私の独り言 2011年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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 4月  私の独り言  2011  
30日(土)   今日は忙しかった。午前中は残務整理。午後は1時から大島さんと会って会派について話した。夕方からは「すすむ会」の懇親会があった。なんだかあたふたしているうちに一日が終わってしまう。

すすむ会の懇親会は楽しく終わった。この前の選挙の時、私がへべれけになった事を思い出せば、なんとも平和な懇親会。選挙そのものになんとなく余裕があったという事か。勝つか負けるかというよりも、どんな風に戦い、どのように今までの議員生活を評価されるかという事が問題であった。そんな中で事務所の人は燃えてくれたのがはっきりしていた。感謝でいっぱいだった。

選挙に思った事は、アファーに原稿にするので、どこかに掲げておこうと思う。議会に対する市民の無関心さが心に刺さる選挙だったことをここに記しておこう。
29日(金)  今日はお休みだが、結局家族全員働いていた。夫は来週に代休を貰うといって仕事に行き、娘は旗日も働く事になっているらしく仕事に出た。私も選挙の残務整理があり、お休みするというわけに行かなかった。

体が芯から疲れ果てており、何をするのも億劫だ。
28日(木)  今日は午前中に家事を終えて、午後は役所に書類を届けに行った。政務調査費の提出日が今日であったから。あれこれしていたら、夕方手島さんが帰宅するのに遭遇。「今日で僕の出勤は終わります。」というので、握手をして分かれた。なんとも、あっけないさようならだ。彼は、今後は会社に帰って仕事が沢山待っているだろう。どこに行っても手島さんの事だから、誠実に手堅く事を進めるに違いない。

資料請求もたくさんして、6月議会の一般質問の準備をしてきた。

さてさて、会派。私は、若い人も育てたいなあと思う。勉強会もしてあげたいが、やはり他の会派の人にはそんなに手をかけてあげられないと思う。多くの人が集まるような会派にならないかなあと願っている。私は教員あがりなので、どうも教育が頭から離れない。矢馳さんはどんな方かよくわからない。土方さんは月曜日に話したが、性格が良いように見えた。プロレスラーとは信じられない柔らかな感じ。笹本さんは民主党の人。金子さんは前から面識アリ。萩原さんは、最終日に演説をしているのを見た。太田さんは鵜の木の人。これだけ新人がいるのだから、誰かと一緒に仕事をしたいし、できれば私のノウハウなどを授けたいと思う。勿論、皆個性的だから、それぞれが自分の道を見つけ出すべきだが。

私は1年生は少なくとも1年間は先輩について学んだほうがいいと思っている。私ですら、1年は会派に属した。出来れば大きな会派が出来るといいなあと願っている。私はどうも政治力がないので、会派を作るなどというのは無理かもしれない。は~~~。どうなるか。 
 27日(水)  今日は、朝から又もHPを更新した。今は月末でお手伝いさんがいないから、やはり家事にも手が掛かる。まあ、仕方がないという事だ。

午後に事務長が出てきて、彼女は選挙の後始末に励み、私はネットニュースを作り上げた。原稿を作ったので、後は印刷だけだが、紙がなかったのでトステムビバに買い物に行った。ついでに、いろいろなものを買って帰ってきた。本当のことを言って、選挙中は買い物もできなかったので、シャンプーやらの買い置きがなくなってしまった。姪も息子の彼女も家に泊まっていたので、毎日が大人数だった。

ビバで思ったのは、犬や猫の売買だ。とても可愛らしい子犬や子猫が売ってたが、あの子達はすべて買われていくのだろうか。もし、買われなかったらどうなるんだろう?日本は犬が注文で買うシステムがないらしく、あのようにショップで買う。それで、要らない犬やら売れない犬を殺すらしい。まあ、牛も豚も飼っていて、私達はその肉を食べるのだから、あまり大きな声で、抗議は出来ないかもしれないけれど、どうしても、生きているものを売り買いするのに抵抗がある。本当に、あそこで売られている犬達の行く末が心配である。

今、会派のことを真剣に考えている。私は今まで会派に属さなかった。初めのとき、1年だけは中川浩さんと手島秀美さんと会派を組んだ事があったが、それも直ぐに飛び出し、その後は一人で頑張ってきた。今回は会派に属したいと思っている。議会基本条例を作るにあたり、「水戸黄門」みたいな立場でいても、仕方がないなあと思うところがあるのだ。もっと、議会とかかわり、しっかりした議論と勉強を積み上げ、市民と共同して議会基本条例を作り上げたい。

