私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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 10月 私の独り言 
31日(日)   今日は朝礼拝。もうそれ以上何もしたくなくて、途中でスーパーに寄って、久しぶりに買い物をし、安い安いワインを6本も買って、そのまま帰宅した。

本当はトレーニングもしたかったのだが、この1週間の疲れがどっと出て、帰ってきてコンピューターの前に座ってしまった。お洗濯もあり、食器洗いもある。お手伝いさんの体調が悪いので、月末と、11月中はお手伝いさんがいない状態で過ごさなければならない。昔ほど汚すものもいないし、洗濯物も多くはない。それでも大変だろうな。

久しぶりに料理して夕食。結局夫と娘と3人だけの食事。食事の途中からBSでショパンのプログラムが始まってしまった。優雅な気持ちになって、紅茶を家で一番良いカップに入れて飲みながら聞いている。音楽はきれいだが、何しろスピーカーが悪いので、良いスピーカーがほしい。本当に、優雅な気持ちだ。仕事も忘れる。と言いながら、こんな事をしている。
30日(土)   今日は朝10時過ぎに家を出て、渋谷のウィメンズプラザで「日韓暴力防止シンポジウムIn東京」。受付のために参加したが、シンポを聞くことが出来た。

「日韓暴力防止シンポジウム」では、3人の韓国人のシンポジストに韓国の制度について語ってもらい、その後大阪で始まった「サチコ」24時間性暴力ホットラインについての報告があった。

性暴力の被害者のためのワンポイントセンターを韓国で初めてもう6年になる。「国立ひまわり児童センター」の副所長さんの報告。強姦で内臓を傷つけられ、人工肛門になった子どものケースもあるそうだ。全国で10箇所、13歳以下と知的障碍者の性暴力被害者センターが国が設置している。医療、警察、行政の真ん中にたって、被害者の擁護をしている。

日 本は法務省が被害者の人権に考慮して・・・などといって法律を作らない理由にしていたが、そんな理由では、性暴力禁止、被害者支援法を作らない理由にはならな い。韓国では性教育を年に10時間するようになっていて、そのために講師を派遣する制度があり、講師になるには何十時間も勉強をしなければならない。そして、性暴力が究極の人権蹂躪であることを教え込む。日本ではコンドームのつけ方を教えることすら、するべきでないという馬鹿な話をする人がいるし、ワクチンを打つことすらセックスを助長するなどと言う人がいるが、現実にどのくらいの人が、(女だけでなく男も被害にあっている)酷い目にあっているかを考えれば、早急に日本でも手を打つべきだと思う。

夫婦間の強姦についても日本ではきちんと判断していない。暴力で夫が妻にセックスを強要すれば、強姦だと認定すべきである。

強姦されてト ラウマのために言葉を失ってしまう子ども。子どもの時の親からの性暴力で大人になっても性交渉がうまく行かずに結婚できない人。私も何人かに会ったが、何 を言ってよいか分からなかった。傷つけないように言葉を選んだが、慰めてよいのか、怒っていいのか、どうして良いか分からなかった。やはり、専門のカウンセラーを育てる必要がある。特に早くに性暴力防止、被害者支援法が要ると思う。

帰宅したのは8時を過ぎた。雨の中を渋谷まで行き、帰りは原宿まで出て帰ったが、すごく疲れた。台風のせいで雨が酷かったなあ。
29日(金)   今日は、朝11時に参議院会館に着き、院内集会のお手伝い。院内集会では4人の国会議員。法務省、厚生労働省、文部科学省、警察庁からの、4,5人ずつ参加した。新聞社は共同通信、読売新聞等がきていた。「国立ひまわりセンター」の副所長がワンストップセンターについての報告。日本には性暴力防止法を作らなければならない。

終わったのは、2時過ぎ。昼食をその後参議院会館の地下にある食堂でとり、その後カフェで抹茶アイスクリームを食べた。その後、市川房枝記念会によった。今日の朝、「住民参加型 選挙運動ハンドブック入門編」の記事が出たと言うのでうれしかったのだ。代々木の婦選会館に行ったら、朝からハンドブックの購入の電話が掛かりっぱなしだったという事だった。この前、記者会見をしてよかったなあと思う。

夜、フェミニスト議員連盟の世話人会。久しぶりに参加したが、顔なじみだけに気心が知れていてうれしい。市川さんのところとは違い、自分達で会を回している責任感と活動をどうしたら前に進められるかという点が強い。好き勝手なことを言いながら、それでいて心が通じているのはうれしいし、ここら辺が日本の女性運動の中心に近いのではないかなどと思う。いろいろな情報がたくさん入ってきて、アンテナが高い人たちといると、田舎の私には強い刺激になる。

帰宅したのは11時を過ぎた。
28日(木)   今日は朝10時半から狭山市最終処分場の視察。雨がしとしと降っている中だが、水処理をしているのをつぶさに見た。いまだ、一日30立米も水がでて、それを処理しているのだ。今後いつまで水野処理をしなければならないのだろう。2千万円も掛かっている。すべての最終処分したごみをどこかに運んで、最終処分場を空にすればいいのだが、その経費はどのくらい掛かるか分からない・・・・だから、きっと永久に水の処理を続けなければならない。でも、そんなことをしていてはいけない。きちんと処分しなければならないのだと思う。

1時間もあれば終わると思った視察。いつものように隅から隅まで視察し、水の処理の状況のチャートを見せてもらったりしていたら、お昼まで掛かってしまった。食事を役所でして後、控え室の引越しを手伝った。無所属が4人になるので、4人をすべて私の居る部屋に集め、一部屋をあけると言う馬鹿な決定を議長がした。(少なくとも手島さんが決めたと水沢事務局長は言っている)。何も一部屋あける必要はない感じがするが、みんなの党の人が2人いるそうで、彼らが集まれば、一部屋いることになるのだから、あけておく必要もあるかもしれない。でも、その時にすればいいのに。とにかく、無所属部屋に4人なんて今まであったかなあ。私はいつも独りでいることが多いので、4人になり、コンピューターも4人でシェアーするのは、辛いことだ。

その後、髪の毛を染めに行った。何しろ染が落ちると、「ブラクソンさん、最近髪が赤くなってきましたね。」などといわれたり、少し伸びると、「頭が鳥の巣のようですねえ」などと注目を浴びてしまうので、お金を掛けて染髪したりする。まあ、髪が伸びるとなかなかセットもしにくいから、短く切る。

夜は、7時半から国際交流教会のワージントン部会。反省会。少しでも国際交流を市民に広めたい。そんな思いで話した。会員の会員のための協会でいいのか。市民のために働くとしたら何ができるか。話は変わるようだが、私は「いろんな民族の会」を16年間している。楽しみも多いが、チャリティーが出来ることで私は繋がっている。自分のためだけでなく、人のためにも役に立ちたい。国際交流協会も補助金を貰っているし、これからはもっともっと市民に国際交流の実を分け合わなければならない。お茶もしたので、帰りは11時を過ぎた。
 27日(水)  今日は午前中に報告書を書き上げて、3時ごろ役所に提出に行った。添付資料もコピーしなければならなかった。報告書を書いてほっとした。でも、この2,3日の集中で神経が参ってしまった。すばらしい報告書を書こうなんて思っていない。でも、見たことから何を学んだかをきちんと書きたいし、何を感じたかを書きたいと思う。そして、そこから何が議会で提言できるかを考えなければならないのだ。

夕方下の喫茶店でお茶をしてから、珍しく早く帰ってきた。今日は体が重かったけれど、トレーニングへ。1時間近く歩いたり、エアロバイクをした。汗をかけば気持ちがいい。しかし、気持ちがつかれきっていて、昔ほどの快感と行かない。行くのにも、体を引きずっていくという感じなのだ。

紅葉を見に行きたい。息子に会いに行きたい。でも、いつ時間があるというのだろう。本当に休まないと燃え尽きてしまう。

いつもそう思いながら、次々に視察のスケジュールを入れてしまう。飯能の老人ホーム、狭山市の経費老人ホームの視察を組んでもらった。その上、深谷市の盲人用の老人ホームに出かける予定だ。やりすぎだとわかっているのだが、深谷市に一人狭山市から老人がお世話になっている。その方だけを訪れないのは、心がすまない。12人のすべての老人ホームを訪ねなければと思うのだ。少なくとも私は12年近く議員をしているが、一度も訪れたことがなかった。いつか一度市議会議員が尋ねてきたなと思ってもらえたらうれしい。一年に一度小鹿野町を訪れる市の職員を心待ちにしていた市民がいたと聞いた。もしかして私がたずねたら、誰か一人でも気にしてくれる人がいると、喜ばれるかもしれないじゃないか。そんな思いでたずねていくことに決めた。
 26日(火)  今日は、結局一日中先週行った視察の報告書を書いていた。時々嫌になっては、本を読んだりしても、書き続けた。その上、市川房枝記念会からも小さな原稿の依頼が来ていて書いたが、なんと3稿までの直しが入り、まだまだ出来ていない。は~~~、人生の半分はコンピューターの前に座っている気がする。集中していないと原稿・報告書なんて書けないから、頑張って座り続けるより仕方がない。

疲れた。夜は入間の湯へ。
 25日(月) 今日はひたすら休みたくて仕方がなかった。忙しすぎて、もう動きたくなくなった。先週は視察も多く、テンションが高く、神経がぶちきれそうだった。

午後まで、本を読んだり、HPを見たりしていた。昨日は夜中までHPのアップをしていたのだ。週末もまるで何かに追いかけられたように仕事をこなし続いた。今週だけでなく先週も。

それでも、夕方にはお便りを配りに行ったし、夜は久しぶりにトレーングへ。汗が気持ちよかった。 
24日(日)  今日は朝礼拝。天国について。それで思い立って、久しぶりに尾崎のお墓へ。お花がたくさん上がっていて驚いた。白いゆりがきれいだった。お水をかえようとしたら、きれいな水が入っていて最近お参りの人が多いのかなあと思った。わたしがいる間は人にあわなかった。

教会に尾崎の歌を聞きながら行ったのだが、 尾崎の歌は傷んだ心の人に寄り添う。自分がつらい時に、辛さを乗り越えようともがいている尾崎の姿に励まされたなあと思う。しみじみ 「僕が僕であるために」を聞いた。愛のない街で同じように傷つきながら壁伝いに歩いている人を見ると慰められるのだ。それが、若い子だって年寄りだって同じように傷つき苦しむのさ。いつか尾崎ハウスで70歳近い女性にあった。彼女も伴侶の死のむなしさから立ち直るのに尾崎の歌を聞いていたと言っていた。年も関係ないし、経済状態も関係ないみたいだ。お金持ちそうな女性がオザキに入れあげていた。尾崎がイケメンだったからだとは思えない。尾崎のあの痛さが自分の痛さと共鳴するんだろうと思う。

死って何かと思う。尾崎は本当に死んだのだろうか。尾崎の歌はいまだに多くの人の心をひきつける。むなしく、悲しく、荒んだ、一人ぼっちの若い、年取った、男や女の心に寄り添う。秋になると「街路樹」を思い出す。この何年かは、立ち止まることが多くて、そんな時に「風に吹かれて、歩きつづけて 信じて見つめた遠い空」と歌いながら、立ちすくんでいた。前に一歩も出れない心境だっただけに、尾崎には慰められた。死んだ尾崎を捜し求めたこともあったけれど、それは無意味だったと、今では思う。でも、まるで自分のアイデンティティを探すように、尾崎の素顔を捜した。お父さんにまで会いにいったものね。尾崎の勉強机の前で、古いアルバムを見せてもらった。尾崎がここで育ち、すでに死んでしまったことが納得できなかったなあ。

死んでも死なない生き方ってどんな生き方だろうかと思う。まあ、イエス様が一番長生きかなあ。お釈迦様も長生きだね。私はそんな風になれないかもしれないのは確実だけれど、死んでも死なない生き方を考えようと思う。そういう風な生き方をしてみたいと思った。尾崎は哲学が出来る男だ。死んでも死んでいない。

午後は昼食後、インターネットのHPをアップ始めたら、今日は商工祭があることに気がついて出かけた。終わりなのにたくさんの人がいてよかった。リサイクルもしていたし、子ども動物園にも小さな子ども達がたくさん来ていて見ているだけでもうれしかった。買い物を少ししたが、もっと早くにいけば、サトイモコロッケを食べられたかもしれない。1000個売りましたという事だった。揚げたてだったからきっと美味しかっただろう。いろいろなお茶の食べ物があった。今一もあるけれど、お茶クレープは食べてみたかったかな。売り切れで残念でした。私はお茶製品はどこに行っても食べるようにしているのです。まだまだお茶の製品が出てきてもいいね。健康食品ですから、お茶は。その点を強調した製品はどうですか。B級グルメではなく、T級グルメで頑張ってほしい。

