私の独り言 2011年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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 2月   私の独り言  2011 
28日(月)  今日は私の一般質問の日。昨夜遅く、というか今朝、第2質問になるかも知れない事をメモして執行部に送っておいた。でも、私は第2質問以降は自分の考えの赴くように答弁を聞きながら、台本なしに行うので、まあ時間が来るまで質問した。しかし、時間が足りない。答弁が長いんだから。まあ、そういう質問をすれば仕方がないが。。。この前の栗原武さんの質問もそうだったが、やはり時間を区切るとしても議員の持ち時間を区切るほうが良いと思う。答弁は短くしてほしいといっても、あちらにも説明したい事もあるだろうし、発言も自由のはずなので、勝手に短くできない。

私は5番目だった。午後からだった。障碍者団体の人やいつもの人が一般質問の傍聴に来てくれた。結局時間が足りなくて、終わった後にいつもの鬱がやってきた。最後までコメントする時間がなかった。用意していた消防長なんかきっと「ああいえばこういう」という風に考えていたのに違いないが、質問しなかったのでつまらなかっただろう。残念だったね、安永さん。待っていてね、次の機会は絶対あるから・・・でも、あったときは又今回のように火事で死亡者が出た時か。そうしたら、ないほうがいいね。それにしても、議会できちんと確認を取りたかった事をいう事ができなかった。

もう、考えるのも嫌になっていたが、議会後は街づくりと予算の勉強会を入れていたので、きちんとやった。我ながら偉いなと思う。自分の好奇心は満たされ、頭は整理されて議会で聞くべきことを数点まとめた。これでよし。

夜はつかれて、そのまま寝た。特に昨晩は眠られなかったから、エネルギーが切れた。
27日(日) 今日は、新狭山の教会で礼拝をもった。その後、寿荘を訪れた。バスが来なくなるというので、その対応が大変そうだ。私は、その事については障害者団体に情報を流したが、高齢者施設には流さなかった。本当は交通防災課が利用者との話し合いをきちんとしてから、計画を立てるべきだったのだ。それなのに、まともの話し合いもなく、庁内会議できめた。それが問題だった。議会で説明があったときに、敏感にそれに反応したのは私だけだった。他の議員はほとんど無関心だった。今になって市民があわてているから、というが、そんな事は市民が大騒ぎする前に議員には分かっていたのだから、私と一緒に声をあげるべきだったのだ。

帰りにチラシをくばったのだが、花粉で目がかゆくて、目があけているのも困難になり、帰ってきた。市民会館では文化祭をしているのも分かったのだが、とにかく目が開いていられないので、帰ってきて、体と目を洗い、うちの中でじっとしていた。もう、本当に辛い季節だ。くしゃみをすると止まらない。

夜は次の日の一般質問の事を考えながら、原稿を直したり、第2質問を考えたりした。神経がさえ渡り、眠られない。今回は予算議会で一生懸命勉強をした。そして、市民に必要な事は質問した。そのせいで、一般質問をもっとじっくり考える時間を取れなかった。今回は、実態調査をしてもらいそれを報告してもらう事や、持論を展開する事などになり、自分が歩く事が少なかった。何しろ忙しくて忙しくて体がいくつあっても足りない。
26日(土)  今日はなんと起きたのが、9時を回っていた。昨夜、珍しく本を読んでしまったから。それも夜中の12時から読んだから、終わったのが3時だった。

昨日から風が吹き、目がかゆく、くしゃみが出る。花粉症がよくなったと思ったのに、残念だ。いつもの通り、苦しい。ブランチをしてから、チラシ作りに励んだ。下書きを事務局長がしてくれていたので、それを直した。そして、2千部刷った。

その後、ホームページをアップ。スケジュール帳みてはっと気がついたときには遅すぎた。今日は「国際交流の集い」があったのに忘れていた。 アイリッシュダンスも見られるはずだったのに、忘れ果てていた。

というのは、心は「高橋ブラクソン久美子とすすむ会、会員とサポーターの集い」が会ったからである。「6,7人集まればいいよね。」といっていたけれど、それ以上に人が着てくれた。本当に嬉しかった。こんなに少なくて選挙になるのというだろうが、大丈夫。神様が付いているもの。市民の方はきっと私のようなしがらみのない市民だけに支えられた議員も必要なのだとわかってくれると思う。

2時間半ほどでお開き。私は今夜は飲まずに、会員さんを送っていく係りをした。心がほっとするような会で、私もお話もできてよかったと思う。
 25日(金) 今日は、一般質問初日。皆頑張ります。ほとんどの議員が1時間たっぷり使い質問します。1時間といわず、もっと突っ込んで聞いてほしいと思う質問もあった。質問を聞いているとやはり予算審査とは違う。一般質問で市政方針について聞けばいいという議論があったが、やはり一般質問と予算審査や施政方針への質問は意味が違うなあ。政策論議になる余地があるのが一般質問である。ひとつの事をじっくり話をする。たとえば、今回は三浦さんがじっくり学校の統廃合についてしていたが、勿論私と三浦さんの意見が違ったとしても、教育委員会の姿勢を明らかにした。時間を掛けなかったら、こういう事をはっきりさせられない。

そういう意味では、私も含め栗原さんも質問内容が多すぎて、どれもこれもが駆け足になってしまう。とても聞き応えのある質問なのに、どれも駆け足になるとどれも印象に残らない。栗原さん、あなたが議運の委員長の時に決めた事だけれど、答弁とあわせて60分なんて、質問を真面目にまともに行ったら無理ですよ。少なくとも答弁除いて40分ぐらいにしなければね。答弁が長かったら、議員の質問する時間がなくなってしまう。そして、執行部は60分をにらみながら、適当に答える事になってしまう。誰のための何のための質問ですかっていう事。

