私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を、通します。

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4月 私の独り事
30日(金) 今日は、夫も息子も娘も仕事。下の息子はなんと昼過ぎまで寝ていた。夕方、部活を見に行くといって、グランドに行き、お兄ちゃんとラーメンを食べに行くといって、帰ってきたのは9時過ぎで、その後、友達と朝までカラオケをするといって出て行った。「徹夜でカラオケをするなんて」、といったら、「僕らはもう大学生だよ」と言い返された。もう青少年条例に引っかからなくなったんだと子どもの成長に改めて考えてしまった。

私は一日中、またコンピューターの前で仕事。フェミ議の機関紙アファーの編集長としては、記事が集まっているかの確認と、催促。編集も少し入れなければならない。磯が知ったらありゃしない。こちらからメールをしているうちに、又メールが入ったりするから大変。夜中までかかった。
29日(木) 今日は、朝家事。洗濯物もあり、息子が松本から帰ってくるので、布団も干さなければならなかった。そんなこんなをしているうちに昼。

夫と二人で市役所のお茶と緑の祭りに行った。年々寂れてしまっているこのイベント。人も昔に比べたら少なくなった。どうして、狭山市はイベントをうまくできないのだろうか。茶業組合が大変だから、もうしたくないといったらしいし、お花の苗などを売る業界もたった1軒。前は、いろいろなお店が出ていて、何鉢も買ってきたが、今回はお花が3はちときゅうりを3本しか買わなかった。ここで買う苗は良くて、昨年買った苗も今年も花を咲かせている。縮小されているイベントは寂しい。市民の活性化のためにも、ふれあいのためにも、もっと素敵なイベントになりはしないか。

夕方は、買ってきた苗を植えたりしていたら、あっという間に暗くなって、夕ご飯の時間。サピオでトレーニング。息子は夜の11時ごろ帰ってきた。
28日(水) 今日は朝からホームページをアップしていた。長い間コンピューターが壊れていたので、Hpのアップもできなかったが、夫がファイルを古いコンピューターに移してくれたから、アップが可能になった。

夕方近く、役所に行き、コミュニティーバスについて調べてもらうように頼んだ。実は交通防犯課に行き、持っている資料を調べさせてもらおうとしたら、一般質問のためにだったら嫌だというので、さっさと引き上げて、議会事務局に行った。議会事務局の調査係ができないことはないに決まっているけれど、そうすればすべて各市からの資料の取り寄せとなる。それで、執行部の資料を借りようとしたのだ。

最近、「質問するな」とか「一般質問に協力できないとか」いわれるケースがあって、いちいち腹を立てている。確かに一般質問すれば、答弁書を書かなければならないから、執行部としてはしてもらいたくはないだろうよ。それに質問されるということは、駄目だしされるということである。または、提言される。すなわち、他のやり方をしてはどうかといわれるわけで、今のやり方の改善をいわれるということで、現状維持が一番いい人にとっては、一般質問は嫌なものに違いない。

でも、市議会議員としてはそんな執行部のことばかりに斟酌していられない。自分たちの仕事はもっと市政をよくするために、政策提言をするところでもあるからである。しなければ、市議会議員として職務怠慢だからね。だから、事務局があって、議員をサポートする職員が必要なのだ。だって、執行部は議員の仕事なんて邪魔なだけなんだから、立場が違いすぎて大変なわけだ。

夜、6時半から新宿区役所でフェミ議の世話人会。食事をして帰ってきたら、なんと11時を過ぎていて、最終バスに飛び乗った。
27日(火) 今日も、うだうだと一日中すごした。本も読んでいます。実はする仕事があるのに手がつかないんです。自己嫌悪だ。

夜、小沢一郎さんの「起訴適当」というニュースをみて愕然とした。昨日は首相の不起訴が決まり、当たり前だと思っていたのだが・・・まるで感情論。説明しろといったって、悪いことをしていない時は、していませんとしか言いようがない。小沢さんはずっとそういい続けてきた。お金は自分のお金です。それを後援会に貸せました。それが記帳してなかったのは、短期間借りただけだったからでしょ、本当のことを言えば。短期の貸し借りなんていちいち記帳しなくても良いという慣習があり、今まで問題になってもいなかった。それを問題だといって、秘書がしたことをあたかも誰かからもらったんだろうと言いがかりをつけたのが検察。でも、事実がなかったから、起訴できなかった。

それを今度はど素人が法的に問題があるっていうんだけれど、その根拠はまるで感情論の「だって、秘書だけが分かっていたなんて考えられない」というものでしょ。そんなことで、新しい事実のつみあがりもなく、起訴できるわけ?事実も証拠もなくて起訴するなんて、リンチするのと一緒じゃないの?魔女狩りって言う人もいるけれど、何にもしているわけでない人をどうやって裁くのか知りたい。起訴だけでも大きなダメージだよね。推定無罪の原則なんかなくなって、推定有罪だもの。客観的な事実や証拠の積み上げで法律を動かさなければ、感情論だけでは、昔の空気だけで人を裁くようになってしまう。

いまや暴走検察、1930年代の特高警察の再現だとすら言われている特別検察捜査。文科省の冤罪事件、郡山の冤罪、富山の冤罪、鹿児島の冤罪。いやになるほどだ。狭山事件だって冤罪だと思っている。検察が恣意的に犯罪者を作り、犯罪者の貶めていくというのは怖い怖い社会だ。この裏に誰がいるのか分からないけれど、小沢一郎さんに関しては無罪だと思っているから、反小沢、反民主、もしかしたら、CIAなどがいるのかもしれないなあ。

