私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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 11月 私の独り言 
30日(火)  今日は実は眠られなかった。昨晩、横になったのが1時半。でも、ベッドであれこれ想定問答を繰り返していたら、3時半になった。4時過ぎに、寝るのを諦めて、下の書斎に下りて、言いたいこことだけをまとめた。大きな4問というのは、1時間の中でまとめきれない。それで、順番を変えてやることにした。昨日のことも、キチンという。

本当は、循環バスのことをゆっくりしたかったが、これを始めてしまうと、後の3問がまとまらない。あの、石頭の市民部は結果は苦情の山が出てくることも分からず、自分達のスケジュールを突っ走るそうだ。こんな利用者の声も、福祉施設の声も聞かず、私の声も無視してどんなサービスになるかだが、ひたすら利用しにくくなるのだ。それを理解もしないで、かってな変更をするなんて、役所のやりそうなことだが、馬鹿馬鹿しくって仕方がない。迷惑するのは市民だ。

何しろ、最近では珍しい完全徹夜。あまりにも、神経が緊張していて、質問が終わるまで眠気すら起きなかった。今日は、他市から議長などが一般質問を聞きに来ていたから、少し気負いがあった。私の前にした三浦議員は新人さんでとても心優しい人なので、きっと役人に「そのテンは答弁のしようがないので要望としてください」なんて頼まれたのだろうと思うが、突っ込みどころをすべて要望事項にしてしまい、役所の答弁を聞かなくて、私達、古い議員としては消化不良を起こしていた。

だから、少しは鋭く質問もしなければと思ったりしたのだが、何しろ疲れすぎていたし、論旨がしっかりしていただろうか。人様に分かっていただけたかなあ。質問するほうとしては、1時間なんてあっという間だから、もっともっと時間がほしいところだ。それにしても、少しお上品過ぎたかなあ。女性がぎゃんぎゃん言うというのがどうも私の生に会わなくて、それにあまりにも正義を振りかざすのは、恥ずかしさが立ってしまうのだ。神様に祈ってから行った質問だから、きっと神様もあのくらいでいいと思われたと思うことにして、自己嫌悪は止めにしよう。とにかく100点満点の一般質問なんか私には無理だものね。

質問が終わってから、体調が酷くなり、咳はでる。足は据わっていてもつってしまうと言う具合。終わり次第帰ってきたが、6人がほぼ1時間づつだったから、終わったのは4時半。ちょっと疲れました。
29日(月)  今日は、朝6時におきた。昨日、早くに寝たせいもあるが、議案質疑の質問項目を確認しておかなければならなかった。仕方がないなあ。

それで、9時から議会。質疑は出来る限り手を遅く上げて、他の方々が質疑をしたのちに質疑をした。それでも、いくつか質問し忘れた。は~~~、重要だと思っていたことだったのに。全体として指定管理者制度については、あまり疑問もなく、誰が指定管理者になったとしても、指定管理者が酷い運営をするわけでないと言う事が分かっていて良かった。

それでも、金銭的な理由があるのだろうけれど、 とても評判の良かった指定管理者がコンペから降りた。応募しなかったことがわかり、とてもショックだった。え~~っと仰け反ってしまった。なぜかは理由を糾さなかったようだ。他に応募者がいて、そちらもかなりお安くコンペに出てくれたから、教育委員会はいちいち理由を糾さなかったんだろうけれど、どうしても気になる、応募しなかった理由。

他の議案も多くの人が質疑に参加するようになり、議会も活性化しては来ている。とにかく、午前中に質疑は終わった。

午後、結局はヒアリング。あれやこれや。6時過ぎにはふらっと市長が議会事務局にやってきて、お茶していた私と少し話をした。嫌な話。言うほうもいやだし、聞くほうも嫌だったろう。でも、私としては、しなければならない。市長だって議員だったわけで、私の発言をどうこう言えば議員の発言を封じると非難されるだろうし、難しいのは重々分かっていて、ただただ、話を聞かざるを得なかったわけだろう。

市長と私の話を議会事務局長も聞いていた。彼は、建設環境委員会での話し合いの中身まで知らなかったらしく、唖然として話を聞いていた。本当は私がこんな話をするのではなく、委員会としてきちんと対応(委員会発議のけじめを求める決議)でもしてしまったほうが良かったのだろうと思う。まあ、6日に委員会が開かれるから、私がその発議の提案をして、他の人の賛同を得ればよいのだ。いつもの気負い。私が言わなければ、誰がこんな嫌なことを言うのか。と思ったんだよなあ。実際、他の人はこれに触れないし。それにしても信じられない。

まあ、30日には公表されるのだから言うが、下水道完了検査で5箇所中1箇所しか検査しないで合格を出した。ところが、建設環境委員会で大島議員がどうしても完了検査の下水の口径と西口開発事務所が持っている図面の下水の口径が違うと言うので調べてもらった。大島さんが職員に尋ねたところ、4箇所を見もしないで合格を出したという。課長が言うには、そんな手抜きは前代未聞でやったことがないことだと言う。もし、見ないで合格させることは今までにやったことのないことならば、どうして上司に聞かなかったのだ?勝手に見もしない現場の合格を職員だけで出せること、出したことは本当にいけないことじゃないか。どういう体制で仕事をしているんだろう。

これは関わった職員をすべて処分すべきことである。手抜き検査した職員を同じ場所で検査をさせ続けるなんて、信じられないほどの馬鹿げた事である。即刻、配置転換だけでもすべきだ。狭山市は手抜き検査、見もしないで合格を与えてくれると言う噂でも立てば、恥ずかしい。信用失墜だ。そして、見ていないので、書類が間違っていたことにも気がつかなかった。業者に正確な書類を後から出させて訂正させたのだが、間違っても後から出せばそれでいいなんて、業者に思われたら、検査するほうの権威の失墜と言うわけだ。

