私の独り言 2011年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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5月   私の独り言
 31日(火)  今日は朝から一般質問の原稿を書こうと努力した。したけれど、どうにもならない。どうしてこうもかけないのかと思う。家事は進みましたけれど。本も読みましたよ。ブックオフまで買い物にすら行った。で、何もかけない。書く体制になれない。

半分は自己嫌悪だけれど、まだ後何日もあるさと思う。
30日(月)   今日は朝から議案の事で市民部とヒアリング。午後kらは教育委員会。その後、一般質問の事で防災課と。

議案の質問を一応市民派の観点からすることにした。党派は党派で信念を持っているのだから、それを行うだろうが、私は私の観点から行う。特に、議案の中身については、市民が関わるところはきちんと聞くこととする。市税の条例改正では、聞かない事はなかった。多くの市民にかかわることだから。今回は、対象者は限られるだろうけれど。

市民交流センター条例では、使い方などを中心に聞くことにした。何しろ、市民のための公益施設だ。出来る限り市民に使い勝手のよい施設であってほしい。そして、使うにあたっては安全に使えるべきであり、トイレの事も大きくいい続けているが、駐輪場の防犯対策などは気がかりなものである。新しいセンターとしては、市民センターができ、子育て支援センターができ、男女共同参画センターができる。既存の中央公民館も入るはずで、公共交通機関の集まる狭山市駅前にあることの意味は大きいと思っている。

この前、南アルプス市に行った。悪い町でなかったが、何しろ合併したばかりだから、中心というものが良く分からなかった。きっとショッピングセンターが街のセンターなのかもしれないと思った。その点、狭山市には中心が出来た。ここにすべてを集めるというわけではないが、新しい街づくりの息吹がある。とても、とても嬉しいと思う。街づくり推進部、今は都市整備部で、東口のほうも何とか整備が進むはずで、東西狭山市駅付近は大きく変わっていくだろう。それで、他のところが寂れてしまったら、問題があるかもしれないけれど、それは又他の事業を起こせばいい。という事で、市民交流センターについては、沢山伺う事がある。

がっかりしたのは、教育委員会とのヒアリングである。まずは、放射能についてぜんぜんノーケアなのである。要するに、問題ないという立場。国が、県が・・・と言っていた。国や県の情報が確実で遅れることなく公表されていない事を誰でも知っている。メルトダウンについて、あんなに私が心配している時には情報を出さず、2か月もたってから、メルトダウンしていましたって言う政府発表を信用できる?!狭山市の話をしているのに、県が国がという神経も分からない。だから何さ。わざとかどうか分からないけれど、正に問題のすり替えだ。分権の意味も分からないのか。今は地域主権という言葉だそうだが、狭山市の主権者(赤ん坊から年寄りまで)の安心と安全をいかに守るかは、地域政府の責任でしょう。

特に仰け反った事は、給食センター長の反応だ。私は、食材の安全性は自分達で調べるのが良いと思っている。調べ方は、簡易な方法を使ったっていい。基準は国の基準でもいいだろう。(本当は、日本の食品の安全基準はべらぼうに高くて、緩くて、永い間こんな事が続けていけば子どもの健康被害が出てくるかもしれないものである。)しかしながら、私が給食センター長に放射能を測定して、基準を超えるものを捨てるようにといったら、そうしたら、「給食量が少なくなって親から苦情が来るかもしれない、そして、買ったものは返せないからお金をどうする、また、出来なかった給食費を返さなけれならいので事務がとても煩雑である」と答えた。

はあ~~~!!!!!である。子どもの安全と事務の煩雑さを天秤に掛けるのか?!狭山市の親は、たとえ、材料が破棄されちょっと給食量が減ったとしても、それが子どもの安全のためであったならば、大きな文句をいうとは思えない。安全でないものを食べさせたほうがずっと問題だと思う。これは良識的な考え方だろう。もう、こんな馬鹿馬鹿しい教育委員会と話をしても、日本語が通じないような気スラする。子どもの安全のことよりも事務の煩雑さの方が頭の先に浮かぶのかと、気持ちがとても落ち込んだ。議会が来ると鬱陶しい思いがするのは、こんな反応を見せ付けられて言葉をなくすからである。
 29日(日)  朝、礼拝。お昼を教会で頂いた。というのも、アメリカから昔一緒に英語礼拝を行っていてクラークさん一家が日本にやってきたからである。4年ぶり。少し日本語を忘れたようだが、まだまだあまり変わりなく素敵な一家である。夜一緒に食事をする予定。
28日(土)   今日は朝から市川房枝記念会で勉強会。この前の選挙の総括をしていた。無所属議員の選挙。結局、警察が取り締まらない文書図画に関しては、何でもアリの感じである。とにかく、公職選挙用の葉書に関して言えば、郵送しなくても使えるのだから、選挙期間中に配布しても良いものであるそうだ。は~~~。訳がわからない、抜け道だらけの公職選挙法である。選挙期間中も政治活動は禁止されないそうなのである。じゃあ、リーフレットだって配られる。抜け道だらけの、公職選挙法。