 大切だと思った質問は、共産党さんのTPPについての質問。実は彼がしなかったら、私自身がしようと思っていた質問なのである。農業だけでなく、社会すべてが変わるような大きな問題を農業だけの問題に歪曲していいのかと思う。猪俣さんもちょっと言っていたけれど、アメリカに日本市場は食い物にされるという事なんだけれど。その構図をきちんと見極める必要があると思う。今4カ国のTPP。アメリカと日本が参入して、原則すべての関税を撤廃する事で、誰がどう利益を上げるかという事を良く考えなければ。また、農業に関していえば、アメリカと競争できない。太刀打ちできない。価格競争はむり。大規模農園化も日本では限界がある。

そうなると、日本農業は高く品質の良いものを作り始める。工業と同じようにだ。そして、それらは日本人の一般の人には供給されなくなっていく。誰が、狭山市の高級サトイモを食べているだろう?東京の高級料亭へ行くお金持ちだけでしょ。貧乏人は外国製の安物しか口に入らなくなるってことだ。

食料だけは関税を掛けても守っていかなければならない。スーパーができて、小規模小売業が亡くなったように、大型資本でできるものがやってくれば、小規模なものは駆逐されていくのだ。それは、農業だけでないのよ。すべての商品に関税がなくなるのだから、すべての商品が大きな価格競争にさらされる。日本の質の良い農産物は、それなりに競争力を持つが、庶民の口から遠のく。見てご覧、日本製の服を着ている人の数。今後は、すべてにおいて日本製のものがなくなっていく。アメリカのように。買うお金があるうちはいいけれど、いつしか買えなくなる。戦争でも起きたら、中国がもっと反映したら、日本に食料が入ってくるのだろうか。少なくとも、自国民の食料は関税を掛けても、守らなければならない。農家への保障だってすべきなのだ。そして、それはどの国も行っているが、日本だけはしていない事である。

夜、入間の湯へ夫と出かけた。
24日(木)  今日は質疑2日目。歳出は沢山ある。私は計画つくりに市民参画をきちんとするように念を押す質問をするようにしている。それと、やはり市民が参画するような七夕や大茶会については聞く。お金が掛かる電算システムの事。今度からは外国人も登録する住民基本台帳。学校では新しい指導要領の元、英語活動が始まる。 あれもきっと市民には有用な情報だろう、これも聞いておかなければならないと、さまざまな事を考えながら、委員会に付託されない総務、民生、教育関係を網羅して質問した。大抵は役人に質問を押しててあるが、流れがあって早々シナリオどおりに行くわけでない。でも、部長になる人は、ああいえばこういうという頭の良い方々なので、私はぜんぜん心配せず質問している。分からなくなったら、答弁保留という手もあるわけだからね。

それにしてもいろいろな立場のいろいろな議員がいる事は大切だと今回も思った。私にはすべて聞くことができない。あれほど勉強会をしても、それを全部網羅できてはいないのだ。代表的なものを選び、そして質問する。それに、忘れて質問しないこともあるのだ。だから、多様な議員が必要だといい続けれ要るのだ。少数精鋭よりも多数鈍才でもいいのだ。数は精鋭を超えるんだよ。

金太郎飴のように若い男性、中年の男性ばかりでは政治はできない。まだまだ、私は引退できない。頑張って選挙準備をしよう。これは私だけじゃなくて、全体市民のためになると信じる。神様が議員である事を許して下さるのだったら。

閉会後は、燃え尽きてしまった。それなのに、役人に拉致監禁。一般質問の事なんて、考えられないよ~~。
23日(水)   今日は朝6時過ぎに起きた。シャワーをしてから、議案の質問事項をチェックした。

はっと気がついたら、8時を回っていて、夫が「もう行く時間だよ」と声を掛けてくれた。今日の質疑は予算の歳入まで。8時半前に電話で質問事項を役所の国保の電話をした。出産費用が39万円になる。このことをもっと詳しく話をしてもらったわけである。本当のことを言えば、今の出産では食事が格段に良くなり、個室になりと掛かる費用が60万円を超えるという話があるのだ。だから、39万円では足りないかもしれない。勿論、入院の医療費は39万円で足りるかもしれないけれど。それと、早くお金を支給してほしいので、その辺の事を聞く。

質疑は午後まで掛かった。施政方針への質問が結局6人だったからである。歳入まで終わったら、この日閉会。その後、消防がきていて拉致監禁。レスキュー隊が助けに切れくれるはずだったが、そんな優しい役人はおらず、結局6時過ぎまで掛かったわけだ。は~~~。

6時半過ぎに市民体育館へ。ピラティス。運動不足の私には快い運動。止められない。娘と行っている。帰りにヤオコーにより買い物。

夜は、疲れ果てて、もう何も考えられなかった。メールをチェックして寝る。
 22日(火)  今日は議会は休会。午前中から事務所が開いていて、あれやこれやと忙しかった。ボランティアさんが来てくれて、事務長と共にとても心強い。もう一人、事務局員がいるといいなあと友達にお願いしたが、ボランティアに来てくれるという。それはそれで仕方がないか。選挙の準備が目前なのに、とても大変だ。第1回目は何がなんだか分からなかったが、今は分かるだけに焦る気持ちもある。でも、キリスト教信者の楽天的なところは神様がきっと助けてくださるだろうという事なのである。

2時過ぎに役所に。まず、保健センターと。次に教育委員会。まあ、結局は帰りは7時を過ぎてしまった。帰ってご飯を食べたのだが、もうとても議案を見ることができず、メールをチェックしたのちに12時前に寝た。
 21日(月)  今日は説明の2日目。施政方針に関しての質問の通告書を提出した。帰ってこようと思ったが、結局夕方まで役所にいた。