なんだかなあ。本当にこんな事が起きる役所でいいのかと情けなくなるのである。しっかりしてよ。検査はキチンと見てするものなのよ。例外があるとしたら、それは例外規定に従わなければならない。とにかく、たるんでいたんだろうと思う。こういう事があると、すべて誰にも誤りがあるとかばう。私も何も言わなければいいのかもしれないが、そうすると役所が腐ってくる。誰かが、キチンと糾さなければ。でも、本当はこんな事いいたくなんかない。自分に刃を向けているような思いで言うのである。分かってもらえるだろうか。
28日(日) 今日は昨日の疲れで起き上がれなかった。

夕食後、原稿を見たが嫌になったのでねた。 
 27日(土) 今日は午前中、夫と二人で古いマンションを見に行った。お兄ちゃんがいつ結婚するのか分からない。住む家をどうにかしなければならないのだが、どうせ借りるならば安いところを買うと言う手もある。 そこで、見に行ったのだが、5階というのが少し気になるところである。子どもでも出来ると5階は辛い。でも、5階でもなければ私達が援助できる範囲の物件はない。二つも見たが、どうも気に入らない。まあ、息子達の考えもあるだろうしね。少し、話す余地アリ。

午後は、オザカラに行って、尾崎を歌いきった。気持ちいい。その後、他のところに友達と参入。赤坂から帰ってたのが、朝になってしまった。尾崎豊の誕生日は11月29日。プレバースディパーティーである。
26日(金)  今日は、議会は休み。でもとてもゆっくりは出来なかった。出来る限り、一人で考える時間がほしかった。でも、電話がいけない。ファックスも嫌いだ。がんがん掛かってきて、電話の後ろはファックス用紙がとぐろを巻く状態になっていた。10時過ぎに事務員さんが来た。原稿を読み返しながら、短く短く原稿を切り詰め始めた。

4時まえ、はっと気がついたら、私は指定管理者に関する書類を見ていなかった。少なくとも、会議室に開示されていた内容を見る必要があると思い、重い腰を上げた。 5時まで書類を見ていたら、同じ会社で同じ記載なのに、評定が違うものがあり、なぜこのように違うのか疑問に思った。何か恣意的なものが業者の選定に働いているとしたら問題である。後で、副市長に電話して聞いた。納得いかないので、議場で月曜日に聞くことにする。

事務局にちょっとよったら、次から次へのヒアリングのために人が集まる。これが嫌だから、名前に電気もつけず、ひっそりと役所に来たのにどうして私がいるのか、誰かスパイでもしているのかと頭の中は???である。不思議だなあ。結局、この日も7時まで役所にいた。

帰ってきて、どうしても頭の中がごちゃごちゃでたまらない。お風呂に入り、寝る。
25日(木)  今日は、議会1日目。午前中は議案の説明。午後は、3時まで出来れば一人で控え室にいたかったのだけれど、他の人もいたりして、自分だけで質疑を考える余裕がなかった。3時から7時ごろまでまたまたヒアリング。

ヤオコーにより、お惣菜を買って帰ってきたが、夕食後、とても眠くて寝る。 
 24日(水) 今日は昨晩11時過ぎまでお客がいて、その後、原稿を書いていた。夜中、3時ごろに書き上げ、メールで添付し、送付。夜中に書くと原稿をさっさと書き飛ばされるのだが、内容が過激になりがちだから、後で読み返さなければならない。 

それで、おきたのは9時過ぎ。家事をして、事務員さんが来ると一緒に仕事。HPの更新もあった。明日から議会なので電話がどんどん掛かってきて、仕事に集中できずイライラしてしまう。

お手伝いさんが家に来た。退院していたのは分かっていたが、このたびはしっかり療養してほしいから、出来る限り音沙汰なくしていたが、元気そうな顔を見せてくれた。もう大丈夫と言うが、心配である。でも、来月からまた職場復帰。来てくれるらしい。うれしいな。

2時過ぎに石心会狭山病院へ。乳がん検診である。マンモグラフィーを久しぶりで取る。聞いたら4年ぶりだそうだ。キチンと触診を受けた。お医者さんと話をしたが、いつまで乳がんの検診を受けるべきかだが、それは死ぬまでらしい。「先週、93歳と87歳と84歳の3人の乳がん患者を診ました」とお医者さんは言う。へ~~~。年をとっても乳腺がある限り、癌になるのね。そういえば、夫のおばあさんも74歳で乳がんで亡くなったんだった。17人に1人の割合で発症するらしい。怖いね。

子宮頸がんのワクチンの話をしたが、中学1年生から3回ほどしたほうがいいらしい。ウィルス感染だから、遺伝と言うわけでなく、だからこそ、ワクチンが効くようである。でも、なんとなく、このワクチンには抵抗がある。私が古いんだわね。体にウィルスを入れて抵抗力を増すわけだが、多少の副作用がないわけでもない。

ワクチンよりもHPVの検査を安く公費でするほうが私の趣味にあうなあ。これで、陽性になった時、精密検査をすればいい。ワクチンもその時ではおそいのだろうか。

役所に行ったが、結局帰ってきたのが7時を過ぎた。
 23日(火)  今日は朝から忙しくあれこれ調理をした。サンクスギビングデイだから、パーティーをする。夫はターキーを教会のオーブンで焼きに行った。普通焼くのに4時間掛かるが今回は小さな鳥だから3時間ぐらいで焼きあがるだろうという。娘はお手洗いを掃除し、息子の彼女が手伝いに来てくれて、お掃除もしてくれた。ありがたいなあ。

