彼女の熱も下がり元気そうなので、郵便局へ行き年賀状の返信や今頃父用のクリスマスプレゼントを贈った。議会事務局によって資料請求の書類を出した。帰ってきたらもう夕方。夕食を作って一人寂しく食べた。

夫が帰ってきたので、私はサピオへ。今年初めてのトレーニングだった。1時間、歩いたり自転車をこいだりしたら疲れてしまった。運動を忘れてはいけないなあと心から思った。でも、運動したかったけれど、娘がインフルエンザになったり、時間がなかったから仕方がない。

父の様態がまた悪くなったようで、退院が延びた。老いるというのはこういうことかと寂しい。元気になってほしい。
5日(火) 今日は朝家事。それと娘の看病。いつもの主治医がお休みなのに、彼女は38度5分も熱がある。昨日からインフルエンザだと思ってお兄ちゃんの残りの薬を飲ませているが熱が下がらない。朝は7度8分まで下がったけれど、安心できないので医者に連れて行く。どこがいいかと考えていたら、豊岡第一病院が予約なしでも見てくれることをお兄ちゃんから教えられて急いで娘を連れて病院へ出かけた。

薬を入れていたせいか、インフルエンザ検査は陰性だったけれど、お医者さんはインフルエンザの処置でいいでしょうとの事だった。帰ってきて、私は食事をして、家事をまたした。その間、彼女に薬を飲ませ、状態を観察した。良く眠っているのを見て、処方された薬をもらいに行きつけの薬局へ行った。帰りに彼女が食べたいといっていたバナナや熱のあるとき食べやすいプリンなどを買って帰ってきた。

なんだか一日があっという間に過ぎる。彼女が眠っている間には電話で視察の準備やら請求資料を議会の調査係りにお願いしたりした。子供が病気だと動けないけれど、頭は働いていて次の議会のことを考えている。何か何か課題というのはあるものである。心配なのは貧困。お金がなくて修学旅行に行けない子供がいるようだ。胸がつぶれる。お金を課せられないか。それとも上げられないか。そんな基金をつくれないものか。バザーなど学校が自由になるお金で援助できないものだろうか。お金がないから修学旅行にいけないなんてかわいそう過ぎる。やはり私の課題は子供の事が多い。

夜、食事は誰も帰ってこないし、娘は寝ているしで、一人ぼっちだった。早々と食事をした後、年賀状を書いた。いただいたものには、返事ができるから。筆王を使っているが、一年に一度しか使わないのでうまく使えなかった。まあ、葉書を書いたが、文面もいまいち。忙しいと頭から何も出てこないなあ。まだ仕事はたくさんある。明日から少しづつしていくことにする。娘がよくなるといいのだけれど。

今日はこのHPをアップしてから寝るとしよう。今年はできる限り、一日づつアップをするようにしたい。できるかなあ。
4日(月) 今日も朝ゆっくりしたあと、家事。洗濯物は待ってくれない。あっという間にお昼。昼食後、Hpの更新をしていたら、4時近くなった。

4時半から「沈まぬ夕日」という映画を夫と二人で見に行った。あまりにも理不尽な仕打ちに腹が立ったが、もしこれがJALの本当の姿だとしたらあまりにも情けないとしかいえない。税金と利用者を食い物にして、のし上がろうとするずるいずるい男たち。大なり小なり、同じようなことがあるんだなあ。風見鶏のように要領よく生きるのか、その上謀略をめぐらしてまで生きるか、それとも実直に信念どおり生きるか。私はどうしても馬鹿だから、実直に信念どおりの恩地のような生き方を選ぶんだと思う。それにしても、会社は変わらないだろうけれど、恩地が自分の信念を通し続けられたことは本当によかったと思う。地位も名誉もなくとも自分をほめることができる人生がいいなあ。ナイロビの太陽がきれいだった。

帰ってきたら娘が熱を出していた。インフルエンザかもしれない。HPの更新をまた続けて寝る。
3日(日) 今日もゆっくりおきだしたら、弟が仕事から帰ってきていて、正月のご挨拶を改めてした。まあ、良くしゃべる家族で次から次へと話をした。子供のことが多いかなあ。弟も子供が大きくなって教育費など大変だろうと思う。まあ、妻も働いているからこそ家計が回っているんだろうと思う。でも、それは我が家もそうだよね。家は2人で稼ぐが、出て行くのも多くて・・・・お金に余裕があるようになりたいなあ。こういう風に思っていることがいいのかな。足るを知るっていうことわざもあるしね。