本当に今までの政権はアメリカ傀儡政権だと思うようになった。吉田茂さんが結んだ条約に白州さんがこれで本当に負けたんだといったというが、白州さんは本当に意味で「恥」ということを知っていたんだなあ。今頃になって、しみじみと白州さんのプライドの意味を理解できるようになった。
26日(月) 今日は、すべき事がたくさんあった。家事もそのひとつ。後は事務仕事。いやなので、逃げて本を読んでばかりだ。は~~~。それと、HP。阿修羅という掲示板を最近読んでいるのだが、共感するところがあり、うれしいと思う。それと岩上安見さんのブログやツイッターなどを見ていたり、郷原伸郎さんのツイッターやインタビューを読んだりすると、今のマスコミって何なんだろうと思う。私はテレビのニュースだけは見るようにしていたが、今はもうテレビのニュースですら編集してあり、偏向しているとしか思えない。新聞もしかり。本当に、日本はどうなってしまうのか。

アメリカが戦後日本を守ってくれていたと思い込んでいたが、アメリカ軍が日本に常駐しているのは、何も日本を守るのではなくて、日本の傀儡政権を守り、アメリカの利益を守るためではなかったかと思ってしまう。日本は平和で豊かな国を作っていくことだけが大切なのではないかと思う。今日は「勝海舟を動かした男、大久保一翁」を読破したのだが、草葉の陰で勝やら大久保一翁などが泣いているだろう。

せっかく幕末にアメリカの魔の手から、列強から逃れたのに、第2次世界大戦で結局は日本の傲慢さから中国の制圧なんて事を考え、本気で中国を怒らせ、結局はアメリカの魔手に落ちた。本当に、勝海舟が日清、日露戦争後に言った皮肉どおりになった。戦後もアメリカ軍の進駐(占領)は続いており、日本人はそれを当然のことのように感じている。もう60年以上も外国軍が進駐しているのを、なんとも思わない日本人はおかしい。アメリカが守ってくれるんじゃなくて、アメリカに搾取されているのにちっとも理解していないんだ物ねえ。私は徹底した平和主義者のつもりだし、右翼とは思わないけれど、やはり日本がかわいい。アメリカ人は一人たりとも日本の軍隊をアメリカ国内に常駐なんてさせない。自国が守れるとかという問題ではない。アイデンティティの問題なのだ。

その点、小沢一郎さん、鳩山由紀夫さんの民主党への期待がいや増しになる。沖縄だって、移転なんていうのではなく、アメリカ軍に出て行っていただくだけでよい訳なんだが。
25日(日) 今日は尾崎豊の命日。朝早く尾崎ハウスへ。取り壊しが決まっているという話もあったので、カメラをもって出かけた。この度は、倒れていたという場所にランの花がおいてあって、少し華やかで良かった。この前に来たときは、あまりにも寂れていて悲しかった。近くの中央卸売り市場でイベントもされていて、それも良かった。

早くに行ったのだが、もう人が着ていた。知っている人も着たりして2時間ほど尾崎ハウスにいた。友達と4人でいった。昼食は尾崎が住んでいたマンションの下のファミレスで食べた。尾崎がすわったという場所を見たりしたが、日曜日のせいで人がたくさんいて追悼に浸るという感じでは全くない。

食べていて時間をみたら、もう2時はん。荻窪までライブコンサートに行くことになっていたのに、遅れた。一人と別れて3人でライブコンサートへ。1000円じゃ儲からないだろう。まあ、尾崎の追悼のためにするのだから、儲けようなど誰も思っちゃいないだろうけれど。2次会まで出た。尾崎の「愛のない街」を聞きながら、尾崎が曲をかいた時よりももっとすさんだ日本になっていると思った。尾崎の曲は普遍的なのか、時代を超えて人の心を討つ。本当に尾崎の曲は特別だと思う。

2次会の後、渋谷のクロスタワーへ。尾崎の歌碑がある。尾崎の祈っている手に触れて、皆で尾崎の歌を歌って帰ってきた。渋谷を出たのが、9時過ぎ。今、尾崎が生きていて、こんな日本を見ていたら、どんな曲を作るのだろう。クロスタワーのブリッジの上で、月を見上げたら、尾崎がそこで私たちを見ているような気がした。
24日(土) 今日は午前中、お手伝いさんが来ないことに気がついて、お洗濯やら家事に励んだ。午後からは国際交流協会の総会。右を見ても左を見ても知っている人たちでうれしかった。この総会の中でおやっと思ったことは、外国人にどのように親切にするべきかということに共通理解がないのではないかということであった。お客さんとしてちやほやするのではなく、居住者としての外国人にどのように接するべきか混乱があるようだ。できる限り親切に扱うべきだろうと言うのが私の意見。貧しい日本人もいるのに、なぜ貧しい外国人や困難な外国人を助けなければならないかというが、そこに困っている人がいれば人種を問わず男女を問わず、手を差し伸べるべきだと思う。特に、余裕がある人であるならば。

5時過ぎに中央公民館をでて久しぶりに図書館へ。本当に久しぶりだった。政治関係の本を6冊ほど借りた。読みたい本があってよかった。夜、入間の湯へ。
23日(金) 今日は臨時議会。本当に忙しくて体がどうにかなりそうである。実は今日も市川さんのところの編集会議があったのだが、いけずに終わった。だって、議会が終わったのは6時ごろだったから、新宿まで行っても遅すぎた。