今日のディナーは、ターキー、コールスロー、ヤム、アップルパイ、パンプキンパイ、オリーブ、スタッフィン、パン、クランベリーソース、マッシュポテト、モルディドサラダなどいつもの料理である。パイはこの3日間焼いていたので、朝からすることはコールスロー、マッシュポテト、ヤムなどをつくり、アメリカからの食料をあけた。今日のお客さんは家のお友達やジャステンのお友達。ご飯を食べて、ゲームして楽しんだ。この何十年も同じ事をしている。兄弟のお友達がアメリカンスクールに行っているからターキーを買うことが出来てうれしいと思う。
 22日(月)  今日は、朝息子を駅に送り、すぐに戻ってきて原稿書き。なかなか進まないけれど、とにかくコンピューターの前に座り続けている。

午後も頑張った。夜、娘と夫が手伝ってくれたので、パンプキンパイを2枚作った。夜中まで原稿を書き続けたけれど、終わっていない。は~~。
21日(日)   今日は午前中に礼拝。スーパーによって帰ってきた。昼食後、美容院へ行き、カットし、髪をセットした。その後、あまり寒くなかったのでヤオコー前で街頭演説をした。議会が25日から始まるので、そのための報告をした。

帰ってきたらもう5時ごろ。急いで着替えた。6時から家族写真を撮ることにしていた。息子達にスーツを着させ、娘のドレスとお化粧をさせ、自分も着替え、お化粧もして、皆が車に乗り込んで写真館へ。安い写真だったが、1ポーズのはずが2ポーズにしたので、予算以上になった。でも、家族写真はこれで終わりかもしれないと思ってしまう。来年は家族が増えていると言うか、お兄ちゃんが結婚するかもしれないから、家族写真は5人ではなく、4人と2人とになるのかなあ。この写真を持って、アメリカに行ってお母さんに見せたいな。

写真をとった後に、大島屋で夕食を食べた。5人で外食するなんて、何ヶ月ぶりかなあ。親としては感傷にふけってしまうところだけれど、子ども達は親サービスのつもりで付き合ってくれた。帰ってきて着替えをして、私は仕事。

息子や娘、夫はトイストーリー3をDVDで見ていた。一家団欒なんてこれも久しぶりでうれしかった。本当にささやかな幸せ。皆が一同に集まるというだけで、こんなに幸せにかんじられるなんて・・・
 20日(土)  今日は朝、娘を連れて飯能のぺぺまで。その後、少しデパートで買い物をし、ブックオフにいき、スーパーで買い物をしたら、もう2時近かった。

帰ってきて、少し休んだ後に、パイを作り始めた。パイ生地を5枚分作ったのだけれど、足りなくなって結局8枚分作った。その間に娘がりんごの皮むきをしてくれて、カットしてくれたから、3枚アップルパイを作った。久しぶりにトレーニングに行った。忙しくて、自分の時間は夜中にしか取れない。松本からの息子は友達と遊びに行った。
19日(金)  今日は朝から事務仕事。それに原稿を書こうと静かにしていたが、午後にはまた買った勝本が来てしまった。これで5冊目。それで読み始めてしまったら、あっという間に3時過ぎていて、急いで役所へ。建設部と総務部とヒアリングなどがあり、終わったのは7時を過ぎてしまった。帰りにヤオコーによったら、知り合いがいて話し込んでしまった。8時過ぎから夕ご飯を作った。

8時半過ぎに息子が松本から帰ってきて、其れから食事だったので、食べ終わったのは9時を過ぎた。ハリーポッターをテレビで見たが、何がなんだか分からない。分かったのは、アメリカ映画とは本質的に違うという事。なんだかゆったりした夜だ。夫と息子はボードゲームをしている。平和で静かな時だ。 
18日(木)  今日は、すすむ会で日展を見に行くことにしていたが、 誰からも連絡がなかったので取りやめた。でも、もしかして連絡なしに出かけて来る人もあるかもしれないので、9時前に狭山市駅にでかけ、少し待っていた。その後、12月1日に東口の階段、エスカレーター、エレベーターが供用されるというので、工事を見に行った。パチンコやのまん前に階段などが設置される。なぜ、自由通路にクランクを入れるんだと言う議員がいるが、まっすぐにするにはパチンコやを買収解体しなければならなかっただろう。それに、駅ビルを解体しながら新しい駅舎を作るにはあれしかなかったんだろうなあ。

その他、どこに防火装置があるのだろうかと天井を見上げたが、よくわからなかった。まあ、議会で自由通路の条例が出来るからその時にしっかり聞くことにしよう。

うちに帰ってきてから本を読んでいたら、役所から電話がかかり、結局役所に出た。下水道、環境、職員課と話をしていたら、なんと7時。帰ってきて食事をしたら、8時を過ぎたので、結局また勝本を読んで寝ることにした。仕事が手につかない。
17日(水)  今日は、朝から家事をこなし、その後で事務仕事に励んだ。事務ヘルパーさんが来ていて、頑張り始めた。まあ、慣れない仕事だから、なかなか思うようには進んでいないが仕方がないだろう。私も久しぶりに友達に電話。はっとしたら、1時間もしゃべっていた。あ~~あ。楽しいなあ、行政を知っている人としゃべるのは。

午後も事務仕事がたくさんあって、HPのアップも行い、忙しく過ごした。

夜は、サピオへトレーニングへ。茶の花号について市との話し合いはどうかと聞いたが、何も話が来ていないとの事だった。6系統もとまっていたバスが1系統だけになってしまえば、ここに来る人たちはどうなるのだろうかと思う。ここを居場所にしている人もいるきく。デイサービス代わりに使っているという事なのである。何であんな風に変えなければならないのか。もっと工夫の余地があるのではないかと思う。