今回低調な議会の投票率を見ていると、議会への期待が少ないからだと思う。期待される議会とは、市民の魅力のある議会とはを皆で考えて、そうなるように頑張らなければならない。「自分の得票が増えたから、それでいいのだ」とはならない。そのために、私は汗をかこうとともっているが、この際一人でいるよりも多く議員といたほうが、発言力も増そうという期待もある。さて、さて、誰が私と組んでくれるのだろか。
26日(火)  今日は朝、急いでHPをアップした。いろいろ書きたいこともあったが、まずはお礼を書いた。沢山のボランティアさんが一所懸命に活動してくださったおかげだから、感謝だけが心にいっぱいだ。

さて、その後で、お世話になった方々に電話をかけた。御礼はできないし、礼状もかけないという矛盾した公職選挙法に従って政治をするのは、人間の常識に外れているという事しかいえない。でも、どうすることも出来ない。

だから、一生懸命「高橋ブラクソン久美子とすすむ会ネットニュース」を作り、皆様に配布したいと思い、作り始めた。これが時間が掛かった。

そんな事をしながら、事務長と選挙活動の反省をしたりした。 分かった事は保守といわれる人の票は私には流れてこなかったという事。止めた方が言っていたように、地元の人は入れる人がいないといって投票に行かなかったという事である。そうだったなあと投票率を見ながら、二人で言い合った。途中で面白い噂をきいた。それで、事務長は怒っていたが、まあ、この政治の世界ではそんな事はいくらもあることである。地元の人が強いなあと思う。あの連帯感は私達のような外からの人間にはないものだ。地縁、血縁の絆というのは、なんだろう。

あとは、テクニカルの事だが、私には出来なかった事だったが、他の選対ではきちんとしていたなあと分かった。とにかく、私は甘い選挙しかしていない。でも、それでも評価してくださる方が要る事は嬉しかったと思う。

結局、夜まで仕事をしていたが、それでも仕事が終わらず、また明日。夜に、入間の湯へ行った。つかれ切っていて、延長してマッサージをしてもらった。気持ちが良かった。
25日(月)  当選しました。この前より、268票多く得票しました。支援してくださった皆様に心から感謝いたします。 

昨晩遅く当選が決まりました。今年は当選後、夜遅くに事務長と支援者が来た。私のところでは、祝勝会なんかないし、大勢が集まって、気勢をあげる事もない。手伝いのボランティアはさっと集まり、そして散っていく。私の議会でのきちんとした活動を望んで。だから、私はしがらみに縛られる事なく、議会で執行部へのご意見番を続ける事が出来た。特定の人の利益のために話すこともなかった。心から感謝である。これからもきっと期待される事は、私がきちんと議会活動をしていく事だろう。頑張り続けようと思う。

当選証書の授与が午前中にあった。これは得票順に渡されるのだが、なんとお下品。私はいつもしたの方なので、ちょっと卑下してしまう。22位中17位でしたからね。でも、目標の2000票をとり、2212票も得票したのだから、私としてはとても満足な選挙でした。事務長はもっと期待していたみたいだったけれど、でも、家族もいず、公職選挙法に則って戸別訪問を一切せず、とにかく選挙カーに乗って、辻辻にたって演説する選挙。これでいいのかと思うような選挙。

公職選挙法で許されている電話かけをボランティアさんが頑張ってくれた。お茶とお菓子しか出さない。本当に手弁当で申し訳ない。そんな選挙で勝てるのだから、狭山市もまだまだ捨てたものでない。私に投票してくれた皆さんに心から感謝だし、本当に支援者一人ひとりを尊敬している。

今回の選挙戦も疲れ、苦労も大きかった。それでも、当選を果たす事ですべてが吹っ飛んだ。感謝だけを胸にしまい、今後も誠実にしっかりと市政をチェックし、質問するべき事は質問し、糾すべき事は糾し、提言をしっかりしていく事にしようと思う。本当に、本当に投票してくださった皆様に感謝しています。ありがとうございます。
   この日より一週間、選挙活動に入りますので、HPの更新は出来ません。24日に当選のお知らせが出来ます事を願っています。
16日(土)   今日は朝から目の回るような忙しさだった。友達の娘さんが朝から手伝いに来た。お昼には横浜から友達が手伝いに来た。午後から、私もネットニュースを友達と一緒に配った。息子はがんがん配っていた。