市川房枝記念会は変わりつつある。上品に学術会議のようになって行くのだろう。それも、それで良いかもしれない。維持会員で、運営会員だった私もそろそろお役ごめんが近づいているのかもしれない。理事長も変わった。農家の娘が活動を続け、参議院議員にまでなったわけだが、そんな苦労はいつの間にかどこかに行き、市川房枝ブランドだけが一人歩きしているように思えてならない。この14,5年私は市川さんのところに通い続けているのだが、かっての熱気もどこかに行ってしまった。

同じような議員のための講座が林立しているし、党が若手の発掘を頑張っている。そんな中で市川房枝記念会の役割も変わっているのだろうとは頭では理解できている。無所属議員そのものが党派の中で珍しい品種といわれるようになった。そんな中でも、市川房枝記念会が無所属女性議員のホームセンターになってほしいと願うのは、甘えだというのだろうか。

まあ、私もフェミニスト議員連盟の世話人もしている。女性団体もさまざまある。そんな中で行動し、声を上げるような団体を新たに作り上げねばならないと思い始めている。まあ、これも小さな声を大きくしていくためには仕方がないのだろうと思う。
27日(金)  今日は午前中に2つほどヒアリングをこなし、12時近く新宿の市川房枝記念会のセミナーへ。

宇野重規先生の講演、「民主主義再生への試練ー大災害の課題と住民パワー」。希望学という学問があるそうだが、その観点から、石巻市を事例研究にしたお話。だが、その間の普遍てきな話のほうが面白かった。

先生曰く、挫折経験のある人は希望がある人が多い。逆に、挫折経験のない人は希望がない。
危険なのはエリート。エリートは住民のパニックを恐れ、危険な状態をおそれ、真実を公開しない(なんという住民の理性を信頼しない傲慢な態度。)政府の機能不全。官僚は災害ニーズに疎い。

彼は東大法学部出身で沢山友達が官僚にも司法にもいるというが、自嘲的に震災の時に嘘で固めたコメントばかり言っていたのを冷やかしていたし、友達の政治家の中での先見性のないことも揶揄していた。これがエリートのいやらしいところかなと私は思った。エリート(宇野先生だって、親は学者の超エリートである)は自分達エリートを笑い飛ばされるが、決して自分の利権を手放そうなどとはしない。なんだか、講義を聴きながら、日本の政治だけでなく経済も学界もすべて、もう血族や家柄の決まったある種のサークルで独占されているんだなあと言う思いがしている。日本にはまだまだ華族制度があるのだわ。見えないようでいても、安定した平穏な時代にはそんなものがのさばるのさ。
26日(木)  今日は朝5時におき、視察に行く用意をした。7時40分の新宿発の南アルプス市行きのバスに乗るために、6時には家を出た。バスはのろのろ運転だった。中央高速が工事だったからだ。自分の車で南アルプスまで行ったら、もっと早く着くのに・・・なんと、11時近くにようやく着いた。

市役所では、温暖化防止計画についての話を聞いた。午後からは、視察現場へ。学校の光発電。小型水力発電。庁舎での発電。消防署での発電など、何しろほとんどの学校にソーラーシステムがあるのだから、見るべきものは沢山。

それぞれの装置には補助金が9割もついていた。こういう補助金を見つけ、貰ってくるのは地方の行政マンの素晴らしいところなのである。私は、「あなた達のような職員がほしい」と言った。市長が4年ごとに変わるような市での職員は大変だと思うが、一貫してこのような政策を推進してきた、今までの市長の姿勢は尊敬できる。勿論、職員のプレゼンテーションも良かったのかもしれないけれど。

5時半ごろ南アルプス市をでたが、またまたのろのろ運転のバスのおかげで、新宿発9時の特急にのった。そしたら、途中で人身事故があり、1時間も特急が動かず、所沢で廃止になった。それで、急行を乗り継いで帰ってきたが、狭山市に11時過ぎに着いた。

朝5時に起きて、夜11時半過ぎに帰ってきたが、ほとんどの時間をバスや電車ですわり、ミーティングで座っていたのに、どうしてこんなに疲れるのだろうかと思う。
25日(水)   今日は午前中に美容院にカットに出かけた。明日は視察だし、昼食会もあるから。

昼食会はいろんな民族の会のピクニック。彩の森公園で、友達とのんびりピクニックだったが、風が強かったにもかかわらず、日差しが気持ちよかった。はすの花のさく池をみながら、なんだか疲れが飛んで言ったような気がした。皆がおめでとうといってくれて、ちょっとした祝勝会のようなもの。楽しかった。

午後は、遅くに市民部の人が来て、ヒアリングの続き。また、その後には環境部が来た。一般質問のヒアリングのため。おしゃべりを中心にしたが、放射能に関して、環境部よ、少しはイニシアチブをとれればいいね。ただただ現課任せだわね。もし、最悪の事態・水蒸気爆発なんかが起きたらどうするわけ?そんな事を想定できないというなかれ。想定しなければ、万が一の時にどうするつもり。しっかり、考えるべきだ。あまり、想定外の事故などというと、笑われるよ。想定していない事故なだけだろう。

