私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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6月 私の独り事
30日(水)  今日は朝家事を終えてから、からネットニュースを作っていた。昨日1面を作っていたから、今日は2面をがんばった。お昼までに作り終えて、友達にファイルを送り、校正をお願いした。昼食後、それをもう一度読み直した。これはネットニュースだから、会員さんに送るのが主目的。いつもはつつじ野団地とグリーンハイツに配るのだが、選挙中の今はそれはできない。

この前、県の選挙管理委員会に電話をしたら、個人の議会レポートなどはいつもの方法で配るのはかまわないそうだが(個人の政治活動は許されるそうだ)、後援会などの政治団体の活動は制限されるのだそうで、ネットニュースは一応後援会ニュースとして作っているから、ビラ配りなどはいけないらしく、郵送などで自分の支援者だけに送ることが出来るそうなのである。本当に分けが分からない法律である。

ネットニュースが出来たので印刷。今日の仕事はここまでと言うことである。出来上がったものをもって、役所へ。知っている役人に配ってあげた。

夜、サピオにトレーニングへ。
29日(火)   今日は、午前中、多少の家事を済ませた後、HPのアップのためにがんばってコンピューターにかじりついています。午後からは、ネットニュースの原稿を作ります。ムシムシ嫌な季節です。
28日(月)   今日は、昨日飲み過ぎたのが聞いて、午前中はごろごろしていた。先週は議会レポート作成で煮詰まった生活だったので、少し緊張が解けた。でも、実は心の中でネットニュース作成が引っかかっていて、今週には会員さんへお便りを出さなければならない。忙しい。

午後は、お金を下ろして、息子の生活費に送った。本当は31日のボーナスの日まで待ちたかったのだが、6月中に運転免許の予約をすると安くなるというので、ボーナスを当てに本日振り込んだわけだ。息子も忙しいそうだが、それでも仕事を始めるよりも学生のほうが時間は自由になるだろうから、運転免許を取らせることにした。

郵便局でお金を送った後、川越に行った。パスポートの受領のため。ついでに丸広へ。友達の娘さんが結婚するのでお祝い品を買いに行ったのだ。可愛い写真たてを買った。あとで又買いに来ようかと思ったが、時間が取れるときに買えばいいと、買ってしまった。

役所へ顔をだして、議会レポートを知っている部長にあげた。いつか会員になってくれればいいな。顔見知りの職員にも上げた。職員だって知っていない情報があるのだから、喜ばれる。

帰ってきたら、もう7時を過ぎていて、大急ぎで夕食の支度。毎日、がんばっています。
27日(日)   今日は、朝礼拝。買い物して、サピオへ。遅い昼食をパステルでしてから、トレーニング。今日は、珍しくエアロバイクを30分、歩きを40分ほど。利用者が多くて、筋トレの機械があいていなかったから、背筋トレをしただけで帰ってきた。ヤオコーによって帰ってきたら、もう7時。ご飯を作るのも気力なく、今日はビールを飲むと決めて、おつまみをヤオコーで買ってきたので、夫と酒盛り。飲みすぎたな。12時前には寝る。

娘は朝起こして教会へやった。夕方顔がすっきりしていたから、良かった。昨日は、一日中ベッドにいて、夕食も食べなかった。水分だけは取らせ、寝させていたが、こんなことを毎日していたら、死んでしまう。きちんとご飯を食べさせて、様子を見た。元気になってよかった。
26日(土)   今日は、朝早く起きて、印刷を始めた。といっても、9時過ぎから。音はあまり出ないけれど、ご近所の迷惑も考えなければならない。お昼前に、昨日刷り上っていた分を新聞社へ。日曜日には埼玉新聞と読売新聞に入ることになった。後は朝日新聞の分を刷り上げて、渡すのみ。夫が優しくて、今回は印刷をしてくれた。

と言うのも、朝娘がてんかんの発作を起こしたので、家に誰かがいなければならなかったのだ。キッチンで突然倒れたらしい。私が新聞社から帰ってくる2,3分前のことらしく、私が見たときは彼女の意識は飛んでいておかしくなっていた。彼女は一日中、寝た。疲れがたまっていたのか、何なのか私達には原因がつかめない。テレビが好きな子だから見過ぎないようにと言っているが、もう彼女も社会人。私達のコントロールが聞かない部分も多いのだ。最近少なくなったてんかん発作なのに、またしても起きた。普通の日でなくて良かった。

夕方買い物に行き、夜私は入間の湯へ。コンピューターの打ちすぎで、体がこってしまって、何か気分転換が必要だった。本当は、夫と映画を見に行くつもりだったが、娘のこともあり、いけなくて残念だった。
25日(金)  今日も議会レポート作成に忙しかった。 何しろ寝たのが、朝3時過ぎて、それから第4面のファイルを送付して後ねた。友人からの電話が9時過ぎにかかってきて、起こされた。

実は朝にワールドカップを見る時間近くまで起きていたが、いつものようにはらはらするだけだと思い寝た。朝はとても静かで、夫も子ども達も仕事に出かけた。私はきっと日本が負けたものだとおもい、脱力した気持ちで寝ていた。そうしたら、電話で日本が勝ったというのではないか。即おきて、テレビをつけたら、その話ばかり。嬉しいことなんで、いつもテレビなんか見ない私なんだが、昨晩録音していたデンマークー日本戦を飛ばし飛ばし見た。とにかく、3つのゴールのシーンを見なければ、気がすまなかった。

勝ってよかったね。岡ちゃん。第一戦のカメルーンに勝って思ったのは、「岡ちゃんおめでとう」と言うことだった。選手の名前を知らないこともあったけれど、国際試合の結果が悪くて進退願いすら出したと聞いていたから、岡ちゃんが報われて良かったなあと思った。監督って孤独でつらい仕事だと思う。結果を出して何ぼ。努力しても結果がついてこない事もあるし。昔の顔の写真と今ではまるで人が違ったようだ。やせ細って可愛そうに思えた。

テレビを見ながら、最終の校正にかかり、友達からの校正箇所も直した。午後は、その原稿にイラストなどを貼り付けた。これが一苦労。季節ってのもあるし、自分の表情(わーい、あ~~~あ。酷い)もえらばなければならないし、花も動物も少しは入れたいし、3時間ぐらいかかってようやく議会レポートの完成。

それから銀行によってお金を引き出し、紙を買い、印刷を始めた。夜の10時ごろまで印刷したが、耳の中が印刷の音で痛くなる。あす、新聞社へ搬入しなければならない。
24日(木)   今日は議会レポートを必死に朝から書いていた。昨晩というか、朝方まで3面まで書いて友人に校正をお願いするために、ファイルで送っていたが、まだまだ全部原稿が仕上がっていない。必死に3面まで書いたのだが、4面は私の独り言を見ながら、活動報告をまとめなければならないわけで、これが時間がかかるのである。

午後3時過ぎに友達が来て、対面して校正を始めた。私は本当に校正係にはなれない。字の変換も間違って打っていても見えない。私には内容が当然なことでも、言い回しで初めて聞く人には何がなんだか分からないことも多いだろう。だから、誰かに校正をお願いしなければならないわけである。ほ~~~。

おしゃべりもして、終わったのが7時過ぎ。ご飯を作り、またまた議会レポートつくりに励んだ。集中力が途切れないうちにしなければならない。
 23日(水) 今日は、あさ家事。なにしろ、午後にエアコンのクリーナーが来るのだが、その前に部屋の掃除をしなければ恥ずかしい。特に娘の部屋はゴミ箱状態だ。そこで、片付けたのだが、暑い中2時間もかかってしまった。