お昼は朝私が作っていたミートソースのスパゲティを食べさせた。その後、3時にはお茶をして、またまた出かけた。夕食はなんと9時を回ってしまった。大忙しなのだ。夕食は丸広のお惣菜やさんで弁当やらお刺身やらを買って、何も作らずじまいだった。男どもはなんとラーメンを食べに出かけた。近場で美味しいところなんてあるのかね。

夕方からは友達が来て大看板を上げた。すごいプロジェクトなのである。は~~。

夜は皆つかれきっている。明日からの選挙活動に支障がないといいけれど、なんだかとても不安でもある。祈る事だ。
15日(金)   今日は、大体選挙の準備が済んだという感じであるが、最後の最後になっての問題が出てくる。特に今日は自動車の点検があったが、何事もなく無事に帰ってきた。やれやれ。

自動車の点検が終わり、私はネットニュースを配りに出かけた。何しろこの前の県議会議員選挙の投票率が低くて、危機感を持っている。だから、皆さんに投票をお願いした。国民の権利としての投票を自ら放棄してはならないのだ。

夜もかなり遅くまで、あれこれ仕事をした。とにかく、息子が帰ってきて、ネットニュース配りを手伝ってくれて嬉しい。
14日(木)   今日は朝9時から、選挙カーに看板をつける作業をした。私は周りにいてあれこれ言っていたが、何も出来ないので、家に退散した。お昼におわらず、2時ごろまで掛かった。それでも出来上がり、良かった。

その後、ミーティングを行い、運転手たちへの忠告を少しした。

もう、とにかく忙しくて、何をしているのかと思う。途中、疲れきり、1時間ほど横になった。ハイテンションになっている。こんな調子でいいのかと思うが、緊張したりしていて自然だ。頑張って選挙戦を乗り切ろうと思う。
 13日(水)  今日も午前中は、HPのアップなど忙しく過ごした。午後からはネットニュースを配りに行った。さまざまなところで立ち話をして、地域の話を仕入れた。選挙でもない限り、こんなに外に出て人に出会うこともない。良かったなあ。

今、心配事は原子力発電所のことだ。なにやら本当に暗い雲に覆われてしまっているような気がする。時限爆弾を抱えている感じだ。この前、東京都の水が赤ちゃんに不適になった。今は水は飲めるというが、こんな世の中じゃ子どもを埋めないだろう。

第2次世界大戦の時、ある程度世界を知っている知識人は憂いながらも、時節をどうも出来ず、世間から隠れて過ごした。敵は欧米だった。今、きっとその時の知識人のような気持ちで私はいるのだろう。でも、敵は放射能と放射性物質。負けるだろう。爆発は起きるだろう。そして、きっとそれは止められないから、皆はらはらするだけだろう。きっと多くの日本人が同じ気持ちだろう。もしかして、菅首相だっておなじかも。特に、関東は福島原発からたった250キロメートルしか離れていない。100キロ以内はもしかして放射能物質で覆われるかもしれないのに・・・

今回の相手は原子力だ。アメリカよりもっと始末に終えない。戦争を止めたといって、戦争を止められたが、今回、原子力はずっと私達に対して敵対的だろう。放射能は直ぐになくならない。100キロ以内の復興は広島の時の復興のようには行かない。何しろ原爆何万倍の放射能がふってくるのだから。そして、半減期24000年のプルトニュウムすら積もる。あ~、どうしたらいいのだろうか。本当に分からない。

悲観的になってどうすると思う。それで無理にでも今までどおりの生活をすると決めているが、怖いを通り越して、自殺するような気持ちすらする。こんな事を言うと、人心を乱すといわれそうだが、ここにこんな風に憂いた人間がいたという事も記すべきだという思いもあるのだ。

選挙がある。今までどおりに選挙をするつもりであるが、途中で中断されるかもしれないとも思っている。爆発が起こった時点で選挙運動になるかと思うのだ。窓から顔を出していられるだろうか。手を振っていられるだろうか。そんな事をしていいだろうか。私には出来るが、自宅にいるべき人間も要るだろうからだ。考えれば考えるほど悲しいが、それでも私達はその時まできっと虚勢を張りながらも頑張るだろう。頑張るほかに出来る事がないからである。逃げないと決めた。だから、頑張るんだ。

