私の独り言 2004年 

バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。午後は、
すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を、通します。

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
2月 私の独り事
28日(日)   今日は礼拝をお休みした。原稿をなおしたり、議案の歳入までの質問を確認したりしていた。家事をしながらも、本当に心がそぞろ。家の者も当たらぬ神にたたりなしとばかり、私によってこない。身も心も議会でいっぱいいっぱいである。
27日(土)   今日は、家事を午前中にしてから、仕事に取り掛かった。一応原稿を書き上げて役所に送ったが、ちゃちゃとやってしまったので、手直しが必要だが、すぐにしても直しにならないので、少し時間を置かなければならない。明日直すことにする。でも、少しは気分がよくなった。

毎日毎日、夜中すぎどころか朝方まで原稿を書いたりしている。書き始めるまで時間が掛かる。中で何かを発酵するのを待っている感じだ。一気呵成に書くのだが、内容がそれでいいのかといわれるとだめだろうと思うのだが、浮かぶものを書くしかない。もっと、理詰めなものを書きたいとねがうのだが出来ない。最近は、こんなものでしょうと自分を納得させようと思う。他に出来ないし。
26日(金)   今日は、議会の休会日。役所に行かず、ヒアリングしたことをもう一度整理しなおした。議案書のはじめから見直した。けれど、役所から電話がじゃんじゃん入ってきて、結局役所にいるのと同じくなった。とにかく根をつめて仕事をしていすぎて、少し息をしないと整理がつかない。本当に嫌になって、サピオにトレーニングに出かけた。

買い物もしなければ食べる物にも事欠く始末。女性は家族があると逃げられない事が多い。だからいいのか。今回はまた貧困を取り上げるが、資料がたくさんあり、またお粗末なセーフティネットで突っ込むところが多すぎて、どうこれも調理をすべきかと悩んでいる。言いたいことは、ほとんどヒアリングで言ってはあるが、それが実現するかどうかは話が別だ。正式に言うべきことが山ほどある。

結局施政方針に対する質問書を書ききれなかった。
 25日(木)  今日は説明の2日目。午後からはヒアリングが入り、ますます忙しくなった。夕方3時過ぎからは施政方針への質問のヒアリング。終わってから、またまたヒアリング。いろんなことを考え、質疑の内容を整えて、話をしっぱなしにしているともう頭の中が飽和状態。疲れきって帰ってきた。

夜は家事が待っている。少なくとも洗濯でもしないことには、生きていられない。どうしても食事の手抜きをしてしまうなあ。
24日(水)  今日は議会初日。昨日議長から代表者会で意見書のことを話し合うときいていたし、もしかして意見を求められるかもしれないというので緊張しながら役所へ出かけた。聞くところによると全会派一致で意見書の提出ができるそうでうれしかった。すこし、感激もした。文言の作り直しもあるそうだが、それは皆さんの意見を入れることにしたいと思っている。よかったなあ。 狭山市議会も捨てたものじゃないなあ。

議会は少し遅く始まった。岩田さんがお休みで心配だ。この前の研修会の時に少しやせられていたかなとは思った。けれど、精神が強い人だからきっと元気になって次の議会には出られることだろう。議員は個性も強いし、考え方もさまざまだし、なかなか一致することは難しいけれど、やはり11年も一緒に議員をしていると同僚としての思いが出てくる。元気で任期を全うしよう。この前の任期では、斉藤哲夫さん、大沢さんが亡くなられた。4年というが短いようで長いし、議会は公の仕事だから心身ともに疲れきる。節制していてもこうだ。

初日は、午後2時前におわり、建設委員会協議会も終わった後に、今日市長が行った施政方針に対する質問の通告書を書いた。書き直しをしたりして、結局書き上げたのは5時を過ぎていた。明日、提出することになる。それで、役所を出たのは6時を過ぎてしまった。

今日は夕食後、夫が息子を佐久の別荘まで連れて行った。明日、息子は信州大学を受験する。お母さんが行った大学だからよい学校だよと進めたら受験することにした。合格すると良いけれど。「お母さん、母が行った大学だからとか、家が近いから受験したというのは良い受験の動機とはいえないんだよ」と息子は言うが、私は合理的な理由だと思う。昔と違い、工学部はとても難しいらしいから息子は大変である。本当に合格すると良いけれど。

夜、2人が出かけた後、洗濯して干し、風呂を洗った。HPもアップした。明日の受験を前に、親の私も落ち着かない。がんばれ、息子。
 23日(火) 今日は朝から家事。カーリングはハラハラしてみることができなかった。それでも、12時に約束があり、食事をしてから来てくださいと職員さんに言われたので、早めの食事を取ってアポイントの時間までに役所にでかけた。

教育委員会との勉強会は本当は1時間のはずだったのに、結局3時まで掛かった。次に市民部と。これでおしまいかと思ったら、次々に面談が入った。9時前にまたまた局長が心配して控え室をのぞいて、早く職員を帰してくださいといわんばかり。毎日、私も職員も遅いから、健康を心配してくれているんだろうと思う。明日から議会だから、彼も忙しくて、結局9時過ぎまで残業をしていたようだ。私は車で家まで15分しか掛からないけれど、遠くから来る人は遅くまでいると大変である。私より局長は1歳年上なのだ。お兄さんというものを持ったことがないのだけれど、兄がいればきっと彼のように口うるさいのだろうかねえ。私より年上の局長のほうが、ご自愛なさったほうがよいように思うのだが、これは妹が兄を思うような気持ちなんでしょうかね。余計なお世話だって言われそうなので、この辺で。

とにかく、書類を家に持って帰って気はしたが、読む元気もなく、夕食後お風呂に入り寝ることにするのが、頭がさえきっていて眠れない。明日から議会が始まるし、意見書の件もあるし、頭が飽和状態で今までの勉強会のことはまとめきっていないし・・・
22日(月)   今日は、午前中家事。お手伝いさんがいない月末に突入した。今月は28日までだから少し早めに月末が始まった。洗濯物はたくさんあり、気分よく洗濯し、干した。カーリングも面白くて、時々見ながら家事に励んだ。