その後、武蔵野学院大学のなでしこ祭に出かけた。息子がいるかなあと思ったけれど、いませんでした。もう卒業して2年だからね。ゼミの先生に会ったのかもしれないけれど、私はどの人かも分からないので挨拶もしなかった。

帰ってきてから、夕食をはさんでHPの更新を続けた。今はもう12時半。嫌になったから寝る。
23日(土)  今日は朝から入間市の万灯祭りの出店のために出かけた。いろんな民族の会のチャリティー出店。タコライスを300食売るつもりだった。

しかし、200食ほどしか売れなかったが、材料を使い切ったのだからよしとしよう。まあ、4万円ほどは寄付できそうだ。今年もきっとペルーの子ども達の学校に使われるだろうと思う。今まで、タイ、カンボジア、ペルーなどに上げてきた。16年もこのようにチャリティーをして、外国の子ども達のために献金している。小さなグループで会員も14,5人しかいないが、力を合わせると強い。小さな力でも継続は力ですから。私もこの会がお楽しみ会だけをしていたならば、面白くなかったと思うけれど、チャリティー、それも子ども達のためにチャリティーをしているから、細々ながら繋がっている。16年間も続いている会ってすごいでしょ。

帰ってきたら、9時を回っていた。疲れてしまい、11時ごろシャワーをして寝た。ところが12時ごろに夫と娘が別荘から帰ってきた。水の凍結処理のために2人で出かけたのだ。日帰りだから強行だったと思う。なんだか、寒くなったので、布団をだして毛布も掛けて寝ることにした。 
22日(金)   今日は朝から全員協議会。午後は議員研修会。2時半に退出して、代々木の市川房枝記念会でこの前作った選挙ハンドブックの出版記者会見が行われるので出席。読売、日経、東京新聞が取材に来た。記事になることを願って止まない。これから選挙に出ようという人の役にたつと思う。

「住民参加型 選挙運動ハンドブック入門 地方議員を志すあなたと、おくりだしたいあなたへ 女性議員からのメッセージ。」が題。全31ページ。500円。ほしい人は市川房枝記念会女性と政治センターまで連絡を。電話番号は03-3370-0238。

この春から夏、合宿までして編集したブックレットである。多くの人が活用して、多くの女性議員が生まれることを心から祈っている。特に、無所属の女性が選挙をするのは大変なのである。頑張らなければならないし、どうしたらよいか分からないだろう。だから、この本が利用できる。薄いけれど、中身の濃い本なのである。

友達とメキシコ料理を食べ、私は紀伊国屋で本を眺めて帰ってきた。結局家に着いたのは、9時。10時過ぎから夫と入間の湯へ。疲れた。
21日(木)  今日も視察。 今日は午前中は、狭山市内にある介護付優良老人ホーム家族倶楽部。入るのにお金がかかり、かつ入居中には一人20万円も掛かる。お金持ちの老人達が入るところである。利用者とか入っている人とか言わない。お客様と施設長が老人を呼んでいた。食堂といわない。レストランである。だから、ウェートレスが注文を取りに来てくれて、暖かいものを提供する。まあ、たいていは2通りのメニューから好きなものを選ぶのだそうだ。川越でアンケートでパンは嫌だと書いていたが、ここでは朝食はパンかご飯かどちらかを選ぶことが出来る。他の施設では他の食べ物を食べたいというと、それは利用者の我がままという事になる。お仕着せのものを文句を言わずに食べなければならないのが老人ホーム。好きなものを選べる自由があるのが有料老人ホーム。

それに、食べる時間もお仕着せの場合はその時間に来なければ食べられないが、有料老人ホームでは朝食は7時半から9時までいつ来ても良いという事だった。寝坊も許されない施設と、自分の時間は自分で決められる有料老人ホーム。税金をいただくというのは、これほど自由を束縛されるのか、人権とは何ぞや。

驚いたのは刺身定食がメニューにあったことだ。山吹荘のアンケートに刺身がたべたい、寿司が食べたいというのがあったが、食の安全を考えると出せないというのが回答だった。金がないので老人ホームにしか住めない。そうすると、刺身も寿司も食べさせてもらえない。麺類だって伸びるからとメニューに入れられないところがあるのだ。は~~~。秩父の長寿荘で狭山市民が言った「こんなところではあんなものでしょう」という意味がだんだん分かってくる。好きなものが食べられないだけでなく、施設にいる限り食べられないものがたくさんあるという事だ。それも、お金さえあれば解決する。金のない老人の悲哀をいやというほど感じた“有料老人ホーム”だった。

居室も広い。ベッドに応接セットが入れられる大きさ。26平米だそうだ。老人ホームは13平米が基準。部屋に洗濯機があって、他の人と同じ洗濯機で洗えない人や洗いたくない人もあるという説明だった。お風呂に小さなお風呂があり、大きなお風呂に入れられない人や、大きなお風呂に入りたくない人が入るのだそうだ。これは皆老人ホームでは我がままという事の範疇。部屋にコンピューターのランケーブルが引かれているのでコンピューターも出来る。他の古い施設では絶対無理。これも有料老人ホームだからこそだ。

私も有料老人ホームだったら入ってもいいなあと思ったが、何しろ入居金が1000万円、毎月払いが20万円というのでは、とても入居できないと思う。出来る限り自分のことは自分でして、最後は孤独死しないように病院で死のう。孤独死は他の人に迷惑が掛かりすぎるから。

午後は、所沢市の老人ホームを視察した。ここは所沢市が直営で運営している施設。亀鶴荘。まず仰け反ったのは、夕食が5時15分だという事だった。どの施設も18時、すなわち夕方6時というのが相場だ(有料老人ホームは別格)。それなのに、職員を6時45分に帰すには食事を5時15分にしないといけないというのは、主客逆転。だから、こういう施設を指定管理者か委託にだすのだ。職員が働きやすいように、食事の時間を設定するなんてまるで60年前の養老院のときのイメージなんだろうか。朝は7時45分。昼ごはんはなんと11時45分。老人が3時間でお腹がすくのかね。おやつが2時半。夕食後5時15分からすることがなくて、7時に寝て2時ごろ起きる人がいるというが、当たり前でしょう。なんだか、嫌になってしまった。これで、利用者が贅沢だの、我がままだのといったら、住んでいる人に申し訳がない。一人の部屋が空いているけれど、ここも公平をきして使わせない。使っているのは、経費老人ホームから移ってきた人たちだけである。なんだかねえ。きらいだわ、こういう事なかれ主義。

早々、川越も、所沢も秩父や小鹿野町に比べて、メニューが貧弱に思えた。カロリー数が100キロから200キロカロリーすくないから、一品ほど品数が少ない。法律的には1400キロカロリーでいいわけだが、秩父や小鹿野では1600キロから1700キロカロリーにしていた。こんな点も公立が直営でしていると、法律を全うしているからという言葉でおわるんだろうな。私はダイエットしたから分かるが、1200キロダイエットをしたら、19キロ痩せた。1600キロでは太らなかった。今、1900から2000キロカロリーを取っているので太り気味である。1400キロカロリーは60歳代男性には少なすぎる。かわいそうだ。健康的かもしれないが、太った人に会わなかった。太るほど食べさせてもらっていないというのが実情だね。

まあ、ここは本当に政令か何かにのっとって最低レベルをキープしようとしているかのようだ。お風呂は週に2回だけです。今まで見た中で一番少ない。夏はシャワーをしても良いそうです。その他の日も申し出でにより可だそうだ。申しいれして不可になるなんて事はないでしょうね。理由を言わなければならないのだけれど、入りたいからという理由でもいいんですかね。何しろ、老人ホームは不自由ですからねえ。この施設で食べて寝て最高で7万円払っている人がいるわけだけれど、私は嫌だなあ。7万円では住居と食事は賄えないのかもしれないけれど、それでも高いと思ってしまう。

今年は暑かったので、ファンを9時過ぎまで回したというのですが、いつもは冷房は9時でおわるそうだ。今年は熱中症が新聞をにぎわしてよかった。冷房は切ることが出来るけれど、元を止められてしまっては点けられない。古い建物だから、集中冷房なのである。本当に、こんなところにすみたくない。冷蔵庫が個室にない。だから、広間の冷蔵庫に入れておくそうだが、見事に何も入っていない清潔な冷蔵庫だった。買いに行かないのか、しまいこまないとなくなってしまうのか。そういえば、トイレも部屋にはなかったなあ。昔の養老院だものね、寝て食べさせれば良いという感じなのかなあ。人権ってどうなっているんだろう。そんなことを言うのは、利用者の我がままと言うのかな。何でも我がまま、贅沢で終わりの世界だ。

それでも、施設長さんは、利用者がわがままだとか贅沢だというは絶対おかしいといっていた。まあ、この施設にいてどうしたら我がまま、贅沢ができるのかと思える。近くにコンビニがありますと聞いてそれだけでうれしくなったが、そういえば、小遣いは1万円から1万5千円。買い食いばかりしていたら、洗濯石鹸もシャンプーも買えない。お酒もタバコも良いらしいが、勿論すべて決められたところでである。消灯が9時ですから、まるでお子様です。朝食が7時45分とおそいのだから、10時ごろまでは電気を点けておいてもよさそうだと思うけれどねえ。公設公営の施設とはこんなものですね。絶対すみたくない場所です。

とてもストレスを感じて帰ってきた。珍しくよるにトレーニングに行った。
 20日(水) 今日は10時から川越市の養護老人ホーム山吹荘へ視察に出かけた。ここは川越市が加寿美福祉会に指定管理している。とにかく28年もたったふるい古い建物。建物が古いという事は古いコンセプトで立てられ、ほぼ古いコンセプトで昔ながらの老人ホームを運営していた。食事は73人の利用者がいっせいに取る。そのために、冷えたおかずを食べることになる。秩父の長寿荘なんか暖かいものとつめたいものを運んでくるキャリアーがあって、食堂で作ったものも暖かいものは暖かいままで食べられるようになっていたが、ここではそうは行かない。昼食にお味噌汁がないですねと言ったら、お味噌汁は冷たくなりがちだから、お茶をポットにいれてそれで済ますのだそうだ。なんだかなあ。工夫すればいいのにと思う。

それに、2人部屋は本当に2人ですむのには可哀想なぐらい狭い。8畳に2人の部屋だが、カーテンもなく、仕切りもない。プライバシーが全くないのは辛いと思う。女はパンツさえも見栄を張るもんだ。すべてがすべての人に見られるというのは、嫌だなあと思うだろう。特に、隠したい過去や隠したい傷もある場合、どうしたらいいんだろう。お風呂が公衆なのも辛い人には辛いだろう。女の人だって、刺青をさせられた人もいるだろうし。特にここは、古い施設だから、入れてあげているだけで感謝しろみたいなところがありそうだ。まあ、秩父や小鹿野にくらべたら狭山市に近いけれど、こんな施設で老後を送らなければならないのは嫌だなあ。

ひとつ良いと思ったのは、近くまでコミュニティーバスが来ていて、街にいけること。外出は申し出れば自由だそうだ。出口に鍵も掛かっていなかった。少し、人間的なかんじがした。訪問者もあるそうだ。私が施設を出て、駐車場で立ち話をしていたら、まどから人がのぞいて私達を見ていた。訪問者が珍しいのだろうか。人が恋しいのだろうか。狭山市民にあった。30年もここで過ごしているという。年金があって、お金には不自由していなそうだが、93歳にもなればきっと身寄りなんか一人もいないだろうから、訪問者がいるはずないなあ。とにかく、この方はきちんとしたお召し物をきていたので、こちらがほっとした。誰が服を買ってくれるのだろうか。売りに来る業者がいるといいなあと思う。買えない人がいるとそれも可哀想だなあ。なんだか、心が複雑になってしまう。

利用者の我がままという言葉を聴いた。喧嘩がある。当たり前だわね。公平を期すために、一人部屋が空いていても入れないという。なんだかなあ。これが公平というのだろうか。皆一人部屋に入りたいんだろうから、希望を募りながら何とかすればいいのに。長寿荘では入れ替え制をとっていたけれど。一部屋だけ仕切りのある部屋があった。うまく行かない人達のために仕切りを付けてみたというが、そうならば一人部屋を活用してもいいのになあ。個室でないというのは、国の基準だそうだが、4畳でもよいから一人部屋にしてあげたいと思った。少し介護が入れば介護施設に行こうとするのは無理はない。だって介護施設は基本的には一人部屋だもの。