議長が辞職し、手島さんが新議長になった。前議長の中村さんにはお疲れ様としかいいようがない。彼は、議長でいくつかの意見書も通したし、市政55年の行事もこなしたし、ホンダの全国制覇も付き合ったしで、実りのある1年だったのではないか。議会をまるでボクシングのリンクのように思って内部での対立に目を向けている人たちもいて、心身ともにご苦労様であっただろうが、まあ、やりたかった職を全うしたのだから、本人も達成感のある1年だっただろう。なんて、評論家のような事をいって・・・・

新議長に望むことは、議会の対立ばかりに気を回すのではなく、議会がどのような緊張感をもって総体として執行部に対峙していくかを真剣に考える特別委員会「議会基本条例制定準備委員会」を作ってほしいと願う。私たち3期目の議員は地方分権法の施行後に議員になったようなもので、それ以前の議会と執行部の関係を良く知らない。分権がすすんでいるにもかかわらず、私たちの議員の思考はまるで分権以前の思考のものが多い。2元代表民主主義の地方議会においては、与党も野党もありえない。市長(執行部)と議会(総体として)の関係に健全な緊張関係が要求される。

議会において、執行部にきちんと物をいうシステムを作り上げなければならないし、議員が総体としての議会に共通認識を持つべきだろう。来年は選挙の年だ。たとえば、議会が議会としての報告会を持つとしたら、それに対応できる議員の質が要求されるだろう。今までどおりの議会ではすまなくなれば、それに対応できる議員が選ばれなければならない。少なくとも、今後1年間はそのための話し合いを持ってほしいと願う。後で、議長のところに行って、はなすべき事だろうと思う。
22日(木) 今日は朝10時から市川房枝記念会で選挙のためのパンフレットつくりの編集委員会があったのだ。なんと夜7時過ぎまで。まあ、いろいろ出ました。それにしても、私が当選できるのはなぜだろうかと思った。毎回議会後に出す議会レポートを欠かさないのと、このようなHPを継続していることに意味があるのかもしれないと思う。

来年の自分自身の選挙を考えると本当に暗澹とした気持ちになるが、きっと高齢の女性(来年は60歳)の議員も狭山市には必要だろうと思う。若い女性だけでは介護看護のほうに目が届かないもの。

夕食は新宿の歌舞伎町の居酒屋で、編集委員10人で食事だった。今日は、私の58歳の誕生日でお店がなんとお祝いをしてくれた。ちょっと思い出になる誕生日。いつもは家庭でケーキを食べるのに、私のいない誕生日って言うのも初めてだろう。

帰宅はなんと11時を過ぎていて、夫が狭山市駅まで迎えに来てくれた。キッスエンドライドの場所が分かりつらい。なんで、警察はその場所を確保させないのか理解に苦しむなあ。アメリカの場合はきちんと確保して駅前を整備しているのに。(ワシントンDCでは、公務員は原則車での通勤ではなく、公共交通機関を使うようにされていて、叔母や叔父がペンタゴンに勤めていた時には郊外で車をおりてメトロで通勤していた。駅前にパーキングとキッスエンドライドの場所が広く取ってあったのが印象的だった。)
21日(水) 今日は、役所に行くと部長が飛んできた。すなわち、昨日の課長とのやり取りを平謝りに来たわけだ。私は謝らせようとして怒ったわけではない。私にとって、課長の態度は議員の権利を踏みにじるものだと思ったのだ。たとえ、課長がなんと言えども質問しようと思ったことは私はするしね。答弁書ができていようがなんであろうが、私には不都合はない。きちんと答弁するべきなのは、答弁者である部長なのだから。そんな質問はしないほうがいいという理由も私には理解できなかったのが本音だ。なぜ、質問しないほうがいいのか。何が問題なのか。質問されると困る理由は何なのだ。もしかして、答弁原稿を作るのがいやなのであったら、作らなくたって私にはなんら問題はない。休憩を取って、きちんと答弁内容を確認するのは部長の仕事だろうからね。

今後一切ヒアリングをしないのもいいのかもしれない。私は勉強のつもりで多くの職員と付き合い、話をして、気持ちも通じるほうがいいと思っていた。でも、そのせいで、馴れ合いがすすみすぎたのかもしれない。なめられて、低く見過ぎられたかな。私自身はなめられても、低く見られてもそんな人間だと思うから仕方がないのだが、議員としての職務に関して思い違いをされては困ると思う。私は偉くもなく、賢くもない人間だが、議員としてすべき事を真剣に考えていることは事実であり、それがないがしろにされた場合には怒る。それは、職務としてすべき事のひとつだと思う。民主主義を守る責任はしっかりとしなければならないと思っている。
20日(火) 今日は、臨時議会の議案書がとどくはずだったのが、なかなか届かず、事務所の整理を始めたら、役所から連絡が入った。お約束のヒアリング。議案書はまだ役所にあるというので、出かけた。夕方までヒアリング。ここで一度私はテーブルをひっくり返した。

というのは、ヒアリングとは私の勉強という意味だけでなく、私の場合は、ある意味役所の所管へ質問通告のようなものである。議場での議案質疑は議員の特権である。この発言権を得るために、選挙をするようなものなのである。正式な場所で正式に意見や疑義を唱えられる。報告をさせられる。私たち議員は口を閉ざしていることに意味があるのではなく、口を開くことを市民から求められているのだと思う。それを、「こんな質問をしてくれるな」という課長に私がぶち切れてしまったのだ。