午後からは役所に行き、総務部の人と歳出の勉強会をした。はじめにこちらがきちんと読んで質問をすればいいのだが、午前中は予算書を読んでいなかったから、時間が掛かった。総務部が終わったと思うと、違う役人が会いに来て、誰と何を話しているのか記憶にないほどだ。後で、一人になって考えたいと思うのだが、なかなか一人の時間が取れない。9時過ぎに役所を出たが、もう頭の中がいっぱいいっぱいで、仕事を持ち帰って、考えをまとめるなんてできそうもなくて、書類を役所に置いて返ってきた。

役所から夫に電話をして野菜が食べたいと言ったら、冷蔵庫の中にあるブロッコリーとほうれん草をゆでてくれていた。とてもうれしかった。忙しすぎると、どうしてもお刺身を買って帰り、それで夕食を済ませたりするので、野菜がたりないのだ。はじめた夫にこんなことをしてもらったなあ。

最近は夫より帰宅が遅いことが多い。そういえば、私は学生時代が長かったが、大学で研究をするときは夜が多く、人が帰ってからゴキブリのように実験をしたり、論文を書いたほうが多かった。市議会議員になっても、(役所で夜遅くまで仕事をするのは最近になってからだが)、家では夜中に原稿を書いたり、調べ物をすることが多い。8時以降は、読書と仕事をすることが多い。局長が「早く帰ってください。体に障りますよ」と心配してくれるのだが、もともと24時間仕事をしているようなのが、市議会議員だしね。

職員さんには申し訳ないなあと思うので、帰ったらどうですかというのだが、これが終わったら帰りますなどと言ってくれるので、どうしてもお付き合い願う。いや、切りのよいところまでと欲がでて、遅くなってしまう。でも、9時ごろまで仕事をすることなんて、普通の企業でもあるんじゃないかなんて思うのだが、もちろん毎日じゃ大変だけけれど。夫は忙しいときは、ほとんど毎日12時ごろなんてこともあるし・・・そうか、役所は民間じゃないからねえ。

でも、お付き合いしていただいている職員さんには感謝だし、いろいろな個性の職員さんに接しているのが楽しい。仕事の中身もそうだが、誠実で真面目で裏がない(ように見えるのかもしれないが)職員さんたちと、真剣に事務事業のことを話す機会が少ないだけに、この時間は充実していて、勉強になる。私も11年もこの仕事をしていると、職員さんたちとも渡り合って討論できるようになっているしね。
21日(日)  今日は朝礼拝に行った。その後、古本屋に行き、昨日見た映画の原作を見つけ出して飼って読み始めた。ゴールデンスランバー。驚くことにほとんど原作に忠実に映画が作ってあって驚いた。。忙しいとき、するべきことが山積みされていたときに限って余計な本を読むんだよね。

夕方サピオでトレーニング。夕食後、また、本を読んでしまった。読み終わって満足。明日からはがんばろう。
20日(土)  朝から、HPの更新をしたり、家事をしたり、オリンピックを見たりしている。HPの更新はなかなか時間が掛かっている。毎日更新すべきだわよね。 

夜、夫が珍しく映画を見たいと言い出した。息子は「お父さんが行きたいなんていうのはそうないんだから、お母さん一緒に行ってあげてよ」というので、ゴールデンスランバーという映画を見に行った。堺雅人が主演のサスペンス映画。実は、人の殺し合いのある映画を私は苦手で、というか嫌いで行きたくなかったのだが、見たら面白かった。変な映画なのだが、オズワルドのように日本の首相暗殺の犯人にされそうになるのだが、不思議と逃げ切ってしまう話である。

逃げ切ったからなんとなく救いを感じて楽しかったということなんだと言うことだ。映画って娯楽だなあとつくづく思う。毎日夜中まで仕事をしていたから、煮詰まってしまっていて、今日もHPのほかに持ってきた書類を見ようかなあと思うのだが、とても頭の中が飽和状態で、真剣に物が考えられる状態でない。夫に連れ出してもらって返ってよかったのかもしれないと思った。
 19日(金)  今日も役所へ。福祉部のヒアリングが午前中にあった。分からないことは後で電話をすることにしたが、勉強がついていかなかった。途中、オリンピックを見ていたが、日本人選手の失敗で最後まで見切れなくて、サピオへトレーニングに出かけた。終わって帰ってきたが、1時間もしないうちに新宿へ。

フェミニスト議員連盟の世話人会。アファーの64号も終わったので、少しほっとしているのだが、その後の記事をどうしようかとすでに頭が痛い。後1号で私が編集長をするのも任期切れ。まあ、がんばったかなと自分をほめています。とにかく、多すぎるほどの字の数。分かっちゃいるけれど、どうしてもきるに切れない原稿。それにしても、何とかなったなあ。

世話人会の後には夕ご飯を食べに出かけた。結局、11時過ぎの特急で帰ってきたが、夫が迎えに来てくれることになっていたので安心してビールを1敗飲んだ。
18日(木)  今日は朝から役所へ。議案、予算をべんきょうした。午後は財政課長と予算の歳入にかんして勉強会。夕食のために作ってきた弁当を食べて夜遅くまで。やっと、歳入が終わった。この時点で歳出に関しての大体が理解できた。だって、市民税はほとんど人件費に消えていくのだから、国や県のお金で事業をしているようなものなんだ。たとえ、自前のお金(市の担費という)で行う事業の少ないことにイラつくなあ。終わってしゃべりこんだこともあり、帰ったのは夜中の11時を過ぎた。
17日(水)   午前中に久しぶりでのんびりしたのち、役所へ。議案の勉強をしていたら教育委員会がヒアリングに来た。なんだかなあ。学校のことはよく分からないみたいなことを言われると、私は本当に頭にくる。カアーっとする。議場では言いたいことをはっきりいえないから先に言っておくが、だからといって新しい施策やら新しい指示になったりはなかなかしないから、がっかりするのだ。教育委員会は主導的に動かないから本当に腹が立つ。だから暖簾に腕押しで言うのも嫌になるんだが、それでも言わなければそれも何にもならないということになるし。