「頑張れ、日本」というスローガンがとても空しい。でも、それに乗って行く他に何が出来るのだろう。なんだか、敗戦が分かっていながら、下らない特攻隊を送っていった指令官のような空しさがある。で、その特攻隊が自分自身であり、家族であり、友達であり、市民であり、日本であったとしたらどうだ。悲観的過ぎるだろうか。そうであったら、本当に嬉しい。私が間違っていて、10年後にこんな事が杞憂であり、幸せな老後を私達が向かえ、子ども達が幸福な家庭生活を送っていってほしいと願い、祈っている。狭山市民の安心安全と日本の繁栄を心から願い、祈っている。本当に、私が間違っている事を願い、祈っている。
 12日(火)  今日も朝から選挙の準備。なにやら本当に忙しい。

午後は、ポスター配達。帰ってきてから、ウグイス原稿を直した。夜は、お風呂にはいってすぐ寝た。疲れが出ている。これは運動不足によることも大きい。トレーニングに行きたいけれど、この疲労感は何だろう。
11日(月)  今日は朝からスケジュールやら日程やらを詰めていた。表を書いたりしていた。事務の人もいたし、 最後の詰めを行っている。

夕方、さいたま市に車で行き、むらまつさんから選挙グッツを借りた。食事をご馳走になり、帰ってきた。むらまつさんは大変嬉しそうだったが、それ以上に会派のことなどの電話がかかり、もう議会活動にまい進である。一日の猶予もないなあ。

本当に疲れて、ワインを飲んでコンピューターに向かったら、はっと気がついてたときには、眠ってしまっていた。やれやれと、お風呂にはいって寝る。
10日(日)  今日は朝近くの教会で礼拝。その後、選挙準備。祈っていたら、選挙カーに乗ってあげますという人が現れた。神様のなさる事はすごいなあ。私はクリスチャンなので、こういう事がおきると奇蹟ってあるんだなあと思ってしまう。祈ろう。

夕方からは、電話の事で夫と出かけた。なんだか一日があっという間に終わる。困ったものである。

夜は、選挙の結果を待っていた。むらまつさん、さいたま市緑区で3位当選。2位まで5票違い。頑張りました。とても嬉しくて、家で叫んでいたら、夫に注意された。そのくらい嬉しかったのだ。最下位争いなんて書いた埼玉新聞を見返すことが出来た。ざま~~ミロ。(ちょっと、下品かなあ。でも、あの記事は気分が悪かった。)あの記事を読んで、私は最終日の昨日選挙応援をすることにしたのだから。

区民の目もしっかりしていた。レッズの選手が県議選に出ていたが、落選。当たり前だ。昨日までサッカーしかした事が無い人が県会議員になって何が出来るというのだろう。どんな見識を持っているんだろう。 今後、勉強できる人ならともかく、一生をサッカーだけしてきた人がそれ以外に何が出来る?田口さんというレッズのサッカー選手がさいたま市議会に入ったが、結局やめて今は居酒屋の社長だそうだ。この世界では、時折、魑魅魍魎が跋扈するから、運動選手には訳がわからないだろうな。
 9日(土) 今日も朝から忙しかった。9時に選挙カーの看板を上げる下準備。看板は13年前に作ったものを今年も使う。重いし、あげるのも大変だけれど、この看板を捨てる事はできない。4年前、支援者の方がきれいにペンキを塗りなおしてくれた。ちっとも洗練されていないけれど、手作りってそんなものだ。だからこそ、私はこれを使う事が嬉しいし、誇りに思っているのだ。

10時過ぎに姪が来て、ウグイスなどの説明。12時過ぎにウグイスをしてくれる友達にも説明。あれこれしているうちに、さいたま市議会議員選挙の最終日なので、むらまつ順子さんの応援に出かけた。

むらまつさんの売りは女性と無所属と良い人であること。まさに、私ではないか!(お前が自分を良い人なんていうのは、僭越なんていわないでね)この前は心をこめてスピーチをしたが、最終日は「むらまつ順子、最後の最後のお願いでございます。」を繰り返した。むらまつさんも選挙カーからお願いした。

