3月 |
私の独り事 |
31日(水) |
今日も議会レポート書きに忙しかった。それでも、家事もあり、まとまって仕事をしたと言う感じがない。
夜は新宿区役所でフェミ議の世話人会をした。ご飯を食べずに戻ってきたが、結局、家に着いたのは11時を過ぎていた。 |
30日(火) |
今日は、午前中からは、報告書の資料をコピーしたり、会計もまとめたりしていた。夕方、書類を持って役所に行った。
夕食後、議会レポートの作成に取り掛かり、夜中には1P4Pを作り上げ、校正を頼んでいる方のところにメールした。このごろは、本当に簡単になって、いまどき郵送などすることもない。 |
29日(月) |
今日は、息子がお兄ちゃんの車で信州へ旅立つので、午前中は準備に励んだ。。自分の仕事をしながらも、あれこれ持っていくものを用意した。むこうで買えるのは分かっているけれど、薬箱を作ってみたり、もって行く布団のカバーを新品にしてみたり、こまごますることがあった。この前、服は先にアパートにおいてきたが、コタツも要るかななどとこの10年間使いもしなかったコタツやコタツがけを持たせた。信州は寒いからね。冬はコタツだけでは足りないんだろうと思う。冷蔵庫は物を凍らせないための温蔵庫なんだと息子に説明したのだが、理解できないだろうね。そういえば、座布団もいるなと1枚。あっという間に、車いっぱいの荷物になってしまった。
夕方、息子はこの前買ったスーツの直しが出来たので、それを持って出発した。夕食はなんだか気が抜けてしまった。あの、図体の大きな2人がいないと家の中が空のような気がする。 |
28日(日) |
今日は朝体調が悪くて、ベッドで本を読んでいた。礼拝はお休み。午後、おきて新聞を読んだり、HPのアップをしたりした。ホームページも貯めるとアップが大変である。
これから、息子の送別会をするために、レストランに行く予定である。本当は、家族写真を撮りたかったが、出来なかったなあ。普通のカメラで撮ることにしよう。 |
27日(土) |
今日も朝から資料を探したり、原稿を書いたりした。2つ書きあげた。そうしたら、夕方。夕食後、サピオに出かけた。夫と娘は映画に行ったし、息子はデート、それにもう一人はお別れパーティーをするとかで出払っていた。こんな風に一人ボッチになっていくのかねえ。
夜、つたや二よって帰ってきたら、11時近かった。ワインを野い始めたら、止められなくて夫と二人で1本あけた。私は弱いから、息子がいなくなる寂しさがどっと出て、涙が止まらなくなった。泣き上戸もあるなあ。本当に悪い酒。寂しさを忙しさでまぎらしている。時々、何で信州大学を受験させたんだろうと思ってしまう。近くの国立大学にして、落ちたら東京都内の私立大学にしておけばよかったかなあと思ったりする。経済的には同じだし。
でも、18歳で独り立ちをするように育ててきたんだから、仕方ないか。お兄ちゃんは、17歳にアメリカにやったんだしね。寂しいのは私だけで、子どもは嬉々として巣立ちを待ちわびている。こんなもんさ、人生は。私だって、そうだったように思うものね。 |
26日(金) |
今日は、なんだか疲れてしまった。昨日の運転の疲れである。でも、することがたくさんあって、目が回る。報告書を書いているが、まずは資料探し。どこに何があるのか皆目忘れてしまって困る。
午後も報告書を書いていた。月末だから家事もある。なんだか、あたふたしているうちに毎日が過ぎてしまう。
民主党について。枝野、前原、仙石、野田って馬鹿じゃない?自分が閣僚だって意識があるの?閣内のことを外でべらべら喋り、「私たち聞いてないよ」なんていまさらおかしい。何のために、担当大臣がいるのさ。郵政民営化に賛成した小泉路線に戻りたいわけ?郵貯をアメリカに売り渡したいわけ?田舎の郵便局をつぶして構わないわけ?せっかくのネットワークをつぶしてなんになるの。オリックスってほとんどが外国資本の会社だよ。それに資産を掻っ攫われそうになったんだよ。本と、許せない。
アメリカ人と結婚している。家の夫はとても優しく誠実である。だからと言って、すべてのアメリカ人が夫のようであると言うのではない。夫はアメリカ人のうちでかなり特殊だろう。
アメリカ人の金持ちはとても嫌らしい。エコノミック ヒットマンという本を読んでごらん。どんな風に外国からアメリカが金を巻き上げているかが分かるから。それに、2月9日の衆議院予算委員会での小泉さんの質問で小泉政権がいかに売国的なことをしたのかが、明らかにされている。アメリカは金のあるところや、金になるところから骨の髄までしゃぶりつくすんだから。私はCIAの陰謀なんて信じなかったけれど、エコノミック ヒットマンを知ってからは、事実なんだなあと暗澹たる思いになった。小泉純一郎と竹中がどのくらい儲けたかを知りたいものだ。