午後は、教育委員会がヒヤリングに来た。その後、夕食代わりのパンを食べながら、議案を9時ごろまで読んだ。予算は補助金がなくなったり、新たな負担金が来たりと新しいことが多い。
16日(火)   午前中に、通告書をだした。まず、自分の部屋でコンピューターに向かい、通告書を書いた。時間ぎりぎりに出した。内容は、思いつくままだ。後で見返せばああも、こうもとおもうが、それは事実を元に第2、第3質問にしよう。

午後は、議案書と予算書を調べ始めた。一気に議会が近くになってしまった。一般質問のヒアリングも入り始めた。夕食を作る時間すら、だんだんなくなってしまい、娘にシチューを作ってもらったり、息子は自分でマーボー豆腐を作ったりしている。夜遅くに議会の帰りにヤオコーによってお惣菜を買ったりするが、あまりに遅くて何もなかったりする。私自身、野菜を食べることが少なくなってしまい、太り始めている。昼食にしても、お蕎麦ばっかり。いけないなあ。
15日(月)  今日は朝議会で全員協議会。午前中に終わった。その後、市民部が来た。全協で議案が配られたので、議案を見始めた。いつものことながら、議会前にはあらかじめ議案書を読んで内容を把握しておく。

途中でお友達がきて、歓談した。年をとると心配後とも出てくる。しかし、彼女らはお金もあるし、体もまだ丈夫だし、悩みも尽きないという感じでなくて、よかった。

その後も議案書を読みながら、通告書の内容を考えた。環境部がきて話をしたが、あまり実のある一般質問にはなりそうもなくて、話をするだけして一般質問の通告からはずすことにした。5時までに通告をしようと思うのだが、結局まとまらない。

帰ってきて、またもぼうっと考えこんでいたが、頭が回りきれずにどうしようもなくて、自分の中から沸いてくるものだけにすがろうと決心した。結局、明日、議会事務局で心に浮かぶものを書面に書こうと思う。

いつも、いつもこのころ、通告のことで議会事務局をうろうろし、悩んでいるのをみて、 事務局長は「早くから考えていなさいよ」などと良いアドバイスをしてくれるのだが、考えているのはずっと前からで、だからそれに沿ったであろう資料も取り寄せてはいるのだが、やればやるほど自分の分からないところが分かるというか、足りないんじゃないかと自信がなくなってしまう。結論に関しても、今行政ができることはこの辺だろうかと考えてはみるが、いやもっとあの事業に絡めれば新しい事業展開もできるんじゃないかなどと、行政が分かるだけに悩むのさ。新潟県人は口下手で、その上、もう少し私が頭がよくて賢かったら良いんだけれど、まあ、これだけは今になって直しようもない。
14日(日)  今日は子供の受験なので弁当を作ってやってから、礼拝に出かけた。午後、博物館で食事をした後に、国際交流会による「狭山の歴史」のある予定だったから参加しようとした。私のほかに何人か待っていたが、部屋もあかない。不思議だと思って調べてもらったら、日を変えてもう終わってしまっていた。がっかりした。それで、その足でサピオに行き、トレーニング。

夕方、ヤオコーによって帰ってきた。頭の中はまだ出していない通告書のこと。ご飯を作っていても、お風呂の入っていても通告のことが頭から離れない。はっと気がつくと、想定問答をしている。そして、これでいいのかなあと、心で思ったり、言いたいことをどう言おうか、いいたいことはこれなのかと自分に問いかけていたりする。

こんな時、本当に私には議会というか仕事しかないんだなあと思う。家庭がしっかりしていて、子供の受験を除いてはあまり心配することが少ないことも幸いなんだろうけれど、議会が近づくとそれだけで一杯一杯だ。趣味は持てないなあと思う。仕事が趣味だなんてとても言えないけれど、他のことが心に入ってこない。
13日(土)   今日は9時半から飯能プリンスホテルで聖望学園高校の謝恩会の下見に出かけた。友達がDVDを作ってくれて、それの試写会をかねて出かけたわけだ。私たちは試写を見ながら胸をいっぱいにした。プロが取った写真だから、子供の姿が生き生きしている。笑いがはじけるような楽しそうな修学旅行や運動会の写真。部活の姿。うちの場合はこの子が末っ子だから、高校生を持つのも最後だ。感慨がひとしおである。寂しくて、それでいて嬉しい。この複雑な母親の心。

11時過ぎに急いで、石心会狭山クリニックへ。この前から心配していた瑠の診察を受けた。結果は、癌ではないとのこと。心配は要らないという。ほっとした。大きくなったら、とらなければならないけれど今は心配ないという。検査の必要すらないという。この何ヶ月か密かに心配していた。早く病院に行って診断してもらえばよかったと思うが、心配だと病院にいくのが怖くなってしまったのだ。

それにしても遺書をきちんと書き直しておかなければ成らないと思う。私は散骨を望んでいるが、それは大変難しいことのようである。いのちの樹教会の墓地に入るつもりもあるが、今は会員であっても他の教会に行っているから、なんだか気が引ける。でも、子供たちのためにはここがいいのかなあ。それとも、直江津の父母がなくなった後のお墓に入れてもらうか。私が直江津の墓にでも入らなければ、いつしか直江津からも縁が切れてしまうだろうと思うと、直江津の墓に入れてもらうのもいいのかなあとも考える。かえって面倒かな。

もう一度飯能に戻って謝恩会に使うお花をみんなで作っているところに合流。こういうのが大好き。少女趣味かもしれない。今どき、幼稚園のPTAでもこんな作業をしないよねと言いながら紙で花束を作った。嬉しい時間である。

夜、佐賀がばいばあちゃんという本をシリーズで4冊読んでしまった。軽く読めても、寝たのは2時過ぎ。おばかさんだよなあ。
12日(金)   今日は何をしたんだろう。午後からは役所に行って、通告のために役所であの部署に行ったり、この部署に行ったりしていた。5時前までに考えをまとめようと必死だったけれど、自分のすべきことが何だろうと、心の中が定まらなかった。