お昼ごはんを食べたら、もうダスキンがきた。エアコン3台をクリーニングしてくれた。夫が、もう6,7年も掃除をしていないから、汚いと言い張るので仕方がなく掃除を頼んだ。確かに、真っ黒な水が出てきたところを見ると、中がカビタリ埃ををかぶったりしていたのだろう。特にリビングはキッチンと繋がっているから、油も飛んでいただろうし。まあ、これでまた4、5年は掃除しないですみそうである。掃除をするよりも、古いのはもう10年も使っているので、新しいのと買い換えたほうが良いとも思ったんだけれど、ま、いいか。

エアコンを掃除してもらっている間、私は家事。掃除もかんがえたら、金曜日からしていなかった。洗濯は毎日していたけれど、今日は朝は雨が降っていたので、夕方ようやく外に出せた。なんだか、疲れてしまった。昨晩も遅くまで議会レポートを書いていて、睡眠不足。

いつもは夕食の支度だけはするのだが、今日はもうする元気もなくなって、夫がノー残業デイのため、7時過ぎに帰ってきたので、近くのなる堵におそばを食べに行った。私は夫のそばをつまみ、てんぷらももらいながら、芋焼酎を飲んだ。ロックで飲んだのだが、おいしい。2杯飲んだら、とても気持ちが良くなって、帰ってきてそのまま寝ようと思ったけれど、結局議会レポートを書いた。
22日(火)  今日は、家事もそこそこに所沢へ。エステ最終日。思い切り汗を出したが、なんとこの1ヶ月体重は減らなかった。食べるのを止めないで体重だけが減るなんてありえないのだと実感。美しくなった感じがぜんぜんしないので、まあ、エステを体験したことだけが経験としよう。それにしてもエステに通う人が多いこと。驚いてしまう。どうしてきれいな人だけなんだろう。私のような叔母さんで体重がある人というよりも、若くて細い人が来ている。ああいう風に努力して、体を維持しているのだろう。それにしても、きれいになるにはお金と時間がかかるのだと実感した。良い勉強でした。

午後にまたチャクーラで今度は抹茶を飲んだ。昨日のラテに懲りたので、抹茶を頼んだ。おいしかった。これは濃茶と言う感じ。あと、アイスクリームやら宇治金時やらいろんなバラエティーがある。女の人ばかりが入っているカフェで、周りを見るとやはりお茶関係のものを食べていた。お茶は体に良いと言われいるからだね。

3時過ぎに役所に行き、途中からだが教育委員会議を傍聴した。どうして、ああも話がすすまないのかなあ。委員の方々はお上品でいらっして報告事項への質問が少ないなあ。私なんか勤務評価を3段階から5段階に変えるについては、聞きたいことが山ほどあったのに、何一つ質問もなく終わった。なんと、なんと不思議なことよ。あまり、人事評価については教育委員は関心がないのだろうけれど、本来的には教育委員って人事も含めて監督すべき立場なんじゃないかと思う。

議案書は今回は問題がなかったようである。いつも何か誤りを見つけ出すので、心してみたが、今回はOK。ところで、議案に関してもどうしてああも委員はお上品でいられるのだろうか。議事録も取るような正式な会議なのだから、もっと議案の意味をはっきりさせるように、確認だけデモしておけばと思うが・・・いつか、私が議員をやめた時には教育委員にしてほしい。教育委員会を活性化できるし、本来的な教育委員会を作ることが出来るのではないかと思う。仲川さんに言わなきゃ。なにしろ、柏原・水富地区は人材不足らしく、この何年間か教育委員に任命されていないから。私じゃだめなら、その理由を教えてもらいたいものだ。まあ、私以上の方々はこの地区にもっともっといらっしゃいますけれど。

終わってから、役所の喫茶店へ。コーヒーをと思ったけれど、止めて、抹茶フロートにした。なぜならば、これを飲んだことがなかったからである。やはり、お茶製品を試さないわけに行かないのさ。

夜は、議会レポートを書いていたら、また夜中を過ぎた。
 21日(月)  今日は、朝から家事。と言うのも、土曜日家のお手伝いさんから電話があり、入院するという。今日は病院に行き、調べてもらい入院日を決めるそうだ。そんなこんなで、洗濯やら皿洗いやらいつもしないようなことを朝からごそごそしているが、あっという間に昼になる。家事ってし始めると際限がない。

そのあとで、議会レポートを書き始めた。とにかく数字は間違ってはいけないから、市役所に問い合わせたりしている。

1時半には家を出て役所に行き、その後所沢のエステへ。ちっとも体重もおちない。あと1回で終わりだが、結局1ヶ月体験コースで止めにすると思う。分かったことは、汗を沢山だして、体重をおとし、水分を減らすことだ。痩せようとおもったら、寝て楽して痩せられないと言うのが分かった。結局、サウナやらマッサージやらで汗まみれになっただけ。あれで2万円だったら、いつもの入間の湯に行くだけでも良いように思った。楽しかったのは、所沢に行って、ブックオフによったり、お店をのぞいたりしたことだった。

今日は、チャクールとか言うカフェでカテキンラテを飲んだ。何しろ、お茶関係の食べ物には目のない私。マーケットリサーチとばかり、すいつけられるように入った。抹茶よりあっさりし手いたけれど、お薄のようなお茶。私はどうもミルクが苦手だから、あまりおいしいと思わなかった。牛乳があとに残る感じかなあ。お砂糖を入れなかったからかもしれないが。

帰ってきてからは、夕食後に議会レポートを書いていた。どうしても、夜中を過ぎてしまう。嫌になると、HPを見たりするからだ。
 20日(日) 今日は、朝教会へ。午後はスーパーで昼ごはんを買って、おじさんの家へ。教会から近いのである。父の日だからね。従兄弟の誰かが来ているかなとも思ったけれど、久しぶりに顔を出そうと思った。行けば、あれこれおしゃべりをして、とにかく親戚の情報を聞いたりした。あっという間に3時になったのでお別れした。また、会いに行こう。

夕方買い物をして帰ってきたが、夫も外出、息子も娘もいなかった。さて、議会レポートを書き始めなければと、思っている。大体、1ページ目の構想が沸いたので、書き始められるかなあと思うが、正確を期すために、明日もう一度市民税課に確認を取りたいと思う。
19日(土)   今日は、朝ゆっくりした後、家事。

午後からは、カルフールに行って、父の日のためにプレゼントを買った。忙しくて、買い物にもいけなかったので、思ったようなものが見つからなかった。パジャマ代わりに着ればいいかなと思って、甚平代わりをかった。とにかく、もっと良いものをと思ったのだが、仕方が無い。コンビニによって、荷物を出して、明日つくことを確認した。

その後、夫と娘と智光山の菖蒲園で落ち合った。今、菖蒲が盛り、多くの花をつけていた。菖蒲園の周りには少し茶店も出ていて、秩父の味噌じゃがなどが売っていた。こういうときに、狭山茶の加工品がだせるといいなとつくづく思う。