夜、議案の質問を精査していたが、もうとても頭に入らない。もう一度施政方針演説の原稿の点検をした。少し時間を置いて、気分転換してからじゃなければ、とても原稿の見直しなんかできない。それでも、ぎりぎりまで一生懸命手直しをした。
20日(日)  今日は朝礼拝。できる限り礼拝は欠かさない。神様がいなければ、私は議員にならなかったと思う。怖くて選挙なんかできなかっただろう。 さすがに今日は疲れてしまってた。気が張っていて、睡眠が良く取れないのだ。こんな時に限って本を読んでしまうが、それは気分転換以外の何者でもなく、読んだところで頭に入ってはいない。現実逃避。

2時ごろ、ヤオコー前とマルエツ前で演説をするために出発。もう議会が始まったのだ。きちんと報告しなければ。その後、美容院へ。友達が髪を染め、カットしてくれた。とても短くしたから楽。私はセクシーでも可愛くもない女だろう。でも、清潔で誠実にしていたい。そう見えればいいが。クリスチャンはキリストの香りがすればいいと聖書に書いてある。それはそれは難しい。いつか、私を使って神様の技を実現出来たらよいと願っている。祈っている。

夜になって、サピオでトレーニング。とても久しぶりだった。新しい機械が入っていて、少し新鮮な思いがした。
19日(土)   今日は、朝どういうわけか8時におきた。昨晩寝たのが3時過ぎだったので、我ながら体の時計には驚かされる。何時に寝ても同じぐらいの時間に目覚める。朝湯に入った後、食事をして、HPを書いている。もう疲れたから、おしまい。午後2時過ぎ。

でも、結局は施政方針演説の質問の原稿を書き始めたのだ。気が急いている。結局、施政方針演説の通告文もちょっと変えた。読みやすくなったかもしれない。とにかく、原稿を書いて送った。今は簡単だ。メールに添付ですぐに送ることができる。この施政方針で質問をしてしまえば、後々の予算審議の質問量を減らす事ができる。

という事で、結局夕食は簡単に済ませてしまった。仕事が順調に行く時、特に原稿が書けるときは頑張って書かないと、止まってしまえば書き始めるまでに時間が掛かる。
 18日(金)  今日は9時から議会。過日全協もあったし、議運も終わっているので、定時に議会が開会された。施政方針演説もあったし、歳入までの説明もあった。今回、議長の決断で、無所属議員も施政方針に対する質問ができる。この前の決定は、来期に議論されなおす事になった。

私と中川浩さんは意見の合うところはあまりないけれど、この無所属議員の発言を許さないという決定に対しての怒りは共有できた。まあ、彼も無所属だしね。いざとなれば、議運の委員長と議長の不信任動議は提出しようという話を内々にしていた。今まで、そんな決議を出した事もないから、本で調べたら、緊急動議であり、一番に取り上げられなければならない動議らしく、その取り扱いは議案と同じように、説明質疑討論となるはずだった。まあ、狭山市議会で今までした事のない事をするには勉強がいるわけだ。

しかし、不信任動議をしないですんでよかったと思っている。私は無所属議員の発言を許さないという前例を作ってはいけないからこそ、中川さんの意見に乗ろうと思っていた。今まで、無所属議員にも発言を許すという不文律があり、私も行ってきたが、それをさせないというのは悪い前例を作る事になる。私の支援者が、「私は話す議員を選んだのであって、話すことのできない議員を選んだのではない」。議員を市民が選ぶのだが、議員が会派を組んでいないだけで話すことを許さないとしたら、一部の議員の議員たる資格を否定する事になる。500人もいる国会ではなく、たった23人の狭山市議会だ。それに、議院内閣制の国会ではなく、2元代表制の地方議会なのである。違いが分からなければならない。

という事で、午前中に議会は休会し、午後は少しのヒアリングのあと、施政方針に対する質疑の通告を考えて書き終えた。まだ、直さなければならないが・・

7時スカイテラスでワンコイン講座。入曽の関口さん。フジテレビのプロジューサー。ニューヨーク大学を出たという。友達がニューヨーク大学のバッファローにいるから、後で話がしたいなあと思ったのだが、ざんねんだったが、国際交流協会のワージントン部会があったので参加。終わって帰ってきたら、10時を過ぎていた。今日も本当に疲れた。そして、頭の中が興奮しすぎていて、寝付かれなかった。何しろ夕食が10時過ぎだったから、体が食事をしたのち、元気になってしまったという事さ。
17日(木)   今日は、午前中事務所で仕事。午後1時から保健センター所長と予算について。その後、市民部。頑張って終えた。

市民課の課長が言うには住民基本法が変わって、外国人も住民登録するようになるんだとか。この法改正は外国人にとってどんな影響が出るのか、判断もできない。ただ、市としては多大なシステム構築費用が掛かる事は否めない。

完全燃焼して帰ってきた。もう、頭の中は整理が付かない状況である。予算は後で考えて、質問するものとしないものとに整理する。

え~~と、いつ食事を作るかという質問に答えます。夜中です。ご飯は娘が炊いていてくれて、味噌汁も彼女が作りますが、夫や自分の食べる魚料理は3食分ぐらいをまとめて作っておきます。狭山市議会事務局長は私が夕食時にいないのをご心配のようですが、最近は夕食時に誰もいなかったりするのよ。昔、子どもが小さい時は6時半に食事にしていたのにねえ。そんな良い習慣は今の我が家にはなくなってしまって、作ってあるものを各自食べる事になりました。夫はあまり作らないけれど、娘も息子も料理が上手です。
16日(水)   今日は9時半から公益施設関係。福祉部が来て、下水道が来て、あっという間に4時。明るいうちに帰宅したが、疲れはたまりきった。事務所では仕事が山ほどあった。事務局長がボランティアさんを仕切ってくれていて頼もしい。ありがとう。