とにかく、貧困についてはする。子供・青少年の貧困と全体像を考える。読書もする。あと、3問目を悩んでいる。何をどういう切り口で質問しようか。予算関係だったら、施政方針演説の質問で言いわけで、何も一般質問をする必要もない・・・でも、聞きたいし。ごみ処理費用や、焼却炉の費用などや、リサイクル率の向上なども取り上げたい。それにしても、どうしよう。

かえってきて夕食後、トレーニングへ。汗を流せば気持ちがいい。それにしてもサピオをいつも人でいっぱいである。どうしてこんなに人気があるのだろうと思うが、やはりサービスがよいことが一番だろうと思う。このごろは、結局体育館に行かず、サピオに行ってしまうのだ。サピオはトレーング場は狭いけれど、ロッカールームはきれいで暖房が聞いていて着替える時に寒くないし、それにいつも清潔だ。気持ちよく、気分よく過ごすことができるのが嬉しい。
11日(木)  今日は息子が大学受験。いつものとおりにおにぎりを作って持たせ、夫が、駅まで送っていった。なんだか落ち着かないのは私だけでなく、夫もそうらしく珍しく古新聞を片付けたり、蛍光灯を買ってきて取り替えたりしている。私は報告書の続きを書いているけれど、どうしても集中できず、またまたくだらない本に目を向けたり、している。

午後にアファーの第1稿が届き、読み始めている。私は絶対校正者には成れない。活字になるとどれも正しいような気がするのだ。それでも、少しづつ赤ペンを入れた。自分の原稿をも読み返した。自分が編集長をしていると、どうしても自分で書く記事が多くなりがちである。今回は原稿を多すぎるといわれていたので、どうなるかと思ったが、さすがプロが紙面を作ってくれるので、上品に出来上がった。とてもうれしい。後、もう一歩で出来上がる。

夜、夕食後に夫とともに入間の湯へ行った。岩盤ぶろに入る時、夫にすねにできていた脂肪瑠について相談した。3,4ヶ月ほど前に気がついて密かに心配していたのだった。で、夫に話したら少し心が軽くなった。最近は癌年齢で何か違うことができるたびに、癌かなあなんて心配してしまう。脂肪瑠かどうか分からないから医者に行こうとは思うのだが、なんだか心配で病院にいけずにいた。で、夫に話して、明日にでも病院に行くことにした。
10日(水)  今日は朝のんびりのはずであったが、報告書を書き始めた。もちろん終わらない。なんだか体がなまって、夕方サピオに出かけた。夕日が落ちて、音楽を聴きながらぼんやりトレーニングをした。

買い物をして、帰ってきた。今晩も夕食がおそくなってしまった。のんびりするつもりなのだが、一般質問の通告が始まっているから、頭の中でずうっと一般質問のことをあれこれ考えてしまい、考えがまとまらないから、気持ちだけが焦っていて、何をしていても楽しむことなんかできない。いつものとおり、こんな時はくだらない本を読んでいる。
 9日(火) 今日は朝またメタボ対策のための「はなまる講座」に行った。私は食べたものもきちんと書かず、やったのは体重を量ることのみ。昨日は少し減ったが、なんだかもとの木阿弥っ他感じ。先週は忙しくてトレーニングにもいけなかったし、サピオは夜はお休みだったし。お昼ごはんをみんなで作って食べたが、ボリュームあるおいしいホイル焼きでそれでいて458キロカロリーと低カロリー。こっぺパン1個のカロリー数と同じで、ごはんやおひたし、具沢山の味噌汁も飲めた。いつもこのぐらいのお料理をしていればいいが、お昼からこんなに力を入れて料理できないなあと思った。

でも、真摯に今の食事を反省し、もっともっとお野菜を食べるようにと思い、夕食の時にはまたも水炊きを作り食べた。もちろん、お肉は止めて鰺の塩焼き。3ヶ月で3キロほどやせるのが目標だけれど、がんばってみようと思う。間食が問題で、これが止められたらやせられるかもしれない。

なんだかどうしても疲労感が残っていて、買い物をして帰ってきたら、4時ごろ。とうとう横になった。昨夜だって、寝たのは1時半ごろ。おきたのは7時。睡眠不足だ。報告書を書かなければならないと思っているが、もう気力が残っていない。

6時過ぎから食事の支度。8時ごろ食事。今日はいつもよりもとても遅い食事。家にいるときはたいてい6時半には夕食なのだ。夜はまたもHPの更新。ともかく、HPの更新には時間が掛かる。 
 8日(月) 今日も朝から視察。入間市の野田中、東町中の学校図書館を視察。

野田中は20年たった中学校。本も使わないせいなのかもしれないがとてもきれい。司書さんもいず、ボランティアもいないけれど、よく整理されていた。印象に残ったのは、入間市は全市で学校図書はバーゴード管理であるということだった。それに、この学校の準備室にコンピューターが配備されていて、検索ができるということ。いまや、資料は本とHPを使うのは常識であり、 両方完備しているのは立派だ。入間市は朝読書をしている割には学級図書があまりない。なぜだろう。

それにしても、学校の中に校長先生の趣味であろうが、お花がたくさん飾ってあり、かつ、絵が廊下に掛かっており、美しく優しい感じのする学校だった。心がこもっているんだろうか。少女趣味の私はこういうのが大好きである。

東町中学校の校長先生は知っている方で、奥様もよく知っているし、懐かしかった。その上、中央中学校で同僚だった先生もいて、とてもうれしかった。図書館は普通。学級図書ははっきり言って貧弱。今年変わったばかりの校長先生だそうで、自分の個性を出せるのはきっと来年度以降なのかな。

午後、役所で食事をした後に事務局へ。富士見市への視察をお願いしたが、これからの視察はとても事務局(相手の市)が忙しいらしくてできなかった。残念だが、いつか行くことにしよう。