どんな事が想定されるかを話したが、私がいう事が遅かれ早かれ起こったりするから、怖くて話すのも嫌だ。けれど、とにかく何かが怒る前に準備しておかなければ、人命にかかるからね。

役所から直行で、ピラティスに参加した。忙しいので運動不足である。帰りに急いでヤオコーによって、視察のためのお土産を買った。
24日(火)   今日は、朝役所に行き、一生懸命一般質問の通告文を書いた。結局16番で私が一般質問の最後だった。22人中16人が一般質問する。しないのは議長、副議長、小谷野さん、東山さん、田村さん、あと一人は誰だろう。

午後は少しほっとしたが、いろいろな職員が接触してきた。それでも5時には役所を出られた。ご飯何をつくろうかなと思った。最近は忙しすぎて、手料理を作る暇すらもない。結局、お刺身さ。
23日(月)   今日は午前中に全協。その後、建設部の廃棄道路についての視察。昼食ご、市民部との議案の勉強会。

いそがしいね。5時には御茶ノ水の明治大学に。シンポジウム「検察、世論、冤罪」を見に行った。ニコ生でもUストリームでも流すといっていたが、郷原さん、山下幸夫さん、山口一臣、八木啓代さんなどというゴージャスメンバーなので、私はそれこそ生で話を聞きたいとおもったのだ。

いや~~~、明治大学がかっこよくなったいたのには驚きましたね。昔のビルディングは今何処ですよ。まあ、新しいこと。なんと、シンポは6時半からほとんど休まず9時過ぎまで。元検事の市川寛さんが飛び入りでシンポジストに。あまりにも痛い話に、胸が詰まった。酷い調べ方を自己批判していたが、自虐とも言えるほどの反省だった。
22日(日)   今日は、朝礼拝。お昼を沢山買って、おじさんのところへ。90歳を過ぎたらしい。少しぼんやりしてきた。胃に腫瘍が出来たらしい。おなかがはれていた。腹水がたまっているんじゃないといいが。心臓病もあり、腎臓透析もしているから、手術なんかできるんだろうか。それでも、私が行ってとても喜んでいた。会いに行ってよかったなあ。

その後でブックオフによって帰ってきたら、4時過ぎていた。なんだか疲れて少し寝た。5時半ごろからご飯を作り始めた。最近はどうしてもお惣菜を買う事が多くなっていたが、今日は手作り。お買い物に行くのだが、どうしても産地にこだわってしまう。牛乳が難しい。今時は現乳の生産地が明記されているのが少ない。北海道牛乳を買ってきたが、本当に北海道の現乳を使っているのか分からないなあ。神経質になるなと言っても、若い子どもがいると無神経にはなれない。

夜は、HPのアップをしたり、一般質問を考えたり、一般質問のための資料をコンピューターで検索をしたりしている。ちょっとイラつくのだが
21日(土)   今日は午前中に新宿へ。オザカラ。尾崎カラオケ。サンディさんが主催しているカラオケで尾崎の歌だけを歌うというカラオケである。私は街路樹を山ほど歌った。何しろ今回は4部屋を借りるという快挙。友達が死んで、そのための追悼部屋もあった。私はとても歌えないと思い、行かなかった。それにしても、重荷を背負った人たちが集まるオザカラ。それでいい。主催者のサンディさんはすごい方で皆に肉まんを持ってきてくれる。とてもとても美味しかった。集まる人も知っている人が多いので、なんとなく安心。

早々、このオザカラはいつか尾崎のドキュメントの時取材されて、放映された。私も少し映っていたらしく、役所でもいろいろ言われた。見る人は見ているんだなあ。まあ、私が尾崎が大好きだって言うのは、多くの人が知っている事だ。

3時ごろ、新宿を出て麹町へ。今回は丸の内線で赤坂見附に行き、プリンスを通って剛堂会館へ。赤坂見附ではとても多くの右翼が終結していた。何のための集会だったんだろう。それの倍も機動隊やお巡りさんがいた。なんと不経済な右翼達。

剛堂会館は円よりこさん主宰の女性のための政治スクールが行われていて、菅政権と原子力発電所の事故について、講演を聴いた。40人ちかい受講生の話を聞いたが、さまざまなところの議員がいた。知り合いもいたし、良かったかな。酷い話は、鳥取の議員がしていたと思うが、知的障がい者を原子力発電所で働かせて、暴力団が搾取していたという事。いろいろな暴力団と原発とのつながりの噂を聞いたが、実際の事ととして聞いたのは初めてで生々しい話だった。

懇親会後、お友達とお茶をした。彼女は横浜市議会議員をしていたが、今回落選との事だった。残念。
20日(金)   今日は午前中は「狭山子どもを育てる親の会」総会。5千円という会費が高いので、幼稚園や小学生を持つ親には1000円会費でもいいのではないかと会長に進言した。

午後、事務所で仕事をしていたら、役所から電話。そういえば一般質問の通告をしなければならないと、役所に出かけた。それにしても、原稿とにらめっこしていたが、かけない。5時過ぎに帰宅。あ~~あ。何のために役所に出かけたのだろうか。