私が質問することをあらかじめ言っておけば答弁しやすいだろうと協力している。それだけなのだ。本当は、こんなこと事前審査として、やってはいけないことなのかもしれないのだが、私としては、1から10まで議場で聞くのではなく、市民に必要だと取捨選択をしたのちに質問をしたいと思うから、ヒアリングをするのだ。

それを、あれは言うなこれは言ってほしいなどと言う執行部は議会の意味と言論の自由をどう考えているのか。議員の権利にずぶずぶと手を突っ込み、議員の言論を統制しようとでも言うのか。私は執行部とある意味緊張関係になくては議員の活動が腐敗すると思っている。仲良く執行部の人と付き合いをしているかのように見えてもなのだ。高橋ブラクソンさんは怖いといわれようが、執行部との行き過ぎた馴れ合いに付き合うつもりは一切ない。誰が、私の口をふさげるものか。しゃべるななんていわれたらもっとしゃべりたくなる。お臍が曲がっているといわれようとも構わない。そもそも、しゃべるなという執行部の課長の見識そのものがおかしいとしかいえない。
19日(月) 朝から、会計の処理をし始めている。ああ、私は事務員には向いていないなあと実感した。時間だけが無為に過ぎてしまったが、何のまとまりもつかなかった。
18日(日) すみません。朝、おきてコンピューターを起動させようとしたら、フリーズして動きません。それで、夫に見てもらったら、これはハードディスクがおかしいというので、修理に出すより他に手がありませんでした。

今、このように書いているのは、古いコンピューターにデータを復活させてもらって書いています。長い間、HPの更新がなくてご心配をおかけしました。私は元気ですが、コンピューターが・・・・・修理は(28日現在)できて降りませんが、HPの更新だけは、初めて行きますのでよろしくお願いします。28日までの更新は思い出す限りのことですので、忘れているところも多いのですけれど、がんばってみたいと思います。

今日はあさ、衝撃のコンピューター破壊事件があったが、気を取り直して夫と二人で加須市の徳春高校まで行き、アメリカンフットボールの試合を観戦。強いね、聖望学園は。こんなに安心してみていられるのは、自分の子どもが出ていないのと、強いオフェンスとディフェンスラインのおかげかな。とにかく、前へ前へとランでヤードを稼ぐこと。ディフェンスはオフェンスだという私のセオリーどおり、
サックはするし、潰すし、えらい。気分よく帰ってきた。

途中、看板があり、久喜で選挙をしていることに気がつき、友達の選挙事務所に寄った。事務所に緊張感が少ない感じがした。来年の選挙を思い、胸が痛くなった。本当に真剣に選挙に取り組まなければ、当選できないと思う。

夕方、遅くに帰ってきた。
17日(土)   今日は、朝からHPの更新をしていた。飽きては、テレビをみたり、本を読んだり、インターネットを見たりした。だから、時間がかかってしまった。夕方、夫の電話で「のだめカンタービレ後編」を見る約束をした。今日は初日である。少しわくわくした。

夕食後、夫と2人で映画に行った。初日のせいか、ほぼ満員。初日さいごの上映なのに。人気があるのね。のだめカップをかって、マングースのフィギアをもらいちょっとうれしい。いい年したおばさんが何だと思うが、でも750円の幸せよ。

息子を駅でピックアップしてから帰宅。帰ってきたら、のだめの特集があり、HDDに録画詩たぶんをまた夫と見た。
 16日(金)  今日は朝書類を持って役所へ。政務調査費の会計。たった一人で24万円という額なのに、なかなかそれが難しい。すなわち、私には政務調査費が足りないのである。それをどう会計処理するか。もちろん、自費で払うしかないが、どの分を自費にするかなど、考え込む。実際は24万円どころでなく、3,40万円は掛かっているだろうし、毎月のコピーのリース代、電話料など政務調査費に入れられないものを含めれば、私自身、政治活動や事務所のために200万円近く使っているのだ。

お昼、議会事務局にいると議会運営委員長の栗原さんが議会運営委員会で決まったことの報告にやってきた。この方は、几帳面な方で今までの運営委員長がなさらなかったこと、すなわち議会運営委員会で決まったことの報告をしてくれる。しかし、議論の過程が見れないのが難点だ。

今回の報告は一般質問の時間制限に関してであった。私は自分の持ち時間35分を使い切る。答弁に関しては私は何もいえない。時には60分を目当てにというがその目安をこえ70分ぐらいになることも間々ある。これではいけないので、時間制限を文言とした規約をつくるというのである。今度は60分をマキシマムにカウントダウンしていくのだそうだ。60分は断じて延長しないと言うことなんだろう。私は怒った。その理由は以下のとおり。

1.議会運営委員会で一般質問の仕方の見直しで、このような議論がしていることを無所属の私には知りようがなかった。あったら、自分の所信を述べるチャンスを求めただろう。

これにたいして、運営委員長は会派に属していない人が知らないのは当たり前で、議会委員会で何をしているのかを知りたかったならば、HPに乗っている委員会開催を自分で調べて傍聴に来ればいい。は~~、これはおかしいんじゃないか。議会の進め方は24人の議員のうち、無所属の2人を除く22人で決めていいことなのか。会派にはいっていないから、無所属議員は話し合いからつんぼ桟敷でよいとは、一人ひとりの議員の大切さをないがしろにする誤った考え方である。