さて、事務局で聞いたが、この前の議員研修会でのお昼ごはんは事務局総出でコロッケをつくり、揚げたそうで、写真を見せてもらった。割烹着をしていたのは女性職員だけであったが、男性陣もがんばって作ってくれたらしい。「それはよかったな」と思った。女性職員だけでがんばったとしたら、私は嫌だった。料理は女の専門、食べるのは男性なんてのは、私はおかしいと思うからだ。職場が男女平等であるならば、男も女同じ仕事をするのさ。ところで、作ってもらって言うのもなんだが、(事務局の職員が作ったとなれば率直に言ってもいいかなあ)サトイモのコロッケは粘りがありすぎで、あまりおいしいとは思わなかったが、あれは作り方の問題だったの?やはり、サトイモは素材としてコロッケにあわないのかしら?ひとつは歯ごたえがあってホクホクしていたけれど・・・・

夕食後、入間の湯に行った。腰が痛いのでお湯につかったら楽になるかなあと思ったのだ。確かに暖めたら少しよくなった。
 7日(日)  午前中は礼拝。午後早く帰ってきた。はっきり言って疲れた。この1週間視察だ研修だと忙しくすごした。ゆっくりしたくなった。もちろん、帰ってきてからは家事。週末はお手伝いさんが来ないから、洗濯も買い物も皿洗いもあるし。

HPの更新もした。ひさしぶりだったから、更新に時間が掛かった。コンピューターの前に座りっぱなしで腰が痛くて仕方がなくなった。

夕方、ご飯を作る元気が出ないで、夫と娘と外食。近くにできた和食やへ。定食屋ではなく洒落た店。このごろ野菜が足りないなあと思うが外食を続けていると結局そうならざるを得ない。

7時半からの映画「のだめカンタービレ」を見に娘と夫と出かけた。2回目である。同じ映画を2回も見に行くなんてはじめてである。前回よりも画面が暗い感じがした。家のテレビとは違い、音がよかった。玉木浩の指揮が美しいなあ。
 6日(土)  今日はまた、婦選会館で研修会。五十嵐法政大学教授と小川有美立教大学法学部教授による「公共事業見直しの行方」、「福祉・教育社会のデモクラシー。 北欧に学ぶ」を午前中と午後に分けて聞いた。

五十嵐先生は民主党が与党になってから少し感じが変わった。批判だけしていればよいと思えなくなったんだろうかね。問題は地方と首都圏の格差に集約されてしまった。高速道路無料化で進む首都圏へのストローで吸引されるように物と金と人の一方通行が始まるというのである。道路はでき、新幹線ははしり、飛行機は飛んで、かえって人がいなくなったというのはどうしたことだというのだ。しかし、アンビバレントなのはリニアモーターカー。自分にとっては不必要だが、技術の革新は必要だろうと。

子供手当ての5兆円近くの支出をどう思うかと先生は心配していた。財源を増税に振り返られるのかって言うことである。へんなことに「コンクリートからソフトへ」って言っていた先生が、建設では人を雇えるけれど子供手当てでは人は雇えないなんていうこと。ある業種だけに消費が固定されるのではなくて、衣類、塾、食費、ありとあらゆる分野への子供手当ての支出があるだろうから、私はよい政策だと思うのだが。財源について言えば、私は民営化したとはいえ道路会社を解散させてそのお金を使ってもよいと考えている。

小川先生はあまりにもイケ面な若い学者で(セクハラっていわないで、ほめているんですから)、その上、もちろんきちんと体系的に講義をなさっていて分かりやすかった。結論はというと女性が働きやすくすると子供は増えますよという事かなあ。地域間格差について聞いたが、普遍的で地域の偏りのない公共サービスで仕事を作っていくことが必要だということだったように思う。そうかな。

帰ってきたが、8時ごろ。またまた、遅い夕食になった。これじゃ、メタボは直らない。は〜〜。
5日(金)   今日は、朝11時に代々木の婦選会館で市川房枝記念会女性と政治センターの企画運営委員会があり、その後、1時から研修会。福島元我孫子市長の講演を聴いた。歯切れがよく分かりやすいのだが、さて狭山に当てはめるとどうなるかと思うと、ここでもため息。福島さんのような市長が狭山市に出現したらいいのになあ。改革に次ぐ改革に狭山職員はついていけるかなあ。この講演は狭山市でも聞くべき講演だと思う。次の議員研修に呼んでほしいし、職員にもしっかり聞いて、今後の市制の行く末がどんなであるか知っておくべきだと思う。きっと、福島さんの言うような方向に行くのだろうからね。

夜、帰ってきて役所で福島さんの名刺のコピーを局長のところにおいてきた。実現できるといいけれどね。

ご飯を8時過ぎに食べて、また「のだめ」。続いています。のだめブーム。
4日(木)   今日は朝から川越市の霞ヶ関北町学校、古谷小学校、午後からは所沢市松井小学校をしさつした。もちろん、学校図書館が目的。比較的新しい霞ヶ関北町学校のオープン図書館。司書が常駐している。それにこの学校は複合施設で中に市立図書館もあり、いいなあ。新しくきれいな本。整理もされていてディスプレイもOK.市立図書館なんか10万冊も開架しているんだから、文句ありません。だから、充足率70%の学校図書館だってそれで十分というわけだ。だって、市立図書館にいけるんだから。

古谷小学校は統合した後の図書館を見てきた。古谷東小学校を廃校にしたそうだが、そのうちの1千冊ほどを持ってきて、後は他のかっごうにリサイクルしたそうだ。他の学校は廃棄した本を学級文庫などで使っているらしい。狭山市の狭山台北小学校の図書館の本はもう紐でくくってあるということだが、その後まさかまさか全部捨ててしまうなんてことはあるまい。どうするんだろう。

松井小学校はすばらしいなんてもんじゃない学校図書館である。市立の地域図書館と兼用というが、子供図書しかなくて、大人は入れない。できるのは玄関付近での本の予約と予約した本の受け渡しと返ししかできないそうである。小さな子供をつれた大人は入れるそうだが、そんなに人は入っていなかった。結局立派な学校図書館を作るために付加価値を乗せ他だけだろう。さもなければ、9時から4時半まで常時図書館に3人も人がついていられる学校図書館なんて始めてみたわけで・・・・