6時半からピラティスへ。久しぶりの運動でわき腹がつった。夜に買い物をして帰ってきた。
15日(火)   今日は、10時から総務部、午後からは福祉部。食事の時間が取れなかった。便利なおにぎりとパン。

今日も本当に腹を立てた。何で事務局が7時過ぎまで私の勉強会が終わるのを待っていなければならないの?私は彼らがいなくても勉強会できるし、職員に意地悪なんかしないよ。また、役所の器物破損もしないしさ。今回だって、次長は「勉強させていただいてありがとうございます」って言っていたよ。昨日の課長も「勉強しました。分からないところは現課にきてもらいます」って言っていたわよ。

本当に、お勉強って楽しいんだけれど、その間事務局の人が待っていると思うと、とても嫌だ。帰ってほしい。向こうだって、早く高橋が帰るといいなあと思っているに違いない。7時ごろ議長が来て、「高橋さん、早く帰ってください」って言うから、口答えをした。「どこの議会の議長が勉強しないでいいからなんて言うの」って事。私はフェミニスト議員連盟の世話役でかなり多くの東京近辺の議会を知っているが、議員が帰るまで役所に詰めているなんて議会を聞いたことがないし、7時までしか議員控え室を使ってはいけないなどというところもないはずだ。よく会議をする文京区や新宿区、この前会議をした千代田区、会議は10時ごろまで続くが、議会事務局の役人が残っている事なんかない。事務局員が議員を監視しているところなんか、聞いたことがない。

事務局員に議員を監視させている議長は、日本広しとはいえきっと狭山市議会だけだろうね。どういう議長だろう。どういう議会だろう。議員の仕事を誰かに監視されなければならないなんて・・・私は、手島さんとは1年だけだけれど会派を組んだ事があり、彼の誠実な人柄は好きだけれど、このことに関してはちょっとおかしいとしかいえない。誰か一人がおかしい事をすると、その人に注意するだけでなく、多くの人に迷惑の掛かるルールをきめるってやり方がおかしくないですか。

それに、5時過ぎると控え室使用延長届けを出すんですよ。これもまた、大人の対応ですかね。そもそも役所内ですらしていない事でしょうが・・・学校でも大学でもこんな届けを出した事がない。なんだかなあ、あまりにも官僚的な議会。夜中まで議員が控え室で議論をしていたって良いし、職員と一緒に語り合ったっていいじゃないの。変な居酒屋で市民の耳目を集めるよりはずっとずっと健全なんですよ。政策論なんて夢中になって話しができるほど楽しい。

という事で、疲れ気って帰ってきたけれど、充実感いっぱいだ。
14日(月)   今日は、朝から役所に行った。午前中は障碍者福祉、営繕、消防がヒアリングへ来た。午後は財政課。8時半ごろまで。控え室を7時までしか使わないように誰かが決めたようだ。議長の命令で「議員が帰るまで事務局は残っていなければならないんです」という。あまりにも馬鹿馬鹿しくて、どうして誰がいつ決めたか知りたい。これが議長の決めた事だとしたら、なぜだ!ある議員が職員を1時まで吊り上げたという話が前にあったが、その人に注意を喚起すればいいだけのことだ。

私は職員といろいろ勉強会を持つが、皆嫌がっている様子なんかない。(高橋さんに言えないだけですよって言う?)でも、本当に勉強会は楽しいんだけれど。分からない事を探り出して、分かるようになる知的満足は勉強の嫌いな人にはわからないかもしれない。目が開かれた感じがして、小さいけれど達成感に満足する。私だけでなくて、職員さんと和気藹々勉強会をしている。私は勉強会で職員を吊り上げようなんて思ってもいない。課長レベルに聞くと、所管の事なんかすらすらと答えてくれて、もう本当に職員さんはすごいって感じだけで、脱帽です。尊敬してしまいます。

聞いて分からないところは、後で答えを持ってきてくれる。そして、勉強会の中で新しい事業や市民に特に関係が深いような事業については議会で取り上げて聞くようにしている。非難のために取り上げるつもりはないから、職員さんもあまりびりびりはしていないようだ。私が聞いて知った情報はできる限り、市民に返すというのが私のスタンスであり、それは議会に乗せる事で議会の役目を果たせると考えている。やはり、議員の職権をフルに活用して得た事は、議会で取り上げなければならないよね。私の政治活動のためだけに行う事も可能だが、それでは職権乱用じゃないかと私は考えている。

財政課長とも12年来の付き合いだし、誠実な人柄と、ケチなこともまあいいか。(ケチじゃない財政課長にあった事ないもんねえ)。それにしても、ご本人も言っている様に、リーマンショック以降交付団体になれた事もあり、財政状態も良いままをキープできるのは嬉しい事である。不交付団体というプライドはいいが、交付団体だからって市民へのサービスが悪くはなりはしない。それでいいのだ、ニャロメ~~~!!!