その後、体育館に行き、トレーニング。夕食後、サッカーがあると言うので、入間の湯へ。私は、はらはらしすぎでサッカーを見たり聞いたり出来ない。だから、その間、お風呂に入ることした。お風呂から出ると、負けていた。本当に残念だった。あ~~あ。
18日(金)   今日は議会最終日。このごろは前日に全員協議会や議会運営委員会を開くので、9時から開会できる。議案数も少なく、討論も無かったから、本当にスムーズに議会が終わった。途中で議長の発議で議会活性化特別委員会が設置され、委員が決まり、委員長に中村正義さんがなった。この前、衛藤先生を講師にお招きした慧眼の持ち主の中村さんである。まずは、議会が市民に対してどうあるべきかを話し合ってほしいと思う。最近の議会の状態を見ると、やはり「議会とは」を問い直す必要をとても感じるのである。

午前中にすべてを終え、いくつかの課がいくつかの資料などを持ってきてくれた。そのうちの税金に関してはとても面白くて、議会レポートの一面をこれに使用可などと考えた。

午後、市川房枝記念会で選挙ハンドブックの編集会議を朝からしていたから、急いで出かけた。議会の状態では出席は難しいかなどと思っていたが、思ったよりも議会が早く終わったので昼食後新宿へ。

編集会議は最終局面を向かえ、昨日市川会の人たちと話し合いも持ったとかで、大きな編集方針変更があり、またやり直しもあったそうで、私が行ったときにはあれこれ大変な状態だった。まあ、編集会議も最終となれば、あんなものでしょう。あとは、市川会の編集者と責任者が読んで、ブックレットとして意味を成すかどうかを判断の上、イラストなどは構成者を頼んで行うようである。うまくいけばいいけれど。結局、6時過ぎまで。

帰ってきて食事をつくり、食べ終わったら9時だった。10時から警察が来て、この前の暴行事件の後処理をすることになっていた。私たちは被害届を出さないことにした。念書ももらったし、知っている子を犯罪者にしたくないと言うこと。ただ、本当に同じ事を繰り返してほしくない。
17日(木)   今日は朝から全員協議会のために役所へ。割と早く終わったが、福祉プランが机の上においてあって、執行部が読めと言うだけ。これはいかがなものか。説明ぐらいしてもよさそうなものなのに。文教厚生委員会協議会で2度ほど報告があったと言うが、協議会はクローズドで、議員にも開かれていないから、福祉プランについては分からない。自分たちで読んで分からないところは執行部に行って聞いて来いと言うことなのだが、あのような重要なプランを議会で説明しないと言うことの方が問題ではないか。

今は、議会改革の中で、議案事項を拡大しようと言うことが流行始めている。すなわち、計画は議会で審査させるようにしろと言うことなのである。昔は審議会に委員が入っていたが、今はいない。すなわち、私たちは計画のどの段階でもつんぼ桟敷である。これたの計画に基づきすべてが実行されていくと言うのに、市民の代表たる私たち議会に何の発言権も与えられないとはどういうことか。また、計画の途中で一般質問しても検討・研究でかわされてしまい、それらに議会の意見が入れられているかも分からない。執行部は議会をどう考えているのだろう。

午後は、あちこちによって帰ってきたら、夕方になっていた。なんだか本当に忙しい。
16日(水)   今日は、午前中に書類の整理。HPを書き直したりもした。

昼からは念書のことで加害者の親にあった。ひたすら謝る母親を見て、可愛そうに思った。障碍者を持つ親として、理解できることがあるだけに、2度と会わないこと、2度と暴力をしないことと言う念書をもらい、医者の費用は向こうの負担とすることで、被害届は出さないことにする。気が重くなった会見だった。怒り切れない自分にも腹立たしいが、それ以上に親への哀れみの気持ちが勝った。

その後、環境部へよったり、教育委員会で少ししゃべったりしてきた。夕方、エステへ。体重が気になる。食べるのがおいしい。
15日(火)  今日も結局どこにも行かず、HPを書いたりしていた。最近はユーチューブでさまざまな情報に接することが出来る。2.11では水爆が使われたのではないかなどというリチャードコシミズさんのなんか、眉唾ながら見入ってしまった。それと、創価学会についてや統一教会・勝共連合についてや、小泉さんと清和会についてなどは、もしかして本当かもしれないなんて思ってしまう。岩上安見さんのユーチューブやユーストリームも見てみるととてもためになる。

どうして小泉さんが売国奴といわれるかの意味を理解した。複数の人が同じ事を言っている。それに、この数年に起こったことを冷静に判断すると、やはりアメリカに利益を吸い上げられて、日本人の働いたお金は日本人のために使われなかったのだと思う。秋葉原事件のとき(2年前9月10日か)に書いたように、若者が夢をもてない社会にしたのは政治家のせいだ。

大企業は儲かった。そして、株主がその儲けを分け合った。法人税は減税された。儲けた大企業は輸出産業だから、消費税すら払わない。金のない庶民は米1キロ買うにしても消費税を払っているのに、大もうけした企業は日本で売らないからと1%の消費税も払わない。そして、企業の株はアメリカ資本やヨーロッパ資本によって、円安(小泉は輸出するためには円安が良いといい続けた)だったので、その上株が極端に安くなったので、買い占められてしまった。儲けはストローで吸い上げられるように、アメリカだヨーロッパに持っていかれる。カルロスゴーンは日産の儲けをルノーに入れあげたといわれる。

郵政民営化だって、郵貯をゴールドマンサックスに運用させて、350兆円をアメリカに持っていこうという戦略である。簡保をつぶして、アフラックへお金を誘導するということだった。馬鹿馬鹿しくって。その上、菅さんは亀井さんを切ってしまった。ただただ、日本はアメリカに奉仕するために存在するようになるのかと、情けない。

エコノミックヒットマンについて、前に書いたと思うが、日本の政治家は金に転んでしまったのか、それとも命を脅かされているのだろうか。日本人の日本人による日本人のための政治が今こそ必要なのである。(岸信介さんに対しての評価は代わらないが、吉田茂元首相の評価も私の中でひっくり返ったのが、ある意味さびしい。それと同時に田中角栄さんに対する評価は本当に上がった。地元の政治家だけにとてもうれしい。)
 14日(月) 今日は朝から、書類を見たり片付けたり、Hpを書いたりしていた。夕方に、エステへ。

なんだか、コンピューターの前にいるとあっという間に時間がたってしまう。嫌だなあ。 
13日(日)   今日は午前中礼拝。午後は本郷へ。東大で学術会議、ジェンダー分科会のシンポジウム。メンバーはひたすら豪華。それで、女性の貧困についての話し合い。格差を是正するのがいいのか、格差を前提の福祉をするのがいいのか。もちろん格差是正を言うのだが、経済の運営でなぜ格差が出てきたのかの分析がたりないと思った。アメリカ資本(ユダヤ資本という人もいる)による日本からの搾取については誰も言わなかった。言ったのは小泉政権が行った派遣法改悪などによる多様な雇用形態について。

しかし、会場からは多様な雇用形態は資本家のもので、労働者には選択の自由なくフリーターへ、派遣へとすすまざるを得ない実態が話された。本当に、本当に深刻な女性の貧困。いまや、女性を支えた男性すら女性と同じ貧困状態である。小泉の構造改革という名の日本経済破壊、雇用破壊の酷さに腹だけが立った。

かえってきたら、結局8時を過ぎていた。疲れた。
12日(土)   今日はとても忙しかった。11時ごろエステへ。昼食後、2時過ぎにひかり幼稚園に。その後、孫崎亨さんと岩上安見さんのトークを聞きに恵比寿まで。

孫崎さんは元外務省情報局長。「ゾルゲ事件、真珠湾から9.11まで」ということだったが、1994年、冷戦が終わった後、アメリカは日本の富に目をつけて、搾取の作戦をつくり、「年次要望書」を日本につきつけ、郵政民営化などや、金利を低くするなどをして、日本の富を海外、特にアメリカに移転し続けている。どんなに働いても、ワーキングプアなのは、人件費を使わずに利益ばかりを望む海外投資家の意思の現れである。日本が貧乏になってもアメリカはなにも痛くない。