それに、利用者が激減したら、利用料金制度での指定管理はどうなるのだろうか。営業保障をするように契約がなっているか知りたいものだ。6コースが1コースになるんだからもしかして利用者が6分の1に激減するようなことにならないことを願っている。そうしない方策も立てるべきだろう。
16日(火)  今日は朝10時半から全員協議会。あまり執行部からの報告もなく、 ただ常任委員会の視察報告があった。文教厚生委員会の報告に興味を持った。後でよく聞いたが、狭山市には当てはまらないかなあと思った。保育園の完全民営化なのである。

午後は、食事の後、一般質問の通告。結局2時半まで掛かった。なぜ、印字をすると間違いが発見されるのだろうか。何回も書き直した。

3時ごろ帰宅。3時半ごろから、友人とミーティングをし、終わったのは6時近かった。夕食を早く食べたら、眠くて仕方がなくなった。昨晩も本を読んで2時半過ぎにベッドに行った。このごろ、勝海舟のおかげで睡眠時間がなかなか取れない。というか、面白くて読んでばかり。とにかく眠いので、何もしないで寝る。
15日(月)  今日は朝9時から建設環境委員会。まずは環境部の浄化センター内の廃棄物に関して。廃棄物を勝手に埋め立てたのは、廃棄物処理法違反であると指摘を受けた件について。違反だと知らずに埋め立てたと言うが、なぜ知らなかったんだ、埋め立ててしまったんだという事。廃棄物処理法・環境関係法に関わることを環境部で行っているのに、自ら違反してはいけないんじゃないかという事。

このことの責任はどうなるんだろうか。告発もされていて、県から是正命令も出され、是正計画も作った。しかし、問題はそれだけではない。狭山市では何が廃棄物で何が廃棄物出ないかの定義をきちんと把握してなかったことに大きな問題点がある。今後だって、大きな取り壊しが発生するだろう。その際、自分勝手に自分の土地だからと埋め立てをしてはいけないのだ(そうだ)。数年後には、中央公民館も取り崩しがあるだろう。 業者が親切ならば教えてもくれようが、お金が掛かるのが嫌だから埋めると市が主張すれば、また埋め立てなんて事になるかもしれない。そして、又告発。だから、今回の問題は有耶無耶にしないで、きちんと責任を糾し、今後このようなことがないために、廃棄物処理に関しての指針を作り、何が廃棄物かを明確にし、その上、廃棄物を適正に処理しなければならない。

うっかり埋めたのも分かるし、お金を掛けてまで取り出す必要があるのかという気持ちも重々分かっている。そして、私が言うのは正論中の正論で、誰もがへへ~と言う感じであるだろうというのもわかり、あまりにもいい子過ぎる見解だろう。だから、言うのも憚れるのだが、誰かがきちっと正論を述べなければならないのだろう。

それは、その後の西口開発にかんして、下水道管理課の完成検査処理のずさんさにもいえる。完成検査は普通完成してから、キチンと見て確認する。しかし、今回はそれをせずに完成書類を出した。また、菅の口径が違うにもかかわらず、承認した。それが間違いだと議会から指摘されて、業者に書類の訂正をさせた。ここで問題なのは、いつもと違う手順でなぜ完成検査を行い、見てもいないものに確認書などを出したのかという事である。課長は厳重注意を所管の職員にしたというが、そんなずさんな確認をこの時だけ課長も知らずに行ったとは考えられない。それに、職員の責任とだけ言えるか。課長、部長の責任は誰が問うのか。反省しているだの、今後このようなことはないだのと言われても信じかねるね。この問題は一般質問する。

とにかく、狭山市は何が起こっても上司が責任を問われることがない。不思議な役所だ。私は責任を現場の職員に押し付けているようで、とても不快なのだ。

この日の委員会は午前中で終わった。しかし、西口の件は資料がたくさん出てきたが、あまり話し合いが活発でなかった。何が問題なのかがはっきりしていないせいだ。正副委員長にはきちんとして論点整理をお願いしたい。

帰ってきて、食事の後、サピオへトレーニング。
14日(日)  今日は朝に礼拝。ちょっとおしゃべりしてから帰宅。なんだか疲れが残っている。当たり前だ、昨日は朝、昼、晩、晩のスケジュールだったもの。

昼ごはんを食べた後、ちょっと昼寝。その後、HPのアップ。でも、なかなか進まない。勝海舟の本を4冊買ったが、それが続々届いて、次々に読み始めている。松浦玲さんの「勝海舟」なんか914ページもあり、5千円もする大著である。それに、私の好きな勝部さんや江藤淳さん、半藤さんの勝海舟などが中古本ながら届いている。完全にワクワク状態で、夜中に仕事もせず、あちらを少し、こちらをチラチラと読んでは楽しんでいる。半藤さんは江戸っ子なのに、新潟県の長岡に疎開し、長岡中学を出た人なので、勿論幕府びいき。私はご存知長岡の生まれで、高田で育った幕府びいき、勝の大ファンだから、本を読みながら楽しくって楽しくって仕方がない。もう、エピソードなんか読み飽きたというほど読んではいるけれど、それでも好きだ。

勝海舟のどこが好きかといえば、きっと孤高のところかな。先見性があるけれど、徒党を組まない。権力の座を取るために策略も何もしないように見えるところ。平和主義者。アジア人としての意識。地方分権の考え。身分制度を無視する人間平等主義。好きだなあ。党を組むなどと言うのは、所詮私なのさと言う考えも好きだ。公と私とのハザマで、多くのものにちっとも理解されなくとも、もくもくと信念を貫く。そういうのも好きだ。それに、皮肉屋で我がままなところも好きだ。貧乏だったから、貧乏人に優しいところも好きだ。クリスチャンひいきのところも好きだ。息子は宣教師のアメリカ人の娘と結婚した。一緒に住みたいとか、何かを出来るような人ではないと思うが、好きだ。