6時半過ぎから清水さいたま市長を迎えて、東浦和駅で演説会。彼女も頑張って演説をし、私も応援演説をし、遅れてきた清水市長も頑張って応援演説をした。福島県人のむらまつさんは「翼をください」を終わりに歌った。頑張れ、日本。頑張れ、私達。頑張れ被災者。その後で、8時のマイクを降ろすときまで、住宅街を練り歩いた。ゆっくりしっとりと練り歩き、時々候補者がお願いした。自分の家の近くだったせいもあり、多くの方々が家から出てきて、握手をしてくれた。涙が止まらなくなった。むらまつさんは良い人だから、とても多くの人が親しみ深く接してくれる。良い選挙だと心から思った。

8時にこの選対は選挙を止めた。私の選挙はいつも夜中までだから、これでよいいのかと思ったが、私のような1市で22人を選ぶ選挙でなく、1区で5人を選ぶ選挙では選挙の仕方も違うとしかいえない。私のは一本釣り、彼女のは網でさらうような選挙である。こんな素敵な選挙に少しだけでも関わる事が出来て嬉しかった。良かったなあ。
 8日(金) 今日も朝から忙しく選挙の準備。なかなか大変である。スケジュールを決め始めているが、あれも足りないこれも足りないである。

それでも何とか選挙カーの人員は確保。もう少し人がいればいいけれどと思っている。祈ろう。

午後、ボランティアさんにポスターをもって行き、彼女の家の支援者の方にもお会いした。なかなか大変な人生を送っているようだが、聞いてあげるしか出来ない。今日も沢山お茶を飲んだなあ。 
7日(木)   今日も忙しく選挙の準備に明け暮れた。ポスターの準備が出来たから、ボランティアさんのところに出かけてポスターを渡してきた。

多くの方々のご好意がないと選挙が出来ない。これが選挙のシステムだから仕方がないが、党や組織のある人たちは楽だろうなあと思う。まあ、そういうものに乗らない私のようなものは、議会に入ってから好きなように動ける利点があるのだが。。さて、それにしても、私の年だとだんだん選挙が難しくなっていく。もう少し立てば、皆も退職して楽になり、助けてくれるかなあ。それにしても、私の日々の生活があまりにも議会中心で友達との交流が極端に少なくなってしまっているのが、今になってはっきりする。あ~~あ。

頑張って配った。あちこちでお茶を頂いて話し込んでしまった。

夜中に大きな地震が来た。これが余震なんて考えられない。次から次へと大きな天変地変がおきている。日本は地殻の変動で出来たのだろうし、こうして無くなっていくのかもしれない。太平洋プレート云々と学者は言うが、メカニズムが分かったとしてもそれがなんだろう。日本の危機的状況は変わらない。出来れば、ここから逃げ出したほうが賢いかもしてない。でも、出来なければ日常を普段どおりに行うしかないじゃないか。

ひとつだけ心配なのは、菅政権ののろさだ。被災地が広く、原子炉は爆発寸前で地道な事に目が届いていないのだろう。自治体もきちんと働いていないし・・・
6日(水)   今日は朝から家事。お手伝いさんがきているけれど、やるべき事が沢山ある。片付けもしなければ。

午後はHPのアップをした。あっという間に一週間が過ぎた。忙しいと昨日何をしたかすら忘れてしまう。困ったものである。
5日(火)   今日は、朝から公選はがきの仕上げ。私達は名簿を沢山持っているから、こんなにも公選はがきを出せるのだが、今時の新人さんはどんな風に公選はがきの宛名を書くのだろうか。個人情報に関して、あまりにも神経質になっているし、かといってその気持ちも分からない事もないし。生活上、支障があるようなのでは困るなあ。

午後も頑張った。なんだか、本当に焦ってしまう。こんな調子ではいけないなあ。自粛ムードでも私は選挙カーを回すつもりだし、出来る限り今までどおりを実践したい。でも、でもとても大変で、明け方までいろいろ考えてしまった。「眠れない夜もあるさ」と腹をくくって、電気毛布に電源をいれ、体を温めたらいつの間にか眠れた。こんなものだろうか。選挙が間近になり、緊張感が高まってどうしようもない。4年前もこんなだったのだろうか。
4日(月)  今日は、朝から10時からケヤキ幼稚園が認定子ども園を作ったので、視察。中を見たが、図面を見たときとは違う感じがした。0,1歳児はまだ入っていなかった。本当は0,1,2歳児の待機者が沢山いるので、その子たちの受け皿になってほしいところなのである。頑張ってほしいなあ。敷地が広くて印象的だった。川原にもすぐいけるから、川原でも遊べるが、だからこそ安全管理が大変でもあるな。子どもの脱走は怖いものを感じた。まあ、そんな事はほとんどないだろうけれど。