田中真紀子さんは、アメリカのアーミテージという守銭奴が軍事費を引き出しに来たので会わなかったのに、勿怪の幸いと会い、ライス国務長官の会社から石油を何十億と買ってやった。もしかして、小泉にはとてつもないバックマージンがはいっていると想像できる。あの男は本当に嫌だなあ。真紀子さんがさっさと首になったのは、アメリカの抵抗勢力で、彼女自身が清潔な人間性を持っているからだったと思う。(日本国や日本人のためを思っていたと言うこと。性格はきついだろうけれど、お父さん譲りのところがあるんだと思う。)
そうそう、この前の生方なんて問題外。マスコミがあまりにも変に騒いでいて、最後には笑っちゃった。自分の言うことを聞かない上司、または話も出来ない上司の悪口を、面と向かっていえないからマスコミにでて喋るってまるで子ども。こんなのが代議士じゃねえ。自分の党を貶めるようなことを外に向かって話すって何?自由に話すことが出来ないですって。話せばいいさ、もちろん、離党や役職を辞するつもりでね。当たり前でしょう、組織の一員なんだから。 |
25日(木) |
今日は、朝またまた息子と一緒に郵便局に。息子用の口座をつくり、郵便でお金を使えるようにする。とにかく、手続きを息子にさせて、私は再開発の竣工式へ。
胸がいっぱいになった。出来てよかったと思う。市民に使い勝手のよいものとなってほしいと願う。いろいろなお店やクリニックが入るそうだ。それにしても、白すぎると思う。どこかに緑色とか茶色とかを入れてもいいと思うのだが、あれではすぐに汚く見えるようになるだろう。それに、通路の屋根も中途半端だ。ずっと言ってきたがしょうがないなあ。いまさらエスカレーターの屋根の話が持ち上がっている。前から言っていたことだろうに。
胸がいっぱいになったのには、これが出来るまでにさまざまなことがあったせいである。村尾さんに初めてお会いして、協議会の話を聞き、亡くなる前にお会いした。出来るのを楽しみにしていたが、とにかく工事が始まるのだけを見ていただいた。中島さんとこれからが大変だと言う話も聞いた。本当に、此処が繁盛してほしいと思う。
午後、息子を連れて松本へ。アパートを決めに行った。途中で雪が降ってきて、心細かった。テールランプしか見えないのだから。夫の車でスタッドレスをはいていてよかったと思った。松本に着き、不動産やの言うとおりに決めた。まあ、安いから心地よい物件と言うわけには行かなかった。けれど、1年で彼は長野に行くのだから、まあいいか。
夜、浅間温泉でお湯につかり、昔からの豆腐料理を食べ、帰ってきた。眠くなって困った。談合坂によったが、トラックばかりで止めるところが無くて、結局一気に狭山まで。3時間は掛かるなあ。 |
24日(水) |
今日は朝、水富小学校の卒業式。卒業生を見ていて息子をおもいだした。なぜならば、6年生の先生が息子の先生だったからである。6年前、彼はこの学校を卒業した。そして、今年大学に行こうとしている。挨拶は「最後まであきらめてはいけない」ということを述べた。昨日、息子のことを言おうと原稿にしたが、息子が嫌がるので入れなかった。しかし、清水先生を見ていたら息子の事を言いたくなった。6校全部大学受験に失敗し、心がくじけてしまいそうなのを奮い起こして7校目に挑戦した話だ。本当に辛い2ヶ月だった。心は折れそうになったと思う。プライドはずたずたになっただろう。それでも、最後まであきらめなかった。本人は合格して、大学生になれると喜んでいる。まるで、あの辛かったときを忘れたように。でも、親の私は忘れられない。祈ったもの。
卒業式後、学校図書館を視察して帰ってきた。この学校は21年度に最高金額の本が購入される。きちんと図書館を整備してほしい。低学年用の図書館はいつ行っても雑然としている。それに本が傷んでいる。もう、どうにかしなければ。校長先生は数学のひとだしなあ。しっかりしてほしい。
午後、食事をしてから、またまた、大学進学準備。なんて忙しいのだろう。夕方、人事のこともあり、役所へ。移動が多かったが、あまりにも順当な人事。そんな感じだ。とにかく、議会事務局長の移動は無かった。 |
23日(火) |
今日はまたまた、大学進学準備に時間が掛かった。とにかくお金を用意し無ければならない。毎月5千円づつ積み立てしてきたお金を全部おろした。その上、私と夫の定期預金を取り崩した。そして、28万何がしの入学金を納入。今後の授業料は夫の預金から引き落とされることになる。これが半期26万円ほど。もしかして、1年分52,3万円一度に惹かれるのかなあ。は~~。
その上、生協加入金(これを入れないと食堂に入れない)、2種類の保険料(生協と学校から2種類を買った)、その上、コンピューターが必要とのことでこれも買う。あれやこれやで、結局60万円が消えて行った。これからは、アパートも決めなければならないから、またまたお金がいるのだ。どうしよう。
こんな時、息子は予防接種もしなければならない。麻疹や風疹だろうと思うけれど、いろんな準備がある。着る物はアメリカでたくさん買ってきたけれど、お皿など雑貨がたくさんいる。バスタオル、タオル、布巾・・・家にあるもので、必要と思うものを用意している。コタツも持たせる。ベッドも解体して持たせる。万年床なんかになったら、畳の部屋だから畳を腐らせることになると思う。