食事後は、入間の湯へ。
 13日(土)  今日は朝から忙しい。夫と9時過ぎに家を出た。私は代々木の市川房枝記念会の「維持会員の集い」へ。維持会員の集いは亡き市川房枝先生の若かりし頃のことや、生前のことなどを古い会員の方々から伺うことが出来るのでうれしいのである。年に一度のことでもあり、楽しみにしている。

12時過ぎに「集い」は終わり、友達の南足柄市議会議員と近くのカフェで昼食。いつも同じところで食事をするが、安くて美味しいのだ。その後、私は池袋へ。立教大学で行われた「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク主催の「イギリスに学ぶ子どもの貧困解決ー日本の子どもの貧困解決スタートへー」に参加した。まずは、基調講演としてフラン・ベネットさんによる「イギリスは子どもの貧困にどのように取り組んでいるのか」があった。ほぼ、子どもの貧困解決への歴史的考察。サッチャーの機構改革、行政改革、市場主義の導入で貧困の子どもが3人に1人になった時点から、ブレア政権の子どもの貧困はイギリスの将来を脅かすという事で貧困対策が始まったという事だった。(子どもは私達の未来の100%である。)子ども貧困防止法が2010年に実施されることになり、計画も作られているが、政権が労働党から連立与党に変わり、今後の状況をよく見極めなければならない。

次に日本弁護士連合会の弁護士岩重佳治さんによる「イギリスの貧困対策に学ぶ」 同志社女子大学現代社会学部教授 埋橋玲子さんによる「シュア・スタートとイギリスの乳幼児・家庭支援」について、名古屋大学大学院教授 中嶋哲彦さんによる 「イギリスの子どもの貧困法」についてという講演があった。私は質疑には参加せず、4時半に退室。法律を制定して子どもの貧困を根絶する決意のイギリスに敬意を表したい。

その後、大宮に向かい岩上安見さんのカフェトークに交流会から参加。いろんな方がいて、知り合いもいた。岩上さんの講演は聴かなかったわけだが、彼の主張はツイッターでもよく知っているので、人に概要を聞いて「ああ。もっともだ」という感想。日本が日本の国益のために諸外国に振り回されることなく毅然と自立できる日を心から望むものである。

2次会にもでて帰ってきたらもう12時近かった。長い長い有意義な一日だった。
12日(金)  今日は朝家事に励んだ。何しろお手伝いさんが病気休養中だから、家事が山盛りである。洗濯もあり、掃除もあるというわけだ。

午後は、事務ヘルパーさんが来て、事務所の掃除の続き。床下収納の品々を出し入れした。そして、要らない書類をどんどん捨てた。古いファイルも破棄した。もう、最後には判断がつかないものがたまり、それはまた 1年後にかんがえるとして、判断保留のまま保存することにした。5時過ぎにようやく掃除を終えた。すっきりして、今後は事務仕事もはかどるだろう。

事務所がきれいになり満足。夜はサピオにトレーニングへ。頑張って今週は3回もトレーニングへ。体のだるいのが取れるので、ちょっと癖になってしまうトレーニングなのだが、今後は筋肉痛が始まる。
11日(木)  今日は11時から建設委員会協議会。後期基本計画の意見聴取という事らしく、総合政策部、建設部、街づくり推進部の課長以上が 集まった。建設環境委員会のメンバーとしてさまざまな意見が出された。いかにその意見を反映するかは、実は私は議会として提言を作るべきであると思っている。勿論、基本計画そのものは議決事項でなくても、今後の市民生活に大きな力を持つものだけに、議会総体としての意見の集約を図り、実現を執行部に迫っていくべきと考えているが、残念ながら議会にはそのような動きはない。議長にも非公式に言ったのだが、執行部がやるでしょうという事だった。私は、議会としての提言をすることで、議会が市民に対して計画へどのように関与し、どのような意思を表したかを明確にすることで、市民の側にたった議会としての役割が明確になると考えている。

さて、この意見聴取は4時まで掛かった。私の主張したことの1つは狭山市自治基本条例を作ること、また、歩道の整備に年間300メーターと言わず、少なくとも500めーターにすべきだという事も主張した。市民アンケートからの反省事項として、また実行できなかったこととして、歩道の整備があったわけで、せめて中期に掲げたほどの仕事を後期にしてほしいものだ。

帰ってきてから、頭の中で議論を反芻することがあり、議会で提言しないのであれば、執行部がどのように意見を反映するのか、議会で念を押そうと考えた。
 10日(水) 今日は視察の日。飯能市養護老人ホーム「敬愛園」、午後からは狭山市内にある軽費老人ホーム「柏苑」。

飯能市の養護老人ホームは平成13年に建設された比較的新しい施設で、すべて個室。これはいいですよ。まあ、あれこれ言えばきりがありませんけれど、ここの入居老人達は自由な感じがした。タバコをすっている人がいたり、あまり施設が居住者をああしろ効しろと管理してない感じ。特に、お風呂がいいなあ。午後からは夜の8時まで、いつでも入れるんです。毎日なんですよ。 循環式のお風呂だから、なんとなく清潔に感じるんですよね。ため湯の中に35人も入ると不潔にかんじるでしょ。でも、循環式お風呂だと、髪などもきちんとろ過して水がきれいに感じられます。

いくつも施設を見たけれど、お風呂は週に2回なんてところがほとんどで、私のように朝湯に入りたいなんて人間には、嫌なところだった。シャワーだって、自由に使えないのだ。それに比べてここは天国かなあ。お風呂に関しては。夕食後にお風呂が入れる養護老人ホームはここだけだった。