夜は「狭山里親会」総会。総会が続きますね。
19日(木)   今日は、昨日までに計算し終わった「高橋ブラクソン久美子とすすむ会」の会計を持って、浦和の県庁、選挙管理委員会に出かけた。書類は直ぐに出し終えた。それで、県議会によって帰ってきた。臨時議会が24日からだそうだ。楽しみね。

その後、県議会の図書館で女性問題や、議会改革についての本や雑誌を読んで帰ってきた。図書館は前を通るとどうしても寄りたくなる。勿論狭山市の議会図書館よりも充実していたが、本をコンピューター検索できないのはいかがなものか。なんて、考えていたら、狭山市の議会図書館だって、図書目録もなければ、コンピューター検索も出来ない。でも、司書のいない狭山市とスタッフの多い県議会図書館を一緒に出来ないわ。県のほうがプアーである。すなわち、もっと県の議会図書館では、書棚で分かりやすく本を読者が検索できるといいなあ。暗いし、高い本棚は今風ではない。その点国会図書館はいい。

帰ってきたら、なんと夕食ごろ。浦和は近いのか、遠いのか。
18日(水)   今日は一生懸命、すすむ会、会計をした。金額は多くないのだが、分かりやすく、領収書のクリアファイルを作ったり、コンピュータに表を入力したりと、する事は多い。

午後はそれだけでなく、選挙の時に帰ってきた葉書の整理もした。2000枚出したが、60枚ほど戻ってきてしまった。どんどん人の出入りがあり、4年前にいた人もいなくなってしまう。残念である。

夜ピラティスで運動。その後、西中野球部母の会でお酒を飲んだ。今回はあまりお酒も進まず、1200円だけしか払わなかった。でも、お話だけはあれこれ。帰ってきたら、もう真夜中を過ぎていて、シンデレラ状態だった。楽しかったなあ。ぜんぜん緊張しない友達関係はいいなあ。オザカラの話、テレビの話も出た。皆私が尾崎好きなのを知っていると思うけれど。
17日(火)  今日は、結局、「すすむ会」の会計をしていた。途中、コンピューターで遊んでしまった。それで、ちっとも仕事が終わらない。あ~~あ。ちょっと自己嫌悪である。

夕方買い物に。結局買い物はヤオコーで済ませてしまう。近いし、品物が良いという事。
16日(月)   今日は午前中にのんびりしてたら、午後からは事務所に人がきた。ボランティアさんが選挙の後片付けのお手伝いにも着てくれた。

私は仕事をその人たちに頼んで、銀行でお金を下ろした。何しろ、狭山市駅に行かなければならないから、不便だ。ここまで来たら、きちんと西口を視察せねばと、西口事務所に行き、一緒についてきてくれる担当課長と共にまずは公益施設の周りをぐるっと回り、市民広場を視察した。まだまだ、どんな風になるか分からない。ここに来て、あまりケチって変なものを作ってほしくないなあ。

そうだ。モニュメントや彫像について聞いたけれど、ちっとも真っ当な話が聞けない。素敵な椅子でも配置して、若い人がいちゃいちゃ出来るようなロマンチックな広場がいいなあと思うのだが、どんなベンチになることか。そこにちょっと素敵な彫像でもあって、ここで写真でも撮れば、恋は成就などという場所にすればいいのに。演出が必要なのだけれど、街づくりには。批判はあるさ。でも、負けるな西口開発事務所。いつも応援していますが、ここまで来てチープなものにしないでよね。

帰ってきたら、もう5時近く。お給料を事務長さんにお支払いした。
15日(日)   今日は午前中は礼拝。とにかく礼拝で説教を伺うと納得できるところが多い。近くの教会に行ったのだが、韓国人の先生は政治的なものに積極的に発言する方である。今回は原子力発電について、人間の傲慢さを説いていたが、全く同じ考えである。自然という神の恵みをさしおき、人間が自分で物質を作り発電使用とした事は、ある意味神への挑戦であり、神への冒涜かもしれないと私は考えている。クリスチャンのたわごとさと言うかもしれないが、いつも人間の傲慢さは自然によって、神様の偉大な力で打ち砕かれているように思う。

さて、説教は6日働いて1日休みなさいというので、私は午後したいこともあったけれど、休んだ。本を読んでいたら、眠くなって昼寝をした。疲れている思いはなかったんだけれど、実際はつかれていのかな。

自分で休もうとしなければ、この商売は休めない。気だけは休めない。体だけでも休まさなければならない。狭山市でいろいろなイベントがあるようだが、最近はなかなか参加しない。市民と触れ合う機会をもっと作らなければならないと思っている。

夜、夫と入間市の映画館へ。まほろ駅前多田便利軒を見に行った。思ったより暗い内容だった。瑛太を見に行ったのだけれど、松田龍太の自然の演技が面白くてよかった。もっと瑛太も体当たりの演技か、松田のような脱力した演技を行えばいいのにと思った。少し、原作に興味を持った。いつか読もう。
14日(土)   今日は午前中、夫を送りに行ったついでに、博物館の催しを見た。大抵、私は博物館の催し物を見ている。説明を聞いたりして、興味がある。ぼんぼん時計というが、私が興味があったのは、1階で展示していた部分だった。ひとつぐらいボランティアさんに時計を製作してもらっても良かったかな。大きなぜんまい時計があったら、もう少し判りやすかったかもしれない。最近の時計については、説明しかなかったので、なにか展示して分かりやすくしてくれても良かったかもしれないが、展示できるようなものがなかったんだろうな。