午後は急いで、浦和に出かけた。県庁で用事があったのだ。夜、さいたま市議会議員の友達、村松さんと会食。彼女はとても優しい人である。根性もある。私は長年議員をしているが、長く議員を出来る人はやはり人間がよい人が多いと思う。人が悪かったら選挙民はよく分かっていて入れてくれない。特に、市議会議員選挙では人間性がわかるのだから、女性議員で長い間努めている人で、私の友達はみな良い人達である。村松さんも人のためにあちこち出向いて頑張っている。素敵な人だ。来春の選挙について、エールを交換した。がんばろうね。
19日(火)  今日は朝から又印刷。1000部ほど刷りましをして、午後から配り始めた。足りるわけがないが、サービスだから貰った人はお得です。地元の下広瀬団地とつつじ野団地に少し配った。 

その後、役所に行き、明日の視察の時間と場所を確認した。帰ってきて、ほっとした。夜トレーニングへ。
 18日(月) 今日は朝10時からの秩父市の老人福祉施設(老人ホーム)視察があるので、8時過ぎに出発した。2時間走ってようやく秩父市に入り、そこから299を少し入った山の上に施設があった。

長寿荘という施設はデザイナーが作った洒落たものだった。平成12年竣工。1人部屋と2人部屋。 ほとんど満員。自立している経済的に余裕のない身寄りのない65歳以上の方が住んでいるというが、実際はとても高齢な方が多い。自立しているとはいえ、なんだか覇気のない人たちだった。狭山市民の方にお会いした。私「ここの住み心地はいかがですか」市民「・・・・・・」無言。私「お食事はいかがですか。」市民「施設としたらこんなものじゃないですか。」この方は自立していてしっかりしているのは明白で、痴呆が入っているわけでない方だった。きっと、こんな山奥の施設に来たくなかったんだろうと思う。この施設は外から鍵が掛かっていた。住民の出入りの管理は一番きつかった。今までに、介護の高い人もいたり、痴呆が入って脱走した人もいたに違いない。

確かに施設は格好いいし、部屋もとても住み心地がよさそうだけれど、山奥でバスも通じない。出かけるとしたらタクシーしかないが、一ヶ月1万円ほどのおこづかいをもらうのが精一杯のお年寄りが、往復5,6千円も掛けて秩父市街地にまでいけるわけがない。買い物はどうするのだろう。本がたくさんあったようにも思えないし、インターネットも見ることも出来ない。狭山市のように移動図書館が回ってくることもない。テレビは2人にひとつとしたら、自分の好きな番組も見ることが出来ない。ここが嫌でも、他にどこにいけるのだろう。諦めの心境でここにいるのだろうか。

そもそも、2人部屋というのはストレスがたまる。それでもこの施設は新しいから部屋を半分にするカーテンや仕切りのある部屋もあったが、私ならばギブアップである。本当に年をとっても入りたくない施設だとつくづく思う。まともの神経の方に住み心地を聞いても返事が出来ない理由が分かるように思う。

次に小鹿野町の秩父荘の視察。途中に小鹿野町で竹墨蕎麦をたべた。真っ黒の蕎麦だったが、手打ち蕎麦でゆで方もよく、美味しかった。蕎麦ケーキを食べたが、こちらはぱさぱさしていて美味しくなかった。

秩父荘は古い老人ホーム。平成6年に新しく建て替えられていた。運営は福祉法人に委託していた。ほぼ2人部屋だ。「狭山市民は昨日退所しました」との事。病気で病院に長期入院、今後は老人健康施設に行くのだそうである。私はここで狭山市から誰かが会いに来るのかを聞いた。狭山市からは年に1回職員がたずねて来るそうである。他の市は措置したら一切関わらないそうだから、それに比べればよい。それで、市民はその職員が来るのを心待ちにするのだそうだ。田舎で親戚縁者がたずねてくることもない。狭山の香りを運んでくるのは年に1度職員が尋ねてくるときだけなのだ。小鹿野町は遠い。狭山市にちょっと帰ってくるという場所じゃない。寂しいなあと思った。自分で選んでこの老人ホームに来たのだろうか。措置だから、あいている所に来るしかなかったんだろうなあ。やはり私はどんなに施設がよかろうが、どんなにサービスがよかろうが、こんな遠くの施設に住みたくないなあ。友達が着てくれるところがいいなあ。入間川が見えるところがいいなあと思ってしまった。

帰りは両神村の道の駅によって買い物をして、温泉に入って帰ってきた。結局家に着いたのは、9時ごろになってしまった。今日も疲れた。
 17日(日) 今日は午前中、礼拝。午後古本屋によってから帰宅。昼食は2時過ぎになった。その後で、自転車にのり、笹井、広瀬地区のお手紙配り。2時間も外を走ったら疲れてしまいました。最近は、どうもフル回転。家にいる暇がなかなかない。

夜トレーニングへ。体が重くて1時間のトレーニングをするのも辛くなっている。それでもギブアップしないようにと思っている。 
16日(土)   今日は、昨日のお酒が残っていて、起き上がれなかった。というよりは、忙しくて休む暇がずっとなかったので、スケジュールは無視で休みたかった。一日中、ベッドの中にいたように思う。でも、配るべき封筒が袋にたくさんある。それを考えるだけで、焦ってしまう。

夜は、入間の湯へ。
 15日(金) 今日も朝から忙しかった。ネットニュースの封入を午前中に終え、その後は 郵便局の本局まで持っていった。帰る途中、友達にあって、今日は「議会報告・行政相談会」をすることにしたので、家に一緒に来て話を聞いた。驚いたことは彼女が私を忘れてしまっていたことだった。痴呆がはいった?そんな感じだ。63歳、一人暮らし。とても痩せてしまっていた。体には肥満はいけないことだけれど、あの痩せ方は買い物にいけなくなっているような感じだ。私はとても危機感をもった。もう、一人暮らしは無理ではないか。彼女は障碍者でもある。

相談の後に、緊急連絡装置をかりに市役所に行った。でも、固定電話がないと緊急連絡装置を付けられないことが分かった。彼女は携帯電話しか持っていないから、残念ながら付けられない。65歳以下の場合、障碍者でなければこの装置は貸し出ししてもらえない。なんだか役に立たない装置だと思う。携帯で短縮をすればいいのだろうが、話も出来ない状態での救急呼び出しなんて出来るのかなあ。昨年一月には元会員の尾形さんが狭山台団地で孤独死していた。この友達も心配である。

夜は西中野球の母の会。もう、飲みすぎたが、つかれきっていたし、心置きなく話が出来るのはありがたい。
14日(木)   今日は朝9時から建設環境委員会。本当に忙しい。今週は毎日議会や役所ですることがあり、家でも事務仕事があり、なんだか目が回りそうだ。建設環境委員会での審査は結局午前中に終わることなく、継続することになった。大島さんの決算の中での質疑が決算だけでなく多くのところに関係すると言うので、街づくり推進部西口開発事務所が中心となっての質疑になった。でも、資料が整っていないから、実際話しが分からない。私は、大島さんの質疑のうち、2,3はとても重要な話もあったと思うが、単純なことを大げさに取り上げたのじゃないかと思われることが多かった。今までなら、そんなことは自分で調べろと先輩に言われるところだったろうな。でも、大島さんがもう5期目の議員なのだから、そこいら辺をわきまえていないと言うのも、なんだかなあ。

環境部の事も結局資料不足でまたもう一度審査することになった。告訴までされた案件だと言うのだが、なんだか語るに落ちるっていう事だわね。新聞の記事になっていたのを私は知らなかった。先週の話のようだった。詳しい話は建物の土台を壊さず埋めたのがいけなかったというらしいが、壊すのに何千万円も掛かるので、上を広場にするから埋めておいてもいいだろうという事で、放置したらしい。それが廃棄物として処理をしないでおくのがいけなかったようだ。田中議員が告発した。建前としてはいけないことだろうが、市の土地の地下埋設にしておいてもなんら困ることなんかなんだけれど。8メーターも下のものを掘り出してどこかに捨てるほうが馬鹿馬鹿しいとしか思えないんだけれどね。それが、法律に触れるって言うのであれば、何千万円も掛けて捨てるしかないんだろう。広場の地下にそんなものがあったとしてもなんら問題ないんだけれどねえ。あ~~あ。ある面、もったいないなあ解体廃棄料がさ。

それでも、法律にのっとってこの事件を議会でもきちんと審査して、改良すべきところがあれば直さなければならないだろう。それにしても環境部が不法に廃棄していなかったなんて、しゃれにもならないなあ。

午後、急いで帰ってきて、また封入をしたが、まだ終わらない。いったい何通だ。もう、嫌になって今日は夜にサピオにトレーニングに行った。汗をかいたが、体が重くて爽快感がない。もっと、頑張らなければならない。本当は食べすぎなので、減量すべきなのだが、食べているのがいけない。
 13日(水)  今日は10時から教育福祉懇談会に出席。発言したが、行政の方々に私が議会で言っていることは多くの障碍児を持つ親の意見を集約しているのだと分かってもらいたかった。同じような話を多くのお母さんがしてくれるのはうれしい。

急いで帰ってきて、またまた印刷。ネットニュースだけでなくご挨拶も印刷。その後で3つ折にして、封入を始めたが。ラベルを貼らなければならないし、本当に手間が掛かる。今まで一人で娘に手伝ってもらってやっていたが、よくやれたと思う。今回は、お手伝いさんがいてくれるので助かっている。よかった。5時に仕事を終えたが、私は結局夕食後もラベル張りをした。終わらない。
12日(火)   今日は9時から議会活性化委員会。傍聴したが、なんだか議員削減をしたい人たちの声だけが大きい。なぜ議会改革を先に話し合わないのか納得がいかない。どんな議会にするべきかについて、統一的な考えを示し、全議員と討論する機会を持つべきではないかと思うが、堂々巡りばかりだ。結局、議員削減を主張している人は財源の事をまず口にする。他の人たちは、どう議会があるべきかをもっと考えようと言う。財源問題を言う中川浩さんなんか議員削減することが勇気あることだなんていうが、私から言わせてもらえば“は~~~”ってことだ。「議員削減はしないほうが市民にとって有益です」と言うほうがもっともっと勇気のある市民に親切なことだと私は信じて大きな声をだしているし、それに関して一歩も引く気はない。

お金が一番掛からない議会は4人で良い。議決だけをするのであれば、最少人数は4人ですむ。16万人都市で24人の議員数ですとスウェーデンの地方都市での研修会で言ったら、彼は私の顔を見て何もいえなかった。なにしろ、1人の議員が178人を代表しているという議会だからだった。勿論報酬も少ない。パートタイムの議員であるから一ヶ月3回委員会に出ればいいのだそうだ。しかし議員数は多く、委員会も多い。特定の分野のことを審査すればいいのだ。こういう議会もある。

ところが、わたしなんか週2回ぐらい議会に顔を出している。今週は活性化委員会と建設委員会があるからだし、来週は3日視察、1日全協だ。休む暇もない。その間に、ネットニュースは出さなければならないし、お便りは発送、ホームページはアップし、議会報告会を開く。忙しすぎる。はっきり言って、24時間、365日市議会議員をしている。フルタイムの議員としてすべきことはこなしていると思う。パートタイムの議員としたら、このような活動は不可能だ。とにかく、お金がなければ動けないし、市民サービスのための議会レポートの大量発行や、ネットニュースやお便りの発送なんて無理だ。まあ、日本の議員はフルタイム議員をそうていしているのだから、そのように仕事をするべきだろう。そして、最大限の努力で仕事をこなしている。

午後は、ネットニュースを印刷。昨日原稿を作り上げたが、どうしても紙面が読みにくいので、大幅改定をした。A4の紙面をB4の紙面に書き換え、1,4面を作り直し、2,3面に新たに記事を入れなおした。そして、それを印刷。とにかく、片面だけは作り上げた。

ご挨拶文の原稿書きを始めた。何回も校正をしたり、書き直してみたりした。終わったのは、夜遅く。もう、嫌になった。
 11日(月)  今日は朝からずっとネットニュースの原稿を作っていた。ホームページも久しぶりにあっぷした。とにかくディフォルトページ(トップページ)をどうにかしなければと、時間を掛けて作った。葉書の写真はどうしようかと思ったが、人身売買の本質は結局そういう事なのかと一目で分かる写真なので、掲載することにした。吐き気を催さないでほしい。

本当に朝から夜までコンピューターの前に座っていた。目は乾くし、夕ご飯を作る元気がなくなった。それで、運動不足解消の意味もあり、夫と娘と3人で、役所の近くの食堂まで夕ご飯を歩いて食べに行った。30分ぐらい歩いたが、最後の八幡神社横の道がきつかった。美味しく魚のご飯を食べ、帰ってきた。忙しくて、コンピューターに座って原稿書きばかりしているので、帰りに足がつってしまった。トレーニングジムでするワーキングとは違い、汗もかかない。あまり運動をしたと言う実感がない。それでも、3人でせっせと歩いて帰ってきた。途中で友達に会い、結局最後は友達に車で送ってもらった。足がつっていたからよかった。
10日(日)  今日は午前中に礼拝。いろいろ悩むところがある。礼拝後、牧師に相談。御心が分かるといいのだが、自分にはどうもそれが分からない。夢は実は障碍者のグループホームを作ることなんだけれど、いつそれに取り掛かるのかは今は未定だし・・・・見たことのない夢を見られるかどうか・・・御心ならばかなうだろうし・・・神様の声を耳を済ませていよう。とにかく、ネットニュースを作る。