5人狭山市から委託されているというが、ここは少し交通の便が割るけれど、住環境としては悪くないなあ。少し歩くようだけれど、ビバホームが出来たから、暖かい日は買い物にいけるかな。近くに売店がないから、事務所に少しお菓子類をおいてあって、買い物をしている人もいたし、タバコも売りに着てくれるそうだ。引き売りの人がきてくれて、買い物をするらしい。こういう業者の方がいるのはうれしいことである。こういう交通の便の悪いところでは大切だ。

ここは名栗園さんが、1億400万円ほどで指定管理しているのだそうだ。一人あたり、約200万円掛かる。狭山市もそれに見合う支出をしてる。50人もいる施設だもの仕方がないだろう。年金もない人にはお子使いを揚げるそうだが、1万円。タバコを吸っている人が「タバコを10箱買うとあっという間にすうから、5箱ずつ買うの」と言っていたが、自分のお金がない人はタバコもすえないわね。かえって健康にいいかなあ。名栗園さんも緩い感じがとてもよい運営に思えた。友達も働いていて、会って二人とも驚いた。

ここでユニークだと思ったのは、衣服費は年に2千円を島村で買い物するのだそうだ。下着を書いたい人もいるだろうし、セーターがいる人もいるかもしれない。自分のお金を足して買い物も出来る。単調な生活の中のひとつの潤いかな。お金を毎月2000円ためて、一年に一回一泊旅行を楽しむのだそうだ。全員参加ではないようだけれど、ささやかな楽しみといえる。集団生活はいろいろ大変でも、集団だからできる楽しみもある。気のあった人が三々五々楽しんでいたようだが、今時町内にいてもお茶のみなんか見受けられない。その点、集団ではお茶を一緒にすることもあるみたいだ。

住むなら、この施設がいいなあと思った。ちょっと不便だし、お金もないけれど、それなりに楽しめそうだ。各室テレビもあり、ベッドの良い人はベッド、畳にしたい人は畳にしていた。

お昼は軽費老人ホーム柏苑でいただいた。私はアレルギーがあり、半分くらいしか食べられなかった。たこ焼きはだめだしキューイもだめ。ここの老人達はお金を自分で払える人たちだから、お食事といってもきちんとした格好で食堂に出てこられる。良いことである。お化粧をしている人もいる。養護老人ホームとの違いを痛感した。お化粧をしている人なんか養護老人ホームでは見かけなかったからである。自分の自由に出来るお金を持っていて使えると言うのはすばらしいことである。税金(多少自分達のお金を払う人もいるが)で生活していると言うのは、本当にぎりぎり生きているの次ぐらいの自由さしかありえない。

施設は民間に払い下げ、今はさやま苑さんが運営している。民間になってよかったと住民が言っているのが救いだ。いろいろな催しがあり、外部からボランティアも入り、よかったという事である。私もいろいろなところを見て、やはり運営は指定管理者に任せるほうがずっと柔軟で居住者に沿ったものになっている事を実感した。勿論、運営者はそういうだろうが、私が見てもそうだろう。

この軽費老人ホームはもう古い施設になっている。今後の立替も考える時期が来るのだろうが、社会福祉法人としてしっかり考えるべきである。他の社福とこの者福はちがい、狭山市がかかわったという歴史があるが、もうそんな甘えは許されない。自分達で事業の展開を図るべきである。どこか、狭山市におんぶに抱っこと言う感じがある。そんなことをしていたら、今後は福祉事業競争に負けていくと思う。

私が思うに、狭山市の老人福祉政策はよかった。この10年間、民間を中心にさまざまな施設が設置された。そして、そこで多くの雇用が生まれた。工場を誘致するのは大変なことであるが、これらの施設はニーズにこたえて頑張っている。女性の雇用(賃金が低いのが難点であるが)は家庭生活を豊かに、安定させることになる。結婚も共働きで子育てをすれば良い。今後もまだ、老人福祉の需要はなくなるまい。雇用のためにも、まだまだ施設を作ることも良いのではないか。

たとえば今施設を作れば、需要が少なくなる30年後に施設を取り崩すことも可能になる。施設の整備をするのは、いまだとおもうなあ。

帰ってきて、本当に疲れた。しかし、夕食後は頑張ってサピオにトレーニングに出かけた。
 9日(火) 今日も午前中はメールの返事を書いたりと忙しく過ごした。午後から役所に出かけた。火曜日の男女共同参画講座をずうっと飛ばして参加していない。今日はメディアと女性という題での講座だったらしいが、どれもこれも初級講座で何べんも同じような講座を聞く元気がなくなってしまった。講座の様子を見てみたいとは思っているのだが。

午後はなんだか報告書を書く気もうしなった。1時にこれから一般質問をしようという事で、緑公園課に話を聞いた。その後、役所内をぼうっとさまよった。一般質問のために 情報を集めなければならなかった。

お腹がすいて帰ってきた。夕食後、入間の湯へ。中川浩さんとばったりあった。お連れ合いが出てくるのを待っていたみたい。私は、一人でした。
8日(月)   今日は朝から、Hpのアップをしていた。とにかく、最近は日記と言うよりも週のご報告のようになってしまい、たまると大変。記憶も薄れ・・・

午後からは事務のヘルパーさんが来て、ファイルをどんどん廃棄し始めている。とにかく、事務所が書類の倉庫状態になっており、この4年間何にも整理をしていないから、まずは古いファイルを廃棄して、そこに片付けることにしている。裏紙になるものを取り外し、後はどんどん捨てる。ファイルはホルダーを取らなければならない。古いホルダーはどんどん捨てる。4時間、片付けても片付けても片付かない。すべき事務仕事は後から後から出てきてしまうのだ。は~~、嫌だね。