2階は正に高級家具の世界で、時計が貴重でかつ家の中心であったのだと思わせるものが所狭しとおいてあった。可愛い時計も合ったり、花瓶もあったりして、それはそれで楽しかった。簡単な時計の製作なんか、体験できるコーナーとか、触っても良いものなどがあるともっと興味を引いたかもしれない。展示物を見るだけだと、字をきちんと読める人じゃないと大変だ。

こういう催しは好事家に好評だろうな。まあ、沢山の人が来なくても、意味ある展示もあるわけで、それはそれで良いのだろう。貴重な博物館だし、狭山市は特化したものがないだけに、さまざまな工夫で貴重な展示を行ってほしい。

お昼ごはんを食べて、はっと気がついたら、3時。スケジュール表をみたら、国際交流協会の総会であった。急いで出かけた。総会後は、懇親会。車で行ったので飲まなかったが、楽しく2時間を過ごした。

8時に会場を出て、サピオへ。体がなまっていて、少し運動をしたかった。久しぶりに2時間ほど歩いたり、ストレッチをした。気持ちが良かった。

さて、お茶の放射能だが、議会からファックスが入った。狭山市の場合、258.3ベクレルという事になった。500ベクレルの基準を下回り、以前の基準値350ベクレルも下回っている。よかった。ちなみに入間市は、基準ぎりぎりの468.8ベクレル、所沢市は342.4ベクレルだった。狭山市のどこで採取したのか分からないけれど、放射性セシウムが基準も、旧基準も下回ったことに心からほっとしている。良かった。
13日(金)   今日は朝から、領収書を作ったり、印刷したり、封筒を作ったりと忙しく過ごした。たかが領収書というが、やはり一筆入れてお手紙にしたいなどと思うと、たまると時間が掛かってしまうわけだ。そんなこんなで、あっという間に夕方になった。

今日は、誰も来ないし、何の用事もないので事務仕事をたっぷりできるなどと思ったのは、取らぬ狸の皮算用というものであった。どうしてこんなに一人の時間が楽しいのか分からないが、心がうきうきする。これで、遣り残した仕事がすべて片付くと、肩の荷が下りるんだけれどとおもう。まあ、人に頼まず自分でするとなると、次から次への仕事がつづく。あ~~あ。

時々、ツイッターも書いている。これは政治的な事に終始している。思ったことをはっきり書く事にしているが、ストレス発散にもなる。どんどんフォロアーが増えていく。同じように思ってくれている人が日本中に多いのだね。

私のハンドルネームはmudanahibiwoというのだが、これは内緒。ここで、見ている人だけが、私のフォロアーになれるのさ。さて、私のツイットを皆さんがどうおもうのか、ちょっと知りたいところで、ディフォルトページに少し乗せておいた。
 12日(木)  今日もHPのアップのために原稿を書いたり、写真を取り出したり、ツイッターをかいたりと忙しかった。

午後は子どもをつれて電話会社へ。娘がダウンロードをしすぎてなんと2万6千円も払う事になり、ダウンロードを取り消す方法を聞きに行ったわけだ。一ヶ月だけでなく継続の契約もあった。娘は何も読まず、まあ、読めないのだけれど、ダウンロードをした。何十も契約があって、驚いてしまった。あ~~~あ。

彼女はそのまま医者へ。私は支援者のところに忘れ物を届けに行った。選挙の時にお世話になって、本当に感謝している。

その足で、役所に寄った。何しろ、足柄市のお茶に放射能が出たというので、狭山市のお茶についても心配している。放射能を調べる問い事。私は、入間市などとは別にきちんと調べてもらうように頼んだ。
11日(水)  今日は朝からHPを更新しようと原稿を書いたり、フェミニスト議員連盟のアファーの原稿を書き直したり、写真をおくったりした。アファーの原稿をトップページからみられるようにした。

お昼ごろに友達が来て、一緒に選挙の話をしながら昼食を取った。事務局長も来たりして話に盛り上がった。事務局長はもうほとんど事務仕事は片付き、後は電話の請求書を持って修正に行くだけだといっていた。よかった。私のところは選挙活動にそんなにお金も掛かっていない。ほとんどが ボランティアだし、人数も少ないし、きれいな選挙をした自信がある。

とにかく主婦がおこなう選挙だし、市川房枝記念会の教えもあるので、お金をかけないきれいな選挙を目指して頑張っている。

役所に行き、書類をかいたりしていたら、なんと6時。急いで帰り食事。

夜は久しぶりにピラティスに行った。飛んだり跳ねたり一切しないのに、筋肉を使うので汗がじわっと出てきて、後でコリが直ったみたいな爽快感があって、止められない。2か月ぶりの運動だったが、これからも続けて生きたいと思う。
10日(火)  今日は臨時議会。会派つくりに失敗した私は人事議会では何ら影響力もないというところだ。午前中に満場一致で議長と副議長が決まった。彼らの民主主義的な議会運営に期待するところである。それと、議会基本条例がきちんとできるための努力にも期待する。言葉だけでなく、委員会を設置し、22人の議員が一体となり、研修研鑽を詰める体制を作り上げてほしい。