早々帰りは雪が降っていたのでのろのろと帰ってきた。きれいだったわ。でも、佐久の雪とは大違い。びしょびしょなのね。
13日(日)   今日は午前中礼拝。野沢福音教会。いつものようにパワフルな説教。ピリピのところ。選挙になるとピリピの章が心に留まる。祈りつつ、御心のなるままに、行動する事が大切であるとの事。

午後杏亭に行ったが臨時休業。体の具合が悪いとかじゃないといいけれど。それで、他のレストランに行った。初めてのところだったけれど、まあ薄いピザが美味しかったんだけれど、ソースが今一だなあ。もしかしてインスタントか缶詰だわね。

その後、別荘に行き、今度はベランダの雪下ろし。「大変だね)と言いながらも、嬉しいんだなあ雪いじりはね。ベランダの雪はもちろん箒で掃除。別荘の大きなリビングは狭山のリビングの2倍ほどあるが、そこのカーペットに寝転んで白く雪の積もった木々を見るのも絶景です。

6時過ぎに山をでて、高速で狭山市に戻った。今日は渋滞もあったので、藤岡でお休みをしてから帰ってきた。3時間ほど掛かった。でも、たった3時間でなんと又もとの灰色の乾燥しきった関東の田舎町に帰ってきたみたい。雪があるとすべてが覆われてきれいだったけれど、雪のない狭山市はちょっと寂しく見えた。
12日(土)   今日は別荘。雪がとてもきれいである。昨夜遅くにやってきた。駐車場も玄関も雪で覆われていて、家に入るまでが大変だった。いつも冬、山の別荘に行く時は、車の中に食べ物を積み、水を蓄え、お湯も持ち、ショベルと長靴は必須である。それでも、ひざまである雪なのでズボンは雪まみれになった。さらさらの雪で、ほうきで掃除をするようにポーチの雪を搔き出した。

今日は朝から降っている雪を見ながら、コーヒーなんかして、心豊か。時々、枝の雪が落ちる音がバサッと山にこだまする。テレビもないし、コンピューターでメールもできない。世間から隔離された場所で、音もない世界。午前中、本を読んでいた夫は娘と一緒に外に橇遊びに出かけた。私はしないで、午前中から手をつけていた一般質問の原稿書き。気分はいいし、妨げになる音も事もないので、こんなにすらすら書いていいのかと思うほど原稿を書いた。何しろ第1稿だから、変えることもあるだろう。まあ、いいさ。

夕方近く、穂のかの湯へ。のんびりが尚増した。とにかく日のあるうちの温泉は贅沢。それだけでも癒しになる。あまり遅くならないうちに、スーパーに行って、ワインや食料を買い込んで別荘へ。夕食後は、読書。
 11日(金) 今日は、お母さんの誕生日。夫は昨日の夜アメリカのお花やに電話して花を送る手配をしていた。去年、お父さんがもうだめだという時、3月4日が誕生日だったからお花を贈ったことを思い出した。一年は早いような、遅いような。今年は赤い薔薇を送ると言っていた。今まではお父さんが赤い薔薇をお母さんにあげるだろうと、遠慮してピンクの薔薇にしていたのだ。

 午前中は本を読んで過ごした。だらだらしている暇なんかこの頃全然ないから、この3日のスケジュールをあけて、選挙前最後の休暇にしようと思う。けれど、このホームページの更新をして、今はすでに4時。コンピューターを持って別荘に行こうというのであれば、もう、仕事をしないという事はないだろう。できるならば、一般質問の原稿を書き上げようか。
10日(木)  今日は朝議会事務局によって、出し忘れていた通告を出した。一般質問で施政方針に対する質問をしろというが、もう一般質問の内容は決まっていたから、そのまま通告する事にした。これ以上内容を増やして施政方針に対する質問なんか入れられない。1時間で終わるわけがない。でも、しゃんしゃん議会なんかしていたら、名古屋じゃないけれどリコールされる。分かっているのだろうか、大会派の人たちは。例え短くても質問しなければ、また、格好をつけるために何人かが質問すれば、そして、耳障りの良い質問だけをしていれば良いと思っていたら、市民からもっと議員を減らせだの、もっと報酬を減らせだのと言われるだろう。当たり前だ、市民がそういうのは。

あれこれして、ボランティアを迎えに行き、昼食をして、12時半過ぎに萩山の病院に。障害年金のための診断書を書いてもらわなければならない。

私は支払いの前に帰ってきたが、後で電話があり、娘が言うには2万円持っていったが、それで足りなかったという。診断書が1万円ですよ。驚いた。何でそんなに高いんだろう。お金がない人は年金すらもらえないんじゃ、親のお金を持ち出さなければ年金が手に入らないじゃ、どうなるんだろう。嘆く。

病院から役所に行き、明日以降のスケジュールを決めて、立ち話をして帰ってきた。街づくり推進部で西口が完成するときに議員でいたいなあと思うと話した。着手の前から今まで見てきたが、今後の行方も確かめたい。そんな強い思いがある。だから次の選挙に出ようと思っているのだ。当選したいなあ。

夜、帰ってきて食事の後、疲れていっぱい飲んで、少しホームページを更新始めたが終わらなかった。 
9日(水)   今日は、朝雪が降っていて、ちょっと嬉しくなった。雪国育ちの私は雪が好きだ。じゃんじゃん降るといいなあと思ったが、10時過ぎに役所に行く頃には雪も止んでしまった。

なんだかなあ、今日はもうがっかりを通り越して、来期議員をしたくなくなるような思いの日だった。全員協議会でこの前小谷野さんから話のあった無所属(会派に属していない議員)は施政方針演説の質問をさせないという事を議会運営委員会で決めたというのだ。要するに今までは私がしていた施政方針に関しての質問の発言を許さないと決めたという。これは民主主義の破壊だ。議員の発言を封じて議会として何が得になるというのだ。執行部と対等の関係を築くには、まずは数が必要であるが、それすらもこの前削った。そして、数少なくなる議員の発言すらも自らが制限するとなれば、それは何を意味するのだろう。狭山市議会をどういう市議会にして行こうというのだろうか。