HPを見なかったのがいけないと言うが、時には何日も更新していないのだから、見る習慣がつかない。また、私は、1週間に2,3回は議会事務局に顔をだしているのに、議運があることすら誰からも知らされていない。局長は「議運に関しては次長からお話してあるはずです」と言っていたが、1センチにもなるという資料も見たことはないし、議運での3月の話し合いについてはなんら聞いたことすらないのだ。ファックスで送ったと言うのであれば、ファックス原稿を見てみたい。私のほうでは着ていないファックスはとって起きようがないのであるから。

2.60分が妥当かどうかについては、私には短すぎるというのが本音である。他の人はいざ知らず、私はこの一般質問のために、膨大な時間とエネルギーと心と集中と頭脳をかける。本当にこの11年間、一般質問や議案書、狭山市政を考えないでいたためしがない。何を見ても、何をしても狭山市によいことは何か、どうしたらもっとよくなるかだけを考えている。何を食べても、どこで何をしても、寝ても覚めても狭山市のことを考え続けている。家庭が二の次になることも間々ある。そんな私がする一般質問について、評価はたくさんあるだろう。長すぎるというのが、議運の委員長の話なのだ。この前は64分、その次は68分でしたなどと詳しく調べていたようだ。本当は、私は何時間でも話したい。でも、ほぼ60分を念頭に質問を行ってきた。だって、それが不文律と言うのだから。

一般質問を今までだって、長い人もいたし、短い人もいた。その調和の中で議会は進んできた。多少長い人もいるが、短い人もいるからまあバランスが取れていたと思う。私はそれでいいと思う。60分カウントダウンにすれば、結局は今よりも短い一般質問になるだろう。これが効率のよい議会と言うものか?誰が何のために効率よく議会を進めなければならないのか?

議会とは誰のために何の使命をもって進めるべきなのか?2元民主制の中で、地方分権が進められ地方主権が叫ばれている中で議会はどちらを向いて誰のために何をすべきなのか。

議会は市民のほうを向いて、市民の生活向上や福祉の充実のために執行部のする行政にたいして監視し、チェックし、提言して行かなければならない。私はこの前だって新しい議会の方向性を研修に行った。実際のところ、「議会の力を強め、執行部と対等に、市民に納得してもらえる議会活動をするのだ」というのが、新しい分権時代の議会の持ち方である。それなのに、自らの力をそぐような議会の運営を目指してどうするつもりなのだ。

多くの議員の力で少しでも市政をよくしていくには、議員が議場でしっかり発言するようなシステムを作らなければならないのだ。さまざまな理由での発言もあるだろうし、時には自分のスタイルにはないようなこともあって、目をむくこともある。しかし、それすらも議会として抱擁できるものであらねばならない。議会が総体として、オーケストラのようにさまざまな議員を内包しながら、執行部に対峙する。そういう狭山市議会にしなければ、議会の意味がなくなるだろう。それを市民にアピールしなければならない。

2元代表民主制の議会では与党も野党もない。意見の違いがあるだけである。それを明らかにしながら、執行部と議場でやり取りするのが大切なのに、そのやり取りの時間を短くすれば良いというのでは話にならない。どうして、60分ありきで話が進むのだろうか。要するに、議会とは何か、狭山市議会をどうあるべきかについての議論がきちんとされていないから、議会運営だけの話になり、4分の超過がいけないの、8分は長すぎるだのという話に矮小化されていくのだ。情けない。

私たちは、分権前の議会の尻尾を一度は断ち切る思いが必要なのだ。政権が交代したように、議会も新しく脱皮しなければならない。すでに、先進的な議会は自ら市民の中に行き、市民とともに執行部へ対峙できるシステムを作り上げている。そこには主義主張の違いはあっても、議会の役割に関して一致した考え方がある。

議会の役割がどうあるべきか自分なりにずっと勉強してきた。ニセコ町にも伊賀上野市にも行った。数知れない研修にも参加した。私一人が勉強しても、狭山市の議員では、議会改革の議論について来れないのではないかと、今までは思っていた。しかし、少しずつ変わりつつあるのではないかと思って来たこの時に、またぞろ自分の手足を縛るようなルールを作ろうとしている。駄目だなあ、狭山市議会は。金子みすずさんの詩をささげたい。

 私と小鳥と鈴と

   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが、
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のやうに、
   たくさんな唄は知らないよ。

   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。

小鳥や鈴や私が飛んだり、走ったり、鳴いたり、歌ったりしながら、市民による、市民のための、市民の議会を作っていかなければ。それには、忍耐もいるだろうが、広い目でそれを見、それを作る強い意志が必要とされるのだ。

3.市政方針演説に対する質問を無所属議員にさせない。すなわち私にはさせないと言うのは、本当におかしいとしかいえない。理由はすでに書いた。一般質問ですればいいでしょうと言うが、市政方針演説にたいする質問を60分かけてしたら、三月議会では一般質問をするなという事ではないか。私の口を封じて何が楽しいのか。市民にどんな利益になるのか。私の質問は市民にとって無益なことしかしていなかったとでも言うのか。多くの議員がさまざまな観点で議場で執行部とやり取りする時間を出来る限り保障しないでは、狭山市議会は執行部になめられるだけなんですよ。時間や人が決まってしまえば、亀のように、議会の時間が過ぎるのを待っているだけの執行部になりかねない(今だってそういうところが見えていると言うのに。)そんな執行部と、市議会はどのように対峙していくつもりなんですか。は~~~、何べんも同じことだから、これで止める。
15日(木)  今日は午前中、少し片づけをした。なぜならば、午後に議会報告会をする予定だからだった。しかし、誰も来なかった。市政に興味がないのかなあ。それとも、ケーブルテレビで見ちゃっているのかなあ。先日、お手紙を持っていったら、ある支援者はケーブルテレビを見ていると話してくれた。出来る限り、努力して質問していますと言ったら、分かっていますよとのことだった。