松井小学校では「放課後松井」という事業があって、放課後、4時半まで子供を預かるシステムがあった。あらかじめ登録していて、遅くまで学校にいたい時は受付してもらい、親が迎えに来るのだそうだ。アリーナ、図書館がかいほうされていたので、私が見た3時半ごろは低学年の子供が図書館で宿題したりしていた。そういう意味ではよく使われている図書館である。

最新式の近隣の学校図書館を見たが、少なくとも川越にしても所沢にしても司書(資格のない人もいたが)のような人が配置されていた。それが大切だなあ。

帰ってきたら、もう5時を過ぎていた。疲れたなあ。夜「のだめ」。トレーニングがないので、夜に何とはなしに時間があり、のだめのDVD4巻を見た。それに、このまえHDDに「のだめ」の海外版もとっておいたので、見るものに事欠かない。
 3日(水) 今日久しぶりに朝は開いていた。事務仕事がたまりにたまっている。支払いもあるし、手紙もあけて見なければと思う。片付けもしていないから、少しは何とかしなければとも思う。それでも、お手伝いさんに家事を任せて、私は仕事。

明日からまた、3日続けて出かけるから、買い物にだって行かなければならない。 暇なはずの1日。ゆっくりできるはずの1日。楽しみにして待っていた1日。けれど、結局雑事に追われて、何もしないで終わった気がする。こんな日はむなしいなあ。

夜は「のだめ」をみた。夫によると「のだめ」の作者は日高市に住んでいるそうだ。へ〜〜。息子によると作者の家は豪邸だそうだ。まあ、あれほど売れている本をかいているんだから、お金持ちに違いないよね。漫画を買ってしまったが、漫画はDVDと同じ内容なのだが、音が入っていないからつまらない。だって、曲名だけだと音楽が鳴らない。たとえ知っている音楽にしてもね。聞けばああそうだと思うんだけれど。

最近はクラッシックが私のブームで、千秋を見ているとカラヤンを思い出す。それで持っているカラヤンのCDを聞いていた。モーツアルトのレクイエムをきいていたら、フォーレのレクイエムが聴きたくなってアマゾンで買い、ベートーベンの荘厳ミサはブックオフで買った。カラヤンのモーツアルトの交響曲も買ったが、音が悪すぎた。確かにフォーレのレクイエムは落ち着く。天使が舞い降りるみたいだ。
 2日(火)  今日は朝起きたら真っ白。雪がきれいだったが、車を運転するのが怖かった。特に広瀬橋。8時45分までに「はなまる講座」を受講するために保健センターに行った。のろのろ運転だから間に合わないかもしれないと思ったのだが、大丈夫だった。よかった。これはメタボ解消講座のひとつ。栄養などのことを勉強し、自分のことを反省したりしたわけだが、昨夜私はご飯も食べず、ワインとおつまみで夕食を済ませたのを思い出して恥ずかしかった。カロリーはワインでとるって言うのはいかがなものかねえ。

ストレッチなどもして、帰りは1時過ぎていた。おなかがすきすぎたが2時ごろから昼食。これじゃ、メタボになるわけだ。

午後、仕事をしていたら娘から電話が掛かり、自転車がなくなったとのこと。仕事場に鍵をかけずにおいていたのを盗まれたようだ。娘が帰ってきたので、交番に行ったが人がいないので拉致があかず、夜夕食後、狭山警察に被害届に行った。6年も前に買った自転車だけれど、見つかることを願っている。

夜は夫が借りてきてくれた「のだめカンタービレ」のDVDを見た。かわいいなあ、のだめちゃんと俺様千秋。はじめはあんなにひどかった指揮のシーンがどんどん上手になっていくのが分かった。指揮なんて振ったことのない俳優が指揮を振るシーンを執るなんてどんな思いなんだろうと思う。それも大勢観客のいるところでミスもできないだろうに。大変だなあ。俳優も。

最近はしっかり「のだめ」にはまってしまい、一家で見ている。家は不思議な家族で、あれほどクラッシック音楽が出てくるにもかかわらず、私が見ていても誰も文句を言うわけでなく、一緒に楽しんでいる。まあ、いつも私や夫はクラッシックを聞いているから、違和感のないのは分かるけれど、息子たちもつまらないとは言わず、一緒にみている。そんな時、家族がひとつになれてうれしい。
 1日(月)  今日は朝9時から堀兼の農業改良センターで議員研修会。狭山市の農業について従事者の方々からの発表と、市議会議員からの質問。とてもよい企画で副議長はじめ事務局も調整連絡にがんばったという。議会も総体として、広く市民に公聴の機会を持つべきだと思う。こういう企画は議会としても年に2回ほど行ってほしいと思う。特に、市民(公務員ではなく)のお話を議員がそろって聞くことに意義があると思う。

しかし、ひとつ付け加えたい。発表者に一人の女性もいなくて、女性が活躍したのは私たち議員などが食べたお昼ご飯を作る場面だったのは、なぜだろう。狭山市では女性農業者が一人もいないわけではないだろう。家族契約についてのことを女性に立場から話を聞けるとわくわくしていたのに、そんな場面は用意されていなかった。狭山市では女性はご飯を作っているだけなんだろうか。わたしは、昼食が終わって帰ってくるときに女性にありがとうと言ったが、とても恥ずかしい思いがした。とても違和感を感じた。女なのに、まるで私は違う世界にいるかのように思えた。狭山の男には普通のシーンでも、私たち女にとって、自分が食べる人になったのは、まるで私が女性から切り離されてしまったような感じ。よく言えないが、こんな役割分担はもう止めましょう。

議会事務局からは女性陣がお昼つくり要員に借り出されていた。男性職員はお昼ご飯を作らなかったんだろうかね。市民の方にご飯を用意していただくのだから、議会事務局からも誰か手助けに出すべきだということだったんだろうけれど、なぜ女性だけ?私に見えないところで男性が割烹着きてがんばっていたのかなあ。「いいじゃないか、そんなこと」という人のほうが多いかもしれないが、いまだに「私食べる人(男)、私作る人(女)」が定着しているのが、狭山市の実態だと思うし、女はぶつぶつ言いながらもことを荒立たせないようにそれに従っている振りをする。心の中では本当に葛藤があるに決まっているのに。