午後、夫と二人イトーヨーカドーや三越に買い物に行った。古町商店街の衰退ぶりは痛々しい。大和も撤退、北光社もなくなるらしい。大駐車場のない町内の商店街はなくなってしまうんだろうね。中心市街地活性化法はちっとも効果がない。新潟市のど真ん中だった商店街がまるで100円均一やらコンビニなどしかなくて、ブティックはほとんどなくなっていた。寂しい。三越は店員さんが良くしつけられていて、昔のデパートそのものでうれしかった。接客が丁寧だ。これがある限り、デパートはあるかもしれないとも思う。

買い物から帰ってきて、おばのために87歳の小さなバースディパーティ。ケーキを切っておいしくいただいた。今回は4人だったからケーキも小さかったけれど、味はまあまあ。

午後4時半。新潟を出発。出たら、横風がひどく、長岡を過ぎたら雪がものすごく降ってきた。夫は大和で疲れて一休みしたのち、湯沢に。前が見えないほどの雪だったが、除雪をよくしていて走られた。といっても、スピードが出るわけなく、渋滞とはいえないが関越トンネルを過ぎるまではのろのろ運転が続いた。のろのろ運転は高崎まであったがそれでも4時間半で帰宅。ジムは疲れ果てていたが、快調なドライブであった。帰ったら子供たちが喜んだ。

お風呂に入って寝る。
2日(土) 朝、遅く起きて、お雑煮とお汁粉と御せちのご飯。家ではお汁粉と雑煮を食べるのが正月の習慣である。

その後で母と夫でジャスコに行って、クリスマスプレゼントを買ってもらった。セーターやら下着やら皆にひとつづつ。母はお買い物に来るなんてなかなかないらしく、いつものように途中でソフトクリームを食べながら買い物をした。広いショッピングセンターを歩くのもよい運動になると母は言うがあれくらいで疲れるのだから、きっと寝て朗読を聴いてばかりで体力が落ちているんだろうと思った。

買い物のあと、また病院へ行った。父がトイレに車椅子で行くところだった。なかなか車椅子がすすんでいなくて、可愛そうで仕方がなかった。でも、今日は私たちがいる間、ベッドに座って話をした。昨日は座るのもできなさそうだったから、きっと暖かくなるまでにはよくなっているんだろうと思う。歩く練習をリハビリして、それから退院のようだ。なぜ、熱がでたのか理由が分からなかったようだ。体が弱っているということなんだろうなと思う。

弟も元気そうだったが、この子こそ、安静にして傷口が治るのを待つ必要があるだろう。

その後、急いで新潟へ。弟が家族とともに待っていてくれて、おじさんおばさんと大宴会。でも、弟が仕事というので、宴会は早々と終えた。おいやめいがだんだん大きくなっていく。ここで4人にお年玉を配った。

夜中まで家族のうわさなどをした。おばさんは87歳になるが、料理の天才で、煮物がおいしくて、酢豆も練り物もおいしくて、子供たちがうらやましがるだろう。
1日(金) 今日は元旦。あけましておめでとうございます。

朝、一人早く起きてお雑煮を作った。家の雑煮は新潟風で何種類も具を入れる。着るのだけでも大変である。大根、にんじん、ジャガイモ、豚肉、しょうが、白菜、ごぼう、こんにゃくを醤油仕立てにする。これは豚汁じゃないのといわれそうだが、醤油というのが違う。今回は4人で初めて祝うお正月。御節セットの小さいのを買ってあるから、紅白の板付き、伊達巻、栗きんとん、昆布巻きなどを添えた。酢付けの大根などいつもの常備お惣菜などもあり、お正月らしく賑々しい。

子供に「早く起きないとお年玉を上げない」とひとこえかけたら、あわただしく下に下りてきて、パジャマだけれど皆で挨拶した。厳粛なのはお年玉を早くいただきたいということか。こんな風にするのも、今年限りかなあ。下の息子が学生である限り、まだまだお年玉贈呈式があり、楽しめるのかなあ。