友達はみんな働いている。このごろは議会報告会とともにイベントをしなくなった。勉強会をしたこともあったが、なかなか人が集まらなくなった。は~~。なぜだろう。みないそがしいからか、それとも私の議会レポートが浸透しているからかなあ。一人ぼっちで少し寂しく思っている。

狭山市の政治はどこに行ってしまったのだろうか。私たち議員が課題を探し出し、執行部へ提示するしか政治のシーンがなくなったのだろうか。対立する政治課題すら見えない。見えるのは、じわりじわりと襲ってきている貧困だけだ。

政務調査費の会計を済ませた。サピオでトレーニング。
14日(水)   今日は、午前中、お手伝いさんと一緒に片づけをした。とにかく、毎日忙しいので、片付かない。したことは、リビングにあったものを書斎に入れただけだったなあ。でも、久しぶりにリビングが広くなったような感じだ。

午後は、政務調査費の会計をした。すこしエクセルが使えるようになった。ウィンドウズ7でワードの表がうまく使えないから、困ったものである。1枚の書類をつくのに、何時間も掛かった。これも仕方がない。税金を使うと言うことは本当に手間が掛かるものだ。

夜、久しぶりにトレーニングのためサピオへ。稲荷山公園の桜はもう終わるけれど、今年も見れてよかったと思う。もうこれで、サピオへは3年も通っていることになる。今年は枝降ろしをしたらしく、桜が小ぶりに見えた。桜は満開でもよし、散るときの花吹雪も風情がある。そういえば、先週は京都で花見をしたんだっけ。
13日(火)   今日は、お天気が回復したので、お便り配りの続き。もっと、手配りするべきだなあと思った。

午後は、今度はネットニュースと議会レポートをもってグリーンハイツとつつじの団地に手配りに行った。こちらも、久しぶりの人にあったりして、話し込んだ。午後は、児童館の交流スペース、学童保育室、広瀬公民館、広瀬小学校を視察した。児童館は指定管理者にして正解だった。前に比べ、生き生きした感じだった。交流スペースに何組かのお母さんたちが着ていて、やはり此処も作ってよかったとなっとくした。学童は広瀬小の進捗が遅くて、まだまだ移転できていない。公民館はまだ指定管理者のよさを実感しているとはいけないけれど、徐々に効果が出ると期待している。
12日(月)   今日は午前中に幼稚園の入園式。シンプル。でも、かなり落ち着いた子どもたちが40人ほど。2クラスだった。総体とし12人も増えたと言うことで、年長組も2クラス編成である。適正規模の幼稚園である。子どもが少なくなってしまったので、4クラスだったらよしだ。

その後、いつものように2階にある保育園をみせてもらい、所長先生と話し込んでしまった。保育園は福祉施策を実行しているところだと言う言葉に深くうなずいた。ますます大変な家庭の子どもたちが増え、ますます先生方も対応に苦慮している。

午後からは、ネットニュースを配りたかったが、何しろ寒くて外の出る元気が出なかった。ずっと働きっぱなしで、疲れが出たか、横になって本を本でしまった。まあ、出張もあり、根をつめて仕事をしていたから、少し自分に優しくしようとおもった。

夜はのだめをHDDに記憶させていたが、それをまとめてみた。
11日(日)   今日は、午前中礼拝。午後は、封筒を持って郵便局へ。その後、近くにお便りを届けに行った。会えた人もいるし、会えなかった人もいた。会えた人とお話をしたが、久しぶりでうれしかった。

夕方には友達のところに上がりこんで、麦茶を飲みながら世間話をした。なかなか、こういうチャンスもないから、3ヶ月に1ぺんは出来る限り持って行くことにしている。そんな中で、一般質問のネタを見つけ出せたりする。小さな話でも個人の問題としてではなく皆の問題として解決すべき点は多いのである。

夜疲れてしまった。
 10日(土) 今日は一日中、「高橋ブラクソン久美子とすすむ会」の会報を作った。2ページだが、写真も入れたいし、会員には視察のことなど、私の政治生活というか勉強の成果というかを報告している。今回は1ページ目に一般質問の意味と意義、どんな風に一般質問のために努力をしているか書いた。裏面は視察などについて。

まず、議会レポートを折り、印刷した「すすむ会」ネットニュースを折り、封筒にいれた。会員名簿からラベルを作り、貼り付けた。後は、あいさつ文というか事務連絡を書き入れるだけだった。

それでまた、原稿作り。一気呵成にしてしまわないと、会員へのお便りが作れない。集中して作ったが長いので1ページ分まで減らした。最後までがんばり、印刷もしてお頼りを作り上げた。封筒につめ、セロテープで止めたが、手間が掛かる作業である。でも、思ったよりも少なくて、もっともっと会員が増えればいいのにと願っている。
 9日(金) 今日は朝9時からシンポジウム。江原、栗山町議会議長、合図若松市議会議員らのシンポ。12時半までで長かった。

午後は、 昼食後にチェックアウトをした。電車で京都へ。京都についたら、すでに3時ごろになっていた。久しぶりに京都に来たのだから、少し観光をと思ったが行くところが思いつかなかった。クリスチャンの私はあまりお寺さんをまわったり、神社を詣でるつもりはない。だから、京都に行っても何をしていいか分からない。それで、4条河原町にでて南座を覗いたが、見たい歌舞伎は掛かっていなかった。それで仕方がなく、祇園をそぞろ歩いて甘味屋に入った。