アメリカのルーズベルトは日本に第2次世界大戦を仕掛けたかったし、そのために近衛内閣をゾルゲ事件で倒し、馬鹿な軍人は挑発に乗って真珠湾を攻撃するが、それはわたりに船だった。また、9,11はもちろん真珠湾の再現によって、ブッシュがイラク、アフガニスタンと戦争をできるための陰謀。分かっていて遣らせたという。リチャード小泉さんはあれは水爆を使って、TWCを破壊したのだといっている・・・・戦争が好きで、戦争で金を儲けている人たちの多いこと。ため息が出る。孫崎さんは淡々と話をするのだが、人間の命ってある人にとってはこんなに軽いものかと涙すら出ない。

陰謀がすべての歴史をつかさどっているわけではないかもしれないが、あまりにもナイーブ(無知)でいては、その組織の餌食になるだけである。日本国民の幸福を守るためには、防戦が必要なのに、あの前原はじめ仙石、枝野を加えた政権を作った菅さんはあの組織に対して、どうするつもりだろう。亀井静さんも大臣をやめ、小沢さんもホコを治めている今、とてもとても心配でたまらない。少なくとも、参議院で自民党の清和会だけはつぶし、公明党さんに政治を止めて創価学会で宗教に励むようになってほしいと願う。

私はクリスチャンで信仰を持っているが、信念と組織として教会におんぶに抱っこなんてした事がない。特に、それが嫌だから、今は狭山市外の教会に通っているほどなのだ。政教分離。創価学会さんも昔は貧乏人が多かったと思う。それなのに、いまどきの公明党の人は今まで与党だったばっかりに、貧しい人の福祉を第一に考えなくなってしまった感じがしてならないのだ。は~~、残念だなあ。

帰ってきたら、もう11時過ぎていた。忙しい。
11日(金)   今日は午前中に特定案件についての委員会審査。建設委員会はとてもいろんなことを抱えている。西口、東口、水道、下水。委員長はあとの整理が大変だけれど、きちんと委員会審査を行わないと、委員会で何をしているかが表に出ない。だから、協議会ではなくて委員会として質疑をしようとすることになった。この一年間、私たちはもっとがんばる。議会は大変だし、委員会も活発に審査をしているが、それのために、市民のために私たちは選ばれたのだから、熱心にするべきである。

午後に、いろんな部署によってから、帰ってきた。6時から建設委員会の懇親会だった。狭山市では議会は委員会ごとに次長以上の職員と年に2,3回懇親会をしている。今回は新しい次長が誕生したので、今年度初めての懇親会をした。ところが、私は自分の財布が無いのに気づき、ある次長にお金を借りた。あとで、必ず返します。

懇親会は私は外でお酒を飲まないようにしているので、ウーロン茶である。みんなどうしてお酒が強いのだろう。割と飲んでいるようだけれど、酔わないのねえ。私だったら、あれだけ飲んだら大トラになっていると思うけれどさ。ここで面白いのは、万歳かなあ。エールの交換なんだけれど、万歳をするのである。なんだか訳が分からないこと何だけれど、これが日本式エールだ。
10日(木)   今朝は、昨日の疲れもものともせず、急いで議会に行った。そして、コーヒーを入れようとした時、娘が泣いて電話をかけてきた。ある男に暴行を受けたというのだ。娘に続いて警察官から説明があった。その男を私たちは知っている。狭山養護学校の彼女の先輩だった男で、去年一時期彼女とデートをしていた人だった。別れたと聞いていた。事実、デートもしていないようだった。

その男が通勤途中にあって、彼女の髪を引張り、顔を殴りつけ、首を絞めたという。娘がパニックになっているのも理解できた。なぜ、今頃になって、暴行を働くのだろうか。彼女が言うには、別れたのも彼が暴力を振るったからという。いわゆるデートDVである。大きい声で救いを求めたら、近くの人が110番してくれたのだった。

私は委員会があり、すぐに彼女の元に駆けつけられなかった。でも、委員会で早退のお許しがいただけ、申し訳ないけれど、娘のところに駆けつけた。この点、議会の人間的になった。今までならば、何が何でも委員会に残れ、親の死に目にあえなくても、仕方が無いじゃないかなどというのが議会だと思い込んでいた。でも、人間の情が無くて、どうして情の通った、血の通った政治が出来るだろうか。(それでも、私は行けないと諦めていたが、許してくれた委員の皆さんの暖かい心に感謝です。)

娘のところに駆けつけると警察官がいて、事情を徴集していた。そのうちに、救急車が来て、娘は病院で顔の骨が折れているかどうか診察を受けることにした。骨が折れていたら、もう被害届を出して、きちんと犯人の罪を立件してもらうつもりだった。病院にいき、CTなどを撮ったら、打撲だけだというので良かった。それで、警察官がこれをどうするかというので、一応は被害届を出すのは止めた。知った男の子で、20歳。若い子を犯罪者にしたくないとも思った。

ただ、今後しないという念書と顔の診断等にかかった2万円ほどは払ってもらいたいと思う。これが無ければ、納得できない。いつもそうだが、被害者は痛い思いをした上に医療費を払い、今後も怖い思いをしなければならないなんて、理不尽でしょ。朝、人通りのある町の真ん中で、殴る蹴る首を絞めても、なんのお咎めを受けないのを納得せよといわれても、はいと言えない。ただ、知っている子だからこそ、あまり可愛そうな事はしたくないのだ。でも、相手しだいでは、まだまだ被害届を出すことは可能だと思う。

昼前に議会に戻って、協議会に出た。昼食後、同じ障碍者仲間のお母さんとこのことで少し話をした。皆さんは、きちんとしたほうが良いという考えのようだった。とにかく、念書だけと、あとでもいいからお金を払うという約束をしようということにした。

夜、私は8時過ぎにトレーニングへ。そこへ相手の親から電話があったようだが、私がいなかったから、息子が電話を取ったみたいで、あとでまた電話するということであった。電話がいつ来るのだろう。

娘は事件後仕事に行ったが、夕方に社長が車で家まで送ってくれた。感謝だと思う。今日は、親子でいきり立ってしまった。暴力で愛情が育ったり、人間関係が修復するなんて思うほうが間違いだ。朝に会ったとき、その男に言ってやったが、ごめんなさいでもなし、全く能面のような顔で私を見ていた。DV男は自分勝手だから、どんな言葉で何を言っても通じない。だから、だから、怖いのだ。
9日(水)   私の一般質問が、1番目にあった。思ったよりも傍聴者があった。後で聞くと、障害者団体の方が聞きに来てくれたそうであった。最近は私は友達の傍聴をお願いしていない。議会ウオッチの方々がいて、しっかり状況を見ていてくださるのはありがたいと思う。

今回は一問目に障碍者福祉を入れて、相談について聞いた。相談の一元化と狭山市駅に近いところに相談所がほしいということなのである。昨日の段階ですべて答弁は玉虫色になり、一元化が必要かどうかさえ否定的な答弁になってしまっていた。賛否を検討するなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しく、はじめ私が持っていた答弁よりも大幅に後退していた。市長によるヒアリングでそうなったというが、今のシステムの組み換えやお金のことが絡むからなのは分かっているが、今きちんと決断しなければ、来年の予算に移転費用などを組み入れられない。何が、「賛否を検討」だと思った。それで、きちんとなぜ一元化した相談が狭山市近辺に必要かを述べるために、現状を質問して、問題を明らかにしようとした。