午後は、公選はがきを作っていた。ラベルを貼ったりして、2000枚作る。失敗もあり、二重に出している人をチェックしたり、なんだか徒労にも思われることをどんどんしている。仕方がないなあ。一日たつのが早い。 
3日(日)   今日は午前中に所沢の自分の教会で礼拝。本当に久しぶりだった。聖餐式があるので、出かけた。きっと祈っていてくださっていると思う。ありがたいなあ。

その後、尾崎のお墓へ。白い百合をあげに、若い男女4人がきていた。私のようなおばさんはこそこそと帰ってきた。白百合は教会の復活祭に用いるお花である。イエス様の復活を喜ぶのに、どういうわけか白百合なのである。白は純粋という事もあるからかな。尾崎も白百合が好きだったというのは有名な話で、今月は命日のある月だから、多くの人が白百合を手向ける事だろう。



まだ、桜が咲いていなくて、山の上は寒かった。

午後はまた、仕事。実戦部隊が少ないとこんなに大変なのかと思う。
2日(土)  今日は、ひかり幼稚園の新園舎の竣工式。いつものように心温まる式であったけれど、時間が掛かった。私は親しかった人にあえてとても嬉しかった。帰るのが惜しいような気がした。あっという間に子どもは大きくなり、卒園してから15年もたった。子ども2人をこの幼稚園で育ててもらった。親も育った。大変な幼稚園であったが、心に傷も沢山作ったけれど、その分思い出もたくさんある。これは東先生がいう、「幼稚園は高速道路のトイレではない」という思想にもよる。すなわち、ちょっと立ち寄って又去っていくという利用だけを目的としたところではなく、留まりそこで人生を過ごす場所であるのだそうだ。

とても個性的な建物だった。どこにもあるというものではなく、ひかり幼稚園でなければない建物。見たことのないようなもの。個性的。とにかく、これが1年後であったならば、出来なかったかもしれない。神様はいつも「時にかなって美しい」事をなさるなあ。

午後過ぎてから帰り、夕食を食べた。その後、事務仕事が山ほどあり、がんばった。

夜は珍しくいるまの湯へ行った。
 1日(金)  今日は朝早くに起きて、さいたま市の村松さんの出陣式へ。出陣式でエールを送った後に、市内をとことこと演説に回った。センスよく、住宅街をゆっくり静かに回った。自粛ムードが強いので、いつものようには車を回す事は出来なかったが、辻辻に立って、彼女の素晴らしい事を述べた。いわく、女性議員であること、無所属・無党派である事、それと素晴らしい人柄である事など。お天気が良くて、のんびり演説をしていたら、1時を回ってしまった。でも、楽しいなあ。やはり演説は好きで、選挙に燃えるものがある。

村松さんのところは電話賭けを自粛するとかで、電話をつけていなかった。ほ~~と思う。私はどんな選挙をすればいいのだろうか。

午後遅くに帰って来た。車を役所に置いてきたので、新年度の役所の中をのぞき、新しい事務局長になった古谷さんにご挨拶をした。全議会事務局長の水沢さんとはいろいろあったが、ようやく水沢さんが議会に付いて少し理解出来てきたところだったので、残念でした。新しい議会を目指して、古谷さんがきちんと勉強してくれるといいなあ。古谷さんは13年前に議会にいたというが、あの頃は分権まえであり、ほぼ機関委託事務を市が行っていたので、議会の役割が決定的に違った。それ故に決定的に議会そのものが変わりつつある。古谷さんにはこれが理解できてほしいと思う。
 3月 私の独り言  2011 
31日(木)   朝から家事。事務仕事。単調な生活だけれど、仕事は山ほどある。疲れると同時に、ちょっと心配もある。人手が足りるのだろうか。

夜電話が掛かってきた。さいたま市議会議員のむらまつ順子さんから。明日彼女の出陣式に出かける。明日からは県議会議員選挙があり、出陣式に呼ばれているが、むらまつさんとは長い付き合いで、女性議員で、だから頼まれれば行く。

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