さまざまな意見がある。耳障りの良い意見だけじゃないに決まっている。議員として聞いていてもまるでイチャモンとしか聞こえない事だってある。でも、そんな発言も発言である。そういう発言を寛容しない議会では正論がなくなってしまう。左の意見も右の意見もあっても良い。めちゃくちゃとしか聞こえない意見もあっても良い。その中で議会としてまとまれるところはまとまっていけばいいのだ。そして、その寛容な議会だからこそ、品が出て議会の重要さがわかるというものなのである。執行部にはいろいろな意見を聞かせなければならないのだ。

大島さんが言っていた。「無所属議員は執行部に耳の痛い事をいいがちであり、それを押さえ込むために発言を制限するのだろう」と。本来2元代表制をとる議会においては、市長派だろうとか反市長派だとかいう事はない。きちんとチェックして、きちんと提言をしていくのが筋である。市長がする良い施策には評価し、悪い施策には反対していかなければならない。私だって、仲川市長に辛らつな事も言ったが西口の開発では同じ思いで完成を待ち望んでいる。是々非々である。

こういう議員の発言をどうしてふさぐのか。なぜ塞がなければならないのか。何のためにするのか。会派とは何だ。議員の発言とは何のためにあるのだ。議会の効率というが、夜中まで議会を続けたのは、私の問責決議の時のほかになかった。議会では議論を重ね、質疑を充実させる事が大切で、効率よくするという名目で発言させないなどというのは、議会の役目を分かっていないとしかいえないじゃないか。

この前、効率を高めるという名目で議員の一般質問の時間を1時間に短縮した。そして、今度は発言をさせない。何が議会の活性化だ。議会を後退させているだけじゃないか。こんな議会改革はない。いや、後ろを向いた改悪をしたい議員の責任を問いたい。このたびの議会運営委員長は田村さんだった。いくつか議長に諮問された内容についてまとめを取りたかったのは分かるにしても、こんな議員の発言権を制限するような事をなぜ早急に決める必要があったのか。次の議会のメンバーには新しい議員が多くなるのは見えている。議会とはを一から教えなければならないのだ。本当に情けないとしかいえない。始めるところがまるで後退した議会で、その前の闊達な議会を知らないとしたら、どんな議会改革が行われるのか心配を通り越して、情けない。

国会や菅総理大臣の行動を見て、日本の政治を憂うのだか、狭山市の政治も劣化し、自らの力を自分で放棄しようとしているとしか思えない。この状況をどのように打破していくのか。辞める先輩議員の心配そうな顔を見ていると、本当に複雑な思いしかしない。自らの闘争心を煽るために、どうしたらいいんだろうか。

午後、市営住宅を視察した。その後、永田町の憲政会館で「検察審査会の疑惑を究明する市民と国会議員の会」に参加した。日本の民主主義に危機感を持つものとして行動したいと考えたのだ。本当に検察が暴走し始めると冤罪によって多くの犠牲者が出る。命を掛けて政治をする時代がやってくるというのは、いつもの時もそうであるが、それにしても怖い時代になったものだ。私は抵抗しよう。
8日(火)   今日は午前中から事務仕事。ボランティアの方も来たし、事務長も出てきていて、次から次へと仕事がある。何だろう、この忙しさは。

午後は、笹井の友達のところへ顔出しをした。選挙のお手伝いをお願いしたら心よく引き受けてくれて感謝でいっぱいである。そんな友達がいるから、私は選挙ができる。だって、組織が動くわけでなく、気持ちのある人が手伝ってくれるんだから。ある人が議員を辞めるというが、選挙を手伝う人もなかなかいなくなるというのが実情じゃないかと思う。だって、政治家は昔は回りに選挙を手伝ってくれた人に御礼もできたが、今はすべてボランティアでなければならない。すなわち、ほぼ無償なのだ。困った。御礼の仕様もないのだから。良い政治で返しますといっても、仕事をしないで手伝ってくれるのは、ありがたいを通り越している。

夕方、寒くて凍えて帰ってきた。それで、もう夜も仕事もせずに、のんびりした。
7日(月)   今日は、朝にスーパーボウルだったので、夫や息子は残念そうに仕事に行ったが、私はテレビの前にコンピューターを持ち出して、仕事をしながら観戦。パッカースが勝った。応援していたから楽しかった。よい試合でした。勝ったからなお更楽しかった。

午後は、昼食後市役所に。一般質問の通告が始まったから。控え室のコンピューターで仕事を始めていたら、ある議員がやってきて、今期で議員を辞めるというので、話し込んでしまった。3期で辞める人も多いし、長老といわれる方々も多く辞めてしまう。現職で市議会に戻ろうというのは何人いるのだろうか。寂しい限りである。まあ、今後も頑張りましょうと言って分かれた。

その後、通告文を書き上げたが、なんと5時を過ぎていたので、通告できず明日以降に出すという事にして帰ってきた。通告は、あれやこれや考えた。3期目の総括となるが、私の課題全部というわけには行かない。女性問題は又今度という事にして、子どもと障碍者と街づくりにした。