実際、奥富の相談センターや鵜の木の相談センター、入間川といえども、駅から歩いて30分以上もかかる場所に公共交通機関しか使えない障害者が行くのは難しい。送り迎えをしてもらっている利用者ならばよいが、利用していない人の相談場所を確保してほしい。私は役所しかいけないのだが、役人にではなく、カウンセラーに相談したい。そして、相談したことは秘密にしておいてほしいと願う。仲川市長は何を考えているのだろう。せっかく、乳幼児情報センターの場所が24年から空くのに、そこの場所を何に使うつもりか。私のような無所属の人間が聞いたら、きちんと答弁せず、お約束のようにどこかの会派の議員がいつか同じ質問をして、その際に「移転します」などと答えるのかね。いいけどさ、現実が動くならばね。

ということで、時間切れになった。時間が足りなかった。3問質問があったが、あとの2問は知りきれトンボに終わった。本当は、質問をして、時間になったら議長が強制的に切るというのだから、議長に議会での命である言論を封じるような事をしていただこうと思っていたが、手島さんの顔を見ていたらなんだかかわいそうになって、質問を止めた。手島さんならば、ルールどおり質問を切るだろうが、自分が言論を封じたことの本質的な意味すら分からないかもしれない。ルールに従っただけさと思うだけだろう。議会で手島さんにそんなことをさせるのが可愛そうになったのと、そんなことが前例として、今後何度も何度も言論封鎖し、統制していくとしたら、それは議会の死を意味することになるので、いろいろ考え、時間以内に止めた。60分調度使った。

なんだか、本当に疲れる一般質問だった。いつものとおり、一生懸命、誠心誠意心をこめて調査し質問したが、先ほどのことなどがあり、むなしさがいや増した。
8日(火)   今日も一般質問。田中さんの質問が面白かったが、あの人も私と同じように追求しきれるタイプではない。持ち出す内容ははっとするところがあるが、落としどころが分からない。論旨がはっきりしないなあ。だから何?って思うところが多い。その問題をどうしろと言っているか分からないのである。問題の指摘だけでは、執行部は問題をどうしようともしないだろう。なんとも歯がゆい田中さんの一般質問。

人の一般質問を評価する立場にはないが、公明党の斉藤さんは新人だけれど、自分の足を使ってよい質問をしていると思う。今回は、多くの人が指摘した屋根のないエレベーターの質問をしていたが、三鷹の屋根の無いエスカレーターを見にいって質問をした点は良かったと思った。実は私も5月23日に三鷹でフェミ議の総会があったので、見てきた。やはり、足を使っての質問は説得力があると思う。まあ、調べつくしたり、視察をしたりして一般質問するのだというのが、私が先輩議員(もちろん他市の女性議員)から指導を受けたことであった。口先の質問を止めるべきだと、若い人にこれを教えるべきであるが、会派の年長議員は教えているんだろうか。私はお節介かもしれないが、斉藤さんにきちんと三鷹を見てきてよい質問だったと言った。そしたら、ある議員が親父ギャク「三鷹~~~見たか??」。ちょっと脱力、は~~~。

今日はヒアリングもそこそこ、帰ってきた。原稿はもう一度みなおしして、来ている答弁書を見ていた。そうしたら、夜中に電話がかかってきて、答弁内容が変わったとの事。読んでみたら、びっくりだ。明日はここから、第2質問を始めなければと思った。
7日(月)   今日から一般質問が始まった。一日目は議員さん一人ひとりが時間を有効に使った。ということは60分を使い切ったということなのである。伊藤さんのを聞いていると、ほぼ西口再開発だけで、要するに1問で60分を使い切る。本気に何かを追求したり、真剣に提言をしたりするととても60分ではすまないということなのである。時間に際限が無ければいいとは言わない。しかし、なぜ60分にこだわるのだろうか。もう一度問いたい。議会の効率的な運営とは何だろう。

3月議会では中川浩さんの施政方針演説に対する質問で今までのルールが無視されたと、4時間近く休憩を取り、話し合った。このようなことが続いて、無用なルールつくりがはじめられている。はっきり言って、効率的な運営というのは、無用な休憩を取らなくてもいいような運営を言うのだろう。そうすると、本質的には60分と制限をつけることではないのだ。それよりも、議員が自分たちでルールを確認しあうこと、それも議会をぶった切ったような場所でなく、話し合うべき時間を設けて話すことが、むやみに休憩をいえれず、無駄に議会を空転させないことになるのだろう。

だから、この60分制を止めにしよう。まるで緊張感がなくなっている。だって、60分をやり過ごせばそれでいいのだから、執行部は時計と睨めっこさ。議員だって、広森さんの追及がとてもゆるくて驚いたが、本人に聞いたら、時間が気になってまとめてしまったということだった。下手にルールを崩せば、もっともっと酷いことになりがちなのである。この前の、議員の持ち時間が35分から、なんと答弁も入れて60分だったら、議員の発言時間が30分も無いことがある。議員は何のために議会をしているのか。効率だけを言うのであれば、時間が短ければいいのであれば、質問をしない方が時間はかからない。それでは、議会という意味すらなくなる。自分でなぜ、自分の首を絞めるような発言時間の制限なんかするんだろう。

議会を終え、ヒアリング。短く、短くと思いながらも、結局答弁も長くなりそうだ。疲れきったが、原稿を直したりした。自分の論旨だけははっきり始めに言い切ることにしよう。
6日(日)   今日は、朝8時から自治会のお掃除だった。でも、この自治会はお掃除が行き届いていて、きれい。今日は家の周りをしてくださいと言うので、草取りに励んだ。昨日というか、今日は寝る暇が無かったなあ。

その後、礼拝。久しぶりに教会に。いつも思うが、牧師先生はよくよくお勉強をなさっているなあ。関心をしながら聞いていた。ロマ書は分かりにくい。今は骨の部分をしているというので、大切なところだが、分かりにくい。

ブックオフによって帰ってきた。ホロビッツのベートーベンのピアノソナタがあったので買ったり、小沢征二さんのニューイヤーコンサートを買ったり、3冊政治の本も買った。一つは大橋巨泉さんの本。鳩山さんがおかしい事、菅さんも変だというのがわかったが、今回の政権交代劇を見ていると、結局裏切られたのは小沢一郎さんだというのが良く分かるし、鳩山さんは右翼そのものだし、菅さんも市民活動を忘れた政治家になってしまっているのが良く分かる。もう8年も前の本なのに、彼ら2人は変わらなかったんだと思った。失望が広がって、新しい菅さんの政権に何一つ希望も信頼もなくなってしまった。

次は鈴木宗男さんと佐藤優さんの対談集「反省」。あまりに酷い外務省の状態に驚いた。田中真紀子さんの悪口も書いてあったが、田中真紀子さんが伏魔殿と言った意味がよくよく分かった。田中さんは、直感的にすべてを知ったんだろうと思う。そして、官僚たちと戦い、負けた。結局鈴木さんも同じく、官僚に陥れられ、逮捕された。田中さんは痩せても昔の首相の娘、逮捕はできなかったが、たたき上げの鈴木さんは徹底的に叩きのめされた。酷いことだ。