本当に自分が議員になって嫌になることは、すべて見るもの聞くもの食べることすら、狭山市にとって何かの益になりはしないかと思うようになったことなのである。甘味屋に行き、コーヒーなんか飲まず、抹茶ぜんざいを食べた。狭山市にはミョウショウという抹茶がある。それを使って何かが出来ないかと思うので、たべたのだ。本当は抹茶ミルクって言うのもおいしそうな飲み物でそれも飲みたかったが、さすがに2杯は無理。

抹茶ぜんざいはおいしかった。京都らしい暖かい抹茶に小豆と白玉が入っているのだが、その配分がいいのか、はじめに口つけたときの抹茶の甘みがおいしくて、小豆もよいものを使っているのは食べれば分かるし、白玉も今厨房でゆでましたと言うことで弾力性もあり滑らかでおいしかった。お茶つくしの甘味屋もいいなあって思った。観光客がいるからこそ、成り立つのかなあ。ちゃちなお土産ではなくて、本格的なものだったけれど、ああいうもので商売が出来ればいいなあ。誰か私にお店を持たせてくれないかなあと思う。

夜、京都駅で漬物やのレストランに入って帰ってきた。これも、京都だからこそ商売になるのかもしれないが、私のような半分ベジタリアンにはうれしいレストランだった。要するにお茶漬けをお漬物で食べると言う定食なのだけれど、この2日間、研修所の揚げ物やらこってりしたものばかりの食事に付き合っていたから、こういうあっさりした食べ物がおいしくいただけた。少し変に感じたのは、お茶漬けのお茶がほうじ茶だったことである。家では煎茶でお茶漬けをするんだけれど。京都は不思議だなあ。

帰宅は11時を過ぎていた。疲れた。
8日(木)   今日は6時におきて、したくをして、夫に駅まで送ってもらった。8時の新幹線で京都へ、湖西線に乗り換えて唐崎に。全国市町村国際文化研修所で研修。午後から一橋大学の辻先生と神野先生の講義を聞いた。

夕食は5時半から。終わってからお風呂に入ってから、HPの更新をしている。時々息子に電話をして声を聞いたりしている。会えないけれど、最近は携帯だから、なんだか息子が身近に感じられる。
7日(水)   今日は朝からネットニュースの続きを書いていたが、コンピューターのモデムが昨夜からおかしくて、修理に電話をすることにした。ケーブルテレビに電話をしたが、たらいまわしにされたが、最後には午後1時過ぎに修理に来てくれることになった。それからが大変。お部屋を片付けることにしたのだ。お手伝いさんに頼んで、書斎にあった息子の品物をすべて2階に運び上げた。

ようやく書斎が書斎らしくなった。また、コンピューターのモデムも変えてもらったのでまたメールもつながりよかった。それで、メールに返信したりしていたら、午後も遅くなってしまった。明日から出張に行くので、少し多めにお惣菜を作った。

8時過ぎにサピオに。帰ってきてから、明日の準備をして、少し本を読んだら、1時半。明日は6時起きなのに・・・
6日(火)   今日は入学式。私のときと同じ市立体育館。でも、もちろん40年前の建物ではなく、新しい施設。3000人もの新入生(院生を含む)。親もたくさん出席したから、満員。入学式は型どおり。あまり来賓もおらず、県知事と松本市長からの祝電が披露されただけ。ただ、礼からはじまり、新入生の誓いの言葉の間は新入生は起立していた。私語もなく、粛々と式が終わった。極めてお上品な式。私はこういう型どおりのものも好きなのである。よい式だったと思う。

息子はガイダンスへ出かけた。

私たち夫婦はアパートに戻り着替えてから、お蕎麦やを探して、大学方面へ。なくて、地元の人に聞いたらお蕎麦やまで車で連れて行ってくれた。そこで食事をして、バスでもどろうとしたら、バスが来ない。腹が立ったので、目の前の市役所に行って、友達の議員に会おうとしたが、彼女は役所に来ていなかったのでメモを置いてきた。

今度はタクシーで大学へ。私が学生のときの先生はもう体感されていたが、事務の方がいたのがうれしかった。その後も大学の中を歩いた。私のころから比べてさまざまな建物が出来ていて、わけが分からない状態。まあ、息子は楽しく過ごすことは出来るのだろうと思う。食堂はきれいだし、生協は昔と違いスーパー並、学生支援センターなどが出来ていて、昔とは違うんだなあ。

私たちは、その後スーパーで買い物をした。息子のために肉を買った。彼は肉は高くて買えないなんていっていたから、卵や野菜も買って冷蔵庫に入れてあげた。息子とはここで別れた。息子は、アメフト部のなべパーティーへ。私たちは浅間温泉へ。

温泉につかってから、またこの前の豆腐料理店で食事をして、松本を出発して帰ってきた。私は車中爆睡。夫に申し訳ないなあと思いはしたが、前の晩に眠らなかったから、どうしても目を開けていられなかった。帰りも2時間半で狭山に戻った。
5日(月)   今日は、一生懸命ネットニュースを作っていた。1面は書き終わり、2面を作り始めたが終わらなかった。

明日は息子の入学式。夕食後、夫と9時過ぎに松本に出発。夜中についた。何を持っていってあげようかといろいろ考えていたが、何も思い出さなかった。とにかく大家さんに挨拶のためにお茶を持って行った。
 4日(日)  今日は午前中礼拝へ。今日はイースター。復活祭である。復活はイエス様がお墓から出てきた日。春分の後の満月の日の後の日曜日に決まっていて、今年は今日であった。礼拝が終わった後におすしでパーティーをした。