あれこれ用意をしているとあっという間に夜になった。
明日の卒業式の挨拶を夜中に考えた。 |
22日(月) |
今日は、朝からHPの更新に掛かった。それと、大学進学のために書類を書いたりした。1日があっという間に過ぎた。なんてことだろう。 |
21日(日) |
今日は、朝礼拝。いつも大変用意をしてくださるメッセージである。ボーっと聞いていてはいけないなあ。隣に座っている方はメモを取っているが、私は「そうそう」などとうなずきながらお話を伺っている。
午後は食事をサピオ、パステルで食べて、それからトレーングへ。何しろ、肩はこっているし、首を回すのも辛かったからマッサージに行こうかとも思ったけれど、トレーングへ行ってよかった。汗をかいて、体のコリが全部取れた。楽になった。
夕方、息子の合格通知が届き、本当に合格したことを実感した。それからは、どんな書類を書くのか等、入学の準備の事ばかりをしていた。下宿も調べたりした。なんだかとてもあせってしまう。
夜、夕食事に、ワインを飲んでようやくリラックスして寝る。 |
20日(土) |
今日は洗濯やらを午前中にして、1時半ごろ飯能市へ出発。2時からの聖望学園アメリカンフットボール部3年生を送る会に出た。まあ、2時から始まり、2次会があり、その後コーヒーを飲んで帰ってきたのは夜中の12時だった。
食事がのどを通らない感じだった。と言うのは、息子の大学の合格発表が4時からあったせいである。1次会が終わろうとする4時ごろ、息子が「ごうかくした~~」と叫んだ。みんな拍手喝采してくれた。印象的な合格発表。今までひとつも受かっていなかったから、どうなることかと心配したのだったが、ようやく第一志望に受かった。第一志望がすべて受験の最終日にあると言うのは、本当に心臓に悪い。お祈りをし続けた。神様、ありがとうございました。
国立理系と高校に入ってから言い続けたが、あまりにも成績が悪いので、合格は無理じゃないかと心配していたのだ。それでも、最後まであきらめるなと本人にも親も言い続けた。あきらめるのは簡単だ。緊張して受験する気持ちを持ち続けるのは、本当に大変なことだった。センター試験の結果が悪くて、数学を終わってから泣いていた姿が忘れられない。それでは、どこの大学も無理なのかと、息子にはいえなかったが密かに落胆していた。 とにかく、あの勉強態度と成績で大学が受かっただけでもすごいとしかいえない。ほめるべきなのだろうが、複雑な気持ちだ。あんな勉強で合格するのか。は~~~。1月まで8時間近く睡眠をとっていたし、よくこれで受かったものだ。
精神的につかれ切ったせいか、合格と聞いても緊張が解けなかった。家に帰って、少し飲んだ。それでも、リラックスできない。 |
19日(金) |
今日は午前中にスーツケースを片付けた。洗濯も半端じゃないし、忙しく家事をこなした。 その後、アマゾンから買った本が届いていたので目を通しているとあっという間に3時になった。竹中が暴力団を使い、ほめ殺しの右翼団体を止めた、それで、首相になれたと言う話。黒幕が佐川急便の会長だったという。何しろ私は田中角栄さんが大好きな人だから、いけないかもしれないけれど、少し溜飲が降りた。
役所に行って、議長に帰国の挨拶をした。原稿もなおして、役所を一回りして退職をなさるかたがたと一言挨拶をしたら、なんと7時を回ってしまった。買い物をして帰ってきたら、8時ごろ。これから食事を作って夕食。 |
18日(木) |
夕方、4時過ぎに帰国。車をパーキングから出して、5時過ぎに出発した。途中、交通渋滞がひどいと言うので、東京周りで帰ってきたが、そっちの方がもっとひどい渋滞で、帰宅したのが8時半過ぎだった。
子供たちはお土産を待っていたから、すべてを見せて、すぐにお風呂に入って寝る。つかれきったけれど、飛行機の中で眠られたので、アメリカに行くときよりもまだ体が楽な感じがする。 |
17日(水) |
今日は、11時過ぎに空港にお母さんとジェニーに送ってもらった。少しデルタのラウンジでワインを飲んで、少しゆっくりしたらすぐに出発になった。最近は検査が厳しくなったので、出発ロビーに出るまでに時間が掛かった。
飛行機の中はとにかくワインが聞いていて、ぐっすり眠られた。その上、帰りはベジタリアン料理にしたので、食べられるものがあり、それもうれしかった。くだらない映画も一本見てた。 |
16日(火) |
今日は朝本当に遅く起きた。何しろ、私たち夫婦は日本時間を積極的に変える意思がないので、夜中に働いたりしているから、朝が遅くなってしまう。今日だって寝たのは4時過ぎだし・・・