午後帰ってきてから、役所の中で話をした。それでも早めに帰ってきた。今朝上げ方まで本を読んでいて、2時間しか寝ていないので昼寝。今はサピオの点検期間で、夜トレーニングにいけないから残念である。夜9時過ぎにおきて、今日もワインをいただいた。
31日(日)   今日は久しぶりに教会で礼拝を守った。

午後、池袋の立教大学で「子供の貧困フォーラム」に出席。悲しいねえ。書き出すととまらないので書かない。狭山であることは全国にあることだと認識した。他に比べ多少就学援助率はよいかもしれないが、広島の25%というのがたかすぎるのかも。でも、狭山市だって地域に寄れば15%超の学校もあるわけだから、そんなに違わないか。東大生が生活が苦しくて、アルバイトばかりしていると言っていて悲しくなった。優秀な学生に勉強の時間がない。そういえば教科書も高すぎる。4,5千円の教科書を買わなければならなくて、それができずにその講義を取れないというのはいかがなものだろう。学者にはそんな学生がいることすら想像外なんだろうな。自分の本を読ませたいものねえ。

夜、友達夫婦と都庁の45階で食事。夫も狭山から出てきた。娘さんが早稲田大学の政治経済を卒業するのでお祝いをした。弁護士の秘書になるという。市議会議員にならない?ってきいたけれど、ならないそうだ。残念。
30日(土)   今日は珍しくオフ。こんな時は、家事がたまっている。洗濯は10キロ2回だ。干すのが時間がかかる。月末はお手伝いさんがいないからである。

午後、サピオへ。今週は忙しすぎてトレーニングの暇もなく、疲れ果ててしまって何もできなかった。帰りに買い物によって、カルフールでお買い物。「ちょっとだけよ」のつもりがいつものように山盛り。夜は、ワインを楽しくいただきました。夫がのだめカンタービレのDVDを借りてきてくれた。見た。
29日(金)   今日は山王小、入間野小、入間野中、入間中、御狩場小を視察した。前に視察した時に比べれば、どの学校もよくなっていた。特前回図書館が黴くさかった入間中の進歩には驚いた。ディスプレイもよかったし、さすがに昭和40年代の社会の本はなかった。百科事典も古すぎて使い物にならないものは廃棄されていた。台帳に関しては、紛失したものがある学校があり、復旧をどうするのかと暗澹とした思いだ。管理に問題があるから、本が傷んでいても買い替えもしないで本屋の勧めで新しいものだけに目をうばわれてしまう。新刊ものでなくても、子供がよく読む本は傷みがちだから、入れ替えすべきなのに。特に絵本の痛みはひどいものが多い。

新しい購入本に関しての扱いもぞんざいな学校もある。きちんと生徒の分かるように展示してほしい。簡単な内容説明もほしいところだ。そのための工夫をする人もいないし、それをリードする司書教諭の存在感が希薄だ。時間がなくて手が回っていないのかもしれない。廃棄をし始めた学校もある。この際、廃棄する本の扱いが問題だと思う。中央図書館のようにリサイクルできないものか。古すぎて誰も手にしないだろうか。

図書の管理を入間川中ではバーコードで行い始めた。PTAがソフトを買ったそうだ。その利用には大人のボランティアが必要だそうだ。貸し借りがよく分かってよいシステムなのに、機械やソフトの管理が問題だ。いったいどこから学校図書の問題に手をつければよいのかとため息が出てしまう。

そもそも学校図書館に誰もいない状況なのが問題なのだろう。せめて週の半分でも専門家がいて、図書館をきちんと管理すればもっともっと使い勝手よくて魅力に富んだ図書館になっていくのだろうに。ボランティアでは、どうにもならない場合が多すぎる。やりようといえ、学校の意向に従うのがボランティアなのだから。イニシティブは取れない。

それと子供の貧困について校長先生に伺ったが、貧富の差が開いているのが本当に悲しく思えた。着る物に如実にでてきたという。ぼろでもきちんと洗ってあればいいけれど。家庭がどうなってしまったんだろう。親がしゃかりきに働いて食べていくだけで精一杯な家庭が出てきている。学校の教師がきちんとそういう現実をわきまえてほしい。教員になる人は一応大学まで行っていてお金の不自由を感じることなく過ごしてきた人が多い。お金がとどこうった時にすぐに親が払えるのにとか、自動車を持っているのに、などと言って冷ややかに見下すことのないことを望む。親を馬鹿にすることは子供の人格を否定するようなものであることを知っていてほしい。子供はそれでなくても、肩身が狭く、悲しい思いをしているのだから。さもなければ、心のそこで社会に怒りを感じているだろうから。

5時ごろ、財政課の課長と懇談。なんだか頭を抱えてしまうなあ。他に比べればよいというけれど、30億近く基金繰り入れがあるのかと暗澹たるおもい。こんなこといつまでもしていられない。基金も底を突く。いったいどうすればいいのだ。何が、問題なのだ。どこをへらされるのだ。我孫子のように補助金のたな卸しを市民にしてもらうべきか。
28日(木)  今日は、9時半から狭山台北小学校の視察と思っていったら、予定にないと校長からけんもほろろ。視察の最終案を議会事務局が教育委員会からスケジュールをもらい、議会事務局を通じて確認をしていたのにもかかわらず、「何できたんですか」といわんばかりの学校の扱いに唖然呆然。 はあ〜〜という感じで近くの狭山台図書館で待機。その後、狭山台中、奥富小学校を視察。奥富小学校では食事をした後に図書館を視察。その後、隣の子育て施設を視察。奥富公民館で少ししゃべって帰ってきたが、あっという間に夕方になった。