といいながら、ぜんぜんネットニュースの原稿が進まない。午後からは眠くて横になった。食べると眠い。これはどうにかしなければと思うが、明日も安見だと思うと気が緩む。まあ、たまにいいか。「のだめ」のDVDを見た。

夕食を珍しく3人で。最近は孤食が多くなった。家族の時間が合わないのだ。今日もおにいちゃんは直江津に車を取りに出かけたので、いない。夜もゆっくりして、早く寝る。 
 9日(土)  この3連休はどこにも行かないのでのんびりしている。でも、それは気持ちだけで、ネットニュースをどう書こうかとそればかり気がかりである。今回は、国の政治についての評論を少し書こうかなと思うが、マスコミとは全く違う論調だから受け入れられるかが心配だが、こういう見方もあるという事でいいか。

2時半に水富公民館へ。市長のれあい懇談会。議会も是非こういう事を行わなければならない。議員の仕事が分からない。議会の役目が分からないという市民が多いのが現状である。だから、議員を減らすと行革になるなどと言う人がいるわけだ。議会が市民のほうへ出て、ご意見を伺ったり、していることをお話しする機会を議員個人としてだけでなく、機関として持つべきだと思う。市長へ、市民のご意見を聞けなどといいながら、自分のほうは市長へあれこれ言うだけですむ時代は終わっている。

2000年の分権化推進法が制定された後の議会とそれ以前の議会が同じではすまない。自治事務の増大で、議会が決定することが多くなった。それに関して、議会はきちんと審査を行い、付帯条件を付けたり、修正をしたりしなければ、市民に議会が市民の見方だとは思われなくなる。議会人はこのことを明確に認識すべきである。市長、行政べったりでは議会の役目が市民に知られることはない。

その後、またネットニュースの原稿に辛吟している。こういうときはどうしてもおやつを食べすぎ。それと栗がおいしくて、最近は太り気味。夜は入間の湯へ。
8日(金)   今日は、朝から印刷をしていた。原稿にイラストの貼り付けを工夫しながら今日も行ったが、かなり慎重に感性をもこめて行うのをお手伝いの人はどう思っただろうか。仕事は忙しいし、手間は掛けられるだけかけて、手作りの議会レポートを作っている。お手伝いの人も一緒に印刷を夕方までしたが、なかなか終わらなかった。昨日インクが足りなくなって注文して持ってきてもらったが、最近は理想科学さんは配達をヤマト運輸さんに頼むので、やっと今日の午後近くに届いた。今日の今、配達をといっても持ってきてもらえない。不便です。

いくつかの新聞屋さんに折込にしてもらうために、刷り上ったばかりの議会レポートを運んだ。日曜日の朝の広告にいれてもらうようにした。月曜日もお休みだけれど、日曜日の始めのところにお願いした。

途中、お手伝いさんに印刷を任せながら、HPをアップしている。あっという間に1週間が過ぎてしまう。今日も夜にトレーニングに行く。楽しい忙しさである。
7日(木)   さて、今日は10時から新しい人が印刷に来てくれていた。細々としたことをまた教えなければならない。大変だが、新鮮でもある。手馴れないところがいいのだろうと私は思っている。そうか、この前、同じルーチンの仕事に私は飽きていたのかと思ったりした。でも、やることは同じなんだけれど。今日は原稿にイラストを貼ったり、印刷をしたりしている。2時半過ぎに彼女は帰り、私が取って代わって印刷をしている。

朝から家で事務仕事をしていると、まるで印刷機に追われているような気がした。それで、夕食後は印刷を娘に渡して、サピオへ。久しぶりのトレーニングできもちがいい。でも、汗のかき方が少ない感じだ。ところで、きれいにしてから初めて行ったトレーニング。床が新しいように磨かれていて驚いた。サピオの施設管理は天下一品です。きれいで清潔でうれしい。
6日(水)   今日は朝津山市役所に行き、ごみ行政に関して伺った。まあ、狭山市もよくやっていると思うが、面白いのは出前収集。3つのスーパーに月1または2回資源ごみ収集の日を作り、回収をしているのだそうだ。狭山市ほど頻繁に資源ごみの回収をしていないと言う事情もありそうだが、日曜日、土曜日、夫が休みの日にうちに溜め込んだ資源ごみをすっかり吐き出せると言うのがいい。いつも収集は週日なので、仕事のある人は出しにくいが、土日の12時までに出せばいいというのは使い勝手がいいなあ。それと、リユースプラザの使い方も面白かった。この施設は実際見てみたかった。行かなくて残念。とまったところの近くにあったというのに。それと、資源ごみの日が一日であるのも面白い。狭山市はそれぞれ違う日に出さなければならないので、忘れてしまうことがあるのだ。

リサイクル率は狭山市のほうがいい。しかし、最終処分場を作らないのも同じ考えだから、その他のごみ施策をどのようにしているかが問われる。とにかく、最終処分場への運搬費がとても掛かるから、最終処分品をなるべく少なくしなければならないわけだ。だから、不燃ごみからの鉄などの除去が大きな問題である。

さて、午前中に視察は終わったが、帰りも長かった。1時半の電車にのり、帰ってきたら8時半を過ぎていた。疲れ果てて寝た。
5日(火)   今日は、朝6時に集合だから、昨夜寝たのが2時なのに、おきたのは朝5時。眠った気がしない。小江戸号で高田の馬場。品川で新幹線。何しろ、乗り継ぎの時間が少ないのに、途中で病人が2人も出たから、うまく新幹線に乗れるのかと思った。其れから岡山に行き、電車を乗りついで新見まで。朝6時に出て、ついたのは12時を過ぎていた。こんなに疲れるたびをした後に、最終処分場を見学。

この施設は、22億円掛かったらしいが、結局補助金などもあり、3億3千万円の一般会計からも持ち出しでできたのだそうだ。管理費は毎年4千万円。どう考えても、灰のリサイクルをしている狭山市よりも経費は掛からない。最終処分場は跡地利用も結局はできにくいし、廃止もできないしで、作りたくない施設ではある。しかし、リサイクル経費などやイニシャルコストなどを考えれば、場所によっては大幅な経常経費削減になると言うものだ。結局、最終処分場がないので、リサイクルするよりはプラスチックを焼いてしまおうというのと、コストのことを考えれば同じかもしれない。リサイクルするよりも安上がりである。ただし、後々の水の処理などを考えるとどうかなあ。環境への負荷はどちらが大きいのかな。

午後はジャンボタクシーで津山市へ。ついたのが5時を回っていたので、残念ながらどこにも行けず、夕食を食べてから、寝た。
 4日(月)  今日は9時から国際交流協会の行事で来ているワージントンの市民が市長を表敬訪問をするというので、私も出かけた。市長応接室。とにかく、9時40分ごろまでいたが、私は9時半から情報室から狭山市の情報システム計画についてのレクチャーを受けることになっていたので、急いで控え室へ。12時過ぎまであれこれ聞いていたが、本当のことを言って、計画についてよいだの悪いだのの評価ができない。このシステムをなぜ導入すべきなのかも分からない。システムの構築だけでなく、体制つくりもあるらしいが、これも本当のことを言って、評価の判断ができない。計画の内容をレクチャーされて、こうしますと言われてもなあ。こちらの問題なんだ。能力と言うか、知識が現状認識に足りないのだ。

最近、謙虚になったと言うか、己を知ったと言うか、自分の能力に見切りを付けたと言うか、できないことをはっきり認識してギブアップしてしまうことがある。議員が多く必要だと思う時はこんな時である。だって、実際先ほどの情報システムじゃないけれど、理解できても判断できない事もある。これで、内容まで何を言っているのかちんぷんかんぷんになったら、私は絶望するだろうな。とりあえずは、言っている日本語は説明してもらったら分かる。でも、クラウドコンピューターシステムなんていわれても、説明を聞かないと何を言っているか分からない。現実には使っているのにねえ。

午後は、家に帰ってきた。友達が仕事を手伝ってくれると言うので、その面接をした。彼女は賢いからできると思うが、煩雑な事務が続くので大変だと思う。これで私も荷が少し下りる。事務も議会も一人でやるのは実際大変なのだ。

夜中、明日からの視察の容易をした。一泊だけれど、お化粧の道具・喘息が起きたときの薬など、結局旅の支度はしなければ・・・
 3日(日) 今日は、朝から地区の体育祭。教会はお休みした。教会をお休みしたので、今回はのんびりと地区の体育祭の応援を楽しんだ。2箇所で体育祭が行われていたが、どちらでも知り合いがいて、旧交を温め、うれしかった。最近、知り合いと会う機会が増えてきた。じっと閉じこもって、仕事ばかりして、コンピューター相手に原稿ばかり書いたり、朝から夜まで会議ばかりしていたから、外に出るのが新鮮である。午後に国際交流協会の行事があったが、いけなかった。

5時過ぎから下広瀬団地の懇親会にまで出てきた。楽しく過ごしたが、いろんな人がいるのに目を回したという感じ。個々にすんでもう10年近くなるが、どうしても気持ちはグリーンハイツにある感じがする。子育ての大半をグリーンハイツで過ごしたせいもある。長男もどうも故郷はグリーンハイツだと思っているところもある。 少し、ビールを飲みすぎて、7時過ぎに横になったら、9時過ぎに目が覚めて、今12時だ。明日も忙しいので早く寝よう。
2日(土)  今日は午前中、幼稚園の運動会。その後、教会のバザー。昼食後、特別支援学校のぴかぴか祭りと忙しかった。 あちこちで古い知り合いに会うのはとてもうれしかった。おしゃべりをして帰ってきたが、ずっと立ちっぱなしで、今日も疲れた。

夜、夫と共に入間の湯へ。快汗風呂でリラックス。冷たい風に当たっての露天風呂は気持ちがいい。ボーっとして帰ってきた。
1日(金)   今日は、朝から議会レポートを書いていたが、昼ごろ友達が来て、会計を手伝ってくれた。本当に、一人では事務仕事が進まない。おしゃべりもしたが、なんと4時には書類が整った。来週に提出しようと思うが、来週は忙しいので、スケジュールを考えなければならない。

とにかく、頭が痛くなるほどの肩の凝りようで、夜に入間の湯へ。マッサージをしてもらった。
30日(木)   今日は、午前中に議会活性化特別委員会が開催された。参考人が来ると言うので、聞きに行った。全うな意見で、まずは議会をどうしようかという観点で考え、それから議員定数を決めるべきだと言うような話だった。そのとおりだろう。

大きな政府、小さな政府という話もあった。大きな政府、すなわち福祉国家を求めるか、小さな政府、すなわち自己責任の国家を選ぶかで議会が変わると言うような話もあった。国が国民の生活の面倒を見なければ、誰が国民の生活を見るのかという事である。ホームレスになろうが金持ちになろうが、それは個人の能力によるというアメリカ式の政府がいいとは私は思わない。私は北欧型の国家、社会民主的な国家がすきなんだけれど。アメリカに住んでみたことがあるけれど、結局あの国はすべてが金しだいなのだ。学歴社会そのものだしね。アメリカでは学歴が能力に裏打ちされているなんて誰も思っちゃいない。学歴なんか金で買うようなものなのだ。もちろん、今の日本もそうなってしまったけれど。

国が制度としてどのように国民を守るかを決めておかなければ、医者に掛かることもできない。働きたくともアメリカの場合まともの保育所なんかありゃしないのだ。私はあまりに酷い保育所を見て、驚愕してしまったことがあった。まあ、アメリカがすばらしい国だと思い込んでいる日本人は多いだろうけれど、それは中流以上の家庭を見て言うのだろう。中流以上の家庭の家は確かに日本よりも大きいかもしれないが、だからと言って誰も彼もがそんなところに住んでいるわけでないし、モービルホームに住んでいる貧しいアメリカ人だってたくさんいるのだ。

日本の国しか知らないのは、少し悲しい。いろいろな国があり、制度がある。見比べるといい。

午後は、友達が議会レポートの校正に来てくれた。おしゃべりも楽しかった。 夜はヒーリングピラティスの最終回だった。
29日( 水)  今日は議会が終わったので、少しほっとした。議会レポートを書き始めた。家事もあるし、一日があっという間に終わった。

ずっとコンピューターの前に座っていたので、体がごちごちで、肩が懲りすぎた。夜は入間の湯へ。
28日(火)   今日は議会最終日である。報告など、盛りだくさんである。それほど、一生懸命議会や委員会で審査をしたからである。午後まで報告が続いたが、なんだか本当に疲れた。長い1ヶ月だった。休会日もあったのだが、息が付けなかった。