午後はお昼をナンシーおばさんと一緒に食事をすることにしていたから、少しおしゃれをして出かけた。何しろおしゃれって言ったってアメリカ風だから、少し良いジーンズとセーターに着替えただけだ。レストランは典型的なアメリカのレストラン。バーみたいなものでもある。黒と白のチェックのビニールテーブルクロスが掛かっていた。食べ物は大きなサンドウィッチなど。私はツナサンドを頼んだ。デザートも大きなキャロットケーキや、甘すぎるチーズケーキ。私は夫と分け合ってベリーパイを頼んだ。おいしいかとか、繊細な味を期待するほうが間違いなのである。
お昼の時間を追えて、私たちはサウスゲートというショッピングモールに出かけた。最後の買い物と言うわけである。夫によいポロシャツを買い、またまたジェレマイアのために買い物をした。これでジェレマイアが進学したとしても着るものに苦労することはないだろう。本を買おうと思ったが、買いたい本の名前を忘れてしまい、買えなかった。残念。オバマの外交政策とアメリカ経済の予測などの本を探したがなかなかこれと言う本に恵まれなかった。それに、誰がきちんと評論をしているかも判断が出来ない。
夜、ジムの友達のデービットが来て、夜中まで話をした。マツダをレイオフされて、今は仕事をしていない。来週からまた、契約社員として仕事をするそうである。なんだか、おじいさんになってしまい(文字通り、娘に子供が出来ていたからおじいさんなのであるが)、自分たちもそれと同じくふけたんだなあと実感した。
夜中、荷物を作った。その後、夫が荷造りしているので、私はテレビで「赤ひげ」を見た。黒澤明は外国でも有名だね。下に英語の翻訳がついたのをはじめてみたが、変な感じ。でも、「赤ひげ」は優しいので好きだ。 |
15日(月) |
今日は、朝起きたら12時ごろだった。何しろ、眠れない。夫も夜中に起きて、コンピューターで仕事をしている。夜中は日本が起きている時間だから結局夜中に仕事をしている。私もこのところコンピューターを1晩おいただけで、2,30ものメールが入っている状態だ。日本は忙しそうだね。
それで、時間もないがまた買い物へ。今回は少しグレードのいいところに行った。安物だけを買ったからかもしれないが、どれもこれも大変安い。不況のせいでアメリカもデフレなのかなあ。その一方で食料だけはちっとも安くなっていない。たまねぎが一個で130円とは信じられない思いである。
今、日本で小泉政権のした悪が暴露されているが、ブッシュも大変なことをしたんだなあと思う。国民の疲弊、特にデトロイト近辺の疲弊は目を覆う。ワイエンドットの市役所を見学に行ったのだが、 4万5000人いた人口がなんと3万人まで減ったそうである。狭山市の5分の1以下だ。市議会議員が6人。うち一人が女性。市長も選挙で選ばれるという。7百万ドルの年再生プランを今年行うそうで、オバマさんの連邦からの100%補助で古い家を整理し新しい町並みを構築するらしい。この前、テレビでそれをすることを議会で取り上げていた。
議場も見たが、なんと簡素なことよ。まあ、仮庁舎という事だ。こんな質素な庁舎もいいなあと思う。狭山市とは大違い。きっと動かしているお金も違うんだろうな。まあ、アメリカは、連邦、州、カウンティ、市という風になっていて、狭山市は事実上カウンティぐらいの仕事量をしていると思う。
お金に関して言えば、景気の悪いときこそ、公共はお金を回す工夫をしなければならない。オバマ大統領が補助をして、都市再生をさせ、道路を直させているが(あちこちで州の道路が改良されている)、これがなくてはお金が動かないということなんだろうと思う。狭山市も今こそ貯めていたお金を使うときなんだと思う。底をついてはいけないが、財政課に任せて、身の丈身の丈を行っているとと、身自体が縮んでしまい、後は倒れるだけになりかねない。国が補助金を与えてくれているときにそれを利用する気持ちで街づくりをするクレバーさが要求されるだろう。
アメリカにいても日本のこと、狭山市のことが頭から離れない。 |
14日(日) |
今日は午前中礼拝。今日の明け方、夏時間に変わったので、1時間早くなった。要するに7時におきたのだが、それは昨日までの6時という事。昨夜は2時過ぎに寝たので、今日も結局5時間もねたかなあ。礼拝後は、食堂へ行って、ドーナツとコーヒーで他のかたがたと社交。私はとても苦手なので、片隅にある小さなバザーコーナーをみて、小さなバッジを買った。
教会から帰ってきて、またショッピング。昨日買ったジーンズのサイズを変えにいったのだ。今は便利でスカイパーフェクトで電話が出来る。今回はカメラを持ってこなかったので、チャットのようにしたが、私たちが買ったものは少し大きすぎたようなので、変えに言ったわけだ。ついでに他のストアで靴を買い、また他のストアでポロシャツを買った。
あるビッグエンドトールというお店に行ったら、XLが一番小さいという店だった。サイズはXLから6XLまで。うちの子はアメリカのサイズのXLを買う予定だったが、この店はXLT(XLで背が高い人用)が最小だったので、「内の子は此処では小さすぎるわ」といって帰ってきた。 生まれて初めてジェレマイアが小さすぎると言った。ジェレマイアは日本ではいつも大きすぎるのに。(笑)