狭山台中学校では制服が市内一高い理由をきいたが、納得がいかない。子供の貧困はあちこちで指導法や考えの修正を必要としているのだが、学校はいつまでたってもバブルの時と変わっていない。現実を真摯に受け入れ、変わっていくべきだ。なぜ、ジャージに学年別の色にしなければならないのか。管理上の意味はあるのかもしれないが、そのために使い回しがきかない。教員のためにジャージの色を学年ごとに変えるなんてナンセンスだ。ジャージやハーフパンツが男女で同じになっているのは、家計の面で評価する。右翼の人間は女はブルマーで男はランニングパンツにしろというかもしれないが、兄弟で使い回しができるのは悪いことではない。ジャージは共用でもいいけれど、ハーフパンツは違うなんて時代錯誤なことを言う人がいるだろうね。男女混合名簿はおかしいという人がいまだかっているようにね。

学校図書館に関して言えば、とにかく狭山市内の小学校の図書は古い本が多いし、ディスプレイがわるすぎ。要するに人の手間をかけていないことが明らかだ。それに、学級文庫の取り組みも学校として取り組んでいる感じがしない。担任任せに思えてならない。朝の読書の時間は確かにあるが・・・
27日(水)  今日からは学校視察。 富士見小学校、中央中、入間川中、笹井小、柏原中学校を1日かけて視察した。まずは学校図書館を全部見た。それから学級図書を見た。

富士見小学校のディスプレイと整理はたいしたものだと思った。初めて見たものが基準になるが、やはり基準が高いことに越したことはないと思った。台帳はよく見ることはなかったのがちょっと気に掛かった。校長先生が知っていた方だったので、学校の隅々までみせていただいたのだが、私が行くことが分かっていたからかもしてないが、掃除は行き届いていたし、学級での授業はしっとりしていて、落ち着いていて子供も勉強に集中していて感心した。これはお世辞でもなんでもない。

中央中は今年たな卸しをして存在する本をすべてコンピューターに入れたという。すごい作業をやり遂げたものだと関心。残念ながらその結果、ない本が400冊以上だという。開校以来きっと初めてのたな卸しだっただろう。私も20年前にこの学校で図書主任をしたのだがとても大変でできなかった。がんばったなあと感心した。中央中の当間校長先生も昔一緒に働いたことのある方で今年退職だ。熱心な方だから、どこかで教育に携わっていてほしい。

ところで制服のリサイクルについて聞いた。クリーニング代を出せばリサイクルがもっと進むといっていた。バザーでもしてそんなお金が出るといいなあ。とにかく子供の貧困は私が2年前に議会にかけてからもっと進んだ。制服とジャージで女子が8万円もし、男子が6万円以上もするなんて、異常に高すぎる。その上、給食費や教材費などがいる。1ヶ月に子供が3人もいれば、2,3万円はかかる。その上、修学旅行だなんていえば、もっと大変だ。親が教育費にお金が掛かりすぎるというのは子供を塾にやるお金が掛かるというのではない。義務教育なのに、学校に支払うお金が掛かりすぎるということなのだ。

「親は自分の身を削っても教育費にかけるべきだ」という人がいる。しかし、食べないではいられない。子供に食べさせないではいられない。そんな経済状態のときには、教材費の支払いが後になってしまうのは仕方がないのかもしれないと思ってしまう。年収400万円でも、税金や年金を引けば手取りは20万円そこそこだろう。家族4人でも、家賃、食費、高熱水費、電話代などをあわせれば、ぎりぎりの暮らしにしかなるまい。はっきり言って、うちでは食費や雑費(ほとんど外食なんかしないで家で食べている)で10万円は掛かる。高熱水費はなんと5万円は掛かる。電話も6本の支払いをしている。家のローンもある。とても20万円ではまかなえない。二人で働いているからこそ、子供の学費がでているのだ。生きているのが精一杯という家庭がどんどん増えてきている。

入間川中学校に行ったら、私立高校に進学させられないので県立しか受けないという生徒が増えているという。柏原中学校でも受験制度が変わった中で、経済状態が悪いので県立一本の生徒が多くなって心配だという声を聞いた。定時制は倍率が5,6倍にはねあがり、高校に行けない子供が出てしまう。

笹井小学校では卒業アルバムを買えなかった生徒がいたという話を聞いた。先生方はそんな状況に胸を痛めていた。お金がないから卒業アルバムを持てないというのは悲しすぎる。制服にしても、日ごろ付き合いがよくて貰える人はいい。でも、付き合いもなく、親戚もいないで、金がないんじゃあ、買いたくても買えない。「うそ〜〜」と思っていたが、貯金のない家庭が20%もあるということを耳にしたことがあった。本当なんだろうなあと思う。ある時、「現金がないので図書券を買って」といわれたことがあった。500円のお金もないのかと冗談のように思ったが、実際500円のお金すらない家があるのだ。それが現実だ。

3000円の教材費が払えなくて親が2000円持ってきて、「これしか払えないんです」と小さくなっていたという話も今回聞いた。千円が払えないのだ。払いたくともお金がそれ以上ない。有り金全部を教材費にはらっても足りない家庭がある。校長先生がそういう話をしているのを聞いて、どんなに心を痛めているだろうと私も胸がいっぱいになった。現場の先生は大変だ。

悲しくなってしまう。状況は刻々と悪くなっていく。早く子供手当てが支給されないかなあと思う。教材費の話。なぜなぜ、個人負担が多いのだろう。学校の備品の貸し出しにすればいい。ピアニカ、笛。習字のセットだ、柔道着だ。何で何で、お金が掛かることばかりするんだろう。お金がないから、義務教育を受けるのもいやになって、ドロップアウトするなんて悪夢がそこまで来ている。不登校の子供の実態にすでにそんな原因があるのではないかと心を痛い。
 26日(火) 今日は朝家事。月末はお手伝いさんが来ないからたいへんなのである。とにかく洗濯が・・・。食器あらいも半端じゃない数。

午後からは図書館指導員さんたちと会うために第2環境センターへ出かけた。話を30分ほど聞く予定だったけれど、結局は延長。だって、彼女たちも不満はあるし、私は実情を聞きたいし、時間があればもっともっと聞けたのに、ざんねんでした。

午後は役所に行き、明日からの視察のことやらを確認し、帰宅。夜はサピオ。 

現在メール
があった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野、広島

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。
バックナンバーへ