夜は、パーティーだと夫が言っていたので、おつまみを沢山買い込んで、夫と息子とスーパーボウルを見た。私はパッカースが勝ったのを知っていたから、ゆとりを持ってみる事ができた。良い試合だった。Routhlisbergerというステぃーラーズのクォーターバックが不調だったのか、パッカースのデフェンスが素晴らしかったのか、最後まではらはらした。でも、パッカースが買ったから、おつまみも大判振る舞い。
6日(日)   今日は午前中、礼拝。午後は帰ってきて、少しチラシを配ったり、人に会ったりして、1時半に家に帰ってきた。もう、へたばって、テレビをぼおっと見たり、ネットを見たりしていた。毎日、外に出るようにはしている。歩こうとも思っている。やはり、書斎にいる時に比べ、疲れはきつい。夜、映画にでも行こうかと思ったけれど、なんだか動くのすら嫌になった。夫や娘と入間の湯へ行く。
5日(土)   今日は朝から家事。昼食後、マルエツで街頭演説。その後、友達に会いに行き、知人のところに行ったら、お茶でもという事で話し込んでしまった。勿論、市議会の昔話やら、選挙の事やら。あっという間に暗くなり、ヤオコーによって帰ってきた。なんだか、本当に忙しい。それにしても、する事は沢山あるが、している事は単調で、でも沢山の人に会おうと思うとちょっと楽しい。
4日(金)   今日は午前中にHPのアップ。午後は友達に会いに行こう。
3日(木)   この頃、 選挙の準備にとても忙しくしている。一番しなければならないのは人に会う事だ。それで、いろいろ会うようにしている。言われる事は、消費税の増税反対とい う事。食品に消費税を掛けず、ぜいたく品に掛ければいいという。その通り。市民から「小沢さんが首相になればいいのに」といわれた。こ んなおばあさんが良く分かっているんだなあと感心した。「すっから菅」なんていうのだから、驚く。

こども手当ては「私達の頃はなくても育てた」という年配者が 多いが、昔は夫は派遣、妻はパートなんて家庭は少なかったから、一概に同じに考えてはいけないと諭した。それに、今は必要経費が掛かる。経 費は携帯電話。それに地方では車。これらがなければ仕事・派遣にもいけない。小泉の派遣法改悪については例のおばあちゃん達すら文句をいていた。今小学生 を持つ30、40代の親の実態から見れば、こども手当ては仕方がない。

子どもに弁当を食べさせていると非難していたが、今時、パートでも
パートだから、9時から5時の仕事じゃなく、土日出勤OK,夜も 7,8時までOKじゃなければ、誰も使ってくれないから、結局子どもが弁当という事もあるのだ。価格も高いし、栄養だって偏る。良い訳がないけれど、生きるため に仕方がない。もっと早く起きて、握り飯でも作れっていうが、親も疲れている。

国 民がこんなに疲弊しているというのに、国をどうして行くんだろう。国民からこども手当てを取ったら、一息ついている若い人たちがまたまた貧困に落ち込む。 学童保育室できいたのだが、毎週、ご飯と冷凍枝豆だけの弁当を持ってくる子がいる。ご飯とミートボール3個の子がいる。梅干じゃないけどさ。

本当に貧富の差が大きくなっていて、悲しい。そして、世代間の思いやりも少なくなった。年寄りには格差なんて分からないし、ニートに好きでなっているのだろうと思う。選らばなかったら、本当に生きて家庭をもてるだけの仕事があるの?

私 の周りにはデフレを感じられない人が多い。すなわち物価は下がっていない。にんじんは170円だし、ねぎは190円。牛乳は170円だ。灯油は1500円 と上がり、ガソリンだって140円近い。給料は下がっているけれど、本当に物価は下がったの?ちっとも生き易くない。学費も上がったまま。ス ウェーデンでは大学まで無料だったのに、日本の国立大学は60万円ぐらい必要で、その上、寮が少ないから、生活費も掛かる。貧乏人はお金を借りろというけ れど、誰もが借りられるものでなし、借りたら返さなければならないけれど、仕事があるの?奨学金という名の借金返しができない人が増えている。

私は本当に市民派だなと思う。皆がいう事に本当にうなずける。うれしい。

夕方狭山市駅西口事務所で説明を受けた。帰りに夜の駅前をブリッジから歩いてみたら、とても沢山の人が駅にいて驚いた。こんなに賑わいのある街だったかしらね。何か買い物をしたいと思ったけれど、お店が少ないので買い物がなかった。ブティックガあればいいのにとか、美味しいケーキやさんやパン屋さんなど日常に関わるお店があるといいね。きっと駅ビルに入るのだと思うけれど。

2日(水)   今日は朝から事務仕事。する事が沢山ある。忙しい。ボランティアさんが来てくれていて嬉しい。

夕方からまた友達のところに行った。お昼時間からだから少し申し訳なかったけれど、その時間じゃないと合えない人もいる。

夜はピラティス。久しぶりにわき腹がつった。運動不足です。
 1日(火) 今日は久しぶりにお手伝いさんが来てくれて嬉しかった。少し彼女ともお話をした。お手伝いさんが家事をしてくれるから、午前中から選挙準備活動を進めている。政治活動もしている。いろんな人に会っているが、皆さん本当に優しくて私はこんなによいのだろうかと恐れおののく気持ちもある。それと、もっともっと街に出て人に会わなければならないと思うのだ。さまざまな話を聞き、自分のやってきた事の意味を再確認している。良い経験だ。 

3時半ごろ家に帰り少し休んだが、5時近くなってから役所に。頼んであった資料が届いていた。その資料を基に、関係課に行き、もっと資料を要求した。その後、いろいろな人と少しずつ話をして帰ってきた。

夜は、テレビ見ながらHPをアップしている。少し疲れたな。今日は暖かかった。。それによく日に当たったから。
1月  私の独り言  2011
31日(月)   今日は朝から家事に明け暮れた。明日からはお手伝いさんが来てくれるのだが、今日は昨日からのたくさん洗濯があった。天気が良いのでシーツを洗ったりしていた。午後はHPを更新し始めたが、夕方には郵便局に出かけた。その後で、又友達に会いに出かけた。