食後、急いで用意をして、直江津に出発。大雪注意報が出ているのは分かっていても、出かける。しかし、関東は快晴で、群馬を北にいき、甘楽までは雪などもなし。その後、雪が降り始め、軽井沢には少し雪がありました。でも、本格的に雪になったのは信濃大町を過ぎたあたりから。夫は息子に手伝ってもらいタイヤをスタッドレスにしておいたから、走行は快調。妙高あたりで上りに車が止まっていた。馬鹿なと思うがノーマルタイヤで登ってきた車がとうとう前に行かずに雪の中で立ち往生したらしい。チェーンを持っていたらしいから、つけるようだった。でも、そのせいで渋滞が発生していた。雪国の降雪注意報が出ているときにノーマルタイヤで山を走ろうなんて、信じられない。迷惑だよね。だから、わざわざタイヤのチェックが入るのだろう。事故になったら大変だもの。

なんと、4時間半ぐらいで直江津に着いた。ジムさんは疲れたと思う。私は雪道は運転しないから。怖くてできない。直江津に着いて挨拶をしてからすぐに、おじいちゃん(父)と弟のお見舞いに行った。父は熱が4日も続いてようやく回復し始めたところらしく、ベッドに起き上がれなかった。あまりに弱っていて驚いた。弟は頭蓋骨を多少くりぬいて手術をしたとかで、まだ頭がいたいと言っていた。こちらは元気そうだが少し安静にしていてもらいたいと思った。とにかく、顔を見られてよかった。

夜は、いつものとおり、お刺身がたくさん出たご馳走をいただいて、母とおしゃべりをして、夜中までNHKの征治討論会を見てねた。
31日(木) 今日は朝から家事。だって、明日から夫と二人で新潟にお見舞いやらお年始に出かけるから、今日すべき洗濯はすべてやり終えたかった。それに、久しぶりにレンジ周りの掃除をしたくなって、いすに上ってせっせとした。いつもお手伝いさんがしてくれているので、そんなに汚れているわけではないけれど、たまには自分で掃除をしなければ。夫は、家中掃除機でお掃除。

午後からは買い物に。お年玉袋もいるし、お正月3ガ日は留守にするので、子供たちの食料を買い込んだ。山ほどうどんや焼きそばを買ってきた。冷凍庫もいっぱいだし、おなかがすいたら何かを食べるでしょう。その後、御茶屋へ行き、お土産のお茶を買った。

3時からは美容院を予約していたので、パーマをかけに行った。新潟に行かなければ、このままにしていようと思ったが、あんまり変な格好で行くとまたあれこれうるさいので、年末もこのときになってようやく美容院に行くことになった。

今日の大晦日はかなりの手抜き。本当はすき焼きが大晦日の定番であるが、すき焼き風煮をしょっちゅうしているので飽きてしまっている。だから、今日はヤオコーのオードブルとお刺身。鮭と黒豆(私が作った)、ごぼうの金平。私と娘と夫は茶そば。そばアレルギーの息子はうどん。まあ、テーブルいっぱいにご馳走らしきものが並び、(どこがご馳走かといわれそうな普段の料理かな)私と夫は酒、子供たちはジュースで乾杯して食事とした。写真を撮らなかったのは残念。お兄ちゃんは彼女の家で大晦日を迎えるとかで、出かけた。

夜は珍しく紅白歌合戦を見た。勿論、紅白を見ながら皿を洗ったり、明日もって行くお年玉やらお見舞いを包んだり、いつものとおりにじっと座ってテレビを見ている暇はなかった。ただ、ボイルさんの歌は夫と二人でじっくり聞いた。歌詞は字幕を見ていたのだが、夫と涙を流しながら聞いた。夫はなんて残酷な歌なんだろうといっていた。私はユーチューブでみたボイルさんの歌よりもずっと感動した。ボイルさんの緊張もなかなかだったんだろうけれど、よい歌唱だったと思う。CDをアマゾンで予約。1月11日の夫の誕生日プレゼントにする。
30日(水) 今日は勿論家事を済ませた後に、郵便局へ。学資保険が降りた。子供の大学の入学資金である。どうして、もっとつんでおかなかったんだろうと後悔する。100万円では入試費用と初回の納入金にすらならない。あ〜〜あ。

その後、銀行へいき、お金を下ろし新札にしてお年玉の用意にする。子供が6人分だし、お見舞いが2件もあるから大金だ。銀行で入曽の方にお会いして話し込んだ。区画整理事業はもう止めてもいいでしょうと思う。