娘のものもデパートで安売りしていたので、買うことが出来てほっとしている。もう少し、兄ちゃんに頼まれたものを買えばショッピングも終わりかなあ。自分用に少し何かがほしいが、自分のために何かを買う時間なんかあるのかと思う。
今日は、てんぷら(搔き揚げ)と素麺を私が作って、夕ご飯代わり。お魚が食べたいなあと思ったけれど、買わなかったし、まあ、スナック代わりさ。残りがあるから、明日もどうにかしなければならないけれど、おしょうゆもないし、素麺で何が出来るだろう。サラダかな。とにかく箸がないのが困る。てんぷらを油に入れるときに、大きなスプーンを使い、ひっくり返すのに、スパチラーを使って、てんぷらを作るなんて初めてのことである。それに、ガスでなくて電気のバーナーでの料理は火加減が難しかった。
弟夫婦は自分の家に帰って行った。次はいつ会えるかなあ。あまりにもいろんな人が来たり行ったりで、頭の中がこんがらがっている。明日のスケジュールをみんなで確認したが、甥がまたやってくるかもしれない。もう、お母さんは誰がいつ来てもいいわあなどと開き直りだ。食べ物も潤沢にあるし。明日は、私たちが招待してメキシコレストランに行くことにした。明日も忙しいわよ。 |
13日(土) |
今日は朝から家族が集まり始めた。私はとてもやりきれなくて夫にスーパーに連れて行ってもらった。子供の服を買い求めた。大きすぎるほど大きいので安いのをたくさん買い込んだ。息子が高校を卒業したので私服がいるが、彼のサイズを日本で探すのは大変のことである。それで、ポロシャツだ、ジーンズだ、Tシャツだ、長袖だとさまざま買い込んでいるのである。安いのでいいよというので、安い物だけを買っている。それにしても、何枚も買い込むのだからお金がたくさん掛かる。しかたがないか、普通のときは何も買わないんだから、このときばかりと買い込んだ。
そもそも私はショッピングは嫌い。でも、そんなことを言って入られないから、がんばっている。アメリカの親戚は私がショッピングが大好きだと思っているに違いないなあ。息子の服の買出しにアメリカに来たと思っているだろうなあ。でも、仕方がないんだ。ジェレマイアは日本で洋服を買うには大きすぎてどこで買っていいかも分からない。
1時半から食事だというので戻ってきたら、なんと30人が集まっていた。ピザが運び込まれていた。私も2ピース食べたが、おなかがいっぱいになって夕食はいらなかった。それにしても、30人が集まると、子供は騒ぐは、泣くは、それは大変。大人もおしゃべりをして、親戚中の噂話をするやら、親子喧嘩が始まるやら、大変なのか、楽しいのかわけが分からなくなる。これが、大家族に嫁いだということである。ピザだったから食事の準備をしなくてよいのが一番。それにしても、ケーキは出てくる、アイスクリームも出てくる、クッキーは山ほどあるし、30人を食べさせるのを軽々と仕切るお母さんには脱帽です。誰も、おなかがすいたなんて言わないからね。
夜は若い者から帰って、私たち夫婦は最後まで残って弟夫婦を送り出した。私はもう、途中でエネルギーと神経が切れました。とにかくお母さんはすごい。 |
12日(金) |
今日は、朝4時半に寝た。これもアップしたかったし、時差で眠れなかった。とにかく、アメリカ時間に合わせなくてもいいかなという思いもあり、また、私たちだけがこの家にいるので勝手に夜中に仕事をした。
朝というかお昼近く、お母さんに起こされた。昼食後、お父さんが残してくれた孫たちへの遺産の処理に銀行へ行った。あれやこれやでかなり大金。本当にありがたい。ジェレマイアの分は日本円に換えて彼の学資の足しにしたいと考えている。後は、お土産代に使い切る予定である。だって、ジムさんの同僚からはお悔やみをいただいているし、そのためにはお返しも買わなくてはいけない。早速チョコレートを買ったが、それだけでもう3万円はする。
その後、夕食までに1時間ほどあったので、スーパーに買い物に出かけた。安い子供のTシャツを買い込んだ。あっという間に、お金が消えていく。は~~。
夕食は、弟夫婦、姪の家族(5人)、私たち、お母さん、妹2人の11人で食べた。毎日がこんな調子の大家族ディナー。お母さんが疲れ果ててしまわないことを願っている。アメリカの風習はお葬式だとたくさんの家族が集まるので、友達がご馳走を作って持ってきてくれるのだそうだ。それで、冷蔵庫(2つ巨大なのがある)や冷凍庫(一畳ぐらいある巨大な棺おけタイプ)にたくさん入れてあるようである。私は食べないようにして入るが、どうしても食べ過ぎてしまう。それに運動はしていないし。
夕食後、弟夫婦と夫はカードをしていたが、私は子供をあやしたり、テレビをみたり、寝たりした。テレビでワイエンドットの議会が開かれていたのを見た。まあ、狭山市で言えば委員会のようなものだった。それにしても7億円の市街地再開発プランをあんなふうにあっさり決めていいのかと思ってしまう。日本では考えられない。女性議員は1人しかいなくて、この地方の保守性を表しているんじゃないかと思った。 |