午後中、かかってファイルは何とかしたが、ファイルを処分した後に、議会関係書類を入れて、床にあったファイルをしまいこんだ。ここで、時間切れ。

夕食後、サピオにトレーニングに行った。久しぶりで体が重い。それでも、60分歩き、筋トレをして帰ってきた。帰りに、ツタヤで本を眺めた。もう、来年の日記が発売されている。私が使っているものは売っていないようだ。大きく薄く私はこれが好きなんだが、仕方がない。毎年、4月から使い始めるのだが、今年は1月から新たなものを使いたいと思う。選挙があるから、4月からと言うわけに行かない。
7日(日)   今日は朝浜松をでて、四日市市へ。まず、文化会館に行った。尾崎豊がLTAツアーを1985年11月1日にこの会館から始めたと言うのだ。意味がないといわば言え。とにかく、そこを見たかったのである。友達の市議会議員さんがいるので、文化会館を見るといってもきちんと運営も見てきた。四日市市の財団法人が指定管理者となっていた。この日はオペレッタの上演があった。さまざまなイベントが3つのホールで毎日のように開催されていた。名古屋に近いから、四日市での公演は難しいだろうと思ってしまった。それでも頑張っているようである。

その後、サッカー場に行き、息子のアメフトの試合を見た。試合結果は悔しいことに負けだ。最後の1分にゲームをひっくり返されたと言うのは情けない。考えると悔しくなるので、考えるのをやめる。

急いで帰ってきたが、工事で4キロ渋滞、中央道のトンネルが2車線しかないので渋滞して17キロ渋滞やらにはまってしまい、なんと7時間もかかって帰ってきた。。夫が最後まで運転してくれたので、私は助かったが、車の助手席にいるだけでも疲れた。でも、快い疲れである。
6日(土)  今日は朝、富士五湖地方に出発。浜松に行くのだが、中央高速で川口湖にでて、御殿場経由でと思ったが、朝霧高原に行きたくなったので、山中湖でユーターンして本栖湖を回り、朝霧高原をとおり、滝の白糸をめでて、浜松へ。夫の友達とあって、鰻で食事をして、ホテルに泊まった。
  
真っ赤な秋にようやく遭遇し、3日に遠くで眺めた富士山を目の当たりにした。白糸の滝は時間がなくて近くまでいけなかった。
5日(金)   今日は、本当に疲れたが、朝から事務員さんがきているので、仕事をしている。まずは部屋の片づけを。ファイルを大量に廃棄して、裏紙を使えるものとそうではないものに分けている。その後、床にあるのをどうにかしなければならないが、どうしよう。

午後遅くに役所に行った。役所で昨日の視察のことなど、また、政務調査費に関係して中川さんとだべって帰ってきた。帰ってきて、夕食を食べているともう8時を過ぎた。トレーニングに行かない。
4日(木)   朝、ゆっくり起きて、別荘をあとにした。今回はコスモス街道を走り、内山峠を抜けた。山のなじみの八百屋に寄ろうとしたら、やめていて店はモヌケの空だった。この別荘を建ててもう15年になるが、ずっと焼き芋を買ったり、りんごを買ったりしていたのに・・・時代は変わる。彼が病気にでもなっていなければと思う。

1時までに深谷市に行きたかった。2時から盲人専用の養護老人ホーム「ひとみ園」を視察するためである。道に迷いながら視察地に行った。本当は遠いから視察するのは止めようと思ったが、他の施設を全部視察するのに、このホームだけ行かないのに心が許さない。たった一人狭山から行っているだけかもしれないが、そんな狭山市民がどんなところに暮らしているか、たった一人でも市議会議員が知っていてもいいじゃないか。そんな思いで視察を続けている。小鹿野町の施設にいた人が、狭山から来る職員の訪れを心待ちにしていたという話が心から離れない。もしかして、後で市議会議員が訪れたという話を施設の人から聞いてうれしく思ってくれるかもしれない。そんなに甘くないって言う人もいるだろうとは分かるけれど・・・・

「ひとみ園」は半分が新しい施設(竣工が今年1月)だったから、新しいコンセプトで1人部屋でトイレも備え付けれられていて、施設としては申し分なかった。すべてが個室。昔々のもうじき取り崩すという施設の2人部屋を見たが、やはり新しいほうがいい。ほとんどの人が全盲だそうだ。玄関で両足切断した人に出くわした。きっと糖尿病のせいだ。見えなくて、歩けなくて、声を掛けることもできなかった。

理事長さんとお話させてもらった。一途に頑張った人なのだと思う。私の母は2級の視覚障害者だから、母をこういう施設に入れて良いかなあなんて考えながらお話を聞いた。盲人専用の施設らしくバリアフリーだった。いくつかアクティブなサークルがあるらしい。しかし、筑後40年と言うと、初めからいた人は高齢化していたし、亡くなる方も多いようだ。アクティビティも高齢化と共に変わっていくようだ。なんだかため息が出る。

夜戻ってきたが、結局7時近くだ。3日間、車を運転し続けて、ばててしまった。それでも、なにかすっきりする物がある。
3日(水)   今日は朝、寒くておきた。松本は寒い。毛布と布団じゃ寒さが防げない。息子はコタツを出し、電気ストーブをつけた。そうでもしなければ、部屋は冷気で真冬には零度以下に下がるかもしれない。シンクをかたずけて少し調理をしてあげようかとも思ったが、時間が過ぎて10時には山に行きたかったから、子どもと別れた。