どこで会う人も優しい。私の3期12年間の仕事を評価してくれている。12年間1度も欠かすことなく議会レポートを出した事への評価。その内容が市民の側に立ったものであり、その立ち位置が変わる事がなかった事。そんな事が評価されているのだと思う。
30日(日)   今日は午前中、礼拝。午後ブックオフによって帰ってきたら、なんと2時半。お昼を食べてほっとしたら、3時半。ヤオコーに演説に行った。30分ぐらい演説したら、体が凍えてしまった。マクドナルドでコーヒーを買って温まろうとしたら、マックの女性従業員が暖かな手を出して温まってくださいといってくれた。私の手は氷のように冷たかった。暖かな手を握らせてもらい、私は心から暖まった。本当に美しいこの女の子。私も知らない人の手を取って暖めてあげられるだろうか。心から感動した。こんな暖かな心に支えられて私は市議会議員をしていられる。

選挙の準備のために走りまわっているが、会う友達はとても優しくて心から感謝である。何人にも会っているが、こんな素晴らしい人たちに支えられていて幸せだなあと思う。それにしても、まだまだ準備は終わらない。
29日(土)   今日は家事を午前中に終えた。午後からは演説に出かけた。まずはマルエツで30分ぐらい演説した。今回は、堀兼まで友達に会いに行った。久しぶりに会う人が多いが、皆優しい。私はこういう友達に支えられて今まで来たのだなあ。

最近、「終わりのないラブソング」という栗本薫の書いた本を読んでいる。主人公が14歳ぐらいから22歳までの事を書いた青春本ともいえる。親に疎まれた男の子が強姦されたりしながらも、けなげに生きる様子を描いている。栗本さんは天才で、読めば読むほどきらめくような深い言葉に出会う。あるところに書いた私の感想をコピーする。

ホモに偏見がないからかな。
私はこの本が好きです。
悲しいけれど、美しく、
理不尽だけれど、うなずいてしまう、
暴力的だけれど、仕方がなく
きれいなものは汚れていて

まだ、全部読みきっていないけれど、
なんだか、日本人の1/3がこんなじりじりした思いでいるんじゃないかって考えてしまう。

モンテクリスト伯の言葉って言うのが引用されていて、
もう、絶望以上のないときの言葉だけれど、
 
まて、そして希望せよ

何を待って、何を希望しよう。
若い人のための小説だから、きっと夢が続くけれど、
ひとつひとつしわが増えていく私達、
記憶をなくしていく両親たち、

待っていて、希望する。

希望するものを持っていたいなあと若者じゃない読み方でこの本を読んでいる。

栗本薫さんも56歳で逝ってしまった。
こんなものを書いているんだもの、長生きできないよなあって思ってしまう。
ちまちま生きたった行き着くところはどこか分からないけれど、
ちまちま生きられる事に本当に感謝しようと思う。

いまやないJUNEと言う雑誌に書いたものである。1991年に書かれた。同性愛のような形態をとる。私はヘテロだが、こういう愛もあるのではないかと思う。愛は時には性別すら超えてしまうのではないかと思う。

夜中にサッカーのアジア杯の決勝だった。前半をみたが、はらはらして後半を見ることができないで寝た。途中、夫がベッドに来たので聞いたら、日本が勝ったそうだ。良かった。
28日(金)   今日は朝から頑張って家事をこなし、午後はHPを更新し、それから遅くに役所へ。いろいろな役人と話をした。12年間議員として頑張ってきた。西口の開発なんか、役人と手を携えて頑張ったような気持ちのところがある。私がもう1期したい理由のひとつには狭山市駅周辺の開発事業を最後まで見届けたいという気持ちもある。西口だけでなく、東口も変わる。市民が喜んでくれるのを見たいなあ、議員として。当選できたらいいなあ。

しかしながら、私は選挙の準備が遅れていて焦る。会員も少ないからなあ。新人さんはどんどん看板を出す。でも、私はもう出しちゃってるから、新しく出すわけに行かない。他の人はいいところに看板を出しているなあと思う。友達のところに候補の人が挨拶に来たという話なのだが、偉いなあと思う。私は知らない人のところに行くことがないなあ。この4年間の努力と誠実にしてきた議会活動を市民に評価してほしいなあ。そんな事を考えている。
 27日(木)  今日は朝なかなか起きられなかった。昨晩、1時ごろから1冊本を読んでしまったのだ。おきてからはベッドの中でまたまた本を読み始めたが、10時にはおきて、事務仕事。事務長はもとより、ボランティアさんも来てまたまた張り切って仕事に明け暮れた。私はこのHPの更新をしていたが、時々あれこれ支持する事もあり、うまく時間配分が出来なかった。2時半には終わりにした。

その後、友達を送っていって、何人かの友達とあって話をした。私が外に出て行けばいろいろな人に会えるのだなあ。それにしても、私の友達にはお金持ちがいないなあと思う。全うに生きている人ばかりだ。苦労も沢山ある人も、なんとけなげに生きているだろう。障碍がある人も、障碍児を持っている人も、失業中の人も、アルバイトをしている人も、母子家庭の人も、本当にさまざまな人が選挙にかかわり、私を支援してくれる。昨日、会った友達も私の議会レポートは読みやすいといってくれた。[私の市民派としての視点が変わりがないからね]と言った。私は器用でないので、簡単に自分の立ち居地を帰る事は無理だ。きっとだからこそ支援してくれる人が多いのだと思っている。
26日(水)  今日も朝から事務仕事。コンピューターではがきをつくったり、いろいろな仕事がある。ボランティアの方がまた手伝いに来てくれた。こまごまとした仕事を多くの人が陰になり日向になり支えてくれているのが嬉しい。なんだか、4時過ぎまで掛かった。

友達を送っていってから、、少しづつ活動の輪を広げようと動き出し始めた。それにしても寒い。6時ごろに帰ってきて、大急ぎで娘と夕食をたべ、6時半過ぎに市民体育館へ。ピラティスをした。ゆっくりした動作なのだが、運動量が多く、体が温かくなった。

帰りにヤオコーによって、安いものだけをたくさん買って帰ってきた。

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