午後は、席をきめ、委員会のメンバーを決め、委員長副委員長を決めと粛々と人事が決まっていく。まあ、2期の人が委員長に、1期の人が副委員長にという流れはいつから始まったのか知れないが、このところ狭山市議会の人事だ。それも、公明党、志誠会等が中心になって。なんだかなあ。午前中の議会が一体となってという淡い期待はどんどん薄れていく。 

それでも、人事案件は進み、妥当といえば妥当な人事かもしれないが、これで今後4年間を考える時に議会の本質を突き進める事が出来るのかと心配にもなるな。新人さんが多いのだから、仕方がないといえばそのとおりで、私達が新人の12年前にはいろいろな思いが先輩議員にあったことだと思う。それを感じているだけなのかもしれない。

今はもう5時半になった。一応臨時議会は終了したが、これからは議会の体制を見極めていく時だろうと思う。私のスタンスがあまりにも変わらないので、緊張感も少なく、なんだかね。とにかく、自分のすべき事を粛々とするしかないのだろうと思ってはいるけれど、新鮮味はない。

帰宅したら7時ごろになっていた。子どもには肉料理をつくり、サラダを作り、残り物を食べておわりにした。あまりに疲れて、10時半になったらエネルギーが切れた。
9日(月)   今日は午前中は家事に明け暮れた。午後からは役所で明日の議会の議案の勉強会。その後で、視察についてお願いした。うまく、計画が出来るといいなあと思う。出来るならば、今月には視察したいと思う。

明日の議会の議案は4件しかない。流してしまえばそれまでだろうけれど、新しい議員もいることだから、きちんと質疑をしたいと考えた。自分の好奇心を満足させるために発言するのではない。市民に必要な情報は議会で質問し、議会便りやケーブルテレビで提供していくのが議員の役目であろうと思う。

家に帰ったのは、ヤオコーに寄ったから、8時を過ぎていた。買ったお惣菜と昨日作っていた鰈の煮物。お風呂にはいって寝る。役所に行くとそれだけで疲れ果てる。
8日(日)   今日は、朝礼拝。朝食まえになんだかのんびりしてしまい、少し遅刻。窓の外の木々があっという間に芽吹き、若草色になっている。萌黄色というのかな。それを見ているだけでも、心が癒されるのである。福島原発を思うのだが、なんと言う静寂。これで、日本に何かが起きているという感じが全くしない。佐久でマスクをしているなんて私ぐらいのもの。まあ、風邪を引いて、咳が出るのだから仕方がないのだけれど。

昼食後、庭の整理に取り掛かった。今は雑草が生える前だし、その上木の葉も生い茂っていないから、木や枝を切るのに最適なのだ。もう少しすれば、木々が茂り、重くなってきることもできない。木は本当によく育つ。この前、若木だった「ほうの木」が大木になり、その葉が大きくいたるところに散っていて、汚く思える。若いときに切ってしまえばよかった。もう遅い。

だから、下枝を一生懸命に切っている。暗闇のような庭でなく、少し光が当たっている。夫は自然のままがすきだから、私がむやみに木を切るのが好きではないようだが、自然と共存なんて簡単にいえても、相手が偉大だから、とてもとても競争やら共存なんか難しい。大抵は私達が負ける。

夜は渋滞を覚悟して帰ってきたが、どこも滞っていなかった。着いたら11時を回っていた。疲れたけれど、快い疲れだった。
 7日(土)  朝、直江津を出て、長野へ。息子がアメフトの合宿から帰ってきていて、昼食を一緒に食べた。直江津を出る前に、魚屋によって、海鮮コロッケだとか海鮮春巻きだとか刺身を買ったので、息子にご飯を炊かせて、アパートで一緒に食べた。まだ、入ってから1か月しかたっていないのに、汚くて掃除をしたかったが、去年買ってやった掃除機が見当たらないし、箒もないし、全くねえ。

ゆっくりしたが、長野には一緒に見学するところもないし、大家さんにご挨拶して帰ってきた。

夜、佐久の別荘についたが、夜空がとてもきれいで、こんなきれいな空にも放射能が撒き散らされているのかと本当にがっかりしている。
6日(金)   今日は、直江津で父母とまた花見に行った。去年も一緒に行った五智公園へ。遅咲きの八重桜がきれいだった。少し散歩したが、海辺に行くと風が冷たかった。海沿いの風車がゆっくり回って、風力発電をしていた。自然エネルギーに関して、少し考えてしまった。狭山でも1ヵ所でも風力発電を出来ないものか。

夕方からは、私、弟、義理の妹の誕生会、母の日、私の祝勝会をかねて、食事の会をしてもらった。近くのレストランに7人で出かけた。甥のお嫁さんが来れなくて残念だった。
5日(木) 今日は松本に息子に会いにいく。息子はアメリカンフットボール部の合宿中。携帯電話の件で彼の署名が必要なので、会わなければならなかった。まあ、一件落着。行く道筋に関して言えば、1時に松本に尽きたかったから、霧が峰を通る事ができず、結局254を通り、松本まで行った。この道も初めての道だから景色を楽しんだが、山にはまだ春は届いていなかった。桜がそこそこには咲いていたが、若葉のシーズンではなかった。