夜、ヒーリングピラティスへ行った。
27日(月)   今日は朝全員協議会。午後は、コミューターバスについて話を聞いた。バスの運行時間などを詳しく見ていると、役人は考えが浅いなあと思う。狭山市のバスの運行に関しては見えていても(そのための課だから仕方がないと言えばそのとおりだが。)、バスを使う人の事についての考えが少ない。今までと違う考えで運行する際、今までの人はどうなるかを考えなければならないと思う。また、そのバスのためにどんな施設なり、街などがどのように利益を得ていたかをも、考えるべきである。

官僚も役人もそうだが、料金を上げれば収入が増えると思うのは間違いである。もし、利用客が減れば料金を上げたところであったとしても、経費が上がるだけだ。だから、あまり経費を上げずに市民の役に立つバスの構築はどうするかを考える時には、利用客のターゲットを知り抜く必要がある。そういう視点がなければ、市民は使わない。役人は赤字が当たり前と言うが、私が指摘した事は利用者に沿った視点を持ったバスの運行では利用客を多くすることができる。そして、部長級で話し合ったという事だが、このバスの運行で、誰がどのように利益を受けるか、どんな市に利益が上がるか、市民にとってどんな利益があるかを、話あったのかいと思う。経営的な視点、それはバスを儲けるかどうかなんて小さな視点じゃないよ。もう少し、大きな観点を持っていてね。

帰ってきてから、岩上さんと孫崎さんのトークをユーストリームで聞いている。3時間にもわたる外交問題とくに中国問題からアメリカ問題、日米同盟について、日本の自衛権について、などを話しているが、もう、腹が立って仕方がない。私は絶対右翼じゃないし、戦争はどんなことがあっても反対な議員である。それと同時に、日本人としてはアメリカに頼ったとしても無理なのだと言いたい。すなわち、アメリカの権力にいる人は、政治家であったとしたら、アメリカの国益のためにしか動かないのだ。そして、彼らは軍を動かすにしても、日本のためになんか動かない。日本の自衛隊はアメリカの軍のために動かされるために、誘導されてきた。

当たり前なのだが、アメリカはタフだよ。私はアメリカ人と結婚して、アメリカに短い間だが住んだことがあり、キリスト教のすごいファンダメンタルな人たちが親戚にいっぱいいる。彼らは、インディアンを追い出して、キャンプにほうり込んだ人種の末裔である。特に、内の場合、白人の家族だから。武器を使うことに何も感じない。特に、自分の利益を守るためであったら、アメリカが日本を利用するなんて、アメリカからしたら当たり前のことであり、日本の利益を搾取することもなんとも思わないのである。日本人はアメリカ人をよく思いすぎ。

もちろん、家のジム(夫)みたいにイエス様の隣に座ることができるんじゃないかと思えるアメリカ人も多いのも事実である。日本人だって、右翼も左翼もいるし、欲張りも嘘つきだっているんだから、アメリカ人だけじゃない。日本人の政治家だって、日本人のほうを向いているんだと思いたいなあ。
26日(日)   今日はもっと早くに起きて長野に行くつもりだったのだが、少しのんびりしたので、長野に着いたのがお昼になってしまった。

善光寺ボウルというアメフトの試合の応援に行った。信州大学と愛知大学の試合があったわけだ。まあ、ホームの試合だから、チアリーダーは出だ。それだけじゃなくて、長野県のアメフト協会の主催で25周年という節目の大会だったから、元若乃花の花田さんが賞のプレゼンターをしていた。彼は、少しの間、アメフトの選手もしたらしい。楽しくアメフトを見た。何しろ、信州大学が勝ったのだから、何もなくとも楽しかったわけだが。私達親は子どもが大学になってもこんな風に楽しめるとは思ってもいなかったので、他の親と赤いおそろいのシャツを着て応援をしたのはうれしかった。わ~~い。大きな声で声援をして、ストレス発散した。

青空の下、4時間もいたら、日焼けで体が火照った。昨日の夜は寒くてセーターを着ていたのに、今日の昼は半そででも暑かった。本当に何と言う天候だろう。

試合後、息子が来年から住むというアパートに行き、部屋を見て帰ってきた。狭いアパートだが、学校に近いので便利だし、スーパーもあるし、大家さんもいい硬そうなので、よかった。留年などすることなく、進級してほしいと思う。

夜中、18号をのんびり走り、途中で手延べ蕎麦を食べ、上田から高速に乗って帰ってきた。夫が運転してくれたので、私は寝ていたらあっという間についた。(運転についてあれこれ言うと喧嘩になるし、言われても気分が良いものでないのはよくわかっているので、寝ることにしている・・・・)
25日(土)   今日は、朝小学校の運動会をはしごをした。お昼過ぎに帰ってきて、メールをチェックしたりしたが、夕方佐久へ。

佐久で夕食を食べ、ほのかの湯へ行き、月の明るい中別荘へ。別荘に行く山の中、夫と私は富士子フェミんグさんのノックターンを聞きながら車に乗っていたのだが、あらっと思ったら、3頭の鹿が道を横切り始めた。仕方がないから、車を止めて鹿が行過ぎるのを待った。ゆっくり走っていたからよかったが、スピードを出していたら、ぶつかったところだった。ジムは「これがワイルドライフだ」って言っていたけれど、初めて鹿をま近でみた。子鹿だったけれど、あれじゃあ農作物は食べられてしまうわねとちょっと農民の憂いを思った。

信州はとても寒い。
24日(金)   今日は朝から議会レポートを書き始めた。昨日、一応書き出しを決めたので、辛吟しながらも書き出すことができたのだ。なんとしても、明るく書き出したかったので、まあ、希望が見えるような書き出しになった。だから、がんばって書き続けた。

夕方、少し調べ物をしたくなって、議会へ。うまく、調べることがなくて、すごすご帰ってきた。もう、これ以上書き続けるのが嫌になったので、夕食後は本を読んだ。
 23日(木)  今日は、朝娘を起こして出社させ、10時過ぎに夫を駅まで送った後、動物園へ。第2回の動物祭りをしていたのだが、雨が酷くて残念だった。人が来ない状況で可哀想にと思っていたら、市長にばったりと出会った。市長はこの動物園をどう思っているんだろうか。私は大好きなところなんだけれど。ベンチや柵がきれいな黄色に塗られていて、まるでリニューアルオープンのようだった。これで、展示物に新しいものがあればいいのにと思う。羊の毛で羊を作るキットを買ってきた。職員が作ったって聞いて、では自分もと思ったができますかね。インコのロッキーとおしゃべりをして、ロッキーがバイバイというので、帰ってきた。可愛いやつだ。

その後、今度は入間市のアミーゴへ。いろんな民族の会のチャリティーコンサートがあった。私は主催者側でコーヒーの当番をした。コンサートはまあまあ盛会としよう。少しはチャリティーにお金を回せそうである。これが目的なんだから、そうじゃなければ困る。いろんな民族の会としては、あとは入間市の万灯祭りに出る。そして、その上がりはすべて、ペルーの子ども達へ支援をする。よかった。

夜、8時ごろに帰ってきて、娘と食事をしていたら、夫が埼玉アリーナから帰ってきた。彼の趣味のマーチングバンドの県大会を見に行ったのだ。私はフォルクローネのコンサートだったから、夫婦の趣味は似て非なるものである。夜中に本を2冊読んだ。実は、大阪地検特捜部の主任検事の証拠偽装の件がとてもショックだった。ここまでやるのか。特捜検事がもう特高かしていて、嘘を平気で証拠にするというのはよく効いたものである。鈴木宗男さんも、小沢さんの秘書さんも、福島県の前知事の佐藤さんも、江副さんも、元検事の三井さんもすべて同じように、密室での取調べで検事がヤクザまがいに脅し、すかし、嘘を言いくるめると言う話は当事者の話として、よく聞いたが、まさか、偽証までしているとは、本当に冤罪を作っているんだなと暗澹たる思いだ。

それに、密室で行われる取締りで人は無体なことをする相手に心を開き、いや人格を崩壊させられて、擦り寄っていくものなのか。怖いからマインドコントロールされるのだろうが、いつからか嘘が真実のように思えたり、嘘を言うように誘導している検事が紳士的で優しいなどと思うようになると言うのも、理解はできるが、心から納得できるかと言うとできないなあ。人間の神秘。それと、悪魔のような検事たち。人を罪に落としても、冤罪でも平気でいて、巨悪と戦っていると思い込める人間性の無さ。正に検事こそが人格を破壊されたロボット集団に思える。それが、いわゆる「正義」を具現化して集団だと言うのであれば、日本人はいつ犯罪者として逮捕・監禁されるかわからないじゃないか。そして、すべてを失う・・・

鈴木宗男さんが言っていたが、密室の中では心が弱くなり、30分でも弁護士が来て、家族の支援を言ってくれるのがうれしかったらしい。少なくとも信じてくれる人がいると言うのが、支えになったようだ。しかし、無実だという事が反省をしていないという事になり、実刑に成ってしまう。ここで、検察と司法との癒着が指摘されているのだ。検察のいう事はすべて正しくて、被告のいう事は正しくない。証拠が違っていても、一度調書にはんこを押せば、裁判で何を言っても取り上げてもらえないと言う。変じゃないか。稿いう事すべてが今後課題として、検察、司法改革に繋がっていくことだろう。そうなってほしいと願う。

議会レポートの見出しが決まって少し安心している。これから書くぞ。
22日(水)   今日は、朝から議会レポートを書こうと心を決めていた。しかし、なかなか原稿が書けない。見出しができないとかけないわけだ。あれこれ考えて、あまり悲観的なことを書きたくないなあと思う。菅さんになって、財政を全部で10%削減などと言っているが、それが現実に実施されてしまえば、狭山市はどうなるんだろう。今年、入るはずの補助金だって去年上げすぎましたと、貰えなかったことがある。国保にしても、財源がないのであげられません。その一言でお金が来ず、一般財源からの繰り入れになる。まあ、狭山市はお金持ちだから今まで持ってはいるが、さてさて今後を考えれば、菅さんの引き締め政策でまたまた景気が下方修正になるのではないかと心配しているのである。でも、そんなことを議会レポートの一面に持っていきたくないしね。国を批判しても仕方がないわね。私達が選んだのだから。

五十嵐文彦さんが財務副大臣になるのだそうだ。狭山市から内閣の中枢に行く議員がまた出た。お金をどう使うか決めるところが財務省だろうから、埼玉県西部の狭山市、入間市、飯能市、越生町などに、目を向けていただきたいと思うが、さてどうでしょうか。自民党系の市長に五十嵐さんは良い思いを持っていないのは自明だが、だからと言って、各市からの要望などを無視すれば後の選挙に響くだろう。ま、五十嵐さん自身は自民党の議員とどう変わっているのか私にはよく判らない。地域への補助金の導入などをするかもしれないけれど、それも単なる期待に終わるかもしれない。だって、財務省の役人が言う、「お金が無いったら、無いんです。」がどのくらい嘘か、どこにどれほどお金が隠されているか五十嵐さんが見つけられるかに掛かっているんだろうと思う。

いろいろ逡巡したが、良いフレーズが無い。こういう時は本を読むだけさ、とくだらない本を読んでみるが逃避だから、何をしてもつまらない。

夕方、お兄ちゃんを駅に送り、そのまま図書館へ。8時までしているから、ゆっくり本を見た。こんなことしていてはいけないのになあと思いながらも歴史の本を見てみたり、くだらないエッセーを借りたりした。夜は、娘と食事。夫は送別会に出た。2次会は無かったと言うので、かなり早くに夫も帰宅。コンピューターの前に座っているが、何も出てこない。は~~~~。
21日(火)  今日もお手伝いさんが来ない。それで、洗濯を始めたのだが、きのう洗濯をしなかったし、お天気もいいので山盛りの洗濯。ベランダで干したのだが、汗だくだく。10キロの洗濯を2回もしたら、干すところがなくなった。なんと、2回目までに1回目に干したものが乾いていたから、どんなに日差しが強かったかと言うものだ。

お皿洗いも水が冷たいと気持ちがよくて、しぶがついていた食器を漂白したり、お手伝いさんに頼めないのをがんばってきれいにした。そのうちに、どうしても体がだるくて、昼食前に横になり、ご飯を食べてから先ほどの2回目の洗濯を干したのだが、干し終えたらまたもや体が動かない。コピーをとって役所に報告書を持っていこうと思うのだが、だるくて仕方がなかった。はっと考えたら、汗だくだくで洗濯して、朝からコーヒー1杯も飲んでいないことに気がついた。脱水症じゃないの?スープ2杯飲んでいたから、良いつもりでいたけれど、水は必要。それで、コップに2杯ほど水を飲んだら、気力が出た。