11日(木) |
今日は朝からメモリアルサービスがあった。お父さんはもう火葬になっていて、灰になっている。後から教会の庭に撒かれることになるが、その日取りは決まっていない。廊下にすでに逝った人々のプレートがあったが、父もそこに名前が書かれることになるという。お墓も作らない。お母さんも自分の時もそうしたいと言っている。私もそういうのがいいなあ。
150人もの参列者があり、その後のランチインまで多くの人が残ってくれた。初めて会うジムのいとこもいた。おばさんやいとこや、従兄弟の子供たち、めいや甥、その子供たちなど、日ごろ会わない人たちが着てくれて、みんなうれしかった。こんなときじゃなかったら合えない人々だ。
サービスでは牧師が黒人のように楽しくセント マーチインと亡き人を送ろうというメッセージだった。お父さんは誠実な夫で、父で、会社員で教会のメンバーで、、奉仕をしたひとで、キワナのメンバーで、すごくアクティブな生活をした。釣りが好きで、ボートでエリー湖に出かけた。最近は心臓が悪いのでとうとう車の運転すら出来なくなった。去年の12月に最後の心臓発作を起こしてからは、2月の末にようやく退院。
その退院だって余分の治療を断り、もう治療のしようがないので、ホスピスにいくか自宅に戻るようにということだった。この2週間、誰かがそばにいた。本人は食事もしなくなって、3日ぐらいで逝った。呼吸が苦しかったようだから、楽になってよかったって家族は思っているようである。81歳。年に不足はない。それでも、とても大きな喪失感がある。
お母さんは感情的な送り方は嫌だというので、私たちも悲しさを胸に冷静にしている。出来る限り楽しくしている。子供たちがたくさん来ているので、その子供たちの無邪気な振る舞いを見ているだけでもほっとする。慰められている。何しろ、お義父さんは天国へ凱旋したのだから、何も悲しむ必要はないというのがクリスチャンの信仰なのである。クリスチャンの場合は、イエスさまが神様にとりなしをしてくれるから、最後の審判も受けなくても天国にいけることになっている。
信仰なんて、ただただ信じることで本当かどうかは見たことがないので誰もわからない。でも、天国ってそう遠いところじゃないかもしれないなあ。だって、お義父さんをまだまだ感じられるのだ。私たちには見えないけれど、天国ってもしかして此処で死んだ人みんなで私たちを見ているんじゃないかなあ。悲しいんだけれど、みんな泣けないでかえって辛いな。寂しいって思うのは止められないもの。 |
10日(水) |
今日は、朝いつものように起きた。アメリカに行く日。おきたら雪が積もっていて、車で出かけることにしていたけれど、成田まで走れるか心配した。それで、少し早めに出かけることにして9時には出発した。道路は東京に入るまでは順調だったが、三郷を過ぎてから渋滞。のろのろと時間が掛かった。
とにかく、時間通りに出発。2時15分に成田発。12時に15分早くデトロイト・メトロポリタン空港に着いた。弟夫婦が待っていてくれて顔をみてほっとした。みんなかなり冷静であった。
今回は友達の家を私たち夫婦のために空けてくれた。ジムの家族は大家族なので、2人の場所が出来てほっとしている。時差のせいで私たちは夜中中起きているから、人の邪魔にならないのでよかったと思う。 |
9日(火) |
今日は、午前中、委員会審査に参加。午後に失礼して、明日のアメリカ行きの準備をした。何を持っていくべきかよく分からないが、少しクッキーなどを買い込んだ。
夕方からは荷造りをしたが、1週間分だとお土産も含めて、大きなスーツケースいっぱいになってしまった。それで、夜に夫のスーツケースに少しお土産を分けて入れることにした。黒いスーツを入れたりしたので、今回も重い荷物になってしまった。 |
8日(月) |
今日は、委員会審査。始まる前に議長と事務局長に義父が亡くなったことを報告し、18日の欠席届をだした。明日の午前中まで委員会に出席し、その後委員会もお休みすることにする。そして、10日渡米。
委員会は視察から始まった。そして、型どおりの審査。私は一応下調べしておいたことを質問した。委員会は非公式というわけじゃないが、いつもよりもリラックスしている。いろいろな立場はあったとしても、議会の一員としてきちんとチェックを入れる。1期の議員が委員長、副委員長であまり発言しないから、私たち古顔があれこれ言うことになる。それはそれでいいかな。
審査をすることが多いし、いつものとおり建設部の答弁が訂正を訂正するなんてことをしているので、時間がかかり、なんと5時ごろようやく日程を終えた。根をつめるので、疲れる。