昼に息子と食事でも出来るのかとおもったら、彼は部活が終わらないらしく、私達でお蕎麦をたべた。松本の蕎麦は高いだけで、私は狭山の広瀬にあるなる堵のほうが美味しく感じる。

その後、穂高にある禄山美術館へ行った。私の学生時代に良く通った場所で、美術館守をしていたおじさんと親しくなって、美術館の脇にあった小屋に泊まったこともあったっけ。そんな40年ぶりのセンチメンタルジャーニーだったけれど、そのおじさんは25年ほど前に亡くなっていた。あの椅子もおじさんが作ったんだなあと思うものがまだあった。受付の人も、案内の人もおじさんの事は知っているようで、私があのおじさんのことを知っているよりも詳しかった。

美術館は入館料もとるようになり、いくつかの建物が加わり、立派なものになっていた。アメリカやフランスから帰ってきて2年で亡くなったから、禄山は数点しか彫塑を作らなかった。ロダンばりの力強い彫塑は労働者にしても抗夫にしても、私は泥臭くて好きだ。彼はクリスチャンだったからどことなく、キリスト教の匂いがする。私は女性の裸婦は嫌いだが、彼の女の像はマイヨールの彫塑のような温かみとどこかに抽象を感じて悪くない。高村光太郎の女性像があったが、私は禄山のもののほうが崇高な感じがする。どうしてかは、からないけれど。

萩原禄山は才能があったとは思うけれど、死んでからもう100年にもなろうとしているのに、このように美術館が建ち、多くの人が見学に来ているのには驚いてしまう。萩原の実家の実力や友達関係のすごさによるのかもしれないが、やはり彼の作品の力強さが一番の理由だろうと思う。

私は自分のことも考えた。40年前の私と今の私の感受性は変わっていないなあと思う。禄山の作品が芸術のためのものではなく、生きた人をモチーフにしているその息吹に昔と同じように感じるのだ。どう考えても、三つごの魂は変わる事がないのだろうと思う。人の悲しみや辛さや美しさや楽しみや、そんなものに心を囚われてしまう。

さて、帰りは佐久にでず、直江津の父母の元に。大町を抜け、白馬をぬけ、糸魚川をぬけ、直江津まで。とちゅうで、お寿司を食べた。
 4日(水) 今日は、 午後から佐久へ向けて夫と出発。娘は仕事もあるし、春はアレルギーのあるものには鬼門の佐久だ。彼女の顔の蕁麻疹が出る可能性があるので、連れて行けないのである。

夜は杏亭で食事をした。
3日(火)  今日は、レッズのサッカーの試合を見るために、 埼玉スタジアムに出かけた。赤い服を出して着た。スタジアムはほぼレッズファンで埋めつくされていた。一箇所だけ青い横浜マリノスのファンがいて、熱心に応援していた。これが、スタジアムの雰囲気かと感慨にふけりながら、観戦した。6万5千人入るスタジアムに4万7千人が観戦していた。レッズは熱狂的なファンだと聞いていたが、得点がなかったせいもあり、そんなに熱狂的には思えなかった。それにしても、マリノス、レッズの応援合戦が面白かった。

試合はレッズはぼろ負けだったから、なんだかしゅんとして帰宅した。目の前で中村俊介や中沢という元日本代表の選手が動いているのを見ているのに少し感慨もあった。

なんと朝10時に出かけたのに、帰宅したのは7時近かった。疲れたけれど、外で観戦をしたので快い疲れだ。それにしても、黄砂が酷くて息がしにくいし、風邪のようで体のだるさと咳が止まらない。
2日(月)  今日は、朝10時から市川房枝記念会でミーティングがあった。統一地方選挙では友達はすべて当選していた。市長に潰されそうになった人もいたが、結局サバイブしていた。個性が豊かな人たちだから、嫌われる面もあるが、強烈に支持してくれるという人もいる。私達はそうそう潰れはしない。27日、28日には第一回の講習会を持つ事になった。

お昼を食べて、少し話し込み、その後は紀伊国屋で本を見た後に、千石のフェミニスト議員連盟の事務所に行った。何しろ、東京はあまり知らないので、千石(地名は知っていたけれど)は始めてのところで、迷いながら出かけた。6時半から8時半までミーティング。その後に、友達が東京から四国へ戻る事になり、壮行会というかお別れ会をした。地味にしかししっかり仕事をする人だっただけに、東京で彼女を失う事は大きな戦力を失う事になる。寂しいと思う。 
 1日(日)  今日は午前中は礼拝。帰ってきて、食事の後、また大島さんと会談。私の会派作りは事実上無理という事になった。残念だが仕方がないだろう。自分の考えを返る事はできないのだし、する気などもさらさらないのだから。ただ、会派を作り、議会基本条例制定に議会の中で汗を書きたかったし、狭山市基本構想の議会版を作り上げるために、これにも汗をかきたかった。その際、会派があったほうが私には都合が良いのではないかと思っていたのだが。少しがっかりしたが、自分のことを考えるときにこれしか道はないのだろうとしかいえない。
 4月  私の独り言  2011  
30日(土)   今日は忙しかった。午前中は残務整理。午後は1時から大島さんと会って会派について話した。夕方からは「すすむ会」の懇親会があった。なんだかあたふたしているうちに一日が終わってしまう。