その後、おじさんのところへ。89歳のおじは年々、日々記憶にむらが出てきて、すぐに物を忘れてしまう。私の名前は覚えていたが、次に会いに行くときにはどうなっているだろうか。あっという間に4時。

帰ってきて夕食をつくり、8時過ぎサピオへ。
3日(土)   朝、昨日の印刷の残りを印刷したら、10時半。一所懸命、新聞販売所に持っていって、出来れば明日にでも広告とともに入れてもらう。

朝日新聞を4月からお休みすることにした。記事が読売新聞より露骨に小沢たたき、民主党つぶしだ。主筆が変わったと言うのだが、もう読みたくない。読売だって必要もないと思うが、広告もあるしね。読売新聞はすべてが読売新聞の広告だと思えば、または自民党の機関紙だと思っていれば腹も立たないが、朝日新聞は少し革新性があると言う幻想があるからいけない。それで、朝日新聞を取らないといったら、広告を入れないと言うので、私はすべて読売さんに入れてもらうことにした。

きっと今までの読者から苦情が来ると思うが、仕方がないな。ネットニュースでこれからは朝日新聞に折込をしないので、会員になるか読売新聞を取ってくださいといわなければならないかなあ。と言うので、午後からはネットニュースを書こうと思っているのだが、結局しているのはこのHPをアップすることなのである。それと、どうしても、インターネットを覗き込んでしまう。

夜、夫と一緒に映画「シャーロックホームズ」を見てきます。
2日(金)   今日は、レポートの校正が出来てきたので、完成稿を作り上げ、イラストをカット、アンド ペースト。これが時間が掛かるんですよね。午後には、印刷原稿を作り上げた。紙を買いに行き、ついでに文具を買い込んできた。

夕方からは印刷に掛かった。裏表だから時間が掛かる。夜、10時には印刷を止めた。その後、3時近くまで、コンピューターで政治のコラムとインタビューを見ていた。今、私の中では小沢一郎がブームで、平野貞夫さんの書いた「わが友、小沢一郎」を読んだ。それで、平野さんと岩上さんのインタビューを夜中から見てしまったわけで、これが3時間ぐらいあったから、はっと思ったら朝の3時だと言うわけだった。

この方は長い間国会事務局で仕事をされた方で、小沢一郎の父親と懇意であったらしく、小沢一郎を子どものころから知っていて、長い間小沢のサポートをしてきた方である。きっと小沢にしてみれば父親代わりみたいなところがあったのだと思う。田中角栄さんとは違った意味で人生で一番裏切らない人だろう。小沢の不器用な生き方を見ていると切なくなる。そして、私に最近ようやく小沢の考えが分かり始めてきた。

阿修羅という掲示板があり、どういうわけかこの掲示板を見ることが多くなった。同じ意見の人がいるんだなあと思う事が多い。この中では小沢さんの評判がすこぶるよい。まあ、政権交代したの力は、渡辺謙介さんの小沢さんの本を読んだが、平野さんの本は本当に政治のシーンがはっきりしていて、小沢さんの政治の動きが全体の中でどのようであったか分かるし、自民党の劣化が明らかにもなった。私は加藤紘一さんをなんとなく清潔感をもってみていたが、ああ、あなたも自民党の薄汚れた方なんですねと目からうろこだった。政治の裏を知ることが、こんなにむなしい物だとは。そんな中でイツまでも夢を持って改革しようなどという小沢一郎という男は何なんだろう。
 1日(木)  今日は議会レポートを書くのに忙しかった。読んだり直したりとすることがたくさんあった。一歩も外出しないで、コンピューターに向かった。今週には印刷して発行したいからである。

夜、嫌なことを発見した。此処には書けない。途方にくれてしまう。夜中もレポートを書き続けた。
31日(水)   今日も議会レポート書きに忙しかった。それでも、家事もあり、まとまって仕事をしたと言う感じがない。

夜は新宿区役所でフェミ議の世話人会をした。ご飯を食べずに戻ってきたが、結局、家に着いたのは11時を過ぎていた。
30日(火)   今日は、午前中からは、報告書の資料をコピーしたり、会計もまとめたりしていた。夕方、書類を持って役所に行った。

夕食後、議会レポートの作成に取り掛かり、夜中には1P4Pを作り上げ、校正を頼んでいる方のところにメールした。このごろは、本当に簡単になって、いまどき郵送などすることもない。
 29日(月)  今日は、息子がお兄ちゃんの車で信州へ旅立つので、午前中は準備に励んだ。。自分の仕事をしながらも、あれこれ持っていくものを用意した。むこうで買えるのは分かっているけれど、薬箱を作ってみたり、もって行く布団のカバーを新品にしてみたり、こまごますることがあった。この前、服は先にアパートにおいてきたが、コタツも要るかななどとこの10年間使いもしなかったコタツやコタツがけを持たせた。信州は寒いからね。冬はコタツだけでは足りないんだろうと思う。冷蔵庫は物を凍らせないための温蔵庫なんだと息子に説明したのだが、理解できないだろうね。そういえば、座布団もいるなと1枚。あっという間に、車いっぱいの荷物になってしまった。

夕方、息子はこの前買ったスーツの直しが出来たので、それを持って出発した。夕食はなんだか気が抜けてしまった。あの、図体の大きな2人がいないと家の中が空のような気がする。

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