夕方、議会レポートの配布に出かけた。夫が手伝ってくれてよかった。これで、12月議会関係のお仕事は完了した。年末はどうしてこうも忙しいのだろうか。
29日(火) 今日は午前中は家事。その後、ごみもたくさんあって午前中に、いつものように第2環境センターにごみを持ち込んだ。確かに混雑はしていたが、並ばなくてもよくてよかった。パッカー車が多くて、事業系のごみかなあと思った。年末は環境部総出でごみの対処をする。大変だ。去年は第1環境センターがまだまだ完成してなかったから16号まで車がつながったということだが、今年は順調だろうか。

帰ってきて、ほっとするまもなく電話がかかり、新潟に行くのが、私と夫ということに決まった。本当は息子の受験があるので私は残るつもりでいたのだが、父は喘息その後風邪で入院、弟は動脈瘤の手術で入院となり、急遽私も夫と一緒に帰省することになった。仕方がないなあ。

家を片付けているが、どうしようもない。暖かくなってから、窓ふきをしようと思う。

夜はサピオへ。最近、寒くなってからは体育館は敬遠し、サピオばかりだ。帰ってきてお風呂に入って寝る。
28日(月) 今日は朝から家事。月曜日は洗濯がたまるから、10キロの洗濯機を2回も回してしまう。何しろ、パーカーにしてもアメリカ製XLだから大きい、大きい。 午前中は久しぶりにHPのアップに忙しかった。

午後からは郵便物を持って郵便局へ。本局へいった。いつものようではなくて本当に不親切。頭にきて、郵便を持って帰った。途中、役所によって議会事務局に挨拶して、今度は広瀬の郵便局で郵便を出した。本当に親切で、本局の役人丸出しの対応に電話して文句を言おうかと思った。あんなに無愛想で不親切だから、郵便がクロネコやら佐川急便に持っていかれてしまうのだと思う。私は民営化反対の議員だけれど、あの接客態度だけは民間のほうがいいと思う。

次には手配りをする封筒を持って何件かを回った。あっという間に夕方になり忙しい。夕食を買い込んで帰ってきた。

夜、入間の湯へ。
27日(日) 今日は朝礼拝。久しぶりで自分の教会へ。やはり、ほっとする。メッセージはいつもすばらしいし。本当に感じるところがある。福音に応えるには「正しい行い」だという。ふ〜〜ん。神様の目からみて正しい行いとはなんだろうと思うが、ただただ祈りながら正しい行いをしようと努力することだろう。でも、本当に正しいことだけをして生きていくって難しいよね。何べん、後悔し、何べん反省し、何べん言い訳をし、何べん悔い改めているだろう。それでも、正しいことをしたいとは思っているから、それで神様に許していただこう。

途中でお弁当を買って食べて、サピオへ。トレーニングをして帰ってきた。4時過ぎだった。帰ってきたら、たくさん家事が待っていて、皿を洗ったり片付けたりしているうちに夕食の時間。久しぶりに、あれこれ作った。

食事を作って家人が帰ってくるのを待つ間、封入の途中だった郵送分を娘と終えた。セロテープでとめて、終わり。明日は郵便局と配りに行かなければと思う。

夕食後は、浅田真央がすべるというのでスケートを家族でテレビを見た。真央ちゃんが失敗もせず滑り終わってなんだかほっとした。あんなに期待されているのに、オリンピックにいけなかったら本当にかわいそうだ。いけてよかったねえ。その後、コンピューターの前でHPのアップをしている。今日は、早く寝たいものだと思う。
26日(土) 今日は朝起きたら11時半だった。勿論寝たのが2時過ぎなのだから、遅くおきるのは仕方がないとしても、11時半とは。いつもは1時に寝ても2時に寝ても7時には起きるのに。

お昼を食べながら、友達と話をした。今日は家族の話など。今まで、個人的な話はちらちらしたことはあったけれど、初めて聞いた話だった。彼女は息子を交通事故でなくしたのだが、仏壇にある写真を見たら、こんなにあどけない男の子が亡くなったのかと彼女の気持ちを思いやってもう可愛そうで仕方がなかった。時々神様のなさることは分からない。それにしても、80坪の土地に優雅にお家を建てて、芸術家志望だった夫がたくさん美術品を収集していて、文化な家庭だった。それに比べ、我が家には価値ある絵画なんてないのよ。骨董品も一切ないしねえ。文化って余裕のある生活してなければ、育たないんですよねえ。