あとは、田中真紀子さんと佐高信さんの対談集「問答有用」。田中さんは信じられる人と話をしているときは、きちんと物を話すが、利用だけ考えている人の前では態度が違う。この対談はいろいろな所に話が飛ぶが、裏話は別にしても含蓄に富んだもので興味深かった。

夜は、原稿をなおしたり、答弁書を読んだりしているが、考えはなかなかまとまらない。
5日(土)   今日は午前中、所沢へ。初めてエステをしている。1ヶ月お試しコース。今のところやせない。たべたら、何をしてもだめなんだと思う。寝ていて痩せるみたいな宣伝があったので始めたが、やはりそれは宣伝文句だったんだろうな。痩せない。食べ物がおいしい。

午後、「狭山の保育を考える会」主催の勉強会へ。講演はなんだか耳を通り抜けたって感じがする。なぜ、民間委託がいけないかって話だが、金儲け主義になると人命にかかわるという。確かに、そういうところもあると思うが、今保育園をしているところなんかに大きな問題を生じていないから、指定管理してもいいかも知れないと思う。人件費に関しては、私も講師が言うように、結局市立で行おうと私立で行おうとそんなに違いがあるとは思えない。人件費をケチったら、良い保育は出来ない。市立のほうが人件費が多いのはとりあえず、労働環境がいいので中年以降でもお勤めできるからであろう。保育士の年齢バランスが良いほうがいいので、人件費をケチったり、労働条件を悪くするべきでないと、私も思う。

祇園保育所の指定管理者制度については、親御さんは大変心配しているようだ。悪い例もあったわけだ。あまり心配する世だったら、指定管理の導入は難しいかもしれない。でも、きちんとした指定管理者だったら、何も市がする必要もないとも思うんだけれど。これも、市は何をすべきかという議論をきちんと積み上げないといけないかもしれない。今、新しい公共の概念によれば、地方政府(市)は政策形成集団に特化させていくべきではないかという議論がある。

収益の上がらない、民間が進出できないような業務は公共でするというのとか、さもなければ、市が補助をして実際は民間が行うというのが、最近の考え方なのである。私はそれはそれでいいとも思うんだけれど。児童館などを見ていると、臨時で公立の児童館に勤めていた人が指定管理者の代表をしていたが、彼女は指定管理者のほうが決定時間が短く、いろいろな企画をタイムリーに行えるといっていた。役所の課長のはんこが要らなくなり、自分の会社の責任で出来る範囲が広がったからだった。サピオにしても、児童館にしても指定管理者制度にして、良かったといえる。それを見ていると、保育所もしてもいいかなあとも思う。だけど、親の真剣な反対の様子を見ていると、時期が早すぎますかねえ。

息子たちはバラ園と菖蒲園に出かけた。私は久しぶりにヤオコー前で演説。夜、息子の彼女が来て、小さなパーティー。楽しかった。夜中、一冊「日本のいちばん醜い日」という本を読んだ。半分ほどだけれど、すごい内容。信じるかどうかは、私の勝手だが、もし事実だとしたら、信じていたものがガラガラと崩れ落ちてしまう。それにしても、天皇ってなんだったんだろう。明治維新ってなんだったんだろうと思いながら読んだが、朝3時半になったので、読書を止めた。
4日(金)   今日は議案審査日。前にどの議案にどういう質問をするかを話しておいたし、実は答弁ももらっていたので、自分の中にシナリオを持っていた。しかし、その場になれば、やはり聞かなければならないと思う質問もある。

教育委員の地域をはずして、川北というか柏原・水富地区から教育委員が一人も出ていない。入曽は逆に2人も出ている。地域間での約束事を反故にしたのだから、地域のことをよくよく分かるような努力が要ると私は思う。やはり、自分が住んでいる地区のことのほうが、他地区よりも分かっているに決まっている。協議会でといっていた。私は議会が終わったら、何回どんな議題で協議会を開いたかを確認するつもりである。どうせ、協議会は議事録も取っていないだろうが、開いた日時と協議内容だけでもまとめてあるだろう。資料ぐらいあるかもしれない。メモですら、今出来は公開の対象なのだから、請求することにしよう。

あとは、市民税のこと。これは市民全体にかかわることなので、制度の改正点だけはきちんと分かるように質問することにしている。特に市民が申請などをしなければならなくなるときには、絶対聞く。ケーブルテレビや議会便り、私の議会レポートで広報も出来るのだから。市民の目線ははずさないようにしている。子供手当てに伴い年少者扶養控除が撤廃されるし、扶養控除のうち15歳から18歳までの上乗せ分も無くなる。それと、株の小口売買に非課税口座というのが出来る。

契約のことは、私のテーマでもある。昔は怖い思いをしたものだが、今はきちんと発言できる。今回2つの契約で、ひとつは約80%の落札率、あとは66%の落札率だった。きちんと施工されると調査をしたから、大丈夫だろう。今までは、95%何という高い落札率だったから、大幅に落ちた。落ちた分で他の仕事が出来る良かったなあ。

補正予算関係では農家への補助金が出された。250万円。これは実質の3分の1しかでない。だから、農家負担分は500万円。大変だなあと思う。作付面積を3年間で20%あげなければならないとか。うまく行かなかったら、ペナルティがあったら大変だと思い、質問した。ペナルティは無いらしいが、目標の達成のノルマは強いらしい。補助金をもらうということは、そういうことであるよね。

議会は午前中に終わったのだが、議会運営委員会があるというので、傍聴し、員外委員の発言を求めて議運で発言させていただいた。だって、例の施政方針演説に対する質問を無所属の私にさせない、会派代表だけで行うと決めるというのだから、私は一言文句を言いたかった。基本的には、公明党と未来フォーラムは施政方針への質問は会派だけが行うべきだと考えているようで、会派の立場で市長に施政方針をただすのだという。志政会はまだまだその意見の収斂がされて内容で、演説内容が早く分かれば、一般質問で施政方針への質問を行えばというようなことを言っていたが、実際は質問内容はぜんぜん違うので、60分しかない一般質問では不可能だと思うと、私は意見を述べた。

もし、議員全体の質問権に対してというならば、時間制を設けるなどという考えも出てきた。私はこれもどうかなあと思う。高々24人しかいない議会で総枠2、3時間の施政方針演説としたら、ひとりあたり、5分かそこいら。10分で24人だから総枠4時間か。10人いる志政会は100分、一人の私は10分。100分も質問をすることは無いだろう。でも、10分では足りない。こんなことをする必要があるのだろうか。この前、中川浩さんがすこし、ハチャメチャ、というか不文律を破った質問をしたことで、またまたルールつくりが始まり、結果は議会の力をそぐような感じになる。本当におかしい。

市民21の田中さんは前のままでいいのではないかといっていたが、他の会派の人はまたルール破りをして議会がストップするのは嫌だというのがはっきりしていて、田中さんが前のとおりといってもそれがすんなり通るわけでもない。ルールといっても、結局議会とは何ぞやという基本の合意がないと、規制、規制に終始する。若い議員さんの中では、国会を知っている人がいるが、国会の500人も議員がいる議員内閣制と、2元代表制の地方議会の意味や役割と責任が大いに違うことを知っておくべきだし、だから国会と地方議会では同じ手法やルールでは行ってはいけない事も自明なのである。

というわけで、この議論は又今度に継続された。次の施政方針への質問は3月だから、時間をかけて話し合おうということになった。時間をかけるのはいいが、会派だけのために施政方針演説の質問はあるなどと決めないでほしい。高々24人しかいない議会で出来る限り多様な議論や質疑が出来るほうが議会の意味は大きくなり、力もついてくるのだと思う。
3日(木)   今日は朝から原稿書きをしていた。お手伝いさんがいたが、書斎に閉じこもった。時々嫌になるので、本を読んだり、資料を探しながら、書き続けた。