すすむ会の懇親会は楽しく終わった。この前の選挙の時、私がへべれけになった事を思い出せば、なんとも平和な懇親会。選挙そのものになんとなく余裕があったという事か。勝つか負けるかというよりも、どんな風に戦い、どのように今までの議員生活を評価されるかという事が問題であった。そんな中で事務所の人は燃えてくれたのがはっきりしていた。感謝でいっぱいだった。

選挙に思った事は、アファーに原稿にするので、どこかに掲げておこうと思う。議会に対する市民の無関心さが心に刺さる選挙だったことをここに記しておこう。
 29日(金)  今日はお休みだが、結局家族全員働いていた。夫は来週に代休を貰うといって仕事に行き、娘は旗日も働く事になっているらしく仕事に出た。私も選挙の残務整理があり、お休みするというわけに行かなかった。

体が芯から疲れ果てており、何をするのも億劫だ。
28日(木)  今日は午前中に家事を終えて、午後は役所に書類を届けに行った。政務調査費の提出日が今日であったから。あれこれしていたら、夕方手島さんが帰宅するのに遭遇。「今日で僕の出勤は終わります。」というので、握手をして分かれた。なんとも、あっけないさようならだ。彼は、今後は会社に帰って仕事が沢山待っているだろう。どこに行っても手島さんの事だから、誠実に手堅く事を進めるに違いない。

資料請求もたくさんして、6月議会の一般質問の準備をしてきた。

さてさて、会派。私は、若い人も育てたいなあと思う。勉強会もしてあげたいが、やはり他の会派の人にはそんなに手をかけてあげられないと思う。多くの人が集まるような会派にならないかなあと願っている。私は教員あがりなので、どうも教育が頭から離れない。矢馳さんはどんな方かよくわからない。土方さんは月曜日に話したが、性格が良いように見えた。プロレスラーとは信じられない柔らかな感じ。笹本さんは民主党の人。金子さんは前から面識アリ。萩原さんは、最終日に演説をしているのを見た。太田さんは鵜の木の人。これだけ新人がいるのだから、誰かと一緒に仕事をしたいし、できれば私のノウハウなどを授けたいと思う。勿論、皆個性的だから、それぞれが自分の道を見つけ出すべきだが。

私はⅠ年生は少なくとも1年間は先輩について学んだほうがいいと思っている。私ですら、1年は会派に属した。出来れば大きな会派が出来るといいなあと願っている。私はどうも政治力がないので、会派を作るなどというのは無理かもしれない。は~~~。どうなるか。 
 27日(水)  今日は、朝から又もHPを更新した。今は月末でお手伝いさんがいないから、やはり家事にも手が掛かる。まあ、仕方がないという事だ。

午後に事務長が出てきて、彼女は選挙の後始末に励み、私はネットニュースを作り上げた。原稿を作ったので、後は印刷だけだが、紙がなかったのでトステムビバに買い物に行った。ついでに、いろいろなものを買って帰ってきた。本当のことを言って、選挙中は買い物もできなかったので、シャンプーやらの買い置きがなくなってしまった。姪も息子の彼女も家に泊まっていたので、毎日が大人数だった。

ビバで思ったのは、犬や猫の売買だ。とても可愛らしい子犬や子猫が売ってたが、あの子達はすべて買われていくのだろうか。もし、買われなかったらどうなるんだろう?日本は犬が注文で買うシステムがないらしく、あのようにショップで買う。それで、要らない犬やら売れない犬を殺すらしい。まあ、牛も豚も飼っていて、私達はその肉を食べるのだから、あまり大きな声で、抗議は出来ないかもしれないけれど、どうしても、生きているものを売り買いするのに抵抗がある。本当に、あそこで売られている犬達の行く末が心配である。

今、会派のことを真剣に考えている。私は今まで会派に属さなかった。初めのとき、1年だけは中川浩さんと手島秀美さんと会派を組んだ事があったが、それも直ぐに飛び出し、その後は一人で頑張ってきた。今回は会派に属したいと思っている。議会基本条例を作るにあたり、「水戸黄門」みたいな立場でいても、仕方がないなあと思うところがあるのだ。もっと、議会とかかわり、しっかりした議論と勉強を積み上げ、市民と共同して議会基本条例を作り上げたい。

今回低調な議会の投票率を見ていると、議会への期待が少ないからだと思う。期待される議会とは、市民の魅力のある議会とはを皆で考えて、そうなるように頑張らなければならない。「自分の得票が増えたから、それでいいのだ」とはならない。そのために、私は汗をかこうとともっているが、この際一人でいるよりも多く議員といたほうが、発言力も増そうという期待もある。さて、さて、誰が私と組んでくれるのだろか。

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