帰ってきて、がんばって夕ご飯を作る。野菜料理が食べたくて、あれこれ張り切った。結局食べるのは私とジムではあるが、アメリカに行くとなかなか野菜を取れないのでとにかく野菜。先週まで、ほとんど寝る時間がなかったのが祟ったのか、疲れがぜんぜん取れない。思い起こせば、一般質問で言い残したことがたくさんある。考え始めるとどうしても気がめいるので、出来る限り考えないようにしている。後で、整理しよう。言い残したことは、もう一度議会で言おうと思う。 |
7日(日) |
今日は午前中、礼拝。聖書朗読をしていて、嗚咽がこみ上げた。神様は私たちの分からないことをする。私たちは神様の思いのままである。きっとそれは私達にはよい事に違いないと思うだけだ。
午後、久しぶりにトレーニングへ。体を動かして、汗をかいたが、寂しさは消えない。
夜、お母さんたちとはなしたら、11日にメモリアルサービスをするということなので、切符を取ることにする。10日は切符は取れたが、17日の切符が取れなかった。だから、18日に帰ってくる。実は、18日は議会の最終日なので帰ってきたかったのだが、出来なかった。 |
6日(土) |
今日はジェレマイアの卒業式。彼を学校へ送ったが、これが最後だ。息子に「卒業すればもう、この学校はあなたのものではなくなるんだよ」と言った。それはまさに自分に言う言葉だった。これでもうほとんど学校とは関わることはなくなるだろうなあ。楽しく、一生懸命親の時を過ごした。息子もだが、私もたくさんの友達を作り、親であることを実感した。子供たちのために尽くすことがうれしかった。すばらしい学校の保護者だったと思う。私は校長先生が大好きだったし。卒業しても良い学校でいてほしいと心から思う。変な先生もいたが、子供たちは勉強はともかくとして、多くのことを学んだと思う。
卒業式は滞りなく終わり、謝恩会があり、その後2次会もして帰ってきた。謝恩会もつつがなく、2次会も盛り上がり、大成功だったと思う。校歌を歌い、涙が止まらなかった。お母さんとしての卒業式だった。もう、高校生はいないし、PTA活動も関係なくなる。。親のほうが泣いている人が多かったかもしれない。
夫婦で最後まで出席して帰ってきた。そして、コンピューターのメールに訃報が入っているのを見つけた。朝、私たちが聖望高校へ行ってから連絡が来ていたが、私たちは知らなかった。よかったのかもしれない。もし、このニュースを知っていたら、決して卒業式を楽しめなかっただろう。息子の卒業を喜べなかっただろう。悲しくて、それに負けていただろう。他の人にも気を使わせるところだった。神様は時期を知っているとしか思えない。
これが、先週だったら、通告していた一般質問も出来なかったし、議会の質疑も出来なかった。危篤状態が続いていて、いつ呼ばれるかとハラハラしていたのだ。お義父さんはすべてを見通したように亡くなった。夫婦で渡米することにした。とにかく、危篤と分かっていても行けなかったから、ちっと看病を手伝えなかったから、この際、がんばってお義母さんに会わなければと思う。 |
5日(金) |
今日は私の一般質問の日。第2質問は、かけなかった。仕方がないなあ。もう、出たとこ勝負だと思った。私の一般質問は最終日の最終。さわやかに終わりようがない貧困を取り上げた。市長に最後なんだからあまり陰々滅裂にならないでほしいといわれた。とにかく、狭山市は他市が生活保護者を急増させているにも関わらず、2割減だ。母子家庭に関して言えば、なんと半減。どこか、何かがおかしいとしかいえない。昨日、猪俣さんは窓口扱いがおかしいのではないかと言っていた。
私は生活保護をきちんと説明していないのだと思う。母子家庭で苦しんでいるのにもかかわらず、生保を知らない人が多いと思う。子供のためにもきちんとしてほしい。一部の不届きな人を一般化して、生保を受けている人間は嘘つきで怠け者だという人がいるが、実際は大半の人が生活が困難だからこそ生保を受給している。その点について、狭山市の役人の考えが少し偏り勝ちであると思う。
調べによれば、狭山台地区では生保と準用保護だけで、25%の世帯がある。4人に一人は何らかの補助を受けていることになる。こういう状態であるにもかかわらず、入学時に女子8万2千円の制服・ジャージ代を払わなければならない。狭山市で一番高い。一番生活困難者が多い地区なのにも関わらず、何の配慮もない。生活保護では入学資金は中学で4万5千円、準用保護では2万円ほどしか出ないのである。後のお金は借りなさいというが、誰が生活保護を受けている人間にお金を貸すものか。それに、生活保護者は借金をしてはいけないんだよ。本当に、理不尽な世の中だ。
いちいち、書いていると頭にくる。しかし、今回の一般質問原稿には市の実態を書き入れなかったので、どこかで調べたことすべてを書きこまなければならないだろうと思う。 |
4日(木) |
一般質問2日目。長い長い日に感じた。6人だからである。最近は多くの人が質問をする。今回は17人である。それで、1,2日目に6人ずつすることになっている。ひとり1時間の持ち時間だから、みっちりすれば休憩も入れて5時ごろまでになる。今日は、かなりみっちり。