書き終わったのは、結局朝の1時過ぎ。お風呂に入って寝る。高々、10Pにもならない原稿書きに何十時間もかかるなんて、原稿を書かない人にはわからないことかもしれない。まず、コンピューターでワードを開く気になるまでに数時間かかる。どうしてだろう。全く。明日までに書き上げないと、役人に迷惑をかけると思い、一生懸命書いた。ファーストドラフト、1稿目だから、どうせ直すのだけれど。これを書き上げれば、あとが楽です。
2日(水)   今日から議会が始まった。代表者会があったあと、9時20分開会。議案数が少なかったので、10時過ぎには議会は休会となった。建設環境委員会の協議会があった後、ヒアリング。その後、昼食。食堂ではいつも何人かの市民と会う。高齢の方が多いので、お会いしないと心配になる。今日は、お二方ともいらっしゃったのでうれしいと思った。

午後、5月25日に口頭で申し入れた「議会改革特別委員会」の設立を文書で申し入れるため、原稿を書いていた。栗山町の議会基本条例を参考に、審議項目だけを明確にして申し入れた。今期中には議会基本条例の制定には行かなくても、議論をしておけば来期に繋がる。具体的には議会報告会などを地域で議会として行う時に、議案の内容をきちんと報告できないでは、議員として恥ずかしいことになると思う。もし、来期で議会改革を方針とするならば、それなりの議員の質が問われることになる。だから、今から議論を進めなければ、次の選挙のときの候補者の気構えが変わってくる。新人候補にはきちんと議会の流れを知った人が立候補すべきであり、私が新人の時には本議会ならびに委員会の傍聴に努めたものだ。そんな候補が必要なのだろう。

建設環境協議会の中で視察場所を増やすことを提言した。1期めの若い議員が委員長になっていて、前のことを知らないから時々意味不明な説明をするのだ。同じ会派に長老議員がいるのだから、少し聞きながら委員長の職を務めればいいのに、また、書記が最近代わった人だからこの人も委員会の中のことが良く分かっていない。よく分かっていない同士が委員会を仕切るから、私からクレームなどが入る。この書記も前の職員からの情報をもっと大切にすべきではないかと時々思う。もちろん、委員長も書記もがんばっているのは分かってはいる。けれど、経験から言えば私たちは長いこと建設にいたから、経緯などについては彼らよりも詳しいので、時には首をかしげるような発言がある。

今回、議長から調査項目については、協議会ではなく委員会で行うように指示があったとか。私はこれに賛成である。協議会は議事録も無い、それに議会での報告もない。これでは、一生懸命議員が委員会協議会で市民のために発言していても、市民への発信のしようがない。「私の独り言」に書いて、何人の人が見ているだろう。これでは、多くの人に、議会、委員会としての活動を知っていただけない。そういう意味で出来ることは委員会で行い、きちんと議事録を取り、議会で報告していく努力は必要だと思う。

出来れば、議会便りの中でもっと委員会の紙面をとり、何をしているかを分かりやすくしていく事が大切だろうと思う。私が副委員長をしていた時に、委員会視察について紙面に取り上げようとしたことがあった。しかし、それは大方の反対にあい、出来なかった。委員会は物見遊山ではない。たとえ観光地というところに行ったとしても、遊ぶ目的でないので見る観点が違う。いつも私が言う議員病で立地が・・とか、インフラは・・とか、宣伝は・・とか、市への影響は・・とかとしか見れないのだ。委員会で視察をしたところで、昔ならいざ知らず、今では観光旅行して歩いているのと大違いなのである。議場ではないけれど、議会でも全員協議会で報告する。だから、委員会視察にしてもきちんと議会便りで報告すればいい。

行革という。無駄を省けという。これは大切。議会は行政ではない。議会改革の一環として、議会便りのページ数を増やすことも大切かもしれない。HPに掲載するということが多くなったが、誰が読むのか。やはり紙媒体で読むときのほうが多いじゃないか。お金はかかるかもしれないが、市民へ直接情報を伝えることをケチってはいけないんだと私は思う。皆さんはいかがか。

ところで、切歯扼腕して、昨晩は眠りがおかしかったと夫は言っていた。寝ていてなんか「叫んでいたよ」だって。その、鳩山さんが辞任した。この人本当にルーピー。理解できません。昨日のサムアップはなんだったの?不思議だ。小沢さんを道づれに止めるのがそんなにうれしかったんだろうか。鳩山さんが止めれば、鳩山さんに任命された小沢さんが止めるのは当たり前だろうに。なんだか鬼の首を取ったかのような発言にあきれ果てた。自分の秘書は法律違反していただろうけれど、小沢さんは無罪だといい続けているのにもかかわらず、まるで小沢さんがクリーンでないかのように、「クリーンな民主党」を叫び続けている。馬鹿じゃない?推定無罪なんだよ、日本の法律は。自分の秘書は犯罪を犯しているけれど、小沢さんの秘書たちは無罪の可能性のほうが大きいといわれているのに。(日本の法曹界は政治的な動きをするので、今は誰も信じてはいないけれど)

菅さんが立候補するらしいけれど、それに前原やらのネオコングループがのっかかりたいようだ。菅さんは今までも財務省に洗脳されて財政規律ばかり言い始めているから、ネオコングループに取り入れられるかもしれない。でも、それも参議院選挙までかな。はっきり言って、何の行政手腕を持たない前原や枝野、岡田、仙谷、それに東京財団の渡部恒夫の父、渡部なんかを取り込んだら、安倍と同盟を組んだ自民党最右翼のような悪夢の政権が出来て、あっという間に憲法改正になってしまうわ。怖いなあ。菅さんは市民派だと思っていたけれど、小沢さんの力をどう評価するのか。鳩山のように小沢が怖くて内閣にすら入れられないチキンではないと思うけれど。さてさて・・・

今日は原稿書きをあきらめて、入間の湯でお風呂にはいり、ワインを飲んで寝る。
1日(火)   今日は一日原稿を書かなければというプレッシャーと戦いながら、コンピューターの前にいた。HPもアップしたし、切歯扼腕しながらインターネットで政治の状況を見ていた。

プレッシャーは高かったが、原稿に一字も書いていない。向き合っていない。それどころか、居直りの鳩山にもいらいらしている。小沢さんはなかなか腰を上げないし、日本の行方を考えている。日本人が日本のことを決められないのは、国際社会に生きている国家としては当たり前のことだろう。世界の情勢の中で日本は自分の国の舵を取らなければならない。しかしと思う。アメリカ軍がこんなに日本にいる理由があるのだろうか。

私は日米同盟は良いと考えている。ヨーロッパやロシアとの友好条約を締結すべきだとも思っている。アジアにおいて、中国や朝鮮を馬鹿にして、日本だけがすばらしいという、いわゆるネトウヨの考えには反対である。私はアメリカにいてみて、日本はアジア人なのだと痛切に感じた。また、最近はアジアのインドネシア、台湾、韓国、中国を回ってみて、私たちの文化は中国からの文化であり、仏教などはインドから南の島を経由して日本に入り込んだもので、日本人の感性はアジアなのだとしみじみ思っている。だから、自分だけが“名誉白人”のように考えるのは間違っている。有色人種が日本人なのである。また、何も有色人種であることを卑下する必要なんか全くないと思う。アジアと仲良くしていくのが本筋だろう。