夕方、役所に報告書を出し、資料請求をした。朝の毎日新聞で乳幼児の所在がつかめなくなっているという記事があり、虐待の温床になりはしないかという事が書かれていた。まさか狭山市ではそんなことはないと思うが、全国80市で300人超の行方不明児がいるそうだから、ちょっと心配している。

役所の喫茶店でお茶をして、部長と少しおしゃべりをし、ヤオコーで買い物をして帰ってきた。夕食後、入間の湯へ。昨日は、1時間も歩いたので、今日はトレーニングはなし。 
 20日(月) 今日は朝から報告書を書くことに決めていた。この3連休は豊北書を書こうと決めていた。昨日も午後は報告書つくりをしていたし・・・こういうときは何もしない。時々疲れると本を読んだりするが、あまりコンピューターから離れると気持ちが飛んでしまい、報告書に戻れなくなる。結局書き上げたのは、夜中ごろ。写真を挿入したりしてまとめたから18ページほどになった。8月行った北欧スタディツアーの報告書なのだ。

北欧から帰ってきてすぐに夫の夏休みに付き合い、それが終わったら、すぐに 決算書が来て、それの勉強会をし続け、その上、議案書の配布があり、今度は議案の勉強を初め、一般質問の原稿書きとヒアリングもあって、8月は疲労困憊で終わり。

9月に入ってからは議会が開かれ、朝から晩まで議会、役所にいて、とっても報告書を書く暇もなかった。14日の民主党の代表選挙に感情的にはかなり入れあげもした。だから、16日に委員会が終わって、ようやく報告書に取り掛かったのだ。その上、議会レポートのこともあり、報告書を書きながら、議会レポートをも考えていた。体と心がいくつあっても足りない。明日、報告書を役所に持っていく。

夜、夫と散歩に出た。散歩と言うよりはウォーキング。一生懸命イオンまで歩いた。少し買い物して帰ってきた。7時半ごろ出かけたが、帰ってきたのは10時ごろ。2時間近く歩いていたのかな。最後は少しばてました。ベートーベンの第7交響曲を聴きながら歩いた。
 19日(日) 今日は朝礼拝。お説教を聴きながら、なんだかあれこれ考えが飛んでしまった。集中できないのはいけないなあ。

帰りにスーパーに寄って買い物。又5000円以上になった。くだらない食べ物を買い込んだのがいけなかったけれど、娘が好きだからどうしても買ってしまう。

昼から仕事にかかっていたが、6時半から映画に夫と出かけた。「借り暮らしのアリエッタ」。娘にも一緒に行こうと誘ったのだが、彼女は疲れたと言っていかなかった。何の変哲もない映画なのだが、それがいい。ゆったりとしたファンタジー。しゃべり方もゆっくりしているし、緑豊富だし、癒されるなあと思った。風にそよぐ草木、花々。本当は、そんなところに寝そべっていたい。来週別荘に行くから、それまでに仕事を終えたいなあ。そして、ゆっくりと心身を癒したい。

来週、別荘に行くと思うと少し楽になる。なぜ、近くの公園に行っても、ゆっくりした気持ちになれないんだろう。どうしても、管理のことが気になったりして、議員の目で物を持てしまうからだろう。いつもいつも、狭山市や市民のこと、それと家族のことを考えている。 
 18日(土)  今日は、朝、西中学校の体育祭へ。子ども達が少なくなった。全部で16クラス。元気で生き生き体育祭を楽しんでいた。あまり、生き生きしていると、これはこれで心配になると言うものである。子どもらしくて良いというよりは、あまりにも子どもっぽい。いまどきの15歳は、本当にネンネだ。仕方がないよね。一方では、不純異性行為を行っているという事もあるらしいが、この学校ではちょっと想像もつかない。こんなネンネがだまされればイチコロというわけだろう。本当に怖い。

午後は聖望学園の文化祭を覗きに行った。まだまだ聖望の親のような気がしてならない。知っている人も多くてうれしかった。先生ともお話できたしね。去年まで、現役の保護者だったとは思えない。知っている親だけじゃなくて、ジェレマイアの友達に声をかけられもしたし・・・

夜、疲れ果てて8時過ぎにベッドへ行った。
17日(金)  今日は、一日中レポート書きに明け暮れた。途中で嫌になって、本を読んだり。

夜、市民総合体育館へトレーニングへ。前よりも清潔に感じた。熱いので、扇風機が何台も並んでいた。40分歩いた。扇風機に埃がたまっていて、なんだかそれがこちらに飛んで来るようで気持ち悪かった。 
16日(木)  今日は委員会。町田さんは欠席。副委員長ががんばって委員会を仕切っていた。よくやっていたと思う。まあ、仕切られるほうが仕切るよりも年配だから、まあ無理なことはしないし、やりやすかったんじゃないかと思う。

今日はこの前の要望事項のとりまとめを行った。いくつかあったが、そのうちの4,5個選んだ。来年の予算書に盛り込まれることを期待している。

午前中は、少し7階で話をした。すなわち、菅さんが選ばれたことの影響について。一律10%カットという予算付けでは、国は地方にしわ寄せをするだろうという事である。来年度の予算は国庫支出金をシビアに考えておかねばならないという事。特に、投資的な支出には歯止めを掛けるつもりにならなくてはならない。福祉的な経費は削減できないからである。基金の使い道のことを真剣に考慮せざるを得ないだろう。なぜならば、あと2年は菅政権が続くことを念頭に置かなければならないからである。また、今後の補正予算にしても、菅政権では渋ることだろう。昨年の、亀井さんがいたときのようには決してならない。

官僚は本当に馬鹿だと思う。国の財政と言うが、国民の生活に関してどう思っているのだろう。財政がよくなると、国民の生活がよくなるのか???国民の生活がよくなると、財政がよくなるのではないか?!税率を上げると、税収が上がるんだったら、そんなに簡単なことはない。しかし、過去にもあったが、税率が上がると税収が下がったじゃないか。法人税を下げ、派遣を増やし、会社の負担を少なくするという。国民の負担を増やすことになる。国は何のため、誰のためにあるのか。

財政が悪くたって、天下り法人への補助をやめたことはないし、天下り法人はいっぱいあるし、特別会計の基金は潤沢である。官僚は官僚に寄って、官僚のために行政をまわしている。それに乗った菅さんは自己責任を回避し、長い政権を目指すのだろうなあ。さてさて、狭山市も個人も自己防衛が必要。でも、お金を書けなくたって、人生豊かに楽しめる。そこそこの幸せを手放すまい。

午後は、レポート書き。夜、ヒーリングピラティスのため、市民総合体育館へ。 
 15日(水) 今日はお手伝いさんが来なかったので、議会はお休みだから午前中は家事。といっても、昨日の民主党の代表戦の心のダメージが大きくて、何にも出来ない思いだった。それでも、今のがっかりをHpに乗せておこうと、私の独り言をアップした。

思いのたけを言えば、言えるけれど、脱力感が大きくて、何を言っても無駄だし、仕方がないと思うしかない。地方の票の結果が小沢さんが菅さんに比べ悪かったというのが、議員の選挙前に漏れていて、それを使って最後の票の切り崩しをしたという。私も昨日臨時会終了後、若い議員が女性秘書に「地方の結果は事前に知っていた」というのを聞いて呆然としたし、開会前には携帯で今思えば切り崩されていたんだろうという議員が廊下で大声で話しているのも聞いた。権力にあるものが、その権力維持に何をしようがそれが選挙というものだという事だったろう。

マスメディアに比べて、ネットの世界の小ささや国民運動としてのスケールのなさもわかっていたけれど、再認識して悲しい。民意は選挙で示される。不正があろうがなかろうが、それはそれだ。息子が私に12日夜「小沢は負けたね」と言い、私も「そうだね」と言ったが、実際それを目の当たりに見るのは辛かった。でも、生で小沢さんの後世に残るような「私には夢があります。」から始まった演説を聴けただけでもよかった。

 「私には夢がある。役所が企画した金太郎アメのような街ではなく、地域の特色にあった街で、お年寄りや子どもや近所の人がきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と、大勢の人たちがそこに集まり、楽しむ、どこでも一家団欒の姿が見られる日本。一方で、個人が自らの意見を持ち、外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本にしたい。

初めから最後まで心をこめた演説で、私は彼が超保守派の人間だと思っていたし、新自由主義の権化とも思っていたが、考えを変えた。セフティーネットを言うようになり、田中角栄、大平まさよし氏らの考えにもどったというか、彼自身が結局立つところはそこなんだなあと思う。私自身、社会革命というか、すべての所有を国家に渡すという考えや、共産主義、人民すべてがすべてを共有する。働く人の能力によって配分するという事に関しては、無理ではないかと思う。だから、資本主義的な社会を否定しないし、それを無に出来るわけがないと思う。

それでも、やはり社会民主的なやり方、北欧の生産は資本主義的、配分は社会民主的な社会を理想に思う。小沢さんの演説を聞けば聞くほどそういう感が強い。特に格差社会において、虐げられている人がますます増えている現状を知れば知るほどである。

夜入間の湯へ。
14日(火)  今日は朝出て、東京プリンスホテルで行われた民主党臨時大会に参加してきた。結果は残念だった。菅さんはがんばって、日本を浮上させてほしい。演説を聴いていても民主党国会議員に皆で討論して政権を担っていきましょうという話で、総理大臣となって国をどうこうするという事を言わなかった。友達は、菅さん支持なのでそういうものでしょうと言っていた。本当に、国民はこれでいいのかと思う。小沢さんの演説は心がこもっていて涙が出たが、浪花節だって言われて終わり。今必要なものは心じゃないかと思うんだけれど、都会の人にはダサいのかしら・・・

きっと、このまま日本は沈んでいく。中国とアメリカにヘゲモニーをとられて、世界の中でアップアップだろう。そして、日本の富はすでにアメリカに掠め取られるようなシステムであるのだが、今後ははげたかのような中国にも遠慮会釈なく取られるだろう。私の隣にいたビジネスマンが日本を中国に売るようなものだといっていた。赤子を捻るように、日本は、日本国民は貧乏の道を転がり落ちるのだろう。それをみていても何も出来ないのはもどかしい。

私達小市民は小金をしっかり持って、自分の生活を守らなければならないだろう。地方都市の場合、国は自分の身を守ることに徹するようになるから、お金は地方に回さないだろう。だから、自立の道を進めという事だろうが、自立とは役所にいる職員を減らし、市民への補助金を減らし、福祉に特化した役所になるだろう。道なども補助金は出なくなるだろうから、作るのも大変になる。今後は、手をつけてない公共事業は徹底的にやめることだ。そんな風に、公共事業をなくしていけば、市民にお金が回らなくなり、貧乏が貧乏を呼んでいくだけ。でも、菅さんが、いや官僚が考えることはこんなことだろう。

私は先が読めるだけに悲しい。本当に、心から寂しい。子ども達の将来を少なくともまた10年棒にふる。私達親の世代も蓄えすら吐き出してしまうのが見える。どう、生きていけばいいのかと暗澹たる思いだ。とにかく、明日は来る。楽しい顔をして、幸せになるように、小市民としての努力だけは忘れないようにしよう。イエス様に祈りながら、生きていくしかない。 
 13日(月) 今日は、委員会審査最終日。議会に行って驚いたこと。町田委員長ご親族の不幸でお休みされたこと。ある課長がクモ膜下出血で、手術をするとの事。二人とも若いのに。健康に注意しなければと思うが、今年は本当に暑すぎた。

9時から5時まで審査を続けた。帰るまえに議会便りの原稿を書いて帰ってきた。もう、心身ともに疲れた。 
12日(日)  今日は朝礼拝。又、ロマ書に戻り説教。心にしみますね。体ごとイエス様にゆだねよという事。最近、自分が思い、祈っていることに近い話だった。私は、イエスさまに自由に使っていただきたいという思いがある。自分が動くのではなく、イエス様の意思のままに生きたいのである。いつも迷うのだが、もう迷わないで進んで行く。自分の名前をきちんと出して、自分の思いをきちんと伝える。いつもそのつもりでいたけれど、自分に自信がなくていたが、イエス様によって生きていたら、間違いがあった時はイエス様が助けてくださるさ・・・・

その後、89歳の叔父に会い、おしゃべりをして帰ってきたら、なんと3時。頭が痛くなって、遅い昼食後、寝た。

夕ご飯後、あまりに頭が痛いので、入間の湯へ行き、指圧を受けた。少し調子がよくなった。 
 11日(土)  今日は朝、朝祷会が“なるど”であるというので、夫と共に出かけた。おいしい蕎麦と海鮮丼セットを祈祷の後にいただいた。心の中に選挙の2文字が浮かんでいるこのごろである。朝祷会にですとすぐに稲尾三活先生を思い出す。私が泣きながら御旨を探り当てようと祈っていた時に、「では祈りましょう」と何の疑いもなく、選挙に出ることを御旨だと言って、祈ってくださった。あの方は本当に迷いがなかった。皆さんは、稲尾先生をおかしいなどと思う人もいたようだが、本当に神様だけを見て、祈ってブルドーザーのように宣教していた。まねは一切出来ない。

ある境地の人は、みな同じ感じになるように思える。とても我がままにみえる。だって、わき目なんか振りもしないし、一心不乱で、堂々としていて、人間を超越しているようにすら覚える。最近では、小沢一郎さんをユーストリームで看ることがあるが、その時の彼はなんだか稲尾先生のようなオーラすら感じる。思うところを行くだけだという清清しさだと思う。

朝食をしてからは、サピオに久しぶりにトレーニングに行った。その後、所沢に行き、用事を済ませた後に、電車に乗った。本を読み始めたのがいけない。はっと気づいたら、なんと入間市駅。又戻って、市民会館へ。少年の主張を聞きに言ったのだが、遅すぎた。それでも講評を松本教育長がしているのをみられてよかった。きちんと講評していた。ただ、今年のプログラムを見ると、中学生の主張が少ないのが残念である。それと、芸能界を目指すという子が2組もあったのには、少しびっくりである。職業についての教育をしているはずだが、子ども達の職業観が狭まっているように思えた。誰か、市議会議員になりたいとか、市長を目指すとか言わないものだろうか。なぜ、そういう風な気持ちを若者がもてないのかを分析してみたい。議会が議員の宣伝をしなすぎるかもしれない。

その後、元カルフールのイオンによって帰って来た。久しぶりに行ったら、買うものが多くて、またまた1万円を軽く突破した。は~~~である。夜は、久しぶりにゆっくりした。
 10日(金)  今日は、決算審査を建設・環境委員会で行った。委員会で決算審査をするのは狭山市議会で始めての試みである。だから、覚悟して勉強会をして、この質疑に望んだのだ。結局、3部を朝9時から5時近くまで、長時間かけて審査した。要望事項を沢山入れていたが、後でどんな風に調理されるだろうか。

今日は村木さんの裁判があり、無罪となった。当たり前の結果だ。小沢さんの問題だって、検察のでっち上げ。鈴木宗男さんのことにしろ、福島県の佐藤前知事の問題もすべてでっち上げ。検察もおかしいし、そのおかしい検察の歯止めにもなりはしない司法も本当におかしいとしかいえない。

それに、1昨日の鈴木宗男さんの収監にしても、何も今結果が出なくとも良いと思う。たとえば、来週でもかまわないではないか。それなのに、陰険な苛めじゃないかと思う収監の時期。だって、宗男さんは12日に議員在職25周年のお祝いを開くのだそうだが、そのお祝いに水をぶっ掛けるような話じゃないか。そもそも、冤罪でその上、司法という権力で人の自由を奪う、尊厳を無視したやり方に怒りを覚える。まだ、私に近い人でないのでこんなことを言っていられるが、こんな恐怖政治がまかり通る世になったのはいつだろうか。あの橋本元首相もかわいそうに刑事被告人になったし、尊敬する田中角栄さんも死ぬまで戦いを余儀なくされた。

本当に、嫌な世の中である。そして、私のような市井の議員ですら、そんな矛盾が見える日本社会になったことに唖然とする。検察をまるで権力の犬のように感じるし、司法は昔で言うと悪代官のようにすら思えてしまう。嫌だなあ、この国。いつの間にか、住みにくい世界になってしまった・・・これでマスコミが正常ならば良いのだけれど、マスコミは正に権力の手先。自分勝手な考えで事実すら捻じ曲げ、世論というものを作り上げ、政治をミスリードしようとしている。これで、コンピューターに検閲が入れば、もう、庶民は何もいえない聞こえない木偶の坊に成り下がる。ロボットのような人間があっという間に出来るだろう。それで、日本人は幸せな国に住むといえるのだろうか。お~~~、怖い。怖い。

ところで知人から下のようなメールが入った。このような話を噂で聞いていたが、紀平さんに市川先生が言っていたとは知らなかった。菅さんへの市川房枝記念会での白々しさはここから始まっていたのだと納得かな。
『衝撃!!「菅くんを絶対信じてはダメよ」市民運動家・市川房枝元参議院議員
   の遺言!!知人、友人に教えてください、至急!!』

  菅総理は市民運動で活躍した市川房枝参議院議員をブランティアで応援したこと
  を最大限利用し、踏み台にしてのし上ったことは多くの人が知る。
  ボランティア運動員を指揮した菅直人を信じていたと筆者も思い込んでいた。
  ところが、市川房枝元参議院議員が自分の選挙運動中の菅直人を見て、「この男
  は私を利用してのし上ろうとしてボランティアをしている。己のみ、世話になっ
  た人をも踏みつけにしてなんとも思わない男」と人間性を見抜き、教え子とも言
  える後に参議院議員になる紀平悌子に、「菅くんは絶対に信用してはダメよ」と
  呟くように口にしたのだという。
  読者にも市川房枝氏のファンも多いと思う。私自身も自民党議員の秘書を長く勤
  めたが、市川氏に尊敬の念を持っていた。その市川参議院議員が自分の選挙をボ
  ランティアで応援している菅という若者に心を許していなかったのだ。生みの親
  の田中真紀子衆議院議員を潰そうとした小泉純一郎元総理とそっくりの冷酷な性
  格のようだ。

9日(木)  今日も一般質問。3日目。今回は15人しか一般質問をしないが、15人とも個性に富む人たちで、勉強もしており、意見はそれぞれで、私とは同じというわけではないけれど、とても興味があるところである。

午後からは明日の決算の勉強会。いくつかの質問をすることにした。建設と街づくり部との話をしていたが、環境部は何にも言ってこない。2部の勉強会が終わったのが、5時半だった。もう、これ以上勉強をしても頭に入らない。それで、環境部のことは自分ですることにして、終わり。建設、街づくり部と勉強会をしたが、自分がお願いしたわけでない。呼べば、呼びつけられたなんていう役人もいるし、なかなか面倒である。

夜夕食を食べた後に、市民総合体育館にて、ストレッチの講座に出席。火曜日から始めているが、動かしたことのない筋肉を使ったりしているので、あちこちがいたいのが残念である。腰を伸ばしているので、腰が痛い。

夜中、結局コンピューターのHPを見ていたら、あっという間に1時半になってしまった。民主党の代表選挙で小沢さんに勝ってほしいと願っているが、何しろ党員でもサポーターでもないので、選挙権のない悲哀を感じている。ところで、フェミ議に民主党党大会のお誘いがきた。14日に臨時大会をするらしい。私は、先回の党大会にも出席したが、今回の臨時会にも参加の予定である。狭山市で党大会に出席できる人間は少ないに違いないと思う。しかし、国の将来を選ぶような党大会に出席するのに、怖いような思いもある。歴史に参加するわけではないが、少なくともアウトサイダーとして傍聴するわけだ。歴史を見るような気がする。この大会はとても意義があることだろうと思っている。怖いけれど、ワクワクもしている。
 8日(水) 今日も一般質問の2日目。いろいろな人が議員としていることの意味をかみ締めた。町田さんが基地の話をしていたが、やはり航空機の飛行路の下に住んでいる人の視点がある。 私が話をしたら、嘘のように聞こえるだろう。人さまざまに感じるところや思うところが違う。それはそれでいいのだと思う。そして、それこそが議員が多いメリットであろう。議会は単に議決機関ではないというのはそこの点にある。

午後は、議案の勉強会を行った。建設部と街づくり部が来て、勉強をした。もう、10年も同じ事をしているので、事業の流れも分かる。けれど、何かが引っかかるんだなあ。それは何だろう。役所の言葉が分かりすぎると、役所の論理で物を考えていて、市民の論理を忘れてしまうんじゃないかという恐れ・お・そ・れ・が出てくる。だから、心して市民の立場で物を考えるようにしている。

夜、疲れ果てて10時半過ぎに寝る。
7日(火)  今日は私の一般質問が1時からあった。朝はいっぱいだった傍聴者も私が始めるころには誰もいなくて少しがっかりした。でも、最後にみたら、少しは傍聴してくれていた。このごろは、動員をかけもしないから、誰が聞いていてくれるのだろうかと思う。 今回は昨日から腹を立てているので、まともな一般質問にはならなかった。

昨日、突っ返した答弁書を直して、朝に持ってくるかと8時半から控え室にいたが、教育委員会は顔も出さない。お昼休みに来るかと思ったが、こなかった。それで、どんな答弁をするのかとおもったら、昨日突っ返したとおりの作文を読んだ。私は、腹の中が煮えくり返っていた。実は学校行事を地域に知らせてほしいという内容の質問をしたら、HPや回覧で知ってくれという作文だったのだ。なぜそれを作文かというと、HPに行事のお知らせが乗っていなかったからである。そもそも、更新していなくて、行事といえば昨年の行事が載っているところもあっただけ。更新をしてないといえば、本年度になって1度も更新していない学校があり、校長の名前はそのまま去年の定年退職した人を校長としていたりする。HPをご覧くださいといいながら、HPに何も乗っていないのならば、それは嘘だという事だろう。私が、HPをご覧くださいといわれて、見てみないで「あ、そう」などと言うと思って作文したとしたら、私も見くびられたものだ。

情報だって生き物なのだ。必要な情報を載せもしないで、ご覧くださいってよく言えるよなあ。どんな神経の人たちが、私に向かって、白々しい事が言えるのだろうか。私は答弁者の顔を良く見たが、彼の頭の中の構造が理解できない。

回覧をご覧くださいって言ったって、回覧がこなかったら見れないでしょう。ポスターをご覧くださいだって、ポスターを貼ってなかったら見れないでしょう。だからこそ、質問しているんだからね。私は自分で調べて質問しているのに、答弁するほうは何も調べず、何も見もしないで、簡単に作文する。その態度が不誠実だというのだ。学校の先生たちがこんな態度で、子どもに真面目にやれだの、きちんと調べろだの、真摯な態度を持てなどと言える?本人たちが、真面目に議会に対応しようとすらしていないというのに。

それに、ヒアリングして答弁書を持ってこないならば、私は原稿をわざわざ渡す必要がない。そうなれば、ヒアリングの意味は単に行政へのサービスというだけだろう。時間をとってまでする必要を感じない。私だって、とってもとっても忙しくて、ゆっくり考える時間すらないぐらいなのよ。議会だけでなく、家庭もあるし、子どももいるんだし・・サービスばかりしている時間は取りたくないのだ。人に会いたくない時にも、自分を鼓舞しながら、付き合っているというのに。

早々に帰ってきて、用事があって水富公民館へ行って、西中の学校便りを見せてもらった。一部だけ、西中からもらうと言っていた。「回覧はしないよね、最近ぜんぜん見ないもの」と聞いたが、「回覧はしていない」との事。私の自治会だけでないのは知っていたが、やはりねと思った。引き出しの中から1部だけ出てきた西中の学校便りを、地域の大勢の人が見ているとは思えない。それが、実情なんですよ、教育委員会のオエラさん達。

開かれた学校なんてブームが終われば、学校はまた自分達だけになってしまっている。閉じた学校の怖さは、学校が子どもの収容所になってしまうことなんである。これを続けると傲慢な教育と傲慢な教師による、児童・生徒虐待が始まるのである。お金ももらえず、一日8時間も面白くもない勉強をして逃げ出せないところって、学校のほかは、大人だったら牢屋しかないだろう。よくよく、思い出してほしい。どんな時に、学校が荒れたのかを。閉じた学校への反省を。

このことが頭にあったので、時間配分は飛んで行き、一般質問はしっちゃかめっちゃかで終わりました。反省する気力もありません。本当に、教育委員会って何なんだろう。そういえば、生涯学習部長、情報だけじゃないんですよ、生き物というのは。今年の最優秀賞は今年だけのもの。旬という言葉を知っている?臨機応変という言葉も知っている?文化のお金をケチって、情操教育なんかないんですからね。もちろん、成人教育にもお金がかかるのも仕方がないんですからね、施設だけじゃありませんから、ヨロシク!!!

男女共同参画。45歳以上の大卒の女性は狭山市役所に15人しかいません。男性は269人います。怖いことに、この数年、女性の平均退職年は50歳ぐらい。それを考えると、この15人がいつ退職してしまうか分からない状態です。女性課長は2人しかいない。269人中男性課長はなんと105人、部長や次長も入れれば、男性の120人は管理職。どう思います?いつの間にか、50歳を超える女性が誰もいないいびつな狭山市役所になりそうです。女性が職場をやめてしまうのは、居心地が悪いからでもあるのですよね。結果平等になっていないで、役所は男性には居心地は良くても女性にとって働きがいのない魅力のない職場なんですよ。改善する余地が大変あるというのに、公平公正などと言って何も変えようとしない。だから、女性は仕事をやめるんですよ。ある意味、無言の抵抗かなあ。

女性職員にアンケートでもとって、どうしたら居心地の良い職場になるか、考えてみればいいと思う。女性が定年まで痛いという職場にするにはどうしたらよいか、女性に効けばいい。でも、そんなことはしないだろうね、何しろ狭山市役所は公平公正だと言い切って何も反省する気すらないんだもん・・・

街に魅力がない。それは、役所で職員が生き生き働く場がないという事でもあるんですよ。狭山市の女性もきらきら輝いていない。これも、何べんも何べんも言ってきたけれど、かわりはしないわね。

とにかく、神経がくたびれ果てた。夕方、銀行に行き、子どもの生活費を振り込み、7時半からは久しぶりに運動をした。それでも気分は晴れていない。
6日(月)  今日は、朝から決算の審査だった。勉強したところをきちんと聞いた。他の人もきちんと勉強していたらしく、今回は5時近くまで審査が続いた。議案審査は一般質問とは違うと何べんも言われ続けたが、どういうわけか年寄りには何でもありで、もう、審査が何だとか、言われても聞く耳は持たない。何でもありのような、審査だ。私達は、発言に意義を唱えなかった。なぜならば、発言を議員自らが制限したら、自分の首を絞めることになるからである。だから、あまりぐだぐだも言わずに、年長者の質問を聞いていたのさ。でも、どう聞いても、あの手の質問は一般質問だろうと思うのだけれど・・・・

 それがおわってから、明日の一般質問のヒアリングがあった。本当に嘆かわしいのは、教育委員会。私は自分がおちょくられているのか、馬鹿にされているのか、舐められているのか、分からなくなった。作文としかいえない答弁をみて、あきれ返って、突っ返してしまった。そうさ、教育委員会にとってみれば、60分を無難に済ませれば言い訳で、中身が嘘であろうが作文して、答弁として意味がなくても、あるように見えれば言いだけなんだろうと思う。馬鹿馬鹿しい。私画どのくらい一生懸命しらべたり、あの猛暑の中を汗だくで視察して、質問を作り上げているのにだ。作文。内容のない、嘘だらけの答弁。原が立って、腹が立って仕方が無かった。

夜、帰ってから、また原稿を精査して、寝た。
 5日(日) 午前中は、礼拝。また心機一転クリスチャンとして、イエス様を見上げて生きていく。今日は聖餐式の最中に、私をイエスさまのクリ人形のように使ってくださいと祈った。私が生きるのではなく、私の中でイエス様が生きていてほしいと願った。

午後急いで帰ってきて昼食。その後で、又ネットをつけたらユーストリームで菅さんと小沢さんが大阪で演説をしていた。やはり小沢さんの演説はすごい。小沢コールが新宿よりもすごかった。 本当に驚いた。この人気が投票行為と結びついているといいけれどと、選挙戦を心配している。何しろ、マスコミの酷い報道。嫌になる。何が本当の報道なのか、ネットとの乖離に自分を信じて正しいと思うほうを選ぶしかない。

夕方、いつものようにヤオコー前で演説をした。6時過ぎに美容院へ。いつもパーマっけもなく、ジーンズにシャツの私だが、年どおりに見られる必要もあると思ったわけだ。パーマをかけ終わったと思ったら、何にもカールされていなくて、終わったのが、夜の10時を過ぎていた。それから、議案書をもう一度見直したから、寝ている暇がなくなってしまった。美容院は私がどんなに忙しいのか分かっていない。住みませんでしたとも言わなかった・・・
4日(土)   今日は、朝ゆっくりした。それでも土曜日なので家事はある。昨日までのすり合わせで、疲れ果てて、今日こそ決算書と議案書を読むのは止めだと思った。

午後は、1時からネットを見ていたら、菅さんと小沢さんが新宿で演説をするというので、ユーストリームで見ていた。小沢コールが鳴り止まなくて驚いた。人気があるんだね、小沢さんは。しかしh、菅さんはあざとい。小沢さんは誠実だ。どうして、世論で菅さんを推す人が多いのか、理解できない。政策の内容を聞いていても、小沢さんのほうが正しいように思えてならない。あえて言わせてもらうけれど、どうして、菅さんは市川房枝を持ち出すんだろう。どうして、市川先生の名前を勝手に使い、自分をクリーンのように見せかけるんだろう。本当にあざといとしか言えない。土曜日に記念会に行ったというが、山口先生が戸をあけてあげたのかしら。普通はお休みの日なのだが。市川先生の名前を利用しているとしか思えなくて、気分が悪い。

その後、娘と所沢に行き、成人式に着る着物を買った。あれこれ着替えをしてから買ったのだが、良いものを見てしまうと安いものを買うのも、レンタルするのも嫌になってしまった。写真もとるし、結局25万円もかかることになる。まあ、兄ちゃんの結婚の時にも着物を着ればいいさとレンタルではなくて、買うことにした。それにしても、娘が一生懸命貯金したからこそ、可愛い着物が買えるというものだ。帰ってきたら夜だった。

ところで、小沢さんは誠実に真摯に戦っているように思える。この日、午後4時からまたユーストリームに小沢さんが来て、上杉さんたちとお話をしているのを1時間半にわたり見た。こちらはライブではなくて、夜にネットの録画を見た。本当に若い人と楽しく話をしているのを見ていると、小沢さんの人となりに好感をもった。こんな人が総理大臣になれればいいのにと心から願っている。

なんだか、このごろ、民主党の代表戦が気にかかる。だって、今後の日本を選ぶような時であるのだから、気になるのは仕方が無いが、選挙権がないのが本当に悔しい。小沢さんのサポーターになっているんだったなあ。
3日(金)  今日は議会。なんだかなあ、私は議会が終わって激怒した。昨日の夜まで、きのうだけじゃないんですよ、質問のすり合わせしたのは。答弁が困るからと私がもう話したくない、会いたくないというのにもかかわらず、どうしてもというから、夜遅くまで残って質疑の刷りあわせをしたのです。

それにもかかわらず、答弁が分けが分からなくなっているのはどうしたことですか。私の質問を理解していたはずではないですか。もう、これからは私の質問の意味をききたかったら、答弁者である、部長がじきじきにやってきて、話をしない限り、刷りあわせをする意味がないという事が分かりました。そういえば、8年前ごろまでは、部長がじきじきに御用聞きじゃないですが、やってきては、「質問がありましたら、承りますなど」と聞きにきたが、それが次長になり、課長になりしだした。課長になると数がもう増えて、大変だ。

私は自分の勉強にも付き合っていただくこともあり、出来る限り丁寧に付き合ったつもりだが、今回のように答弁が分けが分からなくなると、私の質疑の予定が狂う。すなわち、第3質問までにこのように聞こうという私の中のシナリオ(それも何日も考えたあげくのだ)がパアになってしまい、結局私が何を言いたいのか分からないという話になる。全く、迷惑。こういうふうであれば、刷りあわせやらヒヤリングやらは、もう無意味じゃないかと思う。やり方を考えよう。

それでも、午後からは月曜日の質問を整理した。結局帰ってきたのは、夜。今日も疲れて、ワインと糖分ゼロのビール。

夜中にインターネットのニコ生で民主党の代表戦の話をしていた。聞いていたら、小沢さんの噂はほとんど上杉さんが「それは違いますよ」とひっくり返してしまった。クリーンが透明性であるならば、小沢さんこそ一番クリーンだといっていた。明日小沢さんがニコ生に出るそうだが、本当に世の中変わったものだと思います。最後にアンケートしていたのですが、小沢さんが圧勝。でも、党員やサポーターはネットなんか見ないんだろうなあ。
2日(木)   今日は休会。結局午後から役所に行くことになった。そして、夜までしっかりと刷りあわせをした。

疲れ果てて帰ってきた。ワインを飲んで寝る。最近はトレーニングにも行く暇もなく、お風呂に行くのも面倒くさい。汗まみれで帰って来ると、糖分ゼロのビールと冷たく冷えた白ワインがとても楽しみなのだ。お酒を飲めば、車も運転できないから結局、インターネットとイーメールを確認してんるだけだ。
1日(水)   今日から、議会が始まった。午前中で説明を終えた。不親切な説明。あれをケーブルテレビで見たところで、決算の全貌が分かっただろうか。年々説明が短く手抜きになっているように思えて仕方がない。市民を侮るようになってはいけないのに。

午後は、一人控え室に閉じこもって、議案書と格闘した。部屋に鍵をかけて閉じこもった。どんどん役人が入ってこようとしたが、入れなかった。私にもしたいことがある。あちら様のいいようにだけしていたら、自分のするべきことが出来ない。会いたかった時に、勝手に合えると思ってほしくない。それがとても勝手なことだと思っていないのが嫌だ。

5時過ぎに、部屋をあけたら、結局7時半まで職員とヒアリング。もう、もう、いや。自分の考えがまとまらなくなる。

夕食後、民主党の代表戦の会見のテレビをみようとしたら、時間がおかしくなっていて、コメンテーターの勝手な理屈を聞くのも嫌でテレビを切った。最近、見たいテレビが全然ない。うちの人たちも録画した番組を好きな時に見ている。昔みたいに、テレビをつけっぱなしにしているなんてなくなった。私もほとんどテレビは見ない。朝日新聞も取るのをやめた。

ユーチューブで会見をみた。菅さんの驚くほどの下品ぶりに私は仰け反った。何を考えて、小沢さんが予算委員会で座っているのが創造できないなんていうのだろう。苦笑して小沢さんは自分も閣内にいたことがあって、予算委員会に出ていたという話をしていた。なんだか余裕のない、ネガティブキャンペーンに走る菅さん。きっとこうするだろうと、ネットに書いてあったけれど、なんと代表戦第1日目からネガキャンかいと呆れた。

小沢さんが勝つことを心から祈る。
8月   私の独り言
31日(火)   今日は、朝家で家事をしたりしていたが、午後は役所に行った。本当は議案書をきちんと読んで、質問を整理したかったが、次から次へと役人が来て、話し込んだので結局何も出来なかった。

実は私は小沢一郎さんが総理大臣にふさわしいと思っている。菅さんは市川房枝記念会でも世間と同じ菅さんの評価ではないかと思う。私は始めに政治を市川房枝記念会でしたのだが、民主党の推薦を受けるといった時に、菅さんが代表だったが、あまり賛成されなかった。結局後で、私は無所属になった。(ちなみに、推薦を受けたが、私は民主党員になったことは一度もない)

それに、一番初めに私が選挙に立つとき、今は亡くなったが私の参謀をしてくれた小暮さんという方がいた。その方が、私に民主党の推薦を受けるように進めてくれたのだが、その際に、小暮さんがおっしゃった事が心にずっと残っている。「僕は決して菅を尊敬もしていないし、信じてもいない。酷いやつだから」というのであった。彼は個人的にある方を通じて菅さんを知っていた。それを聞いた時に、おどろいたものだ。だって、私は菅さんを市川よりの信頼できる人だと思っていたからである。

その上、私は円より子さんのところの勉強会に行っていたが、その際の、円さんの言葉の端端から菅さんの批判を利いたような気がする。円さんは東京都支部長だったが、彼女にとって大変やりにくいことを言ったりしたりするというのが、聞かれた。女性ゆえに苦労しているんだと思ったし、菅さんの無理解にもあきれたこともあった。

私は直接菅さんとはお目にかかったことはないが、ワンクッションからの菅批判なのだが、誰一人から「菅さんがすばらしい」という話を一切聞いたことがない。小暮さんにしては、私の選挙当選後すぐに自殺なさったので、とくに菅さんへの批判が強く印象に残っているのだ。

今回、菅さん関係のニュースをフォローしているが、彼が嘘つきだなあという思いがしてきた。トロイカってなんだったんだろう。決して小沢さんが言い出したことじゃないだろうに、まるで小沢さんがポストをほしがっているかのように喧伝している。嫌だなあ。それに、権力に恋々としているのが見えてきてとても嫌な気持ちでいる。この3ヶ月、ちっとも仕事をしているように見えない内閣で、菅さんへの信頼はどんどん失われている。9月議会が始まっているが、去年、亀井さんに寄って積み上げた補正予算が出てきたのを思い出す。菅さんは夏休みをしっかりとり、鳩山さんにまとわりついていたが、何をしているのかと思っていた。

もう、本当に菅さんがあと1年も首相をしていたら、見事に失われる1年になってしまい、自殺者はふえ、失業者とフリーターだけの若者になっていくだろう。何とかしようよ。残念だなあ、私が民主党員でも、サポーターでもなく、この選挙に参加できずに切歯扼腕しているだけなんて。

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