しゃべりくたびれて、2時過ぎにお邪魔して帰ってきた。大宮でブックオフにより、川越で古本屋により、帰ってきたら5時半。夫が狭山市駅まで迎えに来てくれた。狭山市駅は着々と工事がすすんでいる。もう、駅舎と商業館をつなぐ通路もかかっていた。もうじき、駅前広場が作られ、まち開きが3月の末に行われる。うれしいな。

こんばんは娘は教会に行っており、息子は塾。もう一人の息子は伊豆に行っているから、夫と二人友達のやっている"なるど”という蕎麦屋で夕ご飯を食べた。ちょうど知り合いがいて、2組の夫婦で食事をした。忙しいらしくて、食べ物が出てこない。だから、たっぷりお話ができた。

9時半からは“のだめカンタービレ”という映画を夫を見た。音楽がきれいだったし、玉木浩という男優の指揮が格好良くて見ほれてしまった。カラヤンを思い出した。カラヤンも格好良かったものねえ。一度でいいから、生演奏を聞きたかった。何べん言うか分からないけれど、私が学生時代に1万円も出して演奏会にいけなかった。だって、1ヶ月の生活費が2,3万円だったんだよ、私の学生生活では。でも、でも、今は何万円出したって死んだ人の演奏は聞けない。は〜〜〜。カラヤンが聞きたかった。夫は小沢征治さんの演奏が聞きたいといっている。私だって聞きたいけれど、チケットをどうしたら取れるか分からない。どこで、何を演奏するかも良く分からないし。

"のだめ”は話が早すぎて一度で咀嚼できない感じだったけれど、美しい音楽と映像といけ面男優でまあ、いいか。
25日(金) 今日は、朝家事に明け暮れた。その後、ネットニュースとあいさつ文をコピーをした。そして、その後、会員さんのラベルを作ったが、3ヶ月に一回しか使わない”筆王”の使い方を忘れてしまい、困った。なんと、封入をはじめたのは、午後を過ぎてしまった。だから途中で止めざるを得なかった。その上、コピーが足りなくなって増し刷りをし始めたら、紙が詰まってコピー機が動かないが、どうしたらよいか分からない。もう、仕事ができないのだ。

午後は、彩ネットの人との忘年会がさいたま市の友達のうちであるので、バスに乗って出かけた。今日は一晩彼女の家に泊まる予定なので小さなボストンにパジャマを入れてうきうきして出かけた。集合は5時だったけれど、6時ごろ迷子になりながら到着。今日の友達はさいたま市内や久喜市に住んでいるので終電で帰るとなれば、12時過ぎてもかまわないので、お開きは11時40分。あっという間に、5時間もしゃべり続けた。それぞれの近況を語るだけでもすごく楽しかった。

話の内容は、勿論議員や元議員や、女性活動家などだからお堅いに決まっている。政治のどろどろの部分も語られたりして、「いやだねえ」といいながらそれがこの世界なんだと改めて思う。自分でそのどろどろに足を突っ込むつもりはまったくない。けれど、利用されつくす人もいるんだろうといるし、お金でそれを割るきる人もいるんだろうなと思ったりした。どの世界にもあるようなことなんだろうか。それとも、この政治の世界だけが、直接選挙という露骨な競争があるからこそ、醜くなるのだろうか。

配偶者控除については、なくすべきだというのが私たちの考えである。それを財源に子育て支援をするのであれば、仕方がないじゃないか。主婦が働かなくても食べていかれる家庭ならば裕福なのだから控除なんかしなくてもよし。どうして日本は働かない女性に優しい国なんだろう。働いて税金払ってがんばっている女性のほうが大変だろうと思わないのだろうか。誰も女性に働いてほしいなどといわない??!!だったら、夫が十二分に稼げる世の中ですか?子供の大学費用は夫の稼ぎだけで出せるのですか。なぜ、女性がパートをしていると思うんですか?楽しいから?冗談じゃないですよ。

しんどい思いで150万円稼げば、税金だ健康保険だと出費がかさむし、配偶者控除もない。ばかばかしいたらありゃしない。どこの国に働く人よりも働かない人を優遇する国があるのか。

話はあちこちに行き、社会に憤慨し、民主党も毅然と改革をすればいいのにと言い合い、医療制度についても話が飛び、そういえば家族の話題を一切しないで忘年会は終わった。ビールはあっという間に何缶もあき、ワインもあけても、誰もよっぱわないというのはすごい人たちだねエ。とにかく、硬い内容のことを楽しく話し合うなんて事が少ないから、新鮮なのである。

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