たとえ日米同盟に賛成の立場の私だが、どうして国民の大半が辺野古の海をつぶさないでグアムに出て行ってほしいという事をもっと時間をかけて交渉し続けられなかったのかと思う。日米声明に辺野古を入れる意味がわからなかった。どうして社民に少し譲歩する気が無かったのか。もちろん、ここまで大変な交渉をすぐに変えることは難しいのは、沖縄の人じゃなくても分かった。だったら、もっと時間をかけるという声明でも良かったはずだ。そして、閣議。なんで、あんな風に決着をつけなければならなかったのか。何で罷免する道筋にしたのか。社民に連立を破壊するように仕向けた理由は何なのか。自民党に政権を渡したかったのか。鳩山さんが自滅の道をすすむ意味は何なんだろう。

あんな風に面子をつぶされたら、私でも福島さんのように連立をやめるだろう。罷免するように持っていくのも馬鹿としかいえないし、連立離脱された後先を何も鳩山さんが考えていなかったとは思えないのだが、何を考えていたのだろう。まるで自民党のような外交政策をしめしながら、民主党は自民党ではありませんなどとどの面下げていいつづけ、政策を実行できると思うのだろう。居座り続けるというのでは、鳩山さんは馬鹿を通り越して、国民を舐めている。ここで自民と同じ路線を示すならば、民主党に一票を入れた国民をだますことになる。あまりに腹が立って、夜も眠られなくなる。

と、一日切歯扼腕、腹を立て続け、夕食後、トレーニングに行き、汗をかいて帰ってきてからは、寝ることにする。
 31日(月)  今日は、朝ゆっくりしてから、家事。その後、1時から市民部のヒアリングをした。障害福祉、企画がきて話し込んだ。

夕方、所沢まででかけ、帰ってきたら、9時。今日は、プロペどおりで、こけなかった。先週は足をくじいてしまった。道路面がでこぼこしていて、歩きにくい。インターロッキングのような道路は一時流行したものだが、あるづらく、且、維持管理に手と金がかかる。バブルのときの遺産かなあ。ヨーロッパの石畳も固すぎて歩きにくかったのを思い出す。
30日(日)   今日は、朝起きてから、息子の洗濯を干してあげて、もう一回洗濯をした。お天気が良くて、気持ちがいい。私たち夫婦は車で沢渡まで行き、バスで上高地に行き、散策した。まず、大正池でバスをおり、梓川に沿って河童橋まで歩いた。日本に来て何年にもなるが、美しい上高地を夫に見せたかったのだ。私は大学の時には毎年、時には春や秋にも友達と上高地に行っていた。一緒に行った学生達はどうしているだろうか。40年前でも、医学部の学生はお金持ちで車を持っていたので、乗せていってもらったものだ。(男友達はいたけれど、恋人ではなかったのはどうしてだろう。そもそも、かわいげの無い女だったかなあ。)

大正池が変わってしまっていて、私は大変がっかりした。立ち枯れした木が朝もやや夕霧のなかにあったのを思い出すが、今ではもう2,3本がみっともなく池に立っているだけだった。焼岳はきれいだったし、薄緑色の木々や鶯の鳴き音も透き通った空気の中で新鮮だったけれど、私は昔を知っているだけに、失望感のほうが大きかった。

遊歩道もきちんと完備していた。時々、山々が良く見える地点があり、息を呑むほど雄大な景色に見とれ、カメラのシャッターを切った。お天気がすばらしくて、穂高岳がすべて見えた。昔は岳沢をとおり、西穂も奥穂も上ったものだが、今からでは無理かもと思う。時間をかければ、上れるかもしれない。夏に又来たいと思った。

石楠花もまだ見られず、つつじも無かったが、野の草花が咲いていて可憐だった。猿をみた。餌付けをするなというのが良くわかった。遊歩道のすぐそばまで来て、群れで戯れていた。若そうな猿だった。観光客は多いけれど、まだまだ自然が残っていた。帰ってきて、息子に松本にいる間に一度は上高地に行くように言った。

夕方、上高地から戻り、息子と落ち合って食事をし、今度は松本のブックオフにより買ってきた。9時過ぎに松本を出て、11時半には狭山に戻った。昔は、6,7時間もかかったものだが、今は近くなったものだ。でも、息子と別れるととても寂しい。あまり、会わないほうがいいかなと思う。
29日(土)   今日は朝少しゆっくりし、12時に家を出た。ちっとも渋滞も無く、2時過ぎに佐久に着いた。いつものとおり、佐久のブックオフで本を立ち読みして、いくつか本を買ったりした。最近私と夫はブックオフで本を買うのが楽しみなのである。くだらない本が多いけれど、仕事を忘れられる。

鳩山首相の昨日の決断は本当に腹が立って仕方が無い。どうして、閣議決定が必要なの?なぜ日米共同声明が必要なの?その説明だけでもしてほしい。なぜ、今沖縄のことを問題としなければならなくて、何で5月決着なの?今後の、参議院選挙をどう考えればいいの?いくら鳩山さんが宇宙人だとして私たちに理解できないとしても、少なくとも理解できるような説明がほしいところである。本当に今までフォローしてきた鳩山政権だけれど、今度という今度は虚脱感が付きまとう。小沢さんも本当にかわいそうだ。こんな首相の支援をしているんだもの。

鳩山さんは小沢さんが嫌いなのだろうか。内閣はわけのわからない、反小沢の前原、仙谷、枝野、岡田、長島、平野。こんな人間を集めて、マニフェストに沿わない好きな事ばかり言う内閣を作って、小沢さんを内閣に入れないで政権を迷走させている。小沢さんの力で政権交代したのに、寝首を掻こうとでもいうのだろうか。今まで、私は鳩山さんに3遍ほどあったことがあるが、最後にあったときは、あるパーティーでだった。あんなかわいい顔をしているが、政治家としてとあるオーラがあった。そのオーラは思ったよりも権力志向のオーラだった。もう、5年ほど前になるかな。もちろん、権力を志向する人間にはそれなりの物があるとは思うし、ぎらぎらしたところが無いのではやっていけないとは思う。悪いけれど、なにかサモシイ感じがしたんだよな、そのときは。

この政権で、全うに仕事をしているように見えるのは、亀井大臣ぐらいかな。彼は民主党ではないからね。後の大臣はしていることがちっとも見えない。法律は何が通ったんだろう。仕事をしようとすれば、あれほど衆議院の数があるし、参議院だって多数を取っているんだから、がんばれるとは思うんだけれど。

もう、きっかり小沢さんが総理大臣になって、しっかりした内閣を作って、仕事に励んでもらいたい。これが私の望むところである。官僚支配を脱するとか言いながら、やっていること(やらないことか)は官僚主導。まともに大臣をしたことの無い人間が、首相になったということが間違いだったのだろう。政権を小沢さんに渡すべきだと思う。鳩山さん、辞任したら。

夕方、別荘のありんこ退治をしてから、松本へ行った。松本で息子に会って、小さな誕生パーティーをした。31日は彼の誕生日なのだが、一緒にいられないので、今日、松本に来て、ケーキを食べ、食事に行った。遅くなりすぎで、居酒屋にいった。まあ、フィリピン人さんがしている店で、食べ物はそこで作っているからおいしかったが、うす汚い店でもうこりごり。一人じゃ行かないね、あの手の店は。子供もびっくりしていたんじゃないかな。かれは、チェーン店じゃなく本当の居酒屋なんて生まれて初めて行ったんだと思う。

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