明日のために、一般質問の第2質問をと思うが、どう考えても時間配分が分からない。言いたいことはたくさんありすぎるけれど、整理がつかない。いくつか、要点だけをまとめた。こんなときには、くだらない本良い本とりどり読めて仕方がない。いつものことだけれど。ただただ、睡眠時間だけが削られていく。 |
3日(水) |
今日は一般質問の1日目。皆さん、とても上手に質問をなさっていた。ポイントを抑えていてすばらしい。それにしても、どうしよう、自分の一般質問。問題は、第2質問からなのに、それがぐちゃぐちゃでまとまっていない。
何も手がつかず、結局は頭の中で資料が踊っている感じ。役人さんにはあれこれ質疑の案を出して、彼らは一生懸命答弁を考えているらしいが、それも全部使えるかも時間しだい。切羽詰っている。 |
2日(火) |
議案質疑2日目。同じように質疑をたくさんした。でも、私は建設環境委員会委員なので、その分野に関しては何もいえない。まあ、これが原則だから、それに則って議会では静かにしていた。環境のところはたくさん言いたい事があったが、後回し。
議会後、すぐにかえってといいたいが、少しヒアリングが入ってその後、帰ってきて、一般質問の原稿を書こうとした。なにしろ、今日までに書き上げなければならないが、資料はたくさんあり、いいたいこともたくさんあり、まとまらない。お風呂にはいってみたり、ネットサーフィンをしてみたりとあれこれして、結局書き上げたのは3時過ぎかなあ。このところ、睡眠時間が3,4時間。たっているとふらふらする。しかし、神経がとがっていて眠るに眠られないのである。 |
1日(月) |
議会の質疑第1日目。議案書でたくさんの突っ込みどころをチェックしていた。出来る限り、たくさんの議員がいろんな視点で質疑をしたほうがいいと思うから、自分の質疑は後回しにするようにしている。それでもたくさんの質疑をしたと思う。昔は私が質疑をすると嫌がったものだったけれど、今では誰も何も言わなくなった。ある面ケーブルテレビが入っているのがよく効いていると思う。
だって、質疑をしすぎるという議員に何も質疑がなかったら議会の意味を市民に問われるんだよと言い返すとそれ以上何も言わなくなる。それに、私が3期目であることも大きいかな。嫌味なお兄さんやおじさんたちが少なくなってしまったということもある。また、私の考えに同調してくれる議員も多くなったということではあろう。
一般質問の原稿を書いていない。 |
28日(日) |
今日は礼拝をお休みした。原稿をなおしたり、議案の歳入までの質問を確認したりしていた。家事をしながらも、本当に心がそぞろ。家の者も当たらぬ神にたたりなしとばかり、私によってこない。身も心も議会でいっぱいいっぱいである。 |
27日(土) |
今日は、家事を午前中にしてから、仕事に取り掛かった。一応原稿を書き上げて役所に送ったが、ちゃちゃとやってしまったので、手直しが必要だが、すぐにしても直しにならないので、少し時間を置かなければならない。明日直すことにする。でも、少しは気分がよくなった。
毎日毎日、夜中すぎどころか朝方まで原稿を書いたりしている。書き始めるまで時間が掛かる。中で何かを発酵するのを待っている感じだ。一気呵成に書くのだが、内容がそれでいいのかといわれるとだめだろうと思うのだが、浮かぶものを書くしかない。もっと、理詰めなものを書きたいとねがうのだが出来ない。最近は、こんなものでしょうと自分を納得させようと思う。他に出来ないし。 |
26日(金) |
今日は、議会の休会日。役所に行かず、ヒアリングしたことをもう一度整理しなおした。議案書のはじめから見直した。けれど、役所から電話がじゃんじゃん入ってきて、結局役所にいるのと同じくなった。とにかく根をつめて仕事をしていすぎて、少し息をしないと整理がつかない。本当に嫌になって、サピオにトレーニングに出かけた。
買い物もしなければ食べる物にも事欠く始末。女性は家族があると逃げられない事が多い。だからいいのか。今回はまた貧困を取り上げるが、資料がたくさんあり、またお粗末なセーフティネットで突っ込むところが多すぎて、どうこれを調理をすべきかと悩んでいる。言いたいことは、ほとんどヒアリングで言ってはあるが、それが実現するかどうかは話が別だ。正式に言うべきことが山ほどある。
結局施政方針に対する質問書を書ききれなかった。 |
25日(木) |
今日は説明の2日目。午後からはヒアリングが入り、ますます忙しくなった。夕方3時過ぎからは施政方針への質問のヒアリング。終わってから、またまたヒアリング。いろんなことを考え、質疑の内容を整えて、話をしっぱなしにしているともう頭の中が飽和状態。疲れきって帰ってきた。
夜は家事が待っている。少なくとも洗濯でもしないことには、生きていられない。どうしても食事の手抜きをしてしまうなあ。 |