今回は美ヶ原で紅葉をみるのが目的の旅だ。で、昔徒歩で登った道を車で急いだ。で、昔の広い道だと思った道は普通の山道で、スカイラインなんかとは比べ物にならなかった。途中、山辺の直産店で野菜を買い込み、ワインを一便買った。野菜が新鮮なのに安くて驚く。白菜を買えばよかったなあと今は後悔。あんなに大きいのは食べきれないと買わなかった。

山の上で美ヶ原に行き、牛伏山にちょっと登った。徳利のセーターの上にウィンドブレーカーを着込み、ジーパンの下には股引をはきこんでいても、寒い。やはり帽子が必要だった。歩くのはたった300メーターだったが、何しろ標高が2000メーターを越えると風が違う。空気が違う。お天気がよくて眺望はばっちりだった。八ヶ岳が小さく見え、その横に富士山も。2000メーターでは雪はなかったけれど、霜柱がもう5センチにもなっていた。今週で秋も終わってしまうだろう。紅葉はなんだか中途半端だったけれど。

ここの山小屋で手打ち蕎麦を食べ、手作りチーズケーキを食べた。味は期待してはいけないよね。でも、まあまあかな。

紅葉が今一だったので、今度は霧が峰を目指して走った。スカイラインがとても整備されていた。お焼きを食べて、今度は白樺湖へ。とにかく美しい。

途中に、八ヶ岳と富士山がよく見えるところがあり、写真を撮った。八ヶ岳の山頂は白くなっていた。その脇に富士山が小さく見えて、なんだか感動した。どうして、ただ富士山が見えるだけでこんな気持ちになるのだろう。自然の美しさは、人の心を癒してくれる。何時間か、山の中をドライブしているうちになんだか夢と現と行き来している感じだ。心の中から、何かが解け出てくるように思う。自然の永久さがすばらしい。私にはこういう時間が必要だと思う。夫がいてくれれば尚良いのかもしれない。夫もとても忙しくてストレスがいっぱいだろうから。

白樺湖を過ぎて、今度は蓼科山のすそを通り抜けて、大河原峠へ。

大河原峠では双子山には上らなかった。私の装備(?!)では無理である。とにかく、ヤマの木々は霧氷に覆われていた。どれほど寒かったのだろう。午後も3時過ぎになっていたので、少し温まったのか。梢からぼたぼたと氷が落ちてきていた。青い空に咲く白い花のようでここでも自然の美しさに呆然とした。

別荘に行き、穂のかの湯に行き、食事は杏亭でと、定番をくりかえして、別荘に泊まった。
2日(火)  今日は、もう仕事をするには煮詰まりすぎて、すべてを放ってしまいたい。そこで、松本の息子に会いに行くことにする。午前中は、建設部長の木村さんが富士見集会所で展覧会に写真を展示していると昨日話をしていたので、見に行くことにする。前本田さんという課長がいたが、彼の写真を見て繊細さとシャープさに感心していた。木村さんのものも大きくしたものを見たかった。 木村さんもシャープさでは本田さんに引けを取らないかも。でも、思ったよりも自己主張していなかった。これは見かけと違うなあ。(どういう意味でしょうか。)

午後、食事をした後、松本へ出発。途中諏訪に降りた。出来れば霧が峰を通って、松本に行きたかった。でも、ガスステーションの人に止められた。4時半になっていて、もう日が暮れると何も見えないし、危ないと言う。その上、今回は軽で行ったから、パワーもないし。それで、諏訪湖を見たり、岡谷で道に迷ったりしながら、松本に行った。途中に、2箇所ブックオフがあり、小沢征爾さんのベートーベンの第3と第5を買った。このごろは小沢さんに凝っていて、あれば安いCDを買っている。

早速ベートーベンを聞きながら、松本まで走った。松本に来るとなんだかセンチメンタルジャーニーで、学生時代のことをあれこれ思い出してしまう。それでも、松本の区画整理事業のせいで、道も街も変わってしまい、大きかったように思っていた場所がまるで狭く、小さな場所になってしまっていたりする。面影を探しながらも、見つからないのもそれはそれでいい。

松本では、息子のために食料を買い込んであげた。鶏肉しか買えないとか言うから、豚肉や鮭などをかったり、野菜を買ったりした。松本には牛肉がないのかなあ。見つからなかった。その後、いつもの豆腐屋で時間を稼いで、息子が戻るのをまった。9時半過ぎに部活から戻ってきた。大学の部活は遅くまで頑張る。帰ってきた息子を連れて、またショッピングへ。車がない息子だから、買い物で米を買ってやったりしたが、なんだか遠慮をしていて馬鹿だなあと思う。せっかく、スポンサーがいるんだから甘えればいいじゃないか。

夜中まで狭山から持っていったスパークリングワインを飲んで、しゃべりこんだ。息子は少しは大人になって、親の話を真面目に聞く気になっている。なにしろ、私は大学の先輩でもありますから。
1日(月)   きょうは、1日中事務所で整理したり、HPのデフォルトページをアップしたりしていたら、あっという間に夕方になってしまった。デフォルトに写真を載せたので、少し重くなってしまう。整理もちっともしないで、次から次への新しい情報を載せ続けている。もう10年も同じ事をしている。もっと洗練させれば良いと夫は言うけれど、私の技術がないので、また、研究心もないので、動画も入れていないし、アニメも作ることもない。まあ、コンテンツを見ていてほしい。

夕方、役所に行った。いくつかの書類を書き込んで、5日の深谷市の視察を確定させた。下の喫茶店でコーヒーを飲みながら、友達と話し込んだ。選挙のことだけれど、ちっとも選挙の準備をしていないから、焦ってしまう。

夜にトレーニングに行きたかったけれど、サピオも市民体育館もお休み。どうして、一緒に休むのかと思う。同じような施設は休みの曜日を